≪メッセージ≫(おとな)
■ひと月余りの乳飲み子
「めでたさも 中くらいなり おらが春」
ご存じ、小林一茶の一句です。わたしたちも今、ご一緒に新年を迎えています。ただ一茶と違うのは、中くらいならぬ、クリスマスの大きな喜びと希望の内に、新しい年を迎えていることです。そして、そんなめでたい新年に与えられたみ言葉が、ルカによる福音書2章22節以下です。
「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、『初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される』と書いてあるからである」
御子イエスが生まれたのはベツレヘムでした。律法によって、男子を出産した産婦は7日の間、汚れたものとみなされ、さらに出血の清めのために33日を要し、合わせて40日間、外出することができませんでした(レビ12:2-5)。とすれば、「清めの期間が過ぎたとき」とは、イエスさまがベツレヘムで生まれてからひと月余り後ということになります。
マリアとヨセフはひと月余りをベツレヘムで過しました。初めて自分の乳房から乳をやる。日増しにわが子が成長していく。家族が喜びに満ちあふれるひと月だったでしょう。しかしまた、家畜小屋の中で産むほかなかった乳飲み子を抱えてのひと月、それは気苦労の多い日々でもあったに違いありません。
その「モーセの律法に定められた清めの期間」が明けました。生まればかりの乳飲み子です。いつまでも旅先で過ごすわけにはいきません。マリアも体力を取り戻し、家族でナザレの家に帰ることになりました。しかしその前に、どうしても立ち寄らなければならない場所がありました。エルサレム神殿です。
日本にもお宮参りという習慣があるように、マリアとヨセフもイスラエルの定めに従って、御子イエスをお宮参りに連れて行かなければなりません。遠方からの子連れの参拝ともなれば相当の負担となったはずですが、幸いにも、ベツレヘムからエルサレムまでは、わずかに8キロの道のりでした。
■痛ましく、不憫な宮参り
神殿の丘に上った両親には、それぞれになすべきことが待っていました。ヨセフには長男を買い戻すための身代金を祭司に支払うこと、マリアには産後の清めのための犠牲を献げることです。
出エジプト記に「すべての長子をわたしのために聖別せよ。すべての初子は…人であれ家畜であれ、わたしのものである」とあるように(13:2)、父親はまず、長男をいったん祭司の手に渡し、神のものとして献げるという形をとりました。次に、銀5シェケル―当時で言えば20日分の賃金に当たる金額―を祭司に支払って、息子を贖(あがな)う、買い戻します。ヨセフはその代価を支払いました。
続いてマリアです。レビ記12章によれば、母親の清めのための献げ物として「一歳の雄羊一頭と家鳩または山鳩一羽」が定められていました。ただし「産婦が貧しくて小羊に手が届かない場合は」、特例的に「二羽の山鳩または二羽の家鳩」でもよいとされました。本来は、小羊一頭と鳩一羽のところを、大負けに負けて鳩二羽にしてやろうというわけです。しかしその鳩とて、そこらで捕まえてくればいいというわけではありません。傷のない、きれいな鳩でなければ、受け付けてもらえません。そこで神殿の境内には、神殿のお墨付きをもらった鳩売り業者や両替商が軒を並べていました。お墨付きによって神殿には収入が確保されます。神殿によるこの献金のシステムは、後にイエスさまの怒りを買うことになります。
それにしても、何とも痛ましく、また不憫なお宮参りです。家畜小屋に生まれなければならなかったということだけでも不憫なのに、そのうえ乳飲み子を抱えて、旅先でのひと月余りもの不自由な生活を余儀なくされ、さらにはナケナシのお金と献げ物まで搾り取られるのです。十代前半のマリアと二十歳にもならないヨセフには、小羊などとても手が届かず、山鳩か家鳩の献げ物が精一杯でした。裕福な身なりをした人たちが、きれいな真っ白い布に赤ちゃんをくるんで、小羊を献げるその脇で、貧しい身なりの、疲れ切った夫婦がぼろ布に赤ちゃんを包んで抱きかかえ、鳩を献げようとしている。そんな光景が目に浮かびます。
痛ましく、不憫な光景です。しかしそれは、神殿の祭司たちやエルサレムの指導者たちから見れば、罪深く、恥知らずな、みっともない光景でした。小羊を献げる親子連れにはおめでとうの言葉をかけても、この貧しい親子には祝福の言葉もなかったかもしれません。献げ物を格づける社会、それによって人間を格づける社会とはそういうものです。