福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え - Page 3

5月7日 ≪復活節第5主日礼拝≫『召されて』コリントの信徒への手紙一 1章1~3節 沖村裕史 牧師

 

■手紙

 今日からしばらく、使徒パウロによって書かれたコリントの信徒への第一の手紙をご一緒に読み、そこに語られている福音に共に耳を澄ませてみたいと願っています。今の時代を生きるクリスチャンとしてのわたしたちに、この手紙は何を語りかけてくれるのでしょうか。

 コリントの教会の礎(いしずえ)を築いたパウロがその地を去った後、教会にはいろいろな問題が生じていました。パウロは、そのことを伝え聞いて心配もし、また教会から寄せられたいくつかの具体的な問題についての問い合わせに答えようと、この手紙を書きました。当然、ここに書かれていることは、コリントの教会にそのとき起っていた問題をどのように考え、どう解決していったらよいのかという、とても具体的で個別的な事柄です。パウロがこの手紙を書いているとき、これが二千年近くのときを経て、遠く日本という国で多くの人に読まれることになるなど、思いもしていなかったでしょう。もちろん個人から個人への全くプライベートな手紙と言うのではありませんが、これは紛れもなくパウロ個人の手紙です。

 わたしたちも手紙のやり取りをします。親しい人からの、ときにはよく知らなかった人から思いがけない手紙を受け取ることもあります。いずれであれ、自分に宛てられた手紙はどれもがとても大切です。教会にも、毎日のように郵便物が送られてきます。それを受け取り、整理するのも牧師の仕事のひとつですが、なかにはごみ箱直通の郵便物もあります。その量も少なくありません。お互いがごみを作り出し、送り合っているのではないかと感じるほどです。それでも、毎日、郵便配達のバイクの音が聞こえると、ポストの方に駆け寄ります。郵便物を受け取り、その一つひとつに目を通します。そしてそれが分厚いダイレクトメールや大量印刷された無機質な挨拶状ではなく、わたしだけに向けられた私信であれば、嬉しく、心が温かくなります。それに何度も目を通した後、手紙箱に入れます。年が経っても捨てることができず、手紙箱は増えるばかりです。そのように、手紙の言葉というものは、その時その場所で、特定の人に対してだけ意味を持つ、特別なものなのだろうと思います。

 この手紙を書いたとき、パウロもまた、手紙を受け取るコリントの教会の一人ひとりの顔を、それぞれの生活向きを思い浮かべながら、特別な思いを込めて書いたに違いありません。そして、受け取ったコリントの人々もまた、あまり他人には読まれたくない手紙、自分たちの間ではもうわかっている問題へのパウロの言葉ですから、恥ずかしい思いをしても仕方のない手紙、でもやはり他の人にはできれば知られたくないことが書いてある手紙、そんな思いで読んでいたかもしれません。パウロから送られたこの手紙は、コリントの人々にとって、具体的な問題に対する応答の中に、深い親愛の情と共に、とても大切な信仰の事柄とが浮き彫りにされている、そんなかけがえのない手紙であったに違いありません。

 

■神に召されて

 今日は、この手紙の書き出しのところ、1章1節から3節をお読みいただきました。ここは、1節ずつ三つに区切ることができます。1節には手紙の差出人、2節には宛先、3節には挨拶が記されています。こうした書き出しは当時の手紙のごく一般的な形です。しかし、ただ差出人、宛先、挨拶を記すだけなら、「パウロから、コリントの人々へ、恵みと平和があるように」と言うだけでよかったはずです。ところがパウロは、今ここにいろいろな言葉を書き加えています。とすれば、書き加えられているこれらの言葉に、パウロがこの手紙に込めた大切な思いが示されているに違いありません。

 まずは1節、差出人を語る所です。

 「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロ…から」

 原文の語順は、「パウロ、召されてキリスト・イエスの使徒となった、神の御心によって」です。まず自分の名前を、次にその自分とは何者であるかを記しています。そこで彼が真っ先に書くのは、「召された」ということです。

 召されるとは、呼ばれるということです。自分が誰かに名を呼ばれ、招かれ、召されるということは、とても喜ばしく、とても大切なことです。自分が存在する価値がそこで確認されるからです。

 そしてパウロは、自分が名前を呼ばれて呼び出された、それは使命を与えられるためだ、と続けます。その使命が「キリスト・イエスの使徒」です。「使徒」とは「遣わされた者」という意味で、キリスト・イエスの福音を宣べ伝えるよう遣わされた者である、ということです。しかも、その使命へと彼が召されたのは「神の御心によって」であったと言います。この手紙の冒頭1節でパウロは、わたしは自分の思いによってではなく、神の御心によって、キリスト・イエスの使徒としての使命に召されたのだ、ということを強調します。

 ユダヤ教ファリサイ派のエリートであった彼は、十字架につけられたイエスをキリスト、つまり救い主と信じるような教えは神を冒涜するものだとして、これを激しく憎み、キリストの信者たちを徹底的に迫害していました。その彼が、迫害の手をさらに広げるためにダマスコへ向かうその途上、復活されたイエス・キリストと出会います。キリストは、パウロを全世界にわたしの名を宣べ伝える器として立てる、と宣言されました。この出会いによって、彼は180度の方向転換をし、迫害する者から信じる者へ、さらに伝道する者へと変えられたのでした。

 この回心、方向転換は、パウロが長年真理を追い求めてきた、その結果というのではありません。イエス・キリストの教えとはどのようなものかと興味を持って学んだ、その結果、信仰が与えられたということでもありません。彼が信じる者となり、伝道する者となったのは、彼自身の思いでは全くなく、ただ神様の驚くべき御業によること、まさに奇跡でした。パウロにとって、それはただ「神に召された」としか言いようのないことでした。

 そのように、神の御心によって召されて使徒となったパウロがこの手紙を書き送る、そのことを彼はこの手紙の冒頭で、力を込めて語っています。それは、ちょうど親しい友人が問題を抱え、悩んでいるときに、何とかして助けになりたいと願って、心を砕いて用意した言葉を伝えるときに、「あなたの友人として申し上げたいことがある」と改まった言い方をするときに似ているかもしれません。「そうでないと、これから語ろうとしているわたしの言葉は理解できなかったり、受け止めることができなかったりする」。そんな思いを込めて、わたしが語る言葉は、神の御心によって召されたキリスト・イエスの使徒としての言葉です、キリスト・イエスから預かった言葉なのです、今ここに神の御心が働いているのです、だからどうか、しっかり聞いてください。パウロはコリントの人々に、今ここにいるわたしたちにそう語りかけているのです。

 

■神の教会

 このパウロの思いは、2節の宛先を語る部分へもつながっていきます。2節は「コリントの教会の人々へ」ということですが、そこにもいろいろな言葉がつけ加えられ、パウロの深い思いが込められています。

 「コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ」

 ここも原文の語順を生かして訳すならば、「コリントにある神の教会、キリスト・イエスによって聖なる者とされ、召されて聖なる者とされた」となります。「至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に」という最初の言葉は、原文では2節の最後に置かれています。

 ここでパウロは、1節に重なるような仕方で、コリントの教会とはどのような教会なのかを語っています。 Continue reading

4月30日 ≪復活節第4主日礼拝≫『健全な不信仰』マタイによる福音書28章16~20節 沖村裕史 牧師

 

■ガリラヤの山

 「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた」

 故郷のガリラヤに逃げるようにして帰っていた弟子たちも、マグダラのマリアたちと同じように、従うべきイエスさまを見失い、暗闇の中にうずくまっていました。もはや、何の望みも、何の喜びもありません。一番傍(そば)近くにいながら、イエスさまを見捨て、逃げ惑ってばかりいた弟子たちでした。心の中は、後悔と恐れ、迷いと疑いでいっぱいでした。「ひれ伏した。しかし、疑う者もいた」という言葉から、そんな弟子たちの心の内が透けて見えてくるようです。イエスさまが死んで、もうお会いすることも叶わない。もうすべてが終わってしまった。心が千々(ちぢ)に乱れる弟子たちでした。

 それでも、いいえ、そんな弟子たちにこそ、イエスさまはその姿を現わして、出会ってくださいました。ガリラヤの山の上での出来事でした。

 みなさんは、ガリラヤの山をご覧になったことがあるでしょうか。聖書の風景を撮った写真集には、ヨルダン川の流れる、緑豊かな、とても美しい山々の写真が載っています。

 その山は、「貧しいものは幸いである」と弟子たちにお教えくださった山だったかもしれません。あるいは「あなたこそキリストです」と告白したペトロが十字架への道を理解できず、「あなたは神のことではなく、人間のことを考えている」とイエスさまから叱られた、あの山かもしれません。それとも雲の中で白く輝くイエスさまを見て、「ここにいるは、なんと素晴らしいことでしょう」とペトロたちが喜びに溢れた、栄光の山だったでしょうか。

 ガリラヤの山に行きなさい、そこで会おう、とイエスさまは言われました。それは弟子たちに、ガリラヤのあの美しい山々での出来事、あの山の上でイエスさまが教えてくださったこと、光輝く姿を見せてくださったことを想い起し、振り返り、もう一度、踏みしめるようにして歩み直して欲しい、そう願われたからではないでしょうか。

 

■想い起すということ

 振り返ること、想い起すことを、わたしたちは、うしろ向きで消極的な態度だと考えがちです。しかし、そうとばかりは言えません。わたしたちは振り返り、想い起すことで、新しく生き直す力、新しい人生、新しいいのちを与えられることがあります。

 柳(ゆう)美里(みり)という作家をご存知でしょうか。泉鏡花文学賞、野間文芸新人賞を受賞した『フルハウス』、芥川賞を受賞した『家族シネマ』など、数多くの優れた小説や戯曲を発表している女流作家です。その作品の中に、29歳のときに発表した『水辺のゆりかご』という、小説のような自伝的エッセイがあります。その最後の章にこんな言葉が綴られています。

 「私はなぜこんな早すぎる自伝めいたエッセイを書いたのだろう。過去を埋葬したいという動機は確かにある。私が書いた戯曲の主題は〈家族〉であり、その後書きはじめた小説もやはり〈家族〉の物語から逃れることはできなかった。つまり私はこのエッセイを書くことによって、私自身から遠く離れようとしたのだ。それこそがこのロングエッセイを書いた理由だと思う。

 私は過去の墓標を立てたかったのだ。それがどんなに早過ぎるとしても―」

 柳美里はこの作品をこんなふうに書き始めています。

 「昭和四十三年六月二十二日。私は夏至の早朝に生まれた」。「美里という名を与えてくれたのは母方のハンベ」。ハングルで祖父という意味の言葉です。在日韓国人の家庭に生まれ育った彼女の家庭環境は厳しいものでした。

 「父は自分の血について何かしらの怯えを感じていたのではないか」。そして、「”悪い血”、父はいつも自分の血流に耳を澄ましていたような気がする。その激しくしぶく濁流に堪えられずに、自分を憎み、私たち家族を憎んだ」と記しています。

 幼い彼女は、「ひとりのときは、ようじと粘土とティッシュで人形をつくり、空き箱で家をつくった」。「仲違いもすれば、殺し合いもする人形の家族」を想定し、「声音を変えてひとりで会話した」。それはこんな風でした。

 「『あんたたち、みんな死ぬのよ!』母親の人形が叫ぶ。のっそりと立ちあがった父親の人形が、ざらざらした耳障りな声でいう。『死ぬのはおまえだ。』

 学校に行けば『カンコク人は自分の国に帰れ!』と砂場の砂を投げつけられることもざら。水泳のリレーになれば、『オエッの大合唱―、耳がキーンとして、顔がほてって、涙で視界が滲』む。そんなとき、一方で自殺を考え、他方で復讐のため、その『いじめを克明に記録』した。

 その後、『父と母の間柄は日に日に険悪になり、それに比例して父が私たちきょうだいに振るう暴力は激しく』なる。『息を殺し、針のように突き刺さってくる時間に堪えた。』

 ある深夜気配を感じて目を開けると、母が枕もとに立っていた。『おまえを殺して、あたしも死んでやる。』母は出刃包丁を握りしめていた。『死ぬときは自分で死ぬよ。てめえなんかに殺されてたまるか!』」 Continue reading

4月16日 ≪復活節第2主日礼拝≫『買収―見るべきもの』マタイによる福音書28章11~15節 沖村裕史 牧師

 

■福音の始まり

 冒頭11節に「婦人たち」とあるのは、28章1節に登場する「マグダラのマリアともう一人のマリア」のことです。イエスさまが十字架につけられ、殺されるその様子を、遠くから見守ることしかできませんでした。深い悲しみに打ちひしがれるマリアたちは、ただイエスさまの遺体に縋(すが)りつきたいと、葬られたその墓から離れることができずにいました。そんなマリアたちに天使が現れ、「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」と告げます。

 「あの方は死者の中から復活された」

 これが福音の出発点であり、中心です。そのことは、クリスマスのことが書かれないことはあっても、復活について、すべての福音書が証言していることからもわかります。

 そもそも、クリスマスの話も、この復活の御子イエスの誕生の次第を語っているのであって、復活がなければ、クリスマスを祝うということもなかったでしょうし、さらに言えば、イエス・キリストの十字架の死を、わたしたちの罪の贖(あがな)い、赦しのための死として受けとめる贖罪(しょくざい)の信仰さえ、この復活がなければ、起こりえないことでした。

 なぜなら、ユダヤの人々にとって、十字架の死は紛れもなく神に呪われた者の死であり、イエスさまの死はユダヤ教の最高法院であるサンへドリンで神を冒涜(ぼうとく)した者として断罪された、その結果に過ぎなかったからです。

 イエスさまが殺されたとき、誰もが、彼は呪われて死んだ、そう思ったはずです。

 十字架が救いだなどとは、だれ一人、思いもしなかったに違いありません。

 もし、イエスさまの生涯が十字架の死で終わっていたら、わたしたちの信仰も、教会も生まれることはなかったでしょう。その意味で、イエスさまによってもたらされた奇跡はここからが本当の始まりだったのだ、そう言ってもよいでしょう。そして奇跡は起こりました。

 「あの方は復活された」のです。

 

■つまずきの福音

 ただ、復活というあまりにも驚くべき出来事のために、このことは、多くの人々のつまずきとなりました。パウロがコリントの第一の手紙15章12節に、「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか」と書いている通りです。

 復活について、当時から今に至るまで、何人もの人が、時に肯定的に、時に否定的に、実に様々な説明と解釈を試みてきました。

 当時すでに囁かれていた噂は、今日のみ言葉に語られている、弟子たちが遺体を盗んだというものでした。その他にも、偽りの死としての仮死説や弟子たちによる幻覚説などあって、信徒の中にも様々な異論、見解があり、復活などとても文字通りには信じることのできない噂、伝説の類であって、復活信仰と言われるものの精神的な意味だけを受けとればいいのだ、とする主張も多々ありましたし、今もあります。

 しかし、果たしてそうなのでしょうか。

 

■目撃者

 復活の出来事を目撃したのは、マリアたちだけではありませんでした。11節、

 「数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した」

 「この出来事をすべて」とあります。兵士たちは包み隠さず、見たこと、聞いたことを Continue reading

4月9日 ≪復活節第1主日/イースター「家族」礼拝≫『新しい朝を迎える』マタイによる福音書28章1~10節 沖村裕史 牧師

■ここにはおられない

 「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」

 驚くべき天使の宣言です。

 「ここにはおられない」

 そんなはずはありません。イエスさまは死にました。目撃者もいます。ガリラヤからイエスさまに従って来た大勢の女性たちがすべてを見守っていましたし、アリマタヤのヨセフは遺体を新しい墓に納め、マグダラのマリアたちはその墓を見守っていたではありませんか。イエスさまは死に、遺体は「ここ」にあるのです。つまり、すべては終わった、もはや、あらゆる希望が絶たれたのです。

 わたしたちはいつも、そんな「ここ」を生きている、と言えるのかも知れません。人間の思惑、人間の限界、人間の絶望。決して開くことのない封印された墓。弟子たちも、女たちも、そんな「ここ」にうずくまっていました。

 週の初めの日の明け方、十字架につけられ殺されたイエスさまが葬られた墓を訪れたマグダラのマリアたちの目の前で、墓石が開かれていました。

 呆然とするマリアたちに、天使が宣言します。

 「あの方は、ここにはおられない」

 では、どこにおられるというのか。

 そこはもはや、人間が計画し、管理するような世界ではありません。神様が与え、計らい、生かす全く新しい世界です。

 

■わたしのガリラヤへ

 天使は言います。

 「あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる」

 なぜ、ガリラヤなのでしょうか。そこは、弟子たちや女たちにとって、もはや、帰っても何の意味のない土地であるはずです。

 かつて苦しい人生を生きていた故郷。しかし、そこでイエスさまに出会い、このお方こそ自分たちの苦しい現実を救ってくれる、この世の救い主であると期待をかけ共に活動した、忘れられない栄光の地。とりわけ、「罪深い女」(ルカ7:36~50)、 「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女」(ルカ8:1~3)と呼ばれていたマグダラのマリアにとって、イエスさまの注いでくださった神様の愛と赦しによって生まれ変わり、生きる喜びを見いだした聖地。だからこそ、イエスさまが殺されてすべてが消えた今、最も帰りたくない地であり、たとえ帰ったところで、そこで生きていく意味のない空虚な地。聖地は今や、思い出すのも辛い、呪われた地になったのでした。

 そこへ行け、と天使は言います。そこでイエスさまに会える、と。

 それは、愛する者を失い、希望を失って、まさに死の世界にうずくまる外ないわたしたちへの、ただ一方的に与えられる福音の宣言です。

 だれにも、もうダメだとあきらめたときがあったはずです。今も、これからも、そうかも知れません。幸せな日々は二度と帰ってはこない、と絶望したあの夜。その夜の闇のなんと深かったことでしょうか。永遠に続くかと思われた闇。新しい朝が来るなど想像もできなかったその闇の底で、しかしそのときにこそ、神様は働いてくださるのです。

 「なぜお見捨てになったのですか」 Continue reading

4月2日 ≪受難節第6・棕櫚の主日礼拝≫『暗闇に閉ざされても』マタイによる福音書27章57~66節 沖村裕史 牧師

 

■呪われた死

 イエスさまの遺体はどのようにして墓に葬られることになったのか。今朝、57節以下が語るのは、そのことです。

 冒頭に「夕方になると」とあります。イエスさまは、午前九時に十字架につけられ、午後三時に息を引き取られました。間もなく夕方になろうという時刻です。この時刻は、葬りのタイミングとしては最悪の時間帯でした。

 マルコは「夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので」と記しています。ユダヤの時刻の数え方によれば、日没から新しい日付となります。午後六時に日が沈むとすれば、あと三時間で日付は翌日になり、土曜日となります。土曜日は安息日、一切の労働が禁止されていました。遺体を葬ることも、労働のひとつです。遺体を運ぶことも、遺体を布でくるんだりすることも、安息日には禁止されていました。

 では、遺体を葬らずに、そのまま安息日が終わるまで放置すればどうなるのでしょうか。カラスや猛禽の類が死体の目や傷口をつついて、その肉を食べ始めることでしょう。なんと酷いと思われることでしょう。しかし、十字架刑とはそもそも、そういう刑罰でした。あと数時間すれば、死体を取り下ろすこともできず、指をくわえてイエスさまの遺体がついばまれるのを見守るしかない安息日が始まります。最悪の時間帯でした。

 申命記21章22節から23節に、こう書かれています。

 「ある人が死刑にあたる罪を犯して処刑され、あなたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである」

 イエスさまの死がどのようなものだったのかを思わされます。十字架から降ろされた遺体の埋葬にもそのことが明らかになります。それは、呪われた死でした。呪われた死とは、捨てられた死ということです。人から捨てられた死です。いえ、神に捨てられることは、人が捨てられることよりも遥かに厳しいことでした。それが、十字架の死でした。

 そんなときに、男の弟子たちは全員、早々に逃げ去ってしまい、最後まで付き従っていた女たちも、ただ黙って遠巻きに眺めているほかありませんでした。放っておけばどういう結果になるか、当然予測のつくことでありながら、どうすることもできずにいました。

 

■用いられたヨセフ

 そのときのことです。

 「アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた」

 アリマタヤがどこなのか、はっきりとは分かりませんが、ヨセフと呼ばれるこの人が「金持で」「イエスの弟子であった」と書かれています。マルコ福音書には、「身分の高い議員」、最高法院の議員であったとあります。イエスさまの死刑を全会一致で裁定した最高法院の一員であったとすれば、この人もその一員として、本意ではなかったとしても、イエスさまの死刑に同意していたのかもしれません。

 その彼が、十字架の上のイエスさまの悲惨な姿を目の当たりにし、そしてまた、このまま放っておけば当然もたらされるだろう、さらに酷たらしい状況を思ったとき、彼はまるで生まれ変わったかのように振る舞い始めます。

 イエスさまの遺体を引き取って埋葬するということは、最高法院の議員たちに対する反逆です。ユダヤ社会にあってそれは、「金持」あるいは「身分の高い議員」としての特権、名誉をかなぐり捨てるような大胆な行為でした。それはまた、ローマに対する危険な行為でもあったはずです。十字架刑は、ローマ帝国に対して反乱を企てた者に下される刑罰です。カラスや猛禽の餌として食いちぎられる死体をさらし者にするための刑です。その遺体を取り下ろし、埋葬を願い出るということは、その刑罰を途中で取りやめてほしいと願い出ることに他なりません。ヨセフの申し出は、わたしはこのイエスの仲間である、イエスと同じ反逆の意志を持っている、と言っているのと同じことです。しかし、そのような危険を冒して、ヨセフは今、イエスさまの埋葬を申し出ました。

 この埋葬は、当然のこととしてなされたのではありませんでした。

 なぜ、ヨセフがイエスさまの遺体を葬ろうとしたのか、その心の内を伺わせる言葉はどこにも記されていません。ただ、「この人もイエスの弟子であった」とあるだけです。イエス・キリストの福音―天の国がやって来ている、神様の愛の御手が今ここに差し出されているという喜びの知らせを耳にし、罪の赦しを信じ、その希望に生かされ生きていた人であった、ということでしょう。十字架のすぐ傍で処刑人の立場で立ち合っていた百人隊長たちが、イエスさまの死をまっすぐに見つめながら、「本当に、この人は神の子だった」と言ったように、ヨセフもまた、イエスさまの死を見て、そこに神の国が、神様の愛の御手がもたらされていることを同じ感動をもって味わい、埋葬を決意したのかもしれません。推測をするより他はありません。

 それでも明らかなことは、この人の心の内に、神の国、神様の愛の御手を願い求める、希望の火が灯されていたのだろう、ということです。神様ご自身が、イエスさまの地上でのわざを完成させるために、今ここで、このヨセフを用いて埋葬をさせておられるのだ、ということです。

 十字架に死なれたイエスさまの体は、そのままでは無力です。誰かが運ばなければなりません。イエスさまに代わってその十字架を無理やり担がされたキレネ人シモンと同じように、ここでも思いがけず、ひとりのユダヤ人が自分の名誉や地位を賭けて、ピラトの前に膝を屈(かが)め、イエスさまの遺体を請い、自分の墓地に葬ることになりました。

 

■死にて葬られ、よみにくだり Continue reading

3月26日 ≪受難節第5主日礼拝≫『この人こそ、わたしの救い』マタイによる福音書27章54~56節 沖村裕史 牧師

 

■異邦人の告白

 レントの季節、今朝も十字架の出来事がわたしたちを容赦なく巻き込んでいきます。

 ここに描かれているのは、ぞっとする、驚くほど多くの嘲笑の数々です。今、イエスさまを取り囲んでいるのは、父なる神以外には、嘲り、罵る人々ばかりではないのかとさえ思えてきます。イエスさまを歓呼して迎えたはずの人々が、最も身近にいたはずのペトロたち弟子たちでさえ、イエスさまを見捨て、一人また一人と離れ去っていきました。ここには、イエスさまが捨てられていくその様子が、沈黙をもってひとり闇の中の道を歩み続けられる孤独なイエスさまの姿だけが描き出されているかのようです。

 そんな十字架の物語が終わろうとする、その時のことでした。

 ローマの百人隊長とその部下であったと思われる兵士たちが、「本当に、この人は神の子だった」という驚きの言葉を口にします。

 「百人隊長」はローマ軍の中で将校と兵士の間で両者を結ぶ立場にある、最も重要な地位にある職業軍人でしたが、兵士たちともども傭兵である彼らは、ユダヤ人から見れば、救いの外にいる、罪人として蔑まれる「異邦人」でした。その百人隊長たちが、刑執行のため、そこにいた他の誰よりもイエスさまの間近に立って、その死に逝く様をつぶさに見ていました。

 その彼らが「地震やいろいろな出来事を見て」この告白をしたとあります。「地震やいろいろな出来事」とは、直前51節から52節の「神殿の垂れ幕が…裂け、地震が起こり、岩が裂け、…眠りについていた…者たち…が生き返った」、そのことを指しています。神の国、天の国の門が開いたかのような驚くべき異変、天変地異を前にして、彼らはこの告白をしています。

 「本当に、この人は神の子だった」

 イエスさまが神の子であることは、すでに神ご自身が「これはわたしの愛する子」と宣言され、また悪霊までもが何度も口にしていたことです。しかし、ひとりの人間が、救いの外にいると思われていた異邦人の彼らが、神の御心を担って死んでいく「この人」の中に「神の子」を見いだしていることは、驚くべきことでした。

 イエスさまを「神の子、キリストなら…」と嘲った人々と、見事な対比をなしています。イエスさまの中にキリストを見いだしていたはずの弟子たちが、受難への道を歩むイエスさまを、神の子、救い主キリストとして信じることができずに見捨て、離れ去っていったその中で、百人隊長たちだけがこの受難者の中に、神の子を見いだします。

 

■この人こそ

 とはいえ、百人隊長たちのこの告白を手放しで称賛することには、慎重でなければなりません。

 彼らのこの告白を原文の語順通りに訳すと、「本当に/この人は/神の子/であった」(Truly /this man /Son of God / was being)となります。ここで、「~ある/いる」を意味する動詞の未完了時制〔英語の“was being”〕が使われていることに注目してください。未完了時制は、過去をあらわす時制の一つの形で、過去の行為が進行中であるか、あるいは反復的な性質をもっていることを意味するときの用法です。例えば、わたしたちが運動選手の動作が継続、持続していたことを強調したいなら、ギリシア語の未完了時制を使って、「彼女は走っていました(She was running)」と言うことができます。それは、「彼女は走り続けました(She kept running)」と表現することもできますし、あるいは動作の始まりや起こり、「彼女は走ろうとしていました(She was Continue reading

3月19日 ≪受難節第4主日/春の「家族」礼拝≫『おくりもの』『もう与えられている』ルカによる福音書20章9~19節 沖村裕史 牧師

 

お話(こども・おとな)

 せんしゅう、雨が降りました。ひさしぶりの雨で、春一番の風の冷たさが身にしみました。それでも、つぎの日の朝には雨もあがり、その寒さがぬるんでくるようでした。冬の終わりが、春がもうそこまで来ていることを、わたしたちに教えてくれるようです。

 「恵(めぐ)みをくださり、天(てん)からの雨を降らせて実(みの)りの季節(きせつ)を与(あた)え、食物(たべもの)を施(ほどこ)して、あなたがたの心を喜びで満(み)たしてくださっているのです」(使徒言行録14:17)

 パウロという人が言っている通り、神様(かみさま)はこの世界(せかい)に雨を降らせ、太陽(たいよう)を昇(のぼ)らせて、いのちを与えてくださったすべてのものに愛(あい)を注(そそ)いでくださいます。神様は、限(かぎ)りない愛をもって、わたしたちに必要(ひつよう)なものを与え、備(そな)えてくださるお方(かた)なのです。この世界は、そんな神様からのおくりもの、プレゼントでいっぱいです。

 きょうは、神様が与えてくださっている、そんなおくりものについてお話するために、ちょっぴり悲(かな)しい、でも、こころ温(あたた)まる、いっさつの絵本をお読みしてみたいと思います。

①『おくりもの』 公文(くもん)みどり

②これは みけちゃん/私の だいじなともだち

ふさふさの毛が 三色だったから

おかあさんが みけちゃんって/つけたの

③みけちゃん おぼえてる?

みけちゃんが はじめて/うちにやってきたときのこと

まだ ちいさな赤ちゃんだったね

④みけちゃん おぼえてる?

みけちゃんに はじめて/レタスあげたときのこと

ももいろのおくちを Continue reading

2月26日 ≪受難節第2主日礼拝≫『引き上げてくださる』出エジプト記2章1~10節 沖村裕史 牧師

 

■わたしたちの姿

 モーセ誕生の物語は、旧約聖書の中でも最も親しまれている物語の一つとして、多くの人々の心を惹きつけてきました。

 「プリンス・オブ・エジプト」というディズニーのアニメーション映画をご覧になったことがあるでしょうか。ミュージカル仕立てのその物語には、三つのクライマックスがありました。一つは、さきほどお読みいただいたモーセ誕生の物語。二つ目は、成長したモーセが燃える柴の中から語りかける神様に招かれ、自らの使命を示される場面。そして最後のクライマックスは、モーセがエジプトを脱出したヘブライ人―イスラエルの民を導き、二つに割れた海の中を渡る壮大なスケールの場面です。

 今日の御言葉は、その第一のクライマックス。直前に「ファラオは全国民に命じた。『生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ』」とある1章22節からお読みいただいた方がよかったかもしれません。一人のヘブライ人の男の子の誕生と、その幼な子がいのちを奪おうとする王ファラオの娘によって救い出され、王家の一員として育てられることになる、その経緯を物語る場面です。密かな企(くわだ)てあり、サスペンスあり、思いがけぬ幸運あり…。およそ、物語としてのすべての要素がこの短い場面の中に含まれている、と言ってもよいほどです。しかしこれは、ハッピーエンドで終わる、単なるヒーロー誕生の物語ではありません。この物語の基調となっているは、むしろ、冷酷で残虐なわたしたち人間の「現実」—わたしたちの「姿」のです。

 モーセ誕生の前史に当たるヘブライ人たちの状況が、さきほどの第1章に描かれています。エジプトの王ファラオは、地に満ち、増える続ける奴隷、ヘブライ人たちに不気味な圧力と脅威を感じ、彼らを抑圧するために過酷な重労働を加えました。ところが、この試みは何の効果ももたらさず、ヘブライ人は減るどころか、益々増えるばかりです。ファラオはやむなく、出産に立ち会う助産婦たちに、生まれてくるヘブライ人の男の子すべてを密かに殺害するように、という残虐で陰湿な命令を出します。しかし、いのちの誕生を喜びこそすれ、その小さないのちが奪われることをよしとしない彼女たちは、王には適当に答えつつ、その命令を無視し続けました。

 二度にわたる命令にもかかわらず、ヘブライ人たちに対する弾圧・抑圧政策が思うような成果を上げないばかりか、逆に益々地に満ち増え続けることに苛立ちと恐れさえ感じ始めたファラオは、もはや秘密裡にではなく、あからさまに、エジプトに住むすべての人に向けて「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ」と命じます。

 猜疑心が猜疑心を生み、恐れがさらなる恐れを生む。そして暴力がより凄惨な暴力を生みだしていく。ウクライナやイエメン、アフガニスタンやミャンマーでは、2021年から2022年にかけて一万人以上のいのちが奪われています。そうした戦争や地域紛争ばかりではなく、身近な地域社会、職場や学校の中でも、あるいは恋人同士や夫婦の間でも、親子の間にさえ、わたしたちがしばしば目にすることのできる「暴力」「暴力の連鎖」が後を絶ちません。それは、暴力によって相手を支配し、目先の問題を解決してしまおうとする、暗く愚かな、しかし否定することのできない、わたしたち人間の姿です。

 

■いのちの美しさ

 イスラエルたるヘブライ人が滅亡の危機にあるそのとき、何の力も持たない一人の赤ん坊のいのちが、そんな圧倒的な暴力の脅威の前に晒(さら)されます。1節から2節、

 「レビの家の出のある男が同じレビ人の娘をめとった。彼女は身ごもり、男の子を産んだが、その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた」

 モーセは死すべき運命を背負って生れて来ました。しかし、そのような運命から幼な子を救ったのは母親でした。モーセが生れた時、彼女は「その子がかわいかったのを見て」と書かれています。この「かわいい」という言葉は、創世記冒頭に記される、造られたもの一つひとつを「神はこれを見て、良しとされた」とある、あの「良し」と同じ言葉です。喜ばしい、美しい、ふさわしいとも訳すことのできる言葉です。

 ただ単に、自分の子どもを「かわいい」と思った、というのではありません。彼女は今、我が子の中に、神様の目に適(かな)う、かけがえのなさを見いだしています。いのちの危機に直面している、儚(はかな)いいのちを宿命づけられた子どもの中に、いいえ、だからこそと言うべきかもしれません、その幼な子の中に、神様から与えられた、かけがえのない「いのちというものの美しさ」を見出しています。

 モーセの母親が「この子は神によって特別に選ばれた子どもである」とか、「神様のために、将来何か大きな働きをする子どもである」と考えたというのではありません。彼女には、モーセをかくまうことのできるほどの政治的な力も経済的な富もありません。我が子がたとえどのような子どもであろうとも、そして自分たちにどれほどの危険が及ぼうとも、このいのちは神様から与えられたかけがえのないもの。彼女はただそのことに気づかされ、我が子を守ろうとしています。神の創造の御業への確信がモーセのいのちを救った、そう言ってよいでしょう。

 

■いのちへの憐み

 とはいえ、生れたばかりの赤ん坊を人の目に触れず、隠しながら育てることは容易なことではありません。

 人の寝静まった夜中でも、赤ん坊は構わずに泣き出します。赤ん坊にとって、泣くことは生きるための欠くことのできない本能です。癇(かん)に障(さわ)る声で泣いて、わたしたちの注意を促そうとします。おとなしく泣いたのでは、誰も守ってくれません。わたしたちが、子どもが泣いてうるさい、と感じることは自然なことです。それを避けたり、邪魔に感じたり、無理に黙らせようとしてはいけません。弱く、小さな者の切実な叫びはいつも、そのようなものなのかもしれません。居たたまれないほど心に突き刺さるその泣き声は、子どもからの、また小さく、弱くされている者からの、虐げられている者からの、いのちの危機に晒されている者からの、切実なメッセージです。

 それでもどうにかこうにか、三か月の間はモーセを隠しておくことができました。しかしモーセの家族にも、それ以上は隠し通すことができません。母親は、ファラオの命令通り、幼な子モーセをナイル川に流さざるを得ませんでした。しかし、諦めと絶望から流そうとするのではありません。3節から5節です。

 彼女はまず、パピルス製の籠(かご)を手に入れます。それにコールタールと松脂のような樹脂を塗り、幼な子を水から守ることのできる、いわば小舟を作ります。この「籠」も、創世記に出てくる言葉です。神様がノアに「あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい」と命じられた(6:14)、あの「箱舟」と同じ言葉です。絶望の中で自暴自棄になって、ナイルの川に投げ込んだのではありません。ノアたちを洪水から守られた神様の働きを祈り願いつつ、その籠をナイル川の波間に流すのではなく、岸の葦の茂みの中にそっと置きました。

 姉のミリヤムも、モーセに何が起るのかを、籠から遠く離れて立ち、不安に怯(おび)えながら祈りつつ、じっと見つめ続けていました。

 神様は、母と姉の張り裂けんばかりの悲しみとその祈りに応えられました。そこに、ファラオの娘が水浴びのために下りて来ます。危機は一旦回避されたかのようにも思われますが、ファラオの娘が果たしてその幼な子にどのような反応を示すのか。むしろ不安と緊張はさらに高まります。水浴びをしに来た娘は、「生まれた男の子はすべて殺せ」と命じた当人、王ファラオの娘です。その娘が父親の命令に忠実であることは十分に考えられることです。もしかしたら、子ども嫌いかもしれません。ヘブライ人を嫌っていたら、モーセはナイルの川の中にそのいのちを沈められることになります。姉のミリヤムは、かたずをのんで見守っていました。 Continue reading

2月26日 ≪受難節第1主日礼拝≫『十字架の王』マタイによる福音書27章27~44節 沖村裕史 牧師

 

■兵士たちの姿

 冒頭27節、

 「それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた」

 「それから」という言葉は、マタイが下敷きにしたマルコの記事にはありません。書き加えられた言葉です。マタイはこの小さな言葉によって、「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け」と告白されるイエス・キリストの「苦しみ」が「今ここに」始まったことを、わたしたちに強く印象づけようとしています。

 イエスさまが兵士たちによって総督官邸まで連行されていきます。そのとき、部隊の全員が集められたとあります。部隊の全員とは六百人もの兵士たちのことです。この六百人の兵士たちは、過越祭の巡礼者によって膨れ上がるエルサレムの治安とピラトの護衛を目的に、総督府が置かれていたカイザリアからエルサレムに展開していた部隊であったと考えられます。彼らはユダヤ人ではありません。当時、ユダヤ人は兵役を免除されていました。兵士の多くは、ローマ帝国によって支配されていた様々な地域から徴用された異邦人、外国人部隊であったと考えられます。

 いわば余所者です。イエスさまの裁判の詳細も、ユダヤ人の慣習も知らず、また異邦人を穢れた者として見なして接触しようともしない、しかも繰り返し反乱を起こす、閉鎖的で反抗的なユダヤ人に対して、強い不信と警戒感、反感と嫌悪を抱いていたことでしょう。祭りの警備のためにエルサレムにやってきた彼らにとって、イエスさまの処刑は彼らの、そんな鬱屈した感情を発散させる絶好の機会となったに違いありません。

 兵士たちは「イエスの着ている物をはぎ取り」、その上で、わざわざ「赤い外套を着せた」と、マタイは記します。マルコでは「イエスに紫の服を着せ」、ヨハネでも「紫の服をまとわせ」となっています。紫は王にふさわしい色です。しかしマタイは、紫をあえて「赤」と言い換えます。それが「目立つ色」だからです。晒し者にし、侮辱するためです。それを着せ、それが終われば、また元の服に着替えさせているところからも、それが侮辱用の衣服であったことははっきりしています。そのことをマタイは強調したかったのでしょう。

 兵士たちはさらに「茨の冠を編んで頭に載せ」、その上、「右手に葦の棒を持たせ」ます。これもマタイの加筆です。兵士たちはイエスさまを辱(はずかし)めると同時に、「このみすぼらしい王こそ、お前たちの王だ」とそこに集まっていたすべてのユダヤ人たちを侮辱するために、あえて「その前にひざまずき、『ユダヤ人の王、万歳』と」大声をあげて、嘲笑います。

 そして「ユダヤ人の王、万歳」というこの場面のクライマックスの言葉に続いて、「唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた」とマタイは記します。「たたき続けた」。「続けた」いう言葉を付け加えることで、兵士たちの残忍さとイエスさまの苦痛を、執拗なまでに描き出します。

 

■十字架

 この後も、兵士たちの「いじめ」は続きます。

 エルサレムの城壁の外に出て行き、ゴルゴタに着くと、兵士たちはイエスさまに、「苦いもの」、胆汁を混ぜたぶどう酒を飲ませようとします。もともと、このぶどう酒は鎮痛剤、十字架での痛みを和らげるために使われていたものですが、そこに胆汁を混ぜるのです。苦くて飲めたものではないことを百も承知の上で、そうしたのです。嫌がらせです。

 さらに、彼らはくじを引いて、イエスさまの服を取り合います。ある意味、ゲームに興じているのです。神の子が十字架で死んでいこうとするその瞬間まで、十字架の下では陰湿なゲームが繰り広げられていました。

 そして、下着だけになったイエスさまがいよいよ十字架につけられます。

 イエスさまが運んだ交叉十字の横木は地面に置かれ、支柱となる縦木の上にはすでに、罪状が書かれた板が掲げられていました。「これはユダヤ人の王イエスである」というもので、ピラトが記し、大祭司カイアファが抗議した罪状です。カイアファはユダヤ王と「詐称」したと書かせたかったのですが、ピラトによって拒否された、とヨハネ福音書に伝えられています。

 イエスさまは横木に両腕を拡げられ、固定するため掌(てのひら)に太い釘が打ち込まれました。両足は垂直の支柱に、やはり釘で打ち留められました。息がとまるほどの激痛に、呻き声を上げずにはおれません。こうして、イエスさまを架けた十字架は、二人の罪人の十字架を左右に従える形で、九時ころ、兵士たちによって綱で引き上げられ、ゴルゴタの丘に立てられました。

 十字架刑というのは実のところ、絞首台やギロチンなどと違い、速やかな死をもたらすためのものではありません。むしろ死を引き延ばし、できる限り肉体的苦痛を長引かせようとする、いわば拷問台でした。全体重が両腕にかかるため肩は脱臼し、身動きできない状態なので血は循環せず、やがて呼吸困難に陥って胸の痛みと痙攣と失神をくり返し、悶え死にます。姿勢によっては丸一日、時にそれ以上生きていた例もあり、炎天下での野晒であったため、衰弱による死、渇きによる死であったと言います。死臭を察したガラスが群がり、兵士が追い散らさなければ、まだ生きているうちに目などを突かれます。あまりの惨(むご)たらしさに、ローマ本国でさえ、奴隷や政治犯、あるいは迅速な死に値しない極悪人向けの、特殊な処刑方法になっていました。

 

■悲痛な嘲り

 それほどの陰惨な十字架の上で苦しむイエスさまに向かって、そこに居合わせた見物人が、「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」と罵ります。同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒にイエスさまを侮辱して、「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」と嘲ります。それどころか、一緒に十字架につけられていた強盗たちまでもが、同じようにイエスさまを罵った、とあります。

 イエスさまの肉体的な苦しみ、痛みは想像を絶するものであったわけですが、それに加え、兵士、通りすがりの人々、祭司長や長老たち、そして死刑囚たちからも徹底的に侮辱され、罵らせ、あざけられています。使徒信条が、「主は…ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ…」と告白する十字架の出来事が、肉体的にも精神的にも、とてつもなく苦しい出来事であったことを、改めて知らされます。 Continue reading

2月19日 ≪降誕節第9主日/レント「家族」礼拝≫『わたし、ボランティアになる』『野獣も天使も一緒!』マルコによる福音書1章12~15節 沖村裕史 牧師

 

≪おはなし≫(こども・おとな) 『わたし、ボランティアになる』

 広島の教会で、幼稚園(ようちえん)の園長をしていたころのことです。毎年このころになると、三月に卒園式(そつえんしき)を迎(むか)える年長組(ねんちょうぐみ)のこどもたちに、「おおきくなったら、何になる?」という題(だい)で、短い文を書いてもらいました。卒園式で紹介(しょうかい)し、思い出のアルバムに載(の)せるためです。そのころの男の子たちの一番人気(にんき)は、サッカーの選手になること。前は野球、広島カープの選手でしたが、サンフレッチェの選手になることがダントツの一位でした。女の子はケーキ屋さん、幼稚園の先生などいろいろでしたが、かならず上位(じょうい)に入ってくるのは、お花屋さんでした。

 お花屋さん。こどもたちのこの夢(ゆめ)を見るたびに、神戸(こうべ)に住んでいた友だちから聞いた、こんな話を思い出していました。

 

 「お母さん、わたし、おおきくなったら花屋さんになりたいの!」。春子(はるこ)ちゃんはとつぜんお母さんに言いました。「花屋さん?いいわね!さあ、明日(あした)は幼稚園に行くのよ。土曜日、日曜日、そして成人(せいじん)の日の振替(ふりかえ)のお休みと三日も続いて行かなかったから、お寝坊(ねぼう)のくせがついてしまっているわよ。さあ、早くおやすみなさい」。お母さんに笑顔(えがお)でそう言われた春子ちゃんは、「はーい。あのね、先生が卒園アルバムに、大きくなったら何になりたいかを書いてくれるんだって。だから明日幼稚園に行ったら、先生にお話するの」と、うれしそうに答(こた)えると、いつも一緒に寝(ね)ているぬいぐるみのプーさんをしっかりと抱(だ)いて、おふとんの中に入りました。

 「ドーン」という大きな音がして、横にあったタンスがとつぜん春子ちゃんの上に倒(たお)れてきたのは、1995年1月17日朝5時46分のことです。

 何がおこったのかさっぱりわかりませんでした。「お母さん、怖(こわ)い」と言って、おふとんをかぶって大声で泣き出しました。天井(てんじょう)からホコリが一杯降(ふ)ってきました。ベッドの横の窓ガラスが割(わ)れて、飛び散ってきました。

 後はどうなったのか覚(おぼ)えていません。気がつくと春子ちゃんは家の外でお母さんに抱かれて、まだ泣きじゃくっていました。周(まわ)りを見ると、家は壊(こわ)れて屋根だけになっていました。おとなりの謙(けん)ちゃんの家も、おむかいの佳子(けいこ)ちゃんの家も、みんな壊れています。近所(きんじょ)のコンビニもありません。ラーメン屋さんも壊れていました。

 春子ちゃんはお母さんに「寒(さむ)い。おなかすいた」と小さな声で言いました。でも本当(ほんとう)は何を言って良いのかも分からないのだけれど、何か言わないと余計(よけい)に悲しくなってしまいそうに思えたのです。「地震(じしん)がおこったのよ。お家もみんな壊れてしまったの。食べるものはないし、今晩(こんばん)から寝るところもなくなってしまったの」。お母さんはとても悲しそうな顔をして話してくれました。「でも春子は、お母さんが、しっかり抱いていてあげるから、心配しないでいいのよ」。そう言われて春子ちゃんは少し安心(あんしん)しました。

 やがて近所のおばさんが「小学校の講堂(こうどう)が壊れていないので、みんなそこに集(あつ)まっているそうよ」と教(おし)えてくれたので、学校に行きました。そこにはもうたくさんの人たちが来ていました。「さあ、おにぎりがありますよ。毛布(もうふ)が欲(ほ)しい人は取りに来てね。今夜(こんや)はここで寝るんですよ」。やさしそうなお姉(ねえ)さんが大きな声で叫(さけ)んでいました。

 「ねえ、あの人だれ?」。春子ちゃんはそっとお母さんに聞きました。「あの人はね、ボランティアさんよ。わたしたちが地震にあって困(こま)っているからって、遠(とお)くから助(たす)けに来てくれたの」。するとそのボランティアのお姉さんがニコニコしながら、そばにやって来ました。「困ったことがあったら何でも言ってね。何か欲しいものあるかな。そうだ。壊れたおうちに行ってみようか。おもちゃや絵本が見つかるかもしれないよ」。うれしくなって、春子ちゃんはそのお姉さんといっしょに壊れた家に行きました。

 おうちはペッシャンコになっていました。ボランティアのお姉さんは、春子ちゃんの部屋(へや)のあったあたりの屋根(やね)瓦(がわら)を一枚一枚取りのけて探(さが)してくれました。「あったよ!」いつも一緒に寝ていたプーさんが見つかりました。でもかわいそうにホコリだらけの顔をしています。ボランティアのお姉さんは持っていた手ぬぐいできれいにぬぐってくれました。なんだかプーさんもうれしそうです。

 夜になって小学校の講堂で寝るのはいやでしたが、いつものようにプーさんと一緒に寝ることができると思うと、少しだけうれしくなりました。プーさんを抱いて、お姉さんと二人で幼稚園に行きました。幼稚園も壊れていました。先生もお友だちもだれもいませんでした。

 「幼稚園が始(はじ)まりますよ」というお知らせが届(とど)いたのは、三月に入ってからでした。卒園式だけでもやりましょうと、幼稚園のあったところに小さな建物(たてもの)を建(た)ててくれたのも、ボランティアの人たちだったと、あとで先生が教えてくれました。ひさしぶりで先生やお友だちと会えた時、春子ちゃんはとてもとてもうれしく思いました。

 先生はみんなに、「地震の前に約束(やくそく)した卒園アルバムを作(つく)りますよ。おおきくなったらどんな人になりたいか教えてね」と言われました。春子ちゃんは迷(まよ)わず、すぐに答えました。

 「わたし、おおきくなったらボランティアになるの!だって、とても親切(しんせつ)にしてもらってうれしかったもの」(廣瀬満泰)

 

 こんなお話しです。とつぜん思いもしないことがおこって、悲しい思いをしたり、苦しい思いをしたりすることって、だれにでも、みんなにもあるかもしれません。でも、大丈夫。そんなときにも、お母さんやぬいぐるみのプーさん、そしてボランティアのお姉さんのように、いつもどんな時にもみんなのことを見守って、助けてくださる方(かた)が必ずそばにいてくださいます。そのことを信じてください。みんなにいのちをくださった方、神さまが、だれよりもみんなのことを大切に思って、助けてくださっていることを忘れないでくださいね。

 

≪メッセージ≫(おとな) 『野獣も天使も一緒!』 Continue reading

2月12日 ≪降誕節第8主日礼拝≫『沈黙する神の御子』マタイによる福音書27章11~26節 沖村裕史 牧師

 

■ピラトの名

 わたしたちの教会では、毎週の礼拝で使徒信条を告白しています。使徒信条はもともと、洗礼(バプテスマ)を受けるために必要な、最低限のキリスト教信仰を手短にまとめたものでした。それがプロテスタントもカトリックも、すべての教会が告白する基本信条となりました。

 その中に、「主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、…」とあります。全文わずかに270字足らずの、短いこの信条の中に、イエス・キリスト以外の人物の名前がふたつ出てきます。ひとつは母マリア、そしてもうひとつはポンテオ・ピラト。マリアはともかく、どうしてポンテオ・ピラトの名前が出てくるのか、思わず首をひねられるかも知れません。なぜ、ピラトの名前がこの大切な信仰告白の中に登場してくるのでしょうか。

 それは、ピラトがイエスさまを死に定める裁きをした、からでした。

 

■すべての人々

 しかし、イエスさまが十字架につけられて殺されることになったのは、ピラトひとりの責任だったのでしょうか。いえむしろ、ピラトはわたしたちの代表であった、と言うべきではないでしょうか。

 このとき、イエスさまは最高法院の法廷に引き出され、ユダヤの指導者たちの裁きを受け、死罪に相当するという判決が、すでに下されていました。ただ、自分たちの手で死刑執行をすることは許されていませんでした。彼らは、ローマの権力による死刑執行を、それも最も残酷で恥ずべき十字架による刑死を求めるために、ピラトのところにイエスさまを連れて来ました。

 「さて、イエスは総督の前に立たれた」

 裁判が始まりました。イエスさまはユダヤ総督の前に、ただひとり立たされます。

 当時、強固な宗教心を持ったユダヤの人々を統治する総督の仕事は実に困難で、厄介なものだと考えられていました。逆を言えば、その総督に任命されたピラトには、それ相応の政治的力量もあり、また野心家でもあったということでしょう。そんな百戦錬磨のピラトの目に、この事件はユダヤ人の「ねたみ」によって引き起こされたもので、取り立てて国事犯として裁くほどの事件ではない、そう映っていました。ピラトはイエスという男を、最高法院が望むような死刑にすることを望んでいませんでした。

 それでもユダヤ人指導者たちを蔑(ないがし)ろにし、その気持ちをわざわざ逆撫でするような取り扱いをすることも、政策上避けなくてはなりません。そこで一計を案じます。過越の祭りの時に毎年、罪人をひとり赦す慣例があったことを思い出し、もうひとり、人々が死刑を求めるに違いない「評判の囚人」バラバ・イエスを並べて、どっちを釈放するか、と群衆に尋ねました。ほんの数日前、エルサレムに入城されたイエスさま一行を歓呼の声で迎えた人々です。当然、「メシアといわれるイエス」—キリスト・イエスの釈放を求めるだろうと考えました。

 しかし、この思惑は完全に外れます。

 祭司長や長老たちが、イエスの死刑を求めるよう、あらかじめ群衆に根回しをしていたのです。ピラトが、どちらを釈放して欲しいかと尋ねたとき、人々は「バラバを釈放してほしい」、つまりイエスを裁きにつけろと答えます。驚いたピラトが、「では、メシア[、キリスト]といわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と尋ねると、再び「十字架につけろ」と言います。ことの推移にますます驚いたピラトが、イエスというこの人が「いったいどんな悪事を働いたのか」とさらに尋ねます。しかし、群衆はますます激しく叫び続けました。「十字架につけろ」と。

 まるで、ラインやツイッターといったSNSがらみで最近よく耳にする「炎上」のようです。何かの行為や発言が人々の目に触れ、それに引っ掛かりを感じた人々が、それをした人や、発言した人に向かって集中砲火を浴びせます。結果、その人を追いつめ、死に至らせる事件にまで発展してしまうことさえあります。

 「十字架につけろ!十字架につけろ!」の大合唱。群衆の中には、「それは違う!」と思う人もいたかも知れません。ピラトもそうでした。でも何も言わなかった。いや言えなかったのです。だから責任はなかった、と言えるでしょうか。言えないでしょう。ペトロやユダ、弟子たちは裏切り、逃げ出してしまっていました。ユダヤの指導者たちはもちろん、群衆たちも、そしてピラトも、ここにいたすべての人が、イエスさまの十字架による死を求め、イエスさまを裁きました。

 「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」という言葉を唱える時、わたしたちはこの事実を忘れてはなりません。誰もがイエスさまを死に定めたのです。

 

■予想外の沈黙

 なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。

 イエスさまが「どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った」と記される14節の言葉に、注目していだきたいと思います。「不思議に思った」とは「驚いた」と訳すことのできる言葉です。なぜピラトは驚いたのでしょうか。 Continue reading

2月5日 ≪降誕節第7主日礼拝≫『みんな一緒に―神への真実』ルカによる福音書21章1~9節 沖村裕史 牧師

■こどものけんか

 小さな子どもたちが遊んでいる姿を見ていて、はっとさせられることがあります。遊ぶというと、「みんな一緒に」と思われるかも知れませんが、遊びの始まりは「一人遊び」です。一人遊びが始まると、喧嘩が増えてきます。理由は、大抵、おもちゃの取り合いです。お人形で遊んでいた女の子のそばで、もう一人の女の子がママゴト遊びをしていました。ママゴト遊びのお家には赤ちゃんが必要です。赤ちゃんが欲しいと思った女の子は、ともだちからお人形を取り上げようとします。お人形で遊んでいた子は「いやっ」と叫んで、喧嘩が始まります。二人はお人形の手を両方から引っ張り合います。と、お人形の手が取れてしまいました。お人形で遊んでいた女の子は泣き出します。もう一人の女の子も顔をこわばらせて、とても緊張しているのがわかります。こどもたちにとって、周りにあるおもちゃはみんな「自分のもの」です。保育園にあろうが、お店にあろうが、お家にあろうが、それはみんな自分のものです。それで、けんかが始まります。

 それでも、遊びながら喧嘩を繰り返すことで、こどもたちは学んでいきます。おもちゃを独り占めするよりも、喧嘩をするよりも、友だちと一緒に遊んだ方がずっと楽しいことに気が付き始めます。保育園のおもちゃは、「みんなのもの」で、みんなで一緒に遊ぶためのもの、ということがわかるようになります。こどもたちは、今、手にしているものを独り占めするのではなく、みんなと一緒に、ということの大切と楽しさを知るようになります。こうしてこどもは成長し、おとなになっていきます。

 ところが、わたしたちがおとなになって、たくさんのものを手に入れ、身に着け、それを自由に使うことができるようになると、まるで二歳か三歳のこどもにでも戻ったかのように、それを独り占めしようとして、またまた喧嘩をするようになってしまいます。

 

■すべてをささげる

 今日のみ言葉からは、そんな愚かなわたしたちの姿が浮かび上がってきます。

 ここで、わたしたちが先ず、何よりも目を留めなければならないのは、金持ちたちとは如何にも対照的な、わずか二枚のレプトン硬貨―今で言えば、缶ジュース一本分のお金を神様にささげた「やもめの姿」です。そのやもめのささげものに、イエスさまは「真実」を見出されます。

 「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである」

 「確かに言っておくが」とは、直訳すれば「真実をもって、わたしはあなたがたに言う」です。真実として、あなたがたに言う。真実がここにある、そのことをあなたがたに語る、ということです。

 やもめの何を真実だとご覧になったのでしょうか。

 お聞きになったことがあるかも知れません。この時代のユダヤの賽銭箱は、トランペットを大きくし、音の出る方を上に、吹き口を下にして立てたような形のもので、その中を通って献金が集まるように作られていました。それが、神殿の「婦人の庭」と呼ばれる場所に十三箱、置かれていました。そのラッパ型をした十三の賽銭箱の脇には、祭司たちが帳面のようなものを持って立っていました。それぞれの賽銭箱には札がついています。病気のためにとか、仕事のためになど、願い事の内容によって分かれていて、人々は願掛けをする賽銭箱のところに行っては自分の名を告げ、「何々のためにささげる」と言って献金を投げ入れます。すると、祭司があたりにいる人たちみんなに聞こえるくらいの大きな声で、名前とその額を言い、記帳します。

 「だれそれ、レプトンふたつ」と大声で告げられる。恥ずかしさで身が縮むようです。貧しいやもめは、どのような思いで、どのような姿で、わずかばかりの金をささげたのでしょうか。

 「これは、ここにいる祭司に差し出したのではない、神様にささげるのだ」という信仰によるのでなければ、到底できることではありません。やもめはこのとき、ただ神様へのピスティス―信仰、誠実さ、真実をもって、その銅貨をおささげしたのでしょう。

 しかしわたしたちは、なお戸惑いを覚えます。イエスさまは言われます、

 「この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである」

 生活費全部をささげることが真実の尺度となるなら、明日からの生活は一体どうなるのでしょうか。持っているものすべてをささげることは果たして良いことでしょうか。ローンや教育費はどうするのでしょうか。金持ちたちは「有り余る中から献金した」とありますが、「有り余る中から」という言葉にも引っ掛かります。「有り余る中から」ささげている人などいるのでしょうか。だれしも老後の生活費、介護の費用、病気のときの治療費のことが心配です。こどもや孫のことも考えます。心配は尽きません。「有り余る」、捨てるほどあるという人など、どこにもいない。そう思われます。ましてや貧しいやもめが、自分の持っているものをすべてささげることができたのは、どうしてなのでしょうか。

 

■やもめの「真実」

 日本近代文学の優れた研究者であり、クリスチャンであった水谷昭夫の著書『たゆまざるものの如く―山本周五郎の生涯』の一節が思い出されます。

 山本周五郎は小説『裏の木戸はあいている』の中に、こう記しています。

 「かなしいことに、人間は貧乏であればあるほど、金銭に対して潔癖になる。施しや恩恵を、かれらほど嫌うものはない」

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1月29日 ≪降誕節第6主日礼拝≫『後悔したら、あなたならどうする?』マタイによる福音書27章1~10節 沖村裕史 牧師

 

■ユダは悪人?

 「ほんの僅かでも人間についての認識を持っている者なら、ユダがキリストの崇拝者であったという事実を一体、誰が疑うだろうか」とは、19世紀の哲学者であり、牧師でもあったセーレン・キルケゴールの言葉です。

 ユダは最終的にイエスさまを裏切りますが、これは他の弟子にとっては驚きの出来事だったはずです。ユダは一行の会計を預かるほどにみんなから信頼されていました。最後の晩餐のときにも、イエスさまが弟子の一人が自分を裏切るだろうと言われ、そこにいた弟子たちの誰もが衝撃を受けますが、ユダが裏切ることになるとは、誰一人として思いもしませんでした。

 そのユダが、イエスさまをエルサレムの宗教指導者―祭司長や長老たちに引き渡すことに同意します。報酬の銀貨30枚は、奴隷一人の平均的な代価でした。イエスさまは、ユダヤの宗教指導者たちによって死刑を宣告されますが、死刑執行の権限はローマ帝国にあったため、ユダヤ総督ピラトに引き渡されることになりました。こうして、イエスさまの十字架刑が確定します。

 ユダはまさに裏切り者でした。

 このユダに対する聖書の評価は、とても厳しいものです。たとえば、十字架の時が迫って来ていた頃のことです。イエスさま一行がベタニアで食事をされていたとき、一人の女が高価な香油の入った石膏の壹を壊し、その香油をイエスさまの頭に注いだ、という有名な出来事が、最も古い福音書と言われるマルコ福音書の14章3節以下に記されています。そして、その様子を見ていた「そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。『なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか…』」とあります。最も古い伝承では、この女を非難したのは「そこにいた何人か」でした。ところが最も新しい伝承と考えられる福音書、ヨハネの12章1節以下では、この女はマリアであるとされ、非難した人間は「弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った」となっています。しかも、「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである」という説明までつけ加えられます。マルコからヨハネへのこの変化に、感心な女はマリアで、悪者はユダであるという評価が形作られていく、その過程を見ることができるでしょう。

 イエスさまの十字架が大切なものとして重んじられるほど、その直接の原因をつくったユダが悪人であるということが強調され、悪いことはみんな、ユダのせいにされてしまうほどであったと言えるでしょう。

 

■後悔するユダ

 でも、ユダに対するこうした評価は正当なものでしょうか。

 そもそもマタイは、ユダの最後の場面を、弟子の筆頭であったペトロの否認の出来事と並べるようにして描いています。「そんな人は知らない」と言ってイエスさまを見捨てたペトロと同じように、イエスさまを裏切った弟子たちの一人、それがユダなのです。事実、他の十人の弟子たちもみんな、蜘蛛の子を散らすようにして逃げ出していました。

 裏切るついでに銀貨を手に入れようとするところは、いささか意地汚いとしても、会計を預かっていたユダらしくもあります。聖書の中には、多くの人からたくさんの金を騙し取っていたザアカイのような人も出てきます。何も、ユダだけが特別な悪人というわけでもありません。

 しかも、ユダは冷酷な悪人になり切れていないという点でも、他の愛すべき人たちと共通しています。徴税人ザアカイや一緒に十字架につけられた犯罪人のように、ユダも最終的には悪に徹することができませんでした。ユダはイエスさまを裏切りながらも、その後、自分の罪に苦しみます。3節から4節です。

 「そのころ、イエスさまを裏切ったユダは、イエスに有罪の判詞が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、『わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました』と言った」

 ユダは、イエスさまが有罪判決になるとは思ってもいなかったようです。自分のやったことは間違っていたと気づき、悲しんでいます。ペトロ、パウロ、壺を持ってやって来た罪深い女…。イエスさまに巡り会った、すべての人たちがそうであったように、ユダもイエスさまと出会い、自分の犯した罪の大きさに悲しみ、「後悔し」ます。

 ここに、ユダがどうしてイエスさまを裏切ったのか、その動機の一端が垣間見えてくるようです。少なくとも、ユダが会計係として使い込みをしたのでも、その穴埋めにお金が必要だったからでも、ユダがお金の亡者だったといった単純な動機でもなかったのでしょう。むしろ、「こんなはずじゃなかった」と後悔したのですから、そこにはまた別の期待が込められていたことを伺わせます。多くのユダヤ人がメシア=キリストに期待していたことは、ローマ人を打倒し、ユダヤ人の祖国を回復して、ダビデやソロモンの時代の栄光を取り戻すということでした。イエスさまの弟子たちもまた、同じ期待を抱いていました。ユダは、イエスさまが逮捕や投石から逃れる場面を何度も目の当りにしていましたし、病人を癒し、死者を生き返らせるのも見ていました。こうしたことから、ユダはイエスさまを当局に売り渡せば、ついにイエスさまもローマ人との戦いを始めざるをえなくなると期待していたのかもしれません。自分がそのきっかけをつくろうとしたのですが、もくろみとは違って、イエスさまは処刑されることになってしまいました。

 動機がどのようなものであれ、ユダは「しまった。大変なことをしてしまった」と自分のやったことを後悔したのです。

 

■ユダの自殺

 それは、ペトロたちが味わった罪の意識といささかの違いもありません。ただ問題は、この後のことです。後悔したユダは、この後、どうしたでしょうか。

 彼は奇妙な選択をしてしまいます。祭司長や長老たちの所に帰ってしまったのです。

 後悔して、もともとお金が目的ではなかったのですから、その銀貨三十枚を返却しようとしたのです。そして、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言います。罪の、悔い改めの告白です。そして、イエスさまのことを「罪のない人」と告白しています。祭司長や長老たち、当時の指導者たちがイエスさまの有罪判決を下しているそのただ中で、ユダはイエスさまの無罪をはっきりと証言します。 Continue reading

1月22日 ≪降誕節第5主日礼拝≫『ぎゅっと抱きしめて』ルカによる福音書5章12~26節 沖村裕史 牧師

 

■今ここに神の国が

 言葉というものはなかなかに難しいものです。人と人とが生きていくために、コミュニケーションの手段としての言葉は欠かせないものですが、言葉ほど曖昧で、厄介なものもありません。「目は口ほどにものを言い」と言われるように、愛し合う二人にとっては、むしろ邪魔になることもあります。また言葉でしくじることも、しばしばです。

 昔からわたしには悪い癖があります。意見が衝突し、感情が昂じて、言い争いになって収拾がつかなくなっている人たちを見ると、つい「まあ、まあ」と仲裁に入ってしまうのです。よく言えば平和主義者、悪く言えば事なかれ主義のわたしにしてみれば、感情むき出しの争いごとや周囲を緊張させる対立は、耐えがたい苦痛でした。良いも悪いもありません。「まあ、まあ」とその場を収めようとしてしまうのは、相手のためである以上に、自分の緊張を和らげるための、止むにやまれぬ行為でした。

 もっとも、この曖昧な「まあまあ」という言葉で、宥(なだ)められたりすることもあれば、かえって人を怒らせることもあって、止せばよかったと思うこともあります。他にも「そのうち」「多少遅れます」「多分大丈夫でしょう」「結構です」「のちほど」「~と思います」「考えておきましょう」などなど、はっきりしない言葉遣いは、確かに誤解やトラブルの元になることもありますが、そこにはまた、言い表せないものも隠されているように思えます。

 そんな曖昧な言葉が、ここにも出て来ます。イエスさまによる二つの癒しの出来事が記されていますが、実はそのいずれもが、まったく同じギリシア語で書き始められています。「カイ エゲーネト」という言葉です。場面の移動や物語の展開を示す慣用的な表現ですが、曖昧な言葉で、特別な意味を持たないものとして、日本語の聖書では翻訳されていません。あえて訳せば、「さて」「ところで」となるでしょうか。

 この二つの出来事の冒頭に、その「カイ エゲーネト」という言葉が使われています。しかも、同じ出来事を記しているマタイとマルコの福音書にはない言葉です。ルカだけがある意図を持ってこの言葉を使っている、そう考えることができます。その意図とは何か。ルカは、この二つの癒しの出来事は別々のものではなく、大切な、ひとつのメッセージを伝えている、そう考えているのではないでしょうか。

 この「カイ エゲーネト」を英語に直訳すれば、“And it became.”となります。そのままに訳せば、「そして、それは起こった」です。何が起こったのでしょうか。この二つの癒しは、イエスさまがペトロたちを召して最初の弟子とし、一緒に福音を宣べ伝え始めた、その直後に起こった出来事です。とすれば、「そして、それは起こった」とは、イエスさまが宣べ伝えられた「福音が現実のものとなった」ということを意味することになりはしないでしょうか。

 二つの癒しの出来事を、イエスさまが宣べ伝えられた福音の成就として受けとめ、「神の国が近づいた」と言われたそのことが、今ここに現実のものとなっている。「神の国はもうここに来ている」「神様の愛の御手は今ここに差し出されている」という、その福音にしっかりと耳を傾けて欲しい。ルカはそう語りかけているのではないでしょうか。

 

■千切れるほどの愛

 では、わたしたちの目の前に現実のものとなっている神の国とは、どのようなものなのでしょうか、どのようにして起きるのでしょうか、そしてそのことは、わたしたちに何を教えてくれているのでしょうか。

 ふたつの言葉に注目して、お話しをしたいと思います。ひとつは、13節の言葉です。

 「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去った」

 誰でも病気になります。体の病気ばかりではなく、心の病気になることもあります。いずれであれ、病にかかることはよくある、ごく当たり前のことです。自然なことですが、病は本人にとってはもちろん、家族にとっても重い負担となることがあります。当時のユダヤにも、病ゆえに地域社会から、家族からも見捨てられ、つまはじきにされて絶望し、苦しんでいるたくさんの人たちがいました。病は、その人の罪ゆえ、罪の穢れゆえだと信じられ、病人に触れることさえ禁じられていたのです。その戒めを守らず、病人に触れた人は、その人自身もまた罪穢れると言われました。

 しかしイエスさまは、はっきりと言われます。「よろしい。清くなれ」と。

 この言葉を原文に忠実に訳せば、「わたしは願う(、あなたが救われることを)。それがわたしの心だ。神によって清くされよ、そしてまた人々によって清いものとして受け入れられなさい」となります。それは、「よろしい」といった言葉から感じる、上から目線で与えられるような救いではなく、その人の苦しみと悲しみに寄り添って、その救いをイエスさまが心から願ってくださっていることを示す言葉です。そしてそれは、その人を隔離し、切り捨てた隣人たちと共に生きるようにされることを心から願う、宣言でした。イエスさまはそう言われ、重い皮膚病に苦しむこの人を癒されました。

 病に苦しむ人を癒してくださったこの出来事から気づかされる第一のことは、イエスさまの憐れみ、神様の愛です。ここには記されていませんが、イエスさまが癒しのみ業をなさるときには決まって、「深い憐れみ」によってそうされたと記されます。同じ出来事を記すマルコ福音書には「深く憐れんで」とはっきりと書かれています。イエスさまが手を触れられたのは、この病人を憐れんでくださったからです。当時の人々が避けて通った病人のところを、イエスさまは避けて通られず、むしろ深く憐れんで、誰からも触れられることのなかったその人に触れるために、手を差し伸べられました。

 深く憐れむという言葉は、腸(はらわた)の痛むほどの思いという意味です。聖書では、腸は、わたしたち人間の生、いのちそのものを意味します。そして憐れみとは、愛と同じです。このときイエスさまは、全身を重い皮膚病に覆われて苦しむこの人を見て、心の奥底から、ご自身のいのちのこととして憐れみを抱き、その人のことを愛されたのだ、ということです。

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1月15日 ≪降誕節第4主日礼拝≫『激しく泣いた』マタイによる福音書26章69~75節 沖村裕史 牧師

 

■心にもないこと?

 ペトロが中庭にいたときのことでした。

 そうです、イエスさまがゲッセマネの園で逮捕され、大祭司カイアファの官邸に連行されるとき、ペトロは遠く離れてではあっても、その後について行きました。そして勇気を振り絞り、イエスさまの審問が行われている官邸の中庭にまで入り込みました。火にあたる人々の中に座って、審問の行方を探るために耳をそばだてていました。他の弟子たちの誰にもできないことをした、ペトロでした。

 そこに一人の女が庭に出て来たことから、出来事は一気に動き始めます。

 彼女は、火にあたっているペトロをじっと見つめ、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」、そう言います。どうして彼女がペトロの顔を知っていたのか、それは分かりません。ただ、突然あらわれた、見知らぬ一人の女中に見咎(みとが)められてから、ペトロはしどろもどろになっていきます。いささかの勇気をもって中庭に入りこんでいたはずの、そのペトロの内心を見透かすように、「あなたもあのイエスと一緒だった」と言います。

 周囲の人々の視線を感じながら、口を開いたペトロの言葉は、「何のことを言っているのか、わたしには分らない」というものでした。ペトロは心にもないことを思わず、咄嗟(とっさ)に口にしてしまったのでしょうか。

 身に危険が及ぶことを恐れたペトロは、庭の出口のある門の方へと向かいます。とそのとき、ペトロの背中に再び、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と、別の女の声が突き刺さります。振り返ってでしょう、ペトロはもう一度、「そんな人は知らない」と、神に「誓って打ち消し」ます。これも咄嗟のことで、心にもないことを口走ったのでしょうか。そうではないでしょう。

 しばらくして、そこに居合わせた人々が近づいて来て、口をそろえて「確かにお前もあの連中の仲間だ。言葉づかいでそれが分かる」と言い募(つの)ります。日本語でも、イとヒが反対になったりする地方があるように、ガリラヤの人は喉音(こうおん)が区別できなかったのだ、と説明する人もいます。今までのことは、仮初めのことと見過ごすこともできたでしょう。しかしペトロは今、はっきりと「呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始め」ました。

 

■呪いの言葉

 この「呪い」と訳されているギリシア語は、特別な意味合いをもつ言葉です。その一つ、コリントの信徒への手紙一の中で、パウロが「神の霊によって語る人は、だれも『イエスは神から見捨てられよ』とは言わない」(12:3)と書いています。この「見捨てられよ」と訳されているのが「呪い」と同じ言葉です。口語訳聖書では「イエスは呪われよ」と訳されていました。原文では、単に「イエス・呪い」「イエスは呪いだ」で、このすぐ後に続く「イエス・主」「イエスは主である」という言葉と対比されて置かれた言葉です。

 ローマ時代に捕らえられ迫害を受けたクリスチャンたちの多くが、「イエスは主である」と告白して殉教の死を遂げました。しかしその一方で、迫害の苦しみに耐えかねて、「イエスなんか知らない」「イエスは呪われよ」と口に出すことで、自分のいのちを守ろうとした人たちもいました。「イエスは主である」と告白するのか、「イエスは見捨てられよ」と呪うのか。信仰の分かれ道となる言葉です。迫害の只中にあった当時のクリスチャンにとって、この言葉は自分自身に向けられた言葉でした。

 ここに「呪いの言葉さえ口にしながら」とあるのは、ペトロが「イエスは見捨てられよ」「イエスは呪われよ」と口にしていた、ということです。

 ペトロは、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」(26:33)と自分が言ったことも、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(26:35)と言ったことも、それが何を意味しているのか、まったく分からずにいました。まだその時ではない、もっと切羽詰(せっぱつま)ってからだ、と考えていたのでしょうか。おそらく、そんなことを考える暇(いとま)もなかったことでしょう。

 

■鶏が鳴いたとき

 「するとすぐ、鶏が鳴いた」

 そのときのことです。遠くで、しかし耳をつんざくように鶏が鳴きました。ペトロを糾弾するかのように、良心の悲鳴であるかのように鳴きました。「夜明け」を告げるこの鶏の声が、ペトロにイエスさまの言葉をありありと思い出させました。

 「ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した」

 ルカによる福音書は、ペトロがこの言葉を思い出す前に、「主は振りむいてペトロを見つめられた」と記しています。自分を裏切ったペトロを見捨ててもよいはずなのに、イエスさまは振り向き、ペトロをじっと見つめられたと言います。その眼差しとはどんなものだったのか。さきほど賛美いただいた197番の2節に「よわきペトロをかえりみて、ゆるすはたれぞ、主ならずや」とある通り、福音書が描く「見つめる」イエスさまの眼差しには、いつも赦しと招きが込められていました。その眼差しに包まれたペトロは、イエスさまの言葉だけでなく、イエスさまが共にいてくださることに、イエスさまが見つめていてくださることに、イエスさまと三年半も寝食を共にし、一緒にいた自分に気づかされたに違いありません。 Continue reading

1月8日 ≪降誕節第3主日/新年「家族」礼拝≫『乳飲み子を腕に抱いたとき』ルカによる福音書2章22~35節 沖村裕史 牧師

 

≪メッセージ≫(おとな)

■ひと月余りの乳飲み子

 「めでたさも 中くらいなり おらが春」

 ご存じ、小林一茶の一句です。わたしたちも今、ご一緒に新年を迎えています。ただ一茶と違うのは、中くらいならぬ、クリスマスの大きな喜びと希望の内に、新しい年を迎えていることです。そして、そんなめでたい新年に与えられたみ言葉が、ルカによる福音書2章22節以下です。

 「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、『初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される』と書いてあるからである」

 御子イエスが生まれたのはベツレヘムでした。律法によって、男子を出産した産婦は7日の間、汚れたものとみなされ、さらに出血の清めのために33日を要し、合わせて40日間、外出することができませんでした(レビ12:2-5)。とすれば、「清めの期間が過ぎたとき」とは、イエスさまがベツレヘムで生まれてからひと月余り後ということになります。

 マリアとヨセフはひと月余りをベツレヘムで過しました。初めて自分の乳房から乳をやる。日増しにわが子が成長していく。家族が喜びに満ちあふれるひと月だったでしょう。しかしまた、家畜小屋の中で産むほかなかった乳飲み子を抱えてのひと月、それは気苦労の多い日々でもあったに違いありません。

 その「モーセの律法に定められた清めの期間」が明けました。生まればかりの乳飲み子です。いつまでも旅先で過ごすわけにはいきません。マリアも体力を取り戻し、家族でナザレの家に帰ることになりました。しかしその前に、どうしても立ち寄らなければならない場所がありました。エルサレム神殿です。

 日本にもお宮参りという習慣があるように、マリアとヨセフもイスラエルの定めに従って、御子イエスをお宮参りに連れて行かなければなりません。遠方からの子連れの参拝ともなれば相当の負担となったはずですが、幸いにも、ベツレヘムからエルサレムまでは、わずかに8キロの道のりでした。

 

■痛ましく、不憫な宮参り

 神殿の丘に上った両親には、それぞれになすべきことが待っていました。ヨセフには長男を買い戻すための身代金を祭司に支払うこと、マリアには産後の清めのための犠牲を献げることです。

 出エジプト記に「すべての長子をわたしのために聖別せよ。すべての初子は…人であれ家畜であれ、わたしのものである」とあるように(13:2)、父親はまず、長男をいったん祭司の手に渡し、神のものとして献げるという形をとりました。次に、銀5シェケル―当時で言えば20日分の賃金に当たる金額―を祭司に支払って、息子を贖(あがな)う、買い戻します。ヨセフはその代価を支払いました。

 続いてマリアです。レビ記12章によれば、母親の清めのための献げ物として「一歳の雄羊一頭と家鳩または山鳩一羽」が定められていました。ただし「産婦が貧しくて小羊に手が届かない場合は」、特例的に「二羽の山鳩または二羽の家鳩」でもよいとされました。本来は、小羊一頭と鳩一羽のところを、大負けに負けて鳩二羽にしてやろうというわけです。しかしその鳩とて、そこらで捕まえてくればいいというわけではありません。傷のない、きれいな鳩でなければ、受け付けてもらえません。そこで神殿の境内には、神殿のお墨付きをもらった鳩売り業者や両替商が軒を並べていました。お墨付きによって神殿には収入が確保されます。神殿によるこの献金のシステムは、後にイエスさまの怒りを買うことになります。

 それにしても、何とも痛ましく、また不憫なお宮参りです。家畜小屋に生まれなければならなかったということだけでも不憫なのに、そのうえ乳飲み子を抱えて、旅先でのひと月余りもの不自由な生活を余儀なくされ、さらにはナケナシのお金と献げ物まで搾り取られるのです。十代前半のマリアと二十歳にもならないヨセフには、小羊などとても手が届かず、山鳩か家鳩の献げ物が精一杯でした。裕福な身なりをした人たちが、きれいな真っ白い布に赤ちゃんをくるんで、小羊を献げるその脇で、貧しい身なりの、疲れ切った夫婦がぼろ布に赤ちゃんを包んで抱きかかえ、鳩を献げようとしている。そんな光景が目に浮かびます。

 痛ましく、不憫な光景です。しかしそれは、神殿の祭司たちやエルサレムの指導者たちから見れば、罪深く、恥知らずな、みっともない光景でした。小羊を献げる親子連れにはおめでとうの言葉をかけても、この貧しい親子には祝福の言葉もなかったかもしれません。献げ物を格づける社会、それによって人間を格づける社会とはそういうものです。

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1月1日 ≪降誕節第2主日・元旦礼拝≫『新しい葡萄酒で乾杯!』ルカによる福音書5章33~39節 沖村裕史 牧師

■転石、苔を生ぜず

 「転石、苔を生ぜず」という諺(ことわざ)があります。転がる石には苔がつかない、外山(とやま)滋比古(しげひこ)という英文学者がこの諺について、こんなことを書いています。

 このことわざは英語の “A rolling stone gathers no moss.” の訳だけけれども、イギリスとアメリカでは全く反対の意味で使われるようになった。イギリスでは、一箇所に長く腰を落ち着けることができず、たえず商売替えをするような人間にはmoss苔はつかない、つまりお金が貯まらないという意味で使われているけれども、アメリカでは、優秀な人間なら引く手あまた、席の暖まる暇もなく動き回る、じっとしていたくてもそうはさせてくれない、次から次へと新しい職場に引き抜かれていく、こういう人はいつもぴかぴか輝いていて、新しくて、苔が付着する暇もない、そういう意味で使われている、と。

 外山は続けて、定住社会と移動社会の違い、風土から生まれる感覚の違いから、苔を良いものと思うのか、それとも何の価値のないものと思うのか、その理由を説明します。なるほどと思いつつ、わたしたち日本人はどちらかと言うと、イギリス人と同じ感性を生きているのではないか、と思わされました。

 わたしたちは今、新しいことは良いことだという時代を生きていますが、それでも、古いものは良いものだということもよく知っています。その二つの思いを融通無碍(ゆうずうむげ)に、いえ、自分に都合良く使い分けて生きているのではないか、そのことを心に止めながら、今日のみ言葉をご一緒に味わいたいと思います。

 

■新しい人生、新しいいのち

 元日の朝、わたしたちに与えられた聖書のみ言葉は、ルカによる福音書5章33節以下ですが、それ先立ってこの5章には、神様のご用に召された二人の人物の記事が出てきます。初めの一人は漁師だったペトロ、もう一人は徴税人レビ、またの名をマタイという人です。それと、病に苦しんでいた二人の人のことも書かれています。一人は今でいうハンセン病の人、もう一人は中風の人で、この二人の癒し、救いの出来事が記されています。

 なぜ、この四人の記事がここに一緒に記されているのでしょうか。この四人に共通していることとは何でしょうか。

 それは、この人たちが皆、罪人と見なされていたということ、そして何よりも、イエスさまに出会い、新しい人生を歩み始めた人たちだったということです。神様に召されるとは、この四人のように、まったく新しい人生を、まったく新しいいのちを与えられるということです。それはとても喜ばしいことです。神様に召されるのは、わたしたちがそれにふさわしいからではなく、ただ神様の愛ゆえです。そんなすばらしい、大きな愛に包まれて、新しいいのちを、新しい人生を歩み始めること、それが召されるということです。

 ある先輩牧師の体験です。

 高等学校二年生のときのこと、田舎の学校にはめずらしいクリスチャンの同級生がいた。クリスチャンの女子高生は何人かいたが、男子は他にいなかった。わたしは彼に議論を仕掛けた。世の中の矛盾や世界の不条理を引き合いに出し、神が存在するなら、なぜこんなことが起こるのかと問い詰めた。わたしはクリスチャンである彼を追及しているつもりでいたが、たぶん胸の奥には自分の生きる根拠を求めるあがきがあったのだと思う。彼の答えはしどろもどろだった。それでも、話の終わりに彼はいつもこう言っていた。

 「いちど教会に来てみろよ」

 で、教会に行き始めたのがその年の秋。教会に行き始めて、礼拝をしている姿に強い印象を受けた。二十数名の会衆が聖書の言葉に耳を傾け、起立して讃美を献げている。ここには道があるな、と思った。まっすぐに前に向かって行く道がある。駅前の飲み屋に育ったわたしには新鮮な驚きだった。人生にはドロドロした愛憎の世界しかないと思っていたからだ。あきらめ、断念し、なるようにしかならないと投げ出すように生きていた。

 踏み入ったのは、思いもかけない世界だった。教会の大きな窓からは、見なれた入り江の対岸の山並みが見えていた。よその世界の風景のようだった。翌年、高等学校三年のクリスマスに洗礼を受けた。

 考えてみれば、あのとき精神的に荒廃し、あがいていたんだろうと思う。苦しまぎれに目の前に現れた扉を開いたら、前方に向かう道があった、ようやっと見つけることができた、それがわたしの信仰への歩みだった。

 しかしそれは、神の側からいえば、神が迷い出た羊を探し出し、見つけ出してくださったプロセスだった。放蕩息子は自分の足で歩いて帰って行った。「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて…抱き、接吻した」(ルカ15:20)。息子が行きづまり、転落し、父をあえぎ求めるよりもはるかに切実に激しく、父は息子を待っていた。そのことは、神のふところに抱かれたあとでわかったことだった。自分が帰ったのではない。神が自分を見つけ出してくださったのだ、と。少しずつわかってくる。次第にわかってくる。(小島誠志『55歳からのキリスト教入門』一部変更)

 この先輩牧師も、そして「わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と告白したペトロも、軽蔑され嫌われていた徴税人のレビも、穢れた者として誰からも触れられることさえなかったハンセン病の人も、体がまったく動かず家族の重荷となって絶望していた中風の人も、彼らすべてがイエスさまによって見出され、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」と宣言されたイエスさまによって、その罪を赦され、救われ、大きな喜びに包まれて、まったく新しい人生を歩み始めました。 Continue reading

12月25日 ≪降誕日・クリスマス「家族」礼拝≫『もうひとりの博士』『クリスマスの美しさと醜さ』イザヤ書53章1~12節、マタイによる福音書2章1~12節 沖村裕史 牧師

 

≪お話し≫「もうひとりの博士」(こども・おとな)

たった一つの光に導かれて、♪遠くの東から、らくだにまたがって♪、三人の博士は、長い、長い旅の末、ようやくユダヤの地にたどり着きました。救い主のおられる場所を突き止め、馬小屋を訪れた博士たちが目にしたもの―それは、飼い葉おけの中に眠る小さな、とても小さないのちでした。頼りない、たったひとつのいのちの誕生に、この世界は喜びに包まれ、星々は輝き、暗い夜空に天使たちの歌声が鳴り響きました。

御子(みこ)イエスの誕生物語です。

救い主を拝(おが)み、宝の箱を開けて、献(ささ)げ物を献げることができた三人の博士たちの喜びは、どれほどのものだったでしょう。その喜びの大きさと深さを知ることのできる、もうひとつのクリスマス物語があります。「もうひとりの博士」と呼ばれる物語です。

三人の博士には、もうひとり仲間がいました。

名前は「アルタバン」。 彼らは救い主に会うため、星を頼りに旅に出ることにし、それぞれに贈り物を準備し、待ち合わせることにしました。アルタバンが準備した贈り物は「サファイヤとルビーと真珠(しんじゅ)」です。宝石を買うために、家も土地も、すべてを売り払いました。そのため、思いの外(ほか)時間がかかり、少し遅れてしまいます。アルタバンは必死(ひっし)に馬を走らせました。

約束の場所までもう一息(ひといき)、というところにさしかかったときのことです。道端(みちばた)のヤシの木の下に、ひとりの男が倒れています。近づくと、その男は病(やまい)で今にも死にそうです。この男にかかわっていては、大切な約束の時間に遅れてしまう。でも……。迷ったあげく、アルタバンは、水を汲(く)み、薬を飲ませ、手厚く介抱(かいほう)します。元気を取り戻した男に、彼は持っていた薬とぶどう酒とパンを与えると、仲間の待っている場所へと急ぎました。

しかし、そこにはもう誰もいませんでした。アルタバンはへなへなと座り込みました。遠い国まで一人で旅することは、とても危険なことです。そのためには、もう一度準備をしなくてはなりません。町に戻り、持っていたサファイヤを売り、ラクダを買って旅の支度(したく)を整えました。

砂漠(さばく)の旅は、つらく厳しいものでした。襲(おそ)い来る砂あらし。血に飢えた猛獣(もうじゅう)。はげしい疲れをおぼえながらも、たったひとつの星の光を頼りに、アルタバンはユダヤのベツレヘムという村に着きました。三人の仲間を探して村を訪ね歩いていると、赤ちゃんを抱いた若い母親に出会いました。彼女の話によれば、三日前に東からやって来た三人の博士たちが、赤ん坊を産んだナザレ人の夫婦(ふうふ)のところにやってきて、たいへん高価(こうか)な贈り物をした。ところが、博士たちもそのナザレ人(びと)の一家(いっか)も、あわててどこかへ行ってしまった、という話でした。

遅かった。ガッカリしていると、不意(ふい)に騒ぎが持ち上がります。「兵隊が来た! ヘロデ王の兵隊が、赤ん坊を皆殺(みなごろ)しにしているぞ!」。母親は真っ青になって、赤ん坊をしっかりと胸に抱きしめます。戸口が開き、血だらけの剣をもった兵隊たちがなだれ込んできました。アルタバンは彼らの前に立ちふさがり、「見逃してくれるなら、この宝石をやろう」。兵たちは、彼のさしだした高価なルビーをひったくるようにつかむと、そのまま外に出て行きました。

アルタバンはエジプトに向かいました。ナザレ人の一家がエジプトに逃げたと聞いたからです。しかし、どこにもその姿を見つけることはできませんでした。町から町、村から村へと歩き回り、捜(さが)し続けました。その途中(とちゅう)で、彼はたくさんの人たちに出会いました。町には奴隷(どれい)として売られていく人々、波止場(はとば)には疲れきった船乗りたち、物乞(ものご)いや病人たちがあふれていました。貧しい人々や病人たちのことを見過ごしにできない彼は、いつしか、自分の食べるパンを彼らに分け与えるようになりました。

多くの月日(つきひ)が流れました。今、アルタバンはエルサレムの町の中に立っています。ふところから最後に残った宝石である真珠をとりだし、つくづく眺(なが)めていました。いろいろなことが思い出されます。もう彼が国を出てから三十三年の月日が経(た)っていました。ひげは真っ白に、手はしわだらけになっていました。

エルサレムの町は祭で沸(わ)き立っていました。その時突然(とつぜん)、人々の間にざわめきが起こります。人々は興奮(こうふん)して、何かを見に行こうとしているようです。アルタバンがひとりにたずねると、「ゴルゴダの丘(おか)に行くんだよ。あんたは知らないのかい? 強盗(ごうとう)が二人、十字架(じゅうじか)にはりつけにされることになっていて、そこにもうひとり、ナザレのイエスという人も架(か)けられることになったんだよ。その人はたくさんの奇跡(きせき)を行ったけど、自分のことを「神の子」だと言ったから、とがめられ、処刑(しょけい)されることになったんだそうだ」。

ナザレ…神の子…。アルタバンにはすぐに分かりました。わたしはこの方に会うために、これまでずっと旅を続けてきたのだ。もしかすると、この真珠をその方を救う身代金(みのしろきん)として役立(やくだ)てることができるかもしれない。

アルタバンは急ぎました。と、髪の毛を振り乱した若い娘が引きずられてきて、必死にアルタバンの着物にしがみつきます。「お助けください! 父が死んで、父の借金(しゃっきん)のかたに奴隷に売られるところなのです。どうぞ、お助けください!」。アルタバンは身震(みぶる)いしました。これで三度目だ。 迷ったあげく、懐(ふところ)から真珠を取り出します。「さあ、あなたの身代金として、この真珠をあげよう。神の御子(みこ)への贈り物として大切に取っておいた最後の宝です」。

彼の言葉が終わらないうちに、空を闇(やみ)がおおい、大地震(おおじしん)が起こりました。娘を捕(とら)えようとしていた者たちは、びっくりして逃げていきました。アルタバンと娘はその場にうずくまっていました。 屋根瓦(がわら)が落ちてきて、アルタバンの頭に当たり、血に染(そ)めました。

娘はアルタバンを抱き起こしました。そのとき、どこからか不思議な声が響いてきました。かすかな細い声。それは音楽のようでもありました。アルタバンのくちびるが少し、動きました。

「いいえ、違います。主よ。いつわたしはあなたが空腹(くうふく)なのを見てパンを恵(めぐ)み、乾いているのを見て水をさしあげましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着物を着せてあげましたか。ただただ、三十三年間あなたを捜し求めてきただけです。しかし、とうとう一度もあなたにお会いすることもできず、何ひとつあなたのお役に立つこともできませんでした」

すると、またあの美しい声が聞こえてきました。

「まことにあなたに言っておく。わたしの兄弟である、これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」

アルタバンの顔が喜びに輝きました。まるで少年のように、はにかみ、安心したように長い息が、静かに、喜びに満ちた響きを持って、くちびるから洩(も)れました。

この物語が、わたしたちに教えてくれていること―それは、暗闇(くらやみ)の中に輝く光は、どこか遠くにではなく、わたしたちの中にあるということです。

この一年、うれしいことも楽しいこともたくさんありましたが、ときに悲しいことや不安なこともありました。でも、そんな悲しみや不安のときにこそ、それを喜びに変えてしまう、そんな力がクリスマスにはあります。

クリスマスに家族みんなが揃(そろ)って、仲良く、楽しい夕べの食卓を囲んで、歌を歌うことができるとすれば、それはもちろん嬉しくて楽しいことです。でも、それだけではありません。たとえ、アルパタンのようにたったひとり、家族も友だちも何もかも失って、どん底の中に落ち込んでいるようなところにも、いえ、そんなところにこそ、喜びが訪れる、それがクリスマスのほんとうの喜びです。そんなクリスマスの喜びに感謝して、ひとことお祈りします。

 

≪メッセージ≫「クリスマスの美しさと醜さ」(おとな)

■クリスマスは美しい?

わたしたちはどうしても、クリスマスを美しいものだと思いたいようです。雪が降るにしてもさほど積もることもないこの小倉の地で、わたしたちは雪が降った国のクリスマスを懐かしむかのように、ツリーに白い綿を置きます。クリスマスには雪がふさわしいと考えるのは、ヨーロッパから入って来たイメージだけではない、むしろ、雪があってほしいというわたしたちの願いゆえかも知れません。“I’m dreaming of a white Christmas…”(わたしが夢見るもの、それは白いクリスマス)と歌い始めるビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」ではありませんが、雪が降って地上の汚いものを覆ってくれれば、いかにも良いクリスマスになったように思えるのでしょう。 Continue reading

12月11日 ≪降誕前第2・待降節第3主日礼拝≫『唾吐きかけられて』マタイによる福音書26章57~68節 沖村裕史 牧師

■真夜中の取り調べ

 当時のユダヤ社会を支配していたのは、最高法院という議会でした。今日の国会のようなものであり、また最高裁判所のようなものでもあります。それを構成していたのは、祭司長、長老、律法学者たち。全部で七十人、それに大祭司がひとり加わった、七十一人による会議でした。

 逮捕された夜、イエスさまはその最高法院の場に立たされます。翌朝には、ローマ総督の法廷に連れて行かれ、その朝のうちに死刑判決が下され、午前九時には十字架につけられます。驚くほどのスピーディな対応です。ユダヤ教最高法院とローマ帝国総督府との間に、少なくとも最高法院の中であらかじめ謀議がなされていたことを伺わせます。事実、真夜中にもかかわらず、最高法院の七十人もの議員たちが大祭司の下に待っていましたとばかりに召集されます。

 目的は、イエスさまの罪状を確定し、総督ピラトに引き渡す準備をすることでした。ここで行われることは、正確には裁判ではなく、事前の取り調べです。この取り調べで、イエスさまをどのような罪で訴えるかが決められます。直後の27章1節から2節に「夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した」とある、その「相談」が最高法院での取り調べであり、正式な罪状と量刑が確定するのは、ピラトに引き渡された後のことでした。しかし、ローマ総督府での審判は決められていたことを議決するだけの形式的なもの、イエスさまの有罪が事実上決定したのはやはり、この真夜中の取り調べにおいてでした。

 

■行き詰まる証言

 ところが、その取り調べの場にイエスさまを弁護する証人は一人も立てられません。被告は自分を弁護してくれる証言者を要求することができましたし、法廷はそれを用意させる義務もありました。ところが、イエスさまを弁護する証言者は誰も現れません。

 二つの理由が考えられます。一つは、ユダヤの法廷のルールです。ユダヤの法廷では、女、こども、しょうがい者、奴隷といった人たちは証言者となることができませんでした。その誰もがイエスさまに親しみを感じ、希望を抱き、感謝や尊敬の念を強く抱いていた人たちでした。その人たちがどんなにイエスさまを守りたいと思っても、証言台に立つことは許されません。そしてもう一つは、最も親しい交わりの中にあったはずの弟子たちの誰ひとり、証言台に立とうとしなかったからです。審問が開始されたときにはすでに、弟子たちは皆、イエスさまを見捨てて逃げてしまっていました。

 その中で、ただ一人ペトロだけが「遠く離れてイエスに従い」、大祭司の屋敷の中庭にまで入り込み、「下役たちと一緒に座っていた」と、その姿が印象深く描かれています。しかしこの直後に、その中庭で「そんな人は[イエスさまのことなど]知らない」とペトロが答える場面を続けて読むとき、イエスさまとペトロの姿がここに揃って描かれることによってかえって、一刻一刻、十字架に近づいて行かれるイエスさまの歩みと、それとは真逆に、イエスさまから一歩また一歩と遠のいて行くペトロの姿とが、コントラストに描き出されていることに気づかされます。

 一方、告発する側の証言もまた行き詰まっていました。イエスさまを死刑にすることは最高法院の既定の方針であり、それを正当化するための偽りの証言を集めようとして始められた審問でしたが、60節に「偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった」とあるように、必要な証言を得ることができないでいました。マルコによる福音書にあるように、「多くの者がイエスに不利な偽証をしたが、その証言は食い違っていたから」(14:56)ということでしょう。ユダヤの律法には、一人の証言だけで人を有罪にしてはならないという決まりがありました。二人または三人の証言が合わなければ、有罪の判決を下すことはできません。ゲッセマネで逮捕したイエスさまを、その夜のうちに裁判にかけるという時間的な無理をしたために、証言者の口裏を合わせるという用意を周到に行うことができなかったのでしょう。もともと事実とは違う偽証、つくり話なのですから、口裏を合わせておかなければ、語る人によって違って来るのは当然のことです。証言によって、イエスさまを有罪にすることはできませんでした。

 

■沈黙を破って

 このとき、大祭司たちのはかりごとは失敗に帰したはずでした。それなのに、どうしてイエスさまは十字架につけられることになったのでしょうか。

 そのことが、62節以下に語られます。「そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。『何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか』」。直前に「最後に二人の者が来て、『この男は、「神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる」と言いました』と告げた」とあります。これも偽証でしたが、とにもかくにも二人の証言、告発のための証拠は揃ったのです。それなのに、何も答えようとしないイエスさまに苛立った大祭司が自ら進み出て、こう尋ねたのでした。

 それでもイエスさまは「黙り続けておられた」とあります。イエスさまは、終始、沈黙を守られます。黙って耐えておられたというのではありません。偽りの証言、悪意ある中傷というものは、沈黙によってこそ、その真実が暴かれるものです。ですから、もしもイエスさまが最後まで口を開かず、徹底的に沈黙を通されたなら、彼らは有罪を確定することができず、証拠不十分で釈放とせざるを得なかったかもしれません。

 ところが、そうはなりませんでした。この取り調べの最後に、もはや証言の必要などない、イエスは死刑にすべき有罪だとの結論が議員一同によって下されました。それは証拠がそろったからではなく、イエスさまが唯一、口を開いて語られた言葉によってでした。イエスさまは、偽証に対しては口を閉ざしておられましたが、大祭司の発した問いに決定的な答えをされたのでした。その答えによってイエスさまの有罪は確定し、十字架につけられることになりました。

 大祭司の発したその問いとは、63節後半、「お前は神の子、メシアなのか」、「お前は神の子である、救い主なのか」というものでした。イエスさまの本質に迫る問いでした。それまで完全な沈黙を貫いて来られたイエスさまが、この問いに、今、はっきりとお答えになります。

 「それは、あなたが言ったこと」。原文を直訳すれば、「言ったのは、あなただ」。マルコによる福音書では「[わたしが]そうです」となっていますが、ここでは、皮肉交じりに答えておられます。偽りの証言で罪に陥れようとする、嘘に嘘を重ねるその偽善に対して、イエスさまは「そう言ったのは、あなただ」と痛烈な皮肉を込めて答えられます。

 その上で、イエスさまはさらに決定的なひと言を口にされました。「しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」。神の右に座るとは、詩編110編1節で、神が救い主に対して語った言葉です。雲に囲まれて来るとは、ダニエル書7章13節にも語られている、来るべきメシアの姿です。

 全能の神から授けられる大いなる権威と力について語っておられます。イエスさまは、ご自分がそのような権威と力を父なる神から授けられ、その権威をもってもう一度来る、そうはっきりと宣言をなさったのでした。

 

■わたしたちの罪のために

 驚くべきことです。イエスさまはこれまで、病気を癒したり、悪霊を追い出したり、死者を生き返らせるなど、様々なみ業を行ってこられました。その時にはいつも、み業の恵みを受けた人々に「このことを誰にも言ってはいけない」と言われました。「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」というイエスさまの問いに、ペトロが「あなたは生ける神の子、メシアです」と答えたその時にも、ご自分のことを誰にも話さないようにと言われました。これまでイエスさまは、ご自分が神の子であるメシア、救い主であることを隠そうとしてこられたのです。そのことを、弟子たち以外の人々の前で口にされることはありませんでした。

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12月4日 ≪降誕前第3・待降節第2主日礼拝≫『天を仰いで、星を数えてごらん!』創世記15章1~18節b

■時間と感動

 クリスマスと新年の準備に忙しいこの季節、12月師走(しわす)を迎えて、ふと立ち止まったとき、ああ、もう一年が過ぎたのか!と、毎年溜息をついている自分がいます。

 以前にもお話をしたことがあるかもしれません。わたしたちの時間の感じ方は時計で刻むようなものではなく、その時間内に脳が何回強い印象を受けたか、という回数によるのだそうです。「すごくきれい」とか「わあ、おもしろい」と脳が驚きや感動を感じると、それが脳の中の「海馬(かいば)」という器官のフィルターを通って脳の深みに達し、意味のある記憶となって「カウント」されます。脳は、そのカウント量で時間を感じるので、カウントが多いほど時間は長く感じられ、カウント量が少ないと時間は早く過ぎてしまうのだそうです。

 こどものうちはまだ経験したことのないことが多いので、必然的に「わあ」とか「すごい」と感じることが多く、時間も長く感じられるというわけです。確かに、こども時代は見るもの聞くものが初めてで、何もかも新鮮で、一日中、一年中「わあ」「すごい」と思っていました。家の庭で梅の木にぶら下がっているミノムシを見つけたときのことを、今も覚えています。たくさんぶら下がっている奇妙な光景にワクワクしました。その一つひとつに幼虫が入っていることにときめいたものです。

 しかし、大人になった今、ミノムシを見てもワクワクなどしません。それはつまり、そのぶんだけ時間が早く過ぎてしまったということです。大人になると、あっというまに月日が過ぎてしまうのも当然のことです。もったいない気もしますが、「慣れる」とはそういうことです。無論、この忙しい毎日の生活の中で、ミノムシを見るたびに、いちいち「すごい」なんて言っていられないというのも事実ですが、下手をすると、まる一日感動のない日もありますし、もしもそれがずーっと続いたらどうなるでしょうか。

 そんな時間感覚で言えば、その一年はなかったも同然ということになるのではないでしょうか。それは何も、忙しいときばかりではありません。心にかかる、不安なこと、恐ろしいこと、苦しいこと、悲しいことばかりに囚われているとき、わたしたちは、目の前にあるものの美しさやかけがえのなさを見過ごし、一日一日の大切さに気づかず、与えられている恵みを見失ってしまい、ただ日々を空しく過ごしてしまうことになります。

 しかし逆に、人生を「すごい」「わあ」といった感動でいっぱいにすれば、時間は無限にあるということになります。何も特別な出来事を求めなくとも、そんなまなざしさえあれば、すぐ身近にそんな感動があふれていることに、それこそ「すごい」「わあ」と驚くはずです。今から60年前に、坂本九が「見上げてごらん夜の星を 小さな星の/小さな光が ささやかな幸せを うたってる/見上げてごらん夜の星を 僕らのように/名もない星が ささやかな幸せを 祈ってる/手をつなごう僕と 追いかけよう夢を/二人なら苦しくなんかないさ」と歌っていた、そんな感動です。

 まるでこの星を初めて訪れた人のように、見るもの聞くものを新鮮に受け止めることができるなら、存在の神秘に打たれて、こどもの魂で「わあ」と言えるなら、いつもそんな一瞬を生きることができるとき、わたしたちは「永遠」なるお方がすぐ傍にいてくださることに気づかされるに違いありません。

 

■内から粘りつく恐れ

 このときのアブラムも、神様からあふれるほどの恵みと祝福を受けながら、不安と恐れに心を奪われて、神様への信頼を、永遠なる神様がいつも共にいてくださるという約束を見失いかけていました。

 今日の言葉は、「これらのことの後で…」という言葉で始まっています。「これらのこと」とは、直前14章までに描かれていたことです。アブラムはそれまで、神様の絶対的とも言える導きと恵みによって、順風満帆の歩みを続けていました。莫大な財産を手に入れたばかりか、他の都市国家と肩を並べるほどの勢力を持つようになっていました。

 ところが、それほどの祝福に満たされているはずのアブラムが恐れていた、と記されます。

 「これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。『恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう』」

 アブラムが抱いていた恐れ、不安とは、一体何だったのでしょうか。それが何であれ、沈み込むアブラムの耳に、神様の声が響きます。外から飛んで来る矢には恐れを抱かなかったアブラムも、内から粘りつく恐れという剣には、それを防ぐ盾を必要としていました。「アブラムよ。わたしがその盾になろう」という神様の声が、「この世からは受けない、また受けられない真の報いをわたしが与えよう。それも大きな報いを」との神様の約束が与えられます。

 その祝福の約束に対して、アブラムの口をついて出たのは「わたしに何をくださるというのですか」という冷淡な言葉でした。

 「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子どもがありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです」

 老いを迎え、自らの死を見つめ始めていたアブラムにとって、子どものいない、いわば「家族」というものを味わうことができないでいるその孤独は深く、寂しさと悲しさは日ごと心を苛み続けていたのでしょう。主よ、あなたは、子孫を与えようと約束してくださいました。しかしその約束がいまだに果たされないままです。それなのに今、大きな報いを与えようと約束をしてくださっても…。それは詮無(せんな)いことです。 Continue reading