福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え - Page 4

11月27日 ≪降誕前第4・待降節第1主日/アドヴェント礼拝≫『裏切りの只中』マタイによる福音書26章47~56節

■裏切りの只中に

 冒頭47節に「イエスがまだ話しておられると」とあります。今日の出来事は直前、ゲッセマネの祈りの場面の続きです。

 その45節から46節に「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た」とあります。イエスさまが祈られ、弟子たちが眠り込んでしまっている間に、イエスさまを捕えようとする人々が迫って来ました。彼らがいよいよ近づいて来たそのとき、イエスさまは弟子たちを起し、「眠っている時、休んでいる時はもう終わりだ。時が来た」と言われます。その時とは「人の子が罪人たちの手に引き渡される」時です。イエスさまは父なる神のみ心に従って、その苦しみを引き受ける決意を固め、「立て、行こう」と、ご自分からその苦しみの時へと歩み出そうとしておられます。

 その苦しみをもたらす者たちの先頭に立っていたのは、イエスさまを裏切ったユダでした。裏切ったユダのことを、福音書は「十二人の一人であるユダ」と記します。これを語順通りに訳せば、「ユダ、十二人の一人」です。ヨハネによる福音書にも、「すると、イエスは言われた。『あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。』イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしている」(6:70-71)と記されているように、イエスさまを裏切った者は、第三者でも敵でもなく、イエスさまが選ばれた弟子たちの中に、イエスさまが愛された者たちの中にいたのだ、ということです。

 これこそ、わたしたち人間の現実です。人と人が共に生きることの難しさが、ここにあります。どんなに親しい間柄であっても、自分も相手も共に、エゴ―自分中心性—ゆえに、この裏切る者としての悪魔性を持っているからです。誰も自分では自覚していない、この悪魔的な性格を克服できない限り、人間の世界に平安は、平和はありません。しかもわたしたちには、自分でこれを克服することができません。

 今、そんなわたしたちの裏切りの只中に、御子イエス・キリストが、立ってくださっているのです。

 

■赦しのために罪の只中に

 46節に、「立て、行こう、見よ、わたしを裏切る者がくる」とあったように、イエスさまは、ユダが自分を裏切る者であることを充分に承知しながらも、彼を口汚く罵ったり、批判したり、攻撃したり、その果てに捨ててしまったり…そんなことはなさいません。わたしたちなら、自分に危機が及びそうだと少しでも感じれば、何よりもそれを避けようとするでしょう。しかし、イエスさまはご自分から立って、「近寄」って来る、ユダのもとに行かれたのでした。今まさに時が満ちたのだ、そう痛感させられます。

 他の人と共に生きることが難しいという、わたしたち人間の罪の現実を克服するのは、この御子イエスによってのみ可能となることです。イエスさまは、まさにこのために、イスカリオテのユダと共にあって、人間の罪の赦しのために、十字架への道を歩み始めておられるのです。

 今、わたしたちの赦しのために罪の只中に、御子イエス・キリストが、立ってくださっているのです。

 

■それと気づかぬ裏切りの只中に

 前の節では「十二人の一人」と言われていましたが、48節では、「イエスを裏切ろうとしていたユダ」となっています。ユダはここではもう、イエスさまの弟子の一人というよりも、裏切る者になり切っています。その目的を果たすための方法が、接吻でした。愛と尊敬と交わりのしるしである接吻が、今ここでは、売り渡す相手を示す合図に用いられています。

 ここで少し違和感を覚えます。もっと別の方法で目的を果たすこともできたのではないでしょうか。たとえば、ユダ自身は物陰に隠れていて、イエスさまを指差すこともできたはずです。しかし、接吻が合図に選ばれたことに、ユダの本質が明らかになります。

 ユダは「先生」と言って、接吻しました。自分が裏切る者であることを誰にも知られず、またイエスさまに対する尊敬と交わりを失うことなく、裏切りを達成しようとしたのです。いつになく激しい接吻でした。イエスさまをしっかりと抱き締めて放さなかった、とも言えるでしょう。「捕まえて、逃さないように連れて行け」という言葉を態度で表わしています。

 裏切るという行為は、特別なことをすることではなく、本人でさえ心が痛まずに、自分が裏切っていることすら忘れてしまうほどに、日常の平凡な行為として行われます。わたしたちの周囲にある大小の裏切りも、このような「日常的なもの」の陰に隠れて、その目的を果たすのです。であればこそ、それは相手の望みを打ち砕くほどに、大きな力を持ちます。

 今、わたしたち自身がそれと気づかぬ裏切りの只中にこそ、御子イエス・キリストが、立ってくださっているのです。

 

■絶望の只中に

 イエスさまは難なく捕えられてしまいました。この世では力の強い者が何でも自分の思う通りに物事を果たそうとしますが、ここでも力のある者が勝利しているように見えます。正義や道理がどうであれ、結局は正しい者ではなく、強い者が勝つのだという、諦めに似た思いを覚えさせられます。

 しかし、54節に「必ずこうなると書かれている聖書の言葉」とあり、「このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである」と56節に記されているように、今ここに、力のある者が勝利したのではなく、聖書の言葉が、神のみ旨がなされたのだ、ということを知ることが大切です。

 見える面だけを見れば、どう見たとしても、イエスさまの方が敗北者です。神の勝利を見出すためには、信仰の眼で、真理を見抜く眼で、物事を見る必要があります。彼らの勝利がどんなに華々しいものであったとしても、また踊り出したくなるような嬉しい出来事であったとしても、それは一時的なものであって、やがて過ぎ去るものでしかありません。

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11月20日 ≪降誕前第5主日/収穫感謝「家族」礼拝≫『後について行こう!』ミカ書2章12~13節

≪メッセージ≫(おとな)

■父の後ろ姿

 今、与えられているもの、またこれまで備えられてきたもの、そのすべてに感謝する心を持ち、それを分かち合うことは、とても大切なことです。なぜなら、そんな神様への信頼と感謝の心が、生きる力、どんな困難も乗り越えていく力を、わたしたちに与えてくれるからです。どなたにもきっと、そんな経験がおありだろうと思います。わたしにもあります。

 わたしの父が天に召されてから15年が過ぎようとしています。父と母が一緒に洗礼を受けたいと考え始めていた16年前の11月末のこと、母とわたしはクモ膜下出血という突然の病に倒れた父の傍(そば)で、じっとその容態を見守り続けていました。不安で心がバラバラになりそうでした。ICUのベッドの上で、たくさんの管をつけられている父をガラス越しに見つめていたときのこと。なぜか、父との思い出がしきりと思い出されました。それも、こどものときの、それまで一度も思い出したこともない、思い出でした。

 わたしは、あたり一面、山と田んぼばかりの田舎のこどもでした。

 父が畑仕事をしています。黙々と、丁寧に、手際よく畑仕事をしている父の傍で、わたしは妹と仲良く遊んでいました。

 いつのまにか、日が山の向こうに近づいてきて、薄暗く、山の影も長くなってきました。秋も終わりの頃で、肌寒くってなってきました。

 でも、田んぼに積み上げられた藁(わら)の束の中は、日の光を浴びて、ぽかぽかと暖かく、とても気持ちがいいし、いい匂いです。その藁の束の中にもぐりこんで、わたしと妹は大はしゃぎで遊びました。夢中になりすぎて藁の束がほどけます。すると「コラッ!」と叱られてしまいます。少しだけ静かにしていますが、しばらくするとまた大はしゃぎして、また叱られて…。

 そんなことを繰返しているうちに、当たりは深い青色に包まれ、暗さを増してきます。わたしと妹も遊び疲れ、しかも暗い闇の中に何かがいそうで、不安になってきます。

 「父さん、まだ仕事続けるのかな?まだ家に帰らないのかな?!暗くなってきて、何だか怖いな…」

 そう思い始めたとき、父は仕事の片付けをすませ、わたしたちを振り返り、やさしくほほえんで、声をかけます。

 「さあ、帰るぞ。こっちにおいで!」

 妹は、父の親指にぶら下がるようにして歩きます。わたしは、仕事の道具を持つのを手伝いながら、そのすぐ後ろについて行きます。

 すっかり日も暮れ、当たりは真っ暗。わたしには、父と妹の顔も、帰り道も、何も見えません。遠くで甲高く鳴く、不気味な鳥の声が聞こえてきます。

 でも大丈夫。父の後について行けば、何の心配もありません。辺りが暗くても、父の後ろ姿だけは、まるで光が灯っているようでした。

 ベッドに横たわっている父の姿を見つめながら、その時の父の姿を思い出していました。あの時の心地よく安らかな気持ち、安心感と幸福感を思い出すだけで、不安と恐れでいっぱいだったわたしの心は不思議と、静かな平安に包まれるようでした。

 

■後ろに回って

 そんなこどもの頃の思い出が、今日の聖書の言葉に重なります。

 「わたしは彼らを羊のように囲いの中に/群れのように、牧場に導いてひとつにする」(ミカ2:12)

 「わたし」とは神様、「彼ら」とはわたしたちのこと。そして神様は「羊飼い」で、わたしたちは「羊」です。

 わたしたち羊は、こどものわたしのように、小さく、力も弱く、しかも目が悪いために周りがよく見えず、ひとりでは、とても心細く、怖くて、不安なことがたくさんあります。しかし羊飼いの神様は、あの時の父と同じように、そんなわたしたちをやさしく見守って、どんな真闇の中でも決して傍を離れず、母が夕食を準備して待ってくれている家まで、必ず連れて帰ってくれます。 Continue reading

11月13日 ≪降誕前第6主日礼拝≫『苦しみ呻く』マタイによる福音書26章36~46節

■死ぬばかりに悲しい

 闇が深まる夜道を辿り、ゲッセマネの園に到着されたイエスさまは、八人の弟子を残し、三人の弟子だけを連れて、園の奥へと入って行かれました。そのときのこと、

 「悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい』」

 ルカによる福音書は、血の汗を流すようにして祈られた、と記しています。イエスさまはなぜ、それほどまでに悩み、呻くほどに苦しまなければならなかったのでしょうか。

 そもそも、ゲッセマネの園に来られたということは、イエスさまがご自分の死を選びとられたのだ、ということです。この夜イエスさまのおられる場所が、最後の晩餐を守ったあの二階の部屋か、このゲッセマネの他にはありえないことを、裏切り者のユダが知らないはずはありません。そのことをイエスさまもよくご存じのはずです。ユダの知らない他の場所に逃げることもおできになったはずです。しかしそうはなさらず、わざわざゲッセマネに来られました。イエスさまは、いわば、ご自分で選びとられたはずの死を目前にして、その死を恐れておられるのです。

 「わたしは死ぬばかりに悲しい」

 これを直訳すれば、「わたしの魂は死ぬほどに悲しんでいる」となります。詩編42編、43篇と重なる言葉です。この二つの詩編はもともと、一つの詩であったと考えられます。両方に跨(またが)って、全く同じ言葉が三度も繰り返されているからです。その繰り返される言葉の冒頭に、「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ」とあります。イエスさまの言われた「悲しい」という言葉は、当時のギリシア語訳旧約聖書の「うなだれる」というヘブライ語に当てられたギリシア語と、全く同じ言葉です。つまり、イエスさまは「わたしの魂は死ぬほどにうなだれる」と言われていたのです。

 魂がうなだれ、呻くような苦しみとは、どのようなものだったのか。詩編42編2節にこうあります。「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める」。鹿が水を求めて谷に降りて来たけれども、川は涸れてしまっていて水がない。その鹿のように神を求めるけれども、神は応えてくださらない。そんな魂の渇きに、この詩人は苦しんでいます。42篇から43編まで、これと同じ嘆き、苦しみ、呻きの声が繰り返されます。その苦しみの中で、人々から「お前の神はどこにいる。どこにもいないではないか。助けてくれないではないか」と嘲(あざけ)られます。ただ辛いという以上の、もだえ呻くばかりの深刻な苦しみです。イエスさまは、詩人のそんな苦しみにご自分の苦しみを重ね合わせるようにして、「わたしは死ぬばかりに悲しい」と呻き、苦しんでおられるのです。

 

■罪を背負って

 神の救いと助けを求め、願っているのに、それが与えられないという飢え渇きを、わたしたちもまた味わいます。その飢え、渇きの中でわたしたちは、神は自分の罪をお赦しにならず、もう自分のことなど見捨ててしまわれたのではないか、と苦しめられます。そして、「お前の信じている神はどこにいる」という声が周囲の人々からというよりも、むしろ、自分自身の心の中から聞こえてきて、わたしたちを苦しめます。

 しかしそう考えて、ハタと気づかされます。イエスさまがここで味わっておられる苦しみと、わたしたちの受けている苦しみとでは、意味が違うのではないか、と。

 わたしたちの苦しみや悲しみは、多かれ少なかれ、自分自身に原因があります。わたしたちは、ただ一人のものとして、それぞれが全く異なる身体(からだ)と人格と感性を持ったものとして造られた存在です。その意味で、わたしたち人間は多様で、そのことは豊かさでありますが、根源的には自分中心、エゴとしての存在でしかありません。人間関係における苦しみや悲しみは、たとえ自分にいろいろと言い分があるとしても、やはり互いに原因があるのであって、相手だけが一方的に悪いということは滅多にありません。わたしたちの苦しみや悲しみは、わたしたち自身から生じているのであって、わたしたちは、自分の罪によって生じた苦しみを苦しんでいるのです。神ではなく、自分を主人として生きていて、神をも隣人をも、自分の思いにおいてしか愛することができず、自分の意に添わなければ神からそっぽを向き、また自分を守るためには隣人を攻撃し傷つけてしまうことも平気でする、そういう罪の中にいるわたしたちは確かに、神に見捨てられてしまっても仕方がない罪人なのです。

 しかしイエスさまは、ご自身の罪によって苦しまれるのではありません。イエスさまはわたしたちのすべての罪を背負って、わたしたちに代って苦しみを受けてくださるのです。十字架につけられ、神に見捨てられて、滅ぼされるほかないわたしたちのために、その罪に対する神の怒り、裁きを引き受け、神に見捨てられる苦しみを、その身に受けてくださるのです。イエスさまは、わたしたちの罪のゆえの苦しみを、当のわたしたち以上に深く苦しんでくださるのです。「わたしは死ぬばかりに悲しい」と呻かれ、もがくようにして苦しんでおられるのは、わたしたちの罪ゆえでした。

 そのイエスさまの死は、いわゆる殉教者のように、信仰のため、あるいは正しいことのために死を覚悟する、というものではありません。罪を犯した人間が死刑になる、そういう死です。神に呪われ、捨てられ、悪魔の手に渡されることになる、そんな死です。そのような死の恐ろしさを本当の意味で知るイエスさまだからこそ、その死を前に、それほどに苦しみ、呻き、もだえられたのでした。

 

■この杯を過ぎ去らせてください

 わたしたちの罪ゆえの苦しみの中で、イエスさまは祈られます。

 「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」

 ある方から聞いた話です。今年の一月、彼に初めての孫が与えられました。その子が生まれて三か月経った頃、物凄い高熱が続き病院に搬送され、そのまま入院をすることになりました。普段であれば、乳児の入院ですから、母親も一緒のはず。ところがコロナのことがあり、母親は泊まることもできません。面会も許されません。我が子がどうなっているのか、きっと心配しているだろうからと看護師さんが気を利かせ、赤ん坊の様子を動画に撮って送ってくれました。彼もその動画を見せてもらいました。

 哺乳瓶からミルクをもらっている様子。あてがわれた玩具で遊んでいる様子。その傍らに看護師さんがいる。でも、その看護師さんは青い防護服に身を包んでいました。家にいる時は、泣けば母親や父親がすぐに飛んできて抱き上げたり、あやしたり、おむつを替え、ミルクを飲ませてもらえます。しかし病院では、他にも患者さんがいて、すぐには対応してもらえないでしょう。その内、泣き疲れて眠ってしまう。どんなに淋しかったか。どんなに辛かったか。想像するだけで、もう胸が熱くなった。

 溜息をつくようにそう語った彼が、最後にこう言いました。ただ、孫の場合は、元気になって退院できたけれども、報道によると、コロナ禍の中、病院で亡くなる方たちは、最後、お別れもできなかったと聞く。本人も家族も本当に大変な経験をされたのだと思う。そのことを痛感した、と。

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11月6日 ≪降誕前第7主日/聖徒の日・永眠者記念礼拝≫『いのちの乗換駅』イザヤ書 44章6~8、21~23節

■死と向き合う

 今日は、国際基督教大学附属ICU高校の、授業の一場面のご紹介から始めさせていただきます。

 教師が、砂時計と頭蓋骨の模型を見せながら、こう切り出します。

(教師)「この砂時計と頭蓋骨に共通することはなんだと思いますか?こじつでもいいですから、だれか考えてみてください。」

 すると一人の生徒がこう応えます。

(生徒)「時間ですか?」

(教師)「そうですね。もう一歩進めてどうですか?」

(生徒)「死ですか?」

(教師)「そうです、死です。西洋の修道僧たちはわざわざ机の上に砂時計と頭蓋骨を置いて、『メメント・モリ(汝、死を忘るるなかれ)』と自分たちに言い聞かせていたそうです。」

 教師は続けます。

(教師)「ところで、TVとか写真とかでなく、今まで本物の人間の死体を見たことがある人はいますか?」

 すると、四分の三近くの生徒が手を挙げます。

(教師)「お葬式で見たという人が一番多いんだと思うけど、葬式以外で見た人はいますか?」

(生徒)「はい、飛び降り自殺した人の死体を見たことがあります。」

 海外で交通事故の死体を見たなどの声が続いた後、教師がこう尋ねました。

(教師)「死体を見るなんていう経験はあまり気持ちの良いものではないし、できればしたくないと思うのが普通だと思います。変な考えだと思われてしまうかもしれませんが、しかし私は、人は大人になるまでに一度は死というものを目撃する体験をもつことが大事なのではないかと考えています。実は、幼い頃、死について考えて夜中に泣きだしたとかいう人がかなりいますが、みんなのなかにもいますか?」

(生徒)「はい、私がそうでした。小学生の頃、両親が死んだらどうしようと思って、ものすごく怖くなってずっと泣いていたのを覚えています。」

 教師は、さらにこう問いかけます。

(教師)「死というのは、よく考えてみればスゴイことですね。こんな不可解なものが、しかし確実にやって来る。死って他人事じゃなく、いつか僕たち自身が必ず死ぬ!人生にはこんな一大事が待っているのに、なぜ多くの人は死について真剣に考えることをしないのでしょうか?」

 この後、教師と生徒の間で、また生徒同士で様々なやり取りが続き、いよいよ授業も終わりに近づいたとき、用紙が配られ、さきほどの問いに生徒たち一人ひとりが自分なりの答えを書きます。そのいくつかを紹介してみましょう。

(女子生徒)「ニュースを見ていると必ず誰かが亡くなったという訃報がテロップに流れる。家で温かな紅茶に口をつけながら甘いおやつを食べ、私は『可哀想に』と思う。隣にいた母が『可哀想に』という。妹はおやつを食べている。そうしているうちにすぐにテレビは次の話題へ移る。案の定、私たちは今まで『可哀想』と思っていた不運なAさんのことを既に忘れている。死は私たちにとって、否、私にとってそこまで遠いものだった。死を見たことがないわけではない。しかしまだ遠い。」

(別の女子生徒)「人一倍プライドの高かった叔父が『痛いよ痛いよ』と子供のように泣く様は見るに耐えず、私はしばらく放心状態でした。その時の姿と棺の中の姿が重なり、いつか自分もこうやって死んで行くのかと、人生の重過ぎるラストに打ちのめされました。」

(男子生徒)「自分にも死がくる……ということを考えると、今まできづかなかった自分の一面をみつけ、挑戦してみたいことについて考えました。少し違うかもしれませんが、Hope for the best, prepare for the worst[最善を望み、最悪に備える; 備えあれば憂いなし]という言葉があるように、死を望むのではなく、生きることに感謝し、精一杯生きよう!と思いながらも、逃れることのできない死について考えることで、人生をより充実したものにできると思います。」

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10月30日 ≪降誕前第8主日礼拝≫『つまずきを越えて』マタイによる福音書26章26〜35節

■わたしを与える

 過越の食卓でのことです。

 「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これはわたしの体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である』」

 聞き慣れた文言です。聖餐式の時に牧師が読み上げる聖書の一節、イエスさまが聖餐を制定された時の言葉です。この言葉が、弟子たちとの過越の食事の最中に語られました。

 この時、イエスさまは過越の食卓を囲みながら、出エジプトという、イスラエルの民にとって忘れることのできない大いなる救いの出来事の恵みを一緒に味わうように、と弟子たちを導かれます。しかしそれだけでなく、出エジプトを想い起すその食卓を囲みながら、そこに新しい意味をお加えになったのでした。イスラエルの民の「過越」をはるかに超えて、イスラエルの民に限らず、すべての民、すべての人々が、神様の大いなる恵みにあずかることになる、新しい主の食卓を用意してくださったのです。それが聖餐でした。

 イエスさまはこの過越の食事の夜、弟子たちを前にして、「パンを取り」「賛美の祈り」を捧げ、それを「裂き」、弟子たちに与えながら、こう宣言されます。

 「これは、わたしの体である」「これは…わたしの血である」

 「これは、わたしの体である」の「これは」という単語は、中性単数で、男性名詞である「パン」それ自体を指すものではありません。「これは…である」とは、単にパンや血それ自体を指しているわけではありません。「これは、このままわたしの体である」という意味ではありません。このパンが、イエスさまの体の象徴であるという意味でもなく、ましてや、このパンが、イエスさまの体そのものに変わる、化体するというのでもありません。「取りなさい。これはわたしの体である」をニュアンスのままに訳すとすれば、「取りなさい。わたしの体を与える」となるでしょうか。人のために自分を与える、ということです。

 十字架を目前にイエスさまはこの時、間違いなく十字架の上で裂かれていくご自身の体のことを考えておられます。これは、いのちを捧げることを覚悟して語られた言葉です。多くの教会の聖餐式では、綺麗に切り整えられたパンが配られますが、いくつかの教会では、一つのパンを司式の牧師が会衆の目の前に高く掲げ、そのパンをみんなが見ている前で裂きます。ちょうど、イエスさまが皆の目の前で十字架にかかり、肉体を裂かれて行かれたように、です。次に杯です。この杯も弟子たちの前に高く掲げ、「これは多くの人のために流される、契約の血です」と言って、そこにいる、裏切り、否定し、逃げ散ることになる弟子たちの間に回されました。その裏切る人のために、罪人の救いのために、自分のいのちを、自分のすべてを与えられた、ということです。

 

■愛の食卓

 それまでに、そしてそれから後も、この世に、相手を生かすために、自分を与える、自分を食べさせる、などという愛があったでしょうか。そのとき、この食卓は世界で最初の救いの食卓となりました。イエスさまの与えるパンは信じる者を永遠に生かすいのちのパンとなり、この食卓はすべての人を、わたしたち罪人をこそ招く、神の愛の食卓となりました。

 つらいとき、力をなくしたとき、もはや神に助けてもらうしかないときに、あれこれと祈ることもできるでしょう。しかし、そんなわたしたちに本当に必要なのは、ただみ言葉です。見えざる神のみ言葉はもとより、見えるみ言葉としての聖餐が必要です。人間の工夫や人間の助けをひとまず脇に置いて、ただひたすらに神の愛を信じていただく、聖餐による恵みです。

 なぜなら、十字架を目前にしてイエスさまご自身が最もつらいとき、最も力を必要とするときに、この晩餐を開かれたからです。それはそのまま、弟子たちが最もつらいとき、最も力を必要とするときのためでもありました。無力であるわたしたち人間を救うための主の食卓を、完全に無力なときに囲むのは、当然のこと、何よりもふさわしいことです。

 長い信仰生活を今まさに終えようという方と、病床で口にする聖餐に共に与る時、いつもこう思わされます。この人は、これまで何度、パンと杯を口にしてこられたのだろうか。感動に目をうるませながら、ゆっくりと最後の聖餐にあずかる姿の何と神々しいことか、と。

 ある時、気づかされました。ちょっと待て。これが最後なのか、と。イエスさまはご自分の死を覚悟しつつ、「ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい」と言われました。この世ではもう飲まないということです。と同時に、「わたしの父の国で共に新たに飲むその日まで」とも言われました。父の国で新たに飲むその日。ということは、天の国に生まれて行ったあかつきには、そこで新たにあずかる聖餐があるということです。天の国での聖餐です。最後は最初です。すべてはここから始まります。わたしたちは死ぬのではありません。その後、天上の部屋で天上の食卓を囲み、天の父のいのちを食べ、キリストの愛を飲むのです。

 主の晩餐は、聖餐は、天上の宴は、今、すでに始まっている、イエスさまは、最後の晩餐においてそう宣言されたのでした。

 

■わたしは違います

 その最後の晩餐が、今、終わりました。

 「一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた」

 オリーブ山は、いつも出かけては祈られた、祈りの場でした。行き慣れた道であったかもしれません。しかしこの時、夜は更けていました。晴れてさえいれば、過越の祭は満月の時ですから、月が明るく輝いていたかもしれませんが、それでも夜道です。漆黒の闇が覆う山道です。舗装されているわけではありません。気を付けなければ、誰もがつまずかざるを得ない道でした。

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10月23日 ≪降誕前第9主日礼拝≫『心痛める人の背後に立って』マタイによる福音書26章14〜25節 沖村裕史 牧師

 

■神の企て

 「そのとき、十二人の一人でイスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、『あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか』と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした」

 前回お話をしたように、この時、イエスさまと祭司長たちの双方が十字架の時期について、それぞれ異なることを考えていました。イエスさまは弟子たちに、「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される」(2節)と告げ、十字架の出来事は二日後の過越祭のときに起こると言われます。一方、イエスさまを捕らえ、殺害しようと相談していた祭司長や長老たちは、「民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう」(5節)と言い、過越祭に続く除酵祭が終わった後、十日余り後のことを考えています。

 十字架の時期がズレています。人間が策を練りに練り、用意周到に準備していました。しかし、祭司長たちの思惑は外れ、祭りの最中―神様が、イエスさまが決めておられた二日後に、多くの民衆の前で、イエスさまは十字架につけられることになります。多くの人が言うように、「人の企ては貫かれなかった。神の企てが貫かれた」ということなのかもしれません。

 そして今日の箇所には、その神の企てのために、決定的な役割を果たす一人の人物が登場します。イスカリオテのユダです。マタイは、他でもないイエスさまの十二弟子の一人であるユダが敵の手にイエスさまを引き渡した、それもお金で売ることをユダの側から持ちかけた、という衝撃的な事実をわたしたちに伝えています。

 ユダが訪ねた相手は祭司長たちでした。ユダが持ちかけてきた話は祭司長たちにとって、まさに「渡りに舟」でした。過越祭前後のエルサレムには、普段の三倍を超える巡礼者が訪れていました。その大勢の「民衆の中に騒ぎ」を起こさせず、群衆の中に紛れ込んでなかなか掴めなかったイエスの居場所を突き留め、混乱を最小限に抑えた上で、密かにイエスを逮捕することができる。最高の提案でした。しかもユダの方から、「あの男をあなたたちに引きわたせば、幾ら貰えますか」と報償金の額の交渉まで持ちかけてきました。祭司長たちは、ユダの決意は固い、そう確信することができたはずです。

 

■選ばれたユダ

 とはいえ、十二人の弟子はほかならぬイエスさまご自身が選ばれた者たちです。ルカによる福音書によれば、徹夜の祈りをもって使徒となるべき十二人を選ばれたと記されています。選ばれたその一人による裏切りです。そのユダを選んだイエスさまの選び方に責任はなかったのでしょうか。

 さらにわたしたちを混乱させるのは、24節の発言です。ユダを弟子にしたイエスさまの口から、「生れなかった方が、その者のためによかった」という言葉が飛び出します。何とも悲しく、淋しい思いにさせられる言葉です。

 このとき、ユダは何を思い、何を考えていたのでしょうか。

 この過越の食事の席にユダがいたということは、彼もイエスさまを来るべきメシア救い主として心に迎えていたからでしょう。しかし、イエスさまと寝食を共にしながら、次第にある違和感を覚えるようになっていたのかもしれません。この時のユダの心の内を、中野京子が『名画と読むイエス・キリストの物語』の中に、こう描いています。

 「いくつもの鬱屈(うっくつ)がユダの中で重なったのは間違いない。使徒のうち、ただひとりガリラヤ出身ではない疎外感。教団の金庫番という立場の困難。イエスに愛されるマグダラのマリアやペテロやヨハネヘの嫉妬(しっと)。何よりイエスがユダの期待に応えようとしないこと―イエスは今の政治状況をドラスティックに変革する気はなく、弟子を増やして教団を大きくするつもりもなかった。エルサレムで鞭(むち)打たれ、十字架にかけられると予言し、その予言を自ら引き寄せようとするかのように神殿で暴れ、関係者を舌鋒(ぜっぽう)鋭く攻撃した。権力側へ喧嘩を売ったのだ。さらに悪いことに、売ったこの喧嘩によって、民衆の人気はいっそう高まり、その先の具体的な政治行動を期待させてしまった。イエスにその気が全くないとわかった時、人々の失望はどんな反動をもたらすだろう。ユダは自らに照らし、そのリアクションの大きさが想像できた。

 イエスに見切りをつけ、黙って教団を去る選択もユダにはできた。社会を現実的に変えようとする別の師を探すか、あるいはこれまでの経験をふまえ、自らの弟子を集めればいい。なのにそうはせず、裏切りの道を選んだのは、イエスへの歪(いびつ)な愛ゆえだったろうか?自分ひとりのものにできないくらいならいっそ、という捻(ね)じれた愛の形は、これまでもこれからも古今東西、延々と続けられる、哀れな人間の珍しくもない心の動きなのだから。

 それともユダは、イエスがほんものの救世主かどうかを確かめたかったのだろうか?いくつもの奇蹟を見てきてなおユダが信じきれていなかったことは、『最後の晩餐(ばんさん)』の場において明らかになる。イエスが裏切り者の存在を告げた時、驚いた皆が『主(=キリスト)よ、我なるか』と問うのに対し、ユダだけ『主』と呼ばず、『ラビ(=師)、我なるか』と言うからだ。思わず口をついて出た言葉だけに、日ごろの思いがあらわれている。しかし仮にそれが理由だったなら、どうしてユダはイエスの死を見届ける前に、首を吊って自殺してしまうのか、なぜ『死の三日後の復活』まで待たなかったのか。いずれにせよユダは行動を起こした」

 いかがでしょう。これまで、すべてを投げうってイエスさまについて来たユダにしてみれば、自分が裏切る前に、イエスさまに裏切られた、「心痛む」そんな思いが募り、期待が恨みに変わり、憎しみとなっていったのではないかとも想像できます。

 

■わたしたちの問題

 しかしそれは、ひとりユダだけではありませんでした。

 20節に「夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた」とあります。「イエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた」ユダを含む十二人が、この食卓に招かれました。その席でイエスさまは言われます、

 「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」

 イエスさまは何のためにこのようなことを言われたのでしょうか。裏切ろうとしているユダに「お前の計画は全てお見通しだぞ」と言って、思い止まらせるためでしょうか。そうではないでしょう。イエスさまのこの言葉を聞いたユダが思いとどまった形跡など、どこにも見当たりません。 Continue reading

10月16日 ≪聖霊降臨第20主日/秋の『家族』礼拝≫『わたしは神さまのもの』ローマの信徒への手紙14章1〜9節 沖村裕史 牧師

メッセージ

■受けいれる

 パウロは今、「信仰の弱い人を受けいれなさい」と語り始めます。

 彼は、同じ世界に生きる者でありながら、互いを受けいれ合うことができない、わたしたちの現実を見つめています。教会を初めて訪ねて来られる方たちが、教会の中に温かな人と人との交わりがあることを喜ばれ、そこから信仰へと目が開かれるといった経験をされることは決して少なくないでしょう。しかし逆に、そのことに疲れ、躓き、教会から遠ざかってしまうという経験をなさる方もおられます。パウロは、そんな人と人との関係の重さ、辛さ、悲しさから目をそらさず、「受けいれなさい」と語ります。

 この「受けいれる」には「ねぎらう」「もてなす」という意味もあり、「家族のように他人(ひと)を受けいれる」といったニュアンスを持つ言葉です。「まあいいや、あの人がここにいても仕方がない、いたいだけいさせてやろう」という受けいれ方ではなく、そこにその人がいることを喜び、もてなし、ねぎらう、そういう思いで自分とは考えや生き方の違う人をも受けいれなさいと勧めています。

 しかも、「その考えを批判してはなりません」と付け加えます。受けいれるのにも、いろいろな受けいれ方があります。「じゃあ、あの人にも残ってもらおうか。どうぞ、どうぞ」と言い、お茶をご馳走(ちそう)し、お菓子を食べさせておいて、「時に、あなたのその考えは問題だよね」などと批評するようなことをしてはならない。その人の考えが自分と違っているとしても、一方的に論評し、対決をして、その人の間違いを正してやろうなどという考えで、自分たちの交わりの中に受けいれるということがあってはいけない。そうパウロは言います。

 

■軽蔑

 そして続けて、より具体的で、日常的な生活の問題を通して、わたしたちに語りかけます。

 「食べる人は、食べない人を軽蔑してはならない」

 この世の中には、生き方が違い、考え方が違う人がいます。当然のことです。ところが、そうすると、どうしても自分と考えの違う人を「軽蔑し」「軽んじて」しまいます。「軽蔑する」「軽んずる」とは、相手を重く見ないということですが、もともとのギリシア語の意味は、ただ相手を重く見ないというだけではありません。それは、存在を認めないという、もっと強い「拒絶」を意味しています。そこにその人がいるのに、いないことにしてしまう、そんな意味の言葉です。

 謙虚に、心の内にある自分自身の姿を振り返ってみると、意識してか無意識かは別にして、自分の気にいらない人を、その人はいないことにするという形で解決をしてしまっていることに、ハタと気づかされることはないでしょうか。そして、そのような解決方法が、実は何の解決にもならないばかりか、自分自身のあり方をひどく歪(ゆが)めていることに、愕然(がくぜん)とされることはないでしょうか。わたしたちは、人と人との関係を生きるほかない存在です。ですから、相手の存在を心の中で打ち消そうとすることは、わたし自身の存在そのものをも否定しようとすることです。仮にそうせざるを得ないとすれば、それは、とても深刻で悲しいことです。

 にもかかわらず、その時々に、その人がそこにいることが邪魔になります。しかもここでは、食べる者が食べない者を軽んずるだけでなく、食べない者も食べる者を裁いています。「裁く」ということは、「軽んずる」よりももっとはっきりと意識して、相手の罪を問い、罪ある者として非難し、罰しようとする、頑(かたく)なな心です。

 

■裁く

 わたしたちは、互いを「拒絶」し、「断罪」し、疎外(そがい)し合うような、頑な心を、どのように克服することができるのでしょうか。4節、

 「他人の召使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか」

 裁くことは決してよくないとわたしたちも知っています。なぜいけないのか。相手の人権を重んじなければならない、自由を奪ってはならないと言われるかもしれません。けれども、あなたの裁いている人、その人は他人の召使い、他人の僕(しもべ)ですよ、という言い方をするでしょうか。「あなたが裁いているのは」あなたの家の者ですか、他人の家の者ではないのですか、あなたにその人を裁く権限があるのですか。

 この「他人」という言葉は、言うまでもなく、わたしたち以外の人のことです。わたしたちは、誰のものでもなく、主のもの、神様のものなのだ、とパウロは言います。人はすべて、主のもの、神様のもの―これが人間の尊厳(そんげん)の根拠です。人のいのちは神様から与えられ、イエス・キリストによってかけがえのないものとして贖(あがな)われたものです。それを人が裁いたり、軽んじたり、差別したり、支配したりすることは赦されません。「誰にも」赦されることではないのです。

 

■しかし立ちます

 ですから、主人である神様が引き立ててくれればその人は立つし、打ち倒されたらその人はもうどうしようもなくなる、そう言った後でパウロはすぐに、こう言います。

 「しかし、召し使いは立ちます」

 確かに、わたしたちは倒れることがあります。絶望の中に倒れ伏すほかなくなることがあります。それでも、倒れても、また立ちます。立つことができます。主が立たせてくださるからです。立たしてくださるのは、神様である主人のなさることです。主は、わたしたちを立たせてくださることができるのです。 Continue reading

10月9日 ≪聖霊降臨第19主日礼拝≫『たった一人のために』マタイによる福音書26章1〜13節 沖村裕史 牧師

■二日後と十日後

 「受難物語」と呼ばれる出来事が始まろうとしていたそのとき、イエスさまが弟子たちにこう語り始められます。2節、

 「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される」

 イエスさまは今、ご自身が二日後の過越祭のときに十字架につけられることになると、はっきり宣言されます。時を同じくして、イエスさまの十字架を巡る、祭司長たちや長老たちの計画もまた明らかにされます。

 「そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した」

 物語はいっきに佳境を迎えんばかりです。ところが、ここで計画が中断します。イエス殺害のための具体的な計画に着手し始めた所で、彼らはこの計画を一旦中止しようと言い始めます。5節、

 「民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう」

 マルコによる福音書が同じ場面の冒頭に「さて、過越祭と除酵祭の二日前になった」と記しているように、当時、過越祭に続いて除酵祭という祭りが行われていました。いずれもが、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を神様が解放してくださった大いなる救いの出来事を記念する祭りです。二つの祭りの期間を合わせて、おおよそ八日間にもなりました。

 祭司長や長老たちが心配していたのは、民衆の暴動でした。祭りの期間中、二百万人ほどの巡礼者が集まったと言われます。その民衆の前で、イエスを殺すのはやめて、できるだけ目立たない仕方で始末しよう。ひと通り祭りが終わって、巡礼者たちが帰って行った後、つまり二日プラス八日の十日後に、イエスさまを逮捕し殺そうと考えていた、ということです。

 イエスさまによれば二日後。祭司長や長老たちの計画では十日後。十字架の時期がズレています。人間が策を練りに練って、用意周到に準備した計画。それを十日後に実行に移そうとしていました。しかし彼らの思惑は外れ、祭りの最中―神様が、イエスさまが決めておられた二日後に、多くの民衆の前で、イエスさまは十字架につけられました。

 それは多くの人々が言うように、「人の企ては貫かれなかった。神の企てが貫かれた」と言うことなのかもしれません。イエスを亡きものにしようとする祭司長や長老たちは、イエスさまを十字架につけて、その思いを遂げました。しかし神は、彼らのその思いを用いて、しかもそれが過越の祭りの中で行われるように導くことによって、まことの過越の小羊であるイエスさまの死による救いを実現してくださったのでした。イスカリオテのユダをはじめとする弟子たちの裏切りもまた、すべての事柄を相働かせるようにして、神の御心が成就していきました。

 そして、この後6節から始まるエピソードもまた、二日後の十字架の出来事に結びついていく、ある名もなき女性のイエスさまへの奉仕の出来事が、ユダの裏切りを引き起こす伏線となったことを、マタイは伝えています。

 

■正論

 「さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。『なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに』」

 この弟子たちの言葉を、皆さんはどう思われたでしょうか。なるほど、それもそうだ、と頷(うなず)かれはしなかったでしょうか。

 表面的に見る限り確かに、彼女のふるまいは「気持はわかるけど、どうもちょっとね」という感じがしないでもありません。当事者というものは、一生懸命になりすぎるあまり、心にゆとりを失い、自分のしていることが他人の目にどう映っているかとか、それが相手にどういう結果をもたらすかということについてまで、考えの及ばぬことの方が多いものです。それにひきかえ、傍から見ていた弟子たちの目には、彼女のふるまいは、その動機は純粋であり、イエスさまヘの感謝に溢れているにしても、その表現の仕方はそれで良かったのだろうか、もっとふさわしい表現の仕方があったのではないか、それはイエスさまにとっても、意に沿わぬ有難迷惑なものではなかったのかと写り、様々な疑問が生じてきます。

 しかも、この出来事が起こったのは「重い皮膚病の人シモン」の家です。「重い皮膚病の人」と記されるその人は、隣人から差別され、嫌われ、まともに人として、仲間として扱われたことなどあり得ません。ところがその家で、イエスさまが一緒に食事をなさる。重い皮膚病の人と呼ばれていたシモンの生活はとても貧しいものであったことでしょう。それでも、イエスさまが食事をしてくださるというので、できるかぎりの支度(したく)をしたに違いありません。

 そこへ「一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り」とあります。売れば三百デナリオンにもなると値踏みされる価値であった、とマルコとヨハネは記しています。当時の一年間分の給料、今で言えば、何百万円もする最高級の香油です。食べ物に換えれば、皆が十二分に食べても余るほどです。

 それだけではありません。彼女はこのとき、その壷から数滴をイエスさまの頭に注いだというのではありません。マルコには「壊して」とあります。彼女は壷の中身を全部注いでしまったのです。残しておいて他のことにも使おうとは全く思っていません。

 すべてをイエスさまの頭に注ぎかけてしまったら、その価値はすべてゼロになります。しかも、それを「たった一人のために」使ってしまったのです。

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10月2日 ≪聖霊降臨第18主日礼拝≫『突然の相続に…』エフェソの信徒への手紙1章3〜14節 沖村裕史 牧師

■祝福

 エフェソの信徒へあてられたパウロの言葉はとても印象的です。

 特に心に残るのは、冒頭3節の「祝福」という言葉です。実は、最初と途中と最後に三度も繰り返される「たたえる」という言葉もまた、この「祝福」と同じギリシア語です。

 アメリカの神学者ウィリアム・ウィリモンの言葉に、はっとさせられました。「祝福」ということは、ただ美しい言葉であるというよりも、もっと具体的な事柄、もっと価値あるものを渡すことだ。祝福するとは、単なる言葉ではなく、自分の大事なものを相手に差し出すことだ、と言います。とすれば、神の祝福とは、最も良いものを受け取ること、神様の最も良いものをわたしたちがいただく、ということです。

 そして、今ここでパウロが語ろうとしていることこそ、わたしたちが祝福に相応しいかどうかとは関わりなく、神様がイエス・キリストにおいて、わたしたちを祝福してくださっているのだ、ということです。11節の「キリストにおいてわたしたちは、…前もって定められ、約束されたものの相続者とされました」というこの言葉が、その祝福の意味を端的にわたしたちに示し、教えてくれています。

 「相続者とされた」

 ある日突然、名前も知らない人の遺言によって、莫大な相続財産が転がり込んでくるとします。それも、わたしたちがそれを望んだというのではなく、わたしたちの預かり知らぬところで、ずっと前から約束されていたのだ、と言います。しかもその約束は、4節に「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して…お選びになりました」とあるように、わたしたちがそれに相応しいからではなく、ただわたしたちを造られた神様の愛ゆえだと言います。

 どういうことでしょう。

 

■望まれて

 中学生の頃、思いっきり親に反抗していました。「親だから、あなたのことが心配なのよ」と事あるごとにうるさく言う母に、「心配なんかしなきゃいい。そもそも、あんたに産んでくれ、親になってくれと頼んだわけでもない」と口汚い罵声を浴びせていました。今思えば、身が竦(すく)むほどの酷い言葉ですが、ただやり場のない感情を口走ってしまっただけの情けないその言葉が、まったくの偽りだとも言い切れません。

 確かに、誰ひとりとして、自分の意思で、自分の力で、この世に生まれてきた者はいないのです。また、死ぬときを知り、そのときを自分の自由に決めることのできる者もいません。生まれることも死ぬことも、わたしたちの自由にはならないこと、わたしたちにはどうしようもないことです。

 そのことを聖書は、生と死そのものであるわたしたちのいのちは、わたしたちを越える存在、神が与えられたものだと教えます。神様がいのちを与えられた、神様がわたしたちを造られたのだと語ります。

 そうです。あらゆるものは造られ、生まれてきました。虚空(こくう)から突然出現したものは何ひとつありません。星にも誕生があり、のら犬にも誕生日があります。目には見えない勇気や希望だって「生まれる」もので、無から沸き起こるわけではありません。すべてのものが、そのように「造られたもの」「生まれたもの」であり、生み出す源である造り主なる神を前提としています。

 生み出す側の「望み」がなければ、小さな虫―今朝、教会学校でお話をしたテントウムシ一匹でさえ、生まれてくるはずがないのですから、「生まれた」ということは、すなわち「望まれた」ということで、このわたしたちも例外ではありません。それも、単に親の望みのことではなくて、この世界のいちばん根源にあると言えるような望み、願いです。そしてそれだけが、あらゆるものの存在の根拠です。わたしたちの生きていることの意味、理由です。

 人がひとり生まれてくるためには、そのために必要なあらゆる要素が、その誕生をうながす悠久の磁場の中で寄せ集まり、奇跡のように組み合わされていかなければなりません。わたしの父がいなければ…、わたしの母がいなければ…、二人が出会うことなく、何よりも、出会った二人が愛し合わなければ…、わたしは、今ここに存在しません。

 どんなに小さなひとりでも、その誕生は、驚くほどの偶然の積み重ね、奇跡と言う外ない出来事によって―それを聖書は神の御心、神の愛と言いますが―、人は誰もが例外なく、天地創造の初めから用意されていて、ふさわしい瞬間に大きな祝福を受けて生まれるのです。

 

■選ばれて

 自ら望んで生まれてきた人はいません。しかし望まれずに生まれてきた人もいません。すべての人が、そのような愛の中に造られ、生れてきたということ―それが、わたしたちが神様の相続人として選ばれていることの、ただひとつの理由です。

 わたしたちに、相続人としての特別な資格があるのではありません。いのち与えられた、ただそれだけの理由で、神様はわたしたちを愛してくださるのです。わたしたちでさえ、自分が初めてつくった料理や、勇気を出して書いたラブレターや、心を込めて編んだセーターは、それがどれほど不出来なものだろうと、大切で、かけがえのないものであるはずです。ましてや、神様は愛のお方です。ご自分が造られたわたしたちを愛されないはずはありません。それだけが、わたしたちがいのち与えられ、愛され、神の相続人として選ばれ、神様の子どもとされている、ただひとつの根拠です。

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9月25日 ≪聖霊降臨第17主日礼拝≫『最も小さな者』マタイによる福音書25章31〜46節 沖村裕史 牧師

■そのときまで

 今日のたとえは、24章から始まった「終わりの時」についての一連の教えの締め括り、最後の教えです。その最後の教えをイエスさまはこう語り始めます。

 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く」

 ここには黙示文学と呼ばれる、当時のユダヤ人のものの考え方、世界観が示されています。それによれば、神の国、天国はこの世を遠く離れた上の方にあるのではなくて、上から下に、人の子といわれる救い主の到来によって、上から下に向かってやって来るのだ、と考えられていました。そのとき、人の子は父なる神の栄光に包まれ、天使を伴って到来し、この地上において審判を行い、この世がまったく違う新天新地、つまり神の国、天の国に変わるのだ、と考えられました。これがユダヤ的、黙示文学的なイメージです。天の国、天国は天から地に向かって、上から下に向かって来るのです。

 そこで「その栄光の座につく」とは、王になられるということであり、その王座が最後の審判を行う裁判官の座でもあります。裁きは、王が直々(じきじき)になされるのです。

 「そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く」

 羊と山羊は似ていますが、もちろん別の生き物です。羊と山羊はしばしば混在して飼われていましたが、羊飼いはこれらを選(よ)り分けることができます。同じように、最後の審判の時までは、天国に入るものとそうでないものとが混在しています。それが、再臨の主である王の前で、選り分けられます。最後の審判の審判という言葉は、選り分けるという意味の言葉です。天国に入るものとそうでないものとを、最後になって選り分けるということです。

 最後になってということは、それまでは選り分けないままで一緒にいるということです。13章24節以下の「毒麦のたとえ」と同じです。ある僕が良い麦を主人の畑に蒔いたのに、夜の間に敵がやって来て、毒麦を蒔きました。結果、畑の麦の間に毒麦が生えてきてしまいました。どうしましょう、毒麦を抜きましょうかと僕が主人に尋ねると、毒麦と一緒に良い麦までも抜いてしまいかねないから、そのままにしておきなさい。刈り入れのときに、まず毒麦を集めて火にくべ焼きなさい、と言われたとありました。この25章の「十人のおとめのたとえ」でも、賢いおとめと愚かなおとめとは分けられずに、一緒にいました。いよいよ花婿が到着して、つまり主の再臨にあたって、両者は分けられることになりました。

 審判は、最後になって初めてなされるということです。

 毒麦と良い麦とは非常によく似ているので、それをわたしたちが選り分けようとすれば、間違えてしまうでしょう。そのように、よかれと思って、わたしたちは何度も、神様の畑、天の国を荒らしてきました。わたしたちにできることは、選り分けずに大切に育てること、刈り入れの時に神様が選り分けられるまで、そのままにしておくことです。十人のおとめのたとえでも、だれが賢く、だれが愚かであるのかは、花婿が到着するまでは分かりません。そのときになって初めて、油が足りないことが分かるのです。

 選り分けること、裁きは神様がなさることであり、それは最後のその時になる前には行われませんし、ましてや人が行うことなどできません。そのときまで、わたしたちは、ただ備えて、誠実に日々を生きることだけが、求められているのです。

 

■忘れてしまうほどの

 では、最後の審判に備えて、誠実に日々を生きるとは、どのように生きることなのでしょうか。

 イエスさまはその審判の席で、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」、そのことが問われることになる、と言われます。「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」と、逆に「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったこと」とが最後の審判で問われる。イエスさまは、今、「この最も小さい者の一人に」、つまり一番価値のない者と思われている最も小さい者たち、その中のたった一人に対してしたことを、わたしは問う、と言われるのです。

 そこで問われる、具体的な業の一つひとつが、35節から36節に出てきます。食べること、飲むこと、見舞うこと等々、日常のごくありふれた業です。世界政治を左右したり、ノーベル賞の対象となるような学問的業績を上げたりするようなことではありません。「これらの最も小さい者」と呼ばれる人たちをできるだけ多く集めて、そうした人たちをサポートする事業をスタートさせ運営するとか、そうした働きに協力したかしなかったか、そうしたことが問われているのでもありません。本当に、ごくごく小さなことを問題にされています。

 そう思って、このたとえを繰り返し読んだとき、ハタと気づかされました。

 「人の子」である王が、右側に集めて祝福した人たちに向かって、「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」と語った時に、そう言われた当の本人たちは、「主よ、いつわたしたちは、そんなことをしたでしょうか」と答えています。

 そうです。それは、当の本人たちは身に覚えのない、忘れてしまうほどの小さな、ごく自然な振る舞いであり、行いなのです。ここには、聖書が繰り返し語り、繰り返し教える、「愛」という言葉すら使われていません。確かに、見知らぬ人に食事を出し、その時一緒に水を提供したかもしれないけれど、その見知らぬ人を愛していたかどうかと問われても、そのようなことは念頭になかったに違いありません。

 しかしイエスさまは、そうしたことをこそ、世の終わりの時に問題にされる、と言われるのです。

 

■釜ヶ崎で

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9月18日 ≪聖霊降臨第16主日/敬老祝福「家族」礼拝≫『かみさまにかんしゃ!』 『キリストの光を受けて』ヨハネによる福音書11章1〜16節 沖村裕史 牧師

 

お話し「かみさまにかんしゃ!」(こども・おとな)

 教会に、90歳を超える一人のおばあちゃんがいました。おばあちゃんは戦争でつらい経験をし、その戦争が終わってからも、死んでしまったお父さんとお母さんの代わりに、三人の幼い弟たちを育てるために、結婚もせず、必死になって働きました。それぞれに大きくなった三人の弟たちは、おばあちゃんの苦労をよく知っていたので、おばあちゃんのことをとても大切にする、仲の良い姉弟でした。

 一番上の弟は、病気のために目が見えなくなりましたが、いっしょうけんめい勉強して、目の不自由な人たちの学校の先生になって、おばあちゃんといっしょに暮していました。二番目の弟は、遠くの町で仕事について、結婚し、新しい家族と幸せに暮していました。三番目の弟も、遠く町で一人暮していました。黙ってまじめに仕事をする人でしたが、人とのつきあいが苦手な、少しガンコなところのある人でした。

 

 おばあちゃんが70歳を過ぎたころ、目の見えない一番上の弟は病気のために死んだため、それからずっとひとりで暮していました。そんなある日のこと、おばあちゃんの家に一本の電話がかかってきました。三番目の弟からの電話でした。

 「姉さん、二番目の兄さんが病気で倒れて、あぶないらしい」

 おばあちゃんは、遠くの町の病院に急いでかけつけました。90歳を超えていたおばあちゃんは、病院の中にお部屋を借りて、三番目の弟とふたりで看病をしました。でも、二番目の弟の病気はよくならず亡くなってしまいました。

 おばあちゃんと三番目の弟が悲しみに暮れ、お葬式の準備をしているそのとき、なんと、今度は三番目の弟が病気で倒れてしまいました。脳こうそくという、頭の中に血が出て、体が動かなくなり、いのちにもかかわる、とても危険な病気でした。

 おばあちゃんは、次々に続く看病に疲れ果て、体も心もへとへとになっていました。そのおばあちゃんから教会に電話がかかってきました。

 「先生、神さまはどうして、こんなにつらい目にあわせるの?一体、どうすればいいの?!」

 「神さまは決してあなたをお見捨てにはなりません。わたしにお手伝いできることがあれば何でも言ってください。いえ、お手伝いさせてください」

 遠くの町の病院のお医者さまと相談して、おばあちゃんが少しでも楽になるように、弟さんの病気が少し落ち着いたところで、おばあちゃんのお家の近くの病院に入院させることにしました。弟さんは体の右側が全く動かなくなっていました。わたしは車椅子を押して、おばあちゃんと弟さんを迎えに行き、三人で新幹線に乗って帰ってきました。

 おばあちゃんは毎日、お家から弟さんのいる病院へと出かけました。教会の人たちも見舞いに行きました。でも弟さんは、いつも機嫌が悪そうでした。あたりまえかもしれません。だって、突然病気になり、自分の体が思い通りに動かなくなったのです。しかも、もう70歳を過ぎたおじいちゃんです。この先どうすればいいのか、とても不安で辛い思いだったはずです。

 それでも、弟おじいちゃんはとてもがんばり屋さんで、自分で歩くことができるようになるための練習を休むことなく続け、ついに、杖をついて歩けるようにまでなりました。その頃には、ときに笑顔が見えるようになりました。

 

 さあ、これから、お姉さんおばあちゃんと弟おじいちゃんと、二人で仲良く暮していけるよう、いろいろな準備をしていこうと思っていた矢先のことでした。弟おじいちゃんがまた、頭の中に血が出て、倒れてしまいました。もう助からないかも知れない、死んでしまうかも知れない、という大手術を受けました。弟おじいちゃんのいのちは助かりました。奇跡でした。お姉さんおばあちゃんとわたしは、神さまにありがとうございますと祈りを捧げました。

 しかし、弟おじいちゃんは、目と右手の腕がほんすこし動くだけで、お話しすることもできず、口からご飯を食べることができず、胃に直接穴を開けてそこから栄養を入れる、ベッドの上に寝るだけの生活になってしまいました。

 おじいちゃんに会いに行くと、おじいちゃんはただじっと天井(てんじょう)を見つめていました。文字が書かれた板の文字を見つめることで何とかお話しをすることもできるのですが、ほとんど話もせず、天井を見つめるその眼はとても暗く、それは、おじいちゃんの心の中の暗(くら)闇(やみ)のようで、もうダメだ、生きていてもしようがない、そう言っているように思えました。

 それでも、お姉さんおばあちゃんとわたしは、おじいちゃんのところに通(かよ)い続けました。そして、さんびかを歌い、せいしょを読んで、神さまがいつもそばにいてくださる、神さまはわたしたちを愛してくださっている、神さまは決してわたしたちを見捨てたりなさらない、そう繰返しお話をしました。でも、おじいちゃんの目は、やはり天井をじっと見つめるばかりでした。

 それから半年が経(た)った、花の日、子どもの日のこと。10人ほどの、教会のこどもたちといっしょにおじいちゃんを訪ねることにしました。おじいちゃんが横になっている、ベッドの周りをこどもたちが囲み、たくさんのお花をおじいちゃんのそばに置いてさしあげ、みんなでお歌を歌いました。そして、みんなが口々に「おじいちゃん、元気でいてね」、そう言葉をかけました。

 すると、驚いたことが起こりました。何と、おじいちゃんの目から涙があふれ出したのです。涙でいっぱいになったおじいちゃんの目は、天井ではなく、こどもたちひとりひとりを見つめていました。わたしがそれまで見たこともないようなやさしい目で、おじいちゃんはこどもたちを見つめ、本当に嬉(うれ)しそうに、やさしく微笑(ほほえ)んでいました。 Continue reading

9月11日 ≪聖霊降臨第15主日/教会創立記念礼拝≫ 『与えられたもの』 マタイによる福音書25章14〜30節 沖村 裕史 牧師

説教

■与えられた

 いのち生きるときに抱える如何ともしがたい悩みのひとつは、わたしたちが自分で選んだのではない条件で生きていかなければならないことです。

 『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』という本をご存じでしょうか。13歳の一人の少年、それも重度の自閉症というしょうがいを負った東田直樹という少年によるものです。コミュニケーションを取ることなど到底不可能だと考えられていた自閉症児の心の内を初めて明らかにしたこの本は、世界28カ国30カ国語に翻訳され、自閉症の子どもを抱えて苦悩していた家庭や自閉症の専門家たちを始め、多くの人々に大きな驚きと希望をもたらしました。彼はこの本の序文に「僕たちの障害」と題して、こう記しています。

 「自分が障害を持っていることを、僕は小さい頃は分かりませんでした。どうして、自分が障害者だと気づいたのでしょう。それは、僕たちは普通と違う所があってそれが困る、とみんなが言ったからです。しかし、普通の人になることは、僕にはとても難しいことでした。

 僕は今でも、人と会話ができません。声を出して本を読んだり、歌ったりはできるのですか、人と話をしようとすると言葉が消えてしまうのです。必死の思いで、1~2単語は口に出せることもありますが、その言葉さえも、自分の思いとは逆の意味の場合も多いのです。また人に言われたことに対応できないし、精神的に不安定になると、すぐにその場所から走って逃げ出してしまうので、簡単な買い物さえも一人ではできません。

 なぜ、僕にはできないの…

 悔しくて悲しくて、どうしようもない毎日を送りながら、もし、みんなが僕と同じだったらどうだろう、と考えるようになりました。自閉症を個性と思ってもらえたら、僕たちは、今よりずっと気持ちが楽になるでしょう。みんなに迷惑をかけることもあるけれど、僕らも未来に向かって楽しく生きていきたいのです。

 僕は、会話はできませんが、幸いにも、訓練で、筆談というコミュケーション方法を手に入れました。そして、今ではパソコンで、原稿も書けるようになりました。でも、自閉症の子供の多くは、自分の気持ちを表現する手段を持たないのです。ですから、ご両親でさえも、自分のお子さんが、何を考えているのか全く分からないことも多いと聞いています。自閉症の人の心の中を僕なりに説明することで、少しでもみんなの助けになることができたら、僕は幸せです。…」

 「僕は幸せです」と語る彼と彼の家族を悩ませ、苦しめ続けた自閉症というしょうがいは、彼が選んだものでも、望んだものでもありません。ただ、「与えられた」としか言いようのないものです。それと同じように誰もが、この時代、この国、この家族のもとに、この顔と体、この性格と資質など、何某(なにがし)かの課題をもって生まれ、育ち、生きています。最初から、ある種の条件のもとに人生を歩み始めなければなりません。しかも、そうした条件がしばしば、「どうして…」「なぜ…」と思わず呟くほかない、わたしたちの悩み、苦しみの種となります。誰もが思い当たる悩み、苦しみです。

 そんな悩み、苦しみを抱えるわたしたちに、今日の「タラントンのたとえ」が大切な真理を教え示してくれます。

 

■それぞれの力に応じて

 ある人が旅に出かけるにあたって僕たちを呼び、一人には五タラントン、一人には二タラントン、一人には一タラントンを預けて旅に出たというところから、このたとえは始まります。

 タラントンというのは、ギリシアの重さの秤、通貨の単位で、一タラントンは六千デナリオン。一デナリオンは、当時の兵士の一人分の日当に相当すると言われます。現在の日当が八千円から一万円だとすれば、一タラントンは五千万円から六千万円ほどの、あまりに高額なので普通は使われなかったと言われるほどの単位です。二タラントンで一億から一億二千万円、五タラントンは二億五千万から三億円にもなります。確かに預けられた額に違いはあるものの、一番少ない一タラントンでも相当の額です。

 このことから分かることは、すべての人が神様からタラントンを与えられている、それも、多くの賜物を預けられ、だれもが期待され生かされている存在である、ということです。価値のない人生なんか一つもありません。一人ひとりが、実に価値ある、尊い存在なのです。

 哀しいかなそれでもなお、預けられたタラントンの違いが気になります。この違いはどこから出てくるのでしょう。15節に「それぞれの力に応じて」と書かれています。人間は決して公平、平等に同じようなものとして生きているのではない、五タラントン、二タラントン、一タラントンといった具合に全く違った能力を与えられ、それぞれに生きている、ということです。能力だけではなく、性格も、感性も、価値観も、環境も、一人ひとり全く違ったものとして、わたしたちは生きています。その違いは、わたしたちが思っているよりも遥かに大きく、深く、わたしたちはバラバラの状態で生きているかのようです。

 どうして、こうもバラバラなのでしょうか。それはバラバラに違ったものが、補い合い、認め合って生きていく、その調和し合う努力の中に、人間らしさが潜んでいるからです。みんなが全く同じなら、放っておいても調和するでしょう。そうではなくて、違ったものが思いやり合い、譲り合い、我慢し合い、理解し合って、組み合わさっていく、そういう調和の努力をするのが、人間だからです。みんなが金太郎飴のように同じ、死んだような平和ではなく、またみんなが単に違うだけの騒々しい分裂でもなく、互いに調和し合う努力をする。そこでこそ人間は、まさに人間になっていく。そう造られているからです。

 聖書は、この努力を「愛」と呼びます。W兄姉の結婚式の時にも申し上げましたが、「愛」は「好き嫌い」ではありません。好きには努力はいりません。しかし愛には努力が必要です。相手を思いやり、自分を反省し、互いのことを考えて我が儘を押さえる努力が求められます。だからこそ聖書では、愛は全て命令形で語られます。「互いに愛し合いなさい」「隣人を愛しなさい」「敵を愛しなさい」、全部命令形です。わたしたちが五タラントン、二タラントン、一タラントンと違うのは、愛をもってそれを乗り越えなさいと神が置かれた、わたしたちが人間になっていくための大切なハードルなのです。これを避けて、好きなことだけをしていると、人間は人間でなくなります。

 それだけではありません。そもそも、重さ10キロしか持つことのできない人が常時、50キロの荷物を抱えながら生きていかなければならなかったとしたら、これはとても辛い、シンドイことです。分不相応でしょうし、不幸です。イエスさまはここで、与えられているものの量によって評価などなさいません。むしろ「それぞれの力に応じて」タラントンの量が違っているのだ、と言われます。

 

■真実に生きる

 その上で19節以降、「さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた」場面へと移ります。五タラントンを預けられた人は五タラントンを儲け、二タラントンを預けられた人は二タラントンを儲けました。ところが、一タラントン預けられた人は地の中に隠しておき、結果、その僕は外に追い出されてしまいます。 Continue reading

9月4日 ≪聖霊降臨第14主日礼拝≫ 『イエスさまの涙は愛のしるし』 詩編42篇2〜12節 沖村 裕史 牧師

■魂を注ぎ出し

 詩編42篇7節、

 「わたしの神よ。

 わたしの魂はうなだれて、あなたを思い起こす。

 ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から」

 紀元前6世紀の前半。新バビロニア帝国によってエルサレムが神殿もろとも徹底的に破壊され、ユダ王国は滅びました。当時、エルサレムに暮らしていた多くの人々が、現在のイラク・バクダードの南方90キロあたりにあった主都バビロンにまで強制的に連れ去られ、半世紀―50年もの間、過酷な奴隷生活を余儀なくされました。この詩は、そのときに歌われた詩であろうと言われます。

 あるいは、かつてエルサレム神殿に仕える身であった人(5節)が、理由は分かりませんが、エルサレムから遠く北方のヨルダン川水源—ミザルの近く、現在も野生の鹿(1節)によく似たガゼルが生息するそんな場所に、追放されていたのではないか、とも言われます。

 いずれにせよ、詩人の心は今、ヘルモンの山から遥か南に望む、都エルサレムへの深い郷愁、哀愁に包まれています。聖書の巻末につけられている聖書地図3をご覧ください。ヘルモン山はキネレト湖、後のガリラヤ湖北岸の町ベトサイダからさらに北60キロあたりにある、標高2814メートルのレバノン山脈中の最高峰です。その頂(いただき)に積もる雪は春になれば溶け出して、北のガリラヤ湖からヨルダン川へと流れ込み、南の塩の湖―死海へと至ります。その湖から西に僅か30キロの所にエルサレムはあります。ヘルモンの頂に立てば、雄大なヨルダン渓谷を一望できると言われます。

 その美しく、雄大な自然の思い出がしかし、詩人の慰めとはならず、彼の魂を引き裂くほどの悲しみと寂しさへと追いやります。彼の願いはただひとつ。あのエルサレムへ戻り、神殿に立って、主なる神を礼拝すること、ただそれだけです。5節、

 「わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす

 喜び歌い感謝をささげる声の中を

 祭りに集う人の群れと共に進み

 神の家に入り、ひれ伏したことを。」

 彼はかつて、神の家―エルサレム神殿に住み、そこに集まって来る巡礼の人々と共に、礼拝を捧げ、喜びの声を上げ、感謝の歌をうたっていました。見るもの聞くものすべてが感謝であり、喜びでした。彼は、自らの魂を注ぎだすほどに激しく、そのことを願っています。

 

■お前の神はどこにいる

 ところが、8節、

 「あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて

 深淵は深淵に呼ばわり

 砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く。」

 ヨルダン川は、冬の雨によって急激に水嵩(みずかさ)を増します。その激流は川岸を削らんばかりとなります。自然の猛威におびえるように、詩人は襲いかかる不運に身を縮めます。なぜ、わたしはこれほどの苦難に襲われることになったのか。一体いつまで、わたしはこの異郷の地に捨て置かれるのか。砕け散る激流に飲み込まれ、翻弄され、いのちの危機に瀕しています。悲運は悲運を呼び、苦難は苦難を招き、世のあらゆる不幸が取り囲み、彼の魂を滅ぼそうとしているかのようです。

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8月28日 ≪聖霊降臨第13主日礼拝≫ 『きみのこと知ってるよ!』 ローマの信徒への手紙11章25〜36節 沖村 裕史 牧師

説教

■沈黙するとき

 口を閉ざすこと、沈黙とは、単に話すことをやめることではありません。沈黙は本来、積極的で根源的な行為です。

 人は黙ることをやめたとき、最も雄弁に語り出します。しかしそこで語られる内容の多くは、なんと空疎で、冗長なものであることでしょうか。大半は、愚痴か、文句か、弁解か、自慢か、ウソか、お愛想か、です。

 言葉が空しく響くのは、なぜでしょう。それは、語られる言葉が豊饒なる沈黙の世界に根ざしていないからです。人は、きちんと黙るということがなければ、きちんと語れないのです。どのように語ろうかと意気込む前に、わたしたちはまず、豊かに黙することをこそ大切にすべきです。

 沈黙を背後に持たない言葉は、人を傷つけ、争いを生みます。そのような言葉はどんなに重ねられても、人を癒すことはありません。どこまで語り合っても、理解し合えません。いつも孤独を生むのは、沈黙ではなく、言葉です。

 心に渦巻く言葉を鎮めて、沈黙するときこそ、本来の自分自身を見いだすときであり、初めて他者に、それも絶対的な他者に出会えるときです。迷ったとき、行き詰まったとき、最も苦しいときは、言葉でごまかさずに、まず沈黙することです。深く、静かに、ゆったり。その沈黙の中で初めて、わたしたちは神様と出会うことができ、そのとき初めて、神様の愛を知ることになります。

 

■秘められた計画

 今、パウロもまた、深く、静かに、ゆったりと、親しみを込めて「兄弟たち」と呼びかけ、「次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい」と語り始めます。「ぜひ知ってもらいたい」、どうしてもわきまえてほしい。そうパウロが語り、願っているのは、「秘められた計画」についてです。

 「秘められた計画」と訳されている言葉は、ギリシア語の「ミスチューリオン」。今日のミステリーという言葉の語源となるものですが、もともとは、「閉じる、閉ざす」という意味を持つ言葉です。では一体、何を閉ざすのか。「口を」です。「黙る」ということです。つまり、沈黙の中でこそ知りえることについて、です。

 パウロがここで語る「秘められた計画」とは、誰も聞いてはいけない、見てもいけない、資格のない者は触れてもいけないといった、「秘儀」を意味するものではありません。続く26節に「全イスラエルが救われるということです」とあるように、それは、イエス・キリストによる救いそのものを指し示す言葉です。救いについての知識、と言ってもよいかも知れません。

 だとすれば、黙っていなければいけないどころか、大いに語られるべきことです。喜びをもって、宣べ伝えずにはおれません。ひとりでも多くの人に聞いてほしい、知ってほしい、共にその喜びに触れてほしい、そう思えることです。

 「秘められた計画」とは、わたしたち人間には計り知ることなどできない、隠された神様のご計画、神様の御心のことです。「隠された」という意味で秘されたものですが、しかしそれは、すべての人を救うための神様の不思議な計らい、計画、御心のことを意味しています。

 パウロがここで語る「秘められた計画」とは、単に秘されるべきものとしての奥義のことではなく、神様の御前で、わたしたち人間の知識、知恵の言葉が沈黙せざるをえないような、わたしたちのどんな行いや知識や知恵も何の意味も持たず、誇ることなどできない、計り知れないほどの大いなる神様の愛としての奥義のことです。

 わたしたちには知ることなどできないけれども、神様はわたしたちのことを愛してくださり、だからこそ、よくよく知っていてくださるのだということです。このことは、とって大切なことです。

 

■知られている

 教会に夜遅く電話がかかってくると、ドキッとします。それでも、受話器を取るほかありません。深呼吸して、よしっと気合を入れて取ります。気合いを入れていますから、どんな内容の電話でも大抵はたじろぐことはありません。それでも一度だけ、どうしても腹の虫が収まらなかったことがあります。夜8時過ぎ、年のころ、二十代か三十代の女性が電話の向こうで、いきなりこう切り出しました。「沖村さん?投資の話なんかに興味あります?」

 腹が立ったのは、その女性が、わたしの名前や年齢などの情報を一方的に知っていることでした。知らない人にわたしのことが「知られている」という現実は、気味悪く、腹立たしい…と興奮冷めやらぬわたしでしたが、しばらくして落ち着いてくると、ハテ待てよ、わたしは知らないのに、相手はわたしを知っている、この状況がいつも腹立たしいというわけでもない、と思い直しました。

 例えば、海で遭難して助けを求めているとします。そこに救援のヘリコプターがやってきます。わたしはそれに気づき、叫びます。しかしその声に気づくことなく、ヘリが飛び去ってしまう。このとき、わたしは相手を知っています。けれども、わたしは相手に知られていません。これは絶望的な状況です。

 あるいは、倒壊した家屋の瓦礫の中で、身動きが取れない状況だったとしましょう。暗闇の中、周囲の状況すらまったくつかめません。しかし、GPS機能の付いた携帯がわたしの手にあって、だれかにわたしの所在が正確に知らされているとします。わたしは、「必ずだれかが助けにきてくれる」と信じ、不安と孤独の中にあっても、希望を持ち続けることができるはずです。

 わたしが一方的に知られているという状況。それが投資の勧誘電話であれば、不愉快このうえもありません。しかし自分が心細く迷っているときに、助けてくれるだれかがわたしを知ってくれているとなれば、「知られている」、そのことは、かけがえのない喜びと希望の根拠へと変わります。 Continue reading

8月21日 ≪聖霊降臨第12主日礼拝≫ 『涙のキッス』 ルカによる福音書7章36〜50節 井ノ森高詩 役員

 最近は録画したドラマや映画を2倍速、あるいは4倍速で手早く視聴する人が増えているそうです。限られた時間の中で手っ取り早くストーリーを把握するには便利な方法です。味気ないものだなと思いつつ、毎朝新聞を斜め読みする私と大して変わらないのかもしれません。しかし、世の中のニュースを素早く確認する新聞の斜め読みと、芸術作品である映画やドラマの倍速鑑賞はちょっと違うんじゃないの、と長年高校演劇に顧問として関わってきた私は言いたくなります。セリフがないときの役者の細かい演技や目線・表情、あるいはセリフとセリフの間の意味のある沈黙に込められた作り手の意図や狙いが、倍速鑑賞では味わってもらえません。

 聖書を斜め読みする人は多くはないかと思いますが、これまでに何度も読んだことのある個所は、「わかってる、わかってる」とついつい倍速鑑賞ならぬ倍速読みになってしまうことがあるかもしれません。今日はルカによる福音書7章の36節~50節を、慌てず焦らずじっくりと皆さんと読み直していきたいと思います。「罪深い女を赦す」という小見出しがつけられたこの個所とよく似た話がマタイ26章、マルコ14章、ヨハネ12章にも登場しますが、このルカによる福音書の7章とは別な話だということをご存知でしょうか。まず設定されている場所ですが、ルカの7章がガリラヤであるのに対し、他の3つの福音書ではいずれもベタニヤとなっています。登場人物も違います。ルカでは、ファリサイ派のシモンと一人の罪深い女、とありますが、マタイとマルコでは、らい病の人シモンと一人の女であり、ヨハネでは、ラザロとその姉妹マルタ・マリアです。他の3つの福音書では女性がイエス様の頭に油を注ぎますが、ルカでは頭ではなく足です。まとめるとこういうことになります。マタイ、マルコ、ヨハネがエルサレム近くのベタニヤにおいて十字架につけられる数日前のイエス様が頭に油を注がれ、その行為が埋葬の準備の暗示となっているのに対して、ルカは故郷のガリラヤ地方における宣教活動初期のエピソードを紹介しています。そして、足に塗られた油は罪深い女の悔い改めと愛の表現と捉えられています。
 
 余談ですが、ルカ7章のこの罪深い女の名前は一切語られていないにも関わらず、どういうわけか、マグダラのマリアで娼婦だったという誤解や思い込みがあるようです。直後の8章2節に「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」という記述があるせいかもしれません。マグダラのマリアはその後、イエス様が十字架で亡くなるのを遠くから見守った女性たちの一人として(マタイ27章)、またイエス様の復活を弟子たちに最初に知らせた婦人たちの一人として(ルカ24章)登場します。東方教会では聖人として扱われているようです。

 さて、ルカによる福音書7章の「罪深い女を赦す」に戻りましょう。私がもし、映画監督としてあるいは舞台の監督としてこの場面を演出するなら、ここにこだわりたいという個所を何点かご紹介したいと思います。
 まず38節です。女は「後ろから」「足元に近寄り」なんです。真正面から正対できるような立場にないという気持ちの表れでしょう、そして足もとに近づくためには、地を這うように頭を下げて少しずつゆっくりと移動したはずです。「泣きながら」の泣くはむせび泣く泣き方です。そのすすり泣く声、というか嗚咽はイエス様にも聞こえていたのではないでしょうか。彼女の頭部がようやくイエス様の足を覆ったかと思った次の瞬間、彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ち、イエスの足の汚れを落とします。今のように道路が舗装されていたわけでもなく、現代のような靴を履いていたわけでもない当時の人々の足は当然土や泥で汚れていたはずです。涙で濡れたイエス様の足、タオルがあれば、足の汚れと水分を拭き取るところですが、彼女はなんと自分の髪の毛で、その汚れと涙をぬぐい、しまいには足にキッスしてしまうのです。そして香油でイエスの足を塗るのです。舞台で演じられているのだとすると、客席から彼女の表情を伺うことは、最前列の席からでも非常に困難です。従って、この女性を演じる役者さんには、地を這うような動きに加えて、イエス様に対する恐れ、悔い改めと赦して欲しいという必死さ、そして赦される喜びや安心感を全身で表現してもらいます。彼女にはなんせセリフがないのです。動きで表現するしかありません。少し飛びますが48節でイエス様は「あなたの罪は赦された」と宣言されますが、37節の段階で彼女がゆっくりと背後から近づいてきていることを、そして自分の涙で足の汚れを洗うだけでなく、その汚れを髪の毛で拭うという行為に出ることを見抜いておられたのではないでしょうか。この時すでにイエス様は彼女の罪をその信仰が故に赦されていたのではないでしょうか。普通、誰かが背後から近づいてきて、足に触ったら、誰だって驚いて顔の表情や体の動きでその驚きを表します。しかしイエス様が驚くこともなく、咎めることもなく、なされるがまま足の汚れを洗わせてくれたのです。この時点で彼女が「赦し」を実感したかどうかはわかりません。彼女は48節の「あなたの罪は赦された」という言葉で初めてイエス様による赦しを知ったのかもしれませんが、イエス様は38節の時点ですでに赦しをお与えになっていたのではないかと思うのです。

 ところで、今日の説教タイトルが、サザンオールスターズのヒット曲「涙のキッス」と同じであることにお気づきの方もおられるかと思います。偶然ではなく、わざとこのタイトルにしました。言葉の遊びです。しかし、サザンの「涙のキッス」は、忘れられない恋心や別れた相手へ未練を切々と歌います。私も好きですよ。サザンの「涙のキッス」。カラオケで歌ったこともあります。今日はやめておきます。というのも、ルカによる福音書7章の女性の「涙のキッス」とは状況に意味もまるで違うからです。

 次に39節以降のシモンさんを見ていきましょう。注目すべきは、シモンは言った、ではなく、思った、なのです。シモンを演じる役者さんにお願いしたいのは、この「思い」を表情で表現してもらうことです。罪深い女の接近や涙のキッスに対し咎めることも何もしないイエス様を見て「いったい、この先生は何を考えているのか」という驚き、困惑、ひょっとしたら落胆、拒絶、軽蔑が入り混じったような複雑な表情が求められます。これはかなりの力量が必要です。シモン役の役者には更なる課題が待ち受けています。金貸しが借金を帳消しにする譬えを聞いているときのシモンの反応もこれまた難しい。41節、42節の例え話を聞きて、イエス様からの問に「額の多いほうだと思います」と答える時、そして「そのとおりだ」と言われたとき、更に44節~47節のイエス様の言葉を聞くとき、シモン役に求められる、演じて欲しい気持ちは何でしょうか。驚きや困惑に加え、納得する気持ちや怒りもそこに同居するような複雑な思いを表す必要があります。

 イエス様を演じる役者さんは一番気の毒です。冷静さ、と言っても冷たさを感じさせない冷静さと安心感、すべての人に対する優しい眼差し、わかっていても罪に飲み込まれていく人類に対する悲しみ、そして赦しの心の広さ大きさを演じ切らなくてはいけません。44節から47節のシモンに向けられた言葉は字面を追うと厳しいものですが、語る役者は厳しさの中に温かさを感じさせなければなりません。古い映画ですが「ベンハー」をご存知の方は多いですよね。チャールトン・ヘストン主演の歴史巨編です。映画の中で何度かイエス様が登場する場面がありましたが、いずれも後ろ姿だけとか、足だけとか、顔は映りませんでした。イエス様の表情を映像化する難しさを製作者も監督も十分にわかっていたのではないかと思います。

 今日のお話の内容について、沖村先生とは何も打ち合わせをしていませんが、準備の過程で、先週14日の沖村先生の説教と、そして来週28日の信徒研修会と何らかの繋がりがあるように思えてきました。

 先週の説教は「扉は開いている」でした。もう一度37節に戻ってみましょう。シモンが軽蔑するこの女性は何故、するすると食事の部屋に入り、そして賓客であるイエス様の背後から接近することができたのでしょうか。現代のセキュリティから考えると大変不思議です。この家の家族は誰も彼女が家に入るのを止めなかったのです。その場にいたであろう弟子たちも、彼女のイエス様への背後からの接近を阻止しなかったのです。警護対象の背後の警備が重要であることは先月の事件でも注目を集めました。しかし、ここで聖書が言わんとしているのは、セキュリティの問題ではありません。悔い改めて罪の赦しを求めるひとをイエス様は拒まないということです。イエス様への扉は、救いへの扉は開いているよ、どうぞお入りなさい、というメッセージがこの37節から読み取れます。それから、彼女が涙でイエス様の足を濡らし、髪でぬぐって足にキッスをした時点でイエス様は彼女の罪を赦していたのでは、と先ほど申しましたが、これは洗礼の一つの型なのではないでしょうか。もし仮に彼女が世間で思われているようにマグダラのマリアだったとして、マリアがその後ずっとイエス様にその死や復活、昇天にいたるまで従って生きていったとするなら、この出会いは彼女の人生な大転換点であったわけです。福音書には、洗礼者ヨハネからイエス様自身が洗礼を受ける場面(マタイ3章)はあっても、弟子たちが洗礼を受けるという場面はありません。

 私事ですが、私の父は、1985年、私とほぼ同時期に教会に通い始めました。私は大学3年、東京で、父は58歳、当時平松牧師がいらした直方教会に田川から通いました。洗礼を受けることなく63歳で急死しました。洗礼は受けないままでした。しかし、亡くなる数か月前に東京在住のドイツ人宣教師ベックさんの家庭集会で「イエスキリストを救い主として受け入れます」と話していたらしいのです。父が亡くなった翌年、東京吉祥寺から家庭集会のために再び北九州にいらしたベック先生から直接その時の様子を聞いた私にとって、父はキリスト者です。大園先生にお願いしてキリスト教式の葬式でクリスチャンとして天国に見送ったことを今も正しい選択だったと思っています。来週の信徒研修会は洗礼について、洗礼式のあり方について改めて学ぶ予定です。私のこの解釈とどうつながるかは全くわかりませんが、ルカ7章の罪深い女は、現代の教会で行われる洗礼を受けていなくても、私はこの時点で洗礼を受けたキリスト者としての人生を歩み始めたのではないかと思えます。

 さて演出者などと偉そうなことを言って、演じる役者さんにあれやこれや注文をつけるという話をしてきましたが、もし私自身がこの7章の中の誰を演じるなら、と最後に考えてみました。答えは簡単です、ある時はシモンであり、ある時は49節の同席者たちの中の一人であり、またある時は罪深い女です。

 いや、ひょっとしたらいつも同時にこの3つの立場を持ちながら人生を歩んでいるのかもしれません。決まりを守らない、あのだらしない奴はけしからん、という言葉を発し、その非難を行動で表したかと思えば、あぁまたやっちゃった、と恐る恐る反省し、神様に赦しを請い、でも時には開き直って、そうは言ってもやってられんわ、と悪態をつき、の繰り返しです。出来ることならば、このルカ7章の女性のもっている謙虚さ、畏敬の念、そして何度でも赦してくださる神様に対する愛情を表現できる信仰生活を、イエス様の足の指先に涙のキッスをする信仰生活を送り続けたいものです。お祈りします。

8月7日 ≪聖霊降臨第10主日/平和聖日「家族」礼拝≫ 『共に苦しみ、共に喜ぶ』 ローマの信徒への手紙8章18〜25節 沖村裕史 牧師

≪説教≫(おとな向け)

■違和感

 ウクライナへのロシア軍の侵攻が始まって2か月が経った4月下旬、こんな報道が耳に飛び込んできました。「ロシアは侵攻以降、占領地域および親ロシア派支配地域の人々をロシアに強制移住させている。ウクライナ当局によると、その数は最大で50万人にのぼる」。これを聞いたとき、9年前の終戦記念日8月15日に、テレビ「奇跡体験!アンビリバボー」で放映された「収容所から来た遺書」というタイトルの番組のことを思い出しました。

 第二次世界大戦が終局を迎えようかという1945年、山本幡男(はたお)は一家で日本を離れ、中国東北区―満州にいました。終戦間近のこと、彼は兵舎にまで面会にやって来た妻モジミにそっと耳打ちをします。「日本は戦争に負けるだろう。子どもを連れ日本に帰るように」。そして「これからの時代、教育が子どもたちの一生の財産になる」と、こどもたちの教育を妻に託して戦地へと向っていきました。

 それから2か月後、日本は敗戦。妻は、夫と連絡がとれないまま、4人の子どもを抱えて何とか帰国を果たし、女手一つでなりふり構わず働きました。

 終戦から7年、安否のわからなかった夫から便りが届きます。そのハガキは、当時のソ連から送られてきたものでした。満州にいた多くの日本人兵士たちは、終戦後、ソ連の捕虜となり、収容所で強制労働を強いられていました。それでも妻は、元気そうな夫の言葉に胸をなで下ろしました。

 ところが、それから3年後のこと。夫が遠いシベリアの地で亡くなったという知らせが届きます。亡くなったシベリア抑留者は現地で埋められ、遺書や遺品も没収されるケースがほとんどでした。何も分からないまま、紙切れ一枚で知らされた夫の死。悲しみの中にうずくまるほかありませんでした。

 それからさらに1年半が経ったある日、突然、夫とシベリアで一緒だったという男が訪ねてきました。見知らぬ男が持って来たのは、亡くなった夫・山本幡男の遺書だと言います。内容は確かに、夫が書いたものに間違いなさそうでした。がしかし、妻にとってその遺書はあまりに違和感のあるものでした。その筆跡が夫の字とは明らかに異なっていたからです。

 

■句会

 ハバロフスクに『ラーゲリ』と呼ばれる強制収容所が立ち並んでいました。冬には雪が吹きつけ、気温がマイナス30度にも及ぶ極寒の地での、1日10時間を超える重労働。しかも、朝夕の食事はわずかなお粥と粗末な黒パンが一切れ支給されるだけ。そんな地獄のような生活を、およそ60万人もの日本人が強いられていました。抑留期間中の死亡者数は6万人を超えると言われていますが、その内の80%の人が1945年から1946年にかけての最初の二年の間に亡くなっています。

 終戦から4年後、ソ連政府は「捕虜全員の帰国を完了した」と公式に発表しましたが、ハバロフスクの収容所には、まだ多くの日本人が残されていました。「ソ連に忠誠を誓えば、帰国できる」、そんな根も葉もないウワサも流れ、日本人同士の密告、裏切りも日常茶飯事。彼らの脳裏には『絶望』の二文字以外、何もありませんでした。

 野島信介も、そんな地獄に送られた一人でした。彼はハバロフスクに移送された直後、知り合いの折田から手製の本を渡されます。著者は、山本北瞑子。収容所内では、日本語のメモ書きを持っているだけで重大なスパイ行為とみなされ、独房に監禁され、いのちを落とす人も少なくありません。そんな中、手製の本を発行することなど、自殺行為に思われました。野島は恐怖心から本を読むことができませんでした。

 ある夜、野島は山本に声をかけられます。山本北瞑子とは、山本幡男のペンネームでした。山本は野島を俳句の句会に誘います。野島は、なぜそんな危険なことをしているのか、と山本に尋ねます。山本の答えは「みんなでダモイ(帰国)した時、日本語を忘れてたら、かっこ悪いでしょ」というものでした。帰国できると本気で思っているのか、野島は驚き、あきれました。

 数日後、野島が句会の様子をのぞき見ると、そこには、見たこともないような光景がありました。山本を中心に、集まった面々が仲良く笑い合っているのです。当然見つかれば、ただでは済みません。山本は、なぜ危険を冒してまで句会を開くのか。なぜ、あんなに嬉しそうにできるのか。野島は山本の本を読んでみることにしました。その本には、「故郷への想い」が切々と綴られていました。終わりの見えない、過酷な収容所生活の中で、野島は空を見上げることなど一度もありませんでした。ただ絶望していたのです。山本の本を読んで、初めて空を見上げる気持ちになりました。

 山本の本を渡してくれた折田は、希望を持つことが大切なのだ、と野島に言います。訝しがる野島に折田は、「まあ、そのうちわかりますよ、あの人に毎日、ダモイ、ダモイって耳元で言われたら…」と呟きます。地獄を見て来た野島は、それでもまだ、山本の言う夢のような話を信じる気にはなれませんでした。

 

■遺書

 そんなある日、彼らの運命を変える出来事が起こります。1953年3月、ソ連の最高指導者スターリンが死去。国家体制がにわかに大きく変化し始めました。それから3か月後、戦犯として収容されていた長期抑留者が日本に送還されることになりました。ところが、帰国が許された者は全体のおよそ半数にしか過ぎません。それでも、山本は希望を捨てず、残ったメンバーを励まし続けました。

 しかしこの時、山本の身体に異変が起きていました。当初、中耳炎かと思われた病状がどんどん悪化。検査の結果、末期の咽頭癌だと判明します。すでに手遅れでした。

 このままでは、大切な家族に何も伝えられないまま、山本は死んでしまう。句会のメンバーは、山本に遺書を書いてもらおうと決意。「万一の時のため、ご家族に伝えたいことがあれば、書いてください」と一冊のノートを渡します。そのとき、山本は何も答えませんでした。翌朝、彼が仲間たちに返したノートには、気力を振り絞って綴られた家族に向けた切々たる思いが、15ページにもわたって記されていました。遺書を書いてからわずか2週間後、山本は45歳という若さで、この世を去りました。

 句会のメンバーたちは、「山本の思いを必ず日本に届けよう」と決意します。しかし、収容所内では頻繁に抜き打ち検査が行われ、遺書の安全な隠し場所などどこにもありません。その時のことです。あの野島が、みんなで分担して全て記憶しようと提案。そして自分もまたそれに参加したいと申し出ます。

 それぞれが、山本の4つに分かれた15ページにもわたる遺書を書き写し、自分が担当した部分を一言一句、全て暗記する。それは危険な賭けでした。もし、遺書の写しが発見されたが最後、スパイ行為を働いたとして、一生帰国できなくなる恐れがあったからです。それでも、彼らは信頼できる人間に秘密を打ち明け、作戦への協力を頼みます。全ては、絶対に遺書を日本に届けなければならない、という思いからでした。半年が過ぎ、1年が過ぎました。いのちがけの闘いでした。すでにシベリアに連行されて10年あまりが経っていました。 Continue reading

7月31日 ≪聖霊降臨第9主日礼拝≫ 『目を覚まして、待っていなさい』 マタイによる福音書24章36〜51節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■未来と将来

 京都学派の一人であり、信濃町教会の教会員であった宗教哲学者、波多野精一の『全集』の中に『時と永遠』という一文があります。愛する妻を亡くした悲しみの中に書かれたものだと言われています。

 その中で、波多野は「未来」と「将来」に触れ、その二つが決して同じではない、と語ります。「未来」とは、その字のごとく「未だ来ていない時」であって、時が過去から現在を経て未来へと至る、一方向への流れとしての時間がイメージされている、と言います。当然、未来はいつでも、時がこちらから向こうへと、今の自分から遠ざかるように流れ去っていく、その先にあるものです。それに対して「将来」とは、文字通り「将(まさ)に来たらんとする時」のことであって、時の流れは、未来とは正反対にあちらからこちらへ向かって流れてきます。将来はあちらからわたしたちの現在に向かって到来する、もたらされる時です。

 わたしたちは今、「小黙示録」と言われる、世の終わり、最後の審判の時、キリスト再臨の時をめぐる24章の言葉をご一緒に味わっていますが、実は、ここに語られている一連のイエスさまの言葉は、波多野の言葉を借りれば、自分とは何のかかわりなく流れ去っていく「未来」のことではなくて、今のわたしたちのところに向って到来する「将来」のこととして語られています。

 シリア地方の教会で何がしかの責任を担っていたマタイは、この教会のために何をなすべきか、この教会に何を語るべきかと案じつつ、23章まで書き進んできたに違いありません。24章を前に、マルコによる福音書と手元にあった様々な資料を前にして、マタイはこう考えていたかもしれません。

 「人の子」の到来としての終末のことを書かなければならないだろう。どのように書くべきか。イエスさまの十字架と復活の後、すぐにやって来ると思っていた「終末」の時は、明らかに遅れている。そのため、教会の人々から緊張感は薄れ、みんな自分勝手に生きているようにさえ見える。どうしても終末のことは伝えておかなければならない。でも、終末の到来を強調するだけでは、教会の人々の心には響かないだろう。そうだ、いつの日か分からない終末の時を語りながら、しかしそれを待ち望むこと、それにふさわしい信仰者としての生き方についてこそ書き記そう。事実、それこそがイエスさまの言われていたことではなかったか、と。

 

■日々の生活の中で

 直前35節、イエスさまははっきりと「天地は滅びる」と言われました。「天地」の中に、被造物のすべてが含まれます。わたしたちも、です。でもこのことが、自分たちが滅びる、死ぬということを受け止めることがなかなかできません。

 そこで、イエスさまは創世記のノアの出来事について語られます。ノアは隠れて箱舟を作ったのではありません。洪水が起こると声を大にして人々に訴え、森のど真ん中、人々の目の前で箱舟作りに精を出しました。しかし、人々は聞いても聞かず、見ても見ませんでした。ノアと人々との違いはどこにあったのでしょうか。神の言葉に対する姿勢の違いにあったのだと言う外ありません。神の言葉、それが警告であれ、約束であれ、そうした神が語られた言葉を額面通り受けるのか、それとも割り引いて聞こうとするのか、そうした神の言葉への姿勢に違いがあったのでしょう。

 しかしイエスさまは今、そのことを責めておられるのではありません。ましてや「食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしている」ことがいけないと脅しておられるのでもありません。そうではなく、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである」と言われます。その日、その時は、父だけがご存じで、それ以外の者は、たとえ天使であっても、また子であるわたしであっても知らない、ただあなたがたの「父なる神」だけが、と言われます。

 思い出してください。「祈ることを教えてください」と求める弟子たちに、イエスさまは「天におられるわたしたちの父よ」と祈るように教えてくださいました。神を「父」と呼ぶことなど普通はあり得ないことでした。しかしイエスさまは、神を「父」と呼ぶように教えられました。しかも、実際に使われたその言葉は「アッバ」という、とっても砕けた呼び方でした。「お父さん/お父ちゃん」です。イエスさまは、そのアッバ父に、「日ごとの糧を今日、与えてください」と祈るよう教えられました。わたしの分だけ、あるいはわたしの家族だけの糧ではありません。わたしたちすべての者に「日ごとの糧」をお与えください、です。

 そうです。「食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしている」ことがいけないどころか、飲み食いする物を求めるようにと教えておられるのが、他ならぬイエスさまご自身なのです。ですから、飲み食いに意味がないと言われているはずはありません。飲み食いはとても大切です。めとること、嫁ぐことも大事です。ただ、その大切な日々の生活の中でも、いえ、その日々の生活の中でこそ、終わりの日が来ること、またわたしたち自身に、土は土に、塵は塵に帰る時が来ることを忘れないように、と教えておられるのです。

 

■ちょっとそこまで

 終末は、確かにいつ来るか分からない将来のことですが、と同時に、今のわたしたちの生活の只中にもたらされるものです。そのことをルカはこう言い換えます。

 「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(17:21)

 では、わたしたちの生活の只中にもたらされる神の国、終末とは終末とは何でしょうか。

 それは、人の死であるかも知れません。また、一日の終りの時であり、別れの時、終了の時、喪失の時かも知れません。はたまた、木々が葉を落とす時、一粒の麦が地に落ちる時、鮭が川に上りその一生を終える時も、わたしたちが目にする終末の時と言えるかも知れません。それら小さな「終末」のすべてが、誰もその日その時を知らない、あの大きな終末、人の子が到来する終末を指し示しているのではないでしょうか。

 わたしたちは終末を生きているのです。イエスさまは、大きな終末の日がいつ来るかについて、エホバの証人や旧統一教会のように、あたかもそれを知っているかのようにふるまい、人々を惑わすのではなく、今ここを、終末に備えてどう生きるのかを、わたしたちに問いかけ、教えておられるのです。

 ヨハネによる福音書16章12節から24節の言葉が思い出されます。

 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくするとわたしを見るようになる」 Continue reading

7月17日 ≪聖霊降臨第7主日礼拝≫ 『滅びないもの』 マタイによる福音書24章32〜35節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■いちじくの木から

 「いちじくの木から教えを学びなさい」

 「教え」という言葉は、「譬え」と訳すべき言葉です。ただ、これが何を譬えているのかはっきりとしないので、新共同訳聖書はこれを「教え」と意訳しています。「いちじくの木から譬えを学びなさい」。いちじくの木を譬えとして、そこから学びなさい。「終わりの時」について語り続ける中、イエスさまが今、改めてそう語り始められます。

 いちじくの木は、当時のパレスチナではごくありふれた、どこにでもある木でした。その意味で申し上げれば、ルカによる福音書に「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい」(21:29)とあるように、わたしたちの身近にある木を、例えば、桜の木を思い浮かべてもよいのかも知れません。

 考えてみれば、桜というのはとても面白い木です。花が咲いている時、花見の頃には、葉は一枚もありません。緑が全くない枝に、あの淡い桃色の花が一面に咲き誇ります。そしてその花が散ると、瞬く間に緑の葉が茂り、いわゆる葉桜になります。その葉が秋になると散り、冬場は枝だけの冬枯れの姿になります。そのように木の様が劇的に変わっていくことに、わたしたちは四季折々の風情を感じます。

 イエスさまもここで、いちじくの木の様子が季節によって変わっていく様を思い浮かべておられるのでしょう。それを譬えとして学びなさいとは、移り変わっていくその木の姿から、今がどのような時なのかを知れ、ということでしょう。32節の続き、

 「枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近いことが分かる」

 この「枝」は、「若芽」とも「冬芽」とも訳すことのできる言葉です。直前19節から20節に、「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい」とありました。

 時は冬です。苦しみがその冬に起こらないように祈りなさい、とイエスさまは言われます。ユダヤの冬は雨の季節です。冷たい雨が降れば、心細く、勇気も失せます。そんな寒い雨の季節にこそ、わたしたちは春を待ち、夏を待ち望みます。ユダヤの春はとても短く、ある書物によれば、春はたったひと晩、一夜が過ぎると、もう春ではなく夏になっているほどに春は短い、と書いてあります。

 あっという間に春を通り越して、夏が近づいたことがわかる。冬の到来に備えて若い芽が吹き出て、緑の葉が幹を隠すように茂ると、夏の到来が、いちじくの木が実る時の近いことが分かる。桜にあてはめれば、葉桜を見れば、もうじき夏が来ることが分かるのだ、ということです。

 

■終わりの時は「今」

 だから、いちじくの葉から夏の接近を知るように、「これらすべてのこと」を見たら、「人の子が戸口に近づいている」ことを悟りなさい、と言われます。

 「これらすべてのことが起こるのを見たら」の「これらすべてのこと」とは何でしょうか。直前5節以下に記されていたことです。戦争やそのうわさ、民と民、国と国の敵対、地震や飢饉などの天変地異、また信仰のゆえの迫害、あるいは偽の救い主の出現といった、様々な苦しみのことです。人の子がもう一度来られる前には、そのような苦しみが起る。それが次第に頂点に達していき、天地創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が襲って来る。そのことです。

 しかし、ここで注意しなければなりません。「これらのことが起こるのを見たら」とは、「将来」そのような苦難が襲って来たら、ということではありません。この福音書が書かれ、読まれた当時の教会の信徒たちはすでに、これらの苦しみの中にいました。「これらすべてのこと」が、彼らにとって将来のことではなく、「今」直面し体験していることでした。そしてわたしたちもまた、彼らとは違った仕方で、やはり「今」直面し、体験していることです。ウクライナを始め、戦争やそのうわさは今も絶えることがありません。民は民に、国は国に敵対するような事態もまた、わたしたちの周囲に多々起こっています。大きな地震や津波によって、ある日突然、すべてを失うということも起こっていますし、「同調圧力」や「忖度」や「炎上」など、自由にものを言うことが憚られるようなムードが強くなっています。香港やミャンマーでは現実、多くの市民が自由を奪われ、迫害を受けています。

 「終わりの時」、「人の子が戸口に近づいている」ことを悟るべき時は、いつかではなく、「今」なのです。教会の歴史の中には、旧統一協会やモルモン教のように、何年何月何日にこの世が終わると言う人が繰り返し現れました。しかし初代教会以来、わたしたちはいつも、「人の子が戸口に近づいている」ことを、つまりこの世の終わりが、神の国―神による救いの完成が、すでに始まっていることを意識しながら歩んできました。

 「人の子が戸口に近づいている」という言葉は、その戸口に立っているイエスさまご自身を指し示す言葉です。イエスさまが再び、扉を開いて入って来られたなら、地上に恐るべき破滅がもたらされ、もはや人の力では如何ともしがたい、まるで闇の中にいるようなわたしたちの現実に、この世界に、パッと光が差し込むようにして、神の救いが満ち溢れるのです。夏を迎えたいちじくの木が実を豊かに稔らせるように、です。そのときに備えて、「今」を生きなさい、イエスさまはそう教えられます。

 

■今日、リンゴの木の苗を植える

 では、どのように生きることが、世の終りに備えて生きることになるのか。マルティン・ルターが語ったとされる印象的な言葉があります。

 「たとえ明日この世が終わるとしても、わたしは今日、リンゴの木の苗を植える」

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7月3日 ≪聖霊降臨第5主日礼拝≫ 『あなたを選んでくださる』 マタイによる福音書24章15〜31節 沖村裕史 牧師

■今なお終わりのとき

 「世の終わり」と聞く時、誰もが知りたくなるのは、「それは一体、いつ来るのか」ということでしょう。弟子たちもそうでした。この質問に、イエスさまは様々な徴について語られました。戦争の騒ぎやその噂、飢饉や地震などの自然災害。教会への迫害、教会内部での争い。今朝の箇所の、大きな苦難や偽メシア/偽預言者の出現などです。ただ、最終的には弟子たちの質問に対してイエスさまは「知らない」と答えておられます。「その日、その時は、だれも知らない。…ただ、父だけがご存じである」(36節)と言われます。

 確かに、イエスさまがいつ戻って来られるのか分かりません。分からなくて当然。それは神様の領域に属することだからです。それでも確かなことは、そのときにこそイエスさまが再び来てくださる、そしてイエスさまをお送りくださるお方は慈しみ深い父なる神だ、ということです。だから信頼して、「目を覚ましていなさい」とイエスさまは諭されます。

 そして21世紀に生きるわたしたちも、今なお「世の終わり/終末」に生きています。終わりの苦しみを今、当時の教会の人々とは別の形で体験しています。戦争の騒ぎや戦争のうわさは、今ひときわ高まっています。集団的自衛権の行使容認が閣議決定されました。戦後の日本が日本国憲法の下で歩んできた基本的な姿勢が大きく変更され、いつ戦争に巻き込まれてもおかしくないという不安を多くの人々が抱いています。「民は民に、国は国に敵対」することも、ウクライナを始めとする世界各地で起り、核兵器使用のリスクはむしろ増大し、この国も周囲の諸国との間にそういう難しい問題をかかえています。大地震が起り、聖書の時代の人々が知らなかった原発事故による放射能被害に今も苦しんでいます。食糧の問題も、飢饉やコロナウィルスさえもが外交的な駆け引きの手段となるような時代になりました。また、信仰ゆえにあからさまに迫害を受けるということはありませんが、政治家が、批判的な報道機関は経済的に締め上げをすればよいとか、「平和憲法を守ろう」と叫ぶ青年を「利己的だ」と批判するなど、次第に自由にものが言えない社会になってきていると感じます。この福音書が書かれた時代に教会の人々が感じていた苦しみは、いつの時代にもあり、今のわたしたちにもあるのです。

 それら苦しみはしかし、世の終わりが、何よりも神の国の到来が今、もうすでに始まっていることの徴です。世の終わり、神の国の完成がいつなのかは誰も知ることができません。だから、これらの苦しみが襲って来た時に「もうこの世も終わりだ」と慌てふためいてはならない、むしろ「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」とイエスさまは教えられました。それは、イエス・キリストの愛の御手の中で、わたしたちも耐えて、しっかりと立ち続けて生きることができる、希望に向かって生きることができるのだ、という「幸い」の宣言でした。

 

■逃げなさい

 そんな幸いを宣言されたイエスさまが、今ここで、世の終わりに「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つ」ことによって、「世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来る」その時には、16節、「逃げなさい」と教えられます。

 わたしたちはこれまでずっと、「逃げてはだめだ」、「逃げたらアカン」と教えられ、育てられてきました。ところが、イエスさまは今、「逃げなさい」と言われます。17節、18節でも、家に何かを取りに戻ることなく、一目散に逃げなさいと教えられています。19節、20節には、そのように急いで必死に逃げていく時に、身重の女性や乳飲み子を持つ女性は不幸だ、そのことが寒さ厳しい冬に起るなら、ますます大きな苦しみとなるだろう、と言われます。

 雪降る3月11日、恐ろしい大津波に襲われた東日本大震災では、まさにこの通りのことが起りました。それに加えて、目に見えない放射能からも逃げなければならず、身重の女性や乳飲み子を持つ女性たちは、まさに最も深い恐怖に慄(おのの)かなければなりませんでした。いつも弱い者こそが最も大きな苦難に見舞われる、そういう苦しみが11年経った今も続いていることを、わたしたちは覚え続けなければなりません。

 そうした世の終わりとも思える大きな苦しみに際して、とにもかくにも「逃げなさい」と教えられています。それは、直前13節の、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」という教えと矛盾しているように思われるかもしれません。苦しみを耐え忍ぶとは、逃げずに踏み止まり、苦しみと戦っていくことではないのか、苦しみに背を向けて逃げろという教えと、苦しみを耐え忍べという教えは相入れないのではないかと思えます。

 しかし、そうではありません。ここで、逃げなさいというのは、自分の力で最後まで戦おうとするな、ということです。自分の力で苦しみと戦って勝利しなければ、神様の救いにあずかることができないなどということはありません。それは「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」という教えと矛盾することではありません。むしろそこにこそ、わたしたちへの神様の大きな愛と恵みが示されています。

 人生には様々な苦しみが伴います。その歩みは苦しみとの戦いの連続であり、そこには忍耐が必要です。耐え忍ぶことなしに、生きることはできません。けれども、その苦しみの中でわたしたちが忍耐することによって、救いがもたらされるというのではありません。わたしたちが苦しみと戦って、勝利して、救いを獲得するのではないのです。そんなことなど、わたしたちにはできません。たとえ今、苦しみの始まりに、ある程度忍耐して持ちこたえることができているとしても、その苦しみは世の終わりに向かってエスカレートしていくのです。その苦しみの頂点では、わたしたちは逃げるしかないのです。「世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来る」のですから、その苦しみに打ち勝つことはわたしたちにはできません。逃げてよいのです。いえ、逃げるしかないのです。

 

■神の選び

 では、逃げるしかないわたしたちの救いは、どこにあるのでしょうか。22節にこうあります。

 「神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう」

 苦しみに打ち勝つことはできない、逃げるしかない、このままでは誰ひとり救われることのない、そんなわたしたちのために、神様が苦しみの期間を縮めてくださり、神様の愛と恵みによってわたしたちを救ってくださるのです。

 そのことは、「神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう」というところにも示されます。神様が苦しみの期間を縮めてくださったのは、ご自分のものとして選んでくださった人々のためだったのです。わたしたちの救いは、神様の選びによるのだということです。

 ただ、この「神の選び」という教えは、間違って受け取られやすいものです。例えば、自分は神様に選ばれているのだと誇って他の人を見下したり、逆に、自分は選ばれていないのではないかと不安になったり、あの人は選ばれているのか、この人はどうかと詮索したり…ということはすべて、「神の選び」の教えを間違って捉えていることから起ることです。

 神の選びの教えが語っていることは、ただ一つ。

 わたしたちは、自分の力や努力や忍耐によって救いを獲得するのではなく、ただ神様の愛と恵みによって救われるのだ、ということです。その救いにあずかった人は、自分の中には救われるべき理由は何もない、自分が他の人よりも立派だったり、信仰が深かったりすることはないし、忍耐強いわけでもない、それこそ逃げることしかできない者だ、ということを知っています。そういう自分が救われたのは、神様が自分を愛と恵みによって選んでくださったからとしか言いようがない、と感じているのです。それが、神の選びの教えです。

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6月19日 ≪聖霊降臨第3主日礼拝≫ 『愛という名の…』 マタイによる福音書23章25〜39節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■外と内

 23章から25章は、十字架の受難を目前にしたイエスさまの教え、「遺言」のようなものです。その冒頭23章に繰り返される言葉が、「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたちは不幸だ」という言葉でした。「不幸だ」、ウーアイという呻くような嘆きの言葉が今日も繰り返されます。25節から26節、

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる」

 ここで問題になっているのは、衛生上のことではなく、どのような器が宗教的な意味で汚れており、どのようなものが清いのかということです。ファリサイ派の人々にとってそれは、あくまでも器の外側に関わるものでした。それら清い器の中に入れられるものが、たとえ、悪辣な手段で手に入れたものであっても、あるいは、自分の貪欲な欲望を満たすためのものであったとしても、器そのものが汚れていなければ、何の問題にもなりません。律法学者、ファリサイ派の人々にとって大切なのは、人の目にどう映るか、外面でした。

 しかしイエスさまは、「外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦に満ちている…内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる」と言われます。

 さらに続きます。27節から28節、

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようなあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」

 当時は土葬でした。墓の中で遺体は腐敗します。死体は不浄とされていたので、仮に墓に触れたり、足が付いたりすれば、その人の体も汚れると考えられていました。そこで、ユダヤの人々は、過越の祭のときなど大勢の人々がエルサレムにやって来るとき、誤って墓に触れて汚れることのないよう、その時期、路傍の墓をみな白く塗りました。春の日の光を受けて白く輝く墓は、当時の美しい風物の一つであったとさえ言われます。がしかし、その美しさとは裏腹に、内は死体や骨に満ちていました。そんな墓の有様とユダヤ教の指導者たちの姿が似ている、とイエスさまは言われます。

 イエスさまは今、外面を重んじて内面を問うことをしない、偽善を問題にしておられます。どんなに外面の形式や装いを整えたとしても、内面がそれとは裏腹に「強欲と放縦で満ちている」、見せかけだけのものであることを手厳しく批判しておられるのです。

 そうした外面へのこだわりは、外面によって内面をごまかすことができるという思いから生まれてくるものです。それは、内面を何もかもすべてご存じのお方、神の目を些かも意識せずに、日々を過ごしているということに他なりません。神の目は内面をことごとく明らかにします。その内面が、「強欲と放縦で満ち」、「死者の骨やあらゆる汚れで満ちている」と言われます。他人事ではありません。生ける神の目を畏れる日々がどれほど厳しいものであることか、そう思わずにはおれません。しかしそのことはまた、外面によってしか人を判断しない世間の目が、たとえ、わたしをどれほど悪意に満ちて判断し、誤解することがあったとしても、内面のすべてをご存じの神の目はわたしを正しく理解し、わたしを一切の誤解から守ってくださるのですから、生ける神の目こそが実は、慰めに満ちた確かな歩みを、わたしたちに約束するものであることを忘れてはならないでしょう。

 

■黒い罪の血

 そして最後、七つ目の嘆きの言葉が語られます。29節から30節、

 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う」

 死んだ預言者の墓を建てたり、正しい人たちの記念碑を飾り立てたりすることを、イエスさまはなぜ非難されるのか。むしろ、よいことではないのでしょうか。たとえば、預言者イザヤは鋸(のこぎり)でひかれて死んだと言われ、エレミヤは石打ちにされたと伝えられています。彼らがその墓を建てたり、記念碑を飾り立てたりするのは、その償(つぐな)いのためでした。償いの礼拝堂と呼ばれて聖者崇拝が行われることもあったようです。ヘブライ人への手紙11章32節以下に、「他の人にあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄され…石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩く」経験をした、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことが語られています。彼らが、先祖の犯した罪の償いとして墓を建て、記念碑を飾り立てるとは、実に感心なことだ、と人々の目には写ったはずです。

 しかしイエスさまは、彼らが墓を建て、記念碑をつくって、「もしも、(わたしたちが)先祖たちの時代に生きていたら、殺人者の側、罪なき人の血を流す側にはつかなかっただろう」と自慢している、そこに彼らの偽善が露わになっている、と言われます。

 この言葉は十字架の死の直前に語られたものです。「殺人者の側、罪なき人の血を流す側にはつかなかっただろう」と嘯(うそぶ)く彼らが、今まさに、罪のない正しい人、預言者中の預言者であったイエス・キリストを十字架につけて殺そうとしています。その偽善が、彼らがあの祖先の子孫であることを証明している。彼らの中には、預言者を殺した先祖の黒い罪の血が流れている、とイエスさまは言われます。

 イエスさまの告発と嘆きは頂点に達します。32節から33節、

 「先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか」

 

■わたしたちもまた

 しかしこれほどまでに、十字架を目前にイエスさまが「不幸だ」と激しい言葉を語り、さらに締め括りとして34節から38節の言葉を語られるのは、ただ律法学者やファリサイ派の人々を批難し、裁くためではありません。そうではなく、幸いと災い、いのちと滅びの決断をなおも迫り、悔い改めを期待しておられたからです。35節から36節、 Continue reading