福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え - Page 6

1月23日 ≪降誕節第5主日礼拝≫ 『小さなロバに乗って』マタイによる福音書21章1〜11節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■受難週の始まり

 「エルサレムに迎えられる」という小見出しがつけられています。今、イエスさまはロバに乗って、エルサレムに入城されます。その数日の後、都エルサレムの城外で、そのイエスさまが十字架にかかって殺されることになります。

 そう、この21章から、この福音書の「受難週」、受難物語が始まります。

 マタイは、この一週間の出来事を語るために、福音書全体で60頁のその三分の一、20頁近くの分量を費やしています。エルサレムでの受難の出来事こそ、この福音書が語ろうとしていることの中心です。その大切な受難の出来事の冒頭に語られたのが、エルサレムに入られた時の光景でした。

 ガリラヤで伝道を始められておよそ三年、イエスさまは、ついにユダヤ人の信仰の中心であるエルサレムにやって来られます。他の町に入られる時にはいつも、ご自分の足で歩いて入られたイエスさまでしたが、今、イエスさまはロバに乗っておられます。そのイエスさまが、エルサレムへの巡礼の旅を共にしていた大勢の群衆の敷いた、その服や枝の上を進まれます。それを人々が歓呼の叫びをあげて迎えます。

 これまでの歩みとは打って変わった姿がここには描かれています。しかし、そのことをイエスさまご自身は望んでいなかったけれども、人々が勝手にそうしたのだというのではありません。ロバを用意し、それに乗ろうとされたのは、イエスさまです。また、人々の歓呼の叫びを止めさせようとはされず、むしろそれを受け入れておられます。このような形で、受難の待ち受けるエルサレムに入ることこそ、イエスさまのご意志によることでした。

 これはいったい何を意味するのでしょうか。

 

■「王」としての姿

 マタイによる福音書はイエスさまを「王」として描いている、と言われることがあります。三年前にこの福音書を読み始め、今日、ようやくこの21章に辿り着いたのですが、これまで、イエスさまがご自分のことを王であると言われたことは一度もありません。それでも注意深く読めば、マタイが初めから、イエスさまを王として迎えることこそが大切だ、と考えていたことが分かります。

 例えば、マタイ福音書の冒頭1章1節、「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」とあります。そして続く2節以下に出てくる系図は、紛れもなく「王家の系図」です。マタイは冒頭から、イエスさまがイスラエルの王ダビデの子孫で、神の民イスラエルに連なる者であるどころか、全世界の人々に真の救いをもたらす真の王なるお方である、と宣言しています。続く2章では、占星術の博士たちがやって来て、「ユダヤ人の王としてお生まれなった方は、どこにおられますか」と尋ねています。

 このクリスマスでの一連の出来事以降、王としてのお姿がはっきり現れてくるのが、今日の箇所です。歩いてではなく「ロバに乗って」というのは、王様が乗り物に乗ってやって来る姿を表しています。マタイはこの姿を、旧約ゼカリヤの預言の成就として直接引用しています。

 「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『シオンの娘に告げよ。「見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って」』」

 これはゼカリヤ書9章9節からの引用に基づくものですが、その9節から10節には、来るべき救い主の姿が次のように描かれています。

 「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ロバに乗って来る/雌ロバの子であるロバに乗って。わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ」

 この預言の通り、イエスさまは今まさに、柔和で、平和を宣べ伝える「王」として、「ロバに乗って」エルサレムに入城されるのです。

 そのとき、人々は自分の服や木の枝を道に敷いて、イエスさまを迎えています。ソロモン王の後、イエフという人が革命を起こして王位を簒奪した時、人々は「おのおの急いで上着を脱ぎ、階段の上にいた彼の足もとに敷き、角笛を吹いて、『イエフが王になった』と宣言した」と書かれています(列王記下9:13)。人々が服を敷いて迎えることも、イエスさまが「王」として人々から迎えられたことを示すものでした。

 しかもそのことは、「ダビデの子にホサナ!」という人々の歓呼の声にも示されています。ダビデは、エルサレムをイスラエルの王の都として定め、築いた、王の中の王です。「ダビデの子」という言葉には、単に理想の王の子孫と言うだけではない、ダビデ王の子孫にイスラエルの真の王である救い主が現れるという預言の成就への期待が込められています。さらに続いて「ホサナ」と叫んでいます。「ホサナ」とは、「助けてください」「今救ってください」という意味の言葉です。これも、「万歳」といった単なる掛け声ではなく、救い主である真の王の支配と、それによる救いを求める「祈り」の言葉です。イエスさまは、群衆のその祈りの声に迎えられ、主の名によって来られた「救い主」、父ダビデの国を再建する「真の王」として、ダビデ王の都であるエルサレムに入られたのでした。

 

■「王」とは

 それにしても、この「王」としてのイエスさまの姿は、恥辱と侮蔑に満ちた受難の十字架のイエスさまの姿とは、あまりにも対照的です。受難が始まろうとするこのときに、「王」としてのイエスさまの姿が描かれるのはなぜなのか。そもそも、「王」とはどのような存在なのでしょうか。

 今は、コロナウィルスのために海外旅行もままなりませんが、聖地旅行に行ってまず案内されるのは、イエスさまの時代に生きていたヘロデ大王が残した数々の遺跡でしょう。よくぞこれだけのものを二千年も昔に造ることができたものだ、と驚かされます。ヘロデ大王は優れた都市計画者として知られていました。そのヘロデの名を最も偉大なものとしたのは、「ヘロデ神殿」とも呼ばれる第三神殿の建設でした。ソロモン神殿を超える規模で、ローマ帝国はもとより、広く地中海世界で評判となり、当時からすでにユダヤ教徒でない人々までもが、神殿のあるエルサレムを訪れるようになったと伝えられています。 Continue reading

1月16日 ≪降誕節第4主日礼拝≫ 『主よ! 主よ!! 主よ!!!』マタイによる福音書20章29〜34節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■エルサレム入城の直前

 「一行がエリコの町を出ると、大勢の群衆がイエスに従った」

 この時、ユダヤ人の最大の祭である過越祭が近づいていました。その祭を祝うために多くの巡礼者たちがエルサレムを目指して旅をします。彼らがガリラヤからヨルダン川に沿って南に下るのであれ、ヨルダン川の向こう側―ペレア地方を通るのであれ、エルサレムへと至る道はいずれもエリコを通ることになります。エリコは水が湧き出るオアシスの町です。荒涼たる荒野の中を歩いてきた人々にとっては、生き返るような思いのする町でした。エルサレムまでは、わずかに30キロ弱の距離です。ただエリコの海抜はマイナス250メートル、エルサレムは海抜760メートル。エリコとエルサレムの標高差は1000メートルを超えます。エリコからエルサレムへと至る道は相当に厳しい登り坂です。そこで巡礼の人々はみな、このエリコで渇いたのどを潤し、厳しい坂道と祭りに備えて身支度を整えてから、エルサレムを目指しました。「大勢の群衆」とあるのは、イエスさま一行と道を共にしていたそんな巡礼の人々のことかもしれません。

 しかしそんな喧騒と雑踏には一言も触れず、いきなり「エリコの町を出ると」とあります。イエスさまの目は、ただひたすらにエルサレムヘ向けられているようです。エルサレムへと至る旅の途上、十字架と復活の運命が待ち受けていることを語られたイエスさまは、そのことを受け入れ、理解することのできない弟子たちに繰り返し、受難のキリストを信じる者としてのあるべき姿を教え続けて来られました。そして、いよいよエルサレム入城直前の場面です。受難のキリストに従うということがどのようなことなのか、そのことを弟子たちに、わたしたちにイエスさまが教えてくださる、最後の時を迎えていました。

 

■二人の盲人

 そこに登場したのは「二人の盲人」でした。

 「そのとき、二人の盲人が道端に座っていた…」。この一文から、彼らが背負ってきた大きな苦しみと嘆きが伺えます。

 戦後、「障害者」という言葉の問題が様々に議論されました。「障」は、訓読みでは「さわり」。差し障りがある、目障り、耳障りというふうに使われます。辞書には「じゃま、さまたげ」、さらに「へだて、境をするもの」と説明されます。「害」は言うまでもなく「有害」の「害」。「障害者」という言葉は、たとえそれをひらがなで書こうとも、またわたしたちが意図しているか否かにかかわらず、「障りがあり、害がある者」「分け隔てられねばならない者」という意味合いを持っています。英語では、disabilities「不能者」からdifficulties「困難者」に、さらに今ではchallenged「挑戦者」と呼び方が変わってきましたが、残念ながら、日本語にはそれに代わる言葉が未だ見あたりません。

 しかし当時、盲目であった人々の苦しみは、わたしたちの想像をはるかに超えるものです。盲目は、重い皮膚病の人同様、汚れ呪われた罪人とされ、生家から捨てられ、物乞いとならざるを得ませんでした。マルコは「盲人の物乞い」と書いています。その盲目の人を前に、誰が悪いのか、誰の罪なのかと弟子たちがイエスさまに訊ねてさえいます。二人は人通りの多い道端に一日中座って、自分たちの姿を道行く人にさらし、憐れみを乞い、何がしかのものを恵んでもらうことによってしか生きることができない、人間としての誇りを打ち砕かれ、喜びも希望も見出せない日々を生きるほかない、そういう苦しみの中を生きるほかない人でした。二人は互いに助け合いながら、困難や悲しみに耐えてきたのでしょう。周囲の人々に蔑まれたりしながらも、それでも何とか、同じ境遇を知っている者同士として支え合ってやって来ていたに違いありません。

 

■憐れんでください

 そのときのことです。二人は周囲の様子がいつもと違うことに気づきます。耳を済ましていると、「ナザレのイエス」という声が聞こえます。ナザレのイエスが通って行こうとしている。あちこちで病人を癒し、目の見えない人を見えるようにしたことを聞いて知っていたのでしょう。そのナザレのイエスが自分の前を通って行こうとしている、それを知った彼らは思わず、大声で叫びます。

 「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」

 彼らには、イエスさまが今どこにおられるのか分かりません。分からないからこそ、何とか自分の声を届かせようとして大声で叫びました。「群衆」、周りにいた人々は叱りつけて黙らせようとします。「うるさい。道端で大声を上げるな」と叱ったのでしょう。弟子たちだったのかもしれません。イエスさまのもとに子どもを連れて来た人々を叱った時と同じように、これからエルサレムに上り、大切な使命を果たそうとしておられるイエスさまの邪魔をするな、という思いで叱ったのではないでしょうか。

 しかし、叱られ、黙れと言われた「二人はますます、『主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください』と叫んだ」と続いています。福音書は、イエスさまを「主よ」と、それも三回も叫んだ人がいたことを、ここに伝えます。しかもその内の二回は、「主よ、ダビデの子よ」と呼んでいます。

 この後、ロバの子に乗ってエルサレム入城をなさったとき、群衆は熱狂し、「ダビデの子にホサナ」と叫び、イエスさまを迎えます。その群衆に先立って、目の不自由な二人が、「主よ、ダビデの子よ」と呼びかけるのです。

 「ダビデの子」という呼び方は、ユダヤ人にとって大切な意味を持っています。ダビデはイスラエルの昔の王、それも理想の王の名前です。その子とはその子孫という意味ですが、それだけではなく、旧約聖書には、ダビデ王の子孫にイスラエルの救い主である真の王が現れ、主なる神の救いがその王によって実現するという預言が記されていました。いわば「ダビデの子」とは、神から遣わされる「救い主」を意味する言葉です。二人はその言葉でイエスさまを呼びました。それはつまり、「イエスさま、あなたこそ、神が約束してくださっていた救い主です」という信仰の告白であったということです。ペトロのキリスト告白に匹敵する信仰告白でした。

 もちろん二人の告白が、ペトロたちと同様、受難のキリストを受け入れているものではないとしても、それでも二人は、ナザレのイエスを、病気を癒し、目の見えない人を見えるようにすることができる奇跡の力を持った人、いわば「超能力者」のように考えて、そう呼びかけたのではありませんでした。神からの救い主キリストと信じて、「憐れんでください」と呼びかけています。ただひたすらに神様の憐れみによる救いを叫び求めています。

 「憐れんでください」。「憐れみ」という言葉は、神とイスラエルとの契約に基づく救いを、神の国が完成する最後の時に与えられる救いをもたらす、神様の「妬む」ほどの激しい愛を表す言葉です。人々はこの「憐れみ」を待ち望んできました(詩篇85:8他)。そして今、二人は深い悲しみの中に生きる者として、それに与ることを心から願い、声を励まして叫んでいます。

 それより他にすべがないからです。わたしは、あなたの憐れみなしに生き、存在することができません。そして、今ここに来られたあなたは、憐れみ、赦しと無償の愛の人です。そんなイエスさまへの信頼が、信仰が、二人に「主よ! 主よ!! 主よ!!!」と三度も呼びかけさせ、「憐れんでください」と叫び求めさせました。 Continue reading

1月9日 ≪降誕節第3主日礼拝≫ 『何が望みですか』マタイによる福音書20章17〜28節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■「できます」

 「イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた」

 ヘルモン山の麓でペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白して以来、イエスさまがご自分の身に起こる十字架と復活の出来事を語られるのは、これが三度目のことでした。これまでは、ただ「殺される」と言っていたのに対し、今回は、十字架につけられ、神に呪われた罪人として辱められ、鞭打たれ、殺される。そして最後に「人の子は三日目に復活する」と、強く、はっきりとした口調で告げられます。

 重く心を覆う不吉な予感のために、誰もが息を潜めるようにして口を閉ざす外なかったそのとき、イエスさまの傍らに、ゼベダイの子ヤコブとヨハネ、そしてその母親が近づき、ひれ伏します。

 ヤコブとヨハネの二人はイエスさまに招かれて弟子となり、その後、ずっとイエスさまと共に歩んできました。ペトロと一緒にヘルモン山の頂にも登り、イエスさまの姿が変えられたあの天の国の輝きを垣間見ることもできました。彼らは、十二弟子の中でも最もイエスさまの傍近くにいる兄弟でした。

 二人の母親が「何かを願おうとした」とあります。ためらいを感じます。なかなか言い出せません。あまりにも厚かましく、恥ずかしく感じていたのかもしれません。すると、イエスさまの方から尋ねてくださいます。

 「何が望みですか」

 そこで初めて母親が口を開きます。

 「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」

 イエスさまの両側に、栄光の座に座ることができるように…。「子どものためならば…」、そんな母親の姿です。

 とはいえ、意外に思われるかもしれません。このときイエスさまは、ご自分の定めもその意味もまったく「分かっていない」母親を、またヤコブとヨハネを叱ることも、怒られることも一切なさいません。ただ、「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」と問い返されるだけです。

 イエスさまの言われる「杯」とは何でしょうか。それは「苦い杯」のことです。最後の晩餐の後、イエスさまは、祈るためにペトロとゼベダイの子二人だけをゲッセマネに伴われます。「そのとき、[イエスは]悲しみもだえ始められ」、「うつ伏せになり…『父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに』」と祈ったと記されています(26:36-38)。「杯」とは、これから受けることになる十字架の苦しみのことです。

 「わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」というこの問いかけは、「神の怒りに触れることができるか。神の怒りを身に受けて苦しむことができるか」という意味でした。神様の怒りに触れれば、ひとたまりもなく吹き飛んでしまう外ないわたしたちのための十字架の死を語っておられるのです。「あなたがたは本当に、このわたしと支配を共にしたいと願うのか。それは素晴らしいことだ。でも、そのことがいったい何を意味しているのかを分かっているのか。わたしと同じように死ねるのか」。そう言われたのです。

 その問いかけに二人は、「できます」と答えます。

 この答えには、彼らなりの覚悟が込められていたことでしょう。しかし、その意味するところを理解していませんでした。その証拠に、イエスさまが実際に杯をお飲みになった時、彼らは仲間の弟子たちと一緒に一目散に逃げてしまいました。そして皮肉にも、最後のその時、イエスさまの十字架の右側と左側にいたのは、彼らゼベダイの子たちではなく、二人の強盗でした。ここにいた十二人の弟子たちの誰ひとり、イエスさまの「杯」を飲むことができませんでした。

 それでも、イエスさまは「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲むことになる」と言われます。今、あなたはわかっていない。でも、わたしにつながれたあなたは、わたしの道を歩み、わたしと同じものにあずかることになるだろう…イエスさまのそんな愛のまなざしが二人の弟子たちの上に、そしてわたしたちの上にも注がれているようです。

 

■真面目な信仰者

 思えば、二人の母親が息子たちの地位と栄光を願っているその様子は、我が身を見るような思いにさせられます。彼らは、もうすぐイエスさまがエルサレムで王になられるだと期待しています。十字架と復活の言葉を、そう理解しています。それが正しい理解ではないとしても、ただ不安と恐れに囚われているばかりの他の弟子たちとは違って、イエスさまへの信頼を心に固く抱いていることだけは確かです。その時にはどうぞ、二人を王であるあなたの右と左の輝かしい地位につけてください。ヤコブとヨハネの、何よりもその母親の願いは、誰もが抱く思いです。救い主イエスの傍らにいたい、その勝利と栄光にあずかりたい。わたしたちがイエスさまを信じて従っていくことの根っこにある願いはこれではないでしょうか。

 信仰に入るきっかけや具体的な動機はみな、それぞれです。悩みや苦しみからの救いを求めていく中で神様と出会い、信仰を与えられる人もいます。自分の醜さや弱さに嫌気がさして、あるいは人生の虚しさを感じて、そこからの救いを求めていく中で信仰を得る人もいます。そういう明確な動機はなしに、家族や友人やその他の誰かに連れられて教会に来て、礼拝を守っているうちに、何となく自分も神様を信じる思いを与えられたという人もいるでしょう。そのようにきっかけや動機は様々ですが、わたしたちが信仰を持って生きようと決心する時に思うことは、自分の人生を、日々の生活を、信仰によってより充実したもの、平安と慰めのあるものとしたい、暗い日々を明るくしたい、前向きな思いで生きたいということではないでしょうか。つまり、わたしたちはみな、イエスさまと共にあって、その勝利と栄光にあずかりたいと願って、信じる者になります。

 そして、信じる者となったわたしたちは、イエスさまによる救いの恵みを身に帯び、その栄光を映し出す者として生きようと努力します。そこにいろいろな苦しみが伴うということは誰にもすぐに分かります。その苦しみを背負って忍耐しつつ、頑張って努力していくことによってこそ、イエスさまの勝利と栄光にあずかることができる、その右と左に座ることができる、そんな立派な信仰者を目指して歩もうとします。苦しみと死とが待ち受けるエルサレムへと向かうイエスさまに、それでも弟子たちが従って行こうとしているのは、そういう思いによってでしょう。ヤコブとヨハネが「この杯を飲むことができるか」と問われて「できます」と答えたのも、そういう思いからでしょう。 Continue reading

1月2日 ≪降誕節第2主日/新年礼拝≫ 『永遠の希望』ヨハネの黙示録21章1〜7節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■過去に縛られて

 元旦を迎え、わたしたちは、家族や親類、友人と新年の挨拶を交わし、おせちやお雑煮を食べ、新しい年の始まりを祝います。そんな心浮き立つ元旦に、芥川龍之介がこんな一句を詠んでいます。

  元日や 手を洗ひをる 夕ごころ

 賑(にぎ)やかな元旦も何とはなしに気忙しく、ふと気づくと外は夕暮れ。祝いの喧騒からひとり離れ、芥川は、穏やかな気持ちで手を洗っているのでしょうか。ほっとした気持ちと少し疲れた心を、「夕ごころ」と表現しています。静かな憂愁の漂う新しい年の夕べを、ひとりしみじみと噛みしめる一句です。

 しかし、わたしたちの新年はと言えば、芥川のように洗うようにして心が新しくされる時というわけには、なかなかいかないようです。高桑闌更(たかくわらんこう)という、松尾芭蕉の句風を受け継ぎ発展させた俳人が詠っています。

  正月や 三日過ぐれば 人古し

 新年を迎えて感慨も新たに、「今年こそは」と目標を立てたものの、正月も三が日を過ぎると正月気分も薄れ、そんなことも忘れてしまう。いつのまにか、いつもと何も変わらぬ日常生活に戻っている。高桑は、「新しく」変わることなく、「古い」ままでいる自分を自嘲気味に揶揄(やゆ)しているようです。

 「新しい」年のその始まりに「人古し」とは、なんとも皮肉な言葉ですが、高桑の言葉は、わたしたちの生き様、時間感覚を言い得て、妙です。

 わたしたちの「新年」は、賑やかさと喧騒の中に毎年のように巡り来て、そしてまた、いつものように過ぎ去って行きます。その「新しさ」は、確かに、昨日とも去年とも違うものかもしれません。しかし、年毎にさほど異なるものでもないようです。春夏秋冬、四季が巡るように、わたしたちの新しい年、新しい時々は、何の変哲もなく「同じように」やってきて、「同じように」過ぎ去っていく。それは、日本的な無常観、ただぐるぐると回りめぐるだけの円環的な時間感覚と呼んでいいものかもしれません。

 そうした感覚に慣れ親しんでいるわたしたちの「今」は、とりわけ「明日」という時間は、新しい「時」としてよりも、むしろ、過去につながれた、過去が積み重なり、堆積された「時」として意識されがちです。わたしたちの現在や未来は、過去から説明され、過去を通して理解され、過去に基づいて決定され、過去に縛られ、そして過去に支配されることになります。温故知新と言えばまだしも、「あんなことがあったから、今こうなんだ」「今こんな状態だから、明日もきっとこうにちがいない」「あのこともこのことも忘れられない、いや決して忘れるものか」ということになりかねません。

 弟子たちも、盲目の人を前にイエスさまに尋ねました。

 「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」(ヨハネ9:2)

 人間は弱い存在です。わたしたちは、自分たちの苦しみや悲しみを、それが大きければ大きいほど、その原因を探し出してきて、時に過去の出来事によって、時には過去にいた人に結び付けて、その理由を説明することで、苦しみや悲しみを受け入れ、納得しようとします。ところがそうする時、わたしたちは逆に、消し去ることのできない過去に囚われ、縛られて、「だからもう駄目だ」「どうしようもない」と出口のないところへと自身を追い込み、苦しみや悲しみをより深刻なものにしてしまいます。消し去ってしまいたい、しかし拭い難い過去に支配され、「自分はどうしようもない者だ」「あのことさえなければ」「あの人さえいなければ」と自分も他人をも否定する罪に囚われ、そこから抜け出せずに、もがきます。それが罪なのは、そんな時にも、いえ、そんな時にこそ、愛の神様が共にいてくださることを見失っているからです。

 

■見たことも聞いたこともない Continue reading

12月26日 ≪降誕節第1主日/歳末感謝礼拝≫ 『神様は気前がいい』マタイによる福音書20章1〜16節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■天の国

 よき知らせ―福音って、何でしょう。一言で言えば、「天の国」のこと、神様が「今、ここにおられる」「今、ここに救いがある」ということです。

 マタイによる福音書20章の冒頭でも、イエスさまは「天の国は次のようにたとえられる」と語り始めます。繰返し、繰り返し天の国について語られてきたイエスさまが、直前19章の「金持ちの青年」との会話に続けて、今日のたとえを語られます。

 金持ちの青年は、「永遠の命を得るには、どうしたらよいか、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と、イエスさまに尋ねました。永遠のいのちとは、肉体的にいつまでも生き永らえるというようなことではなく、永遠なる神様と共に生きることです。しかも、死後の世界に初めてそれを経験するというのではなく、今、ここに与えられるいのち、救いのことです。神様は今ここに共にいてくださって、まことの救いが今ここに与えられている。それが、イエスさまが繰返し語ってくださる「天の国」「永遠の命」です。

 年の瀬を迎え、マスメディアはこぞってこの一年を振り返り、新しい年に向けての願いや課題を語ります。ただ、その口調は総じて暗く、悲観的です。しかしイエスさまは今日も、過ぎ去った日々を嘆くのではなく、まだ来ぬ日々を思いわずらうのでもなく、ただひと言、「今、ここに救いがある」と宣言されます。今、ここに救いがある。あなたがどんなに迷っていようと、あなたがどんなに疑っていようと、そんなことを吹き飛ばすように、「今、ここで、あなたを救う」と宣言してくださるのです。

 だから、教会の教勢が低迷しているとか、いっこうに景気がよくならないとか、人間関係が大変だとか、将来が不安だとか、病気になったらどうしようかとか、そんなことを心配する必要はもうなくなったと言うとすれば、言い過ぎでしょうか。でも、本当に何の心配もいりません。神様は今ここで働いておられますし、これからも働かれます。わたしたちが神様のみ業についてあれこれ心配するのは、むしろ、働いておられる神様に失礼なことです。ですから、あれこれと心配したり、だからダメなんだと批判ばかりしたり、自分のことを卑下したりするよりも先に、神様と共に働くことをこそ願いたいものです。

 そもそも「救い」について、いくら言葉を尽くして説明されたとしても、わたしたちが救われることはありません。そうではなく、辛い思いをして救いを求めている人に、イエスさまの名によって「神様はあなたを愛しておられます」「今、あなたは救われました」、そうはっきりと宣言する。そこに救いがあるのです。大切なことは、救いは今ここに差し出されているのですから、後はわたしたちがそれを心から受け取るかどうか、つまり、そのことを本気で信じるかどうか、ただそれだけです。

 

■働かざるもの、食うべからず

 とはいえ、皆さんは今日の「天の国のたとえ」を、簡単に、ああそうかと受け入れることがおできになったでしょうか。

 このたとえに語られる、ぶどう園の主人の「気前のよさ」は理解しがたいものです。ここで語られる「気前のよさ」は、わたしたちの日常生活ではまずあり得ないばかりでなく、理不尽だとさえ思えるからです。ぶどう園の主人は、クレームをつける労働者に、「(わたしは)あなたに(対して)不当なこと(、不正)はしていない」と答えています。しかし、その人はただ、働いた分に応じて報いがあるべきだと言っているに過ぎません。一日中働いた人間が、半日しか働かなかった人、たった一、二時間しか働かなかった人よりも、多くの報いを得ることは当たり前のこと、決して不正なことではありません。それは、わたしたちの常識からすれば当然のことで、この主人のしていることの方が明らかに理不尽で、不可解です。

 現代社会では、短い時間よりも長い時間働いた者に報酬が与えられ、そしてまた、一日中働いても大して業績を上げない者よりも二時間で優れた成果を上げる者の方により多くの報酬を与えるのは当たり前だと考えます。事業を経営する人であれば、誰もがそう考えるでしょう。いわゆる業績主義と呼ばれるこの考え方は、時代を問わず、地域を問わず、社会主義・資本主義を問わず、すべての社会に共通する常識です。皆さんよくご存じの格言で言えば、「働かざるもの、食うべからず」というわけです。

 「働かざるもの、食うべからず」

 実は、この格言、テサロニケの信徒への第二の手紙3章10節にある、「働きたくない者は、食べてはならない」というパウロの言葉に由来するものです。

 しかし注意をしてください。ここでパウロは「働かない者は、食べてはならない」とは言っていません。「働きたくない者は、食べてはならない」。「働かない者」ではなく、「働きたくない者」です。働くことを拒んでいる人が問題とされます。働き場があって、本人にその仕事をする力もあって、それを続けることも保障されているのに、「働きたくない」「働こうとしない」ことが問題とされているのです。テサロニケの教会の中にも、そしてどの時代、どの社会にも、働こうとせずに、ただその地位や身分によって、パンを得ることを当然と考える人たちがいました。パウロが問題としているのはそのような人たちのことです。

 イエスさまもここで、働きたくない者、働こうとしない者にまで報酬が与えられるべきだ、と言われているのではありません。

 

■働くということ

 そもそも「働く」ということ、「労働」とはわたしたちにとって、どのような意味を持つのでしょうか。

 「働きたくない者は、食べてはならない」というこの言葉は、聖書にあるユダヤ教の伝統的な教えに基づいたものです。神様は、天と地、生きとし生けるものすべてを造られ、いのちを与えてくださいました。そして、十戒の中の「安息日」の規定の前文に「六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし」とあるように、わたしたち人間は、神様から与えられたそのいのちを生きるために、それぞれの働き、仕事へと召されています。しかもわたしたちは、イエスさまがご自身のいのちをもって贖(あがな)ってくださって、いわば、愛によって今ここに生かされているのですから、イエスさまに倣(なら)って、自分の体に汗し、労苦して、隣人のために、愛のために働くこと、それこそが、神様から与えられたかけがえのないいのちを大切に生きる道であるはずです。わたしたちは、それぞれに与えられた働き、仕事を通して生きるように、互いに仕えるようにと求められているのです。

 働くという漢字が「人が動く」と書くように、それは、わたしたちの立ち振る舞い、わたしたちの生すべてを意味する言葉です。働くことは、人生の一部ではありません。職業を意味する英語が “calling” と表現されるように、働くことは、神様による召し、招きです。仕事や職業がどのようなものであれ、わたしたちは神様から与えられたこのいのちを生きるために働くのであり、働くことは、神様の御心によるイエス・キリストの愛の業にわたしたちが参与することです。 Continue reading

12月19日 ≪降誕前第1・待降節第4主日/クリスマス家族礼拝≫ 『「分かってる」つもりのクリスマス』イザヤ書59章15b〜20節/マタイによる福音書13章53〜58節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■目をそらさず

 クリスマス、おめでとうございます。わたしたちは今日、救い主イエス・キリストがこの世に来られたことを、救いが今ここにもたらされていることを、心から喜び、祝いたいと思います。

 でも、ちょっと待ってください。御子イエスがお生まれになった場所はどこだったでしょうか。ヨセフとマリアには休む場所もなく、イエスさまがお生まれになったのも家畜の匂いのこもる小屋の中、飼い葉桶のわらの中でした。人として最も小さく最も弱い赤ん坊として生まれ、王に命を狙われて逃げるしかなかったイエスさま。いったいどこに救いがあると言うのでしょうか。

 そして今、わたしたちが目にしている現実は、わたしたちを取り巻く世界はどうでしょうか。救いが今ここにもたらされていると言えるでしょうか。世間の世知辛さ、人生の悲しさ、人の罪深い姿は、今も、昔も変わりません。わたしたちの人生は、困難と苦痛、悲しみと悩み、不安と危険に満ちています。何よりも、わたしたち自身の罪も尽きることがありません。日々、テレビから流れる悲惨なニュースに心を痛めつつ、しかしそこにわたしたち自身の姿を、罪を見ないわけにはいきません。

 そんなこの世の中に、それでも、わたしたちが救いと平安を見出すことのできる場所がたったひとつだけある、と聖書は教えます。それは「主の御腕」の中、神様のみもとです。イザヤ書59章16節から17節、

 「主の救いは主の御腕により/主を支えるのは主の恵みの御業。主は恵みの御業を鎧としてまとい/救いを兜としてかぶり、報復を衣としてまとい/熱情を上着として身を包まれた」

 「熱情」とは、嫉(ねた)むほどの激しい愛をもってわたしたちに関わり続けくださる、神様の執拗な愛のことです。なぜ、神様はそれほどまでにわたしたちのことを愛してくださるのか。それは、生みの親だからです。わたしたちのいのちは自分で手に入れたものではありません。与えられたもの、神様が与えてくださったものです。そのいのちゆえに神様はどこまでも愛してくださるのです。わたしたちが身を寄せさえすれば、神様はわたしたちに平安と恵みを与えてくださいます。それはちょうど、太陽が昇れば必ず光が差し込んで、すべてのものを暖かくしてくれるようなものです。

 もちろん、神様のみもとに身を寄せたら、罪の現実、この世での苦難、悪の誘惑、悲しみや死がなくなるというのではありません。それでも、みもとに身を寄せれば、たとえ邪悪なものや危険なことに見舞われても、それから目をそらすことなく、謙虚さと平静さを保ち、それぞれに為すべきことを為すことができます。神様がいつもそばにいてくださるので、邪悪で危険な世の中をも平安の内に歩むことのできる、そう信じるからです。

 

■救いの約束

 とはいえ、そんな神様の御腕の中にあることをわたしたちはすぐに忘れてしまいます。イザヤの時代を生きた人々もそうでした。そんな人々の姿を見て、イザヤ書の16節、「主は人ひとりいないのを見/執り成す人がいないのを驚かれ…あやしまれ」た、とあります。

 わたしたち人間が自分で自分を救うことなどできません。できるとすれば、それを救いとは呼ばないでしょう。救われない、もはや永遠の滅亡へと向かって行くしかない、そんな時に神様は「人間の中からだれか目覚め、起きてきて、わたしの前にその苦悩を訴えるならば、わたしはそれを聞こう」と言われました。しかし、そういう人は一人としていませんでした。

 神様はついに、ご自身が人となってこの世界に来て、神と人との間に仲立ちとなり、わたしたちに救いをもたらそう、と決心されました。それが、先ほどの16節から17節の言葉です。それは、神の御子が、神と人との仲立ちとして、救い主として、この世界においでになるという預言、約束の言葉でした。

 それから750年後、救い主としてこの世に来られた御子イエスが、このイザヤの預言を引用されながら、人々に語りかけられます。マタイによる福音書13章53節から54節です、

 「イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、 故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると…」

 マタイは「会堂で教えておられると」とだけ記していますが、ルカ福音書は、その時の様子を詳しく書いています。イエスさまは、礼拝を司っていた会堂長からイザヤ書の巻物を手渡されると、ある言葉に目を留め、よく響く声で読まれました。

 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである」(ルカ4:18)

 「油を注ぐ」とは、メシア、救い主キリストとされることを意味します。イエスさまは「父なる神はわたしに油を注がれ、救い主としてこの世界にお送りになった」と言われます。そして続けて、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と告げられます。さきほどのイザヤ書59章20節、「主は贖う者として、シオンに来られる。ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると/主は言われる」という神様の約束の通り、御子イエスがやって来て、救いの約束が「今日…実現した」、そう宣言されたのでした。まさによき知らせ、福音です。

 

■分かってるつもり

 しかし人々は、その福音を聞いても聞きません。一体誰が、その驚くべき言葉を、そのままに受け入れることができるでしょうか。マタイは、イエスさまの言葉を聞いたナザレの人々が「驚いた」と書いています。そして続けて、あっけにとられ、驚き、感心したはずのその人々が結局のところ、「イエスにつまずいた」と記します。

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12月12日 ≪降誕前第2・待降節第3主日/こどもクリスマス合同礼拝≫ 『ぼくの部屋に来ていいよ!』ルカによる福音書2章1~7節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■あるページェント

 ある小さな町の、ウォリーという男の子のお話です。

 九歳だったウォリーは小学校の二年生、ほんとうだったら四年生なのですが、みんなについていくのがむつかしい子でした。ウォリーは、体が大きくて、とてもやさしい子どもでした。だからみんなの人気者。ただ動きがゆっくり。歩くのも走るのも遅いので、一緒に遊ぼうよとウォリーが誘うと、みんなはちょっと困ったなという顔をしていました。それでも、ウォリーはみんなのところにやってきます。仲間はずれにされても嫌な顔もしないで、遊んでくれるのをじっと待っている、そんな子どもでした。そして何よりも、いつもすすんでニコニコと友だちを助け、小さく弱い友だちを守ろうとする子どもでした。時に、大きな子たちが小さな子を邪魔者扱いして、追い立てたりするのを見ると、「いちゃだめなの?いても邪魔にはならないよ」と言うのは、きまってウォリーでした。

 さて、この年のクリスマス・ペイジェント―イエスさまが生まれたときのことを描いた劇で、ウォリーは羊飼いになって笛を吹けたらいいなと思っていました。けれど先生は、彼にもっと大事な役をしてもらいたいと考えました。そして、せりふがそう多くない宿屋の主人になってもらうことに決めました。ウォリーは体も大きいし、ヨセフに宿を断るときの姿がぴったりだと思ったからです。

 クリスマスをお祝いする日がやって来ました。いつものように町中からおおぜいの人が集まってきて、羊飼いの杖や、飼い葉桶のイエスさまや、おひげの博士や王さまの冠が登場するにぎやかな舞台に目をこらしました。だけど誰よりもこの夜の魔法に目を奪われていたのはウォリーでした。舞台の袖に立ち、舞台上のできごとにすっかり引きこまれている様子で、ときどき先生がそばに来て、出番がくるまで舞台に出て行ってしまわないように注意しなければならないほどでした。

 いよいよヨセフの登場です。宿屋の戸口のところまで、ゆっくり、やさしくマリアを導いてきます。そしてヨセフが、木のドアをどんどんと叩くと、そこに宿屋の主人のウォリーが立っています。

 「なんのご用かね。」
 
 ウォリーは不器用なしぐさで、いきおいよくドアを開けました。

 「泊まるところをさがしているのです。」

 「どこかほかをさがしな。」

 ウォリーはまっすぐ前を見て、力をこめて言います。

 「宿屋はいっぱいだよ。」

 「あのう、ほかをさがしたのですが、どこもだめだったんです。遠くからやってきてくたびれているのですが……。」

 「あんたたちに部屋はないよ。宿はいっぱいだよ。」

 ウォリーは役どころを心得て、きびしい顔つきをしました。

 「やさしい宿屋のご主人、どうかおねがいします。これは妻のマリアです。おなかに赤ちゃんがいるので休まなくてはなりません。どこかの隅でもいいのです。彼女を休ませる場所を……。とても疲れていますから。」

 このときはじめて、宿屋の主人は、かしこまった様子をやわらげてマリアを見おろしました。

 ウォリーは、黙ったままで見つめていました。

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12月5日 ≪降誕前第3・待降節第2主日—朝拝≫ 『死を告げ知らせる―聖餐(11)』コリントの信徒への手紙一 11章23~26節 沖村裕史 牧師

■食卓、それとも祭壇?

 今日も、ウイリアム・ウィリモン『日曜日の晩餐』の8章「死を宣べ伝える」から、聖餐についてご一緒に学びます。

 今日の箇所にウィリモンは、ひとりの友人が、犠牲と死の時としての聖餐ではなく、食事としての、交わりといのちの時としての主の晩餐をウィリモンが強調することに納得できないと言った、と書いています。「聖餐のときにわたしたちがやってくるのは、食卓なのか、それとも祭壇なのか」、友人はそう問いかけました。

 食卓は、亜麻布のナプキンと素敵な銀食器の場所。ナイフとフォークがチリンチリンと鳴る音以外には、陽気で節度ある会話が途切れることのない場所です。その食卓こそ、良いマナー、暖かなもてなし、そして包容力のある、身近にいてくださる神様の場所です。

 一方で、祭壇は犠牲と、生と死とに関わる神秘的な場所です。もっとも聖なる場所―至聖所に立つ祭司たちは、牛や山羊の喉(のど)を切り裂くために準備されたナイフを手にします。祭壇は、死に逝く動物たちの叫び声と大理石の階段に滴り落ちる血に彩られます。罪と死と犠牲の物語がすぐ傍(かたわら)にありました。

 その意味で言えば、喜びとエチケットの場所である食卓もまた、犠牲の場所です。あなたが夕食に食べたニワトリはどこから来たのでしょう。空調の効いた、ムード音楽の流れる、サランラップに包まれた殺菌の行き届いたスーパートマーケットのような世界の中で、現代人であるわたしたちは、日曜日の晩餐の席に着くためには、何かを殺し、血を流さなければならないのだということを忘れがちです。いのちの糧となる食べ物は、何かの死、そして誰かの犠牲なしには、わたしたちの食卓の上に置かれることはあり得ません。

 昔、祖母が庭の鳥小屋に入って、めんどりを捕え、首をひねって、羽をむしり取り、それを整えて夕食を準備してくれた、遠く過ぎ去りし日のことが思い出されます。人はだれも、血と犠牲、負担と死が至る所にあるこの現実から、食事と会話の楽しいだけの時の中へと逃げ込むわけにはいきません。

 食べたり、飲んだりするときだけではありません。わたしたちの信仰でも、癒しや安らぎ、報いや幸せを望むその一方で、痛みや苦しみ、死や負担を避けたり、否定したりしがちです。『キリストに倣(なら)いて』の中でトマス・ア・ケンピスが言うように、

  多くの人はパンを裂くためにイエスに従うけれども、

   主の受難の杯を飲むために従うものは誰ひとりいない。

  多くの人は主の奇跡に敬意を払うけれども、

   主の十字架の恥に従うものは誰ひとりいない。

ということです。

 

■見返り

 最近受け取った、一通の郵便メールのことを思い出します。

 神様は、わたしたちに与えてくださる良いものをお持ちなのだということを証するために、ある「福音伝道者」が送ってくれたものでした。わたしが新しい自動車を必要としていないかとか、わたしがお金の問題で苦しんでいないかと尋ねた上で、わたしの荒唐無稽な夢を超えて、神様がわたしを祝福してくださるだろうと約束するものでした。最初に千円投資すれば、わたしは神様からこれらすべての良いものを受け取り始めることができるのだ、そんなことが書かれていました。祈ってお金を送ったことで、あれやこれを受け取ることができたという人々の証し、証言でいっぱいでした。

 わたしには、この「福音伝道者」とその信奉者たちを批判することができません。それと同じ、神にではなく自分に仕えようとする態度が、教会の中にも、わたしの説教にも、皆さんの中にもあるからです。イエスさまが新しい車を与え、給料を上げてくれるとは思ってもいません。でも、わたしも確かに、わたしの信仰に対するささやかな見返りとして、健康や子どもたちの献身を期待しています。わたしが説教の中で告げる恩恵のほとんどは、平和、喜び、満足感、悩みなどからの自由といった物質的なものというより、どちらかと言うと精神的なものですがしかし、それらはやはり、キリストに従うことに対する見返りとして語っています。

 わたしたちが神様と契約したのは、苦痛のためにではなく、それはすべて栄光を享けるためでした。この杯をわたしたちから取り去ってください。イエスさまと一緒に食卓に座ることは素晴らしいことです。でも、わたしたちではなく、他の小羊たちを、主と共に屠殺場に連れて行ってください、と。 Continue reading

11月28日 ≪降誕前第4・待降節第1主日—朝拝≫ 『たったひとつ』マタイによる福音書19章16~30節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■加えて、何をなすべきか

 玉島教会の牧師として、半世紀にわたってハンセン病療養所の慰問伝道を続けた河野進先生に「出会い」という詩があります。

  一日おそかったら
  一列車おくれたら
  一足ちがいでさえ
  会えなかった
  出会いの 不思議さ 尊さ
  天の父さまの
  おみちびき おめぐみと
  信じるほかない

 イエスさまがエルサエムに向かって最後の歩みをしている、その途上での出来事でした。一人の青年が、永遠の命を手に入れたいという願いをもって、イエスさまに近づいてきました。「富める青年」と呼ばれることになるこの人は、イエスさまと出会いました。そして、永遠の命を得る道について語り合うという特権、「おみちびき おめぐみ」にあずかったのでした。青年が尋ねます。

 「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」 Continue reading

11月21日 ≪降誕前第5主日/収穫感謝家族礼拝—朝拝≫ 『かみさまはひつじかい』 サムエル記下5章1~5節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■収穫感謝(しゅうかくかんしゃ)って何?

 今日は、収穫感謝の日。ところで、収穫を感謝するこの祝いの日が、いつ、どこで、どんなふうにして始まったのか、知っていますか。

 今から四百年も前のこと。イギリスという国で、(信仰の違いから)潔癖(けっぺき)な人、馬鹿正直(ばかしょうじき)な人という意味の「ピューリタン」とあだ名で呼ばれ、しいたげられ、苦しめられていた人たちが、(信仰の)自由を求めて、アメリカへと渡りました。

 1620年11月(日本で言えば江戸時代が始まったばかりの、ちょうど今頃)、ピューリタンの人たちを乗せたメイフラワー号という船が何日もの航海を経て、アメリカのプリマスにたどり着きました。しかし、新しい土地での生活は厳しいものでした。最初の冬の間に、アメリカに渡っていったその人たちの半分が死んでしまいました。人々は新しい土地での生活がいやになり、アメリカにきたことを後悔していました。そのときのこと、前からアメリカに住んでいたインディアンたちが、新しくやってきた彼らを邪魔者扱(じゃまものあつか)いするどころか、一緒に暮らしていけるようにと助けてくれたのです。インディアンたちは彼らに、トウモロコシを育てるやり方を教えてくれました。

 次の秋がめぐってきた時、たくさんのトウモロコシが、食べ物がとれました。ピューリタンの人たちは、豊かな実りを与えてくださった神様(かみさま)と、隣人(りんじん)―友だちになってくれたインディアンに感謝するために、収穫感謝のお祝いを始めたのでした。1864年、アメリカ合衆国第16代大統領のエイブラハム・リンカーンは、そのことをいつまでも忘れないようにと、11月第4木曜日を国の祝日に定めました。アメリカの多くの教会では、今も、収穫感謝の日に野菜や果物を持ち寄って、礼拝が終わった後、病気で寝ている人や寂しい思いをしている人、心にかかる人にプレゼントすることが続けられています。

 収穫感謝のお祝いをすることのほんとうの意味は、ただ収穫を喜び祝うということではなく、「神様の豊かな恵みを、感謝をもって隣人と分かち合う」ということでした。

 

■トウモロコシ

 そして、今日も、ここにたくさんの野菜や果物が献(ささ)げられています。ここにも、先ほどお話した(本当は髭のような皮で包まれている)トウモロコシがあります。トウモロコシのお話。前に一度お話をしたことがあるかもしれません。直子ちゃんという女の子のお話です。

 一日じゅう遊びまわっても平気な、五歳のときのこと。直子ちゃん、おやつにもらった、ゆでたトウモロコシを二本持って、それをかじりながらぶらぶらと歩いていました。お父さんの仕事のために台湾という南の島で一緒に暮らしていました。まわりは田んぼとサトウキビ畑。ゆるやかな丘が続くばかりです。人影もありません。丘のふもとにしゃがんで直子ちゃん、トウモロコシを食べ始めました。

 すると、丘のむこうから人がやってきます。ひょろりと長い足をむき出しにした、破れた半ズボン姿の台湾のオジサンです。そのオジサンを見ながら、もぐもぐやっていると、オジサン、ニコニコ笑いながら、どんどんこちらに近づいてきて、ついに目の前にしゃがんでしまいました。そして直子ちゃんの目をのぞきこみます。直子ちゃんも目をまん丸にして、オジサンを見つめます。オジサンの黒い目はキラキラと光っていました。おたがい、何も話しません。

 といきなり、直子ちゃんは手に持っていた、もう一本のトウモロコシをオジサンに差し出しました。オジサンはすこしびっくりしたようです。でも、すぐトウモロコシを受け取ると、バリッバリッと食べ始めました。直子ちゃんは、いっそう目を丸くしてオジサンの口を見つめます。日焼けしたほおが動き、口からこぼれる白い歯が、ブルドーザーのようにトウモロコシの実を掻(か)き取っていきます。

 直子ちゃん、自分が食べるのも忘れて見とれていました。オジサンは直子ちゃんの目をのぞきこんだ笑顔のままで、バリッバリッ。実はみるみるなくなっていきます。そして…そして、なんと、実をすっかり食べおわってトウモロコシの芯(しん)だけを手に持ったオジサンは、その芯まで食べ始めたのです。バリッバリッ。直子ちゃんは、ますます目を丸くしました。あそこも食べられるんか。バリッバリッ。とうとう、ぜんぶ食べてしまいました。まるごと。ぜんぶです!

 直子ちゃんはそのときのことを今もはっきりと覚えています。なぜって、とてもうれしかったからです。なにしろ芯まで食べてくれたのです。差し出したものをぜんぶ食べてくれたのです。あのオジサンは、わたしの「贈り物」を「スッともらって」くれた。そのうえ、なにひとつ残さず、捨てるはずの芯まで「ぜんぶ受け入れて、食べて」くれた。そのことがとてもうれしかったのです。〔工藤直子『こころはナニで出来ている?』岩波現代文庫参考〕

 

■分かち合う

 自分が持っているものをプレゼントして、それを喜んで受け取ってもらえることは、とてもうれしいことです。自分が持っている食べ物をひとり占(じ)めしても、誰も喜んではくれません。それどころか、食べるものがなくて悲しんでいる人がいるかもしれません。そう思うと、なんだかいやな気持になります。持っている食べ物を一人で食べるよりも、友だちと一緒に食べた方が楽しいに決まっています。

 遊ぶときだってそうです。三輪車やブランコをひとり占めして遊んでいるとき、遊べなくて悲しい顔をしているお友だちがいるのに気がついたことはありませんか。そんなときどんな気持ちがしましたか。一人で遊ぶより、みんなと遊んだ方が楽しくて、うれしいに決まっています。なぜなら、友だちの喜んだ顔を見ると、とても幸せで、いい気持ちがするからです。

 そもそも、わたしたちが持っているものはすべて、自分のものというよりも、誰かからもらったものです。ここに献げられている野菜や果物は、こどもたちだったら、お父さまやお母さまから渡されたものでしょう。大人であれば、それはすべて、他の人からいただいたものです。お店で野菜や果物を売ってくださる人がいなければ、それを育ててくださる農家の人がいなければ、そして太陽や雨が降らなければ、いい土がなければ、そもそも、もとの種が、そう、「いのち」がなければ、だれもこの野菜や果物を手に入れることなどできなかったはずです。

 わたしたちが生きている「いのち」は、太陽は、雨は、土は、一体だれがつくったものでしょう。神様です。ぜんぶ、神様がわたしたちにくださったものです。そう、自分のものではないのですから、ひとり占めしてはいけません。みんなのために神様がくださったものなのですから、自分のためだけに使ってはいけませんし、幸せな気持ちにもなれません。神様は、みんなが幸せになることをとても喜んでくださいます。神様がくださったものをみんなが分け合うことを、一緒に受け取ることを、神様はとても喜んでくださいます。

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11月14日 ≪降誕前第6主日—朝拝≫ 『天の国にふさわしく』 マタイによる福音書19章13~15節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■人々の願い

 「そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った」
 
 愛するわが子に手を置いて、無事に元気に良い子に育つよう祝福していただきたい、そう願って親たちが連れてきたのでしょうか。それは、子どもを七五三に連れて行ったりするのと同じ、親としてはとても自然で素朴な思いです。

 しかし、今ここに子どもたちを連れて来たのは、不特定多数の「人々」です。親とは限りません。「連れて来る」というギリシア語も、抱いたり背負ったりして、「そちらへと運ぶ」という意味の言葉です。親子が七五三の宮参りよろしく、手をつないで仲良くやってきたというのではありません。「人々」は、抱きかかえ背負うようにして、子どもたちを連れて来たのでした。

 当時の子どもたちが置かれている状況は、わたしたちが日頃、目にしているそれとは全く異なるものです。繰り返される戦争、慢性的な飢饉、疫病の蔓延によって、社会は混乱、疲弊していました。そんな中、最初に被害をこうむるのは子どもたちです。成人するまで親が健在であることは稀でした。ふた親を失い孤児となった子どもたちは、とりわけ弱く、傷つきやすい存在です。今ここに連れてこられた子どもたちもまた、そういう孤児であったのかもしれません。いえ、十分に考えられることです。

 イエスさまは、救いを求めて押し寄せる大勢の群衆の一人ひとりに手を置いて、重い皮膚病を清め、舌のもつれを取り除き、目を見えるようにし、パンをお与えになりました。そして今、飢えや病や争いによって深く傷つき、生きることさえままならない子どもたちを、親ではなく、「人々」が抱きかかえるようにして、イエスさまのところに連れて来たのです。

 旧約聖書は、孤児(みなしご)や寡婦(やもめ)、難民となった外国人寄留者たちを社会全体で保護するようにと繰り返し教えました。古代社会では今以上に、家族の生存は父親の肩にかかっていました。父親と死別した家庭はたちまち、生きる手立てを失います。支援が必要でした。しかも聖書が求めるこの援助は、倫理に基づく施しでも、政治が目指す目標でもありません。ただ神様が示してくださった救いへの応答、信仰に基づくものでした。

 ここに記される「人々」も、まさに神様の恵みへの応答として、何よりも具体的で切実な愛の思いをもって、イエスさまにこの子どもたちを祝福していただきたい、苦しみや悲しみからこの子どもたちを救っていただきたい、そう願ったのでしょう。

 

■弟子たちの妨げ

 ところが弟子たちは、そんな人々を叱り、追い返そうとします。理不尽とも思える弟子たちの態度ですがしかし、そこには理由がありました。

 19章冒頭、イエスさま一行は慣れ親しんだガリラヤの地を後に、南へと移動を始めておられました。目的地はエルサレムです。この後(あと)21章に、そのエルサレムに入られます。しかも入ってわずか一週間の内に、イエスさまは捕えられ、十字架につけられ、殺されます。その十字架への旅路にあることをイエスさまははっきりと自覚しておられました。そしてそのことを繰り返し弟子たちに告げ教えられました。

 しかし弟子たちにはその意味が分かりません。それでも、イエスさまが緊迫した大事な場面を迎えようとしておられる、ということだけは感じ取っていました。今、大事な時を迎えようとしておられる。そんな時に余計な負担はおかけしたくない。それでなくても、病を癒していただこうとたくさんの人々が押し寄せ、時には、敵対するファリサイ派の人々が罠を仕掛けようと議論をふっかけてきます。この上、子どもたちにまで纏(まと)わりつかれたら、疲れ果ててしまわれるだろう。骨と皮ばかりの子どもたち、病気の子どもたち、障がいを持つ子どもたち…走り回る子どもたちもいたことでしょう。騒然とした雰囲気の中、弟子たちにとっては、当然の配慮と気配りのつもりでした。

 しかし、これまでのイエスさまと弟子たちのやり取りを振り返るとき、イエスさまへの配慮、気配りであるかのように見えるその叱責と妨害の中に、拭(ぬぐ)おうとして拭い去ることのできない、弟子たちの罪が見えてきます。

 そもそも、それが真実の配慮と気配りであるなら、弟子たちは決して人々を叱ったり、子どもたちを妨げたりはしなかったはずです。直前18章で、イエスさまはそのような幼な子を招き入れ、しかも弟子たちの真ん中に立たせて、「わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と教え諭されていたからです。

 「受け入れなさい」、そう教えられていたはずの弟子たちの心の中にあったのは、子どもへの祝福を、救いを求めてやって来る「人々」に対する批判、反発でした。

 この人たちは、イエスさまの都合など考えもせず、祝福と癒しだけを求め、それを受けると、元通りの自分中心の生活へと帰って行くだけではないか。イエスさまに従って生きようとか、自分の生活や財産を擲(なげう)ってイエスさまの弟子となろうという気持ちなど少しもない。ただイエスさまを利用しようとしているだけではないか。そんな身勝手な願いに付き合う必要などない。

 弟子たちの思いの中に潜んでいるのは、自分たちはすべてを捨ててイエスさまに従ってきた、イエスさまの弟子として歩んできている、このわたしたちこそが、という弟子たちの自負、優越感です。誰が一番偉いかを議論していた弟子たちの姿と重なります。一見、イエスさまへの気遣いと見えるその裏、本音のところで、自分の幸せだけを求めて神様を、イエスさまを利用するだけのこの連中とはわたしたちは違う、だから彼らを叱り、追い返す権利がわたしたちにはある、弟子たちはそう考えていたのです。

 

■憤(いきどお)られる

 イエスさまは、その弟子たちを逆に叱りつけます。

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11月7日 ≪降誕前第7主日/聖徒の日・永眠者記念礼拝—朝拝≫ 『探し出してくださる神』 創世記3章1~13節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■希望の証(あかし)

 夜中に突然目が覚めて、病床にある方の姿が頭から離れず、眠れなくなりました。病院をお訪ねすると、年老いた身体を丸くし、ひとり痛みをこらえておられました。その方の声が、またご家族の必死の祈りが聞こえてくるようで、その声なき声が心に残り、容易に消えませんでした。

 「おじいちゃん、わたしですよ。おじいちゃんの娘ですよ」と、耳もとに口を寄せ、駆けつけたばかりの女性が、ベッドに覆いかぶさるようにして叫びました。彼女の目には涙が溢れ、頬を流れ落ちます。教会の役員として厳格な姿勢を保ち続けておられたその方の目は、上を向いて半開きのまま、まばたきさえしません。かすかな呼吸がさらに弱くなり、娘さんの叫びをよそに、そのいのちの灯は静かに消えていきました。

 突然、娘さんが、「おじいちゃん、ごめんなさい、ごめんなさい」と叫ぶと同時に、「おじいちゃんのバカ、おじいちゃんのバカ」と繰り返されました。別れの挨拶もできないままに逝かせてしまったことへの後悔の言葉でしょうか。二度と会えなくなった父親に、伝えておくべき何かがあったのかもしれません。

 誰の心の中にも、後悔や赦しを請うべきこと、伝えておくべきことがあるものです。人生は一回限りで、繰り返しがききません。いったん犯した罪咎を一生涯負わなくてはならないとしたら、わたしたちの人生は苦痛に満ちたものとなるでしょう。しかし神様は、わたしたちのすべての罪咎を赦してくださいました。それは、わたしたちが正しいからでも、良いことを行ったからでもありません。ただ、神様の憐れみ、愛ゆえです。それが聖書の語る福音です。

 天に召されたその方がよく口にされていた聖書の言葉は、「人間にできることではないが、神は何でもできる」(マタイ19:26)でした。その言葉は、どうしようもないという時に、あらゆる可能性がすべて閉ざされてしまった時にこそ、わたしたちが頼るべき、唯一のお方がおられることを指し示すものでした。目を閉じたその父親が、悔やみ、嘆き悲しむ、愛する娘さんのために、その言葉を今もここで語っておられる、そう思わずにはおれませんでした。

 皆さんの前にお写真が飾られています。大切な兄弟姉妹が、愛するご家族が、親しい友が、天に召されました。その方々お一人お一人の姿や語ってくださった言葉が、今も、皆さんの心の奥底に留まって、離れようとはしないでしょう。実際、それは忘れ去ってはならないものですし、天に召された方々のその姿が、その言葉が、いのちのかけがえのなさと大きな神様の愛を、わたしたちに教えてくれています。たとえ不治の病の中にあるとしても、また死に直面したとしても、なお失望に終わらない希望のあることを、天に召された今も、その身をもって証ししてくださっています。

 

■命の木

 そして今日の聖書も、そのことをわたしたちに教えてくれています。

 先ほどお読みいただいた箇所の直前、創世記2章に「主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられ」、人に「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と言われた、と記されています。

 園の中央には、命の木と善悪の知恵の木が並んで生えていたはずでした。ところが、この三章では、命の木のことに一言も触れられません。女、エバの目には、まるで「禁断の木」「善悪の知恵の木」しか写っていないかのようです。

 これはいったい、何を意味するのでしょうか。

 天地創造という出来事の中に記される「命の木」が象徴することは、神様こそ、創造の主、いのちの主である、ということです。わたしたちにいのちを与えてくださったお方がおられるのだ、ということです。こどもを身籠った時に「授かった」と言われるに、それは誰もが自然に感じていることです。自分の意志で生まれてきた者など誰一人おりません。死の時を自分の自由にすることのできる者もまたおりません。わたしたちのいのちは、ただ与えられたと言うほかないもの、誰もがそう感じているはずです。それを聖書は、神様がいのちを与えてくださったのだ、と言います。

 とすれば、いのちはわたしたちのものではなく、神様のものだということになります。だからこそ、誰のいのちであれ、自分のいのちもまた、人が勝手に奪ったり、損なったり、傷つけたりすることの許されない、かけがえのないものです。それが、いのちの尊厳と言われることです。わたしたち自身の尊厳ではありません。神様ゆえの尊厳です。与えられたいのちゆえに、わたしたちが造られたものであるがゆえに、神様はかけがえのないものとして、わたしたちを愛し抜いてくださっている、聖書は繰り返し、そう教えます。

 わたしの二人の子どもが三十年前に、小さな手で粘土をこねて作った皿や茶碗が、今も食器棚の中に大切に置かれています。使われることのない、いわば何の役にも立たない、ぐにゃぐにゃに波打ち、ひびの入った、実に不格好な土の器ですが、造ったこどもたちはそれを大切にしていました。それを見守っていた親であるわたしにとっても、それは今も、心温まる思い出をよみがえらせてくれる、かけがえのない記念の品です。

 それと同じです。わたしたちは神様の作品です。役に立とうが立つまいが、だれだけ不細工であろうと関係ありません。むしろそうであればなおのこと、神様は造られたわたしという作品に、溢れるほどの愛を注いでくださいます。

 「命の木」は、創造主なる神の、その愛を象徴するものです。

 

■生も死も

 一方の「善悪の知識の木」は、神様の正しさ、神様の裁きを象徴するものです。しかし、そこでわたしたちが忘れてならないことは、正しいのは神様おひとりだということ、裁くことのできるのはただ神様だけだ、ということです。 Continue reading

10月31日 ≪降誕前第8主日/宗教改革記念日—朝拝≫ 『神が結ばれた』 マタイによる福音書19章1~12節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■離婚の条件

 イエスさまは今、住み慣れたガリラヤを後にされ、ご自分に定められた十字架への道を進みゆかれます。そこに登場したのは、イエスさまを慕い、救いを求めて付き従う「大勢の群衆」と、こっそりと近づく「ファリサイ派の人々」でした。そしてイエスさまにこう尋ねます。

 「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」

 「何か理由があれば」とあるように、ファリサイ派の人々が直接問題としているのは、離婚の条件、その是非についてです。彼らにとって、夫が妻を離婚することが律法に適うことであるのは当然のことでした。そのことを些かも疑っていません。申命記24章1節に、こう書かれていたからです。

 「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」

 7節の「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか」という問いは、この申命記の言葉を指しています。彼らは、これを神ご自身の御心であると受け止めました。その上で、そこに書かれている「恥ずべきこと、気に入らないこと」の内容について議論し、そこに様々な条件を付けていたのでした。

 この申命記の言葉をどう思われるでしょうか。女性の皆さんは「なんと身勝手で一方的なものか」と怒り心頭でしょう。当然だと思います。そもそも、この「離縁」という言葉は、「離れて置く、片づける、遠ざける」といったニュアンスの、売却などによって所有権を放棄することを意味する法律用語です。女性を「もの扱い」した言葉です。しかも、離縁されるその理由は、「何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったとき」とされていますから、とんでもない話です。この「恥ずべき」という言葉も本来は、「無作法」という意味ですが、皆様はともかく、わたしの経験から申し上げれば、無作法なら誰にでもあることですし、「気に入らなくなる」ことなどは日常的なことですから、もし聖書どおりに行えば、「毎日が離婚」ということになりかねません。このような理由で離婚が許されることは、あまりにも男の一方的で身勝手な仕打ち、実に理不尽な定めです。

 

■結び合わされた

 イエスさまは、そんな彼らの議論に真っ向から反対を表明されます。

 「イエスはお答えになった。『あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。』そして、こうも言われた。『それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。』」

 教会の結婚式の中で、この言葉が読まれます。牧師は結婚式の最後、集まってくださったすべての人に向かって、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」という言葉を高らかに宣言します。

 イエスさまのこの言葉は、創世記―神による創造物語、1章27節と2章24節からの引用です。注目いただきたいのは、その順序です。まず「創造主は初めから人を男と女とにお造りになった」です。男だけが人間ではありません。人間は最初から男と女とに造られました。男と女に、それぞれが別々の存在として造られました。男も女も、共に人間であると同時に、全く別の独立した人格です。ひとりとして同じ者などいない、自分とは別の人間です。そのことを、互いに大切に受け入れることが求められます。

 その上で、「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」と続きます。そのように男と女として造られた者が、やがて父母を離れて、ひとつからだとなる。二人が互いにひとつになるとは、一方が一方を自分の中に捕らえ込んでしまって、お前はわたしのものだと言い張るのではありません。二人がふたつながらにして、ひとつのからだをつくる、ということです。

 「だから…神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と宣言されます。ただ「結び合わせる」というのではありません。これは「共に」という言葉と「くびき」という意味から作られた言葉です。「共にくびきを負う」という意味です。くびきとは本来、ふたつの存在をひとつに結ぶだけでなく、労苦を分かち合い、それを共に担い合う関係を意味します。当時多くの人が、結婚とは男が女を自分の所有物として手に入れることだと考えていました。しかし男と女を、「神が」共にくびきを負うようにされたのだということです。

 結婚関係は、神による創造の御業なのです。だから、人の手でその関係を切り離し、壊してはならない、イエスさまはそう教えられます。男と女は、翻って人は、互いにくびきを負って生きてゆく、それが「二人はもはや別々ではなく一体である」ということの意味でしょう。それこそが、神様によって造られた被造物としての人間の、根源的な姿なのだということでしょう。

 

■最大の贈り物

 谷川俊太郎の「足し算と引き算」という詩が思い出されます。

  何もないところに忽然と立っている

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10月24日 ≪降誕前第9主日—朝拝≫ 『愛は裁きに勝る』 マタイによる福音書18章21~35節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■赦されるべきは?

 西宮に住んでいた頃のことです。今は広島大学の教授をされているT先生から中古のバイクをいただき、早速そのバイクに乗って、教会に向かって走っていました。と、右側後方から追いついてきたワゴン車が、ウィンカーもつけずに急に目の前で左折しました。危ない!なんてひどい運転をする人だろう。腹を立てて、追いかけて行って注意をしました。

 「危ないでしょう。あんな曲がりかたして」

 すると、「うるさい。バカヤロー!」なんて無礼な。

 それでわたしはどうしたか。スゴスゴとひき返しました。クヤシイ!でも、牧師になろうとする者がケンカするわけにもいきません。

 ある日、教会の駐車場に勝手に駐車した車の後ろに、教会の青年が駐車したまま、どこかに行ってしまいました。さて、前に駐車した人は出ようにも出られません。「カギを教会に預けないなんて非常識な!」と怒っていましたが、どちらが非常識なのか、よくわかりません。

 結局のところ、わたしたち人間はみんなエゴイストだということです。自分中心で、自分のしていることは正しくて、人のしていることは間違いだらけ。しかし、本当にいちばんひどいのは自分自身だ、とは気がつきません。

 旧約聖書にも、ダビデ王が預言者ナタンから、「それは、あなただ」と罪を指摘されるところがあります。サムエル記下12章の場面です。自分の部下ウリヤの妻を奪うために彼を戦場に向かわせて殺した、その罪をナタンから告げられるまで、偉大な王と言われたダビデでさえ、自分の過ちに気がつかなかったのです。

 ある時、イエスさまは、ファリサイ派の人の家に食事に招かれました。するとそこに、その町で「罪の女」というレッテルを貼られていた女が入って来て、自分の流す涙でイエスさまの足を洗って、それを自分の髪で拭い、そして足に接吻し、香油を塗りました。ファリサイ派の人は、そんなことを許しているイエスさまを軽蔑しました。するとイエスさまは、たくさんの借金を帳消しにしてもらった人と、少しだけ借金をしていてそれを帳消しにしてもらった人と、どちらが赦してくれた人をより愛するだろうかと、譬えを用いてお尋ねになりました。弟子のシモンが、「帳消しの額の多いほうだと思います」と答えると、この女性こそ、多く帳消しにしてもらったと思って誰よりも深く感謝しているのだ、と言われました。

 つまり、人を裁いている間は、自分こそいちばん赦されねばならなかった者だという自覚がないのだ、ということを示されたのでした。

 今、イエスさまが「七の七十倍するまでも赦しなさい」と言われる時、それは、赦す「忍耐」を求められたのではなく、実に、自分こそ裁く資格のない人間であることに気づけ、と言われたのではないでしょうか。

 

■我慢くらべじゃない

 とは言え、「七の七十倍するまでも赦しなさい」と言われると、わたしたちはどうしたらいいのだろうかと考え込んでしまいます。

 「我慢をしなさい。お互い人間なのだから過ちもあるだろう。赦してやりなさい」。イエスさまに教えられなくても、誰もが知っている知恵です。当時のユダヤ教の教師、ラビたちも民衆に意見を求められ、我慢して、耐えて、赦してやらなければいけないと教えたようです。でも、どこまで我慢したらよいのか。そのことが問題となりました。そこでラビたちは、「三回までは赦してやりなさい」と教えました。「仏の顔も三度まで」ということわざと同じです。三という数字は、完全数―聖なる数の一つです。三度までは神様も勘弁してくれるだろう。神様が赦してくださるなら、わたしたちも、そこまでは赦してあげなければならない。とはいえ限度があります。四度目になると、もう赦す必要はなくなる。そこまで寛容になる必要はありません。

 ペトロが「七回までですか」という問いは、この「三回まで」という世間の常識の超えるものでした。驚きの言葉です。イエスさまは、世間の常識よりももっと深い愛を説くお方だ。ペトロはそういうことを計算に入れて、少し先回りをして、先生に褒めてもらいたいと思ったのかもしれません。世間の人は三回までと言っているけれど、もっと増やして、七回まで赦してやればよいのでしょうか。七も完全数の一つです。七回も赦せば、完璧な赦しになると思ったのでしょう。

 ところが、イエスさまは「七の七十倍するまでも赦しなさい」とお答えになります。そしてその意味を説明するかのように、一万タラントンを赦した王の譬えをお話しになります。

 でもこの譬え話、七の七十倍するまでも赦すのはなぜか、ということの直接の説明にはなっていません。この話の中に、たとえば、ある人がペトロの言うように自分の仲間の罪を七回までは赦してやった。ところが、八回目の罪を重ねた時に、もう我慢ができなくて殴り倒してしまったか、牢獄に放り込んでしまったかした。そういう姿が描かれていて、それに対してもっと忍耐深く、もっと愛の大きな人が、それとは別に七の七十倍するまでも赦してやった。そういう話が語られているのではありません。

 もともと赦しは、道徳の問題―自分の徳の高さや寛容さの問題ではありません。一度しか赦せない人間よりも、三度まで赦せる人間の方が偉い。三度しか赦せない人間よりも、七回赦せる人間の方が偉い。七回しか赦せない人間よりも七回を七十倍するまで赦せる人間は偉い。そういう話ではありません。偉さの問題ではないのです。

 七の七十倍する、それだけの忍耐力を持っている人間が四百九十回は赦せたが、四百九十一回目の罪を重ねられた時には、どうするのか。七回我慢した人間が八回目にやり返すよりも、四百九十回我慢したときの報復の方がはるかに激しいかもしれません。わたしたち人間のすることは、そういうことでしかありません。こんなに我慢してあげているのに、まだ分からないのかということになってしまうのです。 Continue reading

10月17日 ≪聖霊降臨節第22主日—朝拝≫ 『天国に一番近い島』 マタイによる福音書18章10~20節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■天国の福音

 「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」

 この言葉は、永遠につながる喜びとは何か、救いとは何かについて、わたしたちに教えてくれます。

 イエスさまがわたしたちと共にいてくださる。それもただ、わたしたちの間にいてくださるというのではなく、原文のままに訳せば、わたしたちの「真ん中に/只中に、今も/これからもいる」と約束してくださっています。

 どこか片隅におられるというのではありません。優秀で熱心な人の近くにいて、何もできない人からは遠くにおられるというのでもありません。二人、三人の誰であれ、共に集うわたしたち一人ひとりのすぐ傍近くにいてくださる。それも、いつともわからない将来のことではなく、喘ぎつつも生きている「今このとき、ここに」共にいてくださる、と約束してくださっているのです。

 イエスさまのこの言葉は、わたしたちに「天の国」の福音を思い起こさせるものです。イエスさまがこの地上で語られた最初の言葉、「天の国は近づいた。悔い改めて、福音を宣べ伝えなさい」。これもまた、天国が、神の支配が、今ここに、もうすでにあなたのところに来ている、という喜びの知らせでした。

 

■孤島

 新藤兼人という映画監督をご存知でしょうか。女優・音羽信子の夫でもある新藤はかつて広島県の尾道という町に暮らしていました。そのこともあり、瀬戸内を舞台にした映画作品をいくつも残しています。その中に『裸の島』という、秀逸で、とても印象深い作品があります。1960年に上映された、台詞の全くない98分の映画です。

 舞台は、尾道から三原へと向かう途中、JRの電車の中からも見える、周囲約五百メートルの小さな島、瀬戸内海の孤島です。この島に、夫婦と二人の子どもが暮らしていました。島の土地は痩せていましたが、夫婦の懸命な努力で、波打ち際から島の上まで耕され、美しい段々畑になっていました。春は麦をとり、夏はさつま芋をとって暮す生活。ただ一番の問題は、島に水がないことでした。畑へやる水もなければ、飲む水もありません。来る日も来る日も、遥か向こうに見える大きな島から、テンマ船でタゴと呼ばれる桶に入れて運ばなければなりません。しかも、水を入れた桶を天秤棒に担いで、急斜面の小さな道を登って、島の中腹にある家まで運びます。厳しい陽射しの下、噴出す汗を拭くいとまもなく繰返される作業。夫婦の仕事の大半は、この水を運ぶことに費いやされました。

 子どもは上が太郎で、下が次郎。太郎は小学校の二年生で、大きな島まで通っています。ある日、子どもたちが一匹の大きな鯛を釣りあげました。夫婦は子どもを連れて、遠く離れた町、三原へ巡航船に乗っていきます。鯛を金にかえて日用品を買うためです。ささやかな喜びが画面いっぱいに溢れます。ところが、ある暑い日の午後、突然、太郎が発病します。テンマ船を必死に漕いで、その孤島にようやく医者が駈けつけた時、太郎はもう死んでいました。

 葬式が終りました。夫婦は何事もなかったかのように、いつもと同じように水を運び続けます。と、妻が突然、狂ったように畑の作物を全部、抜き始めます。訴えようもない悲しみを大地へ叩きつけるかのように抜き続けます。夫はそれを黙って、ただ見つめます。

 泣いても叫んでも、この土の上に生きてゆかなければならない。灼けつくばかりの小さな島にへばりつくようにして、今日も明日も、ただただ黙々と働き、生活をする家族の姿が、実に淡々と描かれます。そして最後に字幕が表れます。

 「天国に一番近い島」と。

 孤島での、この過酷な生活のどこが、「天国に一番近い」というのでしょうか。いぶかしく感じながらも、浮かんでくる映画の一場面一場面を思い出していて、ふと気づかされました。この上もなく貧しく、過酷な生活にもかかわらず、その様子が淡々と、実に淡々と描かれている。その淡々とした映像表現が、淡々としたものであればこそ、熱いものが胸の奥からこみ上げてくるようでした。その貧しさ惨めさにもかかわらず、いいえ、貧しく惨めだからこそ、そのような過酷な状況の中に黙々と生きる姿が、与えられたいのちを精一杯に生きているその姿が、とても美しい。そう思わされました。その美しさが、天国と重なってくる、そんな映画でした。

 

■神様の愛ゆえに

 イエスさまが語られた天の国の福音は、神様が「今ここに」共にいてくださっている、それも良いことばかりではなく、避けることのできない苦しみや悲しみに喘ぎつつも生かされ生きている、そんなわたしたちと共にいてくださっている、その真実をわたしたちに教え示そうとされるものでした。

 そして今日も、イエスさまは語りかけてくださいます。

 「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」

 あなたたちの中に、今、わたしはいる、そうイエスさまは言われます。 Continue reading

10月10日 ≪聖霊降臨節第21主日礼拝/神学校日≫ 『えこひいきされる神』 マタイによる福音書18章1~9節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■えらい、えらい

 7、8年前のこと、元旦礼拝が終わって、母が一人で暮らす実家に帰ったときのことです。実家は気楽です。上げ膳据え膳、ごろ寝でテレビ。さすがに気がひけて、母が出かけている間に、台所の食器洗いを始めました。めったにしないくせに、やるとなると変にこだわるのが男の家事の特徴で、食器を丁寧に洗い上げただけでなく、ナベやヤカンの底を磨き、シンクのゴミ受けまでピカピカにして、母の帰りを待ちました。母の驚く顔を楽しみにしながら待っていました。

 ところが、帰ってきた母はそれに気づきません。けなげな息子の渾身の努力も知らず、何事もなかったかのように夕食の支度を始めてしまいました。もちろん、母に悪気などありません。日常のことほど、言われなければ案外気づかないものです。

 しかしそのとき、妙に苛立ったのを覚えています。さりげなく、「ああ、お皿洗っといたよ」と言ってみましたが、「あらそう」と流され、余計に苛立ってしまいました。いい年をした息子は一体、何に苛立ったのでしょうか。

 物心つく頃の親のひと言は、その子の人生を左右するほどの力を持っています。なかでも、「えらいね」とほめられる体験は決定的な影響を与えます。「あら、よくできたねえ、えらい、えらい」。「おや、自分でパジャマ着たの、えらい、えらい」。「まあ、一人でお片づけしてくれたの、えらい、えらい」。そんなひと言で、幼い心はどれほど誇らしく満ち足りることでしょう。その甘美な経験は脳の中に、心の奥底に深く刻まれ、さらなる「えらい、えらい」を求めて必死に努力するようになります。

 ところが、大きくなれば世の中はそう甘くないことを知ることになります。もはや自分で服を着ても「えらい、えらい」とは言ってもらえず、がんばっていい成績を取っても言ってもらえず、職場でいい働きをしても言ってもらえず、牧師になっても言ってもらえず、シンクのゴミ受けをピカピカに洗っても言ってもらえません。

 どうやら、どんなに大人になっても、心の奥には小さな自分がいて、だれかに「えらい、えらい」と言ってもらうために必死になっているようです。あの正月の苛立ちは、いい歳をしてなお、母親の「えらい、えらい」を求める、切ない不満が原因でした。

 このときの弟子たちも同じだったのかもしれません。

 

■だれがいちばん偉いのか

 「弟子たちがイエスのところに来て、『いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか』と言った」

 マルコによる福音書によれば、イエスさまがご自分の受難を繰り返し教えているその道すがら、弟子たちは「だれがいちばん偉いかと議論し合っていた」と言います(9:33-34)。何と幼稚で、愚かなことを、と驚かざるを得ません。しかしそれでも、「だれがいちばん偉いのか」というこの問いは、弟子たちにとって、またわたしたちにとっても、とても重要な問いです。厳しい競争社会を生きる外ないわたしたちの心の奥深くには、とにもかくも、人から「えらい、えらい」と言われたいという切ない望みが渦巻いているからです。
 
ペトロがキリスト告白をした直後に、イエスさまの受難予告を聞いた弟子たちは驚き、その言葉を遮ろうとし、逆に「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」とイエスさまから叱責されました。イエスさまが苦難の僕としてのキリスト、救い主であるということを弟子たちが受け止めることができなかったのは、彼らのキリスト理解の問題であると同時に、それは、彼ら自身の生き方の中にある上位志向、権力志向の表れでもありました。だからこそ、弟子たちは、受難への道を歩まれるイエスさまのことを理解することができず、その後に従うこともできません。「だれがいちばん偉いのか」と問う弟子たちは、イエスさまからも、イエスさまを遣わされた父なる神からも、隔たり、対立することになります。

 

■子どもを真ん中に

 そんな弟子たちからの問いかけを受けて、イエスさまは一人の子どもの手を取り、彼らの真ん中に立たせます。

 その子は一体、どういう子どもだったのでしょうか。戦災孤児の一人ではなかったかという人がいます。今も変わらぬ、当時のパレスティナの歴史的な状況を思えば、大いに肯けることです。こう書いています。

 「カファルナウムの町の陰に、親を失った子どもたちが何人か命をつないでいた。孤児となった理由は様々。兵士に殺されたもの、病に奪われたもの、生きたまま別れ別れになったもの、貧しさゆえに生きながら捨てられたものもいた。守るものがなくても、自分の力でどうにか生き延びようとしていた子どもたちにとって、カファルナウムの静けさはあまり居心地のいいものではなかった。人々は、時には思い出したように親切にしてくれたが、また気まぐれに冷たくあしらった」

 当時、子どもは、可能性を秘めた、純粋無垢な、庇護されるべき存在というのではありませんでした。まともに働くこともできない、教育と躾を必要とする、愚かで、不完全な、小さな大人に過ぎませんでした。ある注解書には、そんな子どもたちの置かれた状況がこう記されています。

 「飢饉、戦争、病気、社会混乱の中で、最初に被害をこうむるのは子どもだった。地域や時期によっては、大人になるまで両親が生きていることは、ほとんどなかった。孤児は、社会の最も弱く傷つきやすいメンバーの代表的存在だった」

 このとき、イエスさまが弟子たちの真ん中に立たせた子どもが、そういう孤児の一人であったということは十分にあり得ることです。

 ところが、だれがいちばん偉いかなどと議論していた弟子たちに、そんな子どもの存在など眼中に入るはずもありません。そういう存在が眼中に入らないということこそが、だれがいちばん偉いかと議論する弟子たちの本質を、問題性を表しています。 Continue reading

9月26日 ≪聖霊降臨節第19主日礼拝≫ 『つまずかせない』 マタイによる福音書17章22~27節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■受難への道

 「一行がガリラヤに集まったとき」とは、イエスさま一行がガリラヤに戻って来られたとき、ということです。領主ヘロデの迫害を逃れ、ガリラヤ湖をひと回りぐるりと巡り、最北の地フィリポ・カイサリアにまで行かれたイエスさまの一行が、今、ガリラヤに戻って来られました。イエスさまの命を狙うヘロデは、いまなお健在で、殺意も消えていません。そのような状況の中、一行が再びガリラヤに集結したのは、なぜだったのか。

 この後、ヨルダン川沿いに南下して、受難が待ち受けるエルサレムにお入りになる、新たな旅を始めるためでした。そのときの様子を、マルコは「一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った」(9:30)、ガリラヤを通り抜けてその先へ向かって行かれたと記し、ルカは「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」(9:51)と、ここから十字架への歩みが始まったことをはっきりと描いています。受難と復活の出来事をすでに知っている福音書記者たちにとっては、当然の描写とも言えます。

 しかし、弟子たちには受け入れがたいことでした。あの山上の説教の折に、祈りは必ず聞かれると断言され(7:7-11)、死人さえ甦えらせることのできる方として登場されたイエスさまです(9:18-26)。ほんの少し前、弟子たちは山の上で白く輝く栄光のイエスさまの姿を目撃し、てんかんの子どもを癒すという驚くべき業を目の当たりにし、さらには「からし種一粒ほどの信仰があれば」山をも動かすことができる、何でもできると教えてくださったばかりです。そのイエスさまが、エルサレムで殺されることになっている、と繰り返されます。

 それは、全面的な敗北宣言ではないのか。「からし種一粒ほどの信仰があれば」何でもできるというあの言葉と、この敗北宣言―二つの言葉を、どう理解すればよいのか。弟子たちは「非常に悲しんだ」と記されています。その深い悲しみに包まれている中、24節以下、神殿税にまつわる話が始まります。

 

■神殿税

 「一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て…」

 「ペトロのところに来て」というのですから、そこはペトロの家だったのでしょう。その家で、熱に苦しみ寝込んでいたペトロのしゅうとめをイエスさまが癒され、彼女からもてなしを受けられたこともありました(8:14以下)。今も、イエスさまは、そのペトロの家におられます。

 そこに神殿税の取り立て人たちがやって来ました。イエスさまの一行はこの時までガリラヤ周辺を巡って、放浪の旅を続けていましたから、カファルナウムに戻って来たところに彼らがやって来たのは、単なる偶然だったのか、それともその時を待ち構えていたのか。

 彼らは、応対するために外に出てきたペトロに訊ねます。

 「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」

 「神殿税」という言葉は、原文では、単に「二ドラクメ」です。一ドラクメは労働者一日分の賃金ですから、二ドラクメは二日分の労賃に相当します。

 当時、ユダヤの20歳以上の男子は、毎年、二ドラクメを神殿税として納める定めでした。その起源は、遠くモーセの時代にさかのぼります。出エジプト記30章11節以下によれば、イスラエルの民に属する20歳以上の男子は、会見の幕屋―つまり聖所の費用に当てるために、半シェケルを神に捧げることが義務付けられていました。これは本来、「生命(いのち)の贖(あがな)い」としての捧げものでしたから、金持ちも貧しい者も同じいのち、同じ額を納めることになっていました。これが神殿税の起源です。

 納期がやって来ると、村の世話役が税を集めて回ります。これは、神殿を中心とする信仰共同体の一員であることの証しであると共に、人々が神の祝福のうちに生きるしるしと見なされていましたから、もしそれを納めなければ、その年、その人にどんな災難が降りかかるか分からない。彼らはそう信じていました。納めない人は当然、不安を抱えて生活したでしょうし、取り立てをする人も、「あなたの罪は赦されないし、その罰がくだるのを覚悟しなさい」と脅していたかもしれません。

 

■神の子ども

 その取立人がやって来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と、ペトロに訊ねたのです。

 当時、人々は神殿祭儀を中心とする信仰に生きていました。律法に定められた掟に従って、毎年神殿税を納め、過越祭や仮庵祭には神殿に参り、生け贄を献げ、神に祝福と平安を祈りました。

 しかしそこに、まことの信仰と救いはあるのか。イエスさまは、「わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる」(マルコ14:58)、「神殿よりも偉大なものがここにある。もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう」(マタイ12:6-7)と言い切られ、「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている」といって神殿から商人を追い出され(21:12)、さらには神殿の崩壊を予告されました(24:2)。イエスさまは、神殿祭儀を中心とする形骸化した信仰を痛烈に批判しておられたのです。

 しかし人々は、もし神殿税を納めなければわざわいを招き、世間から何を言われるか分からない、そうした恐れから神殿税を納めていました。二ドラクマ、二日分の労賃です。安くはない金額です。しかし仮にそのお金を惜しんだら、神様との間にいざこざが起こるかもしれない。ひどい目に遭わせられたら困るし、世間の目もあるから仕方ない。人々は、自由な信仰心からではなく、わざわいへの恐れと世間の目に囚われて、神殿税を納めていました。 Continue reading

9月12日 ≪聖霊降臨節第17主日/教会創立記念礼拝≫ 『わたしのところに連れて来なさい』 マタイによる福音書17章14~20節 沖村裕史 牧師

≪式次第≫

前 奏    アダージョ (J.ベネット)
讃美歌    18 (2,4節)
招 詞    詩編37篇23~24節
信仰告白      使徒信条
讃美歌    99 (1,3節)
祈 祷
聖 書  Continue reading

9月5日 ≪聖霊降臨節第16主日礼拝≫ 『取って分かち合いなさい―聖餐(9)』 出エジプト記16章1~21節 沖村裕史 牧師

≪式次第≫

前 奏   装いせよ、おお魂よ (M.バイヤー)
讃美歌   17 (2,4節)
招 詞   ヨハネによる福音書6章37節
信仰告白  使徒信条
讃美歌   71 (1,3,5,7節)
祈 祷
聖 書   Continue reading