福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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1月15日 ≪降誕節第4主日礼拝≫『激しく泣いた』マタイによる福音書26章69~75節 沖村裕史 牧師

1月15日 ≪降誕節第4主日礼拝≫『激しく泣いた』マタイによる福音書26章69~75節 沖村裕史 牧師

 

■心にもないこと?

 ペトロが中庭にいたときのことでした。

 そうです、イエスさまがゲッセマネの園で逮捕され、大祭司カイアファの官邸に連行されるとき、ペトロは遠く離れてではあっても、その後について行きました。そして勇気を振り絞り、イエスさまの審問が行われている官邸の中庭にまで入り込みました。火にあたる人々の中に座って、審問の行方を探るために耳をそばだてていました。他の弟子たちの誰にもできないことをした、ペトロでした。

 そこに一人の女が庭に出て来たことから、出来事は一気に動き始めます。

 彼女は、火にあたっているペトロをじっと見つめ、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」、そう言います。どうして彼女がペトロの顔を知っていたのか、それは分かりません。ただ、突然あらわれた、見知らぬ一人の女中に見咎(みとが)められてから、ペトロはしどろもどろになっていきます。いささかの勇気をもって中庭に入りこんでいたはずの、そのペトロの内心を見透かすように、「あなたもあのイエスと一緒だった」と言います。

 周囲の人々の視線を感じながら、口を開いたペトロの言葉は、「何のことを言っているのか、わたしには分らない」というものでした。ペトロは心にもないことを思わず、咄嗟(とっさ)に口にしてしまったのでしょうか。

 身に危険が及ぶことを恐れたペトロは、庭の出口のある門の方へと向かいます。とそのとき、ペトロの背中に再び、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と、別の女の声が突き刺さります。振り返ってでしょう、ペトロはもう一度、「そんな人は知らない」と、神に「誓って打ち消し」ます。これも咄嗟のことで、心にもないことを口走ったのでしょうか。そうではないでしょう。

 しばらくして、そこに居合わせた人々が近づいて来て、口をそろえて「確かにお前もあの連中の仲間だ。言葉づかいでそれが分かる」と言い募(つの)ります。日本語でも、イとヒが反対になったりする地方があるように、ガリラヤの人は喉音(こうおん)が区別できなかったのだ、と説明する人もいます。今までのことは、仮初めのことと見過ごすこともできたでしょう。しかしペトロは今、はっきりと「呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始め」ました。

 

■呪いの言葉

 この「呪い」と訳されているギリシア語は、特別な意味合いをもつ言葉です。その一つ、コリントの信徒への手紙一の中で、パウロが「神の霊によって語る人は、だれも『イエスは神から見捨てられよ』とは言わない」(12:3)と書いています。この「見捨てられよ」と訳されているのが「呪い」と同じ言葉です。口語訳聖書では「イエスは呪われよ」と訳されていました。原文では、単に「イエス・呪い」「イエスは呪いだ」で、このすぐ後に続く「イエス・主」「イエスは主である」という言葉と対比されて置かれた言葉です。

 ローマ時代に捕らえられ迫害を受けたクリスチャンたちの多くが、「イエスは主である」と告白して殉教の死を遂げました。しかしその一方で、迫害の苦しみに耐えかねて、「イエスなんか知らない」「イエスは呪われよ」と口に出すことで、自分のいのちを守ろうとした人たちもいました。「イエスは主である」と告白するのか、「イエスは見捨てられよ」と呪うのか。信仰の分かれ道となる言葉です。迫害の只中にあった当時のクリスチャンにとって、この言葉は自分自身に向けられた言葉でした。

 ここに「呪いの言葉さえ口にしながら」とあるのは、ペトロが「イエスは見捨てられよ」「イエスは呪われよ」と口にしていた、ということです。

 ペトロは、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」(26:33)と自分が言ったことも、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(26:35)と言ったことも、それが何を意味しているのか、まったく分からずにいました。まだその時ではない、もっと切羽詰(せっぱつま)ってからだ、と考えていたのでしょうか。おそらく、そんなことを考える暇(いとま)もなかったことでしょう。

 

■鶏が鳴いたとき

 「するとすぐ、鶏が鳴いた」

 そのときのことです。遠くで、しかし耳をつんざくように鶏が鳴きました。ペトロを糾弾するかのように、良心の悲鳴であるかのように鳴きました。「夜明け」を告げるこの鶏の声が、ペトロにイエスさまの言葉をありありと思い出させました。

 「ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した」

 ルカによる福音書は、ペトロがこの言葉を思い出す前に、「主は振りむいてペトロを見つめられた」と記しています。自分を裏切ったペトロを見捨ててもよいはずなのに、イエスさまは振り向き、ペトロをじっと見つめられたと言います。その眼差しとはどんなものだったのか。さきほど賛美いただいた197番の2節に「よわきペトロをかえりみて、ゆるすはたれぞ、主ならずや」とある通り、福音書が描く「見つめる」イエスさまの眼差しには、いつも赦しと招きが込められていました。その眼差しに包まれたペトロは、イエスさまの言葉だけでなく、イエスさまが共にいてくださることに、イエスさまが見つめていてくださることに、イエスさまと三年半も寝食を共にし、一緒にいた自分に気づかされたに違いありません。

 鶏の声は、そんなイエスさまとの恵みにあふれた日々を否認する、そのすべてをなかったことにし、見失っている愚かさ、罪に気づかせるものとなりました。

 後(のち)にペトロはこの時のことを、何度も何度も、説教の中で話をしたにちがいありません。愛していたイエスさまを、これほどわずかな時間に、三度も知らないと言ってしまったこと。イエスさまに愛されていた自分が、これほどはっきりと、易々(やすやす)と否認した、あの夜明けのこと。一体、自分の信仰とは何だったのか、最後にはイエスさまを恥としてしまった、「福音を恥として」捨ててしまった。

 そのことに思い至ると、あの夜明けに涙を流した、同じ涙が頬を伝って落ちたに違いありません。

 

■激しく泣いた

 「激しく泣いた」

 ペトロは鶏の声によって、われに返ったのです。そして門の外へと駆け出していったとき、込み上げる感情を抑えることができず、うっすらと白み始めた闇の中で「激しく泣いた」のでした。

 親しい人とか頼りにしていた人が死を迎えるとき、誰もが涙を流します。聖書には、そんな人々の姿が多く描かれています。やもめたちは婦人の指導者タビタの死を「泣き」悲しみ、ナインという町に暮らしていたやもめは一人息子の死を「泣き」、会堂長の幼い娘が死んだとき人々は大声で「泣きわめいて」騒ぎ、マリアは兄弟ラザロの死を、そしてマグダラのマリアはイエスさまの死を「泣きま」した。

 しかし、死とは無縁の涙もあります。罪深い女は「泣きながら」、涙でイエスさまの足をぬらしました。罪をゆるす方に出会ったからです。ここでも、三度もイエスさまを否んだペトロは、イエスさまの言葉を思い出して「激しく泣」きましたが、その涙は後悔の涙ではありません。ユダは裏切ったことを後悔しましたが、罪をゆるすことのできない者に告白してしまい、首をつらざるを得なくなりました。ペトロが泣いたのは、裏切られてもそれでもなお見捨てられることのないイエスさまの心に触れ、その深い愛を知ったからでした。

 ペトロの涙は後悔の涙ではありませんでした。後悔の涙であれば、それはときに清涼剤のように、泣いてすっきりすることもできたでしょう。しかしペトロは挫折しました。みじめな敗北でした。自分のまじめさ、自分の正義感、自分の信仰の、いかに弱く儚(はかな)いものであるかを身に染みて味わいました。

 ペトロの涙は、この後もずっと続いたことでしょう。ペトロの魂のうちに、この涙は乾くことはなかったでしょう。しかしその涙をも、神様がずっと見守ってくださいました。よみがえられたイエスさまの方からペトロを訪ねてくださいました。そして、皆で祈って、待っていなさいと命じられました。そうすれば、聖霊があなたがたに注がれると教えられました。教会が生まれた聖霊降臨の出来事は、崩れ倒れて、涙の中で祈り始めたペトロへの神様の答えでした。

 聖霊を注がれてからの新しいペトロの口から語り出されたのは、自分の熱心さではなく、自分の信仰も語らず、ただひたすらに、ナザレのイエスさまの福音―無条件の赦しが、救いの恵みが、驚くほどの神様の愛が今ここにもたらされている、そのことだけを語りました。

 それはペトロだけではありません。十二弟子の一人だったヨハネもまた、晩年になって、こう語っています。ペトロの躓(つまづ)きやユダの結末、そのすべてを知った上で語ります。

 「私の子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、私たちには御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、私たちの罪、いや、私たちの罪ばかりでなく、全世界の罪のための宥(なだ)めの献げ物です」(1ヨハネ2:1-2)。

 イエス・キリストの十字架は、「全世界の罪のための宥めの献げ物」と言います。「全世界」です。神様の、イエスさまの大きな愛の中から漏れ出る人など一人もいません。イエスさまが十字架にかけられた時、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と祈られました。つい数時間前にはユダの裏切りがあり、ペトロのつまずきがありました。そのすべてを含めて、「父よ、彼らをお赦しください」と祈ってくださったのです。

 

■なみだ流したそのあとで

 おぞね・としこ(小曽根俊子、1954ー2005)さんの、「人を愛する資格はね」という詩があります。

 「人を愛する資格はね 早く走れることじゃない

 人を愛する資格はね 心でものを聞けること 心でものが見えること

 愛を伝える資格はね 人を信じる資格はね

 お金を持っていることじゃない 名前がうれていることじゃない

 いつか別れがやってきて さよならしたあとも 生きていけると誓うこと

 なみだ流したそのあとで 生きていけると誓うこと」

 おぞね・としこさんは、生まれたときから重度の障害をもって生きてこられた方です。そのために、涙を流し続ける日々がありました。人を愛することに破れたこともありました。しかし、涙を流したそのたびに、なお生きていけると自らに誓いながら生きられました。

 人間には、がんばっても、がんばっても、がんばりきれないときがあるものです。そんなとき、「もう、がんばらなくてもいい」とひとこと言ってくれる人があれば、どれだけ楽になることでしょうか。そのとき「がんばらなくてもいい」という安心が与えられます。そして、そこから再び出発できます。

 ペトロもまた、鶏が嗚くのを聞いたとき、そのことに気がついたのではないでしょうか。ペトロには、鶏の鳴き声が、彼の弱さと裏切りへの「赦し」の声として、よみがえり、聞こえたのではないでしょうか。涙を流したペトロの耳には、その嗚き声は、もう一度やり直すことへの呼びかけとして、よみがえって来たに違いありません。

 わたしたちも、このペトロの涙の重さを知っています。

 わたしたちは、神様の愛を引き出すような純粋な信仰などない者であるにもかかわらず、だからこそ、わらをも掴むような思いで、何よりも確かな神様の、イエスさまの愛に、どこまでも頼らざるを得ません。信仰が強いから弱いからではなく、からし種一粒ほどの信仰によって、ただひたすらに、御子イエスの愛に心を向けて助けを乞うならば、父なる神様は真実で確かなお方なのですから、必ず、わたしたちを救ってくださいます。それよりほかに道はありません。だからこその恵みであり、福音なのです。

 確かにわたしたちは、罪や過ちを犯せば、現実には蒔いた種の刈り取りを求められ、場合によっては生涯、やってしまったことの償いを迫られることでしょう。しかしそのような場合でも、イエス・キリストご自身が人生の同伴者として、蒔いた種の実を一緒になって拾ってくださいます。そのような究極的な赦しの愛の中に、わたしたちはおかれているのです。

 だからこそ、「なみだ流したそのあとで」、いのちをかけて赦しを与えてくださった方が悲しまれるようなことはしない。むしろ、この驚くばかりの恵みに与った者として、もっと積極的にそのお方が喜ぶ生き方を、すでに赦し愛された者としての道を、選び取って生きていくことができればと、心から願う次第です。