福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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1月16日 ≪降誕節第4主日礼拝≫ 『主よ! 主よ!! 主よ!!!』マタイによる福音書20章29〜34節 沖村裕史 牧師

1月16日 ≪降誕節第4主日礼拝≫ 『主よ! 主よ!! 主よ!!!』マタイによる福音書20章29〜34節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■エルサレム入城の直前

 「一行がエリコの町を出ると、大勢の群衆がイエスに従った」

 この時、ユダヤ人の最大の祭である過越祭が近づいていました。その祭を祝うために多くの巡礼者たちがエルサレムを目指して旅をします。彼らがガリラヤからヨルダン川に沿って南に下るのであれ、ヨルダン川の向こう側―ペレア地方を通るのであれ、エルサレムへと至る道はいずれもエリコを通ることになります。エリコは水が湧き出るオアシスの町です。荒涼たる荒野の中を歩いてきた人々にとっては、生き返るような思いのする町でした。エルサレムまでは、わずかに30キロ弱の距離です。ただエリコの海抜はマイナス250メートル、エルサレムは海抜760メートル。エリコとエルサレムの標高差は1000メートルを超えます。エリコからエルサレムへと至る道は相当に厳しい登り坂です。そこで巡礼の人々はみな、このエリコで渇いたのどを潤し、厳しい坂道と祭りに備えて身支度を整えてから、エルサレムを目指しました。「大勢の群衆」とあるのは、イエスさま一行と道を共にしていたそんな巡礼の人々のことかもしれません。

 しかしそんな喧騒と雑踏には一言も触れず、いきなり「エリコの町を出ると」とあります。イエスさまの目は、ただひたすらにエルサレムヘ向けられているようです。エルサレムへと至る旅の途上、十字架と復活の運命が待ち受けていることを語られたイエスさまは、そのことを受け入れ、理解することのできない弟子たちに繰り返し、受難のキリストを信じる者としてのあるべき姿を教え続けて来られました。そして、いよいよエルサレム入城直前の場面です。受難のキリストに従うということがどのようなことなのか、そのことを弟子たちに、わたしたちにイエスさまが教えてくださる、最後の時を迎えていました。

 

■二人の盲人

 そこに登場したのは「二人の盲人」でした。

 「そのとき、二人の盲人が道端に座っていた…」。この一文から、彼らが背負ってきた大きな苦しみと嘆きが伺えます。

 戦後、「障害者」という言葉の問題が様々に議論されました。「障」は、訓読みでは「さわり」。差し障りがある、目障り、耳障りというふうに使われます。辞書には「じゃま、さまたげ」、さらに「へだて、境をするもの」と説明されます。「害」は言うまでもなく「有害」の「害」。「障害者」という言葉は、たとえそれをひらがなで書こうとも、またわたしたちが意図しているか否かにかかわらず、「障りがあり、害がある者」「分け隔てられねばならない者」という意味合いを持っています。英語では、disabilities「不能者」からdifficulties「困難者」に、さらに今ではchallenged「挑戦者」と呼び方が変わってきましたが、残念ながら、日本語にはそれに代わる言葉が未だ見あたりません。

 しかし当時、盲目であった人々の苦しみは、わたしたちの想像をはるかに超えるものです。盲目は、重い皮膚病の人同様、汚れ呪われた罪人とされ、生家から捨てられ、物乞いとならざるを得ませんでした。マルコは「盲人の物乞い」と書いています。その盲目の人を前に、誰が悪いのか、誰の罪なのかと弟子たちがイエスさまに訊ねてさえいます。二人は人通りの多い道端に一日中座って、自分たちの姿を道行く人にさらし、憐れみを乞い、何がしかのものを恵んでもらうことによってしか生きることができない、人間としての誇りを打ち砕かれ、喜びも希望も見出せない日々を生きるほかない、そういう苦しみの中を生きるほかない人でした。二人は互いに助け合いながら、困難や悲しみに耐えてきたのでしょう。周囲の人々に蔑まれたりしながらも、それでも何とか、同じ境遇を知っている者同士として支え合ってやって来ていたに違いありません。

 

■憐れんでください

 そのときのことです。二人は周囲の様子がいつもと違うことに気づきます。耳を済ましていると、「ナザレのイエス」という声が聞こえます。ナザレのイエスが通って行こうとしている。あちこちで病人を癒し、目の見えない人を見えるようにしたことを聞いて知っていたのでしょう。そのナザレのイエスが自分の前を通って行こうとしている、それを知った彼らは思わず、大声で叫びます。

 「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」

 彼らには、イエスさまが今どこにおられるのか分かりません。分からないからこそ、何とか自分の声を届かせようとして大声で叫びました。「群衆」、周りにいた人々は叱りつけて黙らせようとします。「うるさい。道端で大声を上げるな」と叱ったのでしょう。弟子たちだったのかもしれません。イエスさまのもとに子どもを連れて来た人々を叱った時と同じように、これからエルサレムに上り、大切な使命を果たそうとしておられるイエスさまの邪魔をするな、という思いで叱ったのではないでしょうか。

 しかし、叱られ、黙れと言われた「二人はますます、『主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください』と叫んだ」と続いています。福音書は、イエスさまを「主よ」と、それも三回も叫んだ人がいたことを、ここに伝えます。しかもその内の二回は、「主よ、ダビデの子よ」と呼んでいます。

 この後、ロバの子に乗ってエルサレム入城をなさったとき、群衆は熱狂し、「ダビデの子にホサナ」と叫び、イエスさまを迎えます。その群衆に先立って、目の不自由な二人が、「主よ、ダビデの子よ」と呼びかけるのです。

 「ダビデの子」という呼び方は、ユダヤ人にとって大切な意味を持っています。ダビデはイスラエルの昔の王、それも理想の王の名前です。その子とはその子孫という意味ですが、それだけではなく、旧約聖書には、ダビデ王の子孫にイスラエルの救い主である真の王が現れ、主なる神の救いがその王によって実現するという預言が記されていました。いわば「ダビデの子」とは、神から遣わされる「救い主」を意味する言葉です。二人はその言葉でイエスさまを呼びました。それはつまり、「イエスさま、あなたこそ、神が約束してくださっていた救い主です」という信仰の告白であったということです。ペトロのキリスト告白に匹敵する信仰告白でした。

 もちろん二人の告白が、ペトロたちと同様、受難のキリストを受け入れているものではないとしても、それでも二人は、ナザレのイエスを、病気を癒し、目の見えない人を見えるようにすることができる奇跡の力を持った人、いわば「超能力者」のように考えて、そう呼びかけたのではありませんでした。神からの救い主キリストと信じて、「憐れんでください」と呼びかけています。ただひたすらに神様の憐れみによる救いを叫び求めています。

 「憐れんでください」。「憐れみ」という言葉は、神とイスラエルとの契約に基づく救いを、神の国が完成する最後の時に与えられる救いをもたらす、神様の「妬む」ほどの激しい愛を表す言葉です。人々はこの「憐れみ」を待ち望んできました(詩篇85:8他)。そして今、二人は深い悲しみの中に生きる者として、それに与ることを心から願い、声を励まして叫んでいます。

 それより他にすべがないからです。わたしは、あなたの憐れみなしに生き、存在することができません。そして、今ここに来られたあなたは、憐れみ、赦しと無償の愛の人です。そんなイエスさまへの信頼が、信仰が、二人に「主よ! 主よ!! 主よ!!!」と三度も呼びかけさせ、「憐れんでください」と叫び求めさせました。

 その姿は、直前の弟子たちの姿とは実に対照的です。イエスさまの右と左に座るのは誰かと言い争っていた弟子たちからは、救い主の憐みに依りすがり、その憐れみなくしては生きることなどできないといった信頼も、信仰も、微塵も感じられません。

 今、目の見えない物乞いの二人は、初めて救い主イエス・キリストと出会いました。弟子たちは、群衆は、これをはばみ、目の見えない二人とイエスさまとの関係を断ち切ろうとしています。しかしそれはかえって、火に油を注いだように二人の願いをかきたてます。なぜなら、イエス・キリストとの出会いのこの一瞬こそ、彼らが今まで生きてきた生涯をかけるべきとき、究極のときであったからです。

 二人は激しく叫び続けます。「わたしを憐れんでください」「わたしを憐れんでください」と。

 

■目を開けていただく

 二人がその声を挙げることがなければ、イエスさまはそこをそのまま通り過ぎられたことでしょう。イエスさまの思いはエルサレムに一直線に向けられていました。そのイエスさまの足に、彼らはストップをかけたのでした。イエスさまは、彼らのその声に応えて足を止めてくださいます。そして「何をしてほしいのか」と、静かに問われました。彼らは答えました。

 「主よ、目を開けていただきたいのです」

 マタイは、イエスさまが「目」のことをとても大切に考えておられたことを繰り返し伝えています。例えば、あの「山上の説教」では、「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身は明るいが、濁っていれば、全身は暗い」と語られ、あなたがたの目が暗く、見えなかったら、全身が暗い。全精神、全人格、全生涯が暗いのだ、と教えられました。また「ぶどう園の労働者のたとえ」の終わりでも、「自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか」と締め括られました。この「ねたむ」が原文では「目が悪い」という意味の言葉です。神様の気前のよさをねたましく思うのは、目が悪いことの証拠だ。だとすれば、どうして神様の愛の光の中に立つことができるだろうか、と教えられたのでした。

 今日は、新年、三回目の主の日です。高桑闌更(たかくわらんこう)の「正月や/三日過ぐれば/人古し」ではありませんが、新しい思いとともに、過ぎ去った年を振り返る思いも持たされます。振り返れば、幾度、自分の目の悪さ、暗さ―ねたみを抱き、人を斜めに見てしまう、そんなわたしの中にある暗い現実に気づかされたことでしょうか。わたしの目は何と「癖が悪い」ことかと思わずにはおれません。

 もちろん、そのことに気づくのは聖霊の働きによることです。聖霊によって気づかされ、そうした自らの目の癖の悪さを悲しむのですが、それでも、今日のみ言葉を通してわたしたちがなすべきことは、ただ悲しむだけではなく、「主よ、わたしを憐れんでください。あなた以外に、この目を開けてくださるお方はいないのです」と祈り願うことでしょう。二人のように、通り過ぎるイエスさまに向かって、「主よ、待ってください、このわたしに恵みを与えないで通り過ぎて行かないでください」と祈るように導かれる、いえ祈らずにはおれません。

 

■後について行った

 そしてそんな祈りに、イエスさまはしっかりと応えてくださいます。

 「イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり」

 目を開かれました。願い求めていたことが、イエスさまの恵みの力によって実現しました。この救いによって、二人は変えられ、新しくされました。自分たち自身も思ってもいなかった者へと新しくされました。そのことが、最後の最後に、こう語られます。

 「イエスに従った」

 目が見えるようになった彼らは、イエスさまに従って行ったのです。彼らが願っていたのは、目が見えるようになり、物乞いの生活から抜け出すことだったでしょう。そうなれば、施しによってではなく、他の人たちと同じように自分の力で働いて生きて行くことができる、と思ったのかもしれません。イエスさまによって目が見えるようになったことによって、まさにその願いを実現することができるようになりました。

 しかし、目が見えるようになった彼らがしたことは、イエスさまに従うということでした。

 イエスさまが、「目を開けてあげるからわたしに従いなさい」と言われたのではありません。イエスさまはただ「深く憐れ」まれただけです。イエスさまの救いは、何の条件もなく与えられたのです。だから彼らは、「本当にありがとうございました」と丁寧にお礼を言って、イエスさまのもとを去ってエリコの町に入って、職探しを始めてもよかったのです。しかし彼らはそうするのではなく、イエスさまに従って行きました。イエスさまのもとに留まり続けたのです。

 それは、イエスさまによって目を開かれたことによって、自分たちが本当に望んでいたこと、この目で見たい、見続けたいと願っていたことが何だったのか、に彼らが気づいたということでしょう。彼らが心の底で本当に望み願っていたのは、自分の手で仕事をして人並みの生活をすることではなく、このような救いの恵みを与えてくださる救い主キリストとの出会いだったのです。

 彼らが本当に見たかったのは、自分を招き、迎え入れ、救いを与えてくださるイエス・キリストの姿だったのです。イエスさまによって目を開かれたことによって彼らは、イエスさまと共に歩み、イエスさまをどのようなときにも見つめ続け、イエスさまに従っていく者へと変えられ、新しくされたのでした。