福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

【教会員・一般の方共通】

TEL.093-951-7199

1月17日 ≪降誕節第4主日礼拝≫ 『憐れみ』マタイによる福音書12章1~14節 沖村裕史 牧師

1月17日 ≪降誕節第4主日礼拝≫ 『憐れみ』マタイによる福音書12章1~14節 沖村裕史 牧師

■そのころ
 事の発端が、1節から2節に記されます。
 「そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、『御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている』と言った」
 まず目を留めていただきたいのは、冒頭の「そのころ」という言葉です。
 普通「そのころ」と言えば、「その辺りの時期」といったニュアンスの、前後の時間を含めた時を漠然と示す言葉だとお考えになるでしょう。ところが、原文では、「そのころ」、「その辺りの時期に」といった曖昧な表現ではなく、”at that time” 「その時」という、明確な時を示す言葉が使われています。つまり、今日の12章の出来事は11章に続いて起こったのだということです。
 イエスさまは全く理解のない人々に囲まれていました。がそこでなお、「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます」(11:25)と感謝の祈りを捧げた後、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(11:28-30)と手を差し伸べられます。
 疲れ果て、なお重荷を負ってあえいでいる人々に、「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのもとに来なさい。わたしが休ませてあげよう」と言われたのです。「休ませてあげよう」と「安息」を約束してくださったのです。
 「その時」に起こったのが、「安息」を巡る今日の出来事でした。

■安息―共に憩う
 イエスさまが約束し、今ここで問題となっている「安息」とは、どのようなものだったのでしょうか。
 「安息」とは、もともと、仕事を終える、仕事から離れるという意味の言葉です。六日間、一所懸命に働いてきて、仕事を終える、それから離れるということです。七日に一度休むというこの慣習は、古代のバビロンやパレスチナに住んでいた農耕民族の中にその起源があると言われています。なぜ、七日目に休んだのでしょうか。その日が悪霊の支配する禍(わざわい)の日だからです。何をしてもうまくいかない。この禍を避けるために、仕事を休まなければならない。現代のわたしたちと同じように、古代の人々も、際限なく働き続けることは、一時的に生産性をあげたとしても、最終的には無理がきて仕事の効率も下がり、健康を害して身の破滅を招くことさえあると考えたようです。
 モーセに導かれてエジプトを脱出したイスラエルの民がパレスチナに定着を始めたとき、その地の農耕文化と共に、七日目に休むというこの慣習も併せて取り入れました。ただ、イスラエルは自らの信仰に従って、これに二つの意味づけをしました。
 一つは、創世記冒頭の天地創造の出来事に基づくものです。出エジプト記20章8節以下にこう記されています。
 「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである」
 もはや第七の日は悪霊の支配する日ではありません。神は六日間働かれ、天地を造られました。人間も造られ、その世界のすべてに満足なさって、七日目にお休みになりました。その神の休息に由来するものとなりました。創世記には、神はご自分がお造りになった世界をご覧になって「よし」と言われ、祝福されたと書かれています。完成し、祝福したその世界をご覧になりながら、神は深い満足の安息をなさったと言えるでしょう。
 わたしたち人間の安息とは、その、いのちの主である神の祝福の安息の中に身を置くことです。神と共に休む、神と共に憩うことです。これまでせっせと働いてきた、あくせく働いてきた。その働きを止めて、ただひたすら神を仰ぎ、その祝福の内にしばしの憩いを得ようとする。そして神を賛美し、神のみ言葉を聞くことに心からの喜びを求めたのです。これが安息日であり、だからこそ、安息日に神への礼拝を守るようになりました。

■安息―イスラエルの原点
 もう一つ、申命記5章に記されている十戒の中にも、「七日目はあなたの神ヤハウェの安息であるから、何の業もしてはならない」(5:14)とあり、先ほどと同様、すべての者に休息を与えなさいと記された後に、天地創造の物語に代わって、「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである」と指示されています。
 つまり安息日は、ただ休息の日というだけでなく、出エジプト以来の神の導きを、奴隷から解放してくださった神の愛を想い起し、イスラエルの原点に立ち返って、「神の民」としての自覚を新たにすべき日とされました。
 この安息日が、国滅び、多くの民が囚われて、奴隷として異国へ移された、あのバビロン捕囚以降、特別、重要な意味を持つようになりました。囚われた人々とって、安息日ごとに会堂に集まり、神にいのち与えられ、選ばれた民としての歩みを想い起しつつ、自らのアイデンティティーをそこに確認するほかに、ひとつの民として立っていくことなどできなかったからです。
 捕囚以後に成立した安息日の律法が、これを破る者は死刑に処するという、厳しいものとなって行ったことも、自然なことだったと言えるかも知れません。そもそも彼らが捕囚という未曽有の苦艱に陥ったのは、神の御心をないがしろにし、これに背いた結果でした。であればこそ、再び神の御許に立ち帰り、真の悔い改めによって神の恵みに与ることを切望したとき、その御心の成文化されたものとしての律法を遵守することにあらゆる努力を集中していきました。イエスさまの時代、安息日に関する律法の細則が論議の的となり、その規定が煩瑣をきわめたものになって行ったこともまた当然のことでした。
 例えば、安息日には、二千キュビト(880メートル)以上の旅行も許されませんでした。これは、宿営の端から会堂までの歩行しか許されない、ということです。会堂での礼拝だけが許されたのです。 旧約に記されている安息日の禁止事項は 四つだけでしたが、ラビの伝承によれば、ここから39の禁止事項が作られ、さらにその一つひとつが39に細分化、合計1,521もの禁止事項が定められました。異常と思えるほどの力の入れ方です。
 イスラエルの民にとっての安息日の特別な重要性と、ここに描かれる安息日を巡る論争と対立がどれほど深刻な意味をもつものであったのかが分かります。

■ファリサイ派の殺意
 そのことを念頭に、ファリサイ派の人々が安息日の律法違反として咎めていることと、イエスさまがそれに対して反論されていることを読み直してみるとき、両者の間にある、その隔たりの大きさに愕然とする思いがします。
 麦畑の中を歩くこと自体、880メートル以内の距離であれば問題になりません。他人の畑で「手で(麦の)穂を拾い集める」ことも、咎めを受けることはありません(申23:25)。ただ、長い距離を歩くこと、手で穂を摘むという行為、摘んだ穂を口に頬張ることが、安息日に禁止されている労働に当ることとして問題視されたのでした。そのことは、イエスさまと弟子たちはもとより、わたしたちにとっても、実に愚かな規定のように思えても、当時のユダヤ教徒であれば誰もが、至極当然のことと考えることでした。
 イエスさまは、ダビデがサウル王の殺意を避けて、祭司アビメレクのもとに逃れ、緊急事態に対する例外措置として、聖別されたパンをもらったという物語(サム上12章)を引用して、弟子たちもまた、耐え難い飢えの中で麦の穂を摘んだことも例外的に認めてしかるべきだ、と反論されます。しかし安息日の規定が細分化され、厳格化していたこの時代に、ファリサイ派の人々を説得することはできなかったでしょう。
 続く5節も同様です。祭司が神殿の中で働くことも、安息日の労働を禁止する規定に反するではないか、というイエスさまの主張も、相手を納得させることはできなかったに違いありません。イスラエルの全員がその祭儀に参加することが、捕囚以来の安息日の目的でしたから、祭儀を取り行う祭司の行為が労働禁止の規定に反すると主張しても、それは的外れの議論として一蹴されたに違いありません。
 10節に記される、安息日に片手の萎えた人を癒すことの是非について尋ねるファリサイ派の人々の問いかけは、もはや、対話と論議のためのものではなく、イエスさまを訴える口実を見つけようとするためのものでした。イエスさまの言葉を聞いても聞かず、示される奇跡の業を見ても見ず、律法をないがしろにする者として、安息日規定の違反者として死刑に処せられるべき者として、その罪を問おうとする「ファリサイ派の人々」が、「どのようにしてイエスを殺そうかと相談した」のは、当然の結果であったと言わなければなりません。

■神ならぬ神
 それにしても、ファリサイ派の人々の敵意を百も承知の上で、それでもイエスさまがファリサイ派の人々に対して挑戦的とも思える言動を繰り返されるのは、なぜでしょうか。
 それは何よりも、イエスさまにとって断じて許せない一点が、神ならぬものを神とすることだったからではないでしょうか。
 イスラエルの民にとって、あらゆる偶像崇拝に抗い、唯一の神を信ずる信仰を守り抜くことは、最も大切なことであったはずです。ところが今や、生ける真の神ではなく、文字としての律法自体が、神のごとき権威をもって君臨してしまっていたのです。律法が本来、神の御心を成文化したものであったとしても、文字はあくまで文字であって、神そのものではありません。
 まして、その律法に一部の人々が解釈を加え、その解釈によって宗教的な支配を独占し、人を罪人として裁くようになったとき、そのすべてを「神のもの」として受け入れることは、到底できないことでした。自分たちが決めた細則を守ることで、敬虔さと正しさを装い、隠された形で世を支配しようとする新たな偶像崇拝を、イエスさまは黙認することなどできなかったのです。
 その意味で、「神殿よりも偉大なものがここにある」とは、「律法より偉大なものがここにある」ということでしょう。

■神の憐れみ
 このことを踏まえ、もう一度、イエスさまの語られた言葉を振り返っていただきたいのです。
 神ならぬものを神とするのではなく、生ける真の神の言葉として、イエスさまがまず教えてくださったのは、7節の言葉でした。
 イエスさまは、「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」と、預言者ホセアの言葉を引用し、「この言葉の意味を知っているのか、分かっているのか」と問われます。
 ここでイエスさまが問いかけておられること、それは、いけにえを捧げるという宗教儀式だけにうつつを抜かすよりも、人を愛する業に励む方がどれだけよいだろう、ということではありません。ファリサイ派の人々に向かって、神殿の中でいけにえを捧げるような宗教儀式や行事に時間を取られるのではなく、もっと立派な人間になるために、そこから出て行って憐れみの業に励んだらどうか、とチャレンジされたのでもないのです。そしてまた、イエスさまが弁護している弟子たちが、愛の業に励んでいたということでもありません。彼らがしていたことと言えば、麦の穂をつまんでそれを食べただけのことです。
 今ここで、イエスさまが願っておられること、それは、神殿よりも、律法よりも偉大な、イエスさまを通して示される神の国、神の憐れみに触れて欲しい、ということです。いえ、「神そのもの」と呼んでもよいほどの、その憐れみに気づいて欲しい、ということです。
 人は、その神の憐れみの中にあって初めて、本当の憩いを味わうことができるのです。そして、人間として造られ、生かされていることを喜ぶことができるのです。イエスさまはその恵みを示そうとなさったのではないでしょうか。
 神様は、わたしたちが何かよい行いをし、また何かを成し遂げたから、そのことのゆえに愛してくださるのではありません。ただ、そのご愛のうちにわたしたちを創造し、主によって贖われたがゆえに愛してくださるのです。
 イエスさまは、父なる神が約束してくださった安息を、より確かな仕方でわたしたちに示してくださいます。イエスさまは、わたしたち一人ひとりに向かって、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と、憐れみをもって「安息」へと招いておられます。わたしたちに問われていること、それはその招きに従ってイエスさまの許に、その喜びの中に飛び込んで行くことです。そのことこそ、わたしたちにとっての大いなる幸いであり、イエスさまが一番願っておられることなのです。