福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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4月27日 ≪復活節第2主日礼拝≫『目を覚ましていなさい―待望』 コリントの信徒への手紙 16章 5~24節 沖村 裕史 牧師

4月27日 ≪復活節第2主日礼拝≫『目を覚ましていなさい―待望』 コリントの信徒への手紙 16章 5~24節 沖村 裕史 牧師

■今後の計画

 コリントの信徒への第一の手紙も、いよいよ最終回です。といっても、これから引き続き第二の手紙の説教を続けていきますので、これで終わりということではなく、まだ道半ばといったところでしょうか。

 それにいたしましても、パウロという人は、自分の考えや計画を自分が牧会する教会の人たちにハッキリ知らせることに相当の努力をし、心を尽くし語っています。5節から12節に、今後の計画を語ります。

 8節にあるように、パウロは今、エフェソにいます。パウロは3回に亘る伝道旅行をしましたが、今は、その第3回目の途上にあります。使徒言行録19章によれば、第3回目の旅行のとき、パウロはエフェソに二年以上留まって伝道をしています。エフェソはいわゆる小アジア、今のトルコの西の端にあり、エーゲ海を挟んでギリシアと向かい合っています。パウロはこの町で伝道をしながら、第2回の旅行で彼が土台を据えた、フィリピやテサロニケなどギリシアの諸教会とも連絡を取り合う中、コリント教会の様子を特に心配して書いたのがこの手紙でした。

 パウロはこの後、ギリシアの諸教会を訪れたいと願っています。5節に「わたしは、マケドニア経由でそちらへ行きます」とあります。マケドニアはギリシア北部です。エフェソから小アジアを北上し、エーゲ海の北を回ってからバルカン半島に入り、まずマケドニアの諸教会を訪ね、それから南下してギリシアの南部、アカイア州の中心都市であるコリントを訪ねる。そういう計画を彼は抱いているのです。

 そして、コリントではじっくりと滞在して教会の人々と語り合いたいと願っています。7節にその願いが語られています。

 「わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています」

 パウロがこう思っているのは、わたしたちがこれまでこの手紙で読んできたように、この教会に、信仰の上でも、生活においても、様々な問題や対立があったからです。そのことを踏まえてこの手紙を書いたパウロは、一刻も早くコリントへ行って、教会の人々に直接語りかけたいと願っているのです。

 

■主の開いてくださった門

 しかしパウロは今、マケドニアを経由してコリントへ行く計画を語りながら、すぐには行くことができない理由を語ります。

 あなたたちのことを思えば、すぐにでも向かいたいが、今はそれができない。なぜなら、「わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるから」です、と言います。

 「自分の働きのために大きな門が開かれている」とは、このエフェソを拠点とした小アジア地方での伝道で、多くの実りが得られそうだということでしょう。自分の賜物が豊かに用いられて成果をあげることができる場がここにある、しかしそこには同時に「反対者もたくさんいる」。パウロがなおしばらくエフェソにいるのは、よい働きの場があり、成果をあげることができそうだからというだけでなく、「反対者たち」による妨害があるからです。

 パウロは、エフェソに留まった方が楽に伝道ができて、成果も上げやすいと考えて、ここに留まろうとしているのではありません。エフェソに留まることは、多くの反対者たちに囲まれる、困難な戦いの場に身を置くことです。彼はその困難の中に敢えて留まろうとしています。そしてその困難の中にこそ、「わたしの働きのために大きな門が開かれている」と言います。

 それは、困難な課題を克服することによってこそ栄光がある、という英雄的な覚悟からではありません。彼はそこに、神の導きを見ています。「大きな門が開かれている」。その門を開いてくださっているのは、神です。自分が困難を克服して門をこじ開けようと言うのではありません。神が門を開いてくださっているから、困難があってもその門を通って行こうとしているのです。

 パウロはこれまでも、そのように歩んできました。しばしば、計画の変更を余儀なくされてきました。しかし、そのことを主の導きと信じ、主がこのことを禁じて、他のことを自分に命じておられるのだと受け止め、その導きに従って予定を変更しつつ歩みました。第2回伝道旅行のときも、そのように道を変えられることによってギリシアに渡り、その結果、コリントに教会が生まれたのです。すべては主の導きでした。

 主が禁じられた道を捨て、主が開いてくださった門を通って歩む。エフェソになお留まろうとしているのも、そういうことです。彼はその後の計画もすべて主に委ねています。7節の「主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したい」とは、その思いの現れです。それを無計画、無責任だと批判する人もいるかもしれませんが、それこそがパウロの伝道旅行でした。

 反対者がいるからエフェソを去るのではなく、困難の中にも門が開かれているのでエフェソにとどまる。わたしたちに勇気を与える言葉です。

 

■何が重んじられるのか

 次に10節以下、テモテをコリント教会へ送り出したことに関して、彼が到着したら「心配なく過ごせるようお世話ください。わたしと同様、彼は主の仕事をしているのです。だれも彼をないがしろにしてはならない」と念入りに語っています。

 テモテは、パウロが第2回伝道旅行の途中、小アジアのリストラの町で出会った若い信仰者で、パウロは彼を同労者として伝道旅行に伴っていました。パウロは、このテモテをコリントに先に遣わそうとするに際して、「だれも彼をないがしろにしてはならない」と言います。口語訳では「だれも彼を軽んじてはいけない」となっていました。若い伝道者を、その若さのゆえに蔑(ないがし)ろにしたり、軽んじたりしてはならない、逆を言えば、ともすればそういうことがあったということでしょう。それに加えて、パウロの代理人の立場に立たされたテモテに対する風当たりは、相当強かったと想像できます。

 なぜ、そのテモテを重んじなければならないのか。それは、彼が「主の仕事」を担っているからです。パウロが求めていることは、伝道者への処遇の問題ではなく、教会が主のみ言葉を尊重し、それに従って歩むことでした。

 教会でどのような人が重んじられるかは、とても重要なことです。

 主の業のために献身し、教会に仕えている人が重んじられるべきだ、とパウロは告げます。それは、15節以下のステファナの場合についても同様です。教会でどのような人が重んじられているかによって、その教会の本質的な姿が見えてきます。社会的地位、学歴、経済状態、信仰歴の長短、性別など、教会内には多くの相違があります。しかし、そのようなことが基準とされるのではなく、その人がどれほど「主の仕事」に献身しているか、その点を見極めて重んじるなら、教会は建てられます。

 コリント教会では1章に出てくる「知恵」や、14章に出てくる「異言」などが重んじられた結果、教会中に争いが絶えず、共に生きることを妨げていたのです。コリント教会には、アポロを強く支持する人たちも少なからずいたことでしょう。彼らはアポロに来てほしいと思っていました。

 そこでパウロは、自分とアポロの間に対立関係などないことをさり気なく示します。パウロにとってアポロは「兄弟アポロ」でした。そして彼はアポロに、コリントに行くようにとしきりに勧めています。彼がアポロと対抗してパウロ派の勢力拡大を願っているのなら、そんなことを勧めるはずはありません。またアポロの方もそのように勧められても、今はコリントへ行く意志は全くないのです。それは、アポロも自分がコリントへ行くことによって、派閥対立を煽るようなことになってはいけないと思っていたということでしょう。

 パウロはここで、自分もアポロも、派閥の頭として担がれることを喜んでいないのだから、コリント教会の人々もおかしな内部対立をやめて、主のみ言葉に聞き従うことにおいて一致してほしい、そう語っているのです。

 

■何事も愛をもって行え

 いよいよ結びの言葉です。パウロは13節から14節で、四つの勧めを短く語っています。

 「目を覚ましていなさい。

  信仰に基づいてしっかり立ちなさい。

  雄々しく強く生きなさい。

  何事も愛をもって行いなさい」

 特に、最後の「愛をもって」することが重要です。これが15節以下の内容を決定づけているからです。コリント教会の内紛は、その根底に愛の欠如があったことは、これまでのパウロの言葉から明らかです。「最高の道」として「愛を追い求めなさい」(14:1)と勧めてきました。愛がなければ、すべては無益だからです。

 愛の具体的例証として、まず、ステファナ一家のことがあげられます。

 彼らは、アカイア州の「初穂」と呼ばれています。つまり、コリントの初めての信徒であり、「聖なる者たち」である信じる者たちのために、「労を惜しまず世話をして」きた人たちでした。これを直訳すれば、「自分たちを聖徒への奉仕に献げた」人たち、「聖なる者たちへの奉仕に自分を任命した」人たちとなります。ステファナの一家は、兄弟姉妹に仕える奉仕の務めへと自分たちを自発的に任命した、進んで務めを負って教会の人々に仕えていたのです。

 続けて16節に「この人たちや、彼らと一緒に働き、労苦してきたすべての人々に従ってください」と、そのような人たちに「従う」ことが勧められていますが、この「従う」という言葉も、実は「任命する」と基本的には同じ言葉です。「任命する」という言葉の頭に「下に」という字がつけ加えられたのがこの言葉です。この「従ってください」を説明的に訳せば、彼らの下に自分を任命しなさいという意味になります。

 ここから見えてくることは、パウロがステファナの一家の「奉仕」と教会の人々が彼らに「従う」こととを、同じ事柄として捉えているということです。一方に立派な奉仕をしている偉い人々がいて、他の人々はその人たちを尊敬して従う、というのではありません。教会のために仕える奉仕者たちは、その務めに自分を任命し、自発的にそれを負っている。教会の人々もまた、その奉仕者の働きを喜び、感謝し、その人々を尊重するという働きへと自分を任命する、そのようにして互いが仕え合い、奉仕し合う群れとなっていくことをパウロは願っているのでしょう。

 教会は、誰かが誰かに奉仕する所ではなくて、互いに仕え合う群れであるということです。誰かが奉仕者に選ばれて、誰かに奉仕をしていくのではありません。わたしたち一人ひとりが、互いに自発的に仕え合う者へとなることが求められているのです。

 続く17節を読むと、ステファナ、フォルトナト、アカイコといった人々が、コリント教会からエフェソにいるパウロを訪ねてきたことがわかります。

 彼らがコリント教会の様子をパウロに伝え、また彼がこの手紙で答えているいくつかの質問を持って来たのでしょう。パウロは彼らの訪問を心から喜んでいます。しかもそれを、自分個人の喜びや慰めとしてではなく、18節にあるように、「わたしとあなたがたとを元気づけてくれた」こととして捉えています。この訪問によって、パウロとコリント教会の人々の信仰における交わりが深められ、それによって双方が元気づけられたのです。

 ここからも、教会における交わりとそこでの支え合いについて、大切なことを学ぶことができます。ここでも、信仰者の交わりは「元気づける人と元気づけられる人、慰める人と慰められる人」という一方通行ではない、ということです。わたしたちは同じ信仰に生きる兄弟姉妹の間で、人を元気づけ、慰めることによって、自分自信もまた元気づけられ、慰められるのだということです。自分はいつも元気づけられ、慰められるばかりで、人を元気づけたり、慰めたりが少しもできない、などということはありません。たとえ表面的には、慰める人と慰められる人がいるように見えたとしても、実は、どちらもが神からの慰めを受けているのです。

 信仰の交わりにおいてわたしたちは、神からの慰めを分かち合うのです。そこにはいつも、互いが慰められる交わりの関係があります。自分が人に慰めを与えてやるのだと思っている所では、本当に人を慰めることはできず、それはきっと、余計なお節介になってしまうでしょう。

 

■待ち望みつつ

 そして最後に、パウロは自分で筆を取り、四つの重要なことを書き記し、手紙を終えます。

 「主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい」

 厳しい言葉です。教会の中にいる主を愛さず、自分の思いを貫き、愛をもって仕えようとしない人たちへの警告です。

 そしてパウロは、こんな祈りの言葉を続けて、この手紙を閉じます。

 「マラナ・夕」(主よ、来てください)

 これはアラム語の祈りです。1世紀の教会の歴史の始まりのときから、わたしたちクリスチャンはずっと、愛のイエス・キリストを主とあがめ、その主が再臨し、勝利し、救いを完成してくださることを待ち望んできました。この言葉は、そのゆるぎない証拠となる祈りです。

 そして最後の最後に、パウロは、キリストの恵みと、パウロ自身の愛を語ります。パウロがコリントの人たちに厳しい言葉を数々書き送ったのは、彼らを愛していたからです。彼らへの愛こそが、パウロを突き動かしていたのです。

 この愛と祈りによって、教会は立ち、生きるのです。

 そのことを心に刻んで、「目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。何事も愛をもって行いなさい」と、パウロはわたしたち一人ひとりに呼びかけます。これまで皆さんとご一緒に、この手紙を学べたことを感謝して、主に祈りましょう。