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4月2日 ≪受難節第6・棕櫚の主日礼拝≫『暗闇に閉ざされても』マタイによる福音書27章57~66節 沖村裕史 牧師

4月2日 ≪受難節第6・棕櫚の主日礼拝≫『暗闇に閉ざされても』マタイによる福音書27章57~66節 沖村裕史 牧師

 

■呪われた死

 イエスさまの遺体はどのようにして墓に葬られることになったのか。今朝、57節以下が語るのは、そのことです。

 冒頭に「夕方になると」とあります。イエスさまは、午前九時に十字架につけられ、午後三時に息を引き取られました。間もなく夕方になろうという時刻です。この時刻は、葬りのタイミングとしては最悪の時間帯でした。

 マルコは「夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので」と記しています。ユダヤの時刻の数え方によれば、日没から新しい日付となります。午後六時に日が沈むとすれば、あと三時間で日付は翌日になり、土曜日となります。土曜日は安息日、一切の労働が禁止されていました。遺体を葬ることも、労働のひとつです。遺体を運ぶことも、遺体を布でくるんだりすることも、安息日には禁止されていました。

 では、遺体を葬らずに、そのまま安息日が終わるまで放置すればどうなるのでしょうか。カラスや猛禽の類が死体の目や傷口をつついて、その肉を食べ始めることでしょう。なんと酷いと思われることでしょう。しかし、十字架刑とはそもそも、そういう刑罰でした。あと数時間すれば、死体を取り下ろすこともできず、指をくわえてイエスさまの遺体がついばまれるのを見守るしかない安息日が始まります。最悪の時間帯でした。

 申命記21章22節から23節に、こう書かれています。

 「ある人が死刑にあたる罪を犯して処刑され、あなたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである」

 イエスさまの死がどのようなものだったのかを思わされます。十字架から降ろされた遺体の埋葬にもそのことが明らかになります。それは、呪われた死でした。呪われた死とは、捨てられた死ということです。人から捨てられた死です。いえ、神に捨てられることは、人が捨てられることよりも遥かに厳しいことでした。それが、十字架の死でした。

 そんなときに、男の弟子たちは全員、早々に逃げ去ってしまい、最後まで付き従っていた女たちも、ただ黙って遠巻きに眺めているほかありませんでした。放っておけばどういう結果になるか、当然予測のつくことでありながら、どうすることもできずにいました。

 

■用いられたヨセフ

 そのときのことです。

 「アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた」

 アリマタヤがどこなのか、はっきりとは分かりませんが、ヨセフと呼ばれるこの人が「金持で」「イエスの弟子であった」と書かれています。マルコ福音書には、「身分の高い議員」、最高法院の議員であったとあります。イエスさまの死刑を全会一致で裁定した最高法院の一員であったとすれば、この人もその一員として、本意ではなかったとしても、イエスさまの死刑に同意していたのかもしれません。

 その彼が、十字架の上のイエスさまの悲惨な姿を目の当たりにし、そしてまた、このまま放っておけば当然もたらされるだろう、さらに酷たらしい状況を思ったとき、彼はまるで生まれ変わったかのように振る舞い始めます。

 イエスさまの遺体を引き取って埋葬するということは、最高法院の議員たちに対する反逆です。ユダヤ社会にあってそれは、「金持」あるいは「身分の高い議員」としての特権、名誉をかなぐり捨てるような大胆な行為でした。それはまた、ローマに対する危険な行為でもあったはずです。十字架刑は、ローマ帝国に対して反乱を企てた者に下される刑罰です。カラスや猛禽の餌として食いちぎられる死体をさらし者にするための刑です。その遺体を取り下ろし、埋葬を願い出るということは、その刑罰を途中で取りやめてほしいと願い出ることに他なりません。ヨセフの申し出は、わたしはこのイエスの仲間である、イエスと同じ反逆の意志を持っている、と言っているのと同じことです。しかし、そのような危険を冒して、ヨセフは今、イエスさまの埋葬を申し出ました。

 この埋葬は、当然のこととしてなされたのではありませんでした。

 なぜ、ヨセフがイエスさまの遺体を葬ろうとしたのか、その心の内を伺わせる言葉はどこにも記されていません。ただ、「この人もイエスの弟子であった」とあるだけです。イエス・キリストの福音―天の国がやって来ている、神様の愛の御手が今ここに差し出されているという喜びの知らせを耳にし、罪の赦しを信じ、その希望に生かされ生きていた人であった、ということでしょう。十字架のすぐ傍で処刑人の立場で立ち合っていた百人隊長たちが、イエスさまの死をまっすぐに見つめながら、「本当に、この人は神の子だった」と言ったように、ヨセフもまた、イエスさまの死を見て、そこに神の国が、神様の愛の御手がもたらされていることを同じ感動をもって味わい、埋葬を決意したのかもしれません。推測をするより他はありません。

 それでも明らかなことは、この人の心の内に、神の国、神様の愛の御手を願い求める、希望の火が灯されていたのだろう、ということです。神様ご自身が、イエスさまの地上でのわざを完成させるために、今ここで、このヨセフを用いて埋葬をさせておられるのだ、ということです。

 十字架に死なれたイエスさまの体は、そのままでは無力です。誰かが運ばなければなりません。イエスさまに代わってその十字架を無理やり担がされたキレネ人シモンと同じように、ここでも思いがけず、ひとりのユダヤ人が自分の名誉や地位を賭けて、ピラトの前に膝を屈(かが)め、イエスさまの遺体を請い、自分の墓地に葬ることになりました。

 

■死にて葬られ、よみにくだり

 この出来事を、使徒信条は「主は死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり」と告白しています。「死んで葬られ、よみにくだり」と、死にまつわる言葉が三度も重ねられ、「確実に死なれた」ことが強調されています。ここに語られていることは、イエスが本当に死んだのだ、という事実です。下げ渡されたイエスさまの体を、ヨセフが丁重に葬ることを通して、イエスさまは確かに、死者の中に入れられたのです。

 わずかに5節の短い出来事を、すべての福音書が書き記します。つまり、福音書を書いた四人全員が墓に葬られたことを、どうしても書いておかなければならないと考えたということです。後の教会も、イエスさまが葬られたことを大切なこととして告白し続けました。

 では、イエスさまが墓に葬られたことは、わたしたちの信仰にとって、どのような意味を持っているのでしょうか。パウロはイエスさまの死の意味を、こう語っています。

 「キリストは、神の形でありながら神と等しくあることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして僕の形をとり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまでそれも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ2:6-8)

 神の御許におられたイエスさまが、ご自分を無にし、この世にお生まれくださった。それは、罪の内に彷徨(さまよ)っているわたしたちを捜し出し、救うため、わたしたちの罪を代わって担い、わたしたちと共にあるためでした。

 マタイは、そんなイエスさまのご生涯の意味を、旧約聖書の預言者の言葉を重ね合わせて、「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』これは『神は私たちと共におられる』という意味である」(1:23)と記しています。

 ここまでマタイによる福音書を読み進めてきて、まさに「インマヌエル/神はわたしたちと共におられる」とは、誕生から十字架、そして復活まで、イエスのご生涯のすべての場面を貫いて、繰り返し描かれているメッセージです。わたしたちが行く所、どこへでも、イエスさまはご自分を無にして、降(くだ)って来てくださいます。

 その極みが、「よみにくだり」と使徒信条が告白する、イエスさまの「よみくだりの出来事」だ、と言うことができるのではないでしょうか。

 ところで、「よみ(陰府)」という言葉を見ると、「地獄」を連想する方もあるかもしれません。ヘブライ語の「シェオル」、ギリシア語では「ハデス」という言葉ですが、聖書の言う「よみ」とは、死んだ人間が行く世界のことです。ちなみに、生前の罪の罰を受ける「地獄」はギリシア語の「ゲヘナ」で、「よみ」とは区別されています。

 詩編88篇に「陰府」という言葉が出てきます。

 「わたしの祈りが御前に届きますように。わたしの叫びに耳を傾けてください。この魂は災いを知り尽くし、この命は陰府に届きそうです。わたしは穴に下る者のうちに数えられ、助けのない人のようになりました。死人の中に捨てられ、刺し貫かれ、墓に横たわる者のようになりました。もはやあなたはそのような者に心を留められません。御手から切り離されたのです」(88:3-6)

 これこそ、旧約の時代の死生観だと言われます。陰府とは、神様との関係が完全に断絶された、深い闇の世界のことです。そこに落ちてしまったら、二度と光を見ることができません。

 このことを前提に、使徒信条が何を告白しているのかと言えば、イエスさまは死なれた後、詩人が恐れる陰府にまで降ってくださったのだ、と告白するのです。そのことをペトロ第一の手紙はこう語っています。3章19節以下、

 「こうしてキリストは、捕らわれの霊たちのところへ行って宣教されました。これらの霊は、ノアの時代に箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者たちのことです。僅か八名だけが、この箱舟に乗り込み、水を通って救われました。この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです」(3:19-21)

 「捕らわれの霊たちのところ」とは、「陰府」のことです。神様の御手から切り離された、絶望と闇が支配する場所です。ところが、その陰府に、光そのものであるイエスさまが降っていかれたのです。

 

闇を追い払うため

 闇を追い払うためです。

 死とは、いのちを失うこと、まだ生きたいと願っていても、もはや生きることができなくなることです。愛する者たちから切り離されてしまうこと、神様の恵みを失ってしまう苦しみ、絶望であることを、わたしたちは否定することができません。天寿を全うしての大往生であっても、本人にとっては、死ぬことはやはり苦しみであり、悲しみです。まして、世の中には様々な心残りがある中での、無念の死というものもあります。毎日のニュースに流れてくる事件のように、理不尽に殺されてしまう、死んでしまうということがあります。たとえそうでなくとも、何の心残りもなく、満足して死ぬことができる人は、そう多くはおられないでしょう。

 ですから、死はやはり、わたしたちが味わう、最も大きな苦しみであり、悲しみであり、絶望なのです。そして墓は、その死の力がわたしたちの人生を支配していることの、目に見えるしるしです。墓は、わたしたちに、お前も最後は死に捕えられて、ここに葬られて終わるのだ、と語りかけているのです。

 その墓に、十字架につけられて死んだイエスさまもまた、葬られました。それは、神の独り子であられるイエスさまが、死の苦しみを体験し、死の支配の下に身を置かれた、ということです。イエスさまは神に見捨てられ、その怒りによって滅ぼされ、もはや神とのつながりを断たれてしまった、その全く光の見えない絶望の闇の中にこそ、身を置いてくださり、死の絶望を一切の割引なしに味わってくださったのです。

 そうすることによって、イエスさまは、死の力に支配されており、それをどんなに否定しようとしても、無念のうちにそれに捕えられて、墓に葬られるしかない、わたしたちと共にいてくださり、わたしたちより先に、死の苦しみ、絶望を味わってくださったのです。

 「死んだらお終(しま)い」というわたしたちを捕らえる死の物語が、この後に描かれる復活という希望の物語に書き換えられ、たとえ、わたしたちがどれだけ離れたところにあったとしても、福音の光は必ず届くのです。なぜか。陰府にすら届いているからです。まったく断絶してしまったかに思えるような状態にあっても、わたしたちを捜し続け、光そのものである方が陰府まで降りて来て、闇を追い払ってくださったからです。

 

暗闇の中に光を放つ

 最後にもう一度、今日の聖書の箇所に戻りましょう。

 イエスさまが生前語られた、「自分は三日後に復活する」という言葉を、祭司長たちやファリサイ派の人々が、自らの口で言い表しています。しかも、弟子たちが、「イエスは死者の中から復活した」と言い触らすことを心配しています。これは本来、イエスさまご自身が語られた言葉です。

 その言葉が今ここで、力を発揮し、暗闇の中にあって光を放っています。

 本来なら、計画通りにイエスさまを十字架で殺害することができたわけですから、喜びの中にあっていいはずの彼らです。ところが、勝利者であるはずの彼らが不安の中におかれています。その証拠に、イエスさまの墓に封印をさせ、厳重に警備させるために番兵まで配置しています。

 しかし、まさにこの間、イエスさまは何をなさっておられたでしょうか。イエスさまは「陰府にくだり」、福音を宣べ伝えておられたのです。そのように、誰一人として、イエスさまの復活の力、神の国の福音宣教を阻止し、封印することはできなかったのです。

 イエスさまの埋葬は、復活の栄光に備えるためのものでした。イエスさまが死のどん底まで下り、陰府への宣教活動へと向かわれたことは、死からの解放者としてのその姿を示されるためでした。その意味で、今日の受難週の礼拝において、わたしたちはすでに復活への序曲を聞き始めているのです。

 陰府においても、わたしたちに福音を語りかけてくださるイエスさまの圧倒的な恵みに感謝しつつ、今日から始まる受難週の日々を、その恵みにふさわしくご一緒に歩んでいきたい、そう願う次第です。