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4月30日 ≪復活節第4主日礼拝≫『健全な不信仰』マタイによる福音書28章16~20節 沖村裕史 牧師

4月30日 ≪復活節第4主日礼拝≫『健全な不信仰』マタイによる福音書28章16~20節 沖村裕史 牧師

 

■ガリラヤの山

 「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた」

 故郷のガリラヤに逃げるようにして帰っていた弟子たちも、マグダラのマリアたちと同じように、従うべきイエスさまを見失い、暗闇の中にうずくまっていました。もはや、何の望みも、何の喜びもありません。一番傍(そば)近くにいながら、イエスさまを見捨て、逃げ惑ってばかりいた弟子たちでした。心の中は、後悔と恐れ、迷いと疑いでいっぱいでした。「ひれ伏した。しかし、疑う者もいた」という言葉から、そんな弟子たちの心の内が透けて見えてくるようです。イエスさまが死んで、もうお会いすることも叶わない。もうすべてが終わってしまった。心が千々(ちぢ)に乱れる弟子たちでした。

 それでも、いいえ、そんな弟子たちにこそ、イエスさまはその姿を現わして、出会ってくださいました。ガリラヤの山の上での出来事でした。

 みなさんは、ガリラヤの山をご覧になったことがあるでしょうか。聖書の風景を撮った写真集には、ヨルダン川の流れる、緑豊かな、とても美しい山々の写真が載っています。

 その山は、「貧しいものは幸いである」と弟子たちにお教えくださった山だったかもしれません。あるいは「あなたこそキリストです」と告白したペトロが十字架への道を理解できず、「あなたは神のことではなく、人間のことを考えている」とイエスさまから叱られた、あの山かもしれません。それとも雲の中で白く輝くイエスさまを見て、「ここにいるは、なんと素晴らしいことでしょう」とペトロたちが喜びに溢れた、栄光の山だったでしょうか。

 ガリラヤの山に行きなさい、そこで会おう、とイエスさまは言われました。それは弟子たちに、ガリラヤのあの美しい山々での出来事、あの山の上でイエスさまが教えてくださったこと、光輝く姿を見せてくださったことを想い起し、振り返り、もう一度、踏みしめるようにして歩み直して欲しい、そう願われたからではないでしょうか。

 

■想い起すということ

 振り返ること、想い起すことを、わたしたちは、うしろ向きで消極的な態度だと考えがちです。しかし、そうとばかりは言えません。わたしたちは振り返り、想い起すことで、新しく生き直す力、新しい人生、新しいいのちを与えられることがあります。

 柳(ゆう)美里(みり)という作家をご存知でしょうか。泉鏡花文学賞、野間文芸新人賞を受賞した『フルハウス』、芥川賞を受賞した『家族シネマ』など、数多くの優れた小説や戯曲を発表している女流作家です。その作品の中に、29歳のときに発表した『水辺のゆりかご』という、小説のような自伝的エッセイがあります。その最後の章にこんな言葉が綴られています。

 「私はなぜこんな早すぎる自伝めいたエッセイを書いたのだろう。過去を埋葬したいという動機は確かにある。私が書いた戯曲の主題は〈家族〉であり、その後書きはじめた小説もやはり〈家族〉の物語から逃れることはできなかった。つまり私はこのエッセイを書くことによって、私自身から遠く離れようとしたのだ。それこそがこのロングエッセイを書いた理由だと思う。

 私は過去の墓標を立てたかったのだ。それがどんなに早過ぎるとしても―」

 柳美里はこの作品をこんなふうに書き始めています。

 「昭和四十三年六月二十二日。私は夏至の早朝に生まれた」。「美里という名を与えてくれたのは母方のハンベ」。ハングルで祖父という意味の言葉です。在日韓国人の家庭に生まれ育った彼女の家庭環境は厳しいものでした。

 「父は自分の血について何かしらの怯えを感じていたのではないか」。そして、「”悪い血”、父はいつも自分の血流に耳を澄ましていたような気がする。その激しくしぶく濁流に堪えられずに、自分を憎み、私たち家族を憎んだ」と記しています。

 幼い彼女は、「ひとりのときは、ようじと粘土とティッシュで人形をつくり、空き箱で家をつくった」。「仲違いもすれば、殺し合いもする人形の家族」を想定し、「声音を変えてひとりで会話した」。それはこんな風でした。

 「『あんたたち、みんな死ぬのよ!』母親の人形が叫ぶ。のっそりと立ちあがった父親の人形が、ざらざらした耳障りな声でいう。『死ぬのはおまえだ。』

 学校に行けば『カンコク人は自分の国に帰れ!』と砂場の砂を投げつけられることもざら。水泳のリレーになれば、『オエッの大合唱―、耳がキーンとして、顔がほてって、涙で視界が滲』む。そんなとき、一方で自殺を考え、他方で復讐のため、その『いじめを克明に記録』した。

 その後、『父と母の間柄は日に日に険悪になり、それに比例して父が私たちきょうだいに振るう暴力は激しく』なる。『息を殺し、針のように突き刺さってくる時間に堪えた。』

 ある深夜気配を感じて目を開けると、母が枕もとに立っていた。『おまえを殺して、あたしも死んでやる。』母は出刃包丁を握りしめていた。『死ぬときは自分で死ぬよ。てめえなんかに殺されてたまるか!』」

 この後、高校を中退し、逃げるようにして家を出て、上京。東京キッドブラザースのオーディションに合格します。劇団員となった彼女はそこで、「記憶はひとつの物語でしかな」い、という考え方に出会います。そして、「ひとは往々にして自分に都合のいいよう創作しているものだ」と言われ、ハッとします。「もしかしたら私の陰惨な記憶も案外自己憐憫によるフィクションかもしれない」。とすれば、過去というものは書き換えることもできるはず。自分の過去を書き換える気持ちで、戯曲の執筆を始めました。彼女が自伝的エッセイを書くのは、そういう「過去を埋葬」するためでした。早く「過去の墓標を立てたかったのだ」と彼女は告白します。

 まるで、後悔と恐れ、虚しさと疑いの闇の中に苦しみ足掻いていた弟子たちのようです。彼女は、陰惨な過去から決別するために自伝的エッセイを書きました。しかしそれは、過去に縛られて、諦め、呟き、絶望するためではなく、過去と向き合い、過去を辿り直し、新しいいのちを生きるためでした。

 それから20年余りが経った2020年のイースター、51歳の柳美里は、カトリック教会で洗礼を受けました。そのときのことをこう記しています。

 「司教が『キリストに従う者の共同体にあなたを迎え入れます』とおっしゃり、わたしの額に十字を描いてくださいました。

 これが……消えない……ずっと、額に十字架がある。

 踏み絵などで棄教を迫られ、それに応じないで死を選んだ殉教者の額にも十字架があったのだな、と思いました。

 いまは、イエス・キリストの足音に耳を澄ましています」と。

 

■恵みの約束

 わたしたちも、いつでも、何度でも新しいいのちを生きることができます。なぜなら、わたしたちのいのちが神様から与えられたかけがえのないものだということに気づかされるとき、そして今もここで、イエスさまからあふれるほどの贈りもの、恵みを与えられていることに気づかされるとき、わたしたちの人生は、ただ苦しく、悲しく、空しいだけのものではなくなるからです。

 そのことをこそ、弟子たちの物語がわたしたちに教えてくれるのではないでしょうか。

 そもそも、弟子たちが、自分の意志や力で、イエスさまとお会いできる場所を懸命に捜し出したというのではありませんでした。その場所さえ、イエスさまが教えてくださったのでした。弟子たちが成し遂げたことは、何一つありません。すべてはイエスさまの恵みによって成し遂げられたのでした。弟子たちは、イエスさまと一緒に歩んだ道程をもう一度辿り直すことで、イエスさまが語り、教え、示してくださったすべてのことが、イエスさまが与えてくださった恵みであることに気づかされたのではないでしょうか。

 そう、イエスさまが甦ってくださって、そのことを弟子たちに教えてくださったのです。

 わたしたちにとって、死はどうすることもできない終わりのときです。しかし今、死んだはずのイエスさまが甦ってくださいました。イエスさまにとって、死は終わりではありません。もうどうしようもない、終りだとわたしたちが絶望してしまうようなことも、イエスさまにとっては終わりではありません。

 その甦りのイエスさまが今、「いつもあなたがたと共にいる」と約束してくださっています。そして「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」と招いてくださるのです。

 繰り返し繰り返し、躓き、恐れ、たじろぎ、疑った弟子たちへの、この約束、この招きこそが、何にも勝る恵みです。

 弟子たちは、招かれるにふさわしく悔い改め、それにふさわしい清い生活を送っていたというのではありません。「ひれ伏し、しかし、疑う者もいた」、そんな弟子たちをこそ、そのままに招くために、体を屈(かが)めるようにして、すぐ傍まで「近寄って来て」くださいました。

 そのように、こちらがハッとするほどに、そっとわたしたちの傍近くに寄り添って、イエスさまは招き、出会ってくださるのです。そして、はっきりと宣言してくださるのです。

 「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」

 

■健全な不信仰

 「いつもあなたがたと共にいる」

 思えば、弟子たちが甦られたイエスさまと出会ったその場所は、どこか遠い場所でもなければ、壁の中の隠された場所でもありませんでした。そこは、エルサレムの人々から見れば、辺境の、しかも多くの異邦人が暮らす穢れた地、ガリラヤでした。罪深い、わたしたちの日々の生活の只中こそが、甦りのイエスさまと出会うべき場所でした。

 イエスさまは「教会に来たときだけ、あなたがたと共にいる」とか、「礼拝をしているとき、お祈りをしているとき、聖書を読んでいるときだけ、あなたがたと共にいる」と約束されたのではありません。「いつも」共にいる。仕事をしているとき、遊んでいるとき、泣いているとき、笑っているとき、楽しいとき、悲しいとき、怒っているとき、恥ずかしい思いをしているとき、うまくいっているときも、うまくいっていないときも、「いつも」あなたがたと共にいる、これがイエスさまの約束でした。

 このとき、イエスさまと出会った弟子たちの中には「疑う者もいた」とあります。いえ、原文の感じから言えば、「どの弟子もが疑いを抱いた」ようです。

 完璧な篤い信仰を持って、豊かな愛と御言葉の知識を持って、世の波風に惑わされず、あるいは世から一歩退いて、清く正しく美しく歩む、それがクリスチャンの理想の姿だ、わたしたちはそう思ってはいないでしょうか。さらに悪いことには、あの人よりは自分の方が、少しばかり正しく美しい信仰者だ、と勘違いしているときがないでしょうか。

 しかし、聖書が描く弟子たちは、罪穢れた地ガリラヤの、この世の波風の只中で、行き違いやすれ違い、差別や格差、抑圧や暴力に悩み苦しむ、雑多な世界の只中で、恐れ、迷い、疑いながらも、ただ「いつもあなたがたと共にいる」とのイエスさまの言葉を頼りに生きていく者のことでした。

 ときに「神様なんて、いない」「イエスさまが一緒にいてくださるなんて、嘘だ」と思いながらも、やっぱり「わたしはあなたがたと共にいる」とのイエスさまの御声に帰ってくる者たちに、そしてその御声を出発点・土台にして、ガリラヤへと出かけていく者たちに、何よりもそのガリラヤの只中で、再びイエスさまの御声・御姿を見出す者たちに向かって、イエスさまは「すべての民をわたしの弟子としなさい」と呼びかけておられるのです。

 「わたしはいつもあなたがたと共にいる」から、あなたが受け取っている慰めと約束を分かち合い、あなたが抱いている恐れや疑いをも分かち合う相手を、この世の中に、身近な生活の場にこそ見出しなさい。そのようにして、ただ疑うだけの「不信仰」ではなく、疑いつつもなお、イエスさまの恵みにすべてを委ねて歩む「健全な不信仰」に生きる者となりなさい。イエスさまはそうわたしたちに呼びかけておられるのです。

 

■福音を宣言する

 「いつもあなたがたと共にいる」

 これこそ、マタイ福音書の中心となるメッセージ、福音でした。そして福音とは、説明するものではなく、宣言するものです。

 病気の人が聞いて本当にうれしいのは、「どのような病状か」とか「どうすれば治るか」というような説明ではなく、「あなたは治った」という宣言です。それも、いい加減な憶測ではなく、権威ある医師からの決定的な言葉として、「もう大丈夫です。すっかり良くなりましたよ」と。

 同じように、様々な悩みを抱え、救いを求めて苦しむ人が本当に聞きたいのも、「救いとは何か」とか「どうすれば救われるか」といった説明ではなく、「もう大丈夫です。あなたは神様に救われました」という権威ある宣言です。

 イエスさまが、今、すべての人にしなさいと命じておられることは、「傍に行き、手をとって起こし、宣言する」ことです。「神様はあなたを愛しておられます。その御心を信じましょう。なぜなら、天の国は今ここにもう来ているのですから」と。すべてのキリストの弟子は、キリストになって、キリストと同じことをするように召されています。「すべての人に福音の宣言をせよ」と召されています。

 そんな大それたことできるわけがないと思われるとすれば、それは全くの誤解です。そもそも働くのは神様であって、このわたしではありません。イエスさまが選んだ十二人も、無学で、過激で、臆病で、疑うばかりの人でした。神様はそんなわたしたちを選び、そんなわたしたちを通して働いてくださるのであって、それはもはや、わたしたちがしていることではなく、キリストがしてくださっていることです。

 今も、恐れと戸惑い、疑いと迷い中にある、このわたしのような者さえ用いてくださって、わたしに生きる意味を与えてくださっています。わたしたちに与えられた洗礼も、信仰さえも、イエスさまから与えられた恵みです。そしてその恵みは、すべての人に開かれています。その恵みを感謝し、その恵みに応えて、その恵みをすべての人に伝えて参りましょう。そのようにして、イエスさまの恵みと招きに応えて参りたいと願う次第です。