福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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5月18日 ≪復活節第5主日礼拝≫『苦しみの中の希望』 コリントの信徒への手紙二 1章 8~ 12節 沖村 裕史 牧師

5月18日 ≪復活節第5主日礼拝≫『苦しみの中の希望』 コリントの信徒への手紙二 1章 8~ 12節 沖村 裕史 牧師

 

■苦難と慰め

 前回、お読みいただいた4節にこうありました。

 「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」

 印象深い言葉です。神はただ慰めてくださる、というのではありません。あらゆる苦難に際して慰めてくださる、と言われます。神を信じて生きるときに、わたしたちは苦難に直面をします。

 苦難のない無風地帯なんてありません。雨風の当たらない平穏な場所を求めて、それが信仰だと思っているとするならば、わたしたちは結局、この人生からは何も得ることはできないでしょう。どうしたら、苦しみのない人生の道を得られるだろうか。それだけを求めていくなら、わたしたちのこの人生は不毛なものになります。なぜなら、苦難を避けて、わたしたちが神に出会うことはありえないからです。

 しかし、パウロの言葉はそこに止まりません。

 「この慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」

 わたしたちは、苦難の中に踏みとどまって、神の慰めを受け取るから、他の人の苦難に際して慰めを与えることができる、と言います。苦難を前向きに生きている人こそが、苦難の中にいる他の人を慰めることができるのです。苦難の中で鍛錬されて、強くなって、タフになって、他の人を励ます力が与えられるのではありません。苦難の中で、弱いから、行き詰まるから、そこで慰めを神から受けて立っている人が、他の人を慰めることができるのです。

 

■小さな悲しみ

 カトリックの信徒である末盛千枝子さんという人が書いた『ことばのともしび』という、わたしがとても大切にしている小さな本があります。以前ご紹介したことのある本ですが、その「あとがき」にこんな一節が記されています。

 「二十代でこれからというときに親しい友人に死なれました。そのあと三十を過ぎて、人に紹介されて結婚した夫は本当に優しい人でした。でも、その夫は十一年の結婚生活のあと、小さな息子二人を残して突然死してしまいました。そのうえ長男には難病があることがわかっていました。でも夫が亡くなる直前にある友人夫妻が、絵本の編集の仕事をしませんかと誘ってくれていました。夫に死なれて急に仕事を探すのだったら本当にたいへんだったと思いますが、その点、とても恵まれていました。

 それに、夫のお通夜の後で、『これからもまだまだ、いくつもの困難があるだろう。でもそのときに、必ずそれを乗り越える力が与えられるに違いない』と思ったのです。子どもたちを残して夫に死なれるというのはほとんど最悪の事態なのに、そう思ったのです。思ったというよりもむしろ、自分の胸の中に聞こえてきたと言った方がいいかもしれません。それはとても不思議な経験でした」

 どんな苦難の中にあっても、神がそれを乗り越える力を与えてくださると信じる末盛さんの信仰に励まされつつ、その本の中の「小さな悲しみ」と題された一文をご紹介します。

 「小さなことであっても実はとても大切なことがあるのではないでしょうか。たとえば、大事にしていたゴム風船のひもをはなしてしまい、どんどん空に飛んでいってしまったということが、どんな子どもにもあるかもしれません。それは人の一生で大切な経験のような気がします。

 子どもが初めて出会う、この小さいけれど取り返しのつかない悲しみは、大人たちが出会う大きな悲しみと比べて意味がないのだとは決して思いません。子どもは、このことをきっと大切に心の中にしまっているのです。そして、こういう経験をした子どもはその分、友だちにもやさしくできるのではないかと思うのです。

 たぶん、人生はこういう小さな悲しみの積み重ねからできていて、その一つひとつはまるでモザイク片のように本当に小さな一片でありながら、それが集まって姿を現したときに、そこにその人の全体像が見えてくるのではないでしょうか。

 そんなことを考えると、大人になってからの深刻な悲しみと、子どものときの風船を飛ばしてしまった悲しみとは、どちらが重要とは言えないのだとさえ思います。

 息子たちがまだ小学生だったときに彼らの父親が亡くなりました。息子たちは口ではなにも言いませんでしたが、あのころの写真を出してみると、本当に悲しそうなのです。言葉に出して悲しむことができないほどだったのだと、いまさらのように思います。そして、父親の死からほどなくして、こんどは飼っていた猫が死にました。そのときの次男の嘆きは忘れられません。父親の死も猫の死も、彼は精一杯、胸一杯受け止めていました。

 その彼ももう三十代になりましたが、小さなことにも喜び、悲しむ、その性格はいまも変わりません」

 苦難の中で神の慰めを受け取るから、他の人の苦難に際して慰めを与えることができる、というパウロの言葉が重なるようです。息子に向けられた末盛さんの眼差しには、暖かな柔らかさと苦難の中に与えられる慰めが満ち満ちている、そうは思われないでしょうか。

 

■死の危機から

 そしてパウロもまた、そんな苦難を隠そうとしません。8節です。

 「兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい」

 ぜひ知ってほしいと書きます。しかもその苦しみたるや、大変なものでしたと続けます。

 「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました」

 これほどの苦しみ、生きる望みさえ失ってしまうほどの苦しみとは一体、どんなものだったのか、パウロは詳しいことを語りません。多くの人はこれを、使徒言行録19章21節以下にある「エフェソでの騒動」のことではないかと推測します。いずれにせよ、コリント教会の人たちにはきっと、パウロが何の話をしているのか、よく分かっていたのではないでしょうか。

 パウロの手紙には獄中書簡と呼ばれる、牢の中から書いた手紙があります。「フィリピの信徒への手紙」がその代表例です。この手紙がどこで書かれたのか。ローマ説が有力ですが、エフェソだとする説も同じく有力です。

 パウロはエフェソで、社会を混乱させるキリスト教を広め、さらにはローマ皇帝への忠誠を失わせるような信仰を市民に言い広めている反乱分子として、市当局に拘束されていたようです。その時のパウロを取り巻く状況は非常に厳しく、実際パウロは死刑宣告を覚悟していました。パウロがここで「わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした」と書いているのは、牢獄の中で判決を待つ、パウロの偽らざる心境だったのではないかと思います。

 しかし、パウロはこの苦しみには意味があったのだと語ります。

 「それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」

 人間、自分で何とかできると思う時には、必死で頑張るものです。しかし、どうあがいてもダメだ、自分の力ではこのピンチを乗り越えられないと観念するときは、後は天を見上げるしかありません。普段、神などいるものかと豪語している人でさえも、本当に追い詰められると自分では気がつかないうちに神に祈ることがあります。もちろん、パウロは神に寄り頼んで生きてきた人ですが、その彼が絶体絶命のピンチに陥り、さらにより深く神に寄り頼む、そういう瞬間が訪れたのです。

 パウロは「死者を復活させてくださる神を頼りとする」と言っていますが、これは、父なる神が死者の中からよみがえらされた御子イエス・キリストのことです。御子イエスを凄惨なあの十字架上の死という最悪の状況から救い出した神の力、その力を、死を前にしてパウロは信じたのです。

 そして、そのような瞬間にこそ神の慰めがパウロに与えられました。そう、神はこの危機からパウロを救い出したのです。

 「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださった…」

 パウロたちがどのようにして救われたのか、ここにもその詳しい経緯は語られていませんが、おそらくパウロの救出劇は有名で、コリント教会の人たちにも伝わっていたのだと思われます。

 苦難が大きければ大きいほど、また死の危険が重たければ重たいほど、そこから救い出してくださる神の力の偉大さが示されるのです。ですから、パウロの苦難は神から罰を受けていることの証拠ではなく、むしろ、パウロの苦難を通して神の栄光が現されるためだったのです。パウロはさらに続けます。

 「また救ってくださることでしょう」

 パウロは、さきほどの末盛さんと同じように、自分を襲う苦難がこれで終わりだなどとは思ってもいません。これからわたしはもっと苦しむことになるだろう。しかし、その苦しみの中にあるわたしに、神は常に寄り添ってくださる。そして、そんなわたしを救ってくださる。その確信こそが、パウロにとっての慰めだったのです。

 「これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています」

 

■祈りによって

 そして11節、パウロは自分に与えられてきた神からのこのような恵みは、あなたがたの祈りのおかげなのだ、と言います。

 「あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人のお陰でわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです」

 パウロはここで、「わたしたちに与えられた恵み」は多くの人々の祈りによるものだ、とはっきり書いています。このことは、パウロだけでなく、主にあるすべての人にも当てはまる、思い当たることでしょう。わたしたちが主によって助けられる、主から恵みを受けるのは、自分の信仰だけのおかげではありません。もちろん自分の信仰も必要ですが、それ以上に多くの人々の祈りが、わたしたちに神の恵みをもたらすのです。ですから、わたしたちは互いに祈り合うべきです。祈りには力があるからです。

 こんな話を聞いたことがあります。ある方がほとんど脳死判定されるほどの危機的な状況に陥りながら、奇跡的にすっかり回復したという実話があります。いわゆる臨死体験です。その人は、自分がそのような危険な状態にあったときに、はっきりと覚えていることがある、といいます。それは、暗闇の中にいたときに自分のために祈っている声が聞こえた、聞こえただけではなく、その人たちのことが見えたというのです。その祈りが彼を死から救い出してくれた、というのです。

 それほど劇的な話ではありませんが、わたしにも似た体験があります。わたしが様々な悩みや苦しみ、恐れや不安に翻弄され続けた学生最後の年に、ようやく教会で洗礼を授けられることになった時、その洗礼の場で一人の役員の方が祈ってくださいました。「主なる神、わたしたちはこれまで、このひとりの青年があなたに捉えられ、あなたに導かれ、あなたを信じる者となることをずっと祈り願ってきました。今、この時を与えられたことを心から感謝いたします。あなたがこれからも、この青年に良き道を備え、豊かに祝してくださいますように」。この祈りを聞いたときの驚きと感動は、今も忘れることができません。これまで知らないところでわたしは祈られてきた、そして今も、祈ってくださる人たちがここにいる。そのことに初めて気づかされました。祈られている。そのことがわたしに、言葉にできないほどの希望と勇気を与えてくれました。

 わたしたちには、自分が祈ることがどんな影響を及ぼすのか、はっきりとはわかりません。しかし、そのことが分かるようになる時を、神は必ず備えてくださるに違いありません。特に、生死の境をさまようような、自分の力も知恵も、それらが何の頼りにならないことに気づかされる時、祈りが本当に力をもって、わたしたちと神とをつないでくれ、わたしたちを救い出してくれることが分かるのではないでしょうか。だからこそ、わたしたちは互いに祈り合うべきですし、しかも真剣に祈り合うべきです。その祈りには確かにわたしたちを救う力があるからです。

 

■主を誇れ

 最後12節に、パウロは自分たちが「人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました」、それこそがわたしたちの誇りです、と語ります。

 「誇り」は、第一の手紙の主要なテーマの一つでした。人間的な知恵ではなく、神の恵みこそが、誇りです。「誇る者は主を誇れ」ということです。パウロが何度も窮地から脱することができたのは、パウロの知恵や力がすぐれていたからからではなく、神の知恵、神の力によるものです。パウロは極限状態に陥ることで、この真理を文字通り体得したのです。

 パウロは自分の受けている苦しみの意味を説明するために、つい最近起こったアジアでの出来事に触れました。それがどんな出来事であったにせよ、パウロが死を覚悟するほどのものでした。しかし、パウロはこの苦しみを通して、大きな慰めを、まことの希望を与えられました。

 パウロはこの時、完全に主に寄り頼むことを学びました。自分がいくら頑張ってもどうしようもない状況に追い込まれて、それでも、どうやって人は希望を持ち続けられるのか。それは、ただ神を信じる信仰によります。そして実際に人がその苦難から救われたとき、その信仰はさらに確かなものとなり、神は今この時だけでなく、これからも救ってくださるだろう、という未来への希望をも持てるようになります。

 苦難に遭うということは確かに辛いことですが、悪いことばかりではないのです。「艱難汝を玉にす」と言われるように、艱難はわたしたちの信仰を確かなものとしてくれるからです。また苦難に遭うときにこそ、互いに祈り合うことの大切さを学ぶことができます。パウロほどの信仰の人でさえ、多くの人の祈りに支えられて生きていたのです。弱いわたしたちにとってはなおさらのことでしょう。わたしたちも祈り合いながら、この困難な時代を共に歩んで参りましょう。お祈りします。