福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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5月22日 ≪復活節第6主日礼拝≫ 『何もかも知った上で』ヨハネによる福音書21章15〜19節 沖村裕史 牧師

5月22日 ≪復活節第6主日礼拝≫ 『何もかも知った上で』ヨハネによる福音書21章15〜19節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■椎名麟三のこと

 大学で妻と出会い、親しさを増し始めた頃、互いが読んでいる本を交換し、その内容について語り合うようになりました。その時に妻から紹介された作家に、椎名麟三がいます。読んで魅せられ、すっかり嵌りました。

 椎名麟三は、1911年(明治44年)、兵庫県姫路に生を享けました。生まれた三日後、母親が、夫や夫の家族との間がうまくいかず、自殺を図ります。幸いにもいのちを取り留めましたが、9歳の時、両親は別居。父は別の女性と大阪で暮らし始めました。父親からの送金も途絶えがちとなり、母親、麟三、ふたりの妹たちは極貧の生活に苦しみます。母に言われ、大阪の父のもとへお金の無心に出かけますが、断わられた彼は家に帰らず、そのまま家出をします。母もまた別の男性と暮らし始めていました。姫路中学も中退することになり、職を転々としました。彼の人生、彼の作品の根っこには、そんな幸薄い、愛に飢え、生きることの不安にいつも捉われていた、辛い体験があります。

 18歳の時、彼は山陽電鉄の社員となります。当時の多くの勤労青年がそうであったように、彼もまたマルクス主義に理想を抱き、労働運動に身を投じ、共産党員になります。しかしその2年後、検挙され投獄された彼は、厳しい拷問を受ける中で自分の同志愛の弱さ、もろさを痛感し、転向します。釈放された後も職を転々とし、生きる希望を失った彼もまた母親と同じように、自殺未遂を図ります。

 その彼が27歳になったとき、ロシアの文豪ドフトエフスキーの作品に出会い、衝撃を受け、文学の道を志します。10年後、それは敗戦の翌々年にあたりますが、彼は『深夜の酒宴』を発表。以後、敗戦直後の廃虚の中にあって、人間存在の意味を真っ向から問う作家として、話題作を次々に発表することとなります。その頃、日本キリスト教団上原教会の牧師であった赤岩栄と出会い、1950年39歳の時に洗礼を受けますが、48歳の時、信仰の非神話化を強める赤岩と対立し、三鷹教会に転会します。その彼が、自分の信仰体験について記した著作の中で、「愛」について触れています。

 わたしは、愛する人、妻や恋人から、わたしのことを本当に愛しているかと問われれば、愛していると答えるだろう。重ねて、本当に、本当に愛しているかと問われると、しばらく躊躇しながらも愛していると答えるかもしれない。しかし、三度重ねて、本当に、本当に、本当に愛しているかと問われると、わたしは愛していると答えることができない。人間には、結局のところ「本当に、本当に、本当に」と問われて、こうだとはっきりと言えるものは何もないのだ。

 牢獄の中で、労働運動に身を投じる仲間たちへの同志愛が揺らぐ自身への嫌悪、何も信じるものを持たない、確かなものが何もないというニヒリズムに捉われていた、彼の苦悩が重なって見えてきます。そんな苦悩の中、獄中で出会ったひとりの売春婦のことを、彼は回想しています。金のために、生きていくために、自分の体を切り売りして暮らさざるを得ない、およそ愛とは程遠いところにいる女性の、しかし懸命に生きるその姿に、彼は深い感動を覚えます。

 わたしたち人間は、本当の、本当の、本当の意味で、人も、自分も愛することのできない存在、何一つとして確かなものをもたない存在だけれど、そのようなわたしたちのために、イエス・キリストが自らのいのちを捨ててくださった。イエス・キリストは、そんな何の価値もないわたしたちをそのようにまでして愛してくださっている。どこまでも相対的な存在でしかないわたしたちの虚しさ、人間のヒニリズムは、そのような、絶対的な神、イエス・キリストの愛によってのみ克服される。わたしたちの愛、自由、生きる意味は、十字架と復活に示された主の愛の中にこそある。真実の愛も知らないし、そんな愛などあるはずもないと思っている者にとって、わたしたちにとって、神様が、イエスさまが示し、与えてくださった愛は、驚くべきものであり、まさに希望ではないか。椎名はそう書きます。

 

■悲しくなった

 この椎名の言葉は、今日の場面、イエスさまとペトロとの間に交わされた会話に基づくものです。

 イエスさまがペトロに向かって、三度、「あなたはわたしを愛しているか」とお尋ねになり、そのたびにペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えます。そして三度目に問われた時、「ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった」と書かれています。

 「悲しくなった」という言葉をニュアンスのままに訳せば、「情けなくなった」となるでしょう。自分の言うことを信じてもらえないのか、という思いからでしょうか。あるいは、イエスさまに問われ、イエスさまに答えている間に、ペトロは、かつて自分がイエスさまに語った言葉、そして自分のとった行動を思い出していたのかもしれません。

 それは、イエスさまが十字架につけられる前の晩のこと、最後の食事を弟子たちと共にとっていた時のことでした。イエスさまはペトロに向かって、「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる」と言われました。それに対して「ペトロは言った。『主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。』イエスは答えられた。『わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう』」(13:37-38)。

 事実は、イエスさまの言われた通りであった、と聖書は証言します。

 「イエスさまを知らない」と言ったのが三度。

 「わたしを愛しているか」と問われたのも三度。

 「ペトロは…悲しくなった」というこの言葉には、そのことを思い出したペトロの、身のすくむような思いが込められているのかもしれません。

 「この方は覚えておられる」

 自分が今、イエスさまによって「裁かれている」という思い、イエスさまに「試されている」という思いであった、と言ってもよいでしょう。

 だからこそと言うべきか、あるいはまた、それにもかかわらずと言うべきか、ペトロの三度目の答えは、それまでの答えにはなかった、こういう言葉から始まっています。

 「主よ、あなたは何もかもご存じです」

 そしてこの言葉は、「わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」と続くのです。

 

■ギリギリのところで

 わたしたちは人生の節目、節目に大切なことを約束します。結婚もそうですし、洗礼を受けるときにも、また我が子が生まれるときには、「健やかでさえあれば外には何も望まない」、そう誓います。

 しかし、その日その時には真剣な思いとあふれるような誠実さをもってなされたその約束が、いつまでも変わることなく揺らぐことなく保ちつづけられているかといえば、そういうわけではありません。

 人生には思わぬ波風に襲われることがあり、ため息が出るほどの山や谷があるように、さまざまな現実の出来事の中で、かつて自分の約束した言葉がその力を失い、約束した内容の重さが見失われてしまうような時が、誰にも、何度かは訪れるものです。ただ惰性で夫婦として生活しているように思われる時が、ただ惰性で教会に通っているように思われる時が、ただ惰性で我が子に駄目、駄目とばかり言ってしまっている時が、誰にでもあるのではないでしょうか。そして何よりも、この人生を生きることの意味が見失われたように思われる時が、誰にでもあるのではないでしょうか。そんな現実があることを認めようとしないのは愚かなことです。

 大切なことは、そういう現実に直面した時に、自分の人生をきちんと見つめることができるかどうかです。信じる者としての原点に立ち帰り、結婚の原点に立ち帰って、あるいは、いのちの誕生の原点に立ち帰って、自分自身を見つめることができるかどうかという点にかかっています。信仰であれ、家庭であれ、そして人生であれ、その真価が問われ、またその豊かさを発見するのは、むしろそうした行き詰まりや挫折に直面した時、それにどう向き合うのかということにかかっています。

 そして、そうした時にこそ「主よ、あなたは何もかもご存じです」と答えた、いえ、答えざるを得なかったペトロの言葉を、わたしたちもまた、本当に痛切な思いをもって想い起すべきではないのかと思うのです。

 三度、イエスさまのことを知らないと言った「裏切り」は、決して軽々しいものではありません。そして三度、ペトロに投げかけられた問いもまた、軽々しい言葉ではありません。しかし、「三度の裏切り」と「三度の答え」という、思えば、そういうきわどいところで、わたしたちの信仰も家庭も人生も、鍛えられ、深められ、真実なものになっていくのではないでしょうか。そういったぎりぎりのところで、「主よ、あなたは何もかもご存じです」と心の底から告白し、すべてを主にお任せし、主のもとに立ち帰るということこそ、わたしたちの信仰生活の要であると思うのです。

 

■「羊」と「羊飼い」

 すべての人間は、イエス・キリストの裁きのもとに置かれています。

 その裁きとは、わたしたちを滅びに至らせるものではなく、逆に古き姿を裁くことによって、わたしたちを新しいいのちへと生かそうとする愛の裁きです。イエスさまは、わたしたちを新たなものに造りかえてくださるお方であり、わたしたちに新しい仕事、新しい使命を示されるお方なのです。

 「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」と告白するペトロに対し、イエスさまはこう言われています。

 「わたしの羊を飼いなさい」

 三度とも、イエスさまは「わたしの羊を飼いなさい」と命じられます。もともと漁師であった男に向かって、「羊飼いになれ」、つまり、商売替えをしなさい、とお命じになるのです。イエスさまご自身が、ペトロの新しい仕事をお決めになります。「三度裏切り」「三度招かれた」ペトロは、イエスさまのその招きに応えないわけにはいきません。漁師の仕事は「魚を獲ること」ですが、「獲る」ということにポイントがあります。どんなに大漁であろうと、そこで「獲られた魚」はまもなく死んでしまいます。しかし羊飼いの仕事は「羊を飼うこと」、養い、育て、生かすことです。羊飼いは羊と共に生きるのです。

 「わたしの羊を飼いなさい」という言葉に続けて、さらにイエスさまはペトロにこうおっしゃいます。

 「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」

 これは、ペトロが後に、イエスさまのように十字架につけられて死ぬことを予告する言葉であったと言われます。「両手を伸ばして」とは、十字架に釘づけられるために「横に手を伸ばして」の意味だと言われます。しかし、そんな「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた」と言われます。

 ペトロは、自分で自分の人生を選んで生きてきました。選ばれてイエスさまの弟子になったとはいえ、しばしば自分の判断を優先し、イエスさまがどういわれるかよりも、自分がしたいこと、自分の思いにこだわってきました。だから、一時は熱して、「あなたのためなら命を捨てます」と大見得を切りながら、すぐその後で、我が身かわいさのあまり逃げ出してしまいました。ペトロは、「自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた」ような、そういう「出来の悪い羊」「わがままな羊」「熱しやすく冷めやすい羊」でした。

 そんな羊を、羊飼いであるイエスさまは、我が身を捨てて守ってくださいました。今、ここで、そんな「羊」であったペトロ自身が、イエスさまのような「羊飼い」になるようにと命じられているのです。

 ペトロがそのような「羊飼い」にふさわしい、才能あふれる人間であったというわけではありません。しかし、ペトロには、「羊飼い」になることによって、彼自身が学び知らなければならないことがあったのです。自分が「羊」だった時に味わったイエスさまの御心を、及ばぬながらも、自ら「羊飼い」として働くことによって、ペトロはより深く味わい知ることができたのです。俗に「子を持って知る親の恩」と言いますが、「羊飼い」になってみて初めて分かる「キリストの心」があるということかもしれません。

 「羊」であることと「羊飼い」であること。それは、生きる上で、わたしたちが深く味わい知るべきふたつの面です。そのことを味わい知れば知るほどに、いよいよ自分の無力さを思い知らされるとともに、わたしたちの弱さも欠けも愚かさも、「何もかもご存じ」の上でなお、わたしたちを愛し、養い、守ってくださるイエスさまへの感謝を新たにすることができます。そして、いよいよ真剣に「主よ、あなたは何もかもご存じです」と告白し、すべての思い煩いをお委ねし、イエスさまの愛と恵み、赦しと支えを信じて、歩み続けていくことができるようになるのでしょう。