■みなしご
イエスさまは言われます。
「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る」(18節)
「孤児(こじ、みなしご)とは、両親・親戚等の保護者のいない未成年者のこと。狭義では生みの両親が死別、または行方不明となった未成年者を指す」と辞書にあります。「みなしご」と訳されているギリシア語には、片親がいないこどもや師たる指導者を失った弟子も含まれているようです。いずれであれ、「みなしご」とは「支え手となる者がいない、あるいは失った人」のことを指します。
イエスさまの時代、そうしたこどもたちの姿はごく日常の風景でした。イエスさまは、その姿を心痛めながら見ておられたことでしょう。ある聖書の注解書の中に「子供」というタイトルでこう記されています。
「子供たちはいつも真っ先に飢饉や、戦争や、病気や、混乱の犠牲になったし、地域によっては成人したときに両方の親が揃っている者はほとんどいなかった。…孤児は社会の最も弱く、最も危害を加えられ易い構成員の典型であった」。そして「古代では大家族は一切を意味した」と記されます。
家族を失うことは生きるための基盤の一切を失うことでした。面倒を見て、育ててくれる人がいなくなってしまったこどもには、食べるものも、着るものも、住むところもありません。もちろん、夜、眠れないときにも一緒に寝てくれる人がいるはずもありません。どんなに悲しくても、そばにいてそっと抱き締めてくれる人など一人もいません。みなしごは、ひとりぼっちです。だからとても不安で、とても寂しいのです。かのマザー・テレサが、人間として最も悲惨なことは孤独であると言っています。
「人間にとって最大の悲惨は、あなたはだれからも、もはや必要とされていないと感じることです。それこそが人間にとって最もむごい、寂しい、つらいことです。『あなたはもう必要ではない』。その時、人は倒れます」
「みなしご」とイエスさまが呼んでいるのは、現実の困窮やいのちの危険だけでなく、人間としての危機に晒されている、そんな人たちのことでした。
■聖霊なる弁護者
イエスさまは、神様のみ言葉を伝え、神様の大いなるみ業を示しつつ、虐げられ、蔑まれ、除け者にされて悲しんでいる人や、病気や貧しさのために苦しんでいる人を助け、励まし、元気づけてくださいました。そしてまた、たとえお金や肩書、友人や家族があっても、誰からも愛されない「みなしご」のような悲しみの中に生きている人が昔も今もいました。イエスさまはそんな人たちの友、慰め手、助け手となってくださいました。弟子たちはそんなイエスさまを信じ、イエスさまがいないと生きていけない、とまで思っていました。
ところが、その大切なイエスさまが天の父のところに帰られる、と言います。十字架の死からよみがえられたイエスさまと、いつまでも一緒に食事をし、もっとたくさんの神様のお話を聞かせていただけるものと思っていました。それなのに、別れのときがやってこようとしている。弟子たちは不安で寂しくてたまりません。イエスさまは、そんな悲しんでいる弟子たちを見つめながら、やさしくこう言われました。
「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(16節)
イエスさまは、自分が去っても、もう一人の「弁護者」「助け主」が来てくださると約束してくださいます。弁護者と訳されるパラクレートスというギリシア語は、「傍(かたわら)に招く者、共にいて励ます者、とりなす者」という意味の言葉です。イエスさまは、その姿は見えなくなっても、もう一人の弁護者、助け主が必ずやって来る、「真理の霊」である聖霊が注がれる、と言われるのです。天の父は、わたしたちから離れ、みなしごにするようなことは絶対にされない、と言われます。そう言われた後、イエスさまは弟子たちに見送られ、オリーヴ山から天にのぼって行かれました。
こうしてイエスさまは、わたしたちの目では見えなくなってしまいましたけれども、約束通り、弟子たちに聖霊を与えてくださいました。そして今ここいるわたしたちにも、その聖霊が注がれています。それは、風のように、小さな声のように、目には見えないけれど、いつもわたしたちに注がれていて、いつもわたしたちを招き、見守り、励ましています。
イエスさまが「みなしごにはしておかない」と言われているは、そのことでした。
■残された言葉
聖霊とは、まるで目には見えない愛の手紙のようだと思いながら、わたしは以前聞いた、ある話を思い出しています。
1989年10月、東京の教会に出席したときのことでした。ミッションスクールの落ち着いた校舎玄関の前を通って、一人の少女が教会にやってきました。少女は礼拝堂の一番後ろの長いすの、彼の横に控え目に座りました。まだ早すぎる時間を、所在なげに外の街路樹の葉が風に揺れるのを目で追っていました。
突然、一枚の葉が風にもぎ取られて散っていこうとしたとき、「ここに来られたのは初めてですか」、その少女が親しい友だちに自然に話しかけるように尋ねます。前置きのない言葉に、彼はただうなずき返していました。 Continue reading