■人々の願い
「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った」
この時の状況について、こう説明されることがあります。
「イエスに触れていただくため」とは、最後16節に「手を置いて祝福された」とあるから、イエスさまに祝福していただくためだったのだろう。イエスさまに触れていただいて、平穏無事に元気に良い子に育つよう祝福していただくために、親たちが愛するわが子を連れてきたのだ。それは、親としてのごく自然な、またほほえましい姿ではないか、と。
しかし、今ここに幼な子たちを連れて来たのは不特定多数の「人々」で、それが親であるとは限りません。「連れて来る」というギリシア語も、抱いたり、背負ったりして、「そちらへと運ぶ」といったニュアンスの言葉です。親子が七五三の宮参りよろしく、手をつないで仲良くやってきたというのではありません。人々は抱き抱えるようにして、背負うようにして、子どもたちを連れて来たのです。
8章31節以降、繰り返される受難予告の中、子どもが登場するのは、これで三度目です。ここに登場する子どもたちが皆、同じ状況にあったとは言えないまでも、当時の子どもたちが置かれている状況は、わたしたちが日頃、目にしているものとはおよそ異なるものでした。頻発する飢饉や災害、止むことのない戦争や紛争、蔓延する病気や貧困によって社会が混乱する中、最初に被害をこうむるのは決まって子どもたちでした。地域や時期によっては、大人になるまで親が生きていることなどほとんどありえないことでした。多くの孤児が残されました。彼らは、社会の中で最も弱く、傷つきやすい、その代表的な存在です。今、ここに連れてこられた子どもたちがそういう孤児であったということは、十分にあり得ることです。
旧約聖書は、孤児(みなしご)や寡婦(やもめ)、また寄留者と呼ばれる外国人たちを、社会全体で保護するようにと繰り返し説いています。古代社会では、家族の生存は父親の双肩にかかっていて、父親が死別した家庭は、生きる手だてをなくしたも同然でした。彼らは共同体の支援を必要としていました。そのとき、聖書が求める援助は、倫理に基づく施しでも、政治が目指す目標でもありません。それは神が与えてくださっている、愛と恵みへの応答―信仰に基づくものでした。
イエスさまは手をさし伸べて、重い皮膚病の人に「触れて」清くし、舌に「触れて」そのもつれを取り除き、目に「触れて」見えるようにし、切り落とされた耳に「触れて」癒し、手に「触れて」熱を去らせました。また、病気に悩む人がイエスさまに「触れよう」として押しかけ、イエスさまの服の房に「触れて」いやされました。そして今、飢えや病や戦いに深く傷つき、生きることもままならない子どもたちを、親ではなく「人々」が抱きかかえるようにして連れ来たのではなかったでしょうか。ここに記される「人々」は、神の愛と恵みへの応答として、まさに信仰に基づいて、そして何よりも具体的で、切実な愛の思いをもって、イエスさまに「触れて」いただくことで、この子どもたちを癒し、困窮から救いたい、ただ、そう願ったのではなかったでしょうか。
■弟子たちの罪
ところが、弟子たちはそんな人々を叱り、追い返そうとします。理不尽とも思える弟子たちの態度にも、しかし理由がありました。
直前10章の1節、イエスさま一行は、それまでいたガリラヤ地方を後に、南へと移動を始めます。目的地はエルサレムです。次の11章でイエスさまは、そのエルサレムに入られます。入られたわずか一週間の内に、イエスさまは捕えられ、十字架につけられて殺されます。そう、エルサレムへの旅はまさに、十字架の苦しみと死への歩みでした。イエスさまは十字架をはっきりと自覚し、そのことを繰り返し弟子たちに告げられますが、彼らにはその意味がよく分かりません。ただ、イエスさまがこれから緊迫した大事な場面を迎えようとしておられる、そのためにエルサレムへと向かっておられるのだろうということは薄々感じていたはずです。
今、大事な時を迎えようとしておられる。そんな時に余計な負担はおかけしたくない。それでなくても、病気を癒していただこうとたくさんの人々が押しかけて来たり、時には敵意を胸にファリサイ派の人々がやって来ては、罠を仕掛けようと議論を吹っ掛けてくる。この上、子どもたちにまで纏(まと)わりつかれたら、疲れ果ておしまいになるだろう。弟子たちはそんな配慮、気配りをしているだけで、人々を叱りつけ妨げたのもそれなりの理由のあることでした。
しかし、これまでのイエスさまと弟子たちのやり取りを振り返るとき、イエスさまへの配慮、気配りであるかのように見えるその叱責と妨害の中に、拭おうとして拭い切れない弟子たちの罪が見えてきます。そもそもそれがイエスさまへの配慮と気配りであったのなら、弟子たちは決して叱ったり妨げたりはしなかったはずです。なぜなら、直前9章37節でイエスさまは子どもを抱き上げて、「このような子供の一人を受け入れなさい」と教え、続く39節ではわたしの名を使って奇跡を行う者を「妨げてはならない」と諭されていたからです。
そう教えられていたはずの弟子たちの心の中にあったものは、子どもへの祝福を求めてやって来る人々に対する「批判と優越感」でした。人々は、イエスさまの都合など考えずにやって来て、祝福と癒しだけを求め、それを受けると元通りの自分中心の生活へと帰って行くだけではないか。人々は、イエスさまに従って生きようとか、自分の生活や財産を投げ打ってイエスさまの弟子となり、従って行こうなどとはこれっぽっちも考えていない。ただイエスさまを利用しようとしているだけではないか。それは、イエスさまの名によって勝手に奇跡を行うだけで、従おうとしない者たちと同じではないか、という批判です。
そしてそこに潜んでいる思いは、自分たちはこれまですべてを捨ててイエスさまに従ってきた、いろいろな苦しみを負いながら弟子として歩んできた、このわたしたちこそが…という優越感です。誰が一番偉いかを議論していた弟子たちの姿(9:34)が重なります。わたしたちは、自分の幸せだけを求めて、神を、イエスさまを利用しようとするだけのこの連中とは違う、だから彼らを叱り、追い返す権利がわたしたちにはある、そう考えていたのでしょう。
■祝福の言葉
そんな弟子たちへの、イエスさまの怒りは大きなものでした。
「これを見て憤り、弟子たちに言われた。『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」
「憤る」とは、「非常に」と、「悲しんでいる、怒っている」または「我慢できない」という言葉が一つにされた、激しい怒りを表す言葉です。子どもたちを連れて来た人々を叱った弟子たちを見て、イエスさまは非常に悲しい、とても我慢などできない、と激しく怒られます。
そして、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」と言われます。弟子たちは連れて来た「人々」を問題とし、彼らを叱り妨げたのですが、今、イエスさまが問題としているのは、意外にも、激しいまでの怒りを向けられた「弟子たち」ではなく、「子供たち」です。イエスさまが、来るままにさせ、受け入れるようにと命じておられるのは、子どもたちを連れ来た人々ではなく、苦しみ、傷ついているであろう、その子どもたちです。イエスさまの眼差しが子どもたちに向けられ、イエスさまの手は真っすぐに子どもたちに向けて差し出されます。