福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え

11月26日 ≪降誕前第5主日/収穫感謝「家族」礼拝≫『若枝のように』 エレミヤ書 23章 1~6節 沖村 裕史 牧師

≪お話し≫(こども・おとな)

「ここから始まるクリスマス」 井ノ森高詩 役員

 

≪メッセージ≫(おとな)

「若枝のように」 沖村 裕史 牧師

■感謝

 今日、わたしたちは収穫感謝日をお祝いしています。この祝いの日に、わたしたちが聖書から学ぶべきは、何よりも神の、イエスさまの愛の眼差しが今も、わたしたちを捕らえて離さない、ということです。すべてのもの、すべてのことが神によって備えられている、そのことへの感謝です。そしてまた、そこに生まれる明るい自由です。それはわたしたちの力でも、手柄でも、何でもありません。だからこそ、わたしたちは自由です。だからこそ、わたしたちは喜びに満たされます。このことをわたしたちに与えられた恵みとして、心から感謝したいと思います。

 そこで今日はまず、「感謝」と題された一文をご紹介して、メッセージを始めさせていただきたいと思います。

 「幸せなことがあれば感謝するのは当然ですが、もしそれだけのことなら、感謝とは、自分にとって幸せか否かで人生を選別する、まことに身勝手な感情に過ぎないことになります。しかし感謝とは、そんな自分本位の小さな感情ではない筈です。それは、人生の大きな包容の中にある自分を発見することなのです。それは一つの自己発見であって、幸福に誘発された感情ではないのです。そして、幸・不幸を越えて包容する大きな肯定の中に自分を発見した人は、すべての事態を受けとめるでしょう。感謝する人は逃げない人です」(藤木正三『灰色の断想』より)

 

■祝福の約束

 エレミヤ書23章4節、

 「『……彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない』と主は言われる」

 わたしたちは、毎日、「だめ」「いや」「あっちいけ」「どうせ」など、いろんな否定の言葉に出会います。社会の中で弱い人が苦しむ姿に心が竦(すく)み、痛みます。自分の弱さや限界にも出会います。自分は神様に見捨てられたのではないかと思うこともあります。

 今日のみ言葉の直前も実は、徹底的な否定の言葉で終わっていました(22:30)。ダビデ王国の終焉―それは紛れもなく神の審判によるものでした。

 それでも、その審判は最後的なものではありませんでした。確かに、民を顧みることのなかった王に対して、その罪深い行いゆえに神は責任を取らせようとされます。しかし神は民を裁かれたわけではありません。羊を滅ぼした羊飼いには裁きを下されますが、羊自身のいのちには目を向けてくださるのです。神の天地創造における祝福、アブラハムへの救いの約束は、歴代の王たちの愚かな行いによって損なわれることはありません。

 「『このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす」

 この3節の言葉は、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」という創造の祝福の回復を告げる言葉そのものです。羊たちは本来いるべきところ、すなわち神の祝福へと集められます。そこには不安も恐怖もありません。そこから迷い出ることもない、と約束されています。

 

■若枝、それはひこばえ

 その約束のしるし、その確かさは、切り倒された切り株から生え出る若枝として描かれています。5節、

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11月19日 ≪降誕前第6主日礼拝≫『恵みにふさわしく』 コリントの信徒への手紙一 5章 1~8節 沖村 裕史 牧師

 

■みだらな行い

 パウロは、この教会の生みの親として踏み込んだことを、今、教会に起っている問題、罪、「みだらな行い」について、はっきりと指摘します。

 「みだらな行い」と訳されるギリシア語は「ポルネイア」、「ポルノ」という言葉の語源です。不正な男女関係一般を表す言葉です。ただ不正な男女関係と言っても、いろいろなケースが考えられます。今、ここで指摘されているのは「ある人が父の妻をわがものにしている」ということです。これを直訳すれば「父の妻を持っている」となります。わざわざ「父の妻」と言うのですから、これは血のつながった「母親」のことではなく、父親の「後妻」か、「内縁の妻」のことだと思われます。父親の死後、息子が義母に当たるその女性と関係を持っていたのでしょう。

 それは、性的な関係について比較的寛大だった当時のギリシア、ローマにおいても忌み嫌われることでした。「異邦人の間にもないほどのみだらな行い」という言葉から、そのことが伺えます。ギリシア、ローマの人々の間ですら見られないような「みだらな行い」が、コリント教会の中で行われていたのです。それはもちろん、旧約聖書の律法においても厳しく禁じられていることでした。十戒の第六の戒め、「姦淫してはならない」に相当する罪です。

 コリントと同じく、「不倫は文化」と平然と言われる時代を生きるわたしたちです。今日の話を始めるにあたって、改めて「姦淫」についてのこの戒めの意味に触れておきたいと思います。

 聖書における姦淫は、自分の夫あるいは妻以外の人と、あるいは他人の夫あるいは妻である人と性的な関係を持つことです。それはそもそも、男女の性的関係が基本的には結婚した夫婦の間においてのみ行われるという前提の上に、結婚という関係性の上に成り立つものです。

 では、聖書は結婚についてどのように語っているのか。創世記2章18節以下、まず「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」とあります。神が人間を男と女に造られたのは、人は一人で生きることなどできない、「彼に合う助ける者」と共に生きるべきだ、ということです。「合う助ける者」とは、単なる「補助者、助手」ではなく、ヘブライ語の元々の意味は、「向かい合って共に生きる」ということです。互いに向かい合い、助け合って生きる相手、そういうパートナーのことを指しています。

 神は、人の体の一部、あばら骨を取ってそんなパートナーをお造りになりました。人の体の一部からとは、本質において同じ者、同等な者として造られたということです。しかしその「男」が聖書の言葉ヘブライ語で「イシュ」、「女」は「イシャー」と呼ばれています。同じ言葉の語尾が変化した形です。そこには、同じ人間でありつつ、しかし違う者であるという思いが込められています。同じ人でありかつ異なる存在、そういう男と女が向かい合って、助け合いながら共に生きていく。そのために、人は男と女とに造られました。

 そして最後に、男と女に造られた意味、そのあるべき姿が具体的に示されます。「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」。「父母を離れて…結ばれ」とは、それぞれに親から離れ、一個の自立した人格として結ばれること、その結びつきが社会的なものであることを示しています。それが、あるべき関係、婚姻関係であると理解されることになりました。

 これが聖書の語る結婚の意味、人のあるべき姿です。とすれば、自分の夫や妻以外の人と性的関係を持つことは、向かい合って共に生きるべき相手を裏切り、向かい合うことをやめてしまうことを意味します。それは、相手に対する裏切りであるだけでなく、社会的な関係を損なうことであり、また何よりも互いをパートナーとして向かい合って共に生きることを祝福してくださっている神の御心を踏みにじることになります。姦淫は、殺人や盗みと並ぶ、しかも殺人の次に位置づけられる罪です。姦淫は、裏切りによって、神が与えてくださったかけがえのない祝福された男女の関係を、とりわけ夫婦の関係を破壊し、そうすることによって、実に相手を殺してしまうことでした。

 

■悔い改めを求める

 わたしたちはこれから、それほどの罪とパウロがどう取り組み、どのように解決しようとしているのかを、ご一緒に学ぶことになります。

 まず、冒頭1節の「現に聞くところによると」という言葉に注目してください。パウロはこの問題が起っているということを人伝(ひとづて)に聞き、そのことを問題にしています。大切なのは、ここで「現に」と訳されている言葉です。これは「至る所で、いつも」という意味の言葉です。つまり、パウロがコリント教会の「みだらな行い」について聞いたのはこれが初めてではなく、それは既に至る所に広まっていた、ということでしょう。ちょっと小耳にはさんだ噂、憶測で、これを書いているのではありません。繰り返し耳にしたことについてよく確かめた上で、この手紙を書いています。やむなく人の罪を指摘し、それを問題としていかざるを得ない時に、何よりも留意すべきことです。

 とはいえ、この手紙は、教会あての公の書簡であって、個人あての私信ではありません。コリントの教会の人々の前で朗読されるものです。当時の礼拝説教であっただろうと考えられています。みんなが聞いているその説教の中で、この問題が指摘されているのです。わたしたちの感覚からすると驚くべきことかもしれません。こうした問題が起った時によくなされる対応は、事を公にはせず、しかるべき人が個人的にその人と話をし、事情を聞き、忠告し、事を荒立てず、内々に処理しようとすることが多いのではないでしょうか。しかしパウロは違います。この違いはどこから生れてくるのでしょうか。

 パウロが最も大切にしていることは、教会を、イエス・キリストの救いの恵みを受け、それに応えて生きる者の群れとして整えることでした。だからこそ、この「みだらの行い」を教会と信仰者にとって極めて重い問題と受け止めました。今、パウロがコリント教会の人々に求めているのは、2節後半にある、「むしろ悲しんで、こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか」ということです。

 このような罪を犯している者を自分たちの間から、つまり教会から除外する、いわゆる「戒規」を執行するということです。そのことを彼は求めます。そんな厳しいと思われるかもしれません。しかし、戒規というものは本来、罪を犯した者を教会から追い出すことによって教会を清く保とうとするためのものではありません。彼を戒規によって処分するのは、教会が毅然たる態度で、その人に「悔い改め」を求めるためです。彼が自らの過ち、罪に気づき、悔い改めるなら、教会は再び彼を仲間として迎え入れることになります。戒規とはそのことをこそ目指すものです。罪を犯した人を切り捨てるのではなく、その人を本当の友として再び取り戻すことが目的です。

 パウロが求めていることも、それです。教会が、彼を含めてもう一度、イエス・キリストの福音―主の恵みによって生きる群れとなることを、彼は願っているのです。キリストの福音の中心は確かに罪の赦しです。しかしそれは、ただ罪を大目に見ることではありませんし、ましてや、見て見ぬふりをして蔽い隠すことでもありません。

 キリストの十字架の死による罪の赦しを受け入れたとき、人はみな、自らの罪を悔い改めたはずです。教会はいわば、悔い改めた者の群れです。悔い改めがなければ、罪が赦されないというのではありません。むしろ逆です。赦しが先です。罪は赦された、赦されているのです。どれほど罪深い者であったとしても、そんな自分の罪が赦されていると知ったとき、だれもが心から悔い改めざるを得ないでしょう。そして、悔い改めにふさわしい、新しい人生を歩み始めようとすることになるでしょう。

 

■赦された者として

 ヨハネによる福音書8章1節から11節に描かれる、イエスさまの印象的な言葉が思い出されます。 Continue reading

11月12日 ≪降誕前第7主日礼拝≫『力としての福音』 コリントの信徒への手紙一 4章 14~21節 沖村 裕史 牧師

 

■愛する子

 心の重くなるような手紙です。書いているパウロ自身、実に重い気持ちの中で、それでも心を込めて懸命に相手を諭そうとしている様子が伺えます。冒頭14節、

 「こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです」

 「恥をかかせるためではなく」ということは、逆を言えば、ここに書かれている言葉がコリント教会の人々の心にぐさりと突き刺さり、彼らを恥入らせるようなものだということです。しかしそれは、決してあなたがたを辱めたり、やり込めたりするためのものではない、パウロはそう語り始めます。そしてその思いを分かってもらうために、パウロは自分とコリント教会との特別な関係を人々に思い起させようと、「愛する自分の子供」-わたしはあなたたちの父親であり、あなたたちはわたしの子どもです、と呼びかけます。

 ご存知のように、コリント教会はパウロの伝道によって生まれた教会です。パウロが去った後、いろいろな教師がやって来てはこの教会を指導しましたが、彼らの信仰はパウロによって植えつけられたものでした。15節、

 「キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです」

 「教育学」という英語 pedagogy の語源が、ここに「養育係」と訳されているギリシア語 paidagogos です。当時は、学校制度が今日のように普及していなかったため、子どもたちのしつけや教育のために家庭教師が採用され、中には戦争で捕虜となった教養ある奴隷が養育係として雇用される例が数多くありました。子どもたちの教育と成長が、その養育係の手に委ねられました。

 その養育係がたとえ一万人いたとしても、本当の父親はただ一人、コリント教会にとっての父親はこのわたし、パウロである。「わたしがあなたがたをもうけた」とあります。この「もうけた」とは「生んだ」という意味です。あなたたちを生んだのは他の誰でもない、このわたしではないか。わたしは今、父親として、愛する子どもであるあなたたちを諭しているのだ。わたしの語る言葉がどれほど厳しく響こうとも、どうか、父親による愛の言葉として受けとめてほしい、そうパウロは語りかけます。

 

■わたしに倣う者になりなさい

 およそ、人を「諭す」ことほど難しいことはないかもしれません。諭す人と諭される人の間に信頼がなければ、諭すことは失敗に終わります。そのため、諭し、戒めようとするそのとき、誰もが足踏みをすることになります。

 それでも、諭すことが生かされる道があります。その一つの道は、「愛する自分の子供として」とパウロが呼びかけたように、諭す人が愛をもって諭すことです。権威主義的になって、地位を振りかぎしたり、知識をひけらかしたりするのではなく、その人に仕え、その人を愛する心があるかどうか、そのことが問われます。

 わたし自身、貧しい経験の中で、諭すことに失敗してしまったことが何回もあります。振り返えれば、わたしにその人への愛があったのかどうか。単に自分の面子がつぶれるとか、プライドが傷つけられたとか、そんな思いが心の中にあったのではないか。忸怩たるものがあります。

 そんな愛をもって諭すとき、パウロが語り勧めることは、16節「わたしに倣う者になりなさい」ということでした。これが、諭すことが生かされる二つ目の道でした。諭す人が諭せる人かどうかは、言葉ではなく、その人の「生き方」をもって諭せるかどうかにかかっています。

 あなたたちはわたしの子どもなのだから、父であるわたしに倣う者となってほしい。これは、「わたしのように立派な、きちんとした、清く正しく、強い者になれ」ということではありません。「わたしに倣う者となれ」と言われているその「わたし」とは、直前10節にある「わたし」です。あなたたちはキリストを信じて、賢い者、強い者、尊敬される者となっているが、わたしは愚か者、弱い者、侮辱される者となっている。そんなわたしのようになりなさいということです。

 「わたしに倣う者になりなさい」という言葉は、パウロの自信の表れではありません。自信を持って生きているのはむしろ、コリント教会の人々の方です。自信満々のコリントの人々に、自分への自信を支えに生きることをやめ、弱い者、何も持たない貧しい者となって、ただキリストの恵みにすがり、神の愛に委ねて生きる者となりなさい。そうパウロは教え諭すのです。

 

■テモテを遣わす

 そのためにこそ、パウロはテモテをコリントに遣わしました。17節後半に「至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう」とあります。コリントの人々が以前、見て知っていたはずなのに、忘れてしまっているパウロの生き方―弱い者、貧しい者、愚かな者として、ただひたすらキリストに依り頼んで生きる姿―をもう一度思い出させ、そのような生き方をこそ、見倣っていくべきであることを教えるためでした。

 パウロがこの手紙を書いていたのは、コリントからエーゲ海を挟んだ対岸にある小アジアのエフェソでのことだったと言われます。エフェソからコリントまでの道程(みちのり)は決して楽ではありません。陸路を行くにはエーゲ海を大回りしなければなりませんし、船で行くには季節を選ばなければなりません。それに加え、使徒言行録19章に、そのエフェソ伝道の最中、町全体を巻き込むような騒ぎが起ったときの様子が描かれています。そのため、なかなかコリントへ行くこともできず、コリント教会の人々とパウロとの間の溝を深める結果にもなったようです。パウロはもうコリントには来ないという噂が広がり、ある人々には失望を与え、またある人々には教会がパウロの影響から抜け出す絶好の機会と感じられました。18節の「わたしがもう一度あなたがたのところへ行くようなことはないと見て、高ぶっている者がいるそうです」という言葉には、そのような人々に対する失望と皮肉が感じられます。 Continue reading

11月5日 ≪降誕前第5主日/聖徒の日・永眠者記念礼拝≫『信仰によって歩むとき』 ヘブライ人への手紙 11章 1~2, 17~31節 沖村 裕史 牧師

■神からの光

 さきほどご一緒に告白した使徒信条にある「聖徒の交わり」としての教会には、この地上を生きるわたしたちだけでなく、天にある方々をも含んでいます。その天に召された方々のお写真に囲まれて、わたしたちはこの手紙の12章1節の言葉通り、まさに「多くの神の証人に雲のように囲まれて」、この礼拝を守っています。そのことを信じる時、わたしたちは、天に召された方々が決して「失われた人々」ではなく、いのち与えくださった神の恵みによって、わたしたちと共に今もその御手の内におられる、そう確信することができます。

 そしてここにお写真があるすべての方が、信仰によって生かされ、信仰の内に天に召されました。ここに飾られたお一人ひとりのことを思い起こしつつ、「信仰によって生き、死ぬ」とはどういうことなのか、そのことを皆様とご一緒に学んでいきたい、そう願っています。
 
 今日、わたしたちに与えられた聖書の言葉は、ヘブライ人への手紙11章です。これは実際の礼拝で語られた説教だと言われます。その説教の中に「信仰によって」という言葉が19回も繰り返されます。「信仰によって」という言葉に導かれながら、旧約の時代を生きた「信仰の証人たち」の長い記録がここに綴(つづ)られている、そう申し上げてよいでしょう。信仰の証人とは、神を心から信じる信仰をもって歩んだその人生の中で、神からどのような恵みを与えられたのかを示す、証(あかし)している人々のことです。説教者は、その証人たちの歩みを一つひとつ辿ることによって、神から与えられた信仰の賜物が完成されていく姿を、「信仰によって」という言葉を重ねて、ここに語っています。

 では、信仰者たちの信仰の賜物、恵みはどこに見出されるのでしょうか。ここに語られているアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、そしてモーセに共通する場面があります。そのいずれもが死に直面しています。

 アブラハムは、独り子の死を前に苦しみ悩みながらも、愛するわが子を神へ捧げる、そのいのちを神に委ねることができました。その子イサクの死については何も語られていませんが、イサクが二人のわが子を祝福したのは、創世記によれば、彼が死の床に着いていたときのことでした。ヤコブについての言葉も印象的です。21節、「杖の先に寄りかかって神を礼拝した」。もう立てなくなっていたということです。神を拝むにも、もう杖に取りすがらなければならない者が、しかしそこで自分の死を嘆くのではなく、自分の子孫のために祝福を祈りました。ヨセフは大国エジプトの大臣にまでなっていましたが、自分が死んで葬られる場所はここではないと決めていました。自分の遺体が約束の地カナンに運ばれることを望み、自分の子どもたちがエジプトから安住の地へと戻って行く姿を思い浮かべています。死に直面しながら、なお祝福を望み見たのです。

 ある方が、もはや回復の見込みもない病の床にありました。ご家族から、天に召されたときには葬儀を教会でとご連絡がありました。病床をお訪ねすると、重病であるはずのその方が姿勢を正すようにしてこう語られます。自分の父も母も信仰を持って死んでいった。それも晩年ようやく信仰を得てのことだった。自分もまた父や母と同じ信仰を得て平安を得たい、と言われます。厳しい闘病生活を続けてこられ、言葉にできない苦しみと痛みを味わう中、平安を求めて神と共にあることを願っておられました。受洗の準備を進めている最中、病状が急変され、心臓が一度止まりました。間に合わなかったかと思いつつ病床に急ぐと、奇跡的に意識が戻っておられました。改めて洗礼の意思を確認し、すぐに緊急の洗礼式を執り行いました。最後の日、しばらく傍らに付き添い、聖書の言葉を読み、共に祈りを献げました。その間ずっと、穏やかな笑みを浮かべておられました。まだ心臓に力がありそうだとお聞きし、安心して帰ったその直後、天に召されました。67年のご生涯の中、わずか一週間の信仰者として生き、平安の内に天に召されました。

 この人もまた、アブラハム、イサク、ヤコブ以来の信仰の恵みの中に立たれた、と思わずにはおれません。目に見えるのは自分の重い病、もう帰りたいと憧れていた家に帰ることもできず、まして職場に復帰することなど到底叶いません。目に見えるのは、すべての望みが断たれた現実でしかありません。しかし、その向こう側に光を見ることがおできになったのです。

 わたしたちにも、その光を見ることができます。いのちの主である神からの光です。この手紙の説教者は今、そのことを語ろうとしています。

 

■信じる力

 続く27節にも、力強い信仰の言葉が語られます。

 「信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、耐え忍んでいたからです」

 モーセの目に見えていたのは「王の怒り」です。王の怒りが強力な軍隊として見えています。死の可能性が、いえ、死がはっきりと見えています。しかしそこで、モーセは「目に見えない方」を信じました。まるで見ているかのように確かな現実として、神を信じました。そしてその信仰は、目に見える現実に耐える力として現れると言います。「目に見えない方を見ているようにして、耐え忍んでいた」、これこそ「信仰によって」生かされている者の姿です。

 冒頭1節の言葉が重なってくるようです。

 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」

 この言葉に従えば、信仰とは、目には見えないものが事実であり、期待しているものは必ず来る、と確信することです。この「望んでいる」とは、ただ憧れをもって待ち望むということではなく、「確信をもって待つ」ことです。

 キリスト教が激しく迫害されていた時代のローマで、裁判官の前に引き出された名もないひとりの信徒が語った、印象深い言葉があります。「わたしが神に対して真実であるならば、神はわたしに対して真実であるお方です。だからわたしはどんなことがあっても信仰を捨てません」。この言葉に対して裁判官は問いかけます。「お前のような者でも神のところへ行って、栄光が受けられるとでも思っているのか」。信徒の答えはこうでした。「わたしはただそう思っているのではなく、事実そうであることを知っています」と。

 信仰をもって生きているわたしたちにとって、また、信仰に生きたご家族の姿を身近にずっと見つめて来られた方々にとっても、思わず頷かざるを得ない言葉ではないでしょうか。「信仰によって」、わたしたち信仰者に与えられる希望とは、おそらく良い結果をもたらしてくれるだろうといった、はっきりしない望みではなく、それが事実である確かさを知る、ということです。

 この手紙の中に名前を挙げられた誰もが、苦難の中の苦難、試練の中の試練とも言うべき「死」を恐れませんでした。それは、彼らが勇猛果敢な人間であったからではなく、いかなる苦難にも、死にも打ち勝つ力を持つ、いのちの主である神を堅く信じていたからです。自分の死のことだけ、自分の困難や苦難だけを考え、囚われ、それだけを見つめている人は、苦難や死への不安の前に手も足も出ず、ただそれを恐れるばかりとなります。しかし信じる者たちは、自分たちに約束された神の言葉をたえず覚え、死ぬ直前にもそのことを思い起こして、後に続く者たちのことを祝福することができたのでした。

 苦難と不安に囚われ、縛られた人生に自由はありません。そこから解き放たれるとき、本当の自由が与えられます。苦難と死からの本当の自由が与えられるのです。それが信仰の力、信じる力です。 Continue reading

10月29日 ≪降誕前第9主日/招待礼拝≫『立って、行こう!』 ヨハネによる福音書 5章 1~18節 沖村 裕史 牧師

 

■「三十八年」

 舞台は「ベトザタ」と呼ばれる池の畔(ほとり)です。

 「ベトザタ」とは「あわれみの家」または「恵みの家」という意味です。その場所にあった五つの回廊に、「病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた」、その中に「三十八年も病気で苦しんでいる人がいた」とあります。

 これは遙か昔の、どこか遠くの場所のお話というのではありません。わたしたちの周りにもこういう方々がおられます。施設に入っておられた一人の女性をお訪ねしたときのことです。「このホームに入られて何年になられますか?」と聞きますと、「15年です」というご返事。同じ施設に入っておられたパートナーは、「脳出血で倒れてから、もう10年近くベッドに寝たきり」の状態でした。

 それにしても、「三十八年」とはずいぶんと長い年月です。古代ローマ人の平均寿命は、20歳から25歳程度でした。乳幼児の死亡率が15%から35%程度と高かったせいもありますが、5歳以上まで無事に成長できた子どもでも、多くは40歳代の寿命であったと言います。ここに出てくるその人が、何歳なのか分かりません。がしかし、人生の大半を病気と共に生きてきた人であることだけは確かです。

 その人がそこで何をしていたのか。3節の後に十字架のようなしるしがあって、よく見ると4節の言葉がありません。これは、もともとの聖書にはなかったと思われる言葉を示すしるしです。福音書の最後の頁に「水が動くのを待っていたのである」と書かれています。「水が動く」とは、水の底から時々「ボコ、ボコ」と温泉のわき水が噴き出してくる間欠泉のことだろう、と言われます。水の面(おもて)が動くように見えました。しかも温泉ですから病気に効くに違いないと考え、「これは天使が水を動かしている。だれでも真っ先に入った人はいやされる」という伝説が生まれました。病に苦しむ人々、身体の不自由な多くの人々が、水の面が動くのを毎日待っていました。一日か、一か月か、一年か、十年か、いつとも分からぬままに「三十八年」、ただじっと水の面を見つめ続け、水が動くのを待っていました。そういう生活でした。

 

■孤独と絶望

 そこにイエスさまが来られて、彼に尋ねます。

 「良くなりたいか」

 こう問われた彼は「治りたいのは当たり前でしょう」とは言いません。ただ、「主よ、水が動くとき、わたしを池に入れてくれる人がいないのです。わたしが入りかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」と嘆き、訴えます。

 「わたしには助けてくれる人がいないのです。だから、自分で這いずりながら前に行こうとしても、他の人が先に入ってしまうのです。悔しい。憎らしい。妬(ねた)ましい。誰も助けてくれないのです。わたしを見て、立ち止まってくれる人などいません。だれも声ひとつかけてくれません。悲しい。寂しい。苦しいのです」

 毎日、水面(みなも)だけを見つめながら生きる人の、虚しさと絶望が伝わってきます。だれも自分がここにいることにさえ気づいてくれない。親も兄弟も、友人も隣人も、だれも自分のことなど考えてもくれない。「三十八年」、そんなふうに悩み苦しんでいた人のことが、ここに描かれています。

 福音書には、現実にいた人たちのことが書かれています。イギリスのボルンカムという聖書学者は、当時の情報とは基本「人の噂」であった、その中でもより信頼度が高いのは具体的な人の名前や地名で語られる噂であった、聖書の多くの記事はそのような噂、伝聞に基づくものだった、と言います。「ベトザタ」という具体的な地名。「あわれみの家」「恵み家」と呼ばれるその場所に、その名とは裏腹に、病人たちが我先に水の中に飛び込もうと互いを警戒し、互いに敵視し合っているような情け容赦ない場所で、長きにわたって嘆きと悲しさ、虚しさと絶望、憎しみと妬みに明け暮らしている人が、確かにいたのです。

 

■立つがよい!

 横たわっているその人をご覧になって、イエスさまは「良くなりたいか」と声をかけられます。

 無神経な問いのように思えます。治りたいと願うのは当たり前のことです。一見無神経とも思われるその問いを、イエスさまはなぜ発せられたのでしょうか。それは、諦めや絶望ではなく、恨みや妬みでもなく、いやされたい、生きたいという願いを持つことが、今、生かされてあることへの感謝を持つことが、何よりも大切だからです。

 病気をした人であれば、誰でも覚えがあるでしょう。病気をしている間は治りたい、痛みに悩んでいる間は痛みから解放されたいと願います。それは当然のことです。しかし、いやしから見放され、病が体と心に住みついてしまうと、絶望し、ついには諦め、本気でいやされることを願わず、自分で健やかになろうという強い願いを持つことができなくなることがあります。生かされ生きていることの不思議、恵みに感謝することができなくなります。いやしへの強い願いを失った人を、いやしへと励ますことは、とてもむずかしいことです。

 悩みを心に抱えて苦しむ人もそうです。苦しいと訴えるその話を聞いて、「いやいや、あなたの苦しみなどは大したことはない」などと言えば、たいていの人は怒ります。「あなたの苦しみは思い込みに過ぎない」などと言っても、その言葉が受け入れられるはずもありません。

 「三十八年」も病の中にあったのです。病気はそのまま、彼の人生です。それなりに生きる形ができ、慣れてしまっていたとしても、おかしくはありません。だから彼は、いやされる前に「良くなりたい」と言わず、いやされた後も、特別に喜んでいる様子も見せません。彼は病に安住していたのかもしれません。人間が孤独、諦め、絶望という罪の病に捕らわれると、それが当たり前のことだと思い込んでしまう。「どうせ…」とつぶやきながら、生きる希望を失い、ただ生きているだけということになる。イエスさまは、その絶望の壁に穴を開けてくださいます。イエスさまは、願いを、希望を持つように促されます。

「立つがよい!」

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10月22日 ≪聖霊降臨節第221主日礼拝≫『愚か者になる』 コリントの信徒への手紙一 4章 6~13節 沖村 裕史 牧師

 

■高ぶり

 コリント教会の人々は高ぶっていました。パウロは、コリント教会の中に争いがあることの根っこに、その「高ぶり」があると見ています。
 
 6節から7節、「『書かれているもの以上に出ない』ことを学ぶためであり、だれも、一人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、高ぶることがないようにするためです。あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか」

 「一人を持ち上げてほかの一人をないがしろに」するとは、神が立て、遣わされた使徒、指導者たちを自分の思いや感覚で裁き、評価し、判断するということです。そこには、神を差し置いて、自分が裁き手となろうとする思いがあります。それこそが「高ぶり」です。

 わたしたちも、人のことを評価したり、判断したり、つまり裁きながら生きています。そうすることが自分には許されていると思っています。些かなりとも判断を下す材料を自分は持っている、いろいろな事情を知っている。そう思って、人のことを裁き、判断します。そのことを高ぶりだとは思ってもいません。少なくともこれを言う資格と理由が自分にはあると思うから、人を裁き、批判するのです。コリント教会の人々もそうだったのでしょう。パウロは、自分が高ぶっているとは思ってもいない人々に向かって、あなたがたは高ぶっていると言います。

 なぜ、そう言えるのか。彼らが「書かれているもの以上に出」ているからです。「書かれているもの」とは聖書のことです。人を裁き、批判する思いは、聖書が教えていること以上のもの、はみ出ています。

 7節前半、「あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです」

 「優れた者」という言葉は原文にはありません。直訳すれば「あなたを他の人から区別したのは誰ですか」。「あなたを、人を裁くことができる者として他の人から区別したのはいったい誰か」ということです。反語です。予想される答えは「そんな者はいない」。あなたは人を裁くことができる特別な者ではない、ということです。

 なぜなら「裁くのは主」、「主が裁いてくださる」からです。これは聖書に繰り返し出てくる言葉です。主なる神こそが人を裁くことのできる唯一の方、他に人を裁くことができる者などいません。それなのに、神を差し置いて、人が裁き手になろうとするところに人間の罪がある、と聖書は教えています。聖書に聞かず、書かれているもの以上に出て、「少なくともこのことについてわたしは裁くことができるはずだ」と思うとき、わたしたちは高ぶっていて、その高ぶりに気づくことすらできずにいるのです。

 聖書が教えていることが、もう一つあります。

 7節後半、「いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか」

 あなたの持っているもので、いただかなかったものがあるか、すべては神からいただいたもの。これもまた、聖書が繰り返しわたしたちに語っていることでした。聖書には、神が恵みをもってこの世界のすべてを造り与えてくださり、何の相応しさもないイスラエルの民を恵みによって選び、神の民として導き、豊かな賜物を与えてくださった、とあります。ダビデのこんな祈りも記されています。「すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません」(歴代誌上29:14)。そう、わたしたちが持っているものはすべて、財産だけではなく、いのちも体も、家族も友も、そして救いも信仰も、神が与えてくださったものでした。

 ところが、それをいただかなかったように、つまり自分がもともと持っている、自分の力で獲得したものであるかのように考え、振舞っている。コリント教会の人々は、そういう高ぶりに陥っていました。そしてその高ぶりから、自分の信仰を誇る思いが生れます。その誇りの拠り所が、「自分は何々先生の教えを受けている」ということでした。そのようにして、ある指導者に結びついて党派が生まれ、そこに互いに対立し合う争いが生じていたのでした。

 

■キリストのために愚かな者となる

 パウロは皮肉を込めて、コリントの人々に投げかけます。

 8節、「あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから」

 何と激しい皮肉でしょうか。それだけでは不十分とみたのか、パウロはもっと激しい言葉を続けます。9節から13節、

 コリント教会の人たちは、「キリストを信じて賢い者となっています」、「あなたがたは強い」、「あなたがたは尊敬されてい」ます。それなのに使徒であるパウロは、「死刑囚」のようにされ、「見せ物」になっており、「愚か者」となり、「弱く」、「侮辱され」、「飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく」、仕える生活をしています。そればかりか、「侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返しています」。ひと言で言えば、「今に至るまで、わたしたちは世の屑(くず)、すべてのものの滓(かす)とされています」とまで言い切ります。

 この激しい言葉によって、パウロが教え、語ろうとしていることとは何でしょうか。
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10月15日 ≪聖霊降臨節第21主日/秋の「家族」礼拝≫『いい子、いい子だね!』(こども)、『涙が笑みに変わる』(おとな) ルカによる福音書 6章17~26節 沖村 裕史 牧師

 

≪お話し≫「いい子、いい子だね!」(こども)

■新しいお母さん

 今日も、なおこちゃんのお話しです。

 わたしを生んですぐにお母さんが死んで、ずっと一人だったお父さんが再婚(さいこん)することになりました。小学校二年生の終わりごろのことです。

 新しいお母さんとは、何回か「オバサン」たちの家で会っていました。きっと、お父さんとの見合いのあと、「子どもがなつくかどうか」をみるためだったのでしょう。わたしは、この「オバチャン」が好きでした。コロコロとよく笑う、その笑い声が好きで、なついて、くっついてまわっていました。

 しばらくして結婚式(けっこんしき)のようなものがありました。オパチャンがうっすら化粧(けしょう)してヨソイキの着物をきています。いつもより無口(むくち)でコロコロ笑いません。父も真面目(まじめ)な顔をしてヨソイキを着ています。わたしもヨソイキです。オトナたちにまじって、かしこまっています。

 (オバチャン、きょうはキレイだなあ)

と思いました。

 朝がきて、なにごともない感じで一日がはじまりました。わたしが学校から帰ってくると、新しいお母さんがいます。当たり前のように一日が流れていきますが、心の中で、目をまんまるくしている気分でした。

 (ふうん、そうかあ)

 「もじもじしているような、ぎごちないような」感じです。「ドキドキするような、はずかしいような」気分の中に、少し「わくわくするような」ものも混(ま)じっています。なにしろ、初めてのことです。—新しいお母さん—

 

■かあちゃん

 親子三人暮(おやこみにんぐ)らしの初日のことを、よく覚えています。夕方あたりになると、わたしはだんだん落ちつかなくなってきました。お母さんのことを、まだ「おばちゃん」と呼んでいました。

 (オバチャンじゃ変だな)

と思うのですが、どうもうまくいきません。お父さんのことは「とうちゃん」と気楽(きらく)に呼びかけられるのに、

 (どうすりゃいいかな)

 「お、おばちゃん」と呼びかけると、

 「は、はい」なんて、お母さんも、もじもじしているようです。夕闇(ゆうやみ)がせまってきたころ、お母さんはお風呂(ふろ)を沸(わ)かしにいきました。家の外にあるお風呂の焚口(たきぐち)にしゃがんで薪(たきぎ)をくべています。わたしもくっついていきました。

 「お、おばちゃん。手伝うよ」

 「は、はい。ありがとう」

 なんだか芝居(しばい)のセリフを棒読(ぼうよ)みしているみたいです。

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10月8日 ≪聖霊降臨節第20主日礼拝≫『裁くのは、だれ?』コリントの信徒への手紙一 4章1~5節 沖村 裕史 牧師

 

■裁きにさらされて

 3節から4節、「わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは主なのです」

 わたしたちが恐れているのは、人間の裁きです。

 人はどう思うだろうか。人はどう言うだろうか。批判されはしないだろうか。結局、人間がいつも頭を悩ませているのは、そのことです。人の一生は、人の裁きとの闘いだ、と言ってもいいほどです。闘って、闘って、疲れ果ててしまいます。

 このときのパウロも、コリント教会の人々から裁かれていました。それは「問題ではない」どころか、パウロにとって大きな悩みでした。教会の人々が自分のことを裁いている。いえ、パウロだけでなく、互いに裁き合っている。そのことに心を痛めつつ、この手紙を書いています。

 それにしても、パウロがコリント教会の人々から裁かれるとは、いったいどういうことなのでしょうか。パウロはコリントに初めてキリストの福音を伝えた、いわばこの教会の創設者です。そのパウロのことをこの教会の人々が裁くなどということが、どうして起っているのでしょうか。

 この教会は確かに、パウロが最初に福音の種を撒いて生まれたのですが、パウロが去った後、いろいろな指導者がやって来て指導しました。その中から、パウロの教えに批判的なグループが生まれました。彼らからパウロは様々に批判され、中傷を受けました。一番ひどいのは、パウロは自分のことをキリストに遣わされた使徒だと言っているが、そもそもイエスさまの直弟子だったわけではない。そればかりか教会を迫害していた人ではないか。そんなパウロが使徒などと言うのは実におかしなことだ、とまで言われていたようです。だからでしょう。パウロも自らのことを、「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」(15:9)と告白しています。

 力ある指導者であればある程、批判もまた手厳しくなるのは、この世の常です。パウロはそのような批判、裁きにさらされ続けました。

 

■裁きの中にある

 そんな裁きの中にあってしかし、「わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません」とパウロは言います。

 さすがはパウロだ。そういう強い信念を持って生きていたのだ。そこにパウロの使徒たるゆえんがある。どんな批判を受けてもたじろがない、不屈の指導者としてのパウロの姿がここにはある。

 パウロのこの言葉をそう受け取るとすれば、それは誤りです。

 パウロが「あなたがたから裁かれる」と言うとき、彼が念頭に置いているのは、自分を批判し、敵対している人たちのことだけではありません。コリント教会には、パウロを批判し敵対する人たちもいましたが、また彼を慕い、師と仰いでいる人たちもいました。「パウロ派」と呼ばれる人々です。その他に、アポロ派、ケファ派、さらにはキリスト派というのまであって、それらのグループ、党派が、それぞれに勝手なことを言い、仲たがいし、互いに対立し合っていた、と1章に語られています。

 仮に、自分を批判している人たちのことだけを念頭に置いて、「あなたがたから裁かれる」と言っているのだとすれば、パウロ自身がこの対立の構図の中に巻き込まれていることになります。アポロ派やケファ派やキリスト派の人々は自分を裁いているけれども、パウロ派の人々は理解してくれている、味方になってくれている、ありがたいことだ、ということになります。

 しかし、パウロが言っていることはそういうことではありません。「あなたがたから裁かれようと」と言っている、その「あなたがた」の中には、自分を慕い、自分の名のもとにグループを作っている人たちのことも含まれています。パウロ派と呼ばれる人たちもまた、裁いている。パウロはそのことに心痛め、問題としているのです。

 

■裁いてはいけない

 問題は、裁くということです。

 「裁く」ということは「批判する」とイコールではありません。裁くとは法廷用語です。判断すること、判決を下すこと、白黒をつけることです。その意味で、パウロを支持する人も、また批判する人も、同じように彼を裁いているのです。その結論が、白か黒か、違うだけのことです。パウロに対して白と判断する人たちがパウロ派を作り、アポロに対して白と判断する人たちがアポロ派を作る。そのようにして党派が生まれ、そこに争いが生まれるのです。

 パウロは、そうしたコリント教会内の党派争いの現実を見据えながら、今、この手紙を書いています。その上で、パウロはきっぱりとこう言います。

 自分は人から裁かれようと、人間の法廷に立たされようと何ら気にしない、と。人に何と言われようと、自分には自信がある、というのではありません。パウロは言います。自分で自分自身を裁くこともしない、と。何もやましいことなどないけれども、それで自分が正しいというわけではない、と。 Continue reading

10月1日 ≪聖霊降臨節第19主日礼拝≫『すべてはあなたがたのもの』コリントの信徒への手紙一 3章18~23節 沖村 裕史 牧師

■あなたがたは神殿なのだから

 直前17節にこう記されていました。

 「神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです」

 「神殿の破壊」とは、教会の中にあった内輪揉め、党派争いのことを指しています。コリントの人々が、ある人は「わたしはパウロにつく」、ある人は「わたしはアポロに」、またある人は「わたしはケファに」と言って、それぞれに党派を結び、互いに対立し合っていました。パウロはそのことを念頭に、ここまでこの手紙を書き続けてきました。

 「あなたがたはその神殿なのです」とパウロは言います。神殿であるあなたがた自身を破壊し、滅ぼすことになる、そんな党派争いがなぜ起るのか、なぜそんな内輪もめをしているのか。パウロは嘆きます。

 しかしそれは決して特別なことではありません。わたしたちの社会にもいろいろな問題が起こり、毎日のように凶悪な犯罪が起こっています。どうしてこんなことになっているのか。様々な要因が考えられます。しかし決定的なのは、一人ひとりの人間が生まれ、育つ「家」「家庭」に原因があるのではないか、そう言われることがあります。

 この数年の間に起こった、様々な少年犯罪について分析した本があります。たとえば、小さい頃から万引きなどの犯罪を起こしていた子が、盗みに入って見つかってしまった。これがばれると親にひどく叱られると思って、店主を殺してしまった。また別のケースでは、小さい頃からよい子と思われていたが、それは親の目を気にしてのことで、そういう鬱積(うっせき)から犯罪に走ってしまった。神戸のサカキバラ事件がそうです。あるいは、親の大きな期待に一生懸命に応えて頑張ってきたが挫折してしまった。すると親からの関心や愛情も失われてしまい、そんなことから犯罪に走って行ったケースなども挙げられています。そしてこれらのいろいろなケースに共通しているのは、家庭、親の問題です。親は子どものことより、実は、自分のことばかりを考えています。そんな親の自分本位の渦の中に巻き込まれて、子どもたちが大きな過ちを犯してしまう、そういったケースが多いと言います。

 三浦綾子の『裁きの家』という小説に、大学教授の兄とサラリーマンの弟、二組の夫婦とその家族の中で、親子、兄弟、夫婦、嫁姑など、様々な人間関係の中に渦巻く人間模様が描かれています。この中に「むずかしいのは、共に生きるということなのだ」という言葉が出てきます。さらに「あとがき」の中にも、「『家庭は裁判所ではない』ということを、わたしは度々口にする。しかし、現代は家庭もまた裁き合う場であって、憩いの場でもなければ、許し合う場でもなくなっていると言える」と記され、本当の家、家庭とは何かが鋭く問われています。

 これは他人ごとではなく、わたしたち自身の問題です。むしろわたしたちは皆、「罪人の中で最たる者」(1テモテ1:15)です。わたしたちは、だれよりも自己本位、自分中心で罪深い者です。そんなわたしたちが一緒に生きているのですから、いろいろな問題が起こるのも当然なのかもしれません。

 だからこそパウロは16節で、「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」と呼びかけました。「神殿」とは「神の霊が内に住んでいる」ところです。「霊の家」と言うこともできます。教会という神の家族のことです。見える建物というよりも、見えない交わりとしての共同体です。ガラテヤの信徒への手紙5章22節以下に、「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」とあります。互いの自己本位によって交わりが破壊されるのに対して、愛や平和の創造者である霊が働く共同体として、一人ひとりがなくてはならない存在になって、ひとつの家が、ひとつの教会が建てられるように、パウロはそう願っています。

 

■自分を欺く

 そんな切なる願いをもって、パウロはさらに語りかけます。18節、

 「だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい」

 党派争いが起るのは自己本位だから、それは自分を欺いていることだ、とパウロは言います。ここで「自分を欺く」とは「自分はこの世で知恵のある者だと考えている」ということです。およそ対立や争いの根本には必ず、こうした自分中心の思い、うぬぼれがあるのだということです。

 「いやいや、わたしは自分が知恵ある者だなどとは思っていない。むしろ全く知恵の足りない者だから、もっと知恵を得たい、求めたいと願っている」という謙遜も、無意味です。そもそもコリント教会の人々もそう考えていました。だからこそ彼らは、知恵を与えてくれそうな指導者と結びつきました。ある人はパウロに、ある人はアポロに、ある人はケファに…。どの人も立派な優れた指導者です。そういう人と結びついてより優れた知恵を得よう、より良い、より立派なクリスチャンになろうとしたのです。党派はそうして生まれました。そうしていつしか、自分たちの方があのグループよりも優れた知恵を持っているとうぬぼれ、誇り合うようになったのです。

 自分は知恵のない愚かな者ですと謙遜していれば、「自分を欺く」ことにならないのか、そんなことはありません。「知恵がないから知恵が欲しい」という思いと「自分は知恵ある者だと誇る」思いとは紙一重、コインの表と裏のようなものです。普段は表が見えていても、ひっくり返せば裏が表れます。

 

■愚かな者になれ

 そんな知恵を求め、知恵ある者となって自分を誇ろうとする思いこそが、神の神殿を破壊する元凶だ、とパウロは言います。ではどうすればよいのか。

 「本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい」

 パウロはそう勧めます。人間の知恵から見れば愚かなことの中にこそ、神の知恵、本当の知恵があるからです。そのことはこの手紙の中で、何度も語られてきたことです。1章18節以下にこうありました。

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9月24日 ≪聖霊降臨節第18主日礼拝≫『わたしたちの土台』コリントの信徒への手紙一 3章10~17節 沖村 裕史 牧師

 

■教会の土台は人生の土台

 「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました」

 パウロが、熟練した建築家として建物の土台を据えた、その建物とは何でしょうか。直前9節に「あなたがたは神の畑、神の建物なのです」とありました。あなたがた―コリントの教会の人々が「神の建物」です。

 その建物には土台があります。建築したことのある人は、土台づくりがいかに大変なことかを知っています。建築の依頼主は、土台にどれほどお金がかかるのかを聞いて驚きます。土台がしっかりしていないと、家が傾いてしまいます。土台について、イエスさまも山上の説教の最後に語っておられました(マタイ7:24-27)。雨が降り、川があふれ、風が吹いて家を襲うとき、土台が岩の上にあるか、砂の上にあるかで、被害の差が明白になります。土台の手抜き工事くらい困ることはありません。しかし、この肝心の土台は、完成すれば建物の下に隠れ、人目につかなくなります。大切なものほど人目につかないのだ、ということを土台は教えてくれます。その土台をわたしが据えたのだ、とパウロは言います。

 パウロが「あなたがたは神の建物である」と言う時に、そこで考えられている建物とは、もちろん建築物としての会堂のことではなく、神の民として生きている人々、教会の群れのことです。その教会の群れが神の建物であり、その群れのメンバーである信仰者一人ひとりが、その建物を形作る部分です。その部分であるわたしたち一人ひとりが土台の上にしっかりと立っていなければ、この建物は成り立ちません。教会の土台は、そこに連なるわたしたち信仰者の土台でもある、ということです。パウロが熟練した建築家のように据えた教会の土台が、わたしたちの人生の土台にもなるのです。

 では、教会の土台であり、わたしたちの人生の土台でもある、パウロが据えた土台とは、いったい何なのでしょうか。

 

■家を建てるわたしたち

 パウロは今、自分のことを「熟練した建築家」と呼んでいます。「熟練した」というのは「知恵ある」という意味の言葉です。ずいぶんと大胆な言い方です。しかしこれは、自分の働きを誇っているのではありません。パウロの働き、土台を据えたのは、「神からいただいた恵み」によるものでした。自分の知恵や才覚で土台を拵(こしら)えたわけではありません。11節に「イエス・キリストという既に据えられている土台」とあります。教会の土台であり、同時にわたしたちの人生の土台として据えられているのは、イエス・キリストでした。それを宣べ伝えたということです。

 ところが、続く10節の後半、自分の据えたその土台の上に他の人が家を建てている、とパウロは言います。それは、コリント教会の土台を据えたパウロが去った後、いろいろな人が来て教会を指導し、その土台の上に教会を築いていった、そのことを指しています。

 わたしたち信仰者一人ひとりの人生も同じです。わたしたちは、洗礼を授けられて、イエス・キリストという人生の土台を据えられますが、その土台の上に、教会、牧師、兄弟姉妹、友人、家族など様々な人との出会いや交わりを通して、それぞれに異なった家が建てられ、わたしたちの人生が築かれていきます。据えられた土台の上にどんな家が建つのか、人生が築かれるのかは、わたしたちと、また、いろいろな人たちとの出会い、交わり次第です。

 同じことが教会についても言えます。神の建物である教会を建てるのは、パウロとかアポロといった指導者だけではありません。そこに連なる信徒一人ひとりがそれぞれの働きによって、教会という建物を建てていきます。いわば、わたしたちは、一人ひとりの人生においても、また教会においても、どのような家を建てるかを委ねられている、建築家のようなものです。

 だからこそ、10節の終わりにパウロは、「ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです」と、コリント教会の人々にそのことを意識させようとします。あなたたちは皆、家を建てる建築家のようなものだ。建築家たるもの、自分がどのように家を建てているかによくよく注意しなさい。そう言うのはもちろん、わたしたちが建て方を間違ってしまうことがあるからです。教会を建てるときに、それぞれの人生を建ち上げていくときにも、建て方を間違えてしまうことがあるのです。

 

■どの土台の上に建てるか

 では、どう建て方を間違えるのか。パウロは二つのことに言及します。

 その第一、最も大切なことは、どの土台の上に建てるのかということだと言います。11節「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」。イエス・キリストという土台が既に据えられているのに、それを無視して、別の土台の上に建てるようなことがあってはならない、と言います。イエス・キリスト以外の土台を据えるとは、具体的にはどういうことなのでしょうか。

 もちろん、教会はキリストを信じる者の群れなのですから、例えば、お釈迦様の上に建ててしまうなどということは、いくらなんでもないでしょう。おそらく、パウロが据えたイエス・キリストとは違う、別のイエス・キリストを土台にしてしまうことだ、と考えられます。イエス・キリストを信じると言っていても、そこで見つめられているキリストが、パウロが宣べ伝えていたキリストとは、全く違ったものになってしまう、ということがあったのです。

 パウロが宣べ伝えていたキリストとは、2章2節に語られている、「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト」であったはずです。ところが、パウロが去った後、別のキリストが入り込んできたのです。それは、十字架抜きのキリスト―人間が模範となり、理想としてそれを追い求め、その教えを実践していくことで自らを高め、より良い人間となり、栄光を獲得しようとする、そんな偉人、ヒーローとしてのキリストであったと思われます。例えば、革命家としてのキリスト、治癒師―ヒーラーとしてのキリスト、小さく弱くされた者に寄り添う社会活動家としてのキリスト、愛の倫理を教える教師としてのキリスト、放浪の伝道者としてキリスト等々です。数え上げれば切りがありません。

 それは、分かりやすく受け入れやすいキリストです。そういうキリストがわたしたちの周囲にいるだけでなく、わたしたち自身がしばしば、キリストをそのような方として受けとめ、そのキリストを土台にして自分の人生を、また教会を建てようとしてしまうことがあるのです。

 しかしそれは、「パウロが熟練した建築家のように据えた土台」ではありません。パウロが据えた土台は、十字架につけられたキリストです。キリストが十字架につけられたのは、わたしたちの罪の赦しのためでした。わたしたちの罪が、もしも道徳的な教えによって自分で反省し改善し、向上していくことによって解決するようなものだったなら、キリストの十字架など必要なかったでしょう。しかしわたしたちの罪は、十字架によらなければ赦されないほど、深刻なものでした。だから神は、イエス・キリストの十字架の死を通して、限りない神の愛を示し、確かな救いの恵みをわたしたちに与えてくださったのでした。十字架のキリストに示されたその福音を信じて、神の愛と救いに我が身を委ねる。十字架につけられたキリストが土台であるというのはそういうことでした。

 

■どんな素材を用いて建てるか Continue reading

9月17日 ≪聖霊降臨節第17主日/敬老祝福「家族」礼拝≫『愛の後ろ姿』イザヤ書46章3~4節、コリントの信徒への手紙二 6章1~10節 沖村 裕史 牧師

■葉っぱのフレディ

 敬老の日が近づくと祖母のことを思い出します。祖母はいろんな物語を聞かせてくれました。特にお気に入りの話は何度でも聞きたくて、「肩たたき」をしては、せがんでいました。そのわたしがいつのまにか、こどものため、そして今は、孫たちのために話をします。わたしの得意な話のひとつは、「葉っぱのフレディ」。そこに、こんな場面が出てきます。

 …ある日、 とてもおかしなことがおこりました。いままでダンスにさそってくれていたそよ風が、葉っぱのつけねをぐさぐさとゆさぶりはじめたのです。…葉っぱのなかには枝から引きちぎられて風に舞い、あちらへ投げられ、こちらへほうり出されては、ふらふらと地面に落ちていくものもでてきました。

 葉っぱという葉っぱはみんな おびえだしました。

 「いったい、なにがおこっているんだろう?」

 おたがいに ひそひそとたずね合いました。

 「これは、秋になるとおきることなんだよ」

 みんなにこう教えたのは、ダニエルでした。

 「葉っぱのぼくらがすみかを変えるときがきたんだよ。なかにはこれを “葉っぱが死ぬときだ” なんていう人もいるけどね」

 「ぼくたちは、みんな死ぬの?」フレディはもうびっくりぎょうてんです。

 「そうだよ」、とダニエルが答えました。

 「どんなものでも、かならず死ぬんだ。どんなに大きくても小さくても、どんなに強くても弱くてもね。ぼくらはまず、自分のつとめをはたす。お日さまの光をあびて、お月さまの光につつまれる。風にふかれて、雨に洗われる。みんなでダンスをおぼえて、みんなで笑う。そして死んでいくんだよ」

 「ぼくは死なないぞ!」フレディはきっぱりと言いました。

 「きみはどうするの、 ダニエル?」

 「ぼくは死ぬよ。そのときがきたらね」

 「それはいつくるの?」フレディは気が気ではないようです。

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9月10日 ≪聖霊降臨節第16主日礼拝≫『キリストに抱かれて』コリントの信徒への手紙一 3章1~9節 沖村 裕史 牧師

 

■霊の人と肉の人

 パウロがここで「あなたがたには乳を飲ませ、固い食物を与えなかった」と語っているのは、いったいどういうことなのでしょうか。

 そのことを考えるヒントとなるのが、2節後半の言葉です。あなたたちには乳を飲ませて、固い食物は与えなかった。それは「まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません」とあります。あなたたちは今でもまだ、固い物を食べることができない。あなたたちが信仰者となり、この教会が生まれてから、もうずいぶんと時が経つのに、いまだに乳飲み子のままで固い物を食べることができないでいる。あなたたちは成長できていない。パウロはそう言います。

 そう言いながら、パウロが見つめているのは、3節のことです。

 「相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか」

 「肉の人」という言葉は、一節にもありました。「肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々」。「肉の人」とは、まだ固い物を食べることのできない乳飲み子のことです。そして、その「肉の人」が「霊の人」との対比で語られています。「肉の人」と「霊の人」とは、2章14節以下の「自然の人」と「霊の人」のことです。「霊の人」とは、神からの霊、聖霊を受けて、神の恵みを知らされている人ということでした。それに対して「自然の人」というのは、神からの霊を受けておらず、従って神の恵みを悟ることができずにいる人のことです。口語訳聖書の「生れながらの人」です。人間は誰もが元々は「自然の人」で、神の恵みがわかっていませんでした。そこに神からの霊が与えられることによって初めて、神の恵みを知ることができるようになった。それが霊の人です。

 「肉の人」とは、この「自然の人」のことです。生まれながらの普通の人間ということです。3節に、肉の人は「ただの人として歩んでいる」とあります。「ただの人」とありますが、「ただの」という言葉は原文にはありません。直訳すれば「人として歩んでいる」です。生れながらの普通の人間のままに生きている、それが「肉の人」です。

 

■ねたみ争い

 では、肉の人、生れながらの人間であるということが、どこに表われるのか。「お互いの間にねたみや争いが絶えない」ことの中に、です。

 パウロがこの手紙を書き送った第一の理由はここにありました。4節にも記される、分裂と争いがあるということこそ、あなたたちがまだ肉の人であり、乳飲み子のような状態に留まっているということだ、そう言います。

 ここでパウロが、この党派争いのことを「ねたみや争い」と言っていることに注目してください。党派を結んで対立し合っていくことの根本には、「ねたみ」の思いがあるものです。ねたみとは、人をうらやむ心です。人が自分よりもよいものを持っていると面白くないという心です。それはお金や持ち物だけのことではありません。才能、財力、あるいは家庭環境、性格、健康など、あらゆることに及びます。とにかく、人が自分よりも勝っている、優れていることが腹立たしいという思いです。自分がその人よりも劣っていることを思い知らされ、プライドを傷つけられるからです。

 誰もがプライド、誇りをもって生きています。それを自分の心の拠り所としています。そのプライドを傷つけられることは、その人にとってナイフで切りつけられるよりも大きな苦痛となります。人を殺すのにナイフは要りません。拠り所としている誇り、プライドを徹底的に否定すればよい。それは、その人を殺すことと同じです。人はそのようなプライド、誇りに生きています。そこに、ねたみが生まれます。

 そういう思いがねじ曲がった仕方で、人と人とが結びついていきます。そこでは、自分のプライドが守られ、満足するようなグループが作られます。それが党派です。そういう党派は必ず閉鎖的になります。よそ者が入って来て、自分たちのプライドが傷つけられることを嫌います。自分と違う意見が語られると、プライドを傷つけられ、人格を否定されたかのように感じてしまい、些細な違いがプライドとプライドの衝突の原因となります。プライドによって結び合う党派は、他のプライドによって結び合う党派と対立し、そこに「争い」が生まれます。そんなグループ同士の対立、争いがコリント教会にあったのでしょう。

 パウロは、そのようなねたみや争いがあるということは、あなたがたが肉の人であり、乳飲み子の域を脱していないからだ、と言います。自分のプライドにこだわり、「ねたみや争い」に陥っていくのは、生れながらの人間の姿そのものです。神の霊を受け、信仰を与えられて生きる者は、そのようなことから解放され、新しくされているはずだ、パウロはそう言うのです。

 

■十字架の愛を知るなら

 信仰者はねたみや争いから解放される。これは、信仰者たる者、自分の心を磨き、人のことをねたんだり争ったりしない者になるべきだ、という道徳的な教訓の話ではありません。パウロが問題としているのは、そうした人間的な努力のことではなく、コリント教会の人々が、神からの霊によって示される神の恵みを、本当に自分のこととして受けとめていない、そのことです。

 神からの霊によって示される神の恵みとは、これまで繰り返し語られてきた、十字架につけられたキリストという恵みのことです。神がその独り子をこの世に遣わしてくださり、その十字架の死によってわたしたちすべての罪を赦し、贖ってくださったという恵みです。神がそれほどまでにわたしたちを愛していてくださっているという恵みのことです。

 この恵みが本当にわかる時、わたしたちは、ねたみの思いから解き放たれます。プライドにこだわる必要がなくなるからです。わたしたちを愛し、わたしたちの罪を背負って、いのちを捨ててくださった方の中に、真実の拠り所、確かな支えを見出すことができるからです。キリストの十字架に示された神の愛を本当に知った者には、拠り所、支えを自分自身の中に確保しておこうとする必要などありません。と同時に、どちらがより優れているかと、自分と人とを比べようという思いからも解放されます。自分より優れた、よい賜物を持ち、よい働きをしている人を、自分のプライドが傷つけられるという思いで見るのではなく、その人の働きを喜び、感謝して受け入れる者とされます。それは、自分の努力によってそうするというのでなく、イエス・キリストの十字架の恵みを本当に自分のこととして受け取ることで、わたしたちはそのように新しくされていくのです。

 コリント教会の人々は、この新しさに生きることができていませんでした。そのために、ねたみや争いが起こり、党派の対立が起こってきたのです。そのような状態を指してパウロは、あなたがたはまだ乳飲み子で、乳しか飲むことができない、固い物を食べることができない、と言っているのです。

 パウロは、キリストの十字架による神の恵みを繰り返し、繰り返し語りました。十字架の恵みとは別の、何かもっと分かりやすい、初心者向きの教えを語っていたというのではありません。ということは、乳を飲んでいるというのは、同じキリストの十字架による神の恵みが語られているのに、それが聞く人自身のものになっていない、その人の生き方を変えるようなものになっていない、その状態を指していることになります。とすれば、乳と固い食物の違いは、語られていることの違いではなく、それを聞き、受けとめる側の違いによって生じてくる、ということになります。問題は、わたしたちがみ言葉をどう聞き、どう受けとめているか、ということでした。 Continue reading

8月27日 ≪聖霊降臨節第14主日礼拝≫『後ろのことは忘れて』フィリピの信徒への手紙 3章4~14節 沖村 裕史 牧師

 

■放蕩息子

 今日の言葉は、パウロという人が自らの「回心」の体験を思い起こしながら書いている個所です。「回心」。この言葉を耳にする時、聖書に少しでも親しんだ人なら先ず思い起こすのは、ルカによる福音書15章の「放蕩息子のたとえ」ではないでしょうか。

 そのたとえは、こう語り始められます。「ある人に二人の息子がいた」。登場人物は「ある人」と呼ばれる父親と「二人の息子」です。息子の一人、弟が父親に言います、将来、自分が受け取ることになっている財産を今ください、と。父親が死んだら相続することになっている遺産を前もってくれというのですから、ずいぶんな物言いです。しかし父親は言われるがままに財産を分け与えます。息子はその財産を受けとるや否や、さっさとお金に換え、父親からできるだけ遠く離れようとするかのように旅立ちます。自分の好きなように生きたかったのかもしれません。

 念願かなった彼は、遠い国で「放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いして」しまいます。すべてのものを失ったとき、飢謹が襲います。不幸は重なります。食べ物にも窮(きゅう)し始めた彼は、知人に助けを求めます。知人は彼を、豚小屋に送り込みます。豚はユダヤ人たちにとって汚れた動物で、豚飼いというのは最も忌み嫌われる、絶対にしたくない仕事のひとつです。知人は彼を憐れんだのではなく、厄介払いをしたのでしょう。エサに群がる豚の姿が羨(うらや)ましいほどの境遇でした。豚小屋という屋根のある住居を与えられはしましたが、食べ物をくれる人は誰ひとりいません。まさに落ちるところまで落ちたのでした。

 そこで、「彼は我に返っ」た、とあります。

 「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』と」

 こうして息子は父親のもとに帰って行きます。

 このたとえ話の父親とは神様です。父なる神。そして息子はわたしたち人間を指しています。

 さてこの息子、「我に返って」と言われていますが、何かよいことをしたというのではありません。父親からゆずり受けた財産を放蕩に使い果たし、無一物になって食い詰めて、前途に一片の可能性もなくなり、言わば、どん底まで落ち込んで、ようやく父親のことを思い出したのです。

 わたしたちの経験からすれば、「本当に悪かったと思っているのか」「本当に反省をしているのか」と言われてもおかしくないところです。同情の余地など、これっぽっちもありません。

 

■父の愛ゆえに

 そんな息子を、父親が「先に」見つけます。

 「彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」

 驚きです。「まだ遠く離れていたのに、父親」が息子を見つけたということは、父親が待っていた、ずっと待ち続けていた、ということです。息子が離れて行ったその日から、去って行ったその方角をずっと見つめ続け、その帰りを今日か今日かと待ち続けていたのです。悔い改めの言葉を口にしようとする息子の言葉を遮(さえぎ)るようにして、わが子の変わり果てた姿を「憐れに思い」、走り寄って、抱きしめます。悔い改め、謝罪などどうでもよいのです。帰って来たわが子、もうだれにも渡すものか。常識では考えられない、あり得ない姿です。この父親、どこまで甘いんだ、愚かだ、親馬鹿だ、と世間から嘲笑(あざわら)われるような姿です。

 しかしイエスさまは、父なる神はこのような愛をもってあなたを愛しておられる、この愛を信じることこそが信仰なのであり、そこにこそあなたがたの救いがある、そう言われるのです。自分はもう駄目だと思っている「あなた」、自分にはもはやどんな未来もあり得ないと思っている「あなた」、そのあなたも「帰ることができる」、そんなあなたをこそ「待っている父なる神がおられる」、そう語りかけられるのです。

 これこそ、まことの「回心」の物語だと言われます。そして回心とは、自分の過ち、罪に気づき、そのことを悔い改めて、神に立ち帰ること、生き方をそれまでと180度転換して、神の愛に心を向けることだ、と言われます。わたしたちが、悔い改め、立ち帰り、向きを変えることだ、と。

 しかし、今ここでイエスさまが教えておられることは、この理解しがたい、驚くべき父親の愛があればこそ、放蕩息子は「立ち帰ることができた」のだ、ということです。

 人は誰も、よいことと思って、他人(ひと)に後ろ指を指されるような生き方をしているわけではありません。自分の生き方が非難に値する生き方であり、他人に迷惑をかけるばかりか、自分としてもそうしていてはみじめな気持しか持てないことを百も承知の上で、しかし、ちょうど蟻地獄に落ちこんだ蟻のように、どうしてもそこから這い出すことができないで、ただ昨日の続きとして今日を生きるほかないのです。

 そういう人が、そんなだらしのない自分にも、 Continue reading

8月20日 ≪聖霊降臨節第13主日礼拝≫『行きなさい、と送り出される道』マルコによる福音書 10章46~52節 井ノ森高詩 役員

 

 イエス様御一行がエリコの町に到着するところから今日の聖書箇所は始まります。エルサレムから北へ26キロ、海抜マイナス250mのこの町に、イエス様が立ち寄られたのは、いよいよエルサレムに入場される直前のことです。この後の11章でエルサレムに入場されたイエス様は、14章で逮捕され、15章で十字架につけられ、16章で復活なさいます。

 イエス様から癒された人物の名前が具体的に紹介されることはほとんどありませんが、珍しくマルコ福音書10章のこの盲人の名前は、はっきりとバルティマイと記されています。マタイの20章とルカ18章にも同じような盲人の癒しの話が登場しますが、バルティマイという名前はこのマルコ福音書にだけ記されています。バルティマイとはティマイの子を意味するらしいので、バルは「~の子」という意味でしょうか。ではティマイはというと、汚れたとか罪深いという意味らしいのです。「罪の子、汚れた子」とはまた、ひどいネーミングですが、マルコがその名をわざわざ記したのには理由があったのでしょう。

 さてバルティマイは道端に座っていました。道端に目が見えない人が座っているということは、つまり障がいを持った人が、メインストリートを歩けないでいる、多くの人々に出来るはずのことが出来ないでいるということです。来る日も来る日も、同じ場所でじっと座ったまま物乞いをするほかない生活を送っていたということです。そのバルティマイが、イエス様に「憐れんでください」と言い始め、周囲の多くの人々に叱られ、黙るように言われても、ますます声を大にして「憐れんでください」と叫び続けます。「主がお呼びだ」と聞くと、上着を脱ぎ棄て、躍り上がってイエス様のところに来たのです。上着がこのバルティマイにとって何であったかというと、昼はその上着を座布団替わりにクッションとしてその上に座り、夜はその上着に身を包んで寒さをしのぐ、おそらく命を支える全財産と言っても過言ではない、大切な持ち物だったに違いありません。その上着を文字通り脱ぎ捨てて、彼はイエス様のもとへとやってくるのです。初対面であろうイエス様に「何をしてほしいのか」と問われ、「目が見えるようになりたいのです」とはっきりと答えます。「いやいや、そんなつもりでは」とか「そんな、もったいない」とか「欲しいものを言ってもいいのでしょうか」などというやりとりはなく、即座に「目が見えるようになりたい」と答えます。イエス様は「行きなさい」とまず仰います。続けて「あなたの信仰があなたを救った」と言われると、バルティマイはすぐ見えるようになり、イエス様に従ったと記されています。

 このバルティマイとイエス様の出会いとやり取りから、私が学んだこと4点を今日は皆さんと共有したいと思うのです。

 まず1点めです。それは、助けは求めていい、ということです。バルティマイ、つまり罪の子、汚れた子でも、「憐れんでください」つまり「助けてください」と声をあげていいということです。叱られ、黙るように言われても、ますます声を大にして「助けて」と叫び続けていいということです。イザヤ書の29章や35章にも助けを求めた人が救われる奇跡が預言されています。「耳の聞こえない者が聞き取るようになる、盲人が見えるようになる、口の利けなかった人が喜び歌う、荒れ野に水が湧き出でる」と記されています。自分の弱点をさらけ出して、助けを求めるというのは、実は難しいものです。遠慮や恥ずかしさ、あるいは諦めもあるかもしれません。私のランニング仲間で視覚障がいの女性は、30歳で視力を失うまでは、テニス、スキー、ドライブを楽しんでいたそうです。しかし多発性硬化症という病気に突然襲われ、しばらくは自力で起き上がれず、何も見えなくなり、失意のどん底にありました。やがて盲学校に通うようになり、鍼灸の資格をとり、盲学校で始めたマラソンにはまり、伴走者の助けを借りてフルマラソンだけでなく100キロマラソン、富士山登頂にも挑戦しました。ところがその後、今度は乳がんを発症するのですが、入院・手術・放射線治療を経て、再びフルマラソンを完走します。視覚障がいランナーと伴走者をつなぐ活動だけでなく、がんサバイバーとして、自らの体験を小中学校、高校で子どもたちに語っています。「自分は目が見えなくなって良かった、見えるままだったら、マラソンにも富士山にも挑戦しなかっただろうし、こんなに多くの人々に出会うこともなかった」とも言っています。盲学校で出会ったご夫君も視覚障がいランナーですが、「彼女は、遠慮せずに、私は●●ができないのですが、誰か助けてくれないでしょうかと、どこでもすぐに声をあげるし、自分だけでなく、周囲の障がい者のための援助もすぐに声をあげて求めるのです。行動力があるんですよね」と言います。自分の弱さを隠さずむしろさらけ出して、救いを求めるのは、難しいことですが、道端で同じ場所にずっと釘付けになっていた人が、大通りを大股で歩く、あるいは走る、人目につかないところで目立たずじっとしていた人が表舞台で活躍することを可能にしてくれるです。

 2点めは、祈ることの大切さです。イエス様とバルティマイとのやり取りにもう一度注目してみます。イエス様の「何をしてほしいのか」という問いかけと、バルティマイの「目が見えるようになりたいのです」という応えです。これは祈りだと思うのです。神様との対話と言ったほうがいいかもしれません。祈りとは、ただぼんやりとした思いではなく、はっきりと言葉で言い表すものだということを、バルティマイは示してくれています。言語化することで自分の考えていることや望んでいることが整理されることがよくあります。しかも聞き手がいるときのほうが整理されます。一人でボヤっと悩んでいるよりも誰かに聞いてもらってすっきりするという体験は多くの人に共通するのではないでしょうか。祈りも同じだと思うのです。いかがでしょう。バルティマイの叫びは祈りだったのです。この祈りの大切さは、来週の礼拝後の信徒研修会で皆さんとご一緒に深められれば幸いです。

 3点目は、バルティマイが上着を脱ぎ棄てたタイミングから学びました。先ほど申し上げたように、バルティマイにとって全財産と言ってもいい上着をバルティマイが脱ぎ捨てたのは、目が見えるようになってからだったでしょうか。違います。時系列で確認しますと、まず「私を憐れんでください」と叫び、叱られ、もう一度「憐れんでください」と叫び、「主がお呼びだ」と言われ、ここで上着を脱ぎ棄て、イエス様とのやり取りがあり、それから見えるようになったのです。つまり、見えるようになるかどうかわからない時点でバルティマイは全財産を捨て去り、イエス様のもとへ向かったということになります。イエス様の「あなたの信仰があなたを救った」の「あなたの信仰」とは、つまりバルティマイの信仰とは何を指し示すのでしょうか。諦めずに「憐れんでください」と叫び続けたこと、そして上着を置き去りにしてイエス様のところへ向かったことではないでいでしょうか。後から上着を回収するつもりだったのではないかと思うひともいるかもしれませんが、どうでしょう。目が見えなかった人が、大勢の人ごみの中で、自分が元々座っていた場所に戻れるでしょうか。仮に戻れたとして、その場に上着がそのまま残されているでしょうか。ルターの言葉にこういうものがあります。「信仰は海を渡るようなものだ。海を渡るには船に乗らなければならない。船に乗って委ねるしかない。」海を渡る船旅は安全が約束されたものではなかったはずです。実際、西暦1620年メイフラワー号に乗船して新天地北アメリカを目指した人々の多くがアメリカ到着前の船の中で、また到着後の最初の冬を越せずに命を失いました。バルティマイは上着を脱ぎ棄て、船に乗ったのです。対岸にたどり着けるかどうかわからないまま船に乗る決断をしました。委ねる信仰をイエス様に、そして私たちに示したのです。

 最後に4点めです。バルティマイは「行きなさい」と言われたのですが、なお道を進まれるイエス様に従ったということです。「行きなさい」つまり、360度、どこでも自分の行きたい方向へ行きなさい、目が見えるようになってよかったねぇ、さぁ行きなさい、と言われて、私だったらどうしましょう。新幹線に飛び乗って、阪神タイガース応援ツアーに出かけたかもしれません。ところがバルティマイは、道を進まれるイエス様に従ったのです。マタイとルカに登場する名前を紹介されていない盲人も同じようにイエス様に従っています。イエス様がエリコの後に進んだ道とは、エルサレムでの十字架への道です。受難の道です。この後、バルティマイは聖書のどこにも登場しません。彼がどこまでイエス様に従ったのか、それはわかりません。しかし、イエス様を三度否定したペトロの中にも、イエス様の復活を信じられないと言ったトマスの中にも、イエス様や弟子たちを迫害し後に大伝道者へとなったパウロの中にも、バルティマイが示した信仰は生きていたのではないでしょうか。冒頭ご紹介した、バルティマイという名前の意味は、罪の子、汚れた子でした。それは、目が不自由だったこの人物だけでなく、私たちのことを指し示しているような気がしてなりません。マルコがわざわざバルティマイという名前を記したのは、これはバルティマイだけでなく、私の、私たちの、あなたの、あなたがたのストーリーでもあるのですよ、という意図があったのかもしれません。イエス様がなお進んだ道、十字架の受難の道、復活への道へとバルティマイは従いました。バルティマイと同じようにイエス様に救われた人々は、2千年前も、この2千年の間も、そして今も、イエス様に従う道を選んできたのです、そのような生き方があることを世に示しているのです。イエス様の愛に、バルティマイによって示された信仰に感謝したいと思うのです。

8月6日 ≪聖霊降臨節第11主日/平和聖日「家族」礼拝≫『いのちにつながれて』フィリピの信徒への手紙 4章1~7節 沖村 裕史 牧師

 

■オバマ・スピーチ

 「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです」

 これは、7年前のヒロシマで語られたスピーチです。71回目の広島原爆記念日の二か月前、2016年5月27日のことでした。アメリカ合衆国大統領として「初めて」被爆地ヒロシマを訪れたバラク・オバマによる、ヒロシマから世界に向けて語られた「初めて」のスピーチでした。それまでの歴代大統領の誰ひとり、ヒロシマに来て、ヒロシマから語りかけることはありませんでした。いえ、できませんでした。しかしオバマは、ヒロシマを訪れ、そして語りました。それは、2009年にチェコのプラハで、彼自らが「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として行動する道義的責任がある…アメリカが核兵器のない平和で安全な世界を追求することを約束する」と宣言した、その道を求め、実現するためでした。

 印象深いそのスピーチは、毎年8月6日に語られてきた日本の歴代総理の挨拶とは、全く質を異にしていました。歴代総理も、平和への願い、核廃絶への歩みの大切さを繰り返し訴えてきました。しかしそれが、心深くにまで届いて来ることはありませんでした。整ってはいても、当たり障りのない、どこか他人事のような、ただ外に向かってアピールするだけの言葉に思えました。体と心に深い傷を追いつつも、平和を希求してやまない被爆者の切実な願いを、自らのこととして真摯に受けとめ、向き合うものではなかったからです。

 オバマ・スピーチは、それとは全く異なるものでした。

 「なぜ私たちはここ、広島に来るのでしょうか?…私たちは、10万人を超える日本の男、女、そして子どもたち、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうあるべきかを振り返るため、内省するよう求めています」(強調、沖村)

 クリスチャンであるオバマが語る「内省」とは、単なる倫理的態度のことではありません。それは明らかに、聖書が「罪」と呼んでいるものに関わる言葉です。オバマ・スピーチは、美しい言葉で飾ることなく、この内省、人間の本質としての罪をしっかりと見据えることから始めています。そこから原爆の出来事、その記憶に向き合おうとします。

 「私たちは、この街の真ん中に立って、勇気を奮い起こして、爆弾が投下された瞬間を想像せずにはいられません。私たちは、目の当たりにしたものに混乱する子どもたちの恐怖を感じないではおれません。私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。…

 単なる言葉だけでは、こうした苦しみを表すことはできません。しかし私たちは、歴史を直視するという共同責任を負っています。そして、こうした苦しみを二度と繰り返さないために、どうやってやり方を変えなければならないのかを自らに問わなければなりません。

 いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう。それでも、1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません。その記憶があれば、私たちは現状肯定と戦えるのです。その記憶が、私たちの道徳的な想像力をかき立てるのです。その記憶が、私たちに変化を促すのです。…」

 戦争の記憶の大切さに言及する言葉です。

 広島の被爆者が書き残したいくつもの手記を、わたしたちは手にすることができます。そこには、死がまるで当たり前のようにして普段の生活を覆い尽くし、日々生きることが奇跡であるかのような、そんな日のことが記されています。原子爆弾によって、放射能の影響によって、言葉にすることもできない苦しみ、悲しみを味わった人々の思いが綴られています。

 大切なことは、被爆によって引き起こされたことがどのようなことだったのか、そして被爆した人たちがどんな思い、どんな願いをもって平和を求め続けてきたのか、何よりもそのことを自分の身に起きたこととして受けとめていくことができているのか、ということです。※(参考、最終)

 平和への道のりが平坦であるはずもなく、わたしたちの罪もまた実に根深いものです。オバマ・スピーチもまた、すべての人々にこう訴えかけます。 Continue reading

7月30日 ≪聖霊降臨節第10主日/招待礼拝≫『手を合わせて祈る』テモテへの手紙一 2章1~8節 沖村 裕史 牧師

■切なる願い

 「まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」

 来月27日に予定されている今年の教会信徒研修会のテーマは「祈り」です。祈りは大切だ、信仰生活とは祈ることだと言われます。そして今、パウロが語るこの手紙の冒頭の一節の中に、聖書の教える「祈り」のすべてが含まれています。「願い」「祈り」「執り成し」「感謝」。新約聖書の中で「祈り」と訳される四つのギリシア語が、このたった一節の中にすべて出てきます。

 その第一、最初に挙げられているのが「願い」です。「必要とする」という言葉を語源とする、必要に迫られて神に請い求めることを意味する言葉です。必要に迫られた、切羽詰まった、ギリギリの所での、まさに「切なる願い」です。

 初めて祈ったときのことを思い出します。教会の礼拝に出席するようになってから一年近くが経った頃のこと。青年会に出席すると、三十歳がらみのリーダー役の人がわたしを見つめながら、「そろそろいいかな?! 沖村君、開会のお祈りをしてください!」と一言。有無を言わせない感じでした。頭が真っ白になりながらも、意を決し、祈り始めました。

 「天の神様…」

 そこまではよかったのですが、次の言葉が出てきません。しばらく気まずい沈黙が続き、たまらず「神様、ハジメマシテ!」。そこにいた女子高生たちがクスクスと笑い出し、初めての祈りは終わりとなりました。それでも、ひとりだけ大きな声で「アーメン」と言ってくれた人がいたことが救いでした。

 初めはだれにとっても、祈りはむつかしいものです。教会の礼拝に出て、牧師や役員の祈りを聞くからでしょうか。整ったセンテンス、美しい言葉。悔い改め、感謝、賛美へと続く、破綻のないスムーズな流れ。しばらく教会に行って洗礼を受けても、祈りは苦手という人はいるものです。わたしも祈りは苦手でした。牧師になった今も得意というわけではありませんが、ただ、祈りへのとば口の発見がありました。

 それが、テモテへの手紙一の冒頭のこの一句でした。「願い」。必要に迫られた、切羽詰まった、ギリギリの所での「切なる願い」です。それはむつかしいことではありません。単純なことです。自分の中に祈りたいことはないかということ、祈らないではいられないことはないかということです。

 誰にも、祈らずにはいられないことがあります。生きていれば必ずあるものです。学校のこと。仕事のこと。人間関係。家族の問題。自分自身の問題。飢え渇くような願いや望み。あるいは恨みや辛み。そういうものが渦巻いています。燃えたぎっています。その思いを丸ごと訴える。

 祈りとは、自分の中にある、そんな切実な求めを神に丸ごと投げかけることでした。だから、イエスさまは言われました。

 「求めなさい。そうすれば、与えられる」(マタイ7:7a)

 わたしたちが心から祈り願うことを、神は決して拒んだりなさいません。「求めなさい。そうすれば、与えられる」というこの言葉は、マタイとルカ、二つの福音書に記されています。ルカには、他者の貧しさのために求めるという条件が付けられていますが、マタイには、何の条件もありません。ただ「求めなさい」です。とにかく神に求めて祈ることを、神はよしとしてくださるのだということです。

 祈りは、願い求めること、わたしたちの飢え渇きから始まるのだということです。それで、いいのでしょうか。感謝や賛美はなくて、いいのでしょうか。いいのです。求める人は応えていただけるのです。父となってくださった神は、子としてくださった者の祈りに必ず応えてくださるのです。

 願うことは、叶えられます。願うこと、それが祈りであり、力です。

 

■神に向けて

 しかしその一方で、「ヨハネの弟子たちは度々断食をし、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています」(ルカ5:33)とある「祈り」、これもまた「願い」と同じ言葉なのですが、ヨハネの弟子たちやファリサイ派の人々のその願いを、イエスさまは見せかけの祈りとして手厳しく非難されます。どういうことなのでしょうか。

 その理由が、第二の言葉によって示されています。ここで「祈り」とそのままに訳されている言葉です。これは、「向かって」と「行く、来る」という二つの言葉が一つになって造られた言葉、「近づく」「同意する」を意味する動詞の名詞形です。

 イエスさまは、悪霊に取りつかれた人を癒す時に祈られた後、こう教えられました。「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」(マルコ9:29)。「祈りによらなければ」と言われていることは、「神の同意がなければ」とか「その祈りが神に近づき、神に向かうものでなければ」という意味です。

 自分のことを祈り願うことが問題なのではありません。神を信頼し、必ず神が聞き届けてくださると信じて必死に願う時、それは「祈り」となります。しかしそれが、神に向けられず、ただ自分を誇るための、自分に向けられたものであるとき、その祈りが神に届かないのは当然です。その祈りは聞き届けられることはありません。 Continue reading

7月23日 ≪聖霊降臨節第9主日礼拝≫『恐れと不安の中でも』コリントの信徒への手紙一 2章1~5節 沖村 裕史 牧師

■はじめましょう

恐れと不安の中にあるとき、人は、ただうな垂れるばかりになります。しかし、そこにこそ本当の希望が、救いの道が示されます。そう申し上げると、いつも決まって帰ってくる言葉があります。「ああ、あなたはクリスチャンだったね。そんなきれいごと!他人事(ひとごと)だと思って!」。でも、本当のことです。以前、紹介したことのある末盛千枝子さんというカトリックの方が書いた一文をご紹介させてください。

「…2002年の春、長男はスポーツをしているときの事故で、胸から下が一切動かない、何も感じないという脊髄損傷になってしまいました。そのときのことで忘れられないのが、事故から数か月して転院した三つ目のリハビリ専門病院で出会った看護師さんのことです。

息子はほとんど絶望的な不安を抱いて、悲しそうな目をして、じっと耐えている様子でした。私自身も緊張して付き添っていました。病室に入り、しばらく待っていると、中年の小柄ですっきりした看護師さんが現れました。そして、自己紹介をしたあとで、彼女はまっすぐ息子の目を見て、『あなた、これから一生歩けないって自分でわかっているの?』と聞いたのです。

私は心臓が止まりそうでした。怪我をしてからの数か月、そのことはお互いにわかっていたけれど、このように尋ねられたことも、口に出したこともなかったと思います。祈るような気持ちで息子の答えを待ちました。彼は、うっすらと涙を溜めて、ハッキリと『わかっています』と静かに答えました。すると、その看護師さんは『そう、よかった、それなら話は早い。リハビリは本当に辛くて厳しいけれど、一生懸命手伝うから、一緒に頑張ろうね、さあ、はじめましょう』と言ってくれたのです。それから本格的なリハビリが始まりました。

息子は、下半身が一切動かないことに変わりはないものの、いまでは自分で車椅子とベッドの間を移動し、お風呂や洗濯も自分でするようになりました。そして、何よりもすばらしいのは、最近、彼がとてもいい笑顔を見せることです。まるで、一度死んだ息子を返していただいたようです」

「一度死んだ息子を返していただいた」。そんな体験を、パウロもまた味わいました。キリスト教徒たちを激しく迫害していたパウロが、復活のイエスさまと出会い、その罪を問われ、目が見えなくなり、真っ暗闇へと叩き落されました。しかしその闇の中で、パウロもまた「さあ、はじめましょう」と声を掛けられ、その暗い、暗い闇から救い出され、熱い思いをもって新しい道を、福音伝道の道を歩み始めたのでした。今日の言葉は、そんなパウロの体験を背景に語られています。

 

■パウロの伝道

さて、「さあ、はじめましょう」と声を掛けられたパウロは、コリントでの伝道をどのように始めたのでしょうか。1節にこうあります。

「兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした」

「優れた言葉や知恵を用いなかった」とパウロは言います。1章17節の「言葉の知恵によらないで告げ知らせる」と同じ、人間の知恵による巧みな弁舌によらずに伝道した、ということです。これは、負け惜しみの言葉ではありません。パウロという人は、優れた言葉や知恵を用いようと思えばいくらでも用いることができる人でした。彼はユダヤ人の中でも、律法を厳格に守ることに熱心なファリサイ派と呼ばれる人々の中にあって、当時の最高の教育を受けた人でした。そのパウロが、イエスをキリスト、救い主と信じる人々への迫害の先頭に立ち、まさに優れた言葉と知恵をもって、彼らがいかにユダヤ人の伝統を破壊する危険な存在であるかを、人々に説いて回っていました。彼の言葉によって、多くのユダヤ人たちが心を動かされ、クリスチャンは生かしておけないと考えるようになりました。彼は人々を説得し、納得させる弁舌の知恵と力を存分に備えた人でした。

その彼が、イエス・キリストと出会い、信じる者となり、その福音を宣べ伝える者となります。そのとき、彼は優れた言葉や知恵を用いることをやめたのでした。なぜか。続く2節です。

「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」

パウロが、優れた言葉や知恵を用いるのをやめたのは、「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい」という決意によってでした。コリント伝道はこの決意の下に始められた、パウロはそう告白します。

 

■パウロの決意

それにしても、何とも不思議な決意です。皆さんも可笑しな言い方だとは思われなかったでしょうか。「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい」。これが「これ以外、何も語るまい」という決意なら分かります。語ろうと思えばいろいろ語ることはできるけれど、それら一切を省いて、ただ十字架につけられたキリストに集中して、それだけを語ろうと決意した。これなら、すんなりと理解できます。しかし今ここで言われているのは、「十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい」です。どうしてそういう言い方をするのでしょう。これでは、新しい知識を一切受け付けようとしない、頑なな姿勢にも思えます。そもそもパウロはすでにいろんなことを知っています。十字架につけられたキリストのことしか知らないで生きることなどあり得ません。すでに持っている様々な知識を捨ててしまうことなどできるはずもありません。これはとても奇妙で、無理のある言い方です。

それでもパウロは、「これ以外、何も語るまい」ではなく、「これ以外、何も知るまい」と言う外なかったのです。「これ以外、何も語るまい」とは、話のネタ、自分の中に引き出しがたくさんあって、その中からどの引き出しを開けて話をしようかということです。しかしパウロのこの決意は、そういう取捨選択の問題ではありません。何を語るかという語り方の問題ではなく、生き方の問題として、生きるギリギリのところで、「十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい」という決意がなされたということでしょう。この決意はパウロ自身の生、生き方の根本に関わるものでした。

およそ「知る」という言葉は、聖書では、人間の生き方の深みに関わる言葉でした。聖書辞典に「知ることは(主を)信ずること、また(主と)一つに結ばれることと切り離せない」とあります。「知る」とは、単に知識を得るということではなく、何を信じ、何に依り頼んで生きるか、あるいは誰と出会い、誰と共に生きるか、ということでした。パウロはイエス・キリストと出会い、信じる者となり、その福音の伝道者となったとき、それまで持っていたいろいろな知識に加えて、イエス・キリストというもう一つの知識を得て、また一つ賢くなったというのではありません。そうではなく、彼の生き方の根本が変わったのです。これまで知っていたことのすべてが無に等しく思え、何を知って生きるかが変わったのです。その新しさをもって、彼はコリントで伝道を始めたのでした。

 

■衰弱、恐れ、不安

その新しさとは、どのようなものか。それを知る手がかりが、続く3節にあります。

「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」

この言葉はしばしば、使徒言行録17章から18章に語られるパウロのコリント伝道のときの事情と結びつけて理解されます。パウロはコリントに来る前に、アテネで伝道をしていました。その時、アテネの哲学者たちを相手に、彼らの言葉、哲学の言葉も引用しながら、言わば弁舌巧みにキリストを伝えようとしました。しかしパウロの話がキリストの復活のことになると、彼らはパウロを相手にせず、「いずれまた聞かせてもらおう」と軽くいなされてしまいます。パウロは、深い挫折感を抱いてコリントへやって来ていたのだ、それが3節の言葉の意味だ、そう説明されてきました。

しかしパウロの決意は、アテネでうまくいかなかったから、コリントではやり方を変えてやってみよう、というようなことではありません。「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」というのも、アテネで失敗したからではなく、むしろパウロの伝道にはいつも、この衰弱と恐れと不安がつきまとっていました。

その一つに、パウロ自身が抱えていた肉体的な弱さがあります。具体的にはわかりませんが、何らかの肉体的な問題、病気を抱えていたらしいことが、他の手紙から分かっています。彼はそれを、自分の身に与えられた「とげ」と言い、それを取り去ってくださるように熱心に神に祈った、すると神から、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」という言葉が与えられた、と語っています。確かに、そういう肉体の弱さを彼は背負って生きていました。

しかしそういう弱さだけが、この衰弱、恐れ、不安の原因なのではありません。なぜなら、イエス・キリストを信じる以前の、迫害者だった頃の彼には、そうした衰弱、恐れ、不安が全く感じられないからです。彼の衰弱、恐れ、不安は、彼の体の弱さからと言うよりもむしろ、彼が信じ、それによって生き、それを宣べ伝えている―キリストの福音によってもたらされている、と言えるのではないでしょうか。十字架につけられたキリストを信じ、そのキリストに依り頼み、そのキリストを宣べ伝えている―そのことが、衰弱と恐れと不安を、彼にもたらしていたのではないでしょうか。

 

■喜び、平安、希望

「えっ?それはちょっと…」、そう思われた方がおられるかもしれません。イエス・キリストを信じ、依り頼み、共に生きていくことが、どうして衰弱と恐れと不安をもたらすのか。それは、喜びと平安と希望をもたらす福音―喜びの知らせのことではないのか。そう思って信じているのに、それを求めるからこそ、礼拝に来ているのに…と。

けれども、イエス・キリストを信じる信仰とはそういうものであることを、わたしたちは知っておかなければなりません。この信仰に生きるということは、イエス・キリストを、それも十字架につけられたキリストを知り、信じ、共に生きることだ、とパウロは繰り返し教えています。十字架につけられたとは、死刑になったということです。生かしておけない罪人として人々から見捨てられ、拒絶され、殺されたのだ、ということです。侮蔑と恥辱に晒されたそのイエスを救い主と信じ、依り頼み、共に生きることが、ただちに喜びや平安や希望をもたらすのではありません。それは、自分がより立派になったり、高められたり、優れたよい働きができるようになったり、人々から認められ尊敬される者になったりするようなことではないからです。

むしろ十字架のキリストによって、わたしたちは自分自身の罪をはっきりと示され、知らされることになります。しかもそれが、わたしたちの努力や精進によっては解決しない、神の独り子イエス・キリストの十字架の死によってでしか、赦されることのないほどに深い罪であることを示され、知ることになるのです。

そう、十字架につけられたキリストは、わたしたちの自尊心、プライドを徹底的に打ち砕くのです。十字架につけられたキリストを知るということは、自分のプライド、誇りを否定されることです。それは、わたしたちにとって苦しいこと、恐しいこと、不安なことです。わたしたちは誰でも、自分の何らかのプライドにすがりついて生きています。他のことは駄目でも、これだけは…という誇り、プライドを持って、あるいはそれを持とうと、必死になって生きています。それを失ったら、自分を支えている土台がなくなってしまい、暗闇の中に真っ逆さまに落ちていってしまうのです。

イエス・キリストとの出会いによってパウロが体験したこと、目が見えなくなったということは、まさにそういうことでした。彼はそれまで、ファリサイ派の若きエリートとして、人々から将来を嘱望され、意気揚々と歩んでいました。彼を支えていたのは、神の律法を何の落ち度もなく守っているわたしは正しい者だ、という自信と誇りでした。そのように生きていた彼に、衰弱や恐れや不安など無縁のものでした。

しかし、あのダマスコへの道で復活されたイエス・キリストと出会い、自分が神の遣わされた救い主に敵対し、神の民の群れを迫害していたのだということを知らされたとき、彼は、それまで自分を支える確固とした土台だと思っていたものが、ガラガラと音をたてて崩れ去るという体験をしたのです。自分の誇り、プライドの土台が崩れ去り、奈落の底に落ちていくのを感じたのです。

そしてその時にこそ、彼はそんな自分をこそ支えてくださるイエス・キリストと出会ったのです。イエス・キリストが、神に敵対していた自分の罪をも、すべて背負って十字架にかかって死んで、赦してくださっている。その恵みが自分を支えていることを知った Continue reading

7月16日 ≪聖霊降臨節第8主日礼拝/地区講壇交換≫『一緒に喜んでください』ルカによる福音書 15章1~7節 中村 和光 牧師(門司大里教会)

≪説教≫

 「見失った羊」のたとえは、この後に続く「無くした銀貨」のたとえ、「放蕩息子」のたとえと合わせて、三つがセットになっています。いずれも、失った羊、無くした銀貨、死んでいた息子が見つかり、帰って来た、と大喜びするたとえです。

 ここで、「見失った」(15:4, 6)とか、「無くした」(15:8, 9)とか、「死んでいた」(15:24)と訳されているのは、いずれもアポルーミという同じ言葉です。

 そして、「見つけ出す」(15:4)、「見つける」(15:6, 8, 9)、「見つかった」(15:24)と訳されているのは、ヘウリスコーという言葉です。「失った」アポルーミと「見つかった」ヘウリスコーが、対になって繰り返されています。

 「羊と羊飼いのたとえ」で思い出すのは、詩編23篇でしょうか。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い/魂を生き返らせてくださる。・・・死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩編23:1~4)

 そして、先ほど読んでいただいたエゼキエル書です。「わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。・・・わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。」(エゼキエル書34:11~12, 15~16)神様ご自身が、失われた者たちを探し出し、連れ戻し、傷ついた者を包み、弱った者を強くする、と宣言されるのです。

 エゼキエルは祭司でしたが、紀元前598年に南王国ユダがバビロニアに破れた時、バビロンに連行された捕囚の一人です。彼は、エルサレムが破壊され、エルサレム神殿が瓦礫の山となった報せをバビロンで聞きました。バビロン捕囚は、60年に及びました。ほとんどの人が故郷に帰ることができないまま、異郷の地で命を終えたのです。エゼキエルもエルサレムに帰ることができませんでしたが、散り散りになった民が再び呼び集められ、神様によって守られ力づけられる、という預言を語りました。このエゼキエルの預言が、今日のルカ福音書の箇所の下敷きになっています。

 「見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。」(15:4)羊は、牧畜をする人たちにとってとても大切な家畜です。いろんな役に立ちます。ミルクを提供してくれます。肉を食べることができます。羊の肉はおいしいので、極上とされます。そして、羊の毛で寒さを防ぐ服を作ることができます。いろんなことで役に立つ、本当に身近な家畜です。しかし、羊は大きな弱点を持っています。動物には、自分の巣に帰っていく本能があります。 たとえば犬は、遠く離れた場所から、何日もかけて自分の家に帰って来ます。ところが、羊は自分の家に帰ることができません。羊は群れをなして動きますが、窪地にはまりこんだり草むらに足を取られると、自分の力で抜け出すことができず、取り残されてしまいます。また、暑さ寒さにとても弱いのです。毛で覆われているので、直射日光にあたるとぐったりしてしまいます。また、寒さに弱いので、夜露にあてないように気をつけないといけない。冊の中に入れて、できるだけ体と体を密着させて、寒さにあわないようにする。そんな世話が必要だそうです。

 ここで、なぜ羊を見失ったのか分かりませんが、どこかで見失った。それに気づいた羊飼いが、見つけ出すまで捜し回る。「見つけたら、喜んでその羊を担いで」(15:5)帰ってくる。「担いでいく」、「背負って運ぶ」というのも、よく出てくる表現です。「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ書46:4)神様とわたしたち人間の関係を表しています。

 このたとえは、誰に向かって、何のために語られたのでしょうか。冒頭に、こう書かれています。「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、『この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている』と不平を言いだした。」(15:1~2)これがきっかけです。このたとえ話は、徴税人や罪人たちと一緒に食事をする主イエスに文句を言ったファリサイ派の人々や律法学者に対して、語られたのです。ですからこれは、ファリサイ派の人々や律法学者たちの考え方を批判して、あなたたちの考えは間違っている、と気づかせるためのたとえ話なのです。

 ファリサイ派の人々や律法学者たちは、まじめな信仰者です。神の教えを守り、律法に従って正しく生きようとして、一生懸命生きていた人たちです。ところが、それが行き過ぎて、正しい信仰生活を送ることができない人たちを軽蔑し、あんな奴らと付き合ったら汚れる、あいつらは「罪人だ」と宣言していました。そんなまじめな信仰者たちに向かって、神様の願いはどこにあるか、主イエスは語られたのです。

 一緒に食事することは、 仲間として受け入れることを意味しました。初代教会の時代、一緒に食事することは、宗教的な意味を持ちました。

 使徒言行録10章~11章に、次のような記事が出て来ます。ローマの百人隊長コルネリウスが、神の話を聞かせてほしいと願ってペトロを招き、わたしとわたしの家族に洗礼を授けてください、と頼む。ペトロは、喜んで洗礼を授け、一緒に食事をする。ところが、ペトロがエルサレムに帰ってくると、みんなから非難されます。「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」(使徒言行録11:3)。異邦人と一緒に食事をするとは何事だ、というのです。これに対して、ペトロは一生懸命弁明します。あの人は、福音を信じてバプテスマを受けた。主イエスの弟子になったのだ。当時、異邦人と食事することは、それほど非難の的になったのです。

 それと同じように、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、主イエスが「罪人」や徴税人と一緒に食事することを咎めました。「罪人」と呼ばれたのは、泥棒や暴力沙汰を起こした犯罪者だったからではありません。律法や掟をないがしろにする人たち、ユダヤの伝統を軽んじていい加減な生活を送っている人たち、ユダヤ人として守るべき掟を破っている者、汚れた人という意味なのです。「徴税人」は、ローマのために税金を取り立てる人たちです。汚らわしいローマのために働く、裏切り者です。

 ファリサイ派の人々や律法学者たちは、ある基準を決めて、これを守らない人を「罪人」として軽蔑し、絶対に仲間にせず、のけ者にしました。ところが、主イエスは徴税人や「罪人」と一緒に食事をされたのです。

 5章には、徴税人レビに招かれて食事をする場面が出て来ます。「イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。」(5:27~29)これを見て、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、弟子たちに言います。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」(5:30)そんなことをしたら、汚れてしまうではないか。どうして、あんないい加減な奴らを許すのか。あんな奴らと、なぜ友だちになるのか、と言って非難したのです。すると、主イエスが言われます。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(5:31~32)

 19章には、徴税人ザアカイの話があります。ザアカイは背が低くて、主イエスの様子を見ることができないので、木に登って見ようとした。すると、それを見た主イエスが、言います。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」(19:5)これを見た人々は、文句を言います。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」(19:7)主イエスを迎えたザアカイは、喜んで言います。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」(19:8)その時、主イエスはこう言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(19:9~10)このザアカイも、徴税人です。今日の話とつながっているのです。わたしは、何のためにここに来たのか。神からはぐれてしまった人、自分は罪深い人間だと嘆きつつ苦しい思いで暮らしている人たちを捜し出して、神のもとに連れ帰るためだ、と言われたのです。 Continue reading

6月25日 ≪聖霊降臨節第5主日/招待礼拝≫『愛のジャケット』コロサイの信徒への手紙 3章8~14節 沖村裕史 牧師

■ねずみ男

 10年程、社会福祉法人の理事として、島根県の隠岐の島を訪問していたことがあります。広島から、電車を乗り継ぎ、乗り継ぎして、半日を掛けて漸く、境港という駅に辿り着きます。そこからさらに3時間を要するフェリーに乗り換えるのですが、当時の境港は、NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』で話題となった漫画家水木しげるの故郷として、賑やかな観光地となっていました。米子駅から境港駅までの電車も乗客でいっぱい。境港までの駅にはすべて、「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる妖怪たちの名前がつけられ、電車にも、鬼太郎はもとより、目玉おやじや猫娘のキャラクターが描かれていました。

 ある時、「ねずみ男」だらけの電車に乗ることができて、心密かにガッツポーズをしました。貸本の『墓場の鬼太郎』から少年雑誌の「ゲゲゲの鬼太郎」、そしてテレビアニメと、その漫画を読み見るたびにいつも気になっていたのは、実は主人公の鬼太郎ではなく、このねずみ男だったからです。

 小学生の頃、ねずみ男は、悪いことをする妖怪たちよりも誰よりも、嫌いなキャラクターでした。金に弱く、欲望に溺れやすい性格で、悪玉妖怪の口車に乗せられたり、金がからんだりすると、いとも簡単に鬼太郎を裏切ります。怪奇趣味が高じて封印された妖怪をよみがえらせたり、鬼太郎の腕を切り落として奈落の底へ突き落としたり、死神と共謀して鬼太郎を毒殺しようとしたり、とにかく自分勝手なトラブルメーカーなのです。ところが鬼太郎は、少し怒りはするものの、結局はいつも許してしまいます。それなのにこのねずみ男、しばらくするとまた平気で裏切ります。なぜ、鬼太郎は嘘つきで自分勝手なねずみ男を許すのだろう。こどもながらに訝(いぶか)しく、憤(いきどお)っていました。中学生になると、もっと嫌いになりました。自分の中に、ねずみ男と似たところがあるように感じたからです。嫌なやつだ、でも僕の中にも同じようなところがある…。

 しかし大学生の時、改めて「ゲゲゲの鬼太郎」を読んでみて、実は、ねずみ男がこの漫画に欠くことのできない存在であることに、ハタと気付かされました。ねずみ男がいることで、この漫画はただの勧善懲悪(かんぜんちょうあく)のヒーローものではない、人間や社会について考えさせる、奥深い作品になっているのです。

 ねずみ男は、わたしたちそのものです。そこまでひどくないと思うかどうかは別として、そう思って読んでみると、友情を簡単に金で売るねずみ男ですが、どうも、半妖怪であるという理由から人間からも妖怪からも蔑(さげす)まれ、ひとりの身内もいない天涯孤独の存在である自分に比べれば、鬼太郎は妖怪の中でも名門の幽霊族であり、超能力も持っているから、少々裏切っても大丈夫だと思っている節もあります。
 
 いつも裏切っているせいで、鬼太郎の友人としての振る舞いは演技にも見えますが、それは単なる見せかけの芝居ではなく、友情といえるものを、ねずみ男は確かに持っています。牛鬼に乗っ取られた鬼太郎が火口に落とされた時には、こんなことになるんなら、もっと鬼太郎に親切にしてやればよかった、と涙ぐみながらに後悔します。鬼太郎は村のみんなのために死んだんだ、と語る父親の目玉おやじに、「バカを言え!みんなの幸せなんかどうだっていいんだ!俺は鬼太郎が生きててくれた方がいいんだ!」と真顔で言います。何だか、イエスさまを裏切った弟子たちのようです。

 原作者の水木自身も、「最も好きなキャラクターは?」との質問に、「ねずみ男!」と即答しています。そして、「鬼太郎は馬鹿でしょう。正義の味方だから、スーパーマンみたいなもんだから。…金とか幸せについて考えないのです。だから、ねずみ男を出さないと物語が安定しないのです」と語ります。この世の真実、わたしたち人間の幸せは、単なる勧善懲悪では描けない、ということでしょうか。

 

■古い人を脱いで、新しい人を着る

 聖書というのも、ただ教訓的で倫理的な教えばかりが並べられている、勧善懲悪のお話しのように思われるかもしれません。しかし、決してそうではありません。もしそうなら、イエスさまを理解せず、何度も躓き、ついには裏切った弟子たちの話が描かれるはずもありません。8節から10節にも、こう書かれています。

 「今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです」

 ねずみ男のことを思い出しながら、改めて今日の言葉を読み返してみると、ここには、わたしたちの罪深い、愚かな姿と、そこから自由にされて、本当の喜びをもって生きていく姿とが、対照的に描かれていることに気付かされます。

 その姿を、パウロは今、「古い人を脱いで、新しい人を着る」と表現します。これは、道徳や倫理の話ではありません。「すべし、すべからず」の世界のことでもありません。

 わたしたち人間で、神様のみ前に立って、自分は何ひとつ間違ったことなどしていない、正しい者だと言うことのできる者など、だれ一人いません。できませんから、自分の正しさを証明し、自尊心を保とうとすれば、「白いもの」を「黒い」と言い、「黒いもの」を「白い」と言い張るしかありません。真実を見ようとしない、見ようとしてもできないのです。

 そこから出てくる言葉や行いは、人を傷つけ、また自らをも傷つけてしまいます。それを、何をしようとわたしの自由ではないか、わたしの信念の問題だ、などと誤魔化し、いくら立派な着物を着ようと思っても、心が傲慢さや頑なさに支配されているとすれば、わたしたちは「古い人」でしかありません。古い人は、爆弾を抱えているようなものです。いつ爆発するか分かりません。いつどうなるか分からないものを抱えているのですから、わたしたちはいつも不安で、決して幸せではありえません。

 そんなわたしたちが、罪深さ、愚かさゆえの喘ぎと苦しみから救い出され、もうすでに自由にされているのだ、と言います。そして12節、「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、…愛を身に着けなさい」とパウロは言います。

 そう、それこそが「古い人を脱いで、新しい人を着る」ということです。

 

■愛されているから

 古い人を脱いで着た「新しい人」とは、どういう人なのか。それが12節以下に書かれていることです。赦し合うとか、他の人に対して柔和な思いを持つとか、いろんなことが言われていますが、 Continue reading

6月18日 ≪聖霊降臨節第4主日礼拝≫『愚かさと賢さ』コリントの信徒への手紙一 1章18~25節 沖村裕史 牧師

 

■神の力

 冒頭18節、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者にとっては神の力です」

 「十字架の言葉は…神の力」とあり、24節には「神の力、神の知恵であるキリスト」とあります。「十字架につけられたキリスト」は、そしてそのキリストを宣べ伝える十字架の言葉は「神の力」である、と言います。今日は、「神の力」というこの言葉からメッセージを始めさせていただきます。

 ここで「力」と訳されているのはギリシア語のデュナミスですが、同じく「力」と訳されるエネルゲイアとは微妙に違うニュアンスを持っています。エネルギーという言葉の語源となるエネルゲイアは、コロサイの2章12節に「キリストを死者の中から復活させた神の力」とある、「力の働き」または「働く力」、「働き」それ自体を意味します。それに対して、デュナミスとしての力は「潜在的な力」「根源的な力」です。キリストが神のデュナミスであると言われるとき、そこには、潜(ひそ)められた力、顕わになっていない力というニュアンスが含まれています。

 この二つの言葉を考えるときに、わたしがいつも思い浮かべるのは「ダム湖の水」です。
 ダム湖の水は、それがどんなに豊かに湛(たた)えられていたとしても、それだけでは電気は起りません。そこに力は潜んでいても、顕わにはなっていません。満々たる水がそのような働きをするためには、それが適当な場所に導かれて、落差をつけて滝として流れなければなりません。そのとき初めて電気は起り、そこから熱と光とが生じます。これがデュナミスとエネルゲイアとの関係であり、キリストが神のデュナミスである、ということの意味です。

 それは第一に、神の力は人間には隠されていますが、実は無限の可能な力、潜在的な力を持っているのだということです。キリストにある神の力といっても、それはすぐに働きとして認識できるものではありません。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない」(ルカ17:20-21)とイエスさまが言われているように、福音が力ならば、その力はどこに働いているか、それを見せなさいと言われても、そう簡単に「これ、ここに」と見せるわけにはいきません。

 では、キリストにおいて働かれる神の力は、どうしたらそれと知ることができるのでしょうか。力は働きとしてのみ知ることができるのですが、キリストの力は、どうしたらわたしたちに対する働きとなるのでしょうか。ここにわたしたちが注意すべき第二の点があります。

 水力発電による電気を思い出してください。そこに必要なのは、水が高いところから低いところへと落ちていく「落差」です。デュナミスがエネルゲイアに変るためには、その落差が必要なのです。人間がキリストや神と同じ場所にいる限り、神の力は「救いの力として」働くことなどできません。

 そう言われてすぐに思うことは、福音を受け入れて信じる者となるためには、先ず自らの心を低くして、わたしたちが謙虚になって、神の力が働くままに身を委ねなければならない、ということでしょう。しかし今ここで言われていることは、そういうことではありません。わたしたちがではなく、神が、キリストが身を低くされ、十字架の上で愚かなものとなってくださった、ということです。それこそが福音です。救いは、わたしたち人間の知恵や力には全くかかわりなく、ただ神の力によって、誰よりも低く、愚かな者となられた「十字架につけられたキリスト」によってもたらされるのです。

 

■下降するキリスト、賢くなりたいわたしたち

 「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者にとっては神の力です」

 いわば、十字架の言葉の愚かさとは、下降するということです。神が下降するということは、人間には不可解なこと、理解できないことです。神が罪人の下にまで下降するのです。

 福音書の中に、百匹の羊の中の、失われた一匹を捜し求める羊飼いの話があります(マタイ18:11-14)。その譬えを描いた、とても印象的な挿絵があります。足を滑らせて谷を滑り落ち、灌木(かんぼく)に引っかかっている羊がいます。羊飼いは谷に身を傾けて、その羊に手を伸ばしています。傷ついた十字架のイエス・キリストを暗示する場面です。

 迷って道を失い、いのちの危機に瀕している羊はさかんに動き回ることでしょう。自分を救おうとして動き回り、しなくていいことをし、してはならないことをします。そうやって転落していきます。賢(さか)しらに立ち回るその姿、それが罪の姿です。そんな迷い出た一匹の羊を、迷い出た罪人であるこのわたしを、十字架まで下って、羊飼いであるキリストが見出してくださるのです。

 十字架の言葉の愚かさ、それは、自ら危機に身をさらして降りていく愚かさです。あえて選んで降りて行く愚かさです。それは人の知恵では理解できません。神がそういう道を選ばれるということを、人は納得できません。

 なぜか。それは、わたしたちがしるしを求めているからです。言い換えれば、自分の思いや感覚や主張にあくまでもこだわり、自分が納得できるなら、つまり神が自分の思いに適っているなら信じてやろう、という姿勢でいるからです。そしてその自分の思いというのは、より賢く、知恵のある者となりたいという思いですから、それは知恵を求めているということでもあります。しるしと知恵を求める思い、ユダヤ人とギリシア人の思いは、すべての人間が共通に抱いている思いであり、それは一言で言えば、愚かさから賢さへと上昇していこうとする思いです。人の知恵は上に向かうものです。人の賢さは高みに向かうことしか知りません。高みに、少しでも高いところへと向かい、人を見下ろせる地点に立つことしか求めません。

 その意味で、十字架の言葉は、十字架の救い主の姿は、実に愚かです。それはわたしたちの目にはまことに愚かな、見栄えのしないことに思われます。それは十字架の死がグロテスクで見るも汚らわしいというよりも、そこにこそ救いがあると受け入れるなら、自分こそが本当はあの十字架につけられなければならない罪人であると認めることになるからです。誰もそんなことを認めたくはありません。自分がより高く立派になり、知恵ある者となることによって救いを得るという方が、ずっと好ましいことに思えるのです。

 わたしたちの誰もが抜きがたく持っているプライド、自己義認によることです。人間、プライドを満足させられることほど喜ばしいことはないし、逆にプライドを傷つけられるほど嫌いなことはありません。だから人々を惹きつけ集める宗教を興そうと思ったら、そういう人間のプライドをくすぐって、ここへ来ればより賢く、高く、立派になれますよ、と教えていけばよいのです。いえ、わたしたちもときにイエス・キリストをそんな救い主として考え、捉え、歪めてしまっているかもしれません。イエスさまの教えによって自分がより賢い、立派な者になることができると期待しているかもしれません。そして実にそれこそ、アポロ派、ペトロ派、パウロ派、キリスト派に分裂し争っていたコリントの教会の姿でした。

 しかしそれは、聖書の教えるところではありません。聖書は、わたしたちが愚かさから抜け出して、少しずつ知恵を身につけ、より高く立派な者になっていくことで救いを得ることができる、などとは決して言いません。むしろ、わたしたちは十字架につけられて死ななければならない罪人である、自分の力で救いを得ることはできない、そう告げます。そんなわたしたちの、自分ではどうすることもできない罪を、神の独り子がすべて担って、十字架にかかって死んでくださった、そこに神による赦しの恵み、救いがあると教えます。 Continue reading