福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え

4月7日 ≪復活節第2主日礼拝≫『万物の神によって』 コリントの信徒への手紙一 8章1~6節 沖村 裕史 牧師

 

■偶像に供えられた肉

 コリント教会には何と多くの問題があったことでしょうか。

 そのおかげで、わたしたちは新約聖書の中でパウロの牧会的な愛と知恵を読むことができるわけですが、問題が多くあるという点では、今のわたしたちも同じです。教会はもちろん、家庭にも、個人にも問題や課題は山ほどあります。

 神は、問題のない教会や信仰を求めておられるのではありません。むしろ、問題を神の前に持って行き、神の知恵と力を祈り求め、わたしたちが「キリストによって共に生きる」ことを求めておられるのだと気づけば、わたしたちは失望する必要はありません。

 今日、共に生きることを妨げている問題として取り上げられているのは、「偶像に供えられた肉」を食べて良いか、否かの問題です。コリントには神々の神殿があり、町の公の行事や個人の家の冠婚葬祭などが祭儀として執り行われていました。その祭儀では必ず動物が犠牲として捧げられました。祭儀の後、その動物の肉の一部は祭司のものとなり、一部は祭儀に集った人たちが食べ、残りは持ち帰られ、町の市場で売られました。町の人々にとっては当たり前の風景でしたが、教会の信徒たちの中に、ある戸惑いが生まれました。

 教会は、旧約聖書以来のユダヤ人の信仰を受け継いでいます。その信仰によれば、主なる神以外のものを神として拝むことは、主に対する裏切り、偶像礼拝と呼ばれる最も重い罪でした。ことに人間の手によって造られた偶像を神として拝む偶像礼拝を、ユダヤ人は忌み嫌い、厳しく戒めていました。教会は今も偶像礼拝を忌み嫌うこのユダヤ人の信仰を受け継いでいます。

 そこから、一旦偶像に供えられた肉は信仰者にとっては汚れたものであって、それを食べるべきではない、という考えが生まれました。特に異邦人で信徒になった人々は、それまで何の疑問も持たずに食べていた肉が実は、偶像に供えられた肉だったということに気づいたのです。キリストの父なる神を唯一の神と信じる者となった今、その肉を食べるのは相応しくないのではないか、そう考える人が出てきたのは、ある意味、当然のことだと言えます。

 

■我々は知識を持っている

 しかし、コリント教会で何が問題とされていたのかについては、もう少し注意深く考えなければなりません。コリント教会からの質問は、単に「偶像に供えられた肉を食べてもよいのでしょうか」ということではなかったようです。

 そのことは冒頭のパウロの言葉からも伺えます。

 「この問題について言えば、『我々は皆、知識を持っている』ということは確かです」

 この括弧に入れられている「我々は皆、知識を持っている」ということが、コリント教会の中で頻繁に語られ、またパウロに届いた質問の手紙にも記されていた言葉だったと思われます。この「知識」がどのような知識だったのか。4節にこうあります。

 「そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています」

 「偶像の神は人間が作った像に過ぎないのであって、そんなものは神でも何でもない、唯一の主なる神以外に、この世にいかなる神もいないのだ」ということです。また、6節にもこう記されます。

 「わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです」

 これは、学問的知識や世間の人々が共有している一般的な知識ではなく、信仰によって与えられる神についての知識です。

 この知識を持っていた人たちは、偶像に供えられたといっても、それは神でも何でもない、ただの像の前にしばらく置かれたというだけのことであって、肉屋に置かれていたのと何も違わない、だからそれを汚れたものとして避ける必要などない、気にせず食べたらよい、と主張していたのでしょう。ですから、パウロのもとに寄せられた質問も、「偶像など神ではないし、何の力もないというのが正しい信仰の知識であって、偶像に供えられた肉だからといって避けようとするのは、信仰の知識が乏しい者の不適切な考えではないのか」ということだったと思われます。

 パウロはその質問に、彼らの言ってきたことに同意し、その知識を正しいものと認めます。「『我々は皆、知識を持っている』ということは確かです」とは、そういうことです。

 「ただ」と、パウロは続けます。ここからが、パウロの言おうとしていることの中心です。

 

■知識による高ぶり Continue reading

3月31日 ≪復活節第1主日/イースター「家族」礼拝≫『泣かないで』 ヨハネによる福音書 20章11~18節 沖村 裕史 牧師

 

■消えた遺体

 先ほどお読みいただいた個所の直前、マリアが墓に到着してみると、入口の大きな石が取り除けられていた、とあります。マリアは、イエスさまとの想い出がにわかに手の届かない地平線の果てにまで遠のいたように感じられ、狼狽(ろうばい)し、急ぎ弟子たちにこの事態を知らせるために駈け出します。マリアからの知らせに驚いて、急いで飛び出した二人の弟子もただひたすら走ります。そして、墓の中に入った弟子たちが見たものは、イエスさまの体に巻かれていた亜麻布と頭に巻かれていた布切れでした。しかも、それがキチンと置かれていました。

 二人の弟子たちは「見て、信じた」と書かれています。「信じた」とは、イエスさまの復活を信じたということでしょう。しかし続けて「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」とあります。二人の理解は十分なものではなかったのだとか、実は信じていなかったのだと考える人もいますが、「聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかった」というこの言葉は、二人の弟子の復活に対する信仰が、旧約聖書の証しによって導かれたものではなく、直接的で体験的な目撃によるものであったことを強調しているのでしょう。いずれにせよ、二人の弟子はイエスさまの墓から立ち去ります。

 しかしマリアは違います。二人の弟子の後を追い、再びそっとイエスさまの墓に戻って来ます。盗まれたのであろうとなかろうと、イエスさまの体が失われたことに変りはありません。イエスさまの体がそこにあったからこそ、マリアの追憶もまた彼女の身近にありえたのです。想い出が、今もそこにあるもののように抱きしめる対象になったり、あるいは、未来に似て生きる支えになったりすることがあります。マリアはイエスさまの死の直後の空しさ、虚脱(きょだつ)から、その想い出にすがることによって立ち上がりかけていたのでした。ところが、その体がなくなってしまった。

 「あのお方の体は本当になくなってしまったのだろうか」、はかない望みをかけて、もう一度身をかがめて墓の中を覗(のぞ)き込みました。マリアが見詰めているのは、先の閉ざされた浅い横穴です。追憶と幻想の中で、過去がいかに美しく充実したものであったにせよ、それはあくまでも、どこまでも過去でしかありません。未来へと突き抜けて、その向こう側から爽やかないのちの風が吹いてくることなど決してない、行き止まりの横穴でしかありません。主であるイエスは、もはやそこにはない、おられないのです。

 

■泣いていた

 マリアは、墓の外で泣き続けました。「泣く」と訳されているこのギリシア語は、声を出して激しく泣く、という意味の言葉です。

 学者たちが言うように、この福音書を記したヨハネは、この泣き続けるマリアを直情的で愚かな存在として描いているのでしょうか。そもそも、それは批判されるべきことなのでしょうか。一人の愛する者が死んで、その墓から遺体まで取り去られてしまって見ることができない、その時、人は声をあげて泣かないでしょうか。それは人間として当然の、自然な感情で、イエスさまを愛し、尊敬していた者の偽らざる姿がそこにあるのではないでしょうか。

 マリアは、その自然な感情を隠しませんでした。反逆罪で殺された者の、埋葬直後の墓の前で、声をあげて泣くということがどんなに危険なことか…。そんなことを気に留める様子もなく、彼女は泣き続けています。その姿にわたしは深い感動さえ覚えます。イエスさまの十字架を前にして、また遺体の取り去られた墓を前にして、「これは神の計画に基づく救いの出来事だ、神が死を滅ぼしてくださった栄光の出来事だ」などと悟ったようなことを言う前に、あるいは、裏切り、逃げ回り、姿を隠してしまった弟子たちとは違って、ただただ墓の前にとどまり続け、声をあげて泣き続けるマリアの姿をこそ、その信仰の姿をこそ、見つめるべきではないでしょうか。

 

 戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人、茨木のり子の「汲(く)む」と題された詩をご紹介します。

  大人になるというのは
  すれっからしになることだと
  思いこんでいた少女の頃、
  立ち居振る舞いの美しい
  発音の正確な
  素敵な女の人と会いました

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3月24日 ≪受難節第6・棕櫚の主日礼拝≫『なぜお見捨てになるのか?』 マタイによる福音書 27章 32~50節 沖村 裕史 牧師

 

■滑稽と嘲笑

 受難節最後の主日となりました。イエスさまが十字架への道をまっすぐに歩まれたその道のりを、この一月半の間、わたしたちも一緒に歩んできました。そしてついにイエスさまは、自分が十字架につけられることになるエルサレムに到着されます。沿道に敷き詰められた棕櫚の葉の上を、人々の歓呼の声の中、驢馬(ろば)の背に揺られながら、エルサレムに入城されます。今日は、そのことを記念する棕櫚の主日です。

 「ホサナ―主に栄光あれ」という勝利を賛美する、凱旋の声に包まれるイエスさまの姿は、しかし、奇妙なものでした。勝利者らしく、たくましい軍馬に跨(またが)って威風堂々と進んできたというのではありません。地面に足がつきそうなほどの小さな驢馬に乗って、とぼとぼと、いかにも頼りない格好で、人々の歓呼の声の中を進み行きます。まるで、痩せこけた馬ロシナンテに跨り、従者サンチョ・パンサを引きつれて遍歴の旅に出かけた、あのドンキホーテのようです。イエスさまの姿は、とても滑稽(こっけい)なものでした。

 しかし、滑稽と見えるその人こそが、まことの救い主でした。

 その滑稽な姿を冷ややか見ていた人たちがいました。彼らは心ひそかに嘲笑(あざわら)っていたことでしょう、「驢馬に跨ってやってきた、あのみすぼらしい男が救い主であるはずなどない。その正体を白日のもとに晒(さら)しだし、歓呼の声を上げている人々の目を覚ましてやろう」。律法学者やファリサイ派、祭司長たちです。

 彼らのもくろみは成功し、今やイエスさまは、衣服をはぎ取られて裸にされ、その上に赤いマントを着せられ、いばらの冠を頭にかぶり、右手に葦の棒をもたせられた、皮肉たっぷりに演出された王の姿で、「ユダヤ人の王、万歳」という歓呼の声の中を歩いています。栄光を讃えるその声は、エルサレムに入られるときとは真逆の、まさにその姿そのもの、嘲りと蔑(さげす)み以外の何ものでもありませんでした。

 ゴルゴダの丘へと引かれて行くイエスさまに、ぶどう酒が差し出されます。それは、当時しばしばなされていたように、罪人に与えられる気つけ薬でした。十字架の上で受ける槍の痛みがもっと強いものとなるように、という悪意から与えられるものです。「ユダヤ人の王」という罪状がイエスさまの首にかけられ、二人の強盗と同じと場所に引き出されました。それは、まことの王だ、救い主だとあなたたちが信じたこの男は、強盗と同じような者に過ぎない、ということを意味します。これらすべてことが、嘲りと蔑み以外の何ものでもありませんでした。

 しかし、嘲りと蔑みに包まれたその人こそが、まことの救い主でした。

 

■自分を救え

 イエスさまの惨(みじ)めで、弱々しい、無力なその姿を見た人々は、期待が大きかっただけにその失望も大きく、祭司長たちと一緒になって、イエスさまに嘲りと蔑みの言葉を投げつけます。

 「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」「他人(ひと)は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」

 罵倒、嘲笑、侮辱の言葉として記されるこれらの言葉に、誰もがハッと気づかされます。そう、この言葉は、福音伝道をこれから始めようとしたとき、荒れ野でイエスさまに囁(ささや)かれた悪魔の誘惑と全く同じものです。

 「神の子なら、自分を救ってみろ」「そうすれば、信じてやろう」

 人々は、自分のための、自分だけの神しか受け入れようとはしません。自分に何の役にも立たない、そんな神など信じても意味などない。自分さえ救うことのできないお前を神の子だと信じることなどできないし、お前を救うことのできない神は神ではない、そう責め立てます。

 自分さえ救えないと責めるのではなく、「他人は救ったのに、自分は救えない」と罵ります。 Continue reading

3月17日 ≪受難節第5主日礼拝≫『喜ばれるために…』 コリントの信徒への手紙一 7章 25~40節 沖村 裕史 牧師

■結婚の苦労

 今、パウロは未婚の人に対して、現状に留まっているのがよい、独身のままでいるのがよい、と教えます。それは、結婚に価値を認めないからでも、また結婚することが「罪を犯す」こと、信仰者として相応しくないからでもありません。彼は結婚を、神から与えられている祝福として大切にしています。「妻と結ばれているなら、そのつながりを解こうとするな」とある通りです。パウロは、結婚を信仰にそぐわないと考える人たちが信仰ゆえに離婚しようとしたり、相手を遠ざけたりしていたことに対して、結婚を、夫婦の関係を、たとえ相手が信仰者でなくても大切にするべきだと教えていました。

 ではなぜ、独身のままでいることを勧めるのか。その理由が28節後半です。

 「ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです」

 結婚する者は苦労を負う。確かにこれは、誰もが味わうことかもしれません。結婚生活は決してバラ色のものではありません。生まれも育ちも違う二人が一つ屋根の下、生活を共にしていくということは、そう簡単なことではありません。また家庭を築き守っていくことは、独身で自分一人の生活のことだけを考えていればよかった時とは比べものにならない負担を背負うことです。こどもが生まれれば、子育ての苦労が加わります。結婚すること、およそ人と共に生きるということは本来、そういう苦労を背負うことです。

 しかしここで言われているのは、そうした苦労のことではありません。もしそうなら、パウロの結婚観は偏っていると言わなければなりません。結婚にそうした労苦が伴うことは事実ですが、そこにはまた、共に生きることの大きな喜びや慰め、確かな平安や充足があることも事実だからです。その喜びを見ないで苦労だけを見て、独身のままの方がよいと言うことは、偏った意見、偏見の誹(そし)りを免れないでしょう。今パウロが、「結婚する人たちはその身に苦労を負う」と言っているのは、そういうことではないようです。

 

■時は迫っている

 では、彼が言う苦労とは何でしょうか。ヒントとなるのが29節の言葉です。

 「定められた時は迫っています」

 同じような言葉が26節にもありました。「今危機が迫っている状態にあるので…」。パウロは、危機が迫っている、時が迫っているという意識を強く持っています。そしてそれが、現状に留まっているのがよい、独身のままでいるのがよい、という勧めの根拠なのです。

 時が迫っている、危機が迫っているとはどういう意味でしょうか。この世の終わり、終末のことです。 そしてそのことを、誰よりもはっきりと示されたのが、他ならぬイエス・キリストでした。

 「小黙示録」とも呼ばれるマルコによる福音書13章に記されているイエスさまの言葉によれば、定められた時が迫っているとは、この終末が近づいていることです。しかしそれは、恐ろしい破局が迫っていることではなく、むしろわたしたちの救いの完成、神の恵みの支配の完成の時が近づいているということでした。しかし、それがここで「危機が迫っている」と言われているのは、この救いの完成に伴う苦しみが見つめられているからです。

 その苦しみは、当時の教会の人々がすでに体験していたものでした。そしてわたしたちもその苦しみを今、別の形で体験しています。戦争の騒ぎや戦争のうわさは、今ひときわ高まっています。集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、いつ戦争に巻き込まれてもおかしくないという不安を多くの人々が抱いています。「民は民に、国は国に敵対」することも世界各地で起っています。大地震が起り、聖書の時代の人々が知らなかった原発事故による放射能被害にも苦しんでいます。異常気象や食糧の問題、飢饉さえもが外交的な駆け引きの手段となるような時代になりました。また「平和憲法を守ろう」と叫ぶ青年は「利己的だ」と国会議員が批判するなど、自由にものが言えない社会になってきているようにも感じられます。福音書が書かれた時代に教会の人々が感じていた苦しみは、いつの時代にもあり、今のわたしたちにもあるのです。

 それら苦しみは、世の終わりが、神の国の到来が今、もうすでに始まっていることの徴です。世の終わり、神の国の完成がいつなのかは誰も知ることはできません。だからこそ、これらの苦しみが襲って来た時に「もうこの世も終わりだ」と慌てふためいてはならない、いや意外にも、「逃げなさい」とイエスさまは言われます。家に何かを取りに戻ることなく、一目散に逃げなさいと教えられます。そのように急いで必死に逃げていく時に、身重の女性や乳飲み子を持つ女性は不幸だ、そのことが冬に起るなら、より大きな苦しみが目に見えている、と語られます。恐ろしい大津波に襲われた東日本大震災では、まさにこの通りのことが起りました。それに加えて、目に見えない放射能からも逃げなければならず、身重の女性や乳飲み子を持つ女性たちは深い恐怖に慄(おのの)かなければなりませんでした。いつも弱い者こそが最も大きな苦難に見舞われる、そういう苦しみが、今も続いています。そうした苦難、苦しみこそ、「結婚する人たちはその身に苦労を負う」と言われていることの理由でした。

 

■終末を意識して生きる

 しかし、それだけではありません。「結婚する人たちはその身に苦労を負う」と言う時、パウロは、信仰生活と、結婚して家庭を持って生きることとの間に起ってくる、あるジレンマのことを考えています。

 結婚することによって、人は妻を持ち、夫を持ち、家庭を持つことになります。子どもも与えられていくでしょう。そのようにして、この世における人間の営みが広がり、深まっていきます。しかし信仰者は、この世の営みにどっぷりと浸って、それに心を奪われて、終わりの時が迫っていることを見失ってはなりません。イエスさまが、さきほどのマルコ13章の中で「目を覚ましていなさい」と繰り返されたように、この世の営みに深く関われば関わるほど、常にそこで、その終わりを見つめなければなりません。

 そこに戦いがあります。葛藤があります。結婚し、家庭を持つことによって、ともすればこの終わりを見失ってしまい、この世の生活に心が完全に奪われてしまい、目に見えない神の支配を信じ、世の終わりの救いの完成を待ち望みつつ、主に仕え従っていくということが疎かになってしまうことを、パウロは危惧しているのです。29節の後半から31節に語られているのは、そのことです。

 「今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです」

 「妻のある人はない人のように」。それは、妻があっても無視し、関わりを持たずに生きなさいということではありません。妻との関係、夫婦、家庭の営みは大切です。それは神からの祝福です。しかしそれと同時に、信仰者はそれが自分を救うのではないことを知らなければなりません。すべては終わっていくものです。夫婦の関係は終わっていきます。それは、この世の終わりを待たなくても、死のときも起ることです。どんなに仲の良い、ずっと一緒に歩んできた夫婦であっても、どちらかが先に死ぬということが起こります。人間の営みとしての夫婦、家庭はそのように終わっていくのです。 Continue reading

3月10日 ≪受難節第4主日/招待礼拝≫『差し出された神の国』 マルコによる福音書 10章 13~16節 沖村 裕史 牧師

■人々の願い

 「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った」

 この時の状況について、こう説明されることがあります。

 「イエスに触れていただくため」とは、最後16節に「手を置いて祝福された」とあるから、イエスさまに祝福していただくためだったのだろう。イエスさまに触れていただいて、平穏無事に元気に良い子に育つよう祝福していただくために、親たちが愛するわが子を連れてきたのだ。それは、親としてのごく自然な、またほほえましい姿ではないか、と。

 しかし、今ここに幼な子たちを連れて来たのは不特定多数の「人々」で、それが親であるとは限りません。「連れて来る」というギリシア語も、抱いたり、背負ったりして、「そちらへと運ぶ」といったニュアンスの言葉です。親子が七五三の宮参りよろしく、手をつないで仲良くやってきたというのではありません。人々は抱き抱えるようにして、背負うようにして、子どもたちを連れて来たのです。

 8章31節以降、繰り返される受難予告の中、子どもが登場するのは、これで三度目です。ここに登場する子どもたちが皆、同じ状況にあったとは言えないまでも、当時の子どもたちが置かれている状況は、わたしたちが日頃、目にしているものとはおよそ異なるものでした。頻発する飢饉や災害、止むことのない戦争や紛争、蔓延する病気や貧困によって社会が混乱する中、最初に被害をこうむるのは決まって子どもたちでした。地域や時期によっては、大人になるまで親が生きていることなどほとんどありえないことでした。多くの孤児が残されました。彼らは、社会の中で最も弱く、傷つきやすい、その代表的な存在です。今、ここに連れてこられた子どもたちがそういう孤児であったということは、十分にあり得ることです。

 旧約聖書は、孤児(みなしご)や寡婦(やもめ)、また寄留者と呼ばれる外国人たちを、社会全体で保護するようにと繰り返し説いています。古代社会では、家族の生存は父親の双肩にかかっていて、父親が死別した家庭は、生きる手だてをなくしたも同然でした。彼らは共同体の支援を必要としていました。そのとき、聖書が求める援助は、倫理に基づく施しでも、政治が目指す目標でもありません。それは神が与えてくださっている、愛と恵みへの応答―信仰に基づくものでした。

 イエスさまは手をさし伸べて、重い皮膚病の人に「触れて」清くし、舌に「触れて」そのもつれを取り除き、目に「触れて」見えるようにし、切り落とされた耳に「触れて」癒し、手に「触れて」熱を去らせました。また、病気に悩む人がイエスさまに「触れよう」として押しかけ、イエスさまの服の房に「触れて」いやされました。そして今、飢えや病や戦いに深く傷つき、生きることもままならない子どもたちを、親ではなく「人々」が抱きかかえるようにして連れ来たのではなかったでしょうか。ここに記される「人々」は、神の愛と恵みへの応答として、まさに信仰に基づいて、そして何よりも具体的で、切実な愛の思いをもって、イエスさまに「触れて」いただくことで、この子どもたちを癒し、困窮から救いたい、ただ、そう願ったのではなかったでしょうか。

 

■弟子たちの罪

 ところが、弟子たちはそんな人々を叱り、追い返そうとします。理不尽とも思える弟子たちの態度にも、しかし理由がありました。

 直前10章の1節、イエスさま一行は、それまでいたガリラヤ地方を後に、南へと移動を始めます。目的地はエルサレムです。次の11章でイエスさまは、そのエルサレムに入られます。入られたわずか一週間の内に、イエスさまは捕えられ、十字架につけられて殺されます。そう、エルサレムへの旅はまさに、十字架の苦しみと死への歩みでした。イエスさまは十字架をはっきりと自覚し、そのことを繰り返し弟子たちに告げられますが、彼らにはその意味がよく分かりません。ただ、イエスさまがこれから緊迫した大事な場面を迎えようとしておられる、そのためにエルサレムへと向かっておられるのだろうということは薄々感じていたはずです。

 今、大事な時を迎えようとしておられる。そんな時に余計な負担はおかけしたくない。それでなくても、病気を癒していただこうとたくさんの人々が押しかけて来たり、時には敵意を胸にファリサイ派の人々がやって来ては、罠を仕掛けようと議論を吹っ掛けてくる。この上、子どもたちにまで纏(まと)わりつかれたら、疲れ果ておしまいになるだろう。弟子たちはそんな配慮、気配りをしているだけで、人々を叱りつけ妨げたのもそれなりの理由のあることでした。

 しかし、これまでのイエスさまと弟子たちのやり取りを振り返るとき、イエスさまへの配慮、気配りであるかのように見えるその叱責と妨害の中に、拭おうとして拭い切れない弟子たちの罪が見えてきます。そもそもそれがイエスさまへの配慮と気配りであったのなら、弟子たちは決して叱ったり妨げたりはしなかったはずです。なぜなら、直前9章37節でイエスさまは子どもを抱き上げて、「このような子供の一人を受け入れなさい」と教え、続く39節ではわたしの名を使って奇跡を行う者を「妨げてはならない」と諭されていたからです。

 そう教えられていたはずの弟子たちの心の中にあったものは、子どもへの祝福を求めてやって来る人々に対する「批判と優越感」でした。人々は、イエスさまの都合など考えずにやって来て、祝福と癒しだけを求め、それを受けると元通りの自分中心の生活へと帰って行くだけではないか。人々は、イエスさまに従って生きようとか、自分の生活や財産を投げ打ってイエスさまの弟子となり、従って行こうなどとはこれっぽっちも考えていない。ただイエスさまを利用しようとしているだけではないか。それは、イエスさまの名によって勝手に奇跡を行うだけで、従おうとしない者たちと同じではないか、という批判です。

 そしてそこに潜んでいる思いは、自分たちはこれまですべてを捨ててイエスさまに従ってきた、いろいろな苦しみを負いながら弟子として歩んできた、このわたしたちこそが…という優越感です。誰が一番偉いかを議論していた弟子たちの姿(9:34)が重なります。わたしたちは、自分の幸せだけを求めて、神を、イエスさまを利用しようとするだけのこの連中とは違う、だから彼らを叱り、追い返す権利がわたしたちにはある、そう考えていたのでしょう。

 

■祝福の言葉

 そんな弟子たちへの、イエスさまの怒りは大きなものでした。

 「これを見て憤り、弟子たちに言われた。『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」

 「憤る」とは、「非常に」と、「悲しんでいる、怒っている」または「我慢できない」という言葉が一つにされた、激しい怒りを表す言葉です。子どもたちを連れて来た人々を叱った弟子たちを見て、イエスさまは非常に悲しい、とても我慢などできない、と激しく怒られます。

 そして、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」と言われます。弟子たちは連れて来た「人々」を問題とし、彼らを叱り妨げたのですが、今、イエスさまが問題としているのは、意外にも、激しいまでの怒りを向けられた「弟子たち」ではなく、「子供たち」です。イエスさまが、来るままにさせ、受け入れるようにと命じておられるのは、子どもたちを連れ来た人々ではなく、苦しみ、傷ついているであろう、その子どもたちです。イエスさまの眼差しが子どもたちに向けられ、イエスさまの手は真っすぐに子どもたちに向けて差し出されます。

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2月25日 ≪受難節第2主日礼拝≫『平和な生活を送るために』 コリントの信徒への手紙一 7章 8~16節 沖村 裕史 牧師

■結婚についての教え

 この7章のテーマは、結婚についてです。コリント教会からパウロのもとに、信仰に生きる者として結婚をどのように受けとめ、考えたらよいのかという問い合わせがあり、パウロはそれに答えようとしています。前回読んだ7章1節から7節には、結婚についての基本的な考え方が示されていましたが、一転、今日の8節からは、未婚者とやもめの場合、既に結婚している人の場合、また結婚した片方だけが信仰者である場合というふうに、様々な具体的なケースについて語られていきます。

 その最初、未婚者とやもめ、つまり今、独身である人たちのケースですが、この人たちに、8節「皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう」とパウロは教えます。この手紙を書いているパウロは独身でした。その自分と同じように、今、独身である人は独りでいるのがよい、そう教えるのです。

 ところが続く9節には、「しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです」とあります。独身でいる方がよいが、しかしどうしても自分を抑制することができず、性的な欲望が内に燃え上がって、みだらな行いに陥りそうになるなら、むしろ結婚した方がよい、と言います。パウロにとって結婚は、なるべくしない方がよいが、やむを得なければ仕方がないから認める、というものであるように思えます。しかし前回1節以下でもお話ししたように、それはパウロが本当に言おうとしていることではありません。1節にも「男は女に触れない方がよい」とあり、結婚は基本的にしない方がよいと語られているように思えます。そして2節には「しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、女はめいめい自分の夫を持ちなさい」と言われているので、結婚はやはり「みだらな行いを避ける」ための必要悪のようなものだと考えられているようにも思えます。

 しかしそれは、創世記2章にある、神が人間を男と女、互いに違う者として造られた、その二人が互いに向き合い、互いに支え合うために一つとされた神の御心―神が結婚を祝福してくださっているという聖書の結婚観と矛盾するものです。そして2節以下でパウロが教えていることも、むしろ結婚を積極的に勧め、結婚した夫婦の肉体的な交わり、関係を大切にしなさいということでした。パウロは、結婚や肉体的な関係を悪とみなし、しない方がよいと言っているわけではありません。

 

■離縁してはならない

 今日のところも同じです。10節以下は、既婚者、結婚している人に対する勧めですが、そこには、妻は夫と別れてはいけない、夫は妻を離縁してはいけないと教えられます。また結婚している人は独身に戻ろうとするな、とも言います。結婚が悪であって、独身であることの方が信仰的によいのなら、むしろ離婚を勧めたらよいわけですが、そうは言いません。

 むしろ10節に「こう命じるのは、わたしではなく、主です」とあるように、離婚の禁止はイエス・キリストの命令である、と言われます。ここで意識されているのは、マルコによる福音書10章2節以下の教えでしょう。

 イエスさまは、旧約聖書の律法には、夫は離縁状を書いて渡せば妻を離縁できると書かれているが、そのように離婚を認めた掟こそ、人間の罪に対するやむを得ない妥協だったのであって、本来の神の御心はそうではない、とはっきりと語られます。そして「神が結び合わせてくださったものを、人が離してはならない」と宣言されます。このイエスさまの教えからは、結婚がやむを得ない必要悪であるというような考え方は決して出てきません。結婚はむしろ神が二人を結び合わせ、一体としてくださることであって、そこには神の祝福がある。人間はその神による祝福を大切にすべきで、万やむを得ない場合以外には結婚を解消してはならない。パウロはこのイエスさまの教えに基づいて語り、教えています。

 続く12節以下には、「主ではなくわたしが言うのですが」とパウロ自身の言葉として、夫婦の片方だけが信者であるケースのことが教えられています。

 そこでも、信者である夫あるいは妻が、信者でない妻あるは夫と、信仰のゆえに離婚してはならない、と言います。信仰を共にすることができなくても、相手が共に生きることを望んでいるなら、別れてはならない。しかし、自分の信仰のゆえに相手が去っていくのなら、その場合には離婚することも仕方がない、と続けます。

 ここに示されている基本的な姿勢は、信仰のゆえに結婚を軽んじたり、それを解消しようとすることがあってはならない、ということです。

 当時、実際にそういうことがあったのでしょう。それに対してパウロは、それは正しい信仰のあり方ではない、と言います。キリストを信じる信仰者は、結婚を、たとえそれが信者でない人との結婚であっても、決して軽んじたり、解消しようとしたりするべきではない、それがパウロの教えでした。

 

■結婚に縛られない

 12節以下には主(おも)に、既婚の人、特に信者でない妻を持つ夫、信者でない夫を持つ妻に対する勧めが語られていますが、初代の教会の時代、そのようなケースが沢山あったようです。そしてそれは、今の日本の教会、わたしたちの状況でもあります。夫婦の片方だけが信仰者であるというケースの方がわたしたちの中では圧倒的多数です。ここに語られていることはわたしたちにとって、とても身近な、また切実な問題であると言えるでしょう。

 そんな問題の一つが、信者ではない相手が、信仰を持っている人間とはとても一緒には暮らせない、共に生きることなどできないと言って去っていく、という場合です。15節です。

 「しかし、信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られてはいません」

 思わず「おやっ?!」と立ち止まりそうになる言葉です。ここまでのところでパウロは、信仰のために自分から結婚を解消してはならない、と繰り返し教えているからです。それなのに、ここでは信者でない相手が離れていくなら去るに任せなさい、つまり別れなさい、と言います。

 おそらく結婚していた夫婦がいたのでしょう。二人とも信仰者ではありませんでした。ところがその夫か妻がキリストの言葉を聞いて、信仰を持つようになりました。しかし相手は理解してくれません。理解してくれないどころか、「クリスチャンになったあなたとは一緒に生活できない」と言って離婚を申し立てます。そのときには、その人の望み通りに別れなさいと言うのです。

 そうすると、10節でパウロが伝えている離婚を禁止しているイエスさまの言葉に背くことになるのではないか、どう考えたらいいのであろうか。そういう問いが、コリントの教会からパウロの下に送られてきていたのかもしれません。そこでパウロが答えています。この中にとても大切な言葉があります。

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2月11日 ≪降誕節第7主日礼拝≫『神からの賜物によって』 コリントの信徒への手紙一 7章 1~7節 沖村 裕史 牧師

 

■結婚の祝福

 「そちらから書いてよこしたことについて言えば」

 コリントから様々な質問や問い合わせがパウロのもとに寄せられていました。誕生して間もないコリントの教会にとっては、信仰のことだけでなく、実際の生活上の導きをパウロに仰がなければなりません。パウロが最初に取り上げたのは「結婚について」でした。コリントの信徒たちが教会という交わりの中で共に生きようとしていたそのとき、彼らは結婚生活に関わる大きな混乱を味わっていました。いえ、むしろ結婚生活こそ、共に生きることが試され、それぞれの信仰の姿が外に現れる場所であったと言えるのかもしれません。

 パウロはストレートにこう答えます。1節後半、

 「男は女に触れない方がよい」

 結婚はしない方がいい、肉体関係を持つこと自体避けた方がよい、ということでしょう。しかし続く2節ではこう言っています。

 「しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい」

 これは結婚の容認、いえ、ただ結婚してもよいというのではありません。「男はめいめい自分の妻を持ちなさい、女はめいめい自分の夫を持ちなさい」。持ちなさい。命令です。結婚しなさい、と命じています。どういうことでしょうか。結婚はしない方がいいという1節と、結婚しなさいという2節。これはどうつながるのでしょうか。

 それをつなげているのが、2節の始め「みだらな行いを避けるために」という言葉だ、と説明されます。結婚はできるだけしない方がよい。しかし人間はすべての生き物と同じように、神の創造の御業の時に「産めよ、増えよ」(創1:22,28)と祝福され、繁殖する力、性的欲求を持って造られた。いわば祝福された本能だ。ただ、それが間違った仕方で発揮され、みだらな行いに走ってしまうことがある。そのことを防ぐために、結婚して夫婦の間だけにその欲求を留めておく。そのために結婚が容認されている、と。

 長くそう読まれ、説明されてきました。しかしこの読み方は正しいのでしょうか。この読み方によれば、結婚は本当はしない方がよいのだが、人間の弱さ、とめどない欲望への配慮として認められた、いわば必要悪だということになります。パウロは結婚をそういうふうに考えているのでしょうか。それが結婚についての聖書の教えなのでしょうか。だとすると、教会が結婚式を行うのは、本当はしない方がよいことをやむを得ずしている、ということになるのでしょうか。

 結婚の意義について語られている最も重要な聖書箇所は、創世記2章18節以下です。そこには、人は男と女に、つまり互いに異なるものとして創造され、その相異なる二人が「結ばれ…一体となる」、結婚は神の御心によることだ、と語られます。その御心とは、18節にある「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」ということでした。この御心によって、向かい合って、助け合い、共に生きる相手として男と女が造られ、「ひとつ」とされたのです。神は、人が結婚して「向かい合い、助け合い、共に生きていく」ことを「良い」ことと考え、そのように人をお造りになった。結婚を必要悪として、やむを得ず認めるというのではありません。むしろ、結婚を神の「祝福」と見ています。これが、聖書の結婚観です。

 パウロもまたその教えを受け入れていたはずです。その彼が「みだらな行いを避けるために結婚しなさい」と言うのは、「そもそも結婚はみだらな行いを避けるためにある」と結婚の目的を語っているとは到底考えられません。

 直前6章後半からのつながりで言えば、「みだらな行いを避ける」のは、神から与えられた、かけがえのないこの体を傷つけたり、損なったりすることなく、神の栄光を現わすために用いていくためでした。そのためには、結婚をすることがふさわしい、パウロはそう勧めているのではないでしょうか。

 

■務めを果たす

 では「男は女に触れない方がよい」とは、どういうことなのでしょうか。

 実は、これはパウロの言葉ではなく、「そちらから書いてよこしたこと」の内容ではないか、と考えられます。とすれば、ここの訳は「そちらから書いてよこした、男は女に触れない方がよい、ということについて言えば」となります。最近のいくつかの英語訳聖書でもそう訳されています。コリント教会の中に、「男は女に触れない方がよい」という、結婚を否定し、独身であることをよしとする人々がいたのだ、ということです。

 この独身主義は、今日見られるような、個人のライフスタイルの多様化によって起ってきたことではありません。信仰的理由によるものです。教会の中にそうした主張が出てきたことには、いくつかの理由があります。

 その一つは、イエス・キリストご自身が独身であったこと、そしてこの手紙を書いているパウロも独身であったことです。7節に「わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい」とあるように、パウロは、自分が独身であることを喜んでいますし、それを人々にも勧めています。しかしそれは、クリスチャンは皆、そうすべきだということではありません。パウロにとって、その方が、主に仕え、主の栄光を現わしていくためには「よりよい」ことという意味でした。いずれにせよ、キリストやパウロが独身であったために、それに倣って、独身を貫こうとする人々が教会の中に出てきました。そのこと自体が問題というのではありません。しかしそこには、もう一つ別の理由があったようです。

 パウロのように主に仕えるために独身でいるというよりも、聖なる者とされた信徒は、性的関係によって汚れてはならない、夫婦であっても性的な交渉は避けるべきだ、と極端な主張をする人たちがいたようです。結婚など無意味だ、肉体に関わる事柄に囚われたくない。そんな思いから結婚しない人や、わざわざ離婚して独身になろうとする人や、結婚はしていても肉体的、性的な関係を拒む人も出たようです。

 しかし、パウロはそのような考えに賛成しません。すでに結婚している夫婦は性的関係を断つべきではないというのが、まずここで教えられていることです。3節に「夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫に、その務めを果たしなさい」とあります。「務めを果たす」というのは、4節に「体を意のままにする」とあることからわかるように、肉体関係を持つことを含んでいます。夫婦が互いに相手に対して、その務めを果たしなさい、肉体関係を拒んではならない、とパウロは言います。肉体関係を含む結婚は、決して汚れたことや罪ではなく、創世記に「結ばれ…二人は一体となる」「二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」(2:24-25)とあるように、それはむしろ、神が定められたこと、祝福なのだ、と聖書が教えているからです。 Continue reading

2月4日 ≪降誕節第6主日「招待」礼拝≫『愛に触れた女』 マルコによる福音書 5章 24b~34節 沖村 裕史 牧師

■触れる

 人にとって、誰かに触れること、触れられることは、とても大切です。

 こどものとき風邪を引くと、母がいつも「たまござけ」をつくってくれました。「たまござけ」と言っても、若い人は知らない方が多いかもしれません。今風に言えば、生卵を酒で割ったホットドリンクです。お酒が強く匂い立ち、苦手なわたしは鼻をつまんで、我慢して飲んでいたことを思い出します。ぽかぽかと体が温まり、栄養価の高いたまごで滋養をつけて、一日じっと寝ていれば、風邪はあっという間に治りました。

 でも、小さなわたしにとっての一番の薬は、母の手でした。寝ているわたしの額ではなく、頬を両手でやさしく包んで、「大丈夫よ」とひと言。家事も畑仕事も郵便局の仕事もこなす、母の手はガサガサに荒れていたはずなのに、わたしの頬を触れるその手はなぜか、温かく柔らかで、とても気持ちのよいものでした。病気になったとき、苦しいことがあったとき、もうだめだとあきらめそうになるとき、どんな言葉も耳に入らなくても、そっと触れてくれる母の手が今も、わたしを慰め、励ましてくれます。わたしは母の愛に触れ、触れられていたのです。

 

■藁(わら)をもつかむ

 今日の聖書には、人にやさしく触れられることも、そっと触れることさえなかったひとりの女が、愛に触れることのできた、その瞬間が描かれています。

 湖のほうから大勢の人々がやってくるのを、ひとりの女が道端に座ってぼんやりと眺めていました。あんなに大勢の人が群がってくるなんて、何事だろう…。ふつうなら不審に思い、好奇心を抱くところですが、女のこころは麻痺したように動きません。

 長い、長い年月、病み患い、貧しさにも苦しんできました。血が下りて止まらなくなって、もう十二年にもなります。人が勧める治療は何でもやってみました。高い治療費を払って、医師にもかかりました。それでも治らない焦りにつけこまれて、騙され、法外なお金を巻き上げられ、すべてを失ってしまいました。それでも血は止まりません。じくじくと出血し続ける患部は爛(ただ)れて痛み、血が滲(にじ)む裾(すそ)は黒ずんで厭な臭いをたてています。

 周囲の人々は女を蔑みの目で見、子どもたちはわざと傍にやってきては、「臭い」と鼻をつまんで逃げ出します。そんな侮辱に、一々(いちいち)こころを騒がせていては生きていけないと分かっているので、こころを硬くして鈍感になろうと努めてきました。心を固く閉ざそうとするそんなとき、女は決まって自分の指先をみつめ、つぶやきます。

 「汚れた手、垢(あか)がつまった爪先。この手がどんな悪いことをしたというのだろう。なにか悪いことをしたんだ、罰(ばち)があたったのだと言われるけど、そんな心当たりはない。でも、こんなにも長く病気が続き、人からずっと蔑まれていると、本当に自分が悪いのではないかと思えてくる。いやきっと、そうなのだ」

 女の病は治る見込みのない、肉体的にも経済的にも大きな負担となるものでした。いえ、それだけではありません。そうした病に犯された人間は、不浄のもの、穢(けが)れたもの、罪人とみなされ、神殿での礼拝はもとよりのこと、人との接触の一切を禁じられていました。

 そう、誰かに触(さわ)ることも、誰かに触(ふ)れられることも、一切許されませんでした。

 人目を避け、隅の隅に隠れるようにして暮らしていたその女が、その日はなぜか、ふらふらと道端に出ていました。群がってくる人々が叫びたてます。

 「ナザレのイエスだ!ようやくほんとの救い主が来た!奇跡のひとだ!」

 女は、ゆっくりと頭をあげます。

 「奇跡…」

 のろのろと、女は立ち上がります。お金だけ巻き上げられて病気は治らない、そんな目に遭う心配はありません。もうお金など一銭もありません。病気は死ぬまで治らないのかもしれない。

 「でも、奇跡が…奇跡なら」

 みつめる女の眼に一筋の光が射しました。人々の群れの中から、その光は発していました。光に向かって女は、やにわに走り出します。

 すべてに望みを失っていた女は、最後の望みをイエスさまにかけようとしています。と言っても、公然と人前に出てイエスさまにお願いのできる身ではありません。こっそりと後ろからイエスさまに近づき、その服に触れます。27節から28節、

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1月28日 ≪降誕節第5主日「招待」礼拝≫『いただいた体』 コリントの信徒への手紙一 6章 12~20節 沖村 裕史 牧師

■すべてのことが許されている

 「わたしには、すべてのことが許されている」

 冒頭、パウロはこの言葉を二度も繰り返します。気をつけてみると、この言葉に鍵括弧がつけられています。引用された言葉だということです。ただ、聖書の原文には括弧はありません。翻訳される時に、ある解釈に基づいてつけられたものです。「わたしには、すべてのことが許されている」というこの言葉は、パウロ自身の言葉ではなく、コリント教会の人々の間で語られていたもの、それをパウロが引用しているのだろうという解釈から、ここに括弧が付けられています。その通りだろうと思います。パウロがこの言葉を二度繰り返しているのは、これがコリント教会でよく知られた、多くの人が語っている言葉だったからでしょう。

 その二つの引用の直後に「しかし」とあり、この言葉に対する、何がしかの修正が加えられています。でも、ここで早合点をしてはいけません。パウロは「あなたがたはすべてのことが許されていると言っているが、それは間違いだ」と言おうとしているのではありません。この「しかし」は、前に言われていることを完全に否定してしまう「しかし」ではなく、それを正しいと認めた上で、そこにあることをつけ加える、但し書きをつけるといった働きをしています。

 「わたしには、すべてのことが許されている」。これはパウロ自身の考えでもあるのです。そうでなければ、同じ言葉を二度も繰り返して語るようなことはしないでしょう。もっと言えば、コリント教会の人々がこのように言うようになったのは、パウロの影響によるものだったと言えるのかもしれません。この教会はパウロの伝道によって生まれました。とすれば、パウロがこのように教えていたとも言えるのではないでしょうか。

 パウロが教えていたこととは何だったか。わたしたちが神によって義とされ、救われるのは、わたしたちが正しい行いをしたからでも、立派な人間だからでもない。神が御子キリストの十字架の死によって、罪人であるわたしたちを赦してくださったからだ。わたしたちは、ただ一方的な神の愛によって救われた、ということであったはずです。救いは行いにはよらない。だから、どういう行いをしたら救われ、どういう行いをしたら滅びるのか、ということではありません。たとえどんな罪を犯した者であっても、イエス・キリストの十字架の死による赦しの恵みをいただくなら、救われる。そういう意味で、為すことのすべては許されている。たとえどんな悪いことをしたとしても、そのために救いにあずかれないということはない。パウロはそう教えていたはずです。そういう意味で、「わたしには、すべてのことが許されている」と教えていたに違いありません。

 

■誤解

 しかしパウロはここで、自分自身が教えたことに、ある修正、但し書きをつけ加えようとしています。それは、コリント教会の人々がパウロのこの教えを取り違え、誤解していたからです。どんな誤解をしていたのか。そのことが続く13節、「体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり」という言葉から推察できます。

 コリント教会には、「みだらな行い」をしている人がいました。「みだらな行い」の原語は「ポルネイア」、ここから「ポルノ」という言葉が生まれました。性的な不道徳行為を指す言葉です。具体的には、この後16節にある「娼婦と交わる」ということです。教会の人々の中に、娼婦と関係を持ち、性的な欲望のはけ口とする人たちがいたのでしょう。当時のコリントは人口60万に達する大都市でした。街を一望に見下ろす丘の上に、愛の女神、美の女神アフロディテの神殿が建てられ、そこには千人もの神殿娼婦がいたと言われます。その娼婦たちと関係を持つことがごく一般的に行われていました。そういう文明の爛熟、退廃の中にコリントの教会は置かれ、その影響が入りこんでいました。

 コリント教会の問題は、そのような「みだらな行い」をしている人々が、「わたしには、すべてのことが許されている」というパウロの教えを拠り所に、自分たちを正当化していることでした。「どんな罪を犯した者でも、キリストの赦しによって救われるとパウロ先生が言っていたではないか。だから、こういうことをしてもいい、このことも許されているんだ」というわけです。しかし、それは誤解でした。

 

■本当の自由

 パウロは、「すべてのことは許されている」ことを認めつつも、そこに「しかし、すべてのことが益になるわけではない」、「しかし、わたしは何事にも支配されはしない」とつけ加えています。みだらな行いも、娼婦と交わることも含めて、すべてのことは許されているのです。「すべてのこと」と言うからには、そうしたことも確かに含まれます。これをしたら救いにあずかれない、ということはありません。しかし、許されていることがすべて、自分にとって益となるわけではありません。

 自分にとって本当に益になることは何か。そのことをしっかりと見極め、益になることを追い求め、益にならないことは避ける。それこそが、わたしたちのあるべき生き方ではないのか。そのように歩むことができることこそ、わたしたちが本当に自由であるということなのではないか。益にもならないことにうつつを抜かし、それをやめられないとすれば、それは自由ではなく、ただ欲望に支配され、欲望の奴隷となっているだけのことではないのか。これが、パウロの言おうとしていることでした。パウロが今ここで問題にしていることは、何事にも支配されない、本当の自由とは何か、ということです。「すべてのことは許されている」とは、そのことを語っています。

 わたしたちは、自由ということを自分の好き勝手にすることと勘違いしてしまいがちです。そして、そうできないから自分は自由でない、束縛されていると思い、自由が欲しいと訴えます。しかし、自分の好き勝手にするという自由は、実は欲望の奴隷としての歩みでしかありません。自由であろうとして、奴隷になっています。

 そうしたことは、わたしたちの生活の中に多々見受けられます。わたしたちは自由に使えるお金が欲しいと思い、頑張って働いてお金を貯め、それを使って何かを買うことで、自由を得たような気になります。しかしそれは、お金に踊らされ、購買意欲をそそる巧みなコマーシャルやその時々の流行に支配されて、お金を使わされているだけであったりします。本当の自由とは、すべてのことが許されている中で、しかし欲望に支配されず、本当に必要な、益になることに力を注ぐことができるということです。それこそが本当の自由であり、そういう自由をこそ求めていくべきだ、とパウロは言っているのです。

 このパウロの言葉を味わうために、哲学者・池田晶子の著書『14歳からの哲学』の中から「自由」と題された文章の一部をご紹介します。

 「…自分がしたいことをすることが自由であるということだとする。そして、人が自分がしたいことをするのは、それが自分にとってよいと思われるからするのであって、自分にとって悪いと思われることはしないのだったね。でも、人はそれが自分にとってよいと思われるからするのだけれども、それが本当は自分にとってものすごく悪いことで、そのことを知らないから、それをよいことだと間違えてするとする。だとすると、このとき人は、自分にとって悪いことをしているわけで、決してよいことをしているわけではない。しかし、人は常に自分にとってよいことをしたいはずなのだから、よいことではない悪いことを、知らずにしているその人は、本当は、自分がしたいことをしているのではないということになる。自分では、自分は自分のしたいことをしていると思っているのだけれども、本当は、自分がしたいことなんかしていない。自分がしたいことをしていないのだから、自由ではない。だから、悪いことをすることは自由ではない。悪いことをする自由なんか、ない、と、こういうことになるね。法律によって禁止されているから泥棒や殺人の自由がないのではなくて、たとえ法律の禁止がなかったとしても、それは自分にとって悪いことだから自由なことではないということだ。この違いに気がついているかいないかが、人が自由に生きられるかどうかの分かれ目だ」

 いかがでしょう。

 

■体は主のため

 「だから」とパウロは続けます。13節、

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1月21日 ≪降誕節第4主日「招待」礼拝≫『わたしから離れて』 ルカによる福音書5章 1~11節 沖村 裕史 牧師

■ゲネサレト湖

 「群衆」と記される無数の人々がイエスさまから「神の言葉」を聞こうと、押し寄せるように集まっていました。しかし、そこにシモン・ペトロの姿はありません。ペトロは、ただ黙々と網を洗っているだけでした。

 「漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた」

 この言葉に当時のガリラヤの漁師たちの悲しい歴史が滲みます。

 ガリラヤの湖はその水産資源の豊かさからローマ帝国や領主に目を付けられ、そこで漁をする者たちも彼ら支配者たちの管理下に置かれ、漁獲量の40パーセント近くを税として納めることで漁業権を得ていました。特に塩漬けにされたガリラヤ産の魚はローマでの評判も高く、貢ぎ物として大量に納められるため、漁師たちの口に入ることはほとんどありません。漁師たちはまさに帝国や大土地所有者の収奪の対象でした。

 そもそも、ガリラヤ湖という名は正式な名称ではありません。旧約聖書には、キンネレト湖と記されています。ヘブライ語で「竪琴の海」という意味です。琴を奏でるような漣(さざなみ)、その穏やかな湖が人々にそう呼ばせたのでしょう。ところが、このキンネレトがヨハネ福音書では「ティベリアス湖」と呼ばれています。この名は、ガリラヤ領主の座に着いていたヘロデ・アンティパスがローマ皇帝ティベリアスに諂(へつら)って、湖畔にティベリアスという街を造ったことに由来します。ティベリアスの街を中心に、その湖畔に多くの人が移住させられ、貢ぎ物の生産に酷使されました。最初の弟子であるシモンも、その兄弟アンデレも、そのいずれもがユダヤ系の名前ではなく、ギリシア系の名前です。彼らも、貢ぎ物の生産のために移住させられた人だったのかも知れません。

 そして今日のルカ福音書は、この湖を「ゲネサレト湖」と呼んでいます。ゲネサレトはキンネレトが訛(なま)った言葉だと言われます。しかしそこにもはや、「竪琴の海」といった意味はありません。琴の海という穏やかな名の湖が、ローマ皇帝の名前をとってティベリアス湖と名付けられる。キンネレトという美しい名前の響きも、由来も失われ、ただゲネサレトと呼ばれる。湖の名前の変遷からも、この湖が背負ってきた悲しい歴史が伺われます。そして、そこで漁師を生業とする人々が背負っていた屈辱の歴史も見えてくるようです。

 イエスさまは、なぜ、このガリラヤ湖の湖畔を拠点に宣教活動を始められたのでしょうか。もしかすると、植民都市ティベリアスの建設にあたって、大工であったイエスさまも駆り出されていたのかも知れません。ティベリアスの建設は紀元18年頃のこと、イエスさまが20代の時です。若い大工のイエスさまがその建設に参加させられた可能性は充分にあり得ることです。やがて30歳になって福音宣教を始められたイエスさまは、自分が建設に加わった街にたくさんの人々が移住させられ、ローマに貢ぐ魚が水揚げされ、塩漬けが作られていく様を、またそこで働かされる漁師たちの疲れ切ったその姿をご覧になっていたことでしょう。

 

■空しく網を洗う

 「わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」

 夜通し働いて魚一匹捕れず、陸に上がり、ただ黙々と網を洗うペトロたち。切ない光景です。徒労感が漂い、高揚感や充足感など微塵もありません。

 そんな時に、神の言葉を聴こうなどということは思いもよらないことです。神の言葉を聴くのは心に余裕のあるときのこと。必死になって、この世の生業(なりわい)に生きている人間に、神の言葉を聞きに行く暇などあるものか。信心も悪くはないが、世知辛(せちがら)い、忙(せわ)しない生業を生きる者にとって、それは二の次のこと。妻の母を癒してくださった、力ある方には違いない。しかしそれも、この空しさ、この疲れの中にうずくまるほかない自分にとっては、何の益にもならない、ペトロはそう思っていたのではないでしょうか。

 すぐ傍(そば)近くにいながら、神の言葉に背を向け、耳を傾けようともせず、肩を落として、ただ網を洗っているその姿をご覧になって、いえ、そうであればこそ、イエスさまは彼を招かれました。

 シモンが不信仰であったというのではありません。わたしたちも同じではないでしょうか。祝福された幸せなクリスチャンが、教会の活動に参加し、何もかもうまくいき、友人たちも幸せで、信仰の喜びに満ち溢れている。そこに、思いもよらぬ悲劇が襲い掛かってくることがあります。突然のこともあれば、徐々にという時もあります。いずれにせよ、すべてが変化します。心も家庭も冷ややかになり、神が遠く離れてしまったかのようです。罪の思いに囚われます。誘惑に苛まれます。教会が重荷になり始めます。思い煩いが増し加わります。こうして、中途半端な信仰心は木端みじんに砕かれてしまいます。空しさや思い煩いから逃れようとすべてを投げ出すか、あるいは目の前のことや仕事に熱中することで、信仰生活はさらにおざなりなものとなっていきます。

 このとき、一生に何度かはこんな不漁のときもあると、大漁の喜びを思い起こしつつ空しさを打ち消し、やり過ごそうとするのも、ひとつの道であったかもしれません。しかし、そのように自分で自分の空しさに折り合いをつけるよりも何よりも、その空しく網を洗っているペトロのところに、イエスさまがやって来られたのです。そこに入り込んで来られ、招いてくださるのです。

 

■信仰と不信の間

 「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた」

 馬鹿げたアドバイスでした。ペトロにはいくらでも断る理由がありました。夜通し頑張ったのです。今はもう昼です。漁の時間はとうに過ぎています。疲れ果ててもいます。沖へと漕ぎだす力もありません。わたしにそんな力は残っていません。できません。不可能です。やんわりと、またの時にいたしましょう、と断ってもよかったのです。しかし、ペトロは漕ぎ出します。

ペトロはイエスさまの言葉に従いました。その理由は、ただひとつ。

「お言葉ですから」

この「お言葉ですから」という言葉を原文で読めば、あなたの言葉だけをたよりに、あなたの言葉に賭けて、となります。あなたが語られた言葉に、わたしは従います、賭けます。イエスさまの言葉だけをたよりに、ペトロは踏み込んでゆき、あえて漁をします。

 言葉だけを頼りに、深い湖の中へと踏み込んでゆく。これは、それまでのペトロの知らなかった歩み、新しい歩みでした。自分の力、自分の経験、自分の知恵を頼りとし、過信するのではなく、ただ素直に「あなたの言葉」に賭ける、信仰の歩みの始まりでした。 Continue reading

1月14日 ≪降誕節第3主日礼拝≫『不義に甘んじ、奪われるままに?!』 コリントの信徒への手紙一 6章 1~11節 沖村 裕史 牧師

■正しくない人々に

 冒頭1節に「あなたがたの間で、一人が仲間の者と争いを起したとき」とあります。教会の仲間、信仰者どうしの間に争いがあり、6節にあるように「兄弟が兄弟を訴える」ということが起っていました。

 具体的にどのような争いであったのかは分かりません。ただ、2節に「ささいな」とあります。これは「最も小さいもの」という意味の言葉です。3、4節にも「日常の生活にかかわる事(争い)」とあります。人の人生が大きく左右されてしまうような重大なことではない、小さなことが原因の争いだったようです。

 しかし今、パウロが問題としているのは、もめ事それ自体ではありません。1節後半、

 「聖なる者たちに訴え出ないで、正しくない人々に訴え出るようなことを、なぜするのです」

 パウロは、教会内のもめ事を「聖なる者たち」に訴えずに、教会の外の「正しくない人々」に争いを訴えていることを問題にしています。

 この「正しくない人々」とは、具体的には教会外の裁判官たちのことを指していますが、それは、6節の「信仰のない人々」と同じ意味です。この「正しくない」とは、世の裁判官たちが正義を損なっている、「倫理的に正しくない」ということではなくて、「神を信じていない」「神の救いにあずかっていない」という意味です。

 それに対して、教会内の信徒が「聖なる者たち」と呼ばれているのもまた、信徒たちが倫理的に清く正しい生活をしているという意味ではありません。この手紙から分かるように、コリント教会の人々はそう呼ばれるにふさわしい人々ではありませんでした。これも、神との関係を指す言葉です。神を信じ、神のものとされ、神の救いにあずかっている。それが聖書の「聖なる」という言葉の意味であり、それゆえにコリント教会は「聖なる者たち」でした。

 その上で、教会内の争いはこの世の裁判に訴えるのではなく、自分たちの中で、教会の中で解決すべきだ、とパウロは言います。

 これを聞いて、いやいや、「日常の生活にかかわる事」とは、まさにこの世的な事柄なのだから、この世の裁判に訴えるのが当然ではないか、と思われた人がおられるかもしれません。あるいは、それはただ臭い物に蓋をするということではないのかと、疑義を挟む人がおられたやもしれません。しかし、それは誤解です。

 ここでパウロが言っていることは、直前5章で語っていたことでもあります。そこには、みだらな行いをしている人に対して、教会はその罪をうやむやにするのではなく、愛すればこそ、それを指摘し、救いのために悔い改めを求めるべきだ、そう語られていました。「聖なる者たち」、十字架による「罪の赦しの恵みに生きる人々」は、自分たちの中で起った罪の問題を真正面から取り上げ、愛をもって解決することができるはずだ、パウロはそう教えているのです。

 

■世を裁く

 それなのに、とパウロは言います。5節、

 「あなたがたを恥じ入らせるために、わたしは言っています。あなたがたの中には、兄弟を仲裁できるような知恵のある者が、一人もいないのですか」

 ギリシア文明の中に暮らすコリント教会の人々は、自分たちの知恵(ソフィア)を誇り、高ぶっていました。パウロはその高ぶりを思いつつ、しかしあなたたちには、自分たちのもめ事を仲裁するその知恵もなく、それを教会の外の人に頼んでいる。あなたがたの誇る知恵とは一体どこにあるのか、恥ずかしく思うべきだと皮肉を込めて嗜(たしな)めます。続く6節の「兄弟が兄弟を訴えるのですか。しかも信仰のない人々の前で」という言葉にも、そんな思いが表れています。

 宗教改革者カルヴァンが、このときのパウロの思いをこう語っています。パウロがこう語っているのは、「福音が傷つけられ、キリストの名が不信者の笑いものにされ、あざけりの的とされるからである」。信徒が法廷に出頭するように召喚された場合と違って、「強制されたのでもないのに、自分からすすんでクリスチャンの兄弟を不信者のもとへつき出すような者、いわばほかに手段がないわけではないのに、兄弟を不信者の手にかけて苦しめようとする者を断罪しているのである」と。

 しかし、パウロがこう教えていることには、もっと大切な、もっと本質的な理由がありました。それが2節です。

 「あなたがたは知らないのですか。聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたにはささいな事件すら裁く力がないのですか」

 「あなたがたは知らないのですか」とは、大切なことを語ろうとする時のパウロの口ぐせです。その大切なこととは、「聖なる者たちが世を裁く」ということです。パウロが言う「裁き」とは、この世の、人間による裁きのことではありません。そのことが3節の「わたしたちが天使たちさえ裁く者だということを、知らないのですか」という言葉からも分かります。天使とは神からの使者のことです。その天使をも裁く権威は、すべてのもの、天使をも造られた神だけが持っています。パウロの「裁き」とは、世の裁きの上にある、神による裁き、世の終わりの、最後的、究極的な裁きのことです。その神による最後の審判のときに、聖なる者たち、信仰者たちも、神と共に裁く者とされるのだと言います。神の裁き主としての権威に、わたしたちが共にあずかる者となるのだということです。その約束が、その恵みが、神の独り子イエス・キリストによってわたしたちに与えられていました。マタイによる福音書19章28節です。

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12月31日 ≪降誕節第1主日/歳末感謝礼拝≫『この方が神を示された』 ヨハネによる福音書 1章 14~18節 沖村 裕史 牧師

■見えないけどあるもの

 夜空の星はいいものです。街中ではなかなか見えにくいので、時に九重連峰まで車を走らせ、夜、空を見上げます。ああ、夜空に輝く星は美しい、思わずつぶやきます。夏が近づくと、ちょうど真上あたり、天の河が流れるその中に、三角形が見えます。ベガ、デネブ、アルタイルの雄大な「夏の三角形」です。そして日暮れの早くなる十二月には、東の空に大きなオリオン座が現れます。オリオン座のベテルギウスとおおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンを結ぶと、そこにも大きな「冬の大三角」ができます。

 星の何に惹かれるのでしょうか。

 星は孤独…そんな感じがするからかも知れません。星の孤独に比べれば、自分の孤独も小さく思えます。星はまた尊くて、近寄りがたくて、でもそのくせ近づきたいという気にもさせます。そう、星のよさは距離の遠さなのかもしれません。あれだけ離れていると、日常の雑事も吹っ飛んで、ただ遠く見つめるだけでいい、そう思えてきます。それが星のよさです。

 もう一つあります。不変です。星は簡単には変わりません。わたしが子どものころ田舎の空で見た北斗七星も、この小倉で今、見る北斗七星も同じです。星の数も、ひしゃくの形も、柄の所も同じです。カシオペアも変わりません。変わらずにはおれない人の世と違って、変わることのない星の群れ、それが星の魅力です。いつ、どこにあっても、わたしたちを照らし導いてくれる。そんな不変にあこがれます。

 そして最後にもう一つ。星は、夜は見えるのに、昼は見えません。あるのに見えない。見えないけどあるあるのに見えなかったり、見えないのにあるのは、自分の背中だけではありません。星もです。では逆に、と考えてみました。ないのに見える、見えるのにないものって何でしょう。夢や幻かもしれません。でも、わたしたちは星を知っています。そして、星と同じように見えないけれどもあるもの、あるけど見えないものを知っています。それは希望です。わたしたちは目に見えるものしか見ようとしない世界を生きています。しかし星は、あるのに見えないものを、見えないけどあるものを、希望として抱いて生きることの大切さを教えてくれているように思えます。

 そう、星はまるで神様、イエスさまのようです。

 

■暗闇に輝く希望の光

 そして今年最後の主日に与えられたみ言葉も、闇夜に輝く星のようなきらめきを見せてくれます。14節、

 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」

 「言」(ロゴス)とは、もちろん御子イエス・キリストのことですが、この福音書を書いたヨハネは冒頭1節から13節で、その「言」なる御子イエス・キリストこそ、天地創造の源であり、「いのち」そのものであり、「すべての人を照らすまことの光」である、と語ります。普通の、ただ周りを明るくするだけの光が最初に造られたというのではなく、わたしたち人間とこの世界を導く、「まことの光」として御子イエス・キリストがやって来られた。このお方こそ、この「光」こそ、世の「初め」、世の根源に立たれるお方、この世界と人間に欠くことのできないお方なのだ、そう語るのです。

 そして15節、「光は暗闇の中に輝いている。暗闇は光を理解しなかった」と続けます。口語訳聖書は、この言葉を「やみはこれ(光)に勝たなかった」と訳していました。「光は暗闇の中に輝いている」。「光」である御子イエス・キリストは、この世にあって輝き続けている。「闇」を圧倒し、輝き続けている。

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12月24日 ≪降誕前第1・待降節第4主日/クリスマス「家族」礼拝≫『飼い葉桶に眠る王』 ルカによる福音書 1章 1~7節 沖村 裕史 牧師

 

■沈黙の中に

 御子イエス誕生の記事は、わずか数行の言葉でしかありません。

 しかも、その出来事をめぐる人々の様子だけで、牧歌的な風景も、何の説明もありません。クリスマスは、ただ闇の中に沈んでいるだけでなく、沈黙に支配されているかのようです。

 その夜、地上は眠っていました。天に輝く光に気がついた人もいません。ベツレヘムという小さな町の、飼い葉桶の中に赤ん坊が生れても、天使からお告げを受けた羊飼たちが来るまで、だれも何が起ったかを知りませんでした。生まれたばかりの赤ん坊だけでなく、人々は皆、眠っていました。

 だれもそれに気づきませんでした。ただ神だけが働いておられました。

 神の働き、それは、御子をこの世に遣わされることです。神は闇の中に沈むこの世界に、御子を遣わされました。それなのに、なぜ、世界はこんなに静かだったのでしょう。なぜ、そのことに気づかなかったのでしょうか。

 それは、飼い葉桶の中に来られた救い主が、まことの救い主であったからこそ、だれも気づかなかった、だれにも知られなかったのだ、と言うほかありません。

 人々が、救い主を待ち望んでいなかったというのではありません。ローマの圧倒的な力の下にあって、問題は無数にありました。そのため、だれもが救い主を求めていました。当時、救い主という名は、決して珍しいものではありませんでした。一番分りやすい救い主は、力ある者、軍事的な指導者でした。ローマの皇帝の中で、神として崇められた者こそ、皇帝アウグストゥスでした。アウグストゥスは生きているときに、すでに神として礼拝されていたと伝えられています。そういう人につけられる称号のひとつが、救い主でした。

 一方、ヘンデルのメサイアで歌われるハレルヤ・コーラスの「王の王、主の主」という言葉は、新約聖書、ヨハネの黙示録から採られたものですが、それは、そのローマ皇帝を王とし、主とし、神とすることを強制する国家に抗い、イエス・キリストこそ、王の王、主の主である、とはっきりと告白する信仰の言葉でした。

 政治的、軍事的な王が救い主であるとすれば、その王が崇められるのは、当然のことでしょう。しかし、ダビデの町に生まれたもう一人の王、救い主イエス・キリストが、どこにも泊まるところなく、汚れた飼い葉桶の中に生まれ、宿屋に居あわせた人々や羊飼たちによってしか、救い主として知られていなかったということこそ、実に大切なことでした。

 なぜなら、この救い主がもたらした救いは、この世の力による目に見える救いではない、決してあからさまに語られることのできない、人間のまことの救いであったからです。

 

■救いとは

 まことの救いとは、何でしょう。

 人間はこのことに、どれだけ迷ってきたことでしょうか。どの時代の人間も、どの国の人間も、救いを求めてきました。その中でも人間に最も分かりよい救いは、政治的、経済的、軍事的な救いでした。だからこそローマ皇帝も救い主と呼ばれるようになりました。そしてそれが救いであるなら、それはだれの目にもすぐに見えるものであったに違いありません。

 しかし、そういう救いが「まことの救い」であると、だれが言うことができるでしょう。人間の生活、人生は、目に見える外側のことで尽せないばかりか、実は目には見えない内側のことの方がもっと大切だからです。内にあって、満足しないような救いは、どんなに豊かに見えても、何にもならないでしょう。

 パスカルが「人間は独りで死ぬ」と言いました。それは、人間の生活が孤独であることを示していますが、同時に人間の救いが、どんなに個人的なものであるかということを示しています。人間の生活はもちろん、衣食住など外の物質的な面でも満足できるものでなければなりません。しかしそうなったからといって、だれもほんとうには満足しないものです。それは、内に真実の満足がなければならないということもありますが、それよりは、わたしたちの生活、人生が、自分にだけしか分らないものだからです。いえ、自分と神にだけしか分らないものだからです。

 わたしたちはよく、心の底から、という言葉を口にします。たとえば、心の底から満足する、と。しかし、心の底と言われる、底とは何でしょうか。心の底とは言っても、その底をどうやって他の人に分ってもらうことができるでしょうか。自分の心の底など、どんなに語ってみても語り尽くすことなどできるものではありません。自分の歯の痛いのを他人に知ってもらおうとする時と同じです。いくら話をしても分ってはもらえないでしょう。同じように、わたしたち自身のことも、どう解決しようとしても、根本的には人の力では、また物質をもっては解決のしようがありません。外のことがどんなに整えられても、解決しないことが残るのではないでしょうか。

 たとえば、世の中の制度や環境がどれだけ整えられるようになったとしても、どうにもならないことが人間には残るものです。だれの生活にも付きまとう、幸福とか不幸とか、才能があるとかないとか、丈夫な体に生れついたか弱いかなど、数えあげれば切りがないほどに割り切ってしまえないことがあるものです。それはまた、だれに持っていっても解決のつけようのないことです。ただ、自分と神との間に解決するほかありません。

 その上、いくら説明しても無駄なだけでなく、説明したくない、だれにも知られたくないために説明できない、という場合も決して少なくないでしょう。そのときには、言葉を尽くして話をしても分らないというのではなく、話をしたくないのですから、さらに難しいことになります。

 このように考えると、人間の問題は、何でも明らかにしたらいいというものではなく、明瞭にできないし、明瞭にしたくないものがあるということが分かってきます。人間の問題は、人が互いに話し合って解決できるものではなく、ただ神との間でだけ、取り上げ、解決するほかないことが、はっきりしてくる、そう思わずにおれません。 Continue reading

12月17日 ≪降誕前第2・待降節第3主日礼拝≫『先を進み、しんがりを守られる神』 イザヤ書 52章 7~12節 沖村 裕史 牧師

■喜びの知らせ

 「国破れて山河あり」とは中国・唐の時代の詩人杜甫が詠んだ歌ですがしかし、イスラエルの民には「国破れて山河」さえありませんでした。紀元前6世紀の初め、圧倒的な軍事力を誇る新バビロニア帝国によってイスラエルの国は滅び去ります。ただ滅びたのではなく、エルサレムに住んでいたイスラエルの人々の大半が囚われの身となり、主都バビロンへ連れ去られたのでした。はるか遠くへと連れ去られ、故郷(ふるさと)と呼べる土地も風景も、信仰の拠り所であった神殿さえも失ってしまった、その生活の辛さと惨めさ、何よりも空しさ。それがバビロン捕囚と呼ばれる出来事でした。

 半世紀にも及ぶ長い捕囚生活は、イスラエルの人々に自分たちの信仰や生き方に対する疑念を抱かせるに、十分でした。イザヤ書49章14節、

 「シオンは言う。主はわたしを見捨てられた/わたしの主はわたしを忘れられた、と」

 捕囚の民は「見捨てられた」と感じました。しかし預言者イザヤは、そんな人々に神のみ声を告げます。続く15節、

 「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない」

 忘れることは決してない…。決して忘れない!

 過酷な現実のただ中にあってなお、預言者はこの生活に必ず終わりの時が訪れる、そう確信していました。だからこそ、捕囚の民が大きな喜びで満たされる、その様子を歌うことができました。それが、さきほどの7節から12節の詩(うた)です。長く捕囚の民とされていたイスラエルの人々がその苦役から解放され、バビロンを後にエルサレムに帰って行く、その情景を歌っています。

 「いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は」

 捕囚の民が帰ってくるという噂が聞こえてきます。口伝えに伝えられる「噂」は、現代とは異なり古代社会では、最も信頼に値する伝達手段でした。その噂がイスラエルに残されていた人々に伝えられます。人々は見張りを立て、囚われていた同胞が帰ってくるのを、期待と不安の入り交じった思いで待ちます。ある日、城門に立つ見張りが、向こうのほうから一人の人が走ってくるのを見つけます。

 「彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となられた、とシオンに/向かって呼ばわる」

 「彼」とは使者のことです。彼は本隊に先立ち進み、山々を巡り、町々を行き、捕囚の民が帰って来るという、主なる神による解放と救いの良き知らせを、すべての人々に告げ知らせます。その知らせを聞いた人々は、神の平和が訪れたこと、今まさに救いが実現したことを確信することでしょう。使者の声は、町々村々の隅々にまで響きわたります。

 「その声に、あなたの見張りは声をあげ/皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る/主がシオンに帰られるのを」

 見張りはいち早くその声を聞き、その姿に気づきます。そして町や村の人々に使者の到来を告げます、「あの噂通り、捕囚の民は解放された。もうすぐわたしたちのところに帰ってくる!主の救いがエルサレムにもたらされる!」と。その喜びの知らせが波のように人々の間に広がり、喜びの歌となり、町々、村々に溢れます。

 預言者は最後に、捕囚の民を励ますようにこう告げます。

 「しかし、急いで出る必要はない/逃げ去ることもない。あなたたちの先を進むのは主であり/しんがりを守るのもイスラエルの神だから」

 バビロンからの脱出は、出エジプトのときと同じように、海さえも分けてイスラエルの民を守り導いてくださった主なる神によって成し遂げられると歌います。しかも出エジプトのときとは違って、急いで出る必要も、逃げ去る必要もないと語ります。なぜなら、人々の先頭としんがりに神が立って、故郷目指して帰り行く人々の行列を包み込むようにして、神が守ってくださるから、と。

 

■先を進む

 この詩は捕囚の地で歌われたものです。バビロンから脱出して後、安全が確保されてから歌われたというのではありません。しかも、今ここで「歓声を上げ、共に喜べ歌え」と呼びかけられているのは「エルサレムの廃墟」です。喜び勇んで帰って来た人たちが目の当たりにするのは、廃墟と化したエルサレムです。満足な家もない、畑も荒れ果て収穫の目処もつかず、食べる物とてない。それが、必死の思いで、文字通りいのちがけで帰って行く人々が目の当たりにするであろう現実なのです。それなのに、どうして喜ぶことができるのでしょうか。

 意気消沈している人々の姿を見つめながら、それでもなお預言者は「歓声を上げ、共に喜べ歌え」と語りかけます。それでもなお預言者は、池に投げ込まれた小石の波紋が隅々にまで拡がるようにエルサレムが、さらには地の果てまでもが喜びで満たされる、そんな出来事が今ここに起ころうとしていると歌うことによって、神による救いと解放を信じて、今ここを生きるようにと励ますのです。

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12月10日 ≪降誕前第3・待降節第2主日礼拝≫『共に赦された者として』 コリントの信徒への手紙一 5章 9~13節 沖村 裕史 牧師

 

■みだらな者と交際してはいけない

 パウロは以前の手紙で、「みだらな者と交際してはいけない」と書き送っていたようです。この5章には、コリント教会で起っていた「みだらな行い」、性的な不道徳の罪について語られていますが、パウロは前に書き送った手紙でも、その問題に触れ、そういうことをしている者と交際してはいけない、と教え諭していたようです。

 「その意味は」と10節に続きます。前の手紙に書いた「みだらな者と交際してはいけない」という教えの意味を、今、改めて語ろうとしています。それは、前の手紙に書いたことを誤解し、また曲解している人々がいたからです。どんな誤解、曲解だったのか。

 「その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう」

 みだらな者や強欲な者、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つき合ってはならないとパウロが言っている、という誤解です。わたしはそんなことを言っていない、とパウロは言います。そんなことを言えば、わたしたちの誰も、この世で生きていくことなどできなくなってしまう。この世は、みだらな者や強欲な者、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちで満ち満ちている。そういう者と一切交際しないとすれば、この世を捨てて修道院のような所で隠遁生活を送るしかなくなってしまうではないか、ということです。

 この世を離れて禁欲的な生活をすることを信仰的だとする人がいますが、パウロはそうではありません。パウロはこの世にあって福音を宣べ伝えることを良しとします。だから、このような者とは一切つき合うなと言っているのではない。パウロの真意は11節です。

 「わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです」

 問題は「兄弟と呼ばれる人」です。兄弟とは、主にある兄弟姉妹、教会に共に連なっている教会員のことです。その中に、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいるなら、その人とはつきあってはいけない、一緒に食事をしてもいけない、とパウロは言います。

 

■過越祭を祝う群れ

 教会の外にいる人々には、つきあうな、一緒に食事もするななどとは言わない。しかし、教会の内にいる人にはそう言う。一体、どういうことでしょうか。今、パウロが語ろうとしている真意とは何でしょうか。注目いただきたいのは、直前の7節から8節の言葉です。そこにこう書かれていました。

 「いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか」

 パウロは、キリストがわたしたちの過越の小羊としてすでに屠られたのだから、わたしたちも過越祭を祝おうと言います。教会は、過越祭を祝う群れです。過越祭は本来、イスラエルの民の最大の祭りで、エジプトで奴隷とされ苦しめられていたイスラエルを、神が解放し、救い出してくださった、そのことを喜び祝う祭でした。パウロは、わたしたち教会もその過越祭を祝おうと呼びかけます。教会にとっての過越祭とは、神の独り子イエス・キリストの十字架の死によって、神がわたしたちの罪を贖い、罪の支配から解放し、新しく生きる者としてくださった、その救いの出来事を喜び祝うことです。ユダヤ人の過越祭では、過越の小羊が屠られ、その肉を共に食べる過越の食事がその中心でした。教会の過越祭の中心にも食事がありました。それが聖餐です。
 
 わたしたちは、主の十字架によって罪の赦しの恵みが自分に与えられていることを信じて洗礼を受け、聖餐によってその信仰をより確かなものとされ、喜びと希望をもって日々の人生を歩みます。わたしたちはこのことを忘れてはなりません。そしてパウロもまた、このことを踏まえた上で、教会の内部と外部の区別を語っているのです。

 

■罪の赦しの恵みを知っているか

 とすれば、内と外、兄弟姉妹とそうでない人々、教会と世間との違いとは、キリストの十字架による罪の赦しの恵みを知っているかどうか、その恵みによって生きているかどうか、ということです。ここにパウロの真意を解く鍵があります。

 パウロが今、教会で起っている罪を真剣に問い、その悔い改めを求めるために、そういうことをしている人とはつきあうな、一緒に食事もするなと厳しいことを言えるのは、教会の内部と外部とを、教会とその外の人々とを、はっきりと区別しているからです。

 それは、教会に連なる者であるあなたたちは、もうすでに主による罪の赦しの恵みを知っていて、その恵みをいつも喜びつつ生きる者だからこそ、あなたたちは、互いに罪赦された者として、互いへの愛をもって、互いの罪を真剣に問い、互いに悔い改めを求めることができるはずだ、あなたたちはそういう群れではないのかということです。

 12節にある、外部の人々を裁くことはわたしたちの務めではない、内部の人々をこそ裁くのだという言葉は、外部の人に対してはやさしい顔をするが、一旦信者になり、教会員になり、内部の人になったら、今度はびしびしと厳しい規律で締め上げる、ということではありません。内部の人、信仰者とは、洗礼を受けて主につながる者となり、主の十字架によって決定的に罪赦されているという大きな喜びに生きる者のことです。だからこそ、その人たちには罪を指摘し、悔い改めを求めることができるのです。確信をもって、主による赦しの恵みに立ち返ることができるからです。

 しかし外部の人々、教会に連なっていない、主による罪の赦しの恵みを信じ受け入れていない人々には、そのように罪を指摘することはできません。彼らは立ち返るべき赦しの恵みをまだ知らないからです。赦しの恵みを知らない人に対して、あくまでもその罪を断罪していくとすれば、それは相手を滅びへと追い詰めだけのことです。それは、わたしたちの分を越えたこと、人がしてはいけないこと、神だけがおできになることです。13節の「外部の人々は神がお裁きになる」とは、そのことです。外部の人の罪がどうでもよいのではなく、それは神にお任せするしかないのです。

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11月26日 ≪降誕前第5主日/収穫感謝「家族」礼拝≫『若枝のように』 エレミヤ書 23章 1~6節 沖村 裕史 牧師

≪お話し≫(こども・おとな)

「ここから始まるクリスマス」 井ノ森高詩 役員

 

≪メッセージ≫(おとな)

「若枝のように」 沖村 裕史 牧師

■感謝

 今日、わたしたちは収穫感謝日をお祝いしています。この祝いの日に、わたしたちが聖書から学ぶべきは、何よりも神の、イエスさまの愛の眼差しが今も、わたしたちを捕らえて離さない、ということです。すべてのもの、すべてのことが神によって備えられている、そのことへの感謝です。そしてまた、そこに生まれる明るい自由です。それはわたしたちの力でも、手柄でも、何でもありません。だからこそ、わたしたちは自由です。だからこそ、わたしたちは喜びに満たされます。このことをわたしたちに与えられた恵みとして、心から感謝したいと思います。

 そこで今日はまず、「感謝」と題された一文をご紹介して、メッセージを始めさせていただきたいと思います。

 「幸せなことがあれば感謝するのは当然ですが、もしそれだけのことなら、感謝とは、自分にとって幸せか否かで人生を選別する、まことに身勝手な感情に過ぎないことになります。しかし感謝とは、そんな自分本位の小さな感情ではない筈です。それは、人生の大きな包容の中にある自分を発見することなのです。それは一つの自己発見であって、幸福に誘発された感情ではないのです。そして、幸・不幸を越えて包容する大きな肯定の中に自分を発見した人は、すべての事態を受けとめるでしょう。感謝する人は逃げない人です」(藤木正三『灰色の断想』より)

 

■祝福の約束

 エレミヤ書23章4節、

 「『……彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない』と主は言われる」

 わたしたちは、毎日、「だめ」「いや」「あっちいけ」「どうせ」など、いろんな否定の言葉に出会います。社会の中で弱い人が苦しむ姿に心が竦(すく)み、痛みます。自分の弱さや限界にも出会います。自分は神様に見捨てられたのではないかと思うこともあります。

 今日のみ言葉の直前も実は、徹底的な否定の言葉で終わっていました(22:30)。ダビデ王国の終焉―それは紛れもなく神の審判によるものでした。

 それでも、その審判は最後的なものではありませんでした。確かに、民を顧みることのなかった王に対して、その罪深い行いゆえに神は責任を取らせようとされます。しかし神は民を裁かれたわけではありません。羊を滅ぼした羊飼いには裁きを下されますが、羊自身のいのちには目を向けてくださるのです。神の天地創造における祝福、アブラハムへの救いの約束は、歴代の王たちの愚かな行いによって損なわれることはありません。

 「『このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす」

 この3節の言葉は、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」という創造の祝福の回復を告げる言葉そのものです。羊たちは本来いるべきところ、すなわち神の祝福へと集められます。そこには不安も恐怖もありません。そこから迷い出ることもない、と約束されています。

 

■若枝、それはひこばえ

 その約束のしるし、その確かさは、切り倒された切り株から生え出る若枝として描かれています。5節、

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11月19日 ≪降誕前第6主日礼拝≫『恵みにふさわしく』 コリントの信徒への手紙一 5章 1~8節 沖村 裕史 牧師

 

■みだらな行い

 パウロは、この教会の生みの親として踏み込んだことを、今、教会に起っている問題、罪、「みだらな行い」について、はっきりと指摘します。

 「みだらな行い」と訳されるギリシア語は「ポルネイア」、「ポルノ」という言葉の語源です。不正な男女関係一般を表す言葉です。ただ不正な男女関係と言っても、いろいろなケースが考えられます。今、ここで指摘されているのは「ある人が父の妻をわがものにしている」ということです。これを直訳すれば「父の妻を持っている」となります。わざわざ「父の妻」と言うのですから、これは血のつながった「母親」のことではなく、父親の「後妻」か、「内縁の妻」のことだと思われます。父親の死後、息子が義母に当たるその女性と関係を持っていたのでしょう。

 それは、性的な関係について比較的寛大だった当時のギリシア、ローマにおいても忌み嫌われることでした。「異邦人の間にもないほどのみだらな行い」という言葉から、そのことが伺えます。ギリシア、ローマの人々の間ですら見られないような「みだらな行い」が、コリント教会の中で行われていたのです。それはもちろん、旧約聖書の律法においても厳しく禁じられていることでした。十戒の第六の戒め、「姦淫してはならない」に相当する罪です。

 コリントと同じく、「不倫は文化」と平然と言われる時代を生きるわたしたちです。今日の話を始めるにあたって、改めて「姦淫」についてのこの戒めの意味に触れておきたいと思います。

 聖書における姦淫は、自分の夫あるいは妻以外の人と、あるいは他人の夫あるいは妻である人と性的な関係を持つことです。それはそもそも、男女の性的関係が基本的には結婚した夫婦の間においてのみ行われるという前提の上に、結婚という関係性の上に成り立つものです。

 では、聖書は結婚についてどのように語っているのか。創世記2章18節以下、まず「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」とあります。神が人間を男と女に造られたのは、人は一人で生きることなどできない、「彼に合う助ける者」と共に生きるべきだ、ということです。「合う助ける者」とは、単なる「補助者、助手」ではなく、ヘブライ語の元々の意味は、「向かい合って共に生きる」ということです。互いに向かい合い、助け合って生きる相手、そういうパートナーのことを指しています。

 神は、人の体の一部、あばら骨を取ってそんなパートナーをお造りになりました。人の体の一部からとは、本質において同じ者、同等な者として造られたということです。しかしその「男」が聖書の言葉ヘブライ語で「イシュ」、「女」は「イシャー」と呼ばれています。同じ言葉の語尾が変化した形です。そこには、同じ人間でありつつ、しかし違う者であるという思いが込められています。同じ人でありかつ異なる存在、そういう男と女が向かい合って、助け合いながら共に生きていく。そのために、人は男と女とに造られました。

 そして最後に、男と女に造られた意味、そのあるべき姿が具体的に示されます。「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」。「父母を離れて…結ばれ」とは、それぞれに親から離れ、一個の自立した人格として結ばれること、その結びつきが社会的なものであることを示しています。それが、あるべき関係、婚姻関係であると理解されることになりました。

 これが聖書の語る結婚の意味、人のあるべき姿です。とすれば、自分の夫や妻以外の人と性的関係を持つことは、向かい合って共に生きるべき相手を裏切り、向かい合うことをやめてしまうことを意味します。それは、相手に対する裏切りであるだけでなく、社会的な関係を損なうことであり、また何よりも互いをパートナーとして向かい合って共に生きることを祝福してくださっている神の御心を踏みにじることになります。姦淫は、殺人や盗みと並ぶ、しかも殺人の次に位置づけられる罪です。姦淫は、裏切りによって、神が与えてくださったかけがえのない祝福された男女の関係を、とりわけ夫婦の関係を破壊し、そうすることによって、実に相手を殺してしまうことでした。

 

■悔い改めを求める

 わたしたちはこれから、それほどの罪とパウロがどう取り組み、どのように解決しようとしているのかを、ご一緒に学ぶことになります。

 まず、冒頭1節の「現に聞くところによると」という言葉に注目してください。パウロはこの問題が起っているということを人伝(ひとづて)に聞き、そのことを問題にしています。大切なのは、ここで「現に」と訳されている言葉です。これは「至る所で、いつも」という意味の言葉です。つまり、パウロがコリント教会の「みだらな行い」について聞いたのはこれが初めてではなく、それは既に至る所に広まっていた、ということでしょう。ちょっと小耳にはさんだ噂、憶測で、これを書いているのではありません。繰り返し耳にしたことについてよく確かめた上で、この手紙を書いています。やむなく人の罪を指摘し、それを問題としていかざるを得ない時に、何よりも留意すべきことです。

 とはいえ、この手紙は、教会あての公の書簡であって、個人あての私信ではありません。コリントの教会の人々の前で朗読されるものです。当時の礼拝説教であっただろうと考えられています。みんなが聞いているその説教の中で、この問題が指摘されているのです。わたしたちの感覚からすると驚くべきことかもしれません。こうした問題が起った時によくなされる対応は、事を公にはせず、しかるべき人が個人的にその人と話をし、事情を聞き、忠告し、事を荒立てず、内々に処理しようとすることが多いのではないでしょうか。しかしパウロは違います。この違いはどこから生れてくるのでしょうか。

 パウロが最も大切にしていることは、教会を、イエス・キリストの救いの恵みを受け、それに応えて生きる者の群れとして整えることでした。だからこそ、この「みだらの行い」を教会と信仰者にとって極めて重い問題と受け止めました。今、パウロがコリント教会の人々に求めているのは、2節後半にある、「むしろ悲しんで、こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか」ということです。

 このような罪を犯している者を自分たちの間から、つまり教会から除外する、いわゆる「戒規」を執行するということです。そのことを彼は求めます。そんな厳しいと思われるかもしれません。しかし、戒規というものは本来、罪を犯した者を教会から追い出すことによって教会を清く保とうとするためのものではありません。彼を戒規によって処分するのは、教会が毅然たる態度で、その人に「悔い改め」を求めるためです。彼が自らの過ち、罪に気づき、悔い改めるなら、教会は再び彼を仲間として迎え入れることになります。戒規とはそのことをこそ目指すものです。罪を犯した人を切り捨てるのではなく、その人を本当の友として再び取り戻すことが目的です。

 パウロが求めていることも、それです。教会が、彼を含めてもう一度、イエス・キリストの福音―主の恵みによって生きる群れとなることを、彼は願っているのです。キリストの福音の中心は確かに罪の赦しです。しかしそれは、ただ罪を大目に見ることではありませんし、ましてや、見て見ぬふりをして蔽い隠すことでもありません。

 キリストの十字架の死による罪の赦しを受け入れたとき、人はみな、自らの罪を悔い改めたはずです。教会はいわば、悔い改めた者の群れです。悔い改めがなければ、罪が赦されないというのではありません。むしろ逆です。赦しが先です。罪は赦された、赦されているのです。どれほど罪深い者であったとしても、そんな自分の罪が赦されていると知ったとき、だれもが心から悔い改めざるを得ないでしょう。そして、悔い改めにふさわしい、新しい人生を歩み始めようとすることになるでしょう。

 

■赦された者として

 ヨハネによる福音書8章1節から11節に描かれる、イエスさまの印象的な言葉が思い出されます。 Continue reading

11月12日 ≪降誕前第7主日礼拝≫『力としての福音』 コリントの信徒への手紙一 4章 14~21節 沖村 裕史 牧師

 

■愛する子

 心の重くなるような手紙です。書いているパウロ自身、実に重い気持ちの中で、それでも心を込めて懸命に相手を諭そうとしている様子が伺えます。冒頭14節、

 「こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです」

 「恥をかかせるためではなく」ということは、逆を言えば、ここに書かれている言葉がコリント教会の人々の心にぐさりと突き刺さり、彼らを恥入らせるようなものだということです。しかしそれは、決してあなたがたを辱めたり、やり込めたりするためのものではない、パウロはそう語り始めます。そしてその思いを分かってもらうために、パウロは自分とコリント教会との特別な関係を人々に思い起させようと、「愛する自分の子供」-わたしはあなたたちの父親であり、あなたたちはわたしの子どもです、と呼びかけます。

 ご存知のように、コリント教会はパウロの伝道によって生まれた教会です。パウロが去った後、いろいろな教師がやって来てはこの教会を指導しましたが、彼らの信仰はパウロによって植えつけられたものでした。15節、

 「キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです」

 「教育学」という英語 pedagogy の語源が、ここに「養育係」と訳されているギリシア語 paidagogos です。当時は、学校制度が今日のように普及していなかったため、子どもたちのしつけや教育のために家庭教師が採用され、中には戦争で捕虜となった教養ある奴隷が養育係として雇用される例が数多くありました。子どもたちの教育と成長が、その養育係の手に委ねられました。

 その養育係がたとえ一万人いたとしても、本当の父親はただ一人、コリント教会にとっての父親はこのわたし、パウロである。「わたしがあなたがたをもうけた」とあります。この「もうけた」とは「生んだ」という意味です。あなたたちを生んだのは他の誰でもない、このわたしではないか。わたしは今、父親として、愛する子どもであるあなたたちを諭しているのだ。わたしの語る言葉がどれほど厳しく響こうとも、どうか、父親による愛の言葉として受けとめてほしい、そうパウロは語りかけます。

 

■わたしに倣う者になりなさい

 およそ、人を「諭す」ことほど難しいことはないかもしれません。諭す人と諭される人の間に信頼がなければ、諭すことは失敗に終わります。そのため、諭し、戒めようとするそのとき、誰もが足踏みをすることになります。

 それでも、諭すことが生かされる道があります。その一つの道は、「愛する自分の子供として」とパウロが呼びかけたように、諭す人が愛をもって諭すことです。権威主義的になって、地位を振りかぎしたり、知識をひけらかしたりするのではなく、その人に仕え、その人を愛する心があるかどうか、そのことが問われます。

 わたし自身、貧しい経験の中で、諭すことに失敗してしまったことが何回もあります。振り返えれば、わたしにその人への愛があったのかどうか。単に自分の面子がつぶれるとか、プライドが傷つけられたとか、そんな思いが心の中にあったのではないか。忸怩たるものがあります。

 そんな愛をもって諭すとき、パウロが語り勧めることは、16節「わたしに倣う者になりなさい」ということでした。これが、諭すことが生かされる二つ目の道でした。諭す人が諭せる人かどうかは、言葉ではなく、その人の「生き方」をもって諭せるかどうかにかかっています。

 あなたたちはわたしの子どもなのだから、父であるわたしに倣う者となってほしい。これは、「わたしのように立派な、きちんとした、清く正しく、強い者になれ」ということではありません。「わたしに倣う者となれ」と言われているその「わたし」とは、直前10節にある「わたし」です。あなたたちはキリストを信じて、賢い者、強い者、尊敬される者となっているが、わたしは愚か者、弱い者、侮辱される者となっている。そんなわたしのようになりなさいということです。

 「わたしに倣う者になりなさい」という言葉は、パウロの自信の表れではありません。自信を持って生きているのはむしろ、コリント教会の人々の方です。自信満々のコリントの人々に、自分への自信を支えに生きることをやめ、弱い者、何も持たない貧しい者となって、ただキリストの恵みにすがり、神の愛に委ねて生きる者となりなさい。そうパウロは教え諭すのです。

 

■テモテを遣わす

 そのためにこそ、パウロはテモテをコリントに遣わしました。17節後半に「至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう」とあります。コリントの人々が以前、見て知っていたはずなのに、忘れてしまっているパウロの生き方―弱い者、貧しい者、愚かな者として、ただひたすらキリストに依り頼んで生きる姿―をもう一度思い出させ、そのような生き方をこそ、見倣っていくべきであることを教えるためでした。

 パウロがこの手紙を書いていたのは、コリントからエーゲ海を挟んだ対岸にある小アジアのエフェソでのことだったと言われます。エフェソからコリントまでの道程(みちのり)は決して楽ではありません。陸路を行くにはエーゲ海を大回りしなければなりませんし、船で行くには季節を選ばなければなりません。それに加え、使徒言行録19章に、そのエフェソ伝道の最中、町全体を巻き込むような騒ぎが起ったときの様子が描かれています。そのため、なかなかコリントへ行くこともできず、コリント教会の人々とパウロとの間の溝を深める結果にもなったようです。パウロはもうコリントには来ないという噂が広がり、ある人々には失望を与え、またある人々には教会がパウロの影響から抜け出す絶好の機会と感じられました。18節の「わたしがもう一度あなたがたのところへ行くようなことはないと見て、高ぶっている者がいるそうです」という言葉には、そのような人々に対する失望と皮肉が感じられます。 Continue reading

11月5日 ≪降誕前第5主日/聖徒の日・永眠者記念礼拝≫『信仰によって歩むとき』 ヘブライ人への手紙 11章 1~2, 17~31節 沖村 裕史 牧師

■神からの光

 さきほどご一緒に告白した使徒信条にある「聖徒の交わり」としての教会には、この地上を生きるわたしたちだけでなく、天にある方々をも含んでいます。その天に召された方々のお写真に囲まれて、わたしたちはこの手紙の12章1節の言葉通り、まさに「多くの神の証人に雲のように囲まれて」、この礼拝を守っています。そのことを信じる時、わたしたちは、天に召された方々が決して「失われた人々」ではなく、いのち与えくださった神の恵みによって、わたしたちと共に今もその御手の内におられる、そう確信することができます。

 そしてここにお写真があるすべての方が、信仰によって生かされ、信仰の内に天に召されました。ここに飾られたお一人ひとりのことを思い起こしつつ、「信仰によって生き、死ぬ」とはどういうことなのか、そのことを皆様とご一緒に学んでいきたい、そう願っています。
 
 今日、わたしたちに与えられた聖書の言葉は、ヘブライ人への手紙11章です。これは実際の礼拝で語られた説教だと言われます。その説教の中に「信仰によって」という言葉が19回も繰り返されます。「信仰によって」という言葉に導かれながら、旧約の時代を生きた「信仰の証人たち」の長い記録がここに綴(つづ)られている、そう申し上げてよいでしょう。信仰の証人とは、神を心から信じる信仰をもって歩んだその人生の中で、神からどのような恵みを与えられたのかを示す、証(あかし)している人々のことです。説教者は、その証人たちの歩みを一つひとつ辿ることによって、神から与えられた信仰の賜物が完成されていく姿を、「信仰によって」という言葉を重ねて、ここに語っています。

 では、信仰者たちの信仰の賜物、恵みはどこに見出されるのでしょうか。ここに語られているアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、そしてモーセに共通する場面があります。そのいずれもが死に直面しています。

 アブラハムは、独り子の死を前に苦しみ悩みながらも、愛するわが子を神へ捧げる、そのいのちを神に委ねることができました。その子イサクの死については何も語られていませんが、イサクが二人のわが子を祝福したのは、創世記によれば、彼が死の床に着いていたときのことでした。ヤコブについての言葉も印象的です。21節、「杖の先に寄りかかって神を礼拝した」。もう立てなくなっていたということです。神を拝むにも、もう杖に取りすがらなければならない者が、しかしそこで自分の死を嘆くのではなく、自分の子孫のために祝福を祈りました。ヨセフは大国エジプトの大臣にまでなっていましたが、自分が死んで葬られる場所はここではないと決めていました。自分の遺体が約束の地カナンに運ばれることを望み、自分の子どもたちがエジプトから安住の地へと戻って行く姿を思い浮かべています。死に直面しながら、なお祝福を望み見たのです。

 ある方が、もはや回復の見込みもない病の床にありました。ご家族から、天に召されたときには葬儀を教会でとご連絡がありました。病床をお訪ねすると、重病であるはずのその方が姿勢を正すようにしてこう語られます。自分の父も母も信仰を持って死んでいった。それも晩年ようやく信仰を得てのことだった。自分もまた父や母と同じ信仰を得て平安を得たい、と言われます。厳しい闘病生活を続けてこられ、言葉にできない苦しみと痛みを味わう中、平安を求めて神と共にあることを願っておられました。受洗の準備を進めている最中、病状が急変され、心臓が一度止まりました。間に合わなかったかと思いつつ病床に急ぐと、奇跡的に意識が戻っておられました。改めて洗礼の意思を確認し、すぐに緊急の洗礼式を執り行いました。最後の日、しばらく傍らに付き添い、聖書の言葉を読み、共に祈りを献げました。その間ずっと、穏やかな笑みを浮かべておられました。まだ心臓に力がありそうだとお聞きし、安心して帰ったその直後、天に召されました。67年のご生涯の中、わずか一週間の信仰者として生き、平安の内に天に召されました。

 この人もまた、アブラハム、イサク、ヤコブ以来の信仰の恵みの中に立たれた、と思わずにはおれません。目に見えるのは自分の重い病、もう帰りたいと憧れていた家に帰ることもできず、まして職場に復帰することなど到底叶いません。目に見えるのは、すべての望みが断たれた現実でしかありません。しかし、その向こう側に光を見ることがおできになったのです。

 わたしたちにも、その光を見ることができます。いのちの主である神からの光です。この手紙の説教者は今、そのことを語ろうとしています。

 

■信じる力

 続く27節にも、力強い信仰の言葉が語られます。

 「信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、耐え忍んでいたからです」

 モーセの目に見えていたのは「王の怒り」です。王の怒りが強力な軍隊として見えています。死の可能性が、いえ、死がはっきりと見えています。しかしそこで、モーセは「目に見えない方」を信じました。まるで見ているかのように確かな現実として、神を信じました。そしてその信仰は、目に見える現実に耐える力として現れると言います。「目に見えない方を見ているようにして、耐え忍んでいた」、これこそ「信仰によって」生かされている者の姿です。

 冒頭1節の言葉が重なってくるようです。

 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」

 この言葉に従えば、信仰とは、目には見えないものが事実であり、期待しているものは必ず来る、と確信することです。この「望んでいる」とは、ただ憧れをもって待ち望むということではなく、「確信をもって待つ」ことです。

 キリスト教が激しく迫害されていた時代のローマで、裁判官の前に引き出された名もないひとりの信徒が語った、印象深い言葉があります。「わたしが神に対して真実であるならば、神はわたしに対して真実であるお方です。だからわたしはどんなことがあっても信仰を捨てません」。この言葉に対して裁判官は問いかけます。「お前のような者でも神のところへ行って、栄光が受けられるとでも思っているのか」。信徒の答えはこうでした。「わたしはただそう思っているのではなく、事実そうであることを知っています」と。

 信仰をもって生きているわたしたちにとって、また、信仰に生きたご家族の姿を身近にずっと見つめて来られた方々にとっても、思わず頷かざるを得ない言葉ではないでしょうか。「信仰によって」、わたしたち信仰者に与えられる希望とは、おそらく良い結果をもたらしてくれるだろうといった、はっきりしない望みではなく、それが事実である確かさを知る、ということです。

 この手紙の中に名前を挙げられた誰もが、苦難の中の苦難、試練の中の試練とも言うべき「死」を恐れませんでした。それは、彼らが勇猛果敢な人間であったからではなく、いかなる苦難にも、死にも打ち勝つ力を持つ、いのちの主である神を堅く信じていたからです。自分の死のことだけ、自分の困難や苦難だけを考え、囚われ、それだけを見つめている人は、苦難や死への不安の前に手も足も出ず、ただそれを恐れるばかりとなります。しかし信じる者たちは、自分たちに約束された神の言葉をたえず覚え、死ぬ直前にもそのことを思い起こして、後に続く者たちのことを祝福することができたのでした。

 苦難と不安に囚われ、縛られた人生に自由はありません。そこから解き放たれるとき、本当の自由が与えられます。苦難と死からの本当の自由が与えられるのです。それが信仰の力、信じる力です。 Continue reading

10月29日 ≪降誕前第9主日/招待礼拝≫『立って、行こう!』 ヨハネによる福音書 5章 1~18節 沖村 裕史 牧師

 

■「三十八年」

 舞台は「ベトザタ」と呼ばれる池の畔(ほとり)です。

 「ベトザタ」とは「あわれみの家」または「恵みの家」という意味です。その場所にあった五つの回廊に、「病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた」、その中に「三十八年も病気で苦しんでいる人がいた」とあります。

 これは遙か昔の、どこか遠くの場所のお話というのではありません。わたしたちの周りにもこういう方々がおられます。施設に入っておられた一人の女性をお訪ねしたときのことです。「このホームに入られて何年になられますか?」と聞きますと、「15年です」というご返事。同じ施設に入っておられたパートナーは、「脳出血で倒れてから、もう10年近くベッドに寝たきり」の状態でした。

 それにしても、「三十八年」とはずいぶんと長い年月です。古代ローマ人の平均寿命は、20歳から25歳程度でした。乳幼児の死亡率が15%から35%程度と高かったせいもありますが、5歳以上まで無事に成長できた子どもでも、多くは40歳代の寿命であったと言います。ここに出てくるその人が、何歳なのか分かりません。がしかし、人生の大半を病気と共に生きてきた人であることだけは確かです。

 その人がそこで何をしていたのか。3節の後に十字架のようなしるしがあって、よく見ると4節の言葉がありません。これは、もともとの聖書にはなかったと思われる言葉を示すしるしです。福音書の最後の頁に「水が動くのを待っていたのである」と書かれています。「水が動く」とは、水の底から時々「ボコ、ボコ」と温泉のわき水が噴き出してくる間欠泉のことだろう、と言われます。水の面(おもて)が動くように見えました。しかも温泉ですから病気に効くに違いないと考え、「これは天使が水を動かしている。だれでも真っ先に入った人はいやされる」という伝説が生まれました。病に苦しむ人々、身体の不自由な多くの人々が、水の面が動くのを毎日待っていました。一日か、一か月か、一年か、十年か、いつとも分からぬままに「三十八年」、ただじっと水の面を見つめ続け、水が動くのを待っていました。そういう生活でした。

 

■孤独と絶望

 そこにイエスさまが来られて、彼に尋ねます。

 「良くなりたいか」

 こう問われた彼は「治りたいのは当たり前でしょう」とは言いません。ただ、「主よ、水が動くとき、わたしを池に入れてくれる人がいないのです。わたしが入りかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」と嘆き、訴えます。

 「わたしには助けてくれる人がいないのです。だから、自分で這いずりながら前に行こうとしても、他の人が先に入ってしまうのです。悔しい。憎らしい。妬(ねた)ましい。誰も助けてくれないのです。わたしを見て、立ち止まってくれる人などいません。だれも声ひとつかけてくれません。悲しい。寂しい。苦しいのです」

 毎日、水面(みなも)だけを見つめながら生きる人の、虚しさと絶望が伝わってきます。だれも自分がここにいることにさえ気づいてくれない。親も兄弟も、友人も隣人も、だれも自分のことなど考えてもくれない。「三十八年」、そんなふうに悩み苦しんでいた人のことが、ここに描かれています。

 福音書には、現実にいた人たちのことが書かれています。イギリスのボルンカムという聖書学者は、当時の情報とは基本「人の噂」であった、その中でもより信頼度が高いのは具体的な人の名前や地名で語られる噂であった、聖書の多くの記事はそのような噂、伝聞に基づくものだった、と言います。「ベトザタ」という具体的な地名。「あわれみの家」「恵み家」と呼ばれるその場所に、その名とは裏腹に、病人たちが我先に水の中に飛び込もうと互いを警戒し、互いに敵視し合っているような情け容赦ない場所で、長きにわたって嘆きと悲しさ、虚しさと絶望、憎しみと妬みに明け暮らしている人が、確かにいたのです。

 

■立つがよい!

 横たわっているその人をご覧になって、イエスさまは「良くなりたいか」と声をかけられます。

 無神経な問いのように思えます。治りたいと願うのは当たり前のことです。一見無神経とも思われるその問いを、イエスさまはなぜ発せられたのでしょうか。それは、諦めや絶望ではなく、恨みや妬みでもなく、いやされたい、生きたいという願いを持つことが、今、生かされてあることへの感謝を持つことが、何よりも大切だからです。

 病気をした人であれば、誰でも覚えがあるでしょう。病気をしている間は治りたい、痛みに悩んでいる間は痛みから解放されたいと願います。それは当然のことです。しかし、いやしから見放され、病が体と心に住みついてしまうと、絶望し、ついには諦め、本気でいやされることを願わず、自分で健やかになろうという強い願いを持つことができなくなることがあります。生かされ生きていることの不思議、恵みに感謝することができなくなります。いやしへの強い願いを失った人を、いやしへと励ますことは、とてもむずかしいことです。

 悩みを心に抱えて苦しむ人もそうです。苦しいと訴えるその話を聞いて、「いやいや、あなたの苦しみなどは大したことはない」などと言えば、たいていの人は怒ります。「あなたの苦しみは思い込みに過ぎない」などと言っても、その言葉が受け入れられるはずもありません。

 「三十八年」も病の中にあったのです。病気はそのまま、彼の人生です。それなりに生きる形ができ、慣れてしまっていたとしても、おかしくはありません。だから彼は、いやされる前に「良くなりたい」と言わず、いやされた後も、特別に喜んでいる様子も見せません。彼は病に安住していたのかもしれません。人間が孤独、諦め、絶望という罪の病に捕らわれると、それが当たり前のことだと思い込んでしまう。「どうせ…」とつぶやきながら、生きる希望を失い、ただ生きているだけということになる。イエスさまは、その絶望の壁に穴を開けてくださいます。イエスさまは、願いを、希望を持つように促されます。

「立つがよい!」

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