福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え

7月7日 ≪聖霊降臨節第8主日礼拝≫『すべての人を喜ばせる』 コリントの信徒への手紙一 10章 23節~11章1節 沖村 裕史 牧師

■一神教と多神教

 前にも一度ご紹介したことがありますが、塩野七生の著書に『ローマ人の物語』という、文庫本43冊のシリーズがあります。聖書の背景となった世界を理解する上で大変よい本ですが同時に、わたしたちの信仰について、いろいろなことを考えさせてくれる本でもあります。

 その中で、ユダヤ人とギリシア人とローマ人の違いが、こうまとめられていました。人間の行動の規範・基準を、宗教に求めたのがユダヤ人、哲学に求めたのがギリシア人、法律に求めたのがローマ人である、と。

 「宗教」とはこの場合、神の掟、戒め、もっと広く言えば神の言葉ということです。そこに、人間の行動の規範を置いたのがユダヤ人であり、だからこそユダヤ人の間に、神の言葉を記した聖書が生まれました。ところが、ギリシア人やローマ人はそういうものに規範を置きません。ギリシアやローマに宗教がなかったわけではありません。たくさんの神々が信じられ、神殿があり、礼拝が行われていました。しかしギリシア人やローマ人は、そこに人間の行動の規範があるとは考えませんでした。人間は神々の教えに従うべきであるとは考えなかったのです。神々は人間が従うべき主、規範ではなく、人間の営みを見守る、別の言い方をすれば、願いを叶えるだけの存在でした。

 若松英輔に「願いと祈り」という一文があります。

 「…願うのは悪いことではない。願わずにはいられない、そうした局面に追い込まれることは人生に幾度でもある。しかしそんなときでも、私たちは聞く耳は封じない方がよいのではないだろうか。求めていることは思いもよらない場所からやってくるかもしれないのである。

 神仏は、人間が思っているよりもずっと、私たちのことを知っている。宗派を問わず聖典、経典と呼ばれるものを繙(ひもと)くと、そうしたもう一つの現実が描き出されている。神仏は、人間が感じている以上に、私たちの苦しみ、悲しみ、嘆きを深く受けとめているのである。だが、そのことを深く実感できない人間は、不安に耐え切れず、分かっているはずの状況を神仏に説明しようとする。説明する自分の声が、彼方からの無音の声をかき消しているのに気が付かないまま語り続けてしまう。」

 ここに、ユダヤ的一神教とギリシア・ローマ的多神教の違いがあります。一神教と多神教の違いは、神が一人であるか多数であるかという数の問題と言うよりも、人間に従うべき規範を与える神と、人間を見守る、願い事を叶えるだけの存在である神との違いだと言ってよいのかもしれません。そこに、一神教と多神教のすれ違いが生まれます。そしてそれこそ、わたしたちがこの社会の中でクリスチャンとして生きていこうとする時に経験する、すれ違いでもあります。わたしたちはイエス・キリストを信じ、主なる神に従って生きようとします。それで、例えば神道の結婚式や仏教のお葬式に列したときにも、そこで柏手(かしわで)を打ったり、手を合わせて拝んだりすることに抵抗を覚えます。ところが周囲の多くの人は、そのことを信じるとか従うとかいう感覚を全く持たずに、そうしています。そのため、わたしたちが拘(こだわ)っていることをなかなか理解してもらえません。

 キリスト教は、神の言葉こそ人間の行動の規範であるとする旧約聖書の、ユダヤ教の伝統を受け継ぐ一神教です。ところが、そのキリスト教の中に「すべてのことが許されている」という考え方が生まれてきました。それは突き詰めて言えば、神の掟、戒めをもはや人間の行動の規範としない、神の戒めに縛られないで、人間が自分で判断し、自由に生きるのだということであって、ユダヤ人には受け入れることのできない考え方です。ところが、基本的にユダヤ教と同じ流れの中にあるはずのキリスト教会の中に、こうした教え、考え方が出て来ました。

 最初期の教会の指導者であり、コリント教会の創立者であるパウロ自身がそうです。パウロがここで「すべてのことが許されている」という言葉を引用しているのは、「そんなことはとんでもない間違いだ」と言うためではありません。むしろ、彼はこのことを「その通りだ」と受け入れています。それを受け入れた上で、「しかし」と言って、ある「但し書き」を付け加えているのです。

 それはどういうことでしょうか。パウロは、ユダヤ人でありながら、神の言葉を人間の生活の規範とするユダヤ的な一神教の信仰を捨ててしまったのでしょうか。ギリシア、ローマの人々のように、人間のことは人間が自分で決める、神は、時に人間の世界に介入をすることはあっても、基本的にはただ見守っているだけの存在だ、という多神教的世界観に妥協してしまったのでしょうか。

 

■他人(ひと)の利益のために

 この問いを念頭に、パウロが「すべてのことが許されている」という教えに付け加えた「但し書き」から読んでいきたいと思います。23節、

 「『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことが益になるわけではない。『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない」

 すべてのことが許されている、確かにその通りだ。しかし、その許されていることすべてが益になるわけではない。すべてがわたしたちを造り上げるわけではない。だから「益になる、造り上げる」ということを基準に判断していくべきだ、とパウロは言います。その「益になる」とは、「自分」の益になるかどうかということではありません。24節、

 「だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」

 「益になる、造り上げる」というのは、「他人(ひと)」の益になること、「他の人」を造り上げることです。すべてのことが許されている中で、そのことをこそ追い求めなさい、とパウロは言います。その具体的実例が25節以下です。

 「市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい」

 これは、偶像に供えられた肉であっても、気にすることなく食べてよい、ということです。その理由が26節、

 「『地とそこに満ちているものは、主のもの』だからです」

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6月30日 ≪聖霊降臨節第7主日礼拝≫『主の食卓に来なさい』 コリントの信徒への手紙一 10章 14~22節 沖村 裕史 牧師

■神殿レストラン

 冒頭14節、

 「わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい」

 パウロが偶像礼拝にこだわり、それを避けるようにと教えているのは、コリントの教会の人々の中に偶像礼拝に参加している人がいて、しかもそのことが周りの人々に影響を及ぼしていたからです。8章10節にこうありました。

 「知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いているのを、だれかが見ると、その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか」

 「偶像の神殿で食事の席に着いている」。これが偶像礼拝に参加するということです。ギリシア、ローマの世界には、様々な神々の神殿があり、そこには様々な偶像が祭られていました。そしてその神殿で、神々の像の前で食事の席を設け、そこに親戚や友人を招待することがしばしば行われていたのです。

 その様子について、関西学院大学教授で、京都大学でも教鞭を取る浅野淳博が「神殿レストラン」と題して、こんな一文を記しています。

 「じつに異邦人たちの食事は、ユダヤ人が偶像崇拝と見なす要素に溢れていた。コリント市中から北西500メートルほどの場所に、癒しの神アスクレピオンを祀った神殿があった。レルネーの泉が湧く中庭を柱廊が囲み、その脇の三部屋は食堂として機能していたようだ。そこでは、宗教儀礼の一環として食事が振る舞われることもあったし、それ以外に富裕層が誕生日の祝い等を行うこともあった。とうぜんそのような行事でのメインディッシュは、神殿に捧げられた肉だった。あるいはコリント城壁の外を〔コリント地峡のイタリア側の港である〕レカイオン通り沿いに2キロ半下ったところには、アフロディテー神殿に隣接するレストランがあった。ぺリアンドロスたる人物は、このレストランに友人を集めてもてなす前に、アフロディテー神殿で犠牲を捧げている(プルタルコス『七賢人の饗宴』146de)。おそらくペリアンドロスは、この犠牲の肉を友人らに振る舞ったのだろう。

 このような生活が身に染みついているコリントの異邦人キリスト者にとっては、なぜユダヤ人キリスト者が食事にそこまで目くじらを立てるか理解が困難だったろう。一方でユダヤ人キリスト者にとっては、なぜ異邦人キリスト者が神殿での食事を含めた肉食にそこまで無頓着でいられるかを理解しかねただろう。そのような状況でパウロは、互いを配慮し合う愛をもって両者のあいだに一致をもたらそうと苦慮したようだ(1コリ8:1)」(『新約聖書の時代』教文館)

 そうです。パウロはそうした事態を見つめつつ、8章1節で「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」と語ったのでした。知識とは、神はただお一人であって、偶像など神でも何でもない、ただの人形と同じだ、だから神殿に供えられた後、市場に出回っている肉を食べても何の問題もない、というものでした。ギリシア人信徒たちがその知識を持っているのはよいが、それを他の人にひけらかしたり誇ったりするのであれば、その知識は人を高ぶらせ、弱い人を傷つけるものとなってしまう。正しい知識に愛が伴わなければ、かえって有害なものになってしまうのだ、とパウロは言います。それは、信仰によって自分に与えられている権利や自由を、そうは思わない兄弟への配慮、思いやりのために制限し、放棄するということでした。

 それで、パウロは「偶像礼拝を避けなさい」と言います。

 

■逃れる道—コイノーニア

 この「避ける」と訳されているギリシア語のもともとの意味は、「逃げる」です。偶像礼拝から逃げなさい。それが本来の意味です。実際、そう訳している翻訳もあります。そのことに気づかされて、すぐ思い出すのは直前13節の言葉です。

 「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」

 「それ(試練)に耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」。ここでパウロが言う「試練」とは何でしょうか。パウロは神の民イスラエルの歴史を振り返りつつ、7節で、それは「偶像礼拝」のことだ、とはっきり言います。真の神によって奴隷の状況から引き出されていながら、指導者モーセが神から「十戒」を授けられていたその足元で、自分たちの気に入った偶像を造って、座って飲み、立って踊り狂っていました。実に、最大の「試練」はそこにあったのでした。

 もしかすると、わたしたちはそのことに気づいていないかもしれません。辛いと思ったり、逃げたいと思ったり、もうこれ以上はたくさんだと思ったりする「試練」は、人それぞれでしょう。しかし、パウロが今、わたしたちに問うているのは、たとえわたしたちがどんな試練を経験しようとも、その最も深いところで遭っている「試練」とは何か、ということです。そしてそれは、真実な神を捨てること、偶像を求めることだ、というのです。

 そう問われて、わたしたちは「そうだ、そのとおりだ。だから偶像礼拝と戦わなければならない」、偶像を叩きつぶし、偶像礼拝を勧める人々と対決しなければならない、そう勢い込んで考えるかもしれません。

 しかしパウロは言います、「偶像礼拝を避けなさい」と。神が備えてくださる逃れの道があるのだから、そこに逃げ込んだらいい。パウロは、そうわたしたちに教え諭すのです。

 では、その「逃れの道」とはいったい何でしょうか。パウロは、そのことをよく分かってもらいたいと思ったのでしょう、15節でとても丁寧な言い方をしています。

 「わたしはあなたがたを分別ある者と考えて話します」

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6月23日 ≪聖霊降臨節第6主日/トリニティ(三位一体)「家族」礼拝≫『エヴォンゲリオンって、何?』『イエスさまは危険人物?!』 マタイによる福音書 5章 38~48節 沖村 裕史 牧師

≪お話し(こどもとおとな)≫

■「エヴァンゲリオン」は「よい知らせ」

 イエス・キリストの生涯(しょうがい)をくわしく書いているのが、新約(しんやく)聖書(せいしょ)の最初にある四つの「福音書(ふくいんしょ)」だってこと、知っていますか?聞いたことある、教えてもらったという人も結構(けっこう)いるんじゃないかな。その四つの福音書の中で、最初に書かれたのが「マルコによる福音書」だって言われていて、そこにはこう書き始められています。

 「神の子イエス・キリストの福音の初め」(マルコ1:1)

 これは、「これから書こうとしているのは、神様のこども、イエス・キリストの福音についてだ。その始まりはこうだ」っていうこと。新約聖書は、もともとはギリシア語で書かれていて、「福音」という言葉のギリシア語は「ユウアンゲリオン」。「ユウ」は「よい」、「アンゲリオン」は「知らせ」で、「よい知らせ」という意味になります。「イエス・キリストのよい知らせの始まり、始まり~!」ってことだね。

 

■アニメ・『ヱヴァンゲリヲン』

 そして、「福音(よい知らせ)」=「ユウアンゲリオン」の英語読みが「エヴァンゲリオン」です。

 「エヴァンゲリオン」。50代以下の人で、この言葉を知らない、聞いたことがないって人はまずいないでしょう。『エヴァンゲリオン』というのは、1995年から1996年にかけてテレビで放送(ほうそう)された、ぜんぶで26話(わ)のテレビアニメのタイトルです。放送された後、2021年までの間に7本のアニメ映画がつくられ、日本の第3次アニメブームのきっかけになりました。その影響(えいきょう)は今では日本から世界へと広がっています。

 今から見てもらうのはその映画の一つ、2007年9月に上映(じょうえい)された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序(しんげきじょうばん・じょ)』の最初のところ。あらすじはこうです。

 ときは2015年、人類(じんるい)は、南極の氷が溶け出して海水面が上昇(じょうしょう)し、世界中の多くの都市が海の中に沈んでしまうセカンド・インパクトと呼ばれる世界的危機(きき)から、ようやく立ち直ろうとしていました。

 そこに登場するのが主人公の碇(いかり)シンジ。両親と離れて暮らす14歳の少年です。自分の存在価値(そんざいかち)を見いだせない彼はこの先、誰とも関(かか)わらず、孤独(こどく)に生きていくことになる、そう思っていました。この物語は、そんな寂(さみ)しい少年シンジが父親に呼び出されて、箱根(はこね)の山の中に建設中(けんせつちゅう)の未来都市(みらいとし)、第3新東京市を訪れる所から始まります。

 何も知らされないまま迎えを待つシンジの前に、正体不明(しょうたいふめい)の巨大生物が突然(とつぜん)現れます。それは「使徒(しと)」と呼ばれる、人類を襲(おそ)う未知(みち)の生物でした。シンジを迎えにやってきたのは葛城(かつらぎ)ミサト。彼女は、国連直属の「特務機関(とくむきかん)ネルフ」と呼ばれる、使徒殲滅(せんめつ)のための秘密組織の職員でした。見ず知らずの大人に連れられシンジは、ネルフの奥深くにある第7ケージまでやってきます。そこに待っていたのは、父親である碇ゲンドウと、エヴァと呼ばれる「汎用(はんよう)人型決戦兵器人造人間」のエヴァンゲリオンでした。

 街を破壊(はかい)していた「使徒」を、このエヴァに乗って殲滅する。それがシンジに与えられた父からの任務(にんむ)でした。いきなりの任務にパニックになるシンジ。エヴァへの搭乗(とうじょう)を拒否(きょひ)します。そこで父ゲンドウは、実験で怪我(けが)を負ったもうひとりのパイロット、綾波(あやなみ)レイを呼び出します。自力(じりき)で立つこともできない少女がエヴァに搭乗しようとする姿を見たシンジは、エヴァに乗って戦うことを決意します。こうして初めてエヴァに乗り、命(いのち)からがら使徒を殲滅するシンジでした。

 では、ここまでのシーンを見てもらいます。

 さて、エヴァに乗れるのは、特務機関ネルフに認められ、エヴァと交信のできる、ごく一握りの少年少女だけ。はたして彼らは使徒の企(たくら)みを阻止(そし)して人類を救うことができるのでしょうか。結末(けつまつ)は、どのようなエヴァンゲリオン、「福音」になっているのでしょうか。

 このアニメ、「使徒」だの「アダム」だの「死海文書(しかいぶんしょ)」だのと、新約聖書のキーワードに満ちあふれています。また登場する「使徒」にはそれぞれ名前がつけられていますが、その名前のすべて、聖書偽典(ぎてん)と呼ばれる文書(ぶんしょ)のひとつ、エノク書に出てくる天使の名に由来(ゆらい)しています。これ以外にも、聖書に由来する言葉がたくさん出てきますが、大切なのはやっぱり「エヴァンゲリオン」です。「福音」「よい知らせ」です。

 

■あなたのことを愛してる!

 聖書の「よい知らせ」って何でしょう。神の子であるイエス・キリストが、悪の支配を打ち破り、すべての人を罪から救い出し、苦しみや悲しみ、不安や恐れから解放してくださるってことです。イエスさまが告げられた福音、それは「神の国が近づいた」ということでした。「神様の愛の手が、神様の救いが今ここにもたらされている」という、新しい世界、救いの到来を告げる「よい知らせ」のことです。そんな福音の言葉が、さっき読んだ聖書の中にもありました。45節のイエスさまの言葉です。

 「父は悪人(あくにん)にも善人(ぜんにん)にも太陽を昇(のぼ)らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降(ふ)らせてくださる」

 神様は、いのちを与えてくださった人すべてに、分け隔(へだ)てなく、どんな人にも愛を注ぎ、恵みを備(そな)えてくださってる、って言います。「こんなわたしなんか」「だれも愛してくれるはずない」と、自分のことを大切にできずにいるわたしたちに、神様は「あなたのことが大切」「あなたのことを愛してる!」って言ってくださるのです。そして、だから「あなたも、今、嫌っている人のことを大切にしてほしい」「互いに大切にし合って、平和に暮らしなさい」と教えてくださるのです。それこそが「イエス・キリストの福音」でした。そんな「福音」をもたらして人類を救うという意味で、アニメの「エヴァンゲリオン」というネーミングはぴったりのものでした。

 

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6月16日 ≪聖霊降臨節第5主日礼拝≫『試練に耐えられるよう』 コリントの信徒への手紙一 10章 1~13節 沖村 裕史 牧師

 

■変わることのない恵み

 パウロは今、イスラエルの歴史の出発点であり、神の救いの御業の一つであった「出エジプト」の出来事に、コリント教会の人々の目を向けさせます。1節後半から4節です。

 パウロはまず、「わたしたちの先祖」が「雲の下」で「海を通り」、「雲の中、海の中」で「モーセに属するものとなる洗礼(バプテスマ)を授けられ」た、と語ります。「雲の下」とは、神の支配の下、神と共にあることを意味し、おそらく、エジプトを脱出したイスラエルの民の行く手を導いた「雲の柱」のことがイメージされているのでしょう。続く「海を通り抜け」「海の中」とは明らかに、前は海、後ろからは追い迫るエジプト軍という絶体絶命のピンチの時に、神が海を二つに分けて道を与えてくださり、海の底の道を通って向こう岸へと逃れることができたこと、またその後を追ってきたエジプト軍の上に海が返り、彼らが海に飲み込まれて全滅してしまった、あの「葦の海の奇跡」のことを指しています。イスラエルの民は神の御業によってエジプトの奴隷から解放され、救われました。そのことが彼らの受けた洗礼だったと言われます。そのいずれもが神による恵みの御業だからでしょう。

 その洗礼にあずかった者たちが、「皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました」。天からのパンであるマナと岩から湧き出た水という霊的な食物と飲み物に養われつつ、荒れ野を歩んでいきました。イスラエルの民も洗礼を受けた者として、霊的な食べ物、飲み物である聖餐にあずかりつつ歩んだのだ、と言います。パウロは今、イスラエルの民が体験したエジプトの奴隷状態からの救いと荒れ野の旅路とを、洗礼を受けてイエス・キリストの救いにあずかり、聖餐によって養われつつ歩むコリント教会の姿に重ね合わせています。

 その上で「彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでした」と続けます。イスラエルの民が荒れ野で渇きのために死にかかったその時、不思議な神の備えによって水を与えられました。それは、神がイスラエルの民を選び、これを支え導いてくださったのだということです。荒れ野の旅の初めにシフィディムで岩から水が与えられ(出17:1-7)、旅の終わりにはカデシュで岩から水が与えられました(民20:7-13)。そればかりか旅の間にも、イスラエルの民がモーセに「我々を渇きで殺すためにエジプトから連れ出したのか」と詰め寄る場面が何度も出てきますが、その度に神は、岩から水をほとばしり出させる奇跡によって民の渇きを癒してくださいました。その旅のすべてを振り返った時、「岩が離れずついて来た」という言葉が自然に出てきたのでしょう。神は至る所で、思いもかけない仕方で水を備えてくださったのです。荒れ野の旅の初めから終わりまで、神の恵みが覆い包んでいたということです。「皆、同じ」霊の食べ物と飲み物にあずかったということ、それは、イエス・キリストにまで貫かれる神の恵みに対する信頼、信仰を告白する言葉でした。

 このパウロの言葉がわたしたちにも向けられています。イスラエルの民とコリント教会の人々に備えられた神の恵みが今、わたしたちにも注がれているのです。そのことに気づかされるとき、「この岩こそ、キリストだったのです」というパウロの言葉が心深くに響いてきます。

 

■神の警告

 ところが、この後(あと)一転、終始変わることのない神の恵みとはあまりにも対照的な、イスラエルの民の離反が、わたしたちの罪が浮きぼりにされます。5節です。

 神の恵みの中で、イスラエルの民の荒れ野の旅は始まり、その歩みは続けられました。わたしたちの先祖は「皆」、洩れなくこの神の恵みを受けたのに、「同じ」霊の食べ物と飲み物を受けたのに、「しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました」。「しかし」というパウロの言葉に心が抉(えぐ)られるようです。

 考えてみれば、パウロが荒れ野の旅の始まりに筆を走らせたのは、変わることのない神の恵みに、わたしたちの目を向けさせるためでした。しかしそれはまた、この神の恵みの下で人間がどのような歩みをしたのかということを語り始めるためでもありました。パウロは今、神の恵みを指し示しつつ、その一方でイスラエルの民の罪を、人間の罪を具体的に描き出すことによって、厳しい神の警告を告げます。

 「これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために」

 洗礼を受けた者として聖餐にあずかりつつ生きるコリント教会の人々、このわたしたちを戒めるための言葉です。洗礼を受け、礼拝を守り、聖餐にあずかっているから、もうわたしたちは救われている、もう大丈夫、安心だという訳にはいきません。同じように洗礼を受け、聖餐にあずかっていたイスラエルの民が御心に適わず、滅ぼされてしまったという事実がある、とパウロは警告します。

 そして、彼らは「悪をむさぼった」と言います。この「むさぼる」という言葉からすぐに思い出す場面があります。荒れ野の旅をしたイスラエルの民は、彼らを養うために神が備えてくださったマナに満足することができませんでした。

 「民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、イスラエルの人々も再び泣き言を言った。『誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない』」(民11:4-6)

 食べ物のためには奴隷であることをも厭わず、今ここに備えられているものにも満足できず、むさぼり続けるイスラエルの民の姿を笑うことなど、誰にもできないでしょう。荒れ野の旅は神の恵みに包まれ、その恵みに貫かれてはいますが、それは人間がいつも快適な状態に置かれるということではありません。

 神の恵みの下に置かれるということ、その恵みによって生きようとすることは、新しい困難と断念を伴うことでした。マナは一日分ずつ、日毎に必要な分量しか与えられませんでした。与えられたものに感謝して生きることを知らずに、貪欲にむさぼり続けることは、世界を支配しておられる神を否定して、世界を自分の支配下に置こうとすることです。

 神はしかし、この肉を求めて泣く、イスラエルの民の訴えを聞かれます。ある日、主のもとから風が起こり、大量のうずらが吹き落とされ、民は二昼夜がかりでそれを拾い集めるほどになります。そのうずらの山に埋まりながら、彼らはそこで滅ぼされるのです。

 WWF・世界自然保護基金と英国の小売り大手テスコが2021年7月に発表した報告書によれば、世界で栽培生産された全食品の内の約40パーセントに当たる25億トン—20億人分の食料が廃棄されていたと言います。これは食品ロスの主な指標とされる国連食糧農業機関(FAO)が2011年に発表した、年間約13億トンの約2倍の量に当たります。日本も、2021年度の農林水産省の調査によれば、一年に523万トンの食糧が廃棄される、飽食国家のひとつです。食だけではなく、「消費社会」の中に生きるわたしたちはこぞって、次から次へと物を「むさぼる」ことに汲々としてはいないでしょうか。

 思えば、わたしたちが求めるものを神は与えてくだったのです。神は、わたしたちの欲望を満たすものを飽きるほどに与えてくださった、と言えるのかもしれません。しかしそのむさぼりの中に、わたしたちへの裁きが待っている、とパウロは警告します。

 

■神への反逆 Continue reading

5月5日 ≪復活節第6主日礼拝≫『自由な者として』 コリントの信徒への手紙一 9章 1~18節 沖村 裕史 牧師

 

■…ではないのか

 今日のわたしたちにとって、自由ほど魅力的な言葉はないでしょう。生活のあらゆる面でわたしたちは縛られたり、制限されているように感じています。自分の自由に生きられたらどんなによいだろうか、と誰しも願っているのではないでしょうか。自由と権利を最大利用するのが、現代人の生き方です。

 しかしパウロは、使徒としての「権利」を用いません。ご自分の「権利」を犠牲にしてくださったイエス・キリストに従うことを通して、「自由にされた者」としてのパウロの姿を、今朝、9章の中にはっきりと見ることができます。

 パウロはこの自由と権利について、何と語っているでしょうか。1節、

 「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか」

 これを原文で読むと、否定を表す言葉、英語の“not”が冒頭に置かれています。「わたしは自由な者ではないのか。わたしは使徒ではないのか」といったニュアンスです。「ない」が強調された、いささか興奮気味の様子です。少し感情を高ぶらせた普段とは違う語り方、挑戦するような口調で、パウロは語りかけています。

 パウロが感情を高ぶらせていたのは、コリント教会の中に、彼が使徒であることに疑問を差し挟む人々がいたからです。それはある意味、無理もないことでした。使徒とは「遣わされた者」という意味の言葉で、イエス・キリストによって福音を宣べ伝えるために遣わされた人々のこと、直弟子であった十二人の弟子たちのことです。しかし、パウロはその一人ではありません。彼はと言えば、教会を迫害し、 イエスをキリスト、救い主と信じるこの新しい教えを撲滅するために必死になっていた、ファリサイ派のエリートでした。そんな彼の前歴を知る人々は、たとえ、その後の回心の事実を認め、信仰の仲間として受け入れはしても、「使徒」の一人として受け入れることができなかったのです。

 彼の働きには常に、疑いと不信、つまずきと妨げが付きまとっていました。自分が伝道して生まれたコリントの教会の中にすら、パウロが使徒であることに疑問を持つ人々が出てきているということが、彼の気持ちを高ぶらせます。彼は、1節で「あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか」と語り、2節で「他の人たちにとって わたしは使徒でないにしても、少なくともあなたがたにとっては使徒なのです。あなたがたは主に結ばれており、わたしが使徒であることの生きた証拠だからです」と語っています。そのあなたたちが、わたしが使徒であることに疑問を抱くとはどういうことか、というパウロの悔しい思いがひしひしと感じられます。

 

■使徒としての姿勢

 そのような批判に対して、パウロは「弁明」(3節)をします。弁明とは、自分の立場が誤解されたり、不当に曲げられたりしたとき、自分の立場を明らかにすることで、「言い逃れ」や「口実」とは全く別のことです。

 そこでパウロは、他の伝道者や使徒たちがしていることを、自分もする「権利」がないのか、と問いかけます。ここで重要なのは「権利」という言葉です。9章に何度も出てきます。その冒頭が「わたしたちには、食べたり、飲んだりする権利が全くないのですか」でした。食べたり飲んだりする権利を真っ先に取り上げます。

 ここに、8章からのつながりが見えてきます。8章には、偶像に供えられた肉を食べることについて語られていましたが、パウロの基本的な考え方は、偶像は神でも何でもなく、それに供えられた肉も、肉屋の倉庫につり下げられていたものと何の違いもないのだから、自由に食べることができるというものでした。しかしそれが結論ではありません。8章の最後13節でパウロは、「それだから、食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません」と自らの決意を語っています。

 信仰の知識さえ持てば、一旦偶像に供えられた肉でも気にせず、自由に食べることができます。しかし、その知識をまだ十分に受け止めることができず、どうしても気になって動揺してしまう、信仰の弱い兄弟姉妹がいる。その人々をつまずかせないために、自分は肉を食べることをやめる、と言います。

 そこには、自分が信仰によって得ている「自由と権利」、自由に食べたり飲んだりする権利を、 弱い兄弟姉妹のために「自分から制限し、放棄する」という、パウロの伝道者としての姿勢がはっきりと示されています。

 

■権利と自由

 自分が使徒であるということを弁明しようとするパウロが、自分に与えられている権利を語っていることの真意を、わたしたちはしっかり知らなければなりません。

 冒頭の1節で「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか」と言っていることが大切です。ここでパウロが見つめているのは、使徒とは自由な者であるということです。この「自由な」とは「解放されている」という意味の言葉です。 いろいろなものに囚われていない、あらゆる束縛から解放されている、それが自由です。

 その自由に生きることは、豊かな権利を持って生きることでもあります。「権利」という言葉は「権威」あるいは「力」とも訳せる言葉です。権威とは本来、何かをするための「正当性」のことを意味しています。8章の食べ物のことに関して言えば、信仰の知識によって、偶像に供えられた肉を食べても罪にはならないし、汚れたりもしないという正当性が示されます。それによって、これを食べたら汚れるのではないか、罪を犯すことになるのではないかという恐れから解放され、どんな肉も気にせず食べることができる自由が得られるのです。 Continue reading

4月28日 ≪復活節第5主日/春の「家族」礼拝②≫『ちょっとそこまで』 ヨハネによる福音書 16章 12~24節 沖村 裕史 牧師

 

■しばらくすると

 イエスさまが十字架につけられる前の夜のことでした。深い夜の闇の底で、張りつめた緊張を強いられていた弟子たちに、イエスさまが最後の教えを、別れの言葉を語っておられました。部屋を灯すオリーブランプの明かりは決して十分なものではありません。薄暗い部屋の外では、人々の敵意がその網を徐々に、しかし確実に狭めてきていました。事態が切迫していることは弟子たちにもわかっていたはずです。イエスさまはその弟子たちに、静かにこう告げられます。16節、

 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくするとわたしを見るようになる」

 この言葉が三度も繰り返されます。しかし弟子たちはこの言葉が理解できません。喉に刺さった魚の骨のように、もどかしく心に引っかかります。18節、

 「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう」

 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなる」。この言葉は、弟子たちにも察しのつくものでした。もう少しすると、わたしは十字架にかけられて殺され、姿が見えなくなる。そのことがもうすぐ起こる。でも、イエスさまが続けて「またしばらくすると、わたしを見るようになる」と言われていることの意味が分かりません。それでなくても、イエスさまを永遠に失ってしまうという予感に、その重さに押しつぶされそうな弟子たちはただ戸惑い、うろたえます。

 愛する人がいなくなる。支えとなる人の姿が見えなくなる。そればかりか、20節に「あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ」とあります。イエスさまを信じなかった者、イエスさまが語られた神様の恵みなど当てにもしなかった人たちが、それ見たことかと言って、あなたたちが泣き悲しんでいる姿を見て喜ぶと言われます。わたしたちの悲しみ嘆きは、そして世の喜びは一体、いつまで続くというのか。イエスさまが見えない。神様の恵みが見えない。神様が生きておられるということが分からなくなる、と言われます。

 そう思わずにはおれない深い嘆き悲しみを、わたしたちのだれもが味わったことがあるはずです。しかしそんなときにこそ、イエスさまがお声をかけてくださるのです。「またしばらくすると、わたしを見るようになる」。

 ほんの少しの間、ちょっとそこまで、と。

■ちょっとそこまで

 かつて日本中でごく普通に交わされていた挨拶に、こんなやりとりがありました。

 道でご近所同士がすれ違うと、片方が決まって尋ねます。

 「どちらへ?」

 尋ねられた人は、ほほえんでこう答えます。

 「ちょっとそこまで」

 なんということのないやりとりですが、いかにも奥ゆかしい挨拶です。近頃ではもう廃れつつある、でも失ってしまうのはいかにも惜しい気のする挨拶です。

 この「どちらへ?」という問いは、単なる好奇心によるものではありません。かつての地域社会、コミュニティーは互いに関心をもち合い、いざというときには助け合うことで成り立っていました。ですから、隣人がどこへ出かけるかを尋ねるのはごく自然なことで、むしろ声をかけ合うことが礼儀でもありました。

 「畑の草刈りなんですけど、これがなかなか大変で」と言えば、「それじゃ、後ほどお手伝いに寄りましょうか」となり、「母の具合が悪くて、しばらく実家に帰るところです」と言えば、「それじゃ留守中、ご主人とお子様大変でしょう。ときどきご様子を伺いにお寄りしますね」ということになります。つまり、この「どちらへ?」というさりげない問いには、「大丈夫ですか、何かお手伝いできることがありますか?」という温かい思いが込められています。

 それに対して、特別事情のないときには「ちょっとそこまで」と答えます。これは、「ありがとうございます。お手伝いいただくほどのことではありませんから、どうぞご心配なく」と感謝を込めて答えているのですから、「ちょっと」とはどのくらいの距離か、「そこまで」とはどこまでのことかなどと聞き返すのは、野暮というものです。

 尊敬していた先輩が重い病気になり、亡くなる直前にお訪ねしたことがあります。才能に溢れ、多くの仕事をこなし、みんなから愛された人でしたが、病に倒れました。自分の病気がもう治らないとわかってからも、何事もないかのように働き続けるその姿は清々(すがすが)しくさえありました。お訪ねしたわたしの重い気持ちを察してか、先回りしてこう言われました。

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4月21日 ≪復活節第4主日礼拝≫『つまずかせることのないように』 コリントの信徒への手紙一 8章7~13節 沖村 裕史 牧師

 

■知識は人を高ぶらせる

 パウロは1節の終わりに「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」と言っています。この「知識」とは何かが4節から6節にかけて語られていました。その中心は4節、「世の中に偶像の神などはなく、唯一の神以外にいかなる神もいない」ということでした。神についての知識、信仰の知識です。その知識を持つことによって、人は様々な束縛から自由になることができます。

 今ここで取り上げられている問題は、その唯一の神を信じるわたしたちが、偶像の神々の神殿に一旦捧げられ、そこから下げられて来た肉を食べてもよいのか、それは偶像礼拝に加担することにならないか、ということでした。そういう恐れを抱いている人たちに対して、偶像の神などいないという知識を持った人々は、偶像などただの人形と同じなのだから、それに供えられた肉もその他の肉も何の違いもない、食べたってどうということはないと考えました。神についての知識、信仰の知識は、この世の様々な束縛からの自由と解放を、わたしたちに与えてくれます。

 9節の「あなたがたのこの自由な態度が」という言葉は、そのような信仰の知識によって得られる自由を指しています。実は、この「自由な態度」と訳されている言葉を直訳すれば「権威」となります。つまり自由にふるまうことができるということは、それだけの権威を持って、力強く生きることができるということです。いろいろなものを気にせず、それらの束縛から自由に生きることができるのは、それだけの力が自分の内にあるからです。この世の制度、当たり前、常識と言われるこの世の枠組、それらを気にしないだけの確固たる力、確信が自分の中になければ、そこから自由であることはできないでしょう。

 信仰の知識はそのような力を、強さをわたしたちにもたらします。その意味で、その知識を求め、力を、強さを求めることが間違いというのではありません。しかしそこには同時に、「知識は人を高ぶらせる」という問題が起ることがある、パウロはそのことを問題としています。

 

■弱い人々を罪に誘う

 「高ぶる」とはそもそも、他の人に対してのことです。知識を持ち、力を持ち、自由を得た者が、そうでない者、自分よりも弱い者に対して高ぶり、相手を見下すようなことが起るのです。それが問題なのです。具体的にはどんな問題だったのか。10節にこうあります。

 「知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いているのを、だれかが見ると、その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか」

 「偶像の神殿で食事の席に着く」とは、ある人が家族の冠婚葬祭を神殿で行い、その一環として宴席を設けて客を招き、招待を受けた人がその席に着いていたということでしょう。そこに、偶像である神殿の神に供(そな)えられた肉が料理されて出されます。それは当時の感覚からすれば、招待する側の特別な好意の現われで、招かれた側はありがたい、縁起のよい食事に招待されたと思って、喜んで出かけていたのでしょう。そんな食事が偶像の神の前でなされます。わたしたちが法事の時に、開かれた仏壇の前で宴席を設けるようなものです。

 そういう食事に招かれた時に、信仰の知識をしっかりと持っている強い人はそのことを少しも気にせず、そこに連なることができます。ところが7節に、「この知識がだれにでもあるわけではありません」とあるように、同じ信仰者であっても、そこまではっきりと確信し、割り切ることができないでいる人々がいました。彼らももちろん、偶像の神など神ではない、唯一の神、唯一の主イエス・キリストだけが真の神であると信じた人々です。けれども、彼らはそう信じながらも、それまで生きてきた社会の慣習や言い伝えから自由になれず、偶像の神の前で食事をすることに、どうしても後ろめたい思いがしてしまうのです。ところが知識のある強い自由な人が、そんなこと気にする必要などない、偶像など気にせず、どんどんそういう所に行ったらよいではないかと言います。そういう声に押されて、内心では躊躇(ためら)いながらも出席することになります。

 それが、「その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか」ということです。「良心が強められる」のは良いことではないか、そう思われるかもしれません。ところが、この「強められる」は「家を建てる」という意味の言葉です。つまり、その人の良心は弱いままなのに、その弱い土台の上に無理やり家を建ててしまう、といった意味になります。

 そうすると続く11節、「あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます」。「滅びてしまう」とは厳しい表現ですが、それこそ、7節に語られていることです。「ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです」。自分の本意ではないのに、知識のある人に唆(そそのか)されて偶像に供えられた肉を食べてしまう。しかし、どうしても「これは偶像に供えられた肉だ」ということが頭から離れず、躊躇(ためら)いながら食べることになる。結果、弱い人はその後、自責の念にかられ、罪を犯したという呵責に耐えきれず、信仰が汚され、潰されてしまうことになるでしょう。

 そのことを引き起こしているのは、知識を持った力のある人の自由なふるまいです。9節にあるように「あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことに」なっているのです。

 

■導くのは愛

 パウロはこのことを踏まえて、1節で「知識は人を高ぶらせる」と言っていました。知識のある強い人、それによって自由を得ている人が、その知識が本当に自分のものになっていない弱い人々に対して、自分の自由をこれ見よがしに示し、知識があれば、信仰があれば、こういうふうにできるはずだ、と上から目線で自分たちの正しさを主張する。そのことこそ、あなたがたの「高ぶり」そのものではないか、と言います。8節、

 「わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません」

 ここには、知識のある強い人々への皮肉、批判が込められています。自分たちの信仰の知識を誇り、高ぶり、弱い者たちを見下し、軽んじている人々に対して、パウロは今、あなたたちがその肉を食べることは信仰において何の益にもなっていないし、彼らがその肉を食べないからといって信仰において何も失われてなどいない。神のもとに導かれることは、そんなこととは何の関係もない、そう言うのです。

 正しい知識を求め、力を求め、それによって得られる自由を求めることは決して間違ってはいません。しかしそれが、高ぶりを生み、自分の力を誇示し、人を見下すような思いを生むのなら、その知識、力、自由は何の意味もないもの、いえ、むしろ人を「つまずかせる」ものになるでしょう。

 1節の「知識は人を高ぶらせるが」に続いて、「愛は造り上げる」とあるように、神のもとに導くのは食物ではなく、知識や力でもなく、「愛」なのです。その愛とは、9節「あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけ」ることであり、具体的には13節、「それだから、食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません」と決意することでした。

 この「肉」はもちろん偶像に供えられた肉のことです。肉食をやめて菜食主義になるということではありません。パウロ自身は信仰の知識をしっかりと持っていますから、偶像に供えられた肉だろうと気にせず食べることができます。そういう自由に生きています。しかし、そのことでつまずきを覚えてしまう弱い兄弟がいるのなら、その人たちのために自分はその肉を食べることをやめると言います。弱い兄弟のことを思いやり、その兄弟のつまずきを防ぐために、自分の得ている自由を捨てると言います。弱い兄弟のために、自分の持っている力を発揮することを自分で制限する。自分の持っている自由を差し控える。そういうことこそが、ここで言われる「愛」なのです。この「愛」こそが「高ぶり」の対極にあるものでした。 Continue reading

4月7日 ≪復活節第2主日礼拝≫『万物の神によって』 コリントの信徒への手紙一 8章1~6節 沖村 裕史 牧師

 

■偶像に供えられた肉

 コリント教会には何と多くの問題があったことでしょうか。

 そのおかげで、わたしたちは新約聖書の中でパウロの牧会的な愛と知恵を読むことができるわけですが、問題が多くあるという点では、今のわたしたちも同じです。教会はもちろん、家庭にも、個人にも問題や課題は山ほどあります。

 神は、問題のない教会や信仰を求めておられるのではありません。むしろ、問題を神の前に持って行き、神の知恵と力を祈り求め、わたしたちが「キリストによって共に生きる」ことを求めておられるのだと気づけば、わたしたちは失望する必要はありません。

 今日、共に生きることを妨げている問題として取り上げられているのは、「偶像に供えられた肉」を食べて良いか、否かの問題です。コリントには神々の神殿があり、町の公の行事や個人の家の冠婚葬祭などが祭儀として執り行われていました。その祭儀では必ず動物が犠牲として捧げられました。祭儀の後、その動物の肉の一部は祭司のものとなり、一部は祭儀に集った人たちが食べ、残りは持ち帰られ、町の市場で売られました。町の人々にとっては当たり前の風景でしたが、教会の信徒たちの中に、ある戸惑いが生まれました。

 教会は、旧約聖書以来のユダヤ人の信仰を受け継いでいます。その信仰によれば、主なる神以外のものを神として拝むことは、主に対する裏切り、偶像礼拝と呼ばれる最も重い罪でした。ことに人間の手によって造られた偶像を神として拝む偶像礼拝を、ユダヤ人は忌み嫌い、厳しく戒めていました。教会は今も偶像礼拝を忌み嫌うこのユダヤ人の信仰を受け継いでいます。

 そこから、一旦偶像に供えられた肉は信仰者にとっては汚れたものであって、それを食べるべきではない、という考えが生まれました。特に異邦人で信徒になった人々は、それまで何の疑問も持たずに食べていた肉が実は、偶像に供えられた肉だったということに気づいたのです。キリストの父なる神を唯一の神と信じる者となった今、その肉を食べるのは相応しくないのではないか、そう考える人が出てきたのは、ある意味、当然のことだと言えます。

 

■我々は知識を持っている

 しかし、コリント教会で何が問題とされていたのかについては、もう少し注意深く考えなければなりません。コリント教会からの質問は、単に「偶像に供えられた肉を食べてもよいのでしょうか」ということではなかったようです。

 そのことは冒頭のパウロの言葉からも伺えます。

 「この問題について言えば、『我々は皆、知識を持っている』ということは確かです」

 この括弧に入れられている「我々は皆、知識を持っている」ということが、コリント教会の中で頻繁に語られ、またパウロに届いた質問の手紙にも記されていた言葉だったと思われます。この「知識」がどのような知識だったのか。4節にこうあります。

 「そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています」

 「偶像の神は人間が作った像に過ぎないのであって、そんなものは神でも何でもない、唯一の主なる神以外に、この世にいかなる神もいないのだ」ということです。また、6節にもこう記されます。

 「わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです」

 これは、学問的知識や世間の人々が共有している一般的な知識ではなく、信仰によって与えられる神についての知識です。

 この知識を持っていた人たちは、偶像に供えられたといっても、それは神でも何でもない、ただの像の前にしばらく置かれたというだけのことであって、肉屋に置かれていたのと何も違わない、だからそれを汚れたものとして避ける必要などない、気にせず食べたらよい、と主張していたのでしょう。ですから、パウロのもとに寄せられた質問も、「偶像など神ではないし、何の力もないというのが正しい信仰の知識であって、偶像に供えられた肉だからといって避けようとするのは、信仰の知識が乏しい者の不適切な考えではないのか」ということだったと思われます。

 パウロはその質問に、彼らの言ってきたことに同意し、その知識を正しいものと認めます。「『我々は皆、知識を持っている』ということは確かです」とは、そういうことです。

 「ただ」と、パウロは続けます。ここからが、パウロの言おうとしていることの中心です。

 

■知識による高ぶり Continue reading

3月31日 ≪復活節第1主日/イースター「家族」礼拝≫『泣かないで』 ヨハネによる福音書 20章11~18節 沖村 裕史 牧師

 

■消えた遺体

 先ほどお読みいただいた個所の直前、マリアが墓に到着してみると、入口の大きな石が取り除けられていた、とあります。マリアは、イエスさまとの想い出がにわかに手の届かない地平線の果てにまで遠のいたように感じられ、狼狽(ろうばい)し、急ぎ弟子たちにこの事態を知らせるために駈け出します。マリアからの知らせに驚いて、急いで飛び出した二人の弟子もただひたすら走ります。そして、墓の中に入った弟子たちが見たものは、イエスさまの体に巻かれていた亜麻布と頭に巻かれていた布切れでした。しかも、それがキチンと置かれていました。

 二人の弟子たちは「見て、信じた」と書かれています。「信じた」とは、イエスさまの復活を信じたということでしょう。しかし続けて「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」とあります。二人の理解は十分なものではなかったのだとか、実は信じていなかったのだと考える人もいますが、「聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかった」というこの言葉は、二人の弟子の復活に対する信仰が、旧約聖書の証しによって導かれたものではなく、直接的で体験的な目撃によるものであったことを強調しているのでしょう。いずれにせよ、二人の弟子はイエスさまの墓から立ち去ります。

 しかしマリアは違います。二人の弟子の後を追い、再びそっとイエスさまの墓に戻って来ます。盗まれたのであろうとなかろうと、イエスさまの体が失われたことに変りはありません。イエスさまの体がそこにあったからこそ、マリアの追憶もまた彼女の身近にありえたのです。想い出が、今もそこにあるもののように抱きしめる対象になったり、あるいは、未来に似て生きる支えになったりすることがあります。マリアはイエスさまの死の直後の空しさ、虚脱(きょだつ)から、その想い出にすがることによって立ち上がりかけていたのでした。ところが、その体がなくなってしまった。

 「あのお方の体は本当になくなってしまったのだろうか」、はかない望みをかけて、もう一度身をかがめて墓の中を覗(のぞ)き込みました。マリアが見詰めているのは、先の閉ざされた浅い横穴です。追憶と幻想の中で、過去がいかに美しく充実したものであったにせよ、それはあくまでも、どこまでも過去でしかありません。未来へと突き抜けて、その向こう側から爽やかないのちの風が吹いてくることなど決してない、行き止まりの横穴でしかありません。主であるイエスは、もはやそこにはない、おられないのです。

 

■泣いていた

 マリアは、墓の外で泣き続けました。「泣く」と訳されているこのギリシア語は、声を出して激しく泣く、という意味の言葉です。

 学者たちが言うように、この福音書を記したヨハネは、この泣き続けるマリアを直情的で愚かな存在として描いているのでしょうか。そもそも、それは批判されるべきことなのでしょうか。一人の愛する者が死んで、その墓から遺体まで取り去られてしまって見ることができない、その時、人は声をあげて泣かないでしょうか。それは人間として当然の、自然な感情で、イエスさまを愛し、尊敬していた者の偽らざる姿がそこにあるのではないでしょうか。

 マリアは、その自然な感情を隠しませんでした。反逆罪で殺された者の、埋葬直後の墓の前で、声をあげて泣くということがどんなに危険なことか…。そんなことを気に留める様子もなく、彼女は泣き続けています。その姿にわたしは深い感動さえ覚えます。イエスさまの十字架を前にして、また遺体の取り去られた墓を前にして、「これは神の計画に基づく救いの出来事だ、神が死を滅ぼしてくださった栄光の出来事だ」などと悟ったようなことを言う前に、あるいは、裏切り、逃げ回り、姿を隠してしまった弟子たちとは違って、ただただ墓の前にとどまり続け、声をあげて泣き続けるマリアの姿をこそ、その信仰の姿をこそ、見つめるべきではないでしょうか。

 

 戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人、茨木のり子の「汲(く)む」と題された詩をご紹介します。

  大人になるというのは
  すれっからしになることだと
  思いこんでいた少女の頃、
  立ち居振る舞いの美しい
  発音の正確な
  素敵な女の人と会いました

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3月24日 ≪受難節第6・棕櫚の主日礼拝≫『なぜお見捨てになるのか?』 マタイによる福音書 27章 32~50節 沖村 裕史 牧師

 

■滑稽と嘲笑

 受難節最後の主日となりました。イエスさまが十字架への道をまっすぐに歩まれたその道のりを、この一月半の間、わたしたちも一緒に歩んできました。そしてついにイエスさまは、自分が十字架につけられることになるエルサレムに到着されます。沿道に敷き詰められた棕櫚の葉の上を、人々の歓呼の声の中、驢馬(ろば)の背に揺られながら、エルサレムに入城されます。今日は、そのことを記念する棕櫚の主日です。

 「ホサナ―主に栄光あれ」という勝利を賛美する、凱旋の声に包まれるイエスさまの姿は、しかし、奇妙なものでした。勝利者らしく、たくましい軍馬に跨(またが)って威風堂々と進んできたというのではありません。地面に足がつきそうなほどの小さな驢馬に乗って、とぼとぼと、いかにも頼りない格好で、人々の歓呼の声の中を進み行きます。まるで、痩せこけた馬ロシナンテに跨り、従者サンチョ・パンサを引きつれて遍歴の旅に出かけた、あのドンキホーテのようです。イエスさまの姿は、とても滑稽(こっけい)なものでした。

 しかし、滑稽と見えるその人こそが、まことの救い主でした。

 その滑稽な姿を冷ややか見ていた人たちがいました。彼らは心ひそかに嘲笑(あざわら)っていたことでしょう、「驢馬に跨ってやってきた、あのみすぼらしい男が救い主であるはずなどない。その正体を白日のもとに晒(さら)しだし、歓呼の声を上げている人々の目を覚ましてやろう」。律法学者やファリサイ派、祭司長たちです。

 彼らのもくろみは成功し、今やイエスさまは、衣服をはぎ取られて裸にされ、その上に赤いマントを着せられ、いばらの冠を頭にかぶり、右手に葦の棒をもたせられた、皮肉たっぷりに演出された王の姿で、「ユダヤ人の王、万歳」という歓呼の声の中を歩いています。栄光を讃えるその声は、エルサレムに入られるときとは真逆の、まさにその姿そのもの、嘲りと蔑(さげす)み以外の何ものでもありませんでした。

 ゴルゴダの丘へと引かれて行くイエスさまに、ぶどう酒が差し出されます。それは、当時しばしばなされていたように、罪人に与えられる気つけ薬でした。十字架の上で受ける槍の痛みがもっと強いものとなるように、という悪意から与えられるものです。「ユダヤ人の王」という罪状がイエスさまの首にかけられ、二人の強盗と同じと場所に引き出されました。それは、まことの王だ、救い主だとあなたたちが信じたこの男は、強盗と同じような者に過ぎない、ということを意味します。これらすべてことが、嘲りと蔑み以外の何ものでもありませんでした。

 しかし、嘲りと蔑みに包まれたその人こそが、まことの救い主でした。

 

■自分を救え

 イエスさまの惨(みじ)めで、弱々しい、無力なその姿を見た人々は、期待が大きかっただけにその失望も大きく、祭司長たちと一緒になって、イエスさまに嘲りと蔑みの言葉を投げつけます。

 「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」「他人(ひと)は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」

 罵倒、嘲笑、侮辱の言葉として記されるこれらの言葉に、誰もがハッと気づかされます。そう、この言葉は、福音伝道をこれから始めようとしたとき、荒れ野でイエスさまに囁(ささや)かれた悪魔の誘惑と全く同じものです。

 「神の子なら、自分を救ってみろ」「そうすれば、信じてやろう」

 人々は、自分のための、自分だけの神しか受け入れようとはしません。自分に何の役にも立たない、そんな神など信じても意味などない。自分さえ救うことのできないお前を神の子だと信じることなどできないし、お前を救うことのできない神は神ではない、そう責め立てます。

 自分さえ救えないと責めるのではなく、「他人は救ったのに、自分は救えない」と罵ります。 Continue reading

3月17日 ≪受難節第5主日礼拝≫『喜ばれるために…』 コリントの信徒への手紙一 7章 25~40節 沖村 裕史 牧師

■結婚の苦労

 今、パウロは未婚の人に対して、現状に留まっているのがよい、独身のままでいるのがよい、と教えます。それは、結婚に価値を認めないからでも、また結婚することが「罪を犯す」こと、信仰者として相応しくないからでもありません。彼は結婚を、神から与えられている祝福として大切にしています。「妻と結ばれているなら、そのつながりを解こうとするな」とある通りです。パウロは、結婚を信仰にそぐわないと考える人たちが信仰ゆえに離婚しようとしたり、相手を遠ざけたりしていたことに対して、結婚を、夫婦の関係を、たとえ相手が信仰者でなくても大切にするべきだと教えていました。

 ではなぜ、独身のままでいることを勧めるのか。その理由が28節後半です。

 「ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです」

 結婚する者は苦労を負う。確かにこれは、誰もが味わうことかもしれません。結婚生活は決してバラ色のものではありません。生まれも育ちも違う二人が一つ屋根の下、生活を共にしていくということは、そう簡単なことではありません。また家庭を築き守っていくことは、独身で自分一人の生活のことだけを考えていればよかった時とは比べものにならない負担を背負うことです。こどもが生まれれば、子育ての苦労が加わります。結婚すること、およそ人と共に生きるということは本来、そういう苦労を背負うことです。

 しかしここで言われているのは、そうした苦労のことではありません。もしそうなら、パウロの結婚観は偏っていると言わなければなりません。結婚にそうした労苦が伴うことは事実ですが、そこにはまた、共に生きることの大きな喜びや慰め、確かな平安や充足があることも事実だからです。その喜びを見ないで苦労だけを見て、独身のままの方がよいと言うことは、偏った意見、偏見の誹(そし)りを免れないでしょう。今パウロが、「結婚する人たちはその身に苦労を負う」と言っているのは、そういうことではないようです。

 

■時は迫っている

 では、彼が言う苦労とは何でしょうか。ヒントとなるのが29節の言葉です。

 「定められた時は迫っています」

 同じような言葉が26節にもありました。「今危機が迫っている状態にあるので…」。パウロは、危機が迫っている、時が迫っているという意識を強く持っています。そしてそれが、現状に留まっているのがよい、独身のままでいるのがよい、という勧めの根拠なのです。

 時が迫っている、危機が迫っているとはどういう意味でしょうか。この世の終わり、終末のことです。 そしてそのことを、誰よりもはっきりと示されたのが、他ならぬイエス・キリストでした。

 「小黙示録」とも呼ばれるマルコによる福音書13章に記されているイエスさまの言葉によれば、定められた時が迫っているとは、この終末が近づいていることです。しかしそれは、恐ろしい破局が迫っていることではなく、むしろわたしたちの救いの完成、神の恵みの支配の完成の時が近づいているということでした。しかし、それがここで「危機が迫っている」と言われているのは、この救いの完成に伴う苦しみが見つめられているからです。

 その苦しみは、当時の教会の人々がすでに体験していたものでした。そしてわたしたちもその苦しみを今、別の形で体験しています。戦争の騒ぎや戦争のうわさは、今ひときわ高まっています。集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、いつ戦争に巻き込まれてもおかしくないという不安を多くの人々が抱いています。「民は民に、国は国に敵対」することも世界各地で起っています。大地震が起り、聖書の時代の人々が知らなかった原発事故による放射能被害にも苦しんでいます。異常気象や食糧の問題、飢饉さえもが外交的な駆け引きの手段となるような時代になりました。また「平和憲法を守ろう」と叫ぶ青年は「利己的だ」と国会議員が批判するなど、自由にものが言えない社会になってきているようにも感じられます。福音書が書かれた時代に教会の人々が感じていた苦しみは、いつの時代にもあり、今のわたしたちにもあるのです。

 それら苦しみは、世の終わりが、神の国の到来が今、もうすでに始まっていることの徴です。世の終わり、神の国の完成がいつなのかは誰も知ることはできません。だからこそ、これらの苦しみが襲って来た時に「もうこの世も終わりだ」と慌てふためいてはならない、いや意外にも、「逃げなさい」とイエスさまは言われます。家に何かを取りに戻ることなく、一目散に逃げなさいと教えられます。そのように急いで必死に逃げていく時に、身重の女性や乳飲み子を持つ女性は不幸だ、そのことが冬に起るなら、より大きな苦しみが目に見えている、と語られます。恐ろしい大津波に襲われた東日本大震災では、まさにこの通りのことが起りました。それに加えて、目に見えない放射能からも逃げなければならず、身重の女性や乳飲み子を持つ女性たちは深い恐怖に慄(おのの)かなければなりませんでした。いつも弱い者こそが最も大きな苦難に見舞われる、そういう苦しみが、今も続いています。そうした苦難、苦しみこそ、「結婚する人たちはその身に苦労を負う」と言われていることの理由でした。

 

■終末を意識して生きる

 しかし、それだけではありません。「結婚する人たちはその身に苦労を負う」と言う時、パウロは、信仰生活と、結婚して家庭を持って生きることとの間に起ってくる、あるジレンマのことを考えています。

 結婚することによって、人は妻を持ち、夫を持ち、家庭を持つことになります。子どもも与えられていくでしょう。そのようにして、この世における人間の営みが広がり、深まっていきます。しかし信仰者は、この世の営みにどっぷりと浸って、それに心を奪われて、終わりの時が迫っていることを見失ってはなりません。イエスさまが、さきほどのマルコ13章の中で「目を覚ましていなさい」と繰り返されたように、この世の営みに深く関われば関わるほど、常にそこで、その終わりを見つめなければなりません。

 そこに戦いがあります。葛藤があります。結婚し、家庭を持つことによって、ともすればこの終わりを見失ってしまい、この世の生活に心が完全に奪われてしまい、目に見えない神の支配を信じ、世の終わりの救いの完成を待ち望みつつ、主に仕え従っていくということが疎かになってしまうことを、パウロは危惧しているのです。29節の後半から31節に語られているのは、そのことです。

 「今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです」

 「妻のある人はない人のように」。それは、妻があっても無視し、関わりを持たずに生きなさいということではありません。妻との関係、夫婦、家庭の営みは大切です。それは神からの祝福です。しかしそれと同時に、信仰者はそれが自分を救うのではないことを知らなければなりません。すべては終わっていくものです。夫婦の関係は終わっていきます。それは、この世の終わりを待たなくても、死のときも起ることです。どんなに仲の良い、ずっと一緒に歩んできた夫婦であっても、どちらかが先に死ぬということが起こります。人間の営みとしての夫婦、家庭はそのように終わっていくのです。 Continue reading

3月10日 ≪受難節第4主日/招待礼拝≫『差し出された神の国』 マルコによる福音書 10章 13~16節 沖村 裕史 牧師

■人々の願い

 「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った」

 この時の状況について、こう説明されることがあります。

 「イエスに触れていただくため」とは、最後16節に「手を置いて祝福された」とあるから、イエスさまに祝福していただくためだったのだろう。イエスさまに触れていただいて、平穏無事に元気に良い子に育つよう祝福していただくために、親たちが愛するわが子を連れてきたのだ。それは、親としてのごく自然な、またほほえましい姿ではないか、と。

 しかし、今ここに幼な子たちを連れて来たのは不特定多数の「人々」で、それが親であるとは限りません。「連れて来る」というギリシア語も、抱いたり、背負ったりして、「そちらへと運ぶ」といったニュアンスの言葉です。親子が七五三の宮参りよろしく、手をつないで仲良くやってきたというのではありません。人々は抱き抱えるようにして、背負うようにして、子どもたちを連れて来たのです。

 8章31節以降、繰り返される受難予告の中、子どもが登場するのは、これで三度目です。ここに登場する子どもたちが皆、同じ状況にあったとは言えないまでも、当時の子どもたちが置かれている状況は、わたしたちが日頃、目にしているものとはおよそ異なるものでした。頻発する飢饉や災害、止むことのない戦争や紛争、蔓延する病気や貧困によって社会が混乱する中、最初に被害をこうむるのは決まって子どもたちでした。地域や時期によっては、大人になるまで親が生きていることなどほとんどありえないことでした。多くの孤児が残されました。彼らは、社会の中で最も弱く、傷つきやすい、その代表的な存在です。今、ここに連れてこられた子どもたちがそういう孤児であったということは、十分にあり得ることです。

 旧約聖書は、孤児(みなしご)や寡婦(やもめ)、また寄留者と呼ばれる外国人たちを、社会全体で保護するようにと繰り返し説いています。古代社会では、家族の生存は父親の双肩にかかっていて、父親が死別した家庭は、生きる手だてをなくしたも同然でした。彼らは共同体の支援を必要としていました。そのとき、聖書が求める援助は、倫理に基づく施しでも、政治が目指す目標でもありません。それは神が与えてくださっている、愛と恵みへの応答―信仰に基づくものでした。

 イエスさまは手をさし伸べて、重い皮膚病の人に「触れて」清くし、舌に「触れて」そのもつれを取り除き、目に「触れて」見えるようにし、切り落とされた耳に「触れて」癒し、手に「触れて」熱を去らせました。また、病気に悩む人がイエスさまに「触れよう」として押しかけ、イエスさまの服の房に「触れて」いやされました。そして今、飢えや病や戦いに深く傷つき、生きることもままならない子どもたちを、親ではなく「人々」が抱きかかえるようにして連れ来たのではなかったでしょうか。ここに記される「人々」は、神の愛と恵みへの応答として、まさに信仰に基づいて、そして何よりも具体的で、切実な愛の思いをもって、イエスさまに「触れて」いただくことで、この子どもたちを癒し、困窮から救いたい、ただ、そう願ったのではなかったでしょうか。

 

■弟子たちの罪

 ところが、弟子たちはそんな人々を叱り、追い返そうとします。理不尽とも思える弟子たちの態度にも、しかし理由がありました。

 直前10章の1節、イエスさま一行は、それまでいたガリラヤ地方を後に、南へと移動を始めます。目的地はエルサレムです。次の11章でイエスさまは、そのエルサレムに入られます。入られたわずか一週間の内に、イエスさまは捕えられ、十字架につけられて殺されます。そう、エルサレムへの旅はまさに、十字架の苦しみと死への歩みでした。イエスさまは十字架をはっきりと自覚し、そのことを繰り返し弟子たちに告げられますが、彼らにはその意味がよく分かりません。ただ、イエスさまがこれから緊迫した大事な場面を迎えようとしておられる、そのためにエルサレムへと向かっておられるのだろうということは薄々感じていたはずです。

 今、大事な時を迎えようとしておられる。そんな時に余計な負担はおかけしたくない。それでなくても、病気を癒していただこうとたくさんの人々が押しかけて来たり、時には敵意を胸にファリサイ派の人々がやって来ては、罠を仕掛けようと議論を吹っ掛けてくる。この上、子どもたちにまで纏(まと)わりつかれたら、疲れ果ておしまいになるだろう。弟子たちはそんな配慮、気配りをしているだけで、人々を叱りつけ妨げたのもそれなりの理由のあることでした。

 しかし、これまでのイエスさまと弟子たちのやり取りを振り返るとき、イエスさまへの配慮、気配りであるかのように見えるその叱責と妨害の中に、拭おうとして拭い切れない弟子たちの罪が見えてきます。そもそもそれがイエスさまへの配慮と気配りであったのなら、弟子たちは決して叱ったり妨げたりはしなかったはずです。なぜなら、直前9章37節でイエスさまは子どもを抱き上げて、「このような子供の一人を受け入れなさい」と教え、続く39節ではわたしの名を使って奇跡を行う者を「妨げてはならない」と諭されていたからです。

 そう教えられていたはずの弟子たちの心の中にあったものは、子どもへの祝福を求めてやって来る人々に対する「批判と優越感」でした。人々は、イエスさまの都合など考えずにやって来て、祝福と癒しだけを求め、それを受けると元通りの自分中心の生活へと帰って行くだけではないか。人々は、イエスさまに従って生きようとか、自分の生活や財産を投げ打ってイエスさまの弟子となり、従って行こうなどとはこれっぽっちも考えていない。ただイエスさまを利用しようとしているだけではないか。それは、イエスさまの名によって勝手に奇跡を行うだけで、従おうとしない者たちと同じではないか、という批判です。

 そしてそこに潜んでいる思いは、自分たちはこれまですべてを捨ててイエスさまに従ってきた、いろいろな苦しみを負いながら弟子として歩んできた、このわたしたちこそが…という優越感です。誰が一番偉いかを議論していた弟子たちの姿(9:34)が重なります。わたしたちは、自分の幸せだけを求めて、神を、イエスさまを利用しようとするだけのこの連中とは違う、だから彼らを叱り、追い返す権利がわたしたちにはある、そう考えていたのでしょう。

 

■祝福の言葉

 そんな弟子たちへの、イエスさまの怒りは大きなものでした。

 「これを見て憤り、弟子たちに言われた。『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」

 「憤る」とは、「非常に」と、「悲しんでいる、怒っている」または「我慢できない」という言葉が一つにされた、激しい怒りを表す言葉です。子どもたちを連れて来た人々を叱った弟子たちを見て、イエスさまは非常に悲しい、とても我慢などできない、と激しく怒られます。

 そして、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」と言われます。弟子たちは連れて来た「人々」を問題とし、彼らを叱り妨げたのですが、今、イエスさまが問題としているのは、意外にも、激しいまでの怒りを向けられた「弟子たち」ではなく、「子供たち」です。イエスさまが、来るままにさせ、受け入れるようにと命じておられるのは、子どもたちを連れ来た人々ではなく、苦しみ、傷ついているであろう、その子どもたちです。イエスさまの眼差しが子どもたちに向けられ、イエスさまの手は真っすぐに子どもたちに向けて差し出されます。

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2月25日 ≪受難節第2主日礼拝≫『平和な生活を送るために』 コリントの信徒への手紙一 7章 8~16節 沖村 裕史 牧師

■結婚についての教え

 この7章のテーマは、結婚についてです。コリント教会からパウロのもとに、信仰に生きる者として結婚をどのように受けとめ、考えたらよいのかという問い合わせがあり、パウロはそれに答えようとしています。前回読んだ7章1節から7節には、結婚についての基本的な考え方が示されていましたが、一転、今日の8節からは、未婚者とやもめの場合、既に結婚している人の場合、また結婚した片方だけが信仰者である場合というふうに、様々な具体的なケースについて語られていきます。

 その最初、未婚者とやもめ、つまり今、独身である人たちのケースですが、この人たちに、8節「皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう」とパウロは教えます。この手紙を書いているパウロは独身でした。その自分と同じように、今、独身である人は独りでいるのがよい、そう教えるのです。

 ところが続く9節には、「しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです」とあります。独身でいる方がよいが、しかしどうしても自分を抑制することができず、性的な欲望が内に燃え上がって、みだらな行いに陥りそうになるなら、むしろ結婚した方がよい、と言います。パウロにとって結婚は、なるべくしない方がよいが、やむを得なければ仕方がないから認める、というものであるように思えます。しかし前回1節以下でもお話ししたように、それはパウロが本当に言おうとしていることではありません。1節にも「男は女に触れない方がよい」とあり、結婚は基本的にしない方がよいと語られているように思えます。そして2節には「しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、女はめいめい自分の夫を持ちなさい」と言われているので、結婚はやはり「みだらな行いを避ける」ための必要悪のようなものだと考えられているようにも思えます。

 しかしそれは、創世記2章にある、神が人間を男と女、互いに違う者として造られた、その二人が互いに向き合い、互いに支え合うために一つとされた神の御心―神が結婚を祝福してくださっているという聖書の結婚観と矛盾するものです。そして2節以下でパウロが教えていることも、むしろ結婚を積極的に勧め、結婚した夫婦の肉体的な交わり、関係を大切にしなさいということでした。パウロは、結婚や肉体的な関係を悪とみなし、しない方がよいと言っているわけではありません。

 

■離縁してはならない

 今日のところも同じです。10節以下は、既婚者、結婚している人に対する勧めですが、そこには、妻は夫と別れてはいけない、夫は妻を離縁してはいけないと教えられます。また結婚している人は独身に戻ろうとするな、とも言います。結婚が悪であって、独身であることの方が信仰的によいのなら、むしろ離婚を勧めたらよいわけですが、そうは言いません。

 むしろ10節に「こう命じるのは、わたしではなく、主です」とあるように、離婚の禁止はイエス・キリストの命令である、と言われます。ここで意識されているのは、マルコによる福音書10章2節以下の教えでしょう。

 イエスさまは、旧約聖書の律法には、夫は離縁状を書いて渡せば妻を離縁できると書かれているが、そのように離婚を認めた掟こそ、人間の罪に対するやむを得ない妥協だったのであって、本来の神の御心はそうではない、とはっきりと語られます。そして「神が結び合わせてくださったものを、人が離してはならない」と宣言されます。このイエスさまの教えからは、結婚がやむを得ない必要悪であるというような考え方は決して出てきません。結婚はむしろ神が二人を結び合わせ、一体としてくださることであって、そこには神の祝福がある。人間はその神による祝福を大切にすべきで、万やむを得ない場合以外には結婚を解消してはならない。パウロはこのイエスさまの教えに基づいて語り、教えています。

 続く12節以下には、「主ではなくわたしが言うのですが」とパウロ自身の言葉として、夫婦の片方だけが信者であるケースのことが教えられています。

 そこでも、信者である夫あるいは妻が、信者でない妻あるは夫と、信仰のゆえに離婚してはならない、と言います。信仰を共にすることができなくても、相手が共に生きることを望んでいるなら、別れてはならない。しかし、自分の信仰のゆえに相手が去っていくのなら、その場合には離婚することも仕方がない、と続けます。

 ここに示されている基本的な姿勢は、信仰のゆえに結婚を軽んじたり、それを解消しようとすることがあってはならない、ということです。

 当時、実際にそういうことがあったのでしょう。それに対してパウロは、それは正しい信仰のあり方ではない、と言います。キリストを信じる信仰者は、結婚を、たとえそれが信者でない人との結婚であっても、決して軽んじたり、解消しようとしたりするべきではない、それがパウロの教えでした。

 

■結婚に縛られない

 12節以下には主(おも)に、既婚の人、特に信者でない妻を持つ夫、信者でない夫を持つ妻に対する勧めが語られていますが、初代の教会の時代、そのようなケースが沢山あったようです。そしてそれは、今の日本の教会、わたしたちの状況でもあります。夫婦の片方だけが信仰者であるというケースの方がわたしたちの中では圧倒的多数です。ここに語られていることはわたしたちにとって、とても身近な、また切実な問題であると言えるでしょう。

 そんな問題の一つが、信者ではない相手が、信仰を持っている人間とはとても一緒には暮らせない、共に生きることなどできないと言って去っていく、という場合です。15節です。

 「しかし、信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られてはいません」

 思わず「おやっ?!」と立ち止まりそうになる言葉です。ここまでのところでパウロは、信仰のために自分から結婚を解消してはならない、と繰り返し教えているからです。それなのに、ここでは信者でない相手が離れていくなら去るに任せなさい、つまり別れなさい、と言います。

 おそらく結婚していた夫婦がいたのでしょう。二人とも信仰者ではありませんでした。ところがその夫か妻がキリストの言葉を聞いて、信仰を持つようになりました。しかし相手は理解してくれません。理解してくれないどころか、「クリスチャンになったあなたとは一緒に生活できない」と言って離婚を申し立てます。そのときには、その人の望み通りに別れなさいと言うのです。

 そうすると、10節でパウロが伝えている離婚を禁止しているイエスさまの言葉に背くことになるのではないか、どう考えたらいいのであろうか。そういう問いが、コリントの教会からパウロの下に送られてきていたのかもしれません。そこでパウロが答えています。この中にとても大切な言葉があります。

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2月11日 ≪降誕節第7主日礼拝≫『神からの賜物によって』 コリントの信徒への手紙一 7章 1~7節 沖村 裕史 牧師

 

■結婚の祝福

 「そちらから書いてよこしたことについて言えば」

 コリントから様々な質問や問い合わせがパウロのもとに寄せられていました。誕生して間もないコリントの教会にとっては、信仰のことだけでなく、実際の生活上の導きをパウロに仰がなければなりません。パウロが最初に取り上げたのは「結婚について」でした。コリントの信徒たちが教会という交わりの中で共に生きようとしていたそのとき、彼らは結婚生活に関わる大きな混乱を味わっていました。いえ、むしろ結婚生活こそ、共に生きることが試され、それぞれの信仰の姿が外に現れる場所であったと言えるのかもしれません。

 パウロはストレートにこう答えます。1節後半、

 「男は女に触れない方がよい」

 結婚はしない方がいい、肉体関係を持つこと自体避けた方がよい、ということでしょう。しかし続く2節ではこう言っています。

 「しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい」

 これは結婚の容認、いえ、ただ結婚してもよいというのではありません。「男はめいめい自分の妻を持ちなさい、女はめいめい自分の夫を持ちなさい」。持ちなさい。命令です。結婚しなさい、と命じています。どういうことでしょうか。結婚はしない方がいいという1節と、結婚しなさいという2節。これはどうつながるのでしょうか。

 それをつなげているのが、2節の始め「みだらな行いを避けるために」という言葉だ、と説明されます。結婚はできるだけしない方がよい。しかし人間はすべての生き物と同じように、神の創造の御業の時に「産めよ、増えよ」(創1:22,28)と祝福され、繁殖する力、性的欲求を持って造られた。いわば祝福された本能だ。ただ、それが間違った仕方で発揮され、みだらな行いに走ってしまうことがある。そのことを防ぐために、結婚して夫婦の間だけにその欲求を留めておく。そのために結婚が容認されている、と。

 長くそう読まれ、説明されてきました。しかしこの読み方は正しいのでしょうか。この読み方によれば、結婚は本当はしない方がよいのだが、人間の弱さ、とめどない欲望への配慮として認められた、いわば必要悪だということになります。パウロは結婚をそういうふうに考えているのでしょうか。それが結婚についての聖書の教えなのでしょうか。だとすると、教会が結婚式を行うのは、本当はしない方がよいことをやむを得ずしている、ということになるのでしょうか。

 結婚の意義について語られている最も重要な聖書箇所は、創世記2章18節以下です。そこには、人は男と女に、つまり互いに異なるものとして創造され、その相異なる二人が「結ばれ…一体となる」、結婚は神の御心によることだ、と語られます。その御心とは、18節にある「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」ということでした。この御心によって、向かい合って、助け合い、共に生きる相手として男と女が造られ、「ひとつ」とされたのです。神は、人が結婚して「向かい合い、助け合い、共に生きていく」ことを「良い」ことと考え、そのように人をお造りになった。結婚を必要悪として、やむを得ず認めるというのではありません。むしろ、結婚を神の「祝福」と見ています。これが、聖書の結婚観です。

 パウロもまたその教えを受け入れていたはずです。その彼が「みだらな行いを避けるために結婚しなさい」と言うのは、「そもそも結婚はみだらな行いを避けるためにある」と結婚の目的を語っているとは到底考えられません。

 直前6章後半からのつながりで言えば、「みだらな行いを避ける」のは、神から与えられた、かけがえのないこの体を傷つけたり、損なったりすることなく、神の栄光を現わすために用いていくためでした。そのためには、結婚をすることがふさわしい、パウロはそう勧めているのではないでしょうか。

 

■務めを果たす

 では「男は女に触れない方がよい」とは、どういうことなのでしょうか。

 実は、これはパウロの言葉ではなく、「そちらから書いてよこしたこと」の内容ではないか、と考えられます。とすれば、ここの訳は「そちらから書いてよこした、男は女に触れない方がよい、ということについて言えば」となります。最近のいくつかの英語訳聖書でもそう訳されています。コリント教会の中に、「男は女に触れない方がよい」という、結婚を否定し、独身であることをよしとする人々がいたのだ、ということです。

 この独身主義は、今日見られるような、個人のライフスタイルの多様化によって起ってきたことではありません。信仰的理由によるものです。教会の中にそうした主張が出てきたことには、いくつかの理由があります。

 その一つは、イエス・キリストご自身が独身であったこと、そしてこの手紙を書いているパウロも独身であったことです。7節に「わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい」とあるように、パウロは、自分が独身であることを喜んでいますし、それを人々にも勧めています。しかしそれは、クリスチャンは皆、そうすべきだということではありません。パウロにとって、その方が、主に仕え、主の栄光を現わしていくためには「よりよい」ことという意味でした。いずれにせよ、キリストやパウロが独身であったために、それに倣って、独身を貫こうとする人々が教会の中に出てきました。そのこと自体が問題というのではありません。しかしそこには、もう一つ別の理由があったようです。

 パウロのように主に仕えるために独身でいるというよりも、聖なる者とされた信徒は、性的関係によって汚れてはならない、夫婦であっても性的な交渉は避けるべきだ、と極端な主張をする人たちがいたようです。結婚など無意味だ、肉体に関わる事柄に囚われたくない。そんな思いから結婚しない人や、わざわざ離婚して独身になろうとする人や、結婚はしていても肉体的、性的な関係を拒む人も出たようです。

 しかし、パウロはそのような考えに賛成しません。すでに結婚している夫婦は性的関係を断つべきではないというのが、まずここで教えられていることです。3節に「夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫に、その務めを果たしなさい」とあります。「務めを果たす」というのは、4節に「体を意のままにする」とあることからわかるように、肉体関係を持つことを含んでいます。夫婦が互いに相手に対して、その務めを果たしなさい、肉体関係を拒んではならない、とパウロは言います。肉体関係を含む結婚は、決して汚れたことや罪ではなく、創世記に「結ばれ…二人は一体となる」「二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」(2:24-25)とあるように、それはむしろ、神が定められたこと、祝福なのだ、と聖書が教えているからです。 Continue reading

2月4日 ≪降誕節第6主日「招待」礼拝≫『愛に触れた女』 マルコによる福音書 5章 24b~34節 沖村 裕史 牧師

■触れる

 人にとって、誰かに触れること、触れられることは、とても大切です。

 こどものとき風邪を引くと、母がいつも「たまござけ」をつくってくれました。「たまござけ」と言っても、若い人は知らない方が多いかもしれません。今風に言えば、生卵を酒で割ったホットドリンクです。お酒が強く匂い立ち、苦手なわたしは鼻をつまんで、我慢して飲んでいたことを思い出します。ぽかぽかと体が温まり、栄養価の高いたまごで滋養をつけて、一日じっと寝ていれば、風邪はあっという間に治りました。

 でも、小さなわたしにとっての一番の薬は、母の手でした。寝ているわたしの額ではなく、頬を両手でやさしく包んで、「大丈夫よ」とひと言。家事も畑仕事も郵便局の仕事もこなす、母の手はガサガサに荒れていたはずなのに、わたしの頬を触れるその手はなぜか、温かく柔らかで、とても気持ちのよいものでした。病気になったとき、苦しいことがあったとき、もうだめだとあきらめそうになるとき、どんな言葉も耳に入らなくても、そっと触れてくれる母の手が今も、わたしを慰め、励ましてくれます。わたしは母の愛に触れ、触れられていたのです。

 

■藁(わら)をもつかむ

 今日の聖書には、人にやさしく触れられることも、そっと触れることさえなかったひとりの女が、愛に触れることのできた、その瞬間が描かれています。

 湖のほうから大勢の人々がやってくるのを、ひとりの女が道端に座ってぼんやりと眺めていました。あんなに大勢の人が群がってくるなんて、何事だろう…。ふつうなら不審に思い、好奇心を抱くところですが、女のこころは麻痺したように動きません。

 長い、長い年月、病み患い、貧しさにも苦しんできました。血が下りて止まらなくなって、もう十二年にもなります。人が勧める治療は何でもやってみました。高い治療費を払って、医師にもかかりました。それでも治らない焦りにつけこまれて、騙され、法外なお金を巻き上げられ、すべてを失ってしまいました。それでも血は止まりません。じくじくと出血し続ける患部は爛(ただ)れて痛み、血が滲(にじ)む裾(すそ)は黒ずんで厭な臭いをたてています。

 周囲の人々は女を蔑みの目で見、子どもたちはわざと傍にやってきては、「臭い」と鼻をつまんで逃げ出します。そんな侮辱に、一々(いちいち)こころを騒がせていては生きていけないと分かっているので、こころを硬くして鈍感になろうと努めてきました。心を固く閉ざそうとするそんなとき、女は決まって自分の指先をみつめ、つぶやきます。

 「汚れた手、垢(あか)がつまった爪先。この手がどんな悪いことをしたというのだろう。なにか悪いことをしたんだ、罰(ばち)があたったのだと言われるけど、そんな心当たりはない。でも、こんなにも長く病気が続き、人からずっと蔑まれていると、本当に自分が悪いのではないかと思えてくる。いやきっと、そうなのだ」

 女の病は治る見込みのない、肉体的にも経済的にも大きな負担となるものでした。いえ、それだけではありません。そうした病に犯された人間は、不浄のもの、穢(けが)れたもの、罪人とみなされ、神殿での礼拝はもとよりのこと、人との接触の一切を禁じられていました。

 そう、誰かに触(さわ)ることも、誰かに触(ふ)れられることも、一切許されませんでした。

 人目を避け、隅の隅に隠れるようにして暮らしていたその女が、その日はなぜか、ふらふらと道端に出ていました。群がってくる人々が叫びたてます。

 「ナザレのイエスだ!ようやくほんとの救い主が来た!奇跡のひとだ!」

 女は、ゆっくりと頭をあげます。

 「奇跡…」

 のろのろと、女は立ち上がります。お金だけ巻き上げられて病気は治らない、そんな目に遭う心配はありません。もうお金など一銭もありません。病気は死ぬまで治らないのかもしれない。

 「でも、奇跡が…奇跡なら」

 みつめる女の眼に一筋の光が射しました。人々の群れの中から、その光は発していました。光に向かって女は、やにわに走り出します。

 すべてに望みを失っていた女は、最後の望みをイエスさまにかけようとしています。と言っても、公然と人前に出てイエスさまにお願いのできる身ではありません。こっそりと後ろからイエスさまに近づき、その服に触れます。27節から28節、

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1月28日 ≪降誕節第5主日「招待」礼拝≫『いただいた体』 コリントの信徒への手紙一 6章 12~20節 沖村 裕史 牧師

■すべてのことが許されている

 「わたしには、すべてのことが許されている」

 冒頭、パウロはこの言葉を二度も繰り返します。気をつけてみると、この言葉に鍵括弧がつけられています。引用された言葉だということです。ただ、聖書の原文には括弧はありません。翻訳される時に、ある解釈に基づいてつけられたものです。「わたしには、すべてのことが許されている」というこの言葉は、パウロ自身の言葉ではなく、コリント教会の人々の間で語られていたもの、それをパウロが引用しているのだろうという解釈から、ここに括弧が付けられています。その通りだろうと思います。パウロがこの言葉を二度繰り返しているのは、これがコリント教会でよく知られた、多くの人が語っている言葉だったからでしょう。

 その二つの引用の直後に「しかし」とあり、この言葉に対する、何がしかの修正が加えられています。でも、ここで早合点をしてはいけません。パウロは「あなたがたはすべてのことが許されていると言っているが、それは間違いだ」と言おうとしているのではありません。この「しかし」は、前に言われていることを完全に否定してしまう「しかし」ではなく、それを正しいと認めた上で、そこにあることをつけ加える、但し書きをつけるといった働きをしています。

 「わたしには、すべてのことが許されている」。これはパウロ自身の考えでもあるのです。そうでなければ、同じ言葉を二度も繰り返して語るようなことはしないでしょう。もっと言えば、コリント教会の人々がこのように言うようになったのは、パウロの影響によるものだったと言えるのかもしれません。この教会はパウロの伝道によって生まれました。とすれば、パウロがこのように教えていたとも言えるのではないでしょうか。

 パウロが教えていたこととは何だったか。わたしたちが神によって義とされ、救われるのは、わたしたちが正しい行いをしたからでも、立派な人間だからでもない。神が御子キリストの十字架の死によって、罪人であるわたしたちを赦してくださったからだ。わたしたちは、ただ一方的な神の愛によって救われた、ということであったはずです。救いは行いにはよらない。だから、どういう行いをしたら救われ、どういう行いをしたら滅びるのか、ということではありません。たとえどんな罪を犯した者であっても、イエス・キリストの十字架の死による赦しの恵みをいただくなら、救われる。そういう意味で、為すことのすべては許されている。たとえどんな悪いことをしたとしても、そのために救いにあずかれないということはない。パウロはそう教えていたはずです。そういう意味で、「わたしには、すべてのことが許されている」と教えていたに違いありません。

 

■誤解

 しかしパウロはここで、自分自身が教えたことに、ある修正、但し書きをつけ加えようとしています。それは、コリント教会の人々がパウロのこの教えを取り違え、誤解していたからです。どんな誤解をしていたのか。そのことが続く13節、「体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり」という言葉から推察できます。

 コリント教会には、「みだらな行い」をしている人がいました。「みだらな行い」の原語は「ポルネイア」、ここから「ポルノ」という言葉が生まれました。性的な不道徳行為を指す言葉です。具体的には、この後16節にある「娼婦と交わる」ということです。教会の人々の中に、娼婦と関係を持ち、性的な欲望のはけ口とする人たちがいたのでしょう。当時のコリントは人口60万に達する大都市でした。街を一望に見下ろす丘の上に、愛の女神、美の女神アフロディテの神殿が建てられ、そこには千人もの神殿娼婦がいたと言われます。その娼婦たちと関係を持つことがごく一般的に行われていました。そういう文明の爛熟、退廃の中にコリントの教会は置かれ、その影響が入りこんでいました。

 コリント教会の問題は、そのような「みだらな行い」をしている人々が、「わたしには、すべてのことが許されている」というパウロの教えを拠り所に、自分たちを正当化していることでした。「どんな罪を犯した者でも、キリストの赦しによって救われるとパウロ先生が言っていたではないか。だから、こういうことをしてもいい、このことも許されているんだ」というわけです。しかし、それは誤解でした。

 

■本当の自由

 パウロは、「すべてのことは許されている」ことを認めつつも、そこに「しかし、すべてのことが益になるわけではない」、「しかし、わたしは何事にも支配されはしない」とつけ加えています。みだらな行いも、娼婦と交わることも含めて、すべてのことは許されているのです。「すべてのこと」と言うからには、そうしたことも確かに含まれます。これをしたら救いにあずかれない、ということはありません。しかし、許されていることがすべて、自分にとって益となるわけではありません。

 自分にとって本当に益になることは何か。そのことをしっかりと見極め、益になることを追い求め、益にならないことは避ける。それこそが、わたしたちのあるべき生き方ではないのか。そのように歩むことができることこそ、わたしたちが本当に自由であるということなのではないか。益にもならないことにうつつを抜かし、それをやめられないとすれば、それは自由ではなく、ただ欲望に支配され、欲望の奴隷となっているだけのことではないのか。これが、パウロの言おうとしていることでした。パウロが今ここで問題にしていることは、何事にも支配されない、本当の自由とは何か、ということです。「すべてのことは許されている」とは、そのことを語っています。

 わたしたちは、自由ということを自分の好き勝手にすることと勘違いしてしまいがちです。そして、そうできないから自分は自由でない、束縛されていると思い、自由が欲しいと訴えます。しかし、自分の好き勝手にするという自由は、実は欲望の奴隷としての歩みでしかありません。自由であろうとして、奴隷になっています。

 そうしたことは、わたしたちの生活の中に多々見受けられます。わたしたちは自由に使えるお金が欲しいと思い、頑張って働いてお金を貯め、それを使って何かを買うことで、自由を得たような気になります。しかしそれは、お金に踊らされ、購買意欲をそそる巧みなコマーシャルやその時々の流行に支配されて、お金を使わされているだけであったりします。本当の自由とは、すべてのことが許されている中で、しかし欲望に支配されず、本当に必要な、益になることに力を注ぐことができるということです。それこそが本当の自由であり、そういう自由をこそ求めていくべきだ、とパウロは言っているのです。

 このパウロの言葉を味わうために、哲学者・池田晶子の著書『14歳からの哲学』の中から「自由」と題された文章の一部をご紹介します。

 「…自分がしたいことをすることが自由であるということだとする。そして、人が自分がしたいことをするのは、それが自分にとってよいと思われるからするのであって、自分にとって悪いと思われることはしないのだったね。でも、人はそれが自分にとってよいと思われるからするのだけれども、それが本当は自分にとってものすごく悪いことで、そのことを知らないから、それをよいことだと間違えてするとする。だとすると、このとき人は、自分にとって悪いことをしているわけで、決してよいことをしているわけではない。しかし、人は常に自分にとってよいことをしたいはずなのだから、よいことではない悪いことを、知らずにしているその人は、本当は、自分がしたいことをしているのではないということになる。自分では、自分は自分のしたいことをしていると思っているのだけれども、本当は、自分がしたいことなんかしていない。自分がしたいことをしていないのだから、自由ではない。だから、悪いことをすることは自由ではない。悪いことをする自由なんか、ない、と、こういうことになるね。法律によって禁止されているから泥棒や殺人の自由がないのではなくて、たとえ法律の禁止がなかったとしても、それは自分にとって悪いことだから自由なことではないということだ。この違いに気がついているかいないかが、人が自由に生きられるかどうかの分かれ目だ」

 いかがでしょう。

 

■体は主のため

 「だから」とパウロは続けます。13節、

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1月21日 ≪降誕節第4主日「招待」礼拝≫『わたしから離れて』 ルカによる福音書5章 1~11節 沖村 裕史 牧師

■ゲネサレト湖

 「群衆」と記される無数の人々がイエスさまから「神の言葉」を聞こうと、押し寄せるように集まっていました。しかし、そこにシモン・ペトロの姿はありません。ペトロは、ただ黙々と網を洗っているだけでした。

 「漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた」

 この言葉に当時のガリラヤの漁師たちの悲しい歴史が滲みます。

 ガリラヤの湖はその水産資源の豊かさからローマ帝国や領主に目を付けられ、そこで漁をする者たちも彼ら支配者たちの管理下に置かれ、漁獲量の40パーセント近くを税として納めることで漁業権を得ていました。特に塩漬けにされたガリラヤ産の魚はローマでの評判も高く、貢ぎ物として大量に納められるため、漁師たちの口に入ることはほとんどありません。漁師たちはまさに帝国や大土地所有者の収奪の対象でした。

 そもそも、ガリラヤ湖という名は正式な名称ではありません。旧約聖書には、キンネレト湖と記されています。ヘブライ語で「竪琴の海」という意味です。琴を奏でるような漣(さざなみ)、その穏やかな湖が人々にそう呼ばせたのでしょう。ところが、このキンネレトがヨハネ福音書では「ティベリアス湖」と呼ばれています。この名は、ガリラヤ領主の座に着いていたヘロデ・アンティパスがローマ皇帝ティベリアスに諂(へつら)って、湖畔にティベリアスという街を造ったことに由来します。ティベリアスの街を中心に、その湖畔に多くの人が移住させられ、貢ぎ物の生産に酷使されました。最初の弟子であるシモンも、その兄弟アンデレも、そのいずれもがユダヤ系の名前ではなく、ギリシア系の名前です。彼らも、貢ぎ物の生産のために移住させられた人だったのかも知れません。

 そして今日のルカ福音書は、この湖を「ゲネサレト湖」と呼んでいます。ゲネサレトはキンネレトが訛(なま)った言葉だと言われます。しかしそこにもはや、「竪琴の海」といった意味はありません。琴の海という穏やかな名の湖が、ローマ皇帝の名前をとってティベリアス湖と名付けられる。キンネレトという美しい名前の響きも、由来も失われ、ただゲネサレトと呼ばれる。湖の名前の変遷からも、この湖が背負ってきた悲しい歴史が伺われます。そして、そこで漁師を生業とする人々が背負っていた屈辱の歴史も見えてくるようです。

 イエスさまは、なぜ、このガリラヤ湖の湖畔を拠点に宣教活動を始められたのでしょうか。もしかすると、植民都市ティベリアスの建設にあたって、大工であったイエスさまも駆り出されていたのかも知れません。ティベリアスの建設は紀元18年頃のこと、イエスさまが20代の時です。若い大工のイエスさまがその建設に参加させられた可能性は充分にあり得ることです。やがて30歳になって福音宣教を始められたイエスさまは、自分が建設に加わった街にたくさんの人々が移住させられ、ローマに貢ぐ魚が水揚げされ、塩漬けが作られていく様を、またそこで働かされる漁師たちの疲れ切ったその姿をご覧になっていたことでしょう。

 

■空しく網を洗う

 「わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」

 夜通し働いて魚一匹捕れず、陸に上がり、ただ黙々と網を洗うペトロたち。切ない光景です。徒労感が漂い、高揚感や充足感など微塵もありません。

 そんな時に、神の言葉を聴こうなどということは思いもよらないことです。神の言葉を聴くのは心に余裕のあるときのこと。必死になって、この世の生業(なりわい)に生きている人間に、神の言葉を聞きに行く暇などあるものか。信心も悪くはないが、世知辛(せちがら)い、忙(せわ)しない生業を生きる者にとって、それは二の次のこと。妻の母を癒してくださった、力ある方には違いない。しかしそれも、この空しさ、この疲れの中にうずくまるほかない自分にとっては、何の益にもならない、ペトロはそう思っていたのではないでしょうか。

 すぐ傍(そば)近くにいながら、神の言葉に背を向け、耳を傾けようともせず、肩を落として、ただ網を洗っているその姿をご覧になって、いえ、そうであればこそ、イエスさまは彼を招かれました。

 シモンが不信仰であったというのではありません。わたしたちも同じではないでしょうか。祝福された幸せなクリスチャンが、教会の活動に参加し、何もかもうまくいき、友人たちも幸せで、信仰の喜びに満ち溢れている。そこに、思いもよらぬ悲劇が襲い掛かってくることがあります。突然のこともあれば、徐々にという時もあります。いずれにせよ、すべてが変化します。心も家庭も冷ややかになり、神が遠く離れてしまったかのようです。罪の思いに囚われます。誘惑に苛まれます。教会が重荷になり始めます。思い煩いが増し加わります。こうして、中途半端な信仰心は木端みじんに砕かれてしまいます。空しさや思い煩いから逃れようとすべてを投げ出すか、あるいは目の前のことや仕事に熱中することで、信仰生活はさらにおざなりなものとなっていきます。

 このとき、一生に何度かはこんな不漁のときもあると、大漁の喜びを思い起こしつつ空しさを打ち消し、やり過ごそうとするのも、ひとつの道であったかもしれません。しかし、そのように自分で自分の空しさに折り合いをつけるよりも何よりも、その空しく網を洗っているペトロのところに、イエスさまがやって来られたのです。そこに入り込んで来られ、招いてくださるのです。

 

■信仰と不信の間

 「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた」

 馬鹿げたアドバイスでした。ペトロにはいくらでも断る理由がありました。夜通し頑張ったのです。今はもう昼です。漁の時間はとうに過ぎています。疲れ果ててもいます。沖へと漕ぎだす力もありません。わたしにそんな力は残っていません。できません。不可能です。やんわりと、またの時にいたしましょう、と断ってもよかったのです。しかし、ペトロは漕ぎ出します。

ペトロはイエスさまの言葉に従いました。その理由は、ただひとつ。

「お言葉ですから」

この「お言葉ですから」という言葉を原文で読めば、あなたの言葉だけをたよりに、あなたの言葉に賭けて、となります。あなたが語られた言葉に、わたしは従います、賭けます。イエスさまの言葉だけをたよりに、ペトロは踏み込んでゆき、あえて漁をします。

 言葉だけを頼りに、深い湖の中へと踏み込んでゆく。これは、それまでのペトロの知らなかった歩み、新しい歩みでした。自分の力、自分の経験、自分の知恵を頼りとし、過信するのではなく、ただ素直に「あなたの言葉」に賭ける、信仰の歩みの始まりでした。 Continue reading

1月14日 ≪降誕節第3主日礼拝≫『不義に甘んじ、奪われるままに?!』 コリントの信徒への手紙一 6章 1~11節 沖村 裕史 牧師

■正しくない人々に

 冒頭1節に「あなたがたの間で、一人が仲間の者と争いを起したとき」とあります。教会の仲間、信仰者どうしの間に争いがあり、6節にあるように「兄弟が兄弟を訴える」ということが起っていました。

 具体的にどのような争いであったのかは分かりません。ただ、2節に「ささいな」とあります。これは「最も小さいもの」という意味の言葉です。3、4節にも「日常の生活にかかわる事(争い)」とあります。人の人生が大きく左右されてしまうような重大なことではない、小さなことが原因の争いだったようです。

 しかし今、パウロが問題としているのは、もめ事それ自体ではありません。1節後半、

 「聖なる者たちに訴え出ないで、正しくない人々に訴え出るようなことを、なぜするのです」

 パウロは、教会内のもめ事を「聖なる者たち」に訴えずに、教会の外の「正しくない人々」に争いを訴えていることを問題にしています。

 この「正しくない人々」とは、具体的には教会外の裁判官たちのことを指していますが、それは、6節の「信仰のない人々」と同じ意味です。この「正しくない」とは、世の裁判官たちが正義を損なっている、「倫理的に正しくない」ということではなくて、「神を信じていない」「神の救いにあずかっていない」という意味です。

 それに対して、教会内の信徒が「聖なる者たち」と呼ばれているのもまた、信徒たちが倫理的に清く正しい生活をしているという意味ではありません。この手紙から分かるように、コリント教会の人々はそう呼ばれるにふさわしい人々ではありませんでした。これも、神との関係を指す言葉です。神を信じ、神のものとされ、神の救いにあずかっている。それが聖書の「聖なる」という言葉の意味であり、それゆえにコリント教会は「聖なる者たち」でした。

 その上で、教会内の争いはこの世の裁判に訴えるのではなく、自分たちの中で、教会の中で解決すべきだ、とパウロは言います。

 これを聞いて、いやいや、「日常の生活にかかわる事」とは、まさにこの世的な事柄なのだから、この世の裁判に訴えるのが当然ではないか、と思われた人がおられるかもしれません。あるいは、それはただ臭い物に蓋をするということではないのかと、疑義を挟む人がおられたやもしれません。しかし、それは誤解です。

 ここでパウロが言っていることは、直前5章で語っていたことでもあります。そこには、みだらな行いをしている人に対して、教会はその罪をうやむやにするのではなく、愛すればこそ、それを指摘し、救いのために悔い改めを求めるべきだ、そう語られていました。「聖なる者たち」、十字架による「罪の赦しの恵みに生きる人々」は、自分たちの中で起った罪の問題を真正面から取り上げ、愛をもって解決することができるはずだ、パウロはそう教えているのです。

 

■世を裁く

 それなのに、とパウロは言います。5節、

 「あなたがたを恥じ入らせるために、わたしは言っています。あなたがたの中には、兄弟を仲裁できるような知恵のある者が、一人もいないのですか」

 ギリシア文明の中に暮らすコリント教会の人々は、自分たちの知恵(ソフィア)を誇り、高ぶっていました。パウロはその高ぶりを思いつつ、しかしあなたたちには、自分たちのもめ事を仲裁するその知恵もなく、それを教会の外の人に頼んでいる。あなたがたの誇る知恵とは一体どこにあるのか、恥ずかしく思うべきだと皮肉を込めて嗜(たしな)めます。続く6節の「兄弟が兄弟を訴えるのですか。しかも信仰のない人々の前で」という言葉にも、そんな思いが表れています。

 宗教改革者カルヴァンが、このときのパウロの思いをこう語っています。パウロがこう語っているのは、「福音が傷つけられ、キリストの名が不信者の笑いものにされ、あざけりの的とされるからである」。信徒が法廷に出頭するように召喚された場合と違って、「強制されたのでもないのに、自分からすすんでクリスチャンの兄弟を不信者のもとへつき出すような者、いわばほかに手段がないわけではないのに、兄弟を不信者の手にかけて苦しめようとする者を断罪しているのである」と。

 しかし、パウロがこう教えていることには、もっと大切な、もっと本質的な理由がありました。それが2節です。

 「あなたがたは知らないのですか。聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたにはささいな事件すら裁く力がないのですか」

 「あなたがたは知らないのですか」とは、大切なことを語ろうとする時のパウロの口ぐせです。その大切なこととは、「聖なる者たちが世を裁く」ということです。パウロが言う「裁き」とは、この世の、人間による裁きのことではありません。そのことが3節の「わたしたちが天使たちさえ裁く者だということを、知らないのですか」という言葉からも分かります。天使とは神からの使者のことです。その天使をも裁く権威は、すべてのもの、天使をも造られた神だけが持っています。パウロの「裁き」とは、世の裁きの上にある、神による裁き、世の終わりの、最後的、究極的な裁きのことです。その神による最後の審判のときに、聖なる者たち、信仰者たちも、神と共に裁く者とされるのだと言います。神の裁き主としての権威に、わたしたちが共にあずかる者となるのだということです。その約束が、その恵みが、神の独り子イエス・キリストによってわたしたちに与えられていました。マタイによる福音書19章28節です。

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12月31日 ≪降誕節第1主日/歳末感謝礼拝≫『この方が神を示された』 ヨハネによる福音書 1章 14~18節 沖村 裕史 牧師

■見えないけどあるもの

 夜空の星はいいものです。街中ではなかなか見えにくいので、時に九重連峰まで車を走らせ、夜、空を見上げます。ああ、夜空に輝く星は美しい、思わずつぶやきます。夏が近づくと、ちょうど真上あたり、天の河が流れるその中に、三角形が見えます。ベガ、デネブ、アルタイルの雄大な「夏の三角形」です。そして日暮れの早くなる十二月には、東の空に大きなオリオン座が現れます。オリオン座のベテルギウスとおおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンを結ぶと、そこにも大きな「冬の大三角」ができます。

 星の何に惹かれるのでしょうか。

 星は孤独…そんな感じがするからかも知れません。星の孤独に比べれば、自分の孤独も小さく思えます。星はまた尊くて、近寄りがたくて、でもそのくせ近づきたいという気にもさせます。そう、星のよさは距離の遠さなのかもしれません。あれだけ離れていると、日常の雑事も吹っ飛んで、ただ遠く見つめるだけでいい、そう思えてきます。それが星のよさです。

 もう一つあります。不変です。星は簡単には変わりません。わたしが子どものころ田舎の空で見た北斗七星も、この小倉で今、見る北斗七星も同じです。星の数も、ひしゃくの形も、柄の所も同じです。カシオペアも変わりません。変わらずにはおれない人の世と違って、変わることのない星の群れ、それが星の魅力です。いつ、どこにあっても、わたしたちを照らし導いてくれる。そんな不変にあこがれます。

 そして最後にもう一つ。星は、夜は見えるのに、昼は見えません。あるのに見えない。見えないけどあるあるのに見えなかったり、見えないのにあるのは、自分の背中だけではありません。星もです。では逆に、と考えてみました。ないのに見える、見えるのにないものって何でしょう。夢や幻かもしれません。でも、わたしたちは星を知っています。そして、星と同じように見えないけれどもあるもの、あるけど見えないものを知っています。それは希望です。わたしたちは目に見えるものしか見ようとしない世界を生きています。しかし星は、あるのに見えないものを、見えないけどあるものを、希望として抱いて生きることの大切さを教えてくれているように思えます。

 そう、星はまるで神様、イエスさまのようです。

 

■暗闇に輝く希望の光

 そして今年最後の主日に与えられたみ言葉も、闇夜に輝く星のようなきらめきを見せてくれます。14節、

 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」

 「言」(ロゴス)とは、もちろん御子イエス・キリストのことですが、この福音書を書いたヨハネは冒頭1節から13節で、その「言」なる御子イエス・キリストこそ、天地創造の源であり、「いのち」そのものであり、「すべての人を照らすまことの光」である、と語ります。普通の、ただ周りを明るくするだけの光が最初に造られたというのではなく、わたしたち人間とこの世界を導く、「まことの光」として御子イエス・キリストがやって来られた。このお方こそ、この「光」こそ、世の「初め」、世の根源に立たれるお方、この世界と人間に欠くことのできないお方なのだ、そう語るのです。

 そして15節、「光は暗闇の中に輝いている。暗闇は光を理解しなかった」と続けます。口語訳聖書は、この言葉を「やみはこれ(光)に勝たなかった」と訳していました。「光は暗闇の中に輝いている」。「光」である御子イエス・キリストは、この世にあって輝き続けている。「闇」を圧倒し、輝き続けている。

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12月24日 ≪降誕前第1・待降節第4主日/クリスマス「家族」礼拝≫『飼い葉桶に眠る王』 ルカによる福音書 1章 1~7節 沖村 裕史 牧師

 

■沈黙の中に

 御子イエス誕生の記事は、わずか数行の言葉でしかありません。

 しかも、その出来事をめぐる人々の様子だけで、牧歌的な風景も、何の説明もありません。クリスマスは、ただ闇の中に沈んでいるだけでなく、沈黙に支配されているかのようです。

 その夜、地上は眠っていました。天に輝く光に気がついた人もいません。ベツレヘムという小さな町の、飼い葉桶の中に赤ん坊が生れても、天使からお告げを受けた羊飼たちが来るまで、だれも何が起ったかを知りませんでした。生まれたばかりの赤ん坊だけでなく、人々は皆、眠っていました。

 だれもそれに気づきませんでした。ただ神だけが働いておられました。

 神の働き、それは、御子をこの世に遣わされることです。神は闇の中に沈むこの世界に、御子を遣わされました。それなのに、なぜ、世界はこんなに静かだったのでしょう。なぜ、そのことに気づかなかったのでしょうか。

 それは、飼い葉桶の中に来られた救い主が、まことの救い主であったからこそ、だれも気づかなかった、だれにも知られなかったのだ、と言うほかありません。

 人々が、救い主を待ち望んでいなかったというのではありません。ローマの圧倒的な力の下にあって、問題は無数にありました。そのため、だれもが救い主を求めていました。当時、救い主という名は、決して珍しいものではありませんでした。一番分りやすい救い主は、力ある者、軍事的な指導者でした。ローマの皇帝の中で、神として崇められた者こそ、皇帝アウグストゥスでした。アウグストゥスは生きているときに、すでに神として礼拝されていたと伝えられています。そういう人につけられる称号のひとつが、救い主でした。

 一方、ヘンデルのメサイアで歌われるハレルヤ・コーラスの「王の王、主の主」という言葉は、新約聖書、ヨハネの黙示録から採られたものですが、それは、そのローマ皇帝を王とし、主とし、神とすることを強制する国家に抗い、イエス・キリストこそ、王の王、主の主である、とはっきりと告白する信仰の言葉でした。

 政治的、軍事的な王が救い主であるとすれば、その王が崇められるのは、当然のことでしょう。しかし、ダビデの町に生まれたもう一人の王、救い主イエス・キリストが、どこにも泊まるところなく、汚れた飼い葉桶の中に生まれ、宿屋に居あわせた人々や羊飼たちによってしか、救い主として知られていなかったということこそ、実に大切なことでした。

 なぜなら、この救い主がもたらした救いは、この世の力による目に見える救いではない、決してあからさまに語られることのできない、人間のまことの救いであったからです。

 

■救いとは

 まことの救いとは、何でしょう。

 人間はこのことに、どれだけ迷ってきたことでしょうか。どの時代の人間も、どの国の人間も、救いを求めてきました。その中でも人間に最も分かりよい救いは、政治的、経済的、軍事的な救いでした。だからこそローマ皇帝も救い主と呼ばれるようになりました。そしてそれが救いであるなら、それはだれの目にもすぐに見えるものであったに違いありません。

 しかし、そういう救いが「まことの救い」であると、だれが言うことができるでしょう。人間の生活、人生は、目に見える外側のことで尽せないばかりか、実は目には見えない内側のことの方がもっと大切だからです。内にあって、満足しないような救いは、どんなに豊かに見えても、何にもならないでしょう。

 パスカルが「人間は独りで死ぬ」と言いました。それは、人間の生活が孤独であることを示していますが、同時に人間の救いが、どんなに個人的なものであるかということを示しています。人間の生活はもちろん、衣食住など外の物質的な面でも満足できるものでなければなりません。しかしそうなったからといって、だれもほんとうには満足しないものです。それは、内に真実の満足がなければならないということもありますが、それよりは、わたしたちの生活、人生が、自分にだけしか分らないものだからです。いえ、自分と神にだけしか分らないものだからです。

 わたしたちはよく、心の底から、という言葉を口にします。たとえば、心の底から満足する、と。しかし、心の底と言われる、底とは何でしょうか。心の底とは言っても、その底をどうやって他の人に分ってもらうことができるでしょうか。自分の心の底など、どんなに語ってみても語り尽くすことなどできるものではありません。自分の歯の痛いのを他人に知ってもらおうとする時と同じです。いくら話をしても分ってはもらえないでしょう。同じように、わたしたち自身のことも、どう解決しようとしても、根本的には人の力では、また物質をもっては解決のしようがありません。外のことがどんなに整えられても、解決しないことが残るのではないでしょうか。

 たとえば、世の中の制度や環境がどれだけ整えられるようになったとしても、どうにもならないことが人間には残るものです。だれの生活にも付きまとう、幸福とか不幸とか、才能があるとかないとか、丈夫な体に生れついたか弱いかなど、数えあげれば切りがないほどに割り切ってしまえないことがあるものです。それはまた、だれに持っていっても解決のつけようのないことです。ただ、自分と神との間に解決するほかありません。

 その上、いくら説明しても無駄なだけでなく、説明したくない、だれにも知られたくないために説明できない、という場合も決して少なくないでしょう。そのときには、言葉を尽くして話をしても分らないというのではなく、話をしたくないのですから、さらに難しいことになります。

 このように考えると、人間の問題は、何でも明らかにしたらいいというものではなく、明瞭にできないし、明瞭にしたくないものがあるということが分かってきます。人間の問題は、人が互いに話し合って解決できるものではなく、ただ神との間でだけ、取り上げ、解決するほかないことが、はっきりしてくる、そう思わずにおれません。 Continue reading