福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

【教会員・一般の方共通】

TEL.093-951-7199

今週の教え

12月29日 ≪降誕節第1主日/歳末感謝礼拝≫『繰り返し躓き、繰り返し恵まれて』 マルコによる福音書 8章 1~ 10節 沖村 裕史 牧師

■はじめに

 クリスマスの季節は、12月24日夕刻のイヴから1月6日の公現日までです。この季節、ツリーやリースの飾りをそのままに、御子イエスが、この世界に、わたしたちのところに来てくださったことを祝います。ただその祝い、無邪気にはしゃぎまわるような「祝い」というのではありません。

 この一年も、実に様々なことがありました。年の初めから甚大な被害をもたらす災害が続き、たくさんのいのちが失われ、今も多くの方が厳しい生活を余儀なくされています。一部企業の増収増益や株式等高騰のニュースに違和感を覚えるほどに、経済回復の兆しは全く見えてきません。皮肉を込めて「日本もついにアメリカ並みになった」とつぶやいたのは、子どもの六人のうち一人が生活に困窮する貧困家庭であるとの発表を聞いた時でした。家族同士が、隣人同士がいとも簡単に傷つけあい、いのちを奪いあう、凄惨な事件が今も後を絶ちません。新たな覇権主義や原理主義による暴力が、世界中に争いと悲劇を生み続けています。虚無に彩られた闇のような世界は、わたしたちの外ばかりにあるのではありません。わたし自身の内が暗い闇の中に、独りよがりのエゴイズムや自惚(うぬぼ)れ、妬(ねた)みや嫉(そね)み、偽りや欺瞞(ぎまん)に覆われてしまいそうになることもありました。時には、思いがけない深い悲しみや苦しみのために、ひとり密かに嗚咽(おえつ)をこらえつつ、身も心も置き所なく悶(もだ)えるほかないこともありました。

 闇に囲まれ、闇の中に生きるほかないそんなわたしたちのところに、御子イエス・キリストが来てくださいました。それがクリスマスでした。今年最後の主の日に与えられたマルコによる福音書8章1節以下は、そんなクリスマスの告知にふさわしい言葉にあふれています。

 

■二つの奇跡

 御子イエス・キリストが四千人もの人々に食事をふるまったという今日の出来事は、お気づきの方もおられるかもしれませんが、6章の、五千人の人たちが五つのパンと二匹の魚によって満腹になったという出来事と全く同じ出来事のように思えます。そのため、多くの聖書学者は、同じ出来事が別々に伝えられ、徐々に二つの物語にまとめられたのだろう、マルコは律儀にその二つを二つとも書き残したのだろう、と推測します。しかし本当にそうなのでしょうか。

 そもそも御子イエスが、大勢の人たちとの分かちあいの食事を、その生涯で一度しかなさらなかったなどと、どうして断言できるのでしょうか。御子イエスは一度なさったことは、もう二度となさらないとでも言うのでしょうか。仮に、同じ出来事を別々に伝えた二つのよく似た物語であったとしても、この福音書がそのいずれをもここに書き残したとすれば、それはなぜなのか。そのことこそが大切な点です。

 

■神の国

 イエスさまが多くの人々と一緒に食事をなさった、それもイエスさまのあふれるほどの愛によって、数えきれないほどの人が満腹し、身も心も満たされた。そして神のみ国を味わうことになった。神の国が今ここにもたらされている、神様の愛の御手が今ここに差し出されていることを指し示すこの出来事は、繰り返し、繰り返し告げ知らされるべき、驚くべき神の恵みです。

 野外で共に食事をするということは、イエスさまが、当時のユダヤでの食事に関する規則、タブーを大胆に乗り越えられ、人々もまたそれに大胆に応じた出来事でした。ユダヤでは、食事の前には手を洗い、どこかで触れたかもしれない穢れを清めるようにと定められていました。罪に汚れた者とみなされる職業に就いている人、病気や障がいを負っている人、異邦人たちとの一切の関わりを断ち切ってからでないと、食事をすることは許されませんでした。汚れた人と食事の席を共にするなどということはありえないことでした。素性の知れない食べ物を安易に食べてはなりません。野外での、不特定多数の人々による分かちあいの食事は、それらユダヤ人が堅く守ってきた決まり、タブーを大きく踏み越えることでした。

 しかし、そのタブー破りの食卓によってこそ、罪人呼ばわりされ、汚れた者として排除され見下され、人としての尊厳を貶められてきた人々が、そこで人間性とその尊厳を回復されたのです。神に与えられたいのちゆえに、神はすべての人をかけがえのない、価値あるものとして、分け隔てなく愛してくださっている、その神の愛が今ここにもたらされている、イエスさまはそう宣言をされたのでした。イエスさまは、神様の愛をこそ、多くの人と分かち合われようとしたのでした。

 

■日常茶飯事

 そんな福音の出来事は、たった一回だけのことだったのでしょうか。食べることは習慣であり、生活そのものです。食卓が人間の生活や習慣と切り離しがたく結びついたものであったからこそ、そこには、この世の不条理や社会の差別や不公正なありようが「常識」と言われる文化として反映されていきます。その生活と習慣に切り離しがたく結びついた不条理を、差別を、常識と呼ばれる価値観を打ち破ろうというとき、一回きりの奇跡で事済(ことす)めりと考えるとすれば、それは安易というほかありません。もし一度限りの行為であったのなら、それは単なる人気取りのパフォーマンスと言わざるを得ません。しかし、イエスさまがそういうパフォーマーだったとは到底思えません。「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と悪評をはやし立てられたイエスさまは、たった一度だけの食事の席でのタブー破りのために、そうした悪評を立てられたのではなかったはずです。食卓でのタブー破りは、イエスさまにとっては日常茶飯事のこと。その日常のタブー破りによってこそ、食卓という日常性において尊厳をおとしめられていた人々の回復は現実のものとなったはずです。

 神の国の福音を伝道するために放浪されたイエスさまは、繰り返し、繰り返し日常のこととして、野外での分かちあいの食事をされたにちがいありません。

 

■二つの違い

 そもそも、この二つの物語が違う場所での違う出来事であるとして見るときに初めて、今朝の出来事の本質が浮かび上がってきます。同じ出来事が別々に伝えられた二つの物語に過ぎないと考える多くの学者は、この二つの物語の共通点ばかりに目をとめようとします。しかし、今日のこの出来事と6章の出来事には、はっきりと異なる点があります。

 まず何よりも、起こった場所が違います。最初の物語はガリラヤでの出来事でしたが、今朝の物語はデカポリス地方、聖書巻末の地図「6新約時代のパレスチナ」をご覧いただくとよく分かりますが、ガリラヤ湖南東からヨルダン川東側一帯の地域、つまり全くの異邦人の地域での出来事です。その地域差が、それぞれの物語の細部に渡る違いをもたらします。

 興味深いのは、残り物を集めて入れた籠(かご)の違いです。日本語ではどちらも「籠」ですが、ギリシア語では、6章はコフィノス、ここはスプリスです。コフィノスはユダヤ独特の弁当箱で、とっくり型の口のすぼまった容器のことです。一方、異邦人の地では当然そのコフィノスは用いられません。スプリスは弁当箱というよりも、たくさんの食糧を入れるための網籠(あみかご)です。二つの物語では、残飯を集めた籠の数も違います。6章は十二籠、8章は七籠です。十二と言えば、イスラエルの十二部族やイエスさまの十二弟子を想像させる、ユダヤ人にとって特別な数字です。一方、ここに出てくる七という数字は、十二弟子との対比で言えば、七人の執事、異邦人伝道のきっかけを作った、ギリシア語で会話をしていたユダヤ人信徒たちの代表者の数にあたります。残飯籠の数は、ユダヤ人だけでなく異邦人にも同じようにイエスさまの福音宣教が向けられていたことを象徴的に表しているのだと言ってよいでしょう。

 そのことは、イエスさまと弟子たちのやり取りからも伺い知ることができます。イエスさまが大勢の人々にパンをお与えになったとき、6章では、弟子たちの方が群衆の空腹を気遣います。その群衆は同じユダヤ人であったことでしょう。しかし今ここでは、もう集会を解散し、パンのことを自分たちでまかなうようにさせたらどうかと、弟子たちはイエスさまに言っています。それに対してイエスさまは、ご自身のほうから弟子たちを呼び寄せ、語りかけられます。「群衆がかわいそうだ」と。この「かわいそうだ」は、「まあ、かわいそうに」といった軽い言葉ではなく、腸(はらわた)が痛くなるほどの慈しみのことです。そのため、神や御子の激しいほどの愛を語る時にだけ、この言葉は用いられました。わたしから福音の言葉を聞くために、三日間もわたしと一緒にいるのに食べ物がない。遠くからやって来た者たちがここには何人もいる。このまま帰したらどうなるか。

 6章の時には、周辺で食べ物を調達できる可能性も残されていましたが、ここはそうではありません。弟子たちの言うように、「こんな人里離れた場所」です。言葉のままに訳せば「寂しいところ」となるこの言葉は、「住む人もいない場所」を意味し、「砂漠」と訳してもよい言葉です。食事ができないばかりでなく、何もない荒涼たる砂漠のような場所に、飢えに苦しむ四千人を超える異邦の人々が、イエスさまにつき従っていたのでした。

  Continue reading

12月22日 ≪降誕前第1・待降節第4主日/クリスマス「家族」礼拝≫『クリスマスの恐れと希望』(おとな) マタイによる福音書 1章 18節~ 2章 12節 沖村 裕史 牧師

■恐れと不安

 幼な子イエスを拝した羊飼いと三人の博士たちは、喜びに満たされて帰って行った、とあります。そうなら、説教題は「クリスマスの希望」で良いのに、わざわざその前に「恐れ」と加えるのは可笑しいのではないか。そう思われたかも知れません。しかし、聖書に記されているクリスマスの出来事には、幼な子イエスの誕生に際して、人々が恐れと不安に満たされたとの記事をいくつも見出すことができます。

 例えば、ルカによる福音書の2章9節、「すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼ら〔羊飼いたち〕は非常に恐れた」。またルカは、受胎告知を受けたマリアについてこう記します。「マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ」(ルカ1:29)。「戸惑う」とは、「不安と恐れですっかり心がかき乱されて」という意味の言葉です。そこで天使は、「マリア、恐れることはない」と声をかけます。

 そしてこのマタイでもこう記します。「『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」(2:2-3)。救い主の誕生は、ヘロデ王のみならず、救い主キリストを待望していたはずのエルサレムの人々にさえ、決して喜び迎えられたものではなく、むしろ恐れと不安を抱かせるものでした。

 生まれて間もない、これからどんな者になるのかも全くわからない、小さな赤ん坊に、人々がみな、恐れと不安を抱いたなどということが本当にあったのか、そう疑問に思われるでしょう。

 もちろんこれは、マタイがヘロデ王やエルサレムの人々に、御子イエス誕生の時にどう思いましたかと、インタビューをして書いたというのではありません。マタイにとって、この幼な子イエスこそ救い主キリストであり、クリスマスは、「この子は自分の民を罪から救う」(1:21)とあるように、救い主の誕生の出来事以外の何ものでもありませんでした。いわばこれは、マタイによる信仰告白です。

 そんな信仰を告白するときに、キリスト、救い主の誕生をエルサレムの人々がみな不安と恐れをもって受け止めたと記したのは、なぜでしょうか。マタイはこう記すことによって、何を言おうとしているのでしょうか。

 そしてまた、幼な子イエスを救い主キリストと知っているわたしたちは、当時のユダヤの人々とは違って、恐れや不安など感じないで、ただ希望に満ちて、ストレートにクリスマスを喜び祝える者なのでしょうか。

 いえ、わたしたちが、真にクリスマスの告知を受け止めるなら、やはり恐れと不安を抱くはずなのではないか。もしそうでないとすれば、わたしたちはクリスマスの告知を、聖書が伝えている通りには受け止めてこなかった、ということになるのではないでしょうか。

 

■神のイメージ

 では、その恐れと不安とはどのようなものなのでしょうか。裏返して言えば、クリスマスの告知とは一体何であったのでしょうか。

 それは言う間でもない、わたしたちの救いのために神の御子が一人の人間になられた、ということです。では、この「神の御子が人間になられた」とはどういうことなのか。そのことを理解するためには、まずユダヤ教における神のイメージを知らなければなりません。

 ユダヤ人にとって、神は、その名も口にすることさえ憚られる、聖なる存在でした。聖なる唯一の神です。人間はどんな修行を積んだとしても神になることなどできません。神は創造の主であり、人間はどこまでも被造物です。ですから、人間でありながら神とその本質を等しくする神の子など、ユダヤ教では絶対に認めることができません。イエスさまの処刑を決定的にしたものは、大祭司の「あなたは神の子、メシアなのか」との問いに対し、イエスさまが「あなたの言うとおりである」と答えたことにあったと聖書が記している通りです。

 ユダヤでは、神を見た者は死ぬと言われました。さきほどの羊飼いたちのように、神の栄光に照らし出される時、汚れを持つ人間はただ恐れるほかありません。だとすれば、クリスマスの幼な子イエスの姿の中に、神の栄光の輝きをみる者も、同じ恐れを抱かなければなりません。その恐れのない者は、イエスさまの中に神の栄光を見ていないのです。

 見る者は、見られる者だからです。たとえば、一般の人々にとって、仏像は古美術品の一つとしての鑑賞の対象でしかないかもしれませんが、敬虔な仏教徒にとっては、仏像は自分が見る対象ではなく信仰の対象であり、すなわち仏像に自分という存在が見られているのです。同じように、幼な子イエスを見る者は、そこに輝く神の光によって、自らの存在全体が照らし出される経験を持たざるを得ません。

 御子イエスの受胎は、ヨセフとの平凡な幸せを願っていた乙女マリアにとって、どれほどの驚きであり、恐怖であったことでしょうか。神の御子を我が身に宿すなどあり得ないこと、恐ろしいことです。しかもその結果、ローマ兵によるレイプを後々までまことしやかに囁かれるようになることを、マリアは覚悟しなければなりませんでした。

 聖なる神の御子が全き一人の人間となって、この地上の生涯を歩まれた。このことが、どれほど驚くべきもの、恐るべきことであったのか。わたしたちは理解を新たにしなければなりません。

 

■新約の福音

 当時ユダヤの人々は、ローマ帝国の支配からの解放者としての救い主キリストを待ち望んでいました。にもかかわらず、御子イエスの降誕は、彼らに不安を与えるものでしかありませんでした。それは、イエスさまが彼らの願いに直接応えるような救い主ではなかったからです。むしろ彼らを不安に陥れるような救い主でした。

 マタイは、福音書の最初にこんな言葉を記します。「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図」。ルカも、あのマリア賛歌の中でこう記しています。「その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、/わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに」(1:54-55)。また、イエスさまの十字架には「ユダヤ人の王」との罪状書きが掲げられていた、と福音書は一様に記しています。

  Continue reading

12月15日 ≪降誕前第2・待降節第3主日/バラの主日「家族」礼拝≫『天使は白髪のおじいさん!』(こども・おとな)・『あなたの友になるために…』(おとな) ヨハネによる福音書 15章 12~17節 沖村 裕史 牧師

 

お話し「天使は白髪のおじいさん!」(こども・おとな)

■クリスマスに欠(か)かせない天使(てんし)

 「天使」っていう言葉を聞いたことがありますか。いやいや、聞いたことないって人は、まずいないでしょう。

 天使、それは、「天」からの、神様からの「使い」という意味です。神様の思い、考え、願いを、わたしたち人間に伝えるための「使い」です。伝えるという意味で言えば、携帯電話(けいたいでんわ)のメールやLINE(ライン)と同じかもしれないけど、でも、まったく違うところがあります。携帯電話のメールやLINEは、自分の言いたいことを言いたいように伝えるだけですが、天使が伝えるのは、神様の「あなたのことを愛しているよ。だから、大丈夫(だいじょうぶ)!勇気を出して歩きなさい」という愛と希望のメッセージでした。「大好きだよ。くじけちゃだめだ。転びそうになったら、ほら手を出して。支えてるよ。いつもいっしょだよ」。神様は天使を通して、わたしたちにそう声をかけてくださるのです。まるで、大切な、かけがえのない、本当の友だちのようです。

 そんな天使が、聖書の中で大活躍(だいかつやく)するのは、何といっても、イエスさまがお生まれになるシーン、御子誕生(みこたんじょう)のときです。

 「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付(なづ)けなさい」(ルカ1:30-31)と、マリアがイエスさまのおかあさんになることを告げられました。またおとうさんになるヨセフにも天使は現れ、「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」(マタイ1:21)と励まされました。それだけではありません。夜通(よどお)し羊の群れの番をしていた羊飼いたちに、天使は言いました、「恐れるな。…今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。…あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲(ちの)み子(ご)を見つけるであろう」(ルカ2:10-12)と。さらには、生まれたばかりのイエスさまに宝物をささげた、東方からやってきた学者たちには、「ヘロデのところへ帰るな」と夢の中でお告げがあり、ヨセフにも夢の中に天使が現れ、言いました。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」と(マタイ2:12-13)、危機から逃れさせました。

 

■天使の姿―白髪のおじいさん

 クリスマスに欠かせないこの天使、どんな姿、形をしているのでしょうか。みなさんはどんなイメージを持っていますか。

 よく知られているのは、背中に羽根の生えた、かわいいこどものようなキューピッドの姿かもしれません。でも聖書には、翼(つばさ)の生えた天使の姿なんてどこにも出てきませんし、はっきりとは何ひとつ描(えが)かれていません。そのためでしょうか、これまでたくさんの人が、いろんな天使の姿を思い思いにイメージしてきました。

 そして今日、これから見ていただく映画『素晴(すば)らしき哉(かな)、人生(じんせい)!』にも天使が登場しますが、その姿はキューピッドとは似(に)ても似つかない、白髪(しらが)のおじいさん。まるでサンタクロースのようです。

 この映画、善良(ぜんりょう)な青年ジョージ・ベイリー(ジェームズ・スチュアート)が自殺(じさつ)するのを、天使クラレンス(ヘンリー・トラヴァース)が救い出すという話です。幕(まく)があがると、そこはクリスマスの晩。アメリカの小さな町ベドフォードの人たちが、あちらでもこちらでも、「ジョージ・ペイリーに神の助けがあるように」と祈っています。はたしてジョージ・ベイリーとはどんな人なのでしょうか。どんな人生を歩いて来たのでしょうか。あらすじは、こうです。

 小さな町にジョージ・ベイリーという人がいました。会社を経営(けいえい)していた父親が突然(とつぜん)亡(な)くなって、ジョージが会社を継(つ)ぐことになりました。そして、幼馴染(おさななじみ)のメアリーと結婚し、四人の子どもにも恵まれたジョージは幸せいっぱいでした。そんな会社経営もうまくいき始めていた1945年のクリスマスイヴのこと。おじさんのビリーのミスで大きな損失(そんしつ)を出してしまい、冷酷(れいこく)な銀行家ポッターにも追いうちをかけられ、ジョージは絶望の淵(ふち)に立たされます。

 自分の人生に絶望しきったジョージは、自殺しようと橋の上に行きます。死のうとするジョージの目の前で突然、老人が川で溺(おぼ)れ始めます。ジョージは、その老人を助けます。その老人は実は、神様が遣(つか)わした翼(つばさ)のない二級天使クラレンスでした。彼の前でジョージは、自分は「生まれて来なければよかった」と言います。その言葉を聞いたクラレンスは、ジョージが生まれて来なかった世界を見せることにします。

 自分がいない世界に連れてこられたジョージは知ります。自分の妻メアリーは一生(いっしょう)独身(どくしん)で、たった一人さびしい人生を送り、ジョージの子どもたちもいません。ジョージが助けたはずの弟のハリーは九歳で川で亡くなり、おじさんは仕事を失って精神病院に、ジョージが防(ふせ)いだ事故は実際に起こり、ジョージがお世話になっていた人は幼子(おさなご)を死なせて刑務所(けいむしょ)にいました。さらに町は冷酷なポッターに支配され、町の人々は不安と恐れの中を暮らしていました。

 ジョージは、自分の妻も誰も自分のことを知らない、自分の子どもたちも弟もいない、知り合いがみんな不幸になっている世界にショックを受けました。ジョージは自分のいた世界、自分の人生がいかに素晴らしいものだったのかを思い知りました。ジョージは、もう何があっても自分の人生を生きていこうと決意し、何とか自分をもとの自分がいた世界に戻して欲しいと神様に懇願(こんがん)します。

 すると、ジョージは現実の世界に戻り、ずっとジョージを探していた警官に出会い、うれしさの余り「メリークリスマス」と言いながら抱きつきます。すっかりテンションの上がったジョージは叫びながら町中(まちじゅう)を走り、自分の家へと駆け込みます。家につくと、四人の子どもたちが「ダディ」と呼んで、迎えてくれます。さらに、ジョージを心配し、町のみんなに助けを求めに出かけていた妻のメアリーも帰宅し、みんなで抱き合いました。

 そこに、メアリーが声をかけに行っていた町のみんながやってきました。みんなはジョージの失った大金を寄付(きふ)で工面(くめん)してくれるのでした。自分の人生の素晴らしさを実感したジョージ。ラストは、ジョージが妻、子どもたち、弟のハリー、町のみんなと家の中でクリスマスソングを歌うのでした。

 (ここで、映画を少しだけ見てみましょう!)

 

■クリスマスのプレゼント

 天使のクラレンスがジョージに気づかせてくれたのは、わたしたちのいのちが、わたしたちの人生が、どんなにかけがえのない、すばらしいものなのか、ということでした。それが、クリスマスの、神様からのプレゼントでした。

  Continue reading

12月8日 ≪降誕前第3・待降節第2主日礼拝≫『おとなの言葉』 コリントの信徒への手紙一 14章 13~25節 沖村 裕史 牧師

 

■おとなとして

 今日はもう一度、13節からお読みいただきましたが、段落が切ってある、前回からの続きの言葉は20節。大切な言葉です。

 「兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください」

 パウロはコリントの信徒に対し、主にあっておとなの判断をしなさいという趣旨のことを、この手紙の中で繰り返し語っています。こどものようであってはいけない、と言います。

 ここで、おとなとこどもとは、どういう意味で対比されているのでしょか。こどもの特性のすべてが悪いと言っているわけでは、もちろんありません。「悪事については幼子となり」、つまり悪知恵を働かせず、こどものように純粋なものでありなさいとあるように、こどもにも、おとなが見習うべきもの、おとなが失ってしまった良いところが、いくつもあります。

 しかし他方、こどもにも欠点というか、克服すべき点があります。そのひとつは、周りが見えず、何でも自分中心に考えてしまうことです。こどもは、自分がしていることが他の人にどういう影響を与えるのかということを考える力が、成熟したおとなに比べて弱いと言えるのではないでしょうか。こどもには、自分と全然違うタイプの人のことについてその人の身になって考える、そういうことが難しいのです。経験が少なく、他の人の立場に立って考えることができないからです。そして、愛のない行動というのは実は、そんなこどもっぽい行動のことだと言えます。

 愛とは、人の必要を感じ取り、それに共感し、人の必要のために行動したい、そうしようとすることです。人のことを考えずに、ただ自分の考えや善意を押し付けても、それは愛の行動にはなりません。そんな行動は独りよがりの、こどもっぽい行動だと見なされます。

 パウロが13章で語った「愛を追い求めなさい」という勧告と、ここでの「おとなになりなさい、おとなとして発言し、行動しなさい」という助言とは、実は同じことなのです。コリントの人々も、自分のことに夢中になるあまり、自分たちの振る舞いが他の人にどういう影響を与えるのか、を充分に考えていませんでした。パウロは、彼らのそういった面をたしなめているのです。

 直前13章でパウロは、聖霊がわたしたちに与えられているさまざまな賜物をどのように用いるべきか、そのことについて「愛」の重要性を強調しました。どんなに素晴らしい聖霊の賜物も、それが愛によって生かされなければ台無しになってしまう、何の益にもならない、そんな恐れがあると語っていました。愛こそが、わたしたちに与えられる聖霊の賜物を活かす力なのです。そこで、14章の冒頭で「愛を追い求めなさい」という言葉を13章の要約として語った上で、具体的な内容、異言と預言の問題に入っていきました。

 

■異言と預言

 その異言と預言がどのようなものなのか、もう一度確認しておきたいと思います。

 異言とは、霊に満たされる中で語られる、一般の人には理解することのできない言葉で、時には言葉というよりも音声を発することです。それに対して預言というのは、人々に伝えるために神から預かり与えられた言葉、だれにでも理解できる、神の救いの恵みを語る言葉のことです。未来を予告する言葉ではありません。

 この異言と預言はいずれも、神の霊、聖霊の働きによって与えられる言葉、聖霊の賜物であると考えられていましたが、コリントの教会では、異言の賜物の方が預言の賜物よりも優れたものとして重んじられていました。

 なぜ、異言の賜物が重んじられ、もてはやされていたのか。2節に「異言を語るものは、人に向かってではなく、神に向かって語っています。…彼は霊によって神秘を語っているのです」とありました。異言には神秘的な響きがあります。霊によって、神に向かって神秘的な言葉を語る様子は、信仰に生きる者には魅力的に映ったことでしょう。しかし、だれにでもできることではありません。そういう特別な賜物を持っている人が教会の中で目立ち、一目置かれるようになることは、ごく自然なことです。そうなると、多くの人々が自分もそういう賜物を得たいと願い、熱心に、わたしにも異言を語らせてくださいと祈り求めていくことになります。結果、一人また一人と異言を語る人が増えていき、気がつけば礼拝の中で皆がワイワイと、我先に異言を語り出すようになります。

 パウロはそんなコリント教会の礼拝の様子に対して、17節以下で「あなたが感謝するのは結構ですが、そのことで他の人が造り上げられるわけではありません。わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります」と、釘を刺します。

 

■理性を働かせる

 4節の「異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます」と響き合う言葉です。異言は、それを語る個人の、神との交わりという点で意味あるものです。パウロも異言を否定していません。しかしそれは、キリストの体なる教会、教会の部分であるわたしたちを造り上げるものではありません。だからこそ、だれよりも異言の賜物を豊かに与えられていると自負するパウロも、それを用いようとはしないのです。教会を造り上げることのできる賜物は、預言だからです。預言は、人に理解される、理性の言葉です。そのことが13節以下に語られます。

 「だから、異言を語る者は、それを解釈できるように祈りなさい。わたしが異言で祈る場合、それはわたしの霊が祈っているのですが、理性は実を結びません。では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう」

 異言は、解釈、人に分かる言葉に翻訳されなければなりません。教会で語られる言葉は、理性によってだれにでも理解できる言葉でなければなりません。そのことが「霊と共に理性でも」ということです。

 信仰は、わたしたちの霊に関わる事柄です。霊とは、わたしたちが使う言葉で言えば、心とかハートと言ってもよいかもしれません。わたしたちの中心、奥深くにある心で、ハートで、神の恵みを受けとめる、それが信仰です。 Continue reading

12月1日 ≪降誕前第4・待降節第1主日/アドヴェント礼拝≫『造り上げる言葉』 コリントの信徒への手紙一 14章 1~19節 沖村 裕史 牧師

 

■預言と異言

 14章冒頭に「愛を追い求めなさい」とあります。12章31節に「もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい」という勧めがあり、その「もっと大きな賜物」とは「愛」であることが13章で示され、それを受けての「愛を追い求めなさい」です。この14章では、愛を追い求めて生きるとは具体的にはどういうことなのか、そのことが語られていくことになります。

 その具体的な事柄が、預言と異言でした。この二つは、12章28節以下の、聖霊の賜物のリストの中にもありました。コリント教会からパウロのところに、この二つ、預言の賜物と異言の賜物をどう受けとめ、教会、特に礼拝において、それをどう位置づけたらよいのかという質問が寄せられていたのでしょう。

 聖書の「預言」とは、未来の出来事を言い当てる言葉ではなく、「神の意志によって起こる出来事、神の裁きと救いについての告知」、神のご意志、ご計画を語り伝えるために神から預かった言葉のことです。「説教」といっても良いかもしれません。そういう言葉を聖霊が与え、語らせてくださる。それが預言の賜物です。直訳すれば「舌」となる「異言」もまた、聖霊の賜物・カリスマのことを意味する言葉です。14章は預言のカリスマと異言のカリスマについて語っているわけですが、これはどちらも「言」という字が用いられているように、言葉における賜物です。しかし同じ言葉でも、異言は一般の人には「理解することのできない信仰表白の言葉」でした。関西にいた時に、ペンテコステ派の教会の礼拝に出席したことがあります。その教会では、礼拝の中に祈りの時間が設けられていて、その中で、複数の信徒たちがそれぞれに立ち上がって、理解できない、言葉ならない音を口々に発していました。そして最初期の教会の礼拝でも、預言と異言の両方が語られていました。コリント教会では、預言よりも異言のカリスマの方が神の賜物としてより優れていると考えられ、多くの人が異言の賜物を祈り求め、またそれを持っている人々が礼拝の中で、我れ先に異言を語るということが起こっていたようです。そのことによって礼拝に混乱が生じていたのでしょう。パウロのところに、これらの賜物をどう位置づけたらよいか、という質問が届けられました。

 

■誰に向かって語るのか

 パウロはこの質問に対して、1節後半ではっきりと答えています。

 「霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい」

 コリント教会の多くの人々が異言の方が一段上の、より優れた、求められるべき賜物だと思っていたのに対して、パウロは預言こそより優れた賜物であり、追い求められるべきものだと言います。なぜか。2節以下に語られます。

 2節と3節で、異言と預言が比較されています。異言は2節にあるように、「人に向かってではなく、神に向かって語」る言葉で、そのため「だれにも分かりません」。それに対して預言は「人に向かって語られ、人を造り上げ、励まし、慰める」と言います。

 預言と異言の違いは、それがだれに向かって語られている言葉であるかだと語られます。これは、とても大切です。異言は神に向かって語られ、預言は人に向かって語られます。神に向かって語ることと、人に向かって語ること―どちらが貴く、大切でしょうか。わたしたちの感覚からすると、神に向かって語ることの方が人に向かって語ることよりも貴いことのように思うかも知れません。コリント教会の人々もそう思ったのでしょう。人間の言葉で人に向かって語る預言よりも、人には分からない神の言葉で、「天使たちの言葉」(13:1)で神に向かって語りかけていく異言の方がより神秘的で、神と自分が近くなったように思えることでしょう。しかしパウロは、神に向かって語る言葉よりも人に向かって語る言葉の方が大切だ、とはっきり言います。その理由は、神に向かって語る言葉は意味不明で、だれにも理解できず、何も伝わりませんが、人に向かって語る言葉は「人を造り上げ、励まし、慰める」からです。

 端的に言えば、異言と預言の違いとは、人にどのような益をもたらすのか、ということです。さらに言い換えるならば、愛において語られているのはどちらか、ということです。13章に、どのような優れた賜物も、「愛がなければ、わたしに何の益もない」とありました。その愛とは、自分の利益を求めず、むしろ人の利益となるように、人のためになるようにすることです。その愛によって語られているのは、異言よりもむしろ預言の方です。預言こそが、追い求められるべき賜物なのです。1節に「愛を追い求めなさい」とあり、それに続いて「特に預言の賜物を熱心に求めなさい」と言われているのは、そういう意味でした。

 

■教会を造り上げる

 預言こそ愛によって語られる言葉である。そのことが4節によりはっきりと示されます。

 「異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます」

 異言を語る者は、自分を造り上げている。つまり異言は自分の信仰を深め、自分と神の関係を密にはするけれども、しかしそれは自分のことだけに止まり、人には何の益ももたらさない、ということです。それに対して預言は、教会を造り上げる、と言います。3節に、預言が人を造り上げ、励まし、慰めるとありました。人を造り上げ、励まし、慰めるようにして、教会が建てられ、造り上げられるのです。

 預言で語られるのは、神のご意志、ご計画です。神が、御子イエス・キリストをこの世に遣わし、御子のみ言葉とみ業を通して、神の愛が今ここに、すべての者にもたらされているという愛の福音が示され、その御子がわたしたちの罪を全て背負って十字架に死んで、復活して新しいいのち、永遠の命の先駆けとなってくださった。そうして神が、わたしたちを罪の支配から救い、神の恵みの下に置いてくださっている。この御子によって、神はわたしたちを愛し、罪を赦し、導いてくださる。そういう神のご意志、ご計画を、預言は語るのです。今日からのアドヴェントの季節にふさわしい言葉、預言です。

 その預言によって、わたしたちは、御子イエスを救い主キリストと信じ、神の恵みを信じる者となり、洗礼を受け、キリストの体である教会につながる者とされるのです。預言とは、このようにして教会を造り上げていく言葉です。そしてそこでこそ、キリストによる励まし、慰めを受けることができるのです。預言はそのように、御子イエス・キリストによる励ましと慰めによって生かされる共同体を造り上げていく神の言葉です。自分だけが神と対話し、信仰を深めていくという異言とはそこが違うのです。

 

■異言を語っていませんか

 そんな異言と預言の違いを、パウロはさらに6節以下でいくつかの喩えを使って語っています。

 第一は、楽器の喩えです。楽器がただ音を鳴らしているだけでは、音楽にならず、人の心に何の喜びも慰めも励ましも、何も伝わってきません。異言もそれと同じだと言います。第二は、ラッパです。軍隊には合図のラッパがあって、ラッパの音によって兵士の心は、たとえどんなに怯えていたとしても励まされ、勇気づけられ、必要な行動を起こすことができます。しかしラッパの合図の音が兵士たちの心に響かなければ、彼らは何もできません。異言は合図にならないラッパと同じです。第三の喩えは、外国語です。何も伝わらない異言が語られたとしても、それは互いに理解できない外国語でしゃべり合っているようなもので、意志の疎通などできないでしょう。それが異言です。 Continue reading

11月24日 ≪降誕前第5主日/収穫感謝「家族」礼拝≫『美しい心』(おとな)サムエル記上 16章 1~ 13節 沖村 裕史 牧師

 

■心によって

 冒頭1節、

 「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした」

 サムエルはサウル王のことを気にかけながらも、神の御言葉に従い、ベツレヘムへと出かけます。ベツレヘムについたサムエルは、早速、エッサイとその息子たちを食事に招きました。サムエルのもとにやって来た、エッサイと三人の息子たちを見て、サムエルは喜びました。一番年上の息子エリアブに目を留め、容姿も立派で、背が高く、年齢としても申し分のないエリアブこそ、イスラエルの王にふさわしいと思ったからです。

 ところが神はこう言われます。7節、

 「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」

 そこでエッサイは二番目の息子アビナダブを呼び、サムエルの前に進み出させましたが、サムエルはこう言います。「この息子も神はお選びになりません」。そこで、エッサイは最後に、三番目の息子シャンマに前に進み出させました。しかしサムエルは言いました。「この息子も神はお選びになりません」。七人の息子たちがいましたが、そのすべてに同じ言葉でした。

 サムエルは戸惑いながら、エッサイに尋ねました。「あなたの息子はこの七人だけですか」。するとエッサイは、「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」と答えます。父親のエッサイから見て、末っ子は、まだ幼く、小さく、力もない、とても、招かれてサムエルに紹介できるような子どもとは思われず、そこに連れてこなかったのです。

 しかし、神が選ばれたのはその少年でした。彼の名はダビデ。サムエルはダビデに油を注ぎ、新しい王に立てました。

 主なる神はなぜ、ダビデをお選びになったのか。12節にこうあります。

 「彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった」

 ダビデの美しい姿が主に選ばれた理由でしょうか。そうではありません。先ほどの7節には、神は「容姿や背の高さに目を向けるな」と言われた言葉に続けて、「わたしは人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」と言われます。

 そう言われて、怪訝に思われる方がおられるかもしれません。もっともです。確かに、わたしたちは人のことを見かけによって判断してしまいがちです。しかし同時に、人を外見だけで判断してはならない、見かけより心が大切だ、ということもよくよく知っているからです。

 しかし、ここに語られていることは、人を外見だけで判断するか、それとも心を、人の内面を見るのか、ということではありません。7節に「主は心によって見る」とありました。以前の口語訳聖書では「主は心を見る」となっていました。しかし原文の「心」という言葉には、「…を」ではなく「…によって」という意味の前置詞が付けられています。新共同訳が「心によって見る」と訳したのはそのためです。そして、同じ前置詞が「人は目に映ることを見る」にも付けられています。「目に映ることを」というのは原文にない言葉を補った訳で、原文は単純に「目」です。そこに「…によって」という前置詞が付けられています。直訳すれば、「人は目によって見るが、主は心によって見る」となります。

 わたしたちは、たとえそれが外見だけでなく内面を含めてであっても、やはり人を目で見て判断するのに対し、「主は心によって見る」、主なる神は御心によって、人をご覧になるということです。主は御心によってダビデをご覧になり、選ばれたということです。

 主は、ダビデの外見の美しさや、その心が正しく、正直で、信仰深いことをご覧になったのではありません。人をそのように見るのは「目によって見る」人間です。神は、人の外面でも内面でもなく、つまりその人がどういう人かによってではなく、ご自分の御心に基づいて人をご覧になり、選び、立て、用いられるのです。

 とすれば、ダビデがなぜ神に選ばれたのかという問いの答えを、ダビデの中に見出すことはできません。その答えは、主なる神の御心にこそあり、そこにしかないのです。

 

■御心によって選ばれる

 それは、驚くべきことではありません。わたしたちにも、それと同じことが起っています。わたしたちは主なる神に選ばれて、信仰を与えられ、教会に連なる者とされました。まだ洗礼を受けていなくても、この礼拝へと導かれているということ自体、神が多くの人々の中からあなたを選んで、招いてくださっているのだ、ということです。

 わたしたちがなぜ、選ばれたのでしょうか。その答えをわたしたちの中に見出すことはできるでしょうか。わたしたちが他の人よりも特別に信仰深い者だということでしょうか。違います。わたしたちが人一倍努力して清く正しい生活を送っているからでしょうか。違います。わたしたちの心が正直で、やさしさに満ちているからでしょうか。違います。わたしたちの中には、選ばれる理由など何一つないのです。 Continue reading

11月17日 ≪降誕前第6主日礼拝≫『愛は滅びない』 コリントの信徒への手紙一 12章 31節~13章13節 沖村 裕史 牧師

 

■最高の賜物

 前回10月20日の礼拝では、13章7節までをご一緒に読みました。その4節から7節には、「愛」とはどのようなものかが語られていました。

 そこに語られていることは、わたしたちが普段考えていることとはかなり違っていました。最初の「愛は忍耐強い」だけを取り上げても、そのことが分かります。愛するとは相手のことを忍耐することだと言います。愛するというと、自分の好きな人、気の合う人、友だちを積極的に、情熱的に愛することと考えがちですが、ここで教えられている愛は、むしろ気に入らないこと、対立することがあったときにも、いえ、そのようなときこそ、相手のことを忍耐する、寛容であることを求めるものです。最後の7節にもそれが現れています。「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」。「忍び」と「耐える」、まさに「忍耐」です。それに挟まれて、「信じる」と「望む」があります。この「信じる」は、神を信じることだけでなく、相手を信頼し続けることであり、「望む」も、神に望みをかけることだけでなく、相手との関係に希望を抱き続けることです。愛とはそのように、相手のことを忍耐し、信頼し続け、希望を失わないことだ、と教えられているのです。

 残念ながら、わたしたちはこのような愛を持っていません。だからこそ、愛こそが聖霊によって与えられる最高の賜物なのだ、とパウロは教えます。しかしそれは、聖霊の与える様々な賜物の中で最高のものが愛だ、と言われているのかというと、それは少し違います。愛は、他の様々な賜物と並べて比較することができるようなものではありません。他の賜物とは本質的に異なるものです。そのことが8節以下に語られています。8節に「愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう」とあります。預言、異言、知識はいずれも、12章で語れていた聖霊の賜物です。それらと愛とは本質的に違うのだ、と言います。その違いとは、それら賜物は廃れていくものであるのに対して、愛という賜物は決して滅びない、永遠のものだ、ということです。

 

■完全なものが来る

 わたしたちは、自分にどんな賜物が与えられているかということを、いつも気にしています。自分にはどんな力、才能があるか、何ができるか、そしてその賜物をどれくらい発揮することができているか。それが、わたしたちの主要な関心事です。そして12章に語られていたように、わたしたちはその自分の賜物を他の人の賜物と比較して、誇り高ぶったり、僻(ひが)んでいじけたりします。自分の賜物のことで一喜一憂しているのが、わたしたちの毎日ではないでしょうか。コリント教会の人々がまさにそうでした。彼らは、預言を語ることができる、異言を語ることができる、信仰の知識を持っているという賜物を喜び、誇り、拘(こだわ)っていました。

 しかしパウロは、コリントの人々が、またわたしたちが気にしている賜物はすべて滅び廃れていくものだ、と言います。自分に何ができるか、どんな力があるか。しかしその賜物は、時が経つにつれて失われていきます。そのことが一番はっきりするのは、老いや病気を自覚するときでしょうか。若く、健康であった時にできていたことが、年を取り、病気になってできなくなることを、誰もが感じます。自分に残されている賜物はもう僅かしかない、という寂しさ、焦りを覚える方も多いでしょう。そう、何ができる、どんな力があるという賜物は、必ず失われていくものなのです。

 ただ、パウロがここで様々な賜物は廃れていくと言っているのは、時を経て古くなっていくとか、年老いて力が失われていく、病気になって不自由を覚えるということではありません。9節から10節にこうあります。

 「わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう」

 知識や預言という賜物が廃れていくのは、それが「部分的なもの」だからです。わたしたちも、そのことはよく知っているつもりです。自分には何かを完全にできると思っている人は、そうはいないでしょう。わたしたちができることや知っていることが部分的で、完全ではないことは、今さら言われるまでもないことです。

 しかし、それが「廃れていく」とは、どういうことなのか。今ここでパウロが見つめているのは、「完全なものが来たときには、部分的なものは廃れる」ということです。部分的なものが廃れるのは、完全なものが来たときです。次第に古くなって廃れるのでも、わたしたちが年老いて廃れるのでもなくて、完全なものが来ることによって、それらは廃れるのです。

 譬(たと)えて言えば、夜の暗闇の中では懐中電灯は役に立つけれども、太陽が昇ればもういらなくなるようなものです。わたしたちが様々な形で与えられている賜物は、その懐中電灯のようなもので、日が昇ることによってそれは不要になります。「だから完全を目指して努力していこう」というのではありません。ただ「完全なものが来る」とパウロは言います。

 さきほどの譬えを続ければ、わたしたちが普段考えていることは、懐中電灯の電池をより強力なものにしたり、みんなの懐中電灯を集めて、できるだけ明るい光を確保しようとすることです。それに対してパウロが言うのは、「もうすぐ日が昇る」ということです。懐中電灯は、夜の闇の中ではとても役に立つものです。そのことはパウロも認めています。預言、異言、知識などの賜物はそれなりに意味があるし、そういう賜物が結び合わされて、教会はキリストの体として整えられていきます。けれども、そういう賜物が磨かれ、結集されることによって、キリストの体が完成するというのではありません。懐中電灯を何万本集めても、太陽にはなりません。キリストの体は、太陽が昇ることによってこそ完成します。その時には、わたしたちが持っている懐中電灯はもういらなくなるのです。キリストの体が完成する時、わたしたちの救いが完成し、神の国が来る時には、わたしたちに与えられている様々な賜物は用済みになるのです。いらなくなるのです。

 自分はあれができる、こういう能力があるという賜物に拘っている人々に向かって、パウロはこう語りかけています、あなたがたが拘っている賜物は、この世の歩みでだけ意味があるのであって、救いが完成し、神の国が来る時には、それらのものはすべて脱ぎ捨てられ、裸になって神の国に入るのだ、と。

 

■愛は滅びない

 このように、わたしたちが持っている様々な賜物が部分的であり、廃れていくものであることを、力を込めて語るのは、それらの賜物と、愛という賜物との違いを強調するためです。全ての賜物が廃れていく中で、愛だけは決して滅びない、廃れることはないということです。

 しかし、これは本当でしょうか。KANというシンガー・ソングライターの歌に「必ず最後に愛は勝つ」と繰り返す歌がありましたが、そんなこと簡単に言えるのでしょうか。わたしたちの経験は、それとは反対のことを教えています。自分の愛はいつまでも滅びない、なんて断言できる人などいないでしょう。わたしたちの愛が、どんなに移ろいやすく、失われやすいものであるかということを、わたしたちはいやというほど知っています。「愛は決して滅びない」なんて、とても言えません。

 しかし、この愛はわたしたちがもともと自分の内に持っている愛ではありません。聖霊の賜物です。聖霊が与えてくださる愛です。その愛は滅びることがない、と言われます。その愛が滅びることがないのはなぜでしょう。それを考える上で大切なのが、12節の後半です。

 「わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」

 今は一部しか知らない、わたしたちの知識は部分的なものでしかない、ということです。しかし「その時」には、はっきり知ることになる。完全なものが来た時には、全き知識が与えられる、と言います。 Continue reading

11月10日 ≪降誕前第7主日/降誕前「家族」礼拝≫『野原の中に寝ころんで』(こども) 『カラスと雑草』(おとな) ルカによる福音書 12章 22~32節 沖村 裕史 牧師

お話し「野原の中に寝ころんで」(こども・おとな)

■レンゲ畑の思い出

 今日のイエスさまの言葉を聞いていて、ふと思い出したのは、レンゲ畑に寝ころんでいた子どもの頃の自分の姿でした。家の周りは田圃(たんぼ)ばかり。稲を刈った後のその田圃にレンゲの種が蒔(ま)かれます。レンゲの根っこが田圃の大切な栄養になるからです。春になると、あたりの田圃はレンゲの花でいっぱいになります。柔らかな緑の草の中にピンクの花が敷き詰(つ)められます。

 ある晴れた日の学校からの帰り道、ランドセルをあぜ道に放り投げ、体を柔らかな緑とピンクの絨毯(じゅうたん)の上に投げ出します。仰向けになって、空を見上げます。真っ青な空に浮かぶ白い雲。空から近づいて来たようで、手を伸ばせば掴(つか)めそうです。顔を横に向けると、そこにはレンゲの花。花の付け根は白く、花びらの先にいくに従ってピンクが濃くなっていきます。塗りつぶしたピンク色ではありません。ため息が出るほどにきれいな花、花、花…。そこに小さなミツバチが飛んできて、花の中に頭を突っ込んで、せわしなく蜜を吸っています。甘くておいしんだろうなと思いながら顔を下に向けると、土の匂(にお)いが鼻の中に強くなり、草と土の匂いがわたしの体を包みます。

 わたしの周りには、いのちが溢れていました。そんな忘れられない思い出に重なる、「生きる」と題されたこんな詩があります。

  神さまの/大きな御手の中で

  かたつむりは/かたつむりらしく歩み

  蛍草は/蛍草らしく咲き

  雨蛙は/雨蛙らしく鳴き

 

  神さまの/大きな御手の中で

  私は/私らしく/生きる

 この詩を書いたのは、水野源三。その水野に「傷跡」という詩があります。

  三十三年間/寝たきりの

  私の額には/三つの傷跡がある

  その一つ一つの傷跡には

   Continue reading

11月3日 ≪降誕前第8主日/永眠者記念礼拝≫『神のみ前に一人立つ』 ヨブ記 1章 13~22節 沖村 裕史 牧師

■神を神とする

 20節、「ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。」

 ヨブは次から次へともたらされる災いの報せに、言葉を発する暇(いとま)もなく坐ったまま聞いていたのでしょう。しかし、息子や娘たち、愛する家族を失うという最後の決定的な災いの報告を聞いて、彼はよろめきつつ立ち上がり、「掻き裂かれし/心もかくとばかり」に、衣を裂き、髪をそり落としました。当時の人々の深い悲しみの姿です。

 そうして、ヨブは「地にひれ伏し」ます。

 あまりの悲しみのために、打ちひしがれて、倒れるようにして、「地に伏した」というのではありません。ヨブはすべてを失い、神のみ前に裸になって、そこで、神のみ手によってなされたことを受け入れるべく、「神にひれ伏した」のでした。神のみ前に己を捨て、神を神として、その神に服従の意志を表わすべく、「地にひれ伏した」のです。神の意志への絶対服従の姿勢でした。

 そのことが、次の言葉に表されます。21節前半、

 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。」

 当時、死ねば人間はすべて、陰府の世界に行くと信じられていました。「人間本来無一物」とは仏教も説く教えですが、ヨブの違う所は、それを諦めや悟りとして受け止めるのではなく、神のみ業、神の意志として受け止め、自由に与え、また取り給う神の主権に対し、全身全霊をかけて服し、それを讃美します。21節後半です。

 「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

 すべてを奪い去られ、愛する息子や娘たちまで失ってなお、ヨブは、神を神とし、自らはどこまでも僕(しもべ)の位置に留まります。そして、ヨブは栄光を神に帰したのでした。このヨブの姿、信仰を、ヨブ記の作者は最後の一句にまとめます。22節、

 「このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。」

 「非難する」とは、唾をかける、侮辱するという意味のヘブライ語です。願いごとをする時や、恵まれている間は敬虔(けいけん)な、信仰深い態度を取っていた者が、願いがかなえられなかったり、逆に災いが及んできたりすると、一転して、神仏を罵るといった姿は、ご利益宗教に広く見られることですが、ヨブは、事ここに至ってなお、そのような態度は取らなかった。どこまでも神をまことに神として拝した、と言います。

 

■神を賛美する

 なぜ、ヨブにそうすることができたのでしょうか。

 冒頭1節にあったように、ヨブが「誠にして、神を畏れる」義人であったからでしょうか。そうだとも言えますが、これほどの苦難を前に、それだけであったとは到底思えません。こう言えるかもしれません。

 次々と、それも突如襲い来る、悲報の数々を前にしてヨブは、裸の自分が神のみ前に立たされている、そのことを自覚したのではないか。「裸」とは、人間の弱さ、惨めさを象徴するものです。そこに、神と自分とのあるべき関係を痛切に知って、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(口語訳)と神を讃美したのではないか、と。

 とはいえ、これはいわば模範解答です。だれもがこう言えるとは限りません。いえ、言えないでしょう。そもそも、もしそれだけのことで済むのであれば、この後の3章から終わりまでのヨブの苦悩は、もはや描く必要さえなかったでしょう。3章以下の、彼の苦悩が単なる飾りや付け足しであるはずはありません。21節後半の言葉に、もう一度注目してください。

 「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

 この言葉は、確かにヨブの信仰の輝かしい勝利です。彼は神を呪いませんでした。彼は「衣を裂き、髪をそり落とし」、非常に深い衝撃と悲しみに打ちのめされましたが、神を賛美する言葉を語ることができました。

 しかしこの言葉を読んで思うことは、「主は与え、主は奪う」という言葉だけなら、神を信ずる者であれば、一応は語ることができるだろう。主なる神は、いのちと一切のものを、ただ一方的な恵みとしてお与えくださったのだから、それを奪い去る権利をもお持ちだということは、たとえ絶望感や悔しさの中にあっても語ることができる。しかしその次の「主の御名はほめたたえられよ」を語ることは容易ではない、ということです。

  Continue reading

10月27日 ≪降誕前第9主日/秋の「家族」礼拝②≫『神の子どもにされる』(おとな) ローマの信徒への手紙 8章 15~17節 沖村 裕史 牧師

■霊

 すべてのものに終りがあります。美しく咲き出た花も、青々とした木々の若葉も、やがては枯れて散ってしまいます。若いいのちを燃やして生きて働いていた人も今は年老い、誰もがやがて死んでいきます。すべてが死ななければならない、それがわたしたち人間と自然の運命です。

 いのちとは一体何か。死とは何か。さまざまな面から追求され、論じられてきました。特に近代以降、自然の中の「生物」のひとつとして研究されてきました。こうした人間を一個の生物としてみる見方に反対して考え、論じることはナンセンスです。

 繰り返して引用する創世記2章7節には、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と書かれています。そして3章19節に、こう続きます。「お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」と。

 「帰る旅」という詩があります。食道がんで八か月、臥せていた高見順の作品です。

  ……この旅は自然に帰る旅である。

  帰るところのある旅だから

  楽しくなくてはならないのだ

  もうじき土に戻れるのだ

  ……大地に帰る死を悲しんではいけない

  肉体とともに精神も

  わが家へ帰れるのである。

 わたしは、そしてあなたは、土から取られたのだから土に帰る、それでいいのだ、と言います。その通りです。しかし、それだけが真理であるかというと、そうではないと言わなければなりません。

 わたしたちのいのちは、目には見えない神から吹きこまれた息、いのちの霊です。自然の土の中から生まれ出たものではありません。わたしたちは土から成っています。しかし神の息を呼吸し、いのちの霊を生き、むしろ生かされています。そこに人のかけがえのなさ、人のいのちの無限の尊さがあります。

 霊とは、わたしたちのいのちにかかわるものです。神の息としてのいのちの霊です。いのちは死にます。しかし今や、新しく支えられる神のいのちの霊があります。その霊は、死人を生かし、無から有を造りだす力に満ちた神の恵みの霊です。わたしたちは土から土に、帰るべきところへ帰ります。それでも、わたしたちはただ土に帰っていくだけでなく、永遠の神の祝福のみ手に帰っていくのです。

 

■アッバ

 その霊、「この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」 Continue reading

10月13日 ≪聖霊降臨節第22主日/秋の「家族」礼拝①≫『あの子たちと仲良く!』(こども・おとな)『隣人になる―いのちとの出会い』(おとな) ルカによる福音書 10章25~37節 沖村 裕史 牧師

お話し 「あの子たちと仲良く!」(こども・おとな)

■みなさんだったら、どうしますか?

 イエスさまは「善(よ)いサマリア人」という話を、わたしたちにしてくださいました。今日はみんなで、この話にでてくる人たちになってみましょう。

 さて、何人の人たちがでてきましたか?

 まず、旅をしていて強盗(ごうとう)に襲われ、けがをした人がいます。この人はユダヤ人でした。とっても苦しそうです。持っているものも着ているものも全部取られて裸にされ、ひどいけがをしています。このままでは死んでしまいそうです。みなさんだったら、どうしてほしいですか?もちろん早く誰かきて助けてもらいたいですね。きっと同じ仲間のユダヤ人なら助けてくれると思ったでしょう。

 そこに、ユダヤ人の祭司さんがやってきました。神殿というところで神さまのご用をしている人です。みなさんが祭司さんだったらどうしますか?もちろん助けるでしょう。だって神さまのご用をしている人なんですよ。しかしこの祭司さん、その人を見ながら道の向こう側を通って、知らんぷりをしました。なぜでしょう。強盗が出てくるような場所に近づきたくなかったからかもしれません。いえ実は、死んだ人に触れたら穢(けが)れると言われて、神殿の仕事ができなくなるからです。たぶんもう死んでいると自分で決めて、見なかったことにしたのでしょう。

 次にまた、ユダヤ人のレビ人がやってきました。この人も、さっきの祭司さんたちを助けて、神さまのご用をする人たちです。みなさんがレビ人だったら、どうしますか?もちろん助けるでしょうか。いやいや、祭司さんが助けなかったのだから、レビ人さんも知らんぷりでしょうか。そうなんです。レビ人さんも、死んでいる人には近づけないと行ってしまったのです。

 その次にやってきたのは、サマリア人でしたね。サマリア人は、ユダヤ人から嫌われていました。いつも相手にされなかったのです。そんなサマリア人が、この人のところまで来ました。みなさんがサマリア人だったら、どうしますか?いつも馬鹿にされたり、いじめられたり、嫌われたりしていたら、助けようとは思わないかな。そこにいるのはユダヤ人なんですから。同じユダヤ人の祭司さんやレビ人さんに助けてもらえばいいだろう、って思いますか。

 イエスさまのお話では、そのサマリア人は心から憐れに思って、急いで近寄ってきて慯の手当てをしました。いま何が一番大切なことかを考えたのです。普段(ふだん)から持っているもので、できるかぎりのことをしたのです。それだけでなく、自分のロバにのせて宿屋(やどや)へ連れていきました。お金がなくなったこの人の治療代、宿代、かかったお金の全部を払ったのです。そして、もっとかかったら帰りに払いますと約束までした、というのです。どうしてそんなことができたのでしょうか。強盗に襲われた人の、その身になって考えたからでしょうね。

 

■あの子たちと仲良く!

 さてここで、映画をいっしょに見ましょう。映画のタイトルは『八月のメモワール』。メモワールっていうのは「おもいで話」っていう意味です。

 今から50年以上前の1970年8月、アメリカはミシシッピー州の小さな町でのこと。ベトナム戦争から帰って来た、父親のスティーヴンは、戦争で心に深い傷(きず)を負(お)っていました。トレーラーハウスに住む一家の家計(かけい)は苦しく、ふたごの姉と弟、リディアとステューは、母親のロイスといっしょに貧しい生活を送っていました。

 姉弟(きょうだい)は、森の大きな樫(かし)の木にツリーハウス(木の上の家)を作ることを計画、それぞれ仲のいい友だちと材料(ざいりょう)を探し始めました。ステューは、リプニッキという家のガラクタ置場(おきば)に目を付けます。ところが見つかってしまい、リプニッキの六人兄弟からボコボコに殴(なぐ)られ蹴(け)られ、口に傷を負います。

 スティーヴンはそんな息子(むすこ)の傷に気づいて、「どうした?」と尋ねます。リプニッキの兄弟に蹴られたと話し、ステューが「我慢(がまん)しているけど、ときどき首をへし折りたくなる」と吐(は)き捨(す)てるように言うと、スティーヴンは「これっぽっちの我慢を忘れると、一生後悔することになるぞ」と諭(さと)します。

 スティーヴンは、以前精神科で治療を受けていたことが分かって、ようやく見つけた小学校の仕事をわずか一週間で失ってしまいます。それでも彼は、家族のために売りに出されていた家を手に入れようと、危険があっても高い賃金(ちんぎん)をもらえる石切り場の仕事に就(つ)くことにします。母親のロイスを驚かせようと、家のことは息子ステューとの秘密にします。パパはまたすぐクビになると言う姉のリディアに、ロイスは、父さんはわたしの一部なの、その父さんのことを悪く言うことはわたしを悪く言うこと、非難(ひなん)は許さないと強く言ってきかせます。その夜、リディアは父親と言葉を交わし、「父さんが年をとって死んだら、天使になってわたしを見守ってね」と甘えます。

 売りに出されていた家の競売(けいばい)に出かけたスティーヴンとステューは、ささいなことからリプニッキの父親と子どもたちに絡(から)まれます。スティーヴンは争いを避けようとしますが、ステューに身の危険が及(およ)びそうになり、思わずリプニッキの父親に暴力をふるい、息子に謝(あやま)らせ、また彼を罵(ののし)ったステューにも謝罪(しゃざい)させます。そのすぐ後、ステューは再びリプニッキの子どもたちに暴力をふるわれて激しく怒ります。ところが、父親のスティーヴンは暴力をふるった子どもたちに家族のために買った綿菓子(わたがし)を与えます。「どうして?」と憤(いきどお)る息子に、スティーヴンは「あの子たちは何ももらったことがないから」と答えます。スティーヴンは、怒りのおさまらないステューをツリーハウスのところに連れて行き、こう言います。

 「あの子たちと仲良くな!」

 「自衛のための喧嘩さ。父さんだって戦争で戦ったろ?」

 「戦ったよ。人を助けようとして。だが助けるより、大勢を殺してしまった」

 「……」 Continue reading

9月22日 ≪聖霊降臨節第19主日/教会創立記念「家族」礼拝≫『ちっとも恐くなかった』(こども・おとな)『あなたがたに平和があるように』(おとな) ルカによる福音書 24章33~43節 沖村 裕史 牧師

お話し「ちっとも恐くなかった」(こども・おとな)

■弟子(でし)たちも生き返った

 36節に「こういうことを話していると」ってあるよね。「こういうこと」っていうのはね、少し前に書いてあったこと、イエスさまがよみがえられたことです。

 マグダラのマリアたち、女は絶望(ぜつぼう)と悲しみのままに、イエスさまが葬(ほうむ)られた墓(はか)へと出かけ、空(から)になった墓に現われた天使から「イエスは生きている」と告げられました。同じように失望(しつぼう)と落胆(らくたん)の中をエマオへと向かっていた二人の男は、見知らぬ人から聖書の話を聞きながら歩き、宿について夕食をする席でその人がパンを裂いた時、それがイエスさまであることに気がつきました。また、イエスさまが十字架につけられる前に三度も「イエスなんか知らない」と答えた十二弟子の一人、シモン・ペトロにもイエスさまが現れてくださったって書かれています。そのことです。

 弟子たちの誰もが、よみがえりのイエスさまと出会ったのです。イエスさまが十字架に架かって死んでしまったと絶望し、深い悲しみの中にあった弟子たちは、イエスさまが死を超(こ)えて生きておられ、そして今もわたしたちのすぐ傍(そば)に、共にいてくださっていることに気づかされたのでした。そして、よみがえられたイエスさまが、元気で人生を精一杯(せいいっぱい)生きるように、と勇気づけてくれたことを大胆(だいたん)に告げ知らせたのでした。

 イエスさまが本当によみがえられたのかどうか、今のわたしたちに確かめる術(すべ)はありません。でも何かが起こり、そのことで悲しみにくれていた弟子たちが再び力を取り戻したことは、紛(まぎ)れもない事実(じじつ)です。弟子たちは、もう泣くのをやめて立ち上がり、イエスさまが救い主(ぬし)であること、イエスさまが死に打ち勝ってよみがえられたことを、方々(ほうぼう)に出かけて人々に告げはじめました。

 イエスさまのよみがえりによって、弟子たちもまた生き返ったのでした。

 

■少女は朝早く、お母さんの墓に行った

 今日、みなさんに見てもらう映画は、そんなよみがえりの出来事を体験したボネットという女の子のお話しです。

 舞台(ぶたい)は、この夏オリンピックがあったパリのあるフランス。四歳の少女ポネットは、お母さんが運転する車で事故(じこ)に巻き込まれました。幸いポネットは腕のけがで済(す)みましたが、お母さんは死んでしまいます。

 お母さんが死んだことを教えられたポネットは、悲しさと寂しさから泣き出します。お父さんは仕事の都合(つごう)でしばらく留守(るす)にすることになり、ポネットはおばさんの家に預(あず)けられました。いとこのデルフィーヌやその弟マチアスはポネットを慰(なぐさ)め、一緒に遊ぼうと話しかけます。でも、ポネットはお母さんのことで頭がいっぱい。二人を追い払ってしまいます。

 デルフィーヌとマチアスは呆(あき)れた様子でしたが、おばさんはポネットに優しく語りかけ、よみがえられたイエスさまの話を聞かせます。ポネットは、お母さんもきっとイエスさまのように戻(もど)って来てくれると信じ、ずっと待ち続けることにしました。その様子に心を痛(いた)めたおばさんは、お母さんはもう帰って来ないの、と涙を流します。それでもポネットは頑(かたく)なにお母さんが帰って来るのを待っていました。数日後、帰って来たお父さんは、お母さんを待つポネットに怒り出します。お父さんは「そのままだとずっと悲しいだけだ」と言いますが、ポネットの心はさらに傷つき、お母さんを求めるのでした。

 ポネットはデルフィーヌたちと同じ寄宿学校(きしゅくがっこう)に入ることになります。デルフィーヌや同じ部屋の少女たちは恋(こい)の話に花を咲かせますが、ポネットは会話に入っていきません。彼女は舎監(しゃかん)のオレリーに、自分はママを悲しんであげなければならないのだ、と話します。

 ポネットはオレリーに頼み、礼拝堂(れいはいどう)を見せてもらいます。オレリーは、ママは神さまと一緒に天国に住んでいると話し、お祈りは必ず聞こえている、と語りかけました。翌日の夜、ポネットは一人でこっそり礼拝堂に忍(しの)び込みます。そして、ママと話がしたいと涙を流して、神さまにお祈りします。交通事故で突然お母さんを亡くした四歳の彼女に、死の意味はまだよくわかりません。人形のヨヨットと一緒に、お母さんの帰りを待つことに決め、お母さんが帰ってくることだけをひたすら願って、暇(ひま)さえあれば神さまに小さな手をあわせてお祈りをしていました。

 それでも、ポネットの願いは叶(かな)いません。ある夜、マチアスのベッドを訪(たず)ねたポネットは「もう死にたい」と口にします。天国のママに会いに行きたいから、自分も死ぬしかないのだ、と。マチアスは、ポネットは変わっているけれど良い子だと言って慰めました。

 そんなある朝早く、まだ学校の仲間たちが寝静(ねしず)まっている暗いうちに、ポネットは寄宿学校を抜け出して、お母さんの墓まで駆(か)けて行きました。

 墓に着いたポネットは、ママにもう一度会いたいと目に涙をいっぱいためて、小さな手でお母さんの墓を掘り始めました。すると、後ろから突然(とつぜん)、「ポネット」と彼女の名前を呼ぶ声がしました。それは忘れもしない、お母さんのやさしい声でした。ポネットは涙を振り払って、夢中(むちゅう)で「ママ!」と叫んで、抱きつこうとしました。するとお母さんはそれを押しとどめて、こう言いました。「抱きついてはだめ。もういいのって伝えるために、戻ってきたのよ、ポネット」。そして「笑わない子どもはいけないわ。何でも楽しんで、それから死ぬの」「パパと二人で仲良く暮らしなさい。でもママのことは忘れないで。さようなら。さあ、行きなさい。パパがもうすぐ迎えにくるわ」と言いました。

 歩き出したポネットがもう一度ふりかえった時、そこにお母さんの姿はもうありませんでした。でも彼女は捜しにきたお父さんに笑顔でこう言いました。「ママとお話しできたの。昔のママの姿だったから、ちっともこわくなかった。皆と楽しむことを学びなさいって」。

 

■笑顔いっぱい Continue reading

9月15日 ≪聖霊降臨節第18主日/敬老祝福「家族」礼拝≫『力を抜いて、重みのままに』 コヘレトの言葉 3章 11節(口語訳) 沖村 裕史 牧師

 

■どうして…

 わたしたちには、人生に対していろいろと注文があります。そして思い通りに、万事順調という人も時にはおられるかも知れませんが、そうは行かないという思いを持っている人も少なくないでしょう。いえ、誰もが心の底に、そんな思いを抱いているのではないでしょうか。

 真面目に、こつこつと丁寧に生きているのに、思いがけないことに遭遇する。そして、一切がご破算。「どうしてこんなことになったのか」、「どうして、わたしがこんな目に遭わねばならないのか」、「同じ状況にいたのに、どうしてわたしだけに起こり、他の人には何事も起こらなかったのか」、人生の不可解に直面してたじろぎ、「どうして、どうして」と問わざるを得ないことが、しばしばです。

 でも、「どうして」という問いを出すということは、問えば分かるはずだという前提があってのことです。だけど、よく考えてみてください。人生は人間の理解で答えが見つかるもの、そう考えることほど傲慢なことはないのではないでしょうか。

 

■答えのない人生

 思えば、イエスさまがお生まれになった時にも、「どうして」という事件が起こりました。

 「さて、ヘロデは[救い主誕生のいきさつを知らせるように頼んでいた]占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」(マタイ2:16)

 ベツレヘム近辺の二歳以下の男の子が、ヘロデ王の恐れと怒りの飛ばっちりで、皆殺しにされたという話です。神が人間を救おうとしてくださったばかりに、こんな筋の通らない無残なことが起こったのです。イエス・キリストは救いをもたらすためだけに来られたのではありませんでした。人の世は解答不能な問いそのものであることを、明らかにするために来られたのでした。

 また、イエスさまは十字架の上で最後にこう叫ばれました。

 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(同27:46)

 イエスさまの人生最後の言葉は、答えではなく、問いでした。考えてみれば、イエスさまの誕生によって幼児皆殺しという解答不能な問いが起こり、その最後の十字架上の言葉も答えのない問いであったということは、問いを突きつけられ、問いを抱いて生き、問いを抱いたまま死ぬのが人生というものだ、そう聖書が語っているように思えてなりません。

 人生とは、「どうして」と問えば答えが分かるようなものではありません。そうではなく、そういう答えのない人生の只中に、問うても分からない人生の真っ只中に、そこにイエスさまの誕生があり、そこにイエスさまの十字架が立っているのですから、その「どうして」と問わざるを得ない、そここそが、イエスさまの共におられるところであり、まさにわたしの、わたしたちの引き受けるべき人生なのだということなのでしょう。

 

■人生をあるがままに

 さきほどのコヘレトの言葉にも、こうありました。

 「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」(3:11、口語訳)

 「永遠を思う」というのは、時間を超えた、遥かな遠い世界に思いを馳せるということではなく、日常の生を問い直して、人生の本質とは一体何か、究極的な人生態度は何かを問うこと、つまり「どうして、どうして」と問うことです。しかしその答えは「神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」とあるように、分からないということです。 Continue reading

9月8日 ≪聖霊降臨節第17主日礼拝≫『共に食べ、共に生きる』 コリントの信徒への手紙一 11章 23~34節 沖村 裕史 牧師

 

■晩餐の危機

 イエスさまは、会堂で、また湖の岸辺や丘で人々に語りかけられました。それだけでなく、弟子たちや徴税人や罪人たちと共に食事をされました。特に、十字架―死の前夜、エルサレムの宿の二階で、弟子たちと「最後の食事」を共にされました。そこにいたのは、イエスさまを裏切ったユダ、イエスさまを三度も知らないと言ったペトロ、イエスさまを見捨てて逃げまどった弟子たち。すべて罪人でした。そうなることを承知の上で、イエスさまは、弟子たちと共に食事をされました。

 イエスさまの死後、弟子たちは集まって、そのときのことを想い起しつつ語り合い、そして共に食事をしました。教会はやがて、信徒たちが一つの場所に集まって、賛美し、祈り、み言葉に耳を傾け、信仰を告白するようになりましたが、20節に「一緒に集まって…主の晩餐を食べる」とあるように、その頂点こそ「主の晩餐」でした。

 ところが、主の晩餐としてのその共同の食事が無残なあり様になっていました。コリント教会の有力者たちが、その共同の食事を兄弟姉妹と分け合うことをせず、あたかも、自分たちの個人的な食事であるかのように振舞っていたからです。しかし教会の共同の食事は、食事を共に分け合い、分かち合うべきもので、それは、主の体としての教会の一致と平和のしるし、何よりも愛の証しの場であるべきでした。コリントの人々は、キリストのからだである教会を私物化しているだけでなく、意識してか無意識かは別にして、この世の貧富、地位の高低、権力の大小といったあらゆる格差と差別を、一致と愛のしるしたる「主の晩餐」の中に持ち込み、その意義を根こそぎ台なしにしているのではないか。

 パウロは22節、「[あなたがたは]神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか」と厳しく叱責しています。

 

■引き渡された

 この問題を解決するため、パウロは今、イエスさまと弟子たちとの、最後の晩餐のことを人々に思い起こさせようとしています。23節から26節です。

 23節の「受けた」「伝えた」という言葉からもわかるように、主の晩餐についての言葉は、教会の中に早くから伝えられていました。パウロは、主の晩餐と呼ばれる共同の食事を、自分の体験から学んだのでも、誰か権威ある人から受け継いだのでもありません。「主から受けた」―この言葉は、主ご自身が自らの死と新しい契約のしるしとして弟子たちにパンと杯を分け与えられたことが、罪人や貧しい人々と共にされた数々の食事とともに、教会の人々の間に語り伝えられていたことを示しています。パウロの時代にまだ福音書はありませんが、イエス・キリストの死と復活の物語は、信仰の中心、核になるものとして、大切に語り継がれていたのです。

 パウロは、コリントの人々もよく知っているはずの主イエスの死―十字架の意味を思い起こすようにと、「すなわち、主イエスは、引き渡される夜…」と語り始めます。

 ここに「引き渡された」とあるように、御子イエスは父なる神によって、わたしたちのために十字架へと引き渡されたのでした。そして、イエスさまご自身も自ら進んで、その残酷な使命を背負われました。イエスさまの生涯は、人に与え続ける生涯でしたが、その人生の極みとして、進んで自らのいのちをも与えてくださったのです。自分を喜ばせるのではなく、人のために生きる人生―それがイエスさまの人生でした。その極みとしての死、十字架でした。

 聖餐の中で、パンと杯をいただくことは、このイエスさまの死を覚え、告げ知らせるものです。ところが、コリントの教会の主の晩餐では、人々は自分のことばかり考え、他人のことはお構いなしというあり様でした。イエスさまから与えられた大きな恵みを考えれば、コリントの人々も自分のことばかりではなく、イエスさまに倣って、人に与えること、人と共に分かち合うことを考えるべきではないのか。そう問いかけるパウロは、「主から受けた」言葉を語り直しつつ「記念として」という言葉を繰り返します。

 

■記念として

 「思い起こす」「想起する」と訳すことのできる、印象深いこの言葉を通して、わたしたち教会は「わたしの記念としてこのように行いなさい」と教えられてきました。パウロは、パンと杯を共にすることを通して、コリントの教会に、イエス・キリストの死—贖(あがな)いのみ業を、過去の出来事としてではなく、自分自身のこととして想い起こさせようとしています。

 「記念」という言葉は、出エジプトの「過越」の出来事を連想させます。エジプトを旅立たんとするイスラエルは、犠牲となった子羊の血によって守られつつ、その日、エジプトの抑圧と奴隷としての束縛から解放されました。イスラエルはその後も、その記念すべき日に、神がご自分の民を解放してくださったことを想い起すことで、その神が今も、自分たちを救ってくださっていることを確信し、感謝しました。同じように主の晩餐もまた、神がイエス・キリストの犠牲の死を通して、このわたしたちに今も解放を、罪の赦しを、救いをもたらしてくださっていることを想い起す機会となるものでした。

 また「記念」という言葉は、今日の聖餐式では、主の体と血であるパンと杯によって、実際に主イエスが今ここにおられること―つまり主の「現在」を意味する言葉だと理解されていますが、この手紙で語るパウロの言葉をそのように理解することはいささか的はずれかもしれません。制定の言葉の最後、26節を原文の語順通りに訳せば、「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主の死を告げ知らせるのです。主が来られる[その]ときまで」となります。主はもはやここにはおられません。それは決定的な不在、今ここにおられるはずなどないという意味ではありませんが、パウロが語る主の晩餐の意義は、主イエスの死―十字架による贖いと救いの真実を記念し、そのことを想い起しつつ、「再び主が来られる」そのことを、確信をもって待ち望むことでした。

 

■新しい契約

 その主の晩餐によってキリストの体と血を分かち合う教会は、主の死がわたしたちのためであることを想い起すと共に、25節に「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」とあるように、主の死が、神による「新しい契約」の始まりであることを知らなければなりません。

 クリスチャンとは、この新しい契約にあずかる者です。新しい契約のメンバーは、みな神の家族です。主の晩餐にあずかるすべての人は、互いに兄弟姉妹なのです。前回、申し上げたように、自分の本当の家族がお腹を空かせているのに、その人たちのことは全くお構いなしに、自分たちだけガツガツ食べるような人がいるでしょうか。

 コリントの一部の豊かな人たちが、他の兄弟姉妹のことを考えずに、自分たちだけでご馳走を食べることは、自分たちが新しい契約にあずかっていること、信じる者はみな本当の兄弟姉妹であるという大切な真理を、その行動によって足蹴(あしげ)にするようなものです。

 パウロは今、イエスさまご自身による主の晩餐の制定、とりわけわたしたちのために受けられた苦難と死とを、コリントの人たちに想い起させることで、この大切な真理をよくよく考えるようにと促しているのです。 Continue reading

9月1日 ≪聖霊降臨節第16主日礼拝≫『食卓のマナー』 コリントの信徒への手紙一 11章 17~22節 沖村 裕史 牧師

 

■主の晩餐

 17節以下のテーマは「主の晩餐」です。十字架の前夜、「最後の晩餐」の席で、イエス・キリストが特別な意味を込めて弟子たちに与えられたパンと杯に、イエスさまを裏切ることになるユダもペトロも、そこにいたすべての弟子たちが共にあずかったことを、繰り返し記念しなさい、想い起しなさいとイエスさまがお命じになった。それが「主の晩餐」であり、また、今日の「聖餐式」の起源でもあります。

 とはいえ、パウロがここで語っている「主の晩餐」と、わたしたちが今日も守っている聖餐式とが全く同じというのではありません。なぜなら、34節までの主の晩餐についての言葉は、確かに教会で行われる聖餐式と密接に関わってはいますが、聖餐式はもっと広い範囲の聖書の言葉と長い教会の歴史の中にその根拠と豊かな意味を持つ、また確固としたスタイルを持った、サクラメント「典礼」だからです。皆さんが他の教会で聖餐式にあずかっても、さほど戸惑うことがないのも、それだけ聖餐式が典礼として、普遍的に確立しされているからです。

 しかし、パウロの時代はキリスト教の黎明期(れいめいき)です。聖餐式についても、これといった定まったスタイルはありませんでした。新約聖書さえまだない時代ですから、式文など聖餐式で語る言葉も決まっていませんでした。当然、信仰に入って日の浅い信徒の中には、「主の晩餐」というのは何のためにするものなのか、よく分かっていなかった人もいたことでしょう。「主の晩餐」を単なる食事会のように考えていた人もいたでしょう。そのために、大きな混乱が生じてしまったのでしょう。

 だからといって、パウロがここで語っていることに意味がないというのではありません。むしろ、パウロの語る言葉は今日も、わたしたちに実に多くのことを教えてくれています。パウロが、主の晩餐でのイエス・キリストの言葉を、どのような状況の中で語り、何をコリントの信徒たちに伝え、教えようとしていたのか。今日はそのことを、17節から22節までの言葉を通してご一緒に学んでまいりたいと思います。

 

■仲間割れ

 それにしても、いろいろな問題や課題を抱えるコリントの信徒たちでした。

 パウロは11章の冒頭2節で、「あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います」と、彼らがパウロの伝え、教えたことを大切に守っていることを誉(ほ)め、評価しています。しかしそこには、社交辞令的な意味合いと共に、皮肉が込められていました。パウロは彼らを手放しに誉(ほ)めていたわけではありません。そして今日の冒頭17節でもパウロは厳しい調子で、「[しかし]次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません」とはっきりと語り始めます。「指示する」と訳される言葉はとても強い口調の言葉で、「命じる」と訳してもよい言葉です。パウロがこれほどの強い口調で指摘する問題とは、何だったのでしょうか。

 それは、主の晩餐のときに見られた、コリントの人々の「仲間割れ」「分裂」です。17節から18節、

 「あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています」

 「あなたがたの集まり」「教会で集まる」で使われているギリシア語は、今日のわずか6節の段落の中で三度も使われる、大切な言葉です。この言葉のもともとの意味は、「共に集う」または「一つにされる」でした。そして実に「教会」という言葉のギリシア語「エクレシア」もまた、「呼び集められた者たち」という意味でした。

 当時の「教会」には、それ専用の建物もなければ確固とした組織もありません。教会員の中の有力者の家で行われる、「家の教会」と呼ばれる小さな集り、集会に過ぎませんでした。そこにはまだ「聖餐式」と呼べるものもありません。その小さな集まりで、信仰による一致を象徴するしるしとして大切に守られていたのが、「主の晩餐」と呼ばれる「共同の食事」でした。

 ところが、コリントの人々がその教会に「集う」とき、皮肉にも「共に集う」ことも「一つにされる」こともありませんでした。

 

■避けられない

 教会に「仲間割れ」があったからです。このことは、これまでにも繰り返し指摘されていたことです。「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」といった、党派争いがありました。仲間割れ、対立のある人々が共に集まるとき、そこにはかえって言い争いが起り、その亀裂はさらに深まっていきます。そうして、共に集まることが良い結果ではなく、悪い結果を生んでしまうことになります。パウロは「まず第一に」、そのことを指摘します。

 しかし、18節後半から19節にこう続けられます。

 「わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません」

 「適格者」というのは、あまりよい訳ではないかも知れません。「試されて、本物であることが証明された者」という意味の言葉です。どの教えが本当に神のみ心を正しく伝えているのか、イエス・キリストによる救いの福音を正しく伝える教えはどれか、ということが明らかになるためには、いろいろな意見の相違、対立も「避けられないかもしれない」と言うのです。いえ、ここの原文はずっと強い言葉で、「争いもなければならない」という言い方です。口語訳聖書では、「たしかに、あなたがたの中でほんとうの者が明らかにされるためには、分派もなければなるまい」と訳されていました。こちらの方が原文に近い訳です。パウロは、教会の中で意見の対立があること自体は必ずしも悪いことではない、と言います。

 今ここでは、意見の対立や仲間割れそのものが問題ではなく、教会の集まりを悪い結果を生むものにしてしまっていることが問題とされています。その仲間割れのために、20節、

 「それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならない」 Continue reading

8月25日 ≪聖霊降臨節第15主日/平和『家族』礼拝②≫『ピエロのお医者さん』『愛に満たされて』 エフェソの信徒への手紙 3章 14~21節 沖村 裕史 牧師

 

お話し「ピエロのお医者(いしゃ)さん」(こども・おとな)

 皆さんは、ハンター・アダムスって、知っていますか?ロビン・ウィリアムスという俳優(はいゆう)さんが主人公を演(えん)じて、大ヒットをした映画『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(1998年)のモデルになった人です。

 彼は、1945年、アメリカのワシントンに生まれました。お父さんがアメリカ軍の兵士だったため、韓国やドイツなどにある軍の施設(しせつ)の中で育ちますが、お父さんはあまり彼のことをかまってくれなかったようです。16歳の時、そのお父さんと、大好きだった叔父(おじ)さんが続いて死んでしまったショックで、彼の心は深く傷つきました。お父さんが亡くなったあと、教師をしていたお母さんとお兄さんと一緒にアメリカに帰りますが、心の傷も癒(い)えないままに、今度は学校でいじめに遭(あ)い、自殺未遂(じさつみすい)を繰り返すようになります。入退院を繰り返した彼はついに、自分から進んで精神病院(せいしんびょういん)に入院することになりました。

 でも、そこで彼は大きな転機(てんき)、人生の曲がり角(かど)を経験(けいけん)することになります。深い絶望(ぜつぼう)とどうしようもない虚(むな)しさのただ中にいた彼に生きる目標を与えたのは、カウンセリング担当のお医者さんではなく、同じ病院に入院している患者(かんじゃ)さんたちでした。ひとりの老人(ろうじん)が、親指を折った手を見せて、アダムスに聞きます、「何本に見える?」。「4本」と彼が答えると、その老人は首を振って、「目の前に見えるものにとらわれちゃ駄目(だめ)だ」とつぶやきます。目の前のことだけを見るんじゃなくて、その奥にあるものや、違う視点(してん)で物事(ものごと)を見ることが大切だと言われ、アダムスはハッとします。と同時に、患者が患者を治すことがある、「患者と医者になんの違いがあるのか」と考え始めます。そして、その老人や同じ部屋の友人との交わりの中から、「愛」がとても大きな力を持つこと、「笑いやユーモア」が人の心を癒すことに気づかされます。

 39歳になっていたアダムスは、お医者さんになる道を志(こころざ)し、その二年後、見事(みごと)医学部に入学します。「医療(いりょう)に人の心を」、これが医学生の時からの信念(しんねん)でした。治療(ちりょう)方法は患者を笑わせること。白い服を着て三年生になりすまし、大学病院にもぐりこんだ彼は、三年生の医学生と一緒に、患者の様子(ようす)を見て回るのですが、そこで目(ま)の当(あ)たりにしたのは、患者さんたちのことを名前で呼ばずに病名(びょうめい)で呼ぶ姿、そして指導する先生と医学生のやり取りが病気に関(かか)わることだけで、患者さんについての会話が何ひとつないという現実でした。アダムスは思わず「彼女の名前は何ですか?」と尋(たず)ねるのですが、先生や医学生たちに不思議(ふしぎ)そうな顔をされるだけのことでした。

 何度(なんど)も大学病院にもぐりこむアダムスは、あるとき、学部長(がくぶちょう)と鉢合(はちあ)わせしそうになり、思わず、ある病室に飛び込んで身を隠します。その病室は小児科(しょうにか)の部屋でした。小さな子どもたちがベッドで、寂(さび)しく辛(つら)そうな顔をして横になっています。彼は近くにあった浣腸(かんちょう)ボールを鼻につけて、子どもたちの前でピエロのようにステップを踏み、ふざけて笑いを巻き起こします。ひとりの子が笑い、他の子どもたちも興味を持って彼を見つめると、悲しげだった子どもたちみんなが楽しそうに、キャッキャと笑い始めたのです。その笑い声を聞いて病室をのぞいた看護師(かんごし)さんは驚き、呆(あき)れます。

 しかし、学部長はそんなアダムスとことごとく衝突(しょうとつ)、彼を退学させようとします。それでも彼が信念を曲げることはありませんでした。なぜでしょう。病気の人は諦(あきら)め、絶望感に打ちのめされている、そのことこそが深刻(しんこく)な病いだ、そこから癒されなければと考えていたからです。笑いが、何よりも「愛」が必要だと信じていたからです。管理され、ただ治療されるだけの「物」のように扱われていた患者たちは、愛と笑いを通して、人として癒され、元気づけられ、病いと闘い、病いを恐れず受け入れる勇気を持つようになります。いぶかしげに見ていた同級生や看護士たちも、やがてそんな彼を理解し、支えるようになります。そうして様々な試練を乗り越え、大学を卒業(そつぎょう)することができた彼は、愛とユーモアを治療の土台においた、無料で診療する「お元気で病院(Gesundheit Institute)」を設立(せつりつ)することになります。

 彼の活動とメッセージは、日本でもたくさんのお医者さんや医学生たちの共感(きょうかん)を呼びました。支援(しえん)の輪が広がり、今から20年前の8月、日本に招かれ、熊本、神戸、長野の塩尻(しおじり)で講演会(こうえんかい)が開かれました。その時、NHKが彼に取材(しゅざい)をしています。彼はこう聞かれました、「講演会で、医師であるあなたが、理想(りそう)とする医療のあり方を語らずに、愛について語られたのはなぜですか」と。すると彼は、「人間にとって最も大切なものが、愛だからです。テレビや本にも愛をテーマにしたものがたくさんあります。そのように、愛の大切さを誰もが知っているのに、家庭でも学校でも、その愛について教えようとしません。ですから、わたしは、愛について語るのです」と答えます。

 ここで映画を一緒に見てみましょう。

 「愛」って、何でしょう。さっき読んでもらった聖書の言葉に、こう書かれていました。

 「こういうわけで、わたしは、天と地にあるすべての家族にその名を与えられる父の前にひざまずいて祈ります」(14~15節)

 神様が「父」と呼ばれます。しかも、その人がわたしたちすべての名付け親だって言います。「名付け親である父なる神様」というこの言葉が意味していることは、神様が、わたしたちのいのち、わたしたちの家庭、わたしたちの日々の生活の根っこにいてくださるのだということです。そしてまた、名付け親として、弱くて小さい、間違いや失敗ばかりのわたしたちに大きな愛を注いでくださっている、愛そのもののお方だということです。何の条件もなしに、わたしたちの一人ひとりを、あるがままに受け入れてくださる愛のお方だということです。だから、わたしたちは子どもとして、愛の神様の前に「ひざまずいて」「ひざをかがめて」と言います。わたしたちが、愛の神様の子どもとなるには、この身を低くし、このひざをかがめて、祈る者とならなくてはならないということです。この言葉は、高さでなく低さこそが愛である父の子どもにふさわしい姿であり、また高さでなく低さこそが愛の第一歩だ、ということをわたしたちに教えているのでしょう。

 上から目線で、偉そうにではなく、パッチ・アダムスのように、身も体も低く、仕えるようにして、互いを大切にすることが、互いを愛することができたら、どんなに素敵なことでしょうか。皆さんも、そうは思われませんか。お祈りします。

 

メッセージ「愛に満たされて」(おとな)

■いま、手をつなぎ合って

 さきほどの映画を見ていて思い出したのは、『メイク・ア・ウィッシュ』のことです。そのボランティア団体で長く事務局長をされていた大野寿子さんの著書の中に、こんな言葉が記されています。

 「1996年、『バスの運転士になりたい』という佐々木証平くん(6歳)の夢をお手伝いしました。証平くんは島根と広島の県境の『匹見町』という小さな町で、近所のおじいちゃん、おばあちゃんにかわいがられて育ちました。3歳のとき、ある日突然、大きな痙攣の発作を起こし、病院へ行きます。そして『ミトコンドリア脳筋症』と診断され、あれよあれよという間に、崖から転がり落ちるように病状は悪化し、立つことも食べることも話すこともできず、ついには人工呼吸器をつけるようになりました。そんな証平くんが小さいときから憧れていたバスの運転士さんになるため、その日、出雲のバス操車場に『しょうちゃんの夢のバス』が走りました。応援団がファンファーレを奏でる中、運転士の制服を着た証平君の任命式が行われます。バスは、養護学校のお友だちやそのご家族やボランティア、100人ものお客を乗せたりおろしたりしながら、『びょういん』を出発し、『ひきみちょう』を経由して、『げんきまち』まで何往復もしました。…

 それから4年たち、島根の会合においでくださった証平くんのお父さんが、こんな話をなさいました。

 『証平があっという間に変わり果てた姿になったとき、わたしは天を恨み、地を恨み、すべてのものを恨みました。一生懸命まじめに生きてきたわたしたち家族がどうしてこんな目に遭わなければいけないのか、わたしたちが、証平がなにをしたのかと、何度も問いました。親切に声をかけてくださる人たちに対しても、「わたしたちの気持ちがわかるものか」と突っぱねていました。ところが、あの日、メイク・ア・ウィッシュで夢をかなえた日、ふと、その肩の力が、恨みの気持ちが抜けたのです。そうか、小さな楽しみや目標を前においていけばいいのだ、と思えたのです。庭でバーベキューをしようとか、近くの公園まで散歩に行こうとか…』 Continue reading

8月11日 ≪聖霊降臨節第13主日礼拝『自然って何?』 コリントの信徒への手紙一 11章 2~16節 沖村 裕史 牧師

 

■意外な返答

 コリントの教会に仲間争いや対立があったことが、何度も語られてきましたが、そのような争いが礼拝の中に持ち込まれたため、礼拝が混乱していたようです。11章から14章にかけてパウロは、教会の礼拝が「すべてを適切に、秩序正しく」(14:40)行えるよう、使徒として指導しています。そうした礼拝問題のトップバッターとして取り扱われたのが今日の箇所、女性が礼拝の中で祈ったり、預言したりするとき、頭に物をかぶるべきか否かということでした。

 冒頭、パウロは「あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います」とコリントの人々のことを褒めています。パウロはここで、コリントの人々が彼に手紙で書いてきたことに答えているようです。その手紙の内容について、ヘイズという学者が、恐らくこんなことを書いていたのではないかと想像を膨らませます。

 「親愛なるパウロ。わたしたちはあなたのことを懐かしく思い出し、またお会いしたいと願っています。わたしたちのある者は、あなたから受けた伝承を守ろうと頑張っています。キリストにおける洗礼についての伝承では、もはや男も女もない(ガラテヤ3:27-28)と教えられました。わたしたちが礼拝に集まった時は、女性も共同体の中で男性と同じ役割を果たし続けていることを、ご報告したらきっと喜んでいただけると思います。あなたがわたしたちと共にここにいらした時と全く同じように、女性も集会では霊によって激励され、祈り、自由に預言しています。けれどもこの点について議論が起こっています。自由に霊の力において振る舞っている女性の中で、預言する時に、頭のおおいを取り、髪を下ろす者が出てきました。キリストにある自由を表すためです。共同体の中でも臆病で、保守的な者はこれに反対しています。女性が人前で髪を下ろすのは、見苦しく、不名誉なことだと考えてのことです。ところで、わたしたちの大部分は、あなたがこの行いに必ずや賛成するだろうと信じています。なぜなら、これはあなたから受けた伝承が真実であることの、外に向かった目に見えるしるしだからです。このことに関して、直接あなたが何か批評をしてくださったら幸いです。どんな疑いも晴れることでしょう。いつまでもあなたの忠実な信奉者より」

 しかし、パウロの返答は意外なものでした。3節、

 「ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです」

 男女平等を掲げる者には、聞き捨てならない言葉から始まります。「かしら」と聞くと、何かしら上下関係、縦の関係を連想してしまいます。ただ、ここでは上下関係を連想する必要はありません。むしろここは、「代表している」と訳した方がよいかもしれません。夫婦がホテルに宿泊する時に、夫が妻を代表して署名する、というような具合です。二人の人、または二つのグループがある場合、だれか代表を決めなければなりません。神の創造の秩序においては、男性が女性の代表となるとパウロは言っているのであって、男女の優劣を論じているわけではありません。

 とはいえ、パウロの返答は明らかに手紙を書いた人々の期待を裏切るものです。問題は、パウロがこの後語る、その「創造の秩序」です。

 

■かぶり物

 その前に、続く4節から6節のパウロの言葉に目を留めておきましょう。ここで語られていることこそ、女性が祈ったり、預言したりする際に頭に物をかぶるべきかどうか、ということでした。

 第一に注目いただきたいのは、コリントの教会の礼拝では、女性も男性と同じように祈ったり、預言したりしていること、またそのことをパウロは承認しており、女性のそのような働きを制限したり、抑制しようとはしていない点です。旧約時代にも女性の預言者はいましたが、イエス・キリストの救いが到来し、聖霊が降った今は、男女の間に霊的次元での優劣、差別は存在しないということです。そのことは、ガラテヤの信徒への手紙3章28節にもはっきりと語られていました。

 「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」

 この言葉は、他の世界的宗教、例えば仏教やイスラームと呼ばれている宗教と比べても、どれほど革命的であることでしょう。わたしたちプロテスタント教会では、女性牧師や役員がいるのは当たり前のように思われますが、伝統を重んじる他の教派には、女性の聖職者や役員を教会が生み出すのは容易ではありません。女性の聖職者を認めるか否かは、教会の分裂を引き起こすほどの重大事です。逆を言えば、男女が共に同じ霊的祝福と霊的働きを受けているということが、どれほどの恵みであるかが分かります。

 次に、女性が礼拝の中で祈ったり、預言したりするとき、「頭に物をかぶる」ことが、なぜ求められているのか。その理由としてパウロが持ち出している論拠はいくつかありますが、注意していただきたいのは、「かぶり物」とはそもそも何のことを言っているのか、ということです。

 伝統的な解釈によれば、それは女性が頭にヴェールをかぶることであるとされてきました。しかし原文をよく読んでみると、「ヴェール」という言葉は一度も出てきません。単に、頭を覆うか、覆わないかが問題とされているのです。そこから出てきた最近の有力な解釈は、女性が髪を結ばないでいることが物をかぶらないことであり、髪を結んで頭の上に括っておくことが物をかぶることだ、というものです。そう受けとめると全体が分かり易くなります。

 コリントの女性のある人たちは、「すべてのことが許されている」という自由と解放を表現するために、礼拝中に髪を結ばないで祈り、み言葉を語っていたと考えられます。しかし公共の場で髪を結ばないことは、当時の文化や慣習からすると恥ずべきことであり、娼婦の姿を連想させました。ルカによる福音書7章36節以下にも、「後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」「一人の罪深い女」の話が出てきますが、この女が髪の毛をほどいて、それでイエスさまの汚れた足を拭うという行為を受け入れたイエスさまのことを、ファリサイ派の人が厳しく批判しています。ユダヤでも、女性が人前で髪の毛を解くことはありません。あるとすれば、それは娼婦など卑しい女のすること、まさに「罪の女」であることのしるしでした。

 この段落に「侮辱する」「恥ずかしいこと」「恥」といった言葉が何回も出てくることに気づかされます。パウロは、女性が礼拝中に髪をきちんと結んでいないことが、教会という神の神殿で祈ったり、み言葉を語ったりするのにふさわしい姿なのかどうか(13節)を問題にし、またその姿が当時のコリントに数多くいた神殿娼婦と呼ばれた女性たちのことを連想させ、教会が当時のギリシア・ローマ世界の中で恥をもたらすようなこと、あらぬ誤解を招くようなことをしないように、という意図があったのでしょう。

 そのことで、教会内に混乱と対立が生じることがないように、別の言葉で言えば「教会を建てる」ということが、パウロの発言の意図であったのだろうと思われます。

 そして、その勧めは女性だけではなく、男性に対しても与えられます。

 「男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、自分の頭を侮辱することになります」 Continue reading

8月4日 ≪聖霊降臨節第12主日/平和聖日・平和「家族」礼拝①≫『平和の神が共に』 フィリピの信徒への手紙 4章 4~9節 沖村 裕史 牧師

 

■カタカナのヒロシマ

 これからお聞きいただくのは、広島の三人の少年のお話です。

 今から79年前、三人はともに国民学校の六年生で、避難していた疎開先からたまたま戻っていました。

 

広島は、ごぞんじのように水の都です。

七つの川にやさしく抱かれています。

水のおかげでおいしいお魚がとれます。

ここは四十三万人の大きな都会です。

 

またここは陸軍の都です。

鉄砲かついだ兵隊さんたちは、

みんなここから中国へ南方へと、

出かけて行きます。

 

そしてここは造船所の街です。

りっぱな軍艦をつくります。

客船も漁師の舟もつくります、

ここでつくれない船はありません。

 

 その造船所には三万人もの朝鮮の人がいました。

 ふるさとから無理やり連れて来られて、

 いちにち六個のおにぎりと

 わずかなお給金で船をつくっていました。

 

広島には空襲がありません。

「この広島からはの、アメリカヘ、えっと移民さんが行っとってじゃ。ほいで、みなアメリカ人になっちょるんよ。そいじゃけん、そのアメリカ人が生まれ故郷に爆弾をよう落とすわけがなあが」

みんなそういっています。

 

 ちょうどそのころ、アメリカの大統領がイギリスの首相にこういっていました。

 「原子爆弾の投下目標の都市は、広島、小倉、新潟、そして長崎です。一発の原爆にどれだけの威力があるかを知るために、そのときがくるまで、これらの四都市に空襲をしてはならぬと命じています。空襲の処女地で原爆の威力を見たいものですから。」

  Continue reading

7月28日 ≪聖霊降臨節第11主日礼拝≫『愛が借り』 ローマの信徒への手紙 13章 8~14節 沖村 裕史 牧師

 

■裁きと救い

 35歳で夭逝(ようせい)した楽聖ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、今から233年前の冬、12月5日夜半、天に召されました。突然の死によって、完成されずに残された名曲があります。「レクイエム・ニ短調K.626」です。死者のためのミサ曲、この「レクイエム・ニ短調」の荘厳さ、美しさは形容し難いものです。そしてその歌詞も、とても印象的です。

 「怒りの日よ、その日/地上は灰に帰する…何という恐怖のくることか/審判が至り/ものみな厳しく試される時は。…審判者が席に着く時/隠されたものはすべて見出され/罪を免れるものはない。

 哀れなるわれは、何をいおう、…恐るべき御力の王よ、/贖(あがな)いし者を自由に救いたもう方よ、/憐みの泉よ、われを救いたまえ。… そしてその日、われを見放したもうな」

 「終わりの日」に御子イエス・キリストがわたしたちのもとに再びやって来られ、厳しい裁きと、愛と平和に満ち溢れる救いをもたらせてくださる。そのことを待ち望み、その時に備える大切さを思い起こさせる歌です。

 預言者イザヤが語った、「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも/雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても/羊の毛のようになることができる」(1:18)という美しい言葉も、裁きと同時に救いを語っています。緋のように、紅のように赤い罪に対して神の裁きが臨む。しかし、神はその民を裁いて滅ぼしてしまわれるのではなく、その罪を雪のように、羊の毛のように真っ白に清めてくださる…。

 聖書の神は、徹頭徹尾、愛の神です。愛の神は、裁きのために裁くのではなく、救いのために裁かれます。裁きは、人を脅すためのものではなく、その裁きを通じて、主の恵み、回復のみ業がもたらされるという希望に満ちたものです。それが「終わりの日」の本来の目的です。

 もちろん「終わりの日」の救いのみ業は、わたしたち人間によるのではありません。それはただ、神の恵みのみ業、神の愛ゆえです。わたしたち人間はそこに指一本触れることもできません。

 「神に愛された子」という意味のアマデウスという名を持つモーツァルトもまた、「終わりの日」の神の愛による救いを待ち望みつつ、天に召されるギリギリの時まで、この曲の譜面と向き合っていたのでしょう。

 

■脱いで着る

 ローマの信徒への手紙13章11節から14節が語っているのも、そのことです。「今がどんな時であるか」とパウロが語る、今この時とは、「眠りから覚めるべき時」であり、「救いが近づいている」時です。まさに裁きと救いの成就する「終わりの日」に他なりません。パウロは、その「終わりの日」が近づいているのだから、「闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着け」「主イエス・キリストを身にまといなさい」とわたしたちに勧めます。

 「キリストを身にまといなさい」。含蓄ある言葉です。

 「身にまとう」「着る」ために、わたしたちはまず、今着ているものを脱がなくてはなりません。コロサイの信徒への手紙にも、「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです」(3:9-11)とあります。

 まず、あなたの身にまとっている、自分と人とを比べて隔てるもの、エゴイズムや悪意という古い着物を脱ぎすてなさい、そうパウロは言います。それは、裸になりなさいということでもあります。裸のあるがままの自分を受け入れる、と言い換えてもよいかも知れません。信じて生きるということは、脱ぐことと着ることにつきます。脱がずに重ね着するわけにはいきません。自分の着ている古い着物を脱いで裸になって、あるがままの弱く、小さく、欠け多い自分を受け入れて、キリストを着ることです。

 そうしないと、いつもきまって自分の着物が問題になります。奴隷と自由人、男と女、ユダヤ人と異邦人、政治的・経済的な優劣、文化の違い、宗教的な態度など、わたしたち人間が自らを誇り、自らを頼みとする着物。他人と自分を比べては、時にうぬぼれ、時には卑下する、そんな比較と差別、競争と抑圧に繋がるエゴイズムに囚われている着物。わたしたちは、信じると言いながら、まだ、そんな古い着物を問題にしてはいないでしょうか。だとすれば、わたしたちは、本当にはまだキリストを着ていないか、ただ重ね着をしているだけ、ということになるでしょう。

 では、自分が自分がというエゴイズムを脱ぎ捨てて、キリストを身にまとうということは、具体的にはわたしたちがどのように変えられることなのでしょうか。パウロはそのことを前段の八節から一〇節で、こう教えています。

 「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます」

 パウロは、「互いに愛し合うこと」を、律法、神のみ言葉として、わたしたちに勧め、求めています。「キリストを身にまとう」とは、神の愛、キリストの愛、その光の中を歩むことです。それは愛の光に照らされて、愛されている自分をあるがままに受け入れ、そのように愛されている者として互いに愛し合うということです。

 

■借りるしかない

  Continue reading

7月21日 ≪聖霊降臨節第10主日礼拝/講壇交換≫『ゆだねられたもの』 テモテへの手紙二 1章 3~14節 茶屋 明郎 牧師(若松教会)

 

 今、後継者の問題がいたるところの分野において、例えば会社や農家などあらゆるところにおいて後継ぎがいない、事業を引き継ぐふさわしい人がなかなか見つからないという問題があり、人手不足が拍車をかけて、事業を止めざるをえないという深刻な課題が生まれています。

 教会やキリスト教も例外ではなく、牧師になる人が少なくなり、教会員の減少が拍車をかけて、無牧の、専任の牧師を招聘できない教会が増えていて、教会・伝道所が130近く所属している九州教区においても、30近くの教会・伝道所が無牧になっているという深刻な状況があります。

 

 パウロも、この後継者の課題に直面させられていることを本日の箇所において書いています。つまり、この時、パウロは、老齢になり、そして、捕らえられて牢屋に入れられ、死刑が執行されるのではないかという危機に直面しています。

 パウロの想いには、そんなに長くは、福音の宣教は続けられなくなるのではないか、そうなったら、福音が途絶えてしまうのではないかという不安があり、そしてその不安に拍車をかけているのが、後継者として期待している、弟子テモテに対して感じている一抹の不安や懸念でした。

 その一抹の不安や懸念を感じるのはテモテの信仰であり、最初のころの、燃えて、生き生きとして、積極的になって、福音宣教に邁進し、力強く生きている信仰が消え、燃え尽き症候群みたいになり、弱くなり、生ぬるく、熱くも弱くもなく、何か中途半端な、後ろ向きな、消極的な姿を感じさせているテモテの姿があったからであり、その姿に不安を感じて、テモテを励まし、再び燃える思いが生まれるようになり、福音の宣教が途絶えることがないようにという切迫した想いをパウロは伝えようとしています。

 このテモテの姿に信仰の難しさが現されており、最初の救われた喜びや感謝そして希望を保ち続けていくのは本当に難しく、さまざまな苦難や試練などが誘惑となり、日々祈り、聖書に聞き入り、神のみ言葉を聞くという基本的な信仰者としての行為を続けていくことが困難になることが示さていて、この試練や誘惑は、私たちにおいてもよく起こりうることではないかと思います。

 

 テモテが直面していたのは、恥ずかしいという想いを強く感じていることでした。彼は福音宣教に従事することを恥ずかしく感じるようになって、それが誘惑となって、信仰が弱くなっていたということです。

 恥という感情は、私たちの生き方や行動規範に大きな影響を与えます。恥を感じなければ、例えば、「赤信号みんなで渡れば、怖くない」みたいな、みんなもやっていることだからと思えば、悪いことでも平気で行えたり、反対に、素晴らしく、善いと思われることでも、自分一人だけしか理解しない、多くの人が反対し馬鹿にしていると思えば、恥ずかしさがうまれ、その生き方や行動を止めてしまう力になったり、場合によっては、辱めを受けたという想いが絶望をもたらし、生きる力を奪うことも少なくなくありません。

 テモテは、この時恥の感情にすごくとらえられていたようです。つまり福音を宣教していくことが非常に恥ずかしいと思っていたということです。

 

 どういうことかいうと、一つはパウロが捕らえられて、牢屋に入れられ、命の危機にさらされているという悲劇でした。

 大伝道者であり、すごい働きをしていて、多くの人を救い、多くの教会を建て、まさに生ける神に選ばれ、遣わされ、祝福されているパウロが、どうして捕まり、牢屋に入れられ、命の危機にさらされる絶望的な状態に置かれていることが、テモテには理解できなかったかもしれません。パウロにはいつも大いなる生ける全能の神が共にいて、今日まで守ってくれていたはずではないか。しかし、パウロは牢屋に入れられ処刑されるかもしれない危機にさらされている。生ける神は助けて下さらないのか。守ってくださらないのか。そう思い、自分はどうなるのか、自分もいつか同じ悲惨な状態に置かれるかもしれないと思い、そうなったら、みんなから馬鹿にされるのではないかという恥ずかしい感情が生まれていたようです。

 それに拍車をかけていたのが、福音そのものを恥じる想いです。つまり、生ける神は、罪人を救うために救い主イエスを遣わし、十字架につけられ、三日後に復活させられたのであるという福音に対して、多くの人々が否定し、罵倒し、復活などあるものか、そのようなことを信じることほど愚かなことはないという意見を左右され、恥ずかしさを感じるところがあったかもしれない。

 その恥ずかしい感情から、勇気がくじかれ、弱気にとらえられ、福音に立つ想いも弱くなり、福音を通して与えられる力強さが失われ、キリスト・イエスを通して現れた神の愛、神の慈しみ、神のすべての人を憐れみ、赦すという神の救いへの愛が弱くなり、そのような中で、思慮分別の知恵もなくなり、迷いが生まれ、どのようなことが悪いことであり、善いことである判別がなくなり、善いことと思ったら、どんなに反対されたり、嘲笑されたりしても、それにめげずに、突き進んで行くという勇気がなくなっていたようです。

 

 そう思ったパウロは、「神はおくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊を私たちに与えてくださったのです。だから恥じてはならいし、神の力に支えられて、わたしと共に苦しみを忍んでほしい」と訴え、励ましています。

 パウロは、訴えます。力強く、確信をもって訴えます。「恥じてはならない。私は恥じない」。なぜなら、ゆだねられているこの福音は、自分自身の思いや考え、理念からではなく、人間によるのでもなく、そうではなくて、神からのものであり、神の計画と恵みによるものであり、生ける全能の神がずっと昔から計画してきたものである。すべてを支配し、創造主なる神、不可能を可能にし、絶望を希望に変え、死んだものに命をお与えになる、生ける神によって計画された、人間を救うという福音である。だから、この世において、最も確かで、確実で、信頼できることのひとつである。これが私たちが宣教している福音である。

 私たちが委ねられているこの福音を、生ける神は、必ず守り、支え、祝福し、豊かな実りを結ばせられる。だから、絶対裏切られない。絶対後悔しない。絶対無駄になることはない。必ず、万事を益としてくださる。

 だから私は福音を恥じないし、誇りに思っているし、真の希望に生きている。命を与える、不滅の命を与える、死んでも生きられる命、永遠の命に生きられる。そんな尊い素晴らしい命、かけがえなさを持つ、比較できない、唯一の価値ある命をもたらす。これが福音、委ねられている福音である。

  Continue reading