≪説 教≫
■椎名麟三のこと
大学で妻と出会い、親しさを増し始めた頃、互いが読んでいる本を交換し、その内容について語り合うようになりました。その時に妻から紹介された作家に、椎名麟三がいます。読んで魅せられ、すっかり嵌りました。
椎名麟三は、1911年(明治44年)、兵庫県姫路に生を享けました。生まれた三日後、母親が、夫や夫の家族との間がうまくいかず、自殺を図ります。幸いにもいのちを取り留めましたが、9歳の時、両親は別居。父は別の女性と大阪で暮らし始めました。父親からの送金も途絶えがちとなり、母親、麟三、ふたりの妹たちは極貧の生活に苦しみます。母に言われ、大阪の父のもとへお金の無心に出かけますが、断わられた彼は家に帰らず、そのまま家出をします。母もまた別の男性と暮らし始めていました。姫路中学も中退することになり、職を転々としました。彼の人生、彼の作品の根っこには、そんな幸薄い、愛に飢え、生きることの不安にいつも捉われていた、辛い体験があります。
18歳の時、彼は山陽電鉄の社員となります。当時の多くの勤労青年がそうであったように、彼もまたマルクス主義に理想を抱き、労働運動に身を投じ、共産党員になります。しかしその2年後、検挙され投獄された彼は、厳しい拷問を受ける中で自分の同志愛の弱さ、もろさを痛感し、転向します。釈放された後も職を転々とし、生きる希望を失った彼もまた母親と同じように、自殺未遂を図ります。
その彼が27歳になったとき、ロシアの文豪ドフトエフスキーの作品に出会い、衝撃を受け、文学の道を志します。10年後、それは敗戦の翌々年にあたりますが、彼は『深夜の酒宴』を発表。以後、敗戦直後の廃虚の中にあって、人間存在の意味を真っ向から問う作家として、話題作を次々に発表することとなります。その頃、日本キリスト教団上原教会の牧師であった赤岩栄と出会い、1950年39歳の時に洗礼を受けますが、48歳の時、信仰の非神話化を強める赤岩と対立し、三鷹教会に転会します。その彼が、自分の信仰体験について記した著作の中で、「愛」について触れています。
わたしは、愛する人、妻や恋人から、わたしのことを本当に愛しているかと問われれば、愛していると答えるだろう。重ねて、本当に、本当に愛しているかと問われると、しばらく躊躇しながらも愛していると答えるかもしれない。しかし、三度重ねて、本当に、本当に、本当に愛しているかと問われると、わたしは愛していると答えることができない。人間には、結局のところ「本当に、本当に、本当に」と問われて、こうだとはっきりと言えるものは何もないのだ。
牢獄の中で、労働運動に身を投じる仲間たちへの同志愛が揺らぐ自身への嫌悪、何も信じるものを持たない、確かなものが何もないというニヒリズムに捉われていた、彼の苦悩が重なって見えてきます。そんな苦悩の中、獄中で出会ったひとりの売春婦のことを、彼は回想しています。金のために、生きていくために、自分の体を切り売りして暮らさざるを得ない、およそ愛とは程遠いところにいる女性の、しかし懸命に生きるその姿に、彼は深い感動を覚えます。
わたしたち人間は、本当の、本当の、本当の意味で、人も、自分も愛することのできない存在、何一つとして確かなものをもたない存在だけれど、そのようなわたしたちのために、イエス・キリストが自らのいのちを捨ててくださった。イエス・キリストは、そんな何の価値もないわたしたちをそのようにまでして愛してくださっている。どこまでも相対的な存在でしかないわたしたちの虚しさ、人間のヒニリズムは、そのような、絶対的な神、イエス・キリストの愛によってのみ克服される。わたしたちの愛、自由、生きる意味は、十字架と復活に示された主の愛の中にこそある。真実の愛も知らないし、そんな愛などあるはずもないと思っている者にとって、わたしたちにとって、神様が、イエスさまが示し、与えてくださった愛は、驚くべきものであり、まさに希望ではないか。椎名はそう書きます。
■悲しくなった
この椎名の言葉は、今日の場面、イエスさまとペトロとの間に交わされた会話に基づくものです。
イエスさまがペトロに向かって、三度、「あなたはわたしを愛しているか」とお尋ねになり、そのたびにペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えます。そして三度目に問われた時、「ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった」と書かれています。
「悲しくなった」という言葉をニュアンスのままに訳せば、「情けなくなった」となるでしょう。自分の言うことを信じてもらえないのか、という思いからでしょうか。あるいは、イエスさまに問われ、イエスさまに答えている間に、ペトロは、かつて自分がイエスさまに語った言葉、そして自分のとった行動を思い出していたのかもしれません。
それは、イエスさまが十字架につけられる前の晩のこと、最後の食事を弟子たちと共にとっていた時のことでした。イエスさまはペトロに向かって、「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる」と言われました。それに対して「ペトロは言った。『主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。』イエスは答えられた。『わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう』」(13:37-38)。
事実は、イエスさまの言われた通りであった、と聖書は証言します。
「イエスさまを知らない」と言ったのが三度。
「わたしを愛しているか」と問われたのも三度。
「ペトロは…悲しくなった」というこの言葉には、そのことを思い出したペトロの、身のすくむような思いが込められているのかもしれません。
「この方は覚えておられる」
自分が今、イエスさまによって「裁かれている」という思い、イエスさまに「試されている」という思いであった、と言ってもよいでしょう。 Continue reading