福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

【教会員・一般の方共通】

TEL.093-951-7199

今週の教え - 小倉東篠崎教会

1月29日 ≪降誕節第6主日礼拝≫『後悔したら、あなたならどうする?』マタイによる福音書27章1~10節 沖村裕史 牧師

 

■ユダは悪人?

 「ほんの僅かでも人間についての認識を持っている者なら、ユダがキリストの崇拝者であったという事実を一体、誰が疑うだろうか」とは、19世紀の哲学者であり、牧師でもあったセーレン・キルケゴールの言葉です。

 ユダは最終的にイエスさまを裏切りますが、これは他の弟子にとっては驚きの出来事だったはずです。ユダは一行の会計を預かるほどにみんなから信頼されていました。最後の晩餐のときにも、イエスさまが弟子の一人が自分を裏切るだろうと言われ、そこにいた弟子たちの誰もが衝撃を受けますが、ユダが裏切ることになるとは、誰一人として思いもしませんでした。

 そのユダが、イエスさまをエルサレムの宗教指導者―祭司長や長老たちに引き渡すことに同意します。報酬の銀貨30枚は、奴隷一人の平均的な代価でした。イエスさまは、ユダヤの宗教指導者たちによって死刑を宣告されますが、死刑執行の権限はローマ帝国にあったため、ユダヤ総督ピラトに引き渡されることになりました。こうして、イエスさまの十字架刑が確定します。

 ユダはまさに裏切り者でした。

 このユダに対する聖書の評価は、とても厳しいものです。たとえば、十字架の時が迫って来ていた頃のことです。イエスさま一行がベタニアで食事をされていたとき、一人の女が高価な香油の入った石膏の壹を壊し、その香油をイエスさまの頭に注いだ、という有名な出来事が、最も古い福音書と言われるマルコ福音書の14章3節以下に記されています。そして、その様子を見ていた「そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。『なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか…』」とあります。最も古い伝承では、この女を非難したのは「そこにいた何人か」でした。ところが最も新しい伝承と考えられる福音書、ヨハネの12章1節以下では、この女はマリアであるとされ、非難した人間は「弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った」となっています。しかも、「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである」という説明までつけ加えられます。マルコからヨハネへのこの変化に、感心な女はマリアで、悪者はユダであるという評価が形作られていく、その過程を見ることができるでしょう。

 イエスさまの十字架が大切なものとして重んじられるほど、その直接の原因をつくったユダが悪人であるということが強調され、悪いことはみんな、ユダのせいにされてしまうほどであったと言えるでしょう。

 

■後悔するユダ

 でも、ユダに対するこうした評価は正当なものでしょうか。

 そもそもマタイは、ユダの最後の場面を、弟子の筆頭であったペトロの否認の出来事と並べるようにして描いています。「そんな人は知らない」と言ってイエスさまを見捨てたペトロと同じように、イエスさまを裏切った弟子たちの一人、それがユダなのです。事実、他の十人の弟子たちもみんな、蜘蛛の子を散らすようにして逃げ出していました。

 裏切るついでに銀貨を手に入れようとするところは、いささか意地汚いとしても、会計を預かっていたユダらしくもあります。聖書の中には、多くの人からたくさんの金を騙し取っていたザアカイのような人も出てきます。何も、ユダだけが特別な悪人というわけでもありません。

 しかも、ユダは冷酷な悪人になり切れていないという点でも、他の愛すべき人たちと共通しています。徴税人ザアカイや一緒に十字架につけられた犯罪人のように、ユダも最終的には悪に徹することができませんでした。ユダはイエスさまを裏切りながらも、その後、自分の罪に苦しみます。3節から4節です。

 「そのころ、イエスさまを裏切ったユダは、イエスに有罪の判詞が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、『わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました』と言った」

 ユダは、イエスさまが有罪判決になるとは思ってもいなかったようです。自分のやったことは間違っていたと気づき、悲しんでいます。ペトロ、パウロ、壺を持ってやって来た罪深い女…。イエスさまに巡り会った、すべての人たちがそうであったように、ユダもイエスさまと出会い、自分の犯した罪の大きさに悲しみ、「後悔し」ます。

 ここに、ユダがどうしてイエスさまを裏切ったのか、その動機の一端が垣間見えてくるようです。少なくとも、ユダが会計係として使い込みをしたのでも、その穴埋めにお金が必要だったからでも、ユダがお金の亡者だったといった単純な動機でもなかったのでしょう。むしろ、「こんなはずじゃなかった」と後悔したのですから、そこにはまた別の期待が込められていたことを伺わせます。多くのユダヤ人がメシア=キリストに期待していたことは、ローマ人を打倒し、ユダヤ人の祖国を回復して、ダビデやソロモンの時代の栄光を取り戻すということでした。イエスさまの弟子たちもまた、同じ期待を抱いていました。ユダは、イエスさまが逮捕や投石から逃れる場面を何度も目の当りにしていましたし、病人を癒し、死者を生き返らせるのも見ていました。こうしたことから、ユダはイエスさまを当局に売り渡せば、ついにイエスさまもローマ人との戦いを始めざるをえなくなると期待していたのかもしれません。自分がそのきっかけをつくろうとしたのですが、もくろみとは違って、イエスさまは処刑されることになってしまいました。

 動機がどのようなものであれ、ユダは「しまった。大変なことをしてしまった」と自分のやったことを後悔したのです。

 

■ユダの自殺

 それは、ペトロたちが味わった罪の意識といささかの違いもありません。ただ問題は、この後のことです。後悔したユダは、この後、どうしたでしょうか。

 彼は奇妙な選択をしてしまいます。祭司長や長老たちの所に帰ってしまったのです。

 後悔して、もともとお金が目的ではなかったのですから、その銀貨三十枚を返却しようとしたのです。そして、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言います。罪の、悔い改めの告白です。そして、イエスさまのことを「罪のない人」と告白しています。祭司長や長老たち、当時の指導者たちがイエスさまの有罪判決を下しているそのただ中で、ユダはイエスさまの無罪をはっきりと証言します。 Continue reading

1月22日 ≪降誕節第5主日礼拝≫『ぎゅっと抱きしめて』ルカによる福音書5章12~26節 沖村裕史 牧師

 

■今ここに神の国が

 言葉というものはなかなかに難しいものです。人と人とが生きていくために、コミュニケーションの手段としての言葉は欠かせないものですが、言葉ほど曖昧で、厄介なものもありません。「目は口ほどにものを言い」と言われるように、愛し合う二人にとっては、むしろ邪魔になることもあります。また言葉でしくじることも、しばしばです。

 昔からわたしには悪い癖があります。意見が衝突し、感情が昂じて、言い争いになって収拾がつかなくなっている人たちを見ると、つい「まあ、まあ」と仲裁に入ってしまうのです。よく言えば平和主義者、悪く言えば事なかれ主義のわたしにしてみれば、感情むき出しの争いごとや周囲を緊張させる対立は、耐えがたい苦痛でした。良いも悪いもありません。「まあ、まあ」とその場を収めようとしてしまうのは、相手のためである以上に、自分の緊張を和らげるための、止むにやまれぬ行為でした。

 もっとも、この曖昧な「まあまあ」という言葉で、宥(なだ)められたりすることもあれば、かえって人を怒らせることもあって、止せばよかったと思うこともあります。他にも「そのうち」「多少遅れます」「多分大丈夫でしょう」「結構です」「のちほど」「~と思います」「考えておきましょう」などなど、はっきりしない言葉遣いは、確かに誤解やトラブルの元になることもありますが、そこにはまた、言い表せないものも隠されているように思えます。

 そんな曖昧な言葉が、ここにも出て来ます。イエスさまによる二つの癒しの出来事が記されていますが、実はそのいずれもが、まったく同じギリシア語で書き始められています。「カイ エゲーネト」という言葉です。場面の移動や物語の展開を示す慣用的な表現ですが、曖昧な言葉で、特別な意味を持たないものとして、日本語の聖書では翻訳されていません。あえて訳せば、「さて」「ところで」となるでしょうか。

 この二つの出来事の冒頭に、その「カイ エゲーネト」という言葉が使われています。しかも、同じ出来事を記しているマタイとマルコの福音書にはない言葉です。ルカだけがある意図を持ってこの言葉を使っている、そう考えることができます。その意図とは何か。ルカは、この二つの癒しの出来事は別々のものではなく、大切な、ひとつのメッセージを伝えている、そう考えているのではないでしょうか。

 この「カイ エゲーネト」を英語に直訳すれば、“And it became.”となります。そのままに訳せば、「そして、それは起こった」です。何が起こったのでしょうか。この二つの癒しは、イエスさまがペトロたちを召して最初の弟子とし、一緒に福音を宣べ伝え始めた、その直後に起こった出来事です。とすれば、「そして、それは起こった」とは、イエスさまが宣べ伝えられた「福音が現実のものとなった」ということを意味することになりはしないでしょうか。

 二つの癒しの出来事を、イエスさまが宣べ伝えられた福音の成就として受けとめ、「神の国が近づいた」と言われたそのことが、今ここに現実のものとなっている。「神の国はもうここに来ている」「神様の愛の御手は今ここに差し出されている」という、その福音にしっかりと耳を傾けて欲しい。ルカはそう語りかけているのではないでしょうか。

 

■千切れるほどの愛

 では、わたしたちの目の前に現実のものとなっている神の国とは、どのようなものなのでしょうか、どのようにして起きるのでしょうか、そしてそのことは、わたしたちに何を教えてくれているのでしょうか。

 ふたつの言葉に注目して、お話しをしたいと思います。ひとつは、13節の言葉です。

 「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去った」

 誰でも病気になります。体の病気ばかりではなく、心の病気になることもあります。いずれであれ、病にかかることはよくある、ごく当たり前のことです。自然なことですが、病は本人にとってはもちろん、家族にとっても重い負担となることがあります。当時のユダヤにも、病ゆえに地域社会から、家族からも見捨てられ、つまはじきにされて絶望し、苦しんでいるたくさんの人たちがいました。病は、その人の罪ゆえ、罪の穢れゆえだと信じられ、病人に触れることさえ禁じられていたのです。その戒めを守らず、病人に触れた人は、その人自身もまた罪穢れると言われました。

 しかしイエスさまは、はっきりと言われます。「よろしい。清くなれ」と。

 この言葉を原文に忠実に訳せば、「わたしは願う(、あなたが救われることを)。それがわたしの心だ。神によって清くされよ、そしてまた人々によって清いものとして受け入れられなさい」となります。それは、「よろしい」といった言葉から感じる、上から目線で与えられるような救いではなく、その人の苦しみと悲しみに寄り添って、その救いをイエスさまが心から願ってくださっていることを示す言葉です。そしてそれは、その人を隔離し、切り捨てた隣人たちと共に生きるようにされることを心から願う、宣言でした。イエスさまはそう言われ、重い皮膚病に苦しむこの人を癒されました。

 病に苦しむ人を癒してくださったこの出来事から気づかされる第一のことは、イエスさまの憐れみ、神様の愛です。ここには記されていませんが、イエスさまが癒しのみ業をなさるときには決まって、「深い憐れみ」によってそうされたと記されます。同じ出来事を記すマルコ福音書には「深く憐れんで」とはっきりと書かれています。イエスさまが手を触れられたのは、この病人を憐れんでくださったからです。当時の人々が避けて通った病人のところを、イエスさまは避けて通られず、むしろ深く憐れんで、誰からも触れられることのなかったその人に触れるために、手を差し伸べられました。

 深く憐れむという言葉は、腸(はらわた)の痛むほどの思いという意味です。聖書では、腸は、わたしたち人間の生、いのちそのものを意味します。そして憐れみとは、愛と同じです。このときイエスさまは、全身を重い皮膚病に覆われて苦しむこの人を見て、心の奥底から、ご自身のいのちのこととして憐れみを抱き、その人のことを愛されたのだ、ということです。

  Continue reading

1月15日 ≪降誕節第4主日礼拝≫『激しく泣いた』マタイによる福音書26章69~75節 沖村裕史 牧師

 

■心にもないこと?

 ペトロが中庭にいたときのことでした。

 そうです、イエスさまがゲッセマネの園で逮捕され、大祭司カイアファの官邸に連行されるとき、ペトロは遠く離れてではあっても、その後について行きました。そして勇気を振り絞り、イエスさまの審問が行われている官邸の中庭にまで入り込みました。火にあたる人々の中に座って、審問の行方を探るために耳をそばだてていました。他の弟子たちの誰にもできないことをした、ペトロでした。

 そこに一人の女が庭に出て来たことから、出来事は一気に動き始めます。

 彼女は、火にあたっているペトロをじっと見つめ、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」、そう言います。どうして彼女がペトロの顔を知っていたのか、それは分かりません。ただ、突然あらわれた、見知らぬ一人の女中に見咎(みとが)められてから、ペトロはしどろもどろになっていきます。いささかの勇気をもって中庭に入りこんでいたはずの、そのペトロの内心を見透かすように、「あなたもあのイエスと一緒だった」と言います。

 周囲の人々の視線を感じながら、口を開いたペトロの言葉は、「何のことを言っているのか、わたしには分らない」というものでした。ペトロは心にもないことを思わず、咄嗟(とっさ)に口にしてしまったのでしょうか。

 身に危険が及ぶことを恐れたペトロは、庭の出口のある門の方へと向かいます。とそのとき、ペトロの背中に再び、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と、別の女の声が突き刺さります。振り返ってでしょう、ペトロはもう一度、「そんな人は知らない」と、神に「誓って打ち消し」ます。これも咄嗟のことで、心にもないことを口走ったのでしょうか。そうではないでしょう。

 しばらくして、そこに居合わせた人々が近づいて来て、口をそろえて「確かにお前もあの連中の仲間だ。言葉づかいでそれが分かる」と言い募(つの)ります。日本語でも、イとヒが反対になったりする地方があるように、ガリラヤの人は喉音(こうおん)が区別できなかったのだ、と説明する人もいます。今までのことは、仮初めのことと見過ごすこともできたでしょう。しかしペトロは今、はっきりと「呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始め」ました。

 

■呪いの言葉

 この「呪い」と訳されているギリシア語は、特別な意味合いをもつ言葉です。その一つ、コリントの信徒への手紙一の中で、パウロが「神の霊によって語る人は、だれも『イエスは神から見捨てられよ』とは言わない」(12:3)と書いています。この「見捨てられよ」と訳されているのが「呪い」と同じ言葉です。口語訳聖書では「イエスは呪われよ」と訳されていました。原文では、単に「イエス・呪い」「イエスは呪いだ」で、このすぐ後に続く「イエス・主」「イエスは主である」という言葉と対比されて置かれた言葉です。

 ローマ時代に捕らえられ迫害を受けたクリスチャンたちの多くが、「イエスは主である」と告白して殉教の死を遂げました。しかしその一方で、迫害の苦しみに耐えかねて、「イエスなんか知らない」「イエスは呪われよ」と口に出すことで、自分のいのちを守ろうとした人たちもいました。「イエスは主である」と告白するのか、「イエスは見捨てられよ」と呪うのか。信仰の分かれ道となる言葉です。迫害の只中にあった当時のクリスチャンにとって、この言葉は自分自身に向けられた言葉でした。

 ここに「呪いの言葉さえ口にしながら」とあるのは、ペトロが「イエスは見捨てられよ」「イエスは呪われよ」と口にしていた、ということです。

 ペトロは、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」(26:33)と自分が言ったことも、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(26:35)と言ったことも、それが何を意味しているのか、まったく分からずにいました。まだその時ではない、もっと切羽詰(せっぱつま)ってからだ、と考えていたのでしょうか。おそらく、そんなことを考える暇(いとま)もなかったことでしょう。

 

■鶏が鳴いたとき

 「するとすぐ、鶏が鳴いた」

 そのときのことです。遠くで、しかし耳をつんざくように鶏が鳴きました。ペトロを糾弾するかのように、良心の悲鳴であるかのように鳴きました。「夜明け」を告げるこの鶏の声が、ペトロにイエスさまの言葉をありありと思い出させました。

 「ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した」

 ルカによる福音書は、ペトロがこの言葉を思い出す前に、「主は振りむいてペトロを見つめられた」と記しています。自分を裏切ったペトロを見捨ててもよいはずなのに、イエスさまは振り向き、ペトロをじっと見つめられたと言います。その眼差しとはどんなものだったのか。さきほど賛美いただいた197番の2節に「よわきペトロをかえりみて、ゆるすはたれぞ、主ならずや」とある通り、福音書が描く「見つめる」イエスさまの眼差しには、いつも赦しと招きが込められていました。その眼差しに包まれたペトロは、イエスさまの言葉だけでなく、イエスさまが共にいてくださることに、イエスさまが見つめていてくださることに、イエスさまと三年半も寝食を共にし、一緒にいた自分に気づかされたに違いありません。 Continue reading

1月8日 ≪降誕節第3主日/新年「家族」礼拝≫『乳飲み子を腕に抱いたとき』ルカによる福音書2章22~35節 沖村裕史 牧師

 

≪メッセージ≫(おとな)

■ひと月余りの乳飲み子

 「めでたさも 中くらいなり おらが春」

 ご存じ、小林一茶の一句です。わたしたちも今、ご一緒に新年を迎えています。ただ一茶と違うのは、中くらいならぬ、クリスマスの大きな喜びと希望の内に、新しい年を迎えていることです。そして、そんなめでたい新年に与えられたみ言葉が、ルカによる福音書2章22節以下です。

 「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、『初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される』と書いてあるからである」

 御子イエスが生まれたのはベツレヘムでした。律法によって、男子を出産した産婦は7日の間、汚れたものとみなされ、さらに出血の清めのために33日を要し、合わせて40日間、外出することができませんでした(レビ12:2-5)。とすれば、「清めの期間が過ぎたとき」とは、イエスさまがベツレヘムで生まれてからひと月余り後ということになります。

 マリアとヨセフはひと月余りをベツレヘムで過しました。初めて自分の乳房から乳をやる。日増しにわが子が成長していく。家族が喜びに満ちあふれるひと月だったでしょう。しかしまた、家畜小屋の中で産むほかなかった乳飲み子を抱えてのひと月、それは気苦労の多い日々でもあったに違いありません。

 その「モーセの律法に定められた清めの期間」が明けました。生まればかりの乳飲み子です。いつまでも旅先で過ごすわけにはいきません。マリアも体力を取り戻し、家族でナザレの家に帰ることになりました。しかしその前に、どうしても立ち寄らなければならない場所がありました。エルサレム神殿です。

 日本にもお宮参りという習慣があるように、マリアとヨセフもイスラエルの定めに従って、御子イエスをお宮参りに連れて行かなければなりません。遠方からの子連れの参拝ともなれば相当の負担となったはずですが、幸いにも、ベツレヘムからエルサレムまでは、わずかに8キロの道のりでした。

 

■痛ましく、不憫な宮参り

 神殿の丘に上った両親には、それぞれになすべきことが待っていました。ヨセフには長男を買い戻すための身代金を祭司に支払うこと、マリアには産後の清めのための犠牲を献げることです。

 出エジプト記に「すべての長子をわたしのために聖別せよ。すべての初子は…人であれ家畜であれ、わたしのものである」とあるように(13:2)、父親はまず、長男をいったん祭司の手に渡し、神のものとして献げるという形をとりました。次に、銀5シェケル―当時で言えば20日分の賃金に当たる金額―を祭司に支払って、息子を贖(あがな)う、買い戻します。ヨセフはその代価を支払いました。

 続いてマリアです。レビ記12章によれば、母親の清めのための献げ物として「一歳の雄羊一頭と家鳩または山鳩一羽」が定められていました。ただし「産婦が貧しくて小羊に手が届かない場合は」、特例的に「二羽の山鳩または二羽の家鳩」でもよいとされました。本来は、小羊一頭と鳩一羽のところを、大負けに負けて鳩二羽にしてやろうというわけです。しかしその鳩とて、そこらで捕まえてくればいいというわけではありません。傷のない、きれいな鳩でなければ、受け付けてもらえません。そこで神殿の境内には、神殿のお墨付きをもらった鳩売り業者や両替商が軒を並べていました。お墨付きによって神殿には収入が確保されます。神殿によるこの献金のシステムは、後にイエスさまの怒りを買うことになります。

 それにしても、何とも痛ましく、また不憫なお宮参りです。家畜小屋に生まれなければならなかったということだけでも不憫なのに、そのうえ乳飲み子を抱えて、旅先でのひと月余りもの不自由な生活を余儀なくされ、さらにはナケナシのお金と献げ物まで搾り取られるのです。十代前半のマリアと二十歳にもならないヨセフには、小羊などとても手が届かず、山鳩か家鳩の献げ物が精一杯でした。裕福な身なりをした人たちが、きれいな真っ白い布に赤ちゃんをくるんで、小羊を献げるその脇で、貧しい身なりの、疲れ切った夫婦がぼろ布に赤ちゃんを包んで抱きかかえ、鳩を献げようとしている。そんな光景が目に浮かびます。

 痛ましく、不憫な光景です。しかしそれは、神殿の祭司たちやエルサレムの指導者たちから見れば、罪深く、恥知らずな、みっともない光景でした。小羊を献げる親子連れにはおめでとうの言葉をかけても、この貧しい親子には祝福の言葉もなかったかもしれません。献げ物を格づける社会、それによって人間を格づける社会とはそういうものです。

  Continue reading

1月1日 ≪降誕節第2主日・元旦礼拝≫『新しい葡萄酒で乾杯!』ルカによる福音書5章33~39節 沖村裕史 牧師

■転石、苔を生ぜず

 「転石、苔を生ぜず」という諺(ことわざ)があります。転がる石には苔がつかない、外山(とやま)滋比古(しげひこ)という英文学者がこの諺について、こんなことを書いています。

 このことわざは英語の “A rolling stone gathers no moss.” の訳だけけれども、イギリスとアメリカでは全く反対の意味で使われるようになった。イギリスでは、一箇所に長く腰を落ち着けることができず、たえず商売替えをするような人間にはmoss苔はつかない、つまりお金が貯まらないという意味で使われているけれども、アメリカでは、優秀な人間なら引く手あまた、席の暖まる暇もなく動き回る、じっとしていたくてもそうはさせてくれない、次から次へと新しい職場に引き抜かれていく、こういう人はいつもぴかぴか輝いていて、新しくて、苔が付着する暇もない、そういう意味で使われている、と。

 外山は続けて、定住社会と移動社会の違い、風土から生まれる感覚の違いから、苔を良いものと思うのか、それとも何の価値のないものと思うのか、その理由を説明します。なるほどと思いつつ、わたしたち日本人はどちらかと言うと、イギリス人と同じ感性を生きているのではないか、と思わされました。

 わたしたちは今、新しいことは良いことだという時代を生きていますが、それでも、古いものは良いものだということもよく知っています。その二つの思いを融通無碍(ゆうずうむげ)に、いえ、自分に都合良く使い分けて生きているのではないか、そのことを心に止めながら、今日のみ言葉をご一緒に味わいたいと思います。

 

■新しい人生、新しいいのち

 元日の朝、わたしたちに与えられた聖書のみ言葉は、ルカによる福音書5章33節以下ですが、それ先立ってこの5章には、神様のご用に召された二人の人物の記事が出てきます。初めの一人は漁師だったペトロ、もう一人は徴税人レビ、またの名をマタイという人です。それと、病に苦しんでいた二人の人のことも書かれています。一人は今でいうハンセン病の人、もう一人は中風の人で、この二人の癒し、救いの出来事が記されています。

 なぜ、この四人の記事がここに一緒に記されているのでしょうか。この四人に共通していることとは何でしょうか。

 それは、この人たちが皆、罪人と見なされていたということ、そして何よりも、イエスさまに出会い、新しい人生を歩み始めた人たちだったということです。神様に召されるとは、この四人のように、まったく新しい人生を、まったく新しいいのちを与えられるということです。それはとても喜ばしいことです。神様に召されるのは、わたしたちがそれにふさわしいからではなく、ただ神様の愛ゆえです。そんなすばらしい、大きな愛に包まれて、新しいいのちを、新しい人生を歩み始めること、それが召されるということです。

 ある先輩牧師の体験です。

 高等学校二年生のときのこと、田舎の学校にはめずらしいクリスチャンの同級生がいた。クリスチャンの女子高生は何人かいたが、男子は他にいなかった。わたしは彼に議論を仕掛けた。世の中の矛盾や世界の不条理を引き合いに出し、神が存在するなら、なぜこんなことが起こるのかと問い詰めた。わたしはクリスチャンである彼を追及しているつもりでいたが、たぶん胸の奥には自分の生きる根拠を求めるあがきがあったのだと思う。彼の答えはしどろもどろだった。それでも、話の終わりに彼はいつもこう言っていた。

 「いちど教会に来てみろよ」

 で、教会に行き始めたのがその年の秋。教会に行き始めて、礼拝をしている姿に強い印象を受けた。二十数名の会衆が聖書の言葉に耳を傾け、起立して讃美を献げている。ここには道があるな、と思った。まっすぐに前に向かって行く道がある。駅前の飲み屋に育ったわたしには新鮮な驚きだった。人生にはドロドロした愛憎の世界しかないと思っていたからだ。あきらめ、断念し、なるようにしかならないと投げ出すように生きていた。

 踏み入ったのは、思いもかけない世界だった。教会の大きな窓からは、見なれた入り江の対岸の山並みが見えていた。よその世界の風景のようだった。翌年、高等学校三年のクリスマスに洗礼を受けた。

 考えてみれば、あのとき精神的に荒廃し、あがいていたんだろうと思う。苦しまぎれに目の前に現れた扉を開いたら、前方に向かう道があった、ようやっと見つけることができた、それがわたしの信仰への歩みだった。

 しかしそれは、神の側からいえば、神が迷い出た羊を探し出し、見つけ出してくださったプロセスだった。放蕩息子は自分の足で歩いて帰って行った。「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて…抱き、接吻した」(ルカ15:20)。息子が行きづまり、転落し、父をあえぎ求めるよりもはるかに切実に激しく、父は息子を待っていた。そのことは、神のふところに抱かれたあとでわかったことだった。自分が帰ったのではない。神が自分を見つけ出してくださったのだ、と。少しずつわかってくる。次第にわかってくる。(小島誠志『55歳からのキリスト教入門』一部変更)

 この先輩牧師も、そして「わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と告白したペトロも、軽蔑され嫌われていた徴税人のレビも、穢れた者として誰からも触れられることさえなかったハンセン病の人も、体がまったく動かず家族の重荷となって絶望していた中風の人も、彼らすべてがイエスさまによって見出され、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」と宣言されたイエスさまによって、その罪を赦され、救われ、大きな喜びに包まれて、まったく新しい人生を歩み始めました。 Continue reading

12月25日 ≪降誕日・クリスマス「家族」礼拝≫『もうひとりの博士』『クリスマスの美しさと醜さ』イザヤ書53章1~12節、マタイによる福音書2章1~12節 沖村裕史 牧師

 

≪お話し≫「もうひとりの博士」(こども・おとな)

たった一つの光に導かれて、♪遠くの東から、らくだにまたがって♪、三人の博士は、長い、長い旅の末、ようやくユダヤの地にたどり着きました。救い主のおられる場所を突き止め、馬小屋を訪れた博士たちが目にしたもの―それは、飼い葉おけの中に眠る小さな、とても小さないのちでした。頼りない、たったひとつのいのちの誕生に、この世界は喜びに包まれ、星々は輝き、暗い夜空に天使たちの歌声が鳴り響きました。

御子(みこ)イエスの誕生物語です。

救い主を拝(おが)み、宝の箱を開けて、献(ささ)げ物を献げることができた三人の博士たちの喜びは、どれほどのものだったでしょう。その喜びの大きさと深さを知ることのできる、もうひとつのクリスマス物語があります。「もうひとりの博士」と呼ばれる物語です。

三人の博士には、もうひとり仲間がいました。

名前は「アルタバン」。 彼らは救い主に会うため、星を頼りに旅に出ることにし、それぞれに贈り物を準備し、待ち合わせることにしました。アルタバンが準備した贈り物は「サファイヤとルビーと真珠(しんじゅ)」です。宝石を買うために、家も土地も、すべてを売り払いました。そのため、思いの外(ほか)時間がかかり、少し遅れてしまいます。アルタバンは必死(ひっし)に馬を走らせました。

約束の場所までもう一息(ひといき)、というところにさしかかったときのことです。道端(みちばた)のヤシの木の下に、ひとりの男が倒れています。近づくと、その男は病(やまい)で今にも死にそうです。この男にかかわっていては、大切な約束の時間に遅れてしまう。でも……。迷ったあげく、アルタバンは、水を汲(く)み、薬を飲ませ、手厚く介抱(かいほう)します。元気を取り戻した男に、彼は持っていた薬とぶどう酒とパンを与えると、仲間の待っている場所へと急ぎました。

しかし、そこにはもう誰もいませんでした。アルタバンはへなへなと座り込みました。遠い国まで一人で旅することは、とても危険なことです。そのためには、もう一度準備をしなくてはなりません。町に戻り、持っていたサファイヤを売り、ラクダを買って旅の支度(したく)を整えました。

砂漠(さばく)の旅は、つらく厳しいものでした。襲(おそ)い来る砂あらし。血に飢えた猛獣(もうじゅう)。はげしい疲れをおぼえながらも、たったひとつの星の光を頼りに、アルタバンはユダヤのベツレヘムという村に着きました。三人の仲間を探して村を訪ね歩いていると、赤ちゃんを抱いた若い母親に出会いました。彼女の話によれば、三日前に東からやって来た三人の博士たちが、赤ん坊を産んだナザレ人の夫婦(ふうふ)のところにやってきて、たいへん高価(こうか)な贈り物をした。ところが、博士たちもそのナザレ人(びと)の一家(いっか)も、あわててどこかへ行ってしまった、という話でした。

遅かった。ガッカリしていると、不意(ふい)に騒ぎが持ち上がります。「兵隊が来た! ヘロデ王の兵隊が、赤ん坊を皆殺(みなごろ)しにしているぞ!」。母親は真っ青になって、赤ん坊をしっかりと胸に抱きしめます。戸口が開き、血だらけの剣をもった兵隊たちがなだれ込んできました。アルタバンは彼らの前に立ちふさがり、「見逃してくれるなら、この宝石をやろう」。兵たちは、彼のさしだした高価なルビーをひったくるようにつかむと、そのまま外に出て行きました。

アルタバンはエジプトに向かいました。ナザレ人の一家がエジプトに逃げたと聞いたからです。しかし、どこにもその姿を見つけることはできませんでした。町から町、村から村へと歩き回り、捜(さが)し続けました。その途中(とちゅう)で、彼はたくさんの人たちに出会いました。町には奴隷(どれい)として売られていく人々、波止場(はとば)には疲れきった船乗りたち、物乞(ものご)いや病人たちがあふれていました。貧しい人々や病人たちのことを見過ごしにできない彼は、いつしか、自分の食べるパンを彼らに分け与えるようになりました。

多くの月日(つきひ)が流れました。今、アルタバンはエルサレムの町の中に立っています。ふところから最後に残った宝石である真珠をとりだし、つくづく眺(なが)めていました。いろいろなことが思い出されます。もう彼が国を出てから三十三年の月日が経(た)っていました。ひげは真っ白に、手はしわだらけになっていました。

エルサレムの町は祭で沸(わ)き立っていました。その時突然(とつぜん)、人々の間にざわめきが起こります。人々は興奮(こうふん)して、何かを見に行こうとしているようです。アルタバンがひとりにたずねると、「ゴルゴダの丘(おか)に行くんだよ。あんたは知らないのかい? 強盗(ごうとう)が二人、十字架(じゅうじか)にはりつけにされることになっていて、そこにもうひとり、ナザレのイエスという人も架(か)けられることになったんだよ。その人はたくさんの奇跡(きせき)を行ったけど、自分のことを「神の子」だと言ったから、とがめられ、処刑(しょけい)されることになったんだそうだ」。

ナザレ…神の子…。アルタバンにはすぐに分かりました。わたしはこの方に会うために、これまでずっと旅を続けてきたのだ。もしかすると、この真珠をその方を救う身代金(みのしろきん)として役立(やくだ)てることができるかもしれない。

アルタバンは急ぎました。と、髪の毛を振り乱した若い娘が引きずられてきて、必死にアルタバンの着物にしがみつきます。「お助けください! 父が死んで、父の借金(しゃっきん)のかたに奴隷に売られるところなのです。どうぞ、お助けください!」。アルタバンは身震(みぶる)いしました。これで三度目だ。 迷ったあげく、懐(ふところ)から真珠を取り出します。「さあ、あなたの身代金として、この真珠をあげよう。神の御子(みこ)への贈り物として大切に取っておいた最後の宝です」。

彼の言葉が終わらないうちに、空を闇(やみ)がおおい、大地震(おおじしん)が起こりました。娘を捕(とら)えようとしていた者たちは、びっくりして逃げていきました。アルタバンと娘はその場にうずくまっていました。 屋根瓦(がわら)が落ちてきて、アルタバンの頭に当たり、血に染(そ)めました。

娘はアルタバンを抱き起こしました。そのとき、どこからか不思議な声が響いてきました。かすかな細い声。それは音楽のようでもありました。アルタバンのくちびるが少し、動きました。

「いいえ、違います。主よ。いつわたしはあなたが空腹(くうふく)なのを見てパンを恵(めぐ)み、乾いているのを見て水をさしあげましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着物を着せてあげましたか。ただただ、三十三年間あなたを捜し求めてきただけです。しかし、とうとう一度もあなたにお会いすることもできず、何ひとつあなたのお役に立つこともできませんでした」

すると、またあの美しい声が聞こえてきました。

「まことにあなたに言っておく。わたしの兄弟である、これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」

アルタバンの顔が喜びに輝きました。まるで少年のように、はにかみ、安心したように長い息が、静かに、喜びに満ちた響きを持って、くちびるから洩(も)れました。

この物語が、わたしたちに教えてくれていること―それは、暗闇(くらやみ)の中に輝く光は、どこか遠くにではなく、わたしたちの中にあるということです。

この一年、うれしいことも楽しいこともたくさんありましたが、ときに悲しいことや不安なこともありました。でも、そんな悲しみや不安のときにこそ、それを喜びに変えてしまう、そんな力がクリスマスにはあります。

クリスマスに家族みんなが揃(そろ)って、仲良く、楽しい夕べの食卓を囲んで、歌を歌うことができるとすれば、それはもちろん嬉しくて楽しいことです。でも、それだけではありません。たとえ、アルパタンのようにたったひとり、家族も友だちも何もかも失って、どん底の中に落ち込んでいるようなところにも、いえ、そんなところにこそ、喜びが訪れる、それがクリスマスのほんとうの喜びです。そんなクリスマスの喜びに感謝して、ひとことお祈りします。

 

≪メッセージ≫「クリスマスの美しさと醜さ」(おとな)

■クリスマスは美しい?

わたしたちはどうしても、クリスマスを美しいものだと思いたいようです。雪が降るにしてもさほど積もることもないこの小倉の地で、わたしたちは雪が降った国のクリスマスを懐かしむかのように、ツリーに白い綿を置きます。クリスマスには雪がふさわしいと考えるのは、ヨーロッパから入って来たイメージだけではない、むしろ、雪があってほしいというわたしたちの願いゆえかも知れません。“I’m dreaming of a white Christmas…”(わたしが夢見るもの、それは白いクリスマス)と歌い始めるビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」ではありませんが、雪が降って地上の汚いものを覆ってくれれば、いかにも良いクリスマスになったように思えるのでしょう。 Continue reading

12月11日 ≪降誕前第2・待降節第3主日礼拝≫『唾吐きかけられて』マタイによる福音書26章57~68節 沖村裕史 牧師

■真夜中の取り調べ

 当時のユダヤ社会を支配していたのは、最高法院という議会でした。今日の国会のようなものであり、また最高裁判所のようなものでもあります。それを構成していたのは、祭司長、長老、律法学者たち。全部で七十人、それに大祭司がひとり加わった、七十一人による会議でした。

 逮捕された夜、イエスさまはその最高法院の場に立たされます。翌朝には、ローマ総督の法廷に連れて行かれ、その朝のうちに死刑判決が下され、午前九時には十字架につけられます。驚くほどのスピーディな対応です。ユダヤ教最高法院とローマ帝国総督府との間に、少なくとも最高法院の中であらかじめ謀議がなされていたことを伺わせます。事実、真夜中にもかかわらず、最高法院の七十人もの議員たちが大祭司の下に待っていましたとばかりに召集されます。

 目的は、イエスさまの罪状を確定し、総督ピラトに引き渡す準備をすることでした。ここで行われることは、正確には裁判ではなく、事前の取り調べです。この取り調べで、イエスさまをどのような罪で訴えるかが決められます。直後の27章1節から2節に「夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した」とある、その「相談」が最高法院での取り調べであり、正式な罪状と量刑が確定するのは、ピラトに引き渡された後のことでした。しかし、ローマ総督府での審判は決められていたことを議決するだけの形式的なもの、イエスさまの有罪が事実上決定したのはやはり、この真夜中の取り調べにおいてでした。

 

■行き詰まる証言

 ところが、その取り調べの場にイエスさまを弁護する証人は一人も立てられません。被告は自分を弁護してくれる証言者を要求することができましたし、法廷はそれを用意させる義務もありました。ところが、イエスさまを弁護する証言者は誰も現れません。

 二つの理由が考えられます。一つは、ユダヤの法廷のルールです。ユダヤの法廷では、女、こども、しょうがい者、奴隷といった人たちは証言者となることができませんでした。その誰もがイエスさまに親しみを感じ、希望を抱き、感謝や尊敬の念を強く抱いていた人たちでした。その人たちがどんなにイエスさまを守りたいと思っても、証言台に立つことは許されません。そしてもう一つは、最も親しい交わりの中にあったはずの弟子たちの誰ひとり、証言台に立とうとしなかったからです。審問が開始されたときにはすでに、弟子たちは皆、イエスさまを見捨てて逃げてしまっていました。

 その中で、ただ一人ペトロだけが「遠く離れてイエスに従い」、大祭司の屋敷の中庭にまで入り込み、「下役たちと一緒に座っていた」と、その姿が印象深く描かれています。しかしこの直後に、その中庭で「そんな人は[イエスさまのことなど]知らない」とペトロが答える場面を続けて読むとき、イエスさまとペトロの姿がここに揃って描かれることによってかえって、一刻一刻、十字架に近づいて行かれるイエスさまの歩みと、それとは真逆に、イエスさまから一歩また一歩と遠のいて行くペトロの姿とが、コントラストに描き出されていることに気づかされます。

 一方、告発する側の証言もまた行き詰まっていました。イエスさまを死刑にすることは最高法院の既定の方針であり、それを正当化するための偽りの証言を集めようとして始められた審問でしたが、60節に「偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった」とあるように、必要な証言を得ることができないでいました。マルコによる福音書にあるように、「多くの者がイエスに不利な偽証をしたが、その証言は食い違っていたから」(14:56)ということでしょう。ユダヤの律法には、一人の証言だけで人を有罪にしてはならないという決まりがありました。二人または三人の証言が合わなければ、有罪の判決を下すことはできません。ゲッセマネで逮捕したイエスさまを、その夜のうちに裁判にかけるという時間的な無理をしたために、証言者の口裏を合わせるという用意を周到に行うことができなかったのでしょう。もともと事実とは違う偽証、つくり話なのですから、口裏を合わせておかなければ、語る人によって違って来るのは当然のことです。証言によって、イエスさまを有罪にすることはできませんでした。

 

■沈黙を破って

 このとき、大祭司たちのはかりごとは失敗に帰したはずでした。それなのに、どうしてイエスさまは十字架につけられることになったのでしょうか。

 そのことが、62節以下に語られます。「そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。『何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか』」。直前に「最後に二人の者が来て、『この男は、「神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる」と言いました』と告げた」とあります。これも偽証でしたが、とにもかくにも二人の証言、告発のための証拠は揃ったのです。それなのに、何も答えようとしないイエスさまに苛立った大祭司が自ら進み出て、こう尋ねたのでした。

 それでもイエスさまは「黙り続けておられた」とあります。イエスさまは、終始、沈黙を守られます。黙って耐えておられたというのではありません。偽りの証言、悪意ある中傷というものは、沈黙によってこそ、その真実が暴かれるものです。ですから、もしもイエスさまが最後まで口を開かず、徹底的に沈黙を通されたなら、彼らは有罪を確定することができず、証拠不十分で釈放とせざるを得なかったかもしれません。

 ところが、そうはなりませんでした。この取り調べの最後に、もはや証言の必要などない、イエスは死刑にすべき有罪だとの結論が議員一同によって下されました。それは証拠がそろったからではなく、イエスさまが唯一、口を開いて語られた言葉によってでした。イエスさまは、偽証に対しては口を閉ざしておられましたが、大祭司の発した問いに決定的な答えをされたのでした。その答えによってイエスさまの有罪は確定し、十字架につけられることになりました。

 大祭司の発したその問いとは、63節後半、「お前は神の子、メシアなのか」、「お前は神の子である、救い主なのか」というものでした。イエスさまの本質に迫る問いでした。それまで完全な沈黙を貫いて来られたイエスさまが、この問いに、今、はっきりとお答えになります。

 「それは、あなたが言ったこと」。原文を直訳すれば、「言ったのは、あなただ」。マルコによる福音書では「[わたしが]そうです」となっていますが、ここでは、皮肉交じりに答えておられます。偽りの証言で罪に陥れようとする、嘘に嘘を重ねるその偽善に対して、イエスさまは「そう言ったのは、あなただ」と痛烈な皮肉を込めて答えられます。

 その上で、イエスさまはさらに決定的なひと言を口にされました。「しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」。神の右に座るとは、詩編110編1節で、神が救い主に対して語った言葉です。雲に囲まれて来るとは、ダニエル書7章13節にも語られている、来るべきメシアの姿です。

 全能の神から授けられる大いなる権威と力について語っておられます。イエスさまは、ご自分がそのような権威と力を父なる神から授けられ、その権威をもってもう一度来る、そうはっきりと宣言をなさったのでした。

 

■わたしたちの罪のために

 驚くべきことです。イエスさまはこれまで、病気を癒したり、悪霊を追い出したり、死者を生き返らせるなど、様々なみ業を行ってこられました。その時にはいつも、み業の恵みを受けた人々に「このことを誰にも言ってはいけない」と言われました。「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」というイエスさまの問いに、ペトロが「あなたは生ける神の子、メシアです」と答えたその時にも、ご自分のことを誰にも話さないようにと言われました。これまでイエスさまは、ご自分が神の子であるメシア、救い主であることを隠そうとしてこられたのです。そのことを、弟子たち以外の人々の前で口にされることはありませんでした。

  Continue reading

12月4日 ≪降誕前第3・待降節第2主日礼拝≫『天を仰いで、星を数えてごらん!』創世記15章1~18節b

■時間と感動

 クリスマスと新年の準備に忙しいこの季節、12月師走(しわす)を迎えて、ふと立ち止まったとき、ああ、もう一年が過ぎたのか!と、毎年溜息をついている自分がいます。

 以前にもお話をしたことがあるかもしれません。わたしたちの時間の感じ方は時計で刻むようなものではなく、その時間内に脳が何回強い印象を受けたか、という回数によるのだそうです。「すごくきれい」とか「わあ、おもしろい」と脳が驚きや感動を感じると、それが脳の中の「海馬(かいば)」という器官のフィルターを通って脳の深みに達し、意味のある記憶となって「カウント」されます。脳は、そのカウント量で時間を感じるので、カウントが多いほど時間は長く感じられ、カウント量が少ないと時間は早く過ぎてしまうのだそうです。

 こどものうちはまだ経験したことのないことが多いので、必然的に「わあ」とか「すごい」と感じることが多く、時間も長く感じられるというわけです。確かに、こども時代は見るもの聞くものが初めてで、何もかも新鮮で、一日中、一年中「わあ」「すごい」と思っていました。家の庭で梅の木にぶら下がっているミノムシを見つけたときのことを、今も覚えています。たくさんぶら下がっている奇妙な光景にワクワクしました。その一つひとつに幼虫が入っていることにときめいたものです。

 しかし、大人になった今、ミノムシを見てもワクワクなどしません。それはつまり、そのぶんだけ時間が早く過ぎてしまったということです。大人になると、あっというまに月日が過ぎてしまうのも当然のことです。もったいない気もしますが、「慣れる」とはそういうことです。無論、この忙しい毎日の生活の中で、ミノムシを見るたびに、いちいち「すごい」なんて言っていられないというのも事実ですが、下手をすると、まる一日感動のない日もありますし、もしもそれがずーっと続いたらどうなるでしょうか。

 そんな時間感覚で言えば、その一年はなかったも同然ということになるのではないでしょうか。それは何も、忙しいときばかりではありません。心にかかる、不安なこと、恐ろしいこと、苦しいこと、悲しいことばかりに囚われているとき、わたしたちは、目の前にあるものの美しさやかけがえのなさを見過ごし、一日一日の大切さに気づかず、与えられている恵みを見失ってしまい、ただ日々を空しく過ごしてしまうことになります。

 しかし逆に、人生を「すごい」「わあ」といった感動でいっぱいにすれば、時間は無限にあるということになります。何も特別な出来事を求めなくとも、そんなまなざしさえあれば、すぐ身近にそんな感動があふれていることに、それこそ「すごい」「わあ」と驚くはずです。今から60年前に、坂本九が「見上げてごらん夜の星を 小さな星の/小さな光が ささやかな幸せを うたってる/見上げてごらん夜の星を 僕らのように/名もない星が ささやかな幸せを 祈ってる/手をつなごう僕と 追いかけよう夢を/二人なら苦しくなんかないさ」と歌っていた、そんな感動です。

 まるでこの星を初めて訪れた人のように、見るもの聞くものを新鮮に受け止めることができるなら、存在の神秘に打たれて、こどもの魂で「わあ」と言えるなら、いつもそんな一瞬を生きることができるとき、わたしたちは「永遠」なるお方がすぐ傍にいてくださることに気づかされるに違いありません。

 

■内から粘りつく恐れ

 このときのアブラムも、神様からあふれるほどの恵みと祝福を受けながら、不安と恐れに心を奪われて、神様への信頼を、永遠なる神様がいつも共にいてくださるという約束を見失いかけていました。

 今日の言葉は、「これらのことの後で…」という言葉で始まっています。「これらのこと」とは、直前14章までに描かれていたことです。アブラムはそれまで、神様の絶対的とも言える導きと恵みによって、順風満帆の歩みを続けていました。莫大な財産を手に入れたばかりか、他の都市国家と肩を並べるほどの勢力を持つようになっていました。

 ところが、それほどの祝福に満たされているはずのアブラムが恐れていた、と記されます。

 「これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。『恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう』」

 アブラムが抱いていた恐れ、不安とは、一体何だったのでしょうか。それが何であれ、沈み込むアブラムの耳に、神様の声が響きます。外から飛んで来る矢には恐れを抱かなかったアブラムも、内から粘りつく恐れという剣には、それを防ぐ盾を必要としていました。「アブラムよ。わたしがその盾になろう」という神様の声が、「この世からは受けない、また受けられない真の報いをわたしが与えよう。それも大きな報いを」との神様の約束が与えられます。

 その祝福の約束に対して、アブラムの口をついて出たのは「わたしに何をくださるというのですか」という冷淡な言葉でした。

 「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子どもがありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです」

 老いを迎え、自らの死を見つめ始めていたアブラムにとって、子どものいない、いわば「家族」というものを味わうことができないでいるその孤独は深く、寂しさと悲しさは日ごと心を苛み続けていたのでしょう。主よ、あなたは、子孫を与えようと約束してくださいました。しかしその約束がいまだに果たされないままです。それなのに今、大きな報いを与えようと約束をしてくださっても…。それは詮無(せんな)いことです。 Continue reading

11月27日 ≪降誕前第4・待降節第1主日/アドヴェント礼拝≫『裏切りの只中』マタイによる福音書26章47~56節

■裏切りの只中に

 冒頭47節に「イエスがまだ話しておられると」とあります。今日の出来事は直前、ゲッセマネの祈りの場面の続きです。

 その45節から46節に「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た」とあります。イエスさまが祈られ、弟子たちが眠り込んでしまっている間に、イエスさまを捕えようとする人々が迫って来ました。彼らがいよいよ近づいて来たそのとき、イエスさまは弟子たちを起し、「眠っている時、休んでいる時はもう終わりだ。時が来た」と言われます。その時とは「人の子が罪人たちの手に引き渡される」時です。イエスさまは父なる神のみ心に従って、その苦しみを引き受ける決意を固め、「立て、行こう」と、ご自分からその苦しみの時へと歩み出そうとしておられます。

 その苦しみをもたらす者たちの先頭に立っていたのは、イエスさまを裏切ったユダでした。裏切ったユダのことを、福音書は「十二人の一人であるユダ」と記します。これを語順通りに訳せば、「ユダ、十二人の一人」です。ヨハネによる福音書にも、「すると、イエスは言われた。『あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。』イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしている」(6:70-71)と記されているように、イエスさまを裏切った者は、第三者でも敵でもなく、イエスさまが選ばれた弟子たちの中に、イエスさまが愛された者たちの中にいたのだ、ということです。

 これこそ、わたしたち人間の現実です。人と人が共に生きることの難しさが、ここにあります。どんなに親しい間柄であっても、自分も相手も共に、エゴ―自分中心性—ゆえに、この裏切る者としての悪魔性を持っているからです。誰も自分では自覚していない、この悪魔的な性格を克服できない限り、人間の世界に平安は、平和はありません。しかもわたしたちには、自分でこれを克服することができません。

 今、そんなわたしたちの裏切りの只中に、御子イエス・キリストが、立ってくださっているのです。

 

■赦しのために罪の只中に

 46節に、「立て、行こう、見よ、わたしを裏切る者がくる」とあったように、イエスさまは、ユダが自分を裏切る者であることを充分に承知しながらも、彼を口汚く罵ったり、批判したり、攻撃したり、その果てに捨ててしまったり…そんなことはなさいません。わたしたちなら、自分に危機が及びそうだと少しでも感じれば、何よりもそれを避けようとするでしょう。しかし、イエスさまはご自分から立って、「近寄」って来る、ユダのもとに行かれたのでした。今まさに時が満ちたのだ、そう痛感させられます。

 他の人と共に生きることが難しいという、わたしたち人間の罪の現実を克服するのは、この御子イエスによってのみ可能となることです。イエスさまは、まさにこのために、イスカリオテのユダと共にあって、人間の罪の赦しのために、十字架への道を歩み始めておられるのです。

 今、わたしたちの赦しのために罪の只中に、御子イエス・キリストが、立ってくださっているのです。

 

■それと気づかぬ裏切りの只中に

 前の節では「十二人の一人」と言われていましたが、48節では、「イエスを裏切ろうとしていたユダ」となっています。ユダはここではもう、イエスさまの弟子の一人というよりも、裏切る者になり切っています。その目的を果たすための方法が、接吻でした。愛と尊敬と交わりのしるしである接吻が、今ここでは、売り渡す相手を示す合図に用いられています。

 ここで少し違和感を覚えます。もっと別の方法で目的を果たすこともできたのではないでしょうか。たとえば、ユダ自身は物陰に隠れていて、イエスさまを指差すこともできたはずです。しかし、接吻が合図に選ばれたことに、ユダの本質が明らかになります。

 ユダは「先生」と言って、接吻しました。自分が裏切る者であることを誰にも知られず、またイエスさまに対する尊敬と交わりを失うことなく、裏切りを達成しようとしたのです。いつになく激しい接吻でした。イエスさまをしっかりと抱き締めて放さなかった、とも言えるでしょう。「捕まえて、逃さないように連れて行け」という言葉を態度で表わしています。

 裏切るという行為は、特別なことをすることではなく、本人でさえ心が痛まずに、自分が裏切っていることすら忘れてしまうほどに、日常の平凡な行為として行われます。わたしたちの周囲にある大小の裏切りも、このような「日常的なもの」の陰に隠れて、その目的を果たすのです。であればこそ、それは相手の望みを打ち砕くほどに、大きな力を持ちます。

 今、わたしたち自身がそれと気づかぬ裏切りの只中にこそ、御子イエス・キリストが、立ってくださっているのです。

 

■絶望の只中に

 イエスさまは難なく捕えられてしまいました。この世では力の強い者が何でも自分の思う通りに物事を果たそうとしますが、ここでも力のある者が勝利しているように見えます。正義や道理がどうであれ、結局は正しい者ではなく、強い者が勝つのだという、諦めに似た思いを覚えさせられます。

 しかし、54節に「必ずこうなると書かれている聖書の言葉」とあり、「このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである」と56節に記されているように、今ここに、力のある者が勝利したのではなく、聖書の言葉が、神のみ旨がなされたのだ、ということを知ることが大切です。

 見える面だけを見れば、どう見たとしても、イエスさまの方が敗北者です。神の勝利を見出すためには、信仰の眼で、真理を見抜く眼で、物事を見る必要があります。彼らの勝利がどんなに華々しいものであったとしても、また踊り出したくなるような嬉しい出来事であったとしても、それは一時的なものであって、やがて過ぎ去るものでしかありません。

  Continue reading

11月20日 ≪降誕前第5主日/収穫感謝「家族」礼拝≫『後について行こう!』ミカ書2章12~13節

≪メッセージ≫(おとな)

■父の後ろ姿

 今、与えられているもの、またこれまで備えられてきたもの、そのすべてに感謝する心を持ち、それを分かち合うことは、とても大切なことです。なぜなら、そんな神様への信頼と感謝の心が、生きる力、どんな困難も乗り越えていく力を、わたしたちに与えてくれるからです。どなたにもきっと、そんな経験がおありだろうと思います。わたしにもあります。

 わたしの父が天に召されてから15年が過ぎようとしています。父と母が一緒に洗礼を受けたいと考え始めていた16年前の11月末のこと、母とわたしはクモ膜下出血という突然の病に倒れた父の傍(そば)で、じっとその容態を見守り続けていました。不安で心がバラバラになりそうでした。ICUのベッドの上で、たくさんの管をつけられている父をガラス越しに見つめていたときのこと。なぜか、父との思い出がしきりと思い出されました。それも、こどものときの、それまで一度も思い出したこともない、思い出でした。

 わたしは、あたり一面、山と田んぼばかりの田舎のこどもでした。

 父が畑仕事をしています。黙々と、丁寧に、手際よく畑仕事をしている父の傍で、わたしは妹と仲良く遊んでいました。

 いつのまにか、日が山の向こうに近づいてきて、薄暗く、山の影も長くなってきました。秋も終わりの頃で、肌寒くってなってきました。

 でも、田んぼに積み上げられた藁(わら)の束の中は、日の光を浴びて、ぽかぽかと暖かく、とても気持ちがいいし、いい匂いです。その藁の束の中にもぐりこんで、わたしと妹は大はしゃぎで遊びました。夢中になりすぎて藁の束がほどけます。すると「コラッ!」と叱られてしまいます。少しだけ静かにしていますが、しばらくするとまた大はしゃぎして、また叱られて…。

 そんなことを繰返しているうちに、当たりは深い青色に包まれ、暗さを増してきます。わたしと妹も遊び疲れ、しかも暗い闇の中に何かがいそうで、不安になってきます。

 「父さん、まだ仕事続けるのかな?まだ家に帰らないのかな?!暗くなってきて、何だか怖いな…」

 そう思い始めたとき、父は仕事の片付けをすませ、わたしたちを振り返り、やさしくほほえんで、声をかけます。

 「さあ、帰るぞ。こっちにおいで!」

 妹は、父の親指にぶら下がるようにして歩きます。わたしは、仕事の道具を持つのを手伝いながら、そのすぐ後ろについて行きます。

 すっかり日も暮れ、当たりは真っ暗。わたしには、父と妹の顔も、帰り道も、何も見えません。遠くで甲高く鳴く、不気味な鳥の声が聞こえてきます。

 でも大丈夫。父の後について行けば、何の心配もありません。辺りが暗くても、父の後ろ姿だけは、まるで光が灯っているようでした。

 ベッドに横たわっている父の姿を見つめながら、その時の父の姿を思い出していました。あの時の心地よく安らかな気持ち、安心感と幸福感を思い出すだけで、不安と恐れでいっぱいだったわたしの心は不思議と、静かな平安に包まれるようでした。

 

■後ろに回って

 そんなこどもの頃の思い出が、今日の聖書の言葉に重なります。

 「わたしは彼らを羊のように囲いの中に/群れのように、牧場に導いてひとつにする」(ミカ2:12)

 「わたし」とは神様、「彼ら」とはわたしたちのこと。そして神様は「羊飼い」で、わたしたちは「羊」です。

 わたしたち羊は、こどものわたしのように、小さく、力も弱く、しかも目が悪いために周りがよく見えず、ひとりでは、とても心細く、怖くて、不安なことがたくさんあります。しかし羊飼いの神様は、あの時の父と同じように、そんなわたしたちをやさしく見守って、どんな真闇の中でも決して傍を離れず、母が夕食を準備して待ってくれている家まで、必ず連れて帰ってくれます。 Continue reading

11月13日 ≪降誕前第6主日礼拝≫『苦しみ呻く』マタイによる福音書26章36~46節

■死ぬばかりに悲しい

 闇が深まる夜道を辿り、ゲッセマネの園に到着されたイエスさまは、八人の弟子を残し、三人の弟子だけを連れて、園の奥へと入って行かれました。そのときのこと、

 「悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい』」

 ルカによる福音書は、血の汗を流すようにして祈られた、と記しています。イエスさまはなぜ、それほどまでに悩み、呻くほどに苦しまなければならなかったのでしょうか。

 そもそも、ゲッセマネの園に来られたということは、イエスさまがご自分の死を選びとられたのだ、ということです。この夜イエスさまのおられる場所が、最後の晩餐を守ったあの二階の部屋か、このゲッセマネの他にはありえないことを、裏切り者のユダが知らないはずはありません。そのことをイエスさまもよくご存じのはずです。ユダの知らない他の場所に逃げることもおできになったはずです。しかしそうはなさらず、わざわざゲッセマネに来られました。イエスさまは、いわば、ご自分で選びとられたはずの死を目前にして、その死を恐れておられるのです。

 「わたしは死ぬばかりに悲しい」

 これを直訳すれば、「わたしの魂は死ぬほどに悲しんでいる」となります。詩編42編、43篇と重なる言葉です。この二つの詩編はもともと、一つの詩であったと考えられます。両方に跨(またが)って、全く同じ言葉が三度も繰り返されているからです。その繰り返される言葉の冒頭に、「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ」とあります。イエスさまの言われた「悲しい」という言葉は、当時のギリシア語訳旧約聖書の「うなだれる」というヘブライ語に当てられたギリシア語と、全く同じ言葉です。つまり、イエスさまは「わたしの魂は死ぬほどにうなだれる」と言われていたのです。

 魂がうなだれ、呻くような苦しみとは、どのようなものだったのか。詩編42編2節にこうあります。「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める」。鹿が水を求めて谷に降りて来たけれども、川は涸れてしまっていて水がない。その鹿のように神を求めるけれども、神は応えてくださらない。そんな魂の渇きに、この詩人は苦しんでいます。42篇から43編まで、これと同じ嘆き、苦しみ、呻きの声が繰り返されます。その苦しみの中で、人々から「お前の神はどこにいる。どこにもいないではないか。助けてくれないではないか」と嘲(あざけ)られます。ただ辛いという以上の、もだえ呻くばかりの深刻な苦しみです。イエスさまは、詩人のそんな苦しみにご自分の苦しみを重ね合わせるようにして、「わたしは死ぬばかりに悲しい」と呻き、苦しんでおられるのです。

 

■罪を背負って

 神の救いと助けを求め、願っているのに、それが与えられないという飢え渇きを、わたしたちもまた味わいます。その飢え、渇きの中でわたしたちは、神は自分の罪をお赦しにならず、もう自分のことなど見捨ててしまわれたのではないか、と苦しめられます。そして、「お前の信じている神はどこにいる」という声が周囲の人々からというよりも、むしろ、自分自身の心の中から聞こえてきて、わたしたちを苦しめます。

 しかしそう考えて、ハタと気づかされます。イエスさまがここで味わっておられる苦しみと、わたしたちの受けている苦しみとでは、意味が違うのではないか、と。

 わたしたちの苦しみや悲しみは、多かれ少なかれ、自分自身に原因があります。わたしたちは、ただ一人のものとして、それぞれが全く異なる身体(からだ)と人格と感性を持ったものとして造られた存在です。その意味で、わたしたち人間は多様で、そのことは豊かさでありますが、根源的には自分中心、エゴとしての存在でしかありません。人間関係における苦しみや悲しみは、たとえ自分にいろいろと言い分があるとしても、やはり互いに原因があるのであって、相手だけが一方的に悪いということは滅多にありません。わたしたちの苦しみや悲しみは、わたしたち自身から生じているのであって、わたしたちは、自分の罪によって生じた苦しみを苦しんでいるのです。神ではなく、自分を主人として生きていて、神をも隣人をも、自分の思いにおいてしか愛することができず、自分の意に添わなければ神からそっぽを向き、また自分を守るためには隣人を攻撃し傷つけてしまうことも平気でする、そういう罪の中にいるわたしたちは確かに、神に見捨てられてしまっても仕方がない罪人なのです。

 しかしイエスさまは、ご自身の罪によって苦しまれるのではありません。イエスさまはわたしたちのすべての罪を背負って、わたしたちに代って苦しみを受けてくださるのです。十字架につけられ、神に見捨てられて、滅ぼされるほかないわたしたちのために、その罪に対する神の怒り、裁きを引き受け、神に見捨てられる苦しみを、その身に受けてくださるのです。イエスさまは、わたしたちの罪のゆえの苦しみを、当のわたしたち以上に深く苦しんでくださるのです。「わたしは死ぬばかりに悲しい」と呻かれ、もがくようにして苦しんでおられるのは、わたしたちの罪ゆえでした。

 そのイエスさまの死は、いわゆる殉教者のように、信仰のため、あるいは正しいことのために死を覚悟する、というものではありません。罪を犯した人間が死刑になる、そういう死です。神に呪われ、捨てられ、悪魔の手に渡されることになる、そんな死です。そのような死の恐ろしさを本当の意味で知るイエスさまだからこそ、その死を前に、それほどに苦しみ、呻き、もだえられたのでした。

 

■この杯を過ぎ去らせてください

 わたしたちの罪ゆえの苦しみの中で、イエスさまは祈られます。

 「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」

 ある方から聞いた話です。今年の一月、彼に初めての孫が与えられました。その子が生まれて三か月経った頃、物凄い高熱が続き病院に搬送され、そのまま入院をすることになりました。普段であれば、乳児の入院ですから、母親も一緒のはず。ところがコロナのことがあり、母親は泊まることもできません。面会も許されません。我が子がどうなっているのか、きっと心配しているだろうからと看護師さんが気を利かせ、赤ん坊の様子を動画に撮って送ってくれました。彼もその動画を見せてもらいました。

 哺乳瓶からミルクをもらっている様子。あてがわれた玩具で遊んでいる様子。その傍らに看護師さんがいる。でも、その看護師さんは青い防護服に身を包んでいました。家にいる時は、泣けば母親や父親がすぐに飛んできて抱き上げたり、あやしたり、おむつを替え、ミルクを飲ませてもらえます。しかし病院では、他にも患者さんがいて、すぐには対応してもらえないでしょう。その内、泣き疲れて眠ってしまう。どんなに淋しかったか。どんなに辛かったか。想像するだけで、もう胸が熱くなった。

 溜息をつくようにそう語った彼が、最後にこう言いました。ただ、孫の場合は、元気になって退院できたけれども、報道によると、コロナ禍の中、病院で亡くなる方たちは、最後、お別れもできなかったと聞く。本人も家族も本当に大変な経験をされたのだと思う。そのことを痛感した、と。

  Continue reading

11月6日 ≪降誕前第7主日/聖徒の日・永眠者記念礼拝≫『いのちの乗換駅』イザヤ書 44章6~8、21~23節

■死と向き合う

 今日は、国際基督教大学附属ICU高校の、授業の一場面のご紹介から始めさせていただきます。

 教師が、砂時計と頭蓋骨の模型を見せながら、こう切り出します。

(教師)「この砂時計と頭蓋骨に共通することはなんだと思いますか?こじつでもいいですから、だれか考えてみてください。」

 すると一人の生徒がこう応えます。

(生徒)「時間ですか?」

(教師)「そうですね。もう一歩進めてどうですか?」

(生徒)「死ですか?」

(教師)「そうです、死です。西洋の修道僧たちはわざわざ机の上に砂時計と頭蓋骨を置いて、『メメント・モリ(汝、死を忘るるなかれ)』と自分たちに言い聞かせていたそうです。」

 教師は続けます。

(教師)「ところで、TVとか写真とかでなく、今まで本物の人間の死体を見たことがある人はいますか?」

 すると、四分の三近くの生徒が手を挙げます。

(教師)「お葬式で見たという人が一番多いんだと思うけど、葬式以外で見た人はいますか?」

(生徒)「はい、飛び降り自殺した人の死体を見たことがあります。」

 海外で交通事故の死体を見たなどの声が続いた後、教師がこう尋ねました。

(教師)「死体を見るなんていう経験はあまり気持ちの良いものではないし、できればしたくないと思うのが普通だと思います。変な考えだと思われてしまうかもしれませんが、しかし私は、人は大人になるまでに一度は死というものを目撃する体験をもつことが大事なのではないかと考えています。実は、幼い頃、死について考えて夜中に泣きだしたとかいう人がかなりいますが、みんなのなかにもいますか?」

(生徒)「はい、私がそうでした。小学生の頃、両親が死んだらどうしようと思って、ものすごく怖くなってずっと泣いていたのを覚えています。」

 教師は、さらにこう問いかけます。

(教師)「死というのは、よく考えてみればスゴイことですね。こんな不可解なものが、しかし確実にやって来る。死って他人事じゃなく、いつか僕たち自身が必ず死ぬ!人生にはこんな一大事が待っているのに、なぜ多くの人は死について真剣に考えることをしないのでしょうか?」

 この後、教師と生徒の間で、また生徒同士で様々なやり取りが続き、いよいよ授業も終わりに近づいたとき、用紙が配られ、さきほどの問いに生徒たち一人ひとりが自分なりの答えを書きます。そのいくつかを紹介してみましょう。

(女子生徒)「ニュースを見ていると必ず誰かが亡くなったという訃報がテロップに流れる。家で温かな紅茶に口をつけながら甘いおやつを食べ、私は『可哀想に』と思う。隣にいた母が『可哀想に』という。妹はおやつを食べている。そうしているうちにすぐにテレビは次の話題へ移る。案の定、私たちは今まで『可哀想』と思っていた不運なAさんのことを既に忘れている。死は私たちにとって、否、私にとってそこまで遠いものだった。死を見たことがないわけではない。しかしまだ遠い。」

(別の女子生徒)「人一倍プライドの高かった叔父が『痛いよ痛いよ』と子供のように泣く様は見るに耐えず、私はしばらく放心状態でした。その時の姿と棺の中の姿が重なり、いつか自分もこうやって死んで行くのかと、人生の重過ぎるラストに打ちのめされました。」

(男子生徒)「自分にも死がくる……ということを考えると、今まできづかなかった自分の一面をみつけ、挑戦してみたいことについて考えました。少し違うかもしれませんが、Hope for the best, prepare for the worst[最善を望み、最悪に備える; 備えあれば憂いなし]という言葉があるように、死を望むのではなく、生きることに感謝し、精一杯生きよう!と思いながらも、逃れることのできない死について考えることで、人生をより充実したものにできると思います。」

  Continue reading

10月30日 ≪降誕前第8主日礼拝≫『つまずきを越えて』マタイによる福音書26章26〜35節

■わたしを与える

 過越の食卓でのことです。

 「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これはわたしの体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である』」

 聞き慣れた文言です。聖餐式の時に牧師が読み上げる聖書の一節、イエスさまが聖餐を制定された時の言葉です。この言葉が、弟子たちとの過越の食事の最中に語られました。

 この時、イエスさまは過越の食卓を囲みながら、出エジプトという、イスラエルの民にとって忘れることのできない大いなる救いの出来事の恵みを一緒に味わうように、と弟子たちを導かれます。しかしそれだけでなく、出エジプトを想い起すその食卓を囲みながら、そこに新しい意味をお加えになったのでした。イスラエルの民の「過越」をはるかに超えて、イスラエルの民に限らず、すべての民、すべての人々が、神様の大いなる恵みにあずかることになる、新しい主の食卓を用意してくださったのです。それが聖餐でした。

 イエスさまはこの過越の食事の夜、弟子たちを前にして、「パンを取り」「賛美の祈り」を捧げ、それを「裂き」、弟子たちに与えながら、こう宣言されます。

 「これは、わたしの体である」「これは…わたしの血である」

 「これは、わたしの体である」の「これは」という単語は、中性単数で、男性名詞である「パン」それ自体を指すものではありません。「これは…である」とは、単にパンや血それ自体を指しているわけではありません。「これは、このままわたしの体である」という意味ではありません。このパンが、イエスさまの体の象徴であるという意味でもなく、ましてや、このパンが、イエスさまの体そのものに変わる、化体するというのでもありません。「取りなさい。これはわたしの体である」をニュアンスのままに訳すとすれば、「取りなさい。わたしの体を与える」となるでしょうか。人のために自分を与える、ということです。

 十字架を目前にイエスさまはこの時、間違いなく十字架の上で裂かれていくご自身の体のことを考えておられます。これは、いのちを捧げることを覚悟して語られた言葉です。多くの教会の聖餐式では、綺麗に切り整えられたパンが配られますが、いくつかの教会では、一つのパンを司式の牧師が会衆の目の前に高く掲げ、そのパンをみんなが見ている前で裂きます。ちょうど、イエスさまが皆の目の前で十字架にかかり、肉体を裂かれて行かれたように、です。次に杯です。この杯も弟子たちの前に高く掲げ、「これは多くの人のために流される、契約の血です」と言って、そこにいる、裏切り、否定し、逃げ散ることになる弟子たちの間に回されました。その裏切る人のために、罪人の救いのために、自分のいのちを、自分のすべてを与えられた、ということです。

 

■愛の食卓

 それまでに、そしてそれから後も、この世に、相手を生かすために、自分を与える、自分を食べさせる、などという愛があったでしょうか。そのとき、この食卓は世界で最初の救いの食卓となりました。イエスさまの与えるパンは信じる者を永遠に生かすいのちのパンとなり、この食卓はすべての人を、わたしたち罪人をこそ招く、神の愛の食卓となりました。

 つらいとき、力をなくしたとき、もはや神に助けてもらうしかないときに、あれこれと祈ることもできるでしょう。しかし、そんなわたしたちに本当に必要なのは、ただみ言葉です。見えざる神のみ言葉はもとより、見えるみ言葉としての聖餐が必要です。人間の工夫や人間の助けをひとまず脇に置いて、ただひたすらに神の愛を信じていただく、聖餐による恵みです。

 なぜなら、十字架を目前にしてイエスさまご自身が最もつらいとき、最も力を必要とするときに、この晩餐を開かれたからです。それはそのまま、弟子たちが最もつらいとき、最も力を必要とするときのためでもありました。無力であるわたしたち人間を救うための主の食卓を、完全に無力なときに囲むのは、当然のこと、何よりもふさわしいことです。

 長い信仰生活を今まさに終えようという方と、病床で口にする聖餐に共に与る時、いつもこう思わされます。この人は、これまで何度、パンと杯を口にしてこられたのだろうか。感動に目をうるませながら、ゆっくりと最後の聖餐にあずかる姿の何と神々しいことか、と。

 ある時、気づかされました。ちょっと待て。これが最後なのか、と。イエスさまはご自分の死を覚悟しつつ、「ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい」と言われました。この世ではもう飲まないということです。と同時に、「わたしの父の国で共に新たに飲むその日まで」とも言われました。父の国で新たに飲むその日。ということは、天の国に生まれて行ったあかつきには、そこで新たにあずかる聖餐があるということです。天の国での聖餐です。最後は最初です。すべてはここから始まります。わたしたちは死ぬのではありません。その後、天上の部屋で天上の食卓を囲み、天の父のいのちを食べ、キリストの愛を飲むのです。

 主の晩餐は、聖餐は、天上の宴は、今、すでに始まっている、イエスさまは、最後の晩餐においてそう宣言されたのでした。

 

■わたしは違います

 その最後の晩餐が、今、終わりました。

 「一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた」

 オリーブ山は、いつも出かけては祈られた、祈りの場でした。行き慣れた道であったかもしれません。しかしこの時、夜は更けていました。晴れてさえいれば、過越の祭は満月の時ですから、月が明るく輝いていたかもしれませんが、それでも夜道です。漆黒の闇が覆う山道です。舗装されているわけではありません。気を付けなければ、誰もがつまずかざるを得ない道でした。

  Continue reading

10月23日 ≪降誕前第9主日礼拝≫『心痛める人の背後に立って』マタイによる福音書26章14〜25節 沖村裕史 牧師

 

■神の企て

 「そのとき、十二人の一人でイスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、『あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか』と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした」

 前回お話をしたように、この時、イエスさまと祭司長たちの双方が十字架の時期について、それぞれ異なることを考えていました。イエスさまは弟子たちに、「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される」(2節)と告げ、十字架の出来事は二日後の過越祭のときに起こると言われます。一方、イエスさまを捕らえ、殺害しようと相談していた祭司長や長老たちは、「民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう」(5節)と言い、過越祭に続く除酵祭が終わった後、十日余り後のことを考えています。

 十字架の時期がズレています。人間が策を練りに練り、用意周到に準備していました。しかし、祭司長たちの思惑は外れ、祭りの最中―神様が、イエスさまが決めておられた二日後に、多くの民衆の前で、イエスさまは十字架につけられることになります。多くの人が言うように、「人の企ては貫かれなかった。神の企てが貫かれた」ということなのかもしれません。

 そして今日の箇所には、その神の企てのために、決定的な役割を果たす一人の人物が登場します。イスカリオテのユダです。マタイは、他でもないイエスさまの十二弟子の一人であるユダが敵の手にイエスさまを引き渡した、それもお金で売ることをユダの側から持ちかけた、という衝撃的な事実をわたしたちに伝えています。

 ユダが訪ねた相手は祭司長たちでした。ユダが持ちかけてきた話は祭司長たちにとって、まさに「渡りに舟」でした。過越祭前後のエルサレムには、普段の三倍を超える巡礼者が訪れていました。その大勢の「民衆の中に騒ぎ」を起こさせず、群衆の中に紛れ込んでなかなか掴めなかったイエスの居場所を突き留め、混乱を最小限に抑えた上で、密かにイエスを逮捕することができる。最高の提案でした。しかもユダの方から、「あの男をあなたたちに引きわたせば、幾ら貰えますか」と報償金の額の交渉まで持ちかけてきました。祭司長たちは、ユダの決意は固い、そう確信することができたはずです。

 

■選ばれたユダ

 とはいえ、十二人の弟子はほかならぬイエスさまご自身が選ばれた者たちです。ルカによる福音書によれば、徹夜の祈りをもって使徒となるべき十二人を選ばれたと記されています。選ばれたその一人による裏切りです。そのユダを選んだイエスさまの選び方に責任はなかったのでしょうか。

 さらにわたしたちを混乱させるのは、24節の発言です。ユダを弟子にしたイエスさまの口から、「生れなかった方が、その者のためによかった」という言葉が飛び出します。何とも悲しく、淋しい思いにさせられる言葉です。

 このとき、ユダは何を思い、何を考えていたのでしょうか。

 この過越の食事の席にユダがいたということは、彼もイエスさまを来るべきメシア救い主として心に迎えていたからでしょう。しかし、イエスさまと寝食を共にしながら、次第にある違和感を覚えるようになっていたのかもしれません。この時のユダの心の内を、中野京子が『名画と読むイエス・キリストの物語』の中に、こう描いています。

 「いくつもの鬱屈(うっくつ)がユダの中で重なったのは間違いない。使徒のうち、ただひとりガリラヤ出身ではない疎外感。教団の金庫番という立場の困難。イエスに愛されるマグダラのマリアやペテロやヨハネヘの嫉妬(しっと)。何よりイエスがユダの期待に応えようとしないこと―イエスは今の政治状況をドラスティックに変革する気はなく、弟子を増やして教団を大きくするつもりもなかった。エルサレムで鞭(むち)打たれ、十字架にかけられると予言し、その予言を自ら引き寄せようとするかのように神殿で暴れ、関係者を舌鋒(ぜっぽう)鋭く攻撃した。権力側へ喧嘩を売ったのだ。さらに悪いことに、売ったこの喧嘩によって、民衆の人気はいっそう高まり、その先の具体的な政治行動を期待させてしまった。イエスにその気が全くないとわかった時、人々の失望はどんな反動をもたらすだろう。ユダは自らに照らし、そのリアクションの大きさが想像できた。

 イエスに見切りをつけ、黙って教団を去る選択もユダにはできた。社会を現実的に変えようとする別の師を探すか、あるいはこれまでの経験をふまえ、自らの弟子を集めればいい。なのにそうはせず、裏切りの道を選んだのは、イエスへの歪(いびつ)な愛ゆえだったろうか?自分ひとりのものにできないくらいならいっそ、という捻(ね)じれた愛の形は、これまでもこれからも古今東西、延々と続けられる、哀れな人間の珍しくもない心の動きなのだから。

 それともユダは、イエスがほんものの救世主かどうかを確かめたかったのだろうか?いくつもの奇蹟を見てきてなおユダが信じきれていなかったことは、『最後の晩餐(ばんさん)』の場において明らかになる。イエスが裏切り者の存在を告げた時、驚いた皆が『主(=キリスト)よ、我なるか』と問うのに対し、ユダだけ『主』と呼ばず、『ラビ(=師)、我なるか』と言うからだ。思わず口をついて出た言葉だけに、日ごろの思いがあらわれている。しかし仮にそれが理由だったなら、どうしてユダはイエスの死を見届ける前に、首を吊って自殺してしまうのか、なぜ『死の三日後の復活』まで待たなかったのか。いずれにせよユダは行動を起こした」

 いかがでしょう。これまで、すべてを投げうってイエスさまについて来たユダにしてみれば、自分が裏切る前に、イエスさまに裏切られた、「心痛む」そんな思いが募り、期待が恨みに変わり、憎しみとなっていったのではないかとも想像できます。

 

■わたしたちの問題

 しかしそれは、ひとりユダだけではありませんでした。

 20節に「夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた」とあります。「イエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた」ユダを含む十二人が、この食卓に招かれました。その席でイエスさまは言われます、

 「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」

 イエスさまは何のためにこのようなことを言われたのでしょうか。裏切ろうとしているユダに「お前の計画は全てお見通しだぞ」と言って、思い止まらせるためでしょうか。そうではないでしょう。イエスさまのこの言葉を聞いたユダが思いとどまった形跡など、どこにも見当たりません。 Continue reading

10月16日 ≪聖霊降臨第20主日/秋の『家族』礼拝≫『わたしは神さまのもの』ローマの信徒への手紙14章1〜9節 沖村裕史 牧師

メッセージ

■受けいれる

 パウロは今、「信仰の弱い人を受けいれなさい」と語り始めます。

 彼は、同じ世界に生きる者でありながら、互いを受けいれ合うことができない、わたしたちの現実を見つめています。教会を初めて訪ねて来られる方たちが、教会の中に温かな人と人との交わりがあることを喜ばれ、そこから信仰へと目が開かれるといった経験をされることは決して少なくないでしょう。しかし逆に、そのことに疲れ、躓き、教会から遠ざかってしまうという経験をなさる方もおられます。パウロは、そんな人と人との関係の重さ、辛さ、悲しさから目をそらさず、「受けいれなさい」と語ります。

 この「受けいれる」には「ねぎらう」「もてなす」という意味もあり、「家族のように他人(ひと)を受けいれる」といったニュアンスを持つ言葉です。「まあいいや、あの人がここにいても仕方がない、いたいだけいさせてやろう」という受けいれ方ではなく、そこにその人がいることを喜び、もてなし、ねぎらう、そういう思いで自分とは考えや生き方の違う人をも受けいれなさいと勧めています。

 しかも、「その考えを批判してはなりません」と付け加えます。受けいれるのにも、いろいろな受けいれ方があります。「じゃあ、あの人にも残ってもらおうか。どうぞ、どうぞ」と言い、お茶をご馳走(ちそう)し、お菓子を食べさせておいて、「時に、あなたのその考えは問題だよね」などと批評するようなことをしてはならない。その人の考えが自分と違っているとしても、一方的に論評し、対決をして、その人の間違いを正してやろうなどという考えで、自分たちの交わりの中に受けいれるということがあってはいけない。そうパウロは言います。

 

■軽蔑

 そして続けて、より具体的で、日常的な生活の問題を通して、わたしたちに語りかけます。

 「食べる人は、食べない人を軽蔑してはならない」

 この世の中には、生き方が違い、考え方が違う人がいます。当然のことです。ところが、そうすると、どうしても自分と考えの違う人を「軽蔑し」「軽んじて」しまいます。「軽蔑する」「軽んずる」とは、相手を重く見ないということですが、もともとのギリシア語の意味は、ただ相手を重く見ないというだけではありません。それは、存在を認めないという、もっと強い「拒絶」を意味しています。そこにその人がいるのに、いないことにしてしまう、そんな意味の言葉です。

 謙虚に、心の内にある自分自身の姿を振り返ってみると、意識してか無意識かは別にして、自分の気にいらない人を、その人はいないことにするという形で解決をしてしまっていることに、ハタと気づかされることはないでしょうか。そして、そのような解決方法が、実は何の解決にもならないばかりか、自分自身のあり方をひどく歪(ゆが)めていることに、愕然(がくぜん)とされることはないでしょうか。わたしたちは、人と人との関係を生きるほかない存在です。ですから、相手の存在を心の中で打ち消そうとすることは、わたし自身の存在そのものをも否定しようとすることです。仮にそうせざるを得ないとすれば、それは、とても深刻で悲しいことです。

 にもかかわらず、その時々に、その人がそこにいることが邪魔になります。しかもここでは、食べる者が食べない者を軽んずるだけでなく、食べない者も食べる者を裁いています。「裁く」ということは、「軽んずる」よりももっとはっきりと意識して、相手の罪を問い、罪ある者として非難し、罰しようとする、頑(かたく)なな心です。

 

■裁く

 わたしたちは、互いを「拒絶」し、「断罪」し、疎外(そがい)し合うような、頑な心を、どのように克服することができるのでしょうか。4節、

 「他人の召使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか」

 裁くことは決してよくないとわたしたちも知っています。なぜいけないのか。相手の人権を重んじなければならない、自由を奪ってはならないと言われるかもしれません。けれども、あなたの裁いている人、その人は他人の召使い、他人の僕(しもべ)ですよ、という言い方をするでしょうか。「あなたが裁いているのは」あなたの家の者ですか、他人の家の者ではないのですか、あなたにその人を裁く権限があるのですか。

 この「他人」という言葉は、言うまでもなく、わたしたち以外の人のことです。わたしたちは、誰のものでもなく、主のもの、神様のものなのだ、とパウロは言います。人はすべて、主のもの、神様のもの―これが人間の尊厳(そんげん)の根拠です。人のいのちは神様から与えられ、イエス・キリストによってかけがえのないものとして贖(あがな)われたものです。それを人が裁いたり、軽んじたり、差別したり、支配したりすることは赦されません。「誰にも」赦されることではないのです。

 

■しかし立ちます

 ですから、主人である神様が引き立ててくれればその人は立つし、打ち倒されたらその人はもうどうしようもなくなる、そう言った後でパウロはすぐに、こう言います。

 「しかし、召し使いは立ちます」

 確かに、わたしたちは倒れることがあります。絶望の中に倒れ伏すほかなくなることがあります。それでも、倒れても、また立ちます。立つことができます。主が立たせてくださるからです。立たしてくださるのは、神様である主人のなさることです。主は、わたしたちを立たせてくださることができるのです。 Continue reading

10月9日 ≪聖霊降臨第19主日礼拝≫『たった一人のために』マタイによる福音書26章1〜13節 沖村裕史 牧師

■二日後と十日後

 「受難物語」と呼ばれる出来事が始まろうとしていたそのとき、イエスさまが弟子たちにこう語り始められます。2節、

 「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される」

 イエスさまは今、ご自身が二日後の過越祭のときに十字架につけられることになると、はっきり宣言されます。時を同じくして、イエスさまの十字架を巡る、祭司長たちや長老たちの計画もまた明らかにされます。

 「そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した」

 物語はいっきに佳境を迎えんばかりです。ところが、ここで計画が中断します。イエス殺害のための具体的な計画に着手し始めた所で、彼らはこの計画を一旦中止しようと言い始めます。5節、

 「民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう」

 マルコによる福音書が同じ場面の冒頭に「さて、過越祭と除酵祭の二日前になった」と記しているように、当時、過越祭に続いて除酵祭という祭りが行われていました。いずれもが、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を神様が解放してくださった大いなる救いの出来事を記念する祭りです。二つの祭りの期間を合わせて、おおよそ八日間にもなりました。

 祭司長や長老たちが心配していたのは、民衆の暴動でした。祭りの期間中、二百万人ほどの巡礼者が集まったと言われます。その民衆の前で、イエスを殺すのはやめて、できるだけ目立たない仕方で始末しよう。ひと通り祭りが終わって、巡礼者たちが帰って行った後、つまり二日プラス八日の十日後に、イエスさまを逮捕し殺そうと考えていた、ということです。

 イエスさまによれば二日後。祭司長や長老たちの計画では十日後。十字架の時期がズレています。人間が策を練りに練って、用意周到に準備した計画。それを十日後に実行に移そうとしていました。しかし彼らの思惑は外れ、祭りの最中―神様が、イエスさまが決めておられた二日後に、多くの民衆の前で、イエスさまは十字架につけられました。

 それは多くの人々が言うように、「人の企ては貫かれなかった。神の企てが貫かれた」と言うことなのかもしれません。イエスを亡きものにしようとする祭司長や長老たちは、イエスさまを十字架につけて、その思いを遂げました。しかし神は、彼らのその思いを用いて、しかもそれが過越の祭りの中で行われるように導くことによって、まことの過越の小羊であるイエスさまの死による救いを実現してくださったのでした。イスカリオテのユダをはじめとする弟子たちの裏切りもまた、すべての事柄を相働かせるようにして、神の御心が成就していきました。

 そして、この後6節から始まるエピソードもまた、二日後の十字架の出来事に結びついていく、ある名もなき女性のイエスさまへの奉仕の出来事が、ユダの裏切りを引き起こす伏線となったことを、マタイは伝えています。

 

■正論

 「さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。『なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに』」

 この弟子たちの言葉を、皆さんはどう思われたでしょうか。なるほど、それもそうだ、と頷(うなず)かれはしなかったでしょうか。

 表面的に見る限り確かに、彼女のふるまいは「気持はわかるけど、どうもちょっとね」という感じがしないでもありません。当事者というものは、一生懸命になりすぎるあまり、心にゆとりを失い、自分のしていることが他人の目にどう映っているかとか、それが相手にどういう結果をもたらすかということについてまで、考えの及ばぬことの方が多いものです。それにひきかえ、傍から見ていた弟子たちの目には、彼女のふるまいは、その動機は純粋であり、イエスさまヘの感謝に溢れているにしても、その表現の仕方はそれで良かったのだろうか、もっとふさわしい表現の仕方があったのではないか、それはイエスさまにとっても、意に沿わぬ有難迷惑なものではなかったのかと写り、様々な疑問が生じてきます。

 しかも、この出来事が起こったのは「重い皮膚病の人シモン」の家です。「重い皮膚病の人」と記されるその人は、隣人から差別され、嫌われ、まともに人として、仲間として扱われたことなどあり得ません。ところがその家で、イエスさまが一緒に食事をなさる。重い皮膚病の人と呼ばれていたシモンの生活はとても貧しいものであったことでしょう。それでも、イエスさまが食事をしてくださるというので、できるかぎりの支度(したく)をしたに違いありません。

 そこへ「一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り」とあります。売れば三百デナリオンにもなると値踏みされる価値であった、とマルコとヨハネは記しています。当時の一年間分の給料、今で言えば、何百万円もする最高級の香油です。食べ物に換えれば、皆が十二分に食べても余るほどです。

 それだけではありません。彼女はこのとき、その壷から数滴をイエスさまの頭に注いだというのではありません。マルコには「壊して」とあります。彼女は壷の中身を全部注いでしまったのです。残しておいて他のことにも使おうとは全く思っていません。

 すべてをイエスさまの頭に注ぎかけてしまったら、その価値はすべてゼロになります。しかも、それを「たった一人のために」使ってしまったのです。

  Continue reading

10月2日 ≪聖霊降臨第18主日礼拝≫『突然の相続に…』エフェソの信徒への手紙1章3〜14節 沖村裕史 牧師

■祝福

 エフェソの信徒へあてられたパウロの言葉はとても印象的です。

 特に心に残るのは、冒頭3節の「祝福」という言葉です。実は、最初と途中と最後に三度も繰り返される「たたえる」という言葉もまた、この「祝福」と同じギリシア語です。

 アメリカの神学者ウィリアム・ウィリモンの言葉に、はっとさせられました。「祝福」ということは、ただ美しい言葉であるというよりも、もっと具体的な事柄、もっと価値あるものを渡すことだ。祝福するとは、単なる言葉ではなく、自分の大事なものを相手に差し出すことだ、と言います。とすれば、神の祝福とは、最も良いものを受け取ること、神様の最も良いものをわたしたちがいただく、ということです。

 そして、今ここでパウロが語ろうとしていることこそ、わたしたちが祝福に相応しいかどうかとは関わりなく、神様がイエス・キリストにおいて、わたしたちを祝福してくださっているのだ、ということです。11節の「キリストにおいてわたしたちは、…前もって定められ、約束されたものの相続者とされました」というこの言葉が、その祝福の意味を端的にわたしたちに示し、教えてくれています。

 「相続者とされた」

 ある日突然、名前も知らない人の遺言によって、莫大な相続財産が転がり込んでくるとします。それも、わたしたちがそれを望んだというのではなく、わたしたちの預かり知らぬところで、ずっと前から約束されていたのだ、と言います。しかもその約束は、4節に「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して…お選びになりました」とあるように、わたしたちがそれに相応しいからではなく、ただわたしたちを造られた神様の愛ゆえだと言います。

 どういうことでしょう。

 

■望まれて

 中学生の頃、思いっきり親に反抗していました。「親だから、あなたのことが心配なのよ」と事あるごとにうるさく言う母に、「心配なんかしなきゃいい。そもそも、あんたに産んでくれ、親になってくれと頼んだわけでもない」と口汚い罵声を浴びせていました。今思えば、身が竦(すく)むほどの酷い言葉ですが、ただやり場のない感情を口走ってしまっただけの情けないその言葉が、まったくの偽りだとも言い切れません。

 確かに、誰ひとりとして、自分の意思で、自分の力で、この世に生まれてきた者はいないのです。また、死ぬときを知り、そのときを自分の自由に決めることのできる者もいません。生まれることも死ぬことも、わたしたちの自由にはならないこと、わたしたちにはどうしようもないことです。

 そのことを聖書は、生と死そのものであるわたしたちのいのちは、わたしたちを越える存在、神が与えられたものだと教えます。神様がいのちを与えられた、神様がわたしたちを造られたのだと語ります。

 そうです。あらゆるものは造られ、生まれてきました。虚空(こくう)から突然出現したものは何ひとつありません。星にも誕生があり、のら犬にも誕生日があります。目には見えない勇気や希望だって「生まれる」もので、無から沸き起こるわけではありません。すべてのものが、そのように「造られたもの」「生まれたもの」であり、生み出す源である造り主なる神を前提としています。

 生み出す側の「望み」がなければ、小さな虫―今朝、教会学校でお話をしたテントウムシ一匹でさえ、生まれてくるはずがないのですから、「生まれた」ということは、すなわち「望まれた」ということで、このわたしたちも例外ではありません。それも、単に親の望みのことではなくて、この世界のいちばん根源にあると言えるような望み、願いです。そしてそれだけが、あらゆるものの存在の根拠です。わたしたちの生きていることの意味、理由です。

 人がひとり生まれてくるためには、そのために必要なあらゆる要素が、その誕生をうながす悠久の磁場の中で寄せ集まり、奇跡のように組み合わされていかなければなりません。わたしの父がいなければ…、わたしの母がいなければ…、二人が出会うことなく、何よりも、出会った二人が愛し合わなければ…、わたしは、今ここに存在しません。

 どんなに小さなひとりでも、その誕生は、驚くほどの偶然の積み重ね、奇跡と言う外ない出来事によって―それを聖書は神の御心、神の愛と言いますが―、人は誰もが例外なく、天地創造の初めから用意されていて、ふさわしい瞬間に大きな祝福を受けて生まれるのです。

 

■選ばれて

 自ら望んで生まれてきた人はいません。しかし望まれずに生まれてきた人もいません。すべての人が、そのような愛の中に造られ、生れてきたということ―それが、わたしたちが神様の相続人として選ばれていることの、ただひとつの理由です。

 わたしたちに、相続人としての特別な資格があるのではありません。いのち与えられた、ただそれだけの理由で、神様はわたしたちを愛してくださるのです。わたしたちでさえ、自分が初めてつくった料理や、勇気を出して書いたラブレターや、心を込めて編んだセーターは、それがどれほど不出来なものだろうと、大切で、かけがえのないものであるはずです。ましてや、神様は愛のお方です。ご自分が造られたわたしたちを愛されないはずはありません。それだけが、わたしたちがいのち与えられ、愛され、神の相続人として選ばれ、神様の子どもとされている、ただひとつの根拠です。

  Continue reading

9月25日 ≪聖霊降臨第17主日礼拝≫『最も小さな者』マタイによる福音書25章31〜46節 沖村裕史 牧師

■そのときまで

 今日のたとえは、24章から始まった「終わりの時」についての一連の教えの締め括り、最後の教えです。その最後の教えをイエスさまはこう語り始めます。

 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く」

 ここには黙示文学と呼ばれる、当時のユダヤ人のものの考え方、世界観が示されています。それによれば、神の国、天国はこの世を遠く離れた上の方にあるのではなくて、上から下に、人の子といわれる救い主の到来によって、上から下に向かってやって来るのだ、と考えられていました。そのとき、人の子は父なる神の栄光に包まれ、天使を伴って到来し、この地上において審判を行い、この世がまったく違う新天新地、つまり神の国、天の国に変わるのだ、と考えられました。これがユダヤ的、黙示文学的なイメージです。天の国、天国は天から地に向かって、上から下に向かって来るのです。

 そこで「その栄光の座につく」とは、王になられるということであり、その王座が最後の審判を行う裁判官の座でもあります。裁きは、王が直々(じきじき)になされるのです。

 「そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く」

 羊と山羊は似ていますが、もちろん別の生き物です。羊と山羊はしばしば混在して飼われていましたが、羊飼いはこれらを選(よ)り分けることができます。同じように、最後の審判の時までは、天国に入るものとそうでないものとが混在しています。それが、再臨の主である王の前で、選り分けられます。最後の審判の審判という言葉は、選り分けるという意味の言葉です。天国に入るものとそうでないものとを、最後になって選り分けるということです。

 最後になってということは、それまでは選り分けないままで一緒にいるということです。13章24節以下の「毒麦のたとえ」と同じです。ある僕が良い麦を主人の畑に蒔いたのに、夜の間に敵がやって来て、毒麦を蒔きました。結果、畑の麦の間に毒麦が生えてきてしまいました。どうしましょう、毒麦を抜きましょうかと僕が主人に尋ねると、毒麦と一緒に良い麦までも抜いてしまいかねないから、そのままにしておきなさい。刈り入れのときに、まず毒麦を集めて火にくべ焼きなさい、と言われたとありました。この25章の「十人のおとめのたとえ」でも、賢いおとめと愚かなおとめとは分けられずに、一緒にいました。いよいよ花婿が到着して、つまり主の再臨にあたって、両者は分けられることになりました。

 審判は、最後になって初めてなされるということです。

 毒麦と良い麦とは非常によく似ているので、それをわたしたちが選り分けようとすれば、間違えてしまうでしょう。そのように、よかれと思って、わたしたちは何度も、神様の畑、天の国を荒らしてきました。わたしたちにできることは、選り分けずに大切に育てること、刈り入れの時に神様が選り分けられるまで、そのままにしておくことです。十人のおとめのたとえでも、だれが賢く、だれが愚かであるのかは、花婿が到着するまでは分かりません。そのときになって初めて、油が足りないことが分かるのです。

 選り分けること、裁きは神様がなさることであり、それは最後のその時になる前には行われませんし、ましてや人が行うことなどできません。そのときまで、わたしたちは、ただ備えて、誠実に日々を生きることだけが、求められているのです。

 

■忘れてしまうほどの

 では、最後の審判に備えて、誠実に日々を生きるとは、どのように生きることなのでしょうか。

 イエスさまはその審判の席で、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」、そのことが問われることになる、と言われます。「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」と、逆に「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったこと」とが最後の審判で問われる。イエスさまは、今、「この最も小さい者の一人に」、つまり一番価値のない者と思われている最も小さい者たち、その中のたった一人に対してしたことを、わたしは問う、と言われるのです。

 そこで問われる、具体的な業の一つひとつが、35節から36節に出てきます。食べること、飲むこと、見舞うこと等々、日常のごくありふれた業です。世界政治を左右したり、ノーベル賞の対象となるような学問的業績を上げたりするようなことではありません。「これらの最も小さい者」と呼ばれる人たちをできるだけ多く集めて、そうした人たちをサポートする事業をスタートさせ運営するとか、そうした働きに協力したかしなかったか、そうしたことが問われているのでもありません。本当に、ごくごく小さなことを問題にされています。

 そう思って、このたとえを繰り返し読んだとき、ハタと気づかされました。

 「人の子」である王が、右側に集めて祝福した人たちに向かって、「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」と語った時に、そう言われた当の本人たちは、「主よ、いつわたしたちは、そんなことをしたでしょうか」と答えています。

 そうです。それは、当の本人たちは身に覚えのない、忘れてしまうほどの小さな、ごく自然な振る舞いであり、行いなのです。ここには、聖書が繰り返し語り、繰り返し教える、「愛」という言葉すら使われていません。確かに、見知らぬ人に食事を出し、その時一緒に水を提供したかもしれないけれど、その見知らぬ人を愛していたかどうかと問われても、そのようなことは念頭になかったに違いありません。

 しかしイエスさまは、そうしたことをこそ、世の終わりの時に問題にされる、と言われるのです。

 

■釜ヶ崎で

  Continue reading

9月18日 ≪聖霊降臨第16主日/敬老祝福「家族」礼拝≫『かみさまにかんしゃ!』 『キリストの光を受けて』ヨハネによる福音書11章1〜16節 沖村裕史 牧師

 

お話し「かみさまにかんしゃ!」(こども・おとな)

 教会に、90歳を超える一人のおばあちゃんがいました。おばあちゃんは戦争でつらい経験をし、その戦争が終わってからも、死んでしまったお父さんとお母さんの代わりに、三人の幼い弟たちを育てるために、結婚もせず、必死になって働きました。それぞれに大きくなった三人の弟たちは、おばあちゃんの苦労をよく知っていたので、おばあちゃんのことをとても大切にする、仲の良い姉弟でした。

 一番上の弟は、病気のために目が見えなくなりましたが、いっしょうけんめい勉強して、目の不自由な人たちの学校の先生になって、おばあちゃんといっしょに暮していました。二番目の弟は、遠くの町で仕事について、結婚し、新しい家族と幸せに暮していました。三番目の弟も、遠く町で一人暮していました。黙ってまじめに仕事をする人でしたが、人とのつきあいが苦手な、少しガンコなところのある人でした。

 

 おばあちゃんが70歳を過ぎたころ、目の見えない一番上の弟は病気のために死んだため、それからずっとひとりで暮していました。そんなある日のこと、おばあちゃんの家に一本の電話がかかってきました。三番目の弟からの電話でした。

 「姉さん、二番目の兄さんが病気で倒れて、あぶないらしい」

 おばあちゃんは、遠くの町の病院に急いでかけつけました。90歳を超えていたおばあちゃんは、病院の中にお部屋を借りて、三番目の弟とふたりで看病をしました。でも、二番目の弟の病気はよくならず亡くなってしまいました。

 おばあちゃんと三番目の弟が悲しみに暮れ、お葬式の準備をしているそのとき、なんと、今度は三番目の弟が病気で倒れてしまいました。脳こうそくという、頭の中に血が出て、体が動かなくなり、いのちにもかかわる、とても危険な病気でした。

 おばあちゃんは、次々に続く看病に疲れ果て、体も心もへとへとになっていました。そのおばあちゃんから教会に電話がかかってきました。

 「先生、神さまはどうして、こんなにつらい目にあわせるの?一体、どうすればいいの?!」

 「神さまは決してあなたをお見捨てにはなりません。わたしにお手伝いできることがあれば何でも言ってください。いえ、お手伝いさせてください」

 遠くの町の病院のお医者さまと相談して、おばあちゃんが少しでも楽になるように、弟さんの病気が少し落ち着いたところで、おばあちゃんのお家の近くの病院に入院させることにしました。弟さんは体の右側が全く動かなくなっていました。わたしは車椅子を押して、おばあちゃんと弟さんを迎えに行き、三人で新幹線に乗って帰ってきました。

 おばあちゃんは毎日、お家から弟さんのいる病院へと出かけました。教会の人たちも見舞いに行きました。でも弟さんは、いつも機嫌が悪そうでした。あたりまえかもしれません。だって、突然病気になり、自分の体が思い通りに動かなくなったのです。しかも、もう70歳を過ぎたおじいちゃんです。この先どうすればいいのか、とても不安で辛い思いだったはずです。

 それでも、弟おじいちゃんはとてもがんばり屋さんで、自分で歩くことができるようになるための練習を休むことなく続け、ついに、杖をついて歩けるようにまでなりました。その頃には、ときに笑顔が見えるようになりました。

 

 さあ、これから、お姉さんおばあちゃんと弟おじいちゃんと、二人で仲良く暮していけるよう、いろいろな準備をしていこうと思っていた矢先のことでした。弟おじいちゃんがまた、頭の中に血が出て、倒れてしまいました。もう助からないかも知れない、死んでしまうかも知れない、という大手術を受けました。弟おじいちゃんのいのちは助かりました。奇跡でした。お姉さんおばあちゃんとわたしは、神さまにありがとうございますと祈りを捧げました。

 しかし、弟おじいちゃんは、目と右手の腕がほんすこし動くだけで、お話しすることもできず、口からご飯を食べることができず、胃に直接穴を開けてそこから栄養を入れる、ベッドの上に寝るだけの生活になってしまいました。

 おじいちゃんに会いに行くと、おじいちゃんはただじっと天井(てんじょう)を見つめていました。文字が書かれた板の文字を見つめることで何とかお話しをすることもできるのですが、ほとんど話もせず、天井を見つめるその眼はとても暗く、それは、おじいちゃんの心の中の暗(くら)闇(やみ)のようで、もうダメだ、生きていてもしようがない、そう言っているように思えました。

 それでも、お姉さんおばあちゃんとわたしは、おじいちゃんのところに通(かよ)い続けました。そして、さんびかを歌い、せいしょを読んで、神さまがいつもそばにいてくださる、神さまはわたしたちを愛してくださっている、神さまは決してわたしたちを見捨てたりなさらない、そう繰返しお話をしました。でも、おじいちゃんの目は、やはり天井をじっと見つめるばかりでした。

 それから半年が経(た)った、花の日、子どもの日のこと。10人ほどの、教会のこどもたちといっしょにおじいちゃんを訪ねることにしました。おじいちゃんが横になっている、ベッドの周りをこどもたちが囲み、たくさんのお花をおじいちゃんのそばに置いてさしあげ、みんなでお歌を歌いました。そして、みんなが口々に「おじいちゃん、元気でいてね」、そう言葉をかけました。

 すると、驚いたことが起こりました。何と、おじいちゃんの目から涙があふれ出したのです。涙でいっぱいになったおじいちゃんの目は、天井ではなく、こどもたちひとりひとりを見つめていました。わたしがそれまで見たこともないようなやさしい目で、おじいちゃんはこどもたちを見つめ、本当に嬉(うれ)しそうに、やさしく微笑(ほほえ)んでいました。 Continue reading

9月11日 ≪聖霊降臨第15主日/教会創立記念礼拝≫ 『与えられたもの』 マタイによる福音書25章14〜30節 沖村 裕史 牧師

説教

■与えられた

 いのち生きるときに抱える如何ともしがたい悩みのひとつは、わたしたちが自分で選んだのではない条件で生きていかなければならないことです。

 『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』という本をご存じでしょうか。13歳の一人の少年、それも重度の自閉症というしょうがいを負った東田直樹という少年によるものです。コミュニケーションを取ることなど到底不可能だと考えられていた自閉症児の心の内を初めて明らかにしたこの本は、世界28カ国30カ国語に翻訳され、自閉症の子どもを抱えて苦悩していた家庭や自閉症の専門家たちを始め、多くの人々に大きな驚きと希望をもたらしました。彼はこの本の序文に「僕たちの障害」と題して、こう記しています。

 「自分が障害を持っていることを、僕は小さい頃は分かりませんでした。どうして、自分が障害者だと気づいたのでしょう。それは、僕たちは普通と違う所があってそれが困る、とみんなが言ったからです。しかし、普通の人になることは、僕にはとても難しいことでした。

 僕は今でも、人と会話ができません。声を出して本を読んだり、歌ったりはできるのですか、人と話をしようとすると言葉が消えてしまうのです。必死の思いで、1~2単語は口に出せることもありますが、その言葉さえも、自分の思いとは逆の意味の場合も多いのです。また人に言われたことに対応できないし、精神的に不安定になると、すぐにその場所から走って逃げ出してしまうので、簡単な買い物さえも一人ではできません。

 なぜ、僕にはできないの…

 悔しくて悲しくて、どうしようもない毎日を送りながら、もし、みんなが僕と同じだったらどうだろう、と考えるようになりました。自閉症を個性と思ってもらえたら、僕たちは、今よりずっと気持ちが楽になるでしょう。みんなに迷惑をかけることもあるけれど、僕らも未来に向かって楽しく生きていきたいのです。

 僕は、会話はできませんが、幸いにも、訓練で、筆談というコミュケーション方法を手に入れました。そして、今ではパソコンで、原稿も書けるようになりました。でも、自閉症の子供の多くは、自分の気持ちを表現する手段を持たないのです。ですから、ご両親でさえも、自分のお子さんが、何を考えているのか全く分からないことも多いと聞いています。自閉症の人の心の中を僕なりに説明することで、少しでもみんなの助けになることができたら、僕は幸せです。…」

 「僕は幸せです」と語る彼と彼の家族を悩ませ、苦しめ続けた自閉症というしょうがいは、彼が選んだものでも、望んだものでもありません。ただ、「与えられた」としか言いようのないものです。それと同じように誰もが、この時代、この国、この家族のもとに、この顔と体、この性格と資質など、何某(なにがし)かの課題をもって生まれ、育ち、生きています。最初から、ある種の条件のもとに人生を歩み始めなければなりません。しかも、そうした条件がしばしば、「どうして…」「なぜ…」と思わず呟くほかない、わたしたちの悩み、苦しみの種となります。誰もが思い当たる悩み、苦しみです。

 そんな悩み、苦しみを抱えるわたしたちに、今日の「タラントンのたとえ」が大切な真理を教え示してくれます。

 

■それぞれの力に応じて

 ある人が旅に出かけるにあたって僕たちを呼び、一人には五タラントン、一人には二タラントン、一人には一タラントンを預けて旅に出たというところから、このたとえは始まります。

 タラントンというのは、ギリシアの重さの秤、通貨の単位で、一タラントンは六千デナリオン。一デナリオンは、当時の兵士の一人分の日当に相当すると言われます。現在の日当が八千円から一万円だとすれば、一タラントンは五千万円から六千万円ほどの、あまりに高額なので普通は使われなかったと言われるほどの単位です。二タラントンで一億から一億二千万円、五タラントンは二億五千万から三億円にもなります。確かに預けられた額に違いはあるものの、一番少ない一タラントンでも相当の額です。

 このことから分かることは、すべての人が神様からタラントンを与えられている、それも、多くの賜物を預けられ、だれもが期待され生かされている存在である、ということです。価値のない人生なんか一つもありません。一人ひとりが、実に価値ある、尊い存在なのです。

 哀しいかなそれでもなお、預けられたタラントンの違いが気になります。この違いはどこから出てくるのでしょう。15節に「それぞれの力に応じて」と書かれています。人間は決して公平、平等に同じようなものとして生きているのではない、五タラントン、二タラントン、一タラントンといった具合に全く違った能力を与えられ、それぞれに生きている、ということです。能力だけではなく、性格も、感性も、価値観も、環境も、一人ひとり全く違ったものとして、わたしたちは生きています。その違いは、わたしたちが思っているよりも遥かに大きく、深く、わたしたちはバラバラの状態で生きているかのようです。

 どうして、こうもバラバラなのでしょうか。それはバラバラに違ったものが、補い合い、認め合って生きていく、その調和し合う努力の中に、人間らしさが潜んでいるからです。みんなが全く同じなら、放っておいても調和するでしょう。そうではなくて、違ったものが思いやり合い、譲り合い、我慢し合い、理解し合って、組み合わさっていく、そういう調和の努力をするのが、人間だからです。みんなが金太郎飴のように同じ、死んだような平和ではなく、またみんなが単に違うだけの騒々しい分裂でもなく、互いに調和し合う努力をする。そこでこそ人間は、まさに人間になっていく。そう造られているからです。

 聖書は、この努力を「愛」と呼びます。W兄姉の結婚式の時にも申し上げましたが、「愛」は「好き嫌い」ではありません。好きには努力はいりません。しかし愛には努力が必要です。相手を思いやり、自分を反省し、互いのことを考えて我が儘を押さえる努力が求められます。だからこそ聖書では、愛は全て命令形で語られます。「互いに愛し合いなさい」「隣人を愛しなさい」「敵を愛しなさい」、全部命令形です。わたしたちが五タラントン、二タラントン、一タラントンと違うのは、愛をもってそれを乗り越えなさいと神が置かれた、わたしたちが人間になっていくための大切なハードルなのです。これを避けて、好きなことだけをしていると、人間は人間でなくなります。

 それだけではありません。そもそも、重さ10キロしか持つことのできない人が常時、50キロの荷物を抱えながら生きていかなければならなかったとしたら、これはとても辛い、シンドイことです。分不相応でしょうし、不幸です。イエスさまはここで、与えられているものの量によって評価などなさいません。むしろ「それぞれの力に応じて」タラントンの量が違っているのだ、と言われます。

 

■真実に生きる

 その上で19節以降、「さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた」場面へと移ります。五タラントンを預けられた人は五タラントンを儲け、二タラントンを預けられた人は二タラントンを儲けました。ところが、一タラントン預けられた人は地の中に隠しておき、結果、その僕は外に追い出されてしまいます。 Continue reading