■真夜中の取り調べ
当時のユダヤ社会を支配していたのは、最高法院という議会でした。今日の国会のようなものであり、また最高裁判所のようなものでもあります。それを構成していたのは、祭司長、長老、律法学者たち。全部で七十人、それに大祭司がひとり加わった、七十一人による会議でした。
逮捕された夜、イエスさまはその最高法院の場に立たされます。翌朝には、ローマ総督の法廷に連れて行かれ、その朝のうちに死刑判決が下され、午前九時には十字架につけられます。驚くほどのスピーディな対応です。ユダヤ教最高法院とローマ帝国総督府との間に、少なくとも最高法院の中であらかじめ謀議がなされていたことを伺わせます。事実、真夜中にもかかわらず、最高法院の七十人もの議員たちが大祭司の下に待っていましたとばかりに召集されます。
目的は、イエスさまの罪状を確定し、総督ピラトに引き渡す準備をすることでした。ここで行われることは、正確には裁判ではなく、事前の取り調べです。この取り調べで、イエスさまをどのような罪で訴えるかが決められます。直後の27章1節から2節に「夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した」とある、その「相談」が最高法院での取り調べであり、正式な罪状と量刑が確定するのは、ピラトに引き渡された後のことでした。しかし、ローマ総督府での審判は決められていたことを議決するだけの形式的なもの、イエスさまの有罪が事実上決定したのはやはり、この真夜中の取り調べにおいてでした。
■行き詰まる証言
ところが、その取り調べの場にイエスさまを弁護する証人は一人も立てられません。被告は自分を弁護してくれる証言者を要求することができましたし、法廷はそれを用意させる義務もありました。ところが、イエスさまを弁護する証言者は誰も現れません。
二つの理由が考えられます。一つは、ユダヤの法廷のルールです。ユダヤの法廷では、女、こども、しょうがい者、奴隷といった人たちは証言者となることができませんでした。その誰もがイエスさまに親しみを感じ、希望を抱き、感謝や尊敬の念を強く抱いていた人たちでした。その人たちがどんなにイエスさまを守りたいと思っても、証言台に立つことは許されません。そしてもう一つは、最も親しい交わりの中にあったはずの弟子たちの誰ひとり、証言台に立とうとしなかったからです。審問が開始されたときにはすでに、弟子たちは皆、イエスさまを見捨てて逃げてしまっていました。
その中で、ただ一人ペトロだけが「遠く離れてイエスに従い」、大祭司の屋敷の中庭にまで入り込み、「下役たちと一緒に座っていた」と、その姿が印象深く描かれています。しかしこの直後に、その中庭で「そんな人は[イエスさまのことなど]知らない」とペトロが答える場面を続けて読むとき、イエスさまとペトロの姿がここに揃って描かれることによってかえって、一刻一刻、十字架に近づいて行かれるイエスさまの歩みと、それとは真逆に、イエスさまから一歩また一歩と遠のいて行くペトロの姿とが、コントラストに描き出されていることに気づかされます。
一方、告発する側の証言もまた行き詰まっていました。イエスさまを死刑にすることは最高法院の既定の方針であり、それを正当化するための偽りの証言を集めようとして始められた審問でしたが、60節に「偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった」とあるように、必要な証言を得ることができないでいました。マルコによる福音書にあるように、「多くの者がイエスに不利な偽証をしたが、その証言は食い違っていたから」(14:56)ということでしょう。ユダヤの律法には、一人の証言だけで人を有罪にしてはならないという決まりがありました。二人または三人の証言が合わなければ、有罪の判決を下すことはできません。ゲッセマネで逮捕したイエスさまを、その夜のうちに裁判にかけるという時間的な無理をしたために、証言者の口裏を合わせるという用意を周到に行うことができなかったのでしょう。もともと事実とは違う偽証、つくり話なのですから、口裏を合わせておかなければ、語る人によって違って来るのは当然のことです。証言によって、イエスさまを有罪にすることはできませんでした。
■沈黙を破って
このとき、大祭司たちのはかりごとは失敗に帰したはずでした。それなのに、どうしてイエスさまは十字架につけられることになったのでしょうか。
そのことが、62節以下に語られます。「そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。『何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか』」。直前に「最後に二人の者が来て、『この男は、「神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる」と言いました』と告げた」とあります。これも偽証でしたが、とにもかくにも二人の証言、告発のための証拠は揃ったのです。それなのに、何も答えようとしないイエスさまに苛立った大祭司が自ら進み出て、こう尋ねたのでした。
それでもイエスさまは「黙り続けておられた」とあります。イエスさまは、終始、沈黙を守られます。黙って耐えておられたというのではありません。偽りの証言、悪意ある中傷というものは、沈黙によってこそ、その真実が暴かれるものです。ですから、もしもイエスさまが最後まで口を開かず、徹底的に沈黙を通されたなら、彼らは有罪を確定することができず、証拠不十分で釈放とせざるを得なかったかもしれません。
ところが、そうはなりませんでした。この取り調べの最後に、もはや証言の必要などない、イエスは死刑にすべき有罪だとの結論が議員一同によって下されました。それは証拠がそろったからではなく、イエスさまが唯一、口を開いて語られた言葉によってでした。イエスさまは、偽証に対しては口を閉ざしておられましたが、大祭司の発した問いに決定的な答えをされたのでした。その答えによってイエスさまの有罪は確定し、十字架につけられることになりました。
大祭司の発したその問いとは、63節後半、「お前は神の子、メシアなのか」、「お前は神の子である、救い主なのか」というものでした。イエスさまの本質に迫る問いでした。それまで完全な沈黙を貫いて来られたイエスさまが、この問いに、今、はっきりとお答えになります。
「それは、あなたが言ったこと」。原文を直訳すれば、「言ったのは、あなただ」。マルコによる福音書では「[わたしが]そうです」となっていますが、ここでは、皮肉交じりに答えておられます。偽りの証言で罪に陥れようとする、嘘に嘘を重ねるその偽善に対して、イエスさまは「そう言ったのは、あなただ」と痛烈な皮肉を込めて答えられます。
その上で、イエスさまはさらに決定的なひと言を口にされました。「しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」。神の右に座るとは、詩編110編1節で、神が救い主に対して語った言葉です。雲に囲まれて来るとは、ダニエル書7章13節にも語られている、来るべきメシアの姿です。
全能の神から授けられる大いなる権威と力について語っておられます。イエスさまは、ご自分がそのような権威と力を父なる神から授けられ、その権威をもってもう一度来る、そうはっきりと宣言をなさったのでした。
■わたしたちの罪のために
驚くべきことです。イエスさまはこれまで、病気を癒したり、悪霊を追い出したり、死者を生き返らせるなど、様々なみ業を行ってこられました。その時にはいつも、み業の恵みを受けた人々に「このことを誰にも言ってはいけない」と言われました。「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」というイエスさまの問いに、ペトロが「あなたは生ける神の子、メシアです」と答えたその時にも、ご自分のことを誰にも話さないようにと言われました。これまでイエスさまは、ご自分が神の子であるメシア、救い主であることを隠そうとしてこられたのです。そのことを、弟子たち以外の人々の前で口にされることはありませんでした。
ところが今、逮捕され、有罪とされ、死刑にされようとしているその時に、そのことをご自分からはっきりと語られます。語ったことによって、イエスさまの死刑が確定しました。つまり、イエスさまが有罪となり、十字架につけられたのは、人々の偽証や悪意ある中傷によってではなくて、イエスさまご自身が「わたしは神の子であるメシア、救い主だ」とはっきり宣言なさったことによってだった、ということです。ご自分がメシアであることを宣言することによって、神を冒涜する者として断罪され、死刑の判決を受けることになるそういう場面において、御子イエスは、ご自分が神の子、メシアであるとはっきりと宣言されたのです。
イエスさまにとって、ご自分が神の独り子、救い主であることと、死刑に当る罪人として断罪され、十字架につけられることとが、分ち難く結びついているのです。死に値する罪人として断罪されることにおいてこそ、イエスさまは神の子、わたしたちの救い主であるのだ、ということです。
それは、わたしたちが死に値する罪人だからです。神によっていのち与えられ、生かされて生きる者であるにもかかわらず、その神に背き、逆らい、神をないがしろにして、自分が神のごとくに、自ら主人となって生きているわたしたちです。そのわたしたちの傲慢を、罪を、イエスさまがすべて背負って、ご自分が死に値する罪人として断罪され、十字架につけられたのです。そのことによって、御子イエスは、わたしたちの救い主、メシアとなってくださったのです。
イエスさまのすばらしいみ言葉やみ業に感動して、この方こそ救い主だと信じて従って行くことが、信仰なのではありません。イエスさまに従って行くことによって、わたしたちがより良い立派な人間になっていくこと、より優れた働きができるようになることが信仰だと思っている人がいますが、それは誤解です。御子イエスをキリストと信じるとは、人々に唾吐きかけられるイエスさまが、このわたしの罪を背負って、身代わりとして十字架にかかって死んでくださった、そのことを信じることです。
その信仰によって、わたしたちは自分が死に価する罪人であることを示され、イエスさまが十字架にかかって死んでくださることによって、その罪を赦してくださったことを示され、その救いに感謝して、生かされ生きる者とされるのです。イエスさまが神の御子である、わたしたちの救い主、メシアであるとは、そういうことなのです。
■神の愛が降り注いでいる
この恵みに心が染められるとき、わたしはある一人の女性の言葉を思い起こし、外の寒ささえ暖かいものに思えてきました。少し長くなりますが、最後にその女性の言葉をご紹介して、今日の説教を閉じさせていただきます。
難波紘一さんという方がおられました。筋ジストロフィーという不治の病に冒され、発病からわずか10年後に、天に召された方です。パートナーである幸矢さんがその日々を振り返りつつ、こう書き残しておられます。
「発病当時、彼は病気の初期から自分の体に表れ始めた症状と照らし合わせて察知していたようだ。難病中の難病で現在の医学では治らない死にゆく病であることを私に隠していた。平静を装ったところで死ぬほどの病に苦悩しないでおれるはずもなく、本当に性格が変わってしまった。何も知らない私は、夫の心の変化に戸惑ってばかりだった。あの頃はもちろん現在でも、病気になると本人の苦悩に対しては目を向けるが、家族の苦悩に対しては気付かない人が多い。家族の不安や悲しみ、不条理に対する怒りや苦悩など、本人と同じ苦悩を辿ることなど想像してもらえなかった。そしてそれぞれの心がそれほどに苦悩して怒って悲しんでいるのだから、当然この頃が夫婦の危機だった。離婚も一家心中も自死も考えた。彼の不自由より何より、愛して尊敬してこの人だったら社会を見る目もある、信仰も確かで神様の道から反れないように導いてくれると信じて結婚した夫が、信じられないほどひねくれ、いじけ、懐疑心を持ち、想像できないほどの醜態を演じるようになったのだから、彼に対する落胆以外の何ものでもなかったのだ。
あの当時、祈って、祈って、祈った。神様を揺さぶって祈った。『主よ、なぜですか?お金も時間もあなたに捧げて、礼拝は欠かさず、教会学校の校長もし、ちょっと待って下さいというほど献金してきたではないですか。その夫がなぜ?』と。そして続く試練に『夫の病気の答えもいただいていないのに今度は娘の不登校ですか。息子の大病の試練ですか。主よ、答えを下さい』と祈り、やがて『私の人生、何もいいこと無いじゃない。何よ神様!クソッタレ神様』と抗うまでにすさんでいった」
紘一さんの、また家族の苦悩に言葉を失います。しかし苦悩が苦悩で終わることはありませんでした。紘一さんの病が快方に向かったというのではありません。愛のみ言葉がもたらされました。
「そのような時出会ったのが、Ⅰコリント13:4-7の『愛は情け深い』だった。聖霊の働きによって神の前にくずおれた。私が…頑張ってここまでしてきた!と、褒められこそすれ批判されないように身を粉にしてやってきたかはあっても、愛がなかった。『愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない』という言葉が身にしみた。すべてを信じてないし、すべてを望んでないし、すべてに耐えてない。自分のことばかり、どうしてくれるのよ!と。このみ言葉に出会って、一歩下がって…見つめ直した。一度『私は正しい、ここまでやってきた』という所から降りようと。そうしたら、私が相手に対して我慢し努力し、神経すり減らして忍の一字で耐えてきたと思っていたが、反対に相手に我慢してもらっていたのではないかと気付かされた。一人被害者みたいな顔をしていたけれど人を傷つけつつでないと生きられない人間なのだと腹から分った。自分という人間は何者なのか、ヘタヘタと座り込むほどに分った。罪人であるとおお分かりすることは人生にとってどんなに大事なことか。主体が『私が』から『神』に変わる。『生きる』から『生かされている』に変わる。『こんな者が赦されてある』と感じたらワクワクと喜びがあふれ出て、この神をお伝えしないではおれない者へと変えられた。私の頭の上は燦々と神の愛が降り注いでいる」
幸矢さんは、それまでの苦しみと悲しみ、絶望と悲嘆に埋め尽くされていた苦闘の日々を、まったく違う目で見つめ直すようになりました。
「人生まったく無駄がない。夫が私に病気を隠して心の醜態だけ見せつけられたので、夫を憎んだり恨んだり人生を嘆いたりした。しかしそのために自分の何者であるかに気付かされた。最高の啓示だ。もし早くに『実は僕は難しい病気になったようだ…』と訴えてくれていたら、夫を愛していたのだから、二人で抱き合って泣いて、そして『私も出来るだけのことはするから頑張りましょうね』と言っていただろう。そうしたら夫の死後、どんな私になっていたか。命の大切さなどの意味は分ったかもしれないが、『大変な中、一生懸命介護しました』という誇らしげな私になっていたかもしれない。夫が病気を隠したことは見事すぎる神の計画の中にあったことだ。泣くに時があり、悲しむに時があり、憎むに時があって神と出会った。…
真面目な日本人。一生懸命生きていればきっと神様は助けて下さる、いや助けて下さらないはずがない、などと思っている人が多い。それは本末転倒だ。私達の思いをはるかに超えて神のご計画がある。ベターではなくベストの計画だ。しかも私達一人一人が平安というものをいただけるためのご計画であって懲らしめではないのだから、試練に置き去りにされることはない。それではイエス様の十字架の意味がない。いろいろなことを少しずつ示されてくると今更自分の評価などどうでもよくなる…」
人生に挫折はつきものです。けれどもその挫折も、わたしたちの物差しが小さいと、とても大きな挫折になります。入りたい学校に入れなかった。願っていた職場に就職をすることができなかった。健康でありたいと思っていたのに病気になった。わたしたちはしかし、そこから自由にされるのです。大きな神の物差しの中で生き続けることができるのです。神の愛は変わりません。御子イエス・キリストを送ってくださった、神の確かさは変わりません。だから、わたしたちは御子イエスのみ言葉と救いのみ業を小さくしてはいけません。これは、年老いた者も年若き者も、すべてを生かす、神が与えてくださる大いなる信仰の戦いです。ただ御子への信仰によって、すべての思い惑いから自由になって、生かされ生きたいと心から願う次第です。