≪お話し≫「助走して!」(こども・おとな)
■何(なに)かを削(けず)って
「わたしがあなたがたを愛(あい)したように、互(たが)いに愛し合(あ)いなさい。これがわたしの掟(おきて)である」
「愛し合いなさい」って言われて、皆さんは、どんな姿(すがた)を思い浮かべますか。互いが何かを差(さ)し出(だ)している姿を思い浮かべる人が多いかもしれません。愛し合うとは互いに与(あた)え合うこと―その通りです。でも少しだけ気をつけてください。大切(たいせつ)なのは、その与え方(かた)です。自分(じぶん)の取り分(ぶん)はしっかり取り除(よ)けておいて、余(あま)りものだけを相手(あいて)に与えて、それを愛と呼ぶことができるでしょうか。たとえほんの少しであっても、自分の何かを削って相手に差し出すことを愛と言うのではないでしょうか。こんな話を聞いたことがあります。
■助走(じょそう)して!
公園(こうえん)にある錆(さ)びたサッカーゴールに向(む)かって、たった一人で、毎日毎日ボールを蹴(け)っている少年(しょうねん)がいました。
その少年を見つけたのは春の頃。夏の暑い日も、たった一人、汗だくになってポールを蹴っていました。秋が過ぎ、日が落ちるのが早まる季節(きせつ)、薄暗(うすぐら)いライトの下、ボールもよく見えないのに、たった一人、ボールを蹴っていました。
少し心配(しんぱい)になり、おもいきって少年に話かけてみました。でも少年はこちらを振(ふ)り向くこともなく、黙々(もくもく)とボールを蹴り続けていました。
次の日、自動(じどう)販売機(はんばいき)で温かいココアを2本買って公園に行きましたが、少年が黙々とボールを蹴っていたので、ひとり、ココア2本を飲んで帰りました。
さらに次の日、仕事用(しごとよう)のカバンとは別に運動(うんどう)靴(ぐつ)と着替(きが)えが入ったバッグを持って出かけ、会社(かいしゃ)が終わってから公園に向かいました。
私(わたし)がゴールの前に立ちはだかると、少年は一瞬(いっしゅん)、怪訝(けげん)な顔をしましたが、すぐに、力いっぱいボールを蹴ってきました。ゴールネットに入ったボロボロのボールを少年に蹴り返すと、今度(こんど)は助走(じょそう)までつけて、ボールを蹴ってきました。
何度(なんど)か繰(く)り返すうちに、少年は笑顔になりました。
「少し休もう」と言うと、彼はキョトンとした顔をしています。
少年は耳が聞こえていなかったのです。
戸惑(とまど)いを隠(かく)しながら、会社のカバンの中から急いでノートとペンを取り出して、「少し休もう」と書いて見せました。少年はコクリとうなずきました。並(なら)んでベンチに腰(こし)掛(か)けながら、いろいろなことをノートに書きながら話をしました。
彼は小学校4年生。今年の3月に父親(ちちおや)を亡(な)くしていました。
母親(ははおや)は遅くまで働きに出ていて、帰ってくるのは夜の8時を過ぎることもあるとのこと。父親が亡くなる前までの母親は、毎日家にいて、帰りを待っていてくれていました。家に一人でいるのが寂(さび)しくて、昔、父親とよくやったサッカーをしに、毎日公園に来ていたようです。
そんなことまで話してくれることが、なんだか嬉(うれ)しくもありましたが、寂しいだろう少年の気持(きも)ちを考えると、涙(なみだ)が浮かんできてどうしようもありませんでした。時々(ときどき)、あくびをするふりをしてごまかしました。
その日以降(いこう)、仕事が早く終わったときには公園に足を運(はこ)びました。
クリスマスの日、少年が公園にいるのを確(たし)かめ、買っておいたサッカーボールを急いでとりに帰り、彼に渡(わた)しました。
少年は飛び跳(は)ねて喜び、とびきりの笑顔を向けてくれます。そして、何度も何度も頭を下(さ)げました。目から涙がこぼれていました。
私も熱いものが込(こ)み上(あ)げてきて、今度はごまかさずに涙を流しました。そして、じつは自分(じぶん)も寂しかったことに気づきました。
いろんな行(い)き違(ちが)いから妻(つま)と別れ、この春から一人暮(ひとりぐ)らしをしていました。少年が自分の息子(むすこ)と重(かさ)なって、涙が止(と)まらなかったのです。
新しいボールを、いつもよりずっとずっと助走をつけて蹴る姿を見て、また泣けました。
年が明(あ)け、2月に急な転勤(てんきん)でこの街(まち)を離れることになりました。その少年がどうなったのか、もうわかりません。でも、きっと今も、助走をおもいっきりつけて、世の中と必死(ひっし)に向き合っているのだと思います。
■あふれるほどの愛
こどもとおとなだけど、ここにほんとうの友だちがいる、そう思いませんか。
愛って何と迷(まよ)ったとき、どうしたら本当に相手のためになるだろうかと悩(なや)んだときは、自分の何を削ったらよいのかを考えたら、きっとうまくいくでしょう。自分の時間(じかん)、自分の場所(ばしょ)、一本のココアでもいいのです。何か持っているものを削って差しあげとき、そこに素晴(すば)らしいことが起(お)こるはずです。
そして、それこそが神様(かみさま)の愛でした。イエスさまは今、「友(とも)のために命(いのち)を捨(す)てるよりも大きな愛はない」と言われます。持っている時間も力も削り、削りに削って、もう何も削るものがない。最後にいのちを削って、相手を生(い)かそうとする愛。これ以上(いじょう)の愛はないでしょう。それがイエスさまの十字架(じゅうじか)でした。
そんなイエスさまが、神様が、ここに飾(かざ)られている美(うつく)しい花にいのちを与え、わたしたちにもいのちを与えてくださって、しかも「あなたはわたしの友だち」と呼(よ)びかけ、どんなときにもあふれるほどの愛を注(そそ)いでいてくださっています。
神様は、イエスさまは、わたしたちの友だちでいてくださるのです。感謝して祈りましょう。
≪メッセージ≫「友」(おとな)
■励ましの言葉
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」
その通りです。とはいえ、イエスさまのように自らのいのちを削り捨ててまで、人を愛することなど、果たしてわたしたちにできるのでしょうか。イエスさまに従った弟子たちでさえ、その愛に報いるにふさわしい愛を何も示すことはできなかったではないか、神のみ子だからできたのだ、と呟いてみたくなります。
わたしたちは、本当の意味では、人も自分をも愛することのできない存在、何一つとして確かなものをもたない存在です。そんなわたしたちが、イエスさまによってそのいのちを削り捨ててまで愛されました。その愛は、高みから施しとして与えるような愛でもなければ、何かを要求するような愛でもありません。イエスさまは、愛することに一切の条件をつけるようなことをされず、ただ「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と言われます。わたしが「自分の命を捨て」たのは「友のため」だった、と言われるのです。
とすれば、続く「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」とは、「もしわたしの命じることを行わないのなら、あなたたちはもはやわたしの友でも何でもない」と、脅すようにして「友」としての条件を持ち出されているのではないはずです。そうではなくて、「あなたたちは、わたしがいのちを捨ててまで愛してやまない、わたしのかけがえのない友なのだ。だから、あなたたちもわたしの友として互いに愛し合いなさい。いや、愛し合うことができる」とわたしたちを励ます言葉なのでしょう。
■もてなし、苦難を分かち合ってくださる
そもそも「友」フィロスという言葉は「愛する者」と「愛される者」という二つの意味を合わせ持つ言葉でした。友という関係は、そんな相互的なかかわりのことです。そのことからも分かるように、本来、この言葉は人間同士の関係を表す言葉です。聖書でも、神様やイエスさまとわたしたち人間との関係を表わすことはほとんどありません。
しかし今、イエスさまは、わたしたちを「僕(しもべ)」とは呼ばず「友」と呼ぶ、と宣言されます。神は全く別格の存在ですから、わたしたち人間は主人である神に対して僕、奴隷にすぎないはずです。にもかかわらず、「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。…わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」と、神のみ子であるイエスさまはわたしたちを「友」と呼ばれます。父なる神から聞いたことをすべて知らせるほどに、わたしたちを愛しているからだ、と言われます。
ある話を思い出します。一人の青年が救いを求めて教会を訪れました。表面的には明るさを装いながらも、心の奥に深い闇を秘め、魂のふるさとを求めてさまよう旅人のようなでした。疲れた旅人に必要なのは、温かい宿であり、もてなす友です。青年が訪ねた教会には、礼拝後に食事会がありました。
その食事会は、寄る辺ない青年たちの拠り所として始められたもので、教会の女性たちの無償の奉仕で成り立っていました。彼女たちはせっせとおいしい食事を作っては青年たちに食べさせ、彼らが食べ散らかした食器を洗い、ときに遅くまで彼らの話に耳を傾けてくれました。真心でもてなされれば、心はほどけるものです。彼もいつしか常連となり、友人も増え、福音を信じ、ほどなく洗礼を受けることになりました。彼は魂のふるさとを見つけたのでした。
恵みにあふれる教会での体験が、彼を教会への奉仕へと導いていくのは、ある意味で必然だったのかもしれません。彼は、次第に教会を通して神様と隣人に仕えることに憧れるようになり、ついには神学校へ飛び込んで行きました。
牧師としての召命の旅はしかし、やっと得たはずの、いわばこの世の魂のふるさとをいったん手放して、真の目的地である天のふるさとへと向かう試練の旅です。見たくない自分の弱さや汚れとも向き合い、この世での憧れや満足ではなく、神様のみ心へと自らを明け渡していく過酷な旅です。やがて彼はその旅に疲れ果て、自らの弱さを恐れ、出口のない闇に落ち、神学校を休学せざるを得なくなりました。
彼の顔はこわばり、何も信じられないという不信に支配されて憔悴しきっていました。そんな彼に繰り返し福音の喜びを語る友への彼の返事は、痛々しいものでした。「ぼくの闇の深さは、だれにも分からない」。
(だれにも?そんなはずはない。一人いるはずだ。あなたの闇の深さをだれよりも、あなた自身よりも分かっている方がいるはずだ。あなたのその闇のためにこそ、自らのいのちをも捨てた、あなたの真の友。あなたのすべてを愛して、あなたに必要な恵みを注いで、究極の友となってくださったイエスさまがいる。)
イエスさまを信じる大勢の兄弟姉妹が、友が、どれほど彼のために、そう祈ったことでしょう。今は亡き、彼の母親もその一人でした。当時重病を患っていた母親は、休学した息子のために祈り、手紙を書き続けました。
旅人に必要なのは、どんなときにも「共に苦難と痛みを分かち合ってくれる」友です。今や天にあってイエスさまと共に働いている彼の母親を初め、教会の大勢の友が、イエスさまの手となり足となって彼をもてなし、その苦しみ、悲しみを共に担ってくれました。光は闇に打ち勝ちます。彼は、そんな友によって再び心ほどけ、摂理としか言いようのない様々な幸いにも恵まれて神学校に戻り、ついに准允式を受けました。
招聘された教会での就任式には、彼が洗礼を受けるきっかけともなった、あの食事会で奉仕していた女性たちの中の一人が遠方から参列しました。今は足の不自由な彼女が歩行器に支えられながら彼に歩み寄る姿を見て、彼の目から涙がこぼれました。これこそ神のみ業、いのちを捨てて友を愛してくださるイエスさまのみ業。彼は挨拶でこう言いました。
「こんなにふさわしくない自分がこうして神に選ばれ、神に救われました。皆さんも安心してください。どんなに弱く、罪深くても、神はあなたに目を留め、必ず救われます。わたしがその証人です」
そして彼は挨拶の最後を、こんな聖書の言葉で締めくくりました。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。…わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」
■愛に押し出されて
わたしたちがふさわしいから友とされ、愛されるのではなく、イエスさまに選ばれ、イエスさまに捉えられて、友とされ、愛されるのです。
とすれば、わたしたちは、イエスさまの示される愛の戒めをもはや、一方的な恵みに留めておくことはできません。先ほど申し上げたように、友とは相互的なかかわりを表わすものです。イエスさまの友として選ばれ、捉えられたわたしたちは、ただ愛されるだけではなく、その愛に押し出されるようにして、イエスさまを愛し、イエスさまのみ言葉に応え、イエスさまに倣う者となりたい、と願わずにはおれなくなります。イエスさまは、「互いに愛し合いなさい」という命令について、こう教えておられるに違いありません。
「あなたとわたしは友になる。わたしが上座にいてあなたは下座にいるのではない。あなたはわたしの愛の対象で、わたしはあなたの崇敬の対象なのでもない。わたしたちは共に愛の苦難と痛みを受け、担い合うものなのだ。だから、あなたたちも、そうしなさい」
わたしたちも、神に捉えられ、イエス・キリストが今もここにいてくださっているという信仰をもって、互いに愛し合う友として、大切な何かを削り、共に苦難と痛みとを分かち合いつつ、この世の様々な試練に立ち向かっていきたい、そう祈り願う次第です。