■見えないけどあるもの
夜空の星はいいものです。街中ではなかなか見えにくいので、時に九重連峰まで車を走らせ、夜、空を見上げます。ああ、夜空に輝く星は美しい、思わずつぶやきます。夏が近づくと、ちょうど真上あたり、天の河が流れるその中に、三角形が見えます。ベガ、デネブ、アルタイルの雄大な「夏の三角形」です。そして日暮れの早くなる十二月には、東の空に大きなオリオン座が現れます。オリオン座のベテルギウスとおおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンを結ぶと、そこにも大きな「冬の大三角」ができます。
星の何に惹かれるのでしょうか。
星は孤独…そんな感じがするからかも知れません。星の孤独に比べれば、自分の孤独も小さく思えます。星はまた尊くて、近寄りがたくて、でもそのくせ近づきたいという気にもさせます。そう、星のよさは距離の遠さなのかもしれません。あれだけ離れていると、日常の雑事も吹っ飛んで、ただ遠く見つめるだけでいい、そう思えてきます。それが星のよさです。
もう一つあります。不変です。星は簡単には変わりません。わたしが子どものころ田舎の空で見た北斗七星も、この小倉で今、見る北斗七星も同じです。星の数も、ひしゃくの形も、柄の所も同じです。カシオペアも変わりません。変わらずにはおれない人の世と違って、変わることのない星の群れ、それが星の魅力です。いつ、どこにあっても、わたしたちを照らし導いてくれる。そんな不変にあこがれます。
そして最後にもう一つ。星は、夜は見えるのに、昼は見えません。あるのに見えない。見えないけどある。あるのに見えなかったり、見えないのにあるのは、自分の背中だけではありません。星もです。では逆に、と考えてみました。ないのに見える、見えるのにないものって何でしょう。夢や幻かもしれません。でも、わたしたちは星を知っています。そして、星と同じように見えないけれどもあるもの、あるけど見えないものを知っています。それは希望です。わたしたちは目に見えるものしか見ようとしない世界を生きています。しかし星は、あるのに見えないものを、見えないけどあるものを、希望として抱いて生きることの大切さを教えてくれているように思えます。
そう、星はまるで神様、イエスさまのようです。
■暗闇に輝く希望の光
そして今年最後の主日に与えられたみ言葉も、闇夜に輝く星のようなきらめきを見せてくれます。14節、
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」
「言」(ロゴス)とは、もちろん御子イエス・キリストのことですが、この福音書を書いたヨハネは冒頭1節から13節で、その「言」なる御子イエス・キリストこそ、天地創造の源であり、「いのち」そのものであり、「すべての人を照らすまことの光」である、と語ります。普通の、ただ周りを明るくするだけの光が最初に造られたというのではなく、わたしたち人間とこの世界を導く、「まことの光」として御子イエス・キリストがやって来られた。このお方こそ、この「光」こそ、世の「初め」、世の根源に立たれるお方、この世界と人間に欠くことのできないお方なのだ、そう語るのです。
そして15節、「光は暗闇の中に輝いている。暗闇は光を理解しなかった」と続けます。口語訳聖書は、この言葉を「やみはこれ(光)に勝たなかった」と訳していました。「光は暗闇の中に輝いている」。「光」である御子イエス・キリストは、この世にあって輝き続けている。「闇」を圧倒し、輝き続けている。
ヨハネは、「言」であり「いのち」であり「光」である御子イエス・キリストこそ、人間と世界の永遠の根源であり、何よりも暗闇の中に輝く希望であると告白するのです。
■「私たちを超えて私たちの頭上に」
そして先ほど賛美した243番の歌詞もまた、夜や闇を照らす「まことの光」に心からの賛美を献げています。最初の部分を改めて読んでみましょう。
「闇は深まり、夜明けは近し。あけの明星 輝くを見よ。
夜ごとに嘆き、悲しむ者に、よろこびを告ぐる 朝は近し」
「闇のようなこの世界」に「明るく輝く神の希望の光」である、御子イエス・キリストがやって来られたと歌うこの曲にも、繰り返し「闇」という言葉が出てきます。そこに「夜明け」「明星」「朝」という言葉が続きますが、全体としては、夜明けに至りかねている、暗い夜の情景が続いている、そんな印象がぬぐえない歌です。
作詞をしたのは、ヨッヘン・クレッパーというドイツ人です。彼の妻はユダヤ人でした。二人は1931年に結婚をしますが、妻にはすでにふたりの娘がいました。クレッパーはその子どもたちも引き取って、温かな家庭を築きたいと願いました。しかし、牧師をしていたクレッパーの父親はこの結婚に反対。親子関係は最後まで回復することがなかったと言います。
クレッパーが亡くなる前の10年間に書いた、『みつばさの陰に』と題される日記のすべてのページに、聖書の言葉―「神」や「信仰」といった言葉とともに、自分の仕事のこと、家族のことが記されています。そして最後の時が近づけば近づくほど、ナチス・ドイツによるユダヤ人への迫害が強くなってくる様子、そして妻や子どもたちに危険が迫ってくる雰囲気が書き綴られています。家族がユダヤ人であるがゆえに、様々な非難や中傷、仕事や住まいに関わる深刻な問題が起こってきます。とりわけ1938年以降は、妻や子どものいのちに関わる危険や不安が急速に高まっていきます。
クレッパーは1939年5月、上の娘をイギリスに亡命させます。その同じ年の9月、ついにドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まります。ユダヤ人を取り巻く情況は益々悪化していきます。日記にも、知り合いのユダヤ人が強制収容所に送られたといった記述が増えてきます。彼は下の娘も亡命させたいと願いますが、うまくいきません。1941年12月16日、クリスマスの10日ほど前の日記に、クレッパーはこう書いています。
「星は今なお私たちの心を照らすことができようか。私たちの星は沈む、しかし、明星が私たちの破滅を越えた彼方に現われることを私たちは知っているではないか。しかも没しながらもなお私たちは、他人や自分の罪のゆえに私たちの心を照らすことのないあの明星より他に、眼を留めることはできないのだ」
この日記の「明星」こそ、先ほどの讃美歌に出てきた「明星」そのものです。クレッパーは、神の救い主、御子イエス・キリストの誕生を、この言葉に託していたのでしょう。しかしまたクレッパーはここに、「私たちの星」は「沈む」という悲痛な言葉も書き記しています。この日の日記には、娘の亡命先として期待したスウェーデンからの亡命拒絶が伝えられた、とも記されています。
この前後の時期から、クレッパーの日記には「自殺」を仄めかす言葉が増えてきます。彼にとって、妻や子どもと別れることは想像もできないことであり、それよりは死を選ぶというのが、彼の、そして家族の思いでした。
1942年1月11日の日記です。
「私たちはまた自殺についても冷静に語り、次の一点で一致した。自殺は信頼を投げ捨てること、神への反抗である点で重大であり、自分の生の将来にもはや神を受け入れないがゆえに、殺人よりも重大である」
しかしまた、その後に次のようにも記しています。
「だが自殺は他の一切の罪と異なった罪ではない。自殺も私たちを神から引き離すことはできない」
自殺がよいというのではありません。しかし、この信仰において自殺を罪に定めてはならないでしょう。クレッパーと家族の気持ちが激しく揺れ動く有様が映し出されています。その日、娘が強制収容所へ送られる可能性があったことが、この文章の前に記されています。
クレッパーは妻と娘を助けるために様々な努力を重ね、ナチスの高官とも交渉しますが、ついに万策尽き果てたクレッパーは、1942年12月10日、妻と娘と共に三人で自らのいのちを絶ったのでした。
「私たちは今晩、一緒に死に赴く。最後の数時間私たちのために闘っておられる祝福のキリストが、私たちを超えて私たちの頭上に立っておられる。この瞬間、私たちの生は終わる」
クレッパーの日記は、ここで終わっています。
■闇の中にも光が
わたしたちはただ闇に飲み込まれる他ないなのか。そんな疑いと不安に捉われます。しかしそんなわたしたちに、ヨハネは希望のみ言葉を語ります。それがさきほどの言葉です。
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」
光なる救い主は、闇に飲み込まれたわたしたちの間に宿られた、と。
鳥取に住む、一人の医師のお話です。
彼は、瀬戸内海のハンセン病療養所、邑久光明園に入園していた一人の女性が書いた随筆を読んで、深い感銘を受けたと言います。
その女性が失明して間もない、深い絶望の中にいたときのこと、生まれてすぐハンセン病のために光を失ったという少年に、道でばったり出会います。
「あなたは、だったら色はなーんも知らんの?」
彼女が尋ねると、少年は
「いや、目が見えないと真っ黒だって言うから、いつも見てる色が黒だろう。だからぼく、黒一色知っとる」
そう答えて笑います。彼女は驚きます。少年にとっては、空も雲も鳥も花も人も星も、黒。黒一色で、しかし少年は笑っていました。彼女は自分の思い出の中には何と多くの色があることかと改めて思い、失意からの脱出のきっかけとなったというのです。
医師であった彼は、盲学校で開かれた講演会でその話をしました。しばらくたって、彼は盲学校の、全盲の教師から手紙をもらいました。手紙には、またまた知らないことが書かれてありました。
ひとつは、光が見られなくなった者は、晴眼者―目の見える人―が目をつぶった時のような真っ暗な状態ではなく、自分の心のイメージで目の前が明るくもなり暗くもなる、ということでした。もうひとつは、夢の中でははっきりと色も形も見える人もあり、また一方、見る夢から感じる夢に変わる人もあるというのです。全盲の教師自身、「真の光を見ることができないゆえに真の暗さも感じていない。どちらかと言えば私の日常は、薄日が差したような、ほのかな明るさの中で生活が営まれているように思う」と記してありました。
深い闇の中にも、光がある、光が差し込んでくるのだ、ということです。
この医師は、その随筆や手紙から、光を失った人たちが辿り着く、様々な高みを教えられた、と書いています。
■希望を抱いて
希望を失うほどの暗闇は、決してありません。
全くの闇に包まれた、一つとして光のない漆黒の暗闇の中にあるとき、「まことの光」である御子イエス・キリストは、それがどれほどはるか遠くに、かすかにぼんやりとしか見ることのできないような灯りに思えても、星のように目には見えなくても、確かにあって、眩いほどの輝きをもってわたしたちを照らし出す、栄光と恵みに満ちたお方である。そのようなお方として、闇に包まれているわたしたちの間に立って、共に生きてくださっているのだ、ヨハネはそう教えてくれています。これは、力に満ちた言葉であり、わたしたちに希望と勇気を与え、支えと励まし、そしてまた慰めを与えてくれる言葉です。
御子イエス・キリストは、天空に輝く星のように、そのご生涯、み言葉とみ業によって、わたしたちに神様の希望と愛を示してくださいました。そう、「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたので」す。
わたしたちにできることは、いつまでも続くように思われる「闇」の深まりの中にあって、それでもこの世界の「夜明け」は近いことを歌い、「明星」の輝きを信じつつ、わずかなりとも、この世界に「光」を証しする道を歩むことです。自分だけの光を求めて、暗い闇に飲み込まれるのではなく、闇にこの身を沈めつつも、いつも、どこにあっても輝く光だけを望みとして歩むことです。
今年を終え、新しい年を迎えようとしている今、ヨハネの言葉を心深くに刻んで、固く希望を抱きつつ、御子キリストの示された道を、神に召され、捉えられ、愛されているわたしたちもまた共に手を携えて歩み続けたい、そう願う次第です。感謝して祈ります。