■ゲネサレト湖
「群衆」と記される無数の人々がイエスさまから「神の言葉」を聞こうと、押し寄せるように集まっていました。しかし、そこにシモン・ペトロの姿はありません。ペトロは、ただ黙々と網を洗っているだけでした。
「漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた」
この言葉に当時のガリラヤの漁師たちの悲しい歴史が滲みます。
ガリラヤの湖はその水産資源の豊かさからローマ帝国や領主に目を付けられ、そこで漁をする者たちも彼ら支配者たちの管理下に置かれ、漁獲量の40パーセント近くを税として納めることで漁業権を得ていました。特に塩漬けにされたガリラヤ産の魚はローマでの評判も高く、貢ぎ物として大量に納められるため、漁師たちの口に入ることはほとんどありません。漁師たちはまさに帝国や大土地所有者の収奪の対象でした。
そもそも、ガリラヤ湖という名は正式な名称ではありません。旧約聖書には、キンネレト湖と記されています。ヘブライ語で「竪琴の海」という意味です。琴を奏でるような漣(さざなみ)、その穏やかな湖が人々にそう呼ばせたのでしょう。ところが、このキンネレトがヨハネ福音書では「ティベリアス湖」と呼ばれています。この名は、ガリラヤ領主の座に着いていたヘロデ・アンティパスがローマ皇帝ティベリアスに諂(へつら)って、湖畔にティベリアスという街を造ったことに由来します。ティベリアスの街を中心に、その湖畔に多くの人が移住させられ、貢ぎ物の生産に酷使されました。最初の弟子であるシモンも、その兄弟アンデレも、そのいずれもがユダヤ系の名前ではなく、ギリシア系の名前です。彼らも、貢ぎ物の生産のために移住させられた人だったのかも知れません。
そして今日のルカ福音書は、この湖を「ゲネサレト湖」と呼んでいます。ゲネサレトはキンネレトが訛(なま)った言葉だと言われます。しかしそこにもはや、「竪琴の海」といった意味はありません。琴の海という穏やかな名の湖が、ローマ皇帝の名前をとってティベリアス湖と名付けられる。キンネレトという美しい名前の響きも、由来も失われ、ただゲネサレトと呼ばれる。湖の名前の変遷からも、この湖が背負ってきた悲しい歴史が伺われます。そして、そこで漁師を生業とする人々が背負っていた屈辱の歴史も見えてくるようです。
イエスさまは、なぜ、このガリラヤ湖の湖畔を拠点に宣教活動を始められたのでしょうか。もしかすると、植民都市ティベリアスの建設にあたって、大工であったイエスさまも駆り出されていたのかも知れません。ティベリアスの建設は紀元18年頃のこと、イエスさまが20代の時です。若い大工のイエスさまがその建設に参加させられた可能性は充分にあり得ることです。やがて30歳になって福音宣教を始められたイエスさまは、自分が建設に加わった街にたくさんの人々が移住させられ、ローマに貢ぐ魚が水揚げされ、塩漬けが作られていく様を、またそこで働かされる漁師たちの疲れ切ったその姿をご覧になっていたことでしょう。
■空しく網を洗う
「わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」
夜通し働いて魚一匹捕れず、陸に上がり、ただ黙々と網を洗うペトロたち。切ない光景です。徒労感が漂い、高揚感や充足感など微塵もありません。
そんな時に、神の言葉を聴こうなどということは思いもよらないことです。神の言葉を聴くのは心に余裕のあるときのこと。必死になって、この世の生業(なりわい)に生きている人間に、神の言葉を聞きに行く暇などあるものか。信心も悪くはないが、世知辛(せちがら)い、忙(せわ)しない生業を生きる者にとって、それは二の次のこと。妻の母を癒してくださった、力ある方には違いない。しかしそれも、この空しさ、この疲れの中にうずくまるほかない自分にとっては、何の益にもならない、ペトロはそう思っていたのではないでしょうか。
すぐ傍(そば)近くにいながら、神の言葉に背を向け、耳を傾けようともせず、肩を落として、ただ網を洗っているその姿をご覧になって、いえ、そうであればこそ、イエスさまは彼を招かれました。
シモンが不信仰であったというのではありません。わたしたちも同じではないでしょうか。祝福された幸せなクリスチャンが、教会の活動に参加し、何もかもうまくいき、友人たちも幸せで、信仰の喜びに満ち溢れている。そこに、思いもよらぬ悲劇が襲い掛かってくることがあります。突然のこともあれば、徐々にという時もあります。いずれにせよ、すべてが変化します。心も家庭も冷ややかになり、神が遠く離れてしまったかのようです。罪の思いに囚われます。誘惑に苛まれます。教会が重荷になり始めます。思い煩いが増し加わります。こうして、中途半端な信仰心は木端みじんに砕かれてしまいます。空しさや思い煩いから逃れようとすべてを投げ出すか、あるいは目の前のことや仕事に熱中することで、信仰生活はさらにおざなりなものとなっていきます。
このとき、一生に何度かはこんな不漁のときもあると、大漁の喜びを思い起こしつつ空しさを打ち消し、やり過ごそうとするのも、ひとつの道であったかもしれません。しかし、そのように自分で自分の空しさに折り合いをつけるよりも何よりも、その空しく網を洗っているペトロのところに、イエスさまがやって来られたのです。そこに入り込んで来られ、招いてくださるのです。
■信仰と不信の間
「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた」
馬鹿げたアドバイスでした。ペトロにはいくらでも断る理由がありました。夜通し頑張ったのです。今はもう昼です。漁の時間はとうに過ぎています。疲れ果ててもいます。沖へと漕ぎだす力もありません。わたしにそんな力は残っていません。できません。不可能です。やんわりと、またの時にいたしましょう、と断ってもよかったのです。しかし、ペトロは漕ぎ出します。
ペトロはイエスさまの言葉に従いました。その理由は、ただひとつ。
「お言葉ですから」
この「お言葉ですから」という言葉を原文で読めば、あなたの言葉だけをたよりに、あなたの言葉に賭けて、となります。あなたが語られた言葉に、わたしは従います、賭けます。イエスさまの言葉だけをたよりに、ペトロは踏み込んでゆき、あえて漁をします。
言葉だけを頼りに、深い湖の中へと踏み込んでゆく。これは、それまでのペトロの知らなかった歩み、新しい歩みでした。自分の力、自分の経験、自分の知恵を頼りとし、過信するのではなく、ただ素直に「あなたの言葉」に賭ける、信仰の歩みの始まりでした。
それでも、そこになお疑いがありました。
「先生、わたしたちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」
前に置かれたこの言葉に、ペトロの戸惑いと不信が滲みます。イエスさまの言葉に身をゆだねようとしています。それでも、「何も獲れはしないだろう」「何も実現しないだろう」「何もできはしないだろう」という人間的な思いに、ペトロは囚われています。信仰と不信の間、戸惑いと不安の中に揺れ動いています。
■恐ろしかった
そんなペトロの思いを、疑いを、戸惑いを、イエスさまは打ち砕かれました。
「そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』と言った」
打ち砕かれたのは、警告や裁きの言葉によってでも、厳しい叱責や励ましによってでもありません。舟から溢れ、網を破るほどの魚という、驚くほどの恵みによってでした。
幸運に恵まれるとわたしたちは、この幸運が、この恵みがわたしから離れませんように、いつまでも恵みがありますようにと祈り願うことでしょう。そうすると、いつしか信仰は、神に向けられず、ただ自分にもたらされる恵みばかりを求めるものになっていきます。そして、思わぬ失敗や不幸に襲われ、病や体の衰えを感じるようになると、神ではなく恵みだけを求める信仰は、いとも簡単にくずおれてしまいます。
しかしペトロは、今、溢れるほどの恵みの中で、イエスさまの圧倒的な力を目の当たりにし、喜びよりも、むしろ恐れを抱きます。「罪」と訳されるギリシア語の「ハマルテイア」という言葉は、「離れる」という語源を持つ言葉です。本来あるべきものから離れる、神の御心によって造られた本来の在り様から離れる、神から離れるということです。このわたしが神から離れていた。しかし、そのことに気付いていなかった、知らなかった。それが罪でした。ところが、そんな罪深いわたしの前に神がおられる。とんでもないことです。どうぞ、わたしから離れてください。彼は、恐ろしかったのです。
しかしここで、さらに恵みの言葉が続きます。イエスさまはペトロに言われます。
「恐れることはない」
弟子たちはこの後、何度も何度も恐れることになります。しかし、彼らの恐れは恐れのままでは終わらず、生きる姿勢を転換させる絶好の機会となりました。イエスさまが荒れ狂う波風を鎮められたとき、また夜の湖上を歩いて近づいて来られたとき、そして何よりも、墓に葬られたイエスさまがよみがえらされたとき、それを目の当たりにした弟子たちは恐れました。しかしその恐れは、イエスさまを通して働く神の力を、恵みを味わう機会となりました。イエスさまが「恐れるな」と呼びかけられるのは、恐れの中に立ち竦(すく)まずに、神の力に目を向け、神が差し出す救いを受け入れるように、と招くためでした。
恐れは、救いへと向かう第一歩となります。この一歩を踏み出す力は、人間的な力ではなく、人間的な可能性がすべて尽きるところで、ただイエスさまの言葉に耳を傾けるときにのみ、与えられるものでした。
■捨てる
思いがけない困難や失敗に喘(あえ)ぎ苦しむとき、わたしたちは人間的な限界を思い知らされ、打ち砕かれます。しかし、その打ち砕かれたわたしたちに、恵みが、網からあふれ出すほどの恵みが注がれ、わたしたちはそこで初めて、自らの罪―神の愛を見失っていた自分の頑なさに気づかされます。
恵みが、わたしたちを悔い改めへと導くのです。その悔い改めは、悔い改めました、だから傍にいてくださいというものではなく、あなたが必要です、でも離れてください、という罪の告白でした。そのような打ち砕かれた心に、イエスさまは、「恐れるな」「わたしの後についてきなさい」という招きの言葉を語り続けてくださっているのです。
その意味で、最後の「すべてを捨てて」―「捨てる」ということは、確かに大きな決断であったはずですがしかし、ペトロにとってそれは、自己放棄とか、自己犠牲とか、わたしたちがよく言うような仰々しいことではなく、もっと当然なこと、自然なこととして、そうしたのではないでしょうか。その時、ペトロの心を占めていたのは、「捨てる」という意識ではなく、むしろ「人生は主のもの」という「納得」だったに違いありません。
思えば、「人間をとる漁師」という言葉もまた、ルカは「人間を生け捕りする者」という意味の言葉で表現しています。「生け捕る」ゾーグレオーというギリシアは、「生かす、よみがえらせる」という意味で用いられる言葉です。すべては主である神、神の御子イエス・キリストのもの、このいのちも、人生も、主のものです。その主が、今、新しく生かしてくださる、よみがえらせて、新しいいのちに生きる者とする、と約束をしてくださっているのです。
「捨てる」ことは、人生は自分のものではないということを納得した人の、自然な、自由な姿です。その納得が余すところなく現れた姿です。他の人の目にどう見えようと、またどう説明されようと、「捨てる」とはそういうことです。それは傍(はた)から、献身とか、服従とか、犠牲とか、断念とか、いろいろ説明されるのが迷惑なくらいのこと。それが「捨てる」ということです。
わたしたちも、この世の思い煩いを、自分が自分がという我執を捨てて、このときペトロたちに示された主の招きを喜んで、受け取り続けることのできるよう祈りたいと思います。