福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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9月1日 ≪聖霊降臨節第16主日礼拝≫『食卓のマナー』 コリントの信徒への手紙一 11章 17~22節 沖村 裕史 牧師

9月1日 ≪聖霊降臨節第16主日礼拝≫『食卓のマナー』 コリントの信徒への手紙一 11章 17~22節 沖村 裕史 牧師

 

■主の晩餐

 17節以下のテーマは「主の晩餐」です。十字架の前夜、「最後の晩餐」の席で、イエス・キリストが特別な意味を込めて弟子たちに与えられたパンと杯に、イエスさまを裏切ることになるユダもペトロも、そこにいたすべての弟子たちが共にあずかったことを、繰り返し記念しなさい、想い起しなさいとイエスさまがお命じになった。それが「主の晩餐」であり、また、今日の「聖餐式」の起源でもあります。

 とはいえ、パウロがここで語っている「主の晩餐」と、わたしたちが今日も守っている聖餐式とが全く同じというのではありません。なぜなら、34節までの主の晩餐についての言葉は、確かに教会で行われる聖餐式と密接に関わってはいますが、聖餐式はもっと広い範囲の聖書の言葉と長い教会の歴史の中にその根拠と豊かな意味を持つ、また確固としたスタイルを持った、サクラメント「典礼」だからです。皆さんが他の教会で聖餐式にあずかっても、さほど戸惑うことがないのも、それだけ聖餐式が典礼として、普遍的に確立しされているからです。

 しかし、パウロの時代はキリスト教の黎明期(れいめいき)です。聖餐式についても、これといった定まったスタイルはありませんでした。新約聖書さえまだない時代ですから、式文など聖餐式で語る言葉も決まっていませんでした。当然、信仰に入って日の浅い信徒の中には、「主の晩餐」というのは何のためにするものなのか、よく分かっていなかった人もいたことでしょう。「主の晩餐」を単なる食事会のように考えていた人もいたでしょう。そのために、大きな混乱が生じてしまったのでしょう。

 だからといって、パウロがここで語っていることに意味がないというのではありません。むしろ、パウロの語る言葉は今日も、わたしたちに実に多くのことを教えてくれています。パウロが、主の晩餐でのイエス・キリストの言葉を、どのような状況の中で語り、何をコリントの信徒たちに伝え、教えようとしていたのか。今日はそのことを、17節から22節までの言葉を通してご一緒に学んでまいりたいと思います。

 

■仲間割れ

 それにしても、いろいろな問題や課題を抱えるコリントの信徒たちでした。

 パウロは11章の冒頭2節で、「あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います」と、彼らがパウロの伝え、教えたことを大切に守っていることを誉(ほ)め、評価しています。しかしそこには、社交辞令的な意味合いと共に、皮肉が込められていました。パウロは彼らを手放しに誉(ほ)めていたわけではありません。そして今日の冒頭17節でもパウロは厳しい調子で、「[しかし]次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません」とはっきりと語り始めます。「指示する」と訳される言葉はとても強い口調の言葉で、「命じる」と訳してもよい言葉です。パウロがこれほどの強い口調で指摘する問題とは、何だったのでしょうか。

 それは、主の晩餐のときに見られた、コリントの人々の「仲間割れ」「分裂」です。17節から18節、

 「あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています」

 「あなたがたの集まり」「教会で集まる」で使われているギリシア語は、今日のわずか6節の段落の中で三度も使われる、大切な言葉です。この言葉のもともとの意味は、「共に集う」または「一つにされる」でした。そして実に「教会」という言葉のギリシア語「エクレシア」もまた、「呼び集められた者たち」という意味でした。

 当時の「教会」には、それ専用の建物もなければ確固とした組織もありません。教会員の中の有力者の家で行われる、「家の教会」と呼ばれる小さな集り、集会に過ぎませんでした。そこにはまだ「聖餐式」と呼べるものもありません。その小さな集まりで、信仰による一致を象徴するしるしとして大切に守られていたのが、「主の晩餐」と呼ばれる「共同の食事」でした。

 ところが、コリントの人々がその教会に「集う」とき、皮肉にも「共に集う」ことも「一つにされる」こともありませんでした。

 

■避けられない

 教会に「仲間割れ」があったからです。このことは、これまでにも繰り返し指摘されていたことです。「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」といった、党派争いがありました。仲間割れ、対立のある人々が共に集まるとき、そこにはかえって言い争いが起り、その亀裂はさらに深まっていきます。そうして、共に集まることが良い結果ではなく、悪い結果を生んでしまうことになります。パウロは「まず第一に」、そのことを指摘します。

 しかし、18節後半から19節にこう続けられます。

 「わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません」

 「適格者」というのは、あまりよい訳ではないかも知れません。「試されて、本物であることが証明された者」という意味の言葉です。どの教えが本当に神のみ心を正しく伝えているのか、イエス・キリストによる救いの福音を正しく伝える教えはどれか、ということが明らかになるためには、いろいろな意見の相違、対立も「避けられないかもしれない」と言うのです。いえ、ここの原文はずっと強い言葉で、「争いもなければならない」という言い方です。口語訳聖書では、「たしかに、あなたがたの中でほんとうの者が明らかにされるためには、分派もなければなるまい」と訳されていました。こちらの方が原文に近い訳です。パウロは、教会の中で意見の対立があること自体は必ずしも悪いことではない、と言います。

 今ここでは、意見の対立や仲間割れそのものが問題ではなく、教会の集まりを悪い結果を生むものにしてしまっていることが問題とされています。その仲間割れのために、20節、

 「それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならない」

 そのことが問題だ、とパウロは言います。彼は第一に、コリント教会における党派争いのことを挙げました。しかしそれについては、意見の対立によってかえって真理が明らかになるということもあるのだから、絶対に悪いとは言わない。そういう対立があっても、共に集まって「主の晩餐」を食べることはできる、と一歩譲っています。それなのに、そうできなくなるような仲間割れが、今、あなたたちの間に起っている。その仲間割れこそが、教会の集まりに良い結果でなく、悪い結果を招くものとなっている。パウロは、畳みかけるように問題の核心に迫ります。

 

■貧しい者と富める者

 では、コリント教会の「共同の食事」がいったいどんなことになっていたというのか。その具体的な状況が21節から22節に語られます。

 「なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです。あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか」

 コリントの教会では、「共同」であるはずの「食事」が混乱に陥り、キリストの「一つのからだ」である教会の交わりが壊されていました。

 教会の礼拝が始まる日曜日の夕方、その日もようやく一日の重労働、厳しい仕事を終えて、やむを得ず集会に遅れて来る奴隷や貧しい人々がいました。ところが、彼らが到着する頃には、もう食べるものもありません。奴隷や貧しい人々は飢えたまま、辱しめられ、恥をかかされることになります。そんな飢えた人々を横目に、地位や富を持つ、時間に余裕のある人々が早くから集まって、各自が勝手に飲み食いし、中には酔い潰れている者さえいるといったあり様だったからです。

 彼らは、なぜ、明らかさまに貧しい人々を冷遇することができたのかでしょうか。豊かな彼らだけでなく、貧しい人たちもまた、何も言わずその状況を受け入れていたのは、なぜだったのでしょうか。

 それは、当時のギリシア・ローマ世界では、そのような振る舞いがごく当たり前の風景だったからです。浅野淳博の『新約聖書の時代』にこう書かれています。
 
 「この問題の根っこには、強い階級意識があった。…ローマの植民市のコリントでは、ローマ支配を円滑にするために地元の有力者が統治者として立てられた。彼らは数百名からなる地方貴族の階級を構成して、評議会を運営していた。彼らがコリント社会の最上位におり、その下に小規模土地所有者、手工業者、商人、日雇い労働者、奴隷等からなる大衆が、さらにその下に孤児、寡婦、病人等の貧困層が存在していた。その人口分布は、裾野が大きく広がったピラミッドの形状を想像すればよいだろう」と。
 
 そしてそこには、貧しい人々に対する偏見があったと言います。同じような偏見が今も、アメリカや日本でまことしやかに囁かれます。貧しさゆえに、彼らは盗むことも嘘をつくことも平気でするる。ドラッグやアルコールに依存し、その多くはホームレスで、まともに働こうとしない生活保護受給者だ。貧困者は、倫理的にも福祉財政的にも問題が多い、と。これが偏見に満ちた侮蔑的なレッテルであることはいうまでもありません。

 先ほども触れたように、教会の集まりは個人の家で行われていました。ローマ時代の典型的な個人の家にある食堂には、食卓に着いて横たわることのできるスペースは、せいぜい9人分ほどしかありません。このため、他の客は中庭に座るか、立つほかありません。その中庭には、30人から40人のスペースがあったようです。こうした集会を準備し、主催できるのは、もちろん裕福で余裕のある人です。このため、主催をした人の友人である、社会的に高い地位にある人々だけが食堂に招かれ、それ以外の地位の低い信徒たち―奴隷や貧しい人々は、外の広い中庭で食事をしていました。こうした状況の中で、食堂の中にいる高い地位の客たちにだけ、良い食事とワインが出されました。飛行機のファーストクラスのサービスと同じです。裕福な人々は、自分たちのことを教会のパトロン、有力者であると考え、そこで出す食事について、その地位によって祭が生まれること、差別することも当然だ、そう考えたのです。結果、「食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいる」とあるように、裕福な人が食べている間、「貧しい人々」には、何の食事も出されず、食事が取り分けられることもありませんでした。

 

■主に倣って

 パウロは、そのようなことでは「主の晩餐」を食べたことにはならない、と厳しく叱責します。パウロの言う「仲間割れ」とは、意見の相違による対立ではなく、豊かな者と貧しい者の格差の問題でした。豊かな者が、自分たちの喜びと満足のことしか考えず、貧しい者のことを少しも顧みない。それで、共に「主の晩餐」にあずかっていると言えるのか。それは、イエス・キリストがみ言葉とみ業によってわたしたちに教え示してくださった―そう、青草の上に五千人もの人々を座らせ、手元にあった食べ物のすべて、五つのパンと二匹の魚を人々に差し出し、分かち合い、その飢えと渇きを癒された―あの「神の国」の出来事にふさわしい姿、あり様なのか、そうではない、とパウロは言います。

 22節の「貧しい人々に恥をかかせようというのですか」とは、そのことです。共に神の招きを受けて集まっているはずの教会で、貧しい者が蔑(ないがし)ろにされ、片隅に追いやられてしまうということがあってはならない。それは「神の教会を見くびる」ことです。神は、そして御子イエス・キリストは、そのような人々をも、いえ、そのような人々をこそ、ご自分の民として招き、愛し、養ってくださるのです。貧しく、虐げられて苦しんでいる人々を蔑ろにすることは、神の国の福音に、十字架に至るまで神のみ心に従って歩まれた御子キリストの愛に逆らい、背くことです。教会の集まりが、そのように神のみ心、御子キリストの愛よりも自分の喜びや満足のためになされるならば、それは何の益をも生まない、むしろ悪い結果を招くものにしかならないのです。

 パウロは、そんなコリントの教会の集まりの姿、礼拝の様子を耳にして、「あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのか」と言います。教会に集まってそこで空腹を満たす食事をするのではなく、豊かな人々は各自で食事を済ませてから集まり、教会では「主の晩餐」にふさわしい食事の席とする、「主の晩餐」にふさわしく食事のマナーを守るように、そう教えるのです。

 主の晩餐に与るすべての人たちは、互いに兄弟姉妹です。自分の家族がお腹を空かせているのに、全くお構いなしに自分だけガツガツと食べるような人がいるでしょうか。一部の豊かな人たちが、他の兄弟姉妹のことを考えずに、自分たちだけご馳走を食べるということは、クリスチャンはみな、本当の家族、兄弟姉妹であるという大切な信仰の土台を、その行動によって足蹴(あしげ)にするようなものでした。

 今も、わたしたちの周りには、総労働人口の実に4割近い、非正規労働者、派遣労働者、あるいは技能実習生として、極端に低い賃金に困窮している多くの人々がいます。イエス・キリストが喜んで与えてくださったように、わたしたちもこの世の富であれ、賜物であれ、時間であれ、たった一杯の水であれ、何であれ、互いに与え、分かち合うべきです。そのことを無視して「主の晩餐」に与ることは、祝福どころか裁きを招きかねない、とパウロは教えています。

 聖餐はユーカリストと呼ばれますが、これは「感謝」という意味です。主の愛の歩み、その結果としての尊い死に感謝し、その意味を覚えつつ、わたしたちも「主の晩餐」としての「聖餐」を重んじてまいりたいものです。