お話し「ちっとも恐くなかった」(こども・おとな)
■弟子(でし)たちも生き返った
36節に「こういうことを話していると」ってあるよね。「こういうこと」っていうのはね、少し前に書いてあったこと、イエスさまがよみがえられたことです。
マグダラのマリアたち、女は絶望(ぜつぼう)と悲しみのままに、イエスさまが葬(ほうむ)られた墓(はか)へと出かけ、空(から)になった墓に現われた天使から「イエスは生きている」と告げられました。同じように失望(しつぼう)と落胆(らくたん)の中をエマオへと向かっていた二人の男は、見知らぬ人から聖書の話を聞きながら歩き、宿について夕食をする席でその人がパンを裂いた時、それがイエスさまであることに気がつきました。また、イエスさまが十字架につけられる前に三度も「イエスなんか知らない」と答えた十二弟子の一人、シモン・ペトロにもイエスさまが現れてくださったって書かれています。そのことです。
弟子たちの誰もが、よみがえりのイエスさまと出会ったのです。イエスさまが十字架に架かって死んでしまったと絶望し、深い悲しみの中にあった弟子たちは、イエスさまが死を超(こ)えて生きておられ、そして今もわたしたちのすぐ傍(そば)に、共にいてくださっていることに気づかされたのでした。そして、よみがえられたイエスさまが、元気で人生を精一杯(せいいっぱい)生きるように、と勇気づけてくれたことを大胆(だいたん)に告げ知らせたのでした。
イエスさまが本当によみがえられたのかどうか、今のわたしたちに確かめる術(すべ)はありません。でも何かが起こり、そのことで悲しみにくれていた弟子たちが再び力を取り戻したことは、紛(まぎ)れもない事実(じじつ)です。弟子たちは、もう泣くのをやめて立ち上がり、イエスさまが救い主(ぬし)であること、イエスさまが死に打ち勝ってよみがえられたことを、方々(ほうぼう)に出かけて人々に告げはじめました。
イエスさまのよみがえりによって、弟子たちもまた生き返ったのでした。
■少女は朝早く、お母さんの墓に行った
今日、みなさんに見てもらう映画は、そんなよみがえりの出来事を体験したボネットという女の子のお話しです。
舞台(ぶたい)は、この夏オリンピックがあったパリのあるフランス。四歳の少女ポネットは、お母さんが運転する車で事故(じこ)に巻き込まれました。幸いポネットは腕のけがで済(す)みましたが、お母さんは死んでしまいます。
お母さんが死んだことを教えられたポネットは、悲しさと寂しさから泣き出します。お父さんは仕事の都合(つごう)でしばらく留守(るす)にすることになり、ポネットはおばさんの家に預(あず)けられました。いとこのデルフィーヌやその弟マチアスはポネットを慰(なぐさ)め、一緒に遊ぼうと話しかけます。でも、ポネットはお母さんのことで頭がいっぱい。二人を追い払ってしまいます。
デルフィーヌとマチアスは呆(あき)れた様子でしたが、おばさんはポネットに優しく語りかけ、よみがえられたイエスさまの話を聞かせます。ポネットは、お母さんもきっとイエスさまのように戻(もど)って来てくれると信じ、ずっと待ち続けることにしました。その様子に心を痛(いた)めたおばさんは、お母さんはもう帰って来ないの、と涙を流します。それでもポネットは頑(かたく)なにお母さんが帰って来るのを待っていました。数日後、帰って来たお父さんは、お母さんを待つポネットに怒り出します。お父さんは「そのままだとずっと悲しいだけだ」と言いますが、ポネットの心はさらに傷つき、お母さんを求めるのでした。
ポネットはデルフィーヌたちと同じ寄宿学校(きしゅくがっこう)に入ることになります。デルフィーヌや同じ部屋の少女たちは恋(こい)の話に花を咲かせますが、ポネットは会話に入っていきません。彼女は舎監(しゃかん)のオレリーに、自分はママを悲しんであげなければならないのだ、と話します。
ポネットはオレリーに頼み、礼拝堂(れいはいどう)を見せてもらいます。オレリーは、ママは神さまと一緒に天国に住んでいると話し、お祈りは必ず聞こえている、と語りかけました。翌日の夜、ポネットは一人でこっそり礼拝堂に忍(しの)び込みます。そして、ママと話がしたいと涙を流して、神さまにお祈りします。交通事故で突然お母さんを亡くした四歳の彼女に、死の意味はまだよくわかりません。人形のヨヨットと一緒に、お母さんの帰りを待つことに決め、お母さんが帰ってくることだけをひたすら願って、暇(ひま)さえあれば神さまに小さな手をあわせてお祈りをしていました。
それでも、ポネットの願いは叶(かな)いません。ある夜、マチアスのベッドを訪(たず)ねたポネットは「もう死にたい」と口にします。天国のママに会いに行きたいから、自分も死ぬしかないのだ、と。マチアスは、ポネットは変わっているけれど良い子だと言って慰めました。
そんなある朝早く、まだ学校の仲間たちが寝静(ねしず)まっている暗いうちに、ポネットは寄宿学校を抜け出して、お母さんの墓まで駆(か)けて行きました。
墓に着いたポネットは、ママにもう一度会いたいと目に涙をいっぱいためて、小さな手でお母さんの墓を掘り始めました。すると、後ろから突然(とつぜん)、「ポネット」と彼女の名前を呼ぶ声がしました。それは忘れもしない、お母さんのやさしい声でした。ポネットは涙を振り払って、夢中(むちゅう)で「ママ!」と叫んで、抱きつこうとしました。するとお母さんはそれを押しとどめて、こう言いました。「抱きついてはだめ。もういいのって伝えるために、戻ってきたのよ、ポネット」。そして「笑わない子どもはいけないわ。何でも楽しんで、それから死ぬの」「パパと二人で仲良く暮らしなさい。でもママのことは忘れないで。さようなら。さあ、行きなさい。パパがもうすぐ迎えにくるわ」と言いました。
歩き出したポネットがもう一度ふりかえった時、そこにお母さんの姿はもうありませんでした。でも彼女は捜しにきたお父さんに笑顔でこう言いました。「ママとお話しできたの。昔のママの姿だったから、ちっともこわくなかった。皆と楽しむことを学びなさいって」。
■笑顔いっぱい
ここで映画を見ていただきましょう。場面は、ボネットが墓でお母さんと再会(さいかい)する最後のシーンです。
いかがでしたか。笑顔(えがお)いっぱいのポネットの姿が、さきほど読んでもらった聖書に描かれる弟子たちの姿と重なってくるようです。よみがえられたイエスさまから「平和があるように」と声をかけられて励まされ、一緒に焼き魚を食べて慰められた弟子たちもきっと、顔いっぱいの笑顔になっていたに違いありません。
悲しんで泣いてばかりだったボネットが、よみがえったお母さんに会うことができて、「楽しんで、今を生きなさい」って励まされました。わたしたちも、思わず「えっ、なぜ」ってつぶやくような辛(つら)い目にあうことがあっても、大丈夫。愛するイエスさまをよみがえらせてくださった神様が、いつも、どんなときにも、わたしたちを見守り、支えてくださっています。そのことを信じて、今日からも笑顔いっぱいに元気に一緒に暮らしていきましょうね。
メッセージ「あなたがたに平和があるように」(おとな)
■本当に生きている
『ポネット』は1996年のフランスの映画で、監督はジャック・ドワイヨン。主人公の少女ポネットを演じたのは、ヴィクトワール・ティヴィソル。彼女の愛らしさや悲しみの表情は、まるでポネット自身であるかのような名演技です。彼女はこの映画で、たった四歳にしてヴエネチア映画祭主演女優賞を受賞しましたが、これはいまだに破られたことのない最年少記録です。マイナーな映画で、はじめは小さな映画館でしか上映されませんでしたが、口コミで評判になり、記録的なロングランヒットとなりました。
この映画、日本では死んだお母さんとの再会を祈りつづけた幼い少女の「切ない物語」「魂を揺さぶる感動的な傑作」などと紹介されました。それはまあそうですが、それよりもこの映画が全体を通して、復活のイエスさまの物語をベースにした作品であることは見逃せません。
そんな映画の中で、印象に残ったこんなワンシーンがあります。ひとりぼっちになったポネットを見て、かわいそうに思ったおばさんが、ある日、こんな話をして彼女を元気づけようとします。
「皆で、イエスさまを葬ったお墓の上に、大きな石をのせたの」
「とじこめちゃうため?」
「いいえ、死んだ人が静かに眠れるようによ。でもある時、皆がお墓を訪ねてみたら、石が除けられていて、イエスさまがいなかったの。そしてその代わりに、輝くきれいな服を着た二人の人がいたのよ。誰だかわかる?」
「おうじさま?」
「いいえ、天使よ。天使は言ったわ、『イエスは生きておられます』って。それからお友だちの前にも現れたの。でも皆は幽霊だと思って怖がったわ」
「デルフィーヌが、しんだ人はたましいになるって」
「でもイエスさまは人間として再び現れたの。復活されたのよ」
「まえと同じすがたで?」
「ええ、そして今は天国に生きていらっしゃるの」
「ママは?ママも同じすがたでいるの?」
「ママも今は天国。でも誰でもいつか復活する。そうすればパパとママは一緒よ」
「いつそうなるの?」
「それは神さまがお決めになること」
「どうして?おばさんはなぜ天国にいかないの?」
「きっといつかは行くわ」…
「まえと同じすがたで」イエスさまが復活されたという言葉からふと思い出したのは、エマオでの夕食の場面を描いた17世紀の画家、ディエゴ・ベラスケスです。1620年ころに描かれた「エマオの夕食」という作品は、どちらと言えば無感動な彼の宗教画には珍しく、とても劇的です。パンを分け与えるイエス・キリストと、それが復活の主であると知って動揺する二人の弟子、三者三様の動きはドラマチックで、強烈な明暗の中、生き生きと豊かな表情を見せてくれます。特に印象的なのは後ろ向きの一人の弟子の左手の動きです。彼の手の平に当てられた光は、その場に溢れる生命の躍動感を伝えています。また顔をやや上に向け、遠くを見るような表情をしたイエス・キリストの赤い衣装の質感も見事で、その襞(ひだ)の一本一本にまでベラスケスの神経が行き届いているのがわかります。ベラスケスは、誇張もなく、また人為的でもない、そこにあるがままの真実を描くことに徹した画家でしたが、この作品の中で、見事に、本当に生きて呼吸をしている復活の主イエスの存在を描き切っています。息をしているかのようなキリストではありません。本当に生きて息をしている主イエスそのものです。ベラスケスもまた、復活の主イエスに出会ったのでしょう。
■亡霊だと思った
エルサレムに集まっていた人々も、ベラスケスが描いたような、具体的な出会いを通して示された復活の真実について語り合っていたはずです。マグダラのマリアやエマオの二人の弟子たち、さらには十二弟子の一人、ペトロの証言がエルサレムの人々にすでに伝えられていました。にもかかわらず、復活の出来事が繰り返しここに書き留められているのは、一体どうしてなのでしょうか。
それは、そこにいた人々が「亡霊を見ているのだと思った」からでした。
エマオの二人の弟子はエルサレムの人々に、自分たちがどれほど頑なだったか、心の鈍いものだったかという話しをしたに違いありません。なぜなら、イエスさまと道行きを共にし、語り合っていながら、イエスさまだと気づかなかったからです。しかしそれを聞いていた人々も、「イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われ」、祝福をもって現れてくださったとき、同じ鈍さを、頑なさを示しました。イエスさまの「亡霊を見ているのだと思った」のです。ひどく取れ乱し、恐れたのも当然です。亡霊は怖いものです。亡霊に出会って喜ぶ人はいません。
日本人の多くは、人間は死んだ後も霊として生き、また霊としてしか存在し得ないものだと考えています。これは、当時のギリシア・ローマの人々の死後観と同じものです。死んだ後、人は霊魂となって極楽や地獄に行くとか、あるいは死後の霊魂がまた別の生き物の中に宿る輪廻転生を、ごく自然な考えだと思いがちです。そうした死生観からすれば、復活の出来事を目の当たりにしても、イエスさまが生きておられることとして、肉体のよみがえりとして、それを受け入れることができないのも当然でしょう。
そのため、復活のイエスさまが亡霊に見え、怯え、恐れたのです。いわば、そこに居合わせた人々は、生きている者にではなく、死者に会っているのだと思ったのです。
■まさか、そんなことが
けれども、イエスさまの復活は、霊魂の存在を信じるということとは全く別物です。霊魂を信じることによって、人々の中に疑いと迷いが生まれます。
イエスさまは「どうして心に疑いを起こすのか」と嗜(たしな)められます。わたしたちは、困難や失望、悲しみや苦しみを前にして考えれば考えるほど、疑いが増します。とりわけ、誰にも避けることのできない死、そして死の彼方に起こることは、わたしたちの知恵の及ぶところではありません。それは、ただ疑いを生むだけです。復活の出来事を、そして実は人間の「生と死」を、霊魂によって理解し説明しようとすることは、わたしたちの疑いや恐れの投影でしかありません。
そんな疑いと迷いを取り去るためにイエスさまは人々に、「触ってよく見なさい」と言われ、ご自分の「手と足をお見せにな」ります。それでも弟子たちは「喜びのあまりまだ信じられず、不思議がってい」ます。
人々は今、イエスさまを失い、もはや生を共にすることができないという悲しみ、絶望の中にありました。復活を信じることができずにいたのです。ところが、死んだはずのイエスさまが今ここにおられます。突然の喜びが彼らを満たしたとき、それでもなお、言ってみれば、まさかと思ったのです。まさか、そんなことが、と。
復活の出来事というのは、わたしたちの手に余るのです。わたしたちの頭や知恵によって何とか納得しようとしてみても、復活を信じることはできません。それはむしろ、わたしたちの方がこの復活の事実に取り込まれる他ない出来事です。キリストをよみがえらせた神の力、いのちの力の中に取り込まれるところで、初めて受け入れることができる、信じることができることです。死者を復活させる神への信頼、死に打ち勝たれたイエス・キリストへの信仰です。
信じる者にとって、死は終わりではなくなります。生も死もすべてが神のみ手の中にあります。わたしたちはもはや一人ではありません。神が沈黙されたと思われるような十字架の死においてさえ、そのことは神の御手の中にあったのです。主の復活は、生と死とを超える神への確信、希望となったのでした。
■生活の匂いの中に
しかし、これだけではありません。わたしたちは続く最後の言葉から、もうひとつの意味に気づかされることになります。
復活のイエスさまが、何と弟子たちの前で、弟子たちと一緒に、魚の一切れを召し上がるのです。この食事は、エマオの食事の時とは違って、賑やかなものです。ベラスケスが描くように、エマオでの食事は二人の弟子とイエスさまだけの食事でした。ところが今、エルサレムには多くの弟子たちがいます。マグダラのマリア、多くの女たちもいたかもしれません。そのみんなが見守る中で、イエスさまは、魚を食べておられるのです。
当時、冷蔵庫などありません。ガリラヤ湖畔で獲れた魚をすぐ食べるというわけにも行きません。このときイエスさまが食べられた魚は、塩漬けにされた魚か、燻製の魚であったのではないかと考えられます。
生活の匂いのする話だとは思われないでしょうか。人でごった返す街角の居酒屋か定食屋で、焼かれたサンマを注文し、食べている光景が浮かんでくるようです。そう、イエスさまは、そんなわたしたちの生活の只中に復活されたのです。わたしたちの日常の出来事として復活の真実を示してくださっているのです。イエスさまの復活は、わたしたちの日常とかけ離れた、超越的な世界で起こった神秘的な出来事ではありません。エルサレムの人々は、魚を食べながらイエスさまの復活を信じ、その復活の中に生かされているのだということを信じたのです。生活の匂いの中に、イエスさまはすぐ傍に立っていてくださるのです。それも、誰にでもそのことがわかるようにと、わたしたちの「真ん中」、わたしたちの生活の只中に立って、「あなたがたに平安があるように」と祝福し、共に魚を食してくださるのです。
復活の主との出会いは、わたしたちの日常の生活と深く絡み合っているのだということを、心に刻まなければなりません。わたしたちの毎日の生活は、様々な思い煩いと、嫌になるほどの面倒ばかりだと思えるかもしれません。しかし、そういうところでこそ、地上の生活の匂いがぷんぷんするようなところでこそ、キリストの復活がわたしたちに示されるのです。
わたしたちは今日、教会創立120周年を記念する礼拝を守っています。20年前に纏められた『教会百年史』には、その時々の出来事が事細かく記されていますが、その一つひとつの出来事の中、その背後には記し切れないほどの、先達たちの困難や労苦、悲しみや呟きがあったに違いありません。しかし、そのすべての日常の歩みの中に、そして今も主が共にいてくださって、「あなたがたに平和があるように」祝福してくださるのだと、今日のみ言葉はわたしたちに教え励ましてくれているのです。