福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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7月26日 ≪聖霊降臨節第9主日礼拝≫ 『食卓への招き』 マタイによる福音書9章9~13節 沖村裕史 牧師

7月26日 ≪聖霊降臨節第9主日礼拝≫ 『食卓への招き』 マタイによる福音書9章9~13節 沖村裕史 牧師

■福音を思うとき
 先週、中風の人の癒しの出来事を通して、イエスさまが宣言されたことは、「あなたの罪は赦されている」ということでした。「神の支配が近づいています。神の愛の御手が今ここに差し出されているのです。だから、あなたの罪はもう赦されています。あなたは救われているのです。ほら、あなたの救いが、床に寝かせたままで連れてきたあの人たちの、その愛の業の中に表れています」。イエスさまはこの福音をわたしたちに示されたのでした。
 この福音を思うとき、いつも懐かしく思い出す人がいます。祖母です。
 わたしには祖母から叱られた記憶がありません。思い出すのは、優しいまなざしで見守ってくれる祖母の笑顔だけです。祖母が幸せで満ち足りた人生を歩んだというわけではありません。戦時下に夫を失い、五人の子どもを抱え、身を粉にして働き続けた祖母です。でも、そんな苦労を全く感じさせない祖母でした。
 わたしの方といえば、悪いことや失敗をしては、いつも叱れてばかりいる子どもでした。叱られても、決して「ごめんなさい」と言わない意固地な子どもでした。悪いことをしたなとは思っても、叱られるのが嫌で言い訳ばかりするわたしに向かって、大人たちが言う言葉はいつも決まっていました。「まず、ごめんなさいだろう。そうすれば、赦してやる」。でも、それを真に受けて「ごめんなさい」と言ったとしても、「本当にごめんなさいと思っているのか」とさらに叱られ、時には、昔のことやそのほかのことまで引き合いに出されながら、延々と責められ続けるだけでした。叱っている大人がどう思っているかはともかく、なんだか生きていること自体が悪い、そんな気持ちになることさえありました。
 頑固で、手のかかる子どもだったはずです。実際、ずいぶん困らせもしました。それでも、祖母は一度も怒ったことはありません。そんな祖母の家に行くときは、バスに乗って、ちょっとした遠足気分です。家につくと大好きなオムライスが出てきます。それなのに、じっとおとなしくできません。調子に乗って、ヤンチャをします。「あっ、またやっちゃった、叱られる」、そう思いながらそっと祖母の顔色を窺(うかが)うと、祖母は「まあまあ」と言いながらも、いつもと変わらず優しく見つめています。それをいいことに、さらに調子に乗って悪さを続けていると、ふと少し悲しそうな顔をします。優しくて大好きな祖母の悲しそうな顔を見ると、たまらなくなります。思わず、心から、本当に素直に「ごめんなさい」と言っていたことを思い出します。なぜそうすることができたのか。それは、祖母がわたしのことを愛してくれている、そして、必ず赦してくれる、そう信じていたからです。
 わたしたちの社会は、非難と告発に満ち満ちています。人と人がきちんと向き合うことによってではなく、過ちや罪に対して相応の罰を与えることによって、社会の秩序―人と人との関係を維持しようとします。法廷では、被害者は加害者の罪を暴き立てより重い罰を求め、加害者は加害者で様々な理由を申し立てて罰を少しでも軽くしようとします。そこに「裁きと罰」はあっても、「赦し」などありえません。そんなところに、心からの「悔い改め」が生まれようはずもありません。当事者の間には、いつまでも消えない憎しみと苦しみだけが残ります。もちろん、すべてがきれいさっぱりというわけにはいかなくとも、それでも、罪の赦しと悔い改めによってもたらされる「和解」への希望がなければ、本当の「平安」が生まれるはずもありません。
 裁判だけのことではありません。わたしたちの日々の生活でも同じことです。必ず赦してもらえる、それでも愛されていると信じることができて初めて、本当の悔い改めと平安が、自分のそれまでの生き方を全く新しく生き直そうとする心からの回心と希望が与えられるのではないでしょうか。

■立ち上がって、従った
 9節、「イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。」
 ガリラヤ湖畔の町、カファルナウムでのことです。ペトロたちを弟子に召された時と同じように、「通り過ぎていく」その時、イエスさまは収税所に座っている、マタイに声を掛けられます。「わたしについて来なさい」。
 するとマタイは、すぐに立ち上がり、イエスさまの後について行きます。マタイに、少しの躊躇(ためら)いも見られません。なぜなのでしょう。
 彼も、中風の人が癒された時に告げられたイエスさまの言葉―神の国がもうすでに来ていること、罪の赦しと救いが今ここにもたらされているという宣言を、耳にしていたのかもしれません。
 いえ、それだけではありません。「見かけて」―イエスさまがマタイを「見た」とあります。この「見た」というギリシア語は、「分かる」「理解する」という意味を持つ言葉です。ただ、ぼんやりと見たというのではありません。マタイという人を知って、理解し、受け入れたということです。マタイは、あるがままの一人の人間としてまっすぐに見つめる、イエスさまの柔らかなまなざしに気づき、立ち上がり、従ったのではなかったでしょうか。
 「あるがままの一人の人間として見られる」こと、それはありえないことでした。なぜなら、マタイが徴税人だったからです。
 カファルナウムは、ヘロデ・アンティパスの領地とヘロデ・フィリッポスの領地の境に位置する街です。徴税人マタイは、その境にある収税所、日本風に言えば関所で、領地内へ持ち込まれようとする品物を対象に関税を徴収する仕事に従事していました。
 当時の税の徴収方法は請負制です。一定の地域、一定の期間、一定の額の関税の徴収を請け負います。実際の徴収実績がそれを下回ったときは、自腹を切ってそれを埋め合わせしなければなりません。その代わり、請負額を越える分については自分の収入とすることが許されました。結果、自分の収入を増やすために様々な不正が横行していました。徴税人は、不正な手段で不当に搾取する者、嫌われ者でした。それだけではありません。ユダヤはローマ人の支配下にあります。当然、徴収されるその税金の支払先はローマです。ローマの支配に多かれ少なかれほとんどのユダヤ人が不満を抱いていました。ところが、同じユダヤ人である徴税人がローマ帝国の力を笠に着て、自分たちの血と汗の結晶を搾り取るのです。人々は、憎しみと蔑(さげす)みのまなざしを向けていました。しかも、ユダヤ人はきわめて宗教的な民族です。真の神を信じない異邦人を主人として仕え、しかも穢れた異邦人と富に接触する機会の多い徴税人を、宗教的に汚れた者と見なしていました。
 11節に「徴税人や罪人」とあるように、徴税人マタイは、罪人と並び称される、幾重にも罪深い、人々から忌み嫌われる存在でした。逆を言えば、ユダヤ社会にあって、二重にも三重にも疎外され、除け者にされ、蔑まれる、深い孤独と闇の中に生きる他なかった人でした。
 そのマタイを、イエスさまは弟子に招かれたのです。
 だれもが、その体に触れぬよう離れ、距離を取って、避けよう避けようとする。その中にあって、イエスさまだけが、まっすぐなまなざしを向け、近寄り、声をかけ、わたしのところに来なさいと招いてくださったのです。この招きを受けて、マタイが躊躇(ためら)う様子も見せず従ったのは、イエスさまの方からマタイに近づいて来られたからであり、そして、とげとげしい、険しいまなざしではなく、穏やかでやさしいまなざしでイエスさまがまっすぐに見つめてくださったからです。
 そしてその招きが、今も、わたしに、そしてあなたに向けられています。

■罪を赦すために
 弟子として招かれただけではありません。10節以下をご覧ください。
 「その家」とはだれの家なのか。はっきりしませんが、「イエスがその家で食事をしておられたとき」、そこに「徴税人や罪人も大勢やって来て」とありますから、「その家」とはイエスさまの家のことで、そこにマタイたち、大勢の徴税人や罪人たちが招かれていたのだろう、と考えるのが自然です。イエスさまは、今、大勢の罪人たちを食事に招いておられるのです。
 しかしそのことは、ありえないこと、驚くべきことでした。なぜなら、「一緒に食事をする」ことは、律法によれば、食事を通して、汚れた者たちの汚れに汚されることを意味したからです。「なぜ徴税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのか」というファリサイ派の人々の問いは、答えを期待してのものではなく、イエスさまを律法に従わない罪人として告発しようとするものです。
 その告発に、イエスさまは、まず「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」とのたとえを用いて答えられます。
 古代社会の病気は、現代のような医学的病理的な疾患だけを指すものではなく、もっと幅広い、祭儀的な汚れを含めた、日常の社会生活に支障のある状態そのものを指していました。ユダヤの人々は、病気をその人の罪ゆえだと信じていました。病気による身体的な痛みよりも、家族から、地域社会から、何よりも生きる意味といのちを与えてくださるはずの神からさえも切り離され、見捨てられるという、耐えがたい苦しみの中に生きることを強いられる、それが病気でした。普段、健康で力にあふれ、汚れと関係のない状態にあるとき、人は医者も、汚れから清められる癒しも、必要としません。悪い状況にある人の苦しみを思いやることもないでしょう。であればこそ、ひとたび病気になれば、癒しを求める、人との、神との関係の回復を求める思いは、どれほど切実なものであることでしょう。
 病ゆえに苦しみ、あらゆる交わりから遠ざけられるその人々を見ても見ず、ただ「罪」に定め、「罪人」として裁く、ファリサイ派の人々に向かって、イエスさまは続けて言われます。
 「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
 「わたしが来たのは・・・のためである」。イエスさまはご自分の使命を、罪を裁くためではなく、罪を赦すために、あの十字架への道を歩むことになるご自分の使命を、今ここに宣言されています。
 そして、それこそが神の御心である、と言われます。神は、「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」と言っておられるのではないか、と言われます。
 この言葉は、ホセア書6章6節からの引用です。ホセアは家庭の苦しみを経験した預言者です。結婚をしたホセアですが、妻が他の男と交わったため、その妻から生まれた子に素直になれません。そんな苦しみを持つホセアは、神が、約束に誠実に応答できないわたしたちに、どんなときにも誠実に関わり続け、愛し続けてくださるお方であることを知らされます。ホセアは心を改め、妻に、子どもに愛をもって関わることになりました。
 イエスさまは、この言葉によって、自分たちの信仰を誇るために、人を罪に定めて裁くこと、つまり、罪の身代わりとしていけにえをささげることではなく、神がどんなときにも愛してくださる方、憐れみに富む方だということを知ることこそが、どんなに大切なことかをここに示されたのでした。
 わたしたちを招くためにおいでになられた方。丈夫な人、正しい人ではなく、病人を、罪人を招くために来られた方。そのために十字架にかかられた方。そのイエスさまが、わたしたちの罪赦すために、今も招いてくださっている。 そう、マタイは告げるのです。

■下への招き
 イエスさまのこの招きを、「下への招き」という印象的な言葉を使って教えたのは、熊澤義宣という神学者です。鍛冶町教会時代に、特別伝道礼拝として来てくださったことのある人です。
 熊澤は、病気と共に生きた人でした。そのことが、彼の信仰の根底にあります。イエスさまは、上におられて、ここまで来なさいと言って、上から招く方でないと言います。イエスさまは、低いところにおられる。あえていうなら、どん底におられる。そのどん底に立って、イエスさまは、わたしに従ってきなさいと言われる。それは、自分を高く上げて、立派な人間になることで救われると教える、いわば「上への招き」ではない。イエスさまの招きは、「下への招き」だと言います。
 絶対安静のときは、そのベッドの下で、わたしを支えてくださった、と振り返りつつ、こう言っています。
 「崖から落ちそうになったら、必死でしがみつくのではなく、手を離せばいいのです。陰府の底に落ちていっても大丈夫です。一番深いところでイエスさんは受けとめてくださるからです。そういう信仰を持つことが大切です。」
 上から飛び降りた人を受けとめることは大変なことです。受けとめる方が、力を求められます。受けとめようとして、傷つくことがあります。イエスさまは、わたしたちを下で受けとめるために、いのちを差し出してくださった、それが十字架です。傷つくのは、いのちを差し出されるのは、イエスさまなのです。そう語っています。心の奥底に下りてくる言葉です。
 イエスさまは、どんなときにも、身を低くして、下からわたしたちを招いておられます。であればこそ、今、この福音を、この救いを示されているわたしたちは、ファリサイ派の人々のように、主と共にある祝宴の外に苦々しさを抱えつつ立つのか、それとも、マタイのように招かれた罪人の一人として、歓喜をもって愛の祝宴にあずかるのか、そのことが問いかけられています。願わくは、わたしたちの教会が、主にある喜びの祝宴の場となりますよう、愛をもって、共に祈り、共に仕え合うことができますように。

お祈りします。恵みの食卓を備え、つぶやきを消し、裁きの心を断ち切ろうとしてくださる父なる神。今ここで愛されていること、もうすでに赦されていること、まことの悔い改めへと招かれていることを味わい直すことができますように。主のみ名によって。アーメン。