■栄光を映し出す姿に造りかえられる
18節に、とても印象深い言葉が記されています。
「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます」
まず「栄光」という文字に目が留まります。ふと思い出すのは、寒空の満月です。凛とした美しさをもっています。暗闇の中で光を放つ孤高さが心を引きつけるのでしょうか。人も光り輝くときが最も美しいときです。
わたしたちは、どうすれば人から注目されるのか、光り輝くその方法をいつも探し続けています。しかし、イエスさまが教えられる方法はちょっと変わっています。宴会に招待されたら、末席に向かえと言われます。末席に座れば、招いた人が来て上席に案内し、みなの前で「面目」を施すことになるからです。自分から光を誇示しようとすれば、恥に終わりかねません。そこで、人からの「誉れ」を求めようとしないパウロもまた、テサロニケの信徒の信仰こそが彼の「誉れ」だ、と言います(1テサ2:6)。
この「面目」や「誉れ」と訳されたギリシア語が「栄光」です。イエスさまはカナで、水をぶどう洒に変え、その「栄光」を現されました。その栄光は、御子としての「栄光」であり、父が与えられる「栄光」です。イエスさまは暗闇に輝く光そのものでした。
そのイエスさまが、「わたしが自分自身に栄光を与えているなら、わたしの栄光はむなしい」(ヨハネ8:54b)と言われたのは、朽ちない栄光を与えることのできるものは、神のほかにないからです。寒空の満月もまた、自分では光を放たず、太陽の光を反射させるだけです。そんな「栄光」を映し出す「主と同じ姿に造りかえられていきます」と、パウロは言います。
次に心惹かれるのは「造りかえられる」という言葉です。この言葉のギリシア語から、わたしたちがときどき耳にする言葉が生まれました。「メタモルフォーゼ」という言葉です。耳慣れない言葉かもしれませんが、国語辞典を調べてみると、ほとんどの辞典に出てきます。生物学の領域でも用いられますし、音楽の用語にもなります。「メタモルフォーゼ」という言葉を日常語として使うときには、変容、変形といった「変化」を意味します。それもずいぶん激しい変化で、もとの姿が見えないくらい変わってしまう、もとの顔が分からなくなるくらい変わってしまうことを意味します。音楽にしても、最初の音型がどんどん変化し、最初の音型が思い浮かばないほどに変わっていくときに、この「メタモルフォーゼ」という言葉が用いられます。
それほどまでの変化が、だれに起こっているか。パウロは、それがわたしたちに、自分に起こっていると言います。それも「造りかえられていく」。「造りかえられた」というのでもなければ、将来「造りかえられるかもしれない」というのでもありません。わたしが味わっている体験は、これはもう理屈ではなく、今もここで、自分が激しく変わっていっていると言う外ないものだ、そう言うのです。
どう変わっていくのか、「主と同じ姿に」です。この「主」とはもちろん、主イエス・キリストのことです。考えてみてください。パウロは全身全霊をもって主のことを、主の福音を宣べ伝えました。しかしコリントの教会の人々はなかなか自分のことを受け入れてくれません。なんとか理解してもらおうと、いくつもの手紙を書き続けました。そんな労苦の中でパウロ自身が味わっていたのは、今も自分が変わっていっているということでした。どういうふうに変わっていっているのか、主と同じ姿に変わっていく、イエス・キリストに似てくると言います。
それはいったいどのような変化なのか。そのことが今朝の箇所に語られています。
■自由に、大胆に、確信に満ちあふれて
冒頭12節、パウロの言葉に益々力が入ります。
「このような希望を抱いているので、わたしたちは確信に満ちあふれてふるまって」いる。
ここにある「確信」という言葉は、新約聖書の中に頻繁に用いられる言葉です。ただ、場面場面で、ずいぶん違った訳語が当てはめられます。「公然と」という訳もありますし、「大胆に」と訳される場合もあります。
この言葉を使っていたギリシア人は、民主社会に生きていました。ただ古代の民主社会と現代の社会とは同じではありません。古代には奴隷がいました。奴隷に発言権はありません。奴隷ではない、自由人だけが民主社会の構成員でした。その自由とは何か。自分の意見を自由に言うことができる、自由に選挙をすることができる、自由に立候補をすることができる、ということです。
そんな、自分の意見を自由に言うことができるということ、何でも言うことができるということが、この言葉のもともとの意味です。恐れず、大胆に発言することができるということです。そのことから「大胆に」という訳語になりました。また、自分がものを言うときにあやふやなことを言っていては人を説得することはできません。自由に発言すると言っても、確信をもったものでなければなりません。そういうことから「確信」という意味を持つようにもなりました。さらには、そうした発言は、自分の家や部屋だけでこそこそと言っていても意味がありません。公然と公の世界で語るべき言葉ということから、「公然と」とか「公に」という翻訳も出てくるようになりました。
翻訳をする人は、そんないろいろな意味の中から、ひとつを選ばなければならなりません。ここでは、伝道者としての確信が強調されていると理解し、新共同訳は「確信に満ちあふれてふるまっており」と訳しました。良い訳ですが、これは本来、今、言ったような豊かな意味合いを持つ言葉です。わたしたちは確信に満ちて、自由な思いに満ちて、大胆さに溢れて、語るべきことを語っている、そういうニュアンスを持つ言葉です。
パウロは、わたしたちは主の福音をありのままに、自由に、大胆に、確信をもって宣べ伝えるのだ、と言っているのです。この自由さ、大胆さ、確信を手に入れたということに、さきほどのパウロの変容、変化がはっきりと示されています。
ではパウロは、どんな姿から、自由で、大胆で、確信に満ちたものへと変えられたのか。変わる前の自分の姿を、パウロはどう見ていたのでしょうか。
律法を重んじていた、ファリサイ派の学者であった自分の姿でしょう。変る以前のパウロにとって、大切なのはモーセでした。モーセは神から十戒、律法を授けられた人です。パウロは、そのモーセを通して神と救いの約束をした、契約をしたイスラエルの子らの一人であるという自覚を持って生きていました。
パウロは、その頃の自分の姿を思い起こしつつ、今の自分との違いを、13節以下に何度も繰り返される「覆い」という言葉で言い表しています。「自分の顔に覆いを掛けた」、それがモーセのしたことでした。また14節に「今日に至るまで、古い契約が読まれる際に、この覆いは除かれずに掛かったままなのです」とあります。神の言葉が覆われていて、はっきり読めない。古い契約の上に覆いが掛かっている。15節では「モーセの書が読まれるときは、いつでも彼らの心には覆いが掛かっています」とあります。モーセの書が読まれるときに、それを聞いている人々の心に覆いが、ベールが掛かっているのだと言います。
神の言葉であるはずの十戒に、律法に覆いが掛かっているために、それがはっきりしない、ぼんやりしています。字がよく読めません。よく読めなければ、その意味も分かりません。意味が分からなければ、誤解をしてしまいます。
十戒は本来、「……してはならない」という禁止、戒めの言葉によって記されてなどいませんでした。「……してはならない。する者は裁かれる」とは書かれていません。出エジプト記20章の原文には、神であるわたしはあなたがたを救い、あなたがたを奴隷の抑圧から解放した、だからもう、あなたがたは殺さない、姦淫しない、むさぼらない、と記されているのです。救われ、解放され、愛されているのだから、あなたがたはもう、……することはない、そう言っているのです。
ところが、今覆いが掛けられ、十戒、律法が伝えようとしていることが、分からなくなり、誤解され、ただその文字をかたくなに守ることばかりに囚われるようになってしまったのです。そのことに縛られて「不自由」になり、守ろうとすればするほど守ることができないために「臆病」になり、自分の行動にも人の行動にも「疑心暗鬼」の目を向けるばかりとなったのです。そんな「不自由で、臆病で、疑心暗鬼に囚われていた」わたしが、今は「自由で、大胆に、確信に満ちあふれる」ものへと「造りかえられている」、パウロは今、そう告白をしているのです。
■向きを変えれば
しかも、造りかえられた、造りかえられているのは、パウロの人間的な力や知恵、努力や業績によってではありません。今や、その覆いは取り去られたのだ、と言います。14節の終わりに「それはキリストにおいて取り除かれるものだから」とあります。キリストによって取り除いていただいた。そんな自分の心の覆いが外されて、明るく、はっきりと神の言葉が見えるようになり、ためらうことなく、自由に、大胆に、確信をもって神の言葉に生きることができるようになった。それは、キリストがしてくださったことなのだ、と言います。
思えば、イエス・キリストがその言葉をもって語り、その業によって示されたことは、「時は満ち、神の国は近づいた」(マルコ1:15)ということでした。神の国が、神の救いが、神の愛がすべての人にもたらされている。とりわけ、律法によって罪人として裁かれ蔑まれていた、病に苦しむ人、貧しい人、飢え渇く人、社会の隅に追いやられていた子どもや寡婦たちに、神の救いが、神の愛のみ手が今ここにもたらされていると、その良き知らせ―「福音」を宣言されたのでした。そして、返す刀で、律法を固く守ることを求め、律法を振りかざして人を裁くばかりの律法学者やファリサイ派の人々を厳しく批判され、ただ「悔い改めて福音を信じ」る、そのことだけを求め続けられたのです。
「悔い改めて」とは「向きを変える」ことです。まさに16節の「主の方に向き直れば、覆いは取り去られます」ということです。自分自身がそうだ、とパウロは言います。モーセの教えに固執しているところから「主の方に向きを変えた」。主が見えるようになった。そのとき「覆いが取れ除かれた」。そのようにして、今も「主と同じ姿に造りかえられています」とパウロは言います。
そのことをパウロは、17節で「主の霊のおられるところに自由があります」、わたしがではなく主の霊がわたしに働きかけ、覆いを取り除いて、律法の桎梏からわたしを解き放ち、自由にしてくださったのだ、と言います。そして18節で、「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです」と締め括るのです。
とすれば、冒頭の「わたしたちは確信に満ちあふれてふるまっており」という言葉は、締め括りの言葉によって、「わたしたちは、主の霊に満ち溢れて主の栄光を映し出し、覆いを取り除かれて律法から自由になり、大胆に福音を、主の愛を宣べ伝える者へと、日々新しく造りかえられているのだ」と言い換えても間違いではない、いえ、そう告白し、宣言しているのです。
律法という桎梏から解き放たれたパウロは、たとえこのわたしがどんなに弱く、またどんなに欠け多い者であったとしても、ただ主の恵み、主の霊によって照らし出されて、光り輝く者とされているのだ、という福音の喜びを、今ここで、コリントの人々に伝え、共に分かち合おうとしているのでしょう。
■愛によって輝く
パウロの言葉を心に刻みつつ、以前にも一度ご紹介したことのある、一人の男性のお話しをさせていただき、今日のメッセージを閉じさせていただきます。
亡くなる一年前、特養に入所したばかりの70歳前半の男性のもとを訪問したときのことです。わずか4ヶ月の間に脳内出血を二度も繰り返し、口から食べることも、しゃべることもできない、わずかに右手を上下できるだけの身体になっていました。暗く天井を見つめる彼の眼は、こう訴えていました。
「楽しく働いていたのに、今はまったく病気で動けない。この悔しさ、無念さが、あんた、わかりますか」
わたしは苦しくなり、黙って彼の手を握り、祈りました。そして「神はあなたのことを愛している」という聖書の内容を伝えました。伝えながら「愛の神なら、どうしてわたしをこんな目に遭わせるのか」という噛み付かれそうな気配を感じ、肉体の輝きが日々消えていく彼と、これからどのように付き合っていくべきか、考え込みました。
そんな不安を抱えながらも週二回通い続けて三か月が経ち、花の日・子どもの日の礼拝後、教会学校のこどもたちと一緒に訪ねた時のことです。こどもたちが花を手渡し、さんびかを歌ったとき、彼の目から涙が溢れていました。驚きました。そしてもっと驚いたのは、その日以降、彼の表情が和らぎ、彼の姿が輝き始めたことでした。状況は何ひとつ変わっていません。それなのに険しい表情が消えていくのです。どんなに元気な人でも放つことができない、独特の柔らかい光を、彼はその動かない身体から発し始めたのでした。それから三か月後の九月、彼は病床で洗礼を受けました。わたしは幸せだ、わたしは輝いている、と自分から言うことはありません。でも、わたしの目には日々輝き、誤解を恐れずに言うなら、幸せにさえ見えました。
それこそ、主の霊に触れた人が醸し出す光だ、と思いました。彼は、無力な自分が神に抱かれ、導かれ、愛されていることを、主の霊によって病床で気づかされたのです。主の霊に照らされたその落ち着いた光は、カーテンから漏れる朝日のように、枕元に立つわたしの足下にも差し込んできました。光は見失っていたものを、見えるように照らし始めてくれました。
ほんとうに輝いている人、それは元気に働く人でも、何かに打ち込んでいる人でもありません。肩書きがたくさんある人でも、有能な人でもありません。それは、愛されている人。月が太陽の光を反射するように、だれかから愛されている人は、必ず光ります。だれかからの愛を知った人は、自然と輝きを放ち始めます。
病床の彼も、自分を誇り、自らに注目を集めるためにではなく、わたしを含めた周囲を照らし、愛に包まれた、かけがえのないいのちの姿を示し教えるために、最期の最期まで、美しい光を映し出していたのでしょう。
いのちの主の愛を覚えていれば、どんなときでもわたしたもの全身もまた、光り輝きます。心の覆いを取り払い、主の愛の光に体をゆだねるとき、あなたも自然と光を映し出します。知らないうちに人々は、あなたのその輝きにほんとうの慰めを見出すことでしょう。感謝して祈ります。