■マリアとヨセフ
今日は、子どもたちと一緒に、イエスさまのお誕生をお祝いする日です。この祝いの日に読んでいただいた聖書に、イエスさまがお生まれになった時のことが書かれていました。
若い二人が結婚の約束をしていました。母マリアとヨセフです。あれっ、変です。マリアは「母マリア」なのに、ヨセフは「父ヨセフ」じゃありません。どうしてでしょう。それは、「二人が一緒になる前に、〔マリアが〕聖霊によって身ごもっていることが」分かったからです。マリアのお腹の中の子どもは、神様の子どもで、ヨセフの子どもではなかったからです。
えっ、ちょっと待って、そんなこと信じられない。周りにいた人たちは、マリアの言うことを信じられず、結婚前に子どもができるなんて…、そもそもその子の父親はヨセフなの、いったい誰なのか…、と蔑んだ目で見ては、ひそひそ話をするばかりでした。
それでもマリアは、必死に訴えました。せめて家族には、いえ、ヨセフにだけは信じて欲しい、そう願いながら訴えました。でも、誰も信じてくれません。ヨセフの外に好きな男がいるのを隠すために、マリアは嘘をついている。別の人の子どもができたとわかれば死刑になる。それが恐くて嘘をついている。どうせ嘘をつくなら、もっとましな嘘をつけばいいのに…。そう思ったのは、周りの人だけではありません。家族も、そしてヨセフもマリアの言葉を信じることができませんでした。
誰も信じてくれない、誰も分かってくれない、誰も助けてくれない…マリアはひとりで苦しみました。でも、苦しんだのはマリアだけではありません。ヨセフも同じでした。自分だけを愛していると信じていたのに、どうして…。ヨセフは、悩みに悩んだ末、結婚の約束をなかったことにしようとします。しかしそれは、マリアを恨んだためでも、罰しようとするためでもありませんでした。マリアが死刑にならなくて済むよう、降りかかる非難を自分でかぶるためでした。ヨセフは切ないほどにマリアのことを愛しています。
二人は、すぐ近くにいるのに、まるで一人ぼっちになってしまったかのようです。もうどうしようもないと諦めるしかないのか、そんな本当に苦しく、辛い気持ちになっていたに違いありません。
■一緒にいてくれる
ある一人の男の子のお話をさせてください。
男の子は野球が大好きでした。だけど、どんなに練習してもなかなかうまくなれません。だから試合ではいつもベンチに座って、みんなの応援ばっかり。出番がなくて、少しいじけていました。
そんなとき、チームの監督がなかなか試合に出ることのできないこどもたちを集めて、突然、二軍チームを作りました。男の子はとてもうれしかったし、しかも信じられないことに、投手に選ばれました。監督さんはぼくの本当の力を知っているとうぬぼれ、よしがんばるぞと張り切りました。そしていよいよ、その日がやってきました。二軍ピッチャー初登板の日です。
男の子の応援に、隣の家のお姉さんがやってきてくれました。お父さんもお母さんも働いていて、ひとりぼっちのことが多かった男の子のことをいつも可愛がってくれる、やさしいお姉さんです。
お姉さんはキャッチャーよりちょっと斜めうしろに、離れて立っています。お姉さんの目は「頑張れ!」と言ってくれているようです。そんなお姉さんの姿を見ながら、心強い気持ちで第一球を放り込みました。
……あれ、はいりません。二球目。全然はいらない、ストライクが。どんなに頑張っても、緊張で手が思うように動きません。気がつけばフォアボール。そしてすぐに満塁。夢を見ているようでした。
怖くなって、もう一度お姉さんを見ました。するとお姉さんの目は心配そうに、でもこう話しかけてくれていました。
「どうしたの? 落ち着け、落ち着け…」
よし、と気を取り直して、心を込めて投げつづけました。でも、ますますボールはおかしくなっていきます。しまいにはボールは届かなくなり、コロコロとバッターの足もとで止まります。
もうだめだ、男の子は血の気が引いて、もう今にも泣き出しそうです。現実の厳しさを教えたいのでしょうか、監督は投手の交代を告げません。自分で、「ピッチャー交代!」と宣言して、走って家に帰りたいと心から思いました。
そしてもう一度、お姉さんを見ました。もういないかも知れない、そう思いながら、お姉さんの方をみました。その目はつぶやいていました。
「だいじょうぶよ、わたしがここにいるわよ」
驚きました。お姉さんがこんなぼくのことを見捨てずにまだ見てくれている。
…男の子の目に力がよみがえってきました。どれだけ点をとられたか、相手からどれだけ笑われたか、味方からどれだけ非難されたか…ほとんど覚えていません。
声を出して応援したわけでもない、マウンドの男の子に駆け寄ってくれたわけでもない、それでも、ただ黙ってキャッチャーのうしろで、一緒にいてくれたお姉さんに、男の子は、どんなに辛くてもがんばれると思いました。(塩谷直也『忘れ物のぬくもり』より、一部変更)
■大丈夫
誰にも苦しいとき、悲しいとき、辛いとき、泣きたいときがあるものです。それでも、そんなときに、いえ、どんなにときも傍にいて、そっと見ていてくれる人がいてくれたら、それは、とても心強くて、嬉しいことです。
みんなにも、そんな人がいます。おとうさまやおかあさま、家族のみんなやや大好きなお友だちです。いえ、たとえそんな人がいなくても、たったひとり、神様だけは、一緒にいてくれて、見守ってくれています。
悩み、苦しみ続けていたヨセフも、そのことに気づきました。夢の中で、神様の声を聞いたのです。マリアのお腹の子は、聖霊によって宿った子どもだ。あのお腹の子は、他の誰かの子どもじゃない。今、マリアは、あなたが信じてくれることを待っている、と。そして、「恐れることはない」という神様の声が、「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」という聖書の言葉と一緒に響きました。 「インマヌエル」、神様がいつも一緒にいてくださるという意味の言葉です。その言葉が、マリアにも告げられていたに違いありません。ヨセフは、「大丈夫、いつも一緒にいるよ」という神様の言葉を聞き、それを信じ、そして何よりもマリアを信じました。
クリスマスは、「大丈夫、いつも一緒にいるよ」とわたしたちに知らせるために与えてくださった、神様からのプレゼントです。神様がくださった神様の子ども、イエスさまは、今も、わたしたちと一緒にいてくださっています。だから、何があっても、たとえ失敗しても、大丈夫。みなさんのことを、家族のみんなが、友だちが、何よりも神様がすぐ傍にいて、見守ってくださっています。
お祈りします。イエスさまの誕生をお祝いするろうそくに火が灯りました。わたしたちのためにイエスさまがお生まれになりました。神様が与えてくださる大きな愛と恵みに感謝します。この後のお楽しみ会も、みんなで仲良く、楽しく過ごすことができますように。世界中のお友だちにも、このうれしい気持ちを届けてくださいますように。イエスさまのお名前によってお祈りします。アーメン