福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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5月9日 ≪復活節第6主日/母の日礼拝≫ 『つまずいた』マタイによる福音書13章53~58節 沖村裕史 牧師

5月9日 ≪復活節第6主日/母の日礼拝≫ 『つまずいた』マタイによる福音書13章53~58節 沖村裕史 牧師

≪式次第≫

前 奏     天に在します我らの父よ (D.ブクステフーデ)
讃美歌     21 (1,3節)
招 詞     詩編22篇10~11節
信仰告白          使徒信条
讃美歌     旧510 (1,4節)
祈 祷
聖 書     マタイによる福音書13章53~58節 (新27p.)
讃美歌     289 (1,2節)
説 教     「つまずいた」 沖村 裕史
祈 祷
献 金     64
主の祈り
報 告
讃美歌     458 (1,3節)
祝 祷
後 奏     天に在します我らの父よ (D.ブクステフーデ)

 

≪説 教≫

■この人

 「イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、故郷にお帰りになった」

 一連の天の国の譬えを語り終えたイエスさまは、「故郷」へお帰りになります。そこは「ナザレ」と呼ばれる町で、母と兄弟姉妹たちが住む町です。しかし、イエスさまの家族と言えば、彼の話を聞くために周りに集まっていた多くの人々のその輪の中には入ろうとせず、「外に立っていた」人たちです(12:46)。その家族にとって、イエスさまは招かざる客であったかもしれません。

 わたしたちがクリスマスや正月に帰省するときのホッとするような安堵感など微塵も感じられません。そんな刺々しい、暗い予感の中、それでもイエスさまはいつもと変わらず会堂に行かれ、そしていつものように教え始めます。イエスさまがそこで語ったのは、もちろん天の国のことでしょう。神の救いが今ここにもたらされている、神の愛の御手がすべての人に差し出されている、という福音の言葉です。その福音の言葉を聞いて、故郷の人々は驚きました。

 人々は、風の便りに聞こえてきたイエスさまの言葉や奇跡の出来事を知っていたはずです。しかし今、直接語られたイエスさまの福音を聞いた人々が驚いたのは、その福音を受け入れたからではありません。人々は、疑いと問いの言葉を発します。その問いの核心は、驚くべき「このような知恵と奇跡を行う力」と、目の前にいる「この人」との関係です。そのふたつが結び付かないのです。

 「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」

 「どこから、この人に、この知恵と力は」という単語が並べられただけの文章です。飾り気のない、しかし心の奥にある本音が漏れ出た言葉です。故郷の人々にとって、「ナザレのイエス」は誰もがよく知っている、「この人」でしかありませんでした。

 「この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか」

 「大工」は、当時、鶏小屋や家畜小屋を作ったり、屋根や扉を修理したり、農機具の手入れをしたりする、いわば町の便利屋でした。頼まれれば何でもする、下働きと見下される職業でした。「この人」という言葉には、人々のそんな感情が表れています。定冠詞、英語の“the”がつけられています。イエスというのは、わたしたちの誰もが知っている、あの大工の息子ではないか、というわけです。

 周りの人たちは皆、お互いによく知っています。すらすらと、兄弟4人の名前も出てきます。ヤコブという名は、あのアブラハム、イサク、ヤコブと続くあの信仰の祖先に由来する名前です。ヨセ、ユダ、シモンという名前も、それとよく似た名がヤコブの子どもたちの中に出てきます。イエスという名前もまた、旧約聖書の中に出てくるヨシュアのギリシア語名です。子どもたちがそんなイスラエルの民の信仰を受け継ぐことを願ってつけられた名前でしょう。ただ姉妹たちの名はここに記されません。男性中心の社会でした。

 しかし、そう考えれば考えるほど奇妙に思えるのは、「母親はマリア」という言い方です。当時、この人は誰の子だというときに、父親の名前によって告げるのが普通です。それなのに「母親はマリア」と言います。ヨセフがこの時すでに死んでいたからではないか、と言われます。しかし、父親が早くに死んでいても、その子どもが父親の名によって呼ばれていました。とすれば、ナザレの人々が「母親はマリア」と敢えて呼ぶのは、そこに特別な思いが込められていると思わざるを得ません。

 マタイは、イエスさま誕生の経緯を伝えています。婚約者のヨセフは最初、マリアの妊娠の事実を受け入れられず、苦しみました。しかし神の導きによって、ヨセフは神の御業を受け入れて、マリアと結婚します。その後、皇帝アウグストゥスの勅令により、身重のマリアを抱えて長い旅をし、やっとのことでベツレヘムに到着しました。ヨセフの故郷です。当然、親戚もいたはずです。ところが、ベツレヘムの人々は二人に対して冷たく、家の中に招く者とて誰一人いません。マタイは「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」と記します。聖書学者は「ベツレヘムの人々の冷たさは、すでにベツレヘムにまで届いていたマリアの妊娠をめぐる噂のせいだった」と言います。

 遠いベツレヘムにおいてさえそうだったとしたら、実際に生活をしていたナザレの人々の反応はどれほどのものだったでしょう。婚約者であったヨセフですら最初は疑っていたほどです。他人であるナザレの人々が、イエスさまの出生の真実を理解していたかどうか、怪しいものです。

 「マリアの妊娠はナザレの村においてスキャンダルとして受けとめられたのではないか」と言われます。この「スキャンダル」という言葉こそ、57節にある「人々はイエスにつまずいた」という言葉の「つまずく」のギリシア語、「スカンダリゾー」という言葉の語源です。

 ヤコブ以下は皆、ヨセフの子どもだ。しかしイエスだけは違う。陰口、蔑みの言葉です。それが、イエスさまがおられるこのとき、ここで語られました。「母親はマリア」と呼ばれる「この人」が、という問い、疑い、つまずきです。

 「この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう」

 

■信仰と不信仰

 この問い、つまずきに始まった今朝の出来事は、驚くべき、また厳しい言葉で締め括られます。

 「人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった」

 「不信仰だったので」とあります。この不信仰とは何か。また翻って、信仰とは何でしょうか。そのことが、ここに語られています。

 ナザレの人々は、イエスさまの口から語られる天の国の福音を直に聞き、苦しむ多くの人々が癒されたという噂も耳にしていました。人々の問いからも、人々がイエスさまの福音の言葉もその知恵も驚くべき力も認めていることがわかります。そのことに驚きもし、知ってはいても、しかし不信仰だと言われます。真理の知恵の言葉を聞いたとしても、信じることができないのです。たとえ奇跡の力ある業を直接見たとしても、それが信仰にはならないのです。「聞いても聞かず、見ても見ない」。イエスさまはそこに不信仰を見ておられます。

 ここで求められている信仰とは何なのでしょうか。

 このナザレの人々の不信仰を理解するためには、この出来事が天の国の譬えの結びに置かれていることに注目しなければなりません。直前までイエスさまが語り続けておられた天の国のたとえを思い出してください。イエスさまにおいて解き明かされた天の国の福音は、イエス・キリストを「この人」という「肉」においてしか見ることができない人々の前では、「隠された秘密」として終わる外ないものでした。

 信仰とは、ただ神の存在を認めるということではなく、神の不思議な力を認めるということでもありません。イエス・キリストを通して、今ここにもたらされている天の国を、神の救い、神の愛の御手を受け入れ、信じるということです。天の国の福音そのものである、イエス・キリストの言葉と力を受け入れ、一心にすがり、そこに委ねることでした。

 大切なことは、ただイエスとは誰かということではありません。その知恵、その力がいったい何で、どこから来たのかということです。この「どこから」の問いに、肉によって知って、「この人」に囚われていたナザレの人々は「天から」と答えることができず、つまずきました。イエスさまはどこからこの知恵と力とを得られたのか。それは、この地からではなく、わたしたちと同じ人間のところからでもなく、天から、神のところから得られた。信仰とは、そのことを受け入れることでした。

 「あなたの信仰があなたを救った」と告げられたイエスさまの言葉が思い出されます。あなたを救ったのはわたしではない。あなたはそう思っているかもしれないけれども、わたしではない。救ったのはわたしの力ではない。あなたの病気を癒して、あなたを救ったのは「あなたの信仰」だ、イエスさまはそう言われました。「あなたの信仰」。信仰とはただ、今ここにもたらされている、神の力、イエスさまの愛、そして天の国の福音を、掛け値なしにただ受け入れることです。あなたの病を癒し、あなたを救ったのは、「あなたの信仰を通して、今ここに働かれた神の愛のみ力だ」、イエスさまはそう言われたのです。

 その意味で注目すべきは、「そこではあまり奇跡をなさらなかった」という言葉です。イエスさまがたくさんの奇跡をされなかったのは、人々に信仰がなかったからです。ほんの僅かな人しか癒すことができなかったのです。その人たちしか信じなかったのです。信仰がないと、イエスさまは救えないのです。信仰がないところでは、イエスさまは働けないのです。働かないのではなくて、働けないと福音書は書いています。

 わたしたちは、自分の知恵と力との限界をはっきりと知らなければなりません。そして、イエスさまの神の子としての知恵と力とを受け入れ、ゆだね、信じる外、手立てはありません。そうでなければ、力の業、力の働きとしての救いは起こりません。奇跡が先ではなくて、信仰が先なのです。主に対する信仰、主に対する聞かれた心がある時、奇跡が、救いがもたらされます。

 

■福音に招かれて

 しかしナザレの人々は、イエスさまのその福音の言葉を聞いても、ピンと来ませんでした。ただ、感心をしているだけです。そしてそれは、わたしたちも同じかもしれません。この世の悲惨、不条理に取り囲まれているわたしたちは、神の救い、神の愛の御手が今ここに差し出されていると言われても、その言葉をすぐに受け入れ、信じることができません。そもそも、イエスさまの福音を現実の出来事として受け入れようとするとき、世の悲惨、不条理はなくなるのでしょうか。残念ながら、そんなことはありません。では、イエスさまが語られた「天の国」の福音を、現実の出来事として受け取ろうとすることに、どんな意味があるのでしょうか。

 高橋三郎という神学者が、「悲しむ者」と題する一文を残しています。

 「この世の営みに巻きこまれて、しみじみと胸に抱く思いは、悲しみであることが多い。…しかしイエスは言い給うた。『悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう』と(マタイ5:4)。この言葉は、やるせない嘆きと憤りの中にある者にとっては、冷やかな傍観者の声、さとりすました者の教訓としか聞えないことが、あるかも知れない。しかし、イエスの真意は、もちろんそうではなかった。十字架の上に血を流してまでも、われらの救いを完うしようとされた方の御言葉が、冷たい傍観者の声であろう筈がない。しかしそれでは、この御言葉の中にこもる「慰め」は、いかにしてわれらの心に届くのであろうか?

 この問いに対する私の答はこうである。「悲しむ者」は、「怒る者」とは違う。怒るということは、受けた仕打ちに反抗し、これをはねかえそうとする者、これを受けることを拒否する者の態度である。そして外から見ると、これは勇ましい態度、みずから自分の運命を切り開いて行く者の業というふうに見えるかも知れない。だが怒る者の心には、激情はあっても平和がない。そしてしばしば、この激情は、みずからわが身を焼き滅ぼすことがある。

 しかし、一転して十字架の主を静かに仰ぐとき、われわれは我が身にふりかかったすべての苦難、すべての理不尽な取扱いの背後に、見えざる神の御手を感ずることができはすまいか。そして、その神の御旨は善と愛そのものであることを、信ずることができはすまいか。いや、そうやすやすと信ずることができない場合の多いことも、私はよく知っている。しかし信ずるということは、納得できるということではないのだ。信ずるとは、にもかかわらず神は愛なりと信ずべく決意する意志的行為である。

 かくして天を仰ぐわれわれの心に聖霊が注がれるとき、憤激に燃えていた心の怒りは融けて、われわれは「悲しむ者」となる。怒りとは、反抗の所産であった。しかし、不可解きわまる神の御心の前にわが首を垂れ、一切の反抗を放棄して、与えられた杯を飲み乾すとき、怒りは悲しみに変るのである。そしてこの悲しみの中に、イエスの慰めが雨のようにしみ渡る。彼もまた悲しみの人であった。その御前にわが疼きを託し、わが悲しみを訴えることによって、新しい平和がわが心に臨むのである…」(『十字架の言』第五号)

 もう一つ、宮崎 亮(まこと)という一人の医師がバングラデシュから報告した一文です。

 「ポプラ病院小児科外来。遠くから連れてきた三か月の赤ちゃん。でも体重は僅か三キロ。息は?「している?」「していない?」体がふにゃふにゃ。外来のナースが母親に言った。「この子死ぬよ!ね、見てごらん。息がないじゃない」。

 母親はナースの顔をじっとみている。

 「入院させなきゃ。ネ、先生そうでしょ。すぐにね!」

 「ウーン、すぐ入院だ」

 母親は答えない。

 「ね、どうしたの、すぐ入院!」

 母親は小さい声で言った。

 「お金がないの、払えないの」

 「お金? お金と赤ちゃんの生命とどっちが大切なのよ!」

 小さな赤ちゃんは目をあけて、天井を見た、苦しそうに息をした。

 「とにかく、入院! お金は病院でだしてくれますよ」。

 そっと目の奥を見る。泣きもしない。悲しみもしない、無表情の子。

 もう泣く元気もなくなった子、力尽きて涙もだせなくなった子、息をする気力もなくなった子がそこにあった。

 「ネ!どうなの、入院させなきやダメ!」

 母親はやっとうなづいた。

 「でも……」
 
 「でも……やっぱり帰る。入院しない、できないの」。

 赤ちゃんもうなずいた、悲しげに。

 私は知った、もう帰ってこない、この子は!帰ってこない、この母親も!クスリを出した。(クスリではよくならない。わかっている。帰る途中に死ぬ。バスの中で死ぬかも、リキシャの中で死ぬかも)

 「わかっているよ。わかったよ……」

 お父さんも、お母さんも、精一杯生きているんだ。やっと生きているんだ。死んでゆく子のめんどうまではみられないんだネ。死んでゆく子-死ぬがよい-死ぬがよい-。それでも……つぶやいた。

 「なんと美しい目なのだ。おまえの生命も大切な生命、神様につくられた生命。生きられるだけ生きるんだよ」。

 手を握ってみた、小さな手だった。暖かい手だった。神様の生命がそこにあった。もっとも小さいこの子の中に主がいましたもうた。子は去った。帰ってはこなかった」(「バングラデッシュだより」『十字架の言』第269号)

 不条理渦まく世にあって、イエスさまは、今ここに神の愛の御手が差し出されているという驚くべき喜びの知らせを告げ知らせてくださいました。すべての人が、その罪と苦しみから贖い出され、喜びへと招かれていることを告げる言葉です。宮崎医師は、悲惨と不条理の中で、憤りつつ、呻きつつ、悲しみの涙を流しつつ、しかしだからこそ益々、この福音に生きる者とされました。

 そして今、わたしたちもまた、この不条理の渦まく世にあって、同じ福音へと招かれています。祈ります。