≪礼拝式順≫ 午前10時15分
黙 祷
讃美歌 13
招 詞 申命記30章14節
信仰告白 信徒信条 (93-4B)
交読詩編 100篇1~15節
讃美歌 327
祈 祷 ≪各自でお祈りください≫
聖 書 マタイによる福音書7章13~14節
讃美歌 274
説 教 「狭い門から」
祈 祷
献 金 64
主の祈り 93-5A
讃美歌 505
黙 祷
≪説 教≫
■見向きもされない門
小倉に来て一年が過ぎました。車での移動が多く、ほとんど歩かない不健康な生活をしています。これではいけないと、買い物がてら近隣を散歩するよう心がけています。歩いていると車では決して気づくことのない小さな草花を見つけたり、さわやかな風を頬に感じたり…やはり歩いたほうがよい、そう思わされます。ことに町中を歩いていると思わぬ発見をすることがあります。こんなところに、というような狭い路地を見つけたりします。歩く他に目的のあるわけではありませんから、この狭い道はどこまで続くのだろうと路地に足を踏み入れます。すると雰囲気のある建物を見つけたり、素敵な美しい庭に出会ったりします。
イエスさまが細い道と言われた時、こんな狭くて細い路地を思い浮かべておられたのかも知れません。ちなみに、当時のユダヤでいう「狭い」「広い」の尺度とはどれくらいのものか。ユダヤの人々が「律法」と並んで大切にしていた口伝律法の集大成「タルムード」に、道路には公道と私道の区別があり、私道は4アンマ―2m弱、公道が16アンマ―7m強と道幅の目安が記されています。イエスさまが「狭い門」「広い門」と言われる時、この尺度をイメージしておられたと考えてよいでしょう。
その「狭い門」、「それを見いだす者は少ない」とあります。門自体が小さい上に、道も狭い。およそ目立たない入口であり、道です。イエスさまが思い浮かべておられる門と道は、人がだれも注目しない、つまり見向きもされない門、道、見つけにくく目立たないものだ、ということでしょう。どうも、イエスさまが言っておられる「狭き門」という言葉は、日本語で一般に用いられている用い方とは、だいぶ違ったニュアンスを持っているようです。
わたしたちが普段、「狭き門」という言葉を使うとき、それは、有名校の入試や格安住宅の抽選会など、応募者が殺到して普通ではとても入れそうもない状況を指します。その典型はやはり東大入試でしょうか。東京大学の毎年の募集人員は三千人を超えています。その正面にあるのは、隠れるところのない大きな立派な門―赤門です。三千人を迎え入れる、その大きくて立派な門が、なぜ、狭き門と言われるのか。そこに人が殺到するからです。
では、なぜそこに人が殺到するか。その立派な門こそが、いのちに通じている。人生、いのちを養うためには、その門をくぐり、その道に進むのが一番よいと、だれもが思っているからです。そのため、多くの人がその厳しい競争に勝ち残り、選ばれた者となろうと、他人のことはもとより、自分のことにさえ目もくれず、ただ強い自分、優秀な自分になろうと、克己修養の道を邁進します。結果、ごく少数の人以外、つまり大半の人はみな、その門から、その道からはじき出されてしまうことになります。
しかし、イエスさまはこう言われました。直前8節、「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」。「だれでも」です。そのイエスさまが、だれもが入り、歩 くことのできるわけではない、そんな狭き門に入りなさい、細い道を進みなさいなどと言われたとは、とても思えません。聖書は克己修養の書ではありません。すべての人に開かれた救いの約束―福音を告げ知らせる書です。
とすれば、今ここでイエスさまが指し示される狭い門とは、人が殺到することで狭くなった門というのではありません。14節にあったように、それは、見出す者が少ない門、見つけにくい門ということでしょう。散歩の時のあの路地のように、文字通り、狭く、細いのです。路地を散歩していて、門構えの立派な家に出会うことがあります。門構えは家の顔です。凝った造りの大きな家は門構えも立派です。立派であれば、いえ、立派に見えるよう建てているのですから、いやでも目につきます。逆を言えば、見つけにくい、目立たないのは、立派ではないからです。イエスさまの言われる「狭い門」は、狭く、小さく、みすぼらしく、見栄えのしない門だから、だれも見つけられないのです。いえ、見つけようともしないのです。
イエスさまが今、この門こそ、いのちに通じている、さあ、この門を入り、この道を歩みなさい、とわたしたちに促しておられるのは、そういう見栄えのしない、みすぼらしい門であり、道のことです。
■見捨てられた人たちの門
では、イエスさまがそのとき、そこで見ておられた「狭き門」「細い道」とは、具体的には何だったのか、どのような門だったのでしょうか。
「門」は、ヘブライ語でシャアル、旧約聖書に頻繁に出て来る言葉です。[ii]その中から二つを挙げてみましょう。詩編118篇19節に「わたしのために義の門を開け、わたしはその内にはいって、主に感謝しよう」(口語訳)とあり、箴言31章23節に「その夫はその地の長老たちと共に、町の門に座するので、人に知られている」(口語訳)とあります。
城壁に囲まれた都市エルサレムには、八つの門があって、門外の広場には人々で賑わう市が立ちます。門は市民生活の中心としての役割を担い、また共同体の権威の象徴でもありました。そのひとつが「黄金の門」と呼ばれる「広い門」です。大手を振ってそこを出入りするのは、社会的に認められた人たち―律法に従う克己修養による敬虔の道こそ、唯一の救いの道、正しい道だと人々に教え、また自らを誇っていた律法学者やファリサイ派の人たちです。町の有力者である長老たちもまた、城門の傍らに座して裁きを行っていました。門外の広場は時として処刑の場にもなりました。「義の門を開け」や「その地の長老たちと共に、町の門に座す」という言葉は、そのことを指しています。
しかしその広い門の脇にもうひとつ、目立たぬように小さな通用口が設けられていました。「糞門」あるいは「汚物門」と呼ばれていた門です。人やロバがやっと通れるほどの小さな門でした。なぜ、こんな名前になったのか。城内の糞尿や生ゴミ、動物の死体などをここから運び出したからです。門の外、その左手にはキデロンの谷、右手にはヒンノムの谷という深い谷があります。ヒンノムの谷は、ゲヘナ「地獄」という言葉の語源にもなった場所です。その谷に、ありとあらゆる汚物が投げ捨てられ、その谷の周辺には、重い皮膚病や心の病を止む人たちが追いやられて生活していました。また城内でも、その門の近くは、羊飼い、食肉業者、皮なめし職人など汚れた職業と見なされた業種の人々の居住地域として定められていました。この門を利用するのは、そうした社会から見向きもされない、見捨てられた人たちでした。彼らは、人目を避けるようにして、そこから出入りしていました。それが「狭い門」でした。
■イエスという門
イエスさまは、その「狭い門」から入れ、と言われます。
さきほどの8節、「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」には、分け隔てなく与え示される父なる神の祝福の約束が語られていました。その約束に続く言葉であることを素直に受け止めるなら、この「狭い門から入りなさい」とは端的に、見向きもされない、見捨てられた人たちの、その存在に目を向けなさい、ということでしょう。あなたも、彼らと何らひとつ変わらない存在ではないか。いのちも、人生に必要なものも、すべては神が与え備えてくださっている。だれもが、神の愛ゆえに、生かされ生きている存在ではないか。それなのに、あなたは、自分を誇り、人を裁く人々と同じように「広い門」から入ろうとするのか。これまで―山上の説教の中で―繰り返し語り聞かせてきたではないか。どうか、神の愛だけを頼りに一日一日を感謝して生きる、この見捨てられた人たちのように「狭い門」から入りなさい、ということでありましょう。
社会には、見向きもされない人たちが大勢います。白い杖の人がいても、まるで目に入ってきません。駅の地下道や柱の陰に、死んだようにうずくまっているホームレスがいます。人はその横を忙しく通り過ぎます。まるで、その人たちなどどこにもいないかのようです。無関心です。たとえ気付いていたところで、何もしようとしません。このわたしもその一人です。
そこでイエスさまは、まず、自分と何一つ変わらない彼らの存在に目を向けよ、と教え諭されます。世の多くの人たちのように、見ても見ず、裁いて、切って捨てるのではなく、与えられたいのちを生かされ生きている者として、真正面から相対しなさい、と言われます。
だれもがこの言葉に怯むかもしれません。しかし何より、イエスさまご自身が、みすぼらしい、見向きもされない「狭い門」「細い道」を歩まれた方でした。病人や障がい者、徴税人や姦淫の女など、罪人と世の非難を浴びる人々に関心を示し、目を留め、寄り添い続けられました。そうすることで、イエスさまも「汚物門」から入るべき罪人、汚れた者と見做されたことでしょう。いえ、見做されたどころか、イエスさまの姿は、見向きもされない、見捨てられた人たちと何ひとつ変わりません。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(8:6)とあるように、雨露をしのぐ家も、身を横たえて安らぐ場所もありませんでした。それどころか、財布は空でいい、「旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない」(10:10)とまで言われます。弟子たちにも、そのことを自覚して生きるようにと繰り返し促されます。
その上で、「命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか」とも言われます。いのちに通じる門は狭く、その道は細くて目立たない。だから、だれも、それがいのちに続く門、道であるとは分からない。いのちに至る門、道とはそういうものだ、そう言われているようです。そう、だれにも分からない、だれからも理解されません。その極みこそが、あの嘲りと辱めの十字架の上のイエスさまの姿でした。
イエスさまのご生涯こそ、「狭い門」であり「細い道」でした。「わたしは門である」(ヨハネ10:9)「わたしは道である」(同14:6)と言われた通りです。とすれば、その「狭き門」から入りなさい、その「細い道」を歩みなさいとは、自分一人でそうしなさいということではありませんし、とてもわたしたちにできることではないでしょう。そんなわたしたちにイエスさまは、門であるわたしと一緒に狭い門から入り、道であるわたしと一緒に細い道を歩みなさい、そう招いてくださっています。
■細い道を一緒に
とはいえ、「狭い門」の先にあるのは、暗闇の中の剣が峰のような「細い道」かも知れません。
アーノルド・トインビーという歴史学者がこんなことを語っています。
自己中心ということは生命にとっての必須な条件である。けれどもまた自己中心は傲慢の罪として応報を免れえない。自己中心をどこまでも貫徼しようとすることは「自殺」に導く。だが、ただ自己放棄をすることも誤った「安楽死」に終らざるをえない。人間は、この自殺と安楽死とを、ともに避けつつ、その進路を求めなければならない。その限りにおいてのみ、かれは生きることができるのである。それは左右に横たわる二つの深淵に誘いこもうとする二つの力が相引く高度の緊張に耐えながら、バランスをとって、かみそりの刃のように狭い道を進むに等しい、と(「宗教へのひとりの歴史によるアプローチ」)。
「中間の通路はかみそりの刃のように狭い」。トインビーは、生きるということが含んでいる不安と危機性とを鋭く衝いています。仏教にも、二河白道(にがびゃくどう)というたとえがあって、西方浄土への道は、左手には火の河、右手には水の河が流れている、その中間に横たわるわずか四、五寸の狭い白道である。人がそこに差し掛かりますと、後からは釈迦の教えが「行け」と勧め、前からは弥陀が「きたれ」と招く。その両者(歴史的な釈迦牟尼と超越的な救済仏)の声に励まされて、その危うい白道を渡り切ることが救いである、と教えています。この二河白道の解釈については、浄土宗門の中でも、種々説があると聞きますが、生きることの危機を指摘する点において、このたとえは、トインビーにまさる、宗教的な深みを持っています。
というのは、トインビーの比喩では、かみそりの刃のよりに鋭く細い道ではあっても、ともかくも、そこに通路があることになっています。ところが二河自道の白道は、仏の願(がん)と人間の信心とによって、初めて忽然として通じる道です。本来、道はないのです。ないのですが、ただ神の御心にすべてを委ねる信仰によって、そこに開けるのだということです。
わたしたちの「細い道」でも、「われに来たれ」と招き、「われに従え」とお命じになるイエスさまが、わたしたち一人ひとりと共に歩んでくださるのです。イエスさまと一緒に、わたしたちには全く見分けのつかない暗黒の中に、み言葉という小さな光だけを頼りに、一歩、一歩を踏み出すとき、そこに未来への道が開け、いのちの泉が湧き出るのです。それ以外の道は人生にありません。
お祈りします。門であり、道である主イエス・キリストの父なる御神、わたしたちのうずくまる、そこに、御子イエスが共にいてくださいます。いのちの道が閉ざされたと絶望している、そこに、御子キリストが来てくださって、わたしたちのいのちとなってくださいます。心から感謝いたします。あなたから与えられた愛を、喜びを、希望を、すべての人と共に分かち合うことできますよう、あなたのみ言葉によって導いてください。主の御名によって。アーメン。