■魂を注ぎ出し
7節、
「わたしの神よ。
わたしの魂はうなだれて、あなたを思い起こす。
ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から」
かつてエルサレム神殿に仕える身であった人(5節)が、理由は分かりませんが、エルサレムから遠く、北方のヨルダン川水源(ミザル)の近く、現在も野生の鹿(1節)によく似たガゼルが生息する、そんな場所に追放されていたのでしょう。そこで詠われた詩です。詩人の心は、ヘルモンの山から遥かに望むエルサレムへの深い哀愁に包まれています。
ヘルモンはレバノン山脈の中の最高峰です。その頂(いただき)に積もる雪は春になれば溶け、北のガリラヤ湖からヨルダン川へと流れ込み、南の塩の湖(死海)へと至ります。その湖から西に僅か30キロの所にエルサレムはあります。ヘルモンの頂に立てば、雄大なヨルダン渓谷を一望できると言われます。
その美しい自然の思い出がしかし、詩人の慰めとはならず、彼の魂を引き裂かれるほどの悲しみと寂しさへと追いやります。彼の願いはただひとつ。あのエルサレムへ戻り、神殿に立って、主なる神を礼拝すること、ただそれだけです。5節、
「わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす
喜び歌い感謝をささげる声の中を
祭りに集う人の群れと共に進み/神の家に入り、ひれ伏したことを。」
彼はかつて神の家に住み、そこに集まって来る巡礼の人々と共に、礼拝を捧げ、喜びの声を上げ、感謝の歌をうたっていました。見るもの聞くものすべてが感謝であり、喜びでした。彼は、自らの魂を注ぎだすほどに激しく、そのことを願っています。
■お前の神はどこにいる
ところが、8節、
「あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて
深淵は深淵に呼ばわり/砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く。」
ヨルダン川は、冬の雨によって急激に水かさを増し、激流は川岸を削らんばかりとなります。その自然の猛威におびえるように、詩人は襲いかかる不運に身を縮めます。なぜ、わたしはこれほどの苦難に襲われることになったのか。一体いつまで、わたしはこの異郷の地に捨て置かれるのか。砕け散る激流に飲み込まれ、翻弄され、いのちの危機に瀕しています。悲運は悲運を呼び、苦難は苦難を招き、世のあらゆる不幸が取り囲み、彼の魂を滅ぼそうとしているかのようです。
わたしは、神に見捨てられたのではないか。そう思わずはおれませんでした。神を信じないのではありません。信じているのに、なぜ、こんな悲惨な目に遭うのか。 詩人は呻くように祈ります。10節から11節、
「わたしの岩、わたしの神に言おう。
『なぜ、わたしをお忘れになったのか。
なぜ、わたしは敵に虐げられ/嘆きつつ歩くのか。』
わたしを苦しめる者はわたしの骨を砕き/絶え間なく嘲って言う
『お前の神はどこにいる』と。」
詩人にとって、神は「岩」でした。彼の人生は、その堅い岩の上に建てられているはずでした。ところが今、彼の前途は、無限の暗闇に包まれています。彼を追いやった敵は、詩人の魂の動揺を知って、蔑みのまなざしをもって拍手でもするかのように嘲りの言葉を浴びせかけます、「お前の神はどこにいる」と。
■糧は涙
神を、「命の神」(3節)を冒涜するこの言葉は、彼にとって耐えがたい、「骨を砕」かれるほどの苦しみでした。今、彼が、夜となく昼となく食べているのは、ただ涙ばかりです。4節、
「昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。
人は絶え間なく言う/『お前の神はどこにいる』と。」
人生の悲しみと苦しみを味わい尽くす人にとって、この世が与える慰めはもはや何の慰めにもなりません。 涙の谷の底にあるときにこそ、神は共にいてくださる。そのことを自分に言い聞かせるように詩人は歌います。2節から3節、
「涸れた谷に鹿が水を求めるように
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
神に、命の神に、わたしの魂は渇く。
いつ御前に出て/神の御顔を仰ぐことができるのか。」
パレスチナはしばしば旱魃(かんばつ)に悩まされ、野の獣たちは飢えと渇きのために倒れます。燃えるほどの暑さに苦しむ鹿が求めるのは、冷たい水です。甘い若草でも、美しい花でも、柔らかな寝床でもありません。それが何の役に立つでしょうか。鹿が求めのは、ただ水であって、それ以外の何ものでもありません。弱り果てたいのちを再び生き返らせるのは、谷間の清流の外にありません。詩人の渇ききった魂も、ただ「生けるいのちの水」なる神を喘ぎ求めるばかりです。それは、人が神なくしては生きられない者であることを、彼が知ったからでした。世から棄てられて、神の愛を深く味わいしることができたのです。6節、12節、
「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ/なぜ呻くのか。神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう/『御顔こそ、わたしの救い』と。
わたしの神よ。」
■イエスさまの涙
人の心は満たされ、喜びが、祝福があふれていることが理想でしょう。しかし、現実はどうでしょう。笑顔でいることよりも、涙に濡れていることのほうが多いように思えます。すると決まって、「泣くな、男だろ」などと言われます。男は泣いてはいけないとか、泣くことは良くないことだ、というイメージが植えつけられます。
しかし、イエスさまもよく泣かれました。まるで泣き虫のようでした。
ラザロが死んだとき、姉妹(きょうだい)のマリアが泣いているのを見て、もらい泣きされたと、ヨハネ福音書11章に記されています。
そしてルカ福音書の19章41節には、エルサレムの都を見て泣かれたと記されます。イエスさまには、間もなくローマ軍がエルサレムに攻めてきて、たくさんの人々が殺されることになる未来が見えていたのでしょう。42節、「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら…。しかし今は、それがお前には見えない」。ユダヤの貴族たち—政治家たちは、ローマの植民地として、ローマに従っておけば安泰だと考えていましたし、宗教家たちは、ヘロデ大王の建てた神殿の偉大さを、自らの権威の象徴として虚勢を張るばかりでした。貧しい人たちのことは忘れ去られ、巷(ちまた)に物乞いや病人が溢れていました。イエスさまが行かれる所には、決まって貧しい失業者たちがぞろぞろ後に続き、宗教家や政治家たちは、イエスさまの存在を不愉快に、また危険に感じて殺そうと考えていました(19:47-48)。そのようなエルサレムを見て、イエスさまは泣かれたのでした。今も、エルサレムの東側にあるオリーブ山の中腹、イエスさまが泣かれたその跡に、教会が建てられています。
自分を殺そうとする人たちのことも含め、他人(ひと)のために泣く人がいるでしょうか。この後、イエスさまは、時の権力者の不法な裁判によって死刑を宣告され、ゴルゴタの丘で十字架にかけられて殺されます。その時もイエスさまは、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(23:34)と瀕死の息の中で祈られました。
さきほどの詩編42篇6節の言葉が、聞こえてはこないでしょうか。
「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ/なぜ呻くのか。神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう/『御顔こそ、わたしの救い』と。」
イエスさまの涙は、神が本当に人を愛しておられる、その「しるし」でした。
だからイエスさまは、こうも言われました。「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」(ルカ6:21)。イエスさまは、詩編を歌った詩人と同じように、世の苦しみ、悲しみ、貧しさ、病、死の現実を見逃さず、渇き、泣いている人々のことを、神が決してそのままにしておかれないと確信しておられました。なぜなら神は、子どもができず悲しんでいたアブラハムとサラの家庭に、それもアブラハムが100歳、サラが90歳になったとき、ひとり子イサクをお与えになり、「笑い」をお与えになったお方だからです。
神は泣く者の声を聞き、笑いをお与えになるお方なのです。
そしてイエスさまは、今も泣いておられます。それは、わたしたちすべてが、心から笑って暮らすことができるようになるためです。どうか、涙を流すほどに愛してくださる、その神の愛を信じてください。
お祈りします。慰めの主よ、涙を流すほか何もできなくなるときがあります。それでも、わたしたちにできるたった一つのことがあります。それは、涙をあなたに捧げることです。あなたは、わたしたちと共に涙を流してくださるでしょう。そうすることで、わたしたちにと共に笑うための道を指し示してくださいます。感謝です。苦しく悲しい時も喜び楽しい時も、いつもずっと、あなたと共に歩む人生を歩ませてください。主の御名によって。アーメン