福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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1月30日 ≪降誕節第6主日礼拝≫ 『祈りの家』マタイによる福音書21章12〜17節 沖村裕史 牧師 - 小倉東篠崎教会

1月30日 ≪降誕節第6主日礼拝≫ 『祈りの家』マタイによる福音書21章12〜17節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■激しく怒る

 「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された」

 エルサレムに入城されたイエスさまは、まっすぐに神殿に向かわれます。その神殿の境内で「事件」が起こりました。イエスさまが、そこで商売をしていた人々を「皆追い出し」、その「腰掛けを倒し」されたのです。マルコによる福音書は、腰掛けを「ひっくり返された」と表現し、ヨハネによる福音書は、「イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた」と記します(2:15以下)。

 まるで怒り狂っているかのようなイエスさまの姿です。一体、どうされたと言うのでしょうか。

 神殿は、ヘロデによって建設された神殿でした。今日まで残る多くの建造物をたてた、建築家としても著名であったヘロデの神殿の特色のひとつは、その境内に異邦人でも立ち入りが許される「異邦人の庭」と呼ばれる場所をつくったことだと言われています。事件は、その異邦人の庭で起こりました。

 そこに「売り買いをしていた人々」がいました。神聖な神殿で商売とは何事か、と思われるかも知れません。しかし、どんな商売でもよいというわけではありません。そこで売り買いされていたのは、神殿で神に犠牲(いけにえ)として捧げる牛や羊や鳩などの祭儀用の動物でした。ほかに両替をする人たちもいました。この両替人も、神殿に献金するために、人々が普段使っていたローマの貨幣をユダヤの貨幣(シュケル銀貨)に両替する人たちです。ここに登場する商売人は、いずれも神殿に礼拝のために訪れる人々の便宜をはかるために必要なものであって、それ自体は取り立てて非難されるようなことはなさそうに見えます。

 しかし、少し詳しく当時のことを調べてみると、裏の事情が見えてきます。たとえば両替ですが、手数料は十分の一から六分の一にもなりました。その一部は神殿にも納められ、また両替人の取り分もかなりのものになったようです。また犠牲の動物を売っていた店は「アンナスの店」と言われていました。十字架の前日、イエスさまを直接尋問した大祭司の名前です(ヨハネ18:13)。その店は大祭司アンナスの一族によって経営されていました。大祭司という地位を利用し、その利権を一族のために確保していたのです。

 たしかに神殿での商売は、多くの人々の必要を満たし、神殿礼拝のための便宜を計るためのものであって、それがなければ人々は大変に困ったことでしょう。しかしそれらが利権であることは明らかです。その利権を独占していたのが、神殿での祭儀・礼拝の責任者である祭司、律法学者、長老たちであり、とりわけ大祭司の一族でした。まさに宗教の名前でなされていた商売、銭儲けです。イエスさまの激しい怒りは、その貪欲に向けられたものでした。

 

■強盗の巣

 しかし、その貪欲さは、単に金銭に留まるものではありません。彼らの本質、罪に関わる貪欲さを、イエスさまは問題にされています。

 「そして言われた。『こう書いてある。「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。」ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている』」

 この言葉が、イエスさまの怒りの理由、神殿の姿、実態を明らかにしています。神殿―わたしたちにとっての教会―は「祈りの家」でなくてはならないのに、それを「強盗の巣」にしてしまっている。イエスさまはそう告発されます。

 この言葉は旧約の預言者の二つの言葉に基づくものです。一つは、イザヤ書56章7節の「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」という言葉。もう一つは、エレミヤ書7章11節の「わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目には強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる」という言葉です。何を意味しているのでしょうか。

 まずイザヤ書の言葉。56章には「異邦人の救い」という小見出しがつけられています。そして3節にこう記されています。「主のもとに集まって来た異邦人は言うな。主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな。見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と」。どうしてか。もしも異邦人とか宦官が、神の安息日を守り、神の望まれるところを行い、神の契約を固く守るならば、神は彼らに永久(とこしえ)の名を与え、記念の名を「わたしの家、わたしの城壁に刻む」からです。イスラエルは自分たちだけが神の民としての特権をもち、神を礼拝していると思っていました。しかし神は、ユダヤ人から汚れた者、欠けある者、罪人と見なされていた異邦人や宦官であっても、神の御心を正しく求めて生きるのであれば、神の家で永久に記念される。そのようにして「わが家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」と言われたのです。イスラエルだけではなくて、すべての民の祈りの家こそが、神殿であり、教会なのです。

 エレミヤ書7章の言葉もまた、神殿の門で語られた言葉です。大勢の人々が礼拝に集まる有様を見ながら、預言者エレミヤは、神の名によって呼ばれる神殿がお前たちの目には敬虔な祈りの場ではなく、強盗の巣窟のように見えるのか、その通り、わたしの目にもそう見える、と言っています。なぜか。人々が主の御心に従って生きようとはせず、ただ形だけ信心深い装いをしている、偽善に過ぎないからです。エレミヤはこう叫びます。「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない」と(7:4-6)。

 このときも、神殿の境内、異邦人の庭では盛大に商売がなされていました。その喧騒の中で、異邦人たちは礼拝を守らなければなりません。しかしそこは、さらに内側の庭に入って礼拝するユダヤ人たちが自分たちの礼拝のために鳩を買い、両替をする、喧騒の場となっていました。ここまでしか入ることができない異邦人のために、そこを礼拝の場、祈りの場として整えようとする思いなど、まったく見当たりません。神に選ばれた民であると自負しているエルサレムの人々が自分たちの礼拝のことしか考えず、そのために異邦人の礼拝と祈りを妨げ、奪うようなことを平気でしている。

 神殿の雑踏の中でイエスさまがご覧になったのは、まさしく「すべての民の祈りの家」に似つかわしくない、貪欲な「強盗の巣窟」と化していた神殿の有様でした。それでいで、自分たちはいかにも神に対して信心深いのだと自認しているユダヤの人々の偽善を、イエスさまは激しく怒られたのでした。

 

■驚く心

 だからこそ、イエスさまは今、癒しの業を通して、人々の貪欲と偽善を告発すると共に、神の国―神の愛がすべての人にもたらされている場所、神の愛が満ち溢れている場所こそ、まことの神殿であることを示されたのでした。

 「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた」

 目の見えない人や足の不自由な人々は、ほったらかしどころか、神殿から排除されていました。そうした不自由を強いられている人々は神の祝福の外にいる人々、罪汚れていると考えられ、神殿の境内に入ることを許されなかったのです。ダビデの時代からイエスさまの時代に至るまでずっとそうでした。

 ところがこの日、イエスさまの「神殿きよめ」と呼ばれる大混乱の中、神殿の境内に入ることができなかったはずの、目の見えない人や足の不自由な人がこぞって押し入り、境内に立っていたイエスさまの足元にうずくまりました。それは、この千年の間、誰も見たことのない光景でした。

 この光景を見て、祭司長、律法学者たちが腹を立てます。

 「祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、『ダビデの子にホサナ』と言うのを聞いて腹を立て…」

 「不思議」という言葉は、「驚き」「驚くべき事」といったニュアンスの言葉です。驚くべき癒しの業を見て、祭司長たちや律法学者たちは腹を立てました。がその一方で、癒しのその業をまさに驚くべきこととして受けとめた人がいました。子どもたちです。こどもたちは、ろばに乗って入城なさったイエスさまを迎えて、大人たちが大声で賛美した「ダビデの子にホサナ」という歌を叫ぶようにして賛美します。イエスさまの癒しの御業に心から驚いたからです。

 子どもたちが神への賛美に導かれているその一方で、祭司長や律法学者たちは驚きません。イエスさまの癒しの業を見て、腹は立てても、そこに何の驚きも、感動もありません。彼らは、イエスさまに向かって「子どもたちが何と言っているか、聞こえるか」と皮肉交じりに問い質(ただ)します。イエスさまは詩編8篇の言葉を引用しながらお答えになりました。

 「聞こえる。あなたたちこそ、『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた』という言葉をまだ読んだことがないのか」

 詩編8篇2節、3節に「天に輝くあなたの威光をたたえます/幼子、乳飲み子の口によって」とあります。そしてその後、5節から7節に「そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ/御手によって造られたものをすべて治めるように/その足もとに置かれました」と歌われています。

 この詩編8篇は、人の子、つまり神が与えてくださる救い主が必ず万物を支配するときが来る、と歌っている。イエスさまの時代、詩編8篇はそう解釈され、そう信じ歌われていました。神が与えてくださる救い主、メシア、王が来られる。その時、その御方を心から賛美するのは幼子であり、乳飲み子なのだと詩編が歌っている、そう信じました。そのことを、子どもたちが知っていたかどうかは分かりません。それでも、この時イエスさまが示された愛の業、神の愛の御手が今ここにもたらされている「現実」を見た子どもたちは、驚き、感動します。そこに神を見て、「ダビデの子にホサナ」とイエスさまをほめたたえたのでした。

 イエスさまは子どもたちを弁護されます。そして詩編の言葉を引きながら、ご自身こそまことの王、救い主であることを宣言され、自分を迎える者は、この子どもたちだけなのか、ここにいる障がいで苦しみ、弱さを抱える者たちだけなのかと、祭司長、律法学者、そして神殿境内にいた人々に、イエスさまは問いかけられたのでした。

 

■居場所

 最後17節に、興味深い言葉が記されています。

 「それから、イエスは彼らと別れ、都を出てベタニアに行き、そこにお泊まりになった」

 ここに何気なく、「イエスは彼らと別れ」た、とあります。この「別れる」という言葉を、口語訳聖書は「彼らを残して」、新改訳聖書も「彼らをあとに残して」と訳しています。この言葉は「人々をそこに立たせたまま、置きざりにする」というニュアンスを持つ言葉です。もっとはっきり言えば、「彼らを捨てて」ということです。

 祭司長、律法学者、神殿にいた人々を神殿に置き去りにしたまま、イエスはベタニアに行かれました。なぜか。エルサレムに滞在する場所がなかったからかもしれません。あのクリスマスのときのベツレヘムでの出来事と重なって来るようです。イエスさまを宿したマリアとヨセフは、ナザレからの長旅で疲れていました。身重の体で、やっとの思いでやって来た目的地ベツレヘムに、彼らを泊める場所はありませんでした。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」(ルカ2:7)。「居場所」がなかったのです。それで、御子は貧しい家畜小屋でお生まれになり、飼い葉桶に寝かされたのです。

 この後、この福音書26章6節に、「さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき」とあります。このときから数日後、ベタニアで起こったことが記されています。ベタニアの村でイエスさまを迎えた家は、重い皮膚病のシモンがいる家でした。その家に滞在していた時、一人の女が現れて、イエスさまの体に香油を注ぎます。するとイエスさまは、「この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた」と言われました。そう、このベタニアこそ、イエスさまが十字架へと歩み進まれる時の最後の砦、十字架に向かうためにご自身の心と体とを休ませ、癒す場所でした。

 今日の17節、「それから、イエスは彼らと別れ、都を出てベタニアに行き、そこにお泊まりになった」、そここそが、重い皮膚病で苦しむシモンの家こそが、イエスさまを喜んで迎え入れ、十字架に臨むイエスさまが心と体を整えることのできる「居場所」となったのでした。皮肉なことです。都エルサレムでも、神殿でもなく、そこから離れたそのベタニアにある、重い皮膚病のシモンの、もしかしたら、つい先日まで物乞いをしていたかもしれない男の家こそが、イエスさまのくつろげる、大切な最後の一週間を過ごす居場所となったのです。

 本当に驚くべきことを見て聞いても、驚くことのできなかった大人たちがいました。賛美することができませんでした。わたしたちも問われています。あなたたちはどうですか、と。

 イエスさまは飼い葉桶にお生まれになりました。神殿でも王宮でもありません。飼い葉桶です。でも、でもだからこそ、人口調査の対象外の羊飼いが御子を拝みに来ることができ、神の祝福の外に置かれていたはずの異邦人の占星術の博士たちが、ユダヤ人を差し置いて礼拝し、賛美する者として招かれたのです。聖書の聖書と呼ばれる言葉を思い出します。

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、この世を愛された」

 イエスさまは神殿でも王宮でもない、この世、わたしたちの生活の只中に生まれて、すべての人々と共に生き、十字架への道を歩んでくださいました。どれほどの苦難の場所であっても、今ここを、イエスさまが共いてくださる、まことの祈り家、わたしたちの「居場所」にしてくださったのです。それは、「神は、その独り子をお与えになったほどに、この世を愛された」からでした。聞き慣れた言葉かもしれません。しかし、本当に驚くべき出来事を伝える言葉です。この驚きからこみ上げてくる喜びが、わたしたちの祈り、賛美となりますようにと願わずにはおれません。そこにこそ、神とのまことの出会いと救いがもたらされることを、そここそが、まことの祈りの家であることを確信したいと願います。