福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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1月8日 ≪降誕節第3主日/新年「家族」礼拝≫『乳飲み子を腕に抱いたとき』ルカによる福音書2章22~35節 沖村裕史 牧師

1月8日 ≪降誕節第3主日/新年「家族」礼拝≫『乳飲み子を腕に抱いたとき』ルカによる福音書2章22~35節 沖村裕史 牧師

 

≪メッセージ≫(おとな)

■ひと月余りの乳飲み子

 「めでたさも 中くらいなり おらが春」

 ご存じ、小林一茶の一句です。わたしたちも今、ご一緒に新年を迎えています。ただ一茶と違うのは、中くらいならぬ、クリスマスの大きな喜びと希望の内に、新しい年を迎えていることです。そして、そんなめでたい新年に与えられたみ言葉が、ルカによる福音書2章22節以下です。

 「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、『初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される』と書いてあるからである」

 御子イエスが生まれたのはベツレヘムでした。律法によって、男子を出産した産婦は7日の間、汚れたものとみなされ、さらに出血の清めのために33日を要し、合わせて40日間、外出することができませんでした(レビ12:2-5)。とすれば、「清めの期間が過ぎたとき」とは、イエスさまがベツレヘムで生まれてからひと月余り後ということになります。

 マリアとヨセフはひと月余りをベツレヘムで過しました。初めて自分の乳房から乳をやる。日増しにわが子が成長していく。家族が喜びに満ちあふれるひと月だったでしょう。しかしまた、家畜小屋の中で産むほかなかった乳飲み子を抱えてのひと月、それは気苦労の多い日々でもあったに違いありません。

 その「モーセの律法に定められた清めの期間」が明けました。生まればかりの乳飲み子です。いつまでも旅先で過ごすわけにはいきません。マリアも体力を取り戻し、家族でナザレの家に帰ることになりました。しかしその前に、どうしても立ち寄らなければならない場所がありました。エルサレム神殿です。

 日本にもお宮参りという習慣があるように、マリアとヨセフもイスラエルの定めに従って、御子イエスをお宮参りに連れて行かなければなりません。遠方からの子連れの参拝ともなれば相当の負担となったはずですが、幸いにも、ベツレヘムからエルサレムまでは、わずかに8キロの道のりでした。

 

■痛ましく、不憫な宮参り

 神殿の丘に上った両親には、それぞれになすべきことが待っていました。ヨセフには長男を買い戻すための身代金を祭司に支払うこと、マリアには産後の清めのための犠牲を献げることです。

 出エジプト記に「すべての長子をわたしのために聖別せよ。すべての初子は…人であれ家畜であれ、わたしのものである」とあるように(13:2)、父親はまず、長男をいったん祭司の手に渡し、神のものとして献げるという形をとりました。次に、銀5シェケル―当時で言えば20日分の賃金に当たる金額―を祭司に支払って、息子を贖(あがな)う、買い戻します。ヨセフはその代価を支払いました。

 続いてマリアです。レビ記12章によれば、母親の清めのための献げ物として「一歳の雄羊一頭と家鳩または山鳩一羽」が定められていました。ただし「産婦が貧しくて小羊に手が届かない場合は」、特例的に「二羽の山鳩または二羽の家鳩」でもよいとされました。本来は、小羊一頭と鳩一羽のところを、大負けに負けて鳩二羽にしてやろうというわけです。しかしその鳩とて、そこらで捕まえてくればいいというわけではありません。傷のない、きれいな鳩でなければ、受け付けてもらえません。そこで神殿の境内には、神殿のお墨付きをもらった鳩売り業者や両替商が軒を並べていました。お墨付きによって神殿には収入が確保されます。神殿によるこの献金のシステムは、後にイエスさまの怒りを買うことになります。

 それにしても、何とも痛ましく、また不憫なお宮参りです。家畜小屋に生まれなければならなかったということだけでも不憫なのに、そのうえ乳飲み子を抱えて、旅先でのひと月余りもの不自由な生活を余儀なくされ、さらにはナケナシのお金と献げ物まで搾り取られるのです。十代前半のマリアと二十歳にもならないヨセフには、小羊などとても手が届かず、山鳩か家鳩の献げ物が精一杯でした。裕福な身なりをした人たちが、きれいな真っ白い布に赤ちゃんをくるんで、小羊を献げるその脇で、貧しい身なりの、疲れ切った夫婦がぼろ布に赤ちゃんを包んで抱きかかえ、鳩を献げようとしている。そんな光景が目に浮かびます。

 痛ましく、不憫な光景です。しかしそれは、神殿の祭司たちやエルサレムの指導者たちから見れば、罪深く、恥知らずな、みっともない光景でした。小羊を献げる親子連れにはおめでとうの言葉をかけても、この貧しい親子には祝福の言葉もなかったかもしれません。献げ物を格づける社会、それによって人間を格づける社会とはそういうものです。

 

■腕に抱いたシメオン

 ところがそのとき、この光景を全く違ったまなざしで見ている人がいました。

 イエスさまが神殿でレプタ銅貨2枚を献げたやもめを、人とは違ったまなざしで見つめたのと同じように、シメオンという名の老人が、この貧しい身なりで鳩を携えた哀れな親子を、暖かく包み、仰ぎ見さえする、そんなまなざしで見つめていました。彼は、境内に入ってきた幼な子イエスと両親を見るなり、走り寄り、幼な子を腕に抱きかかえて、神をたたえて祈り歌いました。

 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」

 身分の高い人や、人々から尊敬される人、あるいは特別な才能や知恵に恵まれた人に自分の子どもを抱いてもらって、祝福の言葉をかけてもらったりするという習慣があることをよく見聞きします。この時代のユダヤ社会にも、そういう習慣があったようです。

 しかし、ここでわたしたちは注意をしなければなりません。それは、マリアとヨセフが、そうした習慣に従ってシメオンに乳飲み子イエスを抱いてもらうことを望んだというのではなく、シメオンが、自分からイエスさまのもとにやって来て、御子イエス・キリストを抱きしめたという事実です。

 シメオンは聖霊に導かれて、幼な子のところにやって来ました。そして、シメオンはイエスさまをその腕に抱きます。年老いたシメオンが乳飲み子を抱きかかえ、喜びにあふれ、神に感謝をささげる。その姿はほほえましく、美しく、感動的です。しかし、そのほほえましさも美しさも感動も、実はそのすべては、幼な子イエスがシメオンにお与えになったものでした。

 わたしたちが赤ん坊を抱き上げる時、わたしたちの体と腕は自然と、こわれやすいものを受け取る時のような反応を示します。なるべく柔らかい感じの、それでいてしっかりと安定した形で、落としたり、つぶしたり、バランスを崩したりすることのないように、わたしたちは赤ん坊を抱えようとします。腕や背中に力は入れるものの、わざと弾力を持たせ、なるべく優しい感じで赤ん坊を支えようとするものです。こうしたことに馴れていない人だと、緊張のあまり腕に妙な力が入り、全身が硬くなって、かえって危なっかしい恰好で、必死になって赤ん坊を抱えている、そんな人を多く見受けることがあります。

 そのいずれにせよ、赤ん坊を抱く時のわたしたちは普段とは異なります。赤ん坊を自分の腕の中に受け入れるとき、わたしたちは、普段よりもずっと繊細に、そして微妙な配慮を働かせることになります。わたしたちの顔さえすっかり別人になってしまうでしょう。いつもより柔和な表情になる人があるかと思えば、かえってぎこちなくなって表情のこわばる人など、変化はさまざまですが、いつもとまったく変わらないという人はまずいないでしょう。そして顔が変化する時、その人の心にも何らかの変化が生じます。

 乳飲み子のイエスさまをその腕に抱いたとき、シメオンも、何とも言い難い思いを抱き、そこに神の愛と慰めを見出したのではないか。そんな想像をすることは決して的外れではないでしょう。

 

■抱かれ、支えられて

 だれもがかつては赤ん坊でした。しかし、だれも赤ん坊の頃のことを正確には覚えていません。覚えてはいませんが、赤ん坊の姿は確かに、わたしたちの人生の出発点、原点を指し示しています。わたしたちは、自分が本当はどういう姿でこの世に生まれてきたのかを忘れたまま成長し、そして小賢しい知恵がつき、大人になっていきます。親から見れば、あんなにもいろいろな思い入れをかけ、あんなにも世話をやかせながら、わたしたちは多かれ少なかれ、期待外れの人間になり、自分の殻に閉じこもった利己的な人間として、この世を生きています。

 だれもがかつては赤ん坊でした。しかし、だれもがそのことを忘れてしまっています。赤ん坊の姿はわたしたちに、神の前にあっては、昔も今もわたしたちは赤ん坊のように弱く、小さな存在であり、神の恵みと憐れみの中でしか生きていけない生き物であることを教えています。生まれる前から死んだ後も、徹底して、神の取り計らいの中に置かれているにもかかわらず、そのくせ、どんなに世話をしてもらっても、そのありがたみを「感謝することの少ない」存在。にもかかわらず、神によって愛され続けている者として、今この時を「生かされて生きている」存在。それがわたしたち人間の姿であることを、赤ん坊は指し示しています。

 赤ん坊を抱くということは、実に信仰的な経験です。神もまた、このようにしてわたしたちを抱きかかえていてくださるということを知る経験となるからです。この上なく繊細な力の加減と微妙なバランスのとれた神の腕の中で、わたしたちは守られ、支えられ、愛されていることを、わたしたちの腕の中の赤ん坊が教えてくれるのです。

 そして老いもまた、わたしたちにそのような神の恵みを深く味わわせてくれます。年老いていたシメオンも、このとき、神から与えられ備えられている深い恵みを、誰よりも身に沁みて感じ取っていたのではないでしょうか。

 

■それでも神は愛してくださる

 ある本の中に、「福音」という言葉をめぐってこんな会話が交わされる場面が載っていました。

 「福音とは何か、10語以内で聞かせてくれ」。そう尋ねた男に向かって、ウィル・キャンベルという伝道者がこう答えたと言います。「わたしたちは皆ろくでなしだが、それでもとにかく、神はわたしたちを愛している」と。

 マリアやヨセフが、そしてシメオンが、またその時、神殿にいた多くの人々が、このウィル・キャンベルの告げる「福音」に賛成するかどうか、分かりません。けれども、「それでもとにかく、神はわたしたちを愛している」という真理は、わたしたちのだれもが認めるところではないでしょうか。

 クリスマス後を描く今日の出来事は、「それでもとにかく、神はわたしたちを愛している」ことを、ひとりの赤ん坊の誕生という形で教えてくれています。神は、この赤ん坊をわたしたち一人ひとりが抱きしめることを望んでおられます。幼な子イエス・キリストを抱きしめることによって、わたしたちが神に抱きしめられていることを想い起こしなさい、そう告げているのです。

 幼な子イエス・キリストによって、父なる神によって、これまでも、今も、そしてこれからも、ずっと抱きしめられているという「福音」の事実を想い起こしつつ、感謝と喜びをもって、新しい年を共に歩んで参りたい。心からそう願う次第です。