福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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10月15日 ≪聖霊降臨節第21主日/秋の「家族」礼拝≫『いい子、いい子だね!』(こども)、『涙が笑みに変わる』(おとな) ルカによる福音書 6章17~26節 沖村 裕史 牧師

10月15日 ≪聖霊降臨節第21主日/秋の「家族」礼拝≫『いい子、いい子だね!』(こども)、『涙が笑みに変わる』(おとな) ルカによる福音書 6章17~26節 沖村 裕史 牧師

 

≪お話し≫「いい子、いい子だね!」(こども)

■新しいお母さん

 今日も、なおこちゃんのお話しです。

 わたしを生んですぐにお母さんが死んで、ずっと一人だったお父さんが再婚(さいこん)することになりました。小学校二年生の終わりごろのことです。

 新しいお母さんとは、何回か「オバサン」たちの家で会っていました。きっと、お父さんとの見合いのあと、「子どもがなつくかどうか」をみるためだったのでしょう。わたしは、この「オバチャン」が好きでした。コロコロとよく笑う、その笑い声が好きで、なついて、くっついてまわっていました。

 しばらくして結婚式(けっこんしき)のようなものがありました。オパチャンがうっすら化粧(けしょう)してヨソイキの着物をきています。いつもより無口(むくち)でコロコロ笑いません。父も真面目(まじめ)な顔をしてヨソイキを着ています。わたしもヨソイキです。オトナたちにまじって、かしこまっています。

 (オバチャン、きょうはキレイだなあ)

と思いました。

 朝がきて、なにごともない感じで一日がはじまりました。わたしが学校から帰ってくると、新しいお母さんがいます。当たり前のように一日が流れていきますが、心の中で、目をまんまるくしている気分でした。

 (ふうん、そうかあ)

 「もじもじしているような、ぎごちないような」感じです。「ドキドキするような、はずかしいような」気分の中に、少し「わくわくするような」ものも混(ま)じっています。なにしろ、初めてのことです。—新しいお母さん—

 

■かあちゃん

 親子三人暮(おやこみにんぐ)らしの初日のことを、よく覚えています。夕方あたりになると、わたしはだんだん落ちつかなくなってきました。お母さんのことを、まだ「おばちゃん」と呼んでいました。

 (オバチャンじゃ変だな)

と思うのですが、どうもうまくいきません。お父さんのことは「とうちゃん」と気楽(きらく)に呼びかけられるのに、

 (どうすりゃいいかな)

 「お、おばちゃん」と呼びかけると、

 「は、はい」なんて、お母さんも、もじもじしているようです。夕闇(ゆうやみ)がせまってきたころ、お母さんはお風呂(ふろ)を沸(わ)かしにいきました。家の外にあるお風呂の焚口(たきぐち)にしゃがんで薪(たきぎ)をくべています。わたしもくっついていきました。

 「お、おばちゃん。手伝うよ」

 「は、はい。ありがとう」

 なんだか芝居(しばい)のセリフを棒読(ぼうよ)みしているみたいです。

 「お、おばちゃん」

 「は、はい」

を、何回かくりかえしたあと、

 (ええい、やったれ!)

と、大決心して言いました。

 「お、おばちゃん」

 「は、はい。…なあに?」

 「…おばちゃんのこと、これからカアチャンって呼ぶねっ」

 それ以来(いらい)—「かあちゃん」を連発(れんぱつ)しまくりました。

 

■おんぶして

 そのときは、なんとも思わなかったのですが、後になってみると変だったな、と思えることがあります。新しいお母さんができたら、いきなり幼児(ようじ)に逆戻(ぎゃくもど)りしたのです。

 まず、「かあちゃん。かあちゃん」と、あとをついてまわります。

 「直子ちゃんは腰巾着(こしぎんちゃく)だねえ」とお母さんに笑われましたが、文字通り腰にぶらさがっていました。「コシギンチャク」という難しそうな言葉を覚えて嬉しかったのです。

 そのうち腰巾着がエスカレートしました。お父さんが着物を着るときに使う六尺帯(ろくしゃくおび)をかかえてお母さんのそばに行きます。

 「ねえ、かあちゃん」

 「なんね?」

 「おんぶ、して」

 「なに言ってるの、こんな大きな子が」

 「ねえ、おんぶ、してして!」

 お母さんは苦笑(くしょう)しながらも、ヨイショッとわたしを背負(せお)ってくれました。ちょいとおぶさるのではありません。本格的にヒモで背中にくくりつける「正しい赤ん坊の背負い方」で、おぶさるのです。二年生というと八歳です。当時としては大柄(おおがら)な子どもだったわたしが、正真正銘(しょうしんしょうめい)、小柄(こがら)な母に背負われるのですから、足なんか引きずらんばかりです。はたから見ると変な光景だったでしょう。それでもわたしは、ただただうっとりしていました。

 「もういいでしょ」

 「まだまだ…もうちょっと」

 「ああ重い重い」

 お母さんはわたしを背負ったまま、洗濯物(せんたくもの)を取りこんだり台所に立ったりします。そのお母さんの手元(てもと)を、肩ごしに覗(のぞ)きこみ、わたしはあまりの幸せにため息をつきました。

 これは、お父さんも誰もいない昼間、お母さんと二人だけのときに行われたので、誰もしりません。甘いような、うっとりするような秘密(ひみつ)の時間でした。

 それと、もうひとつあります。お風呂にはお母さんと入っていたのですが、おっぱいを吸わせてもらったのです。

 「ね、…いい?」

 「うん。いいよ」

 頼むとき、さすがに照(て)れましたが、お母さんがすんなり許してくれたので、わたしは安心して甘えました。

 おんぶしてもらい、 おっぱいを吸い…八歳のわたしは、一気(いっき)に幼かった頃の時間を取り戻しました。

 (工藤直子『こころはナニで出来ている?』より、一部改)

 

■いい子

 「うん。いいよ」というお母さんの言葉で、なおこちゃんは、小さかったころ、赤ちゃんだったころの時間を、お母さんからの愛を取り戻すことができました。

 それは、赤ちゃんが泣くと、お母さんが赤ちゃんを抱き上げて、軽く揺(ゆ)すりながらあやして言う、「おお、よし、よし」とそっくりです。いい言葉です。人がこの世に生まれて、最初(さいしょ)にかけられる言葉です。

 この「よし」はもちろん「よい」という意味の「よし」ですから、お母さんは「ああ、いい子、いい子だね」と言っているわけで、小さく、弱く、ひとりでは何もできない赤ちゃんをやさしく抱きながら、「いいよ。そのままで、いいよ」って言ってくれているのです。

 赤ちゃんにしてみれば、「お腹がすいた」か「眠い」か、なにか理由があって泣いているのですから、ちっとも「よく」はないのですが、お母さんはにっこり笑って言います。

 「おお、よし、よし。すぐによくなる、すべてよくなる。ほら、お母さんはここにいるよ、今、よくしてあげるよ。何も心配ないよ、おまえはいい子、いい子だね。おお、よし、よし」

 これは、さっきの聖書の言葉、

 「今飢(う)えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる」

 これと一緒、同じ言葉です。すべての人の生みの親である神様が、「どんなにつらくても、どんなに悲しくて泣いていても、大丈夫。幸せになれるよ、笑えるようになれるよ。あなたはいい子、いい子だね」と、わたしたちにも声をかけ、抱きしめてくださっています。そんな愛が今ここにも溢(あふ)れます。愛されていることにいつも感謝し、どんなときにも自分と人を愛することのできる人になっていけたらいいね。

 

≪メッセージ≫「涙が笑みに変わる」(おとな)

■顔を輝かせて

 「今、泣いているあなたたちは祝福される。なぜならあなたたちは笑うようになるから」

 イエスさまは高い山、いわば高い講壇から下りて来て、平地、どん底にいる人々の間に立たれ、涙する人々にこう語りかけられました。
 
 何も持たず、貧しく苦しみ、何かをなすわけでも何か知恵があるわけでもない、ただ「病」や「汚れた霊」に悩まされる、罪にまみれたあなたたちこそ、幸いです。なぜなら、キリキリと食い込むような飢えに苦しみ、満ち足りることのできないあなたたちは、今、祝福されているからです。今、涙するあなたたちが祝福されているのです。

 そんな幸いを告げるイエスさまの言葉は、まさに祝福の宣言です。「大丈夫。あなたがたは幸いだ。何があろうと、天には大きな報いがある」。そう言われて、それまで泣いていた人たちはその顔を輝かせた違いありません。

 ある葬儀のことを思い出します。五十四歳でした。教会員だった夫を亡くしてから、女手ひとつで育ててきた三人の娘を残し、亡くなりました。亡くなる少し前、彼女は病院で洗礼を授けられました。

 一番下が中学生という三姉妹でした。葬儀のとき、ボロボロ泣いていました。そんな涙を前にして慰めの言葉もありません。しかしそんなときにこそ、「泣いているあなたがたは幸い。天には大きな報いがある」という福音に、わたしたちは救われます。何よりも亡くなった彼女自身が、その福音に救われました。彼女が真っ暗闇の中にあったとき、病室で福音を、この希望の言葉を伝えると、彼女の顔はパッと輝き、洗礼を受けたいと申し出られました。

 死を意識している人を前に、死の話をすることは勇気のいることです。それでも「死は天への誕生であり、その天には大きな報いがある」と信じている者としてお話しをしました。「わたしたちの誰もが神様からいのちを与えられ、神様によって今ここを生かされ、そして死んで天に生まれ出て、神様の永遠のいのちの下に安らぐことができるのです。洗礼はその先取りの誕生です」。彼女の顔がパッと輝き、その輝きは一週間後の洗礼式のとき、最高潮に達しました。三人の娘たちがその証人となってくれました。葬儀の挨拶で、長女がそのときの母親の輝きについて語りました。「洗礼式のあの日の、お母さんのあんな明るい顔。今まで一度も見たことがありません」。

 わたしもその輝きを見ました。地では泣いても天には大きな報いがあるし、その報いを地において先取りすらできるという、福音の輝き、祝福の輝き―顔から溢れる天上の輝きです。その輝きは抽象的なものではありません。現実の輝きです。三人の娘たちも生涯、その輝きを忘れないでしょう。そしてその娘たちもまた顔を輝かせる者になってくれると信じています。末の娘は葬儀で泣きながら、同級生たちが歌う讃美歌、祈りに耳を傾けていました。そのときの彼女は美しく輝いて見えました。そんな彼女の輝きを同級生たちもしっかりと見ていました。

 「天には大きな報いがある」なんて言われても、今、お腹いっぱいで満ち足り、富んでいる人たちには、あまり意味のない福音なのかもしれません。けれども、もうすぐ自分はいのちを落とす、愛する三人の娘を残して旅立たなければならない、そんな人にとっては、まことの救い、まことの福音です。

 

■愛は見える

 亡くなる少し前のこと、彼女にわたしの友人の話をしたことがあります。彼女はすごくうれしかったようで、娘たちに「牧師先生が、ご自分の親友の話をしてくださったのよ」と伝え、とても喜んでおられたと聞きました。

 実はその日、彼女が「娘三人を残して逝くことがくやしい」と泣いたのです。思わず涙を誘われ、友人の話をしました。わたしの友も亡くなる少し前、「くやしい」と言って泣きました。わたしなどより余程深い信仰に生きていた人でしたから、自分の死、避けることのできない死のことは、もう受け入れていました。それでも彼には、幼いひとり息子がいました。その愛する子を抱きしめることも、その成長を見届けることもできない、「くやしい」と言って泣いたのです。当然のことです。彼の腕に手を置きながらわたしはこう言いました。「この子が成長して、大きくなって、ちゃんと働いて、これからも生きていけるとしたら、それは、君のおかげだよ。君の姿が支え、励ましとなって、君の分まで、この子はくじけずにやっていくことができるはずだよ」と。「君は死んでも、この子の中に永遠に生きているよ」、そう言いたかったのです。彼は嬉しかったようです。あれから十五年が経ちました。本当に彼はひとり息子の中に今も生きています。父が死んですぐのときよりも、父が僕の中にいることをもっと強く感じるようになりました、彼の息子はそう言ってくれています。

 わたしたちも辛くて泣くことがあります。しかし、天の父は「おまえは幸い」と言ってくださいます。恐れを抱くときには「天には大きな報いがある」と励ましてくださいます。天の父が生きておられること、そして天に召された愛する人が今も生きておられることは、ここにおられる皆さんのお顔を見ていてもわかります。

 「愛は見える」。わたしが彼女に話したかったのは、そのことでした。

 「あなたは死ぬけれど、これからも娘さんのために働ける。娘さんのうちに生きる。永遠のいのちに生きるんだ」という福音を伝えたかったのです。彼女はそれを信じ、救われました。わたしは葬儀のとき、三人の姉妹に伝えました、「お母さんは生きています。あなたたちのうちに、あなたたちのために、今も生きて働いています」と。

 信仰の世界は目に見えない世界ではありません。彼女は娘たちの前で顔を輝かせました。それは永遠に消すことのできない光です。その輝きは生涯、娘たちを支えますし、やがてその娘たちが輝くのもまた目で見ることができます。

 そのようにして、すべての見えるものの向こうに神様の愛が見えるのです。

 洗礼のための準備をするとき、洗礼とは理屈でも理解でもなく、実際の出来事です。親の愛は目に見えないけれど、お母さんが愛を込めて作ってくれるお弁当は目に見えるでしょ、とこんなお話をしました。

 中学校から高校卒業まで、わたしの母もお弁当を作ってくれました。高校の時は、朝六時には家を出なければならない息子のために、五時前には起きてせっせと作りながら、ある日、ひとり言を呟いていました。「赤が足りないわね。赤が…」って。お昼になって教室でパッとふたを開けると、赤がわたしの目に入ります。赤いウインナーと紅しょうが。うれしいというか、確かに目に見えるのです、母の愛が。愛は決して抽象なものではありません。

 洗礼を希望する中学生の男の子とその母親が二人揃って教会に来られたときにもこのお弁当の話をして、「これが、もしもお母さんが五百円玉をポンと出して、『今日のお弁当はコンビニで買って』と言われたら、愛を感じにくいでしょう。神様はそういう手抜きをなさいません。ちゃんと手間暇かけて、親の愛がパッと輝き出るようなお弁当を、わたしたち一人ひとりに一日も休まずに作ってくださっているのですよ」とお話をしたら、その中学生が「どうしてわかったんですか。今日は五百円玉渡されて、コンビニで買いました」などと言うので、横でお母さんが真赤な顔をしておられました。

 残念ながら、わたしたち人間の愛には限界があるということです。しかし、神様の愛には限界がありません。無限の愛です。聖書は、その神様の愛が目に見える、今ここにある、そう教えます。

 「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。

  あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。

  今泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである」

 この言葉は、神様、御子イエスから与えられている、目に見える「愛の祝福」です。

 

■祝福を生きるために

 しかしこの後に、思いがけない言葉が続きます。厳しい言葉です。

 「富んでいるあなたがたは、不幸である。あなたがたはもう慰めを受けているからである。

  今満腹している人たち、あなたがたは不幸だ。飢えるようになるからである。

  今笑っている人たちは、不幸である。悲しみに泣くようになるからである」

 イエスさまははっきりと、わざわいについて、裁きについて語っておられます。これは、豊かな社会に生きているわたしたちに向けて語っておられる言葉だ、そう思えてなりません。

 イエスさまは、豊かになること、満ち足りること、笑うようになることがいけないことだと言われているのではありません。貧しい人が、飢えている人が、泣いている人が、豊かになり、満ち足り、笑うようになると約束して、祝福をしてくださっています。問題なのは、わたしたちが豊かになり、満ち足りるようになり、笑みにあふれるようになると、それを自分の力と努力で得たもの、自分だけのものだと思うようになることです。自分の力で得た、自分だけのものだと思うようになると、もっと豊かになりたい、もっと満ち足りたい、もっと笑ってばかりでいたい、と思うようになります。そして結局の所、満ち足りることなく、ただ自分のものを失いたくないという恐れと疑いに支配され、笑みを忘れ、人の持っているものまでも奪い取ろうとします。

 イエスさまは、わたしたちに与えられている神様からの福音に、祝福に、恵みの約束に目を向けることを望んでおられるのです。手にしているすべてのものは神様からの恵みです。そしてその恵みは尽きることがありません。そのことを信頼して、安心して、与えられている恵みを隣人と共に分かち合って生きていくことの幸いを、イエスさまは教えてくださっているのです。

 そう、涙は必ず、笑みに変えられるのです。ですから、いつも感謝をして、共に喜んでいましょう。