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2月26日 ≪受難節第1主日礼拝≫『十字架の王』マタイによる福音書27章27~44節 沖村裕史 牧師

2月26日 ≪受難節第1主日礼拝≫『十字架の王』マタイによる福音書27章27~44節 沖村裕史 牧師

 

■兵士たちの姿

 冒頭27節、

 「それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた」

 「それから」という言葉は、マタイが下敷きにしたマルコの記事にはありません。書き加えられた言葉です。マタイはこの小さな言葉によって、「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け」と告白されるイエス・キリストの「苦しみ」が「今ここに」始まったことを、わたしたちに強く印象づけようとしています。

 イエスさまが兵士たちによって総督官邸まで連行されていきます。そのとき、部隊の全員が集められたとあります。部隊の全員とは六百人もの兵士たちのことです。この六百人の兵士たちは、過越祭の巡礼者によって膨れ上がるエルサレムの治安とピラトの護衛を目的に、総督府が置かれていたカイザリアからエルサレムに展開していた部隊であったと考えられます。彼らはユダヤ人ではありません。当時、ユダヤ人は兵役を免除されていました。兵士の多くは、ローマ帝国によって支配されていた様々な地域から徴用された異邦人、外国人部隊であったと考えられます。

 いわば余所者です。イエスさまの裁判の詳細も、ユダヤ人の慣習も知らず、また異邦人を穢れた者として見なして接触しようともしない、しかも繰り返し反乱を起こす、閉鎖的で反抗的なユダヤ人に対して、強い不信と警戒感、反感と嫌悪を抱いていたことでしょう。祭りの警備のためにエルサレムにやってきた彼らにとって、イエスさまの処刑は彼らの、そんな鬱屈した感情を発散させる絶好の機会となったに違いありません。

 兵士たちは「イエスの着ている物をはぎ取り」、その上で、わざわざ「赤い外套を着せた」と、マタイは記します。マルコでは「イエスに紫の服を着せ」、ヨハネでも「紫の服をまとわせ」となっています。紫は王にふさわしい色です。しかしマタイは、紫をあえて「赤」と言い換えます。それが「目立つ色」だからです。晒し者にし、侮辱するためです。それを着せ、それが終われば、また元の服に着替えさせているところからも、それが侮辱用の衣服であったことははっきりしています。そのことをマタイは強調したかったのでしょう。

 兵士たちはさらに「茨の冠を編んで頭に載せ」、その上、「右手に葦の棒を持たせ」ます。これもマタイの加筆です。兵士たちはイエスさまを辱(はずかし)めると同時に、「このみすぼらしい王こそ、お前たちの王だ」とそこに集まっていたすべてのユダヤ人たちを侮辱するために、あえて「その前にひざまずき、『ユダヤ人の王、万歳』と」大声をあげて、嘲笑います。

 そして「ユダヤ人の王、万歳」というこの場面のクライマックスの言葉に続いて、「唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた」とマタイは記します。「たたき続けた」。「続けた」いう言葉を付け加えることで、兵士たちの残忍さとイエスさまの苦痛を、執拗なまでに描き出します。

 

■十字架

 この後も、兵士たちの「いじめ」は続きます。

 エルサレムの城壁の外に出て行き、ゴルゴタに着くと、兵士たちはイエスさまに、「苦いもの」、胆汁を混ぜたぶどう酒を飲ませようとします。もともと、このぶどう酒は鎮痛剤、十字架での痛みを和らげるために使われていたものですが、そこに胆汁を混ぜるのです。苦くて飲めたものではないことを百も承知の上で、そうしたのです。嫌がらせです。

 さらに、彼らはくじを引いて、イエスさまの服を取り合います。ある意味、ゲームに興じているのです。神の子が十字架で死んでいこうとするその瞬間まで、十字架の下では陰湿なゲームが繰り広げられていました。

 そして、下着だけになったイエスさまがいよいよ十字架につけられます。

 イエスさまが運んだ交叉十字の横木は地面に置かれ、支柱となる縦木の上にはすでに、罪状が書かれた板が掲げられていました。「これはユダヤ人の王イエスである」というもので、ピラトが記し、大祭司カイアファが抗議した罪状です。カイアファはユダヤ王と「詐称」したと書かせたかったのですが、ピラトによって拒否された、とヨハネ福音書に伝えられています。

 イエスさまは横木に両腕を拡げられ、固定するため掌(てのひら)に太い釘が打ち込まれました。両足は垂直の支柱に、やはり釘で打ち留められました。息がとまるほどの激痛に、呻き声を上げずにはおれません。こうして、イエスさまを架けた十字架は、二人の罪人の十字架を左右に従える形で、九時ころ、兵士たちによって綱で引き上げられ、ゴルゴタの丘に立てられました。

 十字架刑というのは実のところ、絞首台やギロチンなどと違い、速やかな死をもたらすためのものではありません。むしろ死を引き延ばし、できる限り肉体的苦痛を長引かせようとする、いわば拷問台でした。全体重が両腕にかかるため肩は脱臼し、身動きできない状態なので血は循環せず、やがて呼吸困難に陥って胸の痛みと痙攣と失神をくり返し、悶え死にます。姿勢によっては丸一日、時にそれ以上生きていた例もあり、炎天下での野晒であったため、衰弱による死、渇きによる死であったと言います。死臭を察したガラスが群がり、兵士が追い散らさなければ、まだ生きているうちに目などを突かれます。あまりの惨(むご)たらしさに、ローマ本国でさえ、奴隷や政治犯、あるいは迅速な死に値しない極悪人向けの、特殊な処刑方法になっていました。

 

■悲痛な嘲り

 それほどの陰惨な十字架の上で苦しむイエスさまに向かって、そこに居合わせた見物人が、「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」と罵ります。同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒にイエスさまを侮辱して、「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」と嘲ります。それどころか、一緒に十字架につけられていた強盗たちまでもが、同じようにイエスさまを罵った、とあります。

 イエスさまの肉体的な苦しみ、痛みは想像を絶するものであったわけですが、それに加え、兵士、通りすがりの人々、祭司長や長老たち、そして死刑囚たちからも徹底的に侮辱され、罵らせ、あざけられています。使徒信条が、「主は…ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ…」と告白する十字架の出来事が、肉体的にも精神的にも、とてつもなく苦しい出来事であったことを、改めて知らされます。

 しかし同時に、「神の子なら、自分を救ってみろ」「他人は救ったのに、自分は救えない」「神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ」というこれらの言葉が、彼ら自身の痛みから発せられた言葉のように、わたしの心に響いてきます。皆さんはどう思われるでしょうか。

 ことに、この場面の最後に記される二人の死刑囚の心の内側には、「ひょっとしたら…」という期待感があったかもしれません。噂に聞いていたナザレのイエスではないか…。しかし何も起こりません。期待外れ。期待しただけ損をした。彼らはそう思って、ひどく失望したのではないでしょうか。

そう考えてみると、彼らの誰もが、十字架のイエスさまの姿に、そして実は、自分の人生に納得していなかった、怒っていたのではないでしょうか。そして、もっともっと心の奥底を探るなら、そこに癒そうとして癒しきれない傷、痛みがあったのではないでしょうか。

 二人の死刑囚は、確かにイエスさまを罵りました。しかしその言葉は、刑死、死という厳しい状況を前にしての言葉ですから、少なくとも他の人々のように、ただイエスさまをあげつらい、嘲笑って、うっぷん晴らしをしているということではなかったように思えます。自身の人生の一切がかかっているのです。自分の人生の一切が崩壊していくという、その虚ろさの中で、彼らは悲鳴をあげていたのではないでしょうか。

 人は死を前にして、自分の人生というものが一体何であったのか、自分の生き甲斐とは何であったかという問いに突き当たらせられます。そしてその空虚さに気づかされた時、その空虚さを覆い隠すために、わたしたちは様々な取り繕いをします。自分の空しさを見せないために、人の前でわたしたちは様々に取り繕うことができます。つまり、そういう仕方でわたしたちは、いわば人生の気晴らしをすることができます。これはパスカルが語ったことですが、「人生というのは、様々な気晴らしの中で、自分の空虚さ、悲惨さというものを覆い隠すことで、何か自分の人生は豊かであるように思って生きているものだ」と言っています。

 しかし実際には、例えば、死という究極的なものの前に立たされた時に、その気晴らしが、どんなに空しいものであったのかということが明らかになり、その時に人生というものの意味が問われてくるのです。何のために、何によって生きているのか、と。

 この二人の死刑囚は十字架にかかって、あの暗い、暗い最後の数時間を、イエスさまと一緒に過ごしているわけですが、彼らはイエスさまをただ空しくあげつらっているわけではなく、彼らの心の中に湧き上がってきたものを、心の底からイエスさまに問いかけているのではないでしょうか。

 心の底からの問いの中に、実は「あなたはキリストではないか。それなら、まず自分を救い、わたしたちも救ってください」という祈りや願いの叫びと同時に、「わたしたちはどうせ虚しい存在だから、当然の報いとして、この死を死ぬのは止むを得ない。それが無意味だといっても、その無意味さに耐えて死ぬよりしようがない」という思いが、彼らの心の中にあったのでしょう。

 イエスさまの十字架の場面を考えて、いつも思うことは、イエスさまに対する数々の嘲りの言葉の意味です。イエスさまを嘲る時に必ず出てくる言葉は、「自分を救ってみろ」という言葉です。この言葉は、イエスさまに対する嘲りの言葉です。嘲りですが、その嘲りは同時に、とても自分なんか救えない人々の、自分に対する嘲りでもあるのです。

 こう言うことによって、実は、人間というものは自分自身を救うことなどできないものなのだということ、いわば悲しみの心をそういう形で表現しているのです。まことに悲しい嘲りの言葉です。

 翻っていうならば、わたしたちの人生、わたしたちが生きていくことの中に、それを支えている土台がない、ということです。どんなに自分自身を掘り下げ、さらに掘り下げてみても、自分の中には、その土台がないということです。だからこそ、人々はだれもが、その土台を、どこかに求めようとするわけです。その思いが、人々の、二人の罪人の悲しいまでの嘲りの言葉の意味でした。

 

■耳を傾けて

 イエスさまは、その嘲りの中で、その十字架の上で、どれほどの苦痛を忍ばれたかと思わずにはおれません。しかしその苦痛の中で、イエスさまはただ耐え忍んでおられたというよりは、むしろ人々の嘲りの声の中に、救いを、生きることの意味を祈り求める人々の心の叫びを、呻きを聴き続けてくださっていたのではなかったでしょうか。

 わたしたちの人生は、ひと昔前までは、50年か60年ということであったのですが、2021年の平均寿命は、コロナの影響もあって10年ぶりにわずかに減少したとはいえ、男性が81.47歳、女性が87.57歳、100年か110年くらいまで生きることのできる時代になりました。しかし寿命が延びると、それだけ幸福になったかというと、必ずしもそうではありません。長い、短いということにかかわりなく、実はすべての人が、わたしたちが何で生き、何で死ぬのかという問いをいつも持ちながら、その長い、あるいは短い生涯を生きているはずです。

 そういう時に、実は心の底で求めているのは、わたしたちが一人の人間として、こうして生かされているのは、どのような意味を持っているのか。神が与えてくださるいのちの中に、わたしたちはしっかり根をもって生きているのかどうかということです。

 イエスさまが「あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」と言われました。それは、「あなたの内に、あなたのいのちを保証するものは何もない。それを保証されるのは、いのちの神だけだ。あなたは、その神の御手の中に、あなたのいのちが位置づけられていることを見出す時に、あなたの生涯はどんなに長くても、あるいはどんなに苦悩に満ちていても、その生涯は祝福された生涯だ」という祝福の言葉でした。

 「彼が受けた懲らしめによって/わたしたちに平安が与えられ/彼が受けた打ち傷によってわたしたちは癒された」

 このイザヤ書の言葉、その成就としてのイエス・キリストの十字架を仰ぐ時、わたしたちが負う重荷と辱めも、イエスさまがわたしたちに代わって、負ってくださっていることに気づかされます。イエスさまがわたしたちの病や痛みを一切合切、背負ってくださったからです。その苦しみの中にあっても、わたしたちの悲しい声に耳を傾け続け、祝福を祈り続けていてくださったからです。それによって、わたしたちにまことの平安が与えられ、その十字架によってわたしたちは癒されるのです。イエス・キリストの十字架はわたしたちのためだったのです。感謝です。