≪おはなし≫(こども・おとな) 『わたし、ボランティアになる』
広島の教会で、幼稚園(ようちえん)の園長をしていたころのことです。毎年このころになると、三月に卒園式(そつえんしき)を迎(むか)える年長組(ねんちょうぐみ)のこどもたちに、「おおきくなったら、何になる?」という題(だい)で、短い文を書いてもらいました。卒園式で紹介(しょうかい)し、思い出のアルバムに載(の)せるためです。そのころの男の子たちの一番人気(にんき)は、サッカーの選手になること。前は野球、広島カープの選手でしたが、サンフレッチェの選手になることがダントツの一位でした。女の子はケーキ屋さん、幼稚園の先生などいろいろでしたが、かならず上位(じょうい)に入ってくるのは、お花屋さんでした。
お花屋さん。こどもたちのこの夢(ゆめ)を見るたびに、神戸(こうべ)に住んでいた友だちから聞いた、こんな話を思い出していました。
「お母さん、わたし、おおきくなったら花屋さんになりたいの!」。春子(はるこ)ちゃんはとつぜんお母さんに言いました。「花屋さん?いいわね!さあ、明日(あした)は幼稚園に行くのよ。土曜日、日曜日、そして成人(せいじん)の日の振替(ふりかえ)のお休みと三日も続いて行かなかったから、お寝坊(ねぼう)のくせがついてしまっているわよ。さあ、早くおやすみなさい」。お母さんに笑顔(えがお)でそう言われた春子ちゃんは、「はーい。あのね、先生が卒園アルバムに、大きくなったら何になりたいかを書いてくれるんだって。だから明日幼稚園に行ったら、先生にお話するの」と、うれしそうに答(こた)えると、いつも一緒に寝(ね)ているぬいぐるみのプーさんをしっかりと抱(だ)いて、おふとんの中に入りました。
「ドーン」という大きな音がして、横にあったタンスがとつぜん春子ちゃんの上に倒(たお)れてきたのは、1995年1月17日朝5時46分のことです。
何がおこったのかさっぱりわかりませんでした。「お母さん、怖(こわ)い」と言って、おふとんをかぶって大声で泣き出しました。天井(てんじょう)からホコリが一杯降(ふ)ってきました。ベッドの横の窓ガラスが割(わ)れて、飛び散ってきました。
後はどうなったのか覚(おぼ)えていません。気がつくと春子ちゃんは家の外でお母さんに抱かれて、まだ泣きじゃくっていました。周(まわ)りを見ると、家は壊(こわ)れて屋根だけになっていました。おとなりの謙(けん)ちゃんの家も、おむかいの佳子(けいこ)ちゃんの家も、みんな壊れています。近所(きんじょ)のコンビニもありません。ラーメン屋さんも壊れていました。
春子ちゃんはお母さんに「寒(さむ)い。おなかすいた」と小さな声で言いました。でも本当(ほんとう)は何を言って良いのかも分からないのだけれど、何か言わないと余計(よけい)に悲しくなってしまいそうに思えたのです。「地震(じしん)がおこったのよ。お家もみんな壊れてしまったの。食べるものはないし、今晩(こんばん)から寝るところもなくなってしまったの」。お母さんはとても悲しそうな顔をして話してくれました。「でも春子は、お母さんが、しっかり抱いていてあげるから、心配しないでいいのよ」。そう言われて春子ちゃんは少し安心(あんしん)しました。
やがて近所のおばさんが「小学校の講堂(こうどう)が壊れていないので、みんなそこに集(あつ)まっているそうよ」と教(おし)えてくれたので、学校に行きました。そこにはもうたくさんの人たちが来ていました。「さあ、おにぎりがありますよ。毛布(もうふ)が欲(ほ)しい人は取りに来てね。今夜(こんや)はここで寝るんですよ」。やさしそうなお姉(ねえ)さんが大きな声で叫(さけ)んでいました。
「ねえ、あの人だれ?」。春子ちゃんはそっとお母さんに聞きました。「あの人はね、ボランティアさんよ。わたしたちが地震にあって困(こま)っているからって、遠(とお)くから助(たす)けに来てくれたの」。するとそのボランティアのお姉さんがニコニコしながら、そばにやって来ました。「困ったことがあったら何でも言ってね。何か欲しいものあるかな。そうだ。壊れたおうちに行ってみようか。おもちゃや絵本が見つかるかもしれないよ」。うれしくなって、春子ちゃんはそのお姉さんといっしょに壊れた家に行きました。
おうちはペッシャンコになっていました。ボランティアのお姉さんは、春子ちゃんの部屋(へや)のあったあたりの屋根(やね)瓦(がわら)を一枚一枚取りのけて探(さが)してくれました。「あったよ!」いつも一緒に寝ていたプーさんが見つかりました。でもかわいそうにホコリだらけの顔をしています。ボランティアのお姉さんは持っていた手ぬぐいできれいにぬぐってくれました。なんだかプーさんもうれしそうです。
夜になって小学校の講堂で寝るのはいやでしたが、いつものようにプーさんと一緒に寝ることができると思うと、少しだけうれしくなりました。プーさんを抱いて、お姉さんと二人で幼稚園に行きました。幼稚園も壊れていました。先生もお友だちもだれもいませんでした。
「幼稚園が始(はじ)まりますよ」というお知らせが届(とど)いたのは、三月に入ってからでした。卒園式だけでもやりましょうと、幼稚園のあったところに小さな建物(たてもの)を建(た)ててくれたのも、ボランティアの人たちだったと、あとで先生が教えてくれました。ひさしぶりで先生やお友だちと会えた時、春子ちゃんはとてもとてもうれしく思いました。
先生はみんなに、「地震の前に約束(やくそく)した卒園アルバムを作(つく)りますよ。おおきくなったらどんな人になりたいか教えてね」と言われました。春子ちゃんは迷(まよ)わず、すぐに答えました。
「わたし、おおきくなったらボランティアになるの!だって、とても親切(しんせつ)にしてもらってうれしかったもの」(廣瀬満泰)
こんなお話しです。とつぜん思いもしないことがおこって、悲しい思いをしたり、苦しい思いをしたりすることって、だれにでも、みんなにもあるかもしれません。でも、大丈夫。そんなときにも、お母さんやぬいぐるみのプーさん、そしてボランティアのお姉さんのように、いつもどんな時にもみんなのことを見守って、助けてくださる方(かた)が必ずそばにいてくださいます。そのことを信じてください。みんなにいのちをくださった方、神さまが、だれよりもみんなのことを大切に思って、助けてくださっていることを忘れないでくださいね。
≪メッセージ≫(おとな) 『野獣も天使も一緒!』
■捨てられた人
12節から13節に「誘惑を受ける」というタイトルがつけられていますが、古くは「誘惑の荒れ野」となっていました。冒頭12節、
「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した」
「荒れ野」と訳されるこの言葉を、ユダヤの人々はふたつの意味で使っていました。ひとつはもちろん、自然の荒れ野、石と岩だらけの荒涼たる荒れ野のことですが、もうひとつは、人を表わす言葉として使われていました。「荒れ野」のような人、といった使い方です。荒れ野のような人と言うと、荒(すさ)んだ人のことを考えるかもしれません。その人に近づくことさえ躊躇(ちゅうちょ)する、荒んでささくれ立った人のことを思われるかもしれません。でも、この言葉のもともとの意味は「捨てる」ということです。荒れ野とは「捨てられた野」のこと、捨てられて、誰も住むこともできないような荒れ地、それが荒れ野でした。「人里離れたところ」と訳される言葉も、これと同じ言葉でした。人のいない、人に捨てられるようなところです。つまり、荒れ野のような人とは、荒れ野のように人から捨てられている人、他の人から顧みられない人のことを意味します。
わたしたちの周りにも、自分のことを人から捨てられ、誰からも顧みられることもないままに生きていると感じている人がいます。そう思えるだけでなく、事実、そのように生きるほかない人々がいます。そして、そのような人が確実に増えています。
東日本大震災が起こるほんの少し前、NHKで「無縁社会」というタイトルのドキュメンタリーがシリーズで放映されました。誰とも関係を持たずに生きている、そう生きるほかない人々の姿、その人たちが抱える深刻な状況を鋭く描き出したものです。年老いて、あるいは20代から50代の人であっても、ただ一人じっと家に閉じこもっているほかない人、治る見込みのない病気になってしまい、もう回復することのできない衰えに耐えるしかない人、事業に失敗し、仕事を失い、ついには家族との絆も断ち切られて路上でひとり暮らし、人知れず死んでいくほかない人、人…その人たちの孤独、寂しさは、まさに荒れ野と言えるものでしょう。わたしたちの荒れ野は、老いや病や仕事の失敗によるものばかりではありません。様々なことで心に深い傷を負って生きているたくさんの人がいます。しかも、それをどうすることもできない、どうすれば癒されるのか、どう立ち直っていけばいいのか分からない、そんな絶望の中にある人々がいます。もちろん、何の悩みもなく順調に生きている人もいるでしょう。しかし、一見順風満帆に見える人々にとっても、人から打ち捨てられ、顧みられることなく、崩れていくほかない人の姿は決して他人事ではありません。
■わたしたちの荒れ野
25年ほど前のことです。ひとりの中学生が、マスコミにこんな質問を投げかけました。「どうして人を殺してはいけないのですか」。サカキバラ事件など、こどもたちによる無残な殺人事件が続いて起こり始めた頃のことです。テレビのコメンテーターたちは、社会が悪い、学校や家庭教育の問題だ、いのちの大切さ、道徳をしっかり教えなければならない、と声高(こわだか)に叫んでいました。でも、人を殺してはならないということは、そんな知識によって教え込むことのできるものなのでしょうか。
ここに、こどもが書いた詩があります。「顔」という題の詩です。
「お母さんは/ぼくの/いっしょうけんめいな顔が好き
つらいときの/いたいときの/
くるしいときの/歯を くいしばったときの/
限界のときの/くずれそうなときの
お母さんは/ぼくの/いっしょうけんめいな顔が好き」
ひたすら、がんばれ、がんばれと言い続けられるこどもたちは、いったいどんな人間になっていくのでしょうか。無縁社会と表現される現代社会では、こどもたちがあるがままの姿で大切にされ、受け入れられ、必要とされる経験を持つことが少なくなっています。いえ、ほとんどなくなってしまいました。「どうして人を殺してはいけないのか」と問いかけるその声は、「助けて!」という心の叫びにさえ思えてきます。
わたしたちはだれひとり、自分だけで生きていけるものなどいません。ですから、人を殺すことは自分を殺すことも同じはずです。しかし、こどもたちは、人と出会い、人とふれあい、人との折り合いをつけながら、人と人の間に自分の居場所を見つける経験よりも、効率よく成果や結果を出すことばかりを求められます。人と共に生きていく経験よりも、人よりも先んじ、人よりも秀でて、人よりもより多くのものを持つことばかりが求められる、そんな罪深い時代を生きています。
そんなこどもたちにとって、周りにいる人々はもはや、生きていく上でかけがえのない、大切な存在ではありません。たとえどんなに孤独であっても、自分の周りの人間は、ただ競い合い、蹴落とすべき存在、もっと言えば、いてもいなくてもいい存在、自分の都合で簡単に捨て去ることのできる、傷つけても、たとえ殺してもかまわない存在になってしまいます。
これは、こどもの世界だけのことではありません。昔も今も変わらない、自分のために人のいのちを傷つけ、人を捨て去り続けている、荒れ野のような、わたしたちの罪の話です。人と人との絆が断ち切られてしまった社会、人と人が寄り添い生きることの大切さが見失われてしまった愛なき人々の群れ―そんな社会の至る所から、荒れ野が、わたしたち自身の深刻な、荒れ野のような姿が垣間見えてきます。
■罪の中でこそ
イエスさまがまず荒れ野に赴かれたのは、自然の荒れ野にまさる、そのような人がつくる荒れ野の只中、罪の只中に、ご自分の身を置かれるためでした。13節、
「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」
イエスさまが四十日間、荒れ野にとどまられたとあります。わたしたちがこの水曜日から迎える受難節、レントの期間も四十日間ですが、大切なのは「四十」という数です。四十という数字は、聖書では完全数と呼ばれ、聖なるもの、永遠なるものを表わします。いつでも、どこにでも、ということです。一生涯、わたしたちが生きている限り、荒れ野のような罪が、いつでもどこにでもあるのだということです。
その荒れ野で、イエスさまはサタンから罪への誘惑を受けられ、野獣と一緒におられたと続きます。とてもグロテスクな感じを受けられるかも知れません。しかし考えてみれば、わたしたち自身、いつも神様の慈しみの中に生きていると言いながら、そうでないものに取り囲まれているではないでしょうか。もしそれを悪魔的と言うとすれば、神の部分と悪魔の部分というのはそれほど簡単には分けられない、見分けることのできないものでしょう。わたしたちが生きている限り、わたしたちの人生にはいつもその両方が同時に起こっています。
そればかりか、その野獣たちこそ、荒の野のような、罪に支配されているわたしたちのことです。イエスさまは、罪人として打ち捨てられ、顧みられることのなかった人々といつも一緒にいてくださり、罪の赦しを宣言されました。そのようにして、神と人との関係、人と人との関係を全く新しく回復してくださいました。
イエスさまはそういう悪魔的なものと、罪ある者たちと一緒におられましたが、そのイエスさまに「天使たちが仕えていた」のです。イエスさまが罪に苦しむ人々と共にいてくださり、と同時に、天使たちによって支えられていた。つまり、罪にまみれ苦しむわたしたちが、共にいてくださるイエスさまによっていつも支えられているのです。
とすれば、この荒れ野での出来事が意味することは、たくさんのあらゆる誘惑に勝たなければいけないというような道徳的な勧めではなく、わたしたちも生きている限り、こういう悪魔的なものに出会い、罪によって支配され、苦しみを受けるけれども、その中でこそ、イエスさまは罪にまみれたわたしたちをそのままに受け入れ、愛し、支えられてくださっているだということです。
イエスさまはそのように裁かれ、見捨てられていた徴税人や病人たち、罪人の友となられました。そのためにこそ、ご自身が悪魔の誘惑に遭わなければなりませんでした。そのようにして罪深いわたしたちの中にいてくださるのです。
■喜びのおとずれ
そんな罪への誘惑と試練を突き抜けて始まったイエスさまの使命、務めとは何だったのか。それはただひとつ、神のみ国の到来というよき知らせ、福音を告げ知らせることでした。14節から15節です。
「イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」
「神の国」とは「神の支配」を意味します。言ってみれば「神ご自身の到来」です。確かに今、わたしたちの目前には、神の義が行われているとは到底言えないような現実が横たわっています。地上には悪が蔓延(はびこ)り、時に、いえ、しばしば悪い者が勝利し、正しい者が泣きを見、弱い者がいつも損をします。しかしそんな地上に、神の義が打ち立てられ、神の愛が満ち溢れるために、イエスさまは来られたのです。それは、神ご自身が来られることであって、わたしたち人間の努力によるのではありません。罪人の国のただ中に、ただ一方的に、神が来たらせてくださるものです。
では、わたしたち人間は神が来たらせてくださるその国を、ただ座して待つだけでよいのでしょうか。そうではありません。「悔い改めて、福音を信じなさい」と言われています。「悔い改める」とは、自分中心の生活から、人と人の間に愛をもって共にいてくださる神中心に生きることです。人の中にいてくださる神が救いと恵みをもたらしてくださるという、その「喜びのおとずれ」を信じることです。
「悲しみや暗さや、運命の力」を信じるのではありません。それどころか、その反対に、福音を信じる人は「悲しみや暗さや、運命の力」を信じません。このことが大切です。希望のない時代にあっても、なお希望をもって信じる。自分のまわりにも、どこにも暗さが一杯のときに、その暗さに惑わされない。そして、ただひとえに神の国の到来を、神の愛の御手が今ここに差し出されていることを信じ続けるのです。
今がどれほど荒れ野のようなときであっても、いえ、そのようなときにこそ、イエスさまは罪のただ中にわが身を置いて、わたしたちのために悔い改めと福音を宣べ伝えられました。獣と天使と共に過ごされたその姿は、十字架の上で、この上もない辱(はずかし)めさに身を晒しながらも、自らのいのちをもってわたしたちに福音を、救いへの道を示された、その美しい姿と重なります。レントの季節、自らの罪を悔い改めつつ、しかしその罪の只中に来てくださったイエスさまを見つめつつ、ご一緒に希望の内を歩んで行きましょう。