福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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2月6日 ≪降誕節第7主日礼拝≫ 『主が共に食卓におられたとき―聖餐(11)』ルカによる福音書24章13〜16, 28~32節 沖村裕史 牧師

2月6日 ≪降誕節第7主日礼拝≫ 『主が共に食卓におられたとき―聖餐(11)』ルカによる福音書24章13〜16, 28~32節 沖村裕史 牧師

■神の沈黙

 作家遠藤周作の代表作『沈黙』は、島原の乱後、キリスト教への迫害が苛烈になっていく長崎・五島列島を舞台とする物語ですが、手元にあった新潮文庫の背表紙に、その内容がこう紹介されています。

 「島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる…。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編」

 「神の沈黙」という言葉が鍵括弧で括られています。沈黙、神の沈黙です。

 踏絵のすり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた宣教師ロドリゴの足を襲う、激しい痛み。その時、踏絵の中からイエスさまの声が聞こえてきました。

 「踏むがいい。お前の足の痛さをこのわたしが一番よく知っている。踏むがいい。わたしはお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」

 苛酷な迫害の中で苦しみあえぎ、殺されてゆく数多くのキリシタンたち。神はなぜ手を伸ばされないのか。神はなぜ沈黙しておられるのか。そういう重く、切実な問いが全編を覆っているように思われます。その神の沈黙の重さに圧され、しぼり出されたかのような、踏み絵のキリストの声です。

 神はずっと沈黙されていたのでしょうか。

 『沈黙』最後の場面、踏絵を踏み、敗北に打ちひしがれていたロドリゴのもとに、裏切られ、蔑んでいたキチジローが許しを求めて訪ねてきます。すると今度は、そのキチジローの顔を通して、イエスさまが再び語りかけられました。

 「わたしは沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」

 以前にもご紹介したことのある阪田寛夫の作品、『バルトと麦の花』という本の中の一節が思い出されます。

 「やっと歩き始めた赤ちゃんが、母親と手をつないで散歩に出た。

 この時手のつなぎ方に二通りある。赤ちゃんの方が、母親の手を固く握っている場合は、転ぶと手を離してしまう。

 逆に、お母さんが赤ちゃんの手をやわらかく握っている場合は、赤ちゃんが倒れそうになると、きつく握り直して引き上げてくれる。

 ゆえに、『わたしが神さまにおすがりする』と思うのは、いかにも不確実だ。確かなのは、『神さまが手を引いてくれること』の方だ」

 沈黙の神は、イエス・キリストを遣わしてくださることによって、苦難の時、暗闇を歩くような時、いえ、どのような時も、「インマヌエル(神は我々と共におられる)」の神となり、わたしたちの手を引いて共に歩んでくださるのです。

 

■エマオでの食事

 今日の御言葉、「エマオへの道」はまさに、主が手を引いて共に歩んでくださっている、そんな場面です。

 その日が終わろうとしていました。影がだんだん長く伸び、太陽が西の方に沈もうとしていました。暗い顔つきをした二人が埃っぽい道をとぼとぼと歩いています。その道はエルサレムから、エマオと呼ばれる小さな村へと続いています。

 二人の旅人の目は、歩く自分たちの足元にずっと注がれていました。二人は低く沈んだ声で語り合っていました。ふと、もう一人、別の人間がいることに気づきます。その男は、丘をもう一つ越えて行こうとしていた時から、彼らの傍を歩いていたのでした。

 「何を話しているのですか」。その人は二人の旅人に尋ねます。

 彼らは丘の頂で立ち止まり、一息つき、杖に寄りかがりながら、その人には目もくれず、こう答えました。「この週の終わりにエルサレムで起きたことを知らないなんて…。みんな知ってるよ」

 「何のことですか」、見知らぬその人は尋ねます。

 「ナザレのイエスのことだよ。わたしたちはその人に従っていたんだ。彼は力ある言葉と業の預言者だった。それなのに、支配者たちが彼を殺してしまった。わたしたちは、彼がイスラエルを贖い出してくれる人、わたしたちの救い主メシアかも知れないと希望を持ってたんだ。でも、あんた、いったい何ができるってんだ。よく言われる通りさ。役人と戦うことなんかできない。彼は行ってしまわれた。ずっと続けば良かったけど、でも、わたしたちは彼を王に選ぶことができなかった。死んですべては終わったのさ。彼は行ってしまわれたんだ」

 「それなのに、何人かの女たちが」、もう一人の弟子が続けました。「今朝のことさ、走って来て、言うんだ、墓の中に彼の体が見当たらないって。それどころか、彼は生きておられると天使が告げたと言うんだよ。ほんとのところ、あいつたちは何を知ってるってんだ」

 「ああ、なんと愚かな人たち!」見知らぬその人は叫びました。「なんて物わかりの悪い人たちだろう!」

 午後遅くの、その日が終わるまでの残りの時間、太陽が西の空にかすかな光を輝かせるまでの間、見知らぬその人は道すがら、彼らに聖書を解き明かされたのでした。

 そして、エマオという小さな村にさしかかった時のこと。見知らぬその人は彼らに別れを告げようとします。しかし弟子たちは彼を引き留めます。「今日はもう終わりです。夜がやって来ました。わたしたちと一緒に宿にお泊りください」

 その夜、食卓で、見知らぬその人は、パンをひと固まり手に取って、持ち上げて、祝福し、神に感謝を捧げます。彼はそれを半分に裂き、そして彼らに与えました。そのとき、その食卓で彼らの目は開かれ、彼らは彼が誰なのかを見たのです。「主だ」と気づいたとき、その姿は彼らの視界から消えていました。「見えなくなった」と記されています。見えなくなったけれども、共にいてくださることは分かっていました。

 彼らは座っていた椅子を蹴散らし、扉の外に飛び出ました。歩いてなどいられません。エルサレムへと飛んで帰りました。彼らは残っていた弟子たちを見つけて、息もつかず、パンが裂かれる中で、どのようにしてキリストが現れたのか、キリストだと分かった、その時の様子を語りました。

 日曜日、祝宴はもう終わってしまったのだと思いながら、とぼとぼとエマオに歩いていたこと。驚いたことに、その食卓で、自分たちが間違っていたと気づかされたこと。祝宴は今、始まったばかりだということを。

 

■復活の食事

 エマオでパンが裂かれた時に初めて、復活のキリストだと弟子たちが気づいたのは、なぜだったのでしょうか。キリストが彼らのすぐ傍を歩いておられた時でさえ、キリストが彼らをお叱りになった時でさえ、聖書の解き明かしをしてくださった時でさえ、彼らには分かりませんでした。気づくことができませんでした。キリストだと分かったあのパン裂きの出来事の中で、いったい何があったのでしょうか。

 思えば、わたしたちの誰一人、直接、神の声を聞き、目の前にイエス・キリストを見た者はおりません。それなのにわたしたちは、神に出会い、イエスさまに導かれて洗礼の時を与えられ、今も信仰の道を歩んでいます、という言い方をします。

 なぜ、そう言うことができるのか。わたしたちが、一人ひとりの人生の歩みの中で、主との出会いと主による導きを、確かなもの、具体的なもの、リアリティーのあるものとして味わい知っているからです。

 なぜ、そうすることができたのでしようか。神が、不在の神であり、沈黙の神だからです。不確かな何かの姿を取るのではなく、あいまいな一つの言葉によってでもなく、わたしたち一人ひとりにとって、必要な場所、必要な時、必要な姿、必要な言葉を、神は自由に選び取って、わたしたちに臨み、わたしたちに触れてくださるのです。それが、不在の神であり、沈黙の神なのです。

 カルヴァンが言うように、神は、ご自身が造られた地上の様々な被造物、目に見え、手に触れ、耳にすることのできる現実の具体的なもの、たとえば語られる御言葉や目に見える聖餐のパンと葡萄酒によって、様々な人との出会いや具体的な愛の業を通して、わたしたちに主の臨在―神が、イエスさまが今ここに、共にいてくださるということ―を経験させてくださるのだ、ということです。

 わたしたちは、頭の中の、観念的で抽象的な、何か曖昧模糊としたものとして、主の臨在を知るのではありません。驚くべきことに、神がわたしたちの身の回りのものや出来事を通して味わい体験させてくださることによって、目には見えない神が、沈黙の神が、それでもなお共にいてくださる、とはっきりと知らされるのです。

 エマオの食卓で、今ここに主がともにおられ、主が語りかけてくださっていることが分かったそのとき、キリストの姿が見えなくなったと記されていることは、まさにそのことでした。

 

■御言葉と食卓

 しかし、それだけではありません。このエマオの物語が、わたしたちプロテスタント教会の伝統的な礼拝のあり方に疑問を投げかけていることがお分かりでしょうか。

 プロテスタント教会は御言葉を最も大切なものと信じてきました。御言葉の朗読、説教、学び、傾聴、御言葉への応答です。讃美歌、祈り、そのほか礼拝の中で行われることのほとんどは、あたかも説教のための前準備であるかのようです。

 エマオの物語は、そんな礼拝の在り方に疑問を投げかけています。

 エマオでは、まず聖書が開かれます。それから、彼らは解き明かしを受けます。しかし、よくあることですが、いくら話されても、聞いても、教えられても、伝えられても、容易には理解されません。

 主がおられることが分からないからです。主はわたしたちから遠く離れたままです。

 それでイエスさまは、御言葉を話すだけではなく、御言葉を行われたのです。言葉から行為へと移ります。御言葉が食卓での行いとなりました。見知らぬその人が、二人を接待する人になりました。そのとき、彼らの目は開かれたのです。

 ここに、説教だけを強調しがちなわたしたちの礼拝の在り方とは異なる、もっと古くからの礼拝の、聖書的な形を見ることができます。

 エマオと同じように、最初期の教会では、御言葉での礼拝―聖書、賛美、説教―がまず先にあり、それから食卓の礼拝―パンとぶどう酒を取り、感謝と祝福の祈り、パンが裂かれ、パンと杯が渡される交わりの時―がありました。

 この「説教」と「交わり(聖餐)」の二つは互いに補い合うものでした。御言葉と食卓は共にあり、食事の中で御言葉はわたしたちの生きる糧となりました。

 聖書の御言葉、祈り、説教、そして讃美歌や交読詩編など、語られる言葉がなかったら、食事はただの食事にすぎません。聖書の御言葉は、食事を「交わり(聖餐)」だと教えます。御言葉は、食べたり飲んだりすることと同じようにわたしたちに差し出されます。福音書の中の、食卓でイエスさまが語られたときのように、わたしたちもまた食卓で語られる言葉に耳を傾け、信仰を養い育てるのです。食事がなければ、御言葉は肉とならず、行われることもありません。

 キリスト教は、考えでも概念でも、哲学でもありません。キリストと共にいることです。クリスチャンであるということは、イエス・キリストと出会うことです。信仰は、遠く離れ、謎に包まれているけれども、わたしたちのすぐ傍近くにおられるお方との出会いの中から生まれます。

 出会うとき、わたしたちは変えられます。誰も、そんな出会いと変化とを予測することなどできません。それでも、出会って、恐れが喜び変えられる場所として、食卓以上に良い場所が他にあるでしょうか。友との、恋人との、大切な家族との食事を思い出してください。愛と喜びにあふれる食卓を思い出してみてください。そして、そんなことが普段の生活の中で何度も起こるのなら、日曜日、教会で起こらないはずはありません。

 

■イースターの晩餐

 最後に、ウィリアム・ウィリモン自身の、そんな体験をご紹介させていただきます。

 わたしも、病気、敗北、絶望、倦怠など、困難な問題をいくつも味わい知っています。イースターの日曜日の喜びではなく、受難週の洗足木曜日や聖金曜日の苦しみが何度も、何度も巡り襲ってきました。ともかく、わたしは新聞を読み、六時のニュースを聞きます。悲しい出来事、過酷な事件に胸が痛みます。わたしは呟きます、強いものには抗えない、誰に何ができるというのか、と。

 手を取り合って、積極的に考えようか。それとも、何か悲しい歌を歌って、自分の罪を数え上げようか。寒く暗い夜、肩寄せ合って集まり、互いに温め合おうか。誰に何ができるというのか。何もできやしない、と。

 そして日曜日がやって来ます。いつものように、トーストが焼けます。代り映えのない新聞。そして歯磨きをします。鏡を見ると、もう若くはない、背中も曲がってきている姿が映っています。こどもたちは叱られながら、最後に正装に着せ替えさせられます。こどもたちを車に押し込み、日曜日に加わらない隣人を後にして、教会へと向かいます。教会では、いつもと変わらぬ集まりです。同じように少ない人数で、同じように賛美し、同じような説教、同じような聖書の言葉、わたしの目は、退屈でだんだん重たくなり、型にはまった予想通りの流れの只中で、必死に意識を保とうとします。

 その時、招きがあります。隣人が手を伸ばし、わたしの空っぽの手の上にパンを置きます。わたしは目を覚まし、パンを味わいます。わたしは食べ、飲みます。目が突然開け、朝の太陽の光がわたしの上に流れ込みます。わたしは養われたと感じます。十分に養われて、わたしは見ます。気づくのです。

 そして、初期のクリスチャンがそうであったように、わたしの目は開かれ、洗足木曜日はイースターの日曜日になります。花婿が到着しました。祝宴が始まりました。復活が起こります。他の人たちと同じようにわたしも立ち上がり、しっかりつなぎ合わされた会衆席を後にして、扉から飛び出し、はるか世界へと走り続け、叫び続けます。

 「主は生きておられる」と。

 「来る日も来る日も、神殿に集まりあい、家ごとにパンを裂き、喜びと寛大な心で食事を共にした」(使徒2:46)