「だれも、二人の主に仕えることはできない。なぜなら、一方を憎み、他方を愛するからである。あるいは一方を支え、他方を軽んじるからである。神と富とに兼ね仕えることはできない」。三つの言葉がわたしたちに語っていること、それは、あなたは天の父に仕えるのか、地上の富に仕えるのか、どっちなのか、ということです。「仕える」という言葉を英語の聖書は ”serve” と訳します。「仕える者」とは、serveする者、servant奴隷ということです。あなたはお金の奴隷となるのですか、それとも神の奴隷となるのですか。奴隷が、二人の人に同時に仕えることなどできようはずもありません。奴隷のいのちもその人生も、主人のもの、主人が握っています。主人が滅びれば、奴隷も生きる術を失います。両方という訳にはいきません。あなたは、どっちですか。
そしてこう教えられます。「あなたがたは地上に富を積んではならない。むしろ、その富は天に積みなさい。…あなたの富のあるところに、あなたの心もある」。「地上に富を積んではならない」と教えます。なぜなら、「そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また盗人が忍び込んで盗み出したりする」からです。どんなに価値ある物も、ずっとそのままの価値を保つことなどありえない。富には限界があり、最終的に頼りになるものではないからです。「『愚かな金持』のたとえ」という小見出しが付けられたイエスのたとえ話を思い出します(ルカ12:16-21)。そこでイエスは、富に、蓄財に頼ることの愚かさに加え、「神の前に豊かになる生き方」を求めておられます。「神の前に豊かになる生き方」とは「本当に大事なことを大事にする生き方」と言い換えてもよいでしょう。
『人生の四季を生きる―教会のおとなたちに贈る34のワーク集』という本の中に、こんなワークシートがあります。「あなたは、持ち物を全部船に乗せ、『人生洋』という大海原を航海しています。『春の海』を出帆して、楽しい海の旅が続きました。ところが、予想もしなかった大嵐に遭遇!あなたの船は、大波にもまれて今にも沈みそうです。あなたの生命を守るために、船を軽くすることが必要です。あなたが大切にしている積み荷を、どれから順に海に投げ捨てるか決めてください。捨てた荷物は、二度とあなたのものにはなりません」。そして「積み荷のコンテナは10あります」とあって、そこに「①健康②生きがい③若さ④魅力⑤家族⑥名誉⑦仕事⑧能力⑨快適な生活、そして⑩財産」とあります。皆さんはどう答えられるでしょう。10の項目はどれも大切です。しかもこれらには共通点があります。すべてが神からの贈物です。ということは、いつかは神にお返しする時が必ずやって来るということです。
愚かな金持は、お金に固執し、それを貯めることばかりに心を奪われ、何が大切なのかが見えていません。「あなたの富のあるところに、あなたの心もある…目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い…その暗さはどれほどであろう」とある通りです。与えられたものを抱え込み、倉の中にしまうのではなく、与えてくださった神の御心、愛をもってそれを用いることこそが求められています。なぜなら、本当の意味でわたしを支えてくれるのは、ここにある10の事柄ではなく、それを与えてくださる神ご自身だからです。天の父に仕えるということは神のものを神に返すということでした。