福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

【教会員・一般の方共通】

TEL.093-951-7199

3月27日 ≪受難節第4主日礼拝≫ 『すべてを神に返す』マタイによる福音書22章15〜22節 沖村裕史 牧師

3月27日 ≪受難節第4主日礼拝≫ 『すべてを神に返す』マタイによる福音書22章15〜22節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■仕掛けられた罠

 21章23節に「イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った」とあります。その場面が続いています。過越の祭りでごった返す神殿の境内で、祭司長や長老たち、ファリサイ派の人々に、イエスさまは三つのたとえを語られました。「二人の息子」のたとえを聞き、また「ぶどう園と農夫」のたとえを聞いた彼らは、イエスさまを捕らえようとしますが、イエスさまを預言者だと信じる群衆を前にすぐには実行できません。さらに「婚宴」のたとえの最後に、「『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」という言葉を聞いたとき、彼らははっきりと殺意を抱いたに違いありません。

 「それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた」

 「罠にかけよう」。イエスさまを捕え、殺すためにです。それも合法的にやらなければなりません。自分たちが法を犯すわけにはいきません。どうするか考えるために一旦、イエスさまの前から姿を消したかれらは、相談の結果、自分たちの代わりに弟子たちをヘロデ派の人たちと一緒にイエスさまのもとに遣わし、狙いを定めた猟師が銃を撃ちやすい所に獲物を誘うように「言葉じりをとらえ」、罠を仕掛けることにしました。

 遣わされたのは「ファリサイ派とヘロデ派」です。驚きです。

 そもそもヘロデ派は領主ヘロデ・アンティパスと結びつくことで利益を得ていた人々です。ヘロデはローマ帝国からガリラヤとペレアの統治権を委ねられていた人です。当然、親ローマの立場です。一方、ファリサイ派はその真逆の立場にありました。律法を厳格に守ろうとする彼らは世俗的なヘロデ派には批判的で、言わば、水と油のような両者です。その彼らが結託して、イエスさまのところにやって来たのです。普通であれば、まずあり得ない組み合わせです。それだけイエスさまの存在が我慢ならなかったのでしょう。目の前にいる共通の敵であるナザレのイエスを葬り去ることで意見がまとまり、手を携えてやって来たのでした。

 「敵の敵は味方」ということです。皮肉にも、イエスさまを前にした時、対立していたはずの人間どうしの間に一致が生まれました。しかしそこで明らかになるものは、神を神として受け入れることなく、自分が神となり、自分の思いによって生きようとする罪の姿です。誰であれ、すべての者に神の愛が、赦しが、救いが差し出されていると告げるイエスさまの福音は、自分だけを愛し、自分が主人となり権力を握って生きようとしている者にとっては、神からの挑戦、告発となります。その告発の前で人は、様々な不和や対立を超えて一致していきます。

 「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです」

 慇懃無礼なほどの陰湿な言葉で、仕掛けた罠から獲物に誘い込み、逃れられないようにします。

 

■律法に適っているか
 
 そして、こう問いかけます。

 「ところで、どうお思いでしょうか、教えてください」

 毒を盛った杯をイエスさまの口元に差し出すようにして、用意してきた質問を投げかけます。

 「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか。適っていないでしょうか」

 「律法に適っているか」は意訳で、本来は「許されているか」です。ユダヤ教の信仰からは「正しいことかどうか」、「可能かどうか」ということです。「税金」は人頭税の意味です。ラテン語では「住民登録」を意味します。その調査に基づいて人頭税が課せられました。ユダヤ、サマリア地方では、ローマの直轄領になった直後、シリア総督キリヌウスが指揮して住民登録を行っています。紀元6年のことです。それに基づいて人頭税が徴収され始められます。

 ローマ帝国によって人頭税が徴収されたとき、その地方に反対運動が起こりました。人頭税は一人1デナリオン、まる一日分の労賃に相当します。所得税とは別に、収入に関係なく納めなければなりません。貧しい人々にとっては重い負担です。そして何よりも、それは民族としての存立を否定され、奴隷になることを意味しました。ガリラヤ出身のユダとファリサイ派のサドクが中心になって始められた反対運動は、この後、66年の第一次ユダヤ独立戦争まで続くことになります。

 税金はどの時代にあっても、自分たちが望んだ支配体制によるものであれば、多少の我慢はできても、それが押し付けられた体制・権力によるものということになれば、到底耐えられるものではありません。しかもその反抗、抵抗を支える信仰がありました。ファリサイ派の人々を支えていたメシア信仰です。神がイスラエルの民を救うためにメシア—救い主を送ってくださる。そのメシアがもうすぐ来られる。事実、イエスさまは自分がその救い主であると弟子たちに繰り返し告げ、そのことが周りの人々にも聞こえていました。

 人々は、メシア・救い主の到来によってローマ帝国の支配から解放されると期待していましたから、イエスさまが皇帝に税金を納めることは正しいことで、神の道に適っていると答えれば、人々のメシアへの期待を裏切ることになります。イエスさま自身が自分はメシアでないと言うようものです。つまりここに仕掛けられた罠は、単にローマに人頭税を払うことは許されるのかどうかといったことではなく、イエスさまとは何者なのか、メシアであるかどうかを試そうとする、そんな問いかけでした。

 しかもそこで、仮にイエスさまが、わたしはユダヤ人をローマの権力から解放するメシアだ、もうローマ皇帝に税金を納めなくてよいのだと言えば、それこそ望むところとばかりに、この人はローマ帝国への反逆者だと直ちに訴えて死刑に処することができる。自分たちの手を汚さないで、自分たちの思惑通りとなる。周到に準備された罠でした。

 

■「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」

 イエスさまはすぐに「彼らの悪意」に気づき、こう言われます。

 「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい」

 言われるままにデナリオン銀貨をもって来た彼らにこう尋ねられます。

 「これは、だれの肖像と銘か」

 そこには、皇帝の顔が刻まれ、皇帝の刻印が押されていました。「皇帝のものです」とそのままを伝えると、イエスさまはこう答えられました。

 「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」

 これが毒を盛り込んだ質問に対するイエスさまの回答でした。

 エルサレムの南、死海西岸に、マサダの要塞があります。紀元70年に、ローマ軍によってエルサレムが陥落したとき、エルサレムを脱出した967名のユダヤ人が立て籠り、最後まで抵抗した時の要塞です。そこには今も、ヘロデ大王が改修した離宮があり、部屋には壁画など、装飾が施されています。そのすべてが幾何学模様です。人物や動物を一切描いていません。「像を刻んではならない」というモーセの十戒を忠実に守っていたからです。あのヘロデ・アンティパスでさえ、ユダヤ総督ピラトがエルサレムに皇帝の肖像が付いたものを持ち込んで飾ったとき、偶像崇拝になるのでこれをやめるようにと説得したと伝えられています。また自分で作った貨幣にも肖像を刻むことをしませんでした。それがユダヤ人の常識です。

 そう考えると、「税金に納めるお金を見せなさい」と言われ、すぐにデナリオン銀貨を持って来て、イエスさまの前に見せたことは、特にファリサイ派の人々にとっては、迂闊(うかつ)な行為だったかもしれません。現実にはその貨幣を使わないわけにはいきません。それをポケットに忍ばせて生きていかなければなりません。もちろん、口では威勢のいいことを言っていたことでしょう。ローマ権力に抵抗する姿勢も見せていたことでしょう。しかし実際はどうか。妥協して生きざるを得なかったはずです。

 だからこそ、イエスさまは「偽善者よ」と彼らに向かって呼びかけられたのでしょう。その彼らに「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われたのです。この答えを聞いた彼らは返す言葉もありません。逃げるようにして、イエスさまをその場に残したまま、消えていなくなってしまいました。

 「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」

 これを、いわゆる政教分離、政治と宗教は別の次元の事柄だから、それを混同してはいけない、という意味だと説明されることが非常に多いのですがしかし、それは、聖書の言葉が語られた時代と社会を全く無視し、自分たちの価値観によってみ言葉を受け取ろうとするものですし、何よりも聖書の言葉を正確に読もうとしない態度だと言わなければなりません。

 政治と宗教、生活と信仰とは、決して別々のものではありません。それを別物としてイエスさまを罠に陥れようとしたエルサレム神殿の指導者たちに対して、そしてまた、信仰を心の中のことに限定して、人生の具体的な歩みと切り離してしまいがちなわたしたちに対して、イエスさまは、今、こう問い返されているのです。

 「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に。しかし、そのすべては誰のものか」と。

 

■すべてが神のもの

 「神のものは神に返しなさい」と言われました。では、わたしたちは、何を神に返さなければならないのでしょうか。

 聖書には「神のもの」とは何かが繰り返し語られています。地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むもの、つまり神が創られたこの世界のすべてが神のものだと、繰り返し語られます。とすれば、わたしたちが神に返すべきものとは、わたしたちの生活の中の限られたある部分ではなくて、そのすべてなのではないでしょうか。地上にあるもので、神のものでないものなどありません。

 「神のものは神に返しなさい」という言葉は、この世において、あるいはわたしたちの人生において、「神のもの」である領域を限定して、そこにおいてのみ神に従いなさいと言っているのではありません。「神に返す」とは、すべてのものが自分のものではなく神のものであることを認める、ということです。この世のすべてが自分たち人間のものではなく神のものであり、また自分のいのちや人生の主人は自分ではなく神であることを認めること、イエスさまはそのことを求めておられるのです。

 考えてみれば、生きているということは、わたし自身の中に、それを支える何の手立てをも持たないことです。生きていることを少し延ばしたり、変えたりする手立てはあるとしても、生きていることそれ自体は、全くのいただきものです。生かされて生きているのであり、いのち賜って生きているのです。

 日々の生活の底に、この生かされ、そして死へと向かわされてゆく、いのちの事実を見る時、それは「不思議に見える」ことと言わなければなりません。生きていることは、決して当たり前のことではなくて、その不思議さに感動すべきことなのです。そして、そう感動することこそ、いのちを賜った神の主権を、神がすべてのものの主であることを認めることでしょう。

 生かされている感動をかみしめていない人生、それはどんなに豊かで、華やかなものであっても、人間の生としては、本来の姿からは外れた、虚しいものと言わなければなりません。生きていることが「不思議に見える」、そういう目が与えられること、そして、その不思議に感動しつつ日々を生きること、それが、いのち賜った神の主権を認めるものの姿です。

 コリントに宛てた手紙の中で、パウロもこう言っています。

 「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現わしなさい」(Ⅰコリント6:19-20)

 「もう、あなたがたは神のもの、神の所有なのだ。元々、わたしのものであったあなたがたを、再び手に取り戻すために、キリストのいのちを代価にした。だからもう、あなたがたはあなたのものではない。わたしのものなのだ。だからこれからは、あなたがたの体、あなたがたの存在をかけて、わたしの栄光を現わすように生きなさい。それが、あなたがたの生きる目的、生きる使命なのだ」と教えるのです。

 さらにパウロは、「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです」(エフェソ1:13)と語ります。わたしたちの体には、キリストの霊である聖霊の「焼き印」が押されている、と言います。いわば、聖霊ブランドです。何という恵みでしょう。

 「神のものは神に返しなさい」。神様からすべてを与えられた者として、日々、感謝と感動をもって自らを神様にお返しする献身の歩みを続けていきたいと願います。