福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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3月30日 ≪受難節第4主日礼拝≫『共に生きるために—献げもの』 コリントの信徒への手紙 16章 1~4節 沖村 裕史 牧師

3月30日 ≪受難節第4主日礼拝≫『共に生きるために—献げもの』 コリントの信徒への手紙 16章 1~4節 沖村 裕史 牧師

 

■あとがき

 いよいよ最後の章になりました。いわば「あとがき」です。

 普段、わたしが初めての本を手にしてすることは、「はじめに」と「目次」に目を通し、その後、丁寧に「あとがき」を読むことです。そうすることで、その本についてある程度のことが理解できるからです。特に「あとがき」には、作者の思いや考え、その本を書いた意図を知るうえで重要なヒントが必ずと言ってよいほど含まれています。この16章も、神学的には重要なメッセージは少ない個所と言えますが、パウロの思いや願いを知るうえで、また現実のわたしたちの教会生活にとっても、とても身近で、大切なことが記されています。

 共に生きることに失敗しているように見えるコリントの教会に対して、パウロはこの「あとがき」の中で、より具体的な事柄を語り告げることによって、「共に生きる教会の姿」を、ここにはっきりと指し示そうとしています。

 

■復活と献金

 その冒頭、「聖なる者たちのための募金について」と語り始めます。

 「募金」とは「集める」という意味の言葉で、「集められたもの、集められたお金」を指します。何か目的があって、特別に集めたお金のことです。1節後半に「わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい」とあるように、パウロはこれまでにも各地の教会でそういう募金活動を始め、また指導してきました。そしてこの手紙の最後、パウロはこの問題を取り上げます。

 とはいえ、皆さんはこのことに大きな落差を感じられなかったでしょうか。直前15章で、世の終わり、永遠を見つめていた目が、突然、とても卑近で即物的なお金の話に引き戻される。えっ?どうして?ちょっとガクッとくる。そうは思われなかったでしょうか。そもそもこの手紙、15章でおしまいにした方がよかったのではないか。その終わりに「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」と語って最高潮に盛り上がったのだから、後は短い挨拶と祝福の言葉で終った方が効果的だったのではないか、と。

 しかし、パウロはそうはしませんでした。ここに落差などないからです。パウロにとって、世の終わりの復活の希望に生きることは、今のこの世の現実の生活とかけ離れた、別世界の話ではないからです。

 もちろん「肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできない」ことをパウロは知っています(15:50)。この世の営みは過ぎ去っていき、朽ちていくものであって、その延長上に救いがあるわけではありません。しかし世の終わりの復活の希望に生きる人は、この地上の歩みの中で「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励む」者となる、とパウロは言います。それは「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを…知っている」からです(15:58)。

 復活の希望に生きる時、わたしたちはこの世の事柄を軽んじたり、無視したりするようになるのではなくて、むしろ本当に責任をもってこの世の事柄に関わるようになります。本当に責任をもってこの世の事柄に関わるとは、それらを無駄にしないよう用いることです。そのためには、それらを朽ちることのためではなく、朽ちないことのために用いなければなりません。復活によって朽ちることのないいのちと体を与えてくださる主なる神にそれらをささげ、「主の愛の業」のために用いなければなりません。自分に与えられている様々なもの、能力、時間、財産が主の愛の業のために用いられる時にこそ、そのわたしたちの歩み、苦労は決して無駄にならず、本当に生かされていきます。

 募金の教えは、復活の希望に支えられて、この世の事柄を用いて主の愛の業に励むことの具体的な事柄として語られています。ここに落差はありません。その意味で、それは単なる「慈善のための募金」ではなく、まさに「献金」です。わたしたちも教会でいろいろな募金をしますが、わたしたちはそれを単なる慈善活動としてではなくて、愛の主に仕える業として、つまり神へ自らを献げること、「献身」の業として行います。さらに言えば、わたしたちの信仰が試されることの代表的な例が「献金」であると言えるのかもしれません。個人的にも、教会全体としても、献金をめぐって信仰が試されることになります。

 

■迫害と困窮

 今、「聖なる者たち」とあるのは、小見出しにあるように「エルサレム教会の信徒」たちのことです。エルサレムはキリスト教会が最初に誕生した場所ですが、ユダヤ教のお膝元でもあり、キリスト教とユダヤ教との違いが鮮明になるにつれ、ユダヤ人たちから激しい迫害を受けるようになっていました。さらには慢性的な飢饉の影響もあって、深刻な困窮の中にあったことが使徒言行録に書かれています。そのような迫害と困窮の下にあるエルサレム教会の人々のために、各地の教会で献金を集めて送るという運動を、パウロは指導していたのです。

 つまりこの献金活動は、同じイエス・キリストを信じて教会に連なる主にある兄弟姉妹の間で、苦しみの中にある教会を支え、助けていこうとする働きです。コリントの人々にとってエルサレム教会の人々は、会ったこともない、顔も見たことのない人々でした。人間的には何のつながりも関係もない、名前も知らない人々の間に、イエス・キリストを信じているというただ一つの絆、つながりゆえに、自分の財産を献げて相手を支え助けるという主の愛の業が行われていく、パウロが行っていた献金の活動とはそういうものでした。ローマの信徒への手紙15章25節以下に、こうあります。

 「しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています」

 援助は、経済的に重荷を負うことを通して、主にある交わりを深めると同時に、ユダヤ人教会の代表で、福音の発祥地であるエルサレム教会と、パウロの伝道により設立された異邦人教会との一致のために、パウロは「特別な思いを込めて」、この献金運動を推進していたのでした。

 

■献金の背景

 では、その「パウロの特別な思い」とはどのようなものだったのでしょうか。

 使徒言行録によれば、パウロは身の危険をも顧みずにエルサレムに向かい、そこで逮捕されてローマに囚人として護送されています。使徒言行録はそこで終わり、その後のパウロの運命は描かれません。しかし伝承によれば、そのローマでパウロは処刑されます。いのちがけでエルサレムに上ったことで、彼の人生は大きく変わりました。

 ではなぜ、身の危険を顧みることなく、パウロはエルサレムに向かったのか。それこそ献金を届けるためでした。エルサレム教会への献金はパウロにとって、いのちを懸けるほどの意味があったのでしょう。では、そのいのちを懸けるほどの意味とは何だったのか。なぜ、パウロはエルサレム教会への献金に、それほどこだわったのでしょうか。

 当時のユダヤ人たちは、必要最低限のこと以外、ユダヤ人以外の人とは付き合いませんでした。日本語のことわざに「朱に交われば赤くなる」というのがありますが、ユダヤ人たちは偶像を拝む外国人と付き合うと、彼らの偶像礼拝の習慣に染まってしまい、まことの神への信仰から逸れてしまうということを恐れていたのです。しかも、当時のユダヤはローマ帝国の植民地になっていました。ローマから課される重税に苦しみ、それに反抗すれば十字架に付けられて殺されるという暴力的な支配、それが我慢できないと考えるユダヤ人がたくさんいました。そこに「神の民」としての選民思想が相まって、彼らの外国人嫌いをますます強いものにしていました。

 このことは、教会にとっても深刻な問題でした。イエスさまを信じてクリスチャンなったユダヤ人は、それからもユダヤ人であることには変わりはありません。クリスチャンになった後も、律法を守り続けようとします。他方で、教会には、ユダヤ人以外の信徒がどんどん加わってきていました。そのため、教会の中には律法を守るユダヤ人信徒と、律法を守らない異邦人信徒が共存することになります。

 すでに学んだように、当時、聖餐式は主の晩餐と呼ばれる食事を伴うものでした。食事を取ることは、礼拝の重要な一部分でした。しかし律法を知らない異邦人と、食べ物や食べ方について様々に定められた律法の掟を厳格に守るユダヤ人とでは、食事の中身が違ってきます。彼らが一緒に食事を取るためには、二つの選択肢しかありません。一つは、ユダヤ人信徒の方が律法を守ることを止めて、異邦人と同じように何でも気にせずに食べるという選択肢です。もう一つの選択肢は、反対に異邦人信徒の方が律法を守るようにし、食事に関しても律法に従ったものを食べるようにする、というものです。ユダヤ人が異邦人のようになるか、あるいは異邦人がユダヤ人のようになるか、ということです。

 実際、この問題が大問題となり、パウロとペトロがこの件をめぐって激しく対立したことがあります。ガラテヤ書2章11節以下です。

 エルサレム教会の人々は、キリスト教を敵視するユダヤ人たちの中で生活していました。いわば敵地にいるようなものです。周りのユダヤ人たちはイエスさまのことを救世主・キリストとは認めません。エルサレム教会の人々がユダヤ社会の中で生活を許される最低条件は、律法をしっかりと守り、ユダヤ人らしく生活することでした。ほとんどがユダヤ人の彼らは、クリスチャンになった後も、先祖からの戒めである律法を厳格に守って暮らしていました。

 十二使徒の一人だったペトロもエルサレム教会の一員でしたから、エルサレムにいたときは律法をしっかりと守っていました。そんな彼も、異邦人信徒が多いアンティオキアの教会に来た時には、異邦人信徒と親しく付き合うために、律法の厳格な順守を緩めて、異邦人に合わせたライフスタイルを送っていました。しかしそんなところに、エルサレム教会から何名かの人たちがアンティオキア教会を訪ねて来ると、ペトロは律法を守らない異邦人信徒たちと一緒に食事をするのを控えるようになりました。一番弟子ペトロの影響は大きく、アンティオキア教会の他のユダヤ人信徒たちも、ペトロに倣って異邦人信徒たちと食事をするのを控えるようになりました。こうなると、アンティオキア教会がユダヤ人信徒と異邦人信徒の二グループに分裂することになります。

 この状況を見過ごせなかったのがパウロでした。パウロはペトロに対し、「あなたは今まで、ユダヤ人でありながら異邦人のように、つまりユダヤ人の食事のルールを守らずに異邦人のように何でも食べていたのに、どうして急に異邦人たちにユダヤ人のように、つまりユダヤ的な食事制限を課そうとするのですか」と怒ったのです。

 実は、このアンティオキアの出来事が起きる前に、パウロとエルサレム教会の人々は、ある取り決めをしていました。それは、異邦人信徒たちにはモーセの律法を守ることは要求しないというものでした。ただ、この取り決めには落とし穴がありました。異邦人信徒はモーセの律法を守る必要はない、でも、ユダヤ人信徒は?という問題です。ユダヤ人信徒たちは、当然のようにこれからも律法を守るべきだと考えていました。しかし、彼らが律法を守ろうとすれば、律法を守らない異邦人信徒たちとは一緒に食事ができないことになってしまいます。そのため、ペトロのような行動が生じ、結果、異邦人信徒とユダヤ人使徒との間に分裂が生じることになります。

 パウロは、教会の一致のためには、ユダヤ人信徒もモーセの律法を守ることを止めるべきだ、具体的にはユダヤ教の食事規定に従うべきではない、と主張したのです。このパウロの主張は、その意図は理解できるものの、保守的なユダヤ人クリスチャンには受け入れがたいものでした。律法は聖書の教えです。その教えを守らなくていいとは何事かという反感を抱いた人々もいました。

 パウロも、この状況が良いとは決して思ってはいません。そこで、彼自身とエルサレム教会との和解のために、さらにはエルサレム教会を中心とするユダヤ人クリスチャンと、パウロによって建てられた教会の、律法を守らない異邦人クリスチャンとの間の「和解と一致」のために、異邦人使徒たちからエルサレム教会への献金プロジェクトを何としても完遂したい、そう願ったのです。

 これが、パウロが「特別な思いを込めて」取り組んだ献金運動の背後にあること、背景でした。

 

■一致のしるし

 パウロはこの献金のために、様々な配慮を滲(にじ)ませます。

 1節に「わたしがガラテヤの諸教会に指示したように」とあります。興味深いことに、パウロは自分自身の宣教活動のための献金をガラテヤ教会、テサロニケ教会、フィリピの教会などから受け取っていましたが、コリントの教会からは自分個人のための献金を受け取ろうとはしませんでした。そのパウロが、エルサレムの教会への献金については、コリントの教会にも強く要請しています。このことは、パウロがエルサレム教会向けの献金をどれほど重要視していたのかをよく示すものです。

 パウロは、どうやって献金を集めるかという方法についてまで、具体的に指示しています。2節「わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい」。まず「週の初めの日」です。イエス・キリストの復活を祝う「主の日」である日曜日に教会に集まる時に、献金を集めるようにと指示します。当時はまだ、わたしたちがするように主の日の礼拝ごとに献金をする習慣はなかったようです。パウロがコリントへ行った時、慌てて献金を集めるようなことのないように注意し、「各自収入に応じて」献げるようにと言っています。収入の十分の一を献金する習慣は明示されていませんが、「各自の経済状態に応じて」献げることはとても重要なことです。

 牧師をしていて気づくのですが、厳しい経済状態から十分の一以上献げる人もいれば、豊かなのにわずかしか献げない人もいます。土地購入や会堂建築などで献金を決める時、教会すべてが必ずしも一致できないことがあります。教会が試される時です。しかし逆に、一致できた時、そこには何と大きな喜びと感謝が満ちあふれることでしょうか。

 

■共に福音によって生きる

 ここでもう一つ重要なことは、いつでもどこでも、一致できないことの大きな原因のひとつは不信感だ、ということです。

 パウロは、コリント教会の全員から信頼されてはいませんでした。そのことを知った上で、パウロは献金を求めています。そのために、3節「そちらに着いたら、あなたがたから承認された人たちに手紙を持たせて、その贈り物を届けにエルサレムに行かせましょう」とコリントの代表者たちが直接献金をエルサレムに届けるようにと配慮し、また4節「わたしも行く方がよければ、その人たちはわたしと一緒に行くことになるでしょう」と穏和な言い方をします。

 献金について詳細に記されているコリントの信徒への第二の手紙8章から9章を読んでみると、パウロのこの提案が、必ずしもコリント教会の人々に好意的には受け取られなかったことが分かります。パウロヘの不信感があったためです。また献金という信仰の具体化が、異邦人教会にはまだ受け止めにくかったこともあるでしょう。

 しかしそれでもなお、パウロは献金するよう求めます。なぜでしょうか。ここにその理由は書かれていませんが、すでに口頭で教会の人たちに説明してあったのではないかと考えられます。先ほどのローマの信徒への手紙でも、「異邦人はその人たち(エルサレム教会)の霊的なものにあずかったのですから、肉のもの(金銭)で彼らを助ける義務があります」と明言しています。

 コリント教会からエルサレム教会に献金が送られるということは、異邦人の教会からユダヤ人の教会へと援助の手が差し伸べられるということです。そのことにパウロは深い意義を見出しています。この献金は、異邦人の教会が、ユダヤ人からの信仰的遺産に感謝しつつ、その現在の苦しみを支えていくという意味を持っています。それによって、ユダヤ人の教会と異邦人の教会が、様々な違いを乗り越えて、イエス・キリストおいて一つとなること、それがパウロの切なる願いなのです。

 パウロは今、教会の「義務」と教会の「状況」との間に挟まれて労苦をしていますが、いつの代も、指導者はこの労苦を避けることはできません。それこそ、ユダヤ人教会と異邦人教会が、何よりも分裂と不信の狭間の世界に生きるわたしたちが、「共に福音によって生きる」ようになるためでした。感謝して祈ります。