■言葉だけでなく
教会では、洗礼(バプテスマ)を受けたいと希望する人に、「どうして洗礼を受けようと思うのですか」と、ひと言だけお聞きします。すると、それぞれに違った答えが返って来ます。信仰の道は、十人いれば十人、すべて違います。中に、ひと言、ふた言言いかけて、何も言えないで涙をこぼす人がおられました。言葉も大切ですが、その涙が多くのことを語っていました。信仰によって人と人が出会うとき、振る舞い、まじめな姿が重んじられます。
教会は続けて、これからも続いて集会に出席するよう、特に聖餐を重んじこれを守るようにと勧め、洗礼のときには、神と全会衆の前で、誠実にこれを守ることを約束していただきます。こうして、洗礼を受けられた方は、「現住陪餐会員」と呼ばれることになります。
人は、その心にあるものを言葉で言い表しますが、言葉だけでなく、振る舞いや動作でも表します。キリスト教は、聖書の宗教であると言われます。しかし、言葉だけでは表せない、振る舞いや動作で表すより他ない、大切なものがあります。それが、洗礼と聖餐と呼ばれる、二つのサクラメント(聖礼典)です。
■主の晩餐
イエスさまは、会堂で、また海辺や山で人々に語りかけられました。それだけでなく、弟子たちや徴税人や罪人たちと共に食事をされました。特に、十字架―死の前夜、エルサレムの宿の二階で、弟子たちと「最後の食事」を共にされました。そこにいたのは、イエスさまを裏切ったユダ、イエスさまを三度も知らないと言ったペトロ、イエスさまを見捨てて逃げまどった弟子たち―すべて罪人でした。そうなることを承知の上で、イエスさまは、弟子たちと共に食事をされました。
イエスさまの死後、弟子たちは集まって、そのときのことを想い起しつつ語り合い、そして共に食事をしました。教会はやがて、信徒たちが一つの場所に集まって、賛美し、祈り、言葉に耳を傾け、信仰を告白するようになりましたが、20節に「一緒に集まって…主の晩餐を食べる」とあるように、その頂点は「主の晩餐」でした。
ウィリアム・ウィリモンの著書『日曜日の晩餐』の中に、その時の様子がこんなふうに描かれています。
日曜日の夕方、安息日の後にエルサレムでの普段の生活が再び始まる日のことです。太陽が沈みかけ…商人たちは品物を片付け、労働者たちは街角でごった返し、一人の農夫が一匹のロバを馬小屋の中から家の方へと誘い出していました。…目を凝らすと、建物の後ろへとつながる小さな扉の中に入って行く、男や女たちが見えます。老いた者や若い者、ローマ人の奴隷、金持ちそうなユダヤ人の夫婦、明らかに街の外からやってきた羊飼いと思われる年老いた男、服装から判断して役所に雇われているに違いない若い男、顔をベールで隠す二人の若い女など、たくさんの人が入り混じっています。彼らの持っているランプの光が入り口で揺らぎ、そして消えていきます。彼らは何のために集まっているのでしょうか。…
30名か40名のグループが、シンプルな木製の食卓の周りに集まっています。その大きい部屋の中で、一人の男がひとつの巻物から、ヘブライ人の預言者が書いたと思われるものを読んでいます。その顔がふたつの小さいランプによって照らされます。彼が読み終わるまで、人々はじっと耳を傾けます。彼は巻き物を巻いて、後ろの方へと退きます。年老いたひとりの男、明らかに人々から敬意を払われている様子の人が、光の中を前の方へと足を踏み進め、そして話をし始めます。彼は説教の中で、聖なる書物で聞いてきたことを自分たちの生活の中で成就するようにと会衆を励まします。
年老いた男が説教を終えると詩編歌が歌われます。それからすべての人が手を上げ、天に向かって目を開き、手を伸ばして、一人ずつ、他者のための短い祈りを捧げます。彼らの中には、皇帝を拝むことを拒んだために処刑された者がいました。彼らはその人のために祈ります。他に、裁判を待ちながら、拘留されている者もいます。彼らはその人たちのためにも祈ります。病気、迫害、貧困、子どもの誕生―それらすべてのことを祈ります。祈りは、すべての人たちのアーメンで終わります。彼らは祈りを閉じ、夕方の食事の準備をするにあたって、「平和のキス」と呼んでいるものをもって、互いに抱き合います。
今、(「給仕に奉仕する執事」を意味する)ディアコンと呼ばれる人たちが会衆の間に移動し、人々が持ち寄った葡萄酒の瓶と小さなパンを集めます。食べ物は集められ、食卓の上に置かれます。新鮮なパンと新しい葡萄酒の香りが会場を満たします。司祭は、食卓の後ろに立ち、献げものの上に彼の腕を伸ばして感謝の祈りを捧げます。祈りの中で彼は、世界の創造に、神の愛に、そしてイエス・キリストに示された神の御業に感謝を捧げます。彼は、二階の部屋で弟子たちと共にされたキリストの食事のことを、キリストがパンを裂き、「わたしの記念としてこれを行いなさい」という言葉をもって、彼らにパンと杯とをお与えになったことを思い起こさせます。
祈りは、すべての人が大きな声で言うアーメンをもって終わります。
一人ひとり、祝福された大きなパンの一片(ひとかけら)を与えられ、それぞれがひとつの大きな杯から葡萄酒を少しずつ回し飲みします。すべての人が食べた後、執事は残ったパンと葡萄酒を集めます。残ったものは、会衆の中の孤児と未亡人に与えられます。厳しい迫害のために、養わなければならない多くの人がいました。病気や困窮にある人々もまた献げものから受け取ることになるでしょう。執事が食物を亜麻布に包(くる)んで欠片(かけら)をきれいにすると、司祭は「富める者が貧しい者を助けるために来て、わたしたちはいつも一緒にいることになる」と言葉を付け加えます。その後、司祭は人々の上に彼の手を挙げて祝福します。…
彼らは食べ物を与えられました。彼らは養われました。彼らは主とずっと一緒でした。そして今、この世界に戻る準備が整います。この世界へと戻る道を照らすランプをそれぞれが灯しつつ、扉を出て、暗闇の中へと滑り込みます。
彼らは日曜日に集まりました。この主の日に、彼らは集まって、読み、聞き、祈り、宣べ伝え、そして食べました。
これが主の晩餐です。[i]
■ふさわしくないままで
主の晩餐のときに読まれていたのが、コリントの信徒への第一の手紙11章23節から26節までに記されている言葉でした。しかし問題は、その後27節から29節です。わたしも、そして皆さんも気になる言葉です。
「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです」
ここで「ふさわしい」とはどういうことでしょう。
ときに、「ふさわしくないままで」という言葉は、正しくない者は主の晩餐を共にできないということを意味するのだ、あるいは28節の「自分をよく確かめたうえで」という呼びかけは、厳しい信仰的な自己反省を求める言葉だ、と受け止められてきました。主要なプロテスタント諸教派は、この言葉を根拠に、洗礼の有無や教会での信仰生活の年数、教会での独自の信徒教育の修了を、聖餐に与る陪餐の資格、基準としてきました。このため、洗礼を受けても、半年から一年の間、陪餐に与れないということもありました。
しかしこれは、全くの誤解です。
まず、パンはパン、杯は杯であって、その他の何物でもありません。しかし、聖餐に与る今このとき、それは普通のパンや杯と区別され、イエス・キリストを記念するパンと杯、まさに主の体と血になっている。この区別を「わきまえる」、はっきりと認識すること、それが「ふさわしい」ことです。
そして何よりも、ここで「ふさわしい」とは、そこに集まって、その食事に与る者が「互いに愛し合う」ことです。さきほどご紹介したように、コリントの教会でも、それぞれ自分の食事を持って集まってきて、まず初めに「パンを裂いて感謝して」食べ、皆で分け合って食事をして後、「杯を同じように」する、これが「主の晩餐」であるはずでした。ところが20節から22節、
「一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです。あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか。わたしはあなたがたに何と言ったらよいのだろう。ほめることにしようか。〔いや、〕この点については、ほめるわけにはいきません」
豊かで時間に余裕のある信徒たちが、先に自分の食事を食べ、さらには酒を飲んで酔っ払っている者さえいました。遅れてやって来た奴隷や貧しい信徒たちは空腹に飢えています。もしかすると、せいぜい9人程しか入れなかった食堂に、集会を主催していた比較的裕福で余裕のある人とその友人たちだけが招かれ、それ以外の人々は外の広い中庭で食事をしていたということかもしれません。ちょうど飛行機のファーストクラスのようなものです。裕福な人々は自分たちのことを教会のパトロン、有力者であると考え、そこで出す食事に差がつくことも当然だと考え、また他の人々もそのことを受け入れていたのかもしれません。
しかし、それで、「主の晩餐」が守られているとはとても言えません。神の教会は軽んじられ、貧しい人々を辱めているのです。主の晩餐は、信仰と聖霊による愛の交わりです。「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:28)。聖餐に与るとき、互いの愛が示されます。もはや「互いに愛し合いなさい」ではありません。互いに愛し合っている、一つになっているのです。これこそが、終わりの時に完成する、神の国のしるしでした。
■無償の愛と真実
ウィリモンは、こう言います。
「いくつかの教会がなぜ、いわゆる『開かれたコミュニオン〔オープンな聖餐〕』を行うのかお分かりになりますか? 他の教会は、主の晩餐は会衆のメンバーにだけ限られるべきである、と感じています。あるいは時に、会衆の中の人たちにさえ、交わりに相応しくない、だから聖餐を無効なものにしていると思える人たちがいる、と耳打ちされることもあるでしょう。こうした態度はしばしば、主の晩餐についての、悲劇的とも言える誤解を表しています。…
コリントの人々は明らかに、一致、もてなし、共同性、そして恵みとしてのこのしるしを、自己中心的で宗教的なうぬぼれの機会―それは主の晩餐のまさしく対局にあるもの―に変えてしまっていました。そこで、パウロは彼らに語ります。あなたがたは主の晩餐を食べていません、あなたがたが食べているのは、あなたがた自身の晩餐、文字通り「自分の晩餐」を食べています、と。 コリントの人々の食事は、区別と分断の原因となるものした。そのため、彼らが食べるとき、彼らは自分自身の破滅を食べたり飲んだりしていたのです」
その上で、4章をこう締めくくります。
メソヂストの源流となった「ジョン・ウェスレーは、聖なる霊的交わり〔聖餐〕は聖徒たちのための自己満足の食事ではなく、むしろ罪人たちのための人生〔いのち〕を〔新しいものへと〕変える食事であると考えていました…罪人たちです。罪人たちの中には売春婦たちがいました。その中には教会の指導者たちもいました…すべてが罪人だったのです、そこでイエスは彼らのすべてを晩餐に招いたのでした。
そのため、ウェスレーは愛に溢れる主の晩餐に、すべての「熱心な求道者たち」が与ることを認めました。求められる唯一つの条件は、甦りのキリストに出会うことを熱望することでした。
『来なさい、罪人たちよ、福音の祝祭に』は、チャールズ・ウェスレーによる初期の讃美歌が慈愛に満ちた招きのために用いられる常套句でした。
来なさい、罪人たちよ、福音の祝宴に
すべての魂がイエスの客とされます
あなたがたは一人として取り残されることはありません
神がすべての人間を贖ってくださったからです。
わたしの主によって遣わされ、あなたがたをわたしは招きます
その招待はすべての人のものです
来なさい、この世界のすべてのものよ!来なさい、あなたがた罪人たちよ!
キリストにおいてすべてのことが、今、もう備えられているのです。
来なさい、罪によって押しひしがれたあなたがたの魂のすべてよ
あなたがたは休息の後に休みなくさ迷う者
あなたがたは貧しく、傷つけられた、足の不自由な、目の見えない者
キリストにおいて、心からの歓待が見出されるでしょう。
今日、教会が主の晩餐のために集まる時はいつも、喜びに満ちて宣言されます。驚くほかありません。イエスは、かつて彼に多くのトラブルをもたらした、罪深く、いかがわしい夕食の仲間たちと同じような者たちを、今もなお、選んでくださっている、と。神に感謝」
昨年の信徒研修会で「聖餐」について学んだ後、ある方からこんな問いかけをいただきました。
「自分をよく確かめ、吟味して、ふさわしくないと思ったら、取ってはならないのでないでしょうか」。
そうかもしれません。わたし自身、ふさわしくない、そう思わざるを得ない者です。事実、何度も、いえいつも、そう思っては、畏れを抱きます。
しかし一度も、取らなかったこともありません。
というのは、それを取らないのは、そこでわたしに分け与えられているキリストの体と血、無償の神の愛と真実を拒否することであり、また、今ここに与えられている、互いの愛と交わりとを拒否することだからです。