福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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4月28日 ≪復活節第5主日/春の「家族」礼拝②≫『ちょっとそこまで』 ヨハネによる福音書 16章 12~24節 沖村 裕史 牧師

4月28日 ≪復活節第5主日/春の「家族」礼拝②≫『ちょっとそこまで』 ヨハネによる福音書 16章 12~24節 沖村 裕史 牧師

 

■しばらくすると

 イエスさまが十字架につけられる前の夜のことでした。深い夜の闇の底で、張りつめた緊張を強いられていた弟子たちに、イエスさまが最後の教えを、別れの言葉を語っておられました。部屋を灯すオリーブランプの明かりは決して十分なものではありません。薄暗い部屋の外では、人々の敵意がその網を徐々に、しかし確実に狭めてきていました。事態が切迫していることは弟子たちにもわかっていたはずです。イエスさまはその弟子たちに、静かにこう告げられます。16節、

 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくするとわたしを見るようになる」

 この言葉が三度も繰り返されます。しかし弟子たちはこの言葉が理解できません。喉に刺さった魚の骨のように、もどかしく心に引っかかります。18節、

 「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう」

 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなる」。この言葉は、弟子たちにも察しのつくものでした。もう少しすると、わたしは十字架にかけられて殺され、姿が見えなくなる。そのことがもうすぐ起こる。でも、イエスさまが続けて「またしばらくすると、わたしを見るようになる」と言われていることの意味が分かりません。それでなくても、イエスさまを永遠に失ってしまうという予感に、その重さに押しつぶされそうな弟子たちはただ戸惑い、うろたえます。

 愛する人がいなくなる。支えとなる人の姿が見えなくなる。そればかりか、20節に「あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ」とあります。イエスさまを信じなかった者、イエスさまが語られた神様の恵みなど当てにもしなかった人たちが、それ見たことかと言って、あなたたちが泣き悲しんでいる姿を見て喜ぶと言われます。わたしたちの悲しみ嘆きは、そして世の喜びは一体、いつまで続くというのか。イエスさまが見えない。神様の恵みが見えない。神様が生きておられるということが分からなくなる、と言われます。

 そう思わずにはおれない深い嘆き悲しみを、わたしたちのだれもが味わったことがあるはずです。しかしそんなときにこそ、イエスさまがお声をかけてくださるのです。「またしばらくすると、わたしを見るようになる」。

 ほんの少しの間、ちょっとそこまで、と。

■ちょっとそこまで

 かつて日本中でごく普通に交わされていた挨拶に、こんなやりとりがありました。

 道でご近所同士がすれ違うと、片方が決まって尋ねます。

 「どちらへ?」

 尋ねられた人は、ほほえんでこう答えます。

 「ちょっとそこまで」

 なんということのないやりとりですが、いかにも奥ゆかしい挨拶です。近頃ではもう廃れつつある、でも失ってしまうのはいかにも惜しい気のする挨拶です。

 この「どちらへ?」という問いは、単なる好奇心によるものではありません。かつての地域社会、コミュニティーは互いに関心をもち合い、いざというときには助け合うことで成り立っていました。ですから、隣人がどこへ出かけるかを尋ねるのはごく自然なことで、むしろ声をかけ合うことが礼儀でもありました。

 「畑の草刈りなんですけど、これがなかなか大変で」と言えば、「それじゃ、後ほどお手伝いに寄りましょうか」となり、「母の具合が悪くて、しばらく実家に帰るところです」と言えば、「それじゃ留守中、ご主人とお子様大変でしょう。ときどきご様子を伺いにお寄りしますね」ということになります。つまり、この「どちらへ?」というさりげない問いには、「大丈夫ですか、何かお手伝いできることがありますか?」という温かい思いが込められています。

 それに対して、特別事情のないときには「ちょっとそこまで」と答えます。これは、「ありがとうございます。お手伝いいただくほどのことではありませんから、どうぞご心配なく」と感謝を込めて答えているのですから、「ちょっと」とはどのくらいの距離か、「そこまで」とはどこまでのことかなどと聞き返すのは、野暮というものです。

 尊敬していた先輩が重い病気になり、亡くなる直前にお訪ねしたことがあります。才能に溢れ、多くの仕事をこなし、みんなから愛された人でしたが、病に倒れました。自分の病気がもう治らないとわかってからも、何事もないかのように働き続けるその姿は清々(すがすが)しくさえありました。お訪ねしたわたしの重い気持ちを察してか、先回りしてこう言われました。

 「心配しないでいいよ。ちょっと天国まで引っ越しするだけだから」

 何か励まさなくては、などと考えて身構えていたわたしに、「ちょっとそこまで行くだけだよ。神様のなさることだから問題ないよ。わざわざお手伝いいただくほどのことじゃないから、ご心配なく」。そう言って、ほほえんだその笑顔に、わたしは今でも励まされています。

 人生が旅路である以上、助け合い、励まし合う仲間が必要です。しかし、それもこれも目的地までのことです。いよいよその目的地を目前にしたとき、もはや助け合う必要はありません。なぜなら、もう着いたのですから。そしてだれであれ、「天国への引っ越し」は、ひとりでしなければならないのですから。

 すべての人がいずれは迎える「引っ越し」の日。しかし恐れることも、慌てることもありません。わたしたちはみな、天の国、神様のみもとに召されるのですから。そして、いつの日か必ずまた会うことになるのですから、その日をごく普通に迎えたいものです。人生を歩み、その終わりが近づいてきたとき、いえ、いのちの終わりのときはだれにもわからないのですから、人生の途上のどんなときにあっても、「どちらへ?」と聞かれたなら、今日のイエスさまのように答えたいものです。16節、

 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくするとわたしを見るようになる」

 「ちょっと天まで」と。

 でも、「ちょっと天まで」というこの言葉は、天の国のことを信じることのできない人には、「えっ、何?」と思われる言葉でしょう。わたしたちのいのちは、自分が望んで手に入れたものではありません。ただ与えられた、と言う外ないものです。それを聖書は、神様が与えてくださり、取られるのだと教えます。わたしたちは生きる前も、この世にある時も、死して後も、愛の神様のもとに生かされている、だから大丈夫、何の心配もせず、あるがままに、与えられたいのちを大切に生きていきなさい、という聖書の言葉を信じることのできない人には、「ちょっと天まで」というこの言葉は、驚き以外の何物でもないでしょう。

 12節に「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたは理解できない」とあるように、このときの弟子たちにも理解できませんでした。

 

■悲しみが喜びに変わる

 時間というものは、わたしたちの心持ちで、ずいぶん長くなったり、短くなったりするものです。わたしが時間をよく意識するのは、エレベーターを待っているときです。パッとエレベーターが開いているところに飛び乗れたときには、とても幸せで、ラッキーな気分になります。ところが目の前で閉まって、それがずっと上に上がって降りてくるのを待つときの時間のなんと長いことでしょう。また、エレベーターに乗るとすぐに着いてしまうように思えます。時間は、待っているときには大変な長さを感じるのに、乗ってしまっている人にはアッと言う間です。たわいもない時間の感覚です。

 しかし、もっと深い、深刻な時間の体験が、わたしたちの中に繰り返し起こります。辛いときの時間はとても長く感じます。痛みが続けば、これはいつまで続くのかと思います。夜中に目が覚めて痛みが続いているときの、一分、二分の長さというのは大変なものです。心が悲しみに溢れて、その悲しみから逃れたいと思っても、そうできないときの時間の長さもまた、本当に辛い、耐えがたい長さです。

 イエスさまは今、それが短いと言われます。しかしこれは、わたしたちの人生には、長く辛い悲しみ、苦しみの時があっても、やがてそれに代わって喜びの時が来る、そしてまた悲しみの時がやって来る、そのように喜びと悲しみは、入れ代わるようにしてやって来るのだ、という意味ではありません。そうではなくて、「悲しみが喜びに変わる」と、はっきり宣言されます。

 しかも、悲しみが喜びに変わることをとても具体的な例で、21節「女は子供を産むとき…」と語られます。

 長男が生まれた時のことを思い出します。早朝、まだ薄暗い5時過ぎ、妻が「陣痛が始まったみたい」と訴えます。初めての出産です。うろたえながらもタクシーを呼び、準備していた大きなバックを肩に担いで病院に入りました。妻は6時頃には、ベッドの上に横たわりました。が、それからが長い、長い一日になりました。妻は襲い来る痛みと苦しみのたびに、身をよじるようにしてわたしの手を強く握ります。そのあまりの強さに、わたしの心も張り裂けそうになります。昼を過ぎても、午後3時を過ぎても、ただただ痛みに耐えるばかりです。何も食べずに苦しむ妻のために、病院のすぐ近くにあった八百屋で買ってきたひと房の種なしぶどうを一粒ずつ口に入れようとします。苦しむ妻の背中をさすりながら、「食べたら、生まれるかも?!」と声を掛けます。苦痛に歪む顔を崩して一瞬、妻が笑って「馬鹿ね…」とひと言。愚かなわたしは、自分で自分にあきれながら、その後も背中をさすり続けることしかできませんでした。生まれたのは、日付も変わろうとする夜の11時35分。18時間にも及ぶ、長い、長い苦しみでした。我が子を腕に抱いた妻は、苦痛に耐え切った疲労の中にも、深い安堵と安らぎに満ちた、実に美しい顔をしていました。

 今、イエスさまは、「一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない」と言われます。イエスさまが語られる母の子を産む苦しみとは、イエスさまご自身が味わわれる十字架の苦しみのことでしょう。イエスさまは、わたしたちを愛してくださり、神の子として生み出してくださるためにこそ、十字架の苦しみの中に立ってくださいました。それは、母が子を産むにまさる、深い苦しみの時でした。痛みでした。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばずにはおれないほどの痛み、苦しみでした。しばしの苦しみではありません。永遠の苦しみかと思われるような苦しみです。しかし、その苦しみを忘れる時がくると言われます。十字架も、しばしの時のものであったと言える時が、必ずくると言われるのです。

 そして事実、イエスさまは死からよみがえらされて、わたしたちのだれもが神様の、永遠のいのちに生かされていることを示してくださいました。死の悩みは、しばしのものでしかない、ということを明らかにしてくださいました。

 

■先立つ愛

 どなたにも、深い悲しみ、深い絶望が、まるで永遠のものであるかのように思われることがおありでしょう。そんなとき、わたしという存在の真ん中に、悲しみや絶望が永遠に居座ってしまったかのように感じます。わたしたちの全存在を占領したかのように思われます。しかし、まさにそのようなところで、イエスさまがその悲しみもその苦しみも「しばしのものだ」と言われるのは、そこに喜びをそっと添えてくださるというようなことではありません。その悲しみ、その苦しみの只中にこそ、イエスさまの言葉が飛び込んできます。22節、

 「ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶ」

 「会う」とは、ここに繰り返されている言葉で言えば、「見る」ということです。これまでイエスさまは、あなたがたはわたしを見るようになると言われましたが、ここでは違っています。わたしがあなたがたを見る、です。それが先です。わたしたちがイエスさまを見るようになる前に、イエスさまがわたしたちを見て、守っていてくださるのです。わたしたちは、イエスさまのまなざしを見返すだけです。そうして、わたしたちは喜びに溢れるのです。

 イエスさまは言われます。悲しみの中で、あなたがたは生きる。しかしその悲しみ、辛さは喜びに変わる、と。そうでなければ、耐えることなどできません。言い換えれば、深い苦しみ、悲しみに囚われながら、そこから逃げ出さずにおれるのは、なぜか。愛されていることを知っているからです。苦しみが、痛みが喜びに変えられるのは、神様が生みの親として、母が出産の苦しみに耐えたように、自らの苦しみをもってわたしたちを愛していてくださっているからです。

 何の資格も条件もなしに、ただ与えられたこのいのちゆえに、あるがままに愛されているからこそ、この人生を何度でも生き直すことができることを、わたしたちは知っています。それこそがわたしたち、すべての者に与えられている、限りない慰めであり、ゆるぎない祝福なのです。感謝して祈ります。