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5月5日 ≪復活節第6主日礼拝≫『自由な者として』 コリントの信徒への手紙一 9章 1~18節 沖村 裕史 牧師

5月5日 ≪復活節第6主日礼拝≫『自由な者として』 コリントの信徒への手紙一 9章 1~18節 沖村 裕史 牧師

 

■…ではないのか

 今日のわたしたちにとって、自由ほど魅力的な言葉はないでしょう。生活のあらゆる面でわたしたちは縛られたり、制限されているように感じています。自分の自由に生きられたらどんなによいだろうか、と誰しも願っているのではないでしょうか。自由と権利を最大利用するのが、現代人の生き方です。

 しかしパウロは、使徒としての「権利」を用いません。ご自分の「権利」を犠牲にしてくださったイエス・キリストに従うことを通して、「自由にされた者」としてのパウロの姿を、今朝、9章の中にはっきりと見ることができます。

 パウロはこの自由と権利について、何と語っているでしょうか。1節、

 「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか」

 これを原文で読むと、否定を表す言葉、英語の“not”が冒頭に置かれています。「わたしは自由な者ではないのか。わたしは使徒ではないのか」といったニュアンスです。「ない」が強調された、いささか興奮気味の様子です。少し感情を高ぶらせた普段とは違う語り方、挑戦するような口調で、パウロは語りかけています。

 パウロが感情を高ぶらせていたのは、コリント教会の中に、彼が使徒であることに疑問を差し挟む人々がいたからです。それはある意味、無理もないことでした。使徒とは「遣わされた者」という意味の言葉で、イエス・キリストによって福音を宣べ伝えるために遣わされた人々のこと、直弟子であった十二人の弟子たちのことです。しかし、パウロはその一人ではありません。彼はと言えば、教会を迫害し、 イエスをキリスト、救い主と信じるこの新しい教えを撲滅するために必死になっていた、ファリサイ派のエリートでした。そんな彼の前歴を知る人々は、たとえ、その後の回心の事実を認め、信仰の仲間として受け入れはしても、「使徒」の一人として受け入れることができなかったのです。

 彼の働きには常に、疑いと不信、つまずきと妨げが付きまとっていました。自分が伝道して生まれたコリントの教会の中にすら、パウロが使徒であることに疑問を持つ人々が出てきているということが、彼の気持ちを高ぶらせます。彼は、1節で「あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか」と語り、2節で「他の人たちにとって わたしは使徒でないにしても、少なくともあなたがたにとっては使徒なのです。あなたがたは主に結ばれており、わたしが使徒であることの生きた証拠だからです」と語っています。そのあなたたちが、わたしが使徒であることに疑問を抱くとはどういうことか、というパウロの悔しい思いがひしひしと感じられます。

 

■使徒としての姿勢

 そのような批判に対して、パウロは「弁明」(3節)をします。弁明とは、自分の立場が誤解されたり、不当に曲げられたりしたとき、自分の立場を明らかにすることで、「言い逃れ」や「口実」とは全く別のことです。

 そこでパウロは、他の伝道者や使徒たちがしていることを、自分もする「権利」がないのか、と問いかけます。ここで重要なのは「権利」という言葉です。9章に何度も出てきます。その冒頭が「わたしたちには、食べたり、飲んだりする権利が全くないのですか」でした。食べたり飲んだりする権利を真っ先に取り上げます。

 ここに、8章からのつながりが見えてきます。8章には、偶像に供えられた肉を食べることについて語られていましたが、パウロの基本的な考え方は、偶像は神でも何でもなく、それに供えられた肉も、肉屋の倉庫につり下げられていたものと何の違いもないのだから、自由に食べることができるというものでした。しかしそれが結論ではありません。8章の最後13節でパウロは、「それだから、食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません」と自らの決意を語っています。

 信仰の知識さえ持てば、一旦偶像に供えられた肉でも気にせず、自由に食べることができます。しかし、その知識をまだ十分に受け止めることができず、どうしても気になって動揺してしまう、信仰の弱い兄弟姉妹がいる。その人々をつまずかせないために、自分は肉を食べることをやめる、と言います。

 そこには、自分が信仰によって得ている「自由と権利」、自由に食べたり飲んだりする権利を、 弱い兄弟姉妹のために「自分から制限し、放棄する」という、パウロの伝道者としての姿勢がはっきりと示されています。

 

■権利と自由

 自分が使徒であるということを弁明しようとするパウロが、自分に与えられている権利を語っていることの真意を、わたしたちはしっかり知らなければなりません。

 冒頭の1節で「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか」と言っていることが大切です。ここでパウロが見つめているのは、使徒とは自由な者であるということです。この「自由な」とは「解放されている」という意味の言葉です。 いろいろなものに囚われていない、あらゆる束縛から解放されている、それが自由です。

 その自由に生きることは、豊かな権利を持って生きることでもあります。「権利」という言葉は「権威」あるいは「力」とも訳せる言葉です。権威とは本来、何かをするための「正当性」のことを意味しています。8章の食べ物のことに関して言えば、信仰の知識によって、偶像に供えられた肉を食べても罪にはならないし、汚れたりもしないという正当性が示されます。それによって、これを食べたら汚れるのではないか、罪を犯すことになるのではないかという恐れから解放され、どんな肉も気にせず食べることができる自由が得られるのです。

 4節以下で、パウロが使徒の権利を語るのは、使徒に与えられている自由を明らかにするためです。「食べたり飲んだりする権利」が語られるのは、掟に囚われずに何でも「食べたり飲んだりできる自由」があることを示すためでした。続いて、他の使徒たちのように、信者である妻を連れて歩く権利があると語られるのは、使徒は独身でなければならないとか、結婚していなければならないとか、 そういう掟、固定観念から自由であることを示すためです。パウロ自身は独身でしたが、他の使徒たちは妻帯していました。どちらでなければならないというものではない、 様々な生き方があってよいのです。そういう自由を与えられているのです。

 

■報酬

 そして6節以下、パウロは、使徒たちには教会から報酬を受け取って、それで生活していく権利があると言います。それを支える論拠として、自費で兵隊になる人はいないし、農夫で自分の畑のぶどうを食べない者はいないし、自分の飼う羊の乳を飲まない羊飼いはいないと(4~7節)、当時の社会で当然のこととして行われていることを挙げます。それは正当な「権利」なのです。

 しかし、それはこの世のことに過ぎないと言う人に対しては、モーセの律法をあげ、神の掟もその権利を定めている、とパウロは主張します。籾を踏んで脱穀という仕事に従事している牛が口に籠をつけられて、その穀物で腹を満たすことを妨げてはならないと律法は定められており(申命記25:4)、それはただ牛のことを言っているのではなく、「わたしたち」のために言われている、働く者がその働きによって生活を支えられていくことは、当然の権利として認められている。そのことを11節の言葉でこう結びます。

 「わたしたちがあなたがたに霊的なものを蒔いたのなら、あなたがたから肉のものを刈り取ることは、行き過ぎでしょうか」

 使徒たちは人々に、霊的なもの、キリストの福音、信仰を宣べ伝えました。教会の人々は彼らのその働きによって、信仰に導かれ、キリストの救いにあずかり、 神の民の一員とされたのです。そして彼らが語る神の御言葉によって、生かされ、養われているのです。その働きに対して、教会の人々が肉のものをもって、 つまり使徒たちの生活を支える報酬をもって応えることは当然ではないか。使徒たちは、教会からの報酬によって生活するという権利を持っているのだ、と言います。

 続く13節から14節に書かれていることは、民数記18章21節以下に、 イスラエルの祭司としての働きを担うレビ人が、自分たちの土地を持つのではなく、他の部族の人々の生産物の十分の一がレビ人に与えられて、 それで生活を支えるようにと定められていること、またマタイによる福音書10章10節に、イエスさまが弟子たちを伝道へと遣わされた時に「旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である」と言われたことを指しているのでしょう。

 パウロがこのことを、これほどまでに強調しているのは、まさにこのことが、パウロが使徒であることを疑う人々から寄せられている批判の核心だったからでしょう。彼らは、パウロは自分が使徒だと主張することによって、教会に報酬を要求し、教会を食い物にしようとしている。教会によって生活を支えてもらうために、自分が使徒だと言っている。そう批判していたのです。パウロは今、そのような批判に真っ向から反論します。

 

■自由の放棄

 しかし、以上のことは前置きに過ぎません。「主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました」(14節)と、イエスさまの語られた言葉を持ち出しているにもかかわらず、「しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした」(12節)、「しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことはありません」(15節)と言い切るのです。

 ここにポイントがあります。なぜ、パウロは「権利」を用いないのでしょうか。それは、「キリストによって共に生きる共同体」である教会を建てるためです。

 パウロはそのことを、「キリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます」(12節)と言っていますが、このことは8章に書かれている「弱い人」をつまずかせないために肉を今後口にしません、と語っているのと同じことです。

 当時の地中海世界には、様々な哲学者や知者や宗教家がいて、教える代わりに金銭をしぼり取り、悪評をかっていたと言われています。

 しかし、教会という共同体は、神の御子イエス・キリストがご自分の「権利」を用いないで、それを犠牲にしてくださった、あの十字架の御業によって建てられた共同体です。パウロは、このキリストの福音が妨げられないために、キリストの模範に従って生きることによって、自分をコリント教会の模範にしようとしているのではないでしょうか。

 自由と権利を最大限利用するのが現代人の生き方だとすれば、このパウロの生き方を、わたしたちはどう受けとめればよいのでしょうか。パウロから問われているのは、この点です。パウロは、自分がイエス・キリストによって自由にされた―律法を守らなければならないという人間の業績主義から自由にされたからこそ、本当に仕える者になることができたのです。「あなたがたはどうなのか」とパウロは、今のわたしたちに問いかけているのではないでしょうか。

 パウロはキリストに倣って、そのように生きていることを「誇り」にしていました。あの「権利」を要求し、それを使用するくらいなら、「死んだ方がましです」とまで言い放っています。

 パウロは、キリストの奴隷として福音を宣べ伝えずにはいられないのですから、宣べ伝えること自体は誇りではないのです。自由志願で福音の宣教者になったのなら、その功績によって報酬を受けるでしょうが、パウロは委ねられた務め(17節)として、そうしているのです。

 では、パウロには報酬はないのでしょうか。パウロはこう答えます。18節、

 「それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです」

 当然もっている権利を用いず、経済的報酬を得ないこと、これが報酬であると逆説的に答えています。彼は自由や権利を持っていないのではありません。しかし自分で、それを行使することを控えるのです。目に見える彼の生き方は一見、不自由な、束縛の中にいるように見えます。偶像に供えられた肉でも自由に食べることができるということを誇りにしている人々から見れば、それを食べないでいるパウロは古い考えやしきたりに束縛された、 解放されていない者のように見えるでしょう。しかしそうではありません。

 彼はそのような束縛から、誰よりも完全に自由になっているのです。だからこそ、 自分からその自由を放棄することができるのです。本当に自由である人は、自分の自由を放棄して、敢えて束縛の中に、どれほどの苦難や抑圧の中に身を置いても、誇りをもって生きることができるのです。ここに、パウロがどれほど自由にされていたかの証しを見ることができるのではないでしょうか。

■自らに由(よ)る

 最後に、文芸評論家でカトリックの信徒でもある若松英輔の著書、『光であることば』の中から印象深い一文を引用して、今日のメッセージを閉じさせていただきます。

 「ただ、ここで改めて考えてみたいのは、現代人が、ほとんど無反省に用いている『自由』という言葉が、単なる身勝手や我がまま、あるいは無拘束な状態とはまるで違う地平を持つということなのである。自由とは『自らに由る』こと、自己と深くつながることでもある。それだけではない。そこには自分を超えたものともつながっていく道さえも開かれていく。生活のなかで不自由を感じることがあってもよい。…

 自由であるとは、制限や制約が存在しない状態を指すのではない。人は、大きな制約があっても自由であり得る。それを証明した人はいる。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの強制収容所での生活を書いた『夜と霧』の著者ヴィクトール・フランクルはそうした人間のひとりだった。『夜と霧』と同時期に書かれた『それでも人生にイエスと言う』という講演録で、ある女性をめぐってフランクルは印象的な逸話を紹介している。

 『あるとき、私は、強制収容所で、以前から知っていた若い女性といっしょになりました。収容所で再会したとき、彼女はみじめな境遇にあり、重い病気で死にかかっていました。そして自分でもそれを知っていました。けれども、死ぬ数日前に、こう明かしてくれました。「私は、ここに来ることになって、運命に感謝しています。以前なに不自由のない生活を送っていたとき、たしかに、文学についていろいろと野心を抱いてはいましたが、どこか真剣になりきれないところがありました。でも、いまはどんなことがあってもしあわせです。いまはすべてが真剣になりました。それに、ほんとうの自分を確かめることができますし、そうしないではいられないのです。」』…

 ここで女性が『野心』と語っている言葉を『成功』や『評価』に置き換えてみると、より身近に感じられるかもしれない。かつて、彼女は誰かに評価され、成功することが『答え』であり、より自分を自由にすると信じて疑わなかった。しかし、強制暖容所という限界状況において、死を前にしたとき、まったく別な人生の地平があることを知った。全身全霊で真剣に生きるとき、人は『ほんとうの自分』に出会う。自分に『由る』ことができる、というのである。」

 感謝して祈ります。