■心から心へ
よく、コリントの信徒に宛てたこの第二の手紙はとても難しい手紙だ、と言われます。その難しさには二重の意味があるようです。
一つは、この手紙が書かれた時のパウロの状況それ自体が難しかった、と言います。パウロは当時、伝道を進める中で大変な迫害を経験していて、その上、自分が開拓伝道して建てた教会の信徒たちとの関係も必ずしも良好ではありませんでした。まさに内憂外患という状態です。旧約聖書の預言者にエレミヤという人がいますが、彼は人々の無理解に苦しみ、涙の預言者と呼ばれました。パウロもまた、涙の使徒と呼びたくなるような困難に直面していました。そんな苦しみと悲しみを背後に置いて書かれた言葉が、すぐにわかったような気になることを阻んでいると言ってよいかもしれません。
二つ目は、この手紙の内容そのものが難しいということです。それは、この手紙には難しい理屈や教理が書かれていて難解だ、という意味ではありません。先ほど申し上げたような、この手紙を書いたときのパウロの置かれていた状況をよく踏まえておかないと、この手紙を理解することが難しいということです。
そう考えながら、ふと思い出した一文があります。若松英輔の「求道者と人生の危機」です。
「…出会った場所は、亡くなった井上洋治神父が主宰していた『風(プネウマ)の家』だった。…若さとは未熟さの別な表現にほかならないが、私の場合は、大きく未熟さに傾斜していた。神父はそうした私をときに激励し、慰め、そしていつも見守ってくれていた。神父に出会っていなければ人生が変わっていただけではない。人生が始まっていなかったのではないかとすら思う。
神父が亡くなったと聞いた、その瞬間、打ち消しがたい、ある思いが胸を貫いた。『今度はお前の番だ。お前がどんなに未熟でも、お前が若い人と向き合うときだ』。大学に勤務するようになったのはそれから四年半後だったが、その間も、幾度となく次の世代に言葉を受け渡すことを折にふれて考えていた。
『教える』という言葉には、以前から違和感があった。神父が行ってくれたのも『教える』というよりも『手渡す』というべきことだったからだ。それは手から手へというよりも心から心へと伝えられた。
最晩年、神父が亡くなる数ヶ月前、神父から電話があった。どうしても話したいことがあるから来てほしいという。昼食を食べながら、さまざまな話をし、少し言葉が途切れたときだった。
『若松君』、そう神父は少し声を詰まらせるようにしながら、こう続けた。
『ぼくは、心から心へ伝えたいんだ。これまでもずっとそう願ってきたんだ』
この言葉を私は神父の『遺言』だと思っている。浅学菲才(せんがくひさい)の身には、神父の思想を受け継ぐことはできない。しかし、頭から頭へではなく、心から心へ言葉を手渡すことはできるかもしれない。ことに若い人たちにそうしたい。神父が亡くなり、彼を思い出すたびにそうした思いを深めるようになっていった」
「心から心へ言葉を手渡す」。パウロもまた、同じような思いをもってこの手紙を書いていたのではなかったでしょうか。
■神の恵みというプライド
そして冒頭、パウロは心を込めて語りかけます。
「わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです」
「とりわけあなたがたに対して」とあります。パウロはこれまで、コリント教会の人々と様々な言葉を交わし、ときには論争をし、ときにはパウロの方が困惑するようなやりとりをしてきました。そのようなときに、人間の知恵算段で何とかしてうまく押さえこもう、事態を治めようという考えに、もしかすると誘われたのかもしれません。しかしそれを退けて、パウロは「とりわけあなたがたに対して」、ひたすら神の恵みの中で行動してきたのだと言います。
コリント教会は、正直、実に扱いにくい教会でした。わたしたちも扱いにくい人間、扱いにくいグループ、扱いにくい人間関係の中に立ったときには、途方に暮れることがあります。しかしそこでも、パウロは誇りを失わなかったのだと言います。どんなことがあっても、自分は伝道者としてうまくやれるというプライドに生きていたと言うのではありません。パウロはこの手紙の中で、自分のことを、すぐにひび割れる、落とせば砕けてしまう「土の器」だと言います。自分の弱さを隠そうとはしませんでした。そんな自分がただ神の恵みの中にだけ生きた、と言います。自分はプライドを失うことはないとパウロが言う、そのプライドとは、神の恵みというプライドです。
考えてみれば、不思議な表現です。普通であれば、自分一人ではやっていけなくて、神の恵みを受けなければ生きることができないというのは、人間としてプライドを失くすことだと考えるかもしれません。実際、信仰を勧められてもなかなか信仰に踏み出すことができない人の心の中には、うっかり信じてしまうと自分のプライドがなくなるという思いがあります。思わぬ困難に見舞われて相談に来られた方と会い、お話をしたその最後に、「神をどうぞ信じてください」と言うと、「わたしのプライドが許さない」と言われてしまうことがあります。
だからこそ、イエスさまは「幼子のように」と言われたのかもしれません。幼な子というのは、プライドから自由です。プライド、誇りにこだわるのは大人です。子どもではありません。パウロはしかし、誇りを、プライドを捨てたのではありませんでした。本当の誇りが見つかったのです。誇り豊かに胸を張って生きることができるようになったのです。それは、自分たちの良心の証しにも耐える、やましさなどない、ただ神の恵みに生きる、ということでした。パウロは今、ただ神の恵みの中に生きるというプライド、その信仰を、あなたがたにも生きて欲しい、と心を込めて語りかけるのです。
■パウロの弁明
続く13節から14節に、「わたしたちは、あなたがたが読み、また理解できること以外何も書いていません」とあります。読む人が理解できない手紙など出しても意味などありません。なぜ、こんな当たり前のことをわざわざ書く必要があったのか。それはもちろん、コリントの人たちにパウロたちが言っていることを十分に理解してほしいと思っていたからでしょう。
逆を言えば、コリントの信徒たちがパウロたちのことをよく理解していない、と暗に仄めかしているのかもしれません。とすれば、今日の箇所は単なる言い訳―「弁解」ではなく、真実の説明―「弁明」として読むべきなのかもしれません。
このときパウロは、自分に対するコリント教会からの、またその背後にいる他の宣教師たちからの批判や疑いの目を強く意識しています。そこには、前回の箇所でもお話ししたように、パウロがコリントの教会に二度目の訪問をしたときに、コリントの人々から受けたひどい仕打ちのことが念頭にあったためかもしれません。
さきほどの続きに、パウロが「あなたがたは、わたしたちをある程度理解しているのですから、わたしたちの主イエスの来られる日に、わたしたちにとってもあなたがたが誇りであるように、あなたがたにとってもわたしたちが誇りであることを、十分に理解してもらいたい」と書いていますが、これも当たり前のような気がします。キリスト再臨の日、この世界の救いが完成するその時、コリントの人々が自分たちを救いに導いてくれたパウロに感謝し、パウロを誇りに思うのはとても自然なこと、至極当然のことです。それをわざわざここに書くのは、パウロに対して疑念を抱いているコリントの信徒たちのことを強く意識しているからでしょう。
では、コリントの信徒たちが抱いている疑念とは何だったのか。それは、パウロのこれまでの行動―なぜ、パウロが旅行計画を変更したのかということ―に対する疑念でした。人々は、パウロが旅行の予定を変更したことを非難していました。パウロは行き当たりばったりに行動している。コリント訪問についても最初のプランを変更している。それはおかしい。パウロが神の霊に導かれているのなら、そして彼の旅行計画が「神の恵みの下」に立てられたものなら、そんなに簡単に最初の旅行プランを変えてしまうのはおかしい。パウロは実は、神に導かれているのではなく、自分の思い付きで行動しているのではないのか。パウロはこうした非難を意識し、そのことを弁明するために、心を込めて今日の箇所を書いています。
■二度の恵み
コリント第一の手紙16章5節から8節によれば、小アジア、現在のトルコの大都市エフェソにいたパウロは、そこから北上し、ギリシア北部のマケドニア地方に行き、そこから南下してコリントに行く予定でした。コリントで冬を越すかもしれないと言っていますから、半年ほどはコリントに留まることを考えていたようです。そして、コリント教会の人々からエルサレム教会への献金を届けるためにエルサレムに向かう、これがパウロの当初の予定でした。
しかし、当初のこの計画は変更に次ぐ変更を重ねます。第一の手紙を書いたパウロは、その手紙をコリントに届けるために右腕と頼むテモテを遣わしました。テモテはコリントに行って驚きました。パウロに敵対する宣教師たちがコリントに来ていて、パウロについてその使徒性を含めて様々な中傷や批判を触れ回ったために、コリントの人たちの中にはそれを真に受けてパウロを疑い始め、あからさまに拒否する人たちが現れていたのです。そこでパウロは、まずマケドニアに行ってそれからコリントに行くという計画を改め、すぐにコリントに行って、それからマケドニアに行くことにしました。つまり、マケドニアとコリントに行く順番を入れ替えたのです。これが第一回目の予定変更、15節から16節にあることです。
パウロはコリント、次にマケドニア、そしてもう一度コリントに、とコリント教会を二度訪問する予定を立てています。なぜ、二度もコリントに行くのか。それは、コリントの信徒たちが恵みを二度受けられるようになるためだと言います。こう聞くと、コリントの人たちがパウロから二度福音の言葉を受け取るチャンスを持てるようにするためだ、という風に読めます。しかし、この「恵み」という言葉には特別な意味があります。これは献金、エルサレム教会への献金を意味する言葉でした。「受けるより与える方が幸いである」(使徒20:35)と言われるように、エルサレム教会を支援する機会を持つことは、すなわち恵みを得ることだということです。コリントの人々はパウロから二度教えを受ける機会を得ると同時に、二度エルサレム教会のために献金する機会を得る、それが二度恵みを受けるということの意味でした。
■「然り」「否」
しかし、それを善意に受け取らない人々がいました。パウロはうまいことを言って、エルサレム教会の献金だと言いながら、何度も献金を集めてはそれを自分の懐に収めているのではないかと言う人たちがいたのです。この手紙12章16節に「わたしが負担をかけなかったとしても、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったということになっています」とあることからもわかります。
そこでパウロは、「このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。それとも、わたしが計画するのは、人間的な考えによることで、わたしにとって『然り、然り』が同時に『否、否』となるのでしょうか」と続けます。
パウロの計画変更のことを軽率だと非難した人がいたのでしょう。続く「わたしが計画するのは、人間的な考えによること」というところは、直訳すると「肉に従って計画したもの」となります。「肉に従って」という表現は、パウロの手紙では「罪の行為」を示唆するものです。二度コリント教会を訪問し、二度献金を集めるパウロの計画を、「肉に従った計画」、パウロ個人の欲得のための計画だと中傷する人がいたのです。
さらに続く「わたしにとって『然り、然り』が同時に『否、否』となるのでしょうか」という言葉を理解するためのヒントは、ヤコブの手紙5章12節にあります。「わたしの兄弟たち、何よりもまず、誓いを立ててはなりません。天や地を指して、あるいは、そのほかどんな誓い方によってであろうと。裁きを受けないようにするために、あなたがたは『然り』は『然り』とし、『否』は『否』としなさい」。イエスさまも「誓ってはならない」(マタイ5:33-37)と教えられました。しかし聖書は何も、誓うことそのものを悪いこととして禁止しているわけではありません。むしろ問題は、誓うという行為の動機です。
人が誓いを立てなければならないのは、ある意味、その人の言ったことが信用できないからです。「僕は君にこれをあげるよ」と言われた人が、その言葉だけでは軽い、信用ならないと思ったとき、「では、神にかけて誓ってください」と念を押します。つまり誓うことの背後には、その言葉だけでは十分に信用できないという不信感があるのです。聖書が「誓うな」と教えるのは、あなた方の間ではそのような不信があってはならない。「はい」と言ったことは必ず「はい」と、「いいえ」と言ったことは必ず「いいえ」となるようにしなさい。神との間、隣人との間にあっては、完全に信用し合う、誓いなど不要になるような関係を築きなさい、と教えたのです。
しかしここで、パウロはあえて誓いの言葉を語ります。
「神は真実な方です。だから、あなたがたに向けたわたしたちの言葉は、『然り』であると同時に『否』であるというものではありません」
「神は真実な方です」。これは「神の真実にかけて言いますが」という誓いの言葉です。パウロは誓いたくはなかったでしょう。しかし、自分とコリントの人たちとの信頼関係が崩れていたので、あえて誓わざるを得なかったのです。パウロは「わたしがイエスと言ったことは必ずイエスなのだ。イエスと言ったことを後でノーにすることはない」と言うのです。パウロは確かに計画を変更しましたが、それはパウロの言葉が信用ならないということではなく、むしろ恵みを増すためのパウロの善意、「思いやり」(1:23)の行動だった、と弁明しているのでしょう。
■聖霊による然り
そうしてパウロは最後に、自分のことではなく、キリストのことを話し始めます。
「わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、『然り』と同時に『否』となったような方ではありません。この方においては『然り』だけが実現したのです」
「この方においては『然り』だけが実現した」とは、神の御子イエス・キリストは、すべてのことを「然り」、OKとされ、すべてをかけがえのないものとして受け入れられた、ということです。神は、種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない空の鳥を養い、働きもせず、紡ぎもしない野の花を何よりも美しく着飾ってくださっているとイエスさまが教えられた、神の「絶対的肯定」です。その僕であるパウロがコリントを二度訪問したのも、コリントの多くの人に恵みを与え、すべてのことを受け入れ、すべての人をかけがえのないものとして受け入れるためでした。ですから、パウロが予定を変更したからと言って、それはパウロの貪欲さを示しているのではなく、パウロの言葉が信用ならないということでもありません。むしろ恵みを増し加えるために、パウロは喜んで計画を変更したのでした。
パウロは、神がどのようにして、わたしたちすべてをかけがえのないものとして受け入れてくださるかを伝えて、今日の箇所を締めくくります。
「神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に“霊”を与えてくださいました」
パウロたちが神の御心を行うことができるのは、神の聖霊が与えられているからです。これは、わたしたちにも言えることです。それぞれに、家庭で、学校で、職場で、地域社会でよい奉仕の業が与えられ、またそれを実行できるとすれば、すべて聖霊の働きによることです。自分たちの中に聖霊が働いていることに気がつかないかもしれませんが、確かにそこに聖霊が働いておられることを感謝し、どんなときにも神の恵みの下にあることを忘れないようにしたいものです。