お話し「かみさまにかんしゃ!」(こども・おとな)
教会に、90歳を超える一人のおばあちゃんがいました。おばあちゃんは戦争でつらい経験をし、その戦争が終わってからも、死んでしまったお父さんとお母さんの代わりに、三人の幼い弟たちを育てるために、結婚もせず、必死になって働きました。それぞれに大きくなった三人の弟たちは、おばあちゃんの苦労をよく知っていたので、おばあちゃんのことをとても大切にする、仲の良い姉弟でした。
一番上の弟は、病気のために目が見えなくなりましたが、いっしょうけんめい勉強して、目の不自由な人たちの学校の先生になって、おばあちゃんといっしょに暮していました。二番目の弟は、遠くの町で仕事について、結婚し、新しい家族と幸せに暮していました。三番目の弟も、遠く町で一人暮していました。黙ってまじめに仕事をする人でしたが、人とのつきあいが苦手な、少しガンコなところのある人でした。
おばあちゃんが70歳を過ぎたころ、目の見えない一番上の弟は病気のために死んだため、それからずっとひとりで暮していました。そんなある日のこと、おばあちゃんの家に一本の電話がかかってきました。三番目の弟からの電話でした。
「姉さん、二番目の兄さんが病気で倒れて、あぶないらしい」
おばあちゃんは、遠くの町の病院に急いでかけつけました。90歳を超えていたおばあちゃんは、病院の中にお部屋を借りて、三番目の弟とふたりで看病をしました。でも、二番目の弟の病気はよくならず亡くなってしまいました。
おばあちゃんと三番目の弟が悲しみに暮れ、お葬式の準備をしているそのとき、なんと、今度は三番目の弟が病気で倒れてしまいました。脳こうそくという、頭の中に血が出て、体が動かなくなり、いのちにもかかわる、とても危険な病気でした。
おばあちゃんは、次々に続く看病に疲れ果て、体も心もへとへとになっていました。そのおばあちゃんから教会に電話がかかってきました。
「先生、神さまはどうして、こんなにつらい目にあわせるの?一体、どうすればいいの?!」
「神さまは決してあなたをお見捨てにはなりません。わたしにお手伝いできることがあれば何でも言ってください。いえ、お手伝いさせてください」
遠くの町の病院のお医者さまと相談して、おばあちゃんが少しでも楽になるように、弟さんの病気が少し落ち着いたところで、おばあちゃんのお家の近くの病院に入院させることにしました。弟さんは体の右側が全く動かなくなっていました。わたしは車椅子を押して、おばあちゃんと弟さんを迎えに行き、三人で新幹線に乗って帰ってきました。
おばあちゃんは毎日、お家から弟さんのいる病院へと出かけました。教会の人たちも見舞いに行きました。でも弟さんは、いつも機嫌が悪そうでした。あたりまえかもしれません。だって、突然病気になり、自分の体が思い通りに動かなくなったのです。しかも、もう70歳を過ぎたおじいちゃんです。この先どうすればいいのか、とても不安で辛い思いだったはずです。
それでも、弟おじいちゃんはとてもがんばり屋さんで、自分で歩くことができるようになるための練習を休むことなく続け、ついに、杖をついて歩けるようにまでなりました。その頃には、ときに笑顔が見えるようになりました。
さあ、これから、お姉さんおばあちゃんと弟おじいちゃんと、二人で仲良く暮していけるよう、いろいろな準備をしていこうと思っていた矢先のことでした。弟おじいちゃんがまた、頭の中に血が出て、倒れてしまいました。もう助からないかも知れない、死んでしまうかも知れない、という大手術を受けました。弟おじいちゃんのいのちは助かりました。奇跡でした。お姉さんおばあちゃんとわたしは、神さまにありがとうございますと祈りを捧げました。
しかし、弟おじいちゃんは、目と右手の腕がほんすこし動くだけで、お話しすることもできず、口からご飯を食べることができず、胃に直接穴を開けてそこから栄養を入れる、ベッドの上に寝るだけの生活になってしまいました。
おじいちゃんに会いに行くと、おじいちゃんはただじっと天井(てんじょう)を見つめていました。文字が書かれた板の文字を見つめることで何とかお話しをすることもできるのですが、ほとんど話もせず、天井を見つめるその眼はとても暗く、それは、おじいちゃんの心の中の暗(くら)闇(やみ)のようで、もうダメだ、生きていてもしようがない、そう言っているように思えました。
それでも、お姉さんおばあちゃんとわたしは、おじいちゃんのところに通(かよ)い続けました。そして、さんびかを歌い、せいしょを読んで、神さまがいつもそばにいてくださる、神さまはわたしたちを愛してくださっている、神さまは決してわたしたちを見捨てたりなさらない、そう繰返しお話をしました。でも、おじいちゃんの目は、やはり天井をじっと見つめるばかりでした。
それから半年が経(た)った、花の日、子どもの日のこと。10人ほどの、教会のこどもたちといっしょにおじいちゃんを訪ねることにしました。おじいちゃんが横になっている、ベッドの周りをこどもたちが囲み、たくさんのお花をおじいちゃんのそばに置いてさしあげ、みんなでお歌を歌いました。そして、みんなが口々に「おじいちゃん、元気でいてね」、そう言葉をかけました。
すると、驚いたことが起こりました。何と、おじいちゃんの目から涙があふれ出したのです。涙でいっぱいになったおじいちゃんの目は、天井ではなく、こどもたちひとりひとりを見つめていました。わたしがそれまで見たこともないようなやさしい目で、おじいちゃんはこどもたちを見つめ、本当に嬉(うれ)しそうに、やさしく微笑(ほほえ)んでいました。
こどもたちも少しビックリしていましたが、おじいちゃんのやさしい笑顔(えがお)を見て、嬉しくなり、おじいちゃんの手を握ったり、体をさすったり、のぞき込んだりしながら、たくさんのお話しをしました。そして「また来るね」と言ってお別れをすると、おじいちゃんはほとんど動かない右手を少しだけ振って、笑顔いっぱいにバイバイをしてくださいました。
それからのおじいちゃんのお顔は、一日一日、どんどんやさしく、穏(おだ)やかになっていき、秋、九月、おじいちゃんは洗礼(せんれい)を受け、神さまを信じますと誓(ちか)いました。それから半年後、おじいちゃんはとても穏(おだ)やかな顔で、静かに神さまのところに戻って逝(ゆ)きました。
お葬式の時、お姉さんおばあちゃんが、ひと言、こうつぶやきました。
「かみさま、かんしゃです!」
メッセージ「キリストの光を受けて―病むことがあっても」(おとな)
■あなたの愛している者が…
「年をとることのすばらしさの一つは、いろいろな経験が、特に苦しく悲しい経験が、結局は自分を育ててきたという実感を持てることではないかと思います」
さきほどの「弟おじいちゃん」の思いと重なってくるようなこんな言葉を語るのは、末盛千枝子さんという、今年81歳になるカトリックの信徒です。絵本の編集者、出版社の代表として数々のすぐれた絵本を世に送り出してきた方ですが、彼女もまた人生の中で実に様々な苦難を味わいました。その末盛さんの「年をとることのすばらしさは、苦しく悲しい経験が、結局は自分を育ててきたという実感を持てること」という言葉が、今日の聖書の言葉に重なるようにして心に浸みてきます。
「ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった」
マルタとマリアの家は、エルサレムの郊外にあって、イエスさまがしばしば訪れ、憩いの家とされていました。イエスさまはこの家庭を愛し、またこの姉妹のことを深く愛しておられました。その姉妹の弟ラザロがこの時、重い死の床に横たわっていました。姉妹たちは使いをヨルダン川の向う岸ペレアの地方にいるイエスさまのもとにつかわして、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と知らせます。
「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」
心に少し引っかかってくる言葉です。この言葉には、どうしてこんなことが…、そんな思いが含まれているように思います。あなたの愛しておられる人が今、重病です。あなたの愛にもかかわらず、こういう重い出来事が起こるのは、なぜなのですか、そんな問いを含んでいるように思えます。
わたしたちも、自分自身があるいは愛する家族が重い病気や様々な苦艱に襲われるとき、同じようなことを考えます。神の愛についていつも耳にし、信じてはいるけれども、それなのにどうしてこんなことが起こるのだろう。いったいキリストの愛の内にあるとは、何を意味しているのだろう。神を信じないわけじゃない。でも、このひどい不幸はどういうことだろう。こんな試練が、どうして降りかかってくるのだろうか。そんな思いです。
■死で終わらない
イエスさまの答えはこうでした。
「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」
わたしたちが病気を恐れるのは、すべての病気の向こう側に、死が見えるからです。厚生労働省の統計によれば、80歳以上の方の死因の上位は、悪性腫瘍、心臓疾患、肺炎、脳血管疾患、そして老衰です。上位四つが病気です。すべての病気は死につながっている。わたしたちはそう考えています。
ところが、ここでイエスさまは言われます。
「この病気は死で終わるものではない」
病状を見て、これは大丈夫でしょう、死には至らないでしょう、と予測しているのではありません。この病気はたぶん死には至らないだろう、と楽観的な見通しを語っているのでもありません。
「この病気は死では終わらない」との宣言です。この病気は死には至らない。そうではなくて、その人間の病や苦難、そこに神の栄光が、神の御心が現される。神がそこで、恵みの、救いの御業を行ってくださる、と言われます。
イエスさまはさらにこう言われます。
「神の子がそれによって栄光を受けるのである」
神の子とはイエス・キリストご自身のことです。わたしたちの病と死の前に、キリストが立たってくださる。キリストが、わたしたちと死との間に立ちはだかる。病を死に至らせないように、イエス・キリストが立ちはだかられるのだ、ということです。
19世紀の思想家キェルケゴールが、著書『死に至る病』の冒頭に書いています。
「〈この病は死に至らず〉(ヨハネ11:4)。…ああしかし、たとえキリストがラザロをよびさまさなかったとしても、この病が、死そのものさえが、死に至るものでないということが、同じように言えるのではあるまいか。…〈復活にして生命〉(同11:25)であるキリストが墓に歩み寄るというそのことだけで、この病は死に至らないことを意味していはしないであろうか。キリストが現にそこにいますということが、この病が死に至らないことを意味していはしないであろうか!
またラザロが死人の中から呼びさまされたとしても、結局は死ぬことによってそれも終りを告げねばならないのであるとしたら、それがラザロにとって何の役に立つことであろう。…いや、ラザロが死人の中から呼びさまされたから、それだからこの病は死に至ならないと言えるのではなく、よみがえりであり、生命であるキリストが、現にそこにいますから、それだからこの病は死に至らないのである」
■神のもとに目を覚ます
イエス・キリストと弟子たちとのやりとりが続きます。
イエスさまは「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く」と言われました。弟子たちは「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と応えます。イエスさまはラザロの死について話されたのですが、弟子たちはただ眠りについて話されたものと思ったのです。そこで、ははっきりと言われます。
「ラザロは死んだのだ。わたしがその塲に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう」
ラザロは眠っているのか、あるいは死んでいるのか。ラザロは死んでいるのです。しかしキリストにあって、ラザロは眠っている。キリストはラザロのことを「わたしたちの友」と呼びました。キリストに知られた、キリストの友として、ラザロは眠っています。絶対に死なないのです。
わたしたちもこの一年の間にも、大切な信仰の友を失いました。人間的に言えば、亡くなられました。しかし、救い主イエス・キリストの中では眠っているのです。なぜなら、イエス・キリストが全存在をもって、わたしたちの死を排除なさったからです。わたしたちと死とを分けてくださった。ですから、この病は死につながらない。弟子たちは言いました。「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」。そのとおりです。救い主キリストの御手の中で眠っているのですから、人は助かるのです。抱っこされてスヤスヤと眠っている子どもが、十分に眠ったら自分を抱いてくれている者の腕の中で目を覚ますように、眠っているのなら助かるでしょう。そう、助かるのです。
キリストにあって、いつの日か目を覚ますのです。人は霊魂によって生きているのではありません。救い主のもとで目を覚ますのです。体も霊魂も赦されて、そして清められたものとして神のもとに目を覚ますのです。その病気は、死で終わるものではありません。わたしたちの病は死で終わらないのです。この約束のもとに、わたしたちのいのち、存在があるのです。
■キリストの光を受けて
イエスさまは言われました。9節から10節、
「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである」
この「歩く」という言葉は、生きるという意味の言葉でもあります。人間は光を受けて生きるのです。自分の中に光はありません。そう、人は誰ひとり自分の力だけで生きていくことはできません。自分の内に光がないから、外からの光、神からの光を受けて人は生きるのです。それが人間です。
わたしたちも重い病を経験します。しかし病は死で終わりません。わたしたちと死の間に、身をもって立ちはだかっていてくださる方がいるからです。それが、わたしたちの救いです。イエス・キリストがラザロを愛している。それは、気持ちや感情の問題ではありません。神の子が身を挺して守っていてくださるのです。それが、キリストの愛です。
最後に、末盛千枝子さんの言葉を紹介して、今日のメッセージを閉じさせていただきます。
「自信という言葉について語ることは、私にはとても難しいことです。自信どころか、いつも自分の欠点がたくさん浮かんできて、どんなに人に迷惑をかけてきたことかと、身が縮む思いだからです。
ただ振り返ってみると、私は人生のさまざまな転機に、だいたいにおいて、自分の計画でも希望でもなく、まるで天使のお告げに従うかのように、あちらへ行け、こちらへ行けと言われて、そのまま、困難をともなう道を歩いてきたと思うのです。
子どもたちが小さいときに夫に死なれたこと、長男が難病を持って生まれてきたこと、その上、やっと見つけた彼にもできるスポーツで怪我をし、脊髄損傷になってしまったこと。そんなときにも、本当に苦しいとは思いましたが、不幸だとは思いませんでした。たとえ悲しいことが待っていたとしても、たくさんの幸せもあったと思うからでしょうか。
私がこのような人生を生きるように選んだわけではありません。ただ逃げなかった。涙を流しながらも、この人生を受け入れることができますようにと、願ってきたのです。人間はどのような環境に生まれるかを選べないのですから、生まれたときから、自分の条件を受け入れて生きるしかないのです。
そのようにして私は、あちらへ行け、こちらへ行けという声に従って生きてきたように思います。そのことだけが、私にとっては自信と呼べるものかもしれません。でも、それが自分の手柄ではないのはもちろんです」