福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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6月21日 ≪聖霊降臨節第四主日礼拝≫ 『患いを負い、病を担ってくださる』 マタイによる福音書8章14~17節 沖村裕史 牧師

6月21日 ≪聖霊降臨節第四主日礼拝≫ 『患いを負い、病を担ってくださる』 マタイによる福音書8章14~17節 沖村裕史 牧師

■ペトロの家
 「イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。」
 ヨハネによる福音書1章44節に、「アンデレとペトロの町、ベトサイダ」とあります。ベトサイダとは「漁師の町」という意味です。カファルナウムから直線距離にして8キロ東にあった漁村、そこにペトロの家がありました。
 思えば、イエスさまは荒れ野で悪魔からの誘惑を退けられた後、「湖畔の町カファルナウムに来て住まわれ」(4:13)、そこを拠点に伝道を始められました。そのカファルナウムからベトサイダへと足を伸ばされたとき、ペトロとアンデレが湖で網を打っているのをご覧になって、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と二人を招かれました。二人はすぐに「網」を捨てて、イエスさまに従ったのでした。その後、ゼベダイの子ヤコブとヨハネにも同じように声をかけられます。二人もまた、すぐに「舟と父親を残して」、イエスさまに従ったとあります。
 八木重吉に「わたしの詩(うた)」という詩があります。
 「裸になってとびだし
 基督のあしもとにひざまずきたい
 しかしわたしには妻と子があります
 すてることができるだけ捨てます
 けれど妻と子をすてることはできない
 妻と子をすてぬゆえならば
 永劫の罪もくゆるところではない
 ここにわたしの詩があります
 これがわたしの贖(いけにえ)です。・・・」
 ペトロもそうでした。妻を、しゅうとめをかかえて、イエスさまに従っていました。コリントの信徒への第一の手紙9章5節にも、ペトロや他の使徒たちの中には、信者である妻と一緒に伝道していた人たちがいた、とあります。イエスさまに招かれた後も、ペトロは妻、しゅうとめと暮らしています。ペトロは、自分の暮らし、人生、家族-そのすべてを棄てて従ったのではなく、そのすべてを丸ごと抱え込んだままに、苦しみも、悩みも、患いも、そのすべてをあるがままに委ねて従ったのでした。
 それこそが、信じて従う者―弟子の姿でした。

■しゅうとめに触れる
 そのペトロの家に行ってみると、しゅうとめが高い熱を出して、苦しみ、寝込んでいました。
 この時のしゅうとめの姿を想像してみてください。妻の母である彼女が、ペテロの家で一緒に暮らすことなど、あり得ないことでした。当時の男性中心のユダヤにあって、年老いた親の面倒を見るのは、跡取り息子の仕事でした。しゅうとめに男の子がいなかったのか、死んでしまったのか、あるいは離縁させられたのか。いずれにせよ、嫁にやった娘の家に引き取られてくることなどあり得ません。彼女は、どんなに肩身の狭い思いであったでしょう。
 しかも、熱を出して寝込んでいます。「寝込む」と訳される言葉は、「死んだように横になっている」というニュアンスを持つ言葉ですが、福音書は、これに「投げ捨てられている、放置されている」という意味の言葉を当てています。娘が嫁いだ家に、まさに厄介者として転がり込み、おまけに手のつけようもない寝たきりになっている。そのときの彼女の気持ちが伝わってくる言葉です。癒されたいという願いを持つこともできない。むしろ早く死んでしまいたい、生きていてもしょうがない。そんな思いでいっぱいだったのではないか。
 であればこそ、何のためらいもなくイエスさまは、しゅうとめの「手に触れられ」ます。
 「イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。」
 「触れる」、この言葉は、本来、「ともし火」や「火」を目的語とし、「(ともし火を)灯す・(火を)焚く」ことを意味します。暗闇の中に灯される一条の光のイメージです。それこそ、絶望の中にまっすぐに差し伸べられた手が、何のためらいもなく、苦しみ、病む、その肌に触れることです。
 前任地の教会に開業医がおられました。山本周五郎の作品に出てくる赤ひげ先生とは風貌は違っても、地域の人から篤く信頼されている先生でした。在宅ホスピスの先駆けとなった方で、往診を大切にされ、患者さんを訪ねると、必ず手をとって脈を診て、いかがですかと声をかけることを大切にしておられました。その方が、大きな救急病院に運び込まれ、手術を受けられたことがあります。病床を何度目か訪問した時のこと、ポツリとこう言われました。自分に相対する医者のほとんどが、自分に手を差し伸べることはなかった、どの医者もデ―タだけを見ていた、と。
 今、イエスさまは、しゅうとめの手に「触れて」、熱を去らせました。「触れる」ことを通して、イエスさまは、ペトロのしゅうとめとまっすぐに向き合い、その苦しみを己が苦しみとし、希望の光を灯してくださったのでした。

■もてなす
 イエスさまがまっすぐに向き合ってくださり、病が癒され、起きあがった彼女がまず行ったことは、イエスさまを「もてなす」ことでした。
 「もてなす」、ギリシア語のディアコネオーのもともとの意味は、「灰の中を通っていく」。そこから「灰まみれになって炊事の仕事をする」「煮炊きの仕事をして食事の世話をする」ことを意味するようになり、さらに、広く「奉仕する」「仕える」という意味で用いられるようになりました。
 イエスさまは、自分は仕えられるためではなく、仕えるために来た、と言われました。イエスさまが、わたしたちのために身を低くして仕えてくださり、最後にはご自分のいのちを差し出してくださった。それこそ、究極のディアコネオーです。
 その意味では、ここも、イエスさまに「仕えた」と訳すべきかもしれません。それでも彼女にとって、イエスさまに「仕える」ことは、やはり「もてなす」ことであった、そう申し上げてよいでしょう。肩身の狭い思いをしていました。そればかりか、病の床に着き、看病され、人の世話になるばかりでした。その彼女が、今度は「もてなす」、お世話をすることで「仕える」のです。それこそ、彼女の一番の願い、新しいいのちを与えられたことへの喜びの応答であったに違いありません。
 できることで人のお世話をし、もてなし、そして仕えたい。それは、自然な欲求、願いです。わたしたちが心から仕えようとするとき、何か無理をして、義務として、そうするのではありません。そうすることがただ嬉しいから、喜びだから、そうします。そうすることで、人が喜んでくれます。そのことで、人と人とのつながり絆が生まれ、人との関係が豊かにされます。その喜びのために、わたしたちは人に仕え、もてなします。神が、喜びをもってそうするよう、人を造られたからです。だから聖書は「仕えなさい」「互いに仕え合いなさい」と繰り返し教えます。体の許す限り、可能な限り、人のために仕え、人のために働くことは、大きな喜びであり、神に祝されることです。
 しかし、わたしたちはいつの日か、この体が思うように動かなくなります。十分な働きができなくなるときがやって来ます。寝たきりになってしまうこともあります。
 それでも、心配は無用です。神はそういうときに、一番大切な仕事を残してくださっている、そう教えてくれる詩があります。「最上のわざ」という詩です。
 「この世の最上のわざは何?
 楽しい心で年をとり、
 働きたいけれども休み、
 しゃべりたいけれども黙り、
 失望しそうなときに希望し、
 従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
 若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
 人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
 弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。
 老いの重荷は神の賜物。
 古びた心に、これで最後のみがきをかける。
 まことのふるさとへ行くために。
 おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。
 こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
 神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
 それは祈りだ。
 手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
 愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
 すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
 『来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ』と。」
 信仰の生活とは、わたしたちを支配し、苦しめ、神の恵みから引き離そうとする様々な力を、イエスさまが追い出し、わたしたちを解放してくださる、その力ある救いのみ言葉を聞き、差し出されるみ手で触れていただくようにして、その救いを体験しながら生きることです。
 であればこそ、自分の弱さや罪や恥をすべてイエスさまの前にさらけ出して、すがるようにして、「すべてを丸ごと抱え込んだままに、苦しみも、悩みも、患いも、そのすべてをあるがままに委ね」、救いを求めていくことができます。
その時にこそ、今ここで聞いているみ言葉が、わたしたち一人ひとりの具体的な現実の中に、「仕える」ことへの呼びかけとして響き渡ることになるでしょう。

■苦難の僕
 このイエスさまの癒し、救いのみ業について、マタイは、最後にこう記します。
 「それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。』」
 「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」。イザヤ書53章の苦難の僕(しもべ)の歌です。ユダヤの国が望みを持つことが最も困難な時代に生きた、無名の預言者の言葉です。戦争に敗れ、バビロンに囚われの身となってすでに半世紀が過ぎていました。誰もが疲れ果て、希望を持つことが難しい時代でした。その苦悩の中で預言者は、神の僕によって初めて、神の民に真の慰めがもたらされる、そのほかに道はない、と四つ主の僕の歌をうたいます。
 主の僕は、傷ついた葦を折らない、ほのぐらい灯心を消さない、真実を損なわない、と。けれども、そうした主の僕は自らの働きに徒労を覚えます。それでも、神はどんなに時間がかかっても、傷ついた葦を折られることはない、救いの福音を地の果てまでもたらす、と。そして最後に、苦難の僕の歌をうたうのです。主の僕は、格好のいい人でない、見るべき姿もない、威厳もない、侮られて、人に捨てられるような人だ、と。
 この苦難の僕こそ、イエスさまだ、とマタイは告白します。悪霊を追い出す、病人をいやすというと、圧倒的な力に満ちたメシア、颯爽とした美しいメシアを思い浮かべるかもしれませんが、そうではありません。わたしたちの患いを負い、病を担う方だ、というのです。ペトロのしゅうとめを癒され、悪霊を追い出して多くの病人を癒されたイエスさま。この方は、わたしたちの病を負い、わたしたちの悲しみを担っておられるのだ、というのです。
 まぶねに生まれ、十字架の死を遂げ、よみがえられたイエスさまが、今も、この世界の苦悩を負い続けておられます。最後に、イザヤ書53章2節後半から5節をお読みして、メッセージを閉じさせていただきます。
 「見るべき面影はなく
 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
 多くの痛みを負い、病を知っている。
 彼はわたしたちに顔を隠し
 わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
 彼が担ったのはわたしたちの病
 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
 わたしたちは思っていた
 神の手にかかり、打たれたから
 彼は苦しんでいるのだ、と。
 彼が刺し貫かれたのは
 わたしたちの背きのためであり、
 彼が打ち砕かれたのは
 わたしたちの咎のためであった。
 彼の受けた懲らしめによって
 わたしたちに平和が与えられ
 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」

お祈りいたします。主よ、ベトサイダの地での御子のみ業とみ言葉が、今ここにも示されています。あなたの福音が、御子の十字架と復活の出来事によって、確かなものとして証しせられ、深められ、広げられ、多くの人々に喜びを生み、わたしたちの人生を生かすいのちとなりました。主の恵みのみわざを心からほめたたえ、感謝いたしますす。主のみ名によって。アーメン