福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

【教会員・一般の方共通】

TEL.093-951-7199

8月27日 ≪聖霊降臨節第14主日礼拝≫『後ろのことは忘れて』フィリピの信徒への手紙 3章4~14節 沖村 裕史 牧師

8月27日 ≪聖霊降臨節第14主日礼拝≫『後ろのことは忘れて』フィリピの信徒への手紙 3章4~14節 沖村 裕史 牧師

 

■放蕩息子

 今日の言葉は、パウロという人が自らの「回心」の体験を思い起こしながら書いている個所です。「回心」。この言葉を耳にする時、聖書に少しでも親しんだ人なら先ず思い起こすのは、ルカによる福音書15章の「放蕩息子のたとえ」ではないでしょうか。

 そのたとえは、こう語り始められます。「ある人に二人の息子がいた」。登場人物は「ある人」と呼ばれる父親と「二人の息子」です。息子の一人、弟が父親に言います、将来、自分が受け取ることになっている財産を今ください、と。父親が死んだら相続することになっている遺産を前もってくれというのですから、ずいぶんな物言いです。しかし父親は言われるがままに財産を分け与えます。息子はその財産を受けとるや否や、さっさとお金に換え、父親からできるだけ遠く離れようとするかのように旅立ちます。自分の好きなように生きたかったのかもしれません。

 念願かなった彼は、遠い国で「放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いして」しまいます。すべてのものを失ったとき、飢謹が襲います。不幸は重なります。食べ物にも窮(きゅう)し始めた彼は、知人に助けを求めます。知人は彼を、豚小屋に送り込みます。豚はユダヤ人たちにとって汚れた動物で、豚飼いというのは最も忌み嫌われる、絶対にしたくない仕事のひとつです。知人は彼を憐れんだのではなく、厄介払いをしたのでしょう。エサに群がる豚の姿が羨(うらや)ましいほどの境遇でした。豚小屋という屋根のある住居を与えられはしましたが、食べ物をくれる人は誰ひとりいません。まさに落ちるところまで落ちたのでした。

 そこで、「彼は我に返っ」た、とあります。

 「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』と」

 こうして息子は父親のもとに帰って行きます。

 このたとえ話の父親とは神様です。父なる神。そして息子はわたしたち人間を指しています。

 さてこの息子、「我に返って」と言われていますが、何かよいことをしたというのではありません。父親からゆずり受けた財産を放蕩に使い果たし、無一物になって食い詰めて、前途に一片の可能性もなくなり、言わば、どん底まで落ち込んで、ようやく父親のことを思い出したのです。

 わたしたちの経験からすれば、「本当に悪かったと思っているのか」「本当に反省をしているのか」と言われてもおかしくないところです。同情の余地など、これっぽっちもありません。

 

■父の愛ゆえに

 そんな息子を、父親が「先に」見つけます。

 「彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」

 驚きです。「まだ遠く離れていたのに、父親」が息子を見つけたということは、父親が待っていた、ずっと待ち続けていた、ということです。息子が離れて行ったその日から、去って行ったその方角をずっと見つめ続け、その帰りを今日か今日かと待ち続けていたのです。悔い改めの言葉を口にしようとする息子の言葉を遮(さえぎ)るようにして、わが子の変わり果てた姿を「憐れに思い」、走り寄って、抱きしめます。悔い改め、謝罪などどうでもよいのです。帰って来たわが子、もうだれにも渡すものか。常識では考えられない、あり得ない姿です。この父親、どこまで甘いんだ、愚かだ、親馬鹿だ、と世間から嘲笑(あざわら)われるような姿です。

 しかしイエスさまは、父なる神はこのような愛をもってあなたを愛しておられる、この愛を信じることこそが信仰なのであり、そこにこそあなたがたの救いがある、そう言われるのです。自分はもう駄目だと思っている「あなた」、自分にはもはやどんな未来もあり得ないと思っている「あなた」、そのあなたも「帰ることができる」、そんなあなたをこそ「待っている父なる神がおられる」、そう語りかけられるのです。

 これこそ、まことの「回心」の物語だと言われます。そして回心とは、自分の過ち、罪に気づき、そのことを悔い改めて、神に立ち帰ること、生き方をそれまでと180度転換して、神の愛に心を向けることだ、と言われます。わたしたちが、悔い改め、立ち帰り、向きを変えることだ、と。

 しかし、今ここでイエスさまが教えておられることは、この理解しがたい、驚くべき父親の愛があればこそ、放蕩息子は「立ち帰ることができた」のだ、ということです。

 人は誰も、よいことと思って、他人(ひと)に後ろ指を指されるような生き方をしているわけではありません。自分の生き方が非難に値する生き方であり、他人に迷惑をかけるばかりか、自分としてもそうしていてはみじめな気持しか持てないことを百も承知の上で、しかし、ちょうど蟻地獄に落ちこんだ蟻のように、どうしてもそこから這い出すことができないで、ただ昨日の続きとして今日を生きるほかないのです。

 そういう人が、そんなだらしのない自分にも、それでもなお立ち直る期待をかけてくださるお方がおられるのだ、という事実に目を開かれ、生き方を全く新たにする。内に喜びが湧き起こって、それまではこうしたい、ああしなければと思いながらもできなかったことが、いつの間にか実現できるようになる。これは、その人にとって喜ぶべきことであると同時に、周囲の人々にとっても大きな喜び、感謝すべき出来事です。わたしたちはそこに、愛の神が今もわたしたちの間で働いておられるしるしを見出すことができるでしょう。

 そして、このわたしたちもまた、自分の能力や意志の強さに頼ってではなく、どこまでもわたしたちを愛し、生かしてくださるお方を仰ぐことによって、新しい一歩を何度でも踏み出すべきことを、指し示されたのではなかったでしようか。

 

■パウロの回心

 パウロという人も、そんな劇的な回心の体験をした人でした。しかし回心という言葉を聞いて、先ず放蕩息子のたとえを思い浮かべたわたしたちは、パウロの回心を本当に回心の報告と呼んでいいのか、と戸惑いを覚えざるを得ません。5節から6節にこうあります。

 「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした」

 放蕩息子の場合には、誰の目から見ても非難されるべき現状がありました。回心はその現状からあるべき姿への劇的な変化を意味しました。ところが、ここに告白されるパウロの過去は放蕩息子とは異なっています。非難されるべきものではありません。パウロ自身、自分の過去の誇りを数え上げてさえいます。

 回心を、駄目な人間からまともな人間へ、という図式でとらえるとすれば、パウロの回心は明らかにその枠からはみ出ています。ここに記されているのは、まともな人間の回心。なぜ回心が必要なのか一見よく分からない人間にもたらされた回心です。

 なぜパウロは、自分の回心をそのように書き記すのでしょうか。

 パウロも伝道者でしたから、後ろ指を指されて過ごしてきた人が回心して一変したといった証しをいくつも見聞きし、それを大いに喜ぶべきこと、感謝すべきことと受け止めていたに違いありません。教会を迫害したという事実を効果的に取り入れて、感動に満ちた自分の回心物語をつくることも、そう難しいことではなかったはずです。しかし、パウロはそうはしませんでした。

 それは、回心をしなければならないのは、世間から爪はじきにされるような人たちだけではない、むしろ、回心の必要などまったくなさそうに見える、まともな人間にこそ回心が求められている、そう考えていたからではないでしょうか。まともな人間こそ、回心をしなければならない。このことを示すために、回心以前の自分を、翳(かげ)りのある人間としてではなく、輝きに満ちた人間として紹介することが必要だった、とは言えないでしょうか。

 

■競争の原理から愛の原理へ

 自分の生き方に誇りを持ち、自信を持っていられれば、結構なことではないか。むしろ人は、そういう自信が持てないために、焦ったり、自暴自棄に陥ったりするのではないか。わたしたちはそう考えます。

 しかし、その場合の「自信」の実態とはどのようなものでしょうか。その「自信」を支えているものは何でしょうか。

 自信の出発点をなすものは、多くの場合、他人との比較です。他の人のできないことを自分はしている。他の人の持っていないものを自分は持っている。そのことを自覚したとき、自信が芽生えます。逆に、探してもそのようなものを自分の中に見出せない時、自信の喪失、コンプレックスが始まります。

 社会的な評価もあります。わたしたちの生きる社会は、人の格付けをすることによって成り立っています。一旦、何らかの点ですぐれていると見なされれば、多少の不都合が起こっても、その人の社会的な評価が崩れることはありません。むしろ社会は、その人がその格付けされた地位で、それにふさわしい誇りと自信を持って生きることを望みます。それに対し、劣っていると烙印を押された人は、いつまでも下積みの地位から浮かび上がることができません。そして、そのことがその人から、本来なら持っていていいはずの誇りや自信すらも、奪ってしまいます。

 要するに、わたしたちがそれを持てたからといって喜び、それを持てないといって悩んでいる、生きる上での自信というものは、多くの場合、競争の原理の産物にほかならないのです。たとえば、オリンピックで通用している競争の原理―走ることが他の人より一秒の何十分の一早いか、その結果、他の人よりもどれだけ上にランクされるか、というあの競争の原理―それをそのまま人生に持ち込んで、自分の人生を測って一喜一憂している。それがわたしたちの言う、自信に満ちた人生、ないしは自信のない人生なるものの実態です。

 事実、回心以前のパウロは自分の生き方に絶大な自信を持っていました。そのパウロが突然、回心をする。それはなぜだったのでしょうか。

 パウロは、自分が今まで少しも疑わずに寄りかかって生きてきた競争の原理、自分に今まで自信を与え続けてきた競争の原理が、神様の御前では、全く意味を持たないことに目を開かれたのです。すべての人を救おうとしてやまない神様の愛の前には、一人の人間が他に比べて多少ましであるとか、多少汚れているとか、それは決定的な問題にはなりえない、そのことに目を開かれたのです。

 競争の原理で自分を測り、人を格付けしてきた、その自分こそが、愛の論理で働く神様からもっとも遠い存在であることに、目を開かれたのです。パウロの回心、それは競争の原理から愛の原理への転換でした。

 

■放蕩息子かパウロか

 果たして、わたしたちは放蕩息子でしょうか、それとも回心前のパウロでしょうか。人生に失敗をした落伍者でしょうか、それとも自分の生き方に自信を持つ真面目な人間でしょうか。

 おそらく、そのどちらかに分類するということも、あまり意味のないことでしょう。表面は立派そうに見えても、他の人には言いたくない、自分でも忘れてしまいたい翳(かげ)りを過去に背負っている人は、決して珍しくありません。いいえ、わたしたちのすべてが多かれ少なかれ、それにあてはまるのではないでしょうか。

 その意味で、放蕩息子とはわたしたち自身です。しかしその反面、自分に絶望し切っているという人も、そうざらにいるものではありません。わたしたちの多くは、自分の中に自分なりの取り柄を見出して、それに安心して生きています。その意味では、わたしたちの中には回心前のパウロも住んでいます。

 回心という言葉を、このように自分に引きつけて考えるとき、わたしたちは、いったい何を求められているのでしょうか。

 わたしたち自身の「放蕩息子」が回心することでしょうか。確かにそのことも求められています。無条件でわたしたちの過去を赦してくださる神様の愛に向かって自分を開くこと、徹底してその愛に従うこと、そのことを求められています。詩編に「天が地を超えて高いように/慈しみは主を畏れる人を超えて大きい」(103:11)とあるように、神様の愛がわたしたちの常識をはるかに越えているので、逆に、それに従う決断をすることに躊躇(ためら)うことさえあるかもしれません。しかしそれでも、新しい第一歩はわたしたちの決断いかんにかかわらず与えられる、あまりにも大きな神様の愛に応えようとすることを抜きにしては始まりません。

 わたしたちが求められている回心はしかし、放蕩息子の回心につきるものではありません。わたしたち自身の中の回心前のパウロもまた、回心することを求められています。他人に勝っているという事実を頼りに生きている自分。その自分が実は、神様の愛を必要とし、それなしに、それに服してでなければ、もはや生きていくことなどできないのだ、ということに気づかないかぎり、わたしたちの回心と信仰は完成せず、また喜びと平安の人生もありえないのです。

 わたしたちを回心に、信仰に導くものは、わたしたち自身ではありません。ましてや、わたしたちの罪深い過去でもなければ、誇るべき過去でもありません。いずれであっても、それはもはや何の意味もない、塵芥(ちりあくた)でしかありません。なぜなら、わたしたちを回心に、信仰へと導いてくださるものは、ただ神様の愛のほかにはないからです。ですから、わたしたちは自らの過去を、それが惨めなものであれ、それが誇らしいものであれ、それらに囚われてはなりません。また、いささかの慰めといささかの誇りを与えられて、そこに留まり続けてもいけません。

 わたしたちに今、求められていることは、競争原理のレースではなく、ただひたすら、神様の愛を目指す、愛のレースを走り抜くことです。尽きることのない、驚くべき神様の愛に感謝し、「後ろを忘れ、前へ向かって」—そう、過去を振り返るのではなく、ただただ、愛の御国だけを目指し、どのようなときにも喜びと希望を抱き、共に手を携え合って走り抜きたい、そう願う次第です。