■そのときまで
今日のたとえは、24章から始まった「終わりの時」についての一連の教えの締め括り、最後の教えです。その最後の教えをイエスさまはこう語り始めます。
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く」
ここには黙示文学と呼ばれる、当時のユダヤ人のものの考え方、世界観が示されています。それによれば、神の国、天国はこの世を遠く離れた上の方にあるのではなくて、上から下に、人の子といわれる救い主の到来によって、上から下に向かってやって来るのだ、と考えられていました。そのとき、人の子は父なる神の栄光に包まれ、天使を伴って到来し、この地上において審判を行い、この世がまったく違う新天新地、つまり神の国、天の国に変わるのだ、と考えられました。これがユダヤ的、黙示文学的なイメージです。天の国、天国は天から地に向かって、上から下に向かって来るのです。
そこで「その栄光の座につく」とは、王になられるということであり、その王座が最後の審判を行う裁判官の座でもあります。裁きは、王が直々(じきじき)になされるのです。
「そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く」
羊と山羊は似ていますが、もちろん別の生き物です。羊と山羊はしばしば混在して飼われていましたが、羊飼いはこれらを選(よ)り分けることができます。同じように、最後の審判の時までは、天国に入るものとそうでないものとが混在しています。それが、再臨の主である王の前で、選り分けられます。最後の審判の審判という言葉は、選り分けるという意味の言葉です。天国に入るものとそうでないものとを、最後になって選り分けるということです。
最後になってということは、それまでは選り分けないままで一緒にいるということです。13章24節以下の「毒麦のたとえ」と同じです。ある僕が良い麦を主人の畑に蒔いたのに、夜の間に敵がやって来て、毒麦を蒔きました。結果、畑の麦の間に毒麦が生えてきてしまいました。どうしましょう、毒麦を抜きましょうかと僕が主人に尋ねると、毒麦と一緒に良い麦までも抜いてしまいかねないから、そのままにしておきなさい。刈り入れのときに、まず毒麦を集めて火にくべ焼きなさい、と言われたとありました。この25章の「十人のおとめのたとえ」でも、賢いおとめと愚かなおとめとは分けられずに、一緒にいました。いよいよ花婿が到着して、つまり主の再臨にあたって、両者は分けられることになりました。
審判は、最後になって初めてなされるということです。
毒麦と良い麦とは非常によく似ているので、それをわたしたちが選り分けようとすれば、間違えてしまうでしょう。そのように、よかれと思って、わたしたちは何度も、神様の畑、天の国を荒らしてきました。わたしたちにできることは、選り分けずに大切に育てること、刈り入れの時に神様が選り分けられるまで、そのままにしておくことです。十人のおとめのたとえでも、だれが賢く、だれが愚かであるのかは、花婿が到着するまでは分かりません。そのときになって初めて、油が足りないことが分かるのです。
選り分けること、裁きは神様がなさることであり、それは最後のその時になる前には行われませんし、ましてや人が行うことなどできません。そのときまで、わたしたちは、ただ備えて、誠実に日々を生きることだけが、求められているのです。
■忘れてしまうほどの
では、最後の審判に備えて、誠実に日々を生きるとは、どのように生きることなのでしょうか。
イエスさまはその審判の席で、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」、そのことが問われることになる、と言われます。「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」と、逆に「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったこと」とが最後の審判で問われる。イエスさまは、今、「この最も小さい者の一人に」、つまり一番価値のない者と思われている最も小さい者たち、その中のたった一人に対してしたことを、わたしは問う、と言われるのです。
そこで問われる、具体的な業の一つひとつが、35節から36節に出てきます。食べること、飲むこと、見舞うこと等々、日常のごくありふれた業です。世界政治を左右したり、ノーベル賞の対象となるような学問的業績を上げたりするようなことではありません。「これらの最も小さい者」と呼ばれる人たちをできるだけ多く集めて、そうした人たちをサポートする事業をスタートさせ運営するとか、そうした働きに協力したかしなかったか、そうしたことが問われているのでもありません。本当に、ごくごく小さなことを問題にされています。
そう思って、このたとえを繰り返し読んだとき、ハタと気づかされました。
「人の子」である王が、右側に集めて祝福した人たちに向かって、「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」と語った時に、そう言われた当の本人たちは、「主よ、いつわたしたちは、そんなことをしたでしょうか」と答えています。
そうです。それは、当の本人たちは身に覚えのない、忘れてしまうほどの小さな、ごく自然な振る舞いであり、行いなのです。ここには、聖書が繰り返し語り、繰り返し教える、「愛」という言葉すら使われていません。確かに、見知らぬ人に食事を出し、その時一緒に水を提供したかもしれないけれど、その見知らぬ人を愛していたかどうかと問われても、そのようなことは念頭になかったに違いありません。
しかしイエスさまは、そうしたことをこそ、世の終わりの時に問題にされる、と言われるのです。
■釜ヶ崎で
キリスト新聞社から発売された、『ねえちゃんごくろうさん』という本があります。著者は入佐明美さん。大阪の日雇い労働者の町釜ヶ崎でボランティアのケースワーカーとして働いていた元看護婦です。彼女は中学生の時、ネパールで医療奉仕をしていたJOCS(キリスト教海外医療協力会)の岩村昇医師にあこがれ、将来ネパールで働きたいと願っていました。
「1978年の秋、岩村昇先生が、一時帰国され、姫路で集まりがありました。…わたしは、ネパールに行きたいと先生に相談しました。
『あなたは、ネパールにあいますよ。さっそく準備しなさい』
はじめて会っただけなのに、力強く言ってくださいました。わたしは、うれしくてたまりませんでした。やっとネパールへの夢が花開くんだと、深い満足感を覚えていました。…
三ヵ月後、岩村先生から、『ぜひ会いたい。大阪の浪花教会に来るように』という電報がきました。…きっとネパール行きの具体的な打ちあわせだろうと胸をわくわくさせながら、大阪に出かけました。…
『あなたには、ぜひ、ネパールに行ってほしいのです。…その前に、入佐さん、日本にも、結核で苦しんでいる人がいっぱいいるんですよ。あなたは、まず、釜ヶ崎で働いてくれませんか』
『釜ヶ崎?』
以前、名前だけは、きいた覚えがありました。
『わたしも、最近知ったのですが、釜ヶ崎では、十人に一人が結核なのです。また、一年間に三百人近くの人たちが、路上で死んでいっているんですよ』
『えっ、そんな所が、日本にあるんですか?今ごろ、十人に一人が結核って、わたしには、信じられません』
『そうでしょうね。わたしもびっくりしているんですよ。わたしが、もし、ネパールに行く前に釜ヶ崎を知ったら、わたしは、ネパールへは行かなかったでしょう。あなたはまず釜ヶ崎で、二、三年働きなさい。それからネパールへ行きましょう』
わたしは、頭をなぐられたような気がしました。今、すぐにネパールに行けないということも、正直いってショックでした。しかし、それ以上に、わたしを身ぶるいさせたことは、一年間に三百人近くの人たちが、路上に倒れて死んでいくという現実が、こんな豊かな日本のなかにあるということでした。…
釜ヶ崎でケースワーカーとして働くようすすめられてから、約一年間、悩み、考え、祈り続けました。…しかしわたしの心は、釜ヶ崎に足をはこぶたびごとに、少しづつ変わっていきました。
釜ケ崎に通って、五、六回目ごろ、『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』(マタイ25章40節)のみことばに、わたしはおし出されていました。そしてそのみことばだけを、必死ににぎりしめて、1980年1月、釜ヶ崎の街にやってきました。
それ以来、ボランティアケースワーカーとして働いています。…」
「ネパールへ行きたい」との思いをどこかへ追いやり、釜ヶ崎にどっかと腰をすえて働く決意をさせた出来事を、彼女はこの本の中に記しています。
「不況が続き、仕事ができない日雇い労働者の姿を見ていると、本当に苦しくなります。病気の相談にのっているわたしには、『仕事がないんや』という病気以前の相談にはのれません。わたしはどうすることもできないし、何と言えばよいかわからないし、正直なところにげ出したくなります。…
今まで口先で「共に生きる」「共感的理解が大切」などと言っていたことが、はずかしくてしかたありません。わたし一人が食べなかったら、一人の日雇い労働者がうえなくてすむ、死なないですむと思ったら、わたし自身が生きていること、存在していることが、罪であるように思えてきました。…
そんな時、背中の方から、
『ねえちゃん、どなんしたんや、元気ないなあ』
と、吉田さんがことばをかけてくれました。
『ねえちゃん、こんなに仕事がないと、ねえちゃんの仕事も大変やろ。みんなどうすることもでけへんしんどさを、ねえちゃんにぶつけているんや。かんべんしてや』
『みんなのぐちをきいたってや』
『ねえちゃん。がんばってな』
わたしは、ひとつひとつのことばのやさしいひびきに、心から泉がわくような思いがしました。落ちこんでいた心も大分元気になりました。
日雇い労働者は、仕事がなくて大変なのに、わたしをはげまし、労をねぎらってくれました。わたしは、そのことばを受けとめるうちに、イエス様が十字架にかけられる時のことと、今の労働者がおかれている状況が、ダブってしかたがありません。どちらも自分の存在がおびやかされているにもかかわらず、他者に対して配慮ができるのです。…
わたしは釜ヶ崎の労働者に、十字架上のイエス様を見るような気がしてなりません。そして、自分の罪について再び考えさせられました。水曜日の夜、祈禱会に行きました。教会の正面にある朱色の十字架のあかさが、今までとはちがうのです。まるでしたたる血のようにわたしの目にうってきました。…」
彼女は日雇い労働者の人々の中に、十字架のキリストを見ています。
■愛してくださったから
イエス・キリストの神は、最も小さい者の味方です。愛の小さな業、やった本人も忘れてしまうような、ちっぽけな業に生きようとする。いや実際に生きている。それは、神様から愛されていることを実感し、神様から祝福されていることが分かっているからこそできることです。ヨハネの手紙第一に、「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」(4:19)とある通りです。
イエスさまは、「最も小さい者の一人」、貧しく、弱く、様々な苦しみの中にある一人の人のことを「わたしの兄弟」と呼び、最も小さい者の味方となり、そればかりか、この「最も小さい者の一人」こそがわたしなのだと言われます。
皆さんは「愛する」ということにどんなイメージをお持ちでしょうか。多くの方は「相手に与える」ことというイメージをお持ちかもしれません。もちろん、それで間違いというのではありません。ただ問題はその与え方です。自分の取り分はしっかり守っておいて、余りものを相手に与えて、それを愛と呼べるでしょうか。たとえわずかであっても、自分の何かを削って相手にさし出すことを愛と言うのではないでしょうか。愛とは何かと迷ったときは、どうしたら本当に相手のためになるだろうかと悩んだときは、自分の何を削るべきかを考えれば、きっとうまくいくでしょう。自分の時間、自分の場所、たった一杯のお茶でもいい、何か持てるものを削って差しあげとき、そこに素晴らしいことが起こるはずです。
そして、それこそが神様の愛し方でした。イエスさまは「友のために命を捨てるよりも大きな愛はない」(ヨハネ15:13)と言われました。その通りです。持っている時間も力も削り、削りに削って、もう何も削るものがない。最後に、自分のいのちを削って相手を生かすという愛。これ以上の愛はないでしょう。
イエスさまは、あなたたちが愛の業を行ったから祝福を受けるのだとか、善い業をしたから御国に入れるのだ、とは一言も言われません。そうではなく、あなたがたはもう祝福を受けている。神に愛されている。だから、その愛に留まるように、その祝福の内に留まるように、と励ましてくださるのです。
わたしたちはすでに、この素晴らしい恵みに与っています。イエスさまが十字架において救ってくださったからです。イエスさまの愛に相応しい者とは言えないこのわたしたちが、イエスさまによって、そのいのちを削り捨てて愛されました。その愛は、高みから施しとして与えるような愛でもなければ、愛する者から何かを要求するような愛でもありません。終わりの時に、自分が救いに与るための報いとしての愛でもありません。イエスさまは、愛することに一切の条件をつけるようなことをされず、ただ「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」と言われます。わたしが自分のいのちを捨てたのはあなたがたのためだった、と言われるのです。
だからこそ、「最も小さい者の一人」の内にキリストを見出し、「最も小さい者の一人」、いえ、だれに対しても、「さあ、どうぞいらっしゃい!ここに、あなたがたの取り分がありますから!」と愛を分かち合う歩みへと、我知らず、歩み始めざるを得なくなるのです。そうできるのは、ただ、神がまず、この最も小さい者である、わたしたちを愛してくださったからでした。感謝です。