■ラザロは、今もここに座っている
島崎光正という詩人を知っていますか。第一回黎明賞(長い道の会)を受賞。日本現代詩人会会員である彼が、八十歳になった自分の生い立ちをこう書き残しています。
「私は1919年、大正の半ばに福岡の市(まち)でこの世に誕生をみた者である。父は、そちらの大学を出て間もない若い医者だった。ところが、父はそれから一か月後には早くも世を去っている。患者から感染したチブスが原因だった。それからの私は、長崎から嫁いできていた母とも生別れとなって、父親の遺骨と共にその郷里であった信州の田舎に帰り、祖父母によって、ミルクで育てられた。厩(うまや)の跡が平屋の一角に残っていた農家である。
父の私への遺産とては何もなかった。ただ、光正という創世記の冒頭から借用したかのような私の名前は、自分で考え、原籍のある田舎の村役場に届けるべく、祖父に依頼をした手紙が今も残っている。但し、父みずからは聖書には無関心だったようである。
それと、どうしたわけか父が使っていたらしい医療器具のメスのセットが福岡から誰かが持ち帰り残されていた。それは大正時代の古い様式のもので、柄(え)は木製のものだった。少年時代となってそれを見つけた私は、生れつきに負った二分(にぶん)脊椎(せきつい)の障害から、変則的な歩行がもとで足の裏に出来やすかったマメを、玩具(がんぐ)がわりのそのメスを使って削った。ふとそれも、父の遺産を感じた。
こうして、足を引きながら成長した私だったが、村の小学校に通うようになってから、そこでキリスト者の校長と出会い、村人の言い慣わしに従えばヤソの名前を知った。厩の跡に近い軒下(のきした)には季節になると燕(つばめ)がしきりに出入りしては雛(ひな)を育て、歳月をつもらせる。のちに、松葉杖と長靴に頼ることとなり白樺人形を刻むようになった私は、育ての親であった祖父母とも死に別れた時期に遭遇する。つくづくと人間の弱さと頼りなさを味わったあげくを、ヤソの校長がなお健在でそこにいた松本の教会で洗礼を受けた。敗戦後の、三年目の夏のことである。
それは私にとって、古い罪の人間に死に、墓から呼び出された出来事であったに相違なかった。
けれど、それからの歳月の中で、いくたびその墓の中に帰ってゆくことを繰り返しがちであったことだろうか。人からは見られない、洞穴(ほらあな)の心安さもそこにはあったからである。だが、その都度呼び戻されたのは、よく気がつかないままに、先(せん)達(だつ)としてのラザロの姿が重なっていたためかも知れない。
私は今も、足の裏のマメが何時しか褥(じょく)瘡(そう)にかわって包帯に親しむこととなり、治療のためにそれをほどきながら、そのことを思う。ラザロが布をほどかれた時にも、そのように墓の外で、光にさらされていたのだと。」
島崎は、この後、自らの「琴」という詩を記した後に 、こう付け加えています、「ラザロは、今もここに座っている」と。
■ラザロ、出て来なさい
そのラザロが、「墓に葬られて既に四日もたっていた」と書き始められています。
わずかに残された希望は、手の中からこぼれ落ちるようにして消えていきました。今はもう、悲しみを受け入れるべき時、慰めを受けるべき時となっていました。たくさんの人がそのために集まっていました。イエスさまのあまりにも遅すぎる到着に、人々は冷(ひ)ややかな、そして非難を込めた視線を向けます。誰もイエスさまに期待をしていません。
もうすでに終わってしまったことなのです。
ここに描かれている出来事は、その終わったところから始まります。
わたしたちは、自分たちをめぐる状況が、そして自分自身が、いろいろな意味で手遅れになっていくように感じ、焦り、やがて諦めてしまいます。残された希望を過去へと追いやり、わたしたちから意欲と勇気を奪い取っていく、「時間」の力はあまりにも強く、誰もそれに抗(あらが)うことはできないかのように感じています。
わたしたちの目には、いろいろなことがもはや手遅れになってしまっているように見えるのです。しかしそのように「見える」のは、わたしたちにとってであって、神にとってではありません。イエスさまに手遅れということはありません。神は、そして御子イエスは、どのような状況からでも、新しく始めることのできるお方です。わたしたちにも、何度でも、新しく始めることを求め、またそのために助けてくださるのです。
43節、「こう言ってから、『ラザロ、出て来なさい』と大声で叫ばれた。」
この言葉は、今ここにいるわたしたちにも、墓から出るように、という招きとなり、促(うなが)しとなり続けています。
それなのにわたしたちは、あまりにも簡単にあきらめてはいないでしょうか。期待することを、やめてはいないでしょうか。どうせもう、どうしようもない、と。わたしたちも、ラザロのように闇の中に死んでいます。愛されたい、かまわれたい、理解されたい、認められたい……そういう願いがわたしたちの誰の中にもあります。それが満たされないと、どんなにお金があって、子どもの成績がよくて、健康で、何不自由ない生活に見えても、心はボロボロになって、生きている喜びが感じられなくなってしまいます。
しかし、そのように苦しむことは、悪いことでも恥ずかしいことでもありません。それは、本当の喜びに導かれるための、心の渇きだからです。
教会の尖塔に十字架がかけられています。その十字架は、神の子イエス・キリストが、「あなたのために死んでくださった」というしるしです。そして、よみがえられたイエスさまが、「今ここに共にいてくださる」ということのしるしです。何よりも、愛されない、理解されない、誰からも相手にされないと苦しむあなたを、その闇の中から光の中へとよみがえらせてくださって、あなたよりももっとあなたのことを愛し、理解し、かまってくださっているお方がおられることのしるしです。わたしたちは、愛してくれない、理解してくれないという、闇の世界ではなく、もう既に愛してくださった、理解してくださった、救ってくださった、そんな光の世界に生きるよう招かれています。
初めて教会を訪ねた人も、少し教会に通っている人も、長く求道生活をしている人も、すでにクリスチャンになった人も、この十字架と復活の出来事が、自分のための愛の出来事だったと感じられる時、全身に力が走るような感動を憶え、心の渇きが癒されるのです。
「出で来なさい」「やり直せるよ」というイエスさまの招きに応えて、人としての根源的な渇きを癒され、何度でも新しくされ、ご一緒によみがえりの光の中を歩み始めましょう。
お祈りします。神様、あなたの言葉でわたしたちを捉(とら)えてください。いのちそのものであり、よみがえりそのものであり、愛そのものであるあなたに捉えられている、このいのちを大切に生きることができますように。過去に捉えられず、未来に頼らず、「今ここに」生かされ生きることができますように。何度でも新しく生き直すことができるという希望をもって、地上のいのちの終わりを迎えることができますように。主のみ名によって。アーメン