福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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8月16日 ≪聖霊降臨節第12主日礼拝≫ 『触れる信仰』マタイによる福音書9章18~26節 沖村裕史 牧師

8月16日 ≪聖霊降臨節第12主日礼拝≫ 『触れる信仰』マタイによる福音書9章18~26節 沖村裕史 牧師

■喜びから悲しみへ
 「イエスがこのようなことを話しておられると」と語り始められます。
 「このようなこと」とは、「花婿(なるイエスさま)が共におられる喜び」のことです。イエスさまが徴税人や罪人たちと食卓を囲み、そんな喜びを分かち合っていたその時、カファルナウムの町の「ある指導者」が、「わたしの娘がたったいま死にました」と言って、喜びの食卓に死の知らせを運んできます。
 それだけではありません。ここにもう一人、喜びとはほど遠いところに置かれていた、出血が止まらないという病に苦しむひとりの女性が、イエスさまによる癒しを求めにやってきた、という出来事も伝えています。
 喜びの中に悲しみがもたらされる。わたしたちの日常も、時にこうした喜びと悲しみのコントラストに彩られます。

■立ち上がって
 ところで、今日お読みしたと同じ出来事をマルコとルカも書き記しています。特にマルコはかなりの誌面を割いて詳細に書き留めていますが、マタイはそれを大胆に削り、言葉を書き足し、書き変えています。そこに、マタイの信仰が、マタイの信じるイエスさまの姿が浮かび上がってきます。
 その一つ。マルコが「会堂長のひとりでヤイロという名の人であった」と説明する人物を、マタイはただ一言、「ある指導者」とだけ記します。
 会堂は、ユダヤの人々の祈りの場であり、聖書を朗読し、律法を学ぶ場でした。いわば信仰、礼拝、教育の中心です。と同時に、生活共同体の中心的な役割―地方裁判所や福祉事務所といった働き―も担っていました。その会堂の管理責任者が会堂長です。ファリサイ派や律法学者は、いわばプロの宗教家ですが、会堂長は、信徒の代表として、共同体のまとめ役、信仰と生活の両面において模範となる人であり、それにふさわしい教養と資産を有していると目される人でした。
 しかしマタイは、そうした地位と立場にあったであろうこの人に、「会堂長」という「色」を付けることを避けます。そして「ある指導者」とだけ記します。とすれば、この人はもはや特定の誰かではなく、わたしたちの身近にいる誰か、あなたやわたしかもしれません。
 その彼が、今、イエスさまの傍近くにまでやって来ます。それも「ひれ伏して」とあります。懇願をしています。
 「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」
 マルコやルカでは、自分の幼い娘が死にそうだから助けてほしいと懇願していますが、マタイは、これを「たったいま死にました」と書き変えています。絶望的状況どころではない。もはやどうすることもできません。
 それでもなお、この父親は、まだ望みはある、まだ何かしてやれることがあるはずだ、と決してあきらめません。あきらめきれないその思いの中で、イエスさまに辿り着きます。そして「ひれ伏し」懇願します。地位も立場もある指導者としての見栄も外聞も、すべてをかなぐり捨てて、懇願をします。
 イエスさまのなさった数々の癒しの業、奇跡の業のことは、すでに町中に知れ渡っていました。しかしその一方で、大食漢で大酒飲み、徴税人や罪人たちの仲間だといった、良くない評判も聞こえていたでしょう。ファリサイ派や律法学者たちの言動からは、イエスさまを敵視し、警戒する様子が見え隠れしています。そんなときにその足もとにひれ伏すなど、後々やっかいなことになることは言うまでもありません。
 しかし、愛する娘を亡くした彼にとって、そんなことなど、どうでもいいことでした。
 わたしたちは何か問題にぶつかると、それまでの経験や知識、立場や周囲への影響力を駆使して、何とか解決の道を切り開こうとします。しかし時に、そうしたことが全く通用しないことが起こることがあります。この時がまさにそうでした。指導者としての知識も財産も、地位や立場も、娘の死を前にしては、まったく何の役にも立たちません。無に等しいのです。
 彼は、どうしたでしょうか。本当に頼るべきお方としてイエスさまを選び、そのお方に賭けました。すると19節、イエスさまは、何の躊躇もなく、そんな彼のすがるような思いに応えてくださいました。
 「イエスは立ち上がり、彼について行かれた」。
 この何気ない一言が、心深くに突き刺さります。

■立ち止まって
 ところが、この救いの出来事を中断するようなことが起こります。
 彼の家に向かうその途中、イエスさまは別の悩みに苦しむひとりの女性と出会い、立ち止まられます。
 マルコはここでも、この女性のことを詳細に書き留めていますが、マタイはわずかに、「十二年間も患って出血が続いている女」と記すだけです。「十二年間」、そして「出血が続く病」です。
 「十二年間」。アングス・マディソンという学者の研究によれば、紀元後一世紀から三世紀のエジプトに暮らしていた人々の平均寿命は、二十四歳でした。一歳未満の乳児死亡率が高く、34%程度であったことを考えても、人生八十年なんてとんでもないこと。その時代の十二年という歳月は、この女性にとって、まさに「半生」といってもよい長さです。
 しかも「出血が続く病」です。律法では、生理期間中の女性は「汚れ」と見なされていましたから、出血の続く病を患った彼女は、汚れたものとして人に近づくことも、家族と接触することも、ずっと禁じられていたことでしょう。十二年という人生の大半を、だれかに触れることも、だれからも触れられることもありませんでした。
 その彼女が、イエスさまの後ろから近づき、その服の房(ふさ)に触ります。
 マルコは「服に触れた」と書いていますが、マタイはそこに「房」という言葉を書き加えています。
 現代の中東の人々の服装でも見受けることがありますが、当時の人々は、上着―ウールでつくられた、かなりの大きさの長方形の一枚布―を、外出着として下着の上に羽織りました。その上着の四隅に「房」が垂れています。民数記15章38節以下によれば、人々がこれを見ては、律法の掟を思い起こし、行いを正しくするようになるためのものでした。イエスさまもまた、伝道者らしく、裾長(すそなが)の下着―長いTシャツのような、いわゆる貫頭衣―に身を包み、その上から帯を締めます。さらに、上着の一端を左肩から後ろに垂らして身にまとい、もう一方は左腕にゆったりと掛かっています。体の前後では、四本の房が、イエスさまの動きに合わせて軽やかに揺れていたことでしょう。
 その揺れる房のように、彼女の心も揺れていたことでしょう。彼女はイエスさまにしがみついたのではありません。控えめに申し訳なさそうに、しかし必死の思いで、イエスさまの服の房、イエスさまの服の片隅に触れたのです。むやみに人に触れてはならない自分であることを身に染みて分かっています。分かってはいても、それでもあきらめがつかず、苦しみ、躊躇(ためら)い、葛藤しながら、せめてその房に触れたい、そんな思いで彼女は、正面からではなく、後ろから、そっと手を伸ばしたのではなかったでしょうか。
それだけで治していただける、「この方の服に触れさえすれば治していただける」、そう思ったからです。
 すると、イエスさまが振り返られました。
 人込みの中でだれかが房に触ったとしても、ふつうであれば、気付くはずもありません。しかし、イエスさまは振り返られました。マルコは「イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて」と説明しますが、ここでもマタイは「振り向いて」とだけ記します。イエスさまが振り向かれたそこには、驚きと恐れの色を浮かべた彼女が立っていました。
 当時の常識からすれば、そんな女の人が服の房に触れたら、汚らわしいと言って、その手を振り払ってもよかったのかもしれません。あるいは、病気は直してあげるけれども後は知らないと言って、前を向いて一切の関わりを断ったかもしれません。当時の偉い人や宗教的な指導者たちであれば、きっとそうしたでしょう。
 しかし、イエスさまはそうはなさいません。イエスさまは、恐る恐るご自分の衣の房に触れた彼女のために、立ち止まって、振り返ってくださいました。そう、出会ってくださったのです。そして一言、
 「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った」。
 イエスさまの愛が溢れ出ます。 正確に言えば、彼女を癒したのは彼女の信仰ではなく、イエスさまの愛の御力です。しかしイエスさまは、藁にもすがるような彼女の行動を「信仰」という言葉でもって受けいれ、彼女を支え、励まされたのでした。

■深い闇の底から
 「なく蝉よりもなかぬ蛍が身を焦がす」
 この謡いに、二人の姿が重なります。想いを口に出して言う者よりも、口に出さない者の方が、心の中ではいっそう深く思い焦がれるものです。ああ蝉のように鳴けたらいいのに。しかし何も言えない。自分の奥底へと落ちてしまった悲しみ。その悲しみが心を満たすとき、わたしたちは蛍になります。そして、暗闇の中でうっすらと光始めます。その光を認める人など、この世にいません。この世には灯の光が輝いて、静かに暗闇を見つめる人などいないでしょう。もしも、この消え入りそうなわたしたちの光を認めてくれる人がいるとすれば、それは、その人自身が暗闇の草むらの中に身をかがめ、静かに隠れつつじっと見守ってくれる人です。蛍の光は、明るい灯の下では確認できないものだからです。自ら暗闇の地面に降り立ち、息を潜めて隠れる人にしか見えない光が、わたしたちの誰の内にあります。
 主の祈りを教えられるとき、イエスさまは「隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、…報いてくださる」と弟子たちを諭され、かの預言者イザヤは「まことにあなたは御自分を隠される神/イスラエルの神よ、あなたは救いを与えられる」(45:15)と語っています。
 神様はご自分を隠されるお方です。それは、わたしたちの隠された悲しみを、言葉にすることのできない不安を、そんな蛍の光をご覧になるためかもしれません。誰にも言えず、隠されてしまった過去の悲しみや不安や苦しみを胸に、わたしたちは蛍になります。暗い水辺で力なく一人飛んでいました。他人はみな、明るい夏の日差しの中で蝉として鳴いています。洪水のような鳴き声が、わたしたちの耳にも聞こえてきます。しかし神様のおられる場所は、その昼間ではなく、夜の静かな草むらの中です。神様は、わたしたちの暗闇の中に姿を隠し、消え入りそうなわたしたちの光を見つめておられます。
 娘を亡くした父親も、長血を患っていた女性も、イエスさまに最後の望みをかけました。「なく蝉よりもなかぬ蛍が身を焦がす」。この方こそ、闇の中でそっと隠れて見つめ続け、救いをもたらしてくださるお方に違いない、そんな必死の思いがここに滲み出ています。

■あきらめないで
 仏教では、どうしようもないことでくよくよ悩んだり、往生際悪くあがいたりしないで、むしろ俗的な希望や欲望を捨てて超然と生きる。それが諦めの境地、悟りの境地だ、と教えられることがあります。そういうことからすると、福音書の描く二人は、実に諦めの悪い、悟りからほど遠い存在ということになります。しかし福音書は今、こういう諦めの悪さこそが救いをもたらすのだと教えます。
 「求めよ、さらば与えられん」と語ったイエスさまは、その言葉を一つの譬えをもって説明されました。真夜中に友人を訪ねる人の譬えです。「その人は友達だからということでは起きて何か与えるようなことはしなくても、執拗に頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるだろう」。信仰があれば、願うことは叶えられる、とは言われません。「真夜中だろうが、子どもが寝ていようが、執拗に頼めば願いを聞いてもらえる、そういうものなんだ」。ひたむきな願いをこそ神は受けとめてくださる。そう教えられます。
 イエスさまは長血を癒された女性に言われました。
 「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った」。
 「信仰」と訳されているギリシア語のピスティスを、安易に「信仰」と訳してなりません。ここでは「ひたむきさ」と訳すべきです。「元気を出しなさい」。これも、マタイがマルコに書き足した言葉です。同じ言葉を用いるヨハネによる福音書16章33節に、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」とあります。これにならえば、「勇気をだしなさい」です。絶望的な状況にもへこたれず、望みを持ち続けること、その勇気を、イエスさまは励ましておられます。
 「あなたのひたむきさがもうすでにあなたを救っている。」
 「救う」は完了形で記されています。「過去のある時点から現在までずっと救われている」。今、癒されて救われたというのではなく、諦めることなく、ひたむきに願い続けてきたあなたは、もうすでに救われているのだ、ということです。絶望が支配する状況の中で、諦めることなく、希望をもって救いを願い続けることが、もうすでに救いなのだ、と。
 わたしたちも絶望が支配しがちな時代を生きています。平和への祈りと努力も空しく、わたしたちの生きる世界は分断と争いに満ちています。温暖化による地球環境の変化も、もはや取り返しのつかないところにまで来ているように思えます。
 しかし、諦めてはいけない。勇気を出しなさい。その諦めない、ひたむきさの中に、もうすでに救いは用意されているのですから。そうイエスさまは、わたしたちに訴え、励ましてくださるのです。

お祈りします。主なる神を信じることができますように。あなたの御力と愛とをただ受け入れて、この身を委ねることができますように。御子のみ言葉だけを聞き取ることができますように。今、悩みのなかにある者に、癒しをひたすらに願っている者に、真の救い、真実の祈りと信頼を与えてくださいますように。主のみ名によって。アーメン。