■なぜ、選ばれたのか
直前の9章35節から38節に、こう記されていました。
「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』」
これを受けての、今朝の冒頭1節です。
「イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。」
ここで、イエスさまが十二使徒を選び立てられたのは、なぜでしょうか。それは、「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」おびただしい群衆を「深く憐れまれ」、「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった」のでしょう。
群衆に羊飼いがいないとは、病める人、傷ついた人がいても癒す人がいない、失われた人がいても探し求める人がいない、ということです。そうした現実を前に、イエスさまは、深く憐れまれた、はらわたを揺り動かされ、身を切られるほどの痛みを抱かれた、と書かれています。イエスさまが十二人の弟子を選ばれたのは、飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている、そんな人々の姿を憐れまれたからでした。
■十二人の姿
そのために選ばれた十二人の名前が、続く2節から4節に記されています。
「十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。」[i]
名前のリストは、他の福音書といくつか違いはあっても、ほぼ同じです。
ここでます、目を留めていただきたいことは、十二人がすべて「二人一組」で語られていることです。兄弟だからというのではありません。特にマタイは、ガダラで悪霊に取りつかれた人も、目の不自由な人も、わざわざ「二人」であったと記します。ユダヤ人であったマタイは、この「二人一組」を好みました。それが、「ズゴット」と呼ばれる独特の教育システムから生まれた、ユダヤの習慣であったからです。世界で最初の「小学校」、低学年からの宗教教育を始めたのもユダヤ人ですが、そこでは生徒を全員、二人一組にして坐らせ、互いに意見を戦わすよう指導していました。それが、互いに問いを掛け合いながら、問題を煮詰めていく最良の方法―そうしてこそ真理に一歩ずつ近づくことができると考えたからでした。この十二人の弟子たちが、二人で「対」のズゴットになっているのも、その伝統に倣った、しかも、この後の宣教活動のための実際のグループ編成であったからです。
では、この十二人はどんな人たちだったのか。その姿を追ってみたいと思います。
最初の一組は、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレです。シモンはヘブライ語のシメオン(主に聞かれる)ですが、ペトロはイエスさまが名付けられたあだ名で、ギリシア語の「岩」を意味します。そこには、頭の硬い頑固者というニュアンスがあります。漁師で、しかも妻帯者でしたが、イエスさまに招かれ、最初の弟子となります。そのこともあってか、筆頭弟子のような存在になるのですが、その彼が何度も躓き、弱さをさらけ出します。決定的だったのは、イエスさまが逮捕され裁判にかけられている時、ペトロが、イエスさまのことを三回も、あの人など知らない、あの人とは何の関わりもないと言ってしまったことでした。しかし、この石頭のペトロがその後、頑固に主に従う道を歩み続けたのですから、石頭も捨てたものではないと言えるのかもしれません。相方は、その兄弟アンデレです。この名前もギリシア語で「男らしい人」という意味ですから、あだ名だったのでしょう。筋肉質の大柄な人だったのか、それとも喧嘩っ早く闘争心の強い人だったのか。ヨハネ福音書によると、アンデレが最初にイエスさまに従い、アンデレがペトロをイエスさまのところに連れていったとあります。彼も漁師でした。
続く一組は、ゼベダイの子ヤコブ(踵をつかむ者)とヨハネ(主は恵み深い)です。漁師であった二人も、初期からの弟子で、イエスさまの側近です。イエスさまが山に登られ白く輝かれた時にも、シモンとこの二人だけが同行を許されています。ゼベダイの子とありますが、マルコでは、この二人に「ボアネルゲス」―「雷の子ら」というあだ名が付けられています。想像するに、いわゆる「雷親父」、怒りっぽくて、気性が激しい人たちだったのかもしれません。イエスさまがまもなくエルサレムに到着しようかというとき、二人は、イエスさまが栄光の座につくとき自分たちをその両側に、すなわち右と左に座らせてくださいと願い出て、他の弟子たちから顰蹙(ひんしゅく)を買っています。けれども二人は、十字架の苦しみを味わい復活されたイエスさまにお会いしたとき、何を願わなければならないのかということに目覚め、ヤコブは十二人の弟子の中で、最初の殉教者となっています。
ここまでの四人はいずれも、そのあだ名からしてどうも扱いづらい、頑固者、乱暴者。できれば一緒にはいたくない人たちです。しかしこの四人が、十二弟子の中でも最も頻繁に聖書に登場する、中心的な存在となります。
三組目は、フィリポとバルトロマイです。二人は、ヨハネ福音書によれば、もとは洗礼者ヨハネの弟子だったようです。ちなみにフィリポはギリシア語で「馬好き」、軍人に好まれる名前です。大勢の群衆を前にして、この人たちに食べさせるために、どこでパンを買えばよいだろうか、とイエスさまから声をかけられたのも、このフィリポでした。バルトロマイは、ヨハネ福音書に登場するナタナエル(神は与え給う)であったと思われますが、どういう人であったか、詳しくは分かりません。
次は、トマスと徴税人マタイです。トマスは、アラム語でディディモ、双子という意味です。古代では、双子は敬遠される存在でしたから、からかい半分につけられたあだ名と言えるのかもしれません。ヨハネ福音書の中に繰り返し出てきますが、仲間の弟子たちに「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」(ヨハネ11:16)と言っているところは、彼が多少、浮いた存在だったからこその言葉なのかもしれません。イエスさまの復活の時も、彼だけが他の弟子たちと一緒にいませんでした。彼は、イエスさまがよみがえられたことをすぐ受けとめることができず、イエスさまの手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ信じないと、躓きを露わにします。しかしイエスさまは、あなたの指をこの釘跡に入れてごらんと語りかけ、そのトマスを招いてくださいました。トマスとペアを組むのは、徴税人のマタイです。ローマの手下のような働きをする徴税人を、ユダヤの人々は蛇蝎のごとく忌み嫌っていました。その徴税人のマタイがイエスさまの弟子として招かれています。
五組目は、アルファイの子ヤコブとタダイ(神の贈り物)。ゼベダイの子ヤコブと区別するために、「小ヤコブ」とも呼ばれます。タダイは、ギリシア語のテオドシス。ルカ福音書にある「ヤコブの子ユダ」(6:16)が本名のようで、ヨハネ福音書は、わざわざ「イスカリオテの方ではないユダ」(14:22)と記しています。二人がどういう人だったのか、聖書は何も語りません。
最後の組が、熱心党のシモンとイスカリオテのユダです。熱心党は、「主のみ王」というユダヤ教の基本理念に忠実な一派で、武力をもってローマとその傀儡政権に激しく立ち向かいました。ガリラヤに本拠地を持つ、いわば民族主義的な反政府勢力、反乱軍です。シモンはその正式なメンバーでしたが、イスカリオテのユダ、シモン・ペトロ、ゼベダイの子のヤコブとヨハネも、熱心党と何らかの関りを持っていたと思われます。最後が、あのイスカリオテのユダです。イスカリオテというのが「カリオテという町出身の」という意味なのか、あるいは「シカリ派の」という意味なのか、議論の分かれるところです。シカリ派だとすれば、それは懐に短剣(シカ)を忍ばせて売国奴の暗殺を企てるテロリストのことです。これもまた民族主義的な武装勢力の一派ですから、熱心党のシモンと共に、十二弟子の中にはかなり危険な反政府勢力のメンバーが、それも二人も入っていたことになります。ここには「イエスを裏切った」とありますが、もともとは「引き渡す」という意味の言葉です。イエスさまをお金と引き換えに、引き渡したことが結果として裏切ることになったので、こう訳されています。けれども、弟子たちのだれもが、イエスさまが十字架に架けられたとき、逃げたり、三回も知らないと言ったりしました。ユダだけが裏切ったとのではありません。
■土の器のままに用いられる
以上、選ばれた十二人、その一人ひとりを眺めてみて、だれ一人として、選ばれて当然だった、使徒としてふさわしい人物だったとは、とても思えません。イエスさまが選ばれたのは、頑固者や乱暴者、忌み嫌われる徴税請負人、またそんな人々を売国奴として殺害しようとしていたテロリスト、軍人らしき人もいれば、荒野で禁欲的な信仰に生きていた人も、最後の最後まで躓き続けた人もいる、そんな一人ひとりです。到底、ひとつとなって、共に歩んでいくことなど、普通に考えれば、あり得ない人々でした。
逆を言えば、イエスさまは、わたしたちが人を評価し判断する目では見ておられない。できがいい、優秀だ、チームを組んで仲良くやっていけそうだ、そういう理由で、基準で招いてはおられない、ということです。
言うならば「にもかかわらずの愛」をもって、このわたしたちに目を注ぎ、「わたしに従いなさい」と招いておられる、と言うほかありません。
ここが大切です。イエスさまが、どういう人を弟子として選ばれ、その人たちを通して、どのように福音を証ししていこうとされていったのか、ここにはっきりと示されていると思うからです。
ここに名前が記されている十二人は、さきほどの9章36節にある、まさに「飼い主のいない羊のような」一人ひとりであった、ということです。
パウロが、コリントの信徒へ宛てた手紙に、「神は、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち無きに等しい者を、あえて選ばれたのである」(1コリ1:26-31)と書き記す、まさに「無きに等しい者」たちです。
エレミヤは、預言者として召された時、「若者にすぎませんから」と固辞しましたが、神様から、「若者にすぎないと言ってはならない」(1:4-8)と言われました。弟子たちもそうです。無きに等しい者ですが、それを理由にして拒むことなどできません。無きに等しい者をあえて選ぶ、そこに神様の御心が、腸が千切れるほどの神様の愛があるからです。
ペトロ、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう、しかし、「わたしはあなたのために、あなたの信仰が無くならないように祈った。だからあなたは立ち直ったらあなたの兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:32)、そうイエスさまはペトロに語りかけます。あなたのために、あなたの信仰が、あなたが立ち直ったら、あなたの兄弟たちをと、「あなた」を何度も繰り返し、招かれるのです。飼い主がいないために弱り果て、打ちひしがれている羊のような人たちを、イエスさまは弟子として選ばれたのです。そしてその人々が、イエスさまによって励まされた励まし、慰められた慰めをもって、弱り果て、うちひしがれている人々のところに赴き、励まし、慰めるようにと遣わされるのです。
イエスさまが苦しんでいる人、病を抱える人、悲しみのただ中にいる人に、はらわたを揺り動かしてまで憐れんでくださったように、弱さがあるがゆえに、破れを持つがゆえに、同じような苦しみ、弱さを持つ人に心を動かし、その人たちを励まして欲しい、その人たちの重荷を担って欲しい。
そのことを願って、イエスさまは十二人を選び、派遣されたのでした。そのことこそが今も、教会の使命であり、イエス・キリストがわたしたちに願い、求めておられることです。
宗教改革者のカルヴァンは『キリスト教綱要』という著書の中で、神はご自身の業を、ご自身でなしえたし、天使を用いても果たし得たにもかかわらず、人間を通してこのことをなそうとしたのは、人間を尊んでおられ、人と人とを結び合わせ、教会を生じさせるためであった、と書き記しています。つまり、神様は、一挙に神の国を実現することをなさらず、破れ多く、弱さも欠けもある「土の器」に過ぎないわたしたちを用いて、その御業を、愛の御業を進めておられるのだ、ということです。
この十二人が、無きに等しい者であったがゆえに、弱さを、破れを持つ人たちへ優しさを持ち、その人たちに励まされた人たちが、同じような弱さを持つ人たちへ関わる。そうした一人から一人というかたちで、二千年かかって、わたしたちに福音がもたらされたのです。わたしたちも、小倉東篠崎教会が116年間、いえ、最初の専従牧師、田中新一師の着任から数えれば、129年もの間受け継がれた、励まされた励ましを、慰められた慰めを証しする歩みを、これからも皆様とご一緒になして参りたい、心からそう願う次第です。
お祈りします。主よ、ペトロを、ヨハネを、ヤコブを、そして裏切りのユダをもお選びになったあなたが、このわたしたちをも捉え、選び出し、用いてくださっていることを覚え、心より感謝いたします。どうぞ、み子のいのちをかけた愛に支えられたこの教会が、これからもあなたの御心に導かれ、永遠のいのちの希望に生き続けることができますよう、御言葉と御霊とをもって、わたしたちを励まし、慰めてください。主のみ名によって。アーメン