福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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9月4日 ≪聖霊降臨第14主日礼拝≫ 『イエスさまの涙は愛のしるし』 詩編42篇2〜12節 沖村 裕史 牧師

9月4日 ≪聖霊降臨第14主日礼拝≫ 『イエスさまの涙は愛のしるし』 詩編42篇2〜12節 沖村 裕史 牧師

■魂を注ぎ出し

 詩編42篇7節、

 「わたしの神よ。

 わたしの魂はうなだれて、あなたを思い起こす。

 ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から」

 紀元前6世紀の前半。新バビロニア帝国によってエルサレムが神殿もろとも徹底的に破壊され、ユダ王国は滅びました。当時、エルサレムに暮らしていた多くの人々が、現在のイラク・バクダードの南方90キロあたりにあった主都バビロンにまで強制的に連れ去られ、半世紀―50年もの間、過酷な奴隷生活を余儀なくされました。この詩は、そのときに歌われた詩であろうと言われます。

 あるいは、かつてエルサレム神殿に仕える身であった人(5節)が、理由は分かりませんが、エルサレムから遠く北方のヨルダン川水源—ミザルの近く、現在も野生の鹿(1節)によく似たガゼルが生息するそんな場所に、追放されていたのではないか、とも言われます。

 いずれにせよ、詩人の心は今、ヘルモンの山から遥か南に望む、都エルサレムへの深い郷愁、哀愁に包まれています。聖書の巻末につけられている聖書地図3をご覧ください。ヘルモン山はキネレト湖、後のガリラヤ湖北岸の町ベトサイダからさらに北60キロあたりにある、標高2814メートルのレバノン山脈中の最高峰です。その頂(いただき)に積もる雪は春になれば溶け出して、北のガリラヤ湖からヨルダン川へと流れ込み、南の塩の湖―死海へと至ります。その湖から西に僅か30キロの所にエルサレムはあります。ヘルモンの頂に立てば、雄大なヨルダン渓谷を一望できると言われます。

 その美しく、雄大な自然の思い出がしかし、詩人の慰めとはならず、彼の魂を引き裂くほどの悲しみと寂しさへと追いやります。彼の願いはただひとつ。あのエルサレムへ戻り、神殿に立って、主なる神を礼拝すること、ただそれだけです。5節、

 「わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす

 喜び歌い感謝をささげる声の中を

 祭りに集う人の群れと共に進み

 神の家に入り、ひれ伏したことを。」

 彼はかつて、神の家―エルサレム神殿に住み、そこに集まって来る巡礼の人々と共に、礼拝を捧げ、喜びの声を上げ、感謝の歌をうたっていました。見るもの聞くものすべてが感謝であり、喜びでした。彼は、自らの魂を注ぎだすほどに激しく、そのことを願っています。

 

■お前の神はどこにいる

 ところが、8節、

 「あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて

 深淵は深淵に呼ばわり

 砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く。」

 ヨルダン川は、冬の雨によって急激に水嵩(みずかさ)を増します。その激流は川岸を削らんばかりとなります。自然の猛威におびえるように、詩人は襲いかかる不運に身を縮めます。なぜ、わたしはこれほどの苦難に襲われることになったのか。一体いつまで、わたしはこの異郷の地に捨て置かれるのか。砕け散る激流に飲み込まれ、翻弄され、いのちの危機に瀕しています。悲運は悲運を呼び、苦難は苦難を招き、世のあらゆる不幸が取り囲み、彼の魂を滅ぼそうとしているかのようです。

 わたしは神に見捨てられたのではないか、そう思わずはおれませんでした。神を信じないのではありません。信じているのに、なぜ、こんな悲惨な目に遭わなければならないのか。分からない。いや、一切の苦難はこの身に引き受けよう。しかし、神に捨てられることだけは、どうしても耐えられない。

 詩人は呻くように祈ります。10節から11節、

 「わたしの岩、わたしの神に言おう。

 『なぜ、わたしをお忘れになったのか。

 なぜ、わたしは敵に虐げられ

 嘆きつつ歩くのか。』

 わたしを苦しめる者はわたしの骨を砕き

 絶え間なく嘲って言う

 『お前の神はどこにいる』と。」

 詩人にとって、神は「岩」でした。彼の人生は、その堅牢な岩の上に建てられているはずでした。ところが今、彼の前途は、無限の暗闇に包まれています。イスラエルの人々を連れ去り、奴隷としたバビロンの人々―敵は、詩人の魂の動揺を知って、蔑(さげす)みのまなざしをもって、拍手でもするかのように嘲(あざけ)りの言葉を浴びせかけます、「お前の神はどこにいる」と。

 敵、サタンは、神への信頼を奪い去ろうと様々な策を弄します。ある人には成功と富という美味(うま)い酒を飲ませ、またある人には迫害と病と死という苦い杯を与えます。サタンが恐れるのは神だけです。だからこそ、人が神を見失うのを見て、サタンは歓呼の声を上げます。苦難ゆえに、詩人は神への信頼を失いかけました。この苦難から救い出す神はいないのではないか。サタンの「お前の神はどこにいる」という嘲りの声が、詩人の上に冷たい雨となって降り注ぎます。

 

■糧は涙

 真の神、「命の神」(3節)を冒涜するこの言葉は、彼にとって耐えがたい、「骨を砕」かれるほどの苦しみでした。今、彼が夜となく昼となく食べるのは、ただ涙ばかりです。4節、

 「昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。

 人は絶え間なく言う

 『お前の神はどこにいる』と。」

 人生の悲しみと苦しみを味わい尽くす人にとって、この世が与える慰めはもはや何の慰めにもなりません。ただ神と共にあるという喜びを取り戻すほかに道はありません。順分満帆のときに神を褒(ほ)めたたえたとしても、それが何ほどのことでしょう。涙の谷の底にあるときにこそ、神は共にいてくださる。そのことを自分に言い聞かせるように、詩人は歌います。2節から3節、

 「涸れた谷に鹿が水を求めるように

 神よ、わたしの魂はあなたを求める。

 神に、命の神に、わたしの魂は渇く。

 いつ御前に出て

 神の御顔を仰ぐことができるのか。」

 パレスチナはしばしば旱魃(かんばつ)に悩まされ、野の獣たちは飢えと渇きのために倒れます。燃えるほどの暑さに苦しむ鹿が求めるのは、冷たい水です。甘い若草でも、美しい花でも、柔らかな寝床でもありません。それが何の役に立つでしょうか。鹿が求めるのは、ただ水であって、それ以外の何ものでもありません。弱り果てたいのちを再び生き返らせるのは、谷間の清流の外にありません。詩人の渇ききった魂も、ただただ「生けるいのちの水」なる神を喘(あえ)ぎ求めるのです。それは、人が神なくしては生きられない者であることを彼が知ったからでした。世から棄(す)てられて、神の愛、神の恵みを深く味わいしることができたのでした。6節、12節、

 「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ

 なぜ呻くのか。

 神を待ち望め。

 わたしはなお、告白しよう

 『御顔こそ、わたしの救い』と。

 わたしの神よ。」

 

■イエスさまの涙

 人の心は、満たされて、喜びが、祝福があふれていることが理想でしょう。しかし、現実はどうでしょう。笑顔でいることよりも、涙に濡れていることのほうが多いように思えます。すると決まって、「泣くな、男だろ」などと言われます。男は泣いてはいけないとか、泣くことは良くないことだ、というイメージが幼い頃から植えつけられてきました。

 しかし、イエスさまもよく泣かれました。まるで泣き虫のようでした。

 兄弟ラザロが死んだとき、マリアが泣いているのを見てもらい泣きされたことが、ヨハネによる福音書11章35節に記されています。

 ルカによる福音書19章41節には、エルサレムの都を見て泣かれたと記されています。イエスさまには、間もなくローマ軍がエルサレムに攻めてきて、たくさんの人々が殺されることになる未来が見えていたのでしょう。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら…。しかし今は、それがお前には見えない」(19:42)。ユダヤの貴族たち、つまり政治家たちは、ローマの植民地としてローマに従っておけば安泰だと考えていましたし、宗教家たちは、ヘロデ大王の建てた神殿の偉大さを、自分たちの権威の象徴として虚勢を張るばかりでした。貧しい人々のことは忘れ去られ、巷(ちまた)に物乞いや病人が溢れていました。イエスさまが行かれる所には決まって、貧しい失業者たちがぞろぞろと後に続き、宗教家や政治家たちは、イエスさまの存在を不愉快に、また危険に感じ、殺そうと考えていました(19:47~48)。そのようなエルサレムを見て、イエスさまは泣かれたのでした。今も、エルサレムの東側にあるオリーブ山の中腹、イエスさまが泣かれた跡に教会が建てられています。

 自分を殺そうとする人たちのことも含め、他人(ひと)のために泣く人がいるでしょうか。この後、イエスさまは、時の権力者の不法な裁判によって死刑を宣告され、ゴルゴタの丘で十字架にかけられて殺されます。その時もイエスさまは、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(23:34)と瀕死の息の中で祈られました。

 さきほどの詩編42篇6節の言葉が、聞こえてはこないでしょうか。

 「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ

 なぜ呻くのか。

 神を待ち望め。

 わたしはなお、告白しよう

 『御顔こそ、わたしの救い』と。

 わたしの神よ」

 イエスさまの涙は、神が本当に人を愛しておられる、その「しるし」でした。

 だからイエスさまは、こうも言われました。「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。…今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる」(ルカ6:21~25)。イエスさまは、詩編の詩人と同じように、世の苦しみ、悲しみ、貧しさ、病、死の現実を見逃さず、渇き、泣いている人々のことを神が決してそのままにしておかれないと確信しておられました。なぜなら神は、子どもが生まれなくて悲しんでいたアブラハムとサラの家庭に、アブラハムが100歳、サラが90歳になったとき、独り子をお与えになり、イサク—「笑う」という名をつけるようにお命じになり、まさに「笑い」をお与えになったからです。

 神は泣く者の声を聞き、笑いをお与えになるお方なのです。

 そしてイエスさまは、今も泣いておられます。

 それは、わたしたちが心から笑って暮らすことができるようになるためです。