福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え

10月19日 ≪聖霊降臨節第20主日礼拝≫『土の器に』 コリントの信徒への手紙二 4章 7~11節 沖村 裕史 牧師

■土の器

 「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」

 土の器。言うまでもなく、器というのは入れ物のことです。入れ物にはそれ自体で大変高価な物もありますが、その本来の役割は、その中に物を入れることです。つまり、その中に何を入れているかということによって、その入れ物の、その時の値うちは決まるといえるのではないでしょうか。

 この手紙を書いたパウロは、たとえ粘土から造られた素焼きの器であっても、その中に宝を入れているのなら、それは高い価値があるのだと言います。そして、信仰者とは宝をその中に入れている土の器だと言います。言うまでもなく、器そのものに高い価値があるわけではありません。土の器は脆く、弱く、壊れやすいものです。預言者エレミヤはかつて、神に命じられて人々の前で土の器を壊しましたが、それは滅びゆくイスラエルの姿を象徴するものでした。わたしたちはそんな脆い土の器にすぎないけれど、その中に宝を持っている、だから、わたしたちは特別な存在なのだと言います。

 わたしがまだ若かった頃、今から見れば小さなことに過ぎませんが、それでも一つの挫折を味わった時、一人の信仰の先輩から手紙をいただきました。その最後に「刻苦精励」との言葉に続けて、この一句が記されていました。

 その時、わたしが聞き取っことは十分なものではありませんでしたが、それでもこの一句は、わたしの魂を打ちました。その時だけでなく、その後もしばしば、わたしの内で光を放ち、そのたびにその光は深く大きくなっていきました。

 人なみに大学を出て、就職し、そして結婚する。人は誰しも大小さまざまな苦しみを経験し、時に絶望するときもあります。四十、五十才になれば自然に、強く立派な自分になれるわけではなく、七十、八十になって、人間が完成するわけでもありません。むしろ逆の場合も少なくありません。

 聖書の人々、そしてパウロもまたそのことに変わりはありません。彼にも青少年の時代があり、時代の子として育ち、むしろ抜群の秀才として周囲の期待を集めていました。熱烈なユダヤ教徒でした。しかしそこに問題がありました。彼はよく分からないままに、キリスト教の迫害に駆り立てられたのです。ところがダマスコへの途上、イエス・キリストに出会って打ちのめされ、三日三晩、暗黒の中に独り座して祈り、そこから立ち上ってくるのですが、そこでも一挙に、彼の人間ができ上ったのではありません。むしろその時から何度も挫折を経験し、眠れぬ夜を過ごし、幾度か自ら死を覚悟して、そこから立ち直ってきたのでした。そうした苦しく辛い経験を繰り返して、やがて生き生きとした、自由で謙虚な、愛情深く、美しい人間、クリスチャンとしての人間を形成していったのでした。

 

■神の力

 そして、そんな彼に生きて働いているものを表わしたのが、続く言葉です。

 「この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」

 並外れて偉大な力、とパウロは言います。信じる者は並外れて偉大な力によって生かされ生きているのだと言います。普通の力ではありません。並外れて偉大な力によって生きている。その力はもちろん、自分のものではありません。自分の力ではなく、神の力です。主の力なのです。

 脆く、壊れやすい土の器でしかないパウロの肉体に働いている神の力が並外れて大きいので、パウロは倒れそうで倒れません。くじけそうでくじけない、そういう驚くべき粘り強さを発揮するのです。そのことを、彼は自分のこれまで生きてきた経験としてふり返ります。8節から9節、

 「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」

 彼は四方から苦しめられても行きづまらないと言います。また途方に暮れても失望しないと言います。虐げられても見捨てられないと言います。もちろん、彼はずっと信仰を胸に、キリストを信じて生きてきました。しかし、そのおかげで万事都合よくいったというのではありません。信仰のおかげで、何の障がいや躓きもなく、やってくることができたというのではありません。彼は何度も四方から苦しめられる経験をしました。途方に暮れたことも何度もあります。絶望的ともいえる行きづまりを味わうことさえありました。

 しかしそれでも、四方から苦しめられても行きづまりはしなかったと彼は自分の体験を語ります。途方に暮れることはあったけれども、それでも失望してしまうことはなかった。パウロの信仰、その力はパウロ自身のものではなく、パウロの中に働いている神の力だからです。

 わたしたちの人生にも、前が見えなくなってしまうようなことがあります。四方がふさがって一歩も歩けなくなるようなときがあります。しかし、祈れない状況は絶対にありません。そしてわたしたちが祈れるかぎり、神に向かって声をあげることができるかぎり、そこは決して行きづまりの場所ではありません。決して終わりの場所ではないのです。

 四方がふさがっている、ふさがっているだけでなく、まわりから攻撃されてしまう、弱り果てている、倒れてしまいそうになる。逃れる道が分かりません。どこに脱出口があるのか、どこに逃れたらいいのか、自分には見えていないのです。にもかかわらず、投げ出さないで、失望しないで、倒れないでそこに立っているのは、神がそんなわたしを見ていてくださることを知っているからです。自分では先が見えない、しかし神は自分がどこにいるか知っていてくださるのです。自分は行きづまって、もう道がないように思えて、本当にここで弱り果てているけれども、神が自分のことを見出していてくださるのです。だから、わたしたちはこの場所に立っているのです。だから、わたしたちは八方ふさがりの中でも、そこで祈り、声を上げ、踏みとどまることができるのです。

 

■救いの力

 ここで、もうひとつ気づかされることがあります。7節以下でパウロが繰り返し語っていること、それは何よりも「イエスの死」です。これまで「主」とか「キリスト」という言葉でイエスさまのことを語っていたパウロが、この7節以下では集中して、「イエス」という言葉を使います。そして10節に「イエスの死」という言葉が出てきます。

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10月12日 ≪聖霊降臨節第19主日/秋の「家族」礼拝①/聖餐式≫『天国の食卓』(こども・おとな)、『取って食べなさい』(おとな) 沖村 裕史 牧師

お話し(こども・おとな) 

裏切弟子たちと共に

 昔からたくさんの人たちが、今日読んでもらった「最後の晩餐(ばんさん)」の場面を描いてきました。そして、ダ・ヴィンチやギルランダイオなど最後の晩餐を描いた画家(がか)たちの誰もが、イエスさまを裏切って、イエスさまを神殿の指導者たちに売り渡したユダを、その食卓を囲む一人として描いています。しかも、その食卓を囲む十二人の弟子たちみんなが、同じ態度でその食卓を囲んでいたわけではありません。眠りこけているように見える者、そっぽを向いている者、隣の人と話し込んでいる者……。パンとぶどう酒を差し出すイエスさまに、全員が真剣なまなざしを注いでいるわけではありません。そういう弟子たちにイエスさまは、「これはわたしの体です」「これはわたしの血です」と言いながら、パンと杯(さかずき)を差し出しておられます。

 そのときの様子がこう描かれています。

 「一同が食事をしているとき、イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。』弟子たちは非常に心を痛めて、『主よ、まさかわたしのことでは』と代わる代わる言い始めた」

 誰ひとり、「わたしは決して裏切りません」とは言えない弟子たちでした。この後、ユダだけでなく、すべての弟子が十字架の上で殺されるイエスさまを見捨てて、逃げ出してしまいました。そんな弟子たちが今、イエスさまに招かれ、イエスさまと一緒に食事にあずかっています。画家たちは、そんな弟子たちの姿を描こうとしました。しかしそれは、十二人の弟子たちだけのことではありません。わたしたちも、同じかもしれません。

考 えてみれば、イエスさまが食卓を共にしたのはいつも、当時の社会で罪人と罵(ののし)られ、のけ者にされていた、病気や障がいを抱(かか)える人、貧しい人や弱く小さな人たちでした。イエスさまの食卓は、そんな差別や抑圧からわたしたちを解放する、とても温かくて安らぎに満ちた出来事、まさに神の国そのものでした。イエスさまは、差別され、いじめられていた人と共にいてくださり、すべての人を豊かで喜びに満ちた食卓へと招いてくださるのです。

 そんなイエスさまが、自分を裏切ることになる弟子たちと共に囲んでくださったあの食卓を、今日の映画『バベットの晩餐会』が再現してくれます。

 

■分かち合いの食事

 最後の食事―十二弟子たちとイエスさまの最後の晩餐を下敷(したじ)きにしてつくられたのが、アイザック・ディネーセン原作、ガブリエル・アクセル監督のデンマーク映画『バベットの晩餐会』(1987年)です。

 その晩餐会に招かれたのは、イエスさまの弟子の数と同じく、全部で十二人でした。牧師の娘で、その父亡(な)きあとデンマークの小さな村に暮らす人々の信仰を支え導いてきた年老いたふたりの姉妹、近くの館(やかた)に住む貴族の年老いた女性とそれを訪ねてきた将軍(しょうぐん)、それに四組の貧しい村人夫婦たちです。

 晩餐会を催(もよお)したのは、かつてパリで名シェフとして知られたバベット。彼女はフランス革命を逃(のが)れ、二人の姉妹の料理人となってこの村に住みついていました。そんなある日のこと、彼女は予想もしなかった宝くじに当たります。さて賞金を何に使おうか。思案(しあん)したバベットは、そのお金で、今は亡き牧師の生誕(せいたん)百年の記念に晩餐会をしたい、と姉妹に申し出ました。

 いよいよ晩餐会当日の夕方。これまで味わったこともない、おいしい食事がバベットの手によって調理され、魔法のように次々と食卓に登場します。天国でもこれ以上においしい料理は望めない、かつてそう誉(ほ)めそやされた名シェフが作るフランス料理の数々です。それを前に舌鼓(したつづみ)を打つうちに、人々は知らず知らず幸せな気持ちになり、生きる喜びを、神様への信頼を取り戻していきます。そして互いに手を取り合い、抱き合い、赦(ゆる)し合います。それはまさに、イエスさまがなさった弟子たちとの奇跡のような晩餐でした。

 「いつどこにいてもわたしはあなたと一緒でした」

 晩餐会が終わった時、将軍は、牧師の姉妹のひとりにそう言って、こう言葉を継ぎました。「そのことをあなたもご存じですね」

 将軍は若かった頃に、美しい彼女と出会い、恋をしました。しかし、その想(おも)いは実(みの)りませんでした。彼女が父親の牧師を助けるため、村にとどまることを選んだからです。若い士官(しかん)だった彼は傷心(しょうしん)を抱いたまま異国にとどまり、彼女の面影(おもかげ)を忘れようと懸命(けんめい)に軍での務(つと)めに励みました。その甲斐(かい)あって国王のおぼえもめでたく、やがて華(はな)やかな異国の都で結婚もしたのですが、その心はいつも、あの小さな村とそこに住む彼女のもとに帰っていたのでした。

 「ええ」かつての恋人の問いかけに、彼女は微(かす)かにうなずきます。

 「これからも毎日あなたと共に生きていく。それもご存じですね」 Continue reading

10月5日 ≪聖霊降臨節第18主日礼拝/世界聖餐日≫『第二幕の始まり物語』 井ノ森高詩 役員

 使徒言行録を書いたのは「ルカによる福音書」の著者と同じ人物だと言われています。著者にとっては「ルカによる福音書」が上巻、使徒言行録が下巻という感覚だったのかもしれません。使徒言行録はイエス様が復活、昇天なさった後の使徒たちの働きを後世に伝えるもので、前半はペトロを中心とする使徒たちがエルサレムを主な舞台としてユダヤ人を対象に伝道に励む姿を描く一方、後半はパウロが外国人を対象に地中海伝道旅行を3度敢行した様子を伝えています。言行録はその名の通り使徒たちの「言葉」と「行い」の記録と言えますが、英語の聖書では Acts と呼ばれます。この単語には、この他にもお芝居の第一幕、第二幕の「幕」という意味もあります。

 さて3章の冒頭は、ペトロとヨハネが足が不自由な男性を癒す場面を取り上げていますが、この場面の直前の2章ではどんな出来事があったかというと、あの有名な聖霊降臨:ペンテコステが書かれています。使徒たちが熱心に祈っていると、舌のような炎のようなものが使徒たちに降り、彼らが突然様々な外国語を語り始めるというお話です。つい「外国語を語り始める」に注目しがちですが、大切なのは語る中身内容です。この後、ペトロは雄弁に大説教を行い、その日だけで3000人の入会者が与えられたと書かれています。イエス様が捕らえられたときに「お前もイエスの仲間だろ」と言われ、3度否定して逃げ隠れたあのペトロが大勢の前で堂々と説教を行えたのは、彼が急に成長したからではなく、聖霊が降ったからでした。そしてこの大説教の数日後が3章の冒頭の今日の場面なのです。12使徒のリーダー格のペトロはともかく、なぜ著者はここでその同行者としてヨハネを描いているのでしょうか。ヨハネは使徒の中の最年少で主イエスが一番可愛がった弟子だったと言われています。おそらく筆頭弟子と最年少弟子を並べることで、著者はこの業が使徒全体によるものだったというふうに表現したかったのかもしれません。さて、二人が午後三時に神殿に上っていく、とありますが、当時のユダヤの人々は朝9時に始まり日中数回神殿に祈りに行っていたようです。エルサレム神殿の東側に位置していたとされる「美しい門」は毎日何百人何千人もの人々が通過する場所だったわけです。そこに足の不自由な人が施しを乞うために毎日運ばれてきていたわけです。4章22節に書かれていますが、この人は40歳を越えていたのです。当時の平均寿命を考えれば、現代人に置き換えれば生まれてからずっと70年、80年毎日神殿の門のそばで朝から何時間も施しを乞うていたと推測できます。その前を、大説教をして大勢の支持者に囲まれたペトロが通るわけです。「お願いします」を連呼していたであろう彼の声がペトロの耳に届くのは物理的に大変困難だったろうと思いますが、ペトロはその助けを求める声に(あるいはその姿に)気づき、近寄って「私たちを見なさい」と声をかけるのです。「あなたが期待しているのは金銀かもしれないが、そうではなく私が持っているものならあげられるよ」と言い「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がりなさい」と命じるのです。そしてその人に手を差し伸べて、立ち上がるのを支えるのです。同じような癒しの場面を私たちは何度も福音書の中で読んできました。でも癒していたのはペトロではなくイエス様でした。そのイエス様の役割を使徒言行録の中ではペトロが演じているのです。これは急にペトロが立派になったからでしょうか。違いますね。ペトロ本人が言った通り「ナザレの人イエス・キリスト」がこの癒しの業を、ペトロたちに送った聖霊の力によって成し遂げているのです。癒された人は、「喜び踊り、神を賛美して、二人と一緒に神殿に入っていった」とあります。例えばプロ野球の新人投手がプロ初勝利をあげた試合後のインタビューで「この勝利を誰に真っ先に報告したいですか」と問われ、たいていの場合「まず両親に最初に報告します」などと答えますよね。この人も足が癒されて、「いやぁ、ありがとうございました。では失礼します。」と言って一目散に自宅に帰ることも出来たかもしれない。しかし彼は「神を賛美して、二人と一緒に神殿に入っていった」のです。つまり、信仰の道に入った、キリスト者になったということです。

 使徒言行録を示す英語 Acts にはお芝居の幕の意味があると申しました。ルカによる福音書を含む四つの福音書が第一幕だとすれば、使徒言行録は第二幕と言えるでしょう。そしてこの話には続く第三幕があるのです。それは使徒言行録の後に続く約1900年に渡る、教会の、私たちの物語です。第一幕の主人公は紛れもなくイエス・キリストです。第二幕の主人公は誰でしょうか。ぺトロかな、パウロかな。いやいや、第二幕の主人公は聖霊なる神=イエス・キリストの霊です。イエス様は何度もパウロの前に現れ「あっちに行きなさい」とか「ここにもう少し留まりなさい」とか指示を与えています。では第三幕の主人公は?これもやはり聖霊なる神=イエス・キリストの霊です。

 第三幕の具体的な「場」を二つ紹介します。私が滞米中にお世話になったホストファーザーのJさん。高校卒業後すぐにベトナム戦争に従軍したJさんは、帰還後工場で働くのですが、ほどなく業績不振で工場が閉鎖され失業することになったそうです。工場閉鎖まで約一か月間通勤バスの中の会話は不安や不満を語る声ばかりだったのですが、Jさんはある同僚一人だけが解雇されるとわかっているのに毎日元気に朗らかに同僚たちに話しかけ元気づけているのに気が付きます。そしてある日勇気を出して話しかけたそうです。「あなたは、私が持っていないもの、しかも私に今一番必要なものをお持ちなようだ。どうぞその何かを私に分け与えてください。」それがJさんの教会生活の始まりでした。その後Jさんは大学で学び直してエンジニアになり、教会の信徒リーダーとなったのです。もう一人はこの教会の教会員だったNさんです。2001年の3月に84歳で天に召されました。亡くなる3か月前の2000年のクリスマス礼拝に病院から一時外出許可をもらったNさんが出席して、私たちは久しぶりに再会することができました。驚いたことにNさんと一緒に病院の医師や看護師の方がたが、一人二人ではなく、十名近く礼拝に参加されました。おそらくNさんはペトロのように病室で「私を見なさい。私には金銀はないが、持っているものをあなたにあげますよ」と病を得ながらもイエス・キリストの福音を伝えていたのだと思います。

 私たちも聖霊の助けを得て「私たちを見なさい」という信仰生活を、私たちの第三幕を、それぞれの生活の場で力強く生きていきたいものです。

9月28日 ≪聖霊降臨節第17主日/教会創立記念「家族」礼拝≫『イエスさまは黒人?!』(こども・おとな)、『退いたところから始まった』(おとな) 沖村 裕史 牧師

 

お話し 「イエスさまは黒人?!」

■イエスさまの姿形(すがたかたち)

 みなさんは、イエスさまって、どんな姿形をした人だったと思いますか。

 ユダヤ教では、母親がユダヤ人であれば、ユダヤ人だとみなされましたから、母マリアの子どもであるイエスさまも、ユダヤ人だったということになります。

 じゃ、ユダヤ人って、どんな人たちだったのでしょうか。ここで少しだけ、ユダヤ人の歴史を振り返ってみましょう。

 先祖はアブラハムという人でした。彼は、今のイラク・シリア・トルコを流れるティグリス・ユーユラテス川の河口付近にあったウルという町に生まれ、そこを出発して、アラビア半島を北に大きく回わるようにして上流のハランを通って、地中海側のカナン地方、今のパレスチナにやって来て、そこで暮らすようになります。

 その後、飢饉(ききん)に苦しめられたユダヤ人はシナイ半島の北側を横切るようにしてエジプトに難(なん)を逃れ、そこで奴隷になります。長い間、奴隷として苦しめられていたそのユダヤ人を、モーセという人がエジプトから解放、導き出し、シナイ半島の南側を回って、再び、約束の地カナンへと戻ってきます。

 帰ってきたユダヤ人は十二の部族(ぶぞく)に分かれてカナンに定住し、ダビデ王・ソロモン王の時代にはエルサレムに神殿が築かれ、栄華(えいが)を誇ることになります。今日の聖書に「ゼブルンとナフタリの地方」とあるのは、ガリラヤ一帯を指す古い呼び方で、十二の部族名を示しています。ゼブルン族はガリラヤ西側の地域に、ナフタリ族は湖西岸から北部山岳地帯に暮らしました。以来、ヘブライ人は地名を使わず、その地に暮らす部族名で呼ぶようになりました。「ユダの地ベツレヘム」という言い方も同じです。

 しかしそれも束の間(つかのま)、周辺の大国に何度も侵略され、ティグリス・ユーフラテスの中流域、バビロンにまで連れ去られるという苦しみを受けることもありました。そうしてイエスさまの時代にも、ユダヤはローマという巨大帝国に支配されていました。

 ユダヤ人は、そんな中近東(ちゅうきんとう)と呼ばれる地域に暮らす人々でした。そのことからイエスさまの姿を推測(すいそく)してみると、こんな感じになりそうです。身長は当時のユダヤ人男性の平均、155センチから165センチほどで、髪や肌は中近東に暮らす人々と同じように、浅黒い肌、黒い髪、茶色の瞳だったでしょう。服装は質素な亜麻布(あまぬの)や羊の毛の衣を身に着け、足には革のサンダルを履いていたでしょう。また、ユダヤ人の多くの男性のように髭(ひげ)をたくわえていたに違いありません。

 

■イエスさまの肌は何色?

 ところが、わたしたちは知らず知らずのうちに、西洋絵画に見るような、金髪と青い目を持った白人のイエスさまを思い浮かべてはいないでしょうか。実際、ハリウッドで作られたイエスさまの映画の多くも、金髪に目もさめるようなブルーの瞳を持ったキリストで、ロック調のオペラ・ミュージカル映画『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973年)もそうでした。

 そんな思い込みに疑問をぶつけたのが、『マルコムX』(1992年、監督:スパイク・リー)に登場したマルコムです。刑務所での聖書研究会の時のこと、刑務所付きの牧師が聖書の講義をしている途中で、マルコムは手を上げてこう質問します。

 「キリストは黒人ですよね」

 「何を言っているんだね、キリストは白人だよ。肖像画(しょうぞうが)を見てみたまえ」

 牧師はそう言って、壁にかかったイエスさまの絵を指さします。

 「それは白人が勝手に描いたもので、キリストはヘブライ人。とすれば、キリストは黒人であったと言えるのでは」

 うろたえた牧師は、それはしっかりした証拠がないのだから何とも言えない、と議論を切り上げようとしますが、マルコムはこう畳(たた)みかけます。

 「ということは、キリストが白人だったという根拠もないわけだ」 Continue reading

9月21日 ≪聖霊降臨節第16主日礼拝≫『落胆しない』 コリントの信徒への手紙二 4章 1~ 6節 沖村 裕史 牧師

 

■憐れみゆえに落胆しません

 パウロは冒頭1節にこう書き記します。

 「こういうわけで、わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのです」

 パウロは、どんな憐れみを受けているのでしょうか。「憐れみを受ける」というと、不幸な境遇にいる人が誰かから憐れみを恵んでもらっていることと思われるかもしれません。しかしパウロがここで言っていることは、そういうことではありません。ここでパウロは、かつて自分が教会を迫害していたという事実について、憐れみを受けたと言っています。テモテへの第一の手紙1章13節にこうあります。

 「以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました」

 パウロはイエス・キリストを信じる前は、教会を迫害する者でした。パウロが荒くれ者だった、というのではありません。むしろパウロは、イエスさまを救い主キリストと信じる前の自分について、「律法の義については非の打ちどころのない者」だったとさえ言っています。回心前のパウロは律法に忠実で、品行方正なユダヤ教徒でした。彼はキリスト教のことを、ユダヤ教の危険な異端だと見ていました。異端を斥けることは良いことだと信じ、多くのクリスチャンを捕らえ、拷問し、処刑しました。

 その事実について、パウロは、憐れみを受けた、罪が赦された、と言うのです。キリストの教会を迫害した者がキリストを宣べ伝える者になるという、普通ではあり得ないようなことが起きました。そのことをパウロは、ただ一方的に、何の値もなしに与えられた神の憐れみ、愛の神による赦しと呼ぶのです。

 そしてその憐みのゆえに、パウロは「落胆しません」と言います。

 「落胆しません」。いい言葉だ、うらやましいと思う人もおられるのではないでしょうか。なぜなら、わたしたちの人生が―神を信じていようが信じていまいが―落胆との戦いという面があるからです。

 子どものころから、たくさんのがっかりする体験をしてきました。友だちと遊んでいても、かくれんぼやメンコで負ければがっかりするし、がっかりして泣いてしまうこともありました。学校に行くようになると、運動でも勉強でも喜んだりがっかりしたりします。大人になればなったらで、例えば学校の先生にでもなれば、自分の生徒に大きな期待をかけ過ぎて、その分がっかりしたりします。親になれば、子どもに期待をかけて同じような思いをすることもあるでしょう。仕事に失敗して、がっかりした経験をされた方もあるでしょう。家族であれ、職場であれ、友人であれ、周りにいる人との付き合いにつまずいて、心底、がっくりくることもあるでしょう。がっかりした経験のない人というのは、ひとりもいません。誰もが体験することですがしかし、がっかりしたそのときに、そこからどのように立ち上がるかで、人の生き方がずいぶん違ってくるということに気づかされるようにもなります。

 パウロが「落胆しません」と言うときも、それは、自分は落胆した体験などないということではありません。パウロもがっかりする、落胆するような目にあっていました。

 では、何に対して落胆しませんと言っているのか。一つには、パウロが受けている苦難に対してです。そしてもう一つは、人々がパウロの福音に耳を貸そうとしないことに対してです。そのことに落胆しないと言います。

 パウロの宣教は基本的には、実り多いものだったと言えるでしょう。パウロは、フィリピやテサロニケ、コリントやエフェソなど、地中海世界の大都市に次々と教会を起ち上げ、新しい信徒を得ています。これは素晴らしい成功だと言えますが、それ以上に実は、多くの人々からの拒絶も経験しています。パウロの語ることをあざ笑ったり、あるいは、しばらくは耳を傾けてもやがては去って行ってしまった人もたくさんいました。しかしパウロは、その中でも福音伝道者として落胆しなかった、勇気を失わなかった、と言うのです。

 パウロは、自分がまっすぐに福音を伝えたことを強調するために、悪い模範、反面教師のことを列挙します。2節、

 「卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにする」

 おそらくパウロはここで、自分のことを悪く言うライバルの宣教師たちのことを念頭に置いています。前にも言いましたが、パウロは献金を横領している、といった中傷を受けていました。パウロという人は、とても強い人であったとは思いますが、自分に対する批判には人一倍傷つきやすい、そういう繊細さを持った人だったとも思います。パウロはたまに過剰と言えるほどに自分を弁護するようなところがありますが、それは繊細さの裏返しであったようにも思われます。パウロは自分の良心においても、行いにおいても、後ろ指さされるようなやましいことは何もない、自分は誠実にまっすぐに神の福音を伝えているのだ、とここでも改めて強調しています。

 

■空気という覆い

 しかし、そんなパウロの誠実で必死の呼びかけにもかかわらず、なぜ多くの人たちは福音に耳を傾けようとはしないのでしょうか。それは、パウロの語る福音に覆いが掛かっている、より正確には、覆いが掛けられてしまっているからだ、とパウロは言います。3節から4節、

 「わたしたちの福音に覆いが掛かっているとするなら、それは、滅びの道をたどる人々に対して覆われているのです。この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです」

 では、だれが覆いを掛けているのか。パウロは「この世の神が」と言います。これを直訳すると、「この時代の神」ということになります。この時代の神とは、もちろん唯一の神、創造主なる神のことではありません。むしろ、神に敵対する霊的な勢力の頭、サタンとか悪魔と呼ばれる存在のことでしょう。サタンというのがどうもイメージしづらいという方は、「時代の空気」「この時代の精神」というふうに捉えてもよいかも知れません。 Continue reading

9月7日 ≪聖霊降臨節第14主日礼拝≫『向きを変えて』 コリントの信徒への手紙二 3章 12~18節 沖村 裕史 牧師

■栄光を映し出す姿に造りかえられる

 18節に、とても印象深い言葉が記されています。

 「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます」

 まず「栄光」という文字に目が留まります。ふと思い出すのは、寒空の満月です。凛とした美しさをもっています。暗闇の中で光を放つ孤高さが心を引きつけるのでしょうか。人も光り輝くときが最も美しいときです。

 わたしたちは、どうすれば人から注目されるのか、光り輝くその方法をいつも探し続けています。しかし、イエスさまが教えられる方法はちょっと変わっています。宴会に招待されたら、末席に向かえと言われます。末席に座れば、招いた人が来て上席に案内し、みなの前で「面目」を施すことになるからです。自分から光を誇示しようとすれば、恥に終わりかねません。そこで、人からの「誉れ」を求めようとしないパウロもまた、テサロニケの信徒の信仰こそが彼の「誉れ」だ、と言います(1テサ2:6)。

 この「面目」や「誉れ」と訳されたギリシア語が「栄光」です。イエスさまはカナで、水をぶどう洒に変え、その「栄光」を現されました。その栄光は、御子としての「栄光」であり、父が与えられる「栄光」です。イエスさまは暗闇に輝く光そのものでした。

 そのイエスさまが、「わたしが自分自身に栄光を与えているなら、わたしの栄光はむなしい」(ヨハネ8:54b)と言われたのは、朽ちない栄光を与えることのできるものは、神のほかにないからです。寒空の満月もまた、自分では光を放たず、太陽の光を反射させるだけです。そんな「栄光」を映し出す「主と同じ姿に造りかえられていきます」と、パウロは言います。

 次に心惹かれるのは「造りかえられる」という言葉です。この言葉のギリシア語から、わたしたちがときどき耳にする言葉が生まれました。「メタモルフォーゼ」という言葉です。耳慣れない言葉かもしれませんが、国語辞典を調べてみると、ほとんどの辞典に出てきます。生物学の領域でも用いられますし、音楽の用語にもなります。「メタモルフォーゼ」という言葉を日常語として使うときには、変容、変形といった「変化」を意味します。それもずいぶん激しい変化で、もとの姿が見えないくらい変わってしまう、もとの顔が分からなくなるくらい変わってしまうことを意味します。音楽にしても、最初の音型がどんどん変化し、最初の音型が思い浮かばないほどに変わっていくときに、この「メタモルフォーゼ」という言葉が用いられます。

 それほどまでの変化が、だれに起こっているか。パウロは、それがわたしたちに、自分に起こっていると言います。それも「造りかえられていく」。「造りかえられた」というのでもなければ、将来「造りかえられるかもしれない」というのでもありません。わたしが味わっている体験は、これはもう理屈ではなく、今もここで、自分が激しく変わっていっていると言う外ないものだ、そう言うのです。

 どう変わっていくのか、「主と同じ姿に」です。この「主」とはもちろん、主イエス・キリストのことです。考えてみてください。パウロは全身全霊をもって主のことを、主の福音を宣べ伝えました。しかしコリントの教会の人々はなかなか自分のことを受け入れてくれません。なんとか理解してもらおうと、いくつもの手紙を書き続けました。そんな労苦の中でパウロ自身が味わっていたのは、今も自分が変わっていっているということでした。どういうふうに変わっていっているのか、主と同じ姿に変わっていく、イエス・キリストに似てくると言います。

 それはいったいどのような変化なのか。そのことが今朝の箇所に語られています。

 

■自由に、大胆に、確信に満ちあふれて

 冒頭12節、パウロの言葉に益々力が入ります。

 「このような希望を抱いているので、わたしたちは確信に満ちあふれてふるまって」いる。

 ここにある「確信」という言葉は、新約聖書の中に頻繁に用いられる言葉です。ただ、場面場面で、ずいぶん違った訳語が当てはめられます。「公然と」という訳もありますし、「大胆に」と訳される場合もあります。

 この言葉を使っていたギリシア人は、民主社会に生きていました。ただ古代の民主社会と現代の社会とは同じではありません。古代には奴隷がいました。奴隷に発言権はありません。奴隷ではない、自由人だけが民主社会の構成員でした。その自由とは何か。自分の意見を自由に言うことができる、自由に選挙をすることができる、自由に立候補をすることができる、ということです。

 そんな、自分の意見を自由に言うことができるということ、何でも言うことができるということが、この言葉のもともとの意味です。恐れず、大胆に発言することができるということです。そのことから「大胆に」という訳語になりました。また、自分がものを言うときにあやふやなことを言っていては人を説得することはできません。自由に発言すると言っても、確信をもったものでなければなりません。そういうことから「確信」という意味を持つようにもなりました。さらには、そうした発言は、自分の家や部屋だけでこそこそと言っていても意味がありません。公然と公の世界で語るべき言葉ということから、「公然と」とか「公に」という翻訳も出てくるようになりました。

 翻訳をする人は、そんないろいろな意味の中から、ひとつを選ばなければならなりません。ここでは、伝道者としての確信が強調されていると理解し、新共同訳は「確信に満ちあふれてふるまっており」と訳しました。良い訳ですが、これは本来、今、言ったような豊かな意味合いを持つ言葉です。わたしたちは確信に満ちて、自由な思いに満ちて、大胆さに溢れて、語るべきことを語っている、そういうニュアンスを持つ言葉です。

 パウロは、わたしたちは主の福音をありのままに、自由に、大胆に、確信をもって宣べ伝えるのだ、と言っているのです。この自由さ、大胆さ、確信を手に入れたということに、さきほどのパウロの変容、変化がはっきりと示されています。

 ではパウロは、どんな姿から、自由で、大胆で、確信に満ちたものへと変えられたのか。変わる前の自分の姿を、パウロはどう見ていたのでしょうか。

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8月31日 ≪聖霊降臨節第131主日礼拝≫『栄光に包まれて』 コリントの信徒への手紙二 3章 4~11節 沖村 裕史 牧師

 

■わたしの資格

 まず5節です。

 「もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです」

 ここでパウロは、少し前の2章16節の言葉を念頭に置いています。

 「このような務めにだれがふさわしいでしょうか」

 パウロは、キリストの福音を伝える務め、キリストの香りを運ぶ務め、その務めにふさわしいのは、だれか。それはわたしたちだ、と言います。

 では、パウロがそのような務めを担う資格はだれから、どこから与えられたのか。パウロは、その資格は自分のものではない、と言います。自分の能力や実績、ユダヤ人という血筋やローマ市民であるといった身分ゆえに、自分がこの務めにふさわしいのではない。では、その資格はどこから来るのか。それは神から、その資格はただ神から与えられたものだ、と言います。

 もちろんパウロには、伝道者にふさわしい、卓越した聖書や信仰に関する知識や能力、また過去の伝道実績もあります。わたしたちが人を評価する時、どうしてもそうした権威や知識、能力や実績といったものをチェックします。もちろん、そうしたことなど全く不用だ、無意味だというのではありません。しかし一番大切なことは、神が御子キリストを通してパウロを召し、用いておられる、という事実そのものにあります。

 では、なぜパウロは自分が神に用いられている、と言えるのか。その証拠は、彼の中に働く「聖霊」です。6節以降に、霊、聖霊という言葉が何度も出てきます。霊こそ、今日の箇所の中心テーマです。神の霊こそが、パウロに伝道の務めにふさわしい資格を与えているのです。そしてその霊は、わたしたちすべての者にも等しく与えられています。

 

■聖霊の働き

 聖霊、霊なる神は、父なる神や御子キリストと比べると分かりにくいかもしれません。キリスト教の中には、聖霊の働きを非常に重視するグループがあります。そういうグループでは、礼拝に参加している人が「霊に満たされて」、突然意味の分からない、理解することのできない言葉―「異言」を語り出すといったことがあります。わたしたちにはそういう経験がほとんどないので、聖霊がわたしたちの中に働くというのがどういうことなのか、具体的にイメージしづらいかもしれません。

 しかし、たとえ目立った働きをわたしたちが見ることができないとしても、聖霊は今ここにいるすべての人の中に働いています。わたしたちが今朝起きて、今日は礼拝に行こうと思ったのも、何よりもキリストの信仰に生きたい、洗礼を受けたいと願ったのも、それは確かにわたしたちの意志ではありますが、と同時に、その背後には霊なる神が、聖霊がいつも働いている、そう思わざるを得ません。

 列王記上19章11節以下に「主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた」とあります。この「静かにささやく声」を直訳すれば、「小さな沈黙の声」となります。どこにおられるのか、と心の中でそう問いかける預言者エリヤに、神はかすかな「沈黙」のささやきをもって臨まれたのでした。人の期待がすべて外れる。もはや希望の欠片(かけら)もない。しかし、人が絶望した「その後」に、神は「沈黙」の中で初めてわたしたちに触れてくださるのです。

 談話室に置いている月刊誌『本のひろば』8月号に、山本賢藏著『静寂者ジャンヌ:生き延びるための瞑想』の書評が掲載されています。京都大学名誉教授の西平 直による大変興味深いその一文をご紹介させていただきます。

 「17世紀フランスの知らない女性、ジャンヌ・ギュイヨン夫人。…

 ジャンヌは知的な家庭で育った。聡明な少女が16歳で結婚させられる。夫は完全な「マザコン」。自信がなく、いつも不機嫌で、癇癪(かんしゃく)持ち。母親は底意地の悪い人だったというから、その結婚生活は「奴隷のようだった」。

 彼女は隠れ家(内なる砦)を求めた。祈ること。しかし神を実感できない。その悩みの中で「外側に求めるな」と教えられた。神を実感できないのは、神を外側に探すからだ。神を探すなら内側に求めよ。こころの中に帰れ。

 この「こころ」について、山本氏は、日本語の「肚」を当てると分かりやすいと言う。「頭で神をわかろうとしてはならない。…「肚」で神を直観するのだ。言葉のすっかり落ちた、すなわち言語作用がすっかり麻痺した非活性化した根源的な〈沈黙〉の内に、生身で〈ことば〉を直感する。それが〈沈黙の祈り〉だ」。 Continue reading

8月17日 ≪聖霊降臨節第11主日/平和「家族」礼拝②≫『彼は神の子だった』(こども)、『神の子どもとして』(おとな) ヨハネの手紙一 5章 1~5節 沖村 裕史 牧師

お話し 「彼は神の子だった」(こども・おとな)

■神の子

 最後5節に、こんな言葉が出てきます。

 「だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」

 イエスさまを「神の子」と呼んでいます。この「神の子」、二節にある「神の子供たち」とは、どうも違っているようです。「神の子供たち」とは、イエスさまをメシア・キリスト、つまり救い主と信じる人たちのことでしたが、5節では、そのイエスさまのことを、わたしたちを救うためにお父さんである神様がこの世界に遣わしてくださった「神の独り子(ひとりご)」「神の子」と呼んでいます。マルコによる福音書の1章1節にも「神の子イエス・キリストの福音(ふくいん)の初め」とあります。それは「神の子であり、救い主キリストでもあるイエスさまが教えてくださった福音―喜びの知らせ―の始まり、始まりー!」という意味でした。

 

■百人隊長

 そんな「神の子」という言葉を口にした人が、聖書には何人も出てきます。そのひとりに、イエスさまに付き従った最後の最後、イエスさまが十字架で亡(な)くなるその様子をじっと見つめていた人がいます。ローマの百人隊長です。

 「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当に、この人は神の子だった』と言った」(マルコ15:39)

 イエスさまが何かを大声で叫んで息をひきとると、その瞬間、遠く離れたエルサレム神殿の垂れ幕(たれまく)が上から下まで真っ二つに裂けました。いえ、それだけではありません。地震が起こったり、大きな岩が崩(くず)れたり、と天地が震(ふる)えました。そんな様子に驚き、イエスさまの処刑を最後まで見ていた百人隊長は、「本当に、この人は神の子だった」と告白します。

 「百人隊長」というのは、その名の通り、百人の兵士たちを引き連れて、最前線で戦うリーダー、指揮官(しきかん)のことです。その多くは平(ひら)の兵士たちの中から選び抜かれた人で、エリートの指揮官の派手(はで)さはありませんが、頼りになる人たちでした。あるギリシアの歴史家はそんな百人隊長たちのことを、「着実(ちゃくじつ)に行動し、信頼できる」「厳しい攻撃にあっても一歩もひかず、持ち場で死ぬ覚悟(かくご)がある」人とほめたたえています。新約聖書にも六人の百人隊長が登場しますが、どの人も素朴(そぼく)で実直(じっちょく)、イエスさまも部下の病を治してくれるようにと熱心に頼む百人隊長の、その信仰を絶賛(ぜっさん)しています(ルカ7:9-10)。

 さて、イエスさまの処刑場にいたその百人隊長は、どうやらイエスさまをピラトの前での裁判からずっと見守っていたようです。イエスさまがさまざまな奇跡(きせき)を行って人々の病を治した噂(うわさ)も聞き、また捕らえられた後、荊(いばら)の冠(かんむり)をかぶせられて侮辱(ぶじょく)されたことまで、つぶさに見ていました。彼は裁判所の門を通り、岩だらけの処刑場の丘まで続く、ヴィア・ドロローサ〔悲しみの道〕と呼ばれるその道中、イエスさまを警護(けいご)しながら一緒に歩きました。そして十字架にかけられたイエスさまが語られた、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という苦しみの言葉、また「成(な)し遂(と)げられた」(ヨハネ19:30)という最後の言葉まで、そのすべてを見聞きしていました。

 百人隊長は、イエスさまが言われた最後の言葉が何を意味するのか、ほとんどわかっていなかったかもしれません。ここでいったい何が起こっているのか、自分が何のためにここにいるのか、何も理解していなかったに違いありません。けれども、この実直な百人隊長は、死にいたるまでのイエスさまの言葉とふるまいのすべてを振り返り、最後に心からの畏(おそ)れをもって、「本当に、この人は神の子だった」と言ったのでした。

 

■『グリーンマイル』―神様の愛と救いの物語

 この百人隊長と同じ言葉を口にしたのが、今日、これから見ていただく映画『グリーンマイル』の主人公ポールです。

 今から90年前の1935年、ポール(トム・ハンクス)は、ジョージア州のコールド・マウンテン刑務所で、囚人たちを監視するリーダー、看守長(かんしゅちょう)を務めていました。彼が受け持ったのは死刑囚たち。看守長の仕事のひとつは、グリーンマイルと名づけられた緑色の廊下を、囚人に付き添って一緒に処刑場まで歩くことでした。そして、彼らをできるだけ心安らかに電気椅子に座らせることでした。

 そんな彼のもとに、ある日、ジョン・コーフィ(マイケル・クラーク・ダンカン)という黒人の死刑囚が送られてきます。大きな体をしているのに、よく目に涙をためるこの囚人は、双子(ふたご)の少女を惨殺(ざんさつ)した罪で死刑を宣告されていました。ところがこのジョン、そこでさまざまな奇跡を起こします。まずポールの尿道炎(にょうどうえん)という病気をあっという間に治してしまいます。痛さで廊下にへたり込んだポールに、鉄格子(てつごうし)越しにジョンが手を当てると、なんと激痛が嘘のように消えてしまったのです。それから鼠(ねずみ)のミスター・シングルスがいじわるな看守に踏み潰(つぶ)された時も、それをよみがえらせます。びっくりしたのはポールで、こんな奇跡が起こせるような、何よりも気のやさしい男が人殺しをするはずなどない、そう思い始めます。その確信は、ジョンが刑務局長(けいむきょくちょう)の妻を治してしまうのを目撃するにいたって、より深いものへと変わります。彼女は脳腫瘍(のうしゅよう)というガンをわずらい、もう手術することもできず、ただ死を待つばかりでした。ところがそこでも、ジョンは奇跡を起こし、ガンを消し去ってしまったのです。

 ポールの目に、ジョンの無罪は明らかです。犯人が他にいたこともわかりました。しかしそれがわかったからといって、看守長の彼にはどうすることもできません。今のポールにできる精一杯のことは、ジョンと一緒にグリーンマイルを歩むことだけでした。いよいよ処刑の時、ジョンは電気椅子にくくりつけられ、そのスイッチが入れられました。すると、どうしたことでしょう。突然電気がショートし、火花が飛び散り、処刑場は一瞬にして暗闇になります。イエスさまが処刑された時「全地は暗くなり」「太陽は光を失っていた」(ルカ23:44-45)とある、その時のようです。それを見たポールは、ジョンが行った奇跡の数々を思い出し、「神の子のようだ」と最後に短くつぶやくのでした。

 ここで、その最後の場面をご覧ください。

 さて、どうでしたか。『グリーンマイル』は、イエスさまと彼の処刑に立ち会った百人隊長とを現代に移しかえた作品です。題名のグリーンマイルは、処刑場に通じる廊下のことですが、イエスさまが歩んだゴルゴタの処刑場に通じる「悲しみの道」そのものです。多くのアメリカ映画に出てくる乱暴な看守のイメージと違って、トム・ハンクスが演じる看守長が真面目そのものなのも、聖書の百人隊長の実直な姿と重なります。そして何よりも、ジョン・コーフィはイエス・キリストそのものです。ジョンは、本当は何の罪も犯したことのない、身代わりの犠牲者でした。逮捕前の経歴(けいれき)がいくら調べてもないことから、「奴は空からでも降ってきたらしい」という台詞(せりふ)も、いかにも彼がイエスさまであることを匂(にお)わせます。きわめつけはジョン・コーフィの名前です。『ターミネーター2』のジョン・コナーと同じく、そのイニシャルがJ・C、Jesus Christ―イエス・キリストを示しています。

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8月10日 ≪聖霊降臨節第10主日礼拝/聖餐式≫『キリストの手紙』コリントの信徒への手紙二 3章 1~3節 沖村 裕史 牧師

 

■推薦状

 1節、

 「わたしたちは、またもや自分たちを推薦し始めているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたへの推薦状、あるいはあなたがたからの推薦状が、わたしたちに必要なのでしょうか」

 なぜ、パウロは突然、推薦状の話を始めたのでしょうか。

 ここでもう一度、コリント教会の状況について振り返ってみましょう。コリント教会は、パウロの1年半に及ぶ開拓伝道によって立ち上げられた教会です。教会が立ち上がった後、パウロは他の場所へと移動して精力的に開拓伝道に励むことになるのですが、パウロが去ったその後、コリントに別の宣教師たちがやってきました。すぐ後にやって来たのはアポロでした。そのアポロがコリントを去ると今度は、エルサレム教会と関係の深い宣教師たちがやって来ました。当時のエルサレム教会は、十二使徒のペトロやヨハネ、主の兄弟ヤコブによって率いられる、いわばキリスト教の総本山です。彼らは、自分たちがエルサレム教会から派遣された、正統な権威と地位にある宣教師だと自負していましたし、そう吹聴していたのでしょう。彼らは、エルサレム教会と関係の薄いパウロのことを見下していたのかもしれません。コリント教会の人々から、この教会の創立者はパウロだと聞かされた彼らは「パウロとはどんな人物か。彼は然るべき人物か。十二使徒の誰かから推薦状をもらった上で、コリントに来たのか」と尋ねたのでしょう。

 コリント教会の人たちはパウロからはそんなものを受け取っていませんでしたので、今からでもパウロのための推薦状をもらっておいた方がいいのではないか、そういう話になったようです。その話がパウロにも伝わり、それを受けてパウロは、今日の箇所を書いています。

 

■あなたがた自身

 「わたしたちは、またもや自分たちを推薦し始めているのでしょうか」の「またもや」とは何のことでしょうか。おそらく、パウロが直前2章16節で「このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう」と語り、その後に、わたしたちこそそのような務めにふさわしい、と続けていることでしょう。ここだけを読めば、パウロが自分で自分を推薦しているかのようにも聞こえます。しかしパウロは、わたしにはそんなつもりはないと改めて断った上で、思いがけないことを語り出します。

 自分で自分を推薦しないのであれば、ではパウロは他の人たち、例えばエルサレム教会の誰かから推薦状をもらう必要があるのでしょうか。あるいはパウロが他の都市で開拓伝道する時に、コリント教会の人たちから「パウロはコリントで立派に伝道しました」といったことが書かれた推薦状をもらう必要があるのでしょうか。いえ、そんな必要はありません、とパウロは推薦状の必要性を否定します。なぜか。パウロはその答えを2節にこう記します。

 「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています」

 「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です」。心に深く染み入るような言葉です。その意味を説明するようにパウロの言葉が続きます。

 「それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています」

 「わたしたちの心に書かれている」とは、どういう意味でしょうか。この「書かれている」という言葉を直訳すると「刻み込まれている」となります。コリント教会の人たちのことが、パウロたちの心に刻み込まれている、それがこの言葉の字義通りの意味です。

 どういう意味なのか、はてなマークが浮かんできそうですが、「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です」と同様、これももちろん、比喩表現、メタファーです。文字通りに、パウロの心にコリント教会の人々の名前が刻み込まれている、ということではありません。この「わたしたちの心」とは、「パウロとその同労者たちの働き」のことを指す比喩だと言ってよいでしょう。

 パウロたちの働きがどんなものだったか。それを最も雄弁に示すのは、他でもない、コリント教会の人たち自身なのです。彼らがどんなクリスチャンであるのか、その存在、その姿によって、パウロたちの働きが目に見えるものとなり、その内容が明らかになるのだということです。パウロたちの働きの「実」であるコリント教会は今すでに、すべての人に知られ、見られているのです。

 とすれば、続く3節の「あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています」という言葉もまた、キリストご自身がパウロのために推薦状を書いてくださるのですが、その推薦状の中身が「あなたがた」、コリント教会そのものだということです。ですから、使徒であり、福音宣教者であるパウロへの信頼、信用は、ひとえにコリント教会、「キリストの手紙であるあなたがた」にかかっているのです。

 

■キリストが

 そんなコリントの教会の姿を思い浮かべつつ、パウロは彼らに「キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙」と呼びかけます。

 「わたしたちが」福音の言葉を刻んだのではありません。イエス・キリストがわたしたちを用いてくださった。「わたしたちを筆記具として」、「わたしたちを書記としてお書きになった」と言います。その表現に倣えば、イエス・キリストが口述をしておられるご自分の言葉を、パウロたちによってコリントの教会の人々の心に書き記してくださったのだ、そう読むことができます。

 つまり、「わたしたち」パウロたちの確かさは、キリストの確かさゆえです。そしてそれは、「あなたがた」コリント教会の人たちに真実のキリストに向かう信仰を呼び起こしてくださった、キリストご自身の働き、キリストの愛ゆえなのです。 Continue reading

8月3日 ≪聖霊降臨節第9主日/平和聖日/平和「家族」礼拝①≫『喜びと希望に満たされて』ローマの信徒への手紙15章 7~13節 沖村 裕史 牧師

メッセージ

■もう、せんさうは せずに

 平和聖日の今日、最初に、80年前の8月6日、ヒロシマにいた岸本光弘君という小学生が書き残してくれた「地の鹽(しお)にかわるもの」と題された手記をご紹介させていただきます。

 

 昭和二十年八月六日、朝、ぼくは いつものように 学校へいつた。まだ授業が始まるのに間があつたので、うんどうぢようで あそんでいると、とつぜん、ピカツと光つて、あたりが見えなくなつて、からだが 火の中に はいつたように あつくなつた。ぼくはびつくりして、むいしきに 走つた。校門のところへきたとき 急に ぐわらぐわら といふ音が 聞えたかと思うと、学校のこわれた はへんが、おかまいなしに とんできた。そのとき、学校にとまつていた へいたいさんが、「ぼうや、ふせつ!」といつたので、ぼくはそのまま、ぢべたへ はらばいに ふせた。少したつて、やつと頭をあげて見ると、あたりは もうもうと さじんがあがつて、夜のように まつくらだつた。それでも、ぼくは、たちあがつて はしつた。門の外へ出ると、少し さじんがおさまつて、ぼんやりながら その時の光景を見ることができた。今の今まで、がつしりと たつていた学校は、屋根がゆがみ、戸はたおれ、かべははげ、様子はすつかり かわつていた。それだけではない。泣き叫ぶ声、助けを呼ぶ声、それはちようど、じごくの えまきもの のようだつた。ぼくも なきながら、むちゆうで走った。学校をやつと とほざかつたころ、もう一ぺん たちどまつて 学校をみた。そして、いっしよに あそんでいた ともだちのことなぞを Continue reading

7月20日 ≪聖霊降臨節第7主日/地区講壇交換礼拝≫『不完全な祈り』テモテへの手紙一 2章 1~8節 池上 信也 教師(犀川教会)

 

 第一テモテ、第二テモテ、テトスの三書は牧会書簡と呼ばれる。全体的に牧会上の注意や勧めが記されているところからそのように呼ばれるのであるが、うち二通はテモテ宛、一通はテトス宛であり、この二人は共にパウロの同労者であった。本書の受取人であるテモテは、現在のトルコ出身と考えられている。この手紙はパウロの手紙の中でも最後期に書かれたものであり、当時パウロは、キリストの教えに対する抵抗が大きい世俗にあって逮捕され、獄中にいる。そこから彼は信頼できる同労者に、具体的諸問題について手紙を書き送ったのである。

 

 本書一章は挨拶、警告、感謝と続き、いよいよ二章から本題に入る。ここでパウロが最初に取り上げるのが祈りの問題である。ここには教会がどのように祈るべきかについて幾つかの示唆が書かれている。

 一節「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」。自分の知人や友人のためだけでなく「すべての人々」のために祈るというのは大変裾野が広い。本当に世界中の何十億人のために祈るとなれば、どんなに早口で祈っても千年以上かかるというつまらない計算結果があるが、パウロは別にそんなことを言っているのではない。自分だけの小さな世界で祈りを完結させてはいけない、と言っているのだ。

 マタイ五・四四でイエスは「自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われた。自分の好む者、また自分を好む者だけで世界を完結させるなという教えは、パウロにおいても同様である。続く二節で「王たちやすべての高官のためにもささげなさい」と言うのは、王や高官が偉いからといった価値観からの言葉ではない。王や高官たちが民衆をどのように悪し様に扱うのかを承知の上で、その連中のために祈るというのは、イエスが「自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われた姿勢と重なるのである。

 こうした祈りの姿勢というのは、祈りによる自己欺瞞や現実逃避を斥け、祈りによって自分の進むべき道や為すべき事が明確にされるという事につながる。だから八節「だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです」。念のために確認するが、では女は祈らなくても良いのか。いや、女は祈ってはいけないのか。

 

 祈りについての示唆に富む教えを語るパウロの頭の中に見えているのは、おそらく男性信徒の姿だけなのだ。ここにこの時代の現実を生きるパウロの限界が垣間見える。パウロは女性を視野の外に置いている。いや、そればかりではない。今日は八節でテキストを区切ったが、それは九節以下がとても朗読する気になれないからだ。読みたい人は各自で読んでいただければ良いが、パウロはそこで女性に対する、今日ではおよそ考えられないような差別的観念を得々と披露するに至るのだ。何だこれは。

 現代の私達の感覚ではまことに大きな抵抗を覚えざるを得ない九節以下の記述であるが、しかし実は、ほんの一〇〇年前までおよそ誰も問題を感じていなかったのだ。女性自身もこの箇所を読んで、救われるためには子どもを産まなくてはと出産に励み、子どもを産めない女性を障害者扱いして排斥する、そういう世の中だったのだ。日本だけではない。世界中がそうだったのだ。

 たとえば本日は参議院選挙の投票日であるが、民主主義の根幹ともいうべき参政権(選挙権、被選挙権)を日本の女性が得たのは一九四六年四月一〇日からだ。いま七九歳以上の女性は、参政権を持たなかった時代に生まれておられるわけだ。そんなに大昔の話ではない。

 

 女性を見下して差別する男性が、その価値観のまま聖書を読めばどうなるか。一番最初の創造物語において、まず男が造られ、女が後から造られた。それも男の一部から造られた。だから男が上で女が下、女は男の付属物、そうした価値観が聖書の言葉によって強化される。何しろ聖書にそう書いてあるんだから、という宗教的理由で性差別が正当化され、それに対して疑問を挟もうものなら「神に逆らう不届き者」と断罪されてしまう。そういった歴史を人類は長く長く、本当に長く歩んできたのだ。いま現在もなお女性に完全な参政権を与えていない国はバチカンとレバノンである。その根底に宗教的〝戒律〟が大きく横たわっていることが見て取れる。宗教は差別を固定化し、再生産するのだ。

 しかし神様は果たして女性差別を望まれたのであろうか。女は男よりも劣った存在だとお考えなのだろうか。勿論現代神学ではそうは考えない。神が女性を差別しているような記述があれば、それは女性を差別している男性によってそのように表現されているだけのことであって、神様ご自身の御旨とは別の話だと考える。

 

 では何故このような性差別的表現が聖書には残されたままになっているの。これが教科書であれば、誤った記述に対してはすぐさま書き直しが求められるのに、聖書はそのまま放置で良いのか。やはり不可侵領域だからなのか。そうではなく、安易に書き換えないことに積極的な意味があるからである。人間の限界を後世に留めるという意味を持たせるためである。

 聖書は誤りうる人間が編集した神の言葉である。人間が「誤りうる」証拠が、今日のテキストも含めて様々な箇所に残されている所謂「問題表現」である。ここのこれは「おかしいよね」と注釈を貼り付けて、その上でその誤った時代になお人間が神の言葉を求めようとしたナマの姿を留め置くことが重要なのだ。差別をしていた過去を隠蔽する、つまり差別なんかしていなかったことにしてしまうのではなく、こんな差別をしていたんだという人間の不完全さを明示することで、反対に神の完全性が示される。聖書の完全性とは、そういう逆説的な意味を持つものなのだ。

 

 だから私達は祈らねばならない。もし人間が完全であれば、祈る必要はない。人間が祈るのは不完全だからだ。不完全な者が神の完全を求めて祈るのだ。今日のテキストにおいても、不完全なパウロが、不完全な私たちに、不完全な形で神の完全性を何とか示そうと書き送っている、そのメッセージをしっかりと受け止めるべきであって、「パウロってアウトだよね」で済ませてしまってはいけない。

 男は清い手を上げて祈れ。女のためにも祈れ。女を差別する男のためにも祈れ。男だ女だと性別を決めつけようとする奴のためにも祈れ。そしてもちろん、女も祈れ。そうやって皆で祈る中に、神様が求めておられる完全な姿が少しずつ形をもって現れてくる。そのことを信じて祈り続ける者でありたい。

 

7月13日 ≪聖霊降臨節第6主日/夏の「家族」礼拝①≫『いのちはだれのもの?』(こども)、『いのちの息―土の器』(おとな) 創世記 2章 1~8節 沖村 裕史 牧師

 

お話し 「いのちはだれのもの?!」(こども・おとな)

■生きることと死ぬこと

 みなさんは身近で、いのちが生まれる瞬間や場面を見たことはありますか?わたしが小学校五・六年生の頃、ニワトリが大事にお腹の下で暖めていた卵からヒヨコが出て来たり、シロという犬が子犬を産んだ時のことを、よく覚えています。からだがヌルっと濡れていて、とっても小さくて…。小さいのに、ぴーぴー、くぅんくぅんと鳴きながら、一生懸命(いっしょうけんめい)、母親の体にしがみつくようにします。母親も、翼(つばさ)で覆(おお)うようにしたり、舌でやさしく嘗(な)めてやったりしているその姿を見て、何だか感動して、涙が出そうになりました。

 小さないのちの終わりを、死んでいるのを見たこともあります。飼っていたカブトムシや金魚が虫かごや水槽(すいそう)の中で死んでいるのを見つけたり、ツバメのひなが家の軒先(のきさき)の巣から落ちて死んでいるのを拾ってお墓をつくったり、近くの裏山にある秘密基地に行く小路(こみち)のそばに大の苦手だったヘビが死んで干からびているのに驚いたり…。いのちの終わりを目撃したときのその光景は、今もはっきりと思い出すことができますし、死はいつも、悲しくて、恐くて、わたしを不安にさせました。

 いのちの始まりと終わりを身近に見ていた小学生のわたしは、そんな体験を通して、ぼんやりとですが、生きることと死ぬこと―いのちについて考えるようになっていました。

 そんなわたしが中学校になって、一年に10センチずつも背丈(せたけ)が伸びていった、思春期(ししゅんき)真っただ中の中学二年生のときのこと。国語の先生が、志賀直哉(しがなおや)の『城崎(きのさき)にて』という小説を授業で取り上げ、蜂(はち)の死、鼠(ねずみ)の死、いもりの死を目のあたりにした主人公が口にした、こんな言葉を読み上げます。

 「死ななかった自分は今こうして歩いている。そう思った。自分はそれに対し、感謝しなければ済(す)まぬような気もした。しかし実際喜びの感じは湧(わ)き上がっては来なかった。生きていることと死んでしまっていることと、それは両極(りょうきょく)ではなかった。それほどに差はないような気がした」

 鼠の無残(むざん)な、しかしそれでも必死に生きようとする姿に、心を鷲掴(わしづか)みにされていたわたしの耳に、先生のこんな言葉が続けて聞こえて来ました。

 「すべてのものにいのちがあり、そのいのちを生きています。あなたたちが歩いている足もとにも、見えないかもしれないけれども蟻(あり)が生きています。そしてあなたたちは、それと知らずに蟻を踏みつぶし、そのいのちを奪っているかもしれません。もっと言えば、すべて生きとし生けるものは、生きるために他の生き物を殺し、そのいのちを食べています。そうするほかありません。皆さんはそのことをどう思いますか?」

 それからしばらく、この言葉が耳から離れず、学校からの帰り道、足もとを見つめながら恐る恐る歩き、いのちの儚(はかな)さと重さ、生きることと死ぬこと―いのちについて思いを巡らしていました。そうして、生きることと死ぬことは、別々のものじゃない、それはひとつ、いのちの「表と裏」じゃないのか、そう思うようになりました。

 

■人間が造った人間『フランケンシュタイン』

 さて、みなさんはどう思いますか。今のわたしたちは、生きることと死ぬこととを切り離し、死を悪いものと考え、死を遠ざけることばかりを求めてはいないでしょうか。生きることや若さや健康ばかりに目を向けることでかえって、生きて死ぬことの大切さ、いのちのかけがえのなさを見出しにくくなってはいないでしょうか。

 そんな、死ぬことを恐れて、生きることばかりを願うあまり、人間が人間のいのちを造り出そうとして、悲惨(ひさん)な破滅(はめつ)を迎えてしまうことになるのが、今日の映画、『フランケンシュタイン』(1994年)です。

 舞台は18世紀末のヨーロッパのある町。裏町の一角(いっかく)にひそかに建てられた実験室には、迷路のようにのびた電気の配線と、ベルトコンベアーを走る巨大な水槽箱。そんな工場のような実験室では、主人公の科学者ヴィクター・フランケンシュタインが上半身裸になって、髪を振り乱して飛び回っています。水槽に漬(つ)けられているのは絞り首の刑で死んだばかりの男の体で、そのクライマックスは稲妻(いなずま)を利用して死体に電気ショックを与えるところです。体をつぎ合わせた死体にいのちを与えようと、ヴィクターは高圧(こうあつ)の電気を流します。体に放電(ほうでん)される凄(すざ)まじい電流の火花。そして、一度は失敗したかに見えたものの、水槽箱の中から立ち現われたクリーチャー。しかし成功に喜んだのも束(つか)の間(ま)、その恐ろしい姿を見たとたん、科学がいのちを創造するべきだと信じていたヴィクターも、ことの重大さに驚いてパニックに陥(おちい)って気絶。気がついたときはすでに遅く、「愚かなるヴィクター・フランケンシュタインよ」と、実験に反対した教授たちの声がスクリーンいっぱいに鳴り響きます。「いのちを与えられた怪物が君に感謝するとでも思っているのか。奴は君に復讐(ふくしゅう)するぞ。……君の愛する者たちに神の加護があらんことを」。

 ここで映画を見ていただくのですが、取り寄せていた1994年制作の『フランケンシュタイン』のDVDが間に合いませんでした。大変申し訳ありませんが、今日は2015年制作の『ヴィクター・フランケンシュタイン』を見ていただくことにします。

 さて、どうでしたか。

 ヴィクターが、亡くなった兄への想いを告白するシーンがありました。

 イゴール「お兄さんは君を救ったんだろう?」

 ヴィクター「違う、俺は兄のいのちを奪ったんだ……だから、バランスを取らなければならない。いのちを創り出さなければならないんだ」

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7月 6日 ≪聖霊降臨節第5主日礼拝/聖餐式≫『キリストのかぐわしい香り』コリントの信徒への手紙二 2章 12~17節 沖村 裕史 牧師

 

■なぜ苦しむのか

 世界には多くの宗教があります。そして多くの人が宗教に求めることは、苦難からの解放、平安ではないでしょうか。人生には、いろいろな苦難や災難があります。苦しみや悲しみを味わったことがない人など何処にもおられないでしょう。わたしたちはできるだけ、そういうものに縁のない人生を送りたいと願っています。しかし苦難や災難は自分の注意や努力だけでは防ぎようがないものです。そのような災いに遭わないようにと神に祈る、これが古今東西の宗教を信じる人々が行ってきたことでしょう。

 逆を言えば、宗教を信じて神を熱心に拝んでいるのに災難続きの人生を送っている人がいれば、その宗教にはご利益がないと見られるかもしれません。あるいは、その宗教自体には確かにご利益があるのだけれど、信者の信仰、生活態度に問題があるから災難に遭うのだ、という見方もあります。一見信心深く装っているけれど、その裏では神に献げるべきものを、自分の楽しみのためだけに使っている人がいたら、どうでしょうか。その人は天罰を受けて災難に遭うに違いない、とは思わないでしょうか。

 このことが、旧約・ヨブ記で問われていました。ヨブという人は信心深く、行いの正しい人だったので、神は彼を大いに祝福していました。しかしそのヨブに突然、様々な艱難辛苦が襲いかかります。ヨブは正しい人だから神に守られるはずなのに、どうしてこんな苦しみばかりが襲ってくるのか、なぜ神はヨブを守ってはくださらないのか、と周囲の友人たちは驚き怪しみます。そして彼らが下した結論は、ヨブは一見品行方正に見えるが、隠れたところで罪や過ちを犯しているのだ、だから彼は天罰として恐ろしい苦しみに遭っているのだ、というものでした。ヨブはそんな人ではありませんでしたが、神は正しい人を守ってくれるはずだという信念を抱く友人たちは、そう考えました。

 パウロの場合もそうでした。彼の伝道活動には、いつも苦難が伴っていました。それを見た人たちは「あのパウロという人は、自分は神から遣わされたと言っている。それならどうして彼はあんなひどい目にばかり遭うのか。なぜ神はパウロを守らないのか」と思うようになります。

 そのうち「パウロはわたしたちの献金をだまし取っているのではないか」などと言い出す人も出てきました。パウロは、マケドニアの教会―フィリピやテサロニケの教会から献金を受け取りながら、コリント教会からはなぜか献金を受け取ろうとはしませんでした。そのパウロがわたしのためではなく、エルサレム教会のために献金をしなさいと盛んにコリント教会の人たちに勧めます。それを聞いて、自分は献金を受け取らない、あなたがたに重荷を負わせないためだ、などと何だかイイ格好をしているが、実はエルサレム教会を隠れ蓑にして、自分のためにお金を集めているのではないか、そう勘繰る人たちが出て来たのです(12:16)。パウロは詐欺まがいのことをして神の怒りを買い、だからあんなに苦しんでいるんだ、そんな勝手な解釈をする人たちが現れたのです。

 それでパウロは、ここで自分の苦難の意味について語ろうとします。

 

■トロアスからマケドニアへ

 パウロはまず、直近の自分の行動について説明します。これまでお話ししてきたように、パウロは伝道旅行の計画を何度も変更しています。彼が伝道計画を変えた最大の原因は、コリント教会の中に、パウロに対して悪意を持って中傷する信徒たちがいたためでした。テモテからの知らせを受けて、慌ててコリント教会に駆け付けたパウロですが、彼に対するコリント教会の信徒たちの態度はあまりにひどいもので、エフェソに帰らざるを得なくなります。

 もちろん、パウロもこのままでいいと思っていたわけではありません。コリントの信徒たちに猛省を促すために、パウロはエフェソでコリント教会宛の手紙を書きます。現在この手紙を読むことはできませんが、パウロは4節に「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました」と記しています。パウロはこの手紙を受け取ったコリント教会の人たちが心から悔い改め、態度を改めて、再びパウロを迎え入れてくれることを願って、テモテではなく、もう一人の同労者テトスにこの涙の手紙を託し、コリント教会に送り出したのでした。

 ところが、そのテトスがなかなか帰って来ません。電話も何もない時代です。コリントの様子が分かりません。そこでパウロはエフェソを離れ、北上してトロアスというところまで行きます。テトスがコリントから陸路、マケドニア経由で帰って来るなら、トロアスに行った方が早くテトスに会える、そう考えてのことでした。待つ間も、トロアスでの伝道は順調に進み、人々はパウロの語る福音に耳を傾けてくれました。

 しかし、ここでもテトスに会えません。パウロはトロアスでの伝道に手ごたえを感じつつも、居ても立っても居られず、さらに北上してマケドニアへと向かいます。そうして、やっとテトスに会うことができたのでした。

 パウロはコリント教会のことをテトスから聞きました。彼によれば、多くの人たちは悔い改めたとのことでした。そしてコリントの信徒たちは、パウロに暴言をぶつけた信徒を処罰し、パウロと真剣に和解したいと願っているとのことでした。この知らせ聞き、パウロは喜び、神に感謝します。

 

■死の行進になぞらえる

 しかしここで、パウロは何とも不可解な表現で語り始めます。14節、

 「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」

 「神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ」とあります。プロ野球で優勝した球団や、オリンピックで金メダルを取った選手たちが優勝パレードをしますが、その華やかなパレードの一員にパウロたちも加わった、そんな情景を思い浮かべるかもしれません。しかし、事実は全く違うようです。ここでパウロが語っていることは、第一の手紙4章9節のことです。

 「考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです」

 パウロは、ローマ軍による勝利のパレードのイメージを用いて語っています。ローマ帝国では、敵に勝利するとローマで凱旋パレードをします。そのパレードの最後、しんがりには敗軍の将たちが見せ物として連なります。彼らはローマの神々へのいけにえとして殺されるか、奴隷として売られます。彼らは戦に敗れただけでなく、辱めを受けるためにパレードに加わるのです。パウロはこの敗軍の将たちのように、自分たちもイエス・キリストにあって屈辱を受けるために死の行進に加わっているのだ、と言うのです。

 しかもパウロは、ここで神に感謝しています。そんな屈辱のパレードに加わることが、どうして神への感謝に結びつくのでしょうか。パウロの真意とは何でしょうか。パウロは今、自分たちの苦難に満ちた伝道のための道程(みちのり)を、屈辱のパレードを歩かされる人たち、彼らを待ち受けるのは死なのですが、その彼らの死の行進になぞらえているのです。 Continue reading

6月22日 ≪聖霊降臨節第3主日/トリニティ・三位一体「家族」礼拝≫『僕は見たんだ!』(こども)『まだ遅くない!』(おとな)ヨハネによる福音書 19章 23~27, 38~42節 沖村 裕史 牧師

 

お話し 「僕は見たんだ!」(こども・おとな)

■ルーベンスの『キリスト降架(こうか)』

 今日読んでいただいた聖書の箇所には、イエスさまを十字架につけるローマの兵士たちとそれを命じたローマの総督(そうとく)ピラトの他に、十字架の下からイエスさまを見上げる四人と、十字架からイエスさまの亡骸(なきがら)を下ろして墓に埋葬(まいそう)する二人の、合わせて六人の人が出てきます。

 この六人の姿が描(えが)かれた『キリスト降架』という絵があります。描(か)いたのは、ベルギー、オランダ、フランスに跨(またが)るフランドル地方の画家、ピーテル・パウル・ルーベンスです。四百年以上も前に描かれたこの絵は今も、ベルギーのアントワープにある聖母大聖堂(せいぼだいせいどう)に飾られています。

 真ん中、左、右の三つのパネルに描かれた三面鏡のような、その真ん中の絵が、からし種通信に載(の)せ、前のスクリーンに映し出している絵です。縦4メートル、横3メートルを超える大きな絵には、イエス・キリストの亡骸が、八人の男女によって十字架から降ろされている場面が描かれています。キリストの手や足、脇腹(わきばら)からは血が滴(したた)り落ちています。

 一番上に描かれている二人は名前も分からない人物ですが、そのうちの一人、白い布を左手で握っている人物の下、キリストの左側に描かれた男性が、アリマタヤのヨセフです。身分の高い、ユダヤの最高裁判所・サンヘドリンの議員にふさわしく、長いひげを生やしています。白い布を口でくわえている人物の下、キリストの右側に描かれた男性は、ユダヤ人の学者であるニコデモです。

 アリマタヤのヨセフのすぐ下で、悲痛(ひつう)な表情でキリストのほうに腕を伸ばしている女性は母マリア。西洋絵画では、母マリアはいつも青い衣装を身にまとった姿で描かれます。キリストのすぐ下で彼を受け止めている男性は、キリストの愛弟子(まなでし)。赤い衣服を身にまとっていることからそのことが分かります。キリストの左足を支えているのは、マグダラのマリア、彼女の後にいるのが、クロパの妻マリアです。

 

■僕は見たんだ!・『フランダースの犬』

 ルーベンスのこの絵を見て、すぐに思い出すのが、この後見ていただくアニメ映画『フランダースの犬』のラストシーンです。

 ひとりの少年が弱りきった体で、気が遠くなりそうになるのを懸命(けんめい)にこらえながら、やっとアントワープの大聖堂にたどり着きました。そして、聖堂の内に入って、夢にまで見たルーベンスの絵『キリスト降架』が掲(かか)げられているところまで、ふらふらしながらやってきました。すると、どうしたことでしょう。いつもならカーテンに覆(おお)われて厳重に隠されているはずのその絵が、カーテンも取り払われて、そこにあるではありませんか。

 「とうとう、僕は見たんだ。ああ、なんて素晴らしい絵なんだろう。マリア様ありがとうございます。これだけで、もう僕は何もいりません」

 少年が絵をじっと見つめていると、そこに、老いた一匹の犬が残された力を振(ふ)り絞(しぼ)って、後を追うようにして入ってきます。大聖堂の奥に少年を見つけて駆(か)け寄(よ)る老犬。少年もそれに気づいて、犬を抱きしめました。

 「パトラッシュ、お前、僕を捜(さが)しにきてくれたんだね」

 老いた犬はうれしそうにクウーンと答えます。

 「わかったよ。お前はいつまでも僕と一緒だって、そう言っているんだね。僕は見たんだよ。一番見たかったルーベンスの二枚の絵を。だから僕はすごく幸せなんだ」

 しかし、その犬はとうとう力尽き、床に横たわってしまいます。

 「パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れた。何だかとても眠いんだ。パトラッシュ…」

 犬のかたわらに身を寄せて、静かに目を閉じて死んでいく少年、それをルーベンスの『キリスト降架』の絵がじっと見守っていました。

 これは、イギリスの女性作家ウィーダが1872年に発表した児童文学をもとに、『ゲゲゲの鬼太郎』や『母をたずねて三千里』などのアニメを手がけた黒田昌郎(よしお)監督のアニメ映画、『フランダースの犬・劇場版』(1997年)のラストに近いシーンです。

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6月15日 ≪聖霊降臨節第2主日礼拝≫『涙の手紙』 コリントの信徒への手紙二 1章 23節~ 2章 4節 沖村 裕史 牧師

■誹謗中傷

 パウロが第一の手紙を書いていた頃、思いもよらぬ事態が生じていました。パウロ不在のコリント教会に、新しい宣教師たちがやってきていたのです。ユダヤ人で、律法主義的な傾向を強く持っていた彼らは、パウロに批判的でした。彼らはコリント教会にやって来て、いわば無牧の状態にあった教会の信徒たちに、律法に定められた割礼や食事に関する掟を固く守るよう求め、そのことに反対するパウロについて、様々な非難や中傷を吹き込んだのでした。結果、コリント教会の少なからぬ人々が、彼らの語ることを鵜呑みにしてしまいました。

 パウロという人は、後代の教会ではイエスさまに次いで強い影響力、権威を持つ人物だと申し上げてよいでしょう。新約聖書の約半分がパウロの手紙で占められているほどです。しかしパウロが実際に宣教活動に携わっていた頃は、事情が大きく異なっていました。

 パウロは十二使徒のようにイエスさまから直接教えを受けたわけではありません。また主の兄弟ヤコブのように、イエスさまと血のつながった兄弟であったわけでもありません。それどころか、かつてはキリスト教会を滅ぼすために積極的に弾圧を加えていたユダヤ教のエリートであり、異端審問官のような人物でした。パウロのために仲間が傷つけられ、痛めつけられた、そんな個人的な怨みを抱いていたクリスチャンも少なからずいたことでしょう。そんな人ですから、いくら復活のイエス・キリストに出会って回心し、福音宣教のために目覚ましい働きをしているとはいえ、教会のリーダーとは容易には見なされませんでした。

 コリント教会の人たちにとっても、パウロとの付き合いはせいぜい1年半です。パウロのことは何でも知っていると言えるほど、親しい間柄ではありません。そんなコリント教会の人々のところに、モーセ律法に精通している宣教師たちがやって来て、パウロからは聞いたこともなかったことをあれやこれやと教えられ、彼らもだんだんと新しい宣教師たちの言うことに耳を傾けるようになっていきました。そうして、パウロから第一の手紙を託されたテモテがコリントにやって来た頃には、コリント教会の人たちの心はパウロからすっかり離れてしまっていました。

 

■予定変更

 そんな状況を聞きつけたパウロは、当初はマケドニア教会に行ったその後にコリント教会に行く予定にしていたのですが、その予定を急遽変更し、急ぎコリント教会に駆け付けたのでした。これが、前回の説教でもお話しした、「パウロの第一の予定変更」です。

 急いで駆け付けたパウロでしたが、このコリント教会への訪問は最悪のものとなりました。コリント教会の人たちのパウロに対する態度はよそよそしく、冷たく、中にはパウロに面と向かって罵倒する人さえいました。この胸のつぶれるような状況に、パウロはもちろんのこと、コリント教会の心ある人々もひどく胸を痛めました。今日の2章1節に「そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました」とある、その「再びあなたがたを悲しませるようなこと」とは、その訪問のことです。

 コリント教会で悲惨な目にあったパウロは、再度、予定の変更を余儀なくされます。最初の予定は、エフェソからマケドニア、次いでコリント、そして諸教会からの献金を携えてエルサレムに向かうはずでした。しかし一度目の予定変更によって、エフェソから直接コリントへ、次いでマケドニア、そこからもう一度コリントに戻り、その後、エルサレムに行くことにしました。ところが、予定を変更して向かったコリントの状況が、パウロの予想をはるかに超えて厳しいものであったため、パウロはマケドニアに行くことを断念し、出発地点であるエフェソへと戻ることにしたのです。

 この相次ぐ変更を見て、パウロを批判する人たちはその批判の声をさらに強めます。パウロは予定をコロコロ変えて、いったい何を考えているのか、と。彼らは、パウロが臆病だと非難しました。コリントの信徒たちから面と向かって批判されたことに恐れをなして、マケドニアの教会に行くことも、またコリントの教会を再び訪問することもできないでいる、と非難したのでした。

 

■思いやり

 この厳しい状況の中、この二度目の予定変更がどうして必要だったのか、そのことを切々と訴えているのが、今日の箇所です。冒頭23節、

 「神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです」

 パウロはここで神に誓っていますが、パウロがこの手紙で神に誓うのは二度目です。直前の18節に「神は真実な方です」とありましたが、これもまた、神への宣誓でした。聖書は神に誓ってはならないと教えています。ただ、文字通りに誓いを禁止しているわけではありません。それはむしろ、誓いなど必要としない関係を築きなさいという勧めでした。この手紙で二度も誓わなければならなかったことに、パウロも忸怩たる思いを抱いていたことでしょう。なぜなら、自分とコリント教会との人々との間には、誓いを必要としないような確かな信頼関係が育っていない、ということを自ら認めるようなものだからです。それでも、パウロは誓わずにはおられませんでした。自分が言っていることが自分のいのちに賭けて、また神に賭けて真実だ、ということをコリントの人々に伝えたかったからです。

 パウロは、自分がコリント教会を再び訪れるのを先延ばしにしているのは、彼らから拒絶されることを恐れてのことではなく、彼らに対する「思いやり」のためだと言います。パウロは彼らを力づくで支配しようとしているのではありません。むしろ優しく、親しい気持ちで仲間として呼びかけます。続く24節、

 「わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです」

 裁きを仄めかし、彼らを恐怖で縛り付けようとするのではなく、むしろ信仰に堅く立つ同労者、友として語りかけています。協力者、ギリシア語ではスネルゴスという言葉ですが、これはパウロがテモテやプリスカとアクラなど、親しい同労者に対して使う言葉です。パウロはあえて、この言葉をコリント教会の信徒たちにも用いることで、彼らに対する権威を振りかざすのではなく、主にある兄弟姉妹としての仲間意識と尊敬を込めて語りかけています。

 

■すべての喜び

 そんなパウロの思いが、よりはっきりと、心を込めて語られているのが、2章1節から4節です。

 パウロが訪問を遅らせているのは、コリント教会の人が誰も悲しまないようになるためだと言います。コリント教会のすべての信徒たちがパウロを拒絶したのではありません。むしろパウロを支持していた人たちの方が多かったでしょう。しかし、パウロを支持して応援していた人たちにとっても、先のパウロのコリント訪問はある意味、パウロ以上に失望させられるものでした。せっかくパウロが何年かぶりにコリント教会に戻ってきて、旧交を温めようとしたのに、一部の人の心ない振舞によって、すべてが台無しになってしまいました。パウロはすぐにエフェソに戻ってしまって、いつまたコリントに来てくれるかもわかりません。こんな状況に心底がっかりしたことでしょう。

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6月8日 ≪聖霊降臨日/ペンテコステ・子どもの日・花の日「家族」礼拝≫『主の霊によって生きる』 エゼキエル書 37章 1~10節/使徒言行録 2章 1~4節 沖村 裕史 牧師

 

■神の霊

 神は果たして存在するのか。わたしたち人類は長い間、そのことについて検討してきました。存在するのか、それとも存在しないのか、それは二本のレールのような議論でした。ただいずれの場合も、神を「存在」という枠の中で論じていたことに変わりはありません。

 しかし今日のみ言葉が語る神は、その枠を超えるものでした。

 「神は霊である」。聖書はそう告げます。「霊」とはヘブライ語のルッアッハ、息のことです。聖書の第1ページ、創世記冒頭にこんな言葉が記されています。

 「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ』。こうして、光があった」(1:1-3)

 神が、すべての始まりの時に「神の霊」を通して働きかけてくださり、そして何よりも、その最初の一言が「光あれ」であることに、深い感動と安らぎを覚えずにはおれません。

 創世記はさらに、神が空と海と大地を形づくり、草木と動物をつくり、そして神の霊を吹き込んで人間を創られた様子を描きます。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(2:7)。神の息、霊によって、わたしたちはいのち与えられ、生きる者とされました。

 すべての存在、あらゆるいのちで、自分の意志、自分の力で、自分が望んで存在したものなど、何一つとしてありません。すべてのいのちにとって、最も尊く、ありがたいのは、「あれ」と命じてくださった意志、御心です。神がそう命じられたのですから、わたしたちはもう、何も悩む必要はありません。ただここに「あれ」ばいい。わたしもあなたも、すべてのものが神に「あれ」と願われ、「あれ」と命じられて今ここにある、生きているのだということです。誰からも、何者からも拒まれ、否定されることのない神の意志、神の御心よって、わたしたちはいのちを与えられ、今ここに生かされているのだという、尊い真理がここに示されています。

 わたしたちにはときに、わたしは何のため生きているのか、わたしの人生に何の意味があるのか、と思い悩むことがあります。わたしになんか、何の価値もない、わたしみたいな、つまらない何もできない、人から蔑まれるばかりの人間など生きていても何の意味もないではないか、そう思って、深く苦しむことがあります。その苦しさに耐え切れず、いっときの満足だけを追い求め、自分の業績ばかりを誇り、人に認められることばかりを願って、結局のところ、さらに傷ついてしまいます。

 そんなわたしたちに、神は今も、神の霊によって、ただ「あれ」と言ってくださいます。わたしのいのちも、あなたの人生も、神の意志によって与えられた。ただそれだけが、そしてそれこそが、わたしたちの存在理由、わたしたちが生きていることの意味、決して揺るぐことのない真理です。

 

■風のように

 いのち与えられた神は、その存在をはっきりと捉えることのできない神です。しかし、霊として自らの「時」と「場」を携えてわたしたちに触れてくる神です。

 神の霊は風のようです。風が直接、その姿を見せることはありません。吹く前にはそれこそ、どこにも存在しない風ですが、ひとたび吹き過ぎる時、木々の葉をそよがせ、枝を揺るがします。それで、人は風の在り処を目で捉えます。すべては風の通り過ぎた後のことです。同じ風でありながら、吹き抜ける対象によってその現われ方はさまざまです。そもそも、どこから来て、どこへ行くのかもわかりません。風の思いのままです。それが風です。帆を操る船乗りたちはすべてを風にまかせます。人間の都合でどうこうできるものではありません。風は自ずから吹くのです。

 神は風そのものです。自らの「時」と「場」に応じて吹き過ぎます。ちょうど、ペンテコステのときのように…。

 「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」(使徒2:1- 2)

 イースターから数えてちょうど50日目の今日、天の父のもとへと帰られたイエスさまは、この世に残された弟子たちのために、激しく吹く風のような霊を注いでくださいました。イエスさまはその霊について、弟子たちに繰り返し告げておられました。

 「私は父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである」(ヨハネ14:16-17)

 イエス・キリストの死と復活、そして昇天の後、ペンテコステの出来事を通して、神の霊が弟子たちに注がれ、弟子たちは教会としての歩みを歩み始めました。教会は、御心のままに吹く風のような神の霊に導かれて、今も、ここに集うわたしたちに受け継がれています。

 

■幻は現実

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6月1日 ≪復活節第7主日礼拝≫『神の恵みの下に』 コリントの信徒への手紙二 1章 12~ 22節 沖村 裕史 牧師

 

■心から心へ

 よく、コリントの信徒に宛てたこの第二の手紙はとても難しい手紙だ、と言われます。その難しさには二重の意味があるようです。

 一つは、この手紙が書かれた時のパウロの状況それ自体が難しかった、と言います。パウロは当時、伝道を進める中で大変な迫害を経験していて、その上、自分が開拓伝道して建てた教会の信徒たちとの関係も必ずしも良好ではありませんでした。まさに内憂外患という状態です。旧約聖書の預言者にエレミヤという人がいますが、彼は人々の無理解に苦しみ、涙の預言者と呼ばれました。パウロもまた、涙の使徒と呼びたくなるような困難に直面していました。そんな苦しみと悲しみを背後に置いて書かれた言葉が、すぐにわかったような気になることを阻んでいると言ってよいかもしれません。

 二つ目は、この手紙の内容そのものが難しいということです。それは、この手紙には難しい理屈や教理が書かれていて難解だ、という意味ではありません。先ほど申し上げたような、この手紙を書いたときのパウロの置かれていた状況をよく踏まえておかないと、この手紙を理解することが難しいということです。

 そう考えながら、ふと思い出した一文があります。若松英輔の「求道者と人生の危機」です。

 「…出会った場所は、亡くなった井上洋治神父が主宰していた『風(プネウマ)の家』だった。…若さとは未熟さの別な表現にほかならないが、私の場合は、大きく未熟さに傾斜していた。神父はそうした私をときに激励し、慰め、そしていつも見守ってくれていた。神父に出会っていなければ人生が変わっていただけではない。人生が始まっていなかったのではないかとすら思う。

 神父が亡くなったと聞いた、その瞬間、打ち消しがたい、ある思いが胸を貫いた。『今度はお前の番だ。お前がどんなに未熟でも、お前が若い人と向き合うときだ』。大学に勤務するようになったのはそれから四年半後だったが、その間も、幾度となく次の世代に言葉を受け渡すことを折にふれて考えていた。

 『教える』という言葉には、以前から違和感があった。神父が行ってくれたのも『教える』というよりも『手渡す』というべきことだったからだ。それは手から手へというよりも心から心へと伝えられた。

 最晩年、神父が亡くなる数ヶ月前、神父から電話があった。どうしても話したいことがあるから来てほしいという。昼食を食べながら、さまざまな話をし、少し言葉が途切れたときだった。

 『若松君』、そう神父は少し声を詰まらせるようにしながら、こう続けた。

 『ぼくは、心から心へ伝えたいんだ。これまでもずっとそう願ってきたんだ』

 この言葉を私は神父の『遺言』だと思っている。浅学菲才(せんがくひさい)の身には、神父の思想を受け継ぐことはできない。しかし、頭から頭へではなく、心から心へ言葉を手渡すことはできるかもしれない。ことに若い人たちにそうしたい。神父が亡くなり、彼を思い出すたびにそうした思いを深めるようになっていった」

 「心から心へ言葉を手渡す」。パウロもまた、同じような思いをもってこの手紙を書いていたのではなかったでしょうか。

 

■神の恵みというプライド

 そして冒頭、パウロは心を込めて語りかけます。

 「わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです」

 「とりわけあなたがたに対して」とあります。パウロはこれまで、コリント教会の人々と様々な言葉を交わし、ときには論争をし、ときにはパウロの方が困惑するようなやりとりをしてきました。そのようなときに、人間の知恵算段で何とかしてうまく押さえこもう、事態を治めようという考えに、もしかすると誘われたのかもしれません。しかしそれを退けて、パウロは「とりわけあなたがたに対して」、ひたすら神の恵みの中で行動してきたのだと言います。

 コリント教会は、正直、実に扱いにくい教会でした。わたしたちも扱いにくい人間、扱いにくいグループ、扱いにくい人間関係の中に立ったときには、途方に暮れることがあります。しかしそこでも、パウロは誇りを失わなかったのだと言います。どんなことがあっても、自分は伝道者としてうまくやれるというプライドに生きていたと言うのではありません。パウロはこの手紙の中で、自分のことを、すぐにひび割れる、落とせば砕けてしまう「土の器」だと言います。自分の弱さを隠そうとはしませんでした。そんな自分がただ神の恵みの中にだけ生きた、と言います。自分はプライドを失うことはないとパウロが言う、そのプライドとは、神の恵みというプライドです。

 考えてみれば、不思議な表現です。普通であれば、自分一人ではやっていけなくて、神の恵みを受けなければ生きることができないというのは、人間としてプライドを失くすことだと考えるかもしれません。実際、信仰を勧められてもなかなか信仰に踏み出すことができない人の心の中には、うっかり信じてしまうと自分のプライドがなくなるという思いがあります。思わぬ困難に見舞われて相談に来られた方と会い、お話をしたその最後に、「神をどうぞ信じてください」と言うと、「わたしのプライドが許さない」と言われてしまうことがあります。

 だからこそ、イエスさまは「幼子のように」と言われたのかもしれません。幼な子というのは、プライドから自由です。プライド、誇りにこだわるのは大人です。子どもではありません。パウロはしかし、誇りを、プライドを捨てたのではありませんでした。本当の誇りが見つかったのです。誇り豊かに胸を張って生きることができるようになったのです。それは、自分たちの良心の証しにも耐える、やましさなどない、ただ神の恵みに生きる、ということでした。パウロは今、ただ神の恵みの中に生きるというプライド、その信仰を、あなたがたにも生きて欲しい、と心を込めて語りかけるのです。 Continue reading

5月25日 ≪復活節第6主日/ロガーテ・祈りの「家族」礼拝≫『心に語りかける声』(おとな)ルカによる福音書11章5~13節 沖村 裕史 牧師

 

■執拗に求める

 イエスさまは「主の祈り」に続いて、三つのたとえを話されました。「祈りとは」どういうものか、どうあるべきかについて、弟子たちを教え諭されるためです。

 最初は「パンを求める友のたとえ」。5節から8節です。ある人が夜更けに、「旅人をもてなすためのパンを貸してくれ」とお願いにやってきます。しかし、もう夜中です。訪ねて来られた人は断りますが、しつこく、執拗に求められます。

 この物語の結び、8節は「あなたたちの中の誰が、そんなことをするだろうか」という疑問の形で問いかけながら、「いやそんな者はいやしない」という反語的な意味合いが、そこには込められます。夜中であっても、いや、むしろ夜中であるからこそ、そのように助けを求められて、もう寝ているからといって、いったい誰が追い返すだろうか、そんな者はいないという意味です。

 一部屋か二部屋しかなかった当時の家では、同じ部屋で家族全員が睡眠をとるのは普通でした。みんな一緒に眠っている、小さな子どももすっかり寝入っています。夜中に訪ねるということが迷惑極まりないことは、パンを借りにきた人にも重々わかっていました。「なんて非常識な」という思いは、今のわたしたちと同じでしょう。

 しかし、しかし借りに来た人にも理由があるのです。しかも、当時のユダヤ社会、助け合って生きることを当然と考える社会では、旅人をもてなすことは共同体のメンバーとして当たり前のこと、義務でした。とはいえ、しつこく、まして夜中にパンを求めるというのは、いかにも厚かましい行為です。8節に言葉を補ってみると、こんな意味になるでしょうか。

 「たとえ、夜中に起こされたその人は、自分の友だちだからという理由で、立ち上がってパンを求めてやってきた人に与えることはなくとも、本来は友なのだからそうしてしかるべきなのだが、それでも、パンを求めてきた友人のしつこさゆえに、それがどれだけ恥知らずなものであっても、起き上がって、その人はパンを求めてきた彼が必要とするだけのものを与えるだろう」

 このたとえには子どもを含め、四人の人物が登場しますが、主な登場人物は、夜中に起こされた主人とパンを求めてきた友人です。7節に「わたしの子どもたち」とありますから、この主人は父親です。そう、「父なる神」のことです。一方、パンを求める友人とは、主の祈りで日々のパンを求め祈る、わたしたち自身です。

 何も「しつこい」祈りが勧められているのではありませんがしかし、その「しつこさゆえに」「熱心に求め続ける姿勢に対して」、父親である主人が友人の求めに応えるのであれば、わたしたちの父である神、絶対的な主権者であり支配者である方が、わたしたちの願い-祈りを聞き届けられないことがあるだろうか、いや、そんなことはありえない。父である神は、絶対に聞き届けてくださる。このたとえはそう教えています。

 

■求めるものを与えられる

 しかも父である神は、わたしたちが「求めるものを必要とするだけ」、きちんと備えてくださるのです。9節の「そこで、わたしは言っておく」という言葉によって、イエスさまは宣言されます。

 「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」

 「求めよさらば与えられん」というよく知られたこの言葉は、格言的な表現とその繰り返しによって、わたしたちの願いと祈りに応えてくださる父なる神への確信を、堅い信頼をさらに強めようとしています。繰り返しは、ただ神への信頼を強調しているだけでなく、「主の祈り」と同じように、日々、祈り「続ける」こと、「終わりのときまで」願い求めることの大切さを説いています。

 「求める-与えられる」「探す-見つかる」「門をたたく-開かれる」というこの響き合うような関係は、祈りにおける父なる神とわたしたち人間との関係―祈り求めるわたしたちの姿(信仰=ピスティス)とそれに応答してくださる神の真実(誠実さ=ピスティス)とを示しています。神の応答は、わたしたち人間側の条件にはまったく関わりなく、ただ祈り求めるすべての人に、一方的に「与えられ、見つかり、開かれ」ているのだということです。

 そして11節にこう言われます。

 「あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に蛇を与える父親がいるだろうか、また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか」

 「蛇」と「蠍(さそり)」は、サタン、あるいは悪を象徴する言葉です。わたしたちはもちろん、親による幼児虐待や育児放棄という悲しい現実があることを知っています。それにもかかわらず、そんな罪深いわたしたち人間の親子という関係においてさえ、そうやって父親は子どもを愛し守ろうとするのではないか。それが人としての真実の姿ではないのか。ましてや、父なる神が、わたしたちの必要とする日々の糧を求める祈りに、罪の誘惑をもって応えるはずなどありえない。そう、断言されます。

 

■聖霊によって

 そして最後13節です。

 「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」 Continue reading

5月18日 ≪復活節第5主日礼拝≫『苦しみの中の希望』 コリントの信徒への手紙二 1章 8~ 12節 沖村 裕史 牧師

 

■苦難と慰め

 前回、お読みいただいた4節にこうありました。

 「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」

 印象深い言葉です。神はただ慰めてくださる、というのではありません。あらゆる苦難に際して慰めてくださる、と言われます。神を信じて生きるときに、わたしたちは苦難に直面をします。

 苦難のない無風地帯なんてありません。雨風の当たらない平穏な場所を求めて、それが信仰だと思っているとするならば、わたしたちは結局、この人生からは何も得ることはできないでしょう。どうしたら、苦しみのない人生の道を得られるだろうか。それだけを求めていくなら、わたしたちのこの人生は不毛なものになります。なぜなら、苦難を避けて、わたしたちが神に出会うことはありえないからです。

 しかし、パウロの言葉はそこに止まりません。

 「この慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」

 わたしたちは、苦難の中に踏みとどまって、神の慰めを受け取るから、他の人の苦難に際して慰めを与えることができる、と言います。苦難を前向きに生きている人こそが、苦難の中にいる他の人を慰めることができるのです。苦難の中で鍛錬されて、強くなって、タフになって、他の人を励ます力が与えられるのではありません。苦難の中で、弱いから、行き詰まるから、そこで慰めを神から受けて立っている人が、他の人を慰めることができるのです。

 

■小さな悲しみ

 カトリックの信徒である末盛千枝子さんという人が書いた『ことばのともしび』という、わたしがとても大切にしている小さな本があります。以前ご紹介したことのある本ですが、その「あとがき」にこんな一節が記されています。

 「二十代でこれからというときに親しい友人に死なれました。そのあと三十を過ぎて、人に紹介されて結婚した夫は本当に優しい人でした。でも、その夫は十一年の結婚生活のあと、小さな息子二人を残して突然死してしまいました。そのうえ長男には難病があることがわかっていました。でも夫が亡くなる直前にある友人夫妻が、絵本の編集の仕事をしませんかと誘ってくれていました。夫に死なれて急に仕事を探すのだったら本当にたいへんだったと思いますが、その点、とても恵まれていました。

 それに、夫のお通夜の後で、『これからもまだまだ、いくつもの困難があるだろう。でもそのときに、必ずそれを乗り越える力が与えられるに違いない』と思ったのです。子どもたちを残して夫に死なれるというのはほとんど最悪の事態なのに、そう思ったのです。思ったというよりもむしろ、自分の胸の中に聞こえてきたと言った方がいいかもしれません。それはとても不思議な経験でした」

 どんな苦難の中にあっても、神がそれを乗り越える力を与えてくださると信じる末盛さんの信仰に励まされつつ、その本の中の「小さな悲しみ」と題された一文をご紹介します。

 「小さなことであっても実はとても大切なことがあるのではないでしょうか。たとえば、大事にしていたゴム風船のひもをはなしてしまい、どんどん空に飛んでいってしまったということが、どんな子どもにもあるかもしれません。それは人の一生で大切な経験のような気がします。

 子どもが初めて出会う、この小さいけれど取り返しのつかない悲しみは、大人たちが出会う大きな悲しみと比べて意味がないのだとは決して思いません。子どもは、このことをきっと大切に心の中にしまっているのです。そして、こういう経験をした子どもはその分、友だちにもやさしくできるのではないかと思うのです。

 たぶん、人生はこういう小さな悲しみの積み重ねからできていて、その一つひとつはまるでモザイク片のように本当に小さな一片でありながら、それが集まって姿を現したときに、そこにその人の全体像が見えてくるのではないでしょうか。

 そんなことを考えると、大人になってからの深刻な悲しみと、子どものときの風船を飛ばしてしまった悲しみとは、どちらが重要とは言えないのだとさえ思います。

 息子たちがまだ小学生だったときに彼らの父親が亡くなりました。息子たちは口ではなにも言いませんでしたが、あのころの写真を出してみると、本当に悲しそうなのです。言葉に出して悲しむことができないほどだったのだと、いまさらのように思います。そして、父親の死からほどなくして、こんどは飼っていた猫が死にました。そのときの次男の嘆きは忘れられません。父親の死も猫の死も、彼は精一杯、胸一杯受け止めていました。

 その彼ももう三十代になりましたが、小さなことにも喜び、悲しむ、その性格はいまも変わりません」

 苦難の中で神の慰めを受け取るから、他の人の苦難に際して慰めを与えることができる、というパウロの言葉が重なるようです。息子に向けられた末盛さんの眼差しには、暖かな柔らかさと苦難の中に与えられる慰めが満ち満ちている、そうは思われないでしょうか。 Continue reading

5月11日 ≪復活節第4主日/母の日「家族」礼拝≫『おかあさんがやってきた!』(こども・おとな)/『愛の大きさに包まれて』(おとな) ルカによる福音書 1章 39~56節 沖村 裕史 牧師

 

お話し 「おかあさんがやってきた!」(こども・おとな)

■神様の御心(みこころ)のままに

 イエス・キリストの母マリアを、聖母(せいぼ)として大切に敬(うやま)っていた中世のヨーロッパでは、たくさんの絵にマリアの姿が描かれています。その姿はどれも、威厳(いげん)に満ち、神のみ子の母にふさわしく華麗(かれい)な館(やかた)に住み、王女のように立派な衣装(いしょう)を身につけています。でも聖書によれば、本当の彼女はガリラヤという地方の田舎の村ナザレに住む、貧しい、素朴(そぼく)な少女でした。

 そして今日、母の日に一緒に見ていただく映画、『サウンド・オブ・ミュージック』の主人公の名前も、マリアです。

 舞台はオーストリアのザルツブルグにある修道院(しゅうどういん)。そこで働く修道女・シスターになることを願っていたマリア(ジュリー・アンドリュース)は大の歌好きで、歌を歌っているとそれこそ夢心地(ゆめごこち)になって、いつも礼拝の時間を忘れてしまいます。先輩(せんぱい)のシスターたちは、そんなマリアが本当にシスターに向いているのかどうか、心配でたまりません。院長は、そんな彼女に家庭教師の仕事を勧(すす)め、元海軍大佐のトラップ男爵(だんしゃく)(クリストファー・プラマー)のもとへと送り出しました。

 トラップ家(け)に初めてやってきたマリアですが、あまりに粗末(そまつ)な服を着ていたので、もうちょっとましな服はないのか、と注意される場面があります。するとマリアは、服はみんな貧しい人たちにあげてしまいました、この服しかありませんと答えます。彼女は自分の粗末な身なりをなんとも思っていません。こんなところは、聖書のマリアの姿そのものです。

 そう思って見てみると、院長から突然トラップ家の家庭教師になるように告げられた時の戸惑(とまど)いぶりも、聖書のマリアとそっくりです。さきほど読んでいただいた聖書箇所の直前に、マリアが天使から「おめでとう、恵まれた方。神様があなたと共におられます」と告げられ、あまりに突然のことなので、マリアが「戸惑い」「何のことかと考え込んだ」とあります。すると天使ガブリエルは「恐れることはありません。あなたは神様から恵みをいただいたのです。あなたは身ごもって男の子を産むでしょう」と告げられ、マリアは「わたしは、神様のしもべです。あなたのお言葉どおり、この身に成(な)りますように」と、神様を信頼し、天使のお告げを受け入れたと記されています。

 映画の中のマリアも、突然、家庭教師をするよう言われた時、きっと聖書のマリアと同じような思いを持ったのではないでしょうか。なぜ、わたしが修道院を離れなければならないのかと考え込んでしまったことでしょう。それでも修道院長の言葉に従ってマリアは、トラップ家の子どもたちの家庭教師となることを決意し、修道院を後にしました。

 映画の中でマリアが、修道院で学んだ一番大事なことは「主の御心(みこころ)を知り、真心(まごころ)をこめてそれに従うこと」と語るシーンがあります。どんな時にも、勇気をもって信頼すること、そして自分の運命をみずから切り開いて歩んでいくこと、それが神様の御心に適(かな)うこと、神様に喜んでいただけることだという思いが、このマリアにもあったのです。

 そしてこの映画のモデルとなった、マリア・フォン・トラップもまた「すべてが神の御心のままでした」と自伝に書いています。

 

■愛と温(ぬく)もり

 さて、ここで映画のあらすじを追ってみましょう。

 トラップ男爵は妻に先立たれ、後には、母を亡くした七人の子どもが残されていました。男爵は元軍人です。その子育ては軍隊式が一番と、子どもたちには笛で号令をかけ、制服で行進させるという厳しい教育方針でした。規律を重んじるだけの一家の空気は冷(ひ)え冷(び)えとしていました。

 そんな子どもたちにマリアは、歌うことを教えはじめます。彼女のやさしい人柄とあいまって、歌が家の雰囲気(ふんいき)を変えるきっかけになりました。やがて、男爵もそんなマリアに好意を抱くようになり、めでたく結婚。子どもたちは「おかあさんがやってきた!」とばかりに喜びます。しかしそんな幸せも束(つか)の間(ま)、ドイツ軍から軍隊に入るようにとの命令書が届きます。しかし男爵はナチス・ドイツへの忠誠(ちゅうせい)を拒(こば)み、一家は自由を求めてスイスへと山越えをしてゆくのでした。

 思えば、マリアがトラップ家に来ることがなかったら、一家の中にいつも音楽が流れることはなかったでしょうし、男爵は相変わらず厳しい教育方針をとって、子どもたちも心を閉ざしていたでしょう。しかしそれでは、家庭は幸せとは言えません。確かに生活が苦しいわけではありません。とりたてて不幸ということでもありませんが、しかし本当に幸福であるためには、家庭がほっとする、温かい場所でなければなりません。

 マリアは、そうなってしまったかもしれないトラップ家に、歌と一緒に、家庭の温(ぬく)もりをもたらしました。そればかりでなく、歌を愛するマリアの心が一家に、ナチスの圧迫(あっぱく)にも決して屈(くっ)しない強い勇気も生み出したのです。『サウンド・オブ・ミュージック』のマリアは、まさしく聖書の母マリアのように愛と温もりをもたらす、最高の女性の役割を演じていたと言えそうです。

 ではここで、少しだけ映画をご覧いただきましょう。

 

■いのちと家族

 いかがでしたか。この映画の魅力(みりょく)は何といっても、美しいメロディーの歌です。その中でも特に親しまれているのが主題歌の「サウンド・オブ・ミュージック」。ジュリー・アンドリュースの美しいソプラノが高原いっぱいに響き渡る冒頭のシーンはよく知られていますが、他にも「エーデルワイス」や「ドレミの歌」などがそれぞれの場面にマッチして、それらを歌う伸びやかなマリアの声が忘れられません。

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