■あとがき
いよいよ最後の章になりました。いわば「あとがき」です。
普段、わたしが初めての本を手にしてすることは、「はじめに」と「目次」に目を通し、その後、丁寧に「あとがき」を読むことです。そうすることで、その本についてある程度のことが理解できるからです。特に「あとがき」には、作者の思いや考え、その本を書いた意図を知るうえで重要なヒントが必ずと言ってよいほど含まれています。この16章も、神学的には重要なメッセージは少ない個所と言えますが、パウロの思いや願いを知るうえで、また現実のわたしたちの教会生活にとっても、とても身近で、大切なことが記されています。
共に生きることに失敗しているように見えるコリントの教会に対して、パウロはこの「あとがき」の中で、より具体的な事柄を語り告げることによって、「共に生きる教会の姿」を、ここにはっきりと指し示そうとしています。
■復活と献金
その冒頭、「聖なる者たちのための募金について」と語り始めます。
「募金」とは「集める」という意味の言葉で、「集められたもの、集められたお金」を指します。何か目的があって、特別に集めたお金のことです。1節後半に「わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい」とあるように、パウロはこれまでにも各地の教会でそういう募金活動を始め、また指導してきました。そしてこの手紙の最後、パウロはこの問題を取り上げます。
とはいえ、皆さんはこのことに大きな落差を感じられなかったでしょうか。直前15章で、世の終わり、永遠を見つめていた目が、突然、とても卑近で即物的なお金の話に引き戻される。えっ?どうして?ちょっとガクッとくる。そうは思われなかったでしょうか。そもそもこの手紙、15章でおしまいにした方がよかったのではないか。その終わりに「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」と語って最高潮に盛り上がったのだから、後は短い挨拶と祝福の言葉で終った方が効果的だったのではないか、と。
しかし、パウロはそうはしませんでした。ここに落差などないからです。パウロにとって、世の終わりの復活の希望に生きることは、今のこの世の現実の生活とかけ離れた、別世界の話ではないからです。
もちろん「肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできない」ことをパウロは知っています(15:50)。この世の営みは過ぎ去っていき、朽ちていくものであって、その延長上に救いがあるわけではありません。しかし世の終わりの復活の希望に生きる人は、この地上の歩みの中で「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励む」者となる、とパウロは言います。それは「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを…知っている」からです(15:58)。
復活の希望に生きる時、わたしたちはこの世の事柄を軽んじたり、無視したりするようになるのではなくて、むしろ本当に責任をもってこの世の事柄に関わるようになります。本当に責任をもってこの世の事柄に関わるとは、それらを無駄にしないよう用いることです。そのためには、それらを朽ちることのためではなく、朽ちないことのために用いなければなりません。復活によって朽ちることのないいのちと体を与えてくださる主なる神にそれらをささげ、「主の愛の業」のために用いなければなりません。自分に与えられている様々なもの、能力、時間、財産が主の愛の業のために用いられる時にこそ、そのわたしたちの歩み、苦労は決して無駄にならず、本当に生かされていきます。
募金の教えは、復活の希望に支えられて、この世の事柄を用いて主の愛の業に励むことの具体的な事柄として語られています。ここに落差はありません。その意味で、それは単なる「慈善のための募金」ではなく、まさに「献金」です。わたしたちも教会でいろいろな募金をしますが、わたしたちはそれを単なる慈善活動としてではなくて、愛の主に仕える業として、つまり神へ自らを献げること、「献身」の業として行います。さらに言えば、わたしたちの信仰が試されることの代表的な例が「献金」であると言えるのかもしれません。個人的にも、教会全体としても、献金をめぐって信仰が試されることになります。
■迫害と困窮
今、「聖なる者たち」とあるのは、小見出しにあるように「エルサレム教会の信徒」たちのことです。エルサレムはキリスト教会が最初に誕生した場所ですが、ユダヤ教のお膝元でもあり、キリスト教とユダヤ教との違いが鮮明になるにつれ、ユダヤ人たちから激しい迫害を受けるようになっていました。さらには慢性的な飢饉の影響もあって、深刻な困窮の中にあったことが使徒言行録に書かれています。そのような迫害と困窮の下にあるエルサレム教会の人々のために、各地の教会で献金を集めて送るという運動を、パウロは指導していたのです。
つまりこの献金活動は、同じイエス・キリストを信じて教会に連なる主にある兄弟姉妹の間で、苦しみの中にある教会を支え、助けていこうとする働きです。コリントの人々にとってエルサレム教会の人々は、会ったこともない、顔も見たことのない人々でした。人間的には何のつながりも関係もない、名前も知らない人々の間に、イエス・キリストを信じているというただ一つの絆、つながりゆえに、自分の財産を献げて相手を支え助けるという主の愛の業が行われていく、パウロが行っていた献金の活動とはそういうものでした。ローマの信徒への手紙15章25節以下に、こうあります。
「しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています」
援助は、経済的に重荷を負うことを通して、主にある交わりを深めると同時に、ユダヤ人教会の代表で、福音の発祥地であるエルサレム教会と、パウロの伝道により設立された異邦人教会との一致のために、パウロは「特別な思いを込めて」、この献金運動を推進していたのでした。
■献金の背景
では、その「パウロの特別な思い」とはどのようなものだったのでしょうか。
使徒言行録によれば、パウロは身の危険をも顧みずにエルサレムに向かい、そこで逮捕されてローマに囚人として護送されています。使徒言行録はそこで終わり、その後のパウロの運命は描かれません。しかし伝承によれば、そのローマでパウロは処刑されます。いのちがけでエルサレムに上ったことで、彼の人生は大きく変わりました。 Continue reading