福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え

8月31日 ≪聖霊降臨節第131主日礼拝≫『栄光に包まれて』 コリントの信徒への手紙二 3章 4~11節 沖村 裕史 牧師

 

■わたしの資格

 まず5節です。

 「もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです」

 ここでパウロは、少し前の2章16節の言葉を念頭に置いています。

 「このような務めにだれがふさわしいでしょうか」

 パウロは、キリストの福音を伝える務め、キリストの香りを運ぶ務め、その務めにふさわしいのは、だれか。それはわたしたちだ、と言います。

 では、パウロがそのような務めを担う資格はだれから、どこから与えられたのか。パウロは、その資格は自分のものではない、と言います。自分の能力や実績、ユダヤ人という血筋やローマ市民であるといった身分ゆえに、自分がこの務めにふさわしいのではない。では、その資格はどこから来るのか。それは神から、その資格はただ神から与えられたものだ、と言います。

 もちろんパウロには、伝道者にふさわしい、卓越した聖書や信仰に関する知識や能力、また過去の伝道実績もあります。わたしたちが人を評価する時、どうしてもそうした権威や知識、能力や実績といったものをチェックします。もちろん、そうしたことなど全く不用だ、無意味だというのではありません。しかし一番大切なことは、神が御子キリストを通してパウロを召し、用いておられる、という事実そのものにあります。

 では、なぜパウロは自分が神に用いられている、と言えるのか。その証拠は、彼の中に働く「聖霊」です。6節以降に、霊、聖霊という言葉が何度も出てきます。霊こそ、今日の箇所の中心テーマです。神の霊こそが、パウロに伝道の務めにふさわしい資格を与えているのです。そしてその霊は、わたしたちすべての者にも等しく与えられています。

 

■聖霊の働き

 聖霊、霊なる神は、父なる神や御子キリストと比べると分かりにくいかもしれません。キリスト教の中には、聖霊の働きを非常に重視するグループがあります。そういうグループでは、礼拝に参加している人が「霊に満たされて」、突然意味の分からない、理解することのできない言葉―「異言」を語り出すといったことがあります。わたしたちにはそういう経験がほとんどないので、聖霊がわたしたちの中に働くというのがどういうことなのか、具体的にイメージしづらいかもしれません。

 しかし、たとえ目立った働きをわたしたちが見ることができないとしても、聖霊は今ここにいるすべての人の中に働いています。わたしたちが今朝起きて、今日は礼拝に行こうと思ったのも、何よりもキリストの信仰に生きたい、洗礼を受けたいと願ったのも、それは確かにわたしたちの意志ではありますが、と同時に、その背後には霊なる神が、聖霊がいつも働いている、そう思わざるを得ません。

 列王記上19章11節以下に「主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた」とあります。この「静かにささやく声」を直訳すれば、「小さな沈黙の声」となります。どこにおられるのか、と心の中でそう問いかける預言者エリヤに、神はかすかな「沈黙」のささやきをもって臨まれたのでした。人の期待がすべて外れる。もはや希望の欠片(かけら)もない。しかし、人が絶望した「その後」に、神は「沈黙」の中で初めてわたしたちに触れてくださるのです。

 談話室に置いている月刊誌『本のひろば』8月号に、山本賢藏著『静寂者ジャンヌ:生き延びるための瞑想』の書評が掲載されています。京都大学名誉教授の西平 直による大変興味深いその一文をご紹介させていただきます。

 「17世紀フランスの知らない女性、ジャンヌ・ギュイヨン夫人。…

 ジャンヌは知的な家庭で育った。聡明な少女が16歳で結婚させられる。夫は完全な「マザコン」。自信がなく、いつも不機嫌で、癇癪(かんしゃく)持ち。母親は底意地の悪い人だったというから、その結婚生活は「奴隷のようだった」。

 彼女は隠れ家(内なる砦)を求めた。祈ること。しかし神を実感できない。その悩みの中で「外側に求めるな」と教えられた。神を実感できないのは、神を外側に探すからだ。神を探すなら内側に求めよ。こころの中に帰れ。

 この「こころ」について、山本氏は、日本語の「肚」を当てると分かりやすいと言う。「頭で神をわかろうとしてはならない。…「肚」で神を直観するのだ。言葉のすっかり落ちた、すなわち言語作用がすっかり麻痺した非活性化した根源的な〈沈黙〉の内に、生身で〈ことば〉を直感する。それが〈沈黙の祈り〉だ」。 Continue reading

8月17日 ≪聖霊降臨節第11主日/平和「家族」礼拝②≫『彼は神の子だった』(こども)、『神の子どもとして』(おとな) ヨハネの手紙一 5章 1~5節 沖村 裕史 牧師

お話し 「彼は神の子だった」(こども・おとな)

■神の子

 最後5節に、こんな言葉が出てきます。

 「だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」

 イエスさまを「神の子」と呼んでいます。この「神の子」、二節にある「神の子供たち」とは、どうも違っているようです。「神の子供たち」とは、イエスさまをメシア・キリスト、つまり救い主と信じる人たちのことでしたが、5節では、そのイエスさまのことを、わたしたちを救うためにお父さんである神様がこの世界に遣わしてくださった「神の独り子(ひとりご)」「神の子」と呼んでいます。マルコによる福音書の1章1節にも「神の子イエス・キリストの福音(ふくいん)の初め」とあります。それは「神の子であり、救い主キリストでもあるイエスさまが教えてくださった福音―喜びの知らせ―の始まり、始まりー!」という意味でした。

 

■百人隊長

 そんな「神の子」という言葉を口にした人が、聖書には何人も出てきます。そのひとりに、イエスさまに付き従った最後の最後、イエスさまが十字架で亡(な)くなるその様子をじっと見つめていた人がいます。ローマの百人隊長です。

 「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当に、この人は神の子だった』と言った」(マルコ15:39)

 イエスさまが何かを大声で叫んで息をひきとると、その瞬間、遠く離れたエルサレム神殿の垂れ幕(たれまく)が上から下まで真っ二つに裂けました。いえ、それだけではありません。地震が起こったり、大きな岩が崩(くず)れたり、と天地が震(ふる)えました。そんな様子に驚き、イエスさまの処刑を最後まで見ていた百人隊長は、「本当に、この人は神の子だった」と告白します。

 「百人隊長」というのは、その名の通り、百人の兵士たちを引き連れて、最前線で戦うリーダー、指揮官(しきかん)のことです。その多くは平(ひら)の兵士たちの中から選び抜かれた人で、エリートの指揮官の派手(はで)さはありませんが、頼りになる人たちでした。あるギリシアの歴史家はそんな百人隊長たちのことを、「着実(ちゃくじつ)に行動し、信頼できる」「厳しい攻撃にあっても一歩もひかず、持ち場で死ぬ覚悟(かくご)がある」人とほめたたえています。新約聖書にも六人の百人隊長が登場しますが、どの人も素朴(そぼく)で実直(じっちょく)、イエスさまも部下の病を治してくれるようにと熱心に頼む百人隊長の、その信仰を絶賛(ぜっさん)しています(ルカ7:9-10)。

 さて、イエスさまの処刑場にいたその百人隊長は、どうやらイエスさまをピラトの前での裁判からずっと見守っていたようです。イエスさまがさまざまな奇跡(きせき)を行って人々の病を治した噂(うわさ)も聞き、また捕らえられた後、荊(いばら)の冠(かんむり)をかぶせられて侮辱(ぶじょく)されたことまで、つぶさに見ていました。彼は裁判所の門を通り、岩だらけの処刑場の丘まで続く、ヴィア・ドロローサ〔悲しみの道〕と呼ばれるその道中、イエスさまを警護(けいご)しながら一緒に歩きました。そして十字架にかけられたイエスさまが語られた、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という苦しみの言葉、また「成(な)し遂(と)げられた」(ヨハネ19:30)という最後の言葉まで、そのすべてを見聞きしていました。

 百人隊長は、イエスさまが言われた最後の言葉が何を意味するのか、ほとんどわかっていなかったかもしれません。ここでいったい何が起こっているのか、自分が何のためにここにいるのか、何も理解していなかったに違いありません。けれども、この実直な百人隊長は、死にいたるまでのイエスさまの言葉とふるまいのすべてを振り返り、最後に心からの畏(おそ)れをもって、「本当に、この人は神の子だった」と言ったのでした。

 

■『グリーンマイル』―神様の愛と救いの物語

 この百人隊長と同じ言葉を口にしたのが、今日、これから見ていただく映画『グリーンマイル』の主人公ポールです。

 今から90年前の1935年、ポール(トム・ハンクス)は、ジョージア州のコールド・マウンテン刑務所で、囚人たちを監視するリーダー、看守長(かんしゅちょう)を務めていました。彼が受け持ったのは死刑囚たち。看守長の仕事のひとつは、グリーンマイルと名づけられた緑色の廊下を、囚人に付き添って一緒に処刑場まで歩くことでした。そして、彼らをできるだけ心安らかに電気椅子に座らせることでした。

 そんな彼のもとに、ある日、ジョン・コーフィ(マイケル・クラーク・ダンカン)という黒人の死刑囚が送られてきます。大きな体をしているのに、よく目に涙をためるこの囚人は、双子(ふたご)の少女を惨殺(ざんさつ)した罪で死刑を宣告されていました。ところがこのジョン、そこでさまざまな奇跡を起こします。まずポールの尿道炎(にょうどうえん)という病気をあっという間に治してしまいます。痛さで廊下にへたり込んだポールに、鉄格子(てつごうし)越しにジョンが手を当てると、なんと激痛が嘘のように消えてしまったのです。それから鼠(ねずみ)のミスター・シングルスがいじわるな看守に踏み潰(つぶ)された時も、それをよみがえらせます。びっくりしたのはポールで、こんな奇跡が起こせるような、何よりも気のやさしい男が人殺しをするはずなどない、そう思い始めます。その確信は、ジョンが刑務局長(けいむきょくちょう)の妻を治してしまうのを目撃するにいたって、より深いものへと変わります。彼女は脳腫瘍(のうしゅよう)というガンをわずらい、もう手術することもできず、ただ死を待つばかりでした。ところがそこでも、ジョンは奇跡を起こし、ガンを消し去ってしまったのです。

 ポールの目に、ジョンの無罪は明らかです。犯人が他にいたこともわかりました。しかしそれがわかったからといって、看守長の彼にはどうすることもできません。今のポールにできる精一杯のことは、ジョンと一緒にグリーンマイルを歩むことだけでした。いよいよ処刑の時、ジョンは電気椅子にくくりつけられ、そのスイッチが入れられました。すると、どうしたことでしょう。突然電気がショートし、火花が飛び散り、処刑場は一瞬にして暗闇になります。イエスさまが処刑された時「全地は暗くなり」「太陽は光を失っていた」(ルカ23:44-45)とある、その時のようです。それを見たポールは、ジョンが行った奇跡の数々を思い出し、「神の子のようだ」と最後に短くつぶやくのでした。

 ここで、その最後の場面をご覧ください。

 さて、どうでしたか。『グリーンマイル』は、イエスさまと彼の処刑に立ち会った百人隊長とを現代に移しかえた作品です。題名のグリーンマイルは、処刑場に通じる廊下のことですが、イエスさまが歩んだゴルゴタの処刑場に通じる「悲しみの道」そのものです。多くのアメリカ映画に出てくる乱暴な看守のイメージと違って、トム・ハンクスが演じる看守長が真面目そのものなのも、聖書の百人隊長の実直な姿と重なります。そして何よりも、ジョン・コーフィはイエス・キリストそのものです。ジョンは、本当は何の罪も犯したことのない、身代わりの犠牲者でした。逮捕前の経歴(けいれき)がいくら調べてもないことから、「奴は空からでも降ってきたらしい」という台詞(せりふ)も、いかにも彼がイエスさまであることを匂(にお)わせます。きわめつけはジョン・コーフィの名前です。『ターミネーター2』のジョン・コナーと同じく、そのイニシャルがJ・C、Jesus Christ―イエス・キリストを示しています。

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8月10日 ≪聖霊降臨節第10主日礼拝/聖餐式≫『キリストの手紙』コリントの信徒への手紙二 3章 1~3節 沖村 裕史 牧師

 

■推薦状

 1節、

 「わたしたちは、またもや自分たちを推薦し始めているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたへの推薦状、あるいはあなたがたからの推薦状が、わたしたちに必要なのでしょうか」

 なぜ、パウロは突然、推薦状の話を始めたのでしょうか。

 ここでもう一度、コリント教会の状況について振り返ってみましょう。コリント教会は、パウロの1年半に及ぶ開拓伝道によって立ち上げられた教会です。教会が立ち上がった後、パウロは他の場所へと移動して精力的に開拓伝道に励むことになるのですが、パウロが去ったその後、コリントに別の宣教師たちがやってきました。すぐ後にやって来たのはアポロでした。そのアポロがコリントを去ると今度は、エルサレム教会と関係の深い宣教師たちがやって来ました。当時のエルサレム教会は、十二使徒のペトロやヨハネ、主の兄弟ヤコブによって率いられる、いわばキリスト教の総本山です。彼らは、自分たちがエルサレム教会から派遣された、正統な権威と地位にある宣教師だと自負していましたし、そう吹聴していたのでしょう。彼らは、エルサレム教会と関係の薄いパウロのことを見下していたのかもしれません。コリント教会の人々から、この教会の創立者はパウロだと聞かされた彼らは「パウロとはどんな人物か。彼は然るべき人物か。十二使徒の誰かから推薦状をもらった上で、コリントに来たのか」と尋ねたのでしょう。

 コリント教会の人たちはパウロからはそんなものを受け取っていませんでしたので、今からでもパウロのための推薦状をもらっておいた方がいいのではないか、そういう話になったようです。その話がパウロにも伝わり、それを受けてパウロは、今日の箇所を書いています。

 

■あなたがた自身

 「わたしたちは、またもや自分たちを推薦し始めているのでしょうか」の「またもや」とは何のことでしょうか。おそらく、パウロが直前2章16節で「このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう」と語り、その後に、わたしたちこそそのような務めにふさわしい、と続けていることでしょう。ここだけを読めば、パウロが自分で自分を推薦しているかのようにも聞こえます。しかしパウロは、わたしにはそんなつもりはないと改めて断った上で、思いがけないことを語り出します。

 自分で自分を推薦しないのであれば、ではパウロは他の人たち、例えばエルサレム教会の誰かから推薦状をもらう必要があるのでしょうか。あるいはパウロが他の都市で開拓伝道する時に、コリント教会の人たちから「パウロはコリントで立派に伝道しました」といったことが書かれた推薦状をもらう必要があるのでしょうか。いえ、そんな必要はありません、とパウロは推薦状の必要性を否定します。なぜか。パウロはその答えを2節にこう記します。

 「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています」

 「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です」。心に深く染み入るような言葉です。その意味を説明するようにパウロの言葉が続きます。

 「それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています」

 「わたしたちの心に書かれている」とは、どういう意味でしょうか。この「書かれている」という言葉を直訳すると「刻み込まれている」となります。コリント教会の人たちのことが、パウロたちの心に刻み込まれている、それがこの言葉の字義通りの意味です。

 どういう意味なのか、はてなマークが浮かんできそうですが、「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です」と同様、これももちろん、比喩表現、メタファーです。文字通りに、パウロの心にコリント教会の人々の名前が刻み込まれている、ということではありません。この「わたしたちの心」とは、「パウロとその同労者たちの働き」のことを指す比喩だと言ってよいでしょう。

 パウロたちの働きがどんなものだったか。それを最も雄弁に示すのは、他でもない、コリント教会の人たち自身なのです。彼らがどんなクリスチャンであるのか、その存在、その姿によって、パウロたちの働きが目に見えるものとなり、その内容が明らかになるのだということです。パウロたちの働きの「実」であるコリント教会は今すでに、すべての人に知られ、見られているのです。

 とすれば、続く3節の「あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています」という言葉もまた、キリストご自身がパウロのために推薦状を書いてくださるのですが、その推薦状の中身が「あなたがた」、コリント教会そのものだということです。ですから、使徒であり、福音宣教者であるパウロへの信頼、信用は、ひとえにコリント教会、「キリストの手紙であるあなたがた」にかかっているのです。

 

■キリストが

 そんなコリントの教会の姿を思い浮かべつつ、パウロは彼らに「キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙」と呼びかけます。

 「わたしたちが」福音の言葉を刻んだのではありません。イエス・キリストがわたしたちを用いてくださった。「わたしたちを筆記具として」、「わたしたちを書記としてお書きになった」と言います。その表現に倣えば、イエス・キリストが口述をしておられるご自分の言葉を、パウロたちによってコリントの教会の人々の心に書き記してくださったのだ、そう読むことができます。

 つまり、「わたしたち」パウロたちの確かさは、キリストの確かさゆえです。そしてそれは、「あなたがた」コリント教会の人たちに真実のキリストに向かう信仰を呼び起こしてくださった、キリストご自身の働き、キリストの愛ゆえなのです。 Continue reading

8月3日 ≪聖霊降臨節第9主日/平和聖日/平和「家族」礼拝①≫『喜びと希望に満たされて』ローマの信徒への手紙15章 7~13節 沖村 裕史 牧師

メッセージ

■もう、せんさうは せずに

 平和聖日の今日、最初に、80年前の8月6日、ヒロシマにいた岸本光弘君という小学生が書き残してくれた「地の鹽(しお)にかわるもの」と題された手記をご紹介させていただきます。

 

 昭和二十年八月六日、朝、ぼくは いつものように 学校へいつた。まだ授業が始まるのに間があつたので、うんどうぢようで あそんでいると、とつぜん、ピカツと光つて、あたりが見えなくなつて、からだが 火の中に はいつたように あつくなつた。ぼくはびつくりして、むいしきに 走つた。校門のところへきたとき 急に ぐわらぐわら といふ音が 聞えたかと思うと、学校のこわれた はへんが、おかまいなしに とんできた。そのとき、学校にとまつていた へいたいさんが、「ぼうや、ふせつ!」といつたので、ぼくはそのまま、ぢべたへ はらばいに ふせた。少したつて、やつと頭をあげて見ると、あたりは もうもうと さじんがあがつて、夜のように まつくらだつた。それでも、ぼくは、たちあがつて はしつた。門の外へ出ると、少し さじんがおさまつて、ぼんやりながら その時の光景を見ることができた。今の今まで、がつしりと たつていた学校は、屋根がゆがみ、戸はたおれ、かべははげ、様子はすつかり かわつていた。それだけではない。泣き叫ぶ声、助けを呼ぶ声、それはちようど、じごくの えまきもの のようだつた。ぼくも なきながら、むちゆうで走った。学校をやつと とほざかつたころ、もう一ぺん たちどまつて 学校をみた。そして、いっしよに あそんでいた ともだちのことなぞを Continue reading

7月20日 ≪聖霊降臨節第7主日/地区講壇交換礼拝≫『不完全な祈り』テモテへの手紙一 2章 1~8節 池上 信也 教師(犀川教会)

 

 第一テモテ、第二テモテ、テトスの三書は牧会書簡と呼ばれる。全体的に牧会上の注意や勧めが記されているところからそのように呼ばれるのであるが、うち二通はテモテ宛、一通はテトス宛であり、この二人は共にパウロの同労者であった。本書の受取人であるテモテは、現在のトルコ出身と考えられている。この手紙はパウロの手紙の中でも最後期に書かれたものであり、当時パウロは、キリストの教えに対する抵抗が大きい世俗にあって逮捕され、獄中にいる。そこから彼は信頼できる同労者に、具体的諸問題について手紙を書き送ったのである。

 

 本書一章は挨拶、警告、感謝と続き、いよいよ二章から本題に入る。ここでパウロが最初に取り上げるのが祈りの問題である。ここには教会がどのように祈るべきかについて幾つかの示唆が書かれている。

 一節「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」。自分の知人や友人のためだけでなく「すべての人々」のために祈るというのは大変裾野が広い。本当に世界中の何十億人のために祈るとなれば、どんなに早口で祈っても千年以上かかるというつまらない計算結果があるが、パウロは別にそんなことを言っているのではない。自分だけの小さな世界で祈りを完結させてはいけない、と言っているのだ。

 マタイ五・四四でイエスは「自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われた。自分の好む者、また自分を好む者だけで世界を完結させるなという教えは、パウロにおいても同様である。続く二節で「王たちやすべての高官のためにもささげなさい」と言うのは、王や高官が偉いからといった価値観からの言葉ではない。王や高官たちが民衆をどのように悪し様に扱うのかを承知の上で、その連中のために祈るというのは、イエスが「自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われた姿勢と重なるのである。

 こうした祈りの姿勢というのは、祈りによる自己欺瞞や現実逃避を斥け、祈りによって自分の進むべき道や為すべき事が明確にされるという事につながる。だから八節「だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです」。念のために確認するが、では女は祈らなくても良いのか。いや、女は祈ってはいけないのか。

 

 祈りについての示唆に富む教えを語るパウロの頭の中に見えているのは、おそらく男性信徒の姿だけなのだ。ここにこの時代の現実を生きるパウロの限界が垣間見える。パウロは女性を視野の外に置いている。いや、そればかりではない。今日は八節でテキストを区切ったが、それは九節以下がとても朗読する気になれないからだ。読みたい人は各自で読んでいただければ良いが、パウロはそこで女性に対する、今日ではおよそ考えられないような差別的観念を得々と披露するに至るのだ。何だこれは。

 現代の私達の感覚ではまことに大きな抵抗を覚えざるを得ない九節以下の記述であるが、しかし実は、ほんの一〇〇年前までおよそ誰も問題を感じていなかったのだ。女性自身もこの箇所を読んで、救われるためには子どもを産まなくてはと出産に励み、子どもを産めない女性を障害者扱いして排斥する、そういう世の中だったのだ。日本だけではない。世界中がそうだったのだ。

 たとえば本日は参議院選挙の投票日であるが、民主主義の根幹ともいうべき参政権(選挙権、被選挙権)を日本の女性が得たのは一九四六年四月一〇日からだ。いま七九歳以上の女性は、参政権を持たなかった時代に生まれておられるわけだ。そんなに大昔の話ではない。

 

 女性を見下して差別する男性が、その価値観のまま聖書を読めばどうなるか。一番最初の創造物語において、まず男が造られ、女が後から造られた。それも男の一部から造られた。だから男が上で女が下、女は男の付属物、そうした価値観が聖書の言葉によって強化される。何しろ聖書にそう書いてあるんだから、という宗教的理由で性差別が正当化され、それに対して疑問を挟もうものなら「神に逆らう不届き者」と断罪されてしまう。そういった歴史を人類は長く長く、本当に長く歩んできたのだ。いま現在もなお女性に完全な参政権を与えていない国はバチカンとレバノンである。その根底に宗教的〝戒律〟が大きく横たわっていることが見て取れる。宗教は差別を固定化し、再生産するのだ。

 しかし神様は果たして女性差別を望まれたのであろうか。女は男よりも劣った存在だとお考えなのだろうか。勿論現代神学ではそうは考えない。神が女性を差別しているような記述があれば、それは女性を差別している男性によってそのように表現されているだけのことであって、神様ご自身の御旨とは別の話だと考える。

 

 では何故このような性差別的表現が聖書には残されたままになっているの。これが教科書であれば、誤った記述に対してはすぐさま書き直しが求められるのに、聖書はそのまま放置で良いのか。やはり不可侵領域だからなのか。そうではなく、安易に書き換えないことに積極的な意味があるからである。人間の限界を後世に留めるという意味を持たせるためである。

 聖書は誤りうる人間が編集した神の言葉である。人間が「誤りうる」証拠が、今日のテキストも含めて様々な箇所に残されている所謂「問題表現」である。ここのこれは「おかしいよね」と注釈を貼り付けて、その上でその誤った時代になお人間が神の言葉を求めようとしたナマの姿を留め置くことが重要なのだ。差別をしていた過去を隠蔽する、つまり差別なんかしていなかったことにしてしまうのではなく、こんな差別をしていたんだという人間の不完全さを明示することで、反対に神の完全性が示される。聖書の完全性とは、そういう逆説的な意味を持つものなのだ。

 

 だから私達は祈らねばならない。もし人間が完全であれば、祈る必要はない。人間が祈るのは不完全だからだ。不完全な者が神の完全を求めて祈るのだ。今日のテキストにおいても、不完全なパウロが、不完全な私たちに、不完全な形で神の完全性を何とか示そうと書き送っている、そのメッセージをしっかりと受け止めるべきであって、「パウロってアウトだよね」で済ませてしまってはいけない。

 男は清い手を上げて祈れ。女のためにも祈れ。女を差別する男のためにも祈れ。男だ女だと性別を決めつけようとする奴のためにも祈れ。そしてもちろん、女も祈れ。そうやって皆で祈る中に、神様が求めておられる完全な姿が少しずつ形をもって現れてくる。そのことを信じて祈り続ける者でありたい。

 

7月13日 ≪聖霊降臨節第6主日/夏の「家族」礼拝①≫『いのちはだれのもの?』(こども)、『いのちの息―土の器』(おとな) 創世記 2章 1~8節 沖村 裕史 牧師

 

お話し 「いのちはだれのもの?!」(こども・おとな)

■生きることと死ぬこと

 みなさんは身近で、いのちが生まれる瞬間や場面を見たことはありますか?わたしが小学校五・六年生の頃、ニワトリが大事にお腹の下で暖めていた卵からヒヨコが出て来たり、シロという犬が子犬を産んだ時のことを、よく覚えています。からだがヌルっと濡れていて、とっても小さくて…。小さいのに、ぴーぴー、くぅんくぅんと鳴きながら、一生懸命(いっしょうけんめい)、母親の体にしがみつくようにします。母親も、翼(つばさ)で覆(おお)うようにしたり、舌でやさしく嘗(な)めてやったりしているその姿を見て、何だか感動して、涙が出そうになりました。

 小さないのちの終わりを、死んでいるのを見たこともあります。飼っていたカブトムシや金魚が虫かごや水槽(すいそう)の中で死んでいるのを見つけたり、ツバメのひなが家の軒先(のきさき)の巣から落ちて死んでいるのを拾ってお墓をつくったり、近くの裏山にある秘密基地に行く小路(こみち)のそばに大の苦手だったヘビが死んで干からびているのに驚いたり…。いのちの終わりを目撃したときのその光景は、今もはっきりと思い出すことができますし、死はいつも、悲しくて、恐くて、わたしを不安にさせました。

 いのちの始まりと終わりを身近に見ていた小学生のわたしは、そんな体験を通して、ぼんやりとですが、生きることと死ぬこと―いのちについて考えるようになっていました。

 そんなわたしが中学校になって、一年に10センチずつも背丈(せたけ)が伸びていった、思春期(ししゅんき)真っただ中の中学二年生のときのこと。国語の先生が、志賀直哉(しがなおや)の『城崎(きのさき)にて』という小説を授業で取り上げ、蜂(はち)の死、鼠(ねずみ)の死、いもりの死を目のあたりにした主人公が口にした、こんな言葉を読み上げます。

 「死ななかった自分は今こうして歩いている。そう思った。自分はそれに対し、感謝しなければ済(す)まぬような気もした。しかし実際喜びの感じは湧(わ)き上がっては来なかった。生きていることと死んでしまっていることと、それは両極(りょうきょく)ではなかった。それほどに差はないような気がした」

 鼠の無残(むざん)な、しかしそれでも必死に生きようとする姿に、心を鷲掴(わしづか)みにされていたわたしの耳に、先生のこんな言葉が続けて聞こえて来ました。

 「すべてのものにいのちがあり、そのいのちを生きています。あなたたちが歩いている足もとにも、見えないかもしれないけれども蟻(あり)が生きています。そしてあなたたちは、それと知らずに蟻を踏みつぶし、そのいのちを奪っているかもしれません。もっと言えば、すべて生きとし生けるものは、生きるために他の生き物を殺し、そのいのちを食べています。そうするほかありません。皆さんはそのことをどう思いますか?」

 それからしばらく、この言葉が耳から離れず、学校からの帰り道、足もとを見つめながら恐る恐る歩き、いのちの儚(はかな)さと重さ、生きることと死ぬこと―いのちについて思いを巡らしていました。そうして、生きることと死ぬことは、別々のものじゃない、それはひとつ、いのちの「表と裏」じゃないのか、そう思うようになりました。

 

■人間が造った人間『フランケンシュタイン』

 さて、みなさんはどう思いますか。今のわたしたちは、生きることと死ぬこととを切り離し、死を悪いものと考え、死を遠ざけることばかりを求めてはいないでしょうか。生きることや若さや健康ばかりに目を向けることでかえって、生きて死ぬことの大切さ、いのちのかけがえのなさを見出しにくくなってはいないでしょうか。

 そんな、死ぬことを恐れて、生きることばかりを願うあまり、人間が人間のいのちを造り出そうとして、悲惨(ひさん)な破滅(はめつ)を迎えてしまうことになるのが、今日の映画、『フランケンシュタイン』(1994年)です。

 舞台は18世紀末のヨーロッパのある町。裏町の一角(いっかく)にひそかに建てられた実験室には、迷路のようにのびた電気の配線と、ベルトコンベアーを走る巨大な水槽箱。そんな工場のような実験室では、主人公の科学者ヴィクター・フランケンシュタインが上半身裸になって、髪を振り乱して飛び回っています。水槽に漬(つ)けられているのは絞り首の刑で死んだばかりの男の体で、そのクライマックスは稲妻(いなずま)を利用して死体に電気ショックを与えるところです。体をつぎ合わせた死体にいのちを与えようと、ヴィクターは高圧(こうあつ)の電気を流します。体に放電(ほうでん)される凄(すざ)まじい電流の火花。そして、一度は失敗したかに見えたものの、水槽箱の中から立ち現われたクリーチャー。しかし成功に喜んだのも束(つか)の間(ま)、その恐ろしい姿を見たとたん、科学がいのちを創造するべきだと信じていたヴィクターも、ことの重大さに驚いてパニックに陥(おちい)って気絶。気がついたときはすでに遅く、「愚かなるヴィクター・フランケンシュタインよ」と、実験に反対した教授たちの声がスクリーンいっぱいに鳴り響きます。「いのちを与えられた怪物が君に感謝するとでも思っているのか。奴は君に復讐(ふくしゅう)するぞ。……君の愛する者たちに神の加護があらんことを」。

 ここで映画を見ていただくのですが、取り寄せていた1994年制作の『フランケンシュタイン』のDVDが間に合いませんでした。大変申し訳ありませんが、今日は2015年制作の『ヴィクター・フランケンシュタイン』を見ていただくことにします。

 さて、どうでしたか。

 ヴィクターが、亡くなった兄への想いを告白するシーンがありました。

 イゴール「お兄さんは君を救ったんだろう?」

 ヴィクター「違う、俺は兄のいのちを奪ったんだ……だから、バランスを取らなければならない。いのちを創り出さなければならないんだ」

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7月 6日 ≪聖霊降臨節第5主日礼拝/聖餐式≫『キリストのかぐわしい香り』コリントの信徒への手紙二 2章 12~17節 沖村 裕史 牧師

 

■なぜ苦しむのか

 世界には多くの宗教があります。そして多くの人が宗教に求めることは、苦難からの解放、平安ではないでしょうか。人生には、いろいろな苦難や災難があります。苦しみや悲しみを味わったことがない人など何処にもおられないでしょう。わたしたちはできるだけ、そういうものに縁のない人生を送りたいと願っています。しかし苦難や災難は自分の注意や努力だけでは防ぎようがないものです。そのような災いに遭わないようにと神に祈る、これが古今東西の宗教を信じる人々が行ってきたことでしょう。

 逆を言えば、宗教を信じて神を熱心に拝んでいるのに災難続きの人生を送っている人がいれば、その宗教にはご利益がないと見られるかもしれません。あるいは、その宗教自体には確かにご利益があるのだけれど、信者の信仰、生活態度に問題があるから災難に遭うのだ、という見方もあります。一見信心深く装っているけれど、その裏では神に献げるべきものを、自分の楽しみのためだけに使っている人がいたら、どうでしょうか。その人は天罰を受けて災難に遭うに違いない、とは思わないでしょうか。

 このことが、旧約・ヨブ記で問われていました。ヨブという人は信心深く、行いの正しい人だったので、神は彼を大いに祝福していました。しかしそのヨブに突然、様々な艱難辛苦が襲いかかります。ヨブは正しい人だから神に守られるはずなのに、どうしてこんな苦しみばかりが襲ってくるのか、なぜ神はヨブを守ってはくださらないのか、と周囲の友人たちは驚き怪しみます。そして彼らが下した結論は、ヨブは一見品行方正に見えるが、隠れたところで罪や過ちを犯しているのだ、だから彼は天罰として恐ろしい苦しみに遭っているのだ、というものでした。ヨブはそんな人ではありませんでしたが、神は正しい人を守ってくれるはずだという信念を抱く友人たちは、そう考えました。

 パウロの場合もそうでした。彼の伝道活動には、いつも苦難が伴っていました。それを見た人たちは「あのパウロという人は、自分は神から遣わされたと言っている。それならどうして彼はあんなひどい目にばかり遭うのか。なぜ神はパウロを守らないのか」と思うようになります。

 そのうち「パウロはわたしたちの献金をだまし取っているのではないか」などと言い出す人も出てきました。パウロは、マケドニアの教会―フィリピやテサロニケの教会から献金を受け取りながら、コリント教会からはなぜか献金を受け取ろうとはしませんでした。そのパウロがわたしのためではなく、エルサレム教会のために献金をしなさいと盛んにコリント教会の人たちに勧めます。それを聞いて、自分は献金を受け取らない、あなたがたに重荷を負わせないためだ、などと何だかイイ格好をしているが、実はエルサレム教会を隠れ蓑にして、自分のためにお金を集めているのではないか、そう勘繰る人たちが出て来たのです(12:16)。パウロは詐欺まがいのことをして神の怒りを買い、だからあんなに苦しんでいるんだ、そんな勝手な解釈をする人たちが現れたのです。

 それでパウロは、ここで自分の苦難の意味について語ろうとします。

 

■トロアスからマケドニアへ

 パウロはまず、直近の自分の行動について説明します。これまでお話ししてきたように、パウロは伝道旅行の計画を何度も変更しています。彼が伝道計画を変えた最大の原因は、コリント教会の中に、パウロに対して悪意を持って中傷する信徒たちがいたためでした。テモテからの知らせを受けて、慌ててコリント教会に駆け付けたパウロですが、彼に対するコリント教会の信徒たちの態度はあまりにひどいもので、エフェソに帰らざるを得なくなります。

 もちろん、パウロもこのままでいいと思っていたわけではありません。コリントの信徒たちに猛省を促すために、パウロはエフェソでコリント教会宛の手紙を書きます。現在この手紙を読むことはできませんが、パウロは4節に「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました」と記しています。パウロはこの手紙を受け取ったコリント教会の人たちが心から悔い改め、態度を改めて、再びパウロを迎え入れてくれることを願って、テモテではなく、もう一人の同労者テトスにこの涙の手紙を託し、コリント教会に送り出したのでした。

 ところが、そのテトスがなかなか帰って来ません。電話も何もない時代です。コリントの様子が分かりません。そこでパウロはエフェソを離れ、北上してトロアスというところまで行きます。テトスがコリントから陸路、マケドニア経由で帰って来るなら、トロアスに行った方が早くテトスに会える、そう考えてのことでした。待つ間も、トロアスでの伝道は順調に進み、人々はパウロの語る福音に耳を傾けてくれました。

 しかし、ここでもテトスに会えません。パウロはトロアスでの伝道に手ごたえを感じつつも、居ても立っても居られず、さらに北上してマケドニアへと向かいます。そうして、やっとテトスに会うことができたのでした。

 パウロはコリント教会のことをテトスから聞きました。彼によれば、多くの人たちは悔い改めたとのことでした。そしてコリントの信徒たちは、パウロに暴言をぶつけた信徒を処罰し、パウロと真剣に和解したいと願っているとのことでした。この知らせ聞き、パウロは喜び、神に感謝します。

 

■死の行進になぞらえる

 しかしここで、パウロは何とも不可解な表現で語り始めます。14節、

 「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」

 「神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ」とあります。プロ野球で優勝した球団や、オリンピックで金メダルを取った選手たちが優勝パレードをしますが、その華やかなパレードの一員にパウロたちも加わった、そんな情景を思い浮かべるかもしれません。しかし、事実は全く違うようです。ここでパウロが語っていることは、第一の手紙4章9節のことです。

 「考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです」

 パウロは、ローマ軍による勝利のパレードのイメージを用いて語っています。ローマ帝国では、敵に勝利するとローマで凱旋パレードをします。そのパレードの最後、しんがりには敗軍の将たちが見せ物として連なります。彼らはローマの神々へのいけにえとして殺されるか、奴隷として売られます。彼らは戦に敗れただけでなく、辱めを受けるためにパレードに加わるのです。パウロはこの敗軍の将たちのように、自分たちもイエス・キリストにあって屈辱を受けるために死の行進に加わっているのだ、と言うのです。

 しかもパウロは、ここで神に感謝しています。そんな屈辱のパレードに加わることが、どうして神への感謝に結びつくのでしょうか。パウロの真意とは何でしょうか。パウロは今、自分たちの苦難に満ちた伝道のための道程(みちのり)を、屈辱のパレードを歩かされる人たち、彼らを待ち受けるのは死なのですが、その彼らの死の行進になぞらえているのです。 Continue reading

6月22日 ≪聖霊降臨節第3主日/トリニティ・三位一体「家族」礼拝≫『僕は見たんだ!』(こども)『まだ遅くない!』(おとな)ヨハネによる福音書 19章 23~27, 38~42節 沖村 裕史 牧師

 

お話し 「僕は見たんだ!」(こども・おとな)

■ルーベンスの『キリスト降架(こうか)』

 今日読んでいただいた聖書の箇所には、イエスさまを十字架につけるローマの兵士たちとそれを命じたローマの総督(そうとく)ピラトの他に、十字架の下からイエスさまを見上げる四人と、十字架からイエスさまの亡骸(なきがら)を下ろして墓に埋葬(まいそう)する二人の、合わせて六人の人が出てきます。

 この六人の姿が描(えが)かれた『キリスト降架』という絵があります。描(か)いたのは、ベルギー、オランダ、フランスに跨(またが)るフランドル地方の画家、ピーテル・パウル・ルーベンスです。四百年以上も前に描かれたこの絵は今も、ベルギーのアントワープにある聖母大聖堂(せいぼだいせいどう)に飾られています。

 真ん中、左、右の三つのパネルに描かれた三面鏡のような、その真ん中の絵が、からし種通信に載(の)せ、前のスクリーンに映し出している絵です。縦4メートル、横3メートルを超える大きな絵には、イエス・キリストの亡骸が、八人の男女によって十字架から降ろされている場面が描かれています。キリストの手や足、脇腹(わきばら)からは血が滴(したた)り落ちています。

 一番上に描かれている二人は名前も分からない人物ですが、そのうちの一人、白い布を左手で握っている人物の下、キリストの左側に描かれた男性が、アリマタヤのヨセフです。身分の高い、ユダヤの最高裁判所・サンヘドリンの議員にふさわしく、長いひげを生やしています。白い布を口でくわえている人物の下、キリストの右側に描かれた男性は、ユダヤ人の学者であるニコデモです。

 アリマタヤのヨセフのすぐ下で、悲痛(ひつう)な表情でキリストのほうに腕を伸ばしている女性は母マリア。西洋絵画では、母マリアはいつも青い衣装を身にまとった姿で描かれます。キリストのすぐ下で彼を受け止めている男性は、キリストの愛弟子(まなでし)。赤い衣服を身にまとっていることからそのことが分かります。キリストの左足を支えているのは、マグダラのマリア、彼女の後にいるのが、クロパの妻マリアです。

 

■僕は見たんだ!・『フランダースの犬』

 ルーベンスのこの絵を見て、すぐに思い出すのが、この後見ていただくアニメ映画『フランダースの犬』のラストシーンです。

 ひとりの少年が弱りきった体で、気が遠くなりそうになるのを懸命(けんめい)にこらえながら、やっとアントワープの大聖堂にたどり着きました。そして、聖堂の内に入って、夢にまで見たルーベンスの絵『キリスト降架』が掲(かか)げられているところまで、ふらふらしながらやってきました。すると、どうしたことでしょう。いつもならカーテンに覆(おお)われて厳重に隠されているはずのその絵が、カーテンも取り払われて、そこにあるではありませんか。

 「とうとう、僕は見たんだ。ああ、なんて素晴らしい絵なんだろう。マリア様ありがとうございます。これだけで、もう僕は何もいりません」

 少年が絵をじっと見つめていると、そこに、老いた一匹の犬が残された力を振(ふ)り絞(しぼ)って、後を追うようにして入ってきます。大聖堂の奥に少年を見つけて駆(か)け寄(よ)る老犬。少年もそれに気づいて、犬を抱きしめました。

 「パトラッシュ、お前、僕を捜(さが)しにきてくれたんだね」

 老いた犬はうれしそうにクウーンと答えます。

 「わかったよ。お前はいつまでも僕と一緒だって、そう言っているんだね。僕は見たんだよ。一番見たかったルーベンスの二枚の絵を。だから僕はすごく幸せなんだ」

 しかし、その犬はとうとう力尽き、床に横たわってしまいます。

 「パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れた。何だかとても眠いんだ。パトラッシュ…」

 犬のかたわらに身を寄せて、静かに目を閉じて死んでいく少年、それをルーベンスの『キリスト降架』の絵がじっと見守っていました。

 これは、イギリスの女性作家ウィーダが1872年に発表した児童文学をもとに、『ゲゲゲの鬼太郎』や『母をたずねて三千里』などのアニメを手がけた黒田昌郎(よしお)監督のアニメ映画、『フランダースの犬・劇場版』(1997年)のラストに近いシーンです。

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6月15日 ≪聖霊降臨節第2主日礼拝≫『涙の手紙』 コリントの信徒への手紙二 1章 23節~ 2章 4節 沖村 裕史 牧師

■誹謗中傷

 パウロが第一の手紙を書いていた頃、思いもよらぬ事態が生じていました。パウロ不在のコリント教会に、新しい宣教師たちがやってきていたのです。ユダヤ人で、律法主義的な傾向を強く持っていた彼らは、パウロに批判的でした。彼らはコリント教会にやって来て、いわば無牧の状態にあった教会の信徒たちに、律法に定められた割礼や食事に関する掟を固く守るよう求め、そのことに反対するパウロについて、様々な非難や中傷を吹き込んだのでした。結果、コリント教会の少なからぬ人々が、彼らの語ることを鵜呑みにしてしまいました。

 パウロという人は、後代の教会ではイエスさまに次いで強い影響力、権威を持つ人物だと申し上げてよいでしょう。新約聖書の約半分がパウロの手紙で占められているほどです。しかしパウロが実際に宣教活動に携わっていた頃は、事情が大きく異なっていました。

 パウロは十二使徒のようにイエスさまから直接教えを受けたわけではありません。また主の兄弟ヤコブのように、イエスさまと血のつながった兄弟であったわけでもありません。それどころか、かつてはキリスト教会を滅ぼすために積極的に弾圧を加えていたユダヤ教のエリートであり、異端審問官のような人物でした。パウロのために仲間が傷つけられ、痛めつけられた、そんな個人的な怨みを抱いていたクリスチャンも少なからずいたことでしょう。そんな人ですから、いくら復活のイエス・キリストに出会って回心し、福音宣教のために目覚ましい働きをしているとはいえ、教会のリーダーとは容易には見なされませんでした。

 コリント教会の人たちにとっても、パウロとの付き合いはせいぜい1年半です。パウロのことは何でも知っていると言えるほど、親しい間柄ではありません。そんなコリント教会の人々のところに、モーセ律法に精通している宣教師たちがやって来て、パウロからは聞いたこともなかったことをあれやこれやと教えられ、彼らもだんだんと新しい宣教師たちの言うことに耳を傾けるようになっていきました。そうして、パウロから第一の手紙を託されたテモテがコリントにやって来た頃には、コリント教会の人たちの心はパウロからすっかり離れてしまっていました。

 

■予定変更

 そんな状況を聞きつけたパウロは、当初はマケドニア教会に行ったその後にコリント教会に行く予定にしていたのですが、その予定を急遽変更し、急ぎコリント教会に駆け付けたのでした。これが、前回の説教でもお話しした、「パウロの第一の予定変更」です。

 急いで駆け付けたパウロでしたが、このコリント教会への訪問は最悪のものとなりました。コリント教会の人たちのパウロに対する態度はよそよそしく、冷たく、中にはパウロに面と向かって罵倒する人さえいました。この胸のつぶれるような状況に、パウロはもちろんのこと、コリント教会の心ある人々もひどく胸を痛めました。今日の2章1節に「そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました」とある、その「再びあなたがたを悲しませるようなこと」とは、その訪問のことです。

 コリント教会で悲惨な目にあったパウロは、再度、予定の変更を余儀なくされます。最初の予定は、エフェソからマケドニア、次いでコリント、そして諸教会からの献金を携えてエルサレムに向かうはずでした。しかし一度目の予定変更によって、エフェソから直接コリントへ、次いでマケドニア、そこからもう一度コリントに戻り、その後、エルサレムに行くことにしました。ところが、予定を変更して向かったコリントの状況が、パウロの予想をはるかに超えて厳しいものであったため、パウロはマケドニアに行くことを断念し、出発地点であるエフェソへと戻ることにしたのです。

 この相次ぐ変更を見て、パウロを批判する人たちはその批判の声をさらに強めます。パウロは予定をコロコロ変えて、いったい何を考えているのか、と。彼らは、パウロが臆病だと非難しました。コリントの信徒たちから面と向かって批判されたことに恐れをなして、マケドニアの教会に行くことも、またコリントの教会を再び訪問することもできないでいる、と非難したのでした。

 

■思いやり

 この厳しい状況の中、この二度目の予定変更がどうして必要だったのか、そのことを切々と訴えているのが、今日の箇所です。冒頭23節、

 「神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです」

 パウロはここで神に誓っていますが、パウロがこの手紙で神に誓うのは二度目です。直前の18節に「神は真実な方です」とありましたが、これもまた、神への宣誓でした。聖書は神に誓ってはならないと教えています。ただ、文字通りに誓いを禁止しているわけではありません。それはむしろ、誓いなど必要としない関係を築きなさいという勧めでした。この手紙で二度も誓わなければならなかったことに、パウロも忸怩たる思いを抱いていたことでしょう。なぜなら、自分とコリント教会との人々との間には、誓いを必要としないような確かな信頼関係が育っていない、ということを自ら認めるようなものだからです。それでも、パウロは誓わずにはおられませんでした。自分が言っていることが自分のいのちに賭けて、また神に賭けて真実だ、ということをコリントの人々に伝えたかったからです。

 パウロは、自分がコリント教会を再び訪れるのを先延ばしにしているのは、彼らから拒絶されることを恐れてのことではなく、彼らに対する「思いやり」のためだと言います。パウロは彼らを力づくで支配しようとしているのではありません。むしろ優しく、親しい気持ちで仲間として呼びかけます。続く24節、

 「わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです」

 裁きを仄めかし、彼らを恐怖で縛り付けようとするのではなく、むしろ信仰に堅く立つ同労者、友として語りかけています。協力者、ギリシア語ではスネルゴスという言葉ですが、これはパウロがテモテやプリスカとアクラなど、親しい同労者に対して使う言葉です。パウロはあえて、この言葉をコリント教会の信徒たちにも用いることで、彼らに対する権威を振りかざすのではなく、主にある兄弟姉妹としての仲間意識と尊敬を込めて語りかけています。

 

■すべての喜び

 そんなパウロの思いが、よりはっきりと、心を込めて語られているのが、2章1節から4節です。

 パウロが訪問を遅らせているのは、コリント教会の人が誰も悲しまないようになるためだと言います。コリント教会のすべての信徒たちがパウロを拒絶したのではありません。むしろパウロを支持していた人たちの方が多かったでしょう。しかし、パウロを支持して応援していた人たちにとっても、先のパウロのコリント訪問はある意味、パウロ以上に失望させられるものでした。せっかくパウロが何年かぶりにコリント教会に戻ってきて、旧交を温めようとしたのに、一部の人の心ない振舞によって、すべてが台無しになってしまいました。パウロはすぐにエフェソに戻ってしまって、いつまたコリントに来てくれるかもわかりません。こんな状況に心底がっかりしたことでしょう。

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6月8日 ≪聖霊降臨日/ペンテコステ・子どもの日・花の日「家族」礼拝≫『主の霊によって生きる』 エゼキエル書 37章 1~10節/使徒言行録 2章 1~4節 沖村 裕史 牧師

 

■神の霊

 神は果たして存在するのか。わたしたち人類は長い間、そのことについて検討してきました。存在するのか、それとも存在しないのか、それは二本のレールのような議論でした。ただいずれの場合も、神を「存在」という枠の中で論じていたことに変わりはありません。

 しかし今日のみ言葉が語る神は、その枠を超えるものでした。

 「神は霊である」。聖書はそう告げます。「霊」とはヘブライ語のルッアッハ、息のことです。聖書の第1ページ、創世記冒頭にこんな言葉が記されています。

 「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ』。こうして、光があった」(1:1-3)

 神が、すべての始まりの時に「神の霊」を通して働きかけてくださり、そして何よりも、その最初の一言が「光あれ」であることに、深い感動と安らぎを覚えずにはおれません。

 創世記はさらに、神が空と海と大地を形づくり、草木と動物をつくり、そして神の霊を吹き込んで人間を創られた様子を描きます。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(2:7)。神の息、霊によって、わたしたちはいのち与えられ、生きる者とされました。

 すべての存在、あらゆるいのちで、自分の意志、自分の力で、自分が望んで存在したものなど、何一つとしてありません。すべてのいのちにとって、最も尊く、ありがたいのは、「あれ」と命じてくださった意志、御心です。神がそう命じられたのですから、わたしたちはもう、何も悩む必要はありません。ただここに「あれ」ばいい。わたしもあなたも、すべてのものが神に「あれ」と願われ、「あれ」と命じられて今ここにある、生きているのだということです。誰からも、何者からも拒まれ、否定されることのない神の意志、神の御心よって、わたしたちはいのちを与えられ、今ここに生かされているのだという、尊い真理がここに示されています。

 わたしたちにはときに、わたしは何のため生きているのか、わたしの人生に何の意味があるのか、と思い悩むことがあります。わたしになんか、何の価値もない、わたしみたいな、つまらない何もできない、人から蔑まれるばかりの人間など生きていても何の意味もないではないか、そう思って、深く苦しむことがあります。その苦しさに耐え切れず、いっときの満足だけを追い求め、自分の業績ばかりを誇り、人に認められることばかりを願って、結局のところ、さらに傷ついてしまいます。

 そんなわたしたちに、神は今も、神の霊によって、ただ「あれ」と言ってくださいます。わたしのいのちも、あなたの人生も、神の意志によって与えられた。ただそれだけが、そしてそれこそが、わたしたちの存在理由、わたしたちが生きていることの意味、決して揺るぐことのない真理です。

 

■風のように

 いのち与えられた神は、その存在をはっきりと捉えることのできない神です。しかし、霊として自らの「時」と「場」を携えてわたしたちに触れてくる神です。

 神の霊は風のようです。風が直接、その姿を見せることはありません。吹く前にはそれこそ、どこにも存在しない風ですが、ひとたび吹き過ぎる時、木々の葉をそよがせ、枝を揺るがします。それで、人は風の在り処を目で捉えます。すべては風の通り過ぎた後のことです。同じ風でありながら、吹き抜ける対象によってその現われ方はさまざまです。そもそも、どこから来て、どこへ行くのかもわかりません。風の思いのままです。それが風です。帆を操る船乗りたちはすべてを風にまかせます。人間の都合でどうこうできるものではありません。風は自ずから吹くのです。

 神は風そのものです。自らの「時」と「場」に応じて吹き過ぎます。ちょうど、ペンテコステのときのように…。

 「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」(使徒2:1- 2)

 イースターから数えてちょうど50日目の今日、天の父のもとへと帰られたイエスさまは、この世に残された弟子たちのために、激しく吹く風のような霊を注いでくださいました。イエスさまはその霊について、弟子たちに繰り返し告げておられました。

 「私は父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである」(ヨハネ14:16-17)

 イエス・キリストの死と復活、そして昇天の後、ペンテコステの出来事を通して、神の霊が弟子たちに注がれ、弟子たちは教会としての歩みを歩み始めました。教会は、御心のままに吹く風のような神の霊に導かれて、今も、ここに集うわたしたちに受け継がれています。

 

■幻は現実

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6月1日 ≪復活節第7主日礼拝≫『神の恵みの下に』 コリントの信徒への手紙二 1章 12~ 22節 沖村 裕史 牧師

 

■心から心へ

 よく、コリントの信徒に宛てたこの第二の手紙はとても難しい手紙だ、と言われます。その難しさには二重の意味があるようです。

 一つは、この手紙が書かれた時のパウロの状況それ自体が難しかった、と言います。パウロは当時、伝道を進める中で大変な迫害を経験していて、その上、自分が開拓伝道して建てた教会の信徒たちとの関係も必ずしも良好ではありませんでした。まさに内憂外患という状態です。旧約聖書の預言者にエレミヤという人がいますが、彼は人々の無理解に苦しみ、涙の預言者と呼ばれました。パウロもまた、涙の使徒と呼びたくなるような困難に直面していました。そんな苦しみと悲しみを背後に置いて書かれた言葉が、すぐにわかったような気になることを阻んでいると言ってよいかもしれません。

 二つ目は、この手紙の内容そのものが難しいということです。それは、この手紙には難しい理屈や教理が書かれていて難解だ、という意味ではありません。先ほど申し上げたような、この手紙を書いたときのパウロの置かれていた状況をよく踏まえておかないと、この手紙を理解することが難しいということです。

 そう考えながら、ふと思い出した一文があります。若松英輔の「求道者と人生の危機」です。

 「…出会った場所は、亡くなった井上洋治神父が主宰していた『風(プネウマ)の家』だった。…若さとは未熟さの別な表現にほかならないが、私の場合は、大きく未熟さに傾斜していた。神父はそうした私をときに激励し、慰め、そしていつも見守ってくれていた。神父に出会っていなければ人生が変わっていただけではない。人生が始まっていなかったのではないかとすら思う。

 神父が亡くなったと聞いた、その瞬間、打ち消しがたい、ある思いが胸を貫いた。『今度はお前の番だ。お前がどんなに未熟でも、お前が若い人と向き合うときだ』。大学に勤務するようになったのはそれから四年半後だったが、その間も、幾度となく次の世代に言葉を受け渡すことを折にふれて考えていた。

 『教える』という言葉には、以前から違和感があった。神父が行ってくれたのも『教える』というよりも『手渡す』というべきことだったからだ。それは手から手へというよりも心から心へと伝えられた。

 最晩年、神父が亡くなる数ヶ月前、神父から電話があった。どうしても話したいことがあるから来てほしいという。昼食を食べながら、さまざまな話をし、少し言葉が途切れたときだった。

 『若松君』、そう神父は少し声を詰まらせるようにしながら、こう続けた。

 『ぼくは、心から心へ伝えたいんだ。これまでもずっとそう願ってきたんだ』

 この言葉を私は神父の『遺言』だと思っている。浅学菲才(せんがくひさい)の身には、神父の思想を受け継ぐことはできない。しかし、頭から頭へではなく、心から心へ言葉を手渡すことはできるかもしれない。ことに若い人たちにそうしたい。神父が亡くなり、彼を思い出すたびにそうした思いを深めるようになっていった」

 「心から心へ言葉を手渡す」。パウロもまた、同じような思いをもってこの手紙を書いていたのではなかったでしょうか。

 

■神の恵みというプライド

 そして冒頭、パウロは心を込めて語りかけます。

 「わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです」

 「とりわけあなたがたに対して」とあります。パウロはこれまで、コリント教会の人々と様々な言葉を交わし、ときには論争をし、ときにはパウロの方が困惑するようなやりとりをしてきました。そのようなときに、人間の知恵算段で何とかしてうまく押さえこもう、事態を治めようという考えに、もしかすると誘われたのかもしれません。しかしそれを退けて、パウロは「とりわけあなたがたに対して」、ひたすら神の恵みの中で行動してきたのだと言います。

 コリント教会は、正直、実に扱いにくい教会でした。わたしたちも扱いにくい人間、扱いにくいグループ、扱いにくい人間関係の中に立ったときには、途方に暮れることがあります。しかしそこでも、パウロは誇りを失わなかったのだと言います。どんなことがあっても、自分は伝道者としてうまくやれるというプライドに生きていたと言うのではありません。パウロはこの手紙の中で、自分のことを、すぐにひび割れる、落とせば砕けてしまう「土の器」だと言います。自分の弱さを隠そうとはしませんでした。そんな自分がただ神の恵みの中にだけ生きた、と言います。自分はプライドを失うことはないとパウロが言う、そのプライドとは、神の恵みというプライドです。

 考えてみれば、不思議な表現です。普通であれば、自分一人ではやっていけなくて、神の恵みを受けなければ生きることができないというのは、人間としてプライドを失くすことだと考えるかもしれません。実際、信仰を勧められてもなかなか信仰に踏み出すことができない人の心の中には、うっかり信じてしまうと自分のプライドがなくなるという思いがあります。思わぬ困難に見舞われて相談に来られた方と会い、お話をしたその最後に、「神をどうぞ信じてください」と言うと、「わたしのプライドが許さない」と言われてしまうことがあります。

 だからこそ、イエスさまは「幼子のように」と言われたのかもしれません。幼な子というのは、プライドから自由です。プライド、誇りにこだわるのは大人です。子どもではありません。パウロはしかし、誇りを、プライドを捨てたのではありませんでした。本当の誇りが見つかったのです。誇り豊かに胸を張って生きることができるようになったのです。それは、自分たちの良心の証しにも耐える、やましさなどない、ただ神の恵みに生きる、ということでした。パウロは今、ただ神の恵みの中に生きるというプライド、その信仰を、あなたがたにも生きて欲しい、と心を込めて語りかけるのです。 Continue reading

5月25日 ≪復活節第6主日/ロガーテ・祈りの「家族」礼拝≫『心に語りかける声』(おとな)ルカによる福音書11章5~13節 沖村 裕史 牧師

 

■執拗に求める

 イエスさまは「主の祈り」に続いて、三つのたとえを話されました。「祈りとは」どういうものか、どうあるべきかについて、弟子たちを教え諭されるためです。

 最初は「パンを求める友のたとえ」。5節から8節です。ある人が夜更けに、「旅人をもてなすためのパンを貸してくれ」とお願いにやってきます。しかし、もう夜中です。訪ねて来られた人は断りますが、しつこく、執拗に求められます。

 この物語の結び、8節は「あなたたちの中の誰が、そんなことをするだろうか」という疑問の形で問いかけながら、「いやそんな者はいやしない」という反語的な意味合いが、そこには込められます。夜中であっても、いや、むしろ夜中であるからこそ、そのように助けを求められて、もう寝ているからといって、いったい誰が追い返すだろうか、そんな者はいないという意味です。

 一部屋か二部屋しかなかった当時の家では、同じ部屋で家族全員が睡眠をとるのは普通でした。みんな一緒に眠っている、小さな子どももすっかり寝入っています。夜中に訪ねるということが迷惑極まりないことは、パンを借りにきた人にも重々わかっていました。「なんて非常識な」という思いは、今のわたしたちと同じでしょう。

 しかし、しかし借りに来た人にも理由があるのです。しかも、当時のユダヤ社会、助け合って生きることを当然と考える社会では、旅人をもてなすことは共同体のメンバーとして当たり前のこと、義務でした。とはいえ、しつこく、まして夜中にパンを求めるというのは、いかにも厚かましい行為です。8節に言葉を補ってみると、こんな意味になるでしょうか。

 「たとえ、夜中に起こされたその人は、自分の友だちだからという理由で、立ち上がってパンを求めてやってきた人に与えることはなくとも、本来は友なのだからそうしてしかるべきなのだが、それでも、パンを求めてきた友人のしつこさゆえに、それがどれだけ恥知らずなものであっても、起き上がって、その人はパンを求めてきた彼が必要とするだけのものを与えるだろう」

 このたとえには子どもを含め、四人の人物が登場しますが、主な登場人物は、夜中に起こされた主人とパンを求めてきた友人です。7節に「わたしの子どもたち」とありますから、この主人は父親です。そう、「父なる神」のことです。一方、パンを求める友人とは、主の祈りで日々のパンを求め祈る、わたしたち自身です。

 何も「しつこい」祈りが勧められているのではありませんがしかし、その「しつこさゆえに」「熱心に求め続ける姿勢に対して」、父親である主人が友人の求めに応えるのであれば、わたしたちの父である神、絶対的な主権者であり支配者である方が、わたしたちの願い-祈りを聞き届けられないことがあるだろうか、いや、そんなことはありえない。父である神は、絶対に聞き届けてくださる。このたとえはそう教えています。

 

■求めるものを与えられる

 しかも父である神は、わたしたちが「求めるものを必要とするだけ」、きちんと備えてくださるのです。9節の「そこで、わたしは言っておく」という言葉によって、イエスさまは宣言されます。

 「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」

 「求めよさらば与えられん」というよく知られたこの言葉は、格言的な表現とその繰り返しによって、わたしたちの願いと祈りに応えてくださる父なる神への確信を、堅い信頼をさらに強めようとしています。繰り返しは、ただ神への信頼を強調しているだけでなく、「主の祈り」と同じように、日々、祈り「続ける」こと、「終わりのときまで」願い求めることの大切さを説いています。

 「求める-与えられる」「探す-見つかる」「門をたたく-開かれる」というこの響き合うような関係は、祈りにおける父なる神とわたしたち人間との関係―祈り求めるわたしたちの姿(信仰=ピスティス)とそれに応答してくださる神の真実(誠実さ=ピスティス)とを示しています。神の応答は、わたしたち人間側の条件にはまったく関わりなく、ただ祈り求めるすべての人に、一方的に「与えられ、見つかり、開かれ」ているのだということです。

 そして11節にこう言われます。

 「あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に蛇を与える父親がいるだろうか、また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか」

 「蛇」と「蠍(さそり)」は、サタン、あるいは悪を象徴する言葉です。わたしたちはもちろん、親による幼児虐待や育児放棄という悲しい現実があることを知っています。それにもかかわらず、そんな罪深いわたしたち人間の親子という関係においてさえ、そうやって父親は子どもを愛し守ろうとするのではないか。それが人としての真実の姿ではないのか。ましてや、父なる神が、わたしたちの必要とする日々の糧を求める祈りに、罪の誘惑をもって応えるはずなどありえない。そう、断言されます。

 

■聖霊によって

 そして最後13節です。

 「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」 Continue reading

5月18日 ≪復活節第5主日礼拝≫『苦しみの中の希望』 コリントの信徒への手紙二 1章 8~ 12節 沖村 裕史 牧師

 

■苦難と慰め

 前回、お読みいただいた4節にこうありました。

 「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」

 印象深い言葉です。神はただ慰めてくださる、というのではありません。あらゆる苦難に際して慰めてくださる、と言われます。神を信じて生きるときに、わたしたちは苦難に直面をします。

 苦難のない無風地帯なんてありません。雨風の当たらない平穏な場所を求めて、それが信仰だと思っているとするならば、わたしたちは結局、この人生からは何も得ることはできないでしょう。どうしたら、苦しみのない人生の道を得られるだろうか。それだけを求めていくなら、わたしたちのこの人生は不毛なものになります。なぜなら、苦難を避けて、わたしたちが神に出会うことはありえないからです。

 しかし、パウロの言葉はそこに止まりません。

 「この慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」

 わたしたちは、苦難の中に踏みとどまって、神の慰めを受け取るから、他の人の苦難に際して慰めを与えることができる、と言います。苦難を前向きに生きている人こそが、苦難の中にいる他の人を慰めることができるのです。苦難の中で鍛錬されて、強くなって、タフになって、他の人を励ます力が与えられるのではありません。苦難の中で、弱いから、行き詰まるから、そこで慰めを神から受けて立っている人が、他の人を慰めることができるのです。

 

■小さな悲しみ

 カトリックの信徒である末盛千枝子さんという人が書いた『ことばのともしび』という、わたしがとても大切にしている小さな本があります。以前ご紹介したことのある本ですが、その「あとがき」にこんな一節が記されています。

 「二十代でこれからというときに親しい友人に死なれました。そのあと三十を過ぎて、人に紹介されて結婚した夫は本当に優しい人でした。でも、その夫は十一年の結婚生活のあと、小さな息子二人を残して突然死してしまいました。そのうえ長男には難病があることがわかっていました。でも夫が亡くなる直前にある友人夫妻が、絵本の編集の仕事をしませんかと誘ってくれていました。夫に死なれて急に仕事を探すのだったら本当にたいへんだったと思いますが、その点、とても恵まれていました。

 それに、夫のお通夜の後で、『これからもまだまだ、いくつもの困難があるだろう。でもそのときに、必ずそれを乗り越える力が与えられるに違いない』と思ったのです。子どもたちを残して夫に死なれるというのはほとんど最悪の事態なのに、そう思ったのです。思ったというよりもむしろ、自分の胸の中に聞こえてきたと言った方がいいかもしれません。それはとても不思議な経験でした」

 どんな苦難の中にあっても、神がそれを乗り越える力を与えてくださると信じる末盛さんの信仰に励まされつつ、その本の中の「小さな悲しみ」と題された一文をご紹介します。

 「小さなことであっても実はとても大切なことがあるのではないでしょうか。たとえば、大事にしていたゴム風船のひもをはなしてしまい、どんどん空に飛んでいってしまったということが、どんな子どもにもあるかもしれません。それは人の一生で大切な経験のような気がします。

 子どもが初めて出会う、この小さいけれど取り返しのつかない悲しみは、大人たちが出会う大きな悲しみと比べて意味がないのだとは決して思いません。子どもは、このことをきっと大切に心の中にしまっているのです。そして、こういう経験をした子どもはその分、友だちにもやさしくできるのではないかと思うのです。

 たぶん、人生はこういう小さな悲しみの積み重ねからできていて、その一つひとつはまるでモザイク片のように本当に小さな一片でありながら、それが集まって姿を現したときに、そこにその人の全体像が見えてくるのではないでしょうか。

 そんなことを考えると、大人になってからの深刻な悲しみと、子どものときの風船を飛ばしてしまった悲しみとは、どちらが重要とは言えないのだとさえ思います。

 息子たちがまだ小学生だったときに彼らの父親が亡くなりました。息子たちは口ではなにも言いませんでしたが、あのころの写真を出してみると、本当に悲しそうなのです。言葉に出して悲しむことができないほどだったのだと、いまさらのように思います。そして、父親の死からほどなくして、こんどは飼っていた猫が死にました。そのときの次男の嘆きは忘れられません。父親の死も猫の死も、彼は精一杯、胸一杯受け止めていました。

 その彼ももう三十代になりましたが、小さなことにも喜び、悲しむ、その性格はいまも変わりません」

 苦難の中で神の慰めを受け取るから、他の人の苦難に際して慰めを与えることができる、というパウロの言葉が重なるようです。息子に向けられた末盛さんの眼差しには、暖かな柔らかさと苦難の中に与えられる慰めが満ち満ちている、そうは思われないでしょうか。 Continue reading

5月11日 ≪復活節第4主日/母の日「家族」礼拝≫『おかあさんがやってきた!』(こども・おとな)/『愛の大きさに包まれて』(おとな) ルカによる福音書 1章 39~56節 沖村 裕史 牧師

 

お話し 「おかあさんがやってきた!」(こども・おとな)

■神様の御心(みこころ)のままに

 イエス・キリストの母マリアを、聖母(せいぼ)として大切に敬(うやま)っていた中世のヨーロッパでは、たくさんの絵にマリアの姿が描かれています。その姿はどれも、威厳(いげん)に満ち、神のみ子の母にふさわしく華麗(かれい)な館(やかた)に住み、王女のように立派な衣装(いしょう)を身につけています。でも聖書によれば、本当の彼女はガリラヤという地方の田舎の村ナザレに住む、貧しい、素朴(そぼく)な少女でした。

 そして今日、母の日に一緒に見ていただく映画、『サウンド・オブ・ミュージック』の主人公の名前も、マリアです。

 舞台はオーストリアのザルツブルグにある修道院(しゅうどういん)。そこで働く修道女・シスターになることを願っていたマリア(ジュリー・アンドリュース)は大の歌好きで、歌を歌っているとそれこそ夢心地(ゆめごこち)になって、いつも礼拝の時間を忘れてしまいます。先輩(せんぱい)のシスターたちは、そんなマリアが本当にシスターに向いているのかどうか、心配でたまりません。院長は、そんな彼女に家庭教師の仕事を勧(すす)め、元海軍大佐のトラップ男爵(だんしゃく)(クリストファー・プラマー)のもとへと送り出しました。

 トラップ家(け)に初めてやってきたマリアですが、あまりに粗末(そまつ)な服を着ていたので、もうちょっとましな服はないのか、と注意される場面があります。するとマリアは、服はみんな貧しい人たちにあげてしまいました、この服しかありませんと答えます。彼女は自分の粗末な身なりをなんとも思っていません。こんなところは、聖書のマリアの姿そのものです。

 そう思って見てみると、院長から突然トラップ家の家庭教師になるように告げられた時の戸惑(とまど)いぶりも、聖書のマリアとそっくりです。さきほど読んでいただいた聖書箇所の直前に、マリアが天使から「おめでとう、恵まれた方。神様があなたと共におられます」と告げられ、あまりに突然のことなので、マリアが「戸惑い」「何のことかと考え込んだ」とあります。すると天使ガブリエルは「恐れることはありません。あなたは神様から恵みをいただいたのです。あなたは身ごもって男の子を産むでしょう」と告げられ、マリアは「わたしは、神様のしもべです。あなたのお言葉どおり、この身に成(な)りますように」と、神様を信頼し、天使のお告げを受け入れたと記されています。

 映画の中のマリアも、突然、家庭教師をするよう言われた時、きっと聖書のマリアと同じような思いを持ったのではないでしょうか。なぜ、わたしが修道院を離れなければならないのかと考え込んでしまったことでしょう。それでも修道院長の言葉に従ってマリアは、トラップ家の子どもたちの家庭教師となることを決意し、修道院を後にしました。

 映画の中でマリアが、修道院で学んだ一番大事なことは「主の御心(みこころ)を知り、真心(まごころ)をこめてそれに従うこと」と語るシーンがあります。どんな時にも、勇気をもって信頼すること、そして自分の運命をみずから切り開いて歩んでいくこと、それが神様の御心に適(かな)うこと、神様に喜んでいただけることだという思いが、このマリアにもあったのです。

 そしてこの映画のモデルとなった、マリア・フォン・トラップもまた「すべてが神の御心のままでした」と自伝に書いています。

 

■愛と温(ぬく)もり

 さて、ここで映画のあらすじを追ってみましょう。

 トラップ男爵は妻に先立たれ、後には、母を亡くした七人の子どもが残されていました。男爵は元軍人です。その子育ては軍隊式が一番と、子どもたちには笛で号令をかけ、制服で行進させるという厳しい教育方針でした。規律を重んじるだけの一家の空気は冷(ひ)え冷(び)えとしていました。

 そんな子どもたちにマリアは、歌うことを教えはじめます。彼女のやさしい人柄とあいまって、歌が家の雰囲気(ふんいき)を変えるきっかけになりました。やがて、男爵もそんなマリアに好意を抱くようになり、めでたく結婚。子どもたちは「おかあさんがやってきた!」とばかりに喜びます。しかしそんな幸せも束(つか)の間(ま)、ドイツ軍から軍隊に入るようにとの命令書が届きます。しかし男爵はナチス・ドイツへの忠誠(ちゅうせい)を拒(こば)み、一家は自由を求めてスイスへと山越えをしてゆくのでした。

 思えば、マリアがトラップ家に来ることがなかったら、一家の中にいつも音楽が流れることはなかったでしょうし、男爵は相変わらず厳しい教育方針をとって、子どもたちも心を閉ざしていたでしょう。しかしそれでは、家庭は幸せとは言えません。確かに生活が苦しいわけではありません。とりたてて不幸ということでもありませんが、しかし本当に幸福であるためには、家庭がほっとする、温かい場所でなければなりません。

 マリアは、そうなってしまったかもしれないトラップ家に、歌と一緒に、家庭の温(ぬく)もりをもたらしました。そればかりでなく、歌を愛するマリアの心が一家に、ナチスの圧迫(あっぱく)にも決して屈(くっ)しない強い勇気も生み出したのです。『サウンド・オブ・ミュージック』のマリアは、まさしく聖書の母マリアのように愛と温もりをもたらす、最高の女性の役割を演じていたと言えそうです。

 ではここで、少しだけ映画をご覧いただきましょう。

 

■いのちと家族

 いかがでしたか。この映画の魅力(みりょく)は何といっても、美しいメロディーの歌です。その中でも特に親しまれているのが主題歌の「サウンド・オブ・ミュージック」。ジュリー・アンドリュースの美しいソプラノが高原いっぱいに響き渡る冒頭のシーンはよく知られていますが、他にも「エーデルワイス」や「ドレミの歌」などがそれぞれの場面にマッチして、それらを歌う伸びやかなマリアの声が忘れられません。

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5月4日 ≪復活節第3主日礼拝≫『第一と第二の狭間』 コリントの信徒への手紙二 1章 1~7節 沖村 裕史 牧師

 

■証人としての使徒

第一の手紙を終えて、今日から第二の手紙に入ります。しかし、この第二の手紙は、パウロがコリント教会に出した第一の手紙の、すぐ後に書かれた手紙というわけではありません。第一の手紙が書かれてから、第二の手紙が書かれるまでの間に、様々な出来事や事件が起きていました。今日はまず、そうした手紙の背景からご一緒に学んでいきたいと願っています。

この手紙の差出人は言うまでもなく使徒パウロですが、問題はこの「使徒」という呼び名です。最初期の教会では特別な意味を持つ、権威ある呼称です。使徒というのは、イエスさまの宣教活動に同行し、そのすべての出来事を見届け、そこで語られた言葉のすべてを耳にした人たちだけに許される呼び名でした。

教会では証人、証し人が重んじられました。使徒たちはイエス・キリストが奇跡によって多くの人々を癒し、驚くべき良き知らせ―福音を語り伝え、十字架で確かに死なれたけれども、その三日後にはよみがえられたのだ、と証言していました。これらイエスさまに関わる出来事や言葉を知るためには、現代のようにテレビやインターネットはもちろん、録画や録音のない時代にあっては、伝聞、証人の証言に頼るほかありませんでした。

英国の聖書学者ボルンカムによれば、当時の情報の大半はそうした口伝え、噂でしたが、特に、どこそこの、だれそれが、こういうことを見た、聞いたという、情報源が特定されるものは信頼性が高いと考えられていました。徴税人ザアカイやベタニアのラザロ、サマリアの女やシリア・フェニキアの女などです。とりわけ、イエス・キリストに従い、氏素性もはっきりしている使徒たちの証言は大変重んじられ、その証言は権威あるものとして受けとめられました。

 

■パウロの使徒性

では、パウロには「使徒」と呼ばれる資格があったのでしょうか。厳密に言えば、パウロは使徒ではありません。彼は生前のイエスさまに会ったことも、イエスさまを見たこともなかいからです。イエスさまは主にエルサレムの北部、ガリラヤ地方で活動されていましたから、都会育ちのパウロはその噂を聞くことがあったとしても、実際にはどんな人かを知りませんでした。

それどころか、パウロにとってイエスさまは、ユダヤの最高法院、今の最高裁判所で、救い主を自称する偽メシアとして断罪され、ローマ帝国の手によって最も残酷な極刑、十字架刑で殺された、いわくつきの罪人です。その罪人をメシア・救世主として崇めるキリスト教は怪しげな宗教にしか見えず、その上、ユダヤ教で罪汚れた者と見做されていた、病人やしょうがい者、異邦人たちと親しく交わり、交際する、とても危険な宗教でしかありません。パウロは、他のユダヤ人がこの危険な宗教に惑わされることのないよう、自ら進んで徹底的にキリスト教を弾圧していました。

そんなパウロに、天に昇られたイエスさまが突然現れ、なぜわたしを迫害するのかと問われたのです。使徒言行録9章に記されるダマスコ途上での出来事です。パウロは、それまでの自分の生き方を根底から問い直さざるを得なくなります。自分はこれまで他の誰よりもユダヤ教の教えに精通していると誇っていたのに、神がイエスを救い主キリストとして選んだことに全く気がつかなかった。自分は大きな勘違いをしたまま生きてきたのではないか。彼は必死に祈り、これから自分はどうすればよいのかと、神に、イエス・キリストに真剣に問いかけました。

その時、神から彼に使命が与えられたことを、パウロはガラテヤの信徒への手紙1章15節から16節にこう告白しています。

「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた」

パウロに与えられた使命とは、ユダヤ人と外国人の区別なく、すべての人に神の救いがもたらされていることを告げる、イエス・キリストの福音を一人でも多くの人に宣べ伝えることでした。パウロにとって、この福音を宣べ伝える使命を与えられた者こそが「使徒」でした。パウロは紛れもなく使徒でした。

 

■時間がない

こうしてパウロは、小アジアと呼ばれる地域、現在のトルコで伝道活動を行っていましたが、それからしばらくして、ヨーロッパのギリシアに活動の拠点を移します。パウロはまず、かのアレクサンダー大王を生んだマケドニア地方で伝道をします。フィリピやテサロニケという都市で伝道に励みますが、迫害が激しくなり、逃げ延びるようにしてギリシアを南下します。辿り着いたのがギリシア南部、地中海世界の交易・交通の要衝に位置する大都市コリントでした。当時としては破格の50万人もの人口を擁するコリントでの伝道にパウロは大きな期待をかけ、またヨーロッパ伝道の拠点にしたいと考えていました。パウロは1年半の時間をかけてコリントの地に教会を立ち上げ、そして他の町へと去って行きます。

それにしても、パウロが1年半というわずかな時間で、また次の町へと去って行ったのはなぜだったのか。パウロに時間が、余裕がなかったからです。このときパウロは、自分が生きている間にイエス・キリストが再びやって来られると堅く信じていました。パウロの願いは、その再臨までに全世界に福音を宣べ伝えることでした。全世界と言っても、それはパウロの生活圏、地中海世界のことです。そのすべての地に、最西端のスペインまでできる限り早く福音を伝えたい、それが願いでした。

そこで交通の要衝に位置する大都市に狙いを定めて、伝道活動を進めていきました。とはいえ、地中海は広大です。海の荒れる11月から3月まで船旅はできません。基本、徒歩で移動することの多かったパウロにとって、全世界への伝道は時間との勝負でした。そのため、個々の教会に仕える時間は長くても二年が限度でした。二年間は長いようで、あっという間です。

 

■第一の手紙から第二の手紙まで

できたばかりのコリント教会の人々にとっては、なおのことでした。パウロが去った後、彼らは教会の運営や毎週の説教にも苦労したにちがいありません。そんな中、新しい宣教師のアポロがやって来ました。雄弁家のアポロに魅了された人たちの中には、わたしはあのパウロ先生よりもアポロ先生の方がいい、と言い出す人もいました。そうして教会にはパウロ派、アポロ派のような派閥ができました。パウロは1年半しかいなかったので、すべてのことを教会の人々に教えることもできず、信仰の基本的なことしか伝えられなかったようです。そのため、信徒たちの間にいろいろと問題が生じたときも、教会としてどう対応していいのか分かりません。こうして混乱に陥ったコリント教会の様子を聞き知ったパウロは、コリントを去ってから約1年半後に、小アジアの大都市エフェソで第一の手紙を書き、いろいろな問題について細かい指示を書き送り、書くだけでなく自分の右腕であるテモテをコリント教会に遣わしました。これが第一の手紙が書かれたときの状況です。

しかし、この第一の手紙が書かれてから第二の手紙が書かれるまで、またも、いろいろな出来事が起こりました。パウロの代理としてコリントに向かった若きテモテですが、彼はそこで事態が予想以上に悪化しているのを知ることになります。第一の手紙のときには分からなかった、新しい問題が生じていました。

パウロに敵対する新たな宣教師たちがコリントにやって来て、信徒たちにパウロの人格を、その使徒性を疑わせるようなことを吹き込んでいたのです。かつて、パウロの後にコリント教会に来たアポロは決してパウロを悪く言うようなことはしませんでした。しかし今度の宣教師たちは違っていました。

実際、パウロという人は敵を作りやすい人でした。彼は空気を読むとか、忖度(そんたく)するといったようなことをしません。相手が誰であろうと、自分が信じることをはっきり言う人でした。安倍首相の時の文科省の役人たちのように、空気を読むことを重んじる今の日本では、間違いなく嫌われるタイプの人だったと言えるかもしれません。

特にパウロは、外国人には旧約聖書の教えであるモーセの律法、割礼や食事の規定などを守らせる必要はない、イエス・キリストは神の愛と救いがすべての人にもたらされていると告げられ、律法を盾に人を罪に定め、人と人との絆を分断するファリサイ派や律法学者を批判されたのだ、と強く主張していました。このパウロの教えが気に食わない人たちがいました。律法は聖書に書かれた神の言葉です。パウロはかつての迫害者であって、使徒でもなんでもない、それなのに何の権利があって聖書の教え、律法を守らなくていいなどと言えるのかとパウロを攻撃したのです。彼らから吹き込まれた人たちは、パウロに疑念を抱くようになります。コリンの人々には、パウロから十分に教えてもらえなかったという不満もありましたから、ある人たちはこの宣教師たちの言葉を信じ、パウロから離れて行ってしまったのです。

この危機的状況をテモテから知らされたパウロは、居ても立っても居られません。同じく問題を抱えていたフィリピやテサロニケの教会から訪問しようと考えていたパウロでしたが、予定を変更し、急いでコリント教会に向かいます。しかし、この訪問は最悪の結果に終わりました。それが2章1節にある、「あなたがたを悲しませる訪問」でした。

コリント教会の皆が、パウロを拒絶したわけではありません。しかし、もともとパウロ派とかアポロ派とかペトロ派に分裂していたような教会でしたから、パウロに不満を持つ一定数の信徒がいました。彼らが中心になって、「わたしたちはあなたを使徒とは認めない。偉そうにしないでいただきたい」というようにパウロを傷つけることを言い放ったのでしょう。もちろんパウロを慕い、擁護する信徒たちもいました。こうして教会はますます混乱に陥り、パウロの二度目のコリント訪問は最悪の結果となりました。

パウロはここで一旦コリントを退き、エフェソに戻ってしばらくしてから、涙ながらの手紙を書き送ります。そのことが2章4節に書かれています。残念ながら、この涙の手紙は残されていません。今、わたしたちが読んでいるのはその涙の手紙に続く、もう一つの手紙です。パウロはこの涙の手紙をテモテではなく、もう一人の同労者であるテトスに持たせます。しかし、その返事を待つパウロは気が気ではありません。テトスがなかなか帰ってこないので、コリントでテトスの身に何かあったのではと不安になります。テトスに会えるのではと思ってマケドニアに行き、そこでようやくテトスに会います。

テトスからコリントの様子を知ってパウロは喜びます。パウロの悲痛な手紙を受け取ったコリント教会の多くの人たちが反省し、パウロをひどい言葉で侮辱した人を処罰することにし、パウロと和解しようとしているというのです。こうして一難去ったかのように見えましたがしかし、パウロに反対する宣教師たちもまたコリント教会に影響を持ち続け、まだパウロに対して腹に一物をもつ信徒たちもいて、油断できない状況だということも聞かされました。

こうした緊迫した状況で書かれたのが、この第二の手紙なのです。

 

■慰めと苦しみ

そんな第二の手紙の冒頭、1節から7節だけを今日は読んでいただきました。冒頭だから形式的な内容だと思われるかもしれませんが、決してそうではありません。3節から7節までのわずか5節の間に、パウロは「慰め」という言葉を9回も用います。また「苦しみ」や「苦難」という言葉が7回も出て来ます。そう、第二の手紙のキーワードは、「慰め」とその対になる「苦しみ」です。パウロは何度も何度も自分が苦しみに遭っていること、そして苦しみにあるその自分を神が慰めてくださっているのだ、と繰り返し語ります。

なぜ、パウロはこんなにも「苦しみ」や「苦難」を強調するのでしょうか。その理由の一つはやはり、敵対する宣教師たちの存在です。彼らはパウロが使徒であることに疑問を投げかけましたが、それだけではありませんでした。パウロが伝道のために至るところで迫害を受け、多くの苦しみを味わい、体に持病を抱えていることも広く知れ渡っていました。パウロに反対する人たちは、パウロがあんなに苦しむのは彼に何か問題があって、神が彼を守らないからに違いない、と仄めかします。ちょうどヨブ記のような話です。義人であると信じられてきたヨブが突然の災いに遭ったのを見た友人たちは、ヨブが何か罪を犯していて、それを神が裁いたのだと噂をしました。それと同じです。

そんな中傷に対してパウロは、繰り返し自分の苦しみの意味を説明します。パウロは自分の苦しみを通じて、キリストの苦難の生涯、とりわけその十字架での死が明らかになる、自分は苦しみを通じてキリストを証ししているのだ、と主張します。と同時に、苦しみに遭っている自分を神は慰めてくださる、神はわたしと共におられる、ということを強調します。パウロは、神が自分をこの苦境から救い出す力があるし、また救ってくださると確信しています。イエス・キリストを十字架の死という最悪の状況からすら、復活によって救ってくださった神を信じているからです。パウロの語る「慰め」とは、神が苦難から救う神であることを確信していることから来るものでした。

 

■道を開いてくださる

大学を卒業したものの、うつ病にかかり、仕事を断念して、治療に専念せざるを得なかった、教会の友人がいます。彼から送られてきた手紙の中に、「元気な時は、人は生きていけますが、世の中の厳しい現実に気づいて自分が弱い者だと知ったならば、希望を持って生きるということは、なんと難しいことでしょう」と、心の病気をもってこの世で生きることが、いかに困難で苦しいことかと訴えていました。社会の厳しい現実、襲いかかる病魔、無力な自分。なんと重い現実でしょうか。

ある人は、信仰を持ったら、悩みも苦しみもなくなると思っています。しかし、それは事実ではありません。この世の不正やこの世の虚しさに目を留めないで、また自分の罪にも気づかず、目に見える幸福のみを追い求めている人々には、イエスさまの生き方も、弟子たちの生き方も、全くナンセンスで、馬鹿げて見えるかもしれません。

けれども、働き盛りの父親をガンで失った家族や、ひとり淋しく死を迎えるご高齢の方は、より永遠的で、確固たる真実や幸福とは何かを求めずにはいられません。また、人を破滅に落とし入れるような激しい苦難がやってきても、決して動揺しない生き方とは何かを考えないではいられないのです。

パウロは、極限状況に置かれた時の唯一の救いは、「死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となること」であると教えます。ここに、すべてのものを失った厳しい現実の中でも、なお無力なわたしたちが生きる道があるのです。死者をさえ、生かすことのできる神がいるとは、全くの暗闇の中での光であり、希望ではないでしょうか。

わたしたちの信仰の道、神を信ずる道は、この死に体(たい)から繰り返し生かされる、思いがけない形で道が開かれる、そういう形で生きていく道なのです。そしてその道が、永遠のいのちにつながるのです。そして実に、苦難をわたしたちが生きていくということが、わたしたちの信仰の証しです。信仰を持って幸せ、苦しみは一切ない、そんなのはわたしたちの信仰の証しでもなんでもないのです。楽に生きている、そんなことは信仰の証しでもなんでもない。苦難を生きていくのです。苦艱の中に、神は道を開いてくださいます。わたしたちがたとえギブアップしても、必ず神はわたしたちのために前方に道を開いてくださいます。わたしたちはその道を歩いていくのです。それが信仰によって生きるということだ、この手紙を通してパウロはそう教えるのです。感謝して祈ります。

4月27日 ≪復活節第2主日礼拝≫『目を覚ましていなさい―待望』 コリントの信徒への手紙 16章 5~24節 沖村 裕史 牧師

■今後の計画

 コリントの信徒への第一の手紙も、いよいよ最終回です。といっても、これから引き続き第二の手紙の説教を続けていきますので、これで終わりということではなく、まだ道半ばといったところでしょうか。

 それにいたしましても、パウロという人は、自分の考えや計画を自分が牧会する教会の人たちにハッキリ知らせることに相当の努力をし、心を尽くし語っています。5節から12節に、今後の計画を語ります。

 8節にあるように、パウロは今、エフェソにいます。パウロは3回に亘る伝道旅行をしましたが、今は、その第3回目の途上にあります。使徒言行録19章によれば、第3回目の旅行のとき、パウロはエフェソに二年以上留まって伝道をしています。エフェソはいわゆる小アジア、今のトルコの西の端にあり、エーゲ海を挟んでギリシアと向かい合っています。パウロはこの町で伝道をしながら、第2回の旅行で彼が土台を据えた、フィリピやテサロニケなどギリシアの諸教会とも連絡を取り合う中、コリント教会の様子を特に心配して書いたのがこの手紙でした。

 パウロはこの後、ギリシアの諸教会を訪れたいと願っています。5節に「わたしは、マケドニア経由でそちらへ行きます」とあります。マケドニアはギリシア北部です。エフェソから小アジアを北上し、エーゲ海の北を回ってからバルカン半島に入り、まずマケドニアの諸教会を訪ね、それから南下してギリシアの南部、アカイア州の中心都市であるコリントを訪ねる。そういう計画を彼は抱いているのです。

 そして、コリントではじっくりと滞在して教会の人々と語り合いたいと願っています。7節にその願いが語られています。

 「わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています」

 パウロがこう思っているのは、わたしたちがこれまでこの手紙で読んできたように、この教会に、信仰の上でも、生活においても、様々な問題や対立があったからです。そのことを踏まえてこの手紙を書いたパウロは、一刻も早くコリントへ行って、教会の人々に直接語りかけたいと願っているのです。

 

■主の開いてくださった門

 しかしパウロは今、マケドニアを経由してコリントへ行く計画を語りながら、すぐには行くことができない理由を語ります。

 あなたたちのことを思えば、すぐにでも向かいたいが、今はそれができない。なぜなら、「わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるから」です、と言います。

 「自分の働きのために大きな門が開かれている」とは、このエフェソを拠点とした小アジア地方での伝道で、多くの実りが得られそうだということでしょう。自分の賜物が豊かに用いられて成果をあげることができる場がここにある、しかしそこには同時に「反対者もたくさんいる」。パウロがなおしばらくエフェソにいるのは、よい働きの場があり、成果をあげることができそうだからというだけでなく、「反対者たち」による妨害があるからです。

 パウロは、エフェソに留まった方が楽に伝道ができて、成果も上げやすいと考えて、ここに留まろうとしているのではありません。エフェソに留まることは、多くの反対者たちに囲まれる、困難な戦いの場に身を置くことです。彼はその困難の中に敢えて留まろうとしています。そしてその困難の中にこそ、「わたしの働きのために大きな門が開かれている」と言います。

 それは、困難な課題を克服することによってこそ栄光がある、という英雄的な覚悟からではありません。彼はそこに、神の導きを見ています。「大きな門が開かれている」。その門を開いてくださっているのは、神です。自分が困難を克服して門をこじ開けようと言うのではありません。神が門を開いてくださっているから、困難があってもその門を通って行こうとしているのです。

 パウロはこれまでも、そのように歩んできました。しばしば、計画の変更を余儀なくされてきました。しかし、そのことを主の導きと信じ、主がこのことを禁じて、他のことを自分に命じておられるのだと受け止め、その導きに従って予定を変更しつつ歩みました。第2回伝道旅行のときも、そのように道を変えられることによってギリシアに渡り、その結果、コリントに教会が生まれたのです。すべては主の導きでした。

 主が禁じられた道を捨て、主が開いてくださった門を通って歩む。エフェソになお留まろうとしているのも、そういうことです。彼はその後の計画もすべて主に委ねています。7節の「主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したい」とは、その思いの現れです。それを無計画、無責任だと批判する人もいるかもしれませんが、それこそがパウロの伝道旅行でした。

 反対者がいるからエフェソを去るのではなく、困難の中にも門が開かれているのでエフェソにとどまる。わたしたちに勇気を与える言葉です。

 

■何が重んじられるのか

 次に10節以下、テモテをコリント教会へ送り出したことに関して、彼が到着したら「心配なく過ごせるようお世話ください。わたしと同様、彼は主の仕事をしているのです。だれも彼をないがしろにしてはならない」と念入りに語っています。

 テモテは、パウロが第2回伝道旅行の途中、小アジアのリストラの町で出会った若い信仰者で、パウロは彼を同労者として伝道旅行に伴っていました。パウロは、このテモテをコリントに先に遣わそうとするに際して、「だれも彼をないがしろにしてはならない」と言います。口語訳では「だれも彼を軽んじてはいけない」となっていました。若い伝道者を、その若さのゆえに蔑(ないがし)ろにしたり、軽んじたりしてはならない、逆を言えば、ともすればそういうことがあったということでしょう。それに加えて、パウロの代理人の立場に立たされたテモテに対する風当たりは、相当強かったと想像できます。

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3月30日 ≪受難節第4主日礼拝≫『共に生きるために—献げもの』 コリントの信徒への手紙 16章 1~4節 沖村 裕史 牧師

 

■あとがき

 いよいよ最後の章になりました。いわば「あとがき」です。

 普段、わたしが初めての本を手にしてすることは、「はじめに」と「目次」に目を通し、その後、丁寧に「あとがき」を読むことです。そうすることで、その本についてある程度のことが理解できるからです。特に「あとがき」には、作者の思いや考え、その本を書いた意図を知るうえで重要なヒントが必ずと言ってよいほど含まれています。この16章も、神学的には重要なメッセージは少ない個所と言えますが、パウロの思いや願いを知るうえで、また現実のわたしたちの教会生活にとっても、とても身近で、大切なことが記されています。

 共に生きることに失敗しているように見えるコリントの教会に対して、パウロはこの「あとがき」の中で、より具体的な事柄を語り告げることによって、「共に生きる教会の姿」を、ここにはっきりと指し示そうとしています。

 

■復活と献金

 その冒頭、「聖なる者たちのための募金について」と語り始めます。

 「募金」とは「集める」という意味の言葉で、「集められたもの、集められたお金」を指します。何か目的があって、特別に集めたお金のことです。1節後半に「わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい」とあるように、パウロはこれまでにも各地の教会でそういう募金活動を始め、また指導してきました。そしてこの手紙の最後、パウロはこの問題を取り上げます。

 とはいえ、皆さんはこのことに大きな落差を感じられなかったでしょうか。直前15章で、世の終わり、永遠を見つめていた目が、突然、とても卑近で即物的なお金の話に引き戻される。えっ?どうして?ちょっとガクッとくる。そうは思われなかったでしょうか。そもそもこの手紙、15章でおしまいにした方がよかったのではないか。その終わりに「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」と語って最高潮に盛り上がったのだから、後は短い挨拶と祝福の言葉で終った方が効果的だったのではないか、と。

 しかし、パウロはそうはしませんでした。ここに落差などないからです。パウロにとって、世の終わりの復活の希望に生きることは、今のこの世の現実の生活とかけ離れた、別世界の話ではないからです。

 もちろん「肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできない」ことをパウロは知っています(15:50)。この世の営みは過ぎ去っていき、朽ちていくものであって、その延長上に救いがあるわけではありません。しかし世の終わりの復活の希望に生きる人は、この地上の歩みの中で「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励む」者となる、とパウロは言います。それは「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを…知っている」からです(15:58)。

 復活の希望に生きる時、わたしたちはこの世の事柄を軽んじたり、無視したりするようになるのではなくて、むしろ本当に責任をもってこの世の事柄に関わるようになります。本当に責任をもってこの世の事柄に関わるとは、それらを無駄にしないよう用いることです。そのためには、それらを朽ちることのためではなく、朽ちないことのために用いなければなりません。復活によって朽ちることのないいのちと体を与えてくださる主なる神にそれらをささげ、「主の愛の業」のために用いなければなりません。自分に与えられている様々なもの、能力、時間、財産が主の愛の業のために用いられる時にこそ、そのわたしたちの歩み、苦労は決して無駄にならず、本当に生かされていきます。

 募金の教えは、復活の希望に支えられて、この世の事柄を用いて主の愛の業に励むことの具体的な事柄として語られています。ここに落差はありません。その意味で、それは単なる「慈善のための募金」ではなく、まさに「献金」です。わたしたちも教会でいろいろな募金をしますが、わたしたちはそれを単なる慈善活動としてではなくて、愛の主に仕える業として、つまり神へ自らを献げること、「献身」の業として行います。さらに言えば、わたしたちの信仰が試されることの代表的な例が「献金」であると言えるのかもしれません。個人的にも、教会全体としても、献金をめぐって信仰が試されることになります。

 

■迫害と困窮

 今、「聖なる者たち」とあるのは、小見出しにあるように「エルサレム教会の信徒」たちのことです。エルサレムはキリスト教会が最初に誕生した場所ですが、ユダヤ教のお膝元でもあり、キリスト教とユダヤ教との違いが鮮明になるにつれ、ユダヤ人たちから激しい迫害を受けるようになっていました。さらには慢性的な飢饉の影響もあって、深刻な困窮の中にあったことが使徒言行録に書かれています。そのような迫害と困窮の下にあるエルサレム教会の人々のために、各地の教会で献金を集めて送るという運動を、パウロは指導していたのです。

 つまりこの献金活動は、同じイエス・キリストを信じて教会に連なる主にある兄弟姉妹の間で、苦しみの中にある教会を支え、助けていこうとする働きです。コリントの人々にとってエルサレム教会の人々は、会ったこともない、顔も見たことのない人々でした。人間的には何のつながりも関係もない、名前も知らない人々の間に、イエス・キリストを信じているというただ一つの絆、つながりゆえに、自分の財産を献げて相手を支え助けるという主の愛の業が行われていく、パウロが行っていた献金の活動とはそういうものでした。ローマの信徒への手紙15章25節以下に、こうあります。

 「しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています」

 援助は、経済的に重荷を負うことを通して、主にある交わりを深めると同時に、ユダヤ人教会の代表で、福音の発祥地であるエルサレム教会と、パウロの伝道により設立された異邦人教会との一致のために、パウロは「特別な思いを込めて」、この献金運動を推進していたのでした。

 

■献金の背景

 では、その「パウロの特別な思い」とはどのようなものだったのでしょうか。

 使徒言行録によれば、パウロは身の危険をも顧みずにエルサレムに向かい、そこで逮捕されてローマに囚人として護送されています。使徒言行録はそこで終わり、その後のパウロの運命は描かれません。しかし伝承によれば、そのローマでパウロは処刑されます。いのちがけでエルサレムに上ったことで、彼の人生は大きく変わりました。 Continue reading

3月23日 ≪受難節第3主日/レント「家族」礼拝②≫『あなたが言っていることです』 マタイによる福音書 27章 11~16節 沖村 裕史 牧師

 

■否定?肯定?

 ピラトは、ローマ皇帝がユダヤに駐在させていた総督で、紀元26年から36年の間、その地位にありました。総督府が置かれていたのは、地中海沿岸のカイサリアで、彼がエルサレムの駐屯地に来ていたのは、過越の祭りの警備のためでした。ローマの支配下にあったユダヤは、政治の面でも経済の面でも司法の面でも様々な制約を受けており、死刑判決を下す権限もまた、ローマが握っていました。ユダヤの祭司長、長老たちがイエス殺害を決定しても、それを実行に移すことは許されません。そこで彼らは、エルサレムの警備に来ていたピラトに、イエスさまの死刑判決とその執行を求めて、訴え出たのでした。

 訴えの内容は何も書かれていません。ただ、ピラトの質問「お前がユダヤ人の王なのか」から考えて、イエスさまがユダヤの王を自称し、反ローマ運動を指導している危険人物である、というものであったのでしょう。

 そのピラトの尋問に対するイエスさまの答えは、11節、「あなたが言っている」、「それは、あなたが言っていることです」というものでした。多くの人がこの言葉を、「そう言うのはあなたであって、それはわたしの言っていることではない」と、間接的にイエスさまがピラトの言ったことを否定された言葉であると理解し、そう説明をしています。

 確かにそうなのですが、このイエスさまの言い方は、そういう《間接的な否定》と言うよりも、むしろ肯定、あるいは《限定的な肯定》と言った方がよいのでないか、そう思えます。

 というのは、イエスさまはピラトの言っていることを、間接的な形とはいえ、否定するのではなくて、あなたの立場から見ればそういうことになるだろうね、と限定的な形で肯定しておられると受け取った方が、イエスさまの御心により近いように思えるからです。

 そもそも、権力の論理で物事を考えるのが身についているピラトに、政治犯としてイエスさまを裁いているこの法廷で、イエスさまに対するまっとうな理解を期待することなど、どだい無理な話です。ローマ皇帝の顔色を伺いながら、民衆の動向に気を配って、不安定な地位を守っている政治家ピラトの立場から言えば、イエスさまを「ユダヤ人の王」と疑って考えるのは、極めて自然なことです。

 ですから、ピラトの考えを否定するよりは一応認めたうえで、しかしそれは、あなたのような立場の人が言っているだけのことだと限定しているのが、このイエスさまの「それは、あなたが言っていることです」の意味だろうと理解する方が、自然です。イエスさまは、ピラトの言葉を否定されることはなさらなかったのです。

 しかし同時にイエスさまは、ただし「それは、あなたが言っていること」、つまり、政治の世界にどっぷり浸かり、そういう問題意識でしか物事を考えられないあなたの言っていること、わたしは違いますと、ピラトの言葉を限定されておられるのも確かです。

 イエスさまは、ピラトのラトの理解の外に立って、そこでピラトのために、さらには、同じくイエスさまを理解できない祭司や長老、群衆のために、そして、もっと広く、そこに露わになっているすべての人々の罪のために執り成す、十字架への道を誰にも理解されないままに歩んでおられるのです。

 

■一人ひとりに届く温(ぬく)もり

 この意味深長な返事をされた、イエスさまに温もりを感じます。

 ピラトの間違った考えを彼の立場に立って、できるだけ肯定しながら、その足らざるところ、誤てるところを、身をもって執り成される、イエスさまの広い心を感じないわけにはいきません。

 考えてみれば、わたしたちもまた、ピラトが政治の世界にどっぷり浸かっていたように、それぞれにどっぷり浸かった世界を生きてはいないでしょうか。どんなに冷静に、独善的にならないように注意して、客観的に考えたつもりでも、自分の性格や育った境遇、負わされている状況や自分の好悪、利害打算や世間体、そういうどっぷり浸かったものから全く離れて、物事を正確に、そのままに理解することは、互いにできないことです。

 そして同じことが、信仰を、イエス・キリストを理解する場合にも言えるのではないでしょうか。例えば、クリスチャンホームに育った人と、そうでない人とでは、信仰の理解が微妙に違います。また、内省的に一人考えることに充実を感じる性格の人と、社会的に活発にする奉仕活動に充実を感じる性格の人とでも、その信仰の理解には微妙な違いがあります。信仰の理解においてわたしたちは、それぞれがどっぷり浸かっているものの影響から、完全に離れることはできません。

 しかし、それら様々に異なった信仰の理解は、異なったままにみな肯定されるべきもの、ただし、本人に限定されて肯定されるべきものであって、そして、それぞれの過(あやま)てるところはすべて、イエスさまによって執り成され、生かされるものだと言えるのではないでしょうか。

 ピラトの法廷でのイエスさまの一言とその後の沈黙、そこから学び示されることは、一人ひとりの境遇や立場を汲(く)んで、その人を肯定して生かす、そういう一人ひとりに届く、イエスさまの温かさ、広さです。そしてわたしは、そこから、うわべではない本当の慰めをいただいています。

 

■限定的な正しさ

 わたしと妻は結婚して五十年近くになりますが、この間(かん)、互いの信仰について面と向かって話し合ったことはほとんどありません。違う信仰をもっていることは初めからお互い分かっていましたが、突っ込んで話題にしたことはありません。何かした拍子に、妻の信仰に触れ、こんな信じ方をしているのかと思うこともあります。その妻の信仰を好ましく思い、できることならわたしもそんな信仰を持ちたいと思うこともしばしばです。妻もまたいつの間にか、わたしに影響されてきているのかなと思うような面を感じることもあります。それでも、同じタイプの信仰をもって欲しいと思ったことは一度もありません。信仰に関しての、こういう平行線を歩むような態度がよいのかどうか、もっと真剣に話し合うべきではないのか、時々考えないわけではありません。でも、今日のこの御言葉を読んでいて、ピラトの法廷のイエスさまの一言とその後の沈黙に、わたしは慰められるような思いがします。信仰の理解が違ったままで、平行線でいいのだ、このまま共に歩めばいいのだと思えるからです。どんな信仰でも否定されることはない、肯定される、主の執り成しによって肯定されるのだ、と思えるからです。

 わたしたちの信仰は、自分でどんなに正しいと思っていても、イエスさまに執り成していただかねばならない、《限定的な正しさ》しかもたないものです。傍(はた)から見ればどうかと思う信仰も、確かにあります。互いにそう思っているかも知れません。しかし、それもその人のどっぷり浸かったところで、主に執り成され、赦されているその人の信仰として、尊重し合いたいものです。 Continue reading

3月9日 ≪受難節第1主日/レント「家族」礼拝①≫『わたしを食べなさい!』『あなたの手で—十字架』 ヨハネによる福音書 6章 52~59節 沖村 裕史 牧師

 

お話し「わたしを食べなさい!」(こども・おとな)

■肉を食べ、その血を飲む

 イエスさまの言葉、53節をもう一度読んでみましょう。

 「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」

 「人の子」というのはイエスさまのことです。えっ?イエスさまの肉を食べ、イエスさまの血を飲む?!ちょっと待って、そんなひどい…。だれもが眉(まゆ)をしかめるような言葉です。ユダヤの人たちが、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と騒(さわ)ぎ出したのも、当たり前だと思いませんでしたか。

 でも、心を静めて考えてみてください。わたしたちはみんな、他の生き物を、他のいのちを食べて生きてはいませんか?日曜日の夜7時30分から始まる「ダーウィンが来た!」という世界中のいろんな生き物が出てくる番組を見たことはありますか。その番組の中にときどき、動物が動物を食べるシーンが出てきます。残酷(ざんこく)で嫌(いや)だな、恐いなって思うこともあるかもしれません。でも、でも、動物だけじゃなくて、わたしたちを含めてこの地上の生き物はみんな、他のいのちを食べて生きています。植物であろうが動物であろうが、他のいのちを犠牲(ぎせい)にして食べて、生きています。いのちあるものしか、いのちは養(やしな)えません。家や机や鍋を食べることはできません。他の動物や植物の生きたいのちを、いわば奪(うば)い取って食べて、わたしたちのいのちは保たれています。

 この世界の生き物は、神様によってそう創(つく)られてる、ということです。勝手(かって)に奪い取って食べる、何の断(ことわ)りもなしに食べてるわけですから、わたしたちは、他の動物や植物のいのちに、心から感謝するほかありません。そして、そのいのちを与えてくださっている神様に感謝しなければなりません。それが食事の前に手を合わせて「いただきます」という、祈りの言葉の意味です。

 ということは、「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」というのは、イエスさまのいのちを犠牲にして、それをいただいて、わたしたちのいのちが保たれる、生きていくことができるんだ、という意味になるよね。

 イエスさまって、どんな人だったかな?病気や不自由を抱(かか)える人に手を差し伸べて、その苦しみを癒(いや)したり、愛する人が死んで悲しんでいた人のために、死んだ人をよみがえらされたり、食べる物がなくて飢えていたたくさんの人たちにパンと魚を与えて、そのいのちを養ってくださったり、罪人(つみびと)だと言われて差別されていた人たちを招いて、慰めてくださったり、争い、対立している人をも赦(ゆる)して、互いに愛し合いなさいと教えてくださったり…そんな驚くほどの愛に生き、限りない神様の愛を教えてくださった人でした。

 ところが、そんなイエスさまを妬(ねた)み、恐れた人たちによって、イエスさまは十字架につけられ、殺されてしまいます。イエスさまは、苦しみ、悲しむ、困っている人たちを救おうとして、人々からののしられ、はずかしめられ、ご自分の肉のからだを槍(やり)で貫(つらぬ)かれ、血を流して、そのいのちを奪われました。

 イエスさまの肉を食べ、イエスさまの血を飲むっていうのは、その十字架のことです。十字架の刺し貫かれた肉、流された血は、わたしたちの救いのためでした。わたしたちのいのちのためでした。わたしたちが人として、自分らしく、愛に生きることができるようになるための犠牲のしるしでした。そんな神様の愛を信じなさいって、イエスさまはここで教えてくださっています。

 

■アンパンマンとやなせたかし

 自分を犠牲にして、困っている人を救う人って、どこかで見たことありませんか。そう、アンパンマンです。

 パンをつくっているときに、餡(あん)に「生命(いのち)の星」が入ることで誕生した正義のヒーローです。困っている人を助けるために、自分の顔―あんパンを差し出します。あんパンだけに、その顔の中には美味しくて、栄養たっぷりのつぶあんが詰(つ)まっています。その顔を食べて助けられた人たちは、お腹いっぱいになって元気になり、アンパンマンに心から感謝します。

 そんなストーリーをもとに、たくさんの絵本やテレビのアニメ番組、映画、キャラクター・グッズが生み出されました。1973年に、フレーベル館の月刊物語絵本「キンダーおはなしえほん」シリーズとして、やなせたかし『あんぱんまん』が出版(しゅっぱん)されました。やなせさんが初めて描(か)いた幼児(ようじ)向け絵本でした。ここで、最初の絵本をスライドでご覧いただくことにしましょう。

 この絵本、最初は、貧しく困っている人たちを助けるという内容が幼児には難しすぎる、顔を食べさせるなんて残酷だ、と幼稚園の先生や絵本をつくっている人たちからは散々(さんざん)でした。ところがその予想に反し、子どもたちの間で人気を集め、幼稚園や保育園などからの注文が殺到(さっとう)するようになります。

 そしてついに、テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』第一話「アンパンマン誕生」が1988年10月に初登場します。今なお日本テレビで放映され、映画も1989年から毎年上映される、大人気アニメになりました。このテレビアニメの第一話の最初の所を、少しだけ見ていただきましょう。

 そういえば、今年4月から始まるNHKの朝ドラのタイトルは、『あんぱん』。アンパンマンの作者・やなせたかしとその妻・小松(こまつ)暢(のぶ)をモデルにした物語です。やなせたかしと言われて、わたしがすぐに思い出すのは「手のひらを太陽に」という歌です。

 「ぼくらはみんな 生きている/生きているから  Continue reading

2月23日 ≪降誕節第9主日/冬の「家族」礼拝②≫『神の御業が現れる』 ヨハネによる福音書 9章 1~12節 沖村 裕史 牧師

■神の業が現れるため

 道端に盲人が座っていました。エルサレムの神殿に向かう道を大勢の人が行き来しています。彼の膝下に小銭を投げる人があり、また目をそらして急いで通り過ぎる人もいます。立ちどまろうとした子どもが母親に手をひかれて立ち去ります。そこを通りがかったイエスさまがこの盲人に目を向けられた時、弟子たちはとっさに日頃抱いていた疑問を口にします。

 「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」

 「生まれつき」というのは、なにか運命とか宿命とかを思わされます。だれのせいでこうなったのだろうか。本人が持って生まれた宿命なのか。両親に罪があったのか。それとも先祖のだれかに…。昔の人がそう考えたという話ではありません。洋の東西、時代を問わず、今も受け継がれている感覚です。

 だれのせいでこうなったか。第三者のそういう好奇心による問いは、病む人を苦しめます。そういう問いが、苦しみを負っている人をさらに追い詰めます。そんな問いを、病んでいる本人や家族が抱くようになれば事態はより深刻です。そういう心理を利用して、物を売りつけたりする人がいます。「この家の先祖が大罪を犯しているのでこういうことになっています。この壺を買えば呪いは解けます」というわけです。

 だれのせいでこうなったのですか。巷(ちまた)で様々に呟かれるその問いに答えて、イエスさまは言われます。

 「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」

 本人のせいでも、両親のせいでも、先祖のせいでもなんでもない、と言われます。そして続けて、「神の業がこの人に現れるため」という不思議な言葉を口にされます。

 どういう意味でしょうか。「神の業が人に現れる」と言われて、わたしたちが普通に考えるのは、何かが良くなる、不安が消える、あるいは何かわたしたちに幸運がもたらされる、といったことではないでしょうか。しかしここでこの言葉が意味することは、この目の不自由な人の困難自体に、神の業が現れるということです。

 人生の歩みの中で、わたしたちは目の不自由さだけでなく、実に多くの不自由さを感じます。自分の思いのままにならないこと、挫折や失敗、人生の設計ミス、人間関係の中で起こってくるストレス、あるいは人生の終りが数えられるようになった時に感じる、これでいいのかという不安などなど、次から次へと起こってきます。ときに理不尽にも思える苦難に、わたしたちはたじろぎ、できるならばそのようなことが起こりませんように、と祈ることでしょう。

 ところがイエスさまは、そういう中にこそ、神の業が現れるのだ、と教えられます。神の業は、わたしたちの思い通りに、平安の内に現われるのではない、ということです。むしろ、わたしたちが困難を覚える、その困難の中にこそ、神の業は現わされる、そう言われるのです。

 

■目が見える

 イエスさまは今、この目の不自由な人をシロアムに送ります。

 「シロアムの池に行って洗いなさい」

 標高八百メートルの岩の上に建てられたエルサレムの城壁の一部、あの「嘆きの壁」から南東に百メートルほど降った場所から、紀元前1世紀の初頭に建設されたローマ様式の大規模な石造プールの遺跡が発掘されました。神殿に参拝する人々が手足を清めた場所、そこがシロアムの池です。

 そこに行って目を洗いなさい、とイエスさまは言われた。そうすると目が見えるようになった。そのままに読めば、「よかった、よかった」と言うことでしょう。そしてそこで「アーメン」と言えば、何とありがたい、恵みに満ちた奇跡物語だろう、ということになるでしょう。

 しかし、ヨハネはそうは書きません。シロアム、これはヘブライ語で、その意味は「遣わされたもの」だ、とわざわざ書き加えています。意図をもって書き加えた「遣わされたもの」とは、「神から遣わされたもの」という意味で、イエス・キリスト、その人を指すであろうことは明らかです。

 この出来事はただ単に、身体的な目によって見えるか、見えないかという問題ではなく、この目の不自由な人が「神から遣わされた」イエス・キリストと出会うことによって、「本当に永遠のいのちを見ることができるようにされた」のだ、ということです。

 ヨハネは周到に、6節の「目が見える」、10節の「目が開く」、そして11節の「目が見える」という言葉に、すべて異なるギリシア語を使っています。特に最後の11節は、単なる「見える」ではなく、直訳すれば「視界が与えられる」です。また1節の「生まれつき目の見えない人を見かけられた」の「見かけられた」も別の言葉で、じっと見つめるというニュアンスの言葉です。イエスさまがこの人に目を留め、じっと見つめておられるのです。

 目の不自由な人がイエスさまによって目が見えるようにされた、これはこれで素晴らしいことですがしかし、ここでヨハネがわたしたちに教えていることは、本当に何も見えない状態―真っ暗闇の中にあって、ただ一方的に、ただ一方的な愛ゆえに、光なるイエス・キリストが出会ってくださって、永遠の世界に招き入れられるのだ、ということです。肉体の終わり、現実の不自由さの中にあってなお、永遠のいのちに抱かれているという、真の希望に生かされているのだ、ということです。

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