福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え

3月30日 ≪受難節第4主日礼拝≫『共に生きるために—献げもの』 コリントの信徒への手紙 16章 1~4節 沖村 裕史 牧師

 

■あとがき

 いよいよ最後の章になりました。いわば「あとがき」です。

 普段、わたしが初めての本を手にしてすることは、「はじめに」と「目次」に目を通し、その後、丁寧に「あとがき」を読むことです。そうすることで、その本についてある程度のことが理解できるからです。特に「あとがき」には、作者の思いや考え、その本を書いた意図を知るうえで重要なヒントが必ずと言ってよいほど含まれています。この16章も、神学的には重要なメッセージは少ない個所と言えますが、パウロの思いや願いを知るうえで、また現実のわたしたちの教会生活にとっても、とても身近で、大切なことが記されています。

 共に生きることに失敗しているように見えるコリントの教会に対して、パウロはこの「あとがき」の中で、より具体的な事柄を語り告げることによって、「共に生きる教会の姿」を、ここにはっきりと指し示そうとしています。

 

■復活と献金

 その冒頭、「聖なる者たちのための募金について」と語り始めます。

 「募金」とは「集める」という意味の言葉で、「集められたもの、集められたお金」を指します。何か目的があって、特別に集めたお金のことです。1節後半に「わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい」とあるように、パウロはこれまでにも各地の教会でそういう募金活動を始め、また指導してきました。そしてこの手紙の最後、パウロはこの問題を取り上げます。

 とはいえ、皆さんはこのことに大きな落差を感じられなかったでしょうか。直前15章で、世の終わり、永遠を見つめていた目が、突然、とても卑近で即物的なお金の話に引き戻される。えっ?どうして?ちょっとガクッとくる。そうは思われなかったでしょうか。そもそもこの手紙、15章でおしまいにした方がよかったのではないか。その終わりに「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」と語って最高潮に盛り上がったのだから、後は短い挨拶と祝福の言葉で終った方が効果的だったのではないか、と。

 しかし、パウロはそうはしませんでした。ここに落差などないからです。パウロにとって、世の終わりの復活の希望に生きることは、今のこの世の現実の生活とかけ離れた、別世界の話ではないからです。

 もちろん「肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできない」ことをパウロは知っています(15:50)。この世の営みは過ぎ去っていき、朽ちていくものであって、その延長上に救いがあるわけではありません。しかし世の終わりの復活の希望に生きる人は、この地上の歩みの中で「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励む」者となる、とパウロは言います。それは「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを…知っている」からです(15:58)。

 復活の希望に生きる時、わたしたちはこの世の事柄を軽んじたり、無視したりするようになるのではなくて、むしろ本当に責任をもってこの世の事柄に関わるようになります。本当に責任をもってこの世の事柄に関わるとは、それらを無駄にしないよう用いることです。そのためには、それらを朽ちることのためではなく、朽ちないことのために用いなければなりません。復活によって朽ちることのないいのちと体を与えてくださる主なる神にそれらをささげ、「主の愛の業」のために用いなければなりません。自分に与えられている様々なもの、能力、時間、財産が主の愛の業のために用いられる時にこそ、そのわたしたちの歩み、苦労は決して無駄にならず、本当に生かされていきます。

 募金の教えは、復活の希望に支えられて、この世の事柄を用いて主の愛の業に励むことの具体的な事柄として語られています。ここに落差はありません。その意味で、それは単なる「慈善のための募金」ではなく、まさに「献金」です。わたしたちも教会でいろいろな募金をしますが、わたしたちはそれを単なる慈善活動としてではなくて、愛の主に仕える業として、つまり神へ自らを献げること、「献身」の業として行います。さらに言えば、わたしたちの信仰が試されることの代表的な例が「献金」であると言えるのかもしれません。個人的にも、教会全体としても、献金をめぐって信仰が試されることになります。

 

■迫害と困窮

 今、「聖なる者たち」とあるのは、小見出しにあるように「エルサレム教会の信徒」たちのことです。エルサレムはキリスト教会が最初に誕生した場所ですが、ユダヤ教のお膝元でもあり、キリスト教とユダヤ教との違いが鮮明になるにつれ、ユダヤ人たちから激しい迫害を受けるようになっていました。さらには慢性的な飢饉の影響もあって、深刻な困窮の中にあったことが使徒言行録に書かれています。そのような迫害と困窮の下にあるエルサレム教会の人々のために、各地の教会で献金を集めて送るという運動を、パウロは指導していたのです。

 つまりこの献金活動は、同じイエス・キリストを信じて教会に連なる主にある兄弟姉妹の間で、苦しみの中にある教会を支え、助けていこうとする働きです。コリントの人々にとってエルサレム教会の人々は、会ったこともない、顔も見たことのない人々でした。人間的には何のつながりも関係もない、名前も知らない人々の間に、イエス・キリストを信じているというただ一つの絆、つながりゆえに、自分の財産を献げて相手を支え助けるという主の愛の業が行われていく、パウロが行っていた献金の活動とはそういうものでした。ローマの信徒への手紙15章25節以下に、こうあります。

 「しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています」

 援助は、経済的に重荷を負うことを通して、主にある交わりを深めると同時に、ユダヤ人教会の代表で、福音の発祥地であるエルサレム教会と、パウロの伝道により設立された異邦人教会との一致のために、パウロは「特別な思いを込めて」、この献金運動を推進していたのでした。

 

■献金の背景

 では、その「パウロの特別な思い」とはどのようなものだったのでしょうか。

 使徒言行録によれば、パウロは身の危険をも顧みずにエルサレムに向かい、そこで逮捕されてローマに囚人として護送されています。使徒言行録はそこで終わり、その後のパウロの運命は描かれません。しかし伝承によれば、そのローマでパウロは処刑されます。いのちがけでエルサレムに上ったことで、彼の人生は大きく変わりました。 Continue reading

3月23日 ≪受難節第3主日/レント「家族」礼拝②≫『あなたが言っていることです』 マタイによる福音書 27章 11~16節 沖村 裕史 牧師

 

■否定?肯定?

 ピラトは、ローマ皇帝がユダヤに駐在させていた総督で、紀元26年から36年の間、その地位にありました。総督府が置かれていたのは、地中海沿岸のカイサリアで、彼がエルサレムの駐屯地に来ていたのは、過越の祭りの警備のためでした。ローマの支配下にあったユダヤは、政治の面でも経済の面でも司法の面でも様々な制約を受けており、死刑判決を下す権限もまた、ローマが握っていました。ユダヤの祭司長、長老たちがイエス殺害を決定しても、それを実行に移すことは許されません。そこで彼らは、エルサレムの警備に来ていたピラトに、イエスさまの死刑判決とその執行を求めて、訴え出たのでした。

 訴えの内容は何も書かれていません。ただ、ピラトの質問「お前がユダヤ人の王なのか」から考えて、イエスさまがユダヤの王を自称し、反ローマ運動を指導している危険人物である、というものであったのでしょう。

 そのピラトの尋問に対するイエスさまの答えは、11節、「あなたが言っている」、「それは、あなたが言っていることです」というものでした。多くの人がこの言葉を、「そう言うのはあなたであって、それはわたしの言っていることではない」と、間接的にイエスさまがピラトの言ったことを否定された言葉であると理解し、そう説明をしています。

 確かにそうなのですが、このイエスさまの言い方は、そういう《間接的な否定》と言うよりも、むしろ肯定、あるいは《限定的な肯定》と言った方がよいのでないか、そう思えます。

 というのは、イエスさまはピラトの言っていることを、間接的な形とはいえ、否定するのではなくて、あなたの立場から見ればそういうことになるだろうね、と限定的な形で肯定しておられると受け取った方が、イエスさまの御心により近いように思えるからです。

 そもそも、権力の論理で物事を考えるのが身についているピラトに、政治犯としてイエスさまを裁いているこの法廷で、イエスさまに対するまっとうな理解を期待することなど、どだい無理な話です。ローマ皇帝の顔色を伺いながら、民衆の動向に気を配って、不安定な地位を守っている政治家ピラトの立場から言えば、イエスさまを「ユダヤ人の王」と疑って考えるのは、極めて自然なことです。

 ですから、ピラトの考えを否定するよりは一応認めたうえで、しかしそれは、あなたのような立場の人が言っているだけのことだと限定しているのが、このイエスさまの「それは、あなたが言っていることです」の意味だろうと理解する方が、自然です。イエスさまは、ピラトの言葉を否定されることはなさらなかったのです。

 しかし同時にイエスさまは、ただし「それは、あなたが言っていること」、つまり、政治の世界にどっぷり浸かり、そういう問題意識でしか物事を考えられないあなたの言っていること、わたしは違いますと、ピラトの言葉を限定されておられるのも確かです。

 イエスさまは、ピラトのラトの理解の外に立って、そこでピラトのために、さらには、同じくイエスさまを理解できない祭司や長老、群衆のために、そして、もっと広く、そこに露わになっているすべての人々の罪のために執り成す、十字架への道を誰にも理解されないままに歩んでおられるのです。

 

■一人ひとりに届く温(ぬく)もり

 この意味深長な返事をされた、イエスさまに温もりを感じます。

 ピラトの間違った考えを彼の立場に立って、できるだけ肯定しながら、その足らざるところ、誤てるところを、身をもって執り成される、イエスさまの広い心を感じないわけにはいきません。

 考えてみれば、わたしたちもまた、ピラトが政治の世界にどっぷり浸かっていたように、それぞれにどっぷり浸かった世界を生きてはいないでしょうか。どんなに冷静に、独善的にならないように注意して、客観的に考えたつもりでも、自分の性格や育った境遇、負わされている状況や自分の好悪、利害打算や世間体、そういうどっぷり浸かったものから全く離れて、物事を正確に、そのままに理解することは、互いにできないことです。

 そして同じことが、信仰を、イエス・キリストを理解する場合にも言えるのではないでしょうか。例えば、クリスチャンホームに育った人と、そうでない人とでは、信仰の理解が微妙に違います。また、内省的に一人考えることに充実を感じる性格の人と、社会的に活発にする奉仕活動に充実を感じる性格の人とでも、その信仰の理解には微妙な違いがあります。信仰の理解においてわたしたちは、それぞれがどっぷり浸かっているものの影響から、完全に離れることはできません。

 しかし、それら様々に異なった信仰の理解は、異なったままにみな肯定されるべきもの、ただし、本人に限定されて肯定されるべきものであって、そして、それぞれの過(あやま)てるところはすべて、イエスさまによって執り成され、生かされるものだと言えるのではないでしょうか。

 ピラトの法廷でのイエスさまの一言とその後の沈黙、そこから学び示されることは、一人ひとりの境遇や立場を汲(く)んで、その人を肯定して生かす、そういう一人ひとりに届く、イエスさまの温かさ、広さです。そしてわたしは、そこから、うわべではない本当の慰めをいただいています。

 

■限定的な正しさ

 わたしと妻は結婚して五十年近くになりますが、この間(かん)、互いの信仰について面と向かって話し合ったことはほとんどありません。違う信仰をもっていることは初めからお互い分かっていましたが、突っ込んで話題にしたことはありません。何かした拍子に、妻の信仰に触れ、こんな信じ方をしているのかと思うこともあります。その妻の信仰を好ましく思い、できることならわたしもそんな信仰を持ちたいと思うこともしばしばです。妻もまたいつの間にか、わたしに影響されてきているのかなと思うような面を感じることもあります。それでも、同じタイプの信仰をもって欲しいと思ったことは一度もありません。信仰に関しての、こういう平行線を歩むような態度がよいのかどうか、もっと真剣に話し合うべきではないのか、時々考えないわけではありません。でも、今日のこの御言葉を読んでいて、ピラトの法廷のイエスさまの一言とその後の沈黙に、わたしは慰められるような思いがします。信仰の理解が違ったままで、平行線でいいのだ、このまま共に歩めばいいのだと思えるからです。どんな信仰でも否定されることはない、肯定される、主の執り成しによって肯定されるのだ、と思えるからです。

 わたしたちの信仰は、自分でどんなに正しいと思っていても、イエスさまに執り成していただかねばならない、《限定的な正しさ》しかもたないものです。傍(はた)から見ればどうかと思う信仰も、確かにあります。互いにそう思っているかも知れません。しかし、それもその人のどっぷり浸かったところで、主に執り成され、赦されているその人の信仰として、尊重し合いたいものです。 Continue reading

3月9日 ≪受難節第1主日/レント「家族」礼拝①≫『わたしを食べなさい!』『あなたの手で—十字架』 ヨハネによる福音書 6章 52~59節 沖村 裕史 牧師

 

お話し「わたしを食べなさい!」(こども・おとな)

■肉を食べ、その血を飲む

 イエスさまの言葉、53節をもう一度読んでみましょう。

 「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」

 「人の子」というのはイエスさまのことです。えっ?イエスさまの肉を食べ、イエスさまの血を飲む?!ちょっと待って、そんなひどい…。だれもが眉(まゆ)をしかめるような言葉です。ユダヤの人たちが、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と騒(さわ)ぎ出したのも、当たり前だと思いませんでしたか。

 でも、心を静めて考えてみてください。わたしたちはみんな、他の生き物を、他のいのちを食べて生きてはいませんか?日曜日の夜7時30分から始まる「ダーウィンが来た!」という世界中のいろんな生き物が出てくる番組を見たことはありますか。その番組の中にときどき、動物が動物を食べるシーンが出てきます。残酷(ざんこく)で嫌(いや)だな、恐いなって思うこともあるかもしれません。でも、でも、動物だけじゃなくて、わたしたちを含めてこの地上の生き物はみんな、他のいのちを食べて生きています。植物であろうが動物であろうが、他のいのちを犠牲(ぎせい)にして食べて、生きています。いのちあるものしか、いのちは養(やしな)えません。家や机や鍋を食べることはできません。他の動物や植物の生きたいのちを、いわば奪(うば)い取って食べて、わたしたちのいのちは保たれています。

 この世界の生き物は、神様によってそう創(つく)られてる、ということです。勝手(かって)に奪い取って食べる、何の断(ことわ)りもなしに食べてるわけですから、わたしたちは、他の動物や植物のいのちに、心から感謝するほかありません。そして、そのいのちを与えてくださっている神様に感謝しなければなりません。それが食事の前に手を合わせて「いただきます」という、祈りの言葉の意味です。

 ということは、「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」というのは、イエスさまのいのちを犠牲にして、それをいただいて、わたしたちのいのちが保たれる、生きていくことができるんだ、という意味になるよね。

 イエスさまって、どんな人だったかな?病気や不自由を抱(かか)える人に手を差し伸べて、その苦しみを癒(いや)したり、愛する人が死んで悲しんでいた人のために、死んだ人をよみがえらされたり、食べる物がなくて飢えていたたくさんの人たちにパンと魚を与えて、そのいのちを養ってくださったり、罪人(つみびと)だと言われて差別されていた人たちを招いて、慰めてくださったり、争い、対立している人をも赦(ゆる)して、互いに愛し合いなさいと教えてくださったり…そんな驚くほどの愛に生き、限りない神様の愛を教えてくださった人でした。

 ところが、そんなイエスさまを妬(ねた)み、恐れた人たちによって、イエスさまは十字架につけられ、殺されてしまいます。イエスさまは、苦しみ、悲しむ、困っている人たちを救おうとして、人々からののしられ、はずかしめられ、ご自分の肉のからだを槍(やり)で貫(つらぬ)かれ、血を流して、そのいのちを奪われました。

 イエスさまの肉を食べ、イエスさまの血を飲むっていうのは、その十字架のことです。十字架の刺し貫かれた肉、流された血は、わたしたちの救いのためでした。わたしたちのいのちのためでした。わたしたちが人として、自分らしく、愛に生きることができるようになるための犠牲のしるしでした。そんな神様の愛を信じなさいって、イエスさまはここで教えてくださっています。

 

■アンパンマンとやなせたかし

 自分を犠牲にして、困っている人を救う人って、どこかで見たことありませんか。そう、アンパンマンです。

 パンをつくっているときに、餡(あん)に「生命(いのち)の星」が入ることで誕生した正義のヒーローです。困っている人を助けるために、自分の顔―あんパンを差し出します。あんパンだけに、その顔の中には美味しくて、栄養たっぷりのつぶあんが詰(つ)まっています。その顔を食べて助けられた人たちは、お腹いっぱいになって元気になり、アンパンマンに心から感謝します。

 そんなストーリーをもとに、たくさんの絵本やテレビのアニメ番組、映画、キャラクター・グッズが生み出されました。1973年に、フレーベル館の月刊物語絵本「キンダーおはなしえほん」シリーズとして、やなせたかし『あんぱんまん』が出版(しゅっぱん)されました。やなせさんが初めて描(か)いた幼児(ようじ)向け絵本でした。ここで、最初の絵本をスライドでご覧いただくことにしましょう。

 この絵本、最初は、貧しく困っている人たちを助けるという内容が幼児には難しすぎる、顔を食べさせるなんて残酷だ、と幼稚園の先生や絵本をつくっている人たちからは散々(さんざん)でした。ところがその予想に反し、子どもたちの間で人気を集め、幼稚園や保育園などからの注文が殺到(さっとう)するようになります。

 そしてついに、テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』第一話「アンパンマン誕生」が1988年10月に初登場します。今なお日本テレビで放映され、映画も1989年から毎年上映される、大人気アニメになりました。このテレビアニメの第一話の最初の所を、少しだけ見ていただきましょう。

 そういえば、今年4月から始まるNHKの朝ドラのタイトルは、『あんぱん』。アンパンマンの作者・やなせたかしとその妻・小松(こまつ)暢(のぶ)をモデルにした物語です。やなせたかしと言われて、わたしがすぐに思い出すのは「手のひらを太陽に」という歌です。

 「ぼくらはみんな 生きている/生きているから  Continue reading

2月23日 ≪降誕節第9主日/冬の「家族」礼拝②≫『神の御業が現れる』 ヨハネによる福音書 9章 1~12節 沖村 裕史 牧師

■神の業が現れるため

 道端に盲人が座っていました。エルサレムの神殿に向かう道を大勢の人が行き来しています。彼の膝下に小銭を投げる人があり、また目をそらして急いで通り過ぎる人もいます。立ちどまろうとした子どもが母親に手をひかれて立ち去ります。そこを通りがかったイエスさまがこの盲人に目を向けられた時、弟子たちはとっさに日頃抱いていた疑問を口にします。

 「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」

 「生まれつき」というのは、なにか運命とか宿命とかを思わされます。だれのせいでこうなったのだろうか。本人が持って生まれた宿命なのか。両親に罪があったのか。それとも先祖のだれかに…。昔の人がそう考えたという話ではありません。洋の東西、時代を問わず、今も受け継がれている感覚です。

 だれのせいでこうなったか。第三者のそういう好奇心による問いは、病む人を苦しめます。そういう問いが、苦しみを負っている人をさらに追い詰めます。そんな問いを、病んでいる本人や家族が抱くようになれば事態はより深刻です。そういう心理を利用して、物を売りつけたりする人がいます。「この家の先祖が大罪を犯しているのでこういうことになっています。この壺を買えば呪いは解けます」というわけです。

 だれのせいでこうなったのですか。巷(ちまた)で様々に呟かれるその問いに答えて、イエスさまは言われます。

 「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」

 本人のせいでも、両親のせいでも、先祖のせいでもなんでもない、と言われます。そして続けて、「神の業がこの人に現れるため」という不思議な言葉を口にされます。

 どういう意味でしょうか。「神の業が人に現れる」と言われて、わたしたちが普通に考えるのは、何かが良くなる、不安が消える、あるいは何かわたしたちに幸運がもたらされる、といったことではないでしょうか。しかしここでこの言葉が意味することは、この目の不自由な人の困難自体に、神の業が現れるということです。

 人生の歩みの中で、わたしたちは目の不自由さだけでなく、実に多くの不自由さを感じます。自分の思いのままにならないこと、挫折や失敗、人生の設計ミス、人間関係の中で起こってくるストレス、あるいは人生の終りが数えられるようになった時に感じる、これでいいのかという不安などなど、次から次へと起こってきます。ときに理不尽にも思える苦難に、わたしたちはたじろぎ、できるならばそのようなことが起こりませんように、と祈ることでしょう。

 ところがイエスさまは、そういう中にこそ、神の業が現れるのだ、と教えられます。神の業は、わたしたちの思い通りに、平安の内に現われるのではない、ということです。むしろ、わたしたちが困難を覚える、その困難の中にこそ、神の業は現わされる、そう言われるのです。

 

■目が見える

 イエスさまは今、この目の不自由な人をシロアムに送ります。

 「シロアムの池に行って洗いなさい」

 標高八百メートルの岩の上に建てられたエルサレムの城壁の一部、あの「嘆きの壁」から南東に百メートルほど降った場所から、紀元前1世紀の初頭に建設されたローマ様式の大規模な石造プールの遺跡が発掘されました。神殿に参拝する人々が手足を清めた場所、そこがシロアムの池です。

 そこに行って目を洗いなさい、とイエスさまは言われた。そうすると目が見えるようになった。そのままに読めば、「よかった、よかった」と言うことでしょう。そしてそこで「アーメン」と言えば、何とありがたい、恵みに満ちた奇跡物語だろう、ということになるでしょう。

 しかし、ヨハネはそうは書きません。シロアム、これはヘブライ語で、その意味は「遣わされたもの」だ、とわざわざ書き加えています。意図をもって書き加えた「遣わされたもの」とは、「神から遣わされたもの」という意味で、イエス・キリスト、その人を指すであろうことは明らかです。

 この出来事はただ単に、身体的な目によって見えるか、見えないかという問題ではなく、この目の不自由な人が「神から遣わされた」イエス・キリストと出会うことによって、「本当に永遠のいのちを見ることができるようにされた」のだ、ということです。

 ヨハネは周到に、6節の「目が見える」、10節の「目が開く」、そして11節の「目が見える」という言葉に、すべて異なるギリシア語を使っています。特に最後の11節は、単なる「見える」ではなく、直訳すれば「視界が与えられる」です。また1節の「生まれつき目の見えない人を見かけられた」の「見かけられた」も別の言葉で、じっと見つめるというニュアンスの言葉です。イエスさまがこの人に目を留め、じっと見つめておられるのです。

 目の不自由な人がイエスさまによって目が見えるようにされた、これはこれで素晴らしいことですがしかし、ここでヨハネがわたしたちに教えていることは、本当に何も見えない状態―真っ暗闇の中にあって、ただ一方的に、ただ一方的な愛ゆえに、光なるイエス・キリストが出会ってくださって、永遠の世界に招き入れられるのだ、ということです。肉体の終わり、現実の不自由さの中にあってなお、永遠のいのちに抱かれているという、真の希望に生かされているのだ、ということです。

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2月16日 ≪降誕節第8主日礼拝≫『復活とわたしたち—希望』 コリントの信徒への手紙一 15章 20~34節 沖村 裕史 牧師

 

■わたしたちの土台

 20節から28節、「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。…最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。…最後の敵として、死が滅ぼされます。…すべてが御子に服従するとき、御子自身も、すべてを御自分に服従させてくださった方に服従されます。神がすべてにおいてすべてとなられるためです」

 人々が心から待望していた救い主キリストが、わたしたちのところに来てくださり、その身をもってお示しくださったこと―それは十字架と復活でした。聖書は、キリストが十字架につけられて殺され、墓に葬られ、三日目に甦(よみがえ)らされたことを、様々な人々の言葉として証言しています。このキリスト・イエスの十字架と復活こそ、わたしたちクリスチャンの土台です。

 ところが、十字架の出来事は自己犠牲という大いなる愛の御業として理解しても、復活の出来事はどうしても理解できない、受け入れることができない、それを信仰の躓(つまづ)きと感じる人々がいました。それは、この手紙を受け取ったコリントの教会の中にも、そしていつの時代にもいました。現代にも「科学的に復活は…」と言う人がいますし、人体の生理的な面、あるいは目撃した人々の心理学的側面から復活を証明しようと試みる人もいます。

 しかし、キリストの復活はそういうこととは次元を異にするものです。わたしたちが経験する事実とは、その経験した事柄そのものであるというよりも、むしろその事柄を経験したわたしたちにとっての意味そのものです。大切なことは、復活という出来事そのものではなく、それがわたしたちにとってどのような意味を持つのかということです。

 パウロはここで、復活に躓きを感じていたコリントの教会の人々に、人類の「死」は罪の結果であり、罪のゆえに死がこの世界に入ってきた、しかし、その「罪」を贖(あがな)うためにキリストが来られ、己(おの)が身を捧げて十字架に身代わりとなって死んでくださった、そして、そのキリストが三日後に復活なさり、わたしたちの罪の結果である最後の敵「死」を打ち破ってくださったのだ、と教えています。

 

■罪―いのちは自分のもの

 そもそも罪とは何でしょうか。それは、守るべき法律に違反するといったことではなく、神ならぬものを神とし、神なきが如(ごと)くに振舞い、まことの神との関係を断ち切ってしまうということでした。全能の神を見失い、いのちの源である神を忘れ、溢れるほどの神の愛に気づかない人にとって、すべては自分のものでした。いのちさえも自分のものです。

 とすれば、いのちは自分のこの肉体にしか宿らないことになります。そして、死とともに肉体は腐り、滅ぶゆく死によっていのちもまた終わることになります。人々は、自分のいのちを自分のものであると考える傲慢、自分を神の如きものと考える罪によって、死という自分の知恵も力も超えてもたらされるものに対して、決して拭うことのできない絶望と不安を抱き続けざるをえなくなりました。神に背き、神を忘れ、神から逃れようとしたアダムの罪によって、人類に「死」がもたらされたとは、まさにそのことでした。

 そして、耳を塞ぎたくなるほどのそうした罪と死による悲鳴が、あちらこちらから、自分の中からさえ聞こえてきます。罪意識もなく、自分の欲望や快楽のために平然と人のいのちを傷つけ、奪うことも、また苦しみや悲しみのあまりに自分のいのちを軽んじ、断ってしまうことも、そのいずれもが、いのちを自分のものだと考える罪から出て来てはいないでしょうか。

 しかし、いのちは決してわたしたちのものではありません。いのちは神が与えてくださった、かげかえのないものです。

 

■永遠のいのち

 とすれば、キリストの復活が意味することとは、いったい何なのでしょうか。一言で申しあげれば、それは、神による永遠のいのちへの招きです。

 キリストの復活はわたしたちに、神が永遠なるお方であると同時に、いのちの主であることを明らかにしています。御子キリストは死から復活させられたのです。神は、すべてのものにいのちを与えられるお方です。そして生だけでなく、死をも司られるお方です。

 そのような神との断絶という、決定的な罪に陥っていたわたしたちが、キリストの十字架の死によって、その罪の一切を赦されました。わたしたちの罪がどれほどのものであろうとも、今も神は、愛のみ手によってわたしたちを救い出し、キリストの復活を通して新しいいのちへと招いてくださっているのです。

 パウロが「神がすべてにおいてすべてとなられる」と語るように、今ここに生きている者も、今まで死んでいった者も、すべてものがその御手の中に招き入れられるのです。それは、すべてのこと、すべてのものが神の支配に組み入れられる、神の国が成就する、ということへの確信であり、希望の言葉です。

 わたしたちの生も死も、この世の力も富も権威も、生きている者も死んでいる者も、そのすべてが神のものとされるという信仰は、わたしたちをあらゆる不安と絶望から自由にし、わたしたちに苦難に打ち勝つ希望を与えてくれます。すべては主のものです。わたしたちの体も心も、身に着けているものも自分で得たと思っているものも、すべて主のものです。わたしたちのいのちは、主が与えてくださったものです。だから、わたしたちは安んじて、すべてを主に委ね、わたしたちに与えてくださったこのいのちを、生きている今も、死して後も、かけがえのないものとして大切に生きていくことができます。

 人のいのちが軽く扱われる、現代のような憂鬱で、悲観的な時代にあって、わたしたちはとくに、神が最終的にはすべてを支配されておられ、やがては平安と安らぎの時がもたらされるのだ、そして今ここに、そのような神の支配がすでに始まっているのだ、という希望を忘れてはなりません。そのような希望の信仰に生きるとき、そのときまで、羊のように弱く愚かなわたしたちであっても、「御国が来ますように。御心が行われますように」と祈りつつ、この人生を歩んでいくことが赦されるのです。

 

■日々死んでいる

 だからこそ、パウロは31節に、「わたしは日々死んでいます」と書くことができました。これはもちろん、本当に死んでいるという意味ではなく、比喩的な言葉です。日々死ぬとは、自分を捨てている、という意味にとることができるでしょう。あるいは自分を委ねている、自分を任せて生きている、というふうに読むこともできるのではないかと思います。 Continue reading

2月9日 ≪降誕節第7主日/冬の「家族」礼拝①≫『宇宙船がやってきた』(こども)『神の御前に近づく』(おとな) 出エジプト記 19章 1~9, 16~25節 沖村 裕史 牧師

 

お話「宇宙船がやって来た!」(こども・おとな)

■モーセさんって、どんな人?

 今から3,300年前、ピラミッドやスフィンクスなどが造られていたエジプトでのことです。奴隷にされ、重労働を強いられ、苦しんでいたイスラエルの人々を救い出すために、神様は、モーセという人をリーダーに立てて、エジプトから導き出すことにされました。そのときの様子が書かれているのが、今日読んでいただいた「出エジプト記」、そして、一緒に歌った「こどもさんびか46番」です。

 イスラエルの人々は奴隷でしたが、よく働き、よく食べ、赤ちゃんもたくさん生まれました。でも、それを喜ばない人がいました。エジプトの王様です。奴隷がこれ以上増え続けると、自分たちより強くなるかもしれないと心配した王様は、「イスラエルの人の家で生まれた子どもは、女の子は生かしてよいが、男の子はナイル川にほうりこめ」という命令を出したのです。さあ、大変。赤ちゃんが生まれるとどこの家でも大喜びなのに、男の子だったら急に静かになります。エジプトの兵隊に見つかると殺されてしまうからです。

 そんなある日、イスラエルの人の家に男の子が生まれました。お父さんお母さんは、エジプト人に見つからないように育てていました。でも、赤ちゃんが大きな声で泣くので、いつまでも隠しておくことができません。「籠(かご)に入れて、ナイルの川に流そう。殺されるのを見るのは耐えられない。神様がこの子を守ってくださるだろう」と言って、二人は、パピルスで籠を作りました。その中に、布をしいて、赤ちゃんを寝かせ、ナイル川にそっと流しました。

 ゆっくりと流されていくこの籠を、エジプトの王女様に仕えていた、その子のお姉さんがしげみに隠れて見ていました。川下の方で水浴びをしていた王女様が、流れてきた籠に気づきます。それがさっきの歌の1番です。

 「ナイルの岸の あしの中/王のむすめが 見つけだし/すくったあかちゃん モーセさん」

 川に流された赤ちゃんは、いのちを助けられ、モーセと名づけられました。

 大きくなったモーセは、自分が奴隷であるイスラエルの一人であることを知って、苦しむイスラエルの人々を助けたいと願うようになります。あるとき、一人のイスラエル人が、エジプト人から激しく鞭(むち)で打たれているのを目(ま)の当(あ)たりにし、モーセは思わずそのエジプト人に手をかけ、殺してしまいます。

 捕まって、処刑されることを恐れたモーセは、ミディアン人の住む地方に逃れ、そこで出会ったツィポラという女の人と結婚し、幸せに暮らしていました。そんなある日のこと、モーセがホレブという山の近くで羊を飼っていると、山にはえていた柴の木がパチパチと音を立てて燃えていました。いつまでも燃えています。「どういうことだろう。あの木はいつまでも燃え続けている。そばに行ってようすを見よう」。そう思って、燃える木のそばまで来たときのことです。歌の2番です。

 「ホレブの山の 火のなかに/神のよぶ声 ひびきます/みことばうける モーセさん」

 神様は言われました。「モーセよ、あなたの仲間が今、エジプト人の奴隷になって、毎日つらい思いをしている。あの人たちがかわいそうだ。わたしはエジプトからあなたの仲間を救い出したい。わたしはイスラエル人が安心して住むことのできる土地を用意している。わたしがイスラエルに与える約束の土地だ。モーセよ、わたしはお前をエジプトへ遣わす。お前はエジプトの王に会って、イスラエルの人々を奴隷から解放するように言いなさい。そして約束の地までお前が導きなさい」と。

 こうしてモーセは、イスラエルの人々を助け出す仕事をすることになりました。でもそれは簡単なことではありません。なんとかエジプトを脱出しすることに成功しますが、エジプトの王様はイスラエルの人々を連れ戻そうと、戦車に乗って追いかけて来ます。ようやく葦の海にまでたどり着きますが、前は荒れ狂う海、後ろはエジプトの戦車隊に挟(はさ)まれて、絶体絶命のピンチです。そのときです。モーセが立ち上がって神様に祈ると、なんと火柱(ひばしら)がおこってエジプト軍をさえぎり、反対側の海は裂けて、海底に道が開けます。人々が大急ぎでそこを通って逃れると、後を追ってきたエジプトの戦車はあっという間に海に呑(の)みこまれてしまいました。それが3番の歌です。

 「二つにわれた  Continue reading

2月2日 ≪降誕節第6主日礼拝≫『初穂となられた神の恵み―復活』 コリントの信徒への手紙一 15章 12~20節 沖村 裕史 牧師

■キリストの復活はなかった?

 パウロはこの手紙の最後のテーマとして「復活」を取り上げ、今日の冒頭12節をこう語り始めます。

 「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか」

 詰問するかのような口調です。しかしこの厳しい口調は、復活の問題こそ、コリントの教会が立つか倒れるかの問題だ、どうかそのことを分かって欲しい、というパウロの心からの熱い願いゆえでしょう。

 そこで今日は、コリント教会の中で呟かれていた「死者の復活などない」という言葉が何を意味するのか、そのことから始めることにしましょう。いえ、そのことを中心にお話をいたしましょう。

 12節だけを読むと単純に、この人たちは「キリストの復活などなかった」と言っているのではないか、そう思われたかもしれません。「死んだ者が復活するなどということはあり得ない、だからキリストの復活も事実ではない」と。これは今日を生きるわたしたちの常識的な感覚です。現代のこの科学の時代に死者の復活など、そんなことを信じることが果してできるのだろうか、できはしないということです。さらには、キリストの復活は教会が自分たちの教えを権威づけるためにでっちあげたものだと言われることがあります。そこまで行かなくても、イエスの十字架の死後、イエスを慕い、その死を悲しむあまりに、弟子たちの間にイエスは今も生きて共にいると信じようとする思いが生まれ、それが「イエスは復活した」という教えになったのだと言う人もいます。

 これらはいずれも、キリストの復活は事実ではないという前提に立っています。わたしたちは、このような考え方の方が「科学的」「合理的」であるように思われる世の中、時代を生きていますから、こうした疑問は繰り返し、わたしたち信仰者への問いともなります。

 

■死者の復活などない

 しかし、パウロがここで直面している「死者の復活などない」という主張は、それとは少しばかり違っています。コリント教会の人々は、キリストの復活などなかったと主張していたわけではありません。続く13節に「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです」とあります。パウロは「死者の復活」と「キリストの復活」とを区別しています。コリント教会の人々が「死者の復活」を否定していたからです。それに対してパウロは、死者の復活を否定したら、キリストの復活もなかったことになるではないかと言います。つまり「死者の復活などない」と言っている人たちも、キリストの復活の事実を否定しているのではありません。パウロがここで語りかけている相手は、キリストの復活は事実として信じるけれども、死者の復活は信じない、という人々なのです。

 では、キリストの復活は信じるけれども、死者の復活は信じない、とはどういうことでしょうか。この場合の「死者」というのは、イエス・キリスト以外の、わたしたち一般の人間のことを指しています。今は生きているわたしたちも、必ず死にます。交読詩編の49編10節に「人は永遠に生きようか。墓穴を見ずにすむであろうか」とあるように、墓穴を見ずに、つまり死ぬことなく永遠に生きることができる者など一人もいません。そのように必ず死者となるわたしたちが、この世の終わり、神の国が完成するそのときに、イエス・キリストと共に復活して永遠のいのちにあずかる、それが「死者の復活」ということです。キリストが復活したことは信じていても、この「死者の復活」を信じない人々がいたのです。

 

■終わりの時まで生き残る?

 そこで問題になっているのは、復活する可能性があるのは誰かではなくて、神は誰を復活させようと思っておられるのか、です。神が復活させようと思われる者は復活します。問題は、神の御心はキリストのみを復活させることなのか、それともわたしたちをも復活させようとしておられるのか、です。

 神はキリストを復活させられたが、わたしたちを復活させようとは思っておられない。こうした主張が生まれる背景には、二つのことがありました。

 第一は、最初期の教会の多くの人々が、自分たちが生きている間にキリストがもう一度来てくださり、この世が終わると考えていたことです。パウロ自身も最初はそう考えていたことが、他の手紙から分かります。多くの人が、自分の生きている間に世の終わりを迎え、もはや死ぬことのない永遠のいのちを与えられる、だから自分たちは死ぬことはないと思っていたのです。死ぬことのない者に、復活は必要ありません。つまりこの人々は、自分たちの復活を信じないというよりも、生きてイエス・キリストの再臨、この世の終わりを迎える自分たちには、復活はいらないと思っていたのです。

 ところが、イエス・キリストを信じて教会に加わった人々の中にも、あの十字架と復活の出来事から25年余りが経ち、次第に年老いて死ぬ者が出てきました。当然、その人たちはどうなるのかという問いが生まれます。神の国が完成する、終わりの時まで生き残る者が永遠のいのちにあずかると考えていた人々は、それまでに死んでしまった人たちは残念ながら滅びてしまったのだ、と言いました。パウロはそれに対して、いや、その人たちは世の終わりに復活して、生き残る者たちと共に永遠のいのちにあずかるのだと教えたのです。パウロの語る死者の復活の教えとは、一つには、キリストが再びやって来られる、終わりの時まで生き残っていなければ永遠のいのちにあずかれないというのではない、信仰をもって死んだ人は世の終わりに復活して、生き残っている者たちと共に永遠のいのちにあずかることができるのだ、ということでした。

 ただ、これは時が経てば解決する問題でした。終わりの時まで生き残ることはパウロ自身もできなかったわけで、信仰者たちはみな、その時を見ずに死にました。こうして、生き残っている者だけが永遠のいのちにあずかるという主張は、自然に消え失せることになりました。

 

■キリストの復活とわたしたちの復活

 けれども、「死者の復活はない」という主張の背景にはもう一つの、より深刻な問題があったのです。それは、この主張が「わたしたちの復活はもう起ってしまった」という考えと結びついていたことです。

 復活がもう起ってしまった、とはどういうことでしょうか。イエス・キリストを信じて洗礼を受けた者は、キリストの十字架の死にあずかって古い自分が死に、キリストの復活にあずかって新しく生まれたのだ、わたしたちはもう生まれ変わった者、復活した者となっている、だから、信仰者の復活はすでに起っているのだ、ということです。

 これはある意味その通りであって、パウロも例えばローマの信徒への手紙の6章などで洗礼の意味を語る時に、そうした言い方をしています。しかしそのことが、世の終わりのときの死者の復活を否定し、それはもう起ってしまったことだという主張の根拠とされるとすれば、問題です。復活が心の中だけの事柄、内面の問題になってしまうからです。

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1月26日 ≪降誕節第54主日礼拝≫『神の恵み―福音』 コリントの信徒への手紙一 15章 1~11節 沖村 裕史 牧師

 

■最も大切なこと

 パウロは、コリント教会の中にキリストが復活されたことを否定している人たちが存在することを聞いて、驚きと憤りを感じ、キリストの復活こそ福音の中心であると語ります。

 「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」

 パウロはこう語り、具体的に「聖書に書いてあるとおり」と二回くり返し、キリストが「わたしたちの罪のために死んだこと」「葬られたこと」「三日目に復活したこと」をあげています。

 この言葉は、パウロがエルサレム教会の人たちから「受けたこと」であること、つまり、最初期の教会に伝えられていた信仰告白の、その中心にあったものであることが分かります。

 「復活したこと」という言葉は、「復活させられた」と受け身の形で、しかも完了形で語られています。復活は神によりなされたことであり、かつ復活は過去の出来事ではなく、イエス・キリストは今も生きておられることが、継続を意味する完了形によって示されています。

 その復活のキリストが、ケファことペトロをはじめ、十二使徒に、さらには五百人以上の人々に同時に、その後、イエスさまの弟であるヤコブに、また福音を宣べ伝えるよう召されたすべての使徒たちに、そして最後にパウロ自身にも現れたと宣言しています。

 この手紙が書かれたのは紀元55年頃のことですから、復活の出来事の後、25年くらいしか経っていません。当時、ほとんどの証人は生きていたのです。つまり、イエス・キリストの復活がどれほど確かな証人の証言によっているかということです。それなのに、コリント教会の中には「最も大切なこととして…伝えられている」イエス・キリストの復活を認めない人たちがいたのです。

 

■福音によって救われる

 パウロは、イエス・キリストの復活を中心とするこの福音を信じなければ、「あなたがたが信じたこと自体が、『無駄』になってしまう」と言います。そして、「あなたがたはこの福音によって救われます」と念を押します。

 ここで気を付けていただきたいのは、福音とは「これこれのことをしなさい、そうすれば救いが得られますよ」という、いわゆる教えや戒めではないということです。教会が受け継いでいる福音は、救われるためには、神の恵みを受けるためには、こうすればよいというノウハウ、言い換えれば倫理や道徳の教えではありません。

 ここにキリスト教信仰の難しさがあります。人に親切にしなさいとか、親を敬いなさいとか、敵をも愛しなさいといった戒めが語られ、そのように努力していけば、神様が守ってくださいますよ、恵みを与えてくださいますよ、救われますよという教えなら、分かりやすいでしょう。ところが、教会が教える福音とはそういうものではありません。

 教会が「最も大切なこと」として伝えていることは、そのようなノウハウ、倫理や道徳ではなく、キリストがわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、三日目に復活したこと、弟子たちに現れたことです。これは、救われるためにわたしたちがどうしたらよいかではなくて、神がわたしたちの救いのために何をしてくださったのか、ということです。教会の信仰で「最も大切なこと」は、わたしたちが何をするかではなくて、神が何をしてくださったか、なのです。

 だからこその「福音」「よい知らせ」です。パウロはその福音を聞いて信じ、その福音によって生かされ、その福音を宣べ伝えたのです。

 

■このわたしにも

 何よりも、復活のキリストが自分に「現れた」ことによって使徒とされ、「今日のわたしがあるのです」とパウロは告白します。

 パウロはいつ、どのようにして復活したキリストと出会ったのでしょうか。イエスさまの復活から昇天までの40日の間も、あのペンテコステの時も、パウロの姿は弟子たちの中にはありませんでした。サウロことパウロは、キリスト教会に敵対し、その群れを叩き潰そうとしていました。彼は、ユダヤ教ファリサイ派の若きエリートでした。律法を厳格に守り行うことによって神の民として生きようとするファイサイ派の彼にとって、十字架につけられたイエスが救い主であるなどということは神への冒涜でした。ステファノという信仰者が石で打ち殺され、最初の殉教者となった時、そのステファノを殺す側の人間でした。その後も、サウロはキリスト教撲滅の使命感に燃えて、ダマスコという町へと向かいます。

 その途上で、彼は復活のキリストと出会ったのでした。彼は、自分が神のみ心に逆らい、神である方を迫害してきたことを知らされ、愕然とします。もうおしまいだ、神に背き逆らった自分は滅ぼされる他ないと思ったのです。しかし、イエスさまは彼を滅ぼすのではなく、新しく生かし、新しい道―福音伝道という新しい使命を与えてくださったのでした。

 

■神の恵みによって

 そのパウロが告白します。9節、「わたしは神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」。そんな自分が今、復活されたキリストとの出会いを与えられ、その証人として立てられ、使徒として遣わされている。それはただ、神の恵みによることです。それが10節です。「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」。パウロはここで、「神の恵み」です、と三回も繰り返します。 Continue reading

1月19日 ≪降誕節第4主日/エピファニー「家族」礼拝≫『導かれて歩む』 創世記 5章 1~31節 沖村 裕史 牧師

 

■年齢と罪

 冒頭の挨拶でも申し上げたように、今日は御子イエス・キリストの顕現、その輝きがすべての人々に及ぶことを記念する、エピファニー「家族」礼拝です。救い主キリストの出現は、御子イエスの誕生にとどまらず、真理の光が現れ、神の栄光が現され、それが世界の隅々にまで実現していく、その出発点となったことを証するものでした。そんな真理と福音の光を、今日のみ言葉からも読み取っていくことができればと願っています。

 それにしても、創世記5章を読まれた方はだれもが、「えっ」と戸惑われることでしょう。ここに書かれている年齢のせいです。到底考えられないような年齢です。これにはいろいろな説明がなされます。その一つに、この年齢は神がこの世界を、人間を創造されたその創造の力がまだ強く働いていることを印象づけるためのものだと説明されることがあります。

 しかし旧約聖書を読み進めていくと、気がつかれるはずです。その驚くほどの長寿がだんだん、わたしたちの普通の年齢に近くなっていきます。アダム930歳、ノアの子セム600歳、アブラハム175歳、モーセ120歳…。そして、そのことの中に人間の罪の問題がある、と言われます。そもそも人間を神が創造された時には、死というものは計算に入っていませんでした。ご存知のように、創世記3章でアダムとエバが罪を犯します。その罪のために、死が入り込んでくることになりました。たとえ何百年生きたとしても、死というものが最後には人間の生活を終わらせる。厳然たるその事実がここに示されている、そう理解してよいのではないかと思います。

 そういう意味での生と死が、ここには描かれています。3節に、「アダムは百三十歳になったとき、自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけた」と書いてあります。はじめ1節のところでは、神は自分に似せて人間を創造されたと書いてありましたが、3節になると、アダムは自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけたと書かれます。これは非常に厳しい言葉、辛辣(しんらつ)な皮肉の言葉です。わたしたちは自分に似た子どもを生み出します。それは、わたしたちの罪をそのままに継承する、受け継ぐ人間を生み出しているということです。そんな非常に厳しいメッセージが、ここに記されているのです。

 

■神と共に歩む

 身も竦(すく)むようなそんな罪の系譜の中ほど21節に、エノクという人が出てきます。今日お話をしたいのは、このエノクについてです。

 「エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。エノクは、メトシェラが生まれた後、三百年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。エノクは三百六十五年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」

 何百年生きて、そして死んだ。他の人は、そう書いてあるだけです。しかしこのエノクだけは、「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」と書かれます。

 「神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」

 これこそ、人間本来のあり方です。神に造られ、神の息を受け、いのち与えられて、人間は初めて生きるものになりました。そして神と共に歩くように、人間は造られました。エノクはそのように神と一緒に歩いたと言われます。彼が正しい人間であったとか、罪を犯さなかった人間であったとか、そういうことではありません。ただ彼は神と共に、神に頼って生きた。それが、「神と共に歩んだ」という言葉の意味です。

 彼も人間の限界を持っていたでしょう。自分の限界をよくよく知っていたことでしょう。そういう人間が、神に向き合って生きていく。そうやって神に向き合い、神に支えられて生きていく人間の姿、本来的な姿が、ここに記されています。

 八木重吉という詩人の「神を呼ぼう」という詩が思い出されます。

  「赤ん坊はなぜにあんなに泣くんだろう

   あん、あん、あん、あん

   あん、あん、あん、あん

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1月12日 ≪降誕節第3主日礼拝≫『共に学び、共に励まされる』 コリントの信徒への手紙一 14章 26~ 40節 沖村 裕史 牧師

 

■最初期の教会の礼拝スタイル

 コリントの教会はパウロが開拓伝道で立ち上げた教会で、生まれてからわずかに数年ほどの教会でした。そのため礼拝堂もありません。わたしたちの教会の『百年史』によれば、日本メソヂスト教会によって小倉の地で福音伝道が始められたのは1885年でしたが、会堂が与えられたのはそれから19年後の1914年のことでした。その間、教会員や牧師が暮らす家の一室を使って礼拝が行われていました。コリントの教会も同じです。もっとも、教会員が急速に増えたので一つの家ではなく、複数の家に分かれて礼拝を行っていました。いわゆる「家庭集会」「家の教会」と呼ばれるものです。今も、この「家の教会」を重視する教会があります。個人の家を開放して少人数で聖書を学んだり、語り合ったりする、そういう小さな集会を大事にするためだと言います。大きな教会になると親密さが失われがちです。そうならないよう小さなスペースを大切にするのでしょう。

 そうした家の教会では、食事を共にすることがとても大事だと言われます。食事を共にすることで、雰囲気が和み、いろいろなことを自由に話しやすくなるからです。コリントの教会も、家で集まって礼拝をした後、食事を取っていました。礼拝とその後の食事に続いて、主の晩餐が行われました。これだけ聞いても、当時のコリントの教会の礼拝スタイルが、わたしたちの礼拝とはかなり違っていたことが分かります。

 そんな礼拝スタイルという意味で、わたしたちとコリント教会との大きな違いと言えば何といっても、礼拝の中で異言や預言を語るかどうかです。コリント教会では礼拝中に、自由に異言や預言を語る時間を持っていました。大切な点は、異言や預言を語るのは牧師とか宣教師といった特別な立場の人ではなく、普通の信徒たちだったということです。

 預言は、わたしたちに分かる言語で、わたしたちであれば日本語で教会の内外の人々に神からのメッセージを語ることですが、異言というのは、わたしたちには意味不明の言語、神とその人との間で交わされる言葉です。天使の言葉とも呼ばれる、天上におられる神を賛美する言葉、それが異言です。

 コリント教会では神の霊、聖霊の働きが非常に活発でした。聖霊は使徒と呼ばれる、神から直接遣わされた特別な人たちだけでなく、教会に集う人々全員に、何らかの聖霊による賜物が与えられている、と考えられていました。聖霊による賜物といってもいろいろあります。病をいやす力を与えられていた人もいました。しかし、礼拝に一番関係のある賜物は何と言っても、異言を語る賜物と預言を語る賜物でした。コリントの教会では、すべての信徒たちが礼拝中に、自由に異言や預言を語りました。

 ところで今「自由に」と言いましたが、自由ならすべて良いかと言えば、そうとも言えません。今日の多くの教会では、長年守られてきた礼拝のスタイルというものがあります。司会者が礼拝の式次第に則って、一つ一つの決められた内容に従って礼拝が進んでいきます。これには安定感があります。そんな礼拝の途中で、式次第に書かれていないのに、突然、我も我もとだれかれなく立ち上がって、意味の分からない言葉で神を賛美し始めたらどうでしょうか。司会者はびっくりしてしまいます。礼拝の秩序が損なわれ、何か非常に混乱した礼拝になってしまった、そう感じる方も少なくないでしょう。

 今日の話のポイントは、そうした自由な聖霊の働きとして異言や預言が語られる礼拝の中で、それがどうすれば混乱をもたらさず、むしろ秩序ある礼拝の一部となることができるのか、そういう問題を取り扱っています。

 

■あなたがたを造り上げるために

 秩序正しい礼拝というと、式次第が完璧に出来上がっていて、その定められた手順通りに行われる礼拝をイメージされるかもしれません。しかし、パウロの求める礼拝は、安定はしていても形骸化しまいがちな今日の礼拝とはかなり異なったものです。会堂も式次第もなければ、牧師や司祭、長老や執事もいません。例外なく霊の賜物を与えられた信徒たちによって、霊による豊かな賜物が用いられる、相当に自由度の高い、音楽で譬えればアドリブにあふれたような礼拝スタイルでした。しかし、そのような自由の中にも、秩序が求められていました。自由と秩序の二つのバランスをどのように取るのか、それがパウロの考えていたことでした。まずパウロはこう語ります。

 「兄弟たち、それではどうすればよいだろうか。あなたがたは集まったとき、それぞれ詩編の歌をうたい、教え、啓示を語り、異言を語り、それを解釈するのですが、すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです」

 ここからも、当時の教会の礼拝が垣間見えてきます。まず礼拝で「詩編の歌をうたい」となっています。当時の讃美歌は、詩編に歌をつけるというのが一般的だったようです。これはユダヤ教から引き継いだものです。それから「教え」があります。これが説教に当たるものだと思われます。説教といっても、いくつかの家の教会に分かれて礼拝を守っていましたから、どの教会にもパウロやアポロのような専従の説教者がいたわけではありません。信徒の中のリーダー格の人が説教を行っていたのかもしれません。

 しかし、わたしたちの教会の礼拝と決定的に異なるところは、その次です。「啓示を語り」とあります。黙示とも訳される言葉です。神がこれまで隠されてきたことが明かされる、という意味です。分かりやすく言えば、「預言を語る」ということです。そして「異言」が来て、「それを解釈する」と続きます。異言とは人間の言語ではないので、話している人以外には意味が分かりません。ですから異言は、人間の言語に翻訳される必要があります。異言とその解釈、解き明かしとはセットなのです。

 こうした礼拝の中で行われる行為を列挙した上で、それらすべては、あなたがたを、あなたがたの共同体、教会を造り上げるためのものだ、ということをパウロは強調します。これが、パウロの言いたいことの中心です。預言や異言は、神の霊によってその賜物を与えられた人が自由に語ります。コリントの教会の礼拝は、パウロの言葉によれば、例外なく霊の賜物を与えられたすべての信徒たちによってなされる、文字通りの全員参加型の礼拝でした。しかしそれは同時に、礼拝の秩序を保つのが難しいということでもあります。なぜなら、司会者が礼拝の流れをコントロールできるわけでなく、信徒たちが自分勝手に、自分の賜物を誇るようにして、また予期せぬことを語り始めるかもしれないからです。

 しかし、ここでパウロの求めている秩序とは、式次第通りに礼拝を進めることではありません。礼拝に求められる秩序とは、「キリストの体」である教会が造り上げられるためのもの、すべての人が与えられた霊の賜物を用いられることによって、互いに愛し合い、互いに受け入れ合い、互いに支え合うためのものでした。

 

■異言と預言

 そこでパウロは、礼拝中の秩序を保つために、次のような指示を与えます。

 「異言を語る者がいれば、二人かせいぜい三人が順番に語り、一人に解釈させなさい。解釈する者がいなければ、教会では黙っていて、自分自身と神に対して語りなさい」

 異言を語りたい人がたくさんいて、みんなが一斉に語り出せば、収拾がつかなくなります。そこで、異言を語るのは二人か多くても三人に限定し、しかも異言が語られる場合には、自分でその意味を解説する、もしくは他に解釈者がいなければならない、という基準を定めたのです。しかし自分で異言を普通の言葉に解釈できず、また他に適当な解釈者がいない場合は、黙っているようにとパウロは言います。

 それがどんなに素晴らしい言葉であっても、語っている人以外に分からないような言葉であれば、礼拝の場に相応しくありません。パウロが直前の23節で「皆が異言を語っているところへ、教会に来て間もない人か信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変だとは言わないでしょうか」と言っている通りです。ですから、解釈できない異言は、公の場である礼拝では黙っていて、家に帰った後で自分だけで神に対して語りなさい、というアドバイスをパウロは与えるのです。 Continue reading

1月5日 ≪降誕節第2主日/新年「家族」礼拝≫『愛されているから…』(こども・おとな)、『身を焦がす愛』(おとな) ルカによる福音書15章11~32節 沖村 裕史 牧師

 

お話し「愛されているから…」

■たとえ話

 クリスマスの季節、そして新しい年の始まりの今日、読んでいただいたのは「放蕩息子(ほうとうむすこ)」というタイトルの付けられた、イエスさまのたとえ話です。「たとえ話」って聞くと何だか、おとぎ噺(ばなし)や昔話のような、現実ではあり得ない、作られた物語、そう思うかもしれません。でもね、例(たと)えるっていうのは、本当のこと、現実の出来事がちゃんとあって、その意味をわかりやすく伝えるために、何かを引き合いに、例(れい)に出してお話をすることです。だからそこには、本当のこと、現実の出来事、真実(しんじつ)が秘められていて、それを聞くわたしたちにはそのことを本当のこと、自分のこととして聞くことが求(もと)められています。そうするとき、たとえ話はとってもワクワク、ドキドキする、みんな一人ひとりのお話になるんだ。

 さて、イエスさまは今日のたとえ話を、「ある人に二人の息子がいた」と語り始めています。登場人物は、「ある人」と呼ばれるお父さんと、「二人の息子」、お兄さんと弟です。「放蕩息子」というタイトルのために、弟の話だけに目が向けられがちですが、これは「三人の物語」です。そして、主人公はお父さんに例えられている神様で、お兄さんと弟は、あなたであり、わたしです。みんなそれぞれに、ときには弟になってみたり、あるときにはお兄さんなってみたりして、今日のお話を聞いてみるといいと思います。

 

■弟の場合

 さて今日は、自分が弟になったつもりでお話を振り返ってみましょう。

 弟はどう見ても、自分勝手で、自分のことばかり考えている人です。弟がお父さんに言います。将来(しょうらい)、自分が受けとることになっている財産(ざいさん)を「今」ください、と。それは、お父さんが死んだら相続(そうぞく)することになっている遺産(いさん)の内、自分の分を前もってくれということです。愛情の欠片(かけら)もない言い方です。当時のユダヤでは、父親は家のことすべてを決定することのできる、強く大きな力と権利を持っていました。だから、馬鹿者(ばかもの)!と怒鳴られて当たり前のはずです。ところが、お父さんは叱(しか)るどころか、弟に言われるがままに、そればかりか、えこひいきにならないようお兄さんにも財産を分け与えます。何と弱々(よわよわ)しく、情けないお父さんの姿でしょう。

 弟は、その財産を受けとるとサッサとお金に換(か)えて、お父さんからできるだけ遠くに離れようと旅立ちます。干渉(かんしょう)されたくなかった。お父さんのことが理解できず、煩(わずら)わしくて、自分の好きなように生きたかったのでしょう。中学生になってからずっと親に反抗ばかりし、大学に入るのを絶好(ぜっこう)のチャンスと家を飛び出した、わたしのようです。

 念願(ねんがん)かなった弟ですが、遠い国で派手(はで)な生活をし、持っているものをすべて使い果たしてしまいます。すべてを失ったとき、飢謹(ききん)におそわれます。不幸は重なります。食べる物にも困った彼は、知り合いに助けを求めます。ところが知り合いは彼を豚小屋に送り込みます。豚はユダヤ人にとって汚れた動物で、豚飼いというのは最も嫌われる、絶対にしたくない仕事のひとつです。知り合いは弟を憐れに思ったのではなく、厄介(やっかい)払(ばら)いしたのでしょう。

 落ちるところまで落ちて、ようやく「彼は我(われ)に返」りました。弟はお父さんのところに帰ることにします。このとき弟が、何かよいことをしたというのではありません。わたしたちの経験からすれば、「本当にすまなかった、悪かったと思っているのか」「本当に反省をしているのか」と言われてもおかしくないところです。この後に描かれる、お兄さんの怒りも当然です。弟はお父さんの面子をつぶし、善意を踏みにじり、おめおめと帰ってきたのです。自らボロボロになって、行き先を失ったのです。同情の余地(よち)などありません。

 

■愛しているから…

 そんなボロボロの弟を、ただ父にすがるために帰って来た弟を、お父さんが「先に」見つけます。

 「彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」

 驚くばかりです。「まだ遠く離れていたのに、父親」が弟を見つけたと言います。お父さんは待っていた、ずっと待ち続けていたのです。弟が離れて行ったその日から、去って行ったその方角をずっと見つめ続け、彼の帰りを今日か今日かと待ち続けていたのです。「ごめんなさい」という弟の言葉を遮(さえぎ)るようにして、わが子の変わり果てた姿を「憐れに思い」、走り寄って、抱きしめます。反省の言葉なんかどうでもよいのです。帰って来たわが子です。もうだれにも渡すものか。そんなお父さんの姿は、常識では考えられない、あり得ない姿です。この親はどこまで甘いんだ、愚かだ、親馬鹿だ、と世間で言われるような姿です。でも、この理解しがたい、驚くほどの愛があればこそ、放蕩息子は、弟は「帰ることができた」のです。

 イエスさまは、お父さんに例えられる神様が、驚くほどの愛であなたを、ありのままの姿のあなたを愛しておられるのだ、と言われます。自分はもうだめだと思っている「あなた」、自分にはもはやどんな未来もあり得ないと思っている「あなた」、そのあなたも帰ることができる、そんなあなたをこそ、神様は待っておられる。あなたを愛しているから…。だからいつでも、何度でも帰ってきていいんだよ。そう呼びかけておられるのです。

 

■愛のホラ話

 そんな父親と息子の間のすれ違い、冷え切っていた関係が、暖かく溶け出すように愛に包まれていく様子を描いた、とても素敵(すてき)な映画があります。それが、今からご覧いただく『ビッグ・フィッシュ』です。

 『ビッグ・フィッシュ』というのは、誰も信じないホラ話という意味の言葉です。魚釣りの好きな人が自慢話を始めると決まって、両手で示す釣った魚の大きさが、だんだん大きくなっていきます。そんなホラ話ばかりを語る父親のエドワードに付いていけず、いつしか敬遠(けいえん)し、仲違(なかたが)いをするようになってしまった息子のウィルでした。でも、そんなホラ話のすべてが、たとえ話と同じように、うそで、でたらめな話ではなく、本当のこと、現実の出来事、真実がそこに隠されていることを知って、二人の関係が深い信頼(しんらい)と愛情に満たされたものに変わっていく、その様子が描かれます。こんなあらすじです。

 ウィルの父エドワードは、自分の人生をとても興味深く語り、聞く人を引き付けるのが得意でした。ウィルも幼い頃は父の奇想天外(きそうてんがい)な話が好きでしたが、年を取るにつれ、それが作り話であることに気づき、いつしか父の話を素直(すなお)に聞けなくなっていました。三年前の自分の結婚式にエドワードが息子ウィルの生まれた日に巨大な魚を釣った話で招待したお客たちを楽しませた時、ついに不満が爆発。ウィルは父に今夜の主役は自分たちであると訴え、父は自慢の息子の結婚式を盛り上げるためでしたが、それが裏目に出てしまい、ウィルは一方的に父を避けるようになります。

 そんなある日、母サンドラから父が病で倒れたと知らせが入ります。ウィルは妻ジョセフィーンと共に実家へと戻ります。しかし、病床でジョセフィーン相手にホラ話を語り出す父と、本当の父を知りたいと願う息子は理解し合えずじまい…。

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12月29日 ≪降誕節第1主日/歳末感謝礼拝≫『繰り返し躓き、繰り返し恵まれて』 マルコによる福音書 8章 1~ 10節 沖村 裕史 牧師

■はじめに

 クリスマスの季節は、12月24日夕刻のイヴから1月6日の公現日までです。この季節、ツリーやリースの飾りをそのままに、御子イエスが、この世界に、わたしたちのところに来てくださったことを祝います。ただその祝い、無邪気にはしゃぎまわるような「祝い」というのではありません。

 この一年も、実に様々なことがありました。年の初めから甚大な被害をもたらす災害が続き、たくさんのいのちが失われ、今も多くの方が厳しい生活を余儀なくされています。一部企業の増収増益や株式等高騰のニュースに違和感を覚えるほどに、経済回復の兆しは全く見えてきません。皮肉を込めて「日本もついにアメリカ並みになった」とつぶやいたのは、子どもの六人のうち一人が生活に困窮する貧困家庭であるとの発表を聞いた時でした。家族同士が、隣人同士がいとも簡単に傷つけあい、いのちを奪いあう、凄惨な事件が今も後を絶ちません。新たな覇権主義や原理主義による暴力が、世界中に争いと悲劇を生み続けています。虚無に彩られた闇のような世界は、わたしたちの外ばかりにあるのではありません。わたし自身の内が暗い闇の中に、独りよがりのエゴイズムや自惚(うぬぼ)れ、妬(ねた)みや嫉(そね)み、偽りや欺瞞(ぎまん)に覆われてしまいそうになることもありました。時には、思いがけない深い悲しみや苦しみのために、ひとり密かに嗚咽(おえつ)をこらえつつ、身も心も置き所なく悶(もだ)えるほかないこともありました。

 闇に囲まれ、闇の中に生きるほかないそんなわたしたちのところに、御子イエス・キリストが来てくださいました。それがクリスマスでした。今年最後の主の日に与えられたマルコによる福音書8章1節以下は、そんなクリスマスの告知にふさわしい言葉にあふれています。

 

■二つの奇跡

 御子イエス・キリストが四千人もの人々に食事をふるまったという今日の出来事は、お気づきの方もおられるかもしれませんが、6章の、五千人の人たちが五つのパンと二匹の魚によって満腹になったという出来事と全く同じ出来事のように思えます。そのため、多くの聖書学者は、同じ出来事が別々に伝えられ、徐々に二つの物語にまとめられたのだろう、マルコは律儀にその二つを二つとも書き残したのだろう、と推測します。しかし本当にそうなのでしょうか。

 そもそも御子イエスが、大勢の人たちとの分かちあいの食事を、その生涯で一度しかなさらなかったなどと、どうして断言できるのでしょうか。御子イエスは一度なさったことは、もう二度となさらないとでも言うのでしょうか。仮に、同じ出来事を別々に伝えた二つのよく似た物語であったとしても、この福音書がそのいずれをもここに書き残したとすれば、それはなぜなのか。そのことこそが大切な点です。

 

■神の国

 イエスさまが多くの人々と一緒に食事をなさった、それもイエスさまのあふれるほどの愛によって、数えきれないほどの人が満腹し、身も心も満たされた。そして神のみ国を味わうことになった。神の国が今ここにもたらされている、神様の愛の御手が今ここに差し出されていることを指し示すこの出来事は、繰り返し、繰り返し告げ知らされるべき、驚くべき神の恵みです。

 野外で共に食事をするということは、イエスさまが、当時のユダヤでの食事に関する規則、タブーを大胆に乗り越えられ、人々もまたそれに大胆に応じた出来事でした。ユダヤでは、食事の前には手を洗い、どこかで触れたかもしれない穢れを清めるようにと定められていました。罪に汚れた者とみなされる職業に就いている人、病気や障がいを負っている人、異邦人たちとの一切の関わりを断ち切ってからでないと、食事をすることは許されませんでした。汚れた人と食事の席を共にするなどということはありえないことでした。素性の知れない食べ物を安易に食べてはなりません。野外での、不特定多数の人々による分かちあいの食事は、それらユダヤ人が堅く守ってきた決まり、タブーを大きく踏み越えることでした。

 しかし、そのタブー破りの食卓によってこそ、罪人呼ばわりされ、汚れた者として排除され見下され、人としての尊厳を貶められてきた人々が、そこで人間性とその尊厳を回復されたのです。神に与えられたいのちゆえに、神はすべての人をかけがえのない、価値あるものとして、分け隔てなく愛してくださっている、その神の愛が今ここにもたらされている、イエスさまはそう宣言をされたのでした。イエスさまは、神様の愛をこそ、多くの人と分かち合われようとしたのでした。

 

■日常茶飯事

 そんな福音の出来事は、たった一回だけのことだったのでしょうか。食べることは習慣であり、生活そのものです。食卓が人間の生活や習慣と切り離しがたく結びついたものであったからこそ、そこには、この世の不条理や社会の差別や不公正なありようが「常識」と言われる文化として反映されていきます。その生活と習慣に切り離しがたく結びついた不条理を、差別を、常識と呼ばれる価値観を打ち破ろうというとき、一回きりの奇跡で事済(ことす)めりと考えるとすれば、それは安易というほかありません。もし一度限りの行為であったのなら、それは単なる人気取りのパフォーマンスと言わざるを得ません。しかし、イエスさまがそういうパフォーマーだったとは到底思えません。「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と悪評をはやし立てられたイエスさまは、たった一度だけの食事の席でのタブー破りのために、そうした悪評を立てられたのではなかったはずです。食卓でのタブー破りは、イエスさまにとっては日常茶飯事のこと。その日常のタブー破りによってこそ、食卓という日常性において尊厳をおとしめられていた人々の回復は現実のものとなったはずです。

 神の国の福音を伝道するために放浪されたイエスさまは、繰り返し、繰り返し日常のこととして、野外での分かちあいの食事をされたにちがいありません。

 

■二つの違い

 そもそも、この二つの物語が違う場所での違う出来事であるとして見るときに初めて、今朝の出来事の本質が浮かび上がってきます。同じ出来事が別々に伝えられた二つの物語に過ぎないと考える多くの学者は、この二つの物語の共通点ばかりに目をとめようとします。しかし、今日のこの出来事と6章の出来事には、はっきりと異なる点があります。

 まず何よりも、起こった場所が違います。最初の物語はガリラヤでの出来事でしたが、今朝の物語はデカポリス地方、聖書巻末の地図「6新約時代のパレスチナ」をご覧いただくとよく分かりますが、ガリラヤ湖南東からヨルダン川東側一帯の地域、つまり全くの異邦人の地域での出来事です。その地域差が、それぞれの物語の細部に渡る違いをもたらします。

 興味深いのは、残り物を集めて入れた籠(かご)の違いです。日本語ではどちらも「籠」ですが、ギリシア語では、6章はコフィノス、ここはスプリスです。コフィノスはユダヤ独特の弁当箱で、とっくり型の口のすぼまった容器のことです。一方、異邦人の地では当然そのコフィノスは用いられません。スプリスは弁当箱というよりも、たくさんの食糧を入れるための網籠(あみかご)です。二つの物語では、残飯を集めた籠の数も違います。6章は十二籠、8章は七籠です。十二と言えば、イスラエルの十二部族やイエスさまの十二弟子を想像させる、ユダヤ人にとって特別な数字です。一方、ここに出てくる七という数字は、十二弟子との対比で言えば、七人の執事、異邦人伝道のきっかけを作った、ギリシア語で会話をしていたユダヤ人信徒たちの代表者の数にあたります。残飯籠の数は、ユダヤ人だけでなく異邦人にも同じようにイエスさまの福音宣教が向けられていたことを象徴的に表しているのだと言ってよいでしょう。

 そのことは、イエスさまと弟子たちのやり取りからも伺い知ることができます。イエスさまが大勢の人々にパンをお与えになったとき、6章では、弟子たちの方が群衆の空腹を気遣います。その群衆は同じユダヤ人であったことでしょう。しかし今ここでは、もう集会を解散し、パンのことを自分たちでまかなうようにさせたらどうかと、弟子たちはイエスさまに言っています。それに対してイエスさまは、ご自身のほうから弟子たちを呼び寄せ、語りかけられます。「群衆がかわいそうだ」と。この「かわいそうだ」は、「まあ、かわいそうに」といった軽い言葉ではなく、腸(はらわた)が痛くなるほどの慈しみのことです。そのため、神や御子の激しいほどの愛を語る時にだけ、この言葉は用いられました。わたしから福音の言葉を聞くために、三日間もわたしと一緒にいるのに食べ物がない。遠くからやって来た者たちがここには何人もいる。このまま帰したらどうなるか。

 6章の時には、周辺で食べ物を調達できる可能性も残されていましたが、ここはそうではありません。弟子たちの言うように、「こんな人里離れた場所」です。言葉のままに訳せば「寂しいところ」となるこの言葉は、「住む人もいない場所」を意味し、「砂漠」と訳してもよい言葉です。食事ができないばかりでなく、何もない荒涼たる砂漠のような場所に、飢えに苦しむ四千人を超える異邦の人々が、イエスさまにつき従っていたのでした。

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12月22日 ≪降誕前第1・待降節第4主日/クリスマス「家族」礼拝≫『クリスマスの恐れと希望』(おとな) マタイによる福音書 1章 18節~ 2章 12節 沖村 裕史 牧師

■恐れと不安

 幼な子イエスを拝した羊飼いと三人の博士たちは、喜びに満たされて帰って行った、とあります。そうなら、説教題は「クリスマスの希望」で良いのに、わざわざその前に「恐れ」と加えるのは可笑しいのではないか。そう思われたかも知れません。しかし、聖書に記されているクリスマスの出来事には、幼な子イエスの誕生に際して、人々が恐れと不安に満たされたとの記事をいくつも見出すことができます。

 例えば、ルカによる福音書の2章9節、「すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼ら〔羊飼いたち〕は非常に恐れた」。またルカは、受胎告知を受けたマリアについてこう記します。「マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ」(ルカ1:29)。「戸惑う」とは、「不安と恐れですっかり心がかき乱されて」という意味の言葉です。そこで天使は、「マリア、恐れることはない」と声をかけます。

 そしてこのマタイでもこう記します。「『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」(2:2-3)。救い主の誕生は、ヘロデ王のみならず、救い主キリストを待望していたはずのエルサレムの人々にさえ、決して喜び迎えられたものではなく、むしろ恐れと不安を抱かせるものでした。

 生まれて間もない、これからどんな者になるのかも全くわからない、小さな赤ん坊に、人々がみな、恐れと不安を抱いたなどということが本当にあったのか、そう疑問に思われるでしょう。

 もちろんこれは、マタイがヘロデ王やエルサレムの人々に、御子イエス誕生の時にどう思いましたかと、インタビューをして書いたというのではありません。マタイにとって、この幼な子イエスこそ救い主キリストであり、クリスマスは、「この子は自分の民を罪から救う」(1:21)とあるように、救い主の誕生の出来事以外の何ものでもありませんでした。いわばこれは、マタイによる信仰告白です。

 そんな信仰を告白するときに、キリスト、救い主の誕生をエルサレムの人々がみな不安と恐れをもって受け止めたと記したのは、なぜでしょうか。マタイはこう記すことによって、何を言おうとしているのでしょうか。

 そしてまた、幼な子イエスを救い主キリストと知っているわたしたちは、当時のユダヤの人々とは違って、恐れや不安など感じないで、ただ希望に満ちて、ストレートにクリスマスを喜び祝える者なのでしょうか。

 いえ、わたしたちが、真にクリスマスの告知を受け止めるなら、やはり恐れと不安を抱くはずなのではないか。もしそうでないとすれば、わたしたちはクリスマスの告知を、聖書が伝えている通りには受け止めてこなかった、ということになるのではないでしょうか。

 

■神のイメージ

 では、その恐れと不安とはどのようなものなのでしょうか。裏返して言えば、クリスマスの告知とは一体何であったのでしょうか。

 それは言う間でもない、わたしたちの救いのために神の御子が一人の人間になられた、ということです。では、この「神の御子が人間になられた」とはどういうことなのか。そのことを理解するためには、まずユダヤ教における神のイメージを知らなければなりません。

 ユダヤ人にとって、神は、その名も口にすることさえ憚られる、聖なる存在でした。聖なる唯一の神です。人間はどんな修行を積んだとしても神になることなどできません。神は創造の主であり、人間はどこまでも被造物です。ですから、人間でありながら神とその本質を等しくする神の子など、ユダヤ教では絶対に認めることができません。イエスさまの処刑を決定的にしたものは、大祭司の「あなたは神の子、メシアなのか」との問いに対し、イエスさまが「あなたの言うとおりである」と答えたことにあったと聖書が記している通りです。

 ユダヤでは、神を見た者は死ぬと言われました。さきほどの羊飼いたちのように、神の栄光に照らし出される時、汚れを持つ人間はただ恐れるほかありません。だとすれば、クリスマスの幼な子イエスの姿の中に、神の栄光の輝きをみる者も、同じ恐れを抱かなければなりません。その恐れのない者は、イエスさまの中に神の栄光を見ていないのです。

 見る者は、見られる者だからです。たとえば、一般の人々にとって、仏像は古美術品の一つとしての鑑賞の対象でしかないかもしれませんが、敬虔な仏教徒にとっては、仏像は自分が見る対象ではなく信仰の対象であり、すなわち仏像に自分という存在が見られているのです。同じように、幼な子イエスを見る者は、そこに輝く神の光によって、自らの存在全体が照らし出される経験を持たざるを得ません。

 御子イエスの受胎は、ヨセフとの平凡な幸せを願っていた乙女マリアにとって、どれほどの驚きであり、恐怖であったことでしょうか。神の御子を我が身に宿すなどあり得ないこと、恐ろしいことです。しかもその結果、ローマ兵によるレイプを後々までまことしやかに囁かれるようになることを、マリアは覚悟しなければなりませんでした。

 聖なる神の御子が全き一人の人間となって、この地上の生涯を歩まれた。このことが、どれほど驚くべきもの、恐るべきことであったのか。わたしたちは理解を新たにしなければなりません。

 

■新約の福音

 当時ユダヤの人々は、ローマ帝国の支配からの解放者としての救い主キリストを待ち望んでいました。にもかかわらず、御子イエスの降誕は、彼らに不安を与えるものでしかありませんでした。それは、イエスさまが彼らの願いに直接応えるような救い主ではなかったからです。むしろ彼らを不安に陥れるような救い主でした。

 マタイは、福音書の最初にこんな言葉を記します。「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図」。ルカも、あのマリア賛歌の中でこう記しています。「その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、/わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに」(1:54-55)。また、イエスさまの十字架には「ユダヤ人の王」との罪状書きが掲げられていた、と福音書は一様に記しています。

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12月15日 ≪降誕前第2・待降節第3主日/バラの主日「家族」礼拝≫『天使は白髪のおじいさん!』(こども・おとな)・『あなたの友になるために…』(おとな) ヨハネによる福音書 15章 12~17節 沖村 裕史 牧師

 

お話し「天使は白髪のおじいさん!」(こども・おとな)

■クリスマスに欠(か)かせない天使(てんし)

 「天使」っていう言葉を聞いたことがありますか。いやいや、聞いたことないって人は、まずいないでしょう。

 天使、それは、「天」からの、神様からの「使い」という意味です。神様の思い、考え、願いを、わたしたち人間に伝えるための「使い」です。伝えるという意味で言えば、携帯電話(けいたいでんわ)のメールやLINE(ライン)と同じかもしれないけど、でも、まったく違うところがあります。携帯電話のメールやLINEは、自分の言いたいことを言いたいように伝えるだけですが、天使が伝えるのは、神様の「あなたのことを愛しているよ。だから、大丈夫(だいじょうぶ)!勇気を出して歩きなさい」という愛と希望のメッセージでした。「大好きだよ。くじけちゃだめだ。転びそうになったら、ほら手を出して。支えてるよ。いつもいっしょだよ」。神様は天使を通して、わたしたちにそう声をかけてくださるのです。まるで、大切な、かけがえのない、本当の友だちのようです。

 そんな天使が、聖書の中で大活躍(だいかつやく)するのは、何といっても、イエスさまがお生まれになるシーン、御子誕生(みこたんじょう)のときです。

 「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付(なづ)けなさい」(ルカ1:30-31)と、マリアがイエスさまのおかあさんになることを告げられました。またおとうさんになるヨセフにも天使は現れ、「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」(マタイ1:21)と励まされました。それだけではありません。夜通(よどお)し羊の群れの番をしていた羊飼いたちに、天使は言いました、「恐れるな。…今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。…あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲(ちの)み子(ご)を見つけるであろう」(ルカ2:10-12)と。さらには、生まれたばかりのイエスさまに宝物をささげた、東方からやってきた学者たちには、「ヘロデのところへ帰るな」と夢の中でお告げがあり、ヨセフにも夢の中に天使が現れ、言いました。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」と(マタイ2:12-13)、危機から逃れさせました。

 

■天使の姿―白髪のおじいさん

 クリスマスに欠かせないこの天使、どんな姿、形をしているのでしょうか。みなさんはどんなイメージを持っていますか。

 よく知られているのは、背中に羽根の生えた、かわいいこどものようなキューピッドの姿かもしれません。でも聖書には、翼(つばさ)の生えた天使の姿なんてどこにも出てきませんし、はっきりとは何ひとつ描(えが)かれていません。そのためでしょうか、これまでたくさんの人が、いろんな天使の姿を思い思いにイメージしてきました。

 そして今日、これから見ていただく映画『素晴(すば)らしき哉(かな)、人生(じんせい)!』にも天使が登場しますが、その姿はキューピッドとは似(に)ても似つかない、白髪(しらが)のおじいさん。まるでサンタクロースのようです。

 この映画、善良(ぜんりょう)な青年ジョージ・ベイリー(ジェームズ・スチュアート)が自殺(じさつ)するのを、天使クラレンス(ヘンリー・トラヴァース)が救い出すという話です。幕(まく)があがると、そこはクリスマスの晩。アメリカの小さな町ベドフォードの人たちが、あちらでもこちらでも、「ジョージ・ペイリーに神の助けがあるように」と祈っています。はたしてジョージ・ベイリーとはどんな人なのでしょうか。どんな人生を歩いて来たのでしょうか。あらすじは、こうです。

 小さな町にジョージ・ベイリーという人がいました。会社を経営(けいえい)していた父親が突然(とつぜん)亡(な)くなって、ジョージが会社を継(つ)ぐことになりました。そして、幼馴染(おさななじみ)のメアリーと結婚し、四人の子どもにも恵まれたジョージは幸せいっぱいでした。そんな会社経営もうまくいき始めていた1945年のクリスマスイヴのこと。おじさんのビリーのミスで大きな損失(そんしつ)を出してしまい、冷酷(れいこく)な銀行家ポッターにも追いうちをかけられ、ジョージは絶望の淵(ふち)に立たされます。

 自分の人生に絶望しきったジョージは、自殺しようと橋の上に行きます。死のうとするジョージの目の前で突然、老人が川で溺(おぼ)れ始めます。ジョージは、その老人を助けます。その老人は実は、神様が遣(つか)わした翼(つばさ)のない二級天使クラレンスでした。彼の前でジョージは、自分は「生まれて来なければよかった」と言います。その言葉を聞いたクラレンスは、ジョージが生まれて来なかった世界を見せることにします。

 自分がいない世界に連れてこられたジョージは知ります。自分の妻メアリーは一生(いっしょう)独身(どくしん)で、たった一人さびしい人生を送り、ジョージの子どもたちもいません。ジョージが助けたはずの弟のハリーは九歳で川で亡くなり、おじさんは仕事を失って精神病院に、ジョージが防(ふせ)いだ事故は実際に起こり、ジョージがお世話になっていた人は幼子(おさなご)を死なせて刑務所(けいむしょ)にいました。さらに町は冷酷なポッターに支配され、町の人々は不安と恐れの中を暮らしていました。

 ジョージは、自分の妻も誰も自分のことを知らない、自分の子どもたちも弟もいない、知り合いがみんな不幸になっている世界にショックを受けました。ジョージは自分のいた世界、自分の人生がいかに素晴らしいものだったのかを思い知りました。ジョージは、もう何があっても自分の人生を生きていこうと決意し、何とか自分をもとの自分がいた世界に戻して欲しいと神様に懇願(こんがん)します。

 すると、ジョージは現実の世界に戻り、ずっとジョージを探していた警官に出会い、うれしさの余り「メリークリスマス」と言いながら抱きつきます。すっかりテンションの上がったジョージは叫びながら町中(まちじゅう)を走り、自分の家へと駆け込みます。家につくと、四人の子どもたちが「ダディ」と呼んで、迎えてくれます。さらに、ジョージを心配し、町のみんなに助けを求めに出かけていた妻のメアリーも帰宅し、みんなで抱き合いました。

 そこに、メアリーが声をかけに行っていた町のみんながやってきました。みんなはジョージの失った大金を寄付(きふ)で工面(くめん)してくれるのでした。自分の人生の素晴らしさを実感したジョージ。ラストは、ジョージが妻、子どもたち、弟のハリー、町のみんなと家の中でクリスマスソングを歌うのでした。

 (ここで、映画を少しだけ見てみましょう!)

 

■クリスマスのプレゼント

 天使のクラレンスがジョージに気づかせてくれたのは、わたしたちのいのちが、わたしたちの人生が、どんなにかけがえのない、すばらしいものなのか、ということでした。それが、クリスマスの、神様からのプレゼントでした。

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12月8日 ≪降誕前第3・待降節第2主日礼拝≫『おとなの言葉』 コリントの信徒への手紙一 14章 13~25節 沖村 裕史 牧師

 

■おとなとして

 今日はもう一度、13節からお読みいただきましたが、段落が切ってある、前回からの続きの言葉は20節。大切な言葉です。

 「兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください」

 パウロはコリントの信徒に対し、主にあっておとなの判断をしなさいという趣旨のことを、この手紙の中で繰り返し語っています。こどものようであってはいけない、と言います。

 ここで、おとなとこどもとは、どういう意味で対比されているのでしょか。こどもの特性のすべてが悪いと言っているわけでは、もちろんありません。「悪事については幼子となり」、つまり悪知恵を働かせず、こどものように純粋なものでありなさいとあるように、こどもにも、おとなが見習うべきもの、おとなが失ってしまった良いところが、いくつもあります。

 しかし他方、こどもにも欠点というか、克服すべき点があります。そのひとつは、周りが見えず、何でも自分中心に考えてしまうことです。こどもは、自分がしていることが他の人にどういう影響を与えるのかということを考える力が、成熟したおとなに比べて弱いと言えるのではないでしょうか。こどもには、自分と全然違うタイプの人のことについてその人の身になって考える、そういうことが難しいのです。経験が少なく、他の人の立場に立って考えることができないからです。そして、愛のない行動というのは実は、そんなこどもっぽい行動のことだと言えます。

 愛とは、人の必要を感じ取り、それに共感し、人の必要のために行動したい、そうしようとすることです。人のことを考えずに、ただ自分の考えや善意を押し付けても、それは愛の行動にはなりません。そんな行動は独りよがりの、こどもっぽい行動だと見なされます。

 パウロが13章で語った「愛を追い求めなさい」という勧告と、ここでの「おとなになりなさい、おとなとして発言し、行動しなさい」という助言とは、実は同じことなのです。コリントの人々も、自分のことに夢中になるあまり、自分たちの振る舞いが他の人にどういう影響を与えるのか、を充分に考えていませんでした。パウロは、彼らのそういった面をたしなめているのです。

 直前13章でパウロは、聖霊がわたしたちに与えられているさまざまな賜物をどのように用いるべきか、そのことについて「愛」の重要性を強調しました。どんなに素晴らしい聖霊の賜物も、それが愛によって生かされなければ台無しになってしまう、何の益にもならない、そんな恐れがあると語っていました。愛こそが、わたしたちに与えられる聖霊の賜物を活かす力なのです。そこで、14章の冒頭で「愛を追い求めなさい」という言葉を13章の要約として語った上で、具体的な内容、異言と預言の問題に入っていきました。

 

■異言と預言

 その異言と預言がどのようなものなのか、もう一度確認しておきたいと思います。

 異言とは、霊に満たされる中で語られる、一般の人には理解することのできない言葉で、時には言葉というよりも音声を発することです。それに対して預言というのは、人々に伝えるために神から預かり与えられた言葉、だれにでも理解できる、神の救いの恵みを語る言葉のことです。未来を予告する言葉ではありません。

 この異言と預言はいずれも、神の霊、聖霊の働きによって与えられる言葉、聖霊の賜物であると考えられていましたが、コリントの教会では、異言の賜物の方が預言の賜物よりも優れたものとして重んじられていました。

 なぜ、異言の賜物が重んじられ、もてはやされていたのか。2節に「異言を語るものは、人に向かってではなく、神に向かって語っています。…彼は霊によって神秘を語っているのです」とありました。異言には神秘的な響きがあります。霊によって、神に向かって神秘的な言葉を語る様子は、信仰に生きる者には魅力的に映ったことでしょう。しかし、だれにでもできることではありません。そういう特別な賜物を持っている人が教会の中で目立ち、一目置かれるようになることは、ごく自然なことです。そうなると、多くの人々が自分もそういう賜物を得たいと願い、熱心に、わたしにも異言を語らせてくださいと祈り求めていくことになります。結果、一人また一人と異言を語る人が増えていき、気がつけば礼拝の中で皆がワイワイと、我先に異言を語り出すようになります。

 パウロはそんなコリント教会の礼拝の様子に対して、17節以下で「あなたが感謝するのは結構ですが、そのことで他の人が造り上げられるわけではありません。わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります」と、釘を刺します。

 

■理性を働かせる

 4節の「異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます」と響き合う言葉です。異言は、それを語る個人の、神との交わりという点で意味あるものです。パウロも異言を否定していません。しかしそれは、キリストの体なる教会、教会の部分であるわたしたちを造り上げるものではありません。だからこそ、だれよりも異言の賜物を豊かに与えられていると自負するパウロも、それを用いようとはしないのです。教会を造り上げることのできる賜物は、預言だからです。預言は、人に理解される、理性の言葉です。そのことが13節以下に語られます。

 「だから、異言を語る者は、それを解釈できるように祈りなさい。わたしが異言で祈る場合、それはわたしの霊が祈っているのですが、理性は実を結びません。では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう」

 異言は、解釈、人に分かる言葉に翻訳されなければなりません。教会で語られる言葉は、理性によってだれにでも理解できる言葉でなければなりません。そのことが「霊と共に理性でも」ということです。

 信仰は、わたしたちの霊に関わる事柄です。霊とは、わたしたちが使う言葉で言えば、心とかハートと言ってもよいかもしれません。わたしたちの中心、奥深くにある心で、ハートで、神の恵みを受けとめる、それが信仰です。 Continue reading

12月1日 ≪降誕前第4・待降節第1主日/アドヴェント礼拝≫『造り上げる言葉』 コリントの信徒への手紙一 14章 1~19節 沖村 裕史 牧師

 

■預言と異言

 14章冒頭に「愛を追い求めなさい」とあります。12章31節に「もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい」という勧めがあり、その「もっと大きな賜物」とは「愛」であることが13章で示され、それを受けての「愛を追い求めなさい」です。この14章では、愛を追い求めて生きるとは具体的にはどういうことなのか、そのことが語られていくことになります。

 その具体的な事柄が、預言と異言でした。この二つは、12章28節以下の、聖霊の賜物のリストの中にもありました。コリント教会からパウロのところに、この二つ、預言の賜物と異言の賜物をどう受けとめ、教会、特に礼拝において、それをどう位置づけたらよいのかという質問が寄せられていたのでしょう。

 聖書の「預言」とは、未来の出来事を言い当てる言葉ではなく、「神の意志によって起こる出来事、神の裁きと救いについての告知」、神のご意志、ご計画を語り伝えるために神から預かった言葉のことです。「説教」といっても良いかもしれません。そういう言葉を聖霊が与え、語らせてくださる。それが預言の賜物です。直訳すれば「舌」となる「異言」もまた、聖霊の賜物・カリスマのことを意味する言葉です。14章は預言のカリスマと異言のカリスマについて語っているわけですが、これはどちらも「言」という字が用いられているように、言葉における賜物です。しかし同じ言葉でも、異言は一般の人には「理解することのできない信仰表白の言葉」でした。関西にいた時に、ペンテコステ派の教会の礼拝に出席したことがあります。その教会では、礼拝の中に祈りの時間が設けられていて、その中で、複数の信徒たちがそれぞれに立ち上がって、理解できない、言葉ならない音を口々に発していました。そして最初期の教会の礼拝でも、預言と異言の両方が語られていました。コリント教会では、預言よりも異言のカリスマの方が神の賜物としてより優れていると考えられ、多くの人が異言の賜物を祈り求め、またそれを持っている人々が礼拝の中で、我れ先に異言を語るということが起こっていたようです。そのことによって礼拝に混乱が生じていたのでしょう。パウロのところに、これらの賜物をどう位置づけたらよいか、という質問が届けられました。

 

■誰に向かって語るのか

 パウロはこの質問に対して、1節後半ではっきりと答えています。

 「霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい」

 コリント教会の多くの人々が異言の方が一段上の、より優れた、求められるべき賜物だと思っていたのに対して、パウロは預言こそより優れた賜物であり、追い求められるべきものだと言います。なぜか。2節以下に語られます。

 2節と3節で、異言と預言が比較されています。異言は2節にあるように、「人に向かってではなく、神に向かって語」る言葉で、そのため「だれにも分かりません」。それに対して預言は「人に向かって語られ、人を造り上げ、励まし、慰める」と言います。

 預言と異言の違いは、それがだれに向かって語られている言葉であるかだと語られます。これは、とても大切です。異言は神に向かって語られ、預言は人に向かって語られます。神に向かって語ることと、人に向かって語ること―どちらが貴く、大切でしょうか。わたしたちの感覚からすると、神に向かって語ることの方が人に向かって語ることよりも貴いことのように思うかも知れません。コリント教会の人々もそう思ったのでしょう。人間の言葉で人に向かって語る預言よりも、人には分からない神の言葉で、「天使たちの言葉」(13:1)で神に向かって語りかけていく異言の方がより神秘的で、神と自分が近くなったように思えることでしょう。しかしパウロは、神に向かって語る言葉よりも人に向かって語る言葉の方が大切だ、とはっきり言います。その理由は、神に向かって語る言葉は意味不明で、だれにも理解できず、何も伝わりませんが、人に向かって語る言葉は「人を造り上げ、励まし、慰める」からです。

 端的に言えば、異言と預言の違いとは、人にどのような益をもたらすのか、ということです。さらに言い換えるならば、愛において語られているのはどちらか、ということです。13章に、どのような優れた賜物も、「愛がなければ、わたしに何の益もない」とありました。その愛とは、自分の利益を求めず、むしろ人の利益となるように、人のためになるようにすることです。その愛によって語られているのは、異言よりもむしろ預言の方です。預言こそが、追い求められるべき賜物なのです。1節に「愛を追い求めなさい」とあり、それに続いて「特に預言の賜物を熱心に求めなさい」と言われているのは、そういう意味でした。

 

■教会を造り上げる

 預言こそ愛によって語られる言葉である。そのことが4節によりはっきりと示されます。

 「異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます」

 異言を語る者は、自分を造り上げている。つまり異言は自分の信仰を深め、自分と神の関係を密にはするけれども、しかしそれは自分のことだけに止まり、人には何の益ももたらさない、ということです。それに対して預言は、教会を造り上げる、と言います。3節に、預言が人を造り上げ、励まし、慰めるとありました。人を造り上げ、励まし、慰めるようにして、教会が建てられ、造り上げられるのです。

 預言で語られるのは、神のご意志、ご計画です。神が、御子イエス・キリストをこの世に遣わし、御子のみ言葉とみ業を通して、神の愛が今ここに、すべての者にもたらされているという愛の福音が示され、その御子がわたしたちの罪を全て背負って十字架に死んで、復活して新しいいのち、永遠の命の先駆けとなってくださった。そうして神が、わたしたちを罪の支配から救い、神の恵みの下に置いてくださっている。この御子によって、神はわたしたちを愛し、罪を赦し、導いてくださる。そういう神のご意志、ご計画を、預言は語るのです。今日からのアドヴェントの季節にふさわしい言葉、預言です。

 その預言によって、わたしたちは、御子イエスを救い主キリストと信じ、神の恵みを信じる者となり、洗礼を受け、キリストの体である教会につながる者とされるのです。預言とは、このようにして教会を造り上げていく言葉です。そしてそこでこそ、キリストによる励まし、慰めを受けることができるのです。預言はそのように、御子イエス・キリストによる励ましと慰めによって生かされる共同体を造り上げていく神の言葉です。自分だけが神と対話し、信仰を深めていくという異言とはそこが違うのです。

 

■異言を語っていませんか

 そんな異言と預言の違いを、パウロはさらに6節以下でいくつかの喩えを使って語っています。

 第一は、楽器の喩えです。楽器がただ音を鳴らしているだけでは、音楽にならず、人の心に何の喜びも慰めも励ましも、何も伝わってきません。異言もそれと同じだと言います。第二は、ラッパです。軍隊には合図のラッパがあって、ラッパの音によって兵士の心は、たとえどんなに怯えていたとしても励まされ、勇気づけられ、必要な行動を起こすことができます。しかしラッパの合図の音が兵士たちの心に響かなければ、彼らは何もできません。異言は合図にならないラッパと同じです。第三の喩えは、外国語です。何も伝わらない異言が語られたとしても、それは互いに理解できない外国語でしゃべり合っているようなもので、意志の疎通などできないでしょう。それが異言です。 Continue reading

11月24日 ≪降誕前第5主日/収穫感謝「家族」礼拝≫『美しい心』(おとな)サムエル記上 16章 1~ 13節 沖村 裕史 牧師

 

■心によって

 冒頭1節、

 「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした」

 サムエルはサウル王のことを気にかけながらも、神の御言葉に従い、ベツレヘムへと出かけます。ベツレヘムについたサムエルは、早速、エッサイとその息子たちを食事に招きました。サムエルのもとにやって来た、エッサイと三人の息子たちを見て、サムエルは喜びました。一番年上の息子エリアブに目を留め、容姿も立派で、背が高く、年齢としても申し分のないエリアブこそ、イスラエルの王にふさわしいと思ったからです。

 ところが神はこう言われます。7節、

 「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」

 そこでエッサイは二番目の息子アビナダブを呼び、サムエルの前に進み出させましたが、サムエルはこう言います。「この息子も神はお選びになりません」。そこで、エッサイは最後に、三番目の息子シャンマに前に進み出させました。しかしサムエルは言いました。「この息子も神はお選びになりません」。七人の息子たちがいましたが、そのすべてに同じ言葉でした。

 サムエルは戸惑いながら、エッサイに尋ねました。「あなたの息子はこの七人だけですか」。するとエッサイは、「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」と答えます。父親のエッサイから見て、末っ子は、まだ幼く、小さく、力もない、とても、招かれてサムエルに紹介できるような子どもとは思われず、そこに連れてこなかったのです。

 しかし、神が選ばれたのはその少年でした。彼の名はダビデ。サムエルはダビデに油を注ぎ、新しい王に立てました。

 主なる神はなぜ、ダビデをお選びになったのか。12節にこうあります。

 「彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった」

 ダビデの美しい姿が主に選ばれた理由でしょうか。そうではありません。先ほどの7節には、神は「容姿や背の高さに目を向けるな」と言われた言葉に続けて、「わたしは人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」と言われます。

 そう言われて、怪訝に思われる方がおられるかもしれません。もっともです。確かに、わたしたちは人のことを見かけによって判断してしまいがちです。しかし同時に、人を外見だけで判断してはならない、見かけより心が大切だ、ということもよくよく知っているからです。

 しかし、ここに語られていることは、人を外見だけで判断するか、それとも心を、人の内面を見るのか、ということではありません。7節に「主は心によって見る」とありました。以前の口語訳聖書では「主は心を見る」となっていました。しかし原文の「心」という言葉には、「…を」ではなく「…によって」という意味の前置詞が付けられています。新共同訳が「心によって見る」と訳したのはそのためです。そして、同じ前置詞が「人は目に映ることを見る」にも付けられています。「目に映ることを」というのは原文にない言葉を補った訳で、原文は単純に「目」です。そこに「…によって」という前置詞が付けられています。直訳すれば、「人は目によって見るが、主は心によって見る」となります。

 わたしたちは、たとえそれが外見だけでなく内面を含めてであっても、やはり人を目で見て判断するのに対し、「主は心によって見る」、主なる神は御心によって、人をご覧になるということです。主は御心によってダビデをご覧になり、選ばれたということです。

 主は、ダビデの外見の美しさや、その心が正しく、正直で、信仰深いことをご覧になったのではありません。人をそのように見るのは「目によって見る」人間です。神は、人の外面でも内面でもなく、つまりその人がどういう人かによってではなく、ご自分の御心に基づいて人をご覧になり、選び、立て、用いられるのです。

 とすれば、ダビデがなぜ神に選ばれたのかという問いの答えを、ダビデの中に見出すことはできません。その答えは、主なる神の御心にこそあり、そこにしかないのです。

 

■御心によって選ばれる

 それは、驚くべきことではありません。わたしたちにも、それと同じことが起っています。わたしたちは主なる神に選ばれて、信仰を与えられ、教会に連なる者とされました。まだ洗礼を受けていなくても、この礼拝へと導かれているということ自体、神が多くの人々の中からあなたを選んで、招いてくださっているのだ、ということです。

 わたしたちがなぜ、選ばれたのでしょうか。その答えをわたしたちの中に見出すことはできるでしょうか。わたしたちが他の人よりも特別に信仰深い者だということでしょうか。違います。わたしたちが人一倍努力して清く正しい生活を送っているからでしょうか。違います。わたしたちの心が正直で、やさしさに満ちているからでしょうか。違います。わたしたちの中には、選ばれる理由など何一つないのです。 Continue reading

11月17日 ≪降誕前第6主日礼拝≫『愛は滅びない』 コリントの信徒への手紙一 12章 31節~13章13節 沖村 裕史 牧師

 

■最高の賜物

 前回10月20日の礼拝では、13章7節までをご一緒に読みました。その4節から7節には、「愛」とはどのようなものかが語られていました。

 そこに語られていることは、わたしたちが普段考えていることとはかなり違っていました。最初の「愛は忍耐強い」だけを取り上げても、そのことが分かります。愛するとは相手のことを忍耐することだと言います。愛するというと、自分の好きな人、気の合う人、友だちを積極的に、情熱的に愛することと考えがちですが、ここで教えられている愛は、むしろ気に入らないこと、対立することがあったときにも、いえ、そのようなときこそ、相手のことを忍耐する、寛容であることを求めるものです。最後の7節にもそれが現れています。「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」。「忍び」と「耐える」、まさに「忍耐」です。それに挟まれて、「信じる」と「望む」があります。この「信じる」は、神を信じることだけでなく、相手を信頼し続けることであり、「望む」も、神に望みをかけることだけでなく、相手との関係に希望を抱き続けることです。愛とはそのように、相手のことを忍耐し、信頼し続け、希望を失わないことだ、と教えられているのです。

 残念ながら、わたしたちはこのような愛を持っていません。だからこそ、愛こそが聖霊によって与えられる最高の賜物なのだ、とパウロは教えます。しかしそれは、聖霊の与える様々な賜物の中で最高のものが愛だ、と言われているのかというと、それは少し違います。愛は、他の様々な賜物と並べて比較することができるようなものではありません。他の賜物とは本質的に異なるものです。そのことが8節以下に語られています。8節に「愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう」とあります。預言、異言、知識はいずれも、12章で語れていた聖霊の賜物です。それらと愛とは本質的に違うのだ、と言います。その違いとは、それら賜物は廃れていくものであるのに対して、愛という賜物は決して滅びない、永遠のものだ、ということです。

 

■完全なものが来る

 わたしたちは、自分にどんな賜物が与えられているかということを、いつも気にしています。自分にはどんな力、才能があるか、何ができるか、そしてその賜物をどれくらい発揮することができているか。それが、わたしたちの主要な関心事です。そして12章に語られていたように、わたしたちはその自分の賜物を他の人の賜物と比較して、誇り高ぶったり、僻(ひが)んでいじけたりします。自分の賜物のことで一喜一憂しているのが、わたしたちの毎日ではないでしょうか。コリント教会の人々がまさにそうでした。彼らは、預言を語ることができる、異言を語ることができる、信仰の知識を持っているという賜物を喜び、誇り、拘(こだわ)っていました。

 しかしパウロは、コリントの人々が、またわたしたちが気にしている賜物はすべて滅び廃れていくものだ、と言います。自分に何ができるか、どんな力があるか。しかしその賜物は、時が経つにつれて失われていきます。そのことが一番はっきりするのは、老いや病気を自覚するときでしょうか。若く、健康であった時にできていたことが、年を取り、病気になってできなくなることを、誰もが感じます。自分に残されている賜物はもう僅かしかない、という寂しさ、焦りを覚える方も多いでしょう。そう、何ができる、どんな力があるという賜物は、必ず失われていくものなのです。

 ただ、パウロがここで様々な賜物は廃れていくと言っているのは、時を経て古くなっていくとか、年老いて力が失われていく、病気になって不自由を覚えるということではありません。9節から10節にこうあります。

 「わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう」

 知識や預言という賜物が廃れていくのは、それが「部分的なもの」だからです。わたしたちも、そのことはよく知っているつもりです。自分には何かを完全にできると思っている人は、そうはいないでしょう。わたしたちができることや知っていることが部分的で、完全ではないことは、今さら言われるまでもないことです。

 しかし、それが「廃れていく」とは、どういうことなのか。今ここでパウロが見つめているのは、「完全なものが来たときには、部分的なものは廃れる」ということです。部分的なものが廃れるのは、完全なものが来たときです。次第に古くなって廃れるのでも、わたしたちが年老いて廃れるのでもなくて、完全なものが来ることによって、それらは廃れるのです。

 譬(たと)えて言えば、夜の暗闇の中では懐中電灯は役に立つけれども、太陽が昇ればもういらなくなるようなものです。わたしたちが様々な形で与えられている賜物は、その懐中電灯のようなもので、日が昇ることによってそれは不要になります。「だから完全を目指して努力していこう」というのではありません。ただ「完全なものが来る」とパウロは言います。

 さきほどの譬えを続ければ、わたしたちが普段考えていることは、懐中電灯の電池をより強力なものにしたり、みんなの懐中電灯を集めて、できるだけ明るい光を確保しようとすることです。それに対してパウロが言うのは、「もうすぐ日が昇る」ということです。懐中電灯は、夜の闇の中ではとても役に立つものです。そのことはパウロも認めています。預言、異言、知識などの賜物はそれなりに意味があるし、そういう賜物が結び合わされて、教会はキリストの体として整えられていきます。けれども、そういう賜物が磨かれ、結集されることによって、キリストの体が完成するというのではありません。懐中電灯を何万本集めても、太陽にはなりません。キリストの体は、太陽が昇ることによってこそ完成します。その時には、わたしたちが持っている懐中電灯はもういらなくなるのです。キリストの体が完成する時、わたしたちの救いが完成し、神の国が来る時には、わたしたちに与えられている様々な賜物は用済みになるのです。いらなくなるのです。

 自分はあれができる、こういう能力があるという賜物に拘っている人々に向かって、パウロはこう語りかけています、あなたがたが拘っている賜物は、この世の歩みでだけ意味があるのであって、救いが完成し、神の国が来る時には、それらのものはすべて脱ぎ捨てられ、裸になって神の国に入るのだ、と。

 

■愛は滅びない

 このように、わたしたちが持っている様々な賜物が部分的であり、廃れていくものであることを、力を込めて語るのは、それらの賜物と、愛という賜物との違いを強調するためです。全ての賜物が廃れていく中で、愛だけは決して滅びない、廃れることはないということです。

 しかし、これは本当でしょうか。KANというシンガー・ソングライターの歌に「必ず最後に愛は勝つ」と繰り返す歌がありましたが、そんなこと簡単に言えるのでしょうか。わたしたちの経験は、それとは反対のことを教えています。自分の愛はいつまでも滅びない、なんて断言できる人などいないでしょう。わたしたちの愛が、どんなに移ろいやすく、失われやすいものであるかということを、わたしたちはいやというほど知っています。「愛は決して滅びない」なんて、とても言えません。

 しかし、この愛はわたしたちがもともと自分の内に持っている愛ではありません。聖霊の賜物です。聖霊が与えてくださる愛です。その愛は滅びることがない、と言われます。その愛が滅びることがないのはなぜでしょう。それを考える上で大切なのが、12節の後半です。

 「わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」

 今は一部しか知らない、わたしたちの知識は部分的なものでしかない、ということです。しかし「その時」には、はっきり知ることになる。完全なものが来た時には、全き知識が与えられる、と言います。 Continue reading

11月10日 ≪降誕前第7主日/降誕前「家族」礼拝≫『野原の中に寝ころんで』(こども) 『カラスと雑草』(おとな) ルカによる福音書 12章 22~32節 沖村 裕史 牧師

お話し「野原の中に寝ころんで」(こども・おとな)

■レンゲ畑の思い出

 今日のイエスさまの言葉を聞いていて、ふと思い出したのは、レンゲ畑に寝ころんでいた子どもの頃の自分の姿でした。家の周りは田圃(たんぼ)ばかり。稲を刈った後のその田圃にレンゲの種が蒔(ま)かれます。レンゲの根っこが田圃の大切な栄養になるからです。春になると、あたりの田圃はレンゲの花でいっぱいになります。柔らかな緑の草の中にピンクの花が敷き詰(つ)められます。

 ある晴れた日の学校からの帰り道、ランドセルをあぜ道に放り投げ、体を柔らかな緑とピンクの絨毯(じゅうたん)の上に投げ出します。仰向けになって、空を見上げます。真っ青な空に浮かぶ白い雲。空から近づいて来たようで、手を伸ばせば掴(つか)めそうです。顔を横に向けると、そこにはレンゲの花。花の付け根は白く、花びらの先にいくに従ってピンクが濃くなっていきます。塗りつぶしたピンク色ではありません。ため息が出るほどにきれいな花、花、花…。そこに小さなミツバチが飛んできて、花の中に頭を突っ込んで、せわしなく蜜を吸っています。甘くておいしんだろうなと思いながら顔を下に向けると、土の匂(にお)いが鼻の中に強くなり、草と土の匂いがわたしの体を包みます。

 わたしの周りには、いのちが溢れていました。そんな忘れられない思い出に重なる、「生きる」と題されたこんな詩があります。

  神さまの/大きな御手の中で

  かたつむりは/かたつむりらしく歩み

  蛍草は/蛍草らしく咲き

  雨蛙は/雨蛙らしく鳴き

 

  神さまの/大きな御手の中で

  私は/私らしく/生きる

 この詩を書いたのは、水野源三。その水野に「傷跡」という詩があります。

  三十三年間/寝たきりの

  私の額には/三つの傷跡がある

  その一つ一つの傷跡には

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11月3日 ≪降誕前第8主日/永眠者記念礼拝≫『神のみ前に一人立つ』 ヨブ記 1章 13~22節 沖村 裕史 牧師

■神を神とする

 20節、「ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。」

 ヨブは次から次へともたらされる災いの報せに、言葉を発する暇(いとま)もなく坐ったまま聞いていたのでしょう。しかし、息子や娘たち、愛する家族を失うという最後の決定的な災いの報告を聞いて、彼はよろめきつつ立ち上がり、「掻き裂かれし/心もかくとばかり」に、衣を裂き、髪をそり落としました。当時の人々の深い悲しみの姿です。

 そうして、ヨブは「地にひれ伏し」ます。

 あまりの悲しみのために、打ちひしがれて、倒れるようにして、「地に伏した」というのではありません。ヨブはすべてを失い、神のみ前に裸になって、そこで、神のみ手によってなされたことを受け入れるべく、「神にひれ伏した」のでした。神のみ前に己を捨て、神を神として、その神に服従の意志を表わすべく、「地にひれ伏した」のです。神の意志への絶対服従の姿勢でした。

 そのことが、次の言葉に表されます。21節前半、

 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。」

 当時、死ねば人間はすべて、陰府の世界に行くと信じられていました。「人間本来無一物」とは仏教も説く教えですが、ヨブの違う所は、それを諦めや悟りとして受け止めるのではなく、神のみ業、神の意志として受け止め、自由に与え、また取り給う神の主権に対し、全身全霊をかけて服し、それを讃美します。21節後半です。

 「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

 すべてを奪い去られ、愛する息子や娘たちまで失ってなお、ヨブは、神を神とし、自らはどこまでも僕(しもべ)の位置に留まります。そして、ヨブは栄光を神に帰したのでした。このヨブの姿、信仰を、ヨブ記の作者は最後の一句にまとめます。22節、

 「このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。」

 「非難する」とは、唾をかける、侮辱するという意味のヘブライ語です。願いごとをする時や、恵まれている間は敬虔(けいけん)な、信仰深い態度を取っていた者が、願いがかなえられなかったり、逆に災いが及んできたりすると、一転して、神仏を罵るといった姿は、ご利益宗教に広く見られることですが、ヨブは、事ここに至ってなお、そのような態度は取らなかった。どこまでも神をまことに神として拝した、と言います。

 

■神を賛美する

 なぜ、ヨブにそうすることができたのでしょうか。

 冒頭1節にあったように、ヨブが「誠にして、神を畏れる」義人であったからでしょうか。そうだとも言えますが、これほどの苦難を前に、それだけであったとは到底思えません。こう言えるかもしれません。

 次々と、それも突如襲い来る、悲報の数々を前にしてヨブは、裸の自分が神のみ前に立たされている、そのことを自覚したのではないか。「裸」とは、人間の弱さ、惨めさを象徴するものです。そこに、神と自分とのあるべき関係を痛切に知って、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(口語訳)と神を讃美したのではないか、と。

 とはいえ、これはいわば模範解答です。だれもがこう言えるとは限りません。いえ、言えないでしょう。そもそも、もしそれだけのことで済むのであれば、この後の3章から終わりまでのヨブの苦悩は、もはや描く必要さえなかったでしょう。3章以下の、彼の苦悩が単なる飾りや付け足しであるはずはありません。21節後半の言葉に、もう一度注目してください。

 「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

 この言葉は、確かにヨブの信仰の輝かしい勝利です。彼は神を呪いませんでした。彼は「衣を裂き、髪をそり落とし」、非常に深い衝撃と悲しみに打ちのめされましたが、神を賛美する言葉を語ることができました。

 しかしこの言葉を読んで思うことは、「主は与え、主は奪う」という言葉だけなら、神を信ずる者であれば、一応は語ることができるだろう。主なる神は、いのちと一切のものを、ただ一方的な恵みとしてお与えくださったのだから、それを奪い去る権利をもお持ちだということは、たとえ絶望感や悔しさの中にあっても語ることができる。しかしその次の「主の御名はほめたたえられよ」を語ることは容易ではない、ということです。

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