福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え

11月17日 ≪降誕前第6主日礼拝≫『愛は滅びない』 コリントの信徒への手紙一 12章 31節~13章13節 沖村 裕史 牧師

 

■最高の賜物

 前回10月20日の礼拝では、13章7節までをご一緒に読みました。その4節から7節には、「愛」とはどのようなものかが語られていました。

 そこに語られていることは、わたしたちが普段考えていることとはかなり違っていました。最初の「愛は忍耐強い」だけを取り上げても、そのことが分かります。愛するとは相手のことを忍耐することだと言います。愛するというと、自分の好きな人、気の合う人、友だちを積極的に、情熱的に愛することと考えがちですが、ここで教えられている愛は、むしろ気に入らないこと、対立することがあったときにも、いえ、そのようなときこそ、相手のことを忍耐する、寛容であることを求めるものです。最後の7節にもそれが現れています。「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」。「忍び」と「耐える」、まさに「忍耐」です。それに挟まれて、「信じる」と「望む」があります。この「信じる」は、神を信じることだけでなく、相手を信頼し続けることであり、「望む」も、神に望みをかけることだけでなく、相手との関係に希望を抱き続けることです。愛とはそのように、相手のことを忍耐し、信頼し続け、希望を失わないことだ、と教えられているのです。

 残念ながら、わたしたちはこのような愛を持っていません。だからこそ、愛こそが聖霊によって与えられる最高の賜物なのだ、とパウロは教えます。しかしそれは、聖霊の与える様々な賜物の中で最高のものが愛だ、と言われているのかというと、それは少し違います。愛は、他の様々な賜物と並べて比較することができるようなものではありません。他の賜物とは本質的に異なるものです。そのことが8節以下に語られています。8節に「愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう」とあります。預言、異言、知識はいずれも、12章で語れていた聖霊の賜物です。それらと愛とは本質的に違うのだ、と言います。その違いとは、それら賜物は廃れていくものであるのに対して、愛という賜物は決して滅びない、永遠のものだ、ということです。

 

■完全なものが来る

 わたしたちは、自分にどんな賜物が与えられているかということを、いつも気にしています。自分にはどんな力、才能があるか、何ができるか、そしてその賜物をどれくらい発揮することができているか。それが、わたしたちの主要な関心事です。そして12章に語られていたように、わたしたちはその自分の賜物を他の人の賜物と比較して、誇り高ぶったり、僻(ひが)んでいじけたりします。自分の賜物のことで一喜一憂しているのが、わたしたちの毎日ではないでしょうか。コリント教会の人々がまさにそうでした。彼らは、預言を語ることができる、異言を語ることができる、信仰の知識を持っているという賜物を喜び、誇り、拘(こだわ)っていました。

 しかしパウロは、コリントの人々が、またわたしたちが気にしている賜物はすべて滅び廃れていくものだ、と言います。自分に何ができるか、どんな力があるか。しかしその賜物は、時が経つにつれて失われていきます。そのことが一番はっきりするのは、老いや病気を自覚するときでしょうか。若く、健康であった時にできていたことが、年を取り、病気になってできなくなることを、誰もが感じます。自分に残されている賜物はもう僅かしかない、という寂しさ、焦りを覚える方も多いでしょう。そう、何ができる、どんな力があるという賜物は、必ず失われていくものなのです。

 ただ、パウロがここで様々な賜物は廃れていくと言っているのは、時を経て古くなっていくとか、年老いて力が失われていく、病気になって不自由を覚えるということではありません。9節から10節にこうあります。

 「わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう」

 知識や預言という賜物が廃れていくのは、それが「部分的なもの」だからです。わたしたちも、そのことはよく知っているつもりです。自分には何かを完全にできると思っている人は、そうはいないでしょう。わたしたちができることや知っていることが部分的で、完全ではないことは、今さら言われるまでもないことです。

 しかし、それが「廃れていく」とは、どういうことなのか。今ここでパウロが見つめているのは、「完全なものが来たときには、部分的なものは廃れる」ということです。部分的なものが廃れるのは、完全なものが来たときです。次第に古くなって廃れるのでも、わたしたちが年老いて廃れるのでもなくて、完全なものが来ることによって、それらは廃れるのです。

 譬(たと)えて言えば、夜の暗闇の中では懐中電灯は役に立つけれども、太陽が昇ればもういらなくなるようなものです。わたしたちが様々な形で与えられている賜物は、その懐中電灯のようなもので、日が昇ることによってそれは不要になります。「だから完全を目指して努力していこう」というのではありません。ただ「完全なものが来る」とパウロは言います。

 さきほどの譬えを続ければ、わたしたちが普段考えていることは、懐中電灯の電池をより強力なものにしたり、みんなの懐中電灯を集めて、できるだけ明るい光を確保しようとすることです。それに対してパウロが言うのは、「もうすぐ日が昇る」ということです。懐中電灯は、夜の闇の中ではとても役に立つものです。そのことはパウロも認めています。預言、異言、知識などの賜物はそれなりに意味があるし、そういう賜物が結び合わされて、教会はキリストの体として整えられていきます。けれども、そういう賜物が磨かれ、結集されることによって、キリストの体が完成するというのではありません。懐中電灯を何万本集めても、太陽にはなりません。キリストの体は、太陽が昇ることによってこそ完成します。その時には、わたしたちが持っている懐中電灯はもういらなくなるのです。キリストの体が完成する時、わたしたちの救いが完成し、神の国が来る時には、わたしたちに与えられている様々な賜物は用済みになるのです。いらなくなるのです。

 自分はあれができる、こういう能力があるという賜物に拘っている人々に向かって、パウロはこう語りかけています、あなたがたが拘っている賜物は、この世の歩みでだけ意味があるのであって、救いが完成し、神の国が来る時には、それらのものはすべて脱ぎ捨てられ、裸になって神の国に入るのだ、と。

 

■愛は滅びない

 このように、わたしたちが持っている様々な賜物が部分的であり、廃れていくものであることを、力を込めて語るのは、それらの賜物と、愛という賜物との違いを強調するためです。全ての賜物が廃れていく中で、愛だけは決して滅びない、廃れることはないということです。

 しかし、これは本当でしょうか。KANというシンガー・ソングライターの歌に「必ず最後に愛は勝つ」と繰り返す歌がありましたが、そんなこと簡単に言えるのでしょうか。わたしたちの経験は、それとは反対のことを教えています。自分の愛はいつまでも滅びない、なんて断言できる人などいないでしょう。わたしたちの愛が、どんなに移ろいやすく、失われやすいものであるかということを、わたしたちはいやというほど知っています。「愛は決して滅びない」なんて、とても言えません。

 しかし、この愛はわたしたちがもともと自分の内に持っている愛ではありません。聖霊の賜物です。聖霊が与えてくださる愛です。その愛は滅びることがない、と言われます。その愛が滅びることがないのはなぜでしょう。それを考える上で大切なのが、12節の後半です。

 「わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」

 今は一部しか知らない、わたしたちの知識は部分的なものでしかない、ということです。しかし「その時」には、はっきり知ることになる。完全なものが来た時には、全き知識が与えられる、と言います。 Continue reading

11月10日 ≪降誕前第7主日/降誕前「家族」礼拝≫『野原の中に寝ころんで』(こども) 『カラスと雑草』(おとな) ルカによる福音書 12章 22~32節 沖村 裕史 牧師

お話し「野原の中に寝ころんで」(こども・おとな)

■レンゲ畑の思い出

 今日のイエスさまの言葉を聞いていて、ふと思い出したのは、レンゲ畑に寝ころんでいた子どもの頃の自分の姿でした。家の周りは田圃(たんぼ)ばかり。稲を刈った後のその田圃にレンゲの種が蒔(ま)かれます。レンゲの根っこが田圃の大切な栄養になるからです。春になると、あたりの田圃はレンゲの花でいっぱいになります。柔らかな緑の草の中にピンクの花が敷き詰(つ)められます。

 ある晴れた日の学校からの帰り道、ランドセルをあぜ道に放り投げ、体を柔らかな緑とピンクの絨毯(じゅうたん)の上に投げ出します。仰向けになって、空を見上げます。真っ青な空に浮かぶ白い雲。空から近づいて来たようで、手を伸ばせば掴(つか)めそうです。顔を横に向けると、そこにはレンゲの花。花の付け根は白く、花びらの先にいくに従ってピンクが濃くなっていきます。塗りつぶしたピンク色ではありません。ため息が出るほどにきれいな花、花、花…。そこに小さなミツバチが飛んできて、花の中に頭を突っ込んで、せわしなく蜜を吸っています。甘くておいしんだろうなと思いながら顔を下に向けると、土の匂(にお)いが鼻の中に強くなり、草と土の匂いがわたしの体を包みます。

 わたしの周りには、いのちが溢れていました。そんな忘れられない思い出に重なる、「生きる」と題されたこんな詩があります。

  神さまの/大きな御手の中で

  かたつむりは/かたつむりらしく歩み

  蛍草は/蛍草らしく咲き

  雨蛙は/雨蛙らしく鳴き

 

  神さまの/大きな御手の中で

  私は/私らしく/生きる

 この詩を書いたのは、水野源三。その水野に「傷跡」という詩があります。

  三十三年間/寝たきりの

  私の額には/三つの傷跡がある

  その一つ一つの傷跡には

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11月3日 ≪降誕前第8主日/永眠者記念礼拝≫『神のみ前に一人立つ』 ヨブ記 1章 13~22節 沖村 裕史 牧師

■神を神とする

 20節、「ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。」

 ヨブは次から次へともたらされる災いの報せに、言葉を発する暇(いとま)もなく坐ったまま聞いていたのでしょう。しかし、息子や娘たち、愛する家族を失うという最後の決定的な災いの報告を聞いて、彼はよろめきつつ立ち上がり、「掻き裂かれし/心もかくとばかり」に、衣を裂き、髪をそり落としました。当時の人々の深い悲しみの姿です。

 そうして、ヨブは「地にひれ伏し」ます。

 あまりの悲しみのために、打ちひしがれて、倒れるようにして、「地に伏した」というのではありません。ヨブはすべてを失い、神のみ前に裸になって、そこで、神のみ手によってなされたことを受け入れるべく、「神にひれ伏した」のでした。神のみ前に己を捨て、神を神として、その神に服従の意志を表わすべく、「地にひれ伏した」のです。神の意志への絶対服従の姿勢でした。

 そのことが、次の言葉に表されます。21節前半、

 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。」

 当時、死ねば人間はすべて、陰府の世界に行くと信じられていました。「人間本来無一物」とは仏教も説く教えですが、ヨブの違う所は、それを諦めや悟りとして受け止めるのではなく、神のみ業、神の意志として受け止め、自由に与え、また取り給う神の主権に対し、全身全霊をかけて服し、それを讃美します。21節後半です。

 「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

 すべてを奪い去られ、愛する息子や娘たちまで失ってなお、ヨブは、神を神とし、自らはどこまでも僕(しもべ)の位置に留まります。そして、ヨブは栄光を神に帰したのでした。このヨブの姿、信仰を、ヨブ記の作者は最後の一句にまとめます。22節、

 「このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。」

 「非難する」とは、唾をかける、侮辱するという意味のヘブライ語です。願いごとをする時や、恵まれている間は敬虔(けいけん)な、信仰深い態度を取っていた者が、願いがかなえられなかったり、逆に災いが及んできたりすると、一転して、神仏を罵るといった姿は、ご利益宗教に広く見られることですが、ヨブは、事ここに至ってなお、そのような態度は取らなかった。どこまでも神をまことに神として拝した、と言います。

 

■神を賛美する

 なぜ、ヨブにそうすることができたのでしょうか。

 冒頭1節にあったように、ヨブが「誠にして、神を畏れる」義人であったからでしょうか。そうだとも言えますが、これほどの苦難を前に、それだけであったとは到底思えません。こう言えるかもしれません。

 次々と、それも突如襲い来る、悲報の数々を前にしてヨブは、裸の自分が神のみ前に立たされている、そのことを自覚したのではないか。「裸」とは、人間の弱さ、惨めさを象徴するものです。そこに、神と自分とのあるべき関係を痛切に知って、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(口語訳)と神を讃美したのではないか、と。

 とはいえ、これはいわば模範解答です。だれもがこう言えるとは限りません。いえ、言えないでしょう。そもそも、もしそれだけのことで済むのであれば、この後の3章から終わりまでのヨブの苦悩は、もはや描く必要さえなかったでしょう。3章以下の、彼の苦悩が単なる飾りや付け足しであるはずはありません。21節後半の言葉に、もう一度注目してください。

 「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

 この言葉は、確かにヨブの信仰の輝かしい勝利です。彼は神を呪いませんでした。彼は「衣を裂き、髪をそり落とし」、非常に深い衝撃と悲しみに打ちのめされましたが、神を賛美する言葉を語ることができました。

 しかしこの言葉を読んで思うことは、「主は与え、主は奪う」という言葉だけなら、神を信ずる者であれば、一応は語ることができるだろう。主なる神は、いのちと一切のものを、ただ一方的な恵みとしてお与えくださったのだから、それを奪い去る権利をもお持ちだということは、たとえ絶望感や悔しさの中にあっても語ることができる。しかしその次の「主の御名はほめたたえられよ」を語ることは容易ではない、ということです。

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10月27日 ≪降誕前第9主日/秋の「家族」礼拝②≫『神の子どもにされる』(おとな) ローマの信徒への手紙 8章 15~17節 沖村 裕史 牧師

■霊

 すべてのものに終りがあります。美しく咲き出た花も、青々とした木々の若葉も、やがては枯れて散ってしまいます。若いいのちを燃やして生きて働いていた人も今は年老い、誰もがやがて死んでいきます。すべてが死ななければならない、それがわたしたち人間と自然の運命です。

 いのちとは一体何か。死とは何か。さまざまな面から追求され、論じられてきました。特に近代以降、自然の中の「生物」のひとつとして研究されてきました。こうした人間を一個の生物としてみる見方に反対して考え、論じることはナンセンスです。

 繰り返して引用する創世記2章7節には、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と書かれています。そして3章19節に、こう続きます。「お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」と。

 「帰る旅」という詩があります。食道がんで八か月、臥せていた高見順の作品です。

  ……この旅は自然に帰る旅である。

  帰るところのある旅だから

  楽しくなくてはならないのだ

  もうじき土に戻れるのだ

  ……大地に帰る死を悲しんではいけない

  肉体とともに精神も

  わが家へ帰れるのである。

 わたしは、そしてあなたは、土から取られたのだから土に帰る、それでいいのだ、と言います。その通りです。しかし、それだけが真理であるかというと、そうではないと言わなければなりません。

 わたしたちのいのちは、目には見えない神から吹きこまれた息、いのちの霊です。自然の土の中から生まれ出たものではありません。わたしたちは土から成っています。しかし神の息を呼吸し、いのちの霊を生き、むしろ生かされています。そこに人のかけがえのなさ、人のいのちの無限の尊さがあります。

 霊とは、わたしたちのいのちにかかわるものです。神の息としてのいのちの霊です。いのちは死にます。しかし今や、新しく支えられる神のいのちの霊があります。その霊は、死人を生かし、無から有を造りだす力に満ちた神の恵みの霊です。わたしたちは土から土に、帰るべきところへ帰ります。それでも、わたしたちはただ土に帰っていくだけでなく、永遠の神の祝福のみ手に帰っていくのです。

 

■アッバ

 その霊、「この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」 Continue reading

10月13日 ≪聖霊降臨節第22主日/秋の「家族」礼拝①≫『あの子たちと仲良く!』(こども・おとな)『隣人になる―いのちとの出会い』(おとな) ルカによる福音書 10章25~37節 沖村 裕史 牧師

お話し 「あの子たちと仲良く!」(こども・おとな)

■みなさんだったら、どうしますか?

 イエスさまは「善(よ)いサマリア人」という話を、わたしたちにしてくださいました。今日はみんなで、この話にでてくる人たちになってみましょう。

 さて、何人の人たちがでてきましたか?

 まず、旅をしていて強盗(ごうとう)に襲われ、けがをした人がいます。この人はユダヤ人でした。とっても苦しそうです。持っているものも着ているものも全部取られて裸にされ、ひどいけがをしています。このままでは死んでしまいそうです。みなさんだったら、どうしてほしいですか?もちろん早く誰かきて助けてもらいたいですね。きっと同じ仲間のユダヤ人なら助けてくれると思ったでしょう。

 そこに、ユダヤ人の祭司さんがやってきました。神殿というところで神さまのご用をしている人です。みなさんが祭司さんだったらどうしますか?もちろん助けるでしょう。だって神さまのご用をしている人なんですよ。しかしこの祭司さん、その人を見ながら道の向こう側を通って、知らんぷりをしました。なぜでしょう。強盗が出てくるような場所に近づきたくなかったからかもしれません。いえ実は、死んだ人に触れたら穢(けが)れると言われて、神殿の仕事ができなくなるからです。たぶんもう死んでいると自分で決めて、見なかったことにしたのでしょう。

 次にまた、ユダヤ人のレビ人がやってきました。この人も、さっきの祭司さんたちを助けて、神さまのご用をする人たちです。みなさんがレビ人だったら、どうしますか?もちろん助けるでしょうか。いやいや、祭司さんが助けなかったのだから、レビ人さんも知らんぷりでしょうか。そうなんです。レビ人さんも、死んでいる人には近づけないと行ってしまったのです。

 その次にやってきたのは、サマリア人でしたね。サマリア人は、ユダヤ人から嫌われていました。いつも相手にされなかったのです。そんなサマリア人が、この人のところまで来ました。みなさんがサマリア人だったら、どうしますか?いつも馬鹿にされたり、いじめられたり、嫌われたりしていたら、助けようとは思わないかな。そこにいるのはユダヤ人なんですから。同じユダヤ人の祭司さんやレビ人さんに助けてもらえばいいだろう、って思いますか。

 イエスさまのお話では、そのサマリア人は心から憐れに思って、急いで近寄ってきて慯の手当てをしました。いま何が一番大切なことかを考えたのです。普段(ふだん)から持っているもので、できるかぎりのことをしたのです。それだけでなく、自分のロバにのせて宿屋(やどや)へ連れていきました。お金がなくなったこの人の治療代、宿代、かかったお金の全部を払ったのです。そして、もっとかかったら帰りに払いますと約束までした、というのです。どうしてそんなことができたのでしょうか。強盗に襲われた人の、その身になって考えたからでしょうね。

 

■あの子たちと仲良く!

 さてここで、映画をいっしょに見ましょう。映画のタイトルは『八月のメモワール』。メモワールっていうのは「おもいで話」っていう意味です。

 今から50年以上前の1970年8月、アメリカはミシシッピー州の小さな町でのこと。ベトナム戦争から帰って来た、父親のスティーヴンは、戦争で心に深い傷(きず)を負(お)っていました。トレーラーハウスに住む一家の家計(かけい)は苦しく、ふたごの姉と弟、リディアとステューは、母親のロイスといっしょに貧しい生活を送っていました。

 姉弟(きょうだい)は、森の大きな樫(かし)の木にツリーハウス(木の上の家)を作ることを計画、それぞれ仲のいい友だちと材料(ざいりょう)を探し始めました。ステューは、リプニッキという家のガラクタ置場(おきば)に目を付けます。ところが見つかってしまい、リプニッキの六人兄弟からボコボコに殴(なぐ)られ蹴(け)られ、口に傷を負います。

 スティーヴンはそんな息子(むすこ)の傷に気づいて、「どうした?」と尋ねます。リプニッキの兄弟に蹴られたと話し、ステューが「我慢(がまん)しているけど、ときどき首をへし折りたくなる」と吐(は)き捨(す)てるように言うと、スティーヴンは「これっぽっちの我慢を忘れると、一生後悔することになるぞ」と諭(さと)します。

 スティーヴンは、以前精神科で治療を受けていたことが分かって、ようやく見つけた小学校の仕事をわずか一週間で失ってしまいます。それでも彼は、家族のために売りに出されていた家を手に入れようと、危険があっても高い賃金(ちんぎん)をもらえる石切り場の仕事に就(つ)くことにします。母親のロイスを驚かせようと、家のことは息子ステューとの秘密にします。パパはまたすぐクビになると言う姉のリディアに、ロイスは、父さんはわたしの一部なの、その父さんのことを悪く言うことはわたしを悪く言うこと、非難(ひなん)は許さないと強く言ってきかせます。その夜、リディアは父親と言葉を交わし、「父さんが年をとって死んだら、天使になってわたしを見守ってね」と甘えます。

 売りに出されていた家の競売(けいばい)に出かけたスティーヴンとステューは、ささいなことからリプニッキの父親と子どもたちに絡(から)まれます。スティーヴンは争いを避けようとしますが、ステューに身の危険が及(およ)びそうになり、思わずリプニッキの父親に暴力をふるい、息子に謝(あやま)らせ、また彼を罵(ののし)ったステューにも謝罪(しゃざい)させます。そのすぐ後、ステューは再びリプニッキの子どもたちに暴力をふるわれて激しく怒ります。ところが、父親のスティーヴンは暴力をふるった子どもたちに家族のために買った綿菓子(わたがし)を与えます。「どうして?」と憤(いきどお)る息子に、スティーヴンは「あの子たちは何ももらったことがないから」と答えます。スティーヴンは、怒りのおさまらないステューをツリーハウスのところに連れて行き、こう言います。

 「あの子たちと仲良くな!」

 「自衛のための喧嘩さ。父さんだって戦争で戦ったろ?」

 「戦ったよ。人を助けようとして。だが助けるより、大勢を殺してしまった」

 「……」 Continue reading

9月22日 ≪聖霊降臨節第19主日/教会創立記念「家族」礼拝≫『ちっとも恐くなかった』(こども・おとな)『あなたがたに平和があるように』(おとな) ルカによる福音書 24章33~43節 沖村 裕史 牧師

お話し「ちっとも恐くなかった」(こども・おとな)

■弟子(でし)たちも生き返った

 36節に「こういうことを話していると」ってあるよね。「こういうこと」っていうのはね、少し前に書いてあったこと、イエスさまがよみがえられたことです。

 マグダラのマリアたち、女は絶望(ぜつぼう)と悲しみのままに、イエスさまが葬(ほうむ)られた墓(はか)へと出かけ、空(から)になった墓に現われた天使から「イエスは生きている」と告げられました。同じように失望(しつぼう)と落胆(らくたん)の中をエマオへと向かっていた二人の男は、見知らぬ人から聖書の話を聞きながら歩き、宿について夕食をする席でその人がパンを裂いた時、それがイエスさまであることに気がつきました。また、イエスさまが十字架につけられる前に三度も「イエスなんか知らない」と答えた十二弟子の一人、シモン・ペトロにもイエスさまが現れてくださったって書かれています。そのことです。

 弟子たちの誰もが、よみがえりのイエスさまと出会ったのです。イエスさまが十字架に架かって死んでしまったと絶望し、深い悲しみの中にあった弟子たちは、イエスさまが死を超(こ)えて生きておられ、そして今もわたしたちのすぐ傍(そば)に、共にいてくださっていることに気づかされたのでした。そして、よみがえられたイエスさまが、元気で人生を精一杯(せいいっぱい)生きるように、と勇気づけてくれたことを大胆(だいたん)に告げ知らせたのでした。

 イエスさまが本当によみがえられたのかどうか、今のわたしたちに確かめる術(すべ)はありません。でも何かが起こり、そのことで悲しみにくれていた弟子たちが再び力を取り戻したことは、紛(まぎ)れもない事実(じじつ)です。弟子たちは、もう泣くのをやめて立ち上がり、イエスさまが救い主(ぬし)であること、イエスさまが死に打ち勝ってよみがえられたことを、方々(ほうぼう)に出かけて人々に告げはじめました。

 イエスさまのよみがえりによって、弟子たちもまた生き返ったのでした。

 

■少女は朝早く、お母さんの墓に行った

 今日、みなさんに見てもらう映画は、そんなよみがえりの出来事を体験したボネットという女の子のお話しです。

 舞台(ぶたい)は、この夏オリンピックがあったパリのあるフランス。四歳の少女ポネットは、お母さんが運転する車で事故(じこ)に巻き込まれました。幸いポネットは腕のけがで済(す)みましたが、お母さんは死んでしまいます。

 お母さんが死んだことを教えられたポネットは、悲しさと寂しさから泣き出します。お父さんは仕事の都合(つごう)でしばらく留守(るす)にすることになり、ポネットはおばさんの家に預(あず)けられました。いとこのデルフィーヌやその弟マチアスはポネットを慰(なぐさ)め、一緒に遊ぼうと話しかけます。でも、ポネットはお母さんのことで頭がいっぱい。二人を追い払ってしまいます。

 デルフィーヌとマチアスは呆(あき)れた様子でしたが、おばさんはポネットに優しく語りかけ、よみがえられたイエスさまの話を聞かせます。ポネットは、お母さんもきっとイエスさまのように戻(もど)って来てくれると信じ、ずっと待ち続けることにしました。その様子に心を痛(いた)めたおばさんは、お母さんはもう帰って来ないの、と涙を流します。それでもポネットは頑(かたく)なにお母さんが帰って来るのを待っていました。数日後、帰って来たお父さんは、お母さんを待つポネットに怒り出します。お父さんは「そのままだとずっと悲しいだけだ」と言いますが、ポネットの心はさらに傷つき、お母さんを求めるのでした。

 ポネットはデルフィーヌたちと同じ寄宿学校(きしゅくがっこう)に入ることになります。デルフィーヌや同じ部屋の少女たちは恋(こい)の話に花を咲かせますが、ポネットは会話に入っていきません。彼女は舎監(しゃかん)のオレリーに、自分はママを悲しんであげなければならないのだ、と話します。

 ポネットはオレリーに頼み、礼拝堂(れいはいどう)を見せてもらいます。オレリーは、ママは神さまと一緒に天国に住んでいると話し、お祈りは必ず聞こえている、と語りかけました。翌日の夜、ポネットは一人でこっそり礼拝堂に忍(しの)び込みます。そして、ママと話がしたいと涙を流して、神さまにお祈りします。交通事故で突然お母さんを亡くした四歳の彼女に、死の意味はまだよくわかりません。人形のヨヨットと一緒に、お母さんの帰りを待つことに決め、お母さんが帰ってくることだけをひたすら願って、暇(ひま)さえあれば神さまに小さな手をあわせてお祈りをしていました。

 それでも、ポネットの願いは叶(かな)いません。ある夜、マチアスのベッドを訪(たず)ねたポネットは「もう死にたい」と口にします。天国のママに会いに行きたいから、自分も死ぬしかないのだ、と。マチアスは、ポネットは変わっているけれど良い子だと言って慰めました。

 そんなある朝早く、まだ学校の仲間たちが寝静(ねしず)まっている暗いうちに、ポネットは寄宿学校を抜け出して、お母さんの墓まで駆(か)けて行きました。

 墓に着いたポネットは、ママにもう一度会いたいと目に涙をいっぱいためて、小さな手でお母さんの墓を掘り始めました。すると、後ろから突然(とつぜん)、「ポネット」と彼女の名前を呼ぶ声がしました。それは忘れもしない、お母さんのやさしい声でした。ポネットは涙を振り払って、夢中(むちゅう)で「ママ!」と叫んで、抱きつこうとしました。するとお母さんはそれを押しとどめて、こう言いました。「抱きついてはだめ。もういいのって伝えるために、戻ってきたのよ、ポネット」。そして「笑わない子どもはいけないわ。何でも楽しんで、それから死ぬの」「パパと二人で仲良く暮らしなさい。でもママのことは忘れないで。さようなら。さあ、行きなさい。パパがもうすぐ迎えにくるわ」と言いました。

 歩き出したポネットがもう一度ふりかえった時、そこにお母さんの姿はもうありませんでした。でも彼女は捜しにきたお父さんに笑顔でこう言いました。「ママとお話しできたの。昔のママの姿だったから、ちっともこわくなかった。皆と楽しむことを学びなさいって」。

 

■笑顔いっぱい Continue reading

9月15日 ≪聖霊降臨節第18主日/敬老祝福「家族」礼拝≫『力を抜いて、重みのままに』 コヘレトの言葉 3章 11節(口語訳) 沖村 裕史 牧師

 

■どうして…

 わたしたちには、人生に対していろいろと注文があります。そして思い通りに、万事順調という人も時にはおられるかも知れませんが、そうは行かないという思いを持っている人も少なくないでしょう。いえ、誰もが心の底に、そんな思いを抱いているのではないでしょうか。

 真面目に、こつこつと丁寧に生きているのに、思いがけないことに遭遇する。そして、一切がご破算。「どうしてこんなことになったのか」、「どうして、わたしがこんな目に遭わねばならないのか」、「同じ状況にいたのに、どうしてわたしだけに起こり、他の人には何事も起こらなかったのか」、人生の不可解に直面してたじろぎ、「どうして、どうして」と問わざるを得ないことが、しばしばです。

 でも、「どうして」という問いを出すということは、問えば分かるはずだという前提があってのことです。だけど、よく考えてみてください。人生は人間の理解で答えが見つかるもの、そう考えることほど傲慢なことはないのではないでしょうか。

 

■答えのない人生

 思えば、イエスさまがお生まれになった時にも、「どうして」という事件が起こりました。

 「さて、ヘロデは[救い主誕生のいきさつを知らせるように頼んでいた]占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」(マタイ2:16)

 ベツレヘム近辺の二歳以下の男の子が、ヘロデ王の恐れと怒りの飛ばっちりで、皆殺しにされたという話です。神が人間を救おうとしてくださったばかりに、こんな筋の通らない無残なことが起こったのです。イエス・キリストは救いをもたらすためだけに来られたのではありませんでした。人の世は解答不能な問いそのものであることを、明らかにするために来られたのでした。

 また、イエスさまは十字架の上で最後にこう叫ばれました。

 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(同27:46)

 イエスさまの人生最後の言葉は、答えではなく、問いでした。考えてみれば、イエスさまの誕生によって幼児皆殺しという解答不能な問いが起こり、その最後の十字架上の言葉も答えのない問いであったということは、問いを突きつけられ、問いを抱いて生き、問いを抱いたまま死ぬのが人生というものだ、そう聖書が語っているように思えてなりません。

 人生とは、「どうして」と問えば答えが分かるようなものではありません。そうではなく、そういう答えのない人生の只中に、問うても分からない人生の真っ只中に、そこにイエスさまの誕生があり、そこにイエスさまの十字架が立っているのですから、その「どうして」と問わざるを得ない、そここそが、イエスさまの共におられるところであり、まさにわたしの、わたしたちの引き受けるべき人生なのだということなのでしょう。

 

■人生をあるがままに

 さきほどのコヘレトの言葉にも、こうありました。

 「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」(3:11、口語訳)

 「永遠を思う」というのは、時間を超えた、遥かな遠い世界に思いを馳せるということではなく、日常の生を問い直して、人生の本質とは一体何か、究極的な人生態度は何かを問うこと、つまり「どうして、どうして」と問うことです。しかしその答えは「神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」とあるように、分からないということです。 Continue reading

9月8日 ≪聖霊降臨節第17主日礼拝≫『共に食べ、共に生きる』 コリントの信徒への手紙一 11章 23~34節 沖村 裕史 牧師

 

■晩餐の危機

 イエスさまは、会堂で、また湖の岸辺や丘で人々に語りかけられました。それだけでなく、弟子たちや徴税人や罪人たちと共に食事をされました。特に、十字架―死の前夜、エルサレムの宿の二階で、弟子たちと「最後の食事」を共にされました。そこにいたのは、イエスさまを裏切ったユダ、イエスさまを三度も知らないと言ったペトロ、イエスさまを見捨てて逃げまどった弟子たち。すべて罪人でした。そうなることを承知の上で、イエスさまは、弟子たちと共に食事をされました。

 イエスさまの死後、弟子たちは集まって、そのときのことを想い起しつつ語り合い、そして共に食事をしました。教会はやがて、信徒たちが一つの場所に集まって、賛美し、祈り、み言葉に耳を傾け、信仰を告白するようになりましたが、20節に「一緒に集まって…主の晩餐を食べる」とあるように、その頂点こそ「主の晩餐」でした。

 ところが、主の晩餐としてのその共同の食事が無残なあり様になっていました。コリント教会の有力者たちが、その共同の食事を兄弟姉妹と分け合うことをせず、あたかも、自分たちの個人的な食事であるかのように振舞っていたからです。しかし教会の共同の食事は、食事を共に分け合い、分かち合うべきもので、それは、主の体としての教会の一致と平和のしるし、何よりも愛の証しの場であるべきでした。コリントの人々は、キリストのからだである教会を私物化しているだけでなく、意識してか無意識かは別にして、この世の貧富、地位の高低、権力の大小といったあらゆる格差と差別を、一致と愛のしるしたる「主の晩餐」の中に持ち込み、その意義を根こそぎ台なしにしているのではないか。

 パウロは22節、「[あなたがたは]神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか」と厳しく叱責しています。

 

■引き渡された

 この問題を解決するため、パウロは今、イエスさまと弟子たちとの、最後の晩餐のことを人々に思い起こさせようとしています。23節から26節です。

 23節の「受けた」「伝えた」という言葉からもわかるように、主の晩餐についての言葉は、教会の中に早くから伝えられていました。パウロは、主の晩餐と呼ばれる共同の食事を、自分の体験から学んだのでも、誰か権威ある人から受け継いだのでもありません。「主から受けた」―この言葉は、主ご自身が自らの死と新しい契約のしるしとして弟子たちにパンと杯を分け与えられたことが、罪人や貧しい人々と共にされた数々の食事とともに、教会の人々の間に語り伝えられていたことを示しています。パウロの時代にまだ福音書はありませんが、イエス・キリストの死と復活の物語は、信仰の中心、核になるものとして、大切に語り継がれていたのです。

 パウロは、コリントの人々もよく知っているはずの主イエスの死―十字架の意味を思い起こすようにと、「すなわち、主イエスは、引き渡される夜…」と語り始めます。

 ここに「引き渡された」とあるように、御子イエスは父なる神によって、わたしたちのために十字架へと引き渡されたのでした。そして、イエスさまご自身も自ら進んで、その残酷な使命を背負われました。イエスさまの生涯は、人に与え続ける生涯でしたが、その人生の極みとして、進んで自らのいのちをも与えてくださったのです。自分を喜ばせるのではなく、人のために生きる人生―それがイエスさまの人生でした。その極みとしての死、十字架でした。

 聖餐の中で、パンと杯をいただくことは、このイエスさまの死を覚え、告げ知らせるものです。ところが、コリントの教会の主の晩餐では、人々は自分のことばかり考え、他人のことはお構いなしというあり様でした。イエスさまから与えられた大きな恵みを考えれば、コリントの人々も自分のことばかりではなく、イエスさまに倣って、人に与えること、人と共に分かち合うことを考えるべきではないのか。そう問いかけるパウロは、「主から受けた」言葉を語り直しつつ「記念として」という言葉を繰り返します。

 

■記念として

 「思い起こす」「想起する」と訳すことのできる、印象深いこの言葉を通して、わたしたち教会は「わたしの記念としてこのように行いなさい」と教えられてきました。パウロは、パンと杯を共にすることを通して、コリントの教会に、イエス・キリストの死—贖(あがな)いのみ業を、過去の出来事としてではなく、自分自身のこととして想い起こさせようとしています。

 「記念」という言葉は、出エジプトの「過越」の出来事を連想させます。エジプトを旅立たんとするイスラエルは、犠牲となった子羊の血によって守られつつ、その日、エジプトの抑圧と奴隷としての束縛から解放されました。イスラエルはその後も、その記念すべき日に、神がご自分の民を解放してくださったことを想い起すことで、その神が今も、自分たちを救ってくださっていることを確信し、感謝しました。同じように主の晩餐もまた、神がイエス・キリストの犠牲の死を通して、このわたしたちに今も解放を、罪の赦しを、救いをもたらしてくださっていることを想い起す機会となるものでした。

 また「記念」という言葉は、今日の聖餐式では、主の体と血であるパンと杯によって、実際に主イエスが今ここにおられること―つまり主の「現在」を意味する言葉だと理解されていますが、この手紙で語るパウロの言葉をそのように理解することはいささか的はずれかもしれません。制定の言葉の最後、26節を原文の語順通りに訳せば、「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主の死を告げ知らせるのです。主が来られる[その]ときまで」となります。主はもはやここにはおられません。それは決定的な不在、今ここにおられるはずなどないという意味ではありませんが、パウロが語る主の晩餐の意義は、主イエスの死―十字架による贖いと救いの真実を記念し、そのことを想い起しつつ、「再び主が来られる」そのことを、確信をもって待ち望むことでした。

 

■新しい契約

 その主の晩餐によってキリストの体と血を分かち合う教会は、主の死がわたしたちのためであることを想い起すと共に、25節に「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」とあるように、主の死が、神による「新しい契約」の始まりであることを知らなければなりません。

 クリスチャンとは、この新しい契約にあずかる者です。新しい契約のメンバーは、みな神の家族です。主の晩餐にあずかるすべての人は、互いに兄弟姉妹なのです。前回、申し上げたように、自分の本当の家族がお腹を空かせているのに、その人たちのことは全くお構いなしに、自分たちだけガツガツ食べるような人がいるでしょうか。

 コリントの一部の豊かな人たちが、他の兄弟姉妹のことを考えずに、自分たちだけでご馳走を食べることは、自分たちが新しい契約にあずかっていること、信じる者はみな本当の兄弟姉妹であるという大切な真理を、その行動によって足蹴(あしげ)にするようなものです。

 パウロは今、イエスさまご自身による主の晩餐の制定、とりわけわたしたちのために受けられた苦難と死とを、コリントの人たちに想い起させることで、この大切な真理をよくよく考えるようにと促しているのです。 Continue reading

9月1日 ≪聖霊降臨節第16主日礼拝≫『食卓のマナー』 コリントの信徒への手紙一 11章 17~22節 沖村 裕史 牧師

 

■主の晩餐

 17節以下のテーマは「主の晩餐」です。十字架の前夜、「最後の晩餐」の席で、イエス・キリストが特別な意味を込めて弟子たちに与えられたパンと杯に、イエスさまを裏切ることになるユダもペトロも、そこにいたすべての弟子たちが共にあずかったことを、繰り返し記念しなさい、想い起しなさいとイエスさまがお命じになった。それが「主の晩餐」であり、また、今日の「聖餐式」の起源でもあります。

 とはいえ、パウロがここで語っている「主の晩餐」と、わたしたちが今日も守っている聖餐式とが全く同じというのではありません。なぜなら、34節までの主の晩餐についての言葉は、確かに教会で行われる聖餐式と密接に関わってはいますが、聖餐式はもっと広い範囲の聖書の言葉と長い教会の歴史の中にその根拠と豊かな意味を持つ、また確固としたスタイルを持った、サクラメント「典礼」だからです。皆さんが他の教会で聖餐式にあずかっても、さほど戸惑うことがないのも、それだけ聖餐式が典礼として、普遍的に確立しされているからです。

 しかし、パウロの時代はキリスト教の黎明期(れいめいき)です。聖餐式についても、これといった定まったスタイルはありませんでした。新約聖書さえまだない時代ですから、式文など聖餐式で語る言葉も決まっていませんでした。当然、信仰に入って日の浅い信徒の中には、「主の晩餐」というのは何のためにするものなのか、よく分かっていなかった人もいたことでしょう。「主の晩餐」を単なる食事会のように考えていた人もいたでしょう。そのために、大きな混乱が生じてしまったのでしょう。

 だからといって、パウロがここで語っていることに意味がないというのではありません。むしろ、パウロの語る言葉は今日も、わたしたちに実に多くのことを教えてくれています。パウロが、主の晩餐でのイエス・キリストの言葉を、どのような状況の中で語り、何をコリントの信徒たちに伝え、教えようとしていたのか。今日はそのことを、17節から22節までの言葉を通してご一緒に学んでまいりたいと思います。

 

■仲間割れ

 それにしても、いろいろな問題や課題を抱えるコリントの信徒たちでした。

 パウロは11章の冒頭2節で、「あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います」と、彼らがパウロの伝え、教えたことを大切に守っていることを誉(ほ)め、評価しています。しかしそこには、社交辞令的な意味合いと共に、皮肉が込められていました。パウロは彼らを手放しに誉(ほ)めていたわけではありません。そして今日の冒頭17節でもパウロは厳しい調子で、「[しかし]次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません」とはっきりと語り始めます。「指示する」と訳される言葉はとても強い口調の言葉で、「命じる」と訳してもよい言葉です。パウロがこれほどの強い口調で指摘する問題とは、何だったのでしょうか。

 それは、主の晩餐のときに見られた、コリントの人々の「仲間割れ」「分裂」です。17節から18節、

 「あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています」

 「あなたがたの集まり」「教会で集まる」で使われているギリシア語は、今日のわずか6節の段落の中で三度も使われる、大切な言葉です。この言葉のもともとの意味は、「共に集う」または「一つにされる」でした。そして実に「教会」という言葉のギリシア語「エクレシア」もまた、「呼び集められた者たち」という意味でした。

 当時の「教会」には、それ専用の建物もなければ確固とした組織もありません。教会員の中の有力者の家で行われる、「家の教会」と呼ばれる小さな集り、集会に過ぎませんでした。そこにはまだ「聖餐式」と呼べるものもありません。その小さな集まりで、信仰による一致を象徴するしるしとして大切に守られていたのが、「主の晩餐」と呼ばれる「共同の食事」でした。

 ところが、コリントの人々がその教会に「集う」とき、皮肉にも「共に集う」ことも「一つにされる」こともありませんでした。

 

■避けられない

 教会に「仲間割れ」があったからです。このことは、これまでにも繰り返し指摘されていたことです。「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」といった、党派争いがありました。仲間割れ、対立のある人々が共に集まるとき、そこにはかえって言い争いが起り、その亀裂はさらに深まっていきます。そうして、共に集まることが良い結果ではなく、悪い結果を生んでしまうことになります。パウロは「まず第一に」、そのことを指摘します。

 しかし、18節後半から19節にこう続けられます。

 「わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません」

 「適格者」というのは、あまりよい訳ではないかも知れません。「試されて、本物であることが証明された者」という意味の言葉です。どの教えが本当に神のみ心を正しく伝えているのか、イエス・キリストによる救いの福音を正しく伝える教えはどれか、ということが明らかになるためには、いろいろな意見の相違、対立も「避けられないかもしれない」と言うのです。いえ、ここの原文はずっと強い言葉で、「争いもなければならない」という言い方です。口語訳聖書では、「たしかに、あなたがたの中でほんとうの者が明らかにされるためには、分派もなければなるまい」と訳されていました。こちらの方が原文に近い訳です。パウロは、教会の中で意見の対立があること自体は必ずしも悪いことではない、と言います。

 今ここでは、意見の対立や仲間割れそのものが問題ではなく、教会の集まりを悪い結果を生むものにしてしまっていることが問題とされています。その仲間割れのために、20節、

 「それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならない」 Continue reading

8月25日 ≪聖霊降臨節第15主日/平和『家族』礼拝②≫『ピエロのお医者さん』『愛に満たされて』 エフェソの信徒への手紙 3章 14~21節 沖村 裕史 牧師

 

お話し「ピエロのお医者(いしゃ)さん」(こども・おとな)

 皆さんは、ハンター・アダムスって、知っていますか?ロビン・ウィリアムスという俳優(はいゆう)さんが主人公を演(えん)じて、大ヒットをした映画『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』(1998年)のモデルになった人です。

 彼は、1945年、アメリカのワシントンに生まれました。お父さんがアメリカ軍の兵士だったため、韓国やドイツなどにある軍の施設(しせつ)の中で育ちますが、お父さんはあまり彼のことをかまってくれなかったようです。16歳の時、そのお父さんと、大好きだった叔父(おじ)さんが続いて死んでしまったショックで、彼の心は深く傷つきました。お父さんが亡くなったあと、教師をしていたお母さんとお兄さんと一緒にアメリカに帰りますが、心の傷も癒(い)えないままに、今度は学校でいじめに遭(あ)い、自殺未遂(じさつみすい)を繰り返すようになります。入退院を繰り返した彼はついに、自分から進んで精神病院(せいしんびょういん)に入院することになりました。

 でも、そこで彼は大きな転機(てんき)、人生の曲がり角(かど)を経験(けいけん)することになります。深い絶望(ぜつぼう)とどうしようもない虚(むな)しさのただ中にいた彼に生きる目標を与えたのは、カウンセリング担当のお医者さんではなく、同じ病院に入院している患者(かんじゃ)さんたちでした。ひとりの老人(ろうじん)が、親指を折った手を見せて、アダムスに聞きます、「何本に見える?」。「4本」と彼が答えると、その老人は首を振って、「目の前に見えるものにとらわれちゃ駄目(だめ)だ」とつぶやきます。目の前のことだけを見るんじゃなくて、その奥にあるものや、違う視点(してん)で物事(ものごと)を見ることが大切だと言われ、アダムスはハッとします。と同時に、患者が患者を治すことがある、「患者と医者になんの違いがあるのか」と考え始めます。そして、その老人や同じ部屋の友人との交わりの中から、「愛」がとても大きな力を持つこと、「笑いやユーモア」が人の心を癒すことに気づかされます。

 39歳になっていたアダムスは、お医者さんになる道を志(こころざ)し、その二年後、見事(みごと)医学部に入学します。「医療(いりょう)に人の心を」、これが医学生の時からの信念(しんねん)でした。治療(ちりょう)方法は患者を笑わせること。白い服を着て三年生になりすまし、大学病院にもぐりこんだ彼は、三年生の医学生と一緒に、患者の様子(ようす)を見て回るのですが、そこで目(ま)の当(あ)たりにしたのは、患者さんたちのことを名前で呼ばずに病名(びょうめい)で呼ぶ姿、そして指導する先生と医学生のやり取りが病気に関(かか)わることだけで、患者さんについての会話が何ひとつないという現実でした。アダムスは思わず「彼女の名前は何ですか?」と尋(たず)ねるのですが、先生や医学生たちに不思議(ふしぎ)そうな顔をされるだけのことでした。

 何度(なんど)も大学病院にもぐりこむアダムスは、あるとき、学部長(がくぶちょう)と鉢合(はちあ)わせしそうになり、思わず、ある病室に飛び込んで身を隠します。その病室は小児科(しょうにか)の部屋でした。小さな子どもたちがベッドで、寂(さび)しく辛(つら)そうな顔をして横になっています。彼は近くにあった浣腸(かんちょう)ボールを鼻につけて、子どもたちの前でピエロのようにステップを踏み、ふざけて笑いを巻き起こします。ひとりの子が笑い、他の子どもたちも興味を持って彼を見つめると、悲しげだった子どもたちみんなが楽しそうに、キャッキャと笑い始めたのです。その笑い声を聞いて病室をのぞいた看護師(かんごし)さんは驚き、呆(あき)れます。

 しかし、学部長はそんなアダムスとことごとく衝突(しょうとつ)、彼を退学させようとします。それでも彼が信念を曲げることはありませんでした。なぜでしょう。病気の人は諦(あきら)め、絶望感に打ちのめされている、そのことこそが深刻(しんこく)な病いだ、そこから癒されなければと考えていたからです。笑いが、何よりも「愛」が必要だと信じていたからです。管理され、ただ治療されるだけの「物」のように扱われていた患者たちは、愛と笑いを通して、人として癒され、元気づけられ、病いと闘い、病いを恐れず受け入れる勇気を持つようになります。いぶかしげに見ていた同級生や看護士たちも、やがてそんな彼を理解し、支えるようになります。そうして様々な試練を乗り越え、大学を卒業(そつぎょう)することができた彼は、愛とユーモアを治療の土台においた、無料で診療する「お元気で病院(Gesundheit Institute)」を設立(せつりつ)することになります。

 彼の活動とメッセージは、日本でもたくさんのお医者さんや医学生たちの共感(きょうかん)を呼びました。支援(しえん)の輪が広がり、今から20年前の8月、日本に招かれ、熊本、神戸、長野の塩尻(しおじり)で講演会(こうえんかい)が開かれました。その時、NHKが彼に取材(しゅざい)をしています。彼はこう聞かれました、「講演会で、医師であるあなたが、理想(りそう)とする医療のあり方を語らずに、愛について語られたのはなぜですか」と。すると彼は、「人間にとって最も大切なものが、愛だからです。テレビや本にも愛をテーマにしたものがたくさんあります。そのように、愛の大切さを誰もが知っているのに、家庭でも学校でも、その愛について教えようとしません。ですから、わたしは、愛について語るのです」と答えます。

 ここで映画を一緒に見てみましょう。

 「愛」って、何でしょう。さっき読んでもらった聖書の言葉に、こう書かれていました。

 「こういうわけで、わたしは、天と地にあるすべての家族にその名を与えられる父の前にひざまずいて祈ります」(14~15節)

 神様が「父」と呼ばれます。しかも、その人がわたしたちすべての名付け親だって言います。「名付け親である父なる神様」というこの言葉が意味していることは、神様が、わたしたちのいのち、わたしたちの家庭、わたしたちの日々の生活の根っこにいてくださるのだということです。そしてまた、名付け親として、弱くて小さい、間違いや失敗ばかりのわたしたちに大きな愛を注いでくださっている、愛そのもののお方だということです。何の条件もなしに、わたしたちの一人ひとりを、あるがままに受け入れてくださる愛のお方だということです。だから、わたしたちは子どもとして、愛の神様の前に「ひざまずいて」「ひざをかがめて」と言います。わたしたちが、愛の神様の子どもとなるには、この身を低くし、このひざをかがめて、祈る者とならなくてはならないということです。この言葉は、高さでなく低さこそが愛である父の子どもにふさわしい姿であり、また高さでなく低さこそが愛の第一歩だ、ということをわたしたちに教えているのでしょう。

 上から目線で、偉そうにではなく、パッチ・アダムスのように、身も体も低く、仕えるようにして、互いを大切にすることが、互いを愛することができたら、どんなに素敵なことでしょうか。皆さんも、そうは思われませんか。お祈りします。

 

メッセージ「愛に満たされて」(おとな)

■いま、手をつなぎ合って

 さきほどの映画を見ていて思い出したのは、『メイク・ア・ウィッシュ』のことです。そのボランティア団体で長く事務局長をされていた大野寿子さんの著書の中に、こんな言葉が記されています。

 「1996年、『バスの運転士になりたい』という佐々木証平くん(6歳)の夢をお手伝いしました。証平くんは島根と広島の県境の『匹見町』という小さな町で、近所のおじいちゃん、おばあちゃんにかわいがられて育ちました。3歳のとき、ある日突然、大きな痙攣の発作を起こし、病院へ行きます。そして『ミトコンドリア脳筋症』と診断され、あれよあれよという間に、崖から転がり落ちるように病状は悪化し、立つことも食べることも話すこともできず、ついには人工呼吸器をつけるようになりました。そんな証平くんが小さいときから憧れていたバスの運転士さんになるため、その日、出雲のバス操車場に『しょうちゃんの夢のバス』が走りました。応援団がファンファーレを奏でる中、運転士の制服を着た証平君の任命式が行われます。バスは、養護学校のお友だちやそのご家族やボランティア、100人ものお客を乗せたりおろしたりしながら、『びょういん』を出発し、『ひきみちょう』を経由して、『げんきまち』まで何往復もしました。…

 それから4年たち、島根の会合においでくださった証平くんのお父さんが、こんな話をなさいました。

 『証平があっという間に変わり果てた姿になったとき、わたしは天を恨み、地を恨み、すべてのものを恨みました。一生懸命まじめに生きてきたわたしたち家族がどうしてこんな目に遭わなければいけないのか、わたしたちが、証平がなにをしたのかと、何度も問いました。親切に声をかけてくださる人たちに対しても、「わたしたちの気持ちがわかるものか」と突っぱねていました。ところが、あの日、メイク・ア・ウィッシュで夢をかなえた日、ふと、その肩の力が、恨みの気持ちが抜けたのです。そうか、小さな楽しみや目標を前においていけばいいのだ、と思えたのです。庭でバーベキューをしようとか、近くの公園まで散歩に行こうとか…』 Continue reading

8月11日 ≪聖霊降臨節第13主日礼拝『自然って何?』 コリントの信徒への手紙一 11章 2~16節 沖村 裕史 牧師

 

■意外な返答

 コリントの教会に仲間争いや対立があったことが、何度も語られてきましたが、そのような争いが礼拝の中に持ち込まれたため、礼拝が混乱していたようです。11章から14章にかけてパウロは、教会の礼拝が「すべてを適切に、秩序正しく」(14:40)行えるよう、使徒として指導しています。そうした礼拝問題のトップバッターとして取り扱われたのが今日の箇所、女性が礼拝の中で祈ったり、預言したりするとき、頭に物をかぶるべきか否かということでした。

 冒頭、パウロは「あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います」とコリントの人々のことを褒めています。パウロはここで、コリントの人々が彼に手紙で書いてきたことに答えているようです。その手紙の内容について、ヘイズという学者が、恐らくこんなことを書いていたのではないかと想像を膨らませます。

 「親愛なるパウロ。わたしたちはあなたのことを懐かしく思い出し、またお会いしたいと願っています。わたしたちのある者は、あなたから受けた伝承を守ろうと頑張っています。キリストにおける洗礼についての伝承では、もはや男も女もない(ガラテヤ3:27-28)と教えられました。わたしたちが礼拝に集まった時は、女性も共同体の中で男性と同じ役割を果たし続けていることを、ご報告したらきっと喜んでいただけると思います。あなたがわたしたちと共にここにいらした時と全く同じように、女性も集会では霊によって激励され、祈り、自由に預言しています。けれどもこの点について議論が起こっています。自由に霊の力において振る舞っている女性の中で、預言する時に、頭のおおいを取り、髪を下ろす者が出てきました。キリストにある自由を表すためです。共同体の中でも臆病で、保守的な者はこれに反対しています。女性が人前で髪を下ろすのは、見苦しく、不名誉なことだと考えてのことです。ところで、わたしたちの大部分は、あなたがこの行いに必ずや賛成するだろうと信じています。なぜなら、これはあなたから受けた伝承が真実であることの、外に向かった目に見えるしるしだからです。このことに関して、直接あなたが何か批評をしてくださったら幸いです。どんな疑いも晴れることでしょう。いつまでもあなたの忠実な信奉者より」

 しかし、パウロの返答は意外なものでした。3節、

 「ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです」

 男女平等を掲げる者には、聞き捨てならない言葉から始まります。「かしら」と聞くと、何かしら上下関係、縦の関係を連想してしまいます。ただ、ここでは上下関係を連想する必要はありません。むしろここは、「代表している」と訳した方がよいかもしれません。夫婦がホテルに宿泊する時に、夫が妻を代表して署名する、というような具合です。二人の人、または二つのグループがある場合、だれか代表を決めなければなりません。神の創造の秩序においては、男性が女性の代表となるとパウロは言っているのであって、男女の優劣を論じているわけではありません。

 とはいえ、パウロの返答は明らかに手紙を書いた人々の期待を裏切るものです。問題は、パウロがこの後語る、その「創造の秩序」です。

 

■かぶり物

 その前に、続く4節から6節のパウロの言葉に目を留めておきましょう。ここで語られていることこそ、女性が祈ったり、預言したりする際に頭に物をかぶるべきかどうか、ということでした。

 第一に注目いただきたいのは、コリントの教会の礼拝では、女性も男性と同じように祈ったり、預言したりしていること、またそのことをパウロは承認しており、女性のそのような働きを制限したり、抑制しようとはしていない点です。旧約時代にも女性の預言者はいましたが、イエス・キリストの救いが到来し、聖霊が降った今は、男女の間に霊的次元での優劣、差別は存在しないということです。そのことは、ガラテヤの信徒への手紙3章28節にもはっきりと語られていました。

 「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」

 この言葉は、他の世界的宗教、例えば仏教やイスラームと呼ばれている宗教と比べても、どれほど革命的であることでしょう。わたしたちプロテスタント教会では、女性牧師や役員がいるのは当たり前のように思われますが、伝統を重んじる他の教派には、女性の聖職者や役員を教会が生み出すのは容易ではありません。女性の聖職者を認めるか否かは、教会の分裂を引き起こすほどの重大事です。逆を言えば、男女が共に同じ霊的祝福と霊的働きを受けているということが、どれほどの恵みであるかが分かります。

 次に、女性が礼拝の中で祈ったり、預言したりするとき、「頭に物をかぶる」ことが、なぜ求められているのか。その理由としてパウロが持ち出している論拠はいくつかありますが、注意していただきたいのは、「かぶり物」とはそもそも何のことを言っているのか、ということです。

 伝統的な解釈によれば、それは女性が頭にヴェールをかぶることであるとされてきました。しかし原文をよく読んでみると、「ヴェール」という言葉は一度も出てきません。単に、頭を覆うか、覆わないかが問題とされているのです。そこから出てきた最近の有力な解釈は、女性が髪を結ばないでいることが物をかぶらないことであり、髪を結んで頭の上に括っておくことが物をかぶることだ、というものです。そう受けとめると全体が分かり易くなります。

 コリントの女性のある人たちは、「すべてのことが許されている」という自由と解放を表現するために、礼拝中に髪を結ばないで祈り、み言葉を語っていたと考えられます。しかし公共の場で髪を結ばないことは、当時の文化や慣習からすると恥ずべきことであり、娼婦の姿を連想させました。ルカによる福音書7章36節以下にも、「後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」「一人の罪深い女」の話が出てきますが、この女が髪の毛をほどいて、それでイエスさまの汚れた足を拭うという行為を受け入れたイエスさまのことを、ファリサイ派の人が厳しく批判しています。ユダヤでも、女性が人前で髪の毛を解くことはありません。あるとすれば、それは娼婦など卑しい女のすること、まさに「罪の女」であることのしるしでした。

 この段落に「侮辱する」「恥ずかしいこと」「恥」といった言葉が何回も出てくることに気づかされます。パウロは、女性が礼拝中に髪をきちんと結んでいないことが、教会という神の神殿で祈ったり、み言葉を語ったりするのにふさわしい姿なのかどうか(13節)を問題にし、またその姿が当時のコリントに数多くいた神殿娼婦と呼ばれた女性たちのことを連想させ、教会が当時のギリシア・ローマ世界の中で恥をもたらすようなこと、あらぬ誤解を招くようなことをしないように、という意図があったのでしょう。

 そのことで、教会内に混乱と対立が生じることがないように、別の言葉で言えば「教会を建てる」ということが、パウロの発言の意図であったのだろうと思われます。

 そして、その勧めは女性だけではなく、男性に対しても与えられます。

 「男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、自分の頭を侮辱することになります」 Continue reading

8月4日 ≪聖霊降臨節第12主日/平和聖日・平和「家族」礼拝①≫『平和の神が共に』 フィリピの信徒への手紙 4章 4~9節 沖村 裕史 牧師

 

■カタカナのヒロシマ

 これからお聞きいただくのは、広島の三人の少年のお話です。

 今から79年前、三人はともに国民学校の六年生で、避難していた疎開先からたまたま戻っていました。

 

広島は、ごぞんじのように水の都です。

七つの川にやさしく抱かれています。

水のおかげでおいしいお魚がとれます。

ここは四十三万人の大きな都会です。

 

またここは陸軍の都です。

鉄砲かついだ兵隊さんたちは、

みんなここから中国へ南方へと、

出かけて行きます。

 

そしてここは造船所の街です。

りっぱな軍艦をつくります。

客船も漁師の舟もつくります、

ここでつくれない船はありません。

 

 その造船所には三万人もの朝鮮の人がいました。

 ふるさとから無理やり連れて来られて、

 いちにち六個のおにぎりと

 わずかなお給金で船をつくっていました。

 

広島には空襲がありません。

「この広島からはの、アメリカヘ、えっと移民さんが行っとってじゃ。ほいで、みなアメリカ人になっちょるんよ。そいじゃけん、そのアメリカ人が生まれ故郷に爆弾をよう落とすわけがなあが」

みんなそういっています。

 

 ちょうどそのころ、アメリカの大統領がイギリスの首相にこういっていました。

 「原子爆弾の投下目標の都市は、広島、小倉、新潟、そして長崎です。一発の原爆にどれだけの威力があるかを知るために、そのときがくるまで、これらの四都市に空襲をしてはならぬと命じています。空襲の処女地で原爆の威力を見たいものですから。」

  Continue reading

7月28日 ≪聖霊降臨節第11主日礼拝≫『愛が借り』 ローマの信徒への手紙 13章 8~14節 沖村 裕史 牧師

 

■裁きと救い

 35歳で夭逝(ようせい)した楽聖ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、今から233年前の冬、12月5日夜半、天に召されました。突然の死によって、完成されずに残された名曲があります。「レクイエム・ニ短調K.626」です。死者のためのミサ曲、この「レクイエム・ニ短調」の荘厳さ、美しさは形容し難いものです。そしてその歌詞も、とても印象的です。

 「怒りの日よ、その日/地上は灰に帰する…何という恐怖のくることか/審判が至り/ものみな厳しく試される時は。…審判者が席に着く時/隠されたものはすべて見出され/罪を免れるものはない。

 哀れなるわれは、何をいおう、…恐るべき御力の王よ、/贖(あがな)いし者を自由に救いたもう方よ、/憐みの泉よ、われを救いたまえ。… そしてその日、われを見放したもうな」

 「終わりの日」に御子イエス・キリストがわたしたちのもとに再びやって来られ、厳しい裁きと、愛と平和に満ち溢れる救いをもたらせてくださる。そのことを待ち望み、その時に備える大切さを思い起こさせる歌です。

 預言者イザヤが語った、「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも/雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても/羊の毛のようになることができる」(1:18)という美しい言葉も、裁きと同時に救いを語っています。緋のように、紅のように赤い罪に対して神の裁きが臨む。しかし、神はその民を裁いて滅ぼしてしまわれるのではなく、その罪を雪のように、羊の毛のように真っ白に清めてくださる…。

 聖書の神は、徹頭徹尾、愛の神です。愛の神は、裁きのために裁くのではなく、救いのために裁かれます。裁きは、人を脅すためのものではなく、その裁きを通じて、主の恵み、回復のみ業がもたらされるという希望に満ちたものです。それが「終わりの日」の本来の目的です。

 もちろん「終わりの日」の救いのみ業は、わたしたち人間によるのではありません。それはただ、神の恵みのみ業、神の愛ゆえです。わたしたち人間はそこに指一本触れることもできません。

 「神に愛された子」という意味のアマデウスという名を持つモーツァルトもまた、「終わりの日」の神の愛による救いを待ち望みつつ、天に召されるギリギリの時まで、この曲の譜面と向き合っていたのでしょう。

 

■脱いで着る

 ローマの信徒への手紙13章11節から14節が語っているのも、そのことです。「今がどんな時であるか」とパウロが語る、今この時とは、「眠りから覚めるべき時」であり、「救いが近づいている」時です。まさに裁きと救いの成就する「終わりの日」に他なりません。パウロは、その「終わりの日」が近づいているのだから、「闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着け」「主イエス・キリストを身にまといなさい」とわたしたちに勧めます。

 「キリストを身にまといなさい」。含蓄ある言葉です。

 「身にまとう」「着る」ために、わたしたちはまず、今着ているものを脱がなくてはなりません。コロサイの信徒への手紙にも、「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです」(3:9-11)とあります。

 まず、あなたの身にまとっている、自分と人とを比べて隔てるもの、エゴイズムや悪意という古い着物を脱ぎすてなさい、そうパウロは言います。それは、裸になりなさいということでもあります。裸のあるがままの自分を受け入れる、と言い換えてもよいかも知れません。信じて生きるということは、脱ぐことと着ることにつきます。脱がずに重ね着するわけにはいきません。自分の着ている古い着物を脱いで裸になって、あるがままの弱く、小さく、欠け多い自分を受け入れて、キリストを着ることです。

 そうしないと、いつもきまって自分の着物が問題になります。奴隷と自由人、男と女、ユダヤ人と異邦人、政治的・経済的な優劣、文化の違い、宗教的な態度など、わたしたち人間が自らを誇り、自らを頼みとする着物。他人と自分を比べては、時にうぬぼれ、時には卑下する、そんな比較と差別、競争と抑圧に繋がるエゴイズムに囚われている着物。わたしたちは、信じると言いながら、まだ、そんな古い着物を問題にしてはいないでしょうか。だとすれば、わたしたちは、本当にはまだキリストを着ていないか、ただ重ね着をしているだけ、ということになるでしょう。

 では、自分が自分がというエゴイズムを脱ぎ捨てて、キリストを身にまとうということは、具体的にはわたしたちがどのように変えられることなのでしょうか。パウロはそのことを前段の八節から一〇節で、こう教えています。

 「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます」

 パウロは、「互いに愛し合うこと」を、律法、神のみ言葉として、わたしたちに勧め、求めています。「キリストを身にまとう」とは、神の愛、キリストの愛、その光の中を歩むことです。それは愛の光に照らされて、愛されている自分をあるがままに受け入れ、そのように愛されている者として互いに愛し合うということです。

 

■借りるしかない

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7月21日 ≪聖霊降臨節第10主日礼拝/講壇交換≫『ゆだねられたもの』 テモテへの手紙二 1章 3~14節 茶屋 明郎 牧師(若松教会)

 

 今、後継者の問題がいたるところの分野において、例えば会社や農家などあらゆるところにおいて後継ぎがいない、事業を引き継ぐふさわしい人がなかなか見つからないという問題があり、人手不足が拍車をかけて、事業を止めざるをえないという深刻な課題が生まれています。

 教会やキリスト教も例外ではなく、牧師になる人が少なくなり、教会員の減少が拍車をかけて、無牧の、専任の牧師を招聘できない教会が増えていて、教会・伝道所が130近く所属している九州教区においても、30近くの教会・伝道所が無牧になっているという深刻な状況があります。

 

 パウロも、この後継者の課題に直面させられていることを本日の箇所において書いています。つまり、この時、パウロは、老齢になり、そして、捕らえられて牢屋に入れられ、死刑が執行されるのではないかという危機に直面しています。

 パウロの想いには、そんなに長くは、福音の宣教は続けられなくなるのではないか、そうなったら、福音が途絶えてしまうのではないかという不安があり、そしてその不安に拍車をかけているのが、後継者として期待している、弟子テモテに対して感じている一抹の不安や懸念でした。

 その一抹の不安や懸念を感じるのはテモテの信仰であり、最初のころの、燃えて、生き生きとして、積極的になって、福音宣教に邁進し、力強く生きている信仰が消え、燃え尽き症候群みたいになり、弱くなり、生ぬるく、熱くも弱くもなく、何か中途半端な、後ろ向きな、消極的な姿を感じさせているテモテの姿があったからであり、その姿に不安を感じて、テモテを励まし、再び燃える思いが生まれるようになり、福音の宣教が途絶えることがないようにという切迫した想いをパウロは伝えようとしています。

 このテモテの姿に信仰の難しさが現されており、最初の救われた喜びや感謝そして希望を保ち続けていくのは本当に難しく、さまざまな苦難や試練などが誘惑となり、日々祈り、聖書に聞き入り、神のみ言葉を聞くという基本的な信仰者としての行為を続けていくことが困難になることが示さていて、この試練や誘惑は、私たちにおいてもよく起こりうることではないかと思います。

 

 テモテが直面していたのは、恥ずかしいという想いを強く感じていることでした。彼は福音宣教に従事することを恥ずかしく感じるようになって、それが誘惑となって、信仰が弱くなっていたということです。

 恥という感情は、私たちの生き方や行動規範に大きな影響を与えます。恥を感じなければ、例えば、「赤信号みんなで渡れば、怖くない」みたいな、みんなもやっていることだからと思えば、悪いことでも平気で行えたり、反対に、素晴らしく、善いと思われることでも、自分一人だけしか理解しない、多くの人が反対し馬鹿にしていると思えば、恥ずかしさがうまれ、その生き方や行動を止めてしまう力になったり、場合によっては、辱めを受けたという想いが絶望をもたらし、生きる力を奪うことも少なくなくありません。

 テモテは、この時恥の感情にすごくとらえられていたようです。つまり福音を宣教していくことが非常に恥ずかしいと思っていたということです。

 

 どういうことかいうと、一つはパウロが捕らえられて、牢屋に入れられ、命の危機にさらされているという悲劇でした。

 大伝道者であり、すごい働きをしていて、多くの人を救い、多くの教会を建て、まさに生ける神に選ばれ、遣わされ、祝福されているパウロが、どうして捕まり、牢屋に入れられ、命の危機にさらされる絶望的な状態に置かれていることが、テモテには理解できなかったかもしれません。パウロにはいつも大いなる生ける全能の神が共にいて、今日まで守ってくれていたはずではないか。しかし、パウロは牢屋に入れられ処刑されるかもしれない危機にさらされている。生ける神は助けて下さらないのか。守ってくださらないのか。そう思い、自分はどうなるのか、自分もいつか同じ悲惨な状態に置かれるかもしれないと思い、そうなったら、みんなから馬鹿にされるのではないかという恥ずかしい感情が生まれていたようです。

 それに拍車をかけていたのが、福音そのものを恥じる想いです。つまり、生ける神は、罪人を救うために救い主イエスを遣わし、十字架につけられ、三日後に復活させられたのであるという福音に対して、多くの人々が否定し、罵倒し、復活などあるものか、そのようなことを信じることほど愚かなことはないという意見を左右され、恥ずかしさを感じるところがあったかもしれない。

 その恥ずかしい感情から、勇気がくじかれ、弱気にとらえられ、福音に立つ想いも弱くなり、福音を通して与えられる力強さが失われ、キリスト・イエスを通して現れた神の愛、神の慈しみ、神のすべての人を憐れみ、赦すという神の救いへの愛が弱くなり、そのような中で、思慮分別の知恵もなくなり、迷いが生まれ、どのようなことが悪いことであり、善いことである判別がなくなり、善いことと思ったら、どんなに反対されたり、嘲笑されたりしても、それにめげずに、突き進んで行くという勇気がなくなっていたようです。

 

 そう思ったパウロは、「神はおくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊を私たちに与えてくださったのです。だから恥じてはならいし、神の力に支えられて、わたしと共に苦しみを忍んでほしい」と訴え、励ましています。

 パウロは、訴えます。力強く、確信をもって訴えます。「恥じてはならない。私は恥じない」。なぜなら、ゆだねられているこの福音は、自分自身の思いや考え、理念からではなく、人間によるのでもなく、そうではなくて、神からのものであり、神の計画と恵みによるものであり、生ける全能の神がずっと昔から計画してきたものである。すべてを支配し、創造主なる神、不可能を可能にし、絶望を希望に変え、死んだものに命をお与えになる、生ける神によって計画された、人間を救うという福音である。だから、この世において、最も確かで、確実で、信頼できることのひとつである。これが私たちが宣教している福音である。

 私たちが委ねられているこの福音を、生ける神は、必ず守り、支え、祝福し、豊かな実りを結ばせられる。だから、絶対裏切られない。絶対後悔しない。絶対無駄になることはない。必ず、万事を益としてくださる。

 だから私は福音を恥じないし、誇りに思っているし、真の希望に生きている。命を与える、不滅の命を与える、死んでも生きられる命、永遠の命に生きられる。そんな尊い素晴らしい命、かけがえなさを持つ、比較できない、唯一の価値ある命をもたらす。これが福音、委ねられている福音である。

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7月7日 ≪聖霊降臨節第8主日礼拝≫『すべての人を喜ばせる』 コリントの信徒への手紙一 10章 23節~11章1節 沖村 裕史 牧師

■一神教と多神教

 前にも一度ご紹介したことがありますが、塩野七生の著書に『ローマ人の物語』という、文庫本43冊のシリーズがあります。聖書の背景となった世界を理解する上で大変よい本ですが同時に、わたしたちの信仰について、いろいろなことを考えさせてくれる本でもあります。

 その中で、ユダヤ人とギリシア人とローマ人の違いが、こうまとめられていました。人間の行動の規範・基準を、宗教に求めたのがユダヤ人、哲学に求めたのがギリシア人、法律に求めたのがローマ人である、と。

 「宗教」とはこの場合、神の掟、戒め、もっと広く言えば神の言葉ということです。そこに、人間の行動の規範を置いたのがユダヤ人であり、だからこそユダヤ人の間に、神の言葉を記した聖書が生まれました。ところが、ギリシア人やローマ人はそういうものに規範を置きません。ギリシアやローマに宗教がなかったわけではありません。たくさんの神々が信じられ、神殿があり、礼拝が行われていました。しかしギリシア人やローマ人は、そこに人間の行動の規範があるとは考えませんでした。人間は神々の教えに従うべきであるとは考えなかったのです。神々は人間が従うべき主、規範ではなく、人間の営みを見守る、別の言い方をすれば、願いを叶えるだけの存在でした。

 若松英輔に「願いと祈り」という一文があります。

 「…願うのは悪いことではない。願わずにはいられない、そうした局面に追い込まれることは人生に幾度でもある。しかしそんなときでも、私たちは聞く耳は封じない方がよいのではないだろうか。求めていることは思いもよらない場所からやってくるかもしれないのである。

 神仏は、人間が思っているよりもずっと、私たちのことを知っている。宗派を問わず聖典、経典と呼ばれるものを繙(ひもと)くと、そうしたもう一つの現実が描き出されている。神仏は、人間が感じている以上に、私たちの苦しみ、悲しみ、嘆きを深く受けとめているのである。だが、そのことを深く実感できない人間は、不安に耐え切れず、分かっているはずの状況を神仏に説明しようとする。説明する自分の声が、彼方からの無音の声をかき消しているのに気が付かないまま語り続けてしまう。」

 ここに、ユダヤ的一神教とギリシア・ローマ的多神教の違いがあります。一神教と多神教の違いは、神が一人であるか多数であるかという数の問題と言うよりも、人間に従うべき規範を与える神と、人間を見守る、願い事を叶えるだけの存在である神との違いだと言ってよいのかもしれません。そこに、一神教と多神教のすれ違いが生まれます。そしてそれこそ、わたしたちがこの社会の中でクリスチャンとして生きていこうとする時に経験する、すれ違いでもあります。わたしたちはイエス・キリストを信じ、主なる神に従って生きようとします。それで、例えば神道の結婚式や仏教のお葬式に列したときにも、そこで柏手(かしわで)を打ったり、手を合わせて拝んだりすることに抵抗を覚えます。ところが周囲の多くの人は、そのことを信じるとか従うとかいう感覚を全く持たずに、そうしています。そのため、わたしたちが拘(こだわ)っていることをなかなか理解してもらえません。

 キリスト教は、神の言葉こそ人間の行動の規範であるとする旧約聖書の、ユダヤ教の伝統を受け継ぐ一神教です。ところが、そのキリスト教の中に「すべてのことが許されている」という考え方が生まれてきました。それは突き詰めて言えば、神の掟、戒めをもはや人間の行動の規範としない、神の戒めに縛られないで、人間が自分で判断し、自由に生きるのだということであって、ユダヤ人には受け入れることのできない考え方です。ところが、基本的にユダヤ教と同じ流れの中にあるはずのキリスト教会の中に、こうした教え、考え方が出て来ました。

 最初期の教会の指導者であり、コリント教会の創立者であるパウロ自身がそうです。パウロがここで「すべてのことが許されている」という言葉を引用しているのは、「そんなことはとんでもない間違いだ」と言うためではありません。むしろ、彼はこのことを「その通りだ」と受け入れています。それを受け入れた上で、「しかし」と言って、ある「但し書き」を付け加えているのです。

 それはどういうことでしょうか。パウロは、ユダヤ人でありながら、神の言葉を人間の生活の規範とするユダヤ的な一神教の信仰を捨ててしまったのでしょうか。ギリシア、ローマの人々のように、人間のことは人間が自分で決める、神は、時に人間の世界に介入をすることはあっても、基本的にはただ見守っているだけの存在だ、という多神教的世界観に妥協してしまったのでしょうか。

 

■他人(ひと)の利益のために

 この問いを念頭に、パウロが「すべてのことが許されている」という教えに付け加えた「但し書き」から読んでいきたいと思います。23節、

 「『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことが益になるわけではない。『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない」

 すべてのことが許されている、確かにその通りだ。しかし、その許されていることすべてが益になるわけではない。すべてがわたしたちを造り上げるわけではない。だから「益になる、造り上げる」ということを基準に判断していくべきだ、とパウロは言います。その「益になる」とは、「自分」の益になるかどうかということではありません。24節、

 「だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」

 「益になる、造り上げる」というのは、「他人(ひと)」の益になること、「他の人」を造り上げることです。すべてのことが許されている中で、そのことをこそ追い求めなさい、とパウロは言います。その具体的実例が25節以下です。

 「市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい」

 これは、偶像に供えられた肉であっても、気にすることなく食べてよい、ということです。その理由が26節、

 「『地とそこに満ちているものは、主のもの』だからです」

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6月30日 ≪聖霊降臨節第7主日礼拝≫『主の食卓に来なさい』 コリントの信徒への手紙一 10章 14~22節 沖村 裕史 牧師

■神殿レストラン

 冒頭14節、

 「わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい」

 パウロが偶像礼拝にこだわり、それを避けるようにと教えているのは、コリントの教会の人々の中に偶像礼拝に参加している人がいて、しかもそのことが周りの人々に影響を及ぼしていたからです。8章10節にこうありました。

 「知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いているのを、だれかが見ると、その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか」

 「偶像の神殿で食事の席に着いている」。これが偶像礼拝に参加するということです。ギリシア、ローマの世界には、様々な神々の神殿があり、そこには様々な偶像が祭られていました。そしてその神殿で、神々の像の前で食事の席を設け、そこに親戚や友人を招待することがしばしば行われていたのです。

 その様子について、関西学院大学教授で、京都大学でも教鞭を取る浅野淳博が「神殿レストラン」と題して、こんな一文を記しています。

 「じつに異邦人たちの食事は、ユダヤ人が偶像崇拝と見なす要素に溢れていた。コリント市中から北西500メートルほどの場所に、癒しの神アスクレピオンを祀った神殿があった。レルネーの泉が湧く中庭を柱廊が囲み、その脇の三部屋は食堂として機能していたようだ。そこでは、宗教儀礼の一環として食事が振る舞われることもあったし、それ以外に富裕層が誕生日の祝い等を行うこともあった。とうぜんそのような行事でのメインディッシュは、神殿に捧げられた肉だった。あるいはコリント城壁の外を〔コリント地峡のイタリア側の港である〕レカイオン通り沿いに2キロ半下ったところには、アフロディテー神殿に隣接するレストランがあった。ぺリアンドロスたる人物は、このレストランに友人を集めてもてなす前に、アフロディテー神殿で犠牲を捧げている(プルタルコス『七賢人の饗宴』146de)。おそらくペリアンドロスは、この犠牲の肉を友人らに振る舞ったのだろう。

 このような生活が身に染みついているコリントの異邦人キリスト者にとっては、なぜユダヤ人キリスト者が食事にそこまで目くじらを立てるか理解が困難だったろう。一方でユダヤ人キリスト者にとっては、なぜ異邦人キリスト者が神殿での食事を含めた肉食にそこまで無頓着でいられるかを理解しかねただろう。そのような状況でパウロは、互いを配慮し合う愛をもって両者のあいだに一致をもたらそうと苦慮したようだ(1コリ8:1)」(『新約聖書の時代』教文館)

 そうです。パウロはそうした事態を見つめつつ、8章1節で「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」と語ったのでした。知識とは、神はただお一人であって、偶像など神でも何でもない、ただの人形と同じだ、だから神殿に供えられた後、市場に出回っている肉を食べても何の問題もない、というものでした。ギリシア人信徒たちがその知識を持っているのはよいが、それを他の人にひけらかしたり誇ったりするのであれば、その知識は人を高ぶらせ、弱い人を傷つけるものとなってしまう。正しい知識に愛が伴わなければ、かえって有害なものになってしまうのだ、とパウロは言います。それは、信仰によって自分に与えられている権利や自由を、そうは思わない兄弟への配慮、思いやりのために制限し、放棄するということでした。

 それで、パウロは「偶像礼拝を避けなさい」と言います。

 

■逃れる道—コイノーニア

 この「避ける」と訳されているギリシア語のもともとの意味は、「逃げる」です。偶像礼拝から逃げなさい。それが本来の意味です。実際、そう訳している翻訳もあります。そのことに気づかされて、すぐ思い出すのは直前13節の言葉です。

 「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」

 「それ(試練)に耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」。ここでパウロが言う「試練」とは何でしょうか。パウロは神の民イスラエルの歴史を振り返りつつ、7節で、それは「偶像礼拝」のことだ、とはっきり言います。真の神によって奴隷の状況から引き出されていながら、指導者モーセが神から「十戒」を授けられていたその足元で、自分たちの気に入った偶像を造って、座って飲み、立って踊り狂っていました。実に、最大の「試練」はそこにあったのでした。

 もしかすると、わたしたちはそのことに気づいていないかもしれません。辛いと思ったり、逃げたいと思ったり、もうこれ以上はたくさんだと思ったりする「試練」は、人それぞれでしょう。しかし、パウロが今、わたしたちに問うているのは、たとえわたしたちがどんな試練を経験しようとも、その最も深いところで遭っている「試練」とは何か、ということです。そしてそれは、真実な神を捨てること、偶像を求めることだ、というのです。

 そう問われて、わたしたちは「そうだ、そのとおりだ。だから偶像礼拝と戦わなければならない」、偶像を叩きつぶし、偶像礼拝を勧める人々と対決しなければならない、そう勢い込んで考えるかもしれません。

 しかしパウロは言います、「偶像礼拝を避けなさい」と。神が備えてくださる逃れの道があるのだから、そこに逃げ込んだらいい。パウロは、そうわたしたちに教え諭すのです。

 では、その「逃れの道」とはいったい何でしょうか。パウロは、そのことをよく分かってもらいたいと思ったのでしょう、15節でとても丁寧な言い方をしています。

 「わたしはあなたがたを分別ある者と考えて話します」

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6月23日 ≪聖霊降臨節第6主日/トリニティ(三位一体)「家族」礼拝≫『エヴォンゲリオンって、何?』『イエスさまは危険人物?!』 マタイによる福音書 5章 38~48節 沖村 裕史 牧師

≪お話し(こどもとおとな)≫

■「エヴァンゲリオン」は「よい知らせ」

 イエス・キリストの生涯(しょうがい)をくわしく書いているのが、新約(しんやく)聖書(せいしょ)の最初にある四つの「福音書(ふくいんしょ)」だってこと、知っていますか?聞いたことある、教えてもらったという人も結構(けっこう)いるんじゃないかな。その四つの福音書の中で、最初に書かれたのが「マルコによる福音書」だって言われていて、そこにはこう書き始められています。

 「神の子イエス・キリストの福音の初め」(マルコ1:1)

 これは、「これから書こうとしているのは、神様のこども、イエス・キリストの福音についてだ。その始まりはこうだ」っていうこと。新約聖書は、もともとはギリシア語で書かれていて、「福音」という言葉のギリシア語は「ユウアンゲリオン」。「ユウ」は「よい」、「アンゲリオン」は「知らせ」で、「よい知らせ」という意味になります。「イエス・キリストのよい知らせの始まり、始まり~!」ってことだね。

 

■アニメ・『ヱヴァンゲリヲン』

 そして、「福音(よい知らせ)」=「ユウアンゲリオン」の英語読みが「エヴァンゲリオン」です。

 「エヴァンゲリオン」。50代以下の人で、この言葉を知らない、聞いたことがないって人はまずいないでしょう。『エヴァンゲリオン』というのは、1995年から1996年にかけてテレビで放送(ほうそう)された、ぜんぶで26話(わ)のテレビアニメのタイトルです。放送された後、2021年までの間に7本のアニメ映画がつくられ、日本の第3次アニメブームのきっかけになりました。その影響(えいきょう)は今では日本から世界へと広がっています。

 今から見てもらうのはその映画の一つ、2007年9月に上映(じょうえい)された『ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序(しんげきじょうばん・じょ)』の最初のところ。あらすじはこうです。

 ときは2015年、人類(じんるい)は、南極の氷が溶け出して海水面が上昇(じょうしょう)し、世界中の多くの都市が海の中に沈んでしまうセカンド・インパクトと呼ばれる世界的危機(きき)から、ようやく立ち直ろうとしていました。

 そこに登場するのが主人公の碇(いかり)シンジ。両親と離れて暮らす14歳の少年です。自分の存在価値(そんざいかち)を見いだせない彼はこの先、誰とも関(かか)わらず、孤独(こどく)に生きていくことになる、そう思っていました。この物語は、そんな寂(さみ)しい少年シンジが父親に呼び出されて、箱根(はこね)の山の中に建設中(けんせつちゅう)の未来都市(みらいとし)、第3新東京市を訪れる所から始まります。

 何も知らされないまま迎えを待つシンジの前に、正体不明(しょうたいふめい)の巨大生物が突然(とつぜん)現れます。それは「使徒(しと)」と呼ばれる、人類を襲(おそ)う未知(みち)の生物でした。シンジを迎えにやってきたのは葛城(かつらぎ)ミサト。彼女は、国連直属の「特務機関(とくむきかん)ネルフ」と呼ばれる、使徒殲滅(せんめつ)のための秘密組織の職員でした。見ず知らずの大人に連れられシンジは、ネルフの奥深くにある第7ケージまでやってきます。そこに待っていたのは、父親である碇ゲンドウと、エヴァと呼ばれる「汎用(はんよう)人型決戦兵器人造人間」のエヴァンゲリオンでした。

 街を破壊(はかい)していた「使徒」を、このエヴァに乗って殲滅する。それがシンジに与えられた父からの任務(にんむ)でした。いきなりの任務にパニックになるシンジ。エヴァへの搭乗(とうじょう)を拒否(きょひ)します。そこで父ゲンドウは、実験で怪我(けが)を負ったもうひとりのパイロット、綾波(あやなみ)レイを呼び出します。自力(じりき)で立つこともできない少女がエヴァに搭乗しようとする姿を見たシンジは、エヴァに乗って戦うことを決意します。こうして初めてエヴァに乗り、命(いのち)からがら使徒を殲滅するシンジでした。

 では、ここまでのシーンを見てもらいます。

 さて、エヴァに乗れるのは、特務機関ネルフに認められ、エヴァと交信のできる、ごく一握りの少年少女だけ。はたして彼らは使徒の企(たくら)みを阻止(そし)して人類を救うことができるのでしょうか。結末(けつまつ)は、どのようなエヴァンゲリオン、「福音」になっているのでしょうか。

 このアニメ、「使徒」だの「アダム」だの「死海文書(しかいぶんしょ)」だのと、新約聖書のキーワードに満ちあふれています。また登場する「使徒」にはそれぞれ名前がつけられていますが、その名前のすべて、聖書偽典(ぎてん)と呼ばれる文書(ぶんしょ)のひとつ、エノク書に出てくる天使の名に由来(ゆらい)しています。これ以外にも、聖書に由来する言葉がたくさん出てきますが、大切なのはやっぱり「エヴァンゲリオン」です。「福音」「よい知らせ」です。

 

■あなたのことを愛してる!

 聖書の「よい知らせ」って何でしょう。神の子であるイエス・キリストが、悪の支配を打ち破り、すべての人を罪から救い出し、苦しみや悲しみ、不安や恐れから解放してくださるってことです。イエスさまが告げられた福音、それは「神の国が近づいた」ということでした。「神様の愛の手が、神様の救いが今ここにもたらされている」という、新しい世界、救いの到来を告げる「よい知らせ」のことです。そんな福音の言葉が、さっき読んだ聖書の中にもありました。45節のイエスさまの言葉です。

 「父は悪人(あくにん)にも善人(ぜんにん)にも太陽を昇(のぼ)らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降(ふ)らせてくださる」

 神様は、いのちを与えてくださった人すべてに、分け隔(へだ)てなく、どんな人にも愛を注ぎ、恵みを備(そな)えてくださってる、って言います。「こんなわたしなんか」「だれも愛してくれるはずない」と、自分のことを大切にできずにいるわたしたちに、神様は「あなたのことが大切」「あなたのことを愛してる!」って言ってくださるのです。そして、だから「あなたも、今、嫌っている人のことを大切にしてほしい」「互いに大切にし合って、平和に暮らしなさい」と教えてくださるのです。それこそが「イエス・キリストの福音」でした。そんな「福音」をもたらして人類を救うという意味で、アニメの「エヴァンゲリオン」というネーミングはぴったりのものでした。

 

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6月16日 ≪聖霊降臨節第5主日礼拝≫『試練に耐えられるよう』 コリントの信徒への手紙一 10章 1~13節 沖村 裕史 牧師

 

■変わることのない恵み

 パウロは今、イスラエルの歴史の出発点であり、神の救いの御業の一つであった「出エジプト」の出来事に、コリント教会の人々の目を向けさせます。1節後半から4節です。

 パウロはまず、「わたしたちの先祖」が「雲の下」で「海を通り」、「雲の中、海の中」で「モーセに属するものとなる洗礼(バプテスマ)を授けられ」た、と語ります。「雲の下」とは、神の支配の下、神と共にあることを意味し、おそらく、エジプトを脱出したイスラエルの民の行く手を導いた「雲の柱」のことがイメージされているのでしょう。続く「海を通り抜け」「海の中」とは明らかに、前は海、後ろからは追い迫るエジプト軍という絶体絶命のピンチの時に、神が海を二つに分けて道を与えてくださり、海の底の道を通って向こう岸へと逃れることができたこと、またその後を追ってきたエジプト軍の上に海が返り、彼らが海に飲み込まれて全滅してしまった、あの「葦の海の奇跡」のことを指しています。イスラエルの民は神の御業によってエジプトの奴隷から解放され、救われました。そのことが彼らの受けた洗礼だったと言われます。そのいずれもが神による恵みの御業だからでしょう。

 その洗礼にあずかった者たちが、「皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました」。天からのパンであるマナと岩から湧き出た水という霊的な食物と飲み物に養われつつ、荒れ野を歩んでいきました。イスラエルの民も洗礼を受けた者として、霊的な食べ物、飲み物である聖餐にあずかりつつ歩んだのだ、と言います。パウロは今、イスラエルの民が体験したエジプトの奴隷状態からの救いと荒れ野の旅路とを、洗礼を受けてイエス・キリストの救いにあずかり、聖餐によって養われつつ歩むコリント教会の姿に重ね合わせています。

 その上で「彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでした」と続けます。イスラエルの民が荒れ野で渇きのために死にかかったその時、不思議な神の備えによって水を与えられました。それは、神がイスラエルの民を選び、これを支え導いてくださったのだということです。荒れ野の旅の初めにシフィディムで岩から水が与えられ(出17:1-7)、旅の終わりにはカデシュで岩から水が与えられました(民20:7-13)。そればかりか旅の間にも、イスラエルの民がモーセに「我々を渇きで殺すためにエジプトから連れ出したのか」と詰め寄る場面が何度も出てきますが、その度に神は、岩から水をほとばしり出させる奇跡によって民の渇きを癒してくださいました。その旅のすべてを振り返った時、「岩が離れずついて来た」という言葉が自然に出てきたのでしょう。神は至る所で、思いもかけない仕方で水を備えてくださったのです。荒れ野の旅の初めから終わりまで、神の恵みが覆い包んでいたということです。「皆、同じ」霊の食べ物と飲み物にあずかったということ、それは、イエス・キリストにまで貫かれる神の恵みに対する信頼、信仰を告白する言葉でした。

 このパウロの言葉がわたしたちにも向けられています。イスラエルの民とコリント教会の人々に備えられた神の恵みが今、わたしたちにも注がれているのです。そのことに気づかされるとき、「この岩こそ、キリストだったのです」というパウロの言葉が心深くに響いてきます。

 

■神の警告

 ところが、この後(あと)一転、終始変わることのない神の恵みとはあまりにも対照的な、イスラエルの民の離反が、わたしたちの罪が浮きぼりにされます。5節です。

 神の恵みの中で、イスラエルの民の荒れ野の旅は始まり、その歩みは続けられました。わたしたちの先祖は「皆」、洩れなくこの神の恵みを受けたのに、「同じ」霊の食べ物と飲み物を受けたのに、「しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました」。「しかし」というパウロの言葉に心が抉(えぐ)られるようです。

 考えてみれば、パウロが荒れ野の旅の始まりに筆を走らせたのは、変わることのない神の恵みに、わたしたちの目を向けさせるためでした。しかしそれはまた、この神の恵みの下で人間がどのような歩みをしたのかということを語り始めるためでもありました。パウロは今、神の恵みを指し示しつつ、その一方でイスラエルの民の罪を、人間の罪を具体的に描き出すことによって、厳しい神の警告を告げます。

 「これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために」

 洗礼を受けた者として聖餐にあずかりつつ生きるコリント教会の人々、このわたしたちを戒めるための言葉です。洗礼を受け、礼拝を守り、聖餐にあずかっているから、もうわたしたちは救われている、もう大丈夫、安心だという訳にはいきません。同じように洗礼を受け、聖餐にあずかっていたイスラエルの民が御心に適わず、滅ぼされてしまったという事実がある、とパウロは警告します。

 そして、彼らは「悪をむさぼった」と言います。この「むさぼる」という言葉からすぐに思い出す場面があります。荒れ野の旅をしたイスラエルの民は、彼らを養うために神が備えてくださったマナに満足することができませんでした。

 「民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、イスラエルの人々も再び泣き言を言った。『誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない』」(民11:4-6)

 食べ物のためには奴隷であることをも厭わず、今ここに備えられているものにも満足できず、むさぼり続けるイスラエルの民の姿を笑うことなど、誰にもできないでしょう。荒れ野の旅は神の恵みに包まれ、その恵みに貫かれてはいますが、それは人間がいつも快適な状態に置かれるということではありません。

 神の恵みの下に置かれるということ、その恵みによって生きようとすることは、新しい困難と断念を伴うことでした。マナは一日分ずつ、日毎に必要な分量しか与えられませんでした。与えられたものに感謝して生きることを知らずに、貪欲にむさぼり続けることは、世界を支配しておられる神を否定して、世界を自分の支配下に置こうとすることです。

 神はしかし、この肉を求めて泣く、イスラエルの民の訴えを聞かれます。ある日、主のもとから風が起こり、大量のうずらが吹き落とされ、民は二昼夜がかりでそれを拾い集めるほどになります。そのうずらの山に埋まりながら、彼らはそこで滅ぼされるのです。

 WWF・世界自然保護基金と英国の小売り大手テスコが2021年7月に発表した報告書によれば、世界で栽培生産された全食品の内の約40パーセントに当たる25億トン—20億人分の食料が廃棄されていたと言います。これは食品ロスの主な指標とされる国連食糧農業機関(FAO)が2011年に発表した、年間約13億トンの約2倍の量に当たります。日本も、2021年度の農林水産省の調査によれば、一年に523万トンの食糧が廃棄される、飽食国家のひとつです。食だけではなく、「消費社会」の中に生きるわたしたちはこぞって、次から次へと物を「むさぼる」ことに汲々としてはいないでしょうか。

 思えば、わたしたちが求めるものを神は与えてくだったのです。神は、わたしたちの欲望を満たすものを飽きるほどに与えてくださった、と言えるのかもしれません。しかしそのむさぼりの中に、わたしたちへの裁きが待っている、とパウロは警告します。

 

■神への反逆 Continue reading

5月5日 ≪復活節第6主日礼拝≫『自由な者として』 コリントの信徒への手紙一 9章 1~18節 沖村 裕史 牧師

 

■…ではないのか

 今日のわたしたちにとって、自由ほど魅力的な言葉はないでしょう。生活のあらゆる面でわたしたちは縛られたり、制限されているように感じています。自分の自由に生きられたらどんなによいだろうか、と誰しも願っているのではないでしょうか。自由と権利を最大利用するのが、現代人の生き方です。

 しかしパウロは、使徒としての「権利」を用いません。ご自分の「権利」を犠牲にしてくださったイエス・キリストに従うことを通して、「自由にされた者」としてのパウロの姿を、今朝、9章の中にはっきりと見ることができます。

 パウロはこの自由と権利について、何と語っているでしょうか。1節、

 「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか」

 これを原文で読むと、否定を表す言葉、英語の“not”が冒頭に置かれています。「わたしは自由な者ではないのか。わたしは使徒ではないのか」といったニュアンスです。「ない」が強調された、いささか興奮気味の様子です。少し感情を高ぶらせた普段とは違う語り方、挑戦するような口調で、パウロは語りかけています。

 パウロが感情を高ぶらせていたのは、コリント教会の中に、彼が使徒であることに疑問を差し挟む人々がいたからです。それはある意味、無理もないことでした。使徒とは「遣わされた者」という意味の言葉で、イエス・キリストによって福音を宣べ伝えるために遣わされた人々のこと、直弟子であった十二人の弟子たちのことです。しかし、パウロはその一人ではありません。彼はと言えば、教会を迫害し、 イエスをキリスト、救い主と信じるこの新しい教えを撲滅するために必死になっていた、ファリサイ派のエリートでした。そんな彼の前歴を知る人々は、たとえ、その後の回心の事実を認め、信仰の仲間として受け入れはしても、「使徒」の一人として受け入れることができなかったのです。

 彼の働きには常に、疑いと不信、つまずきと妨げが付きまとっていました。自分が伝道して生まれたコリントの教会の中にすら、パウロが使徒であることに疑問を持つ人々が出てきているということが、彼の気持ちを高ぶらせます。彼は、1節で「あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか」と語り、2節で「他の人たちにとって わたしは使徒でないにしても、少なくともあなたがたにとっては使徒なのです。あなたがたは主に結ばれており、わたしが使徒であることの生きた証拠だからです」と語っています。そのあなたたちが、わたしが使徒であることに疑問を抱くとはどういうことか、というパウロの悔しい思いがひしひしと感じられます。

 

■使徒としての姿勢

 そのような批判に対して、パウロは「弁明」(3節)をします。弁明とは、自分の立場が誤解されたり、不当に曲げられたりしたとき、自分の立場を明らかにすることで、「言い逃れ」や「口実」とは全く別のことです。

 そこでパウロは、他の伝道者や使徒たちがしていることを、自分もする「権利」がないのか、と問いかけます。ここで重要なのは「権利」という言葉です。9章に何度も出てきます。その冒頭が「わたしたちには、食べたり、飲んだりする権利が全くないのですか」でした。食べたり飲んだりする権利を真っ先に取り上げます。

 ここに、8章からのつながりが見えてきます。8章には、偶像に供えられた肉を食べることについて語られていましたが、パウロの基本的な考え方は、偶像は神でも何でもなく、それに供えられた肉も、肉屋の倉庫につり下げられていたものと何の違いもないのだから、自由に食べることができるというものでした。しかしそれが結論ではありません。8章の最後13節でパウロは、「それだから、食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません」と自らの決意を語っています。

 信仰の知識さえ持てば、一旦偶像に供えられた肉でも気にせず、自由に食べることができます。しかし、その知識をまだ十分に受け止めることができず、どうしても気になって動揺してしまう、信仰の弱い兄弟姉妹がいる。その人々をつまずかせないために、自分は肉を食べることをやめる、と言います。

 そこには、自分が信仰によって得ている「自由と権利」、自由に食べたり飲んだりする権利を、 弱い兄弟姉妹のために「自分から制限し、放棄する」という、パウロの伝道者としての姿勢がはっきりと示されています。

 

■権利と自由

 自分が使徒であるということを弁明しようとするパウロが、自分に与えられている権利を語っていることの真意を、わたしたちはしっかり知らなければなりません。

 冒頭の1節で「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか」と言っていることが大切です。ここでパウロが見つめているのは、使徒とは自由な者であるということです。この「自由な」とは「解放されている」という意味の言葉です。 いろいろなものに囚われていない、あらゆる束縛から解放されている、それが自由です。

 その自由に生きることは、豊かな権利を持って生きることでもあります。「権利」という言葉は「権威」あるいは「力」とも訳せる言葉です。権威とは本来、何かをするための「正当性」のことを意味しています。8章の食べ物のことに関して言えば、信仰の知識によって、偶像に供えられた肉を食べても罪にはならないし、汚れたりもしないという正当性が示されます。それによって、これを食べたら汚れるのではないか、罪を犯すことになるのではないかという恐れから解放され、どんな肉も気にせず食べることができる自由が得られるのです。 Continue reading

4月28日 ≪復活節第5主日/春の「家族」礼拝②≫『ちょっとそこまで』 ヨハネによる福音書 16章 12~24節 沖村 裕史 牧師

 

■しばらくすると

 イエスさまが十字架につけられる前の夜のことでした。深い夜の闇の底で、張りつめた緊張を強いられていた弟子たちに、イエスさまが最後の教えを、別れの言葉を語っておられました。部屋を灯すオリーブランプの明かりは決して十分なものではありません。薄暗い部屋の外では、人々の敵意がその網を徐々に、しかし確実に狭めてきていました。事態が切迫していることは弟子たちにもわかっていたはずです。イエスさまはその弟子たちに、静かにこう告げられます。16節、

 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくするとわたしを見るようになる」

 この言葉が三度も繰り返されます。しかし弟子たちはこの言葉が理解できません。喉に刺さった魚の骨のように、もどかしく心に引っかかります。18節、

 「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう」

 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなる」。この言葉は、弟子たちにも察しのつくものでした。もう少しすると、わたしは十字架にかけられて殺され、姿が見えなくなる。そのことがもうすぐ起こる。でも、イエスさまが続けて「またしばらくすると、わたしを見るようになる」と言われていることの意味が分かりません。それでなくても、イエスさまを永遠に失ってしまうという予感に、その重さに押しつぶされそうな弟子たちはただ戸惑い、うろたえます。

 愛する人がいなくなる。支えとなる人の姿が見えなくなる。そればかりか、20節に「あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ」とあります。イエスさまを信じなかった者、イエスさまが語られた神様の恵みなど当てにもしなかった人たちが、それ見たことかと言って、あなたたちが泣き悲しんでいる姿を見て喜ぶと言われます。わたしたちの悲しみ嘆きは、そして世の喜びは一体、いつまで続くというのか。イエスさまが見えない。神様の恵みが見えない。神様が生きておられるということが分からなくなる、と言われます。

 そう思わずにはおれない深い嘆き悲しみを、わたしたちのだれもが味わったことがあるはずです。しかしそんなときにこそ、イエスさまがお声をかけてくださるのです。「またしばらくすると、わたしを見るようになる」。

 ほんの少しの間、ちょっとそこまで、と。

■ちょっとそこまで

 かつて日本中でごく普通に交わされていた挨拶に、こんなやりとりがありました。

 道でご近所同士がすれ違うと、片方が決まって尋ねます。

 「どちらへ?」

 尋ねられた人は、ほほえんでこう答えます。

 「ちょっとそこまで」

 なんということのないやりとりですが、いかにも奥ゆかしい挨拶です。近頃ではもう廃れつつある、でも失ってしまうのはいかにも惜しい気のする挨拶です。

 この「どちらへ?」という問いは、単なる好奇心によるものではありません。かつての地域社会、コミュニティーは互いに関心をもち合い、いざというときには助け合うことで成り立っていました。ですから、隣人がどこへ出かけるかを尋ねるのはごく自然なことで、むしろ声をかけ合うことが礼儀でもありました。

 「畑の草刈りなんですけど、これがなかなか大変で」と言えば、「それじゃ、後ほどお手伝いに寄りましょうか」となり、「母の具合が悪くて、しばらく実家に帰るところです」と言えば、「それじゃ留守中、ご主人とお子様大変でしょう。ときどきご様子を伺いにお寄りしますね」ということになります。つまり、この「どちらへ?」というさりげない問いには、「大丈夫ですか、何かお手伝いできることがありますか?」という温かい思いが込められています。

 それに対して、特別事情のないときには「ちょっとそこまで」と答えます。これは、「ありがとうございます。お手伝いいただくほどのことではありませんから、どうぞご心配なく」と感謝を込めて答えているのですから、「ちょっと」とはどのくらいの距離か、「そこまで」とはどこまでのことかなどと聞き返すのは、野暮というものです。

 尊敬していた先輩が重い病気になり、亡くなる直前にお訪ねしたことがあります。才能に溢れ、多くの仕事をこなし、みんなから愛された人でしたが、病に倒れました。自分の病気がもう治らないとわかってからも、何事もないかのように働き続けるその姿は清々(すがすが)しくさえありました。お訪ねしたわたしの重い気持ちを察してか、先回りしてこう言われました。

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