■はじめましょう
恐れと不安の中にあるとき、人は、ただうな垂れるばかりになります。しかし、そこにこそ本当の希望が、救いの道が示されます。そう申し上げると、いつも決まって帰ってくる言葉があります。「ああ、あなたはクリスチャンだったね。そんなきれいごと!他人事(ひとごと)だと思って!」。でも、本当のことです。以前、紹介したことのある末盛千枝子さんというカトリックの方が書いた一文をご紹介させてください。
「…2002年の春、長男はスポーツをしているときの事故で、胸から下が一切動かない、何も感じないという脊髄損傷になってしまいました。そのときのことで忘れられないのが、事故から数か月して転院した三つ目のリハビリ専門病院で出会った看護師さんのことです。
息子はほとんど絶望的な不安を抱いて、悲しそうな目をして、じっと耐えている様子でした。私自身も緊張して付き添っていました。病室に入り、しばらく待っていると、中年の小柄ですっきりした看護師さんが現れました。そして、自己紹介をしたあとで、彼女はまっすぐ息子の目を見て、『あなた、これから一生歩けないって自分でわかっているの?』と聞いたのです。
私は心臓が止まりそうでした。怪我をしてからの数か月、そのことはお互いにわかっていたけれど、このように尋ねられたことも、口に出したこともなかったと思います。祈るような気持ちで息子の答えを待ちました。彼は、うっすらと涙を溜めて、ハッキリと『わかっています』と静かに答えました。すると、その看護師さんは『そう、よかった、それなら話は早い。リハビリは本当に辛くて厳しいけれど、一生懸命手伝うから、一緒に頑張ろうね、さあ、はじめましょう』と言ってくれたのです。それから本格的なリハビリが始まりました。
息子は、下半身が一切動かないことに変わりはないものの、いまでは自分で車椅子とベッドの間を移動し、お風呂や洗濯も自分でするようになりました。そして、何よりもすばらしいのは、最近、彼がとてもいい笑顔を見せることです。まるで、一度死んだ息子を返していただいたようです」
「一度死んだ息子を返していただいた」。そんな体験を、パウロもまた味わいました。キリスト教徒たちを激しく迫害していたパウロが、復活のイエスさまと出会い、その罪を問われ、目が見えなくなり、真っ暗闇へと叩き落されました。しかしその闇の中で、パウロもまた「さあ、はじめましょう」と声を掛けられ、その暗い、暗い闇から救い出され、熱い思いをもって新しい道を、福音伝道の道を歩み始めたのでした。今日の言葉は、そんなパウロの体験を背景に語られています。
■パウロの伝道
さて、「さあ、はじめましょう」と声を掛けられたパウロは、コリントでの伝道をどのように始めたのでしょうか。1節にこうあります。
「兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした」
「優れた言葉や知恵を用いなかった」とパウロは言います。1章17節の「言葉の知恵によらないで告げ知らせる」と同じ、人間の知恵による巧みな弁舌によらずに伝道した、ということです。これは、負け惜しみの言葉ではありません。パウロという人は、優れた言葉や知恵を用いようと思えばいくらでも用いることができる人でした。彼はユダヤ人の中でも、律法を厳格に守ることに熱心なファリサイ派と呼ばれる人々の中にあって、当時の最高の教育を受けた人でした。そのパウロが、イエスをキリスト、救い主と信じる人々への迫害の先頭に立ち、まさに優れた言葉と知恵をもって、彼らがいかにユダヤ人の伝統を破壊する危険な存在であるかを、人々に説いて回っていました。彼の言葉によって、多くのユダヤ人たちが心を動かされ、クリスチャンは生かしておけないと考えるようになりました。彼は人々を説得し、納得させる弁舌の知恵と力を存分に備えた人でした。
その彼が、イエス・キリストと出会い、信じる者となり、その福音を宣べ伝える者となります。そのとき、彼は優れた言葉や知恵を用いることをやめたのでした。なぜか。続く2節です。
「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」
パウロが、優れた言葉や知恵を用いるのをやめたのは、「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい」という決意によってでした。コリント伝道はこの決意の下に始められた、パウロはそう告白します。
■パウロの決意
それにしても、何とも不思議な決意です。皆さんも可笑しな言い方だとは思われなかったでしょうか。「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい」。これが「これ以外、何も語るまい」という決意なら分かります。語ろうと思えばいろいろ語ることはできるけれど、それら一切を省いて、ただ十字架につけられたキリストに集中して、それだけを語ろうと決意した。これなら、すんなりと理解できます。しかし今ここで言われているのは、「十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい」です。どうしてそういう言い方をするのでしょう。これでは、新しい知識を一切受け付けようとしない、頑なな姿勢にも思えます。そもそもパウロはすでにいろんなことを知っています。十字架につけられたキリストのことしか知らないで生きることなどあり得ません。すでに持っている様々な知識を捨ててしまうことなどできるはずもありません。これはとても奇妙で、無理のある言い方です。
それでもパウロは、「これ以外、何も語るまい」ではなく、「これ以外、何も知るまい」と言う外なかったのです。「これ以外、何も語るまい」とは、話のネタ、自分の中に引き出しがたくさんあって、その中からどの引き出しを開けて話をしようかということです。しかしパウロのこの決意は、そういう取捨選択の問題ではありません。何を語るかという語り方の問題ではなく、生き方の問題として、生きるギリギリのところで、「十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい」という決意がなされたということでしょう。この決意はパウロ自身の生、生き方の根本に関わるものでした。
およそ「知る」という言葉は、聖書では、人間の生き方の深みに関わる言葉でした。聖書辞典に「知ることは(主を)信ずること、また(主と)一つに結ばれることと切り離せない」とあります。「知る」とは、単に知識を得るということではなく、何を信じ、何に依り頼んで生きるか、あるいは誰と出会い、誰と共に生きるか、ということでした。パウロはイエス・キリストと出会い、信じる者となり、その福音の伝道者となったとき、それまで持っていたいろいろな知識に加えて、イエス・キリストというもう一つの知識を得て、また一つ賢くなったというのではありません。そうではなく、彼の生き方の根本が変わったのです。これまで知っていたことのすべてが無に等しく思え、何を知って生きるかが変わったのです。その新しさをもって、彼はコリントで伝道を始めたのでした。
■衰弱、恐れ、不安
その新しさとは、どのようなものか。それを知る手がかりが、続く3節にあります。
「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」
この言葉はしばしば、使徒言行録17章から18章に語られるパウロのコリント伝道のときの事情と結びつけて理解されます。パウロはコリントに来る前に、アテネで伝道をしていました。その時、アテネの哲学者たちを相手に、彼らの言葉、哲学の言葉も引用しながら、言わば弁舌巧みにキリストを伝えようとしました。しかしパウロの話がキリストの復活のことになると、彼らはパウロを相手にせず、「いずれまた聞かせてもらおう」と軽くいなされてしまいます。パウロは、深い挫折感を抱いてコリントへやって来ていたのだ、それが3節の言葉の意味だ、そう説明されてきました。
しかしパウロの決意は、アテネでうまくいかなかったから、コリントではやり方を変えてやってみよう、というようなことではありません。「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」というのも、アテネで失敗したからではなく、むしろパウロの伝道にはいつも、この衰弱と恐れと不安がつきまとっていました。
その一つに、パウロ自身が抱えていた肉体的な弱さがあります。具体的にはわかりませんが、何らかの肉体的な問題、病気を抱えていたらしいことが、他の手紙から分かっています。彼はそれを、自分の身に与えられた「とげ」と言い、それを取り去ってくださるように熱心に神に祈った、すると神から、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」という言葉が与えられた、と語っています。確かに、そういう肉体の弱さを彼は背負って生きていました。
しかしそういう弱さだけが、この衰弱、恐れ、不安の原因なのではありません。なぜなら、イエス・キリストを信じる以前の、迫害者だった頃の彼には、そうした衰弱、恐れ、不安が全く感じられないからです。彼の衰弱、恐れ、不安は、彼の体の弱さからと言うよりもむしろ、彼が信じ、それによって生き、それを宣べ伝えている―キリストの福音によってもたらされている、と言えるのではないでしょうか。十字架につけられたキリストを信じ、そのキリストに依り頼み、そのキリストを宣べ伝えている―そのことが、衰弱と恐れと不安を、彼にもたらしていたのではないでしょうか。
■喜び、平安、希望
「えっ?それはちょっと…」、そう思われた方がおられるかもしれません。イエス・キリストを信じ、依り頼み、共に生きていくことが、どうして衰弱と恐れと不安をもたらすのか。それは、喜びと平安と希望をもたらす福音―喜びの知らせのことではないのか。そう思って信じているのに、それを求めるからこそ、礼拝に来ているのに…と。
けれども、イエス・キリストを信じる信仰とはそういうものであることを、わたしたちは知っておかなければなりません。この信仰に生きるということは、イエス・キリストを、それも十字架につけられたキリストを知り、信じ、共に生きることだ、とパウロは繰り返し教えています。十字架につけられたとは、死刑になったということです。生かしておけない罪人として人々から見捨てられ、拒絶され、殺されたのだ、ということです。侮蔑と恥辱に晒されたそのイエスを救い主と信じ、依り頼み、共に生きることが、ただちに喜びや平安や希望をもたらすのではありません。それは、自分がより立派になったり、高められたり、優れたよい働きができるようになったり、人々から認められ尊敬される者になったりするようなことではないからです。
むしろ十字架のキリストによって、わたしたちは自分自身の罪をはっきりと示され、知らされることになります。しかもそれが、わたしたちの努力や精進によっては解決しない、神の独り子イエス・キリストの十字架の死によってでしか、赦されることのないほどに深い罪であることを示され、知ることになるのです。
そう、十字架につけられたキリストは、わたしたちの自尊心、プライドを徹底的に打ち砕くのです。十字架につけられたキリストを知るということは、自分のプライド、誇りを否定されることです。それは、わたしたちにとって苦しいこと、恐しいこと、不安なことです。わたしたちは誰でも、自分の何らかのプライドにすがりついて生きています。他のことは駄目でも、これだけは…という誇り、プライドを持って、あるいはそれを持とうと、必死になって生きています。それを失ったら、自分を支えている土台がなくなってしまい、暗闇の中に真っ逆さまに落ちていってしまうのです。
イエス・キリストとの出会いによってパウロが体験したこと、目が見えなくなったということは、まさにそういうことでした。彼はそれまで、ファリサイ派の若きエリートとして、人々から将来を嘱望され、意気揚々と歩んでいました。彼を支えていたのは、神の律法を何の落ち度もなく守っているわたしは正しい者だ、という自信と誇りでした。そのように生きていた彼に、衰弱や恐れや不安など無縁のものでした。
しかし、あのダマスコへの道で復活されたイエス・キリストと出会い、自分が神の遣わされた救い主に敵対し、神の民の群れを迫害していたのだということを知らされたとき、彼は、それまで自分を支える確固とした土台だと思っていたものが、ガラガラと音をたてて崩れ去るという体験をしたのです。自分の誇り、プライドの土台が崩れ去り、奈落の底に落ちていくのを感じたのです。
そしてその時にこそ、彼はそんな自分をこそ支えてくださるイエス・キリストと出会ったのです。イエス・キリストが、神に敵対していた自分の罪をも、すべて背負って十字架にかかって死んで、赦してくださっている。その恵みが自分を支えていることを知った Continue reading →