福岡県北九州市にある小倉東篠崎教会

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今週の教え - Page 9

10月24日 ≪降誕前第9主日—朝拝≫ 『愛は裁きに勝る』 マタイによる福音書18章21~35節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■赦されるべきは?

 西宮に住んでいた頃のことです。今は広島大学の教授をされているT先生から中古のバイクをいただき、早速そのバイクに乗って、教会に向かって走っていました。と、右側後方から追いついてきたワゴン車が、ウィンカーもつけずに急に目の前で左折しました。危ない!なんてひどい運転をする人だろう。腹を立てて、追いかけて行って注意をしました。

 「危ないでしょう。あんな曲がりかたして」

 すると、「うるさい。バカヤロー!」なんて無礼な。

 それでわたしはどうしたか。スゴスゴとひき返しました。クヤシイ!でも、牧師になろうとする者がケンカするわけにもいきません。

 ある日、教会の駐車場に勝手に駐車した車の後ろに、教会の青年が駐車したまま、どこかに行ってしまいました。さて、前に駐車した人は出ようにも出られません。「カギを教会に預けないなんて非常識な!」と怒っていましたが、どちらが非常識なのか、よくわかりません。

 結局のところ、わたしたち人間はみんなエゴイストだということです。自分中心で、自分のしていることは正しくて、人のしていることは間違いだらけ。しかし、本当にいちばんひどいのは自分自身だ、とは気がつきません。

 旧約聖書にも、ダビデ王が預言者ナタンから、「それは、あなただ」と罪を指摘されるところがあります。サムエル記下12章の場面です。自分の部下ウリヤの妻を奪うために彼を戦場に向かわせて殺した、その罪をナタンから告げられるまで、偉大な王と言われたダビデでさえ、自分の過ちに気がつかなかったのです。

 ある時、イエスさまは、ファリサイ派の人の家に食事に招かれました。するとそこに、その町で「罪の女」というレッテルを貼られていた女が入って来て、自分の流す涙でイエスさまの足を洗って、それを自分の髪で拭い、そして足に接吻し、香油を塗りました。ファリサイ派の人は、そんなことを許しているイエスさまを軽蔑しました。するとイエスさまは、たくさんの借金を帳消しにしてもらった人と、少しだけ借金をしていてそれを帳消しにしてもらった人と、どちらが赦してくれた人をより愛するだろうかと、譬えを用いてお尋ねになりました。弟子のシモンが、「帳消しの額の多いほうだと思います」と答えると、この女性こそ、多く帳消しにしてもらったと思って誰よりも深く感謝しているのだ、と言われました。

 つまり、人を裁いている間は、自分こそいちばん赦されねばならなかった者だという自覚がないのだ、ということを示されたのでした。

 今、イエスさまが「七の七十倍するまでも赦しなさい」と言われる時、それは、赦す「忍耐」を求められたのではなく、実に、自分こそ裁く資格のない人間であることに気づけ、と言われたのではないでしょうか。

 

■我慢くらべじゃない

 とは言え、「七の七十倍するまでも赦しなさい」と言われると、わたしたちはどうしたらいいのだろうかと考え込んでしまいます。

 「我慢をしなさい。お互い人間なのだから過ちもあるだろう。赦してやりなさい」。イエスさまに教えられなくても、誰もが知っている知恵です。当時のユダヤ教の教師、ラビたちも民衆に意見を求められ、我慢して、耐えて、赦してやらなければいけないと教えたようです。でも、どこまで我慢したらよいのか。そのことが問題となりました。そこでラビたちは、「三回までは赦してやりなさい」と教えました。「仏の顔も三度まで」ということわざと同じです。三という数字は、完全数―聖なる数の一つです。三度までは神様も勘弁してくれるだろう。神様が赦してくださるなら、わたしたちも、そこまでは赦してあげなければならない。とはいえ限度があります。四度目になると、もう赦す必要はなくなる。そこまで寛容になる必要はありません。

 ペトロが「七回までですか」という問いは、この「三回まで」という世間の常識の超えるものでした。驚きの言葉です。イエスさまは、世間の常識よりももっと深い愛を説くお方だ。ペトロはそういうことを計算に入れて、少し先回りをして、先生に褒めてもらいたいと思ったのかもしれません。世間の人は三回までと言っているけれど、もっと増やして、七回まで赦してやればよいのでしょうか。七も完全数の一つです。七回も赦せば、完璧な赦しになると思ったのでしょう。

 ところが、イエスさまは「七の七十倍するまでも赦しなさい」とお答えになります。そしてその意味を説明するかのように、一万タラントンを赦した王の譬えをお話しになります。

 でもこの譬え話、七の七十倍するまでも赦すのはなぜか、ということの直接の説明にはなっていません。この話の中に、たとえば、ある人がペトロの言うように自分の仲間の罪を七回までは赦してやった。ところが、八回目の罪を重ねた時に、もう我慢ができなくて殴り倒してしまったか、牢獄に放り込んでしまったかした。そういう姿が描かれていて、それに対してもっと忍耐深く、もっと愛の大きな人が、それとは別に七の七十倍するまでも赦してやった。そういう話が語られているのではありません。

 もともと赦しは、道徳の問題―自分の徳の高さや寛容さの問題ではありません。一度しか赦せない人間よりも、三度まで赦せる人間の方が偉い。三度しか赦せない人間よりも、七回赦せる人間の方が偉い。七回しか赦せない人間よりも七回を七十倍するまで赦せる人間は偉い。そういう話ではありません。偉さの問題ではないのです。

 七の七十倍する、それだけの忍耐力を持っている人間が四百九十回は赦せたが、四百九十一回目の罪を重ねられた時には、どうするのか。七回我慢した人間が八回目にやり返すよりも、四百九十回我慢したときの報復の方がはるかに激しいかもしれません。わたしたち人間のすることは、そういうことでしかありません。こんなに我慢してあげているのに、まだ分からないのかということになってしまうのです。 Continue reading

10月17日 ≪聖霊降臨節第22主日—朝拝≫ 『天国に一番近い島』 マタイによる福音書18章10~20節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■天国の福音

 「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」

 この言葉は、永遠につながる喜びとは何か、救いとは何かについて、わたしたちに教えてくれます。

 イエスさまがわたしたちと共にいてくださる。それもただ、わたしたちの間にいてくださるというのではなく、原文のままに訳せば、わたしたちの「真ん中に/只中に、今も/これからもいる」と約束してくださっています。

 どこか片隅におられるというのではありません。優秀で熱心な人の近くにいて、何もできない人からは遠くにおられるというのでもありません。二人、三人の誰であれ、共に集うわたしたち一人ひとりのすぐ傍近くにいてくださる。それも、いつともわからない将来のことではなく、喘ぎつつも生きている「今このとき、ここに」共にいてくださる、と約束してくださっているのです。

 イエスさまのこの言葉は、わたしたちに「天の国」の福音を思い起こさせるものです。イエスさまがこの地上で語られた最初の言葉、「天の国は近づいた。悔い改めて、福音を宣べ伝えなさい」。これもまた、天国が、神の支配が、今ここに、もうすでにあなたのところに来ている、という喜びの知らせでした。

 

■孤島

 新藤兼人という映画監督をご存知でしょうか。女優・音羽信子の夫でもある新藤はかつて広島県の尾道という町に暮らしていました。そのこともあり、瀬戸内を舞台にした映画作品をいくつも残しています。その中に『裸の島』という、秀逸で、とても印象深い作品があります。1960年に上映された、台詞の全くない98分の映画です。

 舞台は、尾道から三原へと向かう途中、JRの電車の中からも見える、周囲約五百メートルの小さな島、瀬戸内海の孤島です。この島に、夫婦と二人の子どもが暮らしていました。島の土地は痩せていましたが、夫婦の懸命な努力で、波打ち際から島の上まで耕され、美しい段々畑になっていました。春は麦をとり、夏はさつま芋をとって暮す生活。ただ一番の問題は、島に水がないことでした。畑へやる水もなければ、飲む水もありません。来る日も来る日も、遥か向こうに見える大きな島から、テンマ船でタゴと呼ばれる桶に入れて運ばなければなりません。しかも、水を入れた桶を天秤棒に担いで、急斜面の小さな道を登って、島の中腹にある家まで運びます。厳しい陽射しの下、噴出す汗を拭くいとまもなく繰返される作業。夫婦の仕事の大半は、この水を運ぶことに費いやされました。

 子どもは上が太郎で、下が次郎。太郎は小学校の二年生で、大きな島まで通っています。ある日、子どもたちが一匹の大きな鯛を釣りあげました。夫婦は子どもを連れて、遠く離れた町、三原へ巡航船に乗っていきます。鯛を金にかえて日用品を買うためです。ささやかな喜びが画面いっぱいに溢れます。ところが、ある暑い日の午後、突然、太郎が発病します。テンマ船を必死に漕いで、その孤島にようやく医者が駈けつけた時、太郎はもう死んでいました。

 葬式が終りました。夫婦は何事もなかったかのように、いつもと同じように水を運び続けます。と、妻が突然、狂ったように畑の作物を全部、抜き始めます。訴えようもない悲しみを大地へ叩きつけるかのように抜き続けます。夫はそれを黙って、ただ見つめます。

 泣いても叫んでも、この土の上に生きてゆかなければならない。灼けつくばかりの小さな島にへばりつくようにして、今日も明日も、ただただ黙々と働き、生活をする家族の姿が、実に淡々と描かれます。そして最後に字幕が表れます。

 「天国に一番近い島」と。

 孤島での、この過酷な生活のどこが、「天国に一番近い」というのでしょうか。いぶかしく感じながらも、浮かんでくる映画の一場面一場面を思い出していて、ふと気づかされました。この上もなく貧しく、過酷な生活にもかかわらず、その様子が淡々と、実に淡々と描かれている。その淡々とした映像表現が、淡々としたものであればこそ、熱いものが胸の奥からこみ上げてくるようでした。その貧しさ惨めさにもかかわらず、いいえ、貧しく惨めだからこそ、そのような過酷な状況の中に黙々と生きる姿が、与えられたいのちを精一杯に生きているその姿が、とても美しい。そう思わされました。その美しさが、天国と重なってくる、そんな映画でした。

 

■神様の愛ゆえに

 イエスさまが語られた天の国の福音は、神様が「今ここに」共にいてくださっている、それも良いことばかりではなく、避けることのできない苦しみや悲しみに喘ぎつつも生かされ生きている、そんなわたしたちと共にいてくださっている、その真実をわたしたちに教え示そうとされるものでした。

 そして今日も、イエスさまは語りかけてくださいます。

 「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」

 あなたたちの中に、今、わたしはいる、そうイエスさまは言われます。 Continue reading

10月10日 ≪聖霊降臨節第21主日礼拝/神学校日≫ 『えこひいきされる神』 マタイによる福音書18章1~9節 沖村裕史 牧師

≪説教≫

■えらい、えらい

 7、8年前のこと、元旦礼拝が終わって、母が一人で暮らす実家に帰ったときのことです。実家は気楽です。上げ膳据え膳、ごろ寝でテレビ。さすがに気がひけて、母が出かけている間に、台所の食器洗いを始めました。めったにしないくせに、やるとなると変にこだわるのが男の家事の特徴で、食器を丁寧に洗い上げただけでなく、ナベやヤカンの底を磨き、シンクのゴミ受けまでピカピカにして、母の帰りを待ちました。母の驚く顔を楽しみにしながら待っていました。

 ところが、帰ってきた母はそれに気づきません。けなげな息子の渾身の努力も知らず、何事もなかったかのように夕食の支度を始めてしまいました。もちろん、母に悪気などありません。日常のことほど、言われなければ案外気づかないものです。

 しかしそのとき、妙に苛立ったのを覚えています。さりげなく、「ああ、お皿洗っといたよ」と言ってみましたが、「あらそう」と流され、余計に苛立ってしまいました。いい年をした息子は一体、何に苛立ったのでしょうか。

 物心つく頃の親のひと言は、その子の人生を左右するほどの力を持っています。なかでも、「えらいね」とほめられる体験は決定的な影響を与えます。「あら、よくできたねえ、えらい、えらい」。「おや、自分でパジャマ着たの、えらい、えらい」。「まあ、一人でお片づけしてくれたの、えらい、えらい」。そんなひと言で、幼い心はどれほど誇らしく満ち足りることでしょう。その甘美な経験は脳の中に、心の奥底に深く刻まれ、さらなる「えらい、えらい」を求めて必死に努力するようになります。

 ところが、大きくなれば世の中はそう甘くないことを知ることになります。もはや自分で服を着ても「えらい、えらい」とは言ってもらえず、がんばっていい成績を取っても言ってもらえず、職場でいい働きをしても言ってもらえず、牧師になっても言ってもらえず、シンクのゴミ受けをピカピカに洗っても言ってもらえません。

 どうやら、どんなに大人になっても、心の奥には小さな自分がいて、だれかに「えらい、えらい」と言ってもらうために必死になっているようです。あの正月の苛立ちは、いい歳をしてなお、母親の「えらい、えらい」を求める、切ない不満が原因でした。

 このときの弟子たちも同じだったのかもしれません。

 

■だれがいちばん偉いのか

 「弟子たちがイエスのところに来て、『いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか』と言った」

 マルコによる福音書によれば、イエスさまがご自分の受難を繰り返し教えているその道すがら、弟子たちは「だれがいちばん偉いかと議論し合っていた」と言います(9:33-34)。何と幼稚で、愚かなことを、と驚かざるを得ません。しかしそれでも、「だれがいちばん偉いのか」というこの問いは、弟子たちにとって、またわたしたちにとっても、とても重要な問いです。厳しい競争社会を生きる外ないわたしたちの心の奥深くには、とにもかくも、人から「えらい、えらい」と言われたいという切ない望みが渦巻いているからです。
 
ペトロがキリスト告白をした直後に、イエスさまの受難予告を聞いた弟子たちは驚き、その言葉を遮ろうとし、逆に「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」とイエスさまから叱責されました。イエスさまが苦難の僕としてのキリスト、救い主であるということを弟子たちが受け止めることができなかったのは、彼らのキリスト理解の問題であると同時に、それは、彼ら自身の生き方の中にある上位志向、権力志向の表れでもありました。だからこそ、弟子たちは、受難への道を歩まれるイエスさまのことを理解することができず、その後に従うこともできません。「だれがいちばん偉いのか」と問う弟子たちは、イエスさまからも、イエスさまを遣わされた父なる神からも、隔たり、対立することになります。

 

■子どもを真ん中に

 そんな弟子たちからの問いかけを受けて、イエスさまは一人の子どもの手を取り、彼らの真ん中に立たせます。

 その子は一体、どういう子どもだったのでしょうか。戦災孤児の一人ではなかったかという人がいます。今も変わらぬ、当時のパレスティナの歴史的な状況を思えば、大いに肯けることです。こう書いています。

 「カファルナウムの町の陰に、親を失った子どもたちが何人か命をつないでいた。孤児となった理由は様々。兵士に殺されたもの、病に奪われたもの、生きたまま別れ別れになったもの、貧しさゆえに生きながら捨てられたものもいた。守るものがなくても、自分の力でどうにか生き延びようとしていた子どもたちにとって、カファルナウムの静けさはあまり居心地のいいものではなかった。人々は、時には思い出したように親切にしてくれたが、また気まぐれに冷たくあしらった」

 当時、子どもは、可能性を秘めた、純粋無垢な、庇護されるべき存在というのではありませんでした。まともに働くこともできない、教育と躾を必要とする、愚かで、不完全な、小さな大人に過ぎませんでした。ある注解書には、そんな子どもたちの置かれた状況がこう記されています。

 「飢饉、戦争、病気、社会混乱の中で、最初に被害をこうむるのは子どもだった。地域や時期によっては、大人になるまで両親が生きていることは、ほとんどなかった。孤児は、社会の最も弱く傷つきやすいメンバーの代表的存在だった」

 このとき、イエスさまが弟子たちの真ん中に立たせた子どもが、そういう孤児の一人であったということは十分にあり得ることです。

 ところが、だれがいちばん偉いかなどと議論していた弟子たちに、そんな子どもの存在など眼中に入るはずもありません。そういう存在が眼中に入らないということこそが、だれがいちばん偉いかと議論する弟子たちの本質を、問題性を表しています。 Continue reading

9月26日 ≪聖霊降臨節第19主日礼拝≫ 『つまずかせない』 マタイによる福音書17章22~27節 沖村裕史 牧師

≪説 教≫

■受難への道

 「一行がガリラヤに集まったとき」とは、イエスさま一行がガリラヤに戻って来られたとき、ということです。領主ヘロデの迫害を逃れ、ガリラヤ湖をひと回りぐるりと巡り、最北の地フィリポ・カイサリアにまで行かれたイエスさまの一行が、今、ガリラヤに戻って来られました。イエスさまの命を狙うヘロデは、いまなお健在で、殺意も消えていません。そのような状況の中、一行が再びガリラヤに集結したのは、なぜだったのか。

 この後、ヨルダン川沿いに南下して、受難が待ち受けるエルサレムにお入りになる、新たな旅を始めるためでした。そのときの様子を、マルコは「一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った」(9:30)、ガリラヤを通り抜けてその先へ向かって行かれたと記し、ルカは「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」(9:51)と、ここから十字架への歩みが始まったことをはっきりと描いています。受難と復活の出来事をすでに知っている福音書記者たちにとっては、当然の描写とも言えます。

 しかし、弟子たちには受け入れがたいことでした。あの山上の説教の折に、祈りは必ず聞かれると断言され(7:7-11)、死人さえ甦えらせることのできる方として登場されたイエスさまです(9:18-26)。ほんの少し前、弟子たちは山の上で白く輝く栄光のイエスさまの姿を目撃し、てんかんの子どもを癒すという驚くべき業を目の当たりにし、さらには「からし種一粒ほどの信仰があれば」山をも動かすことができる、何でもできると教えてくださったばかりです。そのイエスさまが、エルサレムで殺されることになっている、と繰り返されます。

 それは、全面的な敗北宣言ではないのか。「からし種一粒ほどの信仰があれば」何でもできるというあの言葉と、この敗北宣言―二つの言葉を、どう理解すればよいのか。弟子たちは「非常に悲しんだ」と記されています。その深い悲しみに包まれている中、24節以下、神殿税にまつわる話が始まります。

 

■神殿税

 「一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て…」

 「ペトロのところに来て」というのですから、そこはペトロの家だったのでしょう。その家で、熱に苦しみ寝込んでいたペトロのしゅうとめをイエスさまが癒され、彼女からもてなしを受けられたこともありました(8:14以下)。今も、イエスさまは、そのペトロの家におられます。

 そこに神殿税の取り立て人たちがやって来ました。イエスさまの一行はこの時までガリラヤ周辺を巡って、放浪の旅を続けていましたから、カファルナウムに戻って来たところに彼らがやって来たのは、単なる偶然だったのか、それともその時を待ち構えていたのか。

 彼らは、応対するために外に出てきたペトロに訊ねます。

 「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」

 「神殿税」という言葉は、原文では、単に「二ドラクメ」です。一ドラクメは労働者一日分の賃金ですから、二ドラクメは二日分の労賃に相当します。

 当時、ユダヤの20歳以上の男子は、毎年、二ドラクメを神殿税として納める定めでした。その起源は、遠くモーセの時代にさかのぼります。出エジプト記30章11節以下によれば、イスラエルの民に属する20歳以上の男子は、会見の幕屋―つまり聖所の費用に当てるために、半シェケルを神に捧げることが義務付けられていました。これは本来、「生命(いのち)の贖(あがな)い」としての捧げものでしたから、金持ちも貧しい者も同じいのち、同じ額を納めることになっていました。これが神殿税の起源です。

 納期がやって来ると、村の世話役が税を集めて回ります。これは、神殿を中心とする信仰共同体の一員であることの証しであると共に、人々が神の祝福のうちに生きるしるしと見なされていましたから、もしそれを納めなければ、その年、その人にどんな災難が降りかかるか分からない。彼らはそう信じていました。納めない人は当然、不安を抱えて生活したでしょうし、取り立てをする人も、「あなたの罪は赦されないし、その罰がくだるのを覚悟しなさい」と脅していたかもしれません。

 

■神の子ども

 その取立人がやって来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と、ペトロに訊ねたのです。

 当時、人々は神殿祭儀を中心とする信仰に生きていました。律法に定められた掟に従って、毎年神殿税を納め、過越祭や仮庵祭には神殿に参り、生け贄を献げ、神に祝福と平安を祈りました。

 しかしそこに、まことの信仰と救いはあるのか。イエスさまは、「わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる」(マルコ14:58)、「神殿よりも偉大なものがここにある。もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう」(マタイ12:6-7)と言い切られ、「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている」といって神殿から商人を追い出され(21:12)、さらには神殿の崩壊を予告されました(24:2)。イエスさまは、神殿祭儀を中心とする形骸化した信仰を痛烈に批判しておられたのです。

 しかし人々は、もし神殿税を納めなければわざわいを招き、世間から何を言われるか分からない、そうした恐れから神殿税を納めていました。二ドラクマ、二日分の労賃です。安くはない金額です。しかし仮にそのお金を惜しんだら、神様との間にいざこざが起こるかもしれない。ひどい目に遭わせられたら困るし、世間の目もあるから仕方ない。人々は、自由な信仰心からではなく、わざわいへの恐れと世間の目に囚われて、神殿税を納めていました。 Continue reading

9月12日 ≪聖霊降臨節第17主日/教会創立記念礼拝≫ 『わたしのところに連れて来なさい』 マタイによる福音書17章14~20節 沖村裕史 牧師

≪式次第≫

前 奏    アダージョ (J.ベネット)
讃美歌    18 (2,4節)
招 詞    詩編37篇23~24節
信仰告白      使徒信条
讃美歌    99 (1,3節)
祈 祷
聖 書  Continue reading

9月5日 ≪聖霊降臨節第16主日礼拝≫ 『取って分かち合いなさい―聖餐(9)』 出エジプト記16章1~21節 沖村裕史 牧師

≪式次第≫

前 奏   装いせよ、おお魂よ (M.バイヤー)
讃美歌   17 (2,4節)
招 詞   ヨハネによる福音書6章37節
信仰告白  使徒信条
讃美歌   71 (1,3,5,7節)
祈 祷
聖 書   Continue reading

8月29日 ≪聖霊降臨節第15主日礼拝≫ 『倒れ伏す者に近づいて』 マタイによる福音書17章1~13節 沖村裕史 牧師

≪式次第≫

前 奏   天にまします われらの父よ(M.プレトリウス)
讃美歌   16 (1,3節)
招 詞   イザヤ書30章18節
信仰告白  使徒信条
讃美歌   167 (1,3,5節)
祈 祷
聖 書   マタイによる福音書17章1~13節 (新32p.)
讃美歌  Continue reading

★8月7日 ≪土曜礼拝―SATURDAY WORSHIP≫ 『ちがうから、美しい』コリントの信徒への手紙一 12章14~26節 沖村裕史 牧師

≪メッセージ≫

■みんなちがって、それでいい

 金子みすずという童謡詩人をご存知でしょうか。今から120年ほど昔の1903年、山口県長門市仙崎という漁村に生まれた女性です。みすずは、家業の書店を手伝いながら、13の歳から童謡を作り始めます。20歳(はたち)のとき、兄の結婚もあって仙崎の実家を離れ、下関で書店を営む親戚の家に移り、暮らすことになります。23歳、みすずは結婚をします。しかし、夫に詩を書くことも、友人と文通をすることも禁じられ、しかも、夫の女遊びから性病まで移され、26歳のときに離婚。愛する娘の親権―親として娘に会うことを禁じられ、離婚からわずか二月後、精神的に追い込まれたみすずは悲しみの内に死んでしまいます。

 死後、みすずの詩は高く評価されました。最もよく知られる詩(うた)のひとつに「大漁」という詩(うた)があります。

  朝焼け小焼けだ 大漁だ
  大羽(おおば)鰮(いわし)の 大漁だ。

 

  浜は祭りの ようだけど
  海のなかでは 何万の
  鰮のとむらい するだろう。

 

 大漁に賑わっている浜辺の人間たち。しかしそのすぐ近くの海では、魚たちが何万もの仲間の死を悲しみ、涙していると歌います。幸せであったとは言えないその人生の中で詠(よ)まれたみすずの詩は、自然と人、この世界に生きる、小さく弱い者へと向けられた、優しい、慈愛あふれるまなざしにあふれています。その詩(うた)は、読む者の魂を、静かに、しかし確かな力で揺さぶらずにはおられません。そして今日、特にご紹介したいのは、「私と小鳥と鈴と」という、こんな詩(うた)です。

 

  私が両手をひろげても、
  Continue reading

8月1日 ≪聖霊降臨節第11主日/平和聖日礼拝≫ 『天が裂けても』 エゼキエル書12章21~28節 沖村裕史 牧師

≪式次第≫

前 奏    汝、平和の君、主イエス・キリストよ (J.B.バッハ)
讃美歌    12 (1,3節)
招 詞    ヤコブ 1章19~21節
信仰告白  使徒信条
讃美歌    372 (2,3節)
リタニー         懺悔の祈り(別紙) Continue reading

7月18日 ≪聖霊降臨節第9主日礼拝≫ 『繰り返し、繰り返し』 マタイによる福音書15章29~39節 沖村裕史 牧師

≪式次第≫

前 奏   ヴェルソ (D.ツィポリ)
讃美歌   10 (2,4,6節)
招 詞   ローマの信徒への手紙12章15~18節
信仰告白  使徒信条
讃美歌   354 (1,3節)
祈 祷
聖 書   マタイによる福音書15章29~39節 (新30p.)
讃美歌   Continue reading

★7月17日 ≪土曜礼拝―SATURDAY WORSHIP≫ 『アッバ、父よ』ローマの信徒への手紙 8章15~17節 沖村裕史 牧師

■最初のひと言

 人がいのちを与えられて、最初に発するひと言は何でしょう。それは、だれもが同じ、「おぎゃ」という泣き声でしょう。その後(ご)、どんなにたくさんの立派なことをしゃべるようになっても、だれもが人生の最初をそんな泣き声で始めたはずです。

 いつしか大人になり、何でもできる気になっていますが、ときには、自分の人生最初の、そのひと時を想像してみるのもいいかもしれません。

 何もできず、何も言えず、何もわからず、まるでそうすることが生きることのすべてであるかのように泣くわたしたち。不安そうに見開いたその目は、何を求めていたのでしょう。その震える小さな手は、何をつかもうとしていたのでしょうか。

 言うまでもないことですが、そうして生まれて間もないわたしたちが、言葉にならない言葉を発するのは、それを聞き、それに応えてくれる存在がいるからです。生まれ出たら、そこには確かに生みの親がいて、泣けば、呼べば、たちどころにその要求を満たしてくれるとその本能で知っているからこそ、安心して泣き声を上げるのです。

 抱き上げられて、抱き締められて、天使のようにほほえむためにこそ、あの天地を揺るがすほどの声を上げる。わたしたち人間は、そうして泣くために、求めて呼ぶために生まれてきたのだ、と言えるのかもしれません。

 

■アッバ

 「この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。」

 「アッバ」というアラム語もまた、如何にもという感じです。生まれて間もない赤ん坊が、少し物心がつき、やがて目の前にいる人に向かって、パッパッとか、ンマンマとか、アブアブと聞こえる音を発するようになります。それをそのまま表記しただけの言葉です。しかしそんな言葉によって、幼な子は親を求めるようになり、慕うようになり、信頼し切って呼ぶようになります。

 井上洋治という人が「私にとっての祈り」という一文の中に、こんなことを書いています。

 祈りとは、「アッバ、父よ」という言葉を口にすることだ。「アッバ、父よ」というのは、幼な子の言葉。成長して、ひとりの息子が、今日は父親と話し合いたいことがあると身構えて、「親父!」と言うように呼びかける言葉とは違う。父と子が向かい合っているところで使われる言葉ではなく、むしろ父親の腕の中に抱(だ)かれている幼な子が、自分を暖かく包み込んでいてくれているその人に向かって、自然に発する声―「自ずからなる呼びかけだと思う」、と。

 「自ずからなる」呼びかけ。何も考えず、ただ思わず口を突いて出て来る言葉ということです。父親にやさしく抱かれながら、その顔を見ながら、「アッバ、アッバ」と呼ぶ。信頼し、喜びに満ちてそう呼びかけます。

 この「呼ぶ」という言葉も、どうにも抑え切れない心の奥底から出てくる声、叫びといった意味の言葉です。何の心配事もないときに、安心して「アッバ、父よ」と呼ぶというのではありません。そうせずにおれない、そうするほかないようなところで、父である神が、わたしたちをそのみ腕の中に幼な子を抱くようにして支えてくださっている。だからこそ、わたしたちはどんなときにも、いえ、どうしようもないときにこそ、「アッバ、父よ」と呼びかけることができるのだと言います。大きな恵みだとは思いませんか。

 

■父の姿

 とは言え、こどものときであればともかくも、大人になっても、「アッバ、アッバ」「アブアブ」と呼びかけることは、それほど簡単なことではないかもしれません。

 「おやじはキライだ」。

 自分ではよくは覚えていないのですが、大学に入ったわたしは母親にそう言ったそうです。中学になったころから、父親に対して根深い抵抗感を持ち続けていました。その抵抗感が次第にとけ始めたのは、皮肉にも「キライだ」と言った大学生になってからのことでした。親元を離れ、少し距離をおくことができたからかも知れません。四十歳も間近になって、自分のこどもが思春期を迎え、自分自身がこどもとの距離に悩み始めた頃、そして父親の頭に白髪が目立ち始めた頃、何とはなしに、ときに意識しながら突き放していた父親の姿が、ようやく、でも、はっきりと近づいてきたように思えました。

 こどもの頃は何の抵抗もなく「父ちゃん」と呼んで、頼り切り、信頼していたのに、成長し、背たけが伸びてくると、頑固一徹な父親の存在がどうにも煙たいものに思えました。父親が変わったというのではありません。わたしが父に追いつき、追い越そうと、もがき始めていたのでしょう。しかしそれは到底叶わぬこと。であればこそ、余計に反発を感じていたのでしょう。そのときのわたしは明らかに、父の姿を見失っていました。見失っていたからこそ、「父ちゃん」「父さん」と呼びかけることができずにいました。

 でも本当は、そんなときこそ、そんなときだからこそ、「アッバ、父よ」「父ちゃん」と言って、父親に真正面からぶつかっていけばよかったのだ。それは自分が父と同じ親になって初めて、気づかされたことでした。

 

■神の子どもとして

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7月11日 ≪聖霊降臨節第8主日礼拝≫ 『恵みは十分』 マタイによる福音書15章21~28節 沖村裕史 牧師

≪式次第≫

前 奏   カンツォーネ (J.フレスコバルディ)
讃美歌   9 (1,3節)
招 詞   詩編103篇11~13節
信仰告白  使徒信条
讃美歌   149 (1,3,5節)
祈 祷
聖 書   マタイによる福音書15章21~28節 (新30p.)
讃美歌  Continue reading

7月4日 ≪聖霊降臨節第7主日礼拝≫ 『飢えている―聖餐(8)』 ルカによる福音書12章13~21節 沖村裕史 牧師

≪式次第≫

前 奏  み言葉をください (小山章三)
讃美歌  8 (2,4節)
招 詞  詩編148篇5~6節
信仰告白 使徒信条
讃美歌  58 (1,3節)
祈 祷
聖 書  ルカによる福音書12章13~21節 (新131p.)
讃美歌  483 (2,4節)
説 教   Continue reading

★7月3日 ≪土曜礼拝―SATURDAY WORSHIP≫ 『ありがとう』マタイによる福音書6章5~15節 沖村裕史 牧師

■父のまなざし
 「天におられるわたしたちの父よ」
 天の父なる神に、滔々とお祈りをする必要はありません。わたしたちの両親に「お父さん、お母さん」というように呼びかけ、ありのままに話をすればよい。親が、真面目に、けなげにやっている子どもに、必要とする以上の物を与えようとしないなどということがあるでしょうか。ですから、「異邦人のように、くどくどと祈るな。」「彼らのまねをしてはならない。(なぜなら)、あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ(から)」と言われます。 父なる神は、わたしたち一人一人にいのちを与えてくださった方だからです。
 昔のことを思い出します。
 小さいころ、初めて自転車に乗る練習をしたときのことです。乗るまえの不安と、乗っているときの緊張。転んだときの痛さと、ついに乗れたときの喜び。だれもが体験する、ささやかな人生のひとこまですが、今にして思えば、生きるうえでの非常に重要な体験であったように思えます。
 多くの方がそうであったように、わたしの場合も自転車の乗り方を教えてくれたのは父でした。父は、自転車の後ろを両手で支え、「さあ、ちゃんと持ってるから、思いっきりこいでみろ」と言います。恐る恐るペダルを踏むと、思いのほか簡単に進みます。歩くのとは違う爽快なスピード感に胸が躍ります。ところがふと気がついて振り向くと、なんと、父はとっくに手を放してしまっているではありませんか。しかもニコニコと笑いながら。
 その瞬間、「すごいぞ、ぼくは自分ひとりで乗れてる!」と喜び、そのままこぎ続けることができる人がいるとすれば、その人はきっと大人物になるでしょう。悲しいかな、わたしを含め、多くの人はこう思ってしまいます。「うわっ、父さん、手を放してる。もうだめ、転ぶ!」
 事実、転んでしまいました。
 痛い体験でしたが、これは大変貴重な体験です。
 転ぶ前は、ちゃんと乗っていました。後ろで父が押してくれていると信じていたからとはいえ、たしかにひとりで乗っていたのです。しかし、自分ひとりでこいでいると気づいた瞬間、「うわっ、もうだめだ、転んじゃう!」と思い、そのとおりに、転んでしまう。
 その後も、何度転んでも、父はニコニコ笑うばかりです。そんなまなざしに見守られ、やがて転ぶのにも慣れてきたころ、いつしかこう思うようになります。「いつまでも怖がっていてもしようがない。もう、転んでもいいから、ともかく思い切ってこいでみよう」。そうして勇気を出してこいでみると、不思議なことに転ばないのです。スイスイこげるようになり、なんでこんな簡単なことができなかったんだろう、とさえ思うようになります。
 これは、祈りにとって、また生きる上でとても大切な体験です。
 聖書の中で、イエスさまは弟子たちに繰り返し「恐れるな」「心配するな」「思い煩うな」「勇気を出せ」と言われます。そうした恐れや思い煩いや不安こそが人を縛り、この世を苦しめる最大の原因であることを知っておられたからです。人が真の自由と幸福を手に入れるためには、そうした恐れや不安を乗り越えなければならないことを知っておられたからです。イエスさまは、父なる神の思いを代弁しておられます。もうちょっとで自転車に乗れるようになるわが子を見守る父親のような、天の父の愛情あふれる思いを語っておられるのです。「天のお父さま」と祈りなさい、と。
 愛を失って傷ついた人は、愛することを恐れるばかりか、愛されることさえも不安の種になります。特に幼いころに傷ついた人の恐れや不安の闇は深いものです。愛を失った痛みは、自転車で転ぶ痛みの比ではありません。しかし、どれほど痛くとも、その闇から解き放たれ、真の自由と幸福を手に入れる方法は、たったひとつしかありません。愛にあふれる父なる神のまなざしを背中に感じながら、「転んでもいい、思い切ってこいでみよう」と思ったとき、わたしたちは新しいいのちへと招かれます。

■土台は神の愛
 では、その「天の父」にどう祈ればよいのか。イエスさまは、手を取り足を取るように懇切丁寧に教えてくださいます。
 「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。 御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように」
 この世の終わりにやってくる神の御国の到来が早く来るように、父なる神の御心が地上でも行われますように祈りなさい、と言われます。神の国の到来とは神の御心がこの地上で成就するときのことです。そのときを、いつか分からない遠い事柄としてではなく、今、ここに来たらせ給えと祈るということは、そのような父なる神がわたしたちと共に、今ここにいてくださることを確信するということです。
 ところが、実際のわたしたちの祈りはそれとはほど遠く、「こうしてください、ああしてください」と祈ることばかりです。それがいけないというのではありません。それも確かに、自分や家族が様々な困難を避けることができますようにという切実な祈りではあります。
 しかしイエスさまは、まず神の御業、神の御国が現われますように、神の御心が成就しますようにと祈り、それから「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください」と祈りなさい、そう教えておられます。明日の糧、その先の糧ではなく、ただ、今日一日の糧のことを祈る。それで十分なのです。神の御国が来ている、神の愛の御心がもたらされている、神の愛の御手が今ここに差し出されているからです。 Continue reading

6月27日 ≪聖霊降臨節第6主日礼拝≫ 『口から出るもの』マタイによる福音書15章1~20節 沖村裕史 牧師

≪式次第≫
前 奏  喜び迎えん、慈しみ深きイエスよ (J.S.バッハ)
讃美歌   7 (1,3,5節)
招 詞  ヨエル書2章12~13節
信仰告白 使徒信条
讃美歌  348 (1,4節)
祈 祷
聖 書  マタイによる福音書15章1~20節 (新29p.)
讃美歌   Continue reading