■消えた遺体
先ほどお読みいただいた個所の直前、マリアが墓に到着してみると、入口の大きな石が取り除けられていた、とあります。マリアは、イエスさまとの想い出がにわかに手の届かない地平線の果てにまで遠のいたように感じられ、狼狽(ろうばい)し、急ぎ弟子たちにこの事態を知らせるために駈け出します。マリアからの知らせに驚いて、急いで飛び出した二人の弟子もただひたすら走ります。そして、墓の中に入った弟子たちが見たものは、イエスさまの体に巻かれていた亜麻布と頭に巻かれていた布切れでした。しかも、それがキチンと置かれていました。
二人の弟子たちは「見て、信じた」と書かれています。「信じた」とは、イエスさまの復活を信じたということでしょう。しかし続けて「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」とあります。二人の理解は十分なものではなかったのだとか、実は信じていなかったのだと考える人もいますが、「聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかった」というこの言葉は、二人の弟子の復活に対する信仰が、旧約聖書の証しによって導かれたものではなく、直接的で体験的な目撃によるものであったことを強調しているのでしょう。いずれにせよ、二人の弟子はイエスさまの墓から立ち去ります。
しかしマリアは違います。二人の弟子の後を追い、再びそっとイエスさまの墓に戻って来ます。盗まれたのであろうとなかろうと、イエスさまの体が失われたことに変りはありません。イエスさまの体がそこにあったからこそ、マリアの追憶もまた彼女の身近にありえたのです。想い出が、今もそこにあるもののように抱きしめる対象になったり、あるいは、未来に似て生きる支えになったりすることがあります。マリアはイエスさまの死の直後の空しさ、虚脱(きょだつ)から、その想い出にすがることによって立ち上がりかけていたのでした。ところが、その体がなくなってしまった。
「あのお方の体は本当になくなってしまったのだろうか」、はかない望みをかけて、もう一度身をかがめて墓の中を覗(のぞ)き込みました。マリアが見詰めているのは、先の閉ざされた浅い横穴です。追憶と幻想の中で、過去がいかに美しく充実したものであったにせよ、それはあくまでも、どこまでも過去でしかありません。未来へと突き抜けて、その向こう側から爽やかないのちの風が吹いてくることなど決してない、行き止まりの横穴でしかありません。主であるイエスは、もはやそこにはない、おられないのです。
■泣いていた
マリアは、墓の外で泣き続けました。「泣く」と訳されているこのギリシア語は、声を出して激しく泣く、という意味の言葉です。
学者たちが言うように、この福音書を記したヨハネは、この泣き続けるマリアを直情的で愚かな存在として描いているのでしょうか。そもそも、それは批判されるべきことなのでしょうか。一人の愛する者が死んで、その墓から遺体まで取り去られてしまって見ることができない、その時、人は声をあげて泣かないでしょうか。それは人間として当然の、自然な感情で、イエスさまを愛し、尊敬していた者の偽らざる姿がそこにあるのではないでしょうか。
マリアは、その自然な感情を隠しませんでした。反逆罪で殺された者の、埋葬直後の墓の前で、声をあげて泣くということがどんなに危険なことか…。そんなことを気に留める様子もなく、彼女は泣き続けています。その姿にわたしは深い感動さえ覚えます。イエスさまの十字架を前にして、また遺体の取り去られた墓を前にして、「これは神の計画に基づく救いの出来事だ、神が死を滅ぼしてくださった栄光の出来事だ」などと悟ったようなことを言う前に、あるいは、裏切り、逃げ回り、姿を隠してしまった弟子たちとは違って、ただただ墓の前にとどまり続け、声をあげて泣き続けるマリアの姿をこそ、その信仰の姿をこそ、見つめるべきではないでしょうか。
戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人、茨木のり子の「汲(く)む」と題された詩をご紹介します。
大人になるというのは
すれっからしになることだと
思いこんでいた少女の頃、
立ち居振る舞いの美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました